家族との夕食を終え、自分の部屋に戻ったシンジはベッドに座り込むとゆっくり後ろに倒れ込んだ。
漫然と天井をながめてシンジは物思いにふける。

(今日はアスカと学校行って綾波に出会って・・・綾波が全然ちがって・・・ミサトさんが先生で・・綾波にアスカが腹立てて・・・綾波がアスカに蹴られて吹っ飛んで・・・)

どうもレイの占める比率が多い。
インパクトが大きすぎたせいか・・・・
だがレイがアスカにどんな目に合されようとそれは平和な世界でのコップの中の嵐にすぎない。
ここには使徒もエヴァも人類の危機も・・・自分の家庭の不幸すらない。

(僕はここで何をしたらいいんだろう・・・・それとも何もしなくていいのか・・・いつまでこんな暮しが続くんだろうか?)

アスカはこっちのほうが良いと思ってるんじゃないかとシンジに問うた。
確かにこちらは平和で穏やかに生活できそうに感じる。

(・・・・あっちは・・・どうしてるんだろ?)

シンジが自分達の代わりにエヴァの世界にいる二人の事を考えた時、天井で小さなきらめきが現れた。
それは直径10cm位の八角に広がるとそこから何かがシンジめがけて降ってきた。

「わ?!」

ぽとんっ

避ける間もなくシンジの顔に命中したそれは・・・・

「・・・・メモ?」

シンジは小さなメモノートをつまみ上げると天井を見た。
窓はもうない。

「カヲル君・・・・?」

カヲルの落としていったこのメモはいったい何なのだろう。
シンジの脳裏に昼休みにアスカのハイキックを食った後、レイが言っていた言葉が思い起こされた。

『今晩何が降ってくるかわかんないよ!楽しみだねー』

それってこれの事になるのだろうかと思いつつ、シンジはメモを開いた。

シンジです。こっちも大変だけどそっちも何もわからなくて大変だと思います。
手みじかだけど君のしらないそちらのことを説明しておきます。

「そういうことか・・・・」

メモの意味を知ったシンジはベッドから起き上がり、勉強机に座るとスタンドのスイッチを入れた。
メモを読み始めるシンジ・・・・そこに書かれた内容は主に学校の事、自分の事、家族の事、アスカとその家族の事・・・・
どれも簡単な事ばかりを走り書きしてあった。
かなり慌てて書いたのだろう。
その中でシンジの気を引いたのは・・・・

(エヴァの世界にいない生徒・・・・?アルバムでたしかめて、CDラジカセのおいてある本だなにある、か)

シンジは書かれてある通り本棚へ歩くと程なくアルバムを見つけた。
薄いのと分厚いのの2冊で、分厚いほうの背表紙に2005〜と書かれてあった。
分厚いほうを取って机に戻る。
机に置いたアルバムを改めて見てみると、まっ白いシンプルな表紙で右下にシンジ用!とマジック書きされていた。
シンジはアルバムを開いた。

「・・・・・!」

4、5才位の紅いワンピース姿の幼女がVサインで笑って立っている写真がシンジの目にとび込んだ。
栗色の長い髪、青い瞳、そして何より、たとえどんなに幼くてもその面影は今の彼女と重なり合うものがあった。

「アスカ?!」

(これがアスカの小さい頃・・・・にしてもなんで僕のアルバムにアスカの写真が?)

よく見るとアスカの後ろにもう一人の幼児が立っていた。
Vサインの部分で顔が隠され殆ど背景と化しているが、それがこの世界の自分であるのはわかった。

「・・・・ツーショット・・・・幼なじみ!」

シンジは息を飲んだ。
言葉でなく、目で見て実感する幼なじみという事実。
シンジは他の写真にも目を移す。
ページあたり何枚かの写真が貼ってあるが、その半分にアスカの顔が写っている。
それらの大体はシンジよりアスカのほうが目立っていた。
シンジはページをめくる。
先のページと似たような状況だった。
父や母よりアスカの出番が多かった。
シンジは最初の目的を忘れ、むさぼるようにページをめくりだした。
ホースを持ってシンジを追っかけ回し、水をかけているアスカ。
浴衣姿で夜店の金魚すくいをしているシンジとアスカ。
砂浜でスイカ割りをしている水着姿のシンジとアスカ。
バルコニーで満月を背景に団子をぱくついているシンジとアスカ。
紋付はかまを着たシンジの横でむすっとした顔をしてるセーター姿のアスカ。

「?・・・・」

次の写真はシンジとアスカが二人で丸い白い物体を押しているものだった。
直径1mほどのそれを5才位の幼児達が顔を真っ赤にして、いかにも重そうに押し転がそうとしている。
二人ともジャンパーを着てお揃いの黄色いマフラーと紅い毛糸の帽子をつけていた。

「・・・・雪?」

シンジは知った、この世界に季節があることを。
日本から季節をうばったセカンドインパクトはこっちでは起きなかったのだ。

「だから平和なのか・・・・」

四季を知らぬシンジにはそれだけで衝撃的だった。
こちらの世界のアスカと自分は季節の循環の中を生きてきたのか・・・・
それがすばらしい事なのかどうかさえ、常夏の日本で育ったシンジには分かり様がない。
ただ、写真の中の二人は表情がとても豊かで生き生きとしている様に感じられた。
シンジはさらにページをめくる。
幼稚園の卒業式、小学校の入学式、誕生会、プール、運動会・・・・・
桃色の着物姿でにっこりとポーズを決めるアスカを横でアメをくわえながらぼーっと見ているシンジ。
ここまで見た所でシンジは写真の中の季節が一巡すると一年になる事を発見した。
四季というリズムによってアルバムの中の時が、らせんを描きながら一年一年進んでいく。
写真の中のシンジとアスカがだんだん成長していく。
一つのタオルケットを横にかけて昼寝をしている8、9才位のシンジとアスカ。
大の字に手足を広げているアスカに押しやられる形のシンジはタオルケットの端をつかんで横向きに丸まっている。
2010.8.9と記されてある。
マンションの前でシンジ一家とアスカ一家が並んで写っている。
シンジとアスカが前に立ち、後ろにそれぞれの両親が立っている。
写真の中で二つの家族は全員、なんとゲンドウまでが笑い顔を見せていた。
2012.3.6・・・・

「幸せなんだ・・・この世界の僕やアスカは・・・・・それにひきかえ・・・・・」

シンジは何故カヲル達が自分をこの世界に置き去りにしたのか今、はっきりと知った。

「僕に幸せを分けようとしたんだ・・・アスカにも」
 
彼らと比べ自分がなんと不幸な世界で生まれ育ったことかという恨めしさ、そしてそんな自分に幸福を分け与えようとした彼らのやさしさに対する思い・・・・・
二つの感情が入り交じった言い様のない心の戸惑い。
こんど彼らと会う時、どんな顔をすればいいのだろう?
いろいろな考えが頭の中を過りつつも、シンジはアルバムのページをめくり続けていく。
小学校の卒業式までページが進んだ時、シンジはふと思った。

「アスカにもメモはいったんだろうか?」
 
 



 

「レイが要注意人物ぅ?遅いわよ!!」

ベッドに腰掛けてアスカはメモに突っ込みを入れていた。

「リツコも要注意、けっこう危ない・・・・・・ふーん」

今日の授業はそれほどではなかったが。

「マヤは教師としての威厳がなく、先生扱いされてない・・・生徒になめられるパターンかな?」

メモには最低限の事しか書いてないので想像力を働かすしかない。
にしても情報量が少なすぎる事がアスカをいらつかせる。

「もう少しくわしく書きなさいよ、あのバカ女!!・・・・まだ要注意人物いるの?アルバムの中1の頃参照?」

アスカは勉強机の隣の本棚に目を向けた。
ベッドから立ち上がると本棚へ歩く。
シンジと同じ行動になってるとは知る由もない。
結局アスカはアルバムを開いて驚きの声をあげるまでシンジと同じ行動をとる事になった。

「な、なんでシンジと一緒にシャワー浴びてるのよ!!」

まずアスカの目に飛び込んだのはふろ場で4才位のアスカがシンジの顔にシャワーをひっかけてる写真だった。
もちろん二人とも素っ裸だ。
中1の頃を見るためといってもやはり1ページ目から見てしまう。
アルバムはアスカが来日してから今日までのものだった。
当然のごとく写真の半数にシンジが写っている。
そしてアスカに分かる事ではないが、シンジのアルバムの写真と同一のものも多かった。

「何よ、シンジばっかりじゃない!」

文句をつけながらアスカはページをめくる。
シンジ同様 季節を発見し、年月の流れを感じ・・・・ただアスカがシンジとちがったのはページをめくるにつれ顔が真っ赤になり眉がひくつき、わなわなと手を震わせていた事だ。

「見せつけてくれるわね・・・アタシは・・・・アタシはアイツなんかとは絶対違〜う!!
 
 
 



 
 
「バカシンジ、起きろ〜!!」

シンジは突然耳をつんざく怒鳴り声に目をさました。
人に起こされるといった事が習慣にないシンジは、何がどうなったのか分からぬまま声を漏らした。

「う〜ん・・・・なんだ・・・?」

「なんだとはなによ!人がせっかく起こしに来てやったのに」

「・・・アスカ!どうしたの?」

寝ぼけ眼に写ったのはアスカのふくれっ面。
シンジはここに至っても何故アスカが自分を見おろしているかを把握しきってない。

「ママにアンタを起こしに行けと言われたのよ!こっちじゃそれが当たり前だから仕方なしにね!」

「あ・・・そうだった・・・」

昨日は早く起き過ぎて母に驚かれてしまった。
自分は寝坊助なのだ、ここでは。

「アンタのママの顔もまだ見てなかったしね、バカシンジの親にしちゃ美人だったわ。信じらんない〜!」

馬鹿にしたようなアスカの言いようにもシンジは反応せず、寝ぼけ眼をこすっている。

(そうだ、母さんだ・・・・母さんがいるから早く起きて朝食も僕のお弁当もアスカのお弁当も作らなくていいんだった)

アスカの弁当はユイは作らないが。

(じゃあ僕はいつ頃起きたらいいのかな?)

どうでもいいような事をのんびりとシンジが考えていると頭上から雷がおとされた。

「なにボケボケっとしてんのよ!んもぉ〜、さっさと起きなさいよ!」

アスカはシーツを勢い良くひっぺがした! 
そこにはもちろん・・・・・

「うっ!うぅ〜・・・・きゃ〜、エッチ、バカ、ヘンタイ、信じらんない〜!!

ばちいぃぃん!!

シンジの頬に真っ赤な手形が刻印された。
顔面ゆでダコ状態でシンジを睨み付けるアスカの凄みにシンジは何も言う事ができない。
痛む頬に手をあて、心の中で呟いた。

(しかたないだろ、朝なんだから・・・・)
 
 



 
 

(なんでこんなに寝坊したんだろ?)

思い当たる事と言えば朝食も弁当も作らなくていいため、無意識に安心しきってたのではないかという事位だった。
昨日のユイ手製の弁当にシンジはあっさり白旗を上げていた。
ここにいるかぎり自分で料理を作る必要性はないと思う程、ユイの弁当はレベルが高かったのだ。
なんにせよ、どんな理由であれ朝8時すぎに起きたツケは自分の足で払わねばいけない。
シンジはアスカと一緒に昨日は歩いていた通学路を疾走していた。

「なんでアタシまで走らなきゃならないのよ!」

並走するアスカがシンジに愚痴る。
平和な世界のアスカが言い飽きて口にも出さなくなったセリフとも知らずに。

「・・・ごめん。だけどこのほうが周りから変に思われないんじゃ・・・・」

「あいつらに合わせるっての?寝坊までして、必死に走って、遅刻ギリギリに学校にすべり込んで!あーやだやだ!」

やってられないとばかりに頭を振るアスカだが、その足はシンジがついて行くのも大変な程速い。
文句はあっても遅刻する気はないらしい。
空は昨日に負けない位の快晴で朝の日射しは走りっぱなしの二人を汗ばませるに十分だった。

「ふうっふう、アイツらこんな事毎日やってたの?バカじゃない!」

「はあっはあ、アスカもしんどかったんだ。足速いから平気なのかと・・・」

「なわけないでしょ!」

エヴァの世界では歩いて通学していた二人にはこの登校方法かなりきついものだった。
息を切らしながらマンションがやたら多い住宅街を走り抜けると、街路樹がのぞき見える十字路が近づいてきた。
二人はスピードを落とさず角を右に曲がる。
車道と歩道が分かれた幅のある道路にでて一気に視界が広がった。
後は直線距離、どうやら遅刻しないですみそうだ。
ラストスパートをかけようという時、二人の耳に背後から近づいて来る足音が聞こえた。

「碇君、アスカー!!」

「綾波」「ファ、・・レイ!」

振り返る二人に追い付き横並びになると、いつもの笑顔で挨拶するレイ。

「おはよー!」

「あ・・おはよう」「おはよう、レイ」

もう、シンジもアスカも昨日のように驚くつもりはない。
レイは嬉しそうに喋り出した。

「今日はいつも通りだねー、昨日が早すぎたんだよ、やっぱり私らはこうでなきゃ、早起きしてもなんの得もないし。昨晩なんか寝転んでたら天井からカマドウマがふって来たんだ、あれ普通縁の下から出て来るんだよね?ねー、昨晩なんか降って来た?」

「アンタねー・・・別になにも降ってこないわよ、ねーシンジ?」

「え、うん・・・」

「なーんだ、つまんない」

「くだらない事言ってないで、それよりアンタ昨日の怪我はいいの?」

「心配ないよ、見てよ、全然腫れてないでしょ。アスカ、気にしすぎだよ、らしくないよー」

確かに側頭部の腫れは完全にひいており、抜けるような白に戻っている。
たいした回復力だ。

「人が心配してやってるのに、らしくないよー、はないでしょ!アタシを何だと思ってるのよ!」

「てへへへ・・・ごめんねー」

そうこう言い合っているうちに3人は校門までたどり着いた。
丁度校庭に足を踏み入れた時、チャイムが鳴り響いた。

ピ〜ンポ〜ンパ〜ン・・・

「やば、急ぐわよ!」

「うん」「ほーい!」
 
 



 

「このこのこの!」

「いいい〜〜、私は鈴原君か〜?」

「あれは片耳、アタシは両耳引っ張ってんの〜!」

「あ、そーかあぁぁぁ〜」

アスカが背後からレイの両耳を上下に引っぱり顔が横にひねられている。
ヒカリはそんな二人の様子をながめながら胸を撫で下ろしていた。

(ふう、なんとか元通りに戻ったみたいね・・・・よかった)

昨日のアスカの剣幕は尋常でなかった。
五時間目の授業にレイが側頭部に絆創膏を貼って現れた時は、何があったのかと気が気でなかったものだが心配は杞憂に終わったようだ。
今日のアスカのレイへの接し方はいつものもので昨日の様な殺伐とした雰囲気はない。

(鈴原の言うボケ突っ込みの範囲内なんでしょうね・・・)

ヒカリは二人の事はほっておいて次の授業の準備を始めることにした。

「アスカ、もうそのへんでやめたら・・・」

シンジが止めに入るとアスカはレイの両耳を逆方向にねじりながら余裕の笑みで答える。

「いいのよ、コイツに遠慮なんかしてられるかっての」

「い〜、てへへへへ・・・」

今は一時間目終了後の休み時間だ。
そしてカヲルはこの時点でまだ登校して来ていない。
シンジもアスカも気にはしていたが、レイが何かと口をはさむので一時棚上げになってしまってる。
アスカがレイの耳を持ったまま両手を前後回転させ始めた時、

がらがらっ
 
教室の戸が開く音がしたと同時に、元気なよく通る声が響き渡った。

「シンジ君おはよ〜う!」

「へ?」

シンジが声に振り向く。
アスカも手を止めて声の方を見た。
声の主である少女がシンジに駆け寄って来た。
茶色っぽいショートヘアにくりっとした瞳、そして人なつっこそうな笑顔。

(あ!あれは・・・・)

シンジは近づいて来る少女を知っていた。
昨日見たアルバムにチェロを弾くシンジの傍らで何人かの生徒が合唱してる写真があった。
その中で一番シンジの近くに立っていた女子生徒。
エヴァの世界にいない生徒としてメモに名前が書いてあった。
 
「霧島・・・さん・・・」

シンジはおっかなびっくり目の前でにっこり笑う彼女の名を呼んだ。
向こうは違ってもこっちは口をきくのも初めてなのだ。

「マナと呼んでといってるでしょ、シンジ君!」

マナは悪戯っぽくシンジに笑いかける。
ほんの一瞬マナはチラとアスカを見てシンジに視線を戻した。
アスカはレイをすでに放りだしている。
マナのことをアスカもあらかじめ知っていた。
昨日見たアルバムには運動会でアスカとマナが並んで走っている写真があり、メモには・・・・

(こいつが要注意人物?いったいどこがなのよ、肝心な事書いてないんだから!)

疑惑の眼をマナに投げ掛けるアスカ。

「シンジ君、お願いがあるの。放課後に音楽室に来てくれない?声楽部からチェロの伴奏をまたシンジ君に頼みたいの。今日選曲の相談するからシンジ君も参加して。お願い!」

「え・・・・」

あまりに突然のことなのでシンジは困惑してしまう。
この世界の自分がそんな事していたなんて寝耳に水だ。

「無理言って悪いけど・・・とにかく来てよ、私を助けると思って!」

懇願モードに入ったマナの切ない表情を目のあたりにしてシンジの心は大いに揺れた。
自分を見つめるマナの表情が尋常でなく可愛かったからだ。

(どうしよう?こっちの世界の僕ならOKしてるのかな・・・)

根拠はないが、そうだとしたら・・・・・

「・・・うん」

「ありがとう〜!シンジく〜ん!!」

マナの表情が一気に破顔しシンジの手を取り握りしめた。
突然にマナに手を握られて、狼狽するシンジの顔に赤みがさす。
アスカの眼がギラッと光った。

(そうか、要注意人物ってそういう意味なのね!ふんだ、アタシには関係ないわ)

「やっほー、副会長〜!!」

「きゃ!」

いきなりレイがマナの背にまとわりついてきた。

「あ、綾波さん・・・」

レイを見てマナの顔がひくつく。

「レイと呼んでといってるでしょ、副会長!」

マナの前にまわるとシンジを押しのけ両手をにぎるレイ。
ズームインするかのように迫り来るレイの笑顔に引いてしまうマナ。

「そ、その副会長っていうのやめてよ・・・・今日は声楽部員として来たんだから」

「えー、生徒副会長なんでしょ、副会長!」

「だからマナでいいから・・・いえ、絶対マナと呼んで、お願いだから!」

「んじゃマナと呼ぶから私もレイと呼んでよ、副会長!」

「ええ・・・・はぁ〜っ(私この子苦手だわ・・・)」

シンジもアスカもレイとマナのやり取りにあっけに取られていた。
主にレイが原因だが。
いったいどういう人間関係があるのだろう?
マナが生徒副会長だとは分かったが。
一方、テンションが落ちてしまったマナは取りあえずこれで引き上げることにした。

「そ、それじゃ、シンジ君また後でね」

「うん、じゃあね、霧島・・」

「マナと呼んでといったでしょ」

「あ・・・ごめん」

マナはちらっとアスカを見る。
アスカはシンジのすぐ後ろに立っている。

(ふう、アスカとの距離が近ければ近い程、私をマナと呼ぶ確率下がるのよね、シンジ君。悲しい・・・・)

マナは教室から出ようと歩きだしたが、急に足を止めて振り向いた。

「そうだ、昼休みにもうちょっと詳しい事説明したいからまた来るわね」

「うん・・・マナ」

(やた!シンジくぅん、ありがとう!!)

マナは顔をほころばせて教室を出ていった。
 
 
 


 
 
ピ〜ンポ〜ンパ〜ン・・・・

四時間目の授業開始のチャイムが鳴った。
生徒達の大部分が自分の席についていく中、レイはアスカの机にまだへばりついていた。

「ねー、碇君にチェロ聞かせてもらおうよー、放課後に」

「何よそれ!」

「だって音楽室行くんでしょ、碇君」

「選曲の打ち合わせだけでしょが」

「でも音楽室に予備のチェロ置いてあるんでしょ。ね、碇君!」

レイがシンジに振り向いて聞いてきた。
もちろんシンジはそんな事知らない。
メモにも書いてなかった。
シンジは躊躇したあげくレイの言う事を信用することにした。

「えっと・・・・うん」

アスカがすかさず突っ込む。

「だから選曲の打ち合わせだけでしょ!なんでわざわざシンジのチェロを・・・」

がらがら・・・・

教室の戸が開く。
教師が来たのかとみんながそちらを向くと・・・

「やあ、遅くなっちゃったね」

昨日学校をわざと休んだ少年が例によって人なつこい笑顔で立っていた。

「カヲル!アンタ!!」

すくっどんっ「ふぎゅ」だだだだだだっむんずっ

立ち上がると机にもたれていたレイを跳ね飛ばし、一気にカヲルに駆け寄り胸ぐらつかむアスカ!
足にかかる体重が軽くなるのを感じながら、カヲルはのんびりと挨拶する。

「おはよう、アスカ君」

「なぁ〜にがおはようよ〜!昨日からずっと雲隠れして!もう絶〜っ対逃がさないから、覚悟なさい!!」

「別に逃げやしないよ」

「黙れ〜!!」

(あわわわ、どうしよ・・・カヲル君、せっかく会えたのにタイミング悪いよ・・・)

いかなるタイミングでもアスカはこうしただろうけど。
うろたえるシンジに後ろからトウジが声をかける。

「おい、シンジあの二人にいったい何があったんや?」

「い、いや、それは・・・(答えてる場合じゃないんだけど・・・)」

ゆさゆさゆさっ

アスカがカヲルを揺さぶる!
カヲルは首をゆらつかせながら涼しい顔で笑っていた。

「アスカ君、話は後で聞くよ。授業がもう始まるからね」

「授業なんて関係ないわよ!!」

「そんな事言わないで・・・・」

「何がそんな事言わないでよ!え?・・・」

アスカはカヲルの背後を見た。
そこにはうつむき加減に背を丸め、顔を赤く染めて気まずそうに立っている女性がいた。
白のブラウスに赤いリボンタイを結び、若草色の膝までのタイトスカートをはいている。
背丈はアスカとたいして変わらない。
ショートカットの七三にわけた黒髪にあどけなさが残る顔つき・・・アスカのよく知った顔だがエヴァの世界の彼女よりも顔から下が幾分痩せている様にも見える。

「マヤ・・・・」

カヲルをつかむアスカの手から力が抜けた。

「やあ、マヤさん、ごめんなさい」

入り口に立っていたカヲルは一歩前に出てマヤに道をあけた。
マヤが小さな歩幅でそろそろと入ってくると遠慮がちに言った。

「二人とも・・・・席についてくれないかしら・・・?」

カヲルがにっこり笑う。

「もちろん!じゃアスカ君、話は後で」

すたすた自分の席に歩いていった。
とり残されたアスカに恐る恐るマヤが声をかける。

「あの、アスカさんも・・・・」

「ぬぬぬぬぬう〜、わかってるわよ!!

マヤを一喝するとどすどすと自分の席に歩いていくアスカ。
涙目になったマヤは心の中で呟いた。

(なんでいつも私だけこんな目にぃ〜・・・・)
 
 
 



 
 
昼休み、生徒達がグループごとに分かれて食事をするいつもの風景に異変が生じていた。
1グループとも2グループともいえるシンジ達3バカのグループとアスカ達のグループが完全に融合し、さらによそのクラスの生徒まで加わり普段は見られない大所帯が作られていたのだ。
机を向い合せに縦二列に並べ、最後尾の机が横にくっ付く9人のグループ。
原因の一つは弁当片手に現れたマナにある。
シンジにチェロの伴奏についての話をするという名目で、昼食を共にしようという魂胆だ。
結果、男子と女子に分かれていたグループが、マナが接着剤となり渾然一体となってしまった。
もう一つはアスカのカヲルに対する思惑だ。
転校まもないカヲルはシンジに接近していたため、3バカと行動を共にするようになりつつあった。
そしてアスカはカヲル、シンジと3人だけになるチャンスを伺っていた。
カヲルを監視し続け、隙あらば連れ出すためには一かたまりのほうがいい。
もっとも、これは考えが甘かった事が後で分かるが・・・・・

「、というわけなのシンジ君」

マナの説明が終わる。
誰が聞いてもわざわざ昼御飯を共にしてまでしなければならない話とはいえなかった。
よーするにマナにとって話の中身などあまり関係なかった。
シンジの隣に座るというのがマナの本来の目的だから。
向いが何故かレイというのが気になるが。

「わかったよ霧島さん・・・」

「だからマナって呼んで」

「もがもが、マナ〜、ごっくん」

(レイ、あなたに呼ばれても・・・)

「なんや綾波、納豆パンなんてようそんな気色いもん食えるのお」

「これうまいよ〜、んぐっ」

「昼食はいいね〜、こういう大人数で和気あいあいと食べるのも・・・」

(なに言ってんのよ、このバカヲルめ!)

(アスカ、目が恐いわ・・・・大丈夫かしら?)

「そう思わないかい、シンジ君?」

「え?・・うん・・・」

(何も考えずに相槌うつなっての、バカシンジ!)

「アスカ・・・・」←ひそひそ

「何、ヒカリ?」

「仲良く穏やかにやっていきましょ、ね!」←ひそひそ

「わかってるわよ!」

「平和だね・・・」
 
今、皆がどういう風に席についているかというと・・・・
 
 

   トウジ ケンスケカヲル レ イ
マつ つくえ つくえ つくえ つくえ
 く
ヤえ つくえ つくえ つくえ つくえ
   ヒカリ アスカ シンジ マ ナ
 
 
 

(うう、なんで私がここにいるの?・・・・)
 
いったい今まで何度自問自答してきたことか・・・
最低でも週に二度は必ずヒカリ、レイ、アスカと共にお昼を食べている。
最初はレイに強引に引き込まれたものが今では習慣化していた。
教師としての初めての授業で生徒との縦の関係を築くのに思いっきり失敗したマヤは、以後生徒達に先生あつかいされなくなってしまった。
その代わり、というのも変だが生徒とは横の関係が出来上がってしまい、一部の生徒とはお友達状態である。
本人の意志とは無関係に。

(ああ、先輩と一緒に昼食したいのに・・・・)

その願いは昼休みにリツコは一人怪し気な行動をとっているため一度も実現していない。
表情のさえないマヤを見て、ヒカリが気遣うように笑顔を作って話し掛けた。

「あら、そのカキフライおいしそうねぇ〜。きれいにカラッと揚がって・・・」

マヤも笑顔を作った。

「え、そう・・?じゃあ一つあげるわ」

「ほんと?じゃ、わたしのからも好きなのをとって」

カキフライをもらったヒカリが弁当を差し出した。

「そ、そう?」

マヤが遠慮がちに出し巻きに箸を近付けた。

「これ、いいかしら?」

「ええ、どうぞ」

交換し終わると二人同時に口に入れた。

「美味しい!」「おいしい〜」

「洞木さんの料理の腕にはいつも感心するわ!」

「・・・・あら、そんな・・・このカキもとても良い出来よ」

ほのぼのとした会話が交わされる。
ヒカリとマヤは何故か波長が合う、というか性格が似ているようだ。
たとえば何が不潔で何が不潔でないかといった感覚など・・・・
それにお菓子作りが趣味のマヤは料理が得意なヒカリと妙に話題がかみ合ってしまう。
ヒカリとのお喋りはマヤの気持ちをやわらげる作用があった。
そして今、ヒカリが自分にとても気を使ってくれているのがマヤには痛い程良く分かる、けど・・・

(これ、教師と生徒の会話じゃないわ〜!!・・・だけど美味しい・・・)

悩みの尽きぬまま、出し巻を噛み締めるマヤだった。
 
 



 
 

「おー、食った食った、ごっつぉさん」

「ごひそー様ー」
 
 まだ5分と経ってないのに早くもトウジとレイが食べ終わった。
アスカもほぼ食べ終わっている。
右隣のシンジの弁当箱をアスカは見た。
御飯もおかずも半分以上残っている。

「シンジ君、私 の海老フライとその春巻きと換えっこしない?」

「・・・・うん、いいよ」

「うふっありがと」

互いに箸でおかずの渡しっこをするマナとシンジを横目で睨むアスカ。

(ええ〜い、なに悠長なことやってんのよ!早く食べろっての!)

いらつきながらアスカは最後に残ったソーセージをぶすりと箸で突き刺すとぶちっと食いちぎった。
シンジの向こう側で感嘆の声があがる。

「お、おいしいっ!碇君のお母さんって凄腕だわ!」

「それは僕も認める・・・」

いらいらいらいら・・・

「一度お会いしたいわぁ」

「そう?・・・」

「え〜い、シンジ!早く食べちゃいなさいよ!!」

「へ?」

「だらだらしてんじゃないわよ!!」

突如襲ってきたアスカの口撃にシンジはポカンと口を開けて驚いている。

(まず食事を終わらせなきゃカヲルを連れ出せないでしょ!このバカシンジ!!)

もちろんそんな思惑シンジには伝わらない。
顔に?マークが浮き出ていた。

(どうしましょ、恐れていたことが・・・アスカやっぱりマナの事気にしてたのね)

アスカの本心など知らないヒカリは完全にシンジ、マナとの三角関係と思い込み、不安に表情をこわばらせる。
他の者もアスカに視線を集中させて成りゆきを見守っている。
マナが言い返した。

「いいじゃないの、ゆっくり楽しく食事すれば・・・」
 

「アンタは関係無い!!」
 
 

びしっ・・・
 
 
 

空気が凍り付いた。
 
皆、動く事も声を出す事も出来ない。
マナに至っては彫像の様に固まり、まるで時間が止まったみたいだ。
かつてシンジをめぐるやりとりでマナはアスカにここまでばっさり切り捨てられた事はなかった。
アスカにひとかけらの迷いもなく関係無いと言い切られた事が、マナにはショックが大きかったのだ。
それが実は[アスカ]が違うためだとはマナに分かるはずもない。

「アスカ君、凄いね〜」

その時、唯一例外的に動ける存在が、穏やかにアスカに話し掛けた。

「シンジ君と君の間に誰も入り込む余地などないというのかい?」

「なんですってえ!」

「僕としてはそれは困るねぇ〜」

「この〜!そんなわけないでしょが!!

アスカの言葉がマナの止まっていた思考を再起動させた。

(そんなわけないでしょが・・・そんなわけない・・・そう、そんなわけないのよね、そんなわけないのよ!そんなわけ・・・・ないわよ、絶対!!・・・・・)

どうもマナのOSは再起動するにはかなり時間がかかりそうだ。
本人のせいではないだろうが。
他の者達もやっと動ける状態に戻りつつあった。

「・・・アスカ・・・お願いだから大人しくして。せっかくみんなで仲良くお昼しようとしてるんだから・・・・」

ヒカリがすがるように懇願する。

「ぬぬぬぬう〜」

怒りにふるえるアスカの刺すような視線を意に返さずカヲルは笑顔で話す。

「まあ時間はまだまだあるんだからのんびりやっていこう。ね、アスカ君」

見るとカヲルの弁当は殆ど箸が進んでいなかった。

(コイツ・・・わざと!!おのれ〜、後でただではすまさない!!)

「ねー、アスカ、お昼食べたんならいっしょに外出ようかみにゅっ」

カヲルから目を離さず右手でレイの鼻をひねるアスカ。
とうの昔にその顔は赤鬼と化している。
ヒカリはアスカの形相を見て、さらなる勘違いをしてしまっていた。

(もしかして・・・・四角関係?)
 
 



 
 
「ご馳走様・・・」
 
マヤが手を合わせ周りを気にしつつ、小声で御馳走様するとまだ食べているのはカヲルだけとなった。
それでも誰一人席をたっていない。
張りつめた空気になんとなくきっかけがつかめないのか・・・・
その空気の元凶であるアスカは、悠々と持参の湯飲みで焙じ番茶を飲むカヲルを睨みつけている。
シンジはそんなアスカを心配そうにちらちらと盗み見ていた。
さらにそのシンジをマナが見ている。

(このまま様子を伺っていても仕方ないわ、私はシンジ君と楽しい一時を共有しに来たんだから!)

マナはシンジに話し掛ける決心をした。

「ねえ、シンジ君・・」「シンジ!!来なさい!」

「え・・・?」

両側からの声にシンジはびっくりして交互に左右を見た。
シンジがマナのほうを見た時、アスカはシンジの腕をつかんで引っ張った。

「うわっ」

「シンジ君!」

マナの視界からシンジの顔が後方に引いて行く。
立ち上がるとシンジを引きずって走り出すアスカ。

だだだだだだっ

「あ・・・・・」

マナが手を差し伸べたがシンジの姿はあっという間に小さくなっていく。

がらっぴしゃ!

戸を開け閉めする激しい音と共に二人は教室の外へ出てしまった。
マナは手を伸ばしたままで呆然と閉められた戸を見つめ続ける。
やがて伸ばした腕が静かに下がり、手が握りしめられた。

(そんな・・・どうして?・・・・)
 

「・・・・・ほ、ほなわしションベン行こっと」

「お、俺も行く」

鬼の居ぬ間にとばかりトウジとケンスケが立ち上がり、そろってこそこそと歩いていく。
続いてマヤも席を立とうとした。

「あ、私もこれで失礼するわ」

ヒカリが応える。

「ええ・・・じゃあまたね」

「マヤー、また明日ねー」

(明日も来いというの・・・?勘弁してよ綾波さ〜ん!)

肩を落として歩き出すマヤ。
カヲルは周りの状況の変化に左右されずにマイペースで食事を続けている。

「う〜ん、これからが楽しみだねぇ〜」
 
 



 

教室を出た廊下でアスカは腰に両手をあて、シンジを見下ろしていた。

「アンタわかってんの?」

シンジがおずおず応えた。

「・・・わかってんのと言われても」

「カヲルしかアタシ達を元の世界に戻せないのよ!」

「うん・・・」

「何がうん、よ!アイツを連れ出して早く戻るの!!」

「・・・・・」

「何よ、いやなの?」

アスカの顔がいっそう険しくなる。

「アンタ、一生ここに居たいっての?冗談じゃないわよ!」

「そ、そんな事、言ってないよ・・・」

「ふん、どーだか」

アスカの態度にいたたまれなくなったシンジは、目線をはずす様に下を向いて話を続ける。

「僕は・・・・カヲル君を信じたい」

「アンタバカァ?アンタアイツが何を企んでいるのか分かってるの?!」

「それは・・・・」

「とにかくカヲルを連れ出すからね、そして帰るの!」

「・・・・帰って・・・何するの?」

「なんですってえ!」

「使徒・・・いないんだよ」

「!!」

一瞬びくりとすると、アスカはわなわなと震えだした。
使徒がいない世界に戻り、いったい自分はなにをすればいいのだろうか?
そこまで考えてはいなかった。
思い浮かぶのはあの忌ま忌ましいもう一人の自分の言った言葉。

『たとえまたあんたがエヴァを動かせるようになったとしても、戦う相手はいないのよ』

(アイツめ・・・・!!)

アスカの中でもう一人の、この平和な世界の自分に対する憤りが沸々と沸き上がってきた!

「戻ったら・・・・戻ったらこんどこそあのサイテー女に踵落としを見舞ってやる!」

「へっ・・・そのために戻るの?(汗)」

「とにかく帰るの!よけいな事は戻ってから考えろっての!!」

その時教室の戸が開いた。

がらがら・・・
 
「ひっ」

そこには戸を開けた途端、怒りの形相のアスカと目が合ってしまい、恐怖に顔をひきつらせるマヤの姿があった。
アスカはシンジの手を掴むと開いた戸から教室に入ってきた。
慌ててマヤは後ずさる。
アスカが前進する。
マヤが後ずさる。
アスカが前進する。
マヤが後ずさる。

「マヤ〜、横!」

レイの声がマヤにとどく。

ささっ

間一髪アスカの前進をマヤは横によけた。
アスカはそのままシンジを引っぱりながら元の席に戻っていく。
マヤが安堵のため息をついた。

「はぁ〜・・・・・はっ(なにやってるのわたし?)・・・」

周りを見るといつの間にか教室の真ん中まで戻っている。
生徒達の視線を感じると、赤面して逃げるように教室をマヤは走り去っていった。

(なんでわたしだけ・・・・もう学校やめたい〜!でも先輩と離れたくない〜!!)

廊下を走っていくマヤの背中を見送りながらトウジはケンスケに一言漏らした。

「おい、こっちゃ側の戸から出てよかったのお〜」

 「オレ、教室に出入り口が二つあるのをこれほど感謝した事ないよ・・・」
 
 



 
 

アスカとシンジが席についた。

「やあ、おかえり」

「なにがおかえりよ!」

カヲルに食って掛かるアスカ。
今にも立ち上がってつかみ掛からんばかりだ。

「もう我慢できない!アンタ・・」

「御馳走様」

アスカの勢いをすかすかのようにカヲルが箸を置いた。
弁当箱を片づけながらアスカを見てにっこり笑う。

「さあて、これから何をしようかな?」

「ぬう・・・!」

ヒカリとシンジは心配げに、マナは硬い面持ちで、レイは楽しそーに二人の様子を見守っていた。

「カヲル!ちょっと付き合ってもらうわよ!」

「どこへだい?」

「どこでもいーわよ!!来なさい!」

「やれやれ、仕方ないねぇ〜」

苦笑しながらカヲルは立ち上がった。
アスカもシンジの手を引っ張って立ち上がる。
レイもうれしそうに立ち上がった。

「よし、行こ〜」

「アンタはいいの!!」

「アスカ君いいじゃないか、レイ君も連れていったら」

「ありがとー!渚君いい人だったんだねー、これからは仲良くしようね」

「今までは仲良くする気がなかったのかい?」

カヲルが笑顔の中に疑問の表情を見せると、レイが爽快そうに答えた。

「うん、だってげごっ」

アスカのチョップがレイの脳天を打ちすえる。
のみならず机に顔を押し付けて、こすりつけた。

「会話はずますな〜!!アンタは絶対来るな!!」

「なぎざぐん、わだじにがまわず行っで・・・・」

「ああ」

あっさりレイを連れて行くのを諦めるとカヲルがシンジの隣まできた。

「どこに行くのか楽しみだね、シンジ君。それじゃ行こうか」
 
(いったいどうする気なの、アスカ・・・・シンジ君の身に何かあったら・・・だめ!)

我慢できなくなったマナが立ち上がりシンジに声を掛ける。

「シンジ君・・」
「行くわよ!!」
 
アスカがシンジとカヲルの手をつかみ、歩き出した。

ずんずんずんずんっ・・・・がらっぴしゃっ

「・・・・・・」

3人の出て行った教室で口を開いたまま立ち尽くすマナ。

(・・・・・なんで?・・・全然思った通りにならない〜・・・)
 
 



 

どっどっどっどっどっど・・・

シンジとカヲルを引っぱり廊下を怒とうの勢いで進むアスカ。
カヲルはその勢いに身をまかせ、のんびりとアスカに訊ねた。

「アスカ君、どこに招待してくれるんだい?」

「うるさい!来ればわかるわよ!!」

シンジは昨日の昼休みにこれと同じ道筋を歩いた事を覚えている。
ということは・・・・・
廊下の先に出口が見えてきた。
明るい日の光が射し込むその出口をくぐり抜けると・・・
ブロック塀を背後に等間隔に植えられた種類の違う木々。
昨日アスカがレイを蹴り飛ばし、結果何故か心が通いあったように見えた場所。

「裏庭だね、僕は転校して間もないからまだここに来た事無いんだ」

「来てなくてもアンタ窓使って覗いてたんでしょ!ここなら邪魔ははいらないわ、ふっふっふ」

アスカが凄みの利いた笑顔を見せてカヲルに向かい合った。
シンジが慌てて二人の間に入る。

「アスカ、落ち着いてよ!喧嘩じゃないんだから!」

「わかってるわよ、だけどすべてはコイツ次第よ!今すぐ窓でも扉でもいいから出しなさい!!」

眉間にしわ寄せて怒鳴るアスカに対し、カヲルは相変わらずにこやかに言葉を返す。

「アスカ君、まず言っておきたいんだけどね」

「何よ!この後におよんで!!」

「リツコ先生にあいさつしておいたほうがいいと思うよ」

「なんですってえ!?」

カヲルの視線はアスカの後ろにあった。
アスカとシンジが振り向くと、そこには!

「あっ!」

校舎沿いの数m平方の場所に高さ2・3mの木が規則正しく1m感覚位に立ち並んでおり、その中心あたりで葉っぱをいじっている白っぽい人影。

「リツコ先生こんにちは」

カヲルが声をかけると人影はこちらを振り向いた。
金色の髪がゆれ、枝を折らないよう気を付けながら白衣姿の女性が木と木の間から現れた。

「あら、なんだか騒々しいと思ったら・・・こんなとこで何してるの?」

アスカがそれを聞きたかった。
誰もいないと思ってたのに。

「こんにちは・・・」

シンジがおじぎした。
アスカはむっとして突っ立ったまま。
カヲルがリツコに近づき、話し掛けた。

「これは先生が育てているのですか?」

「ええ、そうよ。桑の木なの。でもこれには触らないでね、私が全面的に管理しているから。分かったわね」

ニヤリと笑うリツコ。
怪し気なリツコの雰囲気を意に返さずカヲルはなおも聞く。

「なんで桑を育ててるのですか?」

「ふふ、いいじゃない、そんな事どうだって。ねっ!」

リツコはシンジとアスカに鋭い視線を投げかけ、迫力ある笑みを口元にたたえた。
強圧的なその顔に思わず退くシンジ、アスカ。
アスカはメモの記述を思い出した。

(これがリツコが要注意人物、かなり危ない、の意味だったの?)

とにかく人が見ていてはカヲルは扉を作らないだろう。
それに昼休みの時間も残り少ない。

(この金髪ボクロさえいなけりゃうまくいったのに・・・・もう!)

アスカの気持ちなど関係無くカヲルとリツコの会話は続く。

「あれ、この立て札なんですか?」

「ああ、それは桑畑に近付けないように警告してあるのよ。ふふふ」

畑の真ん前にある立て札には、

                ---------------------------------------
              |            |
              |    危険!  
              |            |
              |   赤木リツコ所有  |
              |            |
                ---------------------------------------
                   | |
                   | |
 

と書かれていた・・・・
さすがのカヲルもこれには笑顔を引きつらせてしまった。

(何が危険なんだろう・・・?今度アスカ君に聞いておこう)
 

(え〜い長居は無用!)

アスカはシンジとカヲルの腕をつかむ。

「うわっ」

「なんだいアスカ君」

「帰るわよ!!」

アスカはそのまま強引に走り出した!

だだだだだだっ
 
土煙をあげて走り去る3人を無感動に見送るリツコ。

「結局何しに来たのかしら・・・・あ、そうだ餌を摘まないと」

すでに米粒ほどの大きさになった3人に背を向けると、リツコは再び桑畑の中に入り込んでいった。
 
 



 

だだだだだだ・・・

(ええい、誰もいない場所はないの!?そうだ、屋上なら・・・)

「アスカ、どこ行くの?うわっ」

アスカは階段にさしかかると二段飛ばしで駆け上がりだした!

だっだっだっだっだっだ・・・

「うわあ・あ・あ・あ・あ」

「乱暴だ・ね・え・〜」

一階二階三階・・・最上階!

だだだだだだ・・・どんっ

ドアを突き飛ばして屋上へ出た!
まぶしい外の光がアスカ達を出迎えた。

「はあっはあっ、ようし、ここなら誰もいない!!」

「あれー、みんなー、どうしたのー?」

「なんでアンタがここにいるのよ!!」

眼前に立つレイの笑顔に思いっきり目を血走らせて怒鳴るアスカ!

「う〜んと、私よくここに来るんだけどなー」

ばきっ

「ぐへっアスカ、すごい汗だよ、肩で息してしんどそうだし」

「うるさ〜い!下にいってろ!!」

「やあ、レイ君、ここはいい景色だね」

「へへ、でしょ?」

「こら〜カヲル!レイと話をはずませるな〜!!」

「ねー、五時間目までここでのんびりむぎゅ」

ぐりごりっ

「誰がするか〜!!」

見切りをつけたアスカはまたシンジとカヲルの腕を掴んで引き返し出した。

だだだだだだ・・・

引きずられながらカヲルがレイに笑顔で手を振る。

「じゃあレイ君、また後で・・・」

「ばいばいー!」

(カヲル君・・・よくそんな余裕があるね・・・うえっ)

シンジはアスカに成す術もなく引き回され屋上まで登った結果、半分酔った状態になっていた。
 
 



 
 
だだだだだだ・・・

(時間がない!どこか人のいない所ないの!?昼休み使わない部屋は・・・)

廊下を走るアスカの目に会議室(生徒用)と書かれた札がとび込んだ。

ききききっ!

両足そろえて急ブレーキをかけると戸の前で止まった。
シンジとカヲルが慣性で前につんのめった。

「うわっ」「おっと」

(ここなら・・・昼休みにこんなとこで会議する生徒なんていない筈よ!)

アスカは念のため戸の前で耳をすます・・・人のいる気配はない。

「よし!」

今度こそ自信を持って戸を開け放った。

がらがらがらっ

中に入るとカヲルとシンジを引き込む。
アスカは大きく息を吐いた。

「はあっやっと・・・・・」

「ぶつぶつぶつ・・・・」

「!・・・な、何?」

アスカは微かに聞こえるか細い声の方に振り向いた!
そこには長方形に並べられた折り畳み式の長机と、机一つあたりに二つ並べられたパイプ椅子。
十何人座れる状態の会議室にたった一人ぽつんと席についている少女の背中・・・・
姿勢の良いピンと伸ばした背筋に、長い黒髪がその姿勢同様に真直ぐ垂れ下がっている。
背後からでは見えにくいが眼鏡をかけているようだ。
彼女はアスカ達に気付く様子もなく、よく聞き取れない言葉を呟いていた。

「今日は・・・一人・・・・マナは・・・碇君と・・・うまくやってるかしら・・・・碇君も・・・あんな大きさで・・・生えてるの?・・・・くくくくく?

「・・・・・・」

3人は無言で少女の背中を見ていた・・・・・
 
 
 
 
 

・・・・・・やがてアスカは静かに少しずつ後ずさりを始めると、そのまま二人を引き連れ戸をくぐりぬけ、出来るだけ音を立てずに戸を閉めた。
 
 
 
 

だだだだだだ・・・

(・・・なんだったのよ、あれ・・・・)

気味悪そうに顔をひきつらせながら、アスカは逃げるように疾走した。
 
 



 

だだだだだだ・・・

(なんでこうなるのよ!そう、やっぱり外よ!裏庭以外にも人気のない場所なんていくらでもあるわ、絶対に!!)

シンジが力なくアスカに訴えかけた。

「ぜい、ぜい、アスカ〜、もう勘弁してよぉ〜、疲れたよ・・・」

カヲルも同調する。

「・・・・僕も楽しさより苦しさが上回っているんだけど・・・」

「うるさ〜い!!アンタ達よりアタシのほうがよっぽど肉体的にも精神的にもまいってるわよ!!」

魂の叫びであった。
さっきからどうしてここまで思い通りにいかないのか・・・・ストレスがたまる一方だ。
それでもアスカは気力だけで走り続けていた。

(とにかく外へ!)

・・・・出口が見えた・・・・いったいどこにつながる出口かもうどうでもいい気分になっていた。
ただ走る!

だだだだだだ・・・

3人は出口を通り抜けた。
アスカは鉛のようになった足を止め、二人の手を離した。

「はあっはあっはあっはあ・・・」×3

しばらくの間体を丸め、肩で息して呼吸を整える3人。
シンジに至っては四つん這いになっている。
アスカはけだるく顔を上げると周りを見渡した。

「はあっ・・・・ここは駐車場・・・」

白いコンクリート塀に囲まれた狭い駐車場の行き止まりに彼らはいた。
もともと車で通勤する教師用のものだから大してスペースはいらない。
停めてある車もまばらで数台ほどだった。
そして・・・・・何より人気がない!!

「やった・・・・やったのよお!!

アスカはガッツポーズしながら真上に輝くお日さまに向かって叫けぶ!
直後ぐるっとカヲルに振り向き、凄みをきかせてニタリと笑う。
アスカはそれでも微笑みを絶やさないカヲルに向かって一歩踏み出し手を伸ばした。

「ふっふっふ、こんどこそ・・・こんどこそ・・・今度こそ!!
 

ぐおおおおおおおおおおっ
 

突如、強大な騒音と共に物凄い勢いで迫りくる青い塊!!
3人に向かって一直線!!

「ひい!」「うわあ!」「おやまあ」

ききききききぃぃ〜っ
 

豪快なスピンターンをしながら、彼らの手前数cmの所で車は止まった。
驚くアスカの目と鼻の先に停車しているのは、エヴァの世界でも見慣れた車・・・・

(ルノー!・・・しかもこの野蛮な運転は!)

がちゃっ

ドアを開けて降りてきたのは、もちろん・・・

「危ないじゃないの、こんなとこに突っ立ってちゃ!」

危ないのはどっちだろうか?

「ミサト!」

「どうしたの〜?3人そろって。痴話喧嘩かしら〜?」

かけていたサングラスを外しながらミサトは意地悪く笑った。
のんびりした足取りでカヲルが歩み寄り、ミサトに話しかけた。

「やあミサト先生、こんな時間にドライブですか?」

「や〜ね〜、ちょっち外で食事してただけよ」

(ぬぬぬぬう〜、また!また!また!また〜!!

またもや邪魔が入ったため、またもや怒りに体を震わすアスカ。
顔を真っ赤にして湯気を立てているため周辺の空気がゆらいで見える。
シンジは怯えながら怒りのオーラを発するアスカの背中をながめていた。
 

「それにしてももうすぐ五時間目が始まりますよ」

「あら、まだチャイム鳴ってないでしょ?」

「・・・・・ミサトォォ〜、アンタ早く職員室にいったら・・・次の授業の準備があるでしょ〜?」

「へっ?アスカ・・・どうしたの、その陰にこもった声は?」

「ふっふっふっふ・・・・」

「??」

「早く行きなさい・・・・」

「アスカ、何があったの・・・?」

「さっさと行けって言ってんのよ!!」

ピ〜ンポ〜ンパ〜ンポ〜ン・・・・

チャイムが鳴り響いた。

「あら」

ミサトはアスカの殺気に満ちた視線をすかして、開けっ放しのドアから座席に置いた教科書類を取り出し、ドアをばたんと閉めた。

「えっと次の授業はあなた達のクラスだったわね。一緒に行きましょ!」

(ミサト・・・・・ここから直接教室へ行くつもりだったのか〜!!

「ミサト先生、横着ですね〜」

「合理的と言ってよ」

話しながら歩き出すミサトとカヲル。
肩を震わせ、立ち尽くすアスカ。
シンジが恐る恐る背中越しにアスカに話し掛けた。

「あの・・・・授業が」

「・・・・カヲルめ〜!こうなる事を知っていたのね〜!!」

「いや、いくらカヲル君でもそこまでは無理だと・・・」

「じゃあなんでこうなるのよぉぉ〜〜・・・」

「さあ・・・・運が悪いのかな・・・・?」

「運ですってえ?!」

振り向いて、悪鬼のごとき形相をシンジに見せるアスカ!
もはや爆発するしかないのか、という所まで怒りのボルテージの上がったアスカにカヲルの声がとどく。

「二人とも早く来ないと遅れるよ〜」

振り返るとカヲルとミサトはすでに校舎に入り、廊下を歩いている。

「ぬぬぬぬぬ・・・・待てえ〜!!

だだだだだだ・・・
 
 



 
 

(今度こそ今度こそ今度こそ今度こそ今度こそ今度こそ今度こそ今度こそ今度こそ・・・)

机の一点を見つめ、心の中で一心に呟き続けるアスカ。
その蒼い瞳が異様に血走っている。
授業中もカヲルを連れ出す事しか頭になかった。
シンジやヒカリの心配そうな眼にもトウジやケンスケの怪訝そうな眼にもレイのうれしそうな眼にも全く気付いてない。

「それじゃ、今日はここまで!」

「起立・・・礼・・・」

「じゃあね〜」

例によってチャイム前に教室を出て行くミサト。
そして・・・・・・
 

ずずずずず・・・・

まるで大地が隆起するかのように立ち上がるアスカ!
カヲルを凝視するその顔はすでに大魔神と化していた。

ずんっ・・ずんっ・・ずんっ・・ずん・・・

「カ〜ヲ〜ル〜・・・・」

「やあ、なんの用だい?」

「今さら聞くな〜!!」

怒鳴りつけるとカヲルの手を捕まえ、有無をも言わさず引き込むアスカ。
シンジに方向転換すると手を差し伸べる。

「シ〜ンジ〜・・・お・い・で」

「は、はい〜」

恐怖に顔を歪ませながらも拒絶する勇気などないシンジは、言われるままにアスカに近寄る。
アスカは今度はレイに眼を向けた。

「レ〜イ〜・・・」

「な〜に?」

カヲル同様全く意に返さず笑顔で答えるレイ。

「アンタ・・・ここにいるのよ、ずっと!!」

「なんで?」

「なんでもいい!!」

ごつっ

一発くらわし踵を返すと、アスカは二人を引っぱりずしんずしんと歩き出す。
ヒカリは声をかけようとするが、アスカの発するオーラに阻まれ果たせなかった。
緊迫した空気が流れクラス中の生徒が見守る中、アスカ達は教室を後にした。
 

「・・・・おい、昼休みの時よりきついんとちゃうか?」

トウジがケンスケに話しかける。

「ああ、これは・・・見逃すわけにはいかないかな?」

ケンスケは鞄からビデオカメラを取り出して答える。

「んじゃ追っかけようか?」

レイの言葉に顔を見合わせ、ゆっくりうなずく二人。

「あくまで遠巻きにやで、近づきすぎるとこっちゃが危ない」

「よーし、行こー!」

「待って!わたしも行くわ」

ヒカリが立ち上がった。

「だけど・・・どこに行ったかわかるの?」

3人の姿はすでに見えなくなっていた。
レイが元気な笑顔で請け合う。

「だいじょーぶ、まかしといて!」
 
 



 

屋上へといざなう古ぼけた白い扉が3人の前に立ちはだかっていた。
これを押せば誰にも邪魔されない場所に出る。
レイに釘を刺しておいたからここには来ない筈だ。

「ふふ・・・こんどこそ!」

言い飽きた言葉を嬉しそうに呟くと、アスカはドアを押した!

ぎぎぎぎぃ・・・・
 



 

青々と茂る木々が緑の一かたまりとなって横一線に連なっている。
その背後に控える山々もその身を緑色でつつんでいるが、後ろの山になる程段階的にぼんやりと空の色に近づいていく。
その上には真の空色が澄み渡り、控え目に浮かぶうろこ雲がそれを更に際立たせる役割を果たしていた。
秋晴れと言うに相応しい天気だが、太陽は真夏のように容赦無く直射日光を降り注がせていた。
コンクリート地面が照り返しで、じりじりと熱を蓄積させていく。
今が一日で一番気温の高い時間帯。
落ち込む心に暑さも忘れ、屋上にたたずみ虚ろにながめる景色。
 

「ああ・・・どうしてなの・・・?誰もわたしを先生と呼んでくれない・・・・おまけに友達みたいに扱われて・・・しかも妙に仲良しになってしまった人までいて・・・これでいいのかしら?・・・先輩は忙しそうであまりかまってくれないし・・・何が忙しいのかしら?・・なんでこうなっちゃったの?・・・・なんで・・・・・なんで?!
 

「なんでアンタがここにいるのよ!?」
 

「ひぃっ?」

振り向いたマヤの目と鼻の先に怒髪天をつくアスカの顔!!

「あ、あ、あ、あ、・・・」

足がすくみ、金縛り状態に陥るマヤ。

「ご、ご、御免なさい〜」

恐怖のあまりマヤは意味も分からずあやまってしまった。
これではどっちが先生かわからない。

「早く下に降りろ〜!!」

「は、はい〜っ」

逃げるようにして走り去るマヤ。
屋上から階下へとつながる扉の向こうに隠れるように入っていった。

「・・・・よし、後は・・・」

屋上を見渡すアスカの目に、起きっぱなしになった錆びた鉄骨がとまった。
アスカは鉄骨まで近づく。
3mはあろうかという鉄骨の片端をむんずと掴むと、

「むええええい!」
 
一気に胸元まで抱え上げた。
ずずずずっと鉄骨を引きずりながら扉に向かってずしずし進んでいく。
言葉もなくアスカを見送るシンジとカヲル。

「何をするんだろうねぇ?」

「さあ・・・それより良くあんなものを・・・・」

がしっ

アスカは鉄骨を扉に斜めに立てかけつっかえ棒にした。

「ふっふっふっふ、これで邪魔はない・・・・」

アスカはゆっくりと首を後方にひねると、ギロリとカヲルをにらんだ。
口元には会心の笑み。
カヲルはアスカに微笑み返しをした。

「たいした気合いだね、ご苦労様」

「なんですってえ〜!・・・・ふふ、まあいいわ。もう逃げられないんだから。さあ、観念して扉を作りなさい!!

「ああ」

カヲルは拍子抜けするほどあっさり答えた。
 
 



 

「ひいいいい〜ん」

ドアをくぐり抜けたマヤは階段を駈け降りた。
いつの間にか涙が溢れ出している。

(わたしが何をしたっていうの?なんで生徒に叱られなきゃなんないの?)

涙の流れる頬を両手で押さえつつマヤが階段の踊り場まで降りた時、下から誰かが駆け上がって来た。

どんっ

マヤはその人の胸に飛び込む形でぶつかった!

「うっ・・・・洞木さん!」

「ど・・どうしたの?!」

マヤの頬をつたう涙を見て、ヒカリはただならぬ事態が彼女を襲った事をさとった。
上で何かあったのか・・・・・

「洞木さん・・・う、う、う、うぇ〜ん、ひぃ〜ん・・・

マヤはヒカリにすがりついて泣きだした。
狼狽しながらもマヤの背に腕を回し、抱きとめるヒカリ。

たったったった・・・・

二人の脇をレイ、ケンスケ、トウジがすり抜けていく。

「ひっく・・・アスカさんが、アスカさんが、物凄い顔で怒ったの・・・わたしに・・・・なんでここにいるのよ!早く下におりろ!って・・・ひっく・・・わたし恐くて恐くて・・・どうして怒られたのかわかんない・・・・わたし何かいけない事した!?・・・・ひっく」

事態を理解したヒカリは優しくマヤを抱きしめた。

「大丈夫よ・・・アスカは気が立っていただけなの。だからついきつい事を言ってしまったんだわ。アスカだって本当はいい子なのよ・・・・とても友達思いで。ただ怒りっぽいから・・・たまたまその時にかち合っただけなの。だからあなたのせいじゃないわ、安心して、ね!」

ヒカリは自分の胸に顔を埋めるマヤを覗き込むと、にっこり微笑みかけた。

「ひっく・・・・・・ありがとう、洞木さん」

やっと気を落ち着けたマヤはヒカリの笑顔につられて微笑んだ。

(そうよね悪い事ばかりじゃない・・・わたしのすぐ近くに洞木さんみたいな人がいるんだもの・・・やっぱり持つべきものは親友ね!って生徒と親友になってどうするの〜!!

再び咽び泣くマヤ。

「ど、どうしたの?もう大丈夫よ、本当に!わたしがついているから・・・・」

ヒカリは落ち着かせようとマヤの頭を母親の様に優しくなで回した。
なでる手からヒカリの気持ちがマヤに伝わる。

「ひっく・・・ごめんなさい洞木さん」

「ううん、いいのよ・・・・・・・・・マヤ」

ぐさっ

(ううううう、洞木さん、あなたもわたしをマヤと呼び捨てるのね・・・クラス委員で一番真面目なあなたが!でも温かい友情を感じてしまう〜・・・・・)

マヤの葛藤など知らないヒカリはアスカらの事はトウジ達にまかせ、ひたすら彼女のために抱擁を続けるのだった・・・・
 
 



 
 

レイが屋上への扉を両手で押した。
しかしびくとも動かない。

「?、開かないよー」

「なんやと!」

トウジも一緒に押す、が変化はない。

「おい、お前も手ったってくれ!」

「ああ」

ケンスケと3人がかりで力一杯押す・・・・それでもだめだった。

「・・・・なんでやねん?」

「どーしてー!?」

「おい、もしかしたら・・・・」

「なんだよ」

「このドア引くんとちゃうか?」

「違うよー!!さっき私このドア押して開けたんだからー!」

レイが大声で突っ込んだ。
その顔には笑いは消えうせ、焦りの表情がおおいつくしている。

「なんでだろ?外でどうにかしたのかな?どうすれば開くの?わかんないー?!」

「なんや綾波、やけに必死こいとるやないけ?」

「だってここまで来たら最後まで見届けたいじゃないー、あー外で何やってんだろ?見たい見たい見たいー!これじゃ生殺しだよー!!」

「ふう・・・平和だね、じゃないか」

扉の周りには窓のたぐいは一つもなく、外へ出る手立ては見当たらない。
完全に手づまりだ。

どんどんどんっ

レイはドアをどついた。
その激しさからは自分の両拳を気遣うつもりなどかけらも感じられない。

「おい、手ぇ痛いやろ、そんなんしたら」

トウジの言葉どおり手が見る間に赤く腫れていく、がレイは顔色ひとつ変えずにドアを凝視している。
張りつめた空気の中、時間は虚しく経過してゆく。

ピ〜ンポ〜ンパ〜ンポ〜ン・・・

今頃になって五時間目終了のチャイムがのどかに響き渡った。
それをきっかけにレイの表情から緊張感が抜けていった。

「・・・・・・う〜〜〜ん、しょーがないかあ!帰ろっと♪」

急に笑顔を取り戻すとレイは回れ右して引き返し出した。
その豹変ぶりに唖然とする二バカ。

「なんやねん、それ・・・」

「どーせまた後で会えばいいんだから!今こんなに必死にならなくてもいーじゃない!へへ・・・」

たんたんたん・・・・

軽快なステップで階段を降りていくレイ。

「あれーマヤどーしたの〜?」

「レイ、なんでもないのよ、静かにしてあげて」

「ふーん」

下から聞こえる会話にも興味をしめさず、トウジはけだるくドアにもたれた。
ケンスケもそれに習う。

「もうええわ」

「やっぱり平和だね」
 



 

目の高さに浮いた直径数十cmの八角形の輝く縁取り・・・その中に映る光景にシンジとアスカは見入っていた。

「なによ・・・これ」

「これは・・・」

窓の中ではベッドに腰掛けたアスカが隣に座るレイに楽しそうに話し掛けている。
そこにシンジがお盆にコップをのせてフレームインしてきた。
アスカが両手でコップを取って片方をレイに渡した。
レイはシンジを見たまま無造作に受け取る。

「どうだい?仲良しチルドレンだよ」

にこやかに窓をながめるカヲルの言葉にアスカは当惑する。

「な・・・・・コイツら何してんのよ!」

「彼らは君達の代わりにやってるんだ」

「何をよ?!」

カヲルはシンジに向いた。

「レイ君を人として扱い、接する・・・・ただそれだけの事さ」

「えっ!!」

カヲルの言葉にシンジの目が見開かれ、体が硬直する!
それほどまでにカヲルの口から出た言葉は、シンジにとって強烈な重みでのしかかったのだ。
カヲルはちらっと窓を見ると視線をシンジに戻した。

「彼らはレイ君のなんたるかは知っている。君と同じくね。今、彼らはレイ君に人間らしさを取り戻させようとしている。そしてそれは可能だ。本当は君達にやってもらいたかったけど、まだそれは無理だろう・・・・」

青ざめるシンジを見るカヲルの笑顔にやや陰りがさす。
アスカはシンジのただならぬ様子に眉をひそめていた。
自分の知らない何かがあるのか・・?

「レイに人間らしさ?なによ、アイツは人形みたいなもんじゃない!アイツ総司令が死ねと言ったら死ぬようなヤツよ!それがどうして人として、なのよ!!」

「それは彼女がまだ人間らしさを取り戻してないからさ。・・・シンジ君!」

カヲルの凛とした声にシンジがびくりとする。
表情から陰りを追い出すと、優しく諭すようにカヲルは語りかけた。

「シンジ君・・・・レイ君は君の知るレイ君なんだよ。結局心は一つしかないんだから・・・」

「心は・・・一つ・・・・」

「そうだよ」

「だ〜〜、何言ってんのかわかんないわよ!!」

業を煮やしたアスカが二人の間に割って入った。

「アンタら二人だけで通じるような会話しないでよ!」

「アスカ君、説明不足で悪かったね。後でシンジ君に聞くといい。さて!」

カヲルが窓を見た。
レイを真ん中に3人がベッドに腰掛けている。
アスカがレイに無邪気にまとわりついている。
しかしレイはやはりシンジを見ていた。
シンジが笑いかけるとレイに何事かささやいた。
 
 
 

・・・・・・レイの口元が仄かに微笑んだ。

「!!」

「うそ・・・」

シンジはレイの笑みに釘付けとなり・・・そして小刻みに震えだした。
レイは確かに笑った・・・・3人目なのに!
カヲルは震えるシンジの肩にそっと手を置いた。

「そう・・・これは君のやるべきことだった。考えようによっては横取り、だね。だがいずれ君はこの後を引き継がねばならない。今すぐではないにしろ」

「それどういう意味よ!」

アスカがカヲルに食ってかかった。

「今すぐ戻るのよ!いま、ここで!!」

「そうもいかないよ。今窓の向こうの彼らのいる部屋には監視カメラが何台もある。こういうのは手順を踏んでタイミングを合わせないと。ただいずれ近い内に君達をエヴァの世界に帰すと約束するよ」

「信じると思うの?」

「嘘は言わない。それにいつまでもこっちの世界の二人をエヴァの世界においとけないしね。とにかくその時がくるまでここでやりたい事をやって欲しい。家族や学校生活は今ここでしかできないしね」

「家族はともかく学校生活は息が切れる程満喫したわよ!」

「ずいぶん走ったからね」

苦笑するとカヲルは窓に手をかざした。

「時が来たらこちらから知らせるよ」

しゅんっ

窓は一瞬にして消滅した。
カヲルは二人に向き直る。

「さあ、下りようか。アスカ君、不満ならぶん殴ってくれていいよ。何をされても構わないけど君達を帰すのはもうちょっと後だ。さあ、どうする?」

無防備を示すように手を広げ、審判を待つカヲルをアスカは顔をしかめてじっと睨んでいた。
自分でも気付かぬうちに腰に両手を当てている。
カヲルをいったいどうしてくれようか、結論をひねり出そうと思考をめぐらせているのだ。
3人共身じろぎひとつせず、時が重苦しく流れていく・・・・・・

・・・・やがてアスカは腰からゆっくり手を下ろした。

「・・・・・・ふん、アンタみたいなのぶん殴るどころかさわりたくもないわよ!」

くるっと後ろを向くとさっきドアに立て掛けた鉄骨を靴底で蹴飛ばした!

ぐわしぃぃんっ!

にぎやかな音をたてて鉄骨がコンクリート地面にのたうった。
出入り可能になったドアにアスカは歩を進める。
ノブに手をかけた所でアスカはカヲルに振り向くと言い放った。

「今日はこれぐらいにしといたげるわ!」

ぎ〜、ばたん!!

アスカはさっさと扉の向こうへ入っていった。
カヲルはその様子を満足そうに見届けている。

「ありがとう、アスカ君・・・」

ぎ!

突如ドアが開き、アスカが顔を覗かせた!

「言っとくけどこれは貸しよ、貸し!!」

ばたん!!

再びドアが閉まる。
カヲルは口に手を当て、声を出して笑い出した。

「ぷっ、ふふふ・・・アスカ君らしいって事かな?」

「カヲル君・・・・」

「ああ、そうだった。シンジ君、僕らも下りようか」

シンジの目にははまださっきのレイの見せた笑みが焼き付いていた。
自分ですら一度しか見ていないあの笑みが。
そしてそれを引き出したのはもう一人の、こちらの世界の自分だった。
それにひきかえ・・・・・

「カヲル君、僕は・・・綾波に人として接するどころか、会う事すら恐れていた・・・・僕は・・・・・僕は!」

「シンジ君、いいんだよ。僕らは外側から見ていたから冷静に対応出来たんだ」

カヲルはシンジの肩に手を置いた。

「窓の力がなければここまでできる訳なかったんだよ、僕らだって。だけど今、君も外側から見ていた。窓から向こう側を・・・・だからもう君にも見えなかったものが見えるはずだ。向こうにいるシンジ君の後を引き継げるよ、きっと・・・僕はそう信じてる!」

「・・・・・」

カヲルの言葉にもシンジには自信がなかった。
レイがレイだと分かったとしても。

「まだ時間はある。あせらなくていいさ、さあ行こう」

シンジは肩に乗せられたカヲルの手に促されてドアへ向かっていった。
 
 



 
 

六時間目の授業が終わり、帰り支度を始める者や部活に行こうとする者などがわらわらと動き出す中、シンジは席についたまま定まらぬ視線を自分の机に投げかけていた。
隣のレイがにゅっとシンジの顔を覗き込んだがまるで気付いてない。

(僕は何をしたらいいんだろう?元の世界へ戻る前に・・・)

レイがシンジを見ながらアスカに向けて手招きした。
アスカはそれを見て眉をつり上げる。

(なによ)

レイが人さし指をちょこちょこ動かしシンジを差す。
シンジはまだ気付かない。
アスカは不快そうにレイを一瞥すると、席を立ってシンジの背後に移動する。

(アンタがやりゃいいでしょに!)

レイの期待どおりアスカが度鳴った。

「バカシンジー!何ボケボケッとしてんのよ!!」

「わっ!・・・・・アスカ」

びっくりして椅子からこけそうになるシンジをアスカはむっつり見下ろしていた。
横ではレイがくっくっと笑っている。

「碇君、これからやる事あるんでしょ?ぼけてていいの?」

「へっ?やる事・・・」

その時廊下のほうから明るい声がとびこんできた。

「シンジく〜ん!」

もはや聞き馴れた声に振り向くと、教室に入ってくるマナの姿。
シンジは放課後にチェロで演奏する曲目について話し合う事を思い出した。

「霧島さん」

「シンジ君、悪いけど今から音楽室に来てくれる?それとマナって呼んでと言ってるでしょ」

「マナー、行こー!!」

「ひゃ、レイさん!」

レイは強引にマナの手を握り締めた。

「レイって呼んでと言ってるでしょー」

「だから私はシンジ君に・・・」

「ねー、アスカー、碇君のチェロ聞きに行こうよー」

「なんですってえ?」

「いいでしょ?碇君!」

勝手に話を進めるレイの笑顔がシンジに迫る。
横にはマナの困惑しきった眼がレイに握られた手を見ている。
背後のアスカが顔をしかめる。

「レイ、アンタまだそんな事・・」

「やあ、僕もシンジ君のチェロを聞いてみたいねえ」

いつの間にかカヲルまでがシンジの目前に出現している。

「あ、カヲル君・・・・」

「いいだろ、シンジ君」

カヲルはここぞとばかりに反則とも思える最高の笑顔をシンジに放った。
隣にはレイのはちきれんばかりの笑顔。
さらに背中に感じるアスカのきつい視線(別にチェロを聞きたいつもりではないが)がシンジに後ろにさがる事をゆるさない。
もはやシンジはこう言うしかなかった。

「・・・・うん」
 



 

シンジ達はぞろぞろと音楽室へ向かって廊下を歩いていた。

「イインチョ、わしはやっぱり・・・」

「いいじゃない、鈴原は碇君の親友でしょ!」

「あ〜い〜だ〜く〜ん、そのカメラはな〜に?」

「い、いやこれはその、なんでもないです〜、マナさん〜!」

「霧島さんって呼んで!!」

シンジが音楽室でチェロを弾く時には、アスカはヒカリを誘い一緒に鑑賞するのを常としていた。
もちろんこっちの世界のアスカの話だが。
加えてカヲルが行くと言い出した為、ついでにトウジとケンスケまでお供するはめに陥ってしまった。
予想外の事態にシンジの額にじわりと汗が吹き出ている。
こんな大げさなものになるとは!
やがて彼らが音楽室の前にたどり着いた時、タイミングを合わせるかのように廊下の角を曲がって現れる人の姿。
彼女はシンジ達一団を視認すると、息を飲みこみ立ちすくんでしまった。
恐怖に顔を引きつらせるのと青ざめるのを同時進行させている。

(どうして?どうしてまた出会っちゃうの!?)

「あ、マヤー、おいでよ、今から碇君がチェロ弾くんだよ!」

さっそく動けぬマヤをひっつかむとレイは一団の中に同化させた。
これで昼休みと同じになってしまったわけだ。

がらがらっ

マナが戸を開け、ぞろぞろとみんな音楽室に入って行く。
一番後ろで体が硬直してまともに動けないマヤを見て、ヒカリが慌ててフォローに入った。
せいいっぱいの作り笑顔でマヤの手を握って優しく話し掛ける。

「大丈夫、アスカはもう怒ってないわ。本当よ。それに碇君のチェロはとっても素敵なの。きっと心が安らぐわ。だから・・・・聞きましょう、ね!」

ヒカリが母が子を諭すような口調で語りかけると、蚊の鳴くような声でマヤはうなずいた。

「・・・うん」

ヒカリの手に引かれてマヤはのろのろ戸をくぐり抜けた。
 



 

「おーい碇君、これ!」

レイが音楽室にいくつかある楽器用の戸棚の一つからチェロのケースを出すと抱えて走ってきた。
マナがあきれる。

「なんでチェロの置き場所知ってるの?レイ・・・」

「だって前にも聞きに来てるもん!」

レイからケースを受け取るシンジ。
シンジはどこにこれが置いてあったか知らなかった訳だから、レイのお節介は有り難いものだった。
ケースを開けて中を確認すると・・・

(家にあったのとかわらないな・・・これならいけるだろう・・・)

チェロを取り出すシンジ。
教室の角に立てかけてあった折り畳み椅子を取ると準備を始めた。
その間に他の者は横長で二人掛けの音楽室特有の机についていった。
机は横に3列、縦6列に並んでいる。
声楽部の部活動は授業終了15分後に始める決まりなのでマナ以外の部員はまだ来ていない。

(早めに来てシンジ君と二人っきり、のつもりだったのに・・・・)

本当に予定通りにならないと思いつつ、真ん中の列の一番前の席につくマナ。

「へへ、特等席〜」

(レイ、あなたが隣なの〜?)

「僕はここにしよう」

「なんでアンタがここなのよ!」

「わしらどこでもええ〜」

「同感」

「さ、ここに」

「ええ・・・・」
 

 ピアノ       シンジ
(不使用)      チェロ

つ く え  つ く え  つ く え
        レイ マナ アスカ カヲル

つ く え  つ く え  つ く え
      ケンスケトウジ ヒカリ マヤ
 
 

調律の音が響き、空気がピンと引き締まった。
私語がなくなり、8人分の瞳がシンジに向いた。
視線の圧迫を感じつつ、しばらく調律を続けたシンジは弓を止めて顔を上げた。

「あの・・・・何弾こうか?」

マナはシンジの問いかけに答えようと口を開いた。

「じゃ・・」
「アンタのできるのでいいわよ」

マナの声を追いこして、アスカがぶっきらぼうに答えた。
言葉を呑み込んでしまい、うつむくマナの表情に諦めの色が見える。

(今日ははずれの日だわ・・・星占いでは積極的にアタックすれば何事もうまくいく日の筈なのに〜)

「・・・・そう、それじゃ・・・白鳥でいいかな?」
 
「う〜ん、サーンサーンスの・・・いいね〜」

「さーんさーん・・・バンド名なの?」

「なんでもいいわよ!早く始めなさい!」

「う、うん・・・」
 
シンジは弓をかまえ一呼吸つくとチェロを弾き始めた。
なだらかなメロディーがチェロのゆったりとした音色によって形作られだした。
それはとても優しい雰囲気を感じさせるものだった。
観客達の耳にさわりの良い調べがさらさらと流れ込んでゆく。

目を閉じて聞き入るカヲルは相変わらずの微笑みに加え、うっとりとした表情を見せていた。

(う〜ん、歌はいいねえ〜・・・歌じゃないか)

レイもいつもの笑顔だったが、その紅い瞳はチェロを弾くシンジを熱く直視していた。

(こうやって見てると碇君、いいなーやっぱ・・・・)

マナも思い通り事が運ばなかった無念さなど忘れ、シンジの曲を奏でる姿に胸を踊らせていた。

(やっぱり今日はいい日なんだわ、こんな素敵なシンジ君のチェロを聞けるんだもの・・・)
 
トウジとケンスケはこういうものには縁のない人種ではあったが、それでもシンジの曲を心地良く感じていた。

(わしは場違いやけど悪うはないわ、こういうのんも)(平和な曲だね・・・)

ふさぎ込んでいたマヤも曲に聞き入るにつれ、表情に暗さが消えて安らいだものに変わってゆく。

(なんて美しい旋律なの!心が洗われる様・・・・そうよ辛い事ばかりじゃない、いい事だってきっとあるわ・・・・・そうですよね、先輩!)

ヒカリはマヤの顔に明るさが戻るのを見て、安心してシンジの演奏に耳を傾けた。

(ふう、よかった・・・碇君のおかげね、ありがとう)

アスカは依然、気難しい顔ををしていた。
もとの世界に戻るのが先送りになった事に完全に納得した訳ではない。
胸の中には未だわだかまりがつかえている。
こんな所でこんな事をしてる場合なのか・・・・?

シンジは一心にチェロを弾き続けていた。
元の世界に戻るまで何をすればいいか、戻った後何をするのか・・・・
それが分からないから、それを忘れる為に、いつしかチェロを弾く事に意識を集中させていたのだ。
結果、シンジは普段以上の力が引き出される事となった。

いつ終わるのか見当もつかない曲をそれとはなしに聞きながら、アスカはシンジに目を向けた。
シンジはアスカの視線に気付かず、ひたすらチェロを弾いている。

(なに一生懸命になってるのよ、バカシンジ・・・)

頬杖をつくとアスカは目を閉じた。
アスカにすればなんとなくそうしただけだったが、それが聴覚を敏感にする事になる。
今まで以上にチェロの音色が優しくアスカに訴えかけてきた。

(・・・・白鳥だったわね、この曲・・・)

アスカのぎすぎすした心に温かい感覚が染み込んできた。
それと共に耳に流れ込む音色が真っ暗な視界で次第に形を取り始め、映像が浮かびあがって来る。
 

水辺・・・・・日の光を反射してきらめく水面を悠々と泳ぐ白鳥の姿。
チェロのメロディーと同様おだやかに流れるように湖を進む白鳥の群れ。

(・・・・・)

アスカの顔に居座っていた険しさが解きほぐされる様に和らいでいく。

・・・・・・やがて白鳥達は一斉に羽を広げると、飛び立たんとする。
水しぶきがあがり、きらきらと宝石のように輝く。
アスカが逆光を浴びて空へ舞い上がり、飛び去っていく白鳥をイメージしていた時、チェロの音が止んだ。

「!」

夢から覚めた様にアスカが目を見開くと、弓を下ろしたシンジが恥ずかしそうにこちらを見ていた。

「あの・・・終わりです」

その瞬間一斉に拍手の音が鳴り響いた。
あまりの拍手の大きさにシンジの顔が紅く染まる。
照れ臭そうにお辞儀をした。

アスカは他の者よりゆっくりしたペースで拍手をしていた。
諦めの入り混じった穏やかさを顔に浮かべて彼女はシンジを見つめていた。

(まあいいか・・・・こんな所でこんな事してて・・・今だけ・・・)

「シンジ君、素晴らしかったわ!最高!!」

「よかったよー、とっても!」

「チェロはいいねえ〜、シンジ君の」

「あ、ありがとう」

「ええんとちゃうか?」

「そうだな」

「碇君、ありがとうね」

「いや、どうも・・・」

「感動しました!生きていく勇気が湧いてきたわ・・・・」

「そ、そうですか・・・・」

皆からの賛辞に受け答えするシンジの顔がさらに赤くなっていく。

(どうしよう、こんなに喜ばれるなんて・・・)

慣れない絶賛を受けてシンジは完全に浮き足立っていた。
この状況にどう対応していいか、良く分からない。
エヴァに乗って誉められるのとはまるで勝手がちがう。
シンジはさっき自分に問い掛けた疑問を思い返した。

(これが・・・・元の世界に戻る前にする事だったんだろうか・・・?)

「さあ!!」

いきなり聞こえた大きな声にシンジは思考を中断された。
声のほうに向くと、アスカが席からすっくと立ち上がっていた。

「それじゃあそろそろ帰ろうかしら。もうここにいる理由もないし」

皆の目がアスカに集中する。
受け止めながらアスカは不思議そうな顔をして見せた。

「どうしたの?シンジのチェロを聞きに来たんだから聞き終われば帰るだけでしょ」

「アスカ、それはそうだけど・・・(言い方ってものが・・・)」

ヒカリが焦る。
まだマナに怒っているのだろうか?

(そういえば碇君はマナとここに残るんだったわね・・・)

それがお気に召さないのか・・・ ?
レイが席を立ち、ひょこひょこアスカに近づいてきた。

「ねーアスカー、碇君を待っててあげたらうゅっ」

アスカがレイの下唇を摘まみ上げる。
そのまま小刻みに8の字を描きつつ、アスカはシンジを見下ろした。

「バカシンジ、レイがこんなこと言ってるけどアンタはどうなの〜お?」

「えっ?」

「え?じゃないわよ!アンタはどうして欲しいのよ?」

突然の、しかも以外な問いにシンジは狼狽えてしまう。
どういうつもりなのだろうか・・・?
アスカの気持ちが読めないシンジは逆にアスカに問いかけてしまった。

「アスカ・・・アスカは、どうしたいの・・・?」

「アンタに聞いてるのよ!!」

(シンジ君、聞き返しちゃいけないよ〜)

心の中でそう思いつつ、カヲルは二人のやりとりを微笑みながら観察していた。
これは楽しい展開だ。
レイが8の字に首を揺らしながらシンジに話し掛けた。

「ねー碇君、アスカにうぁっててうぉらったら?(ま行が言えない!)だって碇君とアスカは世界でたった二人の・・」

「幼なじみってんでしょ!分かってるわよ、そんなこと!」

「碇君達いつうぉ二人で帰ってるじゃないー」

「やかましい!・・・シンジ・・・」

ここでアスカはしなを作ってにんまり笑うと、わざとらしいイントネーションをあやつりだした。

「アンタが決めてぇ、アタシは言う通りにするわあ〜♪」

ぷいっ

アスカはシンジに決定権を委ねるとそっぽを向いてしまった。
シンジは頼る様にカヲルに瞳を向けたが、もちろん彼は楽しそうに笑っているだけだ。

(自分で決めるしかないのか・・・・どうしよう?)

いつまでも考えても時間が過ぎるだけ・・・・
アスカをじらすなどという恐れ多い事は絶対許されない。
早く決めねば!

(アスカはどうして欲しいんだろう・・・僕はどうして欲しいんだろう・・・)

アスカの気持ちは分からない・・・自分の気持ちは・・・・

「・・・・・じゃあアスカ・・・・待っててよ」

おお〜

感嘆の声があがる。
周囲は結構緊迫した空気だったのだ。
アスカはシンジに再び向き直ると意地悪く笑った。

「そーねえ、シンジがそうまで言うなら待っててあげようかしら。まあアンタとアタシはこの世でたった二人の幼なじみなんだから、それくらいとーぜんよねえ・・・・ふふふ」

笑い声を漏らすと、アスカはどっかと席に腰をおろした。
同時にレイの唇も下へ引っ張られる。

「アスカ、手ー離してよ、うぉう」

アスカが下唇をはじくように離すとレイはさっそく口元に微笑みを取り戻し、元気に声をあげた。

「じゃー私先に帰るね!」

カヲルも続いた。

「僕も帰るよ、シンジ君」

「ほな、わしも」

「俺も」

「アスカ、お先に失礼するわね」

「わたしも職員室に戻らなきゃ」

ぞろぞろ一列になって音楽室を出ていこうとする約6名。
シンジはぼー然とその様子を見送っていた。

「んじゃまた明日ねー!バイバイー」

「アスカ、またね」

「センセ、またな」

「じゃあな」

「・・・(わたしはまだ帰れないの)」

最後にカヲルがシンジに声をかけた。

「また明日、シンジ君・・・ところで君のする事はこれだったみたいだね」

カヲルは視線を一旦アスカに移し、シンジに戻してにっこり笑うと音楽室を出て行った。

「へ?」

シンジはカヲルの言葉の意味を考える。

(僕がここでする事って・・・・アスカと一緒に帰る事なの?チェロはなんだったの?!)

やや放心気味になってしまうシンジをアスカは悠然と見ていた。

(な〜に考えてんのよ、バカシンジ?・・・・まっいいか、戻るまで何してやろう?)

アスカはやっとこの平和な世界を楽しむ余裕ができたようだ。
自分とシンジが幼なじみというのも使い様によっては面白くなるかもしれない。

(戻る直前にシンジとデキてるなんて宣言したらあのバカ女、困るでしょうね〜!)

良からぬ企みを思いついて、ほくそ笑むアスカを怪訝そうにシンジは見ていた。
シンジの視線を感じてアスカは笑みを残したままシンジに突っ込んだ。

「シンジ、ボケボケっとしてないでチェロ片づけなさいよ」

「え?うん」

言われるままにチェロをしまいだすシンジを、アスカは青く澄んだ瞳で穏やかにながめる。

(コイツのチェロは合格だったわね。・・・・そうか、戻っても聞けるのか・・・・・)

シンジのチェロは以前にも聞いたことがあった。
そして今日また聞いた。
さらにこれからも聞く事は多分可能な筈だ。
それは悪い事ではないだろう・・・・・アスカはそう思った。
 
 

ここは音楽室。
そしてマナはここでこれから部活動を始める声楽部員。
なのにどうしてこうも居心地が悪いのだろう。
部員でもない楽器も弾けないアスカが当たり前のようにここに居座って、シンジと会話を楽しんで(?)いる。
自分がそうするつもりだったのに、今は疎外間すら感じている。

(全然自分のペースに持ち込めなかった・・・・今日のアスカはどうしてこんなにシンジ君に積極的なの?おかげで後手を踏んでばかり・・・・なんでよアスカ、ただの幼なじみと言ってるくせに〜・・・・・やっぱり今日ははずれの日よ〜!!
 

マナの声なき叫びが音楽室に響き渡った。
 
 
 

その8終わり


次回予告
 

遂に再び動きだすゼーレ。
サードインパクトを阻止せんとミサトに接触し、平和な世界へ向かうカヲルに予期せぬ事態が!
そしてシンジとアスカにエヴァへの搭乗命令が下った。
次回シンジアスカの大冒険その9、
 

二人目
 

「あたし達エヴァに乗っちゃうの・・・?」
 
 



 
 

あ〜、ふくらんでしもたー!
レイの部分は最初はさらっと終わらすつもりやったのに、大家さんが期待したせいで・・・
ゲンドウの出番なくなったわい。
今回は2本分の話になるわけですが、エヴァの世界は事態が進行してるのに対し平和な世界は閑話休題の話です。
サブタイトルの多種多様の出会いという意味はエヴァの世界はレイでありユイでありキョウコの事ですが、平和な世界は・・・・確かに多種多様やけど。
今回は一度シンジとアスカに学園エヴァさせてやりたかったのですが、どうだったでしょうか?
メールで以外と大ぼけエヴァのほうが好きだという人が多いと知り(の割に連載時はメール4通しか来んかったけどなー、事故でもあったんかいな?)、それっぽい話にしようとしたのがこれです。
という訳で大ぼけエヴァ読んでないと解らない部分があります。
だけど読んでもわからん部分が・・・すいまへん、書きかけでほったらかしの七話まで流用してもた!
ああ、どないしよ・・・・・ 書くしかないか、やったろうやないけ!!
次回で平和な世界と大ぼけエヴァの兼ね合いについて答を出します。

ver.-1.00  1999_3/26公開

御意見御感想誤字脱字指摘疑問質問・・・突っ込みなどは!

m-irie@mbox.kyoto-inet.or.jpまででっさ
 





 えいりさんの『シンジアスカの大冒険?』その8、公開です。






 ううう嬉しや(;;)

 レイちゃんが笑ったぁ
 3人目のレイちゃんが・・・



 平和世界のシンジ・アスカ、偉いっ

   エヴァの世界の二人も見習え
     って、外から見ていたからこそ出来るモンでもあるしね・・・

   これから、もどってから、

   間に合う。間に合うって。。。


 ・・・シンジには役得もあったようだし(爆)




 終盤どうにかやっとこさ険が取れてきたアスカに
 自分の気持ちを見つめ考え言葉に出来たシンジに

 ・・・エヴァ世界の二人の変化も嬉しいっす♪




 ま〜だまだ、山も谷もあるでしょうけど、
 いける。大丈夫。  ね。。





 『大ぼけ』とのつながりも楽しげ☆





 さあ、訪問者の皆さん。
 2つの連載をまとめて更新、えいりさんに感想メールを送りましょう!




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