そこは見渡す限りまっ白けで何も無い空間だった。
(ここはいったいどこなの?)
得体の知れない場所に一人たたずむマヤは、周りをきょろきょろと頼り無さげに見回していた。
(なんで私こんなとこにいるの?)
何も分からず立ちつくしている内、心の中で不安が次第に膨らんでいく。
身体を怯えに震わせるマヤの前方で白い空間の一部がゆらぎを見せた。
(あれは・・・・?)
揺らいだ白の部分から、にょきっと二本の足が生えた様に見えた。
更に手が、最後に金色の髪がなびきながら現れた。
まっ白の空間に紅いハイヒールを履いて立ち並ぶ二本の足と無造作に浮かぶ手とゆらめく金髪。
マヤはその意味をやっと理解した。
(セ、センパイ!!)
手足と髪だけが見えたのはまっ白い空間に白衣が溶け込んでいたからだった。
膨らんだ不安をかなぐり捨てリツコの背に走り寄るマヤ。
「センパ〜イ!」
背中を向いたリツコの眼前までたどり着いたマヤは自分の思いの丈を喋り出してした。
「センパイ!私、私はセンパイに憧れてセンパイと同じ学校に来たんです。尊敬するセンパイと一緒にいたいから・・・だから壱中に来たんです・・・・・教師として!!」
相変わらず回りの空間と境界がはっきりしない白衣の背中が上下に揺すられた。
「ほっほっほっほ・・・・教師としてですって?」
「はい!」
「貴方のどこが教師なの?」
「えっ?」
リツコの問いにうろたえるマヤは思わず自分の姿を見下ろした。
「!!」
マヤの全身が一瞬にして凍り付いた。
「そ、そんな!?」
紅いリボンタイ、白いセーラー襟のブラウス、そして緑の混じった青のジャンパースカート!
それは彼女の、そしてリツコの勤める学校の生徒が着る服だった。
「な、なんで制服着てるの?私??」
「ほっほっほっ。私はそんな制服着ている人に先生と呼ばれる事はあっても、センパイ呼ばわりされる覚えはないわ」
「そ、そんな、センパイ!これは何かの間違いで、だから・・・」
パニックに陥りながら、しどろもどろの弁解をするマヤに冷たい声が返ってきた。
「私には私のやりたい事があるの。貴方は邪魔になるだけよ」
ぎくっ
邪魔という言葉が電撃となってマヤの心を貫く。
「そ・・・んな・・・・・・・センパイ・・・・お願いです!私努力します!必ずセンパイの役に立つようにします!だから・・・・」
リツコにすがろうとするマヤに対し、背を向けていた白衣がゆらりと前を向いた。
「これでも?」
振り向いたリツコの顔にまるでサドの女王様の付けたバタフライの仮面の様なものが張り付いていた。
しかしそれはバタフライでも仮面でもはなく・・・・・・・・・巨大な蛾!
「ひっ?・・ひいいいいいい〜!!」
金切り声が白い空間に響き渡った。
あれ程憧れ一緒にいたかったセンパイに背を向け、必死に這いずり回りながら逃げ出すマヤ。
「いやあ〜、た、助けて〜!!」
恐怖に追い立てられて逃げても逃げても延々白い空間が続くのみ。
それでもマヤは助けを求めずにはいられなかった。
「お願い・・・助けて!誰か〜!!」
こつんっ
突如、這いずり逃げるマヤの頭が何かにぶつかった。
「!?」
動きを止めるマヤは恐る恐る前を見上げる。
「大丈夫よ、マヤ」
優しい、包み込む様な声。
「ヒカリ・・・!」
お下げ髪の少女が慈愛に満ちた笑みをたたえてマヤを見下ろしていた。
疲弊しきったマヤの身体にするりと腕が回された。
「うっ・・・・ヒカリ〜」
一気に緊張が解けたマヤはヒカリのすがり、涙をこぼしていた。
そんなマヤをヒカリはまるで母親のように抱きさすっていた。
「マヤ・・・・不安がらないで、私がいるから。私達・・・・・・・・・・・親友じゃない!」
どくんっ!
(親友!!私・・・・・・生徒と親友なの〜〜?!)
大ぼけエヴァ
第拾壱話 切実、悩みの中で
伊吹マヤの一日編
「はっ」
これ以上無理という位に大きく目が見開かれた。
真っ先に彼女の視界に広がるのは、お約束のように見知らぬ天井。
(あ・・・ここは何処なの?)
戸惑いながら身体を起こすマヤの傍らで爽やかな声が奏でられた。
「おはよう、マヤ」
その声にはっとするマヤ。
よく知っている、さっきの夢にも出て来たあの声。
振り向くとそこには案の定、彼女が自分を覗き込んでいた。
「ヒカリ・・・・」
チャイナ風の襟のピンクのパジャマ姿。
まだ髪こそお下げに結んでいないが、頬のにきびが愛嬌を感じさせる少女がベッドに腰掛け微笑みかけている。
(そうだ・・・・私ヒカリの家に泊めてもらったんだ・・・・)
昨日マヤは学校で巨大な蛾の群れに襲われ、恐慌状態に陥ったのだった。
その蛾を解き放ったのが尊敬するリツコだった為、二重のショックを受けてしまった。
恐怖は帰宅時になっても冷め止まず、マヤはヒカリに付き添われて学校を後にした。
そして一人で夜を過ごすのを恐れたマヤは、ヒカリの好意で洞木家に泊めてもらう事になったのだ。
マヤは自分の着ている服を見た。
ヒカリとおそろいのピンクのパジャマ。
ヒカリの姉が去年着ていたのを譲り受けた、いわゆるお下がりだ。
改めて自分の置かれた普通でない状態を確認し、マヤは軽い放心状態になってしまう。
あんな異様な夢を見たのも今の自分の置かれた状況が無関係ではないだろう。
「どうしたの、マヤ?うなされてたみたいだったけど」
顔色のさえないマヤを気遣うような表情をヒカリは見せる。
心配されていると知りマヤはうろたえた。
「な、なんでもないわ、ヒカリ!大丈夫よ」
「ホントに?」
「ええ!」
「そう・・・・でも汗びっしょりよ」
「えっ?」
言われると確かにパジャマの背中にじっとりするものを感じる。
当惑するマヤの手を取りヒカリはベッドから引き起こした。
「まずお顔を洗ってさっぱりしましょ、ね?」
「・・・・ええ」
マヤはヒカリに手を引かれるままに足を運び、部屋を出ていった。
洗顔、汗拭き、歯磨きの順で二人は洗面所での作業を済ませた。
仕上げに鏡を見ながら髪を整えているマヤ。
その鏡の端に人の姿がちらっとのぞき見えた。
ヒカリではない。
振り向くマヤに機嫌の良さそうな声がする。
「おはよう〜、マヤちゃん!」
Tシャツに短パン姿の女性が廊下をゆったりと歩いて来る。
背丈は160数cmはあり、マヤより7〜8cmは高い。
全体的にはすらりとした体つきだがスタイルは抜群で、バストの出っ張り、ウエストの締まり具合、ヒップの大きさなど見事なものだった。
茶色に染めた髪はストレートで肩甲骨の辺りまでさらりと伸ばしていた。
顔だちは落ちついた雰囲気で、大人っぽさを感じさせる。
これで高校一年生とはとても思えない。
「おはよう、おねえちゃん」
「おはようございます、コダマさん」
コダマはかしこまったマヤの挨拶に苦笑する。
「あら、もっと気軽にしていいのよ。マヤちゃん」
「は、はい・・・・」
「あたしのあげたパジャマ、よく似合ってるわよ。よかった、ぴったりで」
「ありがとうございます、コダマさん」
「だから硬いって。できればコダマおねえちゃんって呼んで」
「えっ!(お、おねえちゃん?!)」
どたどたどたっ
困惑するマヤの耳に廊下の奥からはずんだ足音が近付いて来るのが聞こえた。
かん高い声が元気に響く。
「おはよー!コダマねえ、ヒカリねえ、マヤねえ!!」
白いパジャマ姿のおかっぱ頭の少女。
にきびは無いが、ヒカリによく似ている。
洞木3姉妹の末っ子ノゾミ。
小4だ。
「おはよう、ノゾミ」
「おはよう、ノゾミ」
「・・・おはよう、ノゾミちゃん」
「あれ、マヤねえだけノゾミちゃんだって」
(マ、マヤねえ・・・・・)
マヤは顔を微かに強張らせた。
たった一夜でこんなに気安い関係になっているのか。
(まるで家族の一員みたい・・・)
何時の間にかマヤは三人の姉妹達の笑顔に取り囲まれ立ち尽くしている構図になっていた。
コダマがマヤの肩に大事な物に触れるかの様に両手を置くと、優しい目で見下ろしながら微笑みかけた。
「昨日は言い忘れてたけど・・・マヤちゃん、一人じゃ寂しいでしょ。よかったら何日でも家にいたらいいのよ。こっちは大歓迎だから」
「はあ・・・」
小さく返事すると、肩をすぼめて縮こまるマヤ。
今、あきらかに自分は流されている。
これからどうすればいいのか分からないままに。
「マヤ、それじゃ着替えましょう」
「あ、ええ・・」
ヒカリの声にうなずくマヤ。
取り敢えず今はそうするしかない。
ヒカリの後について、コダマとノゾミの傍らをすり抜けようとする。
二人とすれ違う時、マヤの心臓が一瞬高く脈打った。
(うう、この子達・・・・私がヒカリの同級生と思い込んでいるのね・・・・・)
部屋に戻ったマヤは、着替えの事を考えずに眠りについていたのに気付いた。
(そうだ、私の服はどうしたのかしら・・・?)
昨日着ていた薄黄色のブラウスと灰色のロングスカートはどこだろうか?
ヒカリに聞こうと振り向くと、彼女は壁に掛けてあった自分の制服をハンガーごと持って来るところだった。
「あのヒカリ・・・」
「なあに?」
返事しながらベッドの前まで来るヒカリ。
「私の服は・・」
マヤが問いかけようとした時、ヒカリが自分の制服をベッドの上に置いた。
そしてヒカリが持っていたもう一着の服がマヤの目の前に現れたのだ。
「?!」
ヒカリはにっこり笑いながらその服をマヤに差し出した。
「はい、これ」
「!!・・・こ・れは・・・」
「さあ、早く着替えましょ」
マヤの目と鼻の先に差し出された服は・・・・・
(せ、制服ぅ!?)
それはどこからどう見てもヒカリの着替えと全く同じデザイン、同じ色をした同じ制服!
余りにも突然の制服との御対面に、マヤの体が静止画像のように凍りついてしまった。
大きく見開かれた両の瞳は制服に釘付けになったまま動けない。
精神は完全に真っ白になってしまった。
マヤの意識にできた空白に、ヒカリの声が注ぎ込まれる様に聞こえてくる。
「これ、コダマおねえちゃんが中三の頃着ていた制服よ。マヤが今着ているパジャマと同じ。だからぴったり合うはずよ」
「・・・・・」
「マヤ?」
「はっ!」
「どうしたの?」
やっと正気を取り戻したマヤの瞳に、怪訝そうにヒカリが見つめているのが映った。
(な、なんで・・・・なんで私に制服を・・・??)
困惑しきった表情のマヤにヒカリが気遣うように微笑んだ。
「恥ずかしがらないでいいのよ。制服着たいんでしょ?」
どっきん!!
(ええええ!?、私が制服着たいぃ?!)
思いもよらなかった言葉にまたもや凍り付くマヤに、ヒカリは俯きながらたどたどしく話し掛ける。
「初めてマヤが学校に来た日に制服着て来た理由・・・良くは分からないけど・・・嫌なのに着る訳ないでしょ?それにそのおかげで私やクラスのみんなとすぐに、あんなに仲良くなれたんだもの!制服着てなかったら、きっとあそこまで心を通わせられなかった・・・だからあれで良かったんだと思うわ、とっても!・・・・周りがどう言おうとこれからもマヤはマヤの信じたやり方でやって欲しい・・・・私も力になるから!」
(そ、そんな・・・私、着たくて制服着てたんじゃないわ!気が付いたら・・・何時の間にか着てたのよ〜!)
ヒカリの勘違いに心の中で突っ込むマヤだが、あの時は結局自分がどうして制服着ていたのか答えられず、結果的に本人の意志で制服を着用したと思われても仕方ない状態だった。
そして今だ自分が制服を着ていた原因(第八話参照)は謎だ。
これではヒカリの誤解をどう解けばいいのかマヤには皆目見当がつかなかった。
言うべき言葉が見つからず、血の気が引いてしまったマヤの顔色を上目遣いに見つめてヒカリは表情を曇らせた。
「いやなの?」
びくっ
(い、嫌も何も・・・)
「姉のお下がりじゃ・・・」
「えっ?!」
「そりゃ新品じゃないけど綺麗だし、シワも型くずれも汚れもないし、着てみたらきっと似合うわ!おねえちゃんもマヤに着てもらったら嬉しいって言ってたのよ。だから・・・・」
(あ〜ん、そうじゃなくて〜)
「マヤ、自信を持って!」
一生懸命に語りかけるヒカリの様子を見てマヤは確信した。
ヒカリには悪意など全くなく、純粋に誠意をもって制服を勧めているのだ。
どうしてそこまで疑問を持たずに勧められるのかは別にして。
(喜べないわ、いくら誠意でも・・・)
とにかくなんとかしてヒカリの誠意を無にしなければ本当に制服を着るはめになってしまう。
マヤは必死の思いでヒカリに対して拒絶の言葉を口に出すという難行を行おうとした。
「あ、あの・・・ヒカリ、別にコダマさんのお下がりだから嫌って事じゃないの」
「ほんと?」
「ええ、だからコダマさんの気持ちは嬉しいけど・・はっ!!」
突如思い出したように驚くマヤ。
(コダマさんの気持ち・・・コダマさんは私がヒカリの同級生だと思い込んでいる!コダマさんだけじゃない。ノゾミちゃんも、お母さんも、お父さんも、みんな!!)
そう、ヒカリの家族にはそう言ってしまっていた。
さすがにヒカリの友人で、一人が寂しいから泊めて欲しくて、その上教師だと言う根性はマヤにはなかったのだ。
しかもヒカリの級友と信じ込んでる彼らの家から、マヤはヒカリと一緒に学校へ登校しなければいけないのだ。
(という事は・・・・・・)
マヤの体が芯から震え出した。
(私が制服着て学校に行かないと・・・・・おかしい事になる!!ヒカリの家族にとっては!!)
衝撃の事実に気付いてしまったマヤ。
しかし今更ヒカリの家族に実は教師でした、などと言う勇気などマヤにあろう筈がない。
(だったら、だったら私はどうしたら・・・・・)
「マヤ」
どきんっ
心臓が跳ね踊った。
高鳴る鼓動を感じながらマヤはもう一度ヒカリの差し出している制服を凝視した。
ヒカリは全く邪気の無い瞳でマヤを見つめている。
その澄んだ瞳から本気でマヤの為を思って制服を差し出している事が嫌という程伝わってくる。
ヒカリの口元がマヤの追いつめられた心を癒すように微笑むと、制服をマヤの胸元にそっと合わせた。
「さあ、着替えましょ」
制服を見下ろすマヤの喉元がごくりと音を立てた・・・・・
パジャマを脱いだマヤは純白のブラウスを恐る恐る手に取った。
怯えの入り交じった張りつめた顔でしばらくの間じっとブラウスに見入る。
静寂の中、マヤの胸の鼓動がだんだん早まっていく。
そんなマヤの様子を既に制服に着替え終わったヒカリが、いつもの様に髪をお下げに結びながら穏やかな目で見守っている。
ヒカリの視線に押される様にマヤはゆっくり、ゆっくりと腕を袖に通し始めた。
袖を次第に通過していく細い腕が鳥肌立っていった。
長い時間をかけて袖を通し終わると、おぼつかない手付きでボタンを下からのろのろととめ始める。
いかにもマヤの迷いが影響している異常に遅いペースだが、幸か不幸か時間はたっぷりとあったので着替えになんの支障もなかった。
遅いなりに着実にボタンはとめられ、遂に一番上にまで到達してしまった。
どぎまぎしながら襟を整えると、マヤはベッドに置かれたジャンパースカートに手を伸ばした。
(まさか・・・自分で制服を着る事になるなんて・・・・)
考えてみればこの前の事は事故であって、本人の知らぬ間に制服を着ていたのだ。
自分の意志で制服を着るなどという行為はこれが初めてだった。
(ああ・・・私はどうしてこんな恥ずかしい事をしているの?)
羞恥心に身をこわばらせながらマヤはスカートに足をそっと入れた。
じわじわ腰までスカートをせり上げると、次にボタンをとめる。
スカートのファスナーをしゅうっと腰まで上げ、ホックをとめた。
ウエストが程良く締め付けられ、ジャンパースカートという制服を身に付けた事をマヤは体感させられる。
(うう・・・ここまできてしまった・・・お願い、誰でもいいから私を止めて!)
もちろん悲痛な願いは誰にも全く届かず、着替えはマヤ自身の手で淡々と進んでいく。
背中を丸めるとマヤは白いソックスを履き始めた。
ピンク色のゴジラを寸詰まりにした様な怪獣をワンポイントにあしらった、いかにも中学生らしい可愛い靴下。
よろつきながらなんとか履き終わるとマヤは最後のアイテム、枕の上にちょこんと置かれたリボンタイを震える指で摘まみ上げた。
(これを付ければ・・・着替え終わっちゃう〜!)
そんな気持ちが手の動きを一旦停止させるが、結局どうしようもなさそうに再びごそごそ動き出す。
ぎしぎしと音のしそうな見るからにぎこちない動きで、マヤは自らの首に真っ赤なリボンタイを巻き付け始めた。
襟の下にタイを通して、胸元に持ってくる。
仕上げにタイを蝶々の形に結び始めた。
まるでスローモーション映像のようにゆっくりと・・・・
(ああ・・・終わる・・・・・)
あと一引っぱりで結び終わるという時、ヒカリがマヤの両肩を持ち、くるりと90度回転させた。
「さあ、あっち向いて!」
きゅっ
小気味良い音がしてリボンタイが絞められた瞬間、マヤの体は壁ぎわで待ち構えていた鏡台に向かい合っていた。
楕円形の鏡の中には壱中の制服を身にまとった少女が真っ赤なリボンタイをつまんで立ちつくしていた。
どきんっ
マヤの心臓がこれ以上は無理という位、大きく跳ね上がった。
足下から小刻みに震えが這い上がってくる。
(・・・とうとう・・・・制服・・・着てしまっちゃった!!)
濁流のような恥ずかしさに飲み込まれ、リボンタイをつまんだまま震える事はできても動く事ができないマヤ。
両目は鏡に映る自分の恥ずかしい姿に合わされたまま、そらす事も叶わなかった。
(わ・・私、24の数学教師なのよ・・・こんな格好で・・・学校行けっていうの?・・・いやあ〜ん!!)
自分が24の教師だという自覚が制服を着ている事実とギャップを作り、それが更に恥ずかしさを膨張させていく。
そのとき鏡に映った金縛り状態のマヤの肩ごしに、ヒカリの顔がひょこっと覗き出た。
ヒカリは嬉しそうな笑みを作ってマヤの耳元に優しく囁きかけた。
「ぴったりね・・・・・マヤ、とっても似合っているわよ」
きゅんっ
激しく鼓動を打ち続けていたマヤの心臓が一瞬大きく締め付けられた。
ヒカリの囁いた言葉が、マヤの心に巣食っていた24の教師が制服を着ている違和感を、いとも簡単に奪い取ってしまう。
違和感を奪われた分、心に隙間が空いてしまったマヤは鏡を漫然とながめながら立ちつくしていた。
空いてしまった心の隙間を埋めるようにヒカリが言葉を紡いだ。
「昨日私服で来た時は不似合いな感じで凄く無理があったけど・・・・制服を着ると本来のマヤに戻ったって感じ。・・・これが一番マヤらしいわ」
ぞくうっ
マヤの背筋に妖しい寒気が突き抜けた。
(制服が本来の私ぃ?・・・・これが一番私らしいですって?!)
ヒカリの絶賛の言葉が魔法の呪文となってマヤの意識に注ぎ込まれ、広がっていった。
呪文の効果でマヤの感覚があっという間に変質させられていく。
あらためてマヤは自身の姿を見つめ直した。
さっきと違い、身に付けた制服がとても自然に見えていた。
鏡の中では制服がよく似合う、清潔感さえ感じさせる可憐な女子中学生が気弱そうな瞳でマヤを見つめている。
(うそ・・・・・・どうして中学生の制服がこんなに自然に見えてしまうの〜!!)
一旦そう見えてしまうと、もうどこからどう見てもそうとしか見えない。
マヤは完全にツボにハマってしまったのだ。
自らの中学生化が完了してしまった事に愕然とするマヤの後ろでヒカリは満足そうな笑みを浮かべていた。
(よかった・・・・)
それまでヒカリの心の片隅に小さな引っかかりがあった。
マヤと自分の間に実は距離がありはしないかという不安。
教師と生徒という動かし難い事実がせっかく通い合った二人の心に隔たりを作りはしないかと。
しかし自分と同じ制服を身に付けているマヤを見て、そんな不安は微塵もなくなっていた。
そのことが無性にヒカリは嬉しかった。
「マヤ・・・」
「ひっ!?」
マヤの背中にヒカリの体がぴったりとくっ付いてきた。
混乱のどん底にいるマヤを包み込むようにして。
マヤの肩越しに、ヒカリはマヤと眼を合わせた。
うろたえるマヤにヒカリはうれしさを噛み締める様に笑いかけた。
もう自分とマヤには距離は感じられない。
ヒカリは親愛の情を込めてマヤに囁いた。
「マヤ・・・私達これからも仲良しでいようね・・・ずっと!」
「!!」
マヤは息を飲み込んだ。
ヒカリの体から温もりが伝わって来るのを感じる。
あれだけ激しく乱れ打っていた胸の鼓動が、あろう事かときめきに近いものに変質していた。
(えっ??どうしてぇ〜???)
制服の事とは別の意味でうろたえるマヤだが、もはや自分を包み込むヒカリの優しさに抗する力を持てなくなっていた。
鏡に映るヒカリの笑顔を見つめながら、マヤははかな気な表情で小さくうなずいた。
「うん・・・・」
洞木家の前を通るゆるやかな坂道で、はつらつとした声が響く。
「それじゃね、マヤねえ!」
手を振りながら坂道を勢い良く駈け上がっていくノゾミ。
薄青色のセーラー服姿のコダマもゆったりとした足取りでノゾミの後を歩いていく。
歩きながらマヤに振り返るとコダマは微笑みかけた。
「それじゃあ、また後でね」
当然の様に今日もここに泊まると思っているらしい。
しかし当のマヤは今それどころではない。
外に出てしまったからだ。
坂道を下り始めたヒカリに手を引かれ、マヤもおずおずと歩き出した。
歩きながら周りの様子をおどおどとした眼で見回す。
辺りの景色ではなく人の姿を探しているのだ。
(ああ、こんな格好誰か人に見られたら・・・・どうしよう!)
もちろん都合良く辺りに誰もいないなどという事はなく、マヤの眼はすでに人の姿を何人も認めていた。
周りの空気が体を圧迫するような感覚にとらわれつつ、マヤは恥ずかしさに身を縮こまらせて歩いていた。
途中何人かすれ違う人がいたが、その度にマヤの心臓が身体ごとびくりと跳ね上がる事になった。
(ああ・・・もし私が教師なのにこんな制服着てると気付かれたら・・・)
「マヤ?」
どきっ
「えっ?」
「いい天気ねえ〜」
「え、ええ・・・」
天気の事など全く気付きもしなかった。
頭の中は恥ずかしさだけで一杯だから。
ヒカリは緊迫感溢れるマヤの顔ににっこりと微笑む。
彼女の心をリラックスさせるかのように。
「気楽にいきましょ!なんだか今日はいい事ありそうね〜」
「・・・・・(この状態で・・・どうしていい事あるの〜?!)」
仲良く手をつないでいるというのにあまりに対照的な二人の気分。
落ち込んでいるマヤの視界に唐突に見なれた建物が映った。
(あ!・・・あれは私のアパート!)
マヤの頭に電気の様にひらめきが走った。
(そうだ、一旦あそこへ戻って着替えたら・・・・)
アパートはすぐ目の前まで近付いていた。
マヤの足がぱたっと止まる。
「?、マヤどうしたの?」
「あ、ヒカリ・・・あ、あの」
もぞもぞ言いつつアパートを見上げるマヤ。
「私ん家・・・」
「そうね」
「あそこに、あの・・・・」
「・・・何か持ってく物があるの?」
たどたどしく喋るマヤをじ〜っと見つめるヒカリ。
「え?、いいえ・・(持っていく物じゃなくて着替えたいのよ〜)」
「なんだぁ〜、違うの。そう、じゃ行きましょ!」
「ええ〜っ?!」
予定外の言葉にうろたえるマヤの手を引っぱり、再び歩き出すヒカリ。
「あ、あ、あ、・・・」
引っ張られるままに、おろおろしまくりながらヒカリについて行かされてしまうマヤ。
(な、なんでこうなっちゃうの〜!)
大いにあせりつつマヤは後ろを振り向いた。
本来の自分の服がある我が家がどんどん小さくなっていく。
(ああ!遠くになる・・・・・離れていっちゃう〜!!)
こうしてマヤが制服以外の服を着て登校する最後のチャンスは完全に摘み取られたのだった。
職員室の中央でさらしものとなって立ちつくす制服姿の女教師。
たった今ここから一目散に逃げ出したい気分なのに、両足は大地に根の生えたかのごとくびくとも動かない。
それでいて彼女の両肩は言語を絶する恥ずかしさに細かく振動していた。
彼女の眼前にはこの学校の最大の権力者が向き合っている。
制服姿のマヤと対照的なきりりとした紫色のスーツ姿。
赤木ナオコ教頭は当惑しきった表情でマヤを見つめながらしばらく声を出せないでいた。
その間も遠巻きで様子をうかがう教師達の視線が、マヤの身体に四方八方からちくちくと突き刺さってくる。
(ああ・・・もういや・・・なんでこんなハズカしい目に・・・・・うう、怒られるどころじゃ済まないわ)
永遠とも思える沈黙の中、審判の言葉を待つマヤ。
「・・・・伊吹さん」
ぎくっ
「は、はい!」
「貴方は・・・そんな格好で生徒に接し教育する気なのですか?!」
びくっ
思わず身を縮こまらせるマヤを硬い表情でナオコは見下ろしていた。
とても視線をナオコに向けられずマヤは俯いて目を伏せるしかない。
頭の中では悪い想像がどんどん膨らんでいた。
(これじゃ謹慎・・・もしかしたらクビかも!・・・・良くて二度と制服着てこないように指導される、ってそれならいいのか・・・ああ、私混乱してるわ〜!)
思い悩むマヤだが、実はそれはナオコも同じだった。
(まさか本当に制服を着て来るとは・・・・いったい何を考えてるの?)
昨日の出来事でマヤに引け目があるナオコではあったが、こんな事になるとは想像もしてなかった。
マヤは自分にこの格好を認めさせるつもりなのだろうか?
惑うナオコに対して蚊の鳴くような声をやっとの思いでマヤは絞り出した。
「す・・すみません・・・本当に申し訳ありません・・・」
俯きながら謝罪の言葉を発するマヤの様子に、ナオコの表情が幾分か落ち着きを取り戻していく。
(この子謝ってるわ・・・こんな弱々し気に・・・・無理を通す覚悟はできてないようね)
ならば必要以上に心配する事はないのかもしれない。
そう、学校に教師が制服着て来るなどあってはならない事だ。
学校の秩序を守る立場の自分がそれを止めるは当然の事なのだ。
気を取り直したナオコは胸を張り、威厳に満ちた態度でマヤに向かって口を開いた。
「伊吹さん!」
どきっ!
「は、はいっ」
「あなたのそのような格好を私は・・はっ!」
その時ナオコはマヤの背後から放たれる異様な気配を感じた。
(な、何・・?)
何故か不安な気持ちを沸き起こさせる、圧迫感のある気配。
気配の出所を求め、ナオコはマヤの後方にある廊下側の壁を見た。
壁の中程にはめ込まれた正方形を十字に区切った曇りガラスの窓。
そこから気配が放出されていた。
緊張の面持ちでナオコは窓に視線を合わす。
曇りガラスの向こう側からこちらの様子を隠れ見る人影がちらりと映っていた。
気配の出所はここだったのだ。
(なんなの・・・この刺す様な・・威圧する様な視線は・・・・)
曇りガラスの向こうからでも分かる視線の威力。
しかもこの威圧感は前にも感じた事があるような気がする。
心に広がる不安の中、ナオコは目をこらしてガラスの人影を見た。
人影の頭の部分の両側に結ばれた髪が揺れるのが見えた。
ぞくっ!
ナオコの背筋に悪寒が走る。
(あ、あれは・・・・お下げ!?)
ナオコの脳裏に昨日の悪夢が蘇った。
校内を蹂躙しまくったあの興味深い、いや、おぞましい巨大な蛾の大群。
あの大事件が娘リツコの仕業だという事を証明するただ一人の目撃者がマヤなのだ。
それを知った時ナオコは恥も外聞もなくマヤに土下座してまで事実を隠ぺいしようとしたのだった。
しかし問題はこの時マヤと一緒に居合わせた女子生徒だった。
その女子生徒、洞木ヒカリがナオコのその教師に有るまじき行為に烈火のごとく怒ったのが話をややこしくしてしまったのだ。
すっかり気が動転していたナオコだったが、そのときのやりとりは何故か記憶にはっきりと焼き付いている。
『一生のお願い!こんな事が公になったら・・』
『何を言ってるのよ!!マヤがこんな酷い目にあってるのに黙ってろですって!?犠牲になれって言うの?リツコ先生を守るため?ふざけないでよ!!昨日だってそうよ!マヤが制服着ていただけであれだけ怒ってたくせに!リツコ先生の実験の事は何もとがめないで・・・・』
『そ、その事はもう不問にしたでしょ・・・』
『それで済んだと思ってるの?!見てよマヤを・・・昨日の事とっても気にしてたのよ・・・だからこんな格好して来たのよ!こんな野暮ったい不似合いな服着て・・・・なのにリツコ先生はやりたい放題で・・・今日だってあんなとんでもない事しておいて、またこの子に犠牲になれなんて・・・不潔よ!マヤが可哀想すぎるわ!!』
『わ、分かったわ・・・伊吹さんには悪い事をしたわ。もうとがめたりしないから。伊吹さんのやりたいようにやって良いから。制服でもなんでも着て来てかまわないから・・・』
結果的にヒカリがナオコを脅す形となってマヤの好きにさせる事を認めさせてしまったのだ。
もしあの時交わした約束を破ったらいったいどうなるのだろうか・・・・
再び窓の向こうの人影の様子を盗み見る。
影は静止画像のように全く動いていない。
ただ影だけしか見えてないのにどうしてこんなにも自分にプレッシャーを与え続けられるのだろう。
(どうしよう・・・・もし伊吹さんをとがめたらあの子が・・・昨日の事件の真相がバレてしまう・・・そんなことは出来ないわ、この学校に汚点を残さない為にも・・・絶対!!)
窓の向こうの影の機嫌を損ねないない為にも何としてでもこの場をうまく取り繕わなければならない。
たとえ不透明であろうが玉虫色であろうがためらっている場合ではなかった。
「・・・・・・いいでしょう!貴方にそこまでの覚悟があるというなら、やってもらおうじゃありませんか!!」
「・・え??」
一瞬言葉の意味が分からずマヤはポカンとした顔になってしまった。
(い、いったい教頭先生は何をおっしゃってるの・・?)
「じっくりと見せてもらいます。そこまで覚悟を持ってやりたいという、貴方の教育方法を」
(え?え?そんな!・・・)
「その制服で最後までやり通してみなさい。結果を恐れずに。私も責任持って最後まで見届けます!」
(えええええ〜〜?!?)
予想もしない教頭のとんでもない発言にマヤは狼狽の極致に陥ってしまった。
よく分からないが謹慎もクビもないけれど制服を着たままで仕事しろという事らしい。
ヒカリがナオコを脅した事などまるで気付いていないマヤは、ナオコがなんでこんな結論に至ったのか見当もつかなかった。
「あ、あ、あの・・・・」
「分かりましたね!伊吹さん!!」
「は、はい!」
ナオコの勢いに押されて思わずうなずいてしまうマヤ。
更にナオコは遠巻きにこちらを見ている教師達をぐるりと見回した。
「そういう事ですので、皆さん宜しく頼みます!」
反論の声は一つも出なかった。
教頭であり、校長代行も務めるナオコはこの学校の最高権力者である。
しかもその権力に相応しい有能さで、指導力も申し分ない。
おまけに部下に厳しく、教師達にはとても恐ろしい存在だった。
鬼のナオコ教頭とまで影で囁かれている存在なのだ。
ナオコがこうと決めた事に逆らう無謀な教師など一人もいる訳がない。
もはやナオコの言ったマヤに対する処遇は決定事項になっていた。
「がんばりなさい、伊吹さん」
言い終わるとナオコはすたすたと自分の席へ歩いていった。
後には呆然として立ちつくしているマヤが取り残された。
(ど、どうなっちゃったの・・・・どうなるの・・・)
事態が飲み込みきれず混乱するマヤは思わず回りを見回した。
何事もなかったように教師達が各々の仕事を開始していた。
白々しいくらいに。
(そんな!どうして・・・・・・どうして認められちゃうのお〜?!)
重い足取りでマヤは廊下を歩いていた。
教科書等の授業用具を小脇に抱えて。
(こんな格好で授業をしろっていうの?・・・)
どう考えても悲惨な結果になるとしか思えない。
逃げ出したい気分だった。
(でも・・・苦労してセンパイのいるこの学校に来たのに逃げてしまったら・・・)
心の迷路に入り込み答を見出せないままマヤはとぼとぼと歩く。
2ーAの教室はもうそこまで近付いていた。
「?」
マヤは教室の前に人が立っているのに気付いた。
彼女はマヤの姿を認めると待ちかねた様にはずんだ声をあげた。
「あ、マヤ!来た来た」
「ヒカリ?・・・」
にっこり笑ってマヤに駆け寄るヒカリ。
「大丈夫だったでしょ?」
「え、ええ・・・」
「ほら、私の言った通りだったでしょ」
そう言えばこんな格好で職員室へ行く事を躊躇しているマヤをヒカリは絶対大丈夫だからと後押ししたのだ。
その自信はいったいどこから来るのかマヤには分からなかったが結果的にはその通りになってしまった。
もちろん職員室の外からナオコにプレッシャーを与えていたヒカリの存在など知るよしもない。
「さあ、入りましょ」
言いながらヒカリは教室の戸をがらっと開けるとマヤの手を引っ張り入っていく。
「あ、あんっ」
がらがら、ぴしゃっ
ヒカリに連れられ教壇まで歩かされたマヤに、生徒達の視線が一斉に浴びせられた。
(ひっ!)
肌でそれを感じ取り、身をすくませるマヤ。
次いで歓声ともどよめきともつかない声が教室に広がる。
その声に圧されるマヤの背にヒカリが手を回し、生徒達に向かって声を張り上げた。
「ね!私の言った通りでしょ?」
それはヒカリがクラス委員の立場から生徒に語りかける時特有の説得力のある声だった。
緊張と恥ずかしさで動けないマヤの傍らでヒカリは言葉を続ける。
「今日から、というかこれからもマヤは私達と同じ制服で授業をする事になりました。これは教頭先生も正式に了解済みの事なのよ。みんなどうしてこんな事をするのかと思ってるだろうけど、おととい初めてマヤが学校に来た時結構盛り上がったし、みんなも楽しかったでしょ?だからマヤが制服着てこれからもそうなるなら決して悪い事じゃないと思うの。それにマヤの授業を受けてみればきっとみんなもマヤの気持ちを理解できると思うわ。だからまずちゃんと授業をみましょうね!!」
言葉遣いは優しいけれどその威圧感はかなりのものだった。
長年(一年生の頃から)クラス委員長として培ったものだ。
生徒達から何の声も出ないのを確認すると、ヒカリはマヤの背をポンとたたいた。
「はっ」
「じゃ、よろしくね」
にっこり笑ってマヤに囁くとヒカリはそそくさと自分の席に戻っていった。
「起立!」
号令と共に生徒達が一斉に立ち上がる。
「礼!」
お辞儀する生徒を見て慌ててマヤも頭を下げた。
「着席!」
席についた生徒とマヤの間に微妙な沈黙が流れる。
(あ・・あ・・どうしよ・・・)
何をしたらいいか思いつかないマヤは思わず助けを求めるようにヒカリを見た。
ヒカリはマヤの視線を受け止め、優しく微笑んだ。
「授業を始めましょ、マヤ」
「あ、はい・・・・」
授業はさしたる波風もなく、円滑に進んでいった。
ただマヤは生徒が異様な物体を観察しているみたいな目つきで自分を見ている様に感じていたが。
それと時々交わされる生徒との会話が友達みたいに気安くなっていた。
それはそれで和やかなものだったけれど。
制服姿のマヤを見て生徒がさほど混乱しなかったのは、事前にヒカリが周到な根回しをしておいたからだった。
マヤが来る前に事情を説明して騒がないよう注意を促し、ちょっとばかし委員長としての威圧感も見せた。
さらにアスカにも協力してもらい凄んでもらったので効果はてきめんだった。
そしてマヤが来てからは自らが場を仕切って無事に授業ができるようお膳立てしたのだ。
授業中も生徒が何かしないか常に目を光らせていた。
このようにこれ以上ないというヒカリのバックアップを気付かぬうちに受けていたマヤは、授業を滞りなく進行させたのだった。
ピ〜ンポ〜ンパ〜ンポ〜ン・・・・
「起立!」
「礼!」
(授業・・・無事に済んじゃった・・・信じられない・・・・こんな格好なのに・・・・・)
呆然としながらお辞儀するマヤに喜々とした足取りでヒカリが駆け寄った。
「マヤ、今の授業とても楽しかったわ!」
「えっ・・・?」
「分かりやすかったし、分からない所も気軽に遠慮なく聞けるのが良かったわ」
「そ、そう?」
「これまでの先生は聞きにくい雰囲気があったし、もう分からなくていいやって気になっちゃうもん。やっぱり見た目の雰囲気って大事よ」
(う・・私の見た目って・・・・)
「これからもこの調子でがんばってね!」
「ええ・・・・」
目の前でヒカリが浮かべる満面の笑顔に思わずうなずいてしまうマヤ。
こうしてマヤは初めての授業を無事に乗り切ったのだった。
だけど・・・・・
(これからもこの調子で・・・・この格好でがんばらなきゃいけないの〜!?)
昼休みになると生徒達が友達同士で机を合わせて昼御飯を食べる、いつもの光景が繰り広げられる。
そう、全く普段と変わりない光景だった。
「マヤ、それじゃ食べましょう」
「ええ・・・」
マヤはヒカリ、アスカ、レイと一緒に弁当を食べる所だった。
隣にはシンジ、トウジ、ケンスケのグループがいる。
本人はどう思っているかはともかく、午後の教室でのありふれた昼食風景にマヤは完全に溶け込んでいた。
今朝ヒカリと台所で肩を並べて作ったお弁当を口に運びながら、女子中学生らしい他愛無い会話にマヤは参加していた。
部分的に少々中学生同士らしからぬ会話もあったが。
「私、数学苦手だったのよね〜、成績も良くないし・・・・でもマヤの授業なら楽しいから好きになれそうだわ」
「そう、ありがとうね・・・・」
「数学、がんばってみようかな〜」
海藻サンドパンを頬張りつつレイが口を挟んだ。
「わたひも数がふ苦へ〜」
「ちゃんと喋れ〜!」
アスカがレイの食わえたパンを無理矢理押し込んだ。
「うぇっ!よへいしゃへれないよ〜」
「ホントに!・・・・それはそうとアンタ達仲良いわね〜。たった二、三日の間で。アタシだってヒカリと親友になるのに結構時間かかったのに・・・マヤ!」
「えっは、はい!」
突然呼ばれてびっくりするマヤをじ〜っと睨むアスカ。
緊迫したアスカの雰囲気に困惑するヒカリ。
「マヤ・・アンタがどれだけヒカリと仲良くなったとしても、そのずっと前からアタシはヒカリと親友なのよ!だから・・・・・・アタシとアンタがもし仲悪かったりしたらヒカリが弱っちゃうと思うわ・・・という訳で仲良くやろうね!!」
アスカはマヤににんまりと笑った。
緊迫した空気が一気に和らいだ。
「・・・・ええ・・ありがとう」
ヒカリは胸を撫で下ろすとマヤに笑いかけた。
「アスカ、ありがとうね!良かったわね、マヤ」
「ねー、わたひもマヤと仲良ひだぎゅぶっ」
「アンタは食ってろ〜!」
パンの詰まったレイの口に拳を突っ込むアスカ。
そんな二人を漫然とながめつつ、マヤは思う。
(ヒカリだけじゃなくアスカやレイちゃんとまで仲良しになっていく・・・ヒカリの家族とも・・・この学校に来てからすぐにこんなに沢山の人と心を通わせて・・・・なんだか暖かい気持ちになれる・・・・・・けど・・・・・・・生徒と同等の立場で仲良くなっちゃってる〜!!)
マヤの心の叫びは共にお昼御飯を食べる彼女達にはひとかけらも届く事はなかった。
人目をはばかりながら校庭を壁沿いにこそこそとマヤは進んでいた。
そっちのほうがかえって目立っている事に気付きもせず、小走りに校門に向かう。
やっとの思いで校門をくぐると、せわしなく辺りを見回した。
(ああ、早く来て・・・)
校門から出て来る生徒の目を気にしつつ、しばらくそわそわと待ち続けた後、やがて目当ての人がこちらに駈けて来るのを見つけると息を大きくついた。
「マヤ〜、待ったあ?」
「ううん、今来たとこ・・・」
一昨日と同様買い物カゴをぶら下げたヒカリがにっこり笑いながらマヤの手を取った。
「これなら一緒に帰れるでしょ?」
「ええ、そうね・・・・」
授業が終わり一端先に帰ったヒカリは夕飯の買い物に出かけ、その帰りに校門で勤務が終わったマヤと落ち合う事にしておいたのだ。
マヤと一緒に下校気分を味わうためかヒカリは制服のままだ。
「さあ、帰りましょ」
仲良く手を繋いだ二人はゆったりとした歩調で我が家へと続く道を歩き出すのだった。
楽し気な顔のヒカリに対しマヤの表情にはやっぱり惑いが浮かんでいた。
(でも帰るって・・・どっちの家に帰ればいいのかしら?)
「マヤ、今日はカボチャとトマトが安いんでつい多めに買っちゃったんだけど、どう料理しよっか?」
(ヒカリの家ね・・・・分かってたけど)
やがて二人はマヤのアパートを無造作に通り過ぎ、ヒカリの家に帰り着くのだった。
こうして数学教師伊吹マヤの一日は無事に終わった。
本人にとっては切実な悩みをどっさり抱えたまま。
(私はセンパイと同じ職場で働きたかっただけなのに・・・とてつもない事になってしまった・・・・・・明日からいったいどうなってしまうの〜!?)
次の日からマヤはヒカリの家で今日経験した生活をしばらくの間繰り返す事になるのだった。