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EVANGELION 〜神話にならざる少年〜
第弐話
そして──活動開始
それじゃあ……私はなんなの?
血にまみれた両腕を見つめながら、彼女は呆然とつぶやいていた。
私は――なんで、ここにいるのよ……
こぶしを、ぐっと握り締める。ぬるぬるとした感触が気持ち悪かったが、ただそれだけだった。ゆっくりと視線を、前へと移していく。そこには、ふたつの『モノ』が――つい先ほどまでは人間だった、ただの肉塊が転がっている。
「私は――なんのために今まで生きてきたのよっ!」
意識が、爆発する――同時に、周囲にかっと閃光が走り……一帯にあったことごとくを、一瞬で爆砕させた。
涙は、不思議と流れなかった。だが、顔にまで飛び散っている返り血――先の爆発の熱波で、もう乾いてしまっているが――が、まるで涙のようについている。彼女は、やはり泣いていた……
と、遠くから足音が聞こえてくる。おそらくは今の爆音を聞きつけたのだろう。人数は……三人。いや、四人か?
どっちにしても、どうでもいいことだ。なにもかも、どうでもいい……
――よくはないだろう……?
(……?)
唐突に――声が聞こえてきた。まるで惚けたようになっていた彼女の顔は、たちまち怪訝なものになる。幻聴かもと思ったが、それにしては、やけにはっきりとしていた。いったい、なんなんなの……?
自問する。そして、その刹那。
――そうだ。よくはないのだ。聞こえているのだろう?
今度は幻聴ではない。確かに、誰かが話し掛けてきている。それも、脳に直接だ。
「……なにを言ってるのよ……?」
とりあえず、彼女は聞き返すことにした……別に、返事を期待したわけではなかった。しかし、意外にも「声」は答えてくる。
――わかっているはずだ。そう……君のことだよ。
「……私?」
――このまま終わるつもりか……? 惣流アスカ・ラングレー?
「終わる……? なにが終わるって言うのよ」
嘲るような笑みを浮かべて、彼女――アスカは吐き出した。そう。既に終わってしまっている。自分の人生は。いや――そもそも、始まってすらいなかったのだ。ただ、自分でそう思っていただけ。用意された舞台で、踊っていただけの……
――『ニンギョウ』……か?
「………………!!」
からかうようにつぶやかれた一言に、彼女は身を竦ませた。認めたくなかった――いや、知りたくなかった一言。ぎりぎりと、奥歯を食いしばる。ふと気がつけば、こぶしを硬く握り締めていた。それをゆっくりと解き放ちながらも、彼女はがたがた震えていた。
――『ニンギョウ』、か……確かに、今の君にはふさわしい表現だ。
ぴくり――その刹那、彼女は一切の動きを止めた。思わず呼吸すら忘れて、まるで彫像のようにそこにあった。そんな彼女に、再び『声』が告げる。
――そう……今の君は「ニンギョウ」だ。いや――もはやそれですらない。持ち主に捨てられた、ただのガラクタだ――
笑いすら含んだ一言。そして――それを聞いた瞬間、アスカは再び……動き出した。
「……なんて言った?」
ゆらり、と彼女は立ち上がった。全身から、虚無が消えている……同時に、彼女はたったひとつの感情に支配されていた。
「誰が……がらくたですって!?」
すなわち――怒り。人間にとって、もっとも絶大な力の源。生きる意志を導き出すもの。それは今、彼女の全身を駆け巡っていた。
「もう一度言ってみなさいっ! ズタズタにしてやるからっ!」
血にまみれた手のひらの先に、ぽうっ、と真紅の光が点る。直径、約十センチメートル。攻撃用の魔術としてはかなり小規模のものだ。だが、これひとつで半径数十メートルを抉り取ることが出来る。通常の戦闘ではまず用いたりはしない……自らの身体すら傷つけ始めている魔術を片手に、彼女は虚空を睨み付ける。
――ふふっ……それで、私を殺せると思っているのか?
「ええ、殺せるわ――私が殺すといった以上、絶対にね」
――そうやって、さっきのふたりも殺したのか?
「そうよ。あいつらは、私を……私達を用済みだといったのよ。この間まで自分たちの育ててきた私達を。だから……殺してやったのよっ!」
――ふふふっ……あはははは……どんなに貶められても、プライドだけは捨てていない……いいぞ。その調子だ。それでこそ、君だ……その腕を見込んで、ひとつ頼みごとがしたいのだがね……?
「……!? なにを言ってるの……?」
とうとうわけがわからなくなって、アスカは聞き返した。私に、頼みごと? 自分を殺そうとしている相手に? いえ……そもそも、私は誰と話しているの?
怒りと、言いようもない虚しさでその活動を停止していた脳が、ようやく本来の機能を取り戻す。一旦魔術を解除し(自分の身体すら傷つけるような魔術を、こんな近距離で使うわけにはいかない)、そして今度は、しっかりと戦闘体制を取る。もっとも、脳に直接『声』を送ることが出来るような奴に対して、通常の戦闘術で対処できるのかという不安はある。だが、身を守ろうとする動作は、彼女に自身の正気を自覚させるのに十分だった。
「貴方……誰なの?」
わずかながら、その言葉には恐怖も含まれていたかもしれない――未知のものに恐れを抱くのは、生物としての本能だ。それを理性で出来る限り覆い隠しながら――なんであれ、誰かに弱みを見せるということを、彼女は嫌っていた――「声」に向かい聞き返す。
(なんで、もっと早くに気がつかなかったの……!?)
いくらなんでも鈍くなりすぎだ――これでは、用済みといわれても仕方ないかもしれない。内心そんなことを思って、彼女は苦笑をもらした。
――ふん……どうやら、正気に戻ったようだな。私が誰か、などという問題は、実に些細なものだ。そうではないかな? なにしろ、私が自分が誰かと名乗ったところで、君にはそれが事実か否か確かめる術がない。まったく無意味なことだよ。
「つまり、喋る気はないって事ね……それが人にものを頼む態度なの? 親の顔が見てみたいわ」
それは皮肉で言ったのだが――
――彼らが――私の親であったことなど、ほとんど、ない……
「え?」
意味がわからずに、彼女は怪訝そうに声を上げた。だが『声』は煩わしそうに、
――君には、関係がない。それよりも、だ。私の頼みを聞いてもらいたい。良いね?
声は、静かだったのだが――あからさまな怒気が、それには含まれていた。有無を言わせぬその迫力に、彼女は我知らずうなずいていた。
――いい子だ……さて、頼みたいことはさっきも言った通りただひとつ――人を、ふたりばかり殺してもらいたい。
「――――!? 私に人殺しをしろって言うの!?」
――君は、すでに自分の意志でふたり殺している……いまさら躊躇することもないと思うがね。
「それとこれとは違う――恨みもない人間を、殺せるわけがないでしょう!?」
――恨み……か。それはないかもしれないが、因縁ならば存在するよ。殺してほしいのは、このふたりだ――
言葉と同時、脳裏にいきなり、ふたつの像が浮かび上がる――そしてそれは、彼女の――アスカの、よく知っている人物だった。
「これは――」
――そうだ。よく知っているだろう?
「知ってるもなにも……貴方は――私に、師と、かつての仲間を殺せというの?」
――だが彼らは、君を今の状態に追い込んだ人間でもあるのだ。君がこんなにも苦しんでいるのに、彼らはそれを知りもしない……面倒ごとは、すべて君らに押し付けているのに、それを振り返ろうともしないのだよ。復讐は、果たすべきだ。
「復讐――?」
愕然と、アスカはその言葉を口に出した。考えもしなかった――というか、そういった発想がまったくなかった。彼らが。原因。そう。そうかもしれない。彼らが――あいつがいたから、私達はこんな目に遭っている。いなくなったから、不用者扱いされている……
「あいつの――あいつのせいで、私は……私達は……」
思考が、だんだんとひとつの所に集約していく。すべての原因は、あいつにある――そうだ。そうに違いない。だから、復讐をっ!
彼女の思考が、復讐という二文字に支配されていく。その速度は、はっきり言って異常だった。だが、彼女はそれに気づくことはない。ただ、転がっていくだけ――
『声』には、それが手に取るように感じられた。なにしろ、そう仕向けたのは自分なのだ。少し、ほんの少しだけ、『心』に干渉しただけだ。なのに彼女は、転がるように憎悪の虜となってくれた。
心が壊れかかっている人間の精神を補強するのに、恨みほど格好のものはない。執念は生きる意味を生み出し、そして生きることそのものが執念と化す。――なんにしろ、結果として、彼女が死のうが生きようが、「彼」にとってはどうでもよかったのだ。必要なのは、『あれ』に対し揺さ振りをかけること。
滞っていた任務を、再開させなければならないのだ。必要なのは、情報――それを、「あれ」は集めなければならない。そして判断をする。誰でもない、主たる自分自身が。
彼は世界を見渡すことが出来るが、それはあくまで巨視的にでしかない。世界を知るためには、世界に直接、触れる必要がある。
しかし、それはあまりにも効率が悪い。だから、彼を造った。観察者――だが、彼は止まってしまっている――
――期待しているよ。惣流・アスカ・ラングレー。彼等を――殺す。出来るな?
真の意味での意志の光を失っていたアスカは、力強くうなずいた。それを見て、彼は苦笑する。なにしろ、そんなことは、絶対に不可能なのだ。私の造った、世界最強の兵士。それに勝てる人間など……
(結局、君はニンギョウでしかないんだよ――アスカ)
胸中でつぶやきつつ、彼はその場に構築していた意識体を、分解させた……
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「光よ、我が内より来たれ!」
呪文に応じるかの様に、突き出された手のひらからまばゆい光が溢れ出し、次の瞬間、それは球状に固定され、目標へと突き進んでいく――が、突如、突き出した手のひらに激痛が走った。
「うあっ!?」
まったく予想していなかった痛みに、思わず悲鳴を上げる――わけがわからず、彼は自分の腕を見る……
「! な――?」
その瞬間、彼は絶句した。腕には細かい傷口が無数に刻まれており、そこからは真っ赤な血が滴り落ちている――
……加持リョウジはそれを眺めながら、軽くため息をついた。そしてすぐさま、意識を自分へと突き進んできている光球へと向ける。リョウジは腕を掲げると光球をぴっと指差し、一声叫んだ。
「滅!」
刹那――ばりばりと放電を起こしなから飛来していた光熱波は、すうっ、となにかに包み込まれたように小さくなり――そして完全に消滅した。リョウジはそれを確認もせずに、今魔術を放った少年――シンジのほうに向き直った。
「……魔術の効果を、ただの破壊だけに設定するからそういう事になるんだ。言っただろう? もっと細かく、条件付けをしてやらなけりゃ、自分まで傷つけてしまうんだ。これは実戦じゃない。もっとちゃんと集中をして――」
「そんなこと言ったって――」
講義口調で告げてくるリョウジに、シンジは傷ついた右腕をかばいながら言い返した。
「集中するって、具体的にどうすればいいのか教えてくれないじゃないですか。魔術がどんなものかもよくわかっていないのに、そんなことできませんよ」
「教えてやれなくもないがな、そういった感覚的なことは、自分自身で学び取らなくちゃ意味がない。コツぐらいなら教えてやるがね」
「……わかりましたから、その前に、腕治してくださいよ……」
魔術の訓練――なぜいきなりそんなことをやり始めたのかと言うと、実際のところ、シンジ自身にはよくわかっていなかった。そもそも、自分に魔術が扱えるとも思っていなかったのだ。だが――
『シンジ。今日から、魔術を教える』
それが、一週間前の事だ。別に、理由は聞かなかった。彼が「やる」といった以上、それは絶対に変わらないことだし、なによりシンジ自身が理由を欲さなかったからだ。
「いいか? もう一度言うぞ。魔術を発動させるために必要なのは、なによりも精神力――世界をそのまま造り替えられるほどの、強い意志だ」
そう言ってリョウジは、なにもないはずの自分の頭上に、小さな明かりを点した。
「俺達魔術士は、魔力によって一時的、さらに限定的にではあるがあらゆる物理法則そのものを支配することが出来る。その隙に、俺達は自分がイメージした効果を、魔術として、物理世界に実体化させるわけだ。こんな風にな」
頭上の明かりを指差す。シンジはそれを眺めながら――ふと、リョウジが呪文を唱えていないことに気がついた。
「加持さん、今呪文を……?」
「ん? ああ。本来、魔術を使うのに呪文なんてものは必要ないんだ。ただ、自分で特定のキーワード――いわゆる呪文――を決めておくことによって、反射的にイメージ、集中、発動のみっつの動作を、瞬時に行うことが出来るように訓練しておくんだ。そうすれば、いつどこでも、すばやく行動することが出来る。……まあ、後は見栄えの問題だな。馬鹿みたいなことを叫んでも恥ずかしいだけだしな」
「はあ。見栄え……ですか」
なにやら拍子抜けした表情で、シンジはつぶやいた。リョウジはぽん、と手を叩いて、
「さ、話はここまでだ。もう一回やってみろ」
言うと、シンジはしぶしぶ立ちあがり、再びリョウジと距離をとる。そしてシンジは硬く両目を閉じると、ゆっくりと魔術を構築し始めた。
それを眺めつつ、リョウジは胸中で独りごちていた。
(しかし……さすがとしか言いようがないな。いくら”再訓練”とはいえ、”この”シンジにとっては初めてのことだっていうのに……)
本来ならば数年かかる課程を、たったの一週間でこなしてしまった。さらには、魔術そのものもかなりのレベルに達している。先ほど自らも傷つけてしまったのは、発生した時点で『攻撃』という効果しかプログラムされていなかったからだ。本来は、さまざまな条件付け――要するに、術者を傷つけないとか、そういった基本的なこと――が必要となる。先ほどの魔術にはそれがかけていた。ただそれだけだ。
この分では、「かつて」のレベルに達するのも時間の問題か……
これが、才能というものなのだろうか。そんなことを思いながら、リョウジ自身も、魔術を発動させる体勢に入った――ただし、今度は、相手の攻撃を対消滅させるためではない。
シンジが魔術を放つよりも早く、リョウジは腕を振り上げ、叫ぶ――
「撃!」
閃光が、一瞬視界を包み込み──先ほどシンジが放ったものの、およそ倍ほどの光熱波が、リョウジの手から放たれる。声に驚いてシンジが目を開けると、ちょうど正面から、その光弾が自分に向かい、猛烈な速さで進んでいるのが見えた。
「なっ! 加持さん!?」
悲鳴を上げる――シンジは反射的にリョウジを見たが、口元に薄く笑みを浮かべるだけで魔術を解除しようとしない。
(げ……本気だ――)
本気を示す笑み。ほとんど見ることがない。たとえ、野盗に襲われて身ぐるみ剥がされたあげく、湖に補織り込まれる寸前だとしても、それが浮かぶことはないだろう。だが、それが今、自分に向けられている――ぞっとして、彼は改めて光弾に意識を向けた。放たれた光熱波の規模は、自分のものの数倍――避けるにしても、間に合わない。後は――
(魔術で防ぐか、かき消すか、だ。だけど――)
できるのか? そんな不安が、脳裏を過ぎった。だが、やらなければ確実に――
「光よ――」
意を決し、彼は魔術を発動させる。簡単な魔術だ。きっと成功するはず……そして、成功させなければ、その場で死が待っている!
「光よ――、我が身を包み鎧と成せ!」
呪文が、朗々と響き渡る――言葉に出すことによってより強固になった意志が、物理世界に干渉を始める。彼の身体から放たれた光は、即座に前面に集まり――
八角形の、薄いオレンジ色の光壁を形成する!
一瞬後、光弾が障壁に接触する。シンジはその瞬間、思わず両目を閉じた。うまくいってくれ――
どおおぉぉぉん――
爆音――だが、熱波も爆風も、さらには衝撃波さえ、シンジを襲うことはなかった。ゆっくりと、目を開く。
壁は、直撃を受けた後も消失することなく……ただシンジの前に発生していた。
「……や……やった……」
つぶやきながら、シンジはへたり、とその場に座り込んだ。完全に、腰が抜けてしまっている。もうしばらくは立てないだろう――
「ほう……!」
リョウジは、感嘆の声を上げた。完璧な防御障壁だった。見たところ、なんの反作用もなく、いまだ消失することなく術者を守っている。
「ほぉら、出来たじゃないか。これからもその感じを忘れずにだな……」
「『忘れずにだな』じゃないですよ──加持さん、今本気だったでしょ!? もし失敗して、直撃したらどうするつもりだったんです!? 間違いなく死んじゃいますよ!」
凶悪──というか、険悪な表情で、シンジはリョウジに詰め寄った……といっても、腰が抜けたままなので、かなり間抜けではあるが。だがリョウジはそれを完全に無視し、あさっての方向を向きながら、
「それにしても腹が減ったなー。訓練はこのくらいにして、宿に戻って飯にするかな」
「ちょっと、話を逸らさないでください! 聞いてるんですか、加持さん──」
「それじゃ、俺は先に行ってるからな。早く来いよ。こなかったら、俺が全部もらうからな」
「! 待ってくださいよ! 僕だってお腹空いてるんですから……って、無視しないでください! ちょっと、加持さん──」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ふと──目が覚めて、リョウジはゆっくりと起きあがった。
暗い──あえて外を見なくとも、夜であることは間違いなかった。いつもだったら、こんな時間に目を覚ましてしまったことを愚痴りつつ、再び横になるのだが……
なるのだが、彼の眼差しはいつものものではない。まとっている気配は、明らかに異なっている。
「……なんだ?」
異様なまでに鋭くなっている自分の感覚に、彼は思わず疑問の声を上げた。身体が、勝手に興奮している──そんな感じだ。興奮してはいるが、頭はやけにすっきりとしていた。まるで──現役だった頃のようだ。これは──身体が、臨戦態勢に入っている……?
(敵……でも、いるっていうのか?)
あまりにも馬鹿馬鹿しい考えに、彼は自分で答えを出した。
「まったく……ここは町中だぞ? 一体誰が襲ってくるっていうんだ……?」
しかも、ここはこの地域有数の商業都市だ。そこかしこに点在する村とは違い、司法制度がきっちりと整備されている。こんなところで戦闘など始めたら、たとえ深夜だろうと都市警察が出てくるに違いない。どんなに頭の悪いごろつきだろうと、そのくらいの知恵は働くはずだ。だが……全身を走る悪寒は、一向になくならない。
「なんなんだ?」
かかっていた毛布をはぎ取って、窓辺に近づき、引いてあるカーテンの隙間からすっと外を見る……深夜。どうということはない、ただの夜だ。星が、綺麗に瞬いていた。雲ひとつない、晴れ渡った夜空。だが、どういうわけか月がない。
「そうか……今日は、新月だったな」
独りごちて、彼はきびすを返す。椅子に引っかけてあったジャケットをつかむと、乱暴な勢いでそれを着込んだ。異様なまでにずっしりとした重量が、彼に安心感を与える──見た目こそふつうのジャケットだが、内側には薄い鉄板が要所要所に縫いつけてあり、懐の部分には護身用のナイフがくくりつけてある。防剣、及び耐刃機能のある、特殊なジャケットなのだ。彼はナイフを抜き放ち、それを目の高さまで持ち上げた。
「こいつ一本じゃ不安だが……ま、仕方ないか……」
彼はできるだけ音を立てないようにしながら、ゆっくりと部屋を出る。
「気のせいならいいんだが……」
つぶやいて、彼は闇に包まれた街へと、その身を躍らせていった──
……リョウジがの気配が完全になくなったのを確かめて、シンジは起きあがった。
「……どこに行くつもりなんだ?」
このとき彼が起きていたのは、偶然以外の何物でもなかった。なんとなく目が覚めて……たまたま、リョウジが神妙な面もちで部屋を出ていくのを目撃した。ただ、それだけ。
ついでに言えば、彼が夜中にどこかに出かけるのを目撃したのは、これが始めてではない。どこでなにをしているか、自分の保護者たる彼の動向は、はっきり言って謎が多い。そして……その謎を解くチャンスが、今だ。さて──一体どうするか?
「……よし」
一瞬考えて、彼は決断した。正確には……好奇心の勝利、といったところだったが。要するに──
「さあ! 完全に見失う前に尾行だ!」
「……って、思いっきり見失ってるんだもんなぁ……」
街中での尾行、といったものには、専門的な知識と、経験とが必要とされる。
そして──最悪なことに、彼はそのどちらも持ち合わせていなかった。さらに言えば、それに気がつかなかったことも最悪である。しかも……
「どうしよう……宿の場所もわかんなくなっちゃったな」
初めての街で、むやみやたらに歩き回った結果だった。まあ、当たり前といえば当たり前ではある。だが……
「……一体どこに行ったんだ? いくら街の造りが入り組んでるからって、そう遠くにいけるはずがないって言うのに……」
約十分ほどのずれで、彼は宿の外へと飛び出した。しかし、そのころにはすでにリョウジの姿はどこにもなく、足音すら聞こえなかった。月のない夜空と、昼間には出店などが並んで賑わっている往来が、デンと横たわっているだけだった。。その場であきらめて、引き返せばよかったのだが。
「……どっちにしても、加持さん見つけないと帰れないんだよな」
嘆息しつつ、彼はつぶやいた。こんな夜中に目を覚ましてしまった自分の愚を自責しつつ、とりあえずシンジは探索を再開した。こんな静かな夜だ。なにか起これば、すぐにわかるはず──
きゅぽう!
活動を再開したその刹那、今まで一度として聞いたことがないような音が、鼓膜を貫いた。そしてその次の瞬間……
どおぉんっ!
「なっ……?」
紛れもなく、爆音だった──かなり遠くから聞こえたが、それだけは間違いない。だが、一体なにが爆発したというのだろう? 少なくとも、この近くに爆発するようなものはなにひとつなかったはず……
「くそっ!」
吐き捨てて、シンジは一気に駆け出していた。いやな予感がする。根拠はないが、彼の直感はそれが事実であることを告げていた。
そしてそのいやな予感は──確実にやっかいごととして、彼自身に乗りかかってくることになるのだった。
後書き――き書後
「えー、お久しぶりです。隠者の紫です。はうう……本当は一月に完成するはずだったってのに……なんだって四ヶ月も経ってるんだ? はっ! まさか、そこはかとなく謎めいた悪の秘密結社の陰謀っ!? そーだ、そうに違いない。ってことでこの作者様にはなんの責任もないわけで、つまりよーするに責任者出てこいと心の悲鳴が口をついて──」
どばきぃっ!
「うおおおおっ!? いかにもバットで殴られた的な擬音と激しい痛みが!? 誰だ!? この偉大なる作者様に向かってこのよーな狼藉を働く不届きな愚か者はっ!?」
「うっさいわね! そんだけ喋れたら全然へーきでしょうが! それより、自分に様付けるのやめなさい!」
「ほほう! この創造神たる作者様に逆らうとはいい度胸! 貴様、何者だ?」
「ちょっと待ちなさいよ。これから自己紹介するんだから──コホン、皆さん、初めまして。わたくしこのたび後書き進行を務めることになりました、神城シズカと申します。今後ともよろしくお願いします──」
「待てい! その『後書き進行を務める』ってのはなんなんだ!?」
「わかんないの? あたしがこれから後書きを仕切っていくってことよ」
「そういうことを聞いてんじゃない! 一体だれがそんなこと決めたんだって言ってんだ!」
「あたし」
「平然と言うか貴様は!」
「いーじゃないのよ後書きくらい! あたしはこの間まで暗く冷たい「ボツ」の海にいたのよ? 少しぐらい日に当たったっていーじゃないの! そもそも、あんたがこーゆうとこで小説なんてかけてるのも、あたしたちがいたおかげじゃないのよ! 少しぐらい敬ったって罰は当たらないわよ」
「うーん。まあそりゃそうだが」
「でしょ?」
「……まあいいや。こんなくだらないやりとりで行取るのも馬鹿馬鹿しいしな。じゃ、そーゆうことでとっとと後書き始めるぞ」
「そのくだらないってトコが引っかかるけど、別にいいわ。で? 今回のこれだけど……」
「おう。予想に比べて、まったく進展がないな。まあ、これも予想通りだったわけだが」
「よくわかんないけど……にしてもあんた、これまで見てきたけど、こんなに伏線ばらまきまくってきちんと処理できるの? おねーさんはそれが心配よ」
「おねーさんって……お前いくつだ?」
「十四よ。それが?」
「俺より四つも年下じゃねーか。まあいいや。大丈夫だって、こう見えても俺はプロだ。自分で巻いた種ぐらい、きちんと刈り取ってみせるさ──まあちょっとぱかり、多いんじゃないかなって気もしてるが」
「いったいなんのプロなのよ……そもそも、多いかなって思ってる時点ですでにやばいってことじゃない。もっと計画的にしたらどうなの?」
「はっはっは。なに言ってんだよ。そんなこと無理に決まってるじゃねえか」
「胸張って言わないでよ、まったく」
「はっはっは。まあいいじゃねえか。ってまあ……次の予定だが──綾波レイにするかな」
「するかなって……本気で無計画か、あんたは!」
「うるさいなあ。いいだろ別に。誰も困らないんだから」
「なんたるアバウト……これがあたしの生みの親か……」
「……カエルの子はカエルって言葉、知ってるか?」
「いやあぁぁぁ! こんなのにはなりたくないぃぃぃぃ!」
「……まあいいや。では次は、いつになるかわかりませんが(大問題)第参話でお会いしましょう。それでは……」
「いやぁぁぁぁ!!!」
1998.03
隠者の紫
ver.-1.00 1998+03/25 公開
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