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気になるあの子・第九話

 
−あの子と温泉旅行−


バナー







 「温泉、温泉」




 リツコがワンボックスの後ろの席で騒ぐ。




 「りっちゃんまだまだ時間がかかるよ。今から騒いでいると疲れちゃうよ」




 助手席のコウイチが言う。




 「だって温泉だもんねぇ〜〜」
 「そうだよねぇ〜〜」




 リツコが言うと隣に座っているシンイチがあいの手を入れる。




 「はいはい、二人とも急いであげるからちゃんと座っていてね」
 「「はぁ〜〜い」」




 みゅ〜〜




 一緒について来たビーも返事をする。ビーは後部座席のリツコとシンイチの間に置いたランドセルから顔を出している。




 「シンちゃん着いたら何する」
 「まずおんせんはいるでしょ。わたがしたべて」
 「綿菓子は縁日でしょ。あるのかなぁ」
 「ぼくしらべたよ。そばにじんじゃがあるんだ」
 「じゃあ私大きい飴がいい。リンゴ飴」
 「じんじゃでなにおねがいする?」
 「えっとね……」




 子供達のおしゃべりは際限が無い。




 「子供達喜んでますわ。最近遠出してなかったのよ」
 「私もです。これからは出来るだけ家族でいろいろな所へ行こうと思ってます」
 「ええそうですね。どうせそのうち母さん達ついてこないでって言われるのですし」
 「確かに」
 「さて。子供達の期待に合わせてとばしますわ」




 ブロー




 排気音が大きくなった。












 「わぁい着いた」
 「ついたぁ」
 「みにゃ〜〜」




 強羅の外れの小さな温泉宿につくと二人は車から飛び降りた。ビーもランドセルから降りてリツコの肩にしがみついている。二人は宿の玄関に向かって走って行く。ナオコも追いかける。コウイチは荷物を車から降ろしている。




 「すいませぇ〜〜ん予約していた西田ですけど」
 「いらっしゃいませ。西田様ですね。お待ちしていました」




 初老の女将が上品に出迎えてくれる。小さな宿の玄関には「西田様御一行」と書いてあるだけだ。




 「「おばあちゃんこんにちわぁ」」
 「こんにちわ」




 女将はリツコとシンイチに上品な微笑みを浮かべる。




 「お客様方はカキツバタの間となっています。すみませんが宿帳の記入をお願いします」




 リツコは宿帳のペンを取ると少し考える。結局ナオコとリツコの名字も西田にする。丁度コウイチが四人分の荷物を片手で持って現れた。




 「お客様力持ちですね」
 「とりえですからね。部屋はどちらですか?」
 「カキツバタの間になります。御案内します。お荷物お持ちしましょうか?」
 「いいです。重いですから」
 「お父さん私のランドセル持つわ」
 「ぼくもじぶんのバッグもつ」
 「そうかい。じゃあ」




 コウイチは二人にランドセルとバックを渡す。四人は玄関から上がると案内する女将の後ろをついて行く。




 「ずいぶん空いてますね」
 「ええ団体さんがお帰りになられた所にキャンセルがありましたので。ですからお客様方の貸しきりと同じです」
 「へぇ〜〜それは豪華だな。ねえナオコさん」
 「そうですわねコウイチさん」
 「「わぁぁぁいかしきりかしきり」」




 子供達は喜んでいる。やがて案内された部屋は四人向けとは思えないほど広かった。




 「随分広いですね。眺めもいいし」




 部屋の窓からは小川と山の緑が美しかった。女将はお茶とお茶菓子の用意をする。




 「夕食は6時半となります。御用がこざいましたらそこの電話でお呼びください」
 「わかりました」
 「それではごゆるりと」




 女将は部屋を出て行った。部屋は静かだった。小川のせせらぎとセミの声、遠くで小さく車の音が聞こえた。




 「はぁ〜〜〜〜やっと着いた。さすがに疲れますね」
 「そうですわ」




 大人達は少し疲れた様子である。




 「ねえシンちゃん早速温泉行こう」
 「そうだね。いこういこう」
 「みゅ〜〜」




 子供達は元気である。




 「私はもう少し経ってからにするわ、コウイチさんはどうします」
 「私も少し休んでからにします。シンイチ、りっちゃん、二人で行っておいで」
 「「はぁ〜〜い」」
 「みゅ〜〜」
 「これ浴衣と下着よ。バスタオルもね」




 ナオコが渡す。




 「「行ってきまぁす」」
 「みゅ〜〜」




 二人と一匹は部屋を出て行った。




 とたとたとたとた




 廊下を矢印に従い進むと温泉の入り口に着く。入り口は左から男湯、混浴露天風呂、女湯になっていた。
 二人と一匹は迷わず混浴に入る。脱衣所で恥ずかしげも無くぽんぽんと服を脱ぐ。さすが子供だ。手拭いを持ち二人は浴室に入る。ビーもついていく。




 「「うわぁ〜〜」」




 お湯がなみなみと張られた温泉は小川に面していた。温泉の湯船の半分の上にだけ屋根が有る。山に面して涼しい風が吹いていた。
 二人は体にお湯をかけ洗った。ビーも洗った。ビーは猫の癖に風呂は好きだ。皆は浴槽に飛び込んだ。広い露天風呂は貸しきりだ。




 「わぁ〜〜い」




 ばしゃばしゃ




 シンイチは広い浴槽で早速泳ぎ出す。リツコも続く。ビーは見事な猫掻きだ。




 ぶくぶく




 リツコは泳げなかった。




 シンイチは少し泳いだ後立ち止まる。見回すとリツコが居ない。ビーもいない。




 「あれ?りっちゃんどこ?」




 ふとお湯の中を見るとリツコがじたばたしている。ビーは潜ってリツコを持ち上げようとするが当然ながら出来ない。




 「わわわりっちゃん」




 慌ててシンイチはリツコとビーを引き上げる。




 げほげほ




 リツコは咳込みお湯を吐き出す。ビーはちゃんと息を止めていたらしくちょこんとシンイチの頭の上に乗る。




 「りっちゃんだいじょうぶ」
 「ごほごほ……シンちゃん人工呼吸して」
 「……じんこうこきゅうってこきゅうがとまったときするんじゃない?」




 リツコも混乱している様子だ。




 「そ、そうね」
 「この辺が浅いよ。ここ椅子みたいになってるんだよ」
 「ほんとだ」




 二人は浴槽の端の方に座る。




 「りっちゃんめがねとったら」
 「うん」




 リツコは溺れている最中も外れなかったメガネを外す。美しい緑の瞳が現れる。




 「りっちゃんやっぱりきれいなめだね」
 「ありがとう」




 なんとなく二人とも照れてしまった。普段から風呂は一緒に入っているはずが環境が違うと少し違うらしい。




 「えい」




 ばしゃばしゃ




 リツコがシンイチにお湯をかける。




 「やったなぁ」




 ばしゃばしゃ




 きゃっきゃっ




 所詮子供ではその雰囲気は長く続かなかった。二人ともお湯を掛けあって遊びはじめた。ビーも温泉に飛び込みすいすいと泳ぎ始めた。












 「子供達遅いですね」
 「そうですわね」




 ナオコはほつれて汗に濡れた髪を手櫛で整えながら言う。手拭いで二人の体を拭い乱れているコウイチの浴衣を直してやり、自分のも整える。他の客のキャンセルがあったため広い続き部屋を使えるようになった二人は奥の部屋で早速いちゃついていた。畳の上である。




 「もう一ラウンドいきます?」
 「もう。コウイチさんのスケベ」




 と言いつつもつい濃艶な流し目を返してしまうナオコである。




 う〜〜ん せくしぃ〜〜




 「やっぱりよしましょうよ。途中で子供達帰ってきたらびっくりしますわ」
 「それもそうだ。意外と襖の向こうから覗いてたりして」
 「……それは……」
 「まあその時はその時ですよ」




 コウイチは立ち上がると襖を開ける。誰も居なかった。




 「二人ともまだ温泉みたいですね」
 「そうですわね」
 「私達も行きますか」
 「そうしましょう」




 二人は下着と浴衣とタオルを取ると温泉に向かう。




 「ナオコさん……」
 「なんですか。あらたまった声をして……」




 二人は静かな廊下を進む。




 「丁度いい機会なので、今日夕飯の後子供達に二人は結婚したいという事を言おうと思っているのですが…………」
 「え……あ……」
 「……あの……俺じゃだめなんですか……」
 「え……いえ……そういう事では……急だったものですから……」
 「あ……ごめんなさい。判っていると思っていましたから……」
 「ええあの、急にだからただびっくりしちゃって……それにプロポーズまだでしたし……」
 「子供達の了解取ってからと思いまして……順番逆でしょうか」
 「さあ……私再婚初めてなんで」
 「俺もです……」




 ふふふ




 「どうしたんですかナオコさん、やっぱり俺では……」
 「違いますわ。私達なんとなく似てるなと思ったの。どことなくずれてるし、常識が少しずつ無いし、子供が一人ずついるし、喧嘩すると強いし……きっと合うわ」
 「ええ。それじゃあナオコさん結婚し……」
 「ストップ。さっきプロポーズは子供達の許可を取ってからって言ったじゃないですか。それからにしましょ」
 「あ、はい」




 こういう話になると女性の方が強いのかナオコがずんずんと歩いて行く。苦笑いしながらコウイチも続く。やがて温泉の入り口に着いた。




 「二人とも混浴でしょうね」
 「そうですわ。きっと」




 二人は脱衣所に入る。




 「ほらここに二人の服が」
 「あらほんと」




 リツコとシンイチの服が一つの篭の中に放り込まれてた。




 「どうやら中のようですね」
 「それにしては声が聞こえませんけど」
 「ロマンチックに景色でも見てんじゃないですか」
 「そうですわね。それじゃ私達も……」




 二人も服を脱ぎ始めた。やがて全裸になり恥ずかしそうに腰と胸を手拭いで隠してナオコが立っていた。いまさら恥ずかしがるのもおかしいが環境が変わると違うのかもしれない。




 「ナオコさんってやっぱり奇麗だ」
 「コウイチさんたら」




 色気と化粧が過剰ではあるがナオコは美しかった。ナオコは露天風呂へ入って行った。コウイチも続く。するとリツコとシンイチが見えた。二人は並んで温泉に漬かり頭だけが出ていた。ビーは浴槽のへりに寝そべっている。リツコは頭をシンイチにもたげていた。向こうを向いているので二人の表情は判らない。ビーも同じだ。




 「あらあら仲がいい事」
 「ほんとだ。これなら孫を見るのも近いですね」
 「やだわコウイチさん。まだ七つと六つですよ」




 ナオコとコウイチは洗い場で体をよく流してから浴槽に向かう。リツコとシンイチは先程と同じ姿勢だ。ビーも動かない。




 「二人ともこれでも気付かないなんて」
 「よほどうっとりしてるんでしょうね」




 ナオコが湯船に漬かりリツコとシンイチの前へと周る。




 「あらやだコウイチさん」
 「どうしたんですか」




 リツコとシンイチは温泉にのぼせて目を回していた。ビーも顔がゆだっていた。












 「二人ともまだ寝ていなさい」
 「遊びに行くぅ〜〜ふにぃ〜〜」
 「そうだぁ〜〜はにゃぁ〜〜」
 「みにゅ〜〜」
 「こらシンイチ、りっちゃん。二人ともふらふらしてるだろ」




 結局ナオコとコウイチはのぼせてぼーっとしていた二人を抱きかかえて温泉から出した。ビーはふらふらしていたが自分で歩いてついてきたた。ナオコ達は手早く浴衣をつけると、リツコとシンイチをタオルで拭きそのまま部屋に運んだ。うちわで少しずつ冷やしやっとリツコとシンイチはまともになってきた。




 「でもぉ〜〜ふにぃ〜〜」
 「ふぇ〜〜」
 「みにゃ〜〜〜〜」




 二人とも立ち上がるがふらふらしてすぐ座り込む。ビーは腹を見せてぐたっとしている。




 「ほんとに困った子達ね。お母さん達温泉行ってくるから静かにしてなさい」
 「ふにぁぃ」
 「はにぁぃ」
 「じゃ静かにしてるんだぞ。後で縁日連れてってあげるから」




 ナオコとコウイチは二人に下着と浴衣を着せると無責任にも二人を部屋に置き温泉に行ってしまった。




 「りっちゃぁ〜〜だいじょうふ〜〜」
 「だいじょふふ」




 あまり大丈夫でないようだ。二人と一匹は部屋の真ん中に大の字で転がっている。蝉の声が外から聞こえてくる。




 ふへぇ〜〜
 ほへぇ〜〜
 にゃぁ




 みんなまだ変だ。




 「なんでりっちゃんおんせんあがらなかったのぉ」
 「シンちゃんはどうしてぇ」
 「……りっちゃんのとなりにすわってるのってきもちよかったから……」
 「……わたしも……」




 二人ともまだ赤い顔を余計赤くした。




 う〜〜ん らぶりぃ




 おかげで余計のぼせてしまった。




 ほへぇ〜〜
 はへぇ〜〜




 息も絶え絶えの二人であった。




 ふにゃ〜〜〜〜












 「わぁい縁日縁日〜〜」




 リツコがセーラームーンのお面を付け手に綿菓子を持ち走り回っている。シンイチはでっかいお煎餅にかぶりついている。ナオコとコウイチは二人の後ろを寄り添いながら歩いている。ビーは周りを駆けずり周っている。あの後無責任な親達が温泉から戻ってくる頃には二人と一匹は復活していた。
 近所の神社では縁日が開かれていた。昔ながらの出店がいっぱい有った。




 「あっきんぎょすくいだぁ。ぼくする」
 「だめだよシンイチ。今日は旅行の途中だから家に連れて行くまでが可哀想だし。それにうちには猫がいるだろう」




 確かに金魚を見てビーの目が輝いている。




 「あそうか。でもプチやパチやビーならあたまいいからだいじょうぶだよ」
 「そうだけどね。ほらその代わりあそこに射的が有るだろう。あれであの猫のヌイグルミを取ってりっちゃんにプレゼントしたらどうだ」
 「あホントだ。よしあれをとるぞ」




 うまい具合にその射的には猫のヌイグルミが有る。




 「おじちゃんしゃてき10ぱつ〜〜」
 「ほい坊や。200円だよ」
 「はい500えん」




 シンイチは握りしめていた500円玉二つのうち一つを渡す。




 「じゃお釣と玉を十発ここのお皿に置くよ。ちょっと待って。子供用の台を持ってくるからね」




 露天商の主は50cm程の高さの台を射的の台の前に置く。




 「銃は好きなのを選んでくれ」




 主は店の中に戻る。リツコとナオコも寄ってくる。ビーはリツコの肩にぴょこんと乗る。




 「シンちゃん何するの?」
 「りっちゃんあのねこのぬいぐるみとってあげるからね」
 「ほんと。嬉しぃ」




 シンイチは真剣に銃を選んだ。選んだ銃の固いコッキングレバーを引き発射の用意をする。銃の銃口にコルクの玉を詰める。台の上に上る。結構重いライフル型の銃をヌイグルミに向け引金を引く。




 ぽん




 玉は発射された。ヌイグルミの乗っている台に当たる。




 「すこしうえだ」




 シンイチはコッキングをし二発目の玉を込め少し上を狙う。




 ぽん




 今度はヌイグルミの顔に当たった。しかしヌイグルミは少し揺れただけだった。




 「あれだめだ。よおしちがうところねらうぞ」




 次はヌイグルミの足に当てたがこれもほとんど効果が無かった。シンイチはその後続けて四発当てたが効果が無かった。




 「坊や、そのヌイグルミはなかなか落ちないよ。猫がいいならその小さな置物の方が落ちるよ」




 主が言う。だが完全にシンイチは聞いていなかった。熱中して目が座っていた。コウイチも息子をじっと見ていた。そんな様子を見てリツコが呟いた。微かに手を動かし呪文を唱える。ビーも身構える。




 「よおし。……我が友風の精霊よ……え?」




 ナオコがリツコの手とビーの尻尾を押さえた。耳元で囁く。




 「リツコ、ビー、もし魔法であのヌイグルミ落としてもそれをシンちゃんが知ったらどう思うと思う?」



 「えっ……ええと」
 「みにゃ」
 「信用してもらえなかったと悲しむわよ」
 「う……うん」
 「ふにゃ」
 「こういう時はね応援してあげるの。とっておきの方法が有るわ」
 「なあに?」
 「それはね……」




 ごにょごにょ




 「うん。判った」
 「みにゃにゃ」
 「じゃあ頑張って」




 ビーはナオコの肩に飛び移る。リツコはとことことシンイチに近付く。




 「シンちゃん〜〜!!」
 「わぁ」




 大声を出すリツコにシンイチは銃を暴発してしまった。




 「なっなあにりっちゃん。いまとってあげるよ」




 リツコはシンイチの乗ってる台に飛び乗る。




 「シンちゃんこれお呪い」




 ちゅ




 リツコはシンイチの頬にキスをする。リツコはまたすぐに台を飛び降りとことことナオコの陰に隠れてしまった。




 ほへ?




 シンイチは呆然としていた。




 「シンちゃん頑張って」




 ナオコの後ろから細い声がかかった。恥ずかしいのであろう。




 「うん」




 シンイチに気合が入った。それにお呪いのせいかかえって頭は冷静になった。シンイチは呟く。




 「ええと。しょうとつのときのしょうげきはたまのうんどうりょうにひれいするから……」




 リツコに鍛えられたせいか理科は中学生以上だ。




 「うんどうりょうはたまのおもさとはやさにひれいするけど、おもさはかえられないから……たまのはやさをあげるしかない……でもくうきあつはこれいじょうあがらないから……どうしよう」




 銃を手にして考えるシンイチ。考え込んでいる妙な子供とその家族が珍しいのか周囲に人だまりが出来てきた。




 「え〜〜と。そうだ……あれをためしてみよう」




 シンイチはそう言う。銃の構造を調べる。コッキングをして残りの二発の玉の内一つを取り銃口に緩く空気が漏れるように詰める。狙いを定めて引金を引く。




 ぽへ




 空気が漏れる音がして足元にコルクの玉が落ちる。周囲に落胆のざわめきが広がる。シンイチは振り向く。




 「りっちゃん。つぎでとってみせるからね」
 「うんシンちゃん。信じてる」




 シンイチはまたヌイグルミに向かうと同じように緩く玉を詰める。しかし今度は構えが違った。銃を腰に引き付けるように構える。周囲の観客は期待で静かになった。シンイチが呟いた。




 「やまざきりゅうじょうじゅつ……」




 はっきりとした声が流れる。




 「ひりゅうせんだ」




 ぽへ




 引金が引かれた。やはり玉は少し飛んですぐ落ちようとした。




 「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」




 シンイチの気合と共に銃が鋭くしかも凄い捻りを加えられて突き出された。空気銃の銃身はそのまま杖術の杖の代わりとなり玉を弾いた。




 ぱん




 音を立てて玉はヌイグルミの猫の頭に当たった。




 ぐらぐら




 ごろん




 ヌイグルミは倒れた。店主は唖然とした。あの空気銃では絶対倒れないはずだからである。




 山崎流杖術飛竜閃打……本来小石を杖で打ち飛ばし敵を狙う技だがシンイチはそれをコルクの玉と空気銃の銃身でやってのけた。谷内のお爺さんの元での修行とりっちゃんのキス……愛と根性の勝利であった。




 「おじちゃんヌイグルミちょうだい」
 「……ふ。おじちゃんの負けだ。ほれヌイグルミだ。おまけにこの黒と白の猫の置物もあげるよ」
 「おじちゃんありがとう」




 店主は袋に詰めるとシンイチに渡す。シンイチは右手で受け取る。




 とことことことこ




 「りっちゃんこれあげる」
 「シンちゃんありがとう。だぁ〜〜い好き」




 みゅ〜〜




 リツコがシンイチに抱きつく。ビーが周りを踊り回る。




 「坊主いいぞぉぉ〜〜」
 「金髪の子も可愛いぞぉ〜〜」




 周りから歓声が上がる。




 ぴゅ〜〜ぴゅ〜〜
 ひゅ〜〜ひゅ〜〜




 さすがに照れ臭いのか二人は離れ親の足元に行く。袋はリツコの手に有る。シンイチがコウイチの足を引っ張る。




 「どうしたシンイチ」
 「ちょっと」




 シンイチはひそひそ話がしたいみたいだ。コウイチが耳を近付ける。




 ごそごそ




 コウイチが頷く。




 「ナオコさんちょっと」




 ごそごそ




 今度はコウイチがナオコに耳うちする。リツコは先程から頭にはてなマークが浮かんでいる。ナオコが頷いた。




 「シンイチ君ちょっといらっしゃい」
 「あれどこ行くの」
 「リツコはコウイチさんと居てね。ちょっとだけね」




 ナオコはシンイチを縁日の通りの横の木の陰に連れて行く。




 「うぅぅぅぅぅ。ひだりていたいよぉぉぉ」




 シンイチがいきなり泣き出した。確かに左手のひじが腫れて真っ赤に膨らんでいた。基礎訓練が終ってないうちに杖術の大技を使ったためである。ここまでリツコに見られぬように意地を張っていたのだろう。




 「よく我慢したわ。さすがリツコのフィアンセね。今治してあげるから。もう少し我慢してね」




 ナオコはそう言うとシンイチの手を取り調べる。




 ひっ




 シンイチが痛みですくむ。




 「じゃあとりあえず痛み止め打ちましょうね」




 ナオコは浴衣の胸の辺りから注射器を取り出す。赤木親子は訳の判らない所から物を出すのが特技らしい。




 ちく
 ひー




 ぐっと我慢の男の子。シンちゃん七つである。どんな薬品を使ったか判らないがすぐに痛みがひいてくる。




 「あれ?痛く無くなった」




 シンイチはぽかんとしている。ひじの腫れもひいている。




 「この薬は20分ぐらいしか効かないわ」




 なぜか注射器はどこかに消えている。




 「早く帰ってリツコに見つからない様に治療しましょうね」
 「うん」




 二人はコウイチとリツコの元に向かった。












 「シンイチ、りっちゃん実はこれから大事な話が有るんだ。ナオコさん」
 「はい」




 宿での楽しい夕ご飯も終わりお茶でくつろいだ所でコウイチが切り出した。コウイチとナオコは並んで正座する。リツコとシンイチもなんとなく同じように正座して正面に座った。ビーはもう座布団の上で寝ている。




 「なあにおとうさん、ナオコおばさん」
 「なあにお母さん、コウイチおじさん」
 「実は私とナオコさん結婚しようと思うんだ」
 「へ?」
 「は?」




 リツコとシンイチは変な声を出す。




 「いきなりで驚いたと思うけど、お母さん達そうしたいのよ。許してもらえるかしら」




 コウイチとナオコの申しでに対してリツコとシンイチは顔を見合わせてから言う。




 「……おとうさんたちって……」
 「……結婚してたんじゃないの?」
 「はぁ?」
 「へっ?」




 今度はナオコとコウイチが変な声をあげた。




 「だっていつもふたりでいっしょにいるし、おまえ、あなたとかよんでるときあるし」
 「お母さん(西田さんちの奥さん)って言われて反応してるし、私がおじさんをお父さんって呼んだりシンちゃんがお母さんをお母さんって呼んでもごく普通に答えるし……」
 「これってけっこんしているんじゃないの?」
 「だから私とシンちゃん兄妹になっちゃうからどうやって結婚しようかって話してたの。私いったん誰かの所へ養子に行って改めてお嫁さんにならないと行けないのかなって」
 「それにけっこんしきやらないのはふたりともしごとしていていそがしいんだろうって」




 リツコとシンイチが好き勝手な事を言っている。今度はナオコとコウイチが顔を見合わせた。




 「じゃいいの?」




 ナオコが聞く。




 「ぼくはいいよ」
 「私も……で結婚式いつにするの」
 「全然決めてないわ。プロポーズもまだだから」
 「あれおとうさんプロポーズしてないの」
 「ああ。まだだよ。二人の許可を貰らってからにしようと思ってね」
 「おじさん……じゃなくてお父さんそれ順番逆だと思う」
 「そうだよおとうさん。いましたら?」
 「え……台詞も考えてなかったし……こういう事は二人だけの時にする事だし……」
 「そうね。やっぱり二人の時でないと恥ずかしいし……」




 子供につっこまれるナオコとコウイチであった。




 「ふう〜〜ん。じゃ後でプロポーズの台詞教えてね。今からシンちゃんに研究させるから」
 「え〜〜まだいいよ」
 「なに言ってるの。今から考えておかないとお父さんみたいに苦労するのよ」




 リツコとシンイチがぺちゃくちゃ話し出した。




 「ナオコさん。どうやらいいようですね」
 「みたいですね」




 二人はほっとした。
















 翌日は朝から近所の観光となった。名も無いような神社やお寺や地元の小さな博物館を周る。リツコとナオコは科学者だ。博物館と聞いては血が騒ぐのだろう。郷土資料館ではリツコのランドセルから測定機を出し巻き物の年代を調べたり、装飾品のスペクトル分析をしたりと大暴れだった。もっとも全ての展示物が本物と証明され郷土資料館では喜んでいたようだ。ビーは途中で買ってもらった海老煎餅がよほど気にいったらしくずっとコウイチの肩でかじっている。
 昼食は普通の食堂でとった。リツコの金髪に緑の瞳、それにぐりぐりメガネは珍しいのかいろいろな所でどこから来たのかと聞かれる。その度にきちんと答えていく。
 どこから見ても幸せな家族そのものだった。




 が、リツコ達を遠くから見ている影が有った。












 観光施設と温泉を周っているとたちまち夕方になった。帰りに宿の付近の神社に寄ると今日も縁日だった。




 「あ、ねえあそこで手相見てもらう。お母さんいいでしょ」




 昨日は居なかった手相見がいた。白髪痩身の穏やかな顔をした老人だ。木の机に白い布を掛け照明を置いてある。ゆらゆらと揺れている所を見るとその照明の中は蝋燭やランプの炎らしい。机の前には「見者 かずま」と流暢に書かれた札がぶら下がり椅子が二つある。




 「シンちゃんも一緒に見てもらうの」
 「ぼくはいいよ」
 「見てもらうの」




 リツコはシンイチを引きずるように連れて行く。力は強いが何故か勝てないシンイチである。




 「しょうがない子ね」
 「まあ女の子らしくっていいじゃないですか」




 ナオコとコウイチもついていく。ビーはコウイチの肩で眠っている。




 「お爺さん、私とシンちゃんの手相を見て」




 リツコは背伸びをして手相見に掌を挿し出す。




 「可愛いお客さんだね。何を占って欲しいのかな」
 「え〜〜と……えっとね恋愛運」




 リツコは片手の掌を占い士に差し出しつつ逃げようとするシンイチをもう片方の手でしっかりと握って離さなかった。




 「すみません占い士さんこの子達占ってくれませんか」
 「シンイチもうあきらめて見てもらえ。ほらりっちゃん泣きそうだぞ」




 シンイチがリツコを見ると確かに瞳がうるうるしている。




 「あ、りっちゃんぼくもみてもらうよ」




 ニカ




 急にリツコが笑う。




 「うわ。ずるいぞ。うそなきだ」




 この歳ですでに決め技をマスターしているリツコであった。




 「まあシンイチあきらめろ」




 コウイチは椅子に座ると膝の上にシンイチを乗せる。ナオコも同じようにリツコを膝の上に乗せ椅子に座った。




 「ずるいなぁ……」
 「シンイチ勝負が決まった事をいつまでもぐずぐず言うんじゃない」
 「はぁい」




 と返事をする割にはむくれている。




 「シンちゃんそんなに私と手相見て貰らうのがいや?」




 リツコが少ししょんぼりと言う。




 「そんなことないよ。ただすこしはずかしかったから。ハイおじいさんぼくのもみて」




 シンイチはリツコの手首を持ちお爺さんの前に差し出すと自分の掌も挿し出す。




 「どれどれ見てしんぜよう。ところで御両親、先程より聞いておるとこの子達は兄妹では無い様だがどのような間柄かな。それによっては占いの解釈が違うのだがのう」
 「あのお互いの連れ子なんです。私達まだ結婚している訳ではなくって、この子達私達より先に好き同士になってあの……」




 ナオコがしどろもどろになっている。




 「そうなんです。私とナオコさんより先にこの子達がカップルになって……で、ですね」




 コウイチもだ。




 「そういう事ならばその様に見てしんぜよう。ではまずお嬢ちゃんから拝見」




 手相見はリツコの掌を大きな虫眼鏡を使い見ていく。リツコも真剣に見詰めている。




 「ふむ。では坊やのを拝見」




 こんどはシンイチの手相を見る。結構時間がかかる。




 「ほう。なるほど」
 「お爺ちゃんどう?」
 「うむ。二人の運勢はこれからも一体じゃな。多分離れる事はないじゃろう」
 「それで?」
 「これから波乱に富んだ人生が二人を待っていると出ておる。じゃがどうにか切りぬけるじゃろうて。特に20年程後に劇的な運命が待っておるぞ」
 「どんな?」
 「うむ。何か戦いに巻き込まれるか、自ら身を投じるかするのじゃ。それ以上は判らないのぉ」
 「へぇ〜〜そうなんだ。……え〜〜とでもりっちゃんとはずっといっしょなんでしょ」
 「うむ。多分そうじゃな。二人の運勢は不可分じゃ」
 「良かった。それなら怖くないわ」




 リツコが喜んで言う。




 「お爺さんありがとう。もういいわ」
 「そうかいお嬢ちゃん。それでは御両親の手相を拝見しようかな」
 「え、私達はいいですわ」
 「そうですね。僕たちは何があっても大丈夫ですから」
 「そうかの。では一つだけ。あなた達は近々劇的な運命の転換期になると人相にも出ておるぞ。うまく乗りきりなされ」
 「はっ、はい」




 コウイチが答える。




 「ありがとうございました。お代は……」
 「いや、お嬢さんの手相は実に勉強になる手相じゃった。お代はただじゃ。こちらから授業料を払いたいぐらいじゃ」
 「それでは悪いですわ」
 「いやなに、わしはこれでも生活には困ってないのでのう」
 「じゃこれあげる」




 リツコはそう言うとポケットから一掴みの飴を取り出し見台の上に置いた。




 「おう。これは美味しそうじゃな。これで十分じゃ」
 「やっぱりそれでは……」
 「年寄りの言う事は聞くもんじゃ。わしに払う分があったらこの子達におもちゃでも買ってあげなされ」
 「そうですか……ではそうします。シンイチ、りっちゃんお礼を言いなさい」




 ナオコとコウイチはリツコとシンイチを膝から降ろすと自分達も立ち上がる。




 「お爺さんありがとう」
 「ありがとう」




 リツコとシンイチはお辞儀をする。




 「ありがとうございました」
 「いやなに。それでは気をつけてな」
 「えっ?」
 「人生どんな時でも用心が肝心。特に幸せな時ほどですぞ」
 「はい」
 「それでは」
 「仲良くな、お嬢さん達」
 「「はぁ〜〜い」」




 ナオコ達は会釈をしてその場を立ち去って行った。




 「それにしても劇的な相の親子じゃの」












 「ナオコさん起きてます?」
 「ええ」




 夜もまだ早いが皆寝床に入っている。ナオコとコウイチに挟まれてリツコとシンイチは寝ている。ビーはリツコの懐に潜り込んで寝ている。リツコとシンイチとビーは騒ぎ過ぎた為ぐーすかと寝ている。




 「ちょっと散歩でもしませんか」
 「ええ、いいですわ」




 二人は子供達を起さない様に静かに布団を出る。子供達は大口を開けよだれを垂らしながら寝ている。ビーも猫のくせに気が付かない。
 二人は静かに着替える。二人はおそろいのジーンズパンツにシャツといういでたちで静かに部屋を出る。
 宿のフロントまで来ると丁度女将がいた。




 「お客様どうされました」
 「少し二人で散歩をしようかと……よく寝ているので起きないと思いますが子供達が起きたら散歩に出たと言えば大丈夫ですから。今日夜に散歩に出る事は知っています」
 「そうですか」
 「ではお願いしますわ」
 「かしこまりました」




 二人はより添って宿を出た。観光客がたむろしている縁日や繁華街は避けて山の遊歩道に行く。人は誰もいない。明かりはないが満月の為歩くのに苦労はしない。コウイチは元々夜目が聞く方だしナオコは魔導師の修行で夜目が利くようになっている。




 「コウイチさん」
 「なんですか」
 「月が奇麗ですね」
 「そうですね。……ナオコさんの方がずっと奇麗ですよ」
 「……恥ずかしいですわ」
 「ナオコさん」
 「はい」
 「そこのベンチに座りませんか」
 「はい」




 二人はベンチに座る。




 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「あのコウイチさん」
 「はい」
 「プロポーズしてくれるのですよね」
 「ええ、そのぉタイミングを計ってたんです」
 「そうですか……」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「…………」
 「ナオコさん!!!!」
 「きゃっ……はい!」




 いきなり大声を出すコウイチである。




 「僕と結婚してください」
 「…………」




 ナオコはじっとコウイチを見た。




 ぶちゅ




 ナオコの返事はとってもディープなキスだった。数分後二人は唇を離す。二人とも息が上がっている。




 「今のは承諾のキスですよね」
 「ハイ。もちろんですわ」
 「ありがとう」
 「こちらこそ」




 二人とも身を離して座り直す。少し二人でぼーっとする。




 「明日朝一で二人に報告しないと行けませんね、ナオコさん」
 「そうですね。あのナオコって呼んでくれません。……コウイチ」
 「あっ、はい。ナオコ」




 今度はコウイチがナオコを引き寄せキスをする。そのままベンチに倒れ込もうとした時だった。




 しゅ




 音を立ててナオコの背中に何かが打ち込まれた。麻酔弾だった。即効性らしくナオコはびくんと一回痙攣した後すぐに意識を失った。




 「ナオコ!!」




 そう叫んだコウイチの背中にも麻酔弾が打ち込まれ同じように意識を失った。












 コウイチは目を覚ました。初め自分がどういう状況にあるのか判らなかった。辺りは薄暗かった。目が慣れてくると洞窟内の広場らしき場所にいるのが判った。広場の真ん中には白い塊があった。もっと目が慣れてくる。




 「ぐがぁぅ!!!!」




 なぜか変な声が出た。広場の中央には複雑な模様が描いてありその中央には全裸のナオコが手かせ足かせで仰向けに張り付けられていた。まだ気を失っているようだ。
 コウイチはナオコの元に駆け寄ろうとした。少し走った後左手を引っ張られて仰向けにひっくりかえる。




 「ぐわ」




 また変な声が出た。頭を打った為一瞬意識が遠退きかける。が、どうにか我慢する。左手を見ると手錠がはめられその鎖の先は洞窟の岩の中に消えていた。コウイチはすぐに立ち上がると鎖を引くがびくともしない。




 「起きたようだな」




 洞窟の向こうから妙な格好をした男が現れた。




 「ごわぁ」
 「当分君達の声は元に戻らんよ。赤木家の使い魔を呼ばれると厄介なので薬を使ったから。と言っても君らに先はないがな」




 コウイチはその男に見覚えがあった。研究所の同僚の時田だった。




 「ぐぅぅぅわぁ」
 「暴れても無駄だよ。その鎖は人間には切れないからね。何で私がここにいるか知りたい様だね」
 「がぁ」
 「時田家は赤木家なんかと同じく魔導師の家系なんだよ。とは言ってもそちらは超一流こっちは三流だがね」
 「…………」




 コウイチは暴れるのをやめた。目を光らせて何か反撃のチャンスを捜している。




 「俺は魔導師としての野望はなかったんだが赤木ナオコがこちらの研究所に移ってきて考えを変えたよ。ナオコを俺のものにして赤木家の名声と資産をそっくり貰らおうとね」
 「……」
 「ところがよ、てめえが横からひょいとかっさらいやがってよ」




 時田の顔が歪む。




 「でよ、作戦を変えたんだ。てめえら二人には消えてもらって餓鬼どもをてなづけて全て貰らおうかってね」
 「……」
 「おしゃべりが過ぎたようだな。あんた達にただ死んでもらうのはもったいない。ナオコは魔物を召喚する餌にさせてもらう。あんたはそこで恋人が食われて死ぬのを眺めてな。おっとプロポーズはしてたようだな。嫁さんか。その後でその魔物にお前も食わしてやる。夫婦一緒とは俺も随分優しいな」
 「ぐわぁぁぁぁぁぁ」




 コウイチは再度暴れる。




 「うるさい」




 ばしゅ




 うがぁぁぁぁ




 「どうだい。対猛獣用の打ち出し式スタンガンの威力は。私は別にこういう物を使うのは恥じないよ。何せ三流魔導師だからね」




 コウイチは体の機能がほとんど麻痺し崩れ落ちた。ただ意識は失わない。どうにか顔だけをナオコの方に向ける。未だ高圧電気は止まらない。
 時田は懐から一本の畳針を出す。ナオコの脇腹に突き刺す。




 「がぁぁぁぁぁ」




 ナオコが一気に意識を取り戻した。体をよじり濁った声で悲鳴をあげ続ける。針を刺した部分からは血が流出して来た。




 「ここは痛みだけはすさまじいが出血は程よくてなかなか死なないんだよ。お仕置きだね。ちょっとうるさいな」




 時田はナオコの脇腹から畳針を引きぬく。ナオコはしばらく悲鳴をあげていたがやがて静かになる。ナオコは首を動かし周囲を見る。上から見上げている時田とまだスタンガンの高圧電気が体を掛け巡り地面で痙攣しているコウイチを見つける。




 「あぅ」




 声を出そうとしたがかすれた動物の鳴き声の様な声しかでない。コウイチを見詰めるナオコの瞳からはくやし涙が流れ出してきた。ナオコは時田の方を向くと歯をくい縛り睨み付ける。コウイチの方はやっとスタンガンの高圧電気は止まったがまだ体中が痙攣している。




 「さてとナオコさん。もうあんたはたっぷり鑑賞させてもらったよ。これからケルベロスを召喚する為あなたの血を利用させてもらう」




 時田は身を捻って避けようとするナオコの脇腹に畳針を突き刺す。前よりももっと痛いのか声も無くナオコは痙攣する。血も溢れ出てくる。
 コウイチは痙攣しながらもナオコに向かい這っていこうとする。手を突っ張りどうにか身を起す。立とうとするが足が震えて立てない。四つ足で前に進もうとする。
 一方時田はぶつぶつと何かを呟いていた。地面に溢れているナオコの血でナオコの白い腹に紋様を描いていく。脇腹から畳針を引きぬくとその腹の紋様の真ん中に突き刺す。一瞬悲鳴をナオコは上げたが静かになった。胸は動いているので生きている様ではある。痛みで体力を使い果したのかもしれない。




 その時空間が歪んできた。何の能力も無いコウイチにも感じられるような物だった。ナオコはどうにかして動いて逃げようとしたが固定されていて無駄であった。ナオコの側に出来た空間の歪みからは何とも言えない気配が伝わってきた。












 「何この気配は……」

 宿ではリツコが目を覚まし、ビーがじたばたしていた。

 「あれお母さんとお父さんは……シンちゃん起きて……」

 リツコとビーはシンイチを起しにかかった。












 「これだついに召喚に成功したぞ。ケルベロスだ……いや名前は判らない、とにかく魔物だ」




 時田が言った。空間の歪みからは少しずつ魔物が姿を表した。大きな犬だった。全長三メートルはあった。伝承とは違い首は一つだった。だがその瞳には鬼火が宿りこの世ならざる生き物である事を示していた。




 時田は魔犬に近付いた。だが……




 どん




 時田は魔犬のタックルをくらい跳ね飛ばされた。時田は頭から洞窟の岩の壁に激突した。




 ごき




 時田は首が変な方向に曲がり地面に落ちた。不思議そうな表情を浮かべ時田は息絶えた。時田の手におえる魔犬ではなかった。魔犬はすぐに時田に興味を失うとナオコの方を振返る。よだれを垂らしている。旨そうに思っているのだろう。




 「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」




 その光景を見てコウイチの麻痺が一気に解けた。立ち上がると左手の手錠を気にも止めずがむしゃらにナオコの方に進もうとする。




 ずる




 急に左手が自由になりコウイチはつんのめり倒れた。左手は酷い事になっていた。力任せに引いた為、親指や他の指の関節が外れ、手の甲の骨がばらばらになっていた。その為手錠から左手が外れたのだった。




 「うがぁぁぁぁぁぁ」




 コウイチは魔犬に突進した。思いきりタックルを食らわす。




 どん




 しかしコウイチも時田と同じように魔犬の首の一振りで跳ね飛ばされ洞窟の壁に背中から激突した。




 ぼき




 コウイチの背中から大きな音がした。背骨が折れた音だった。それ以外にも肋骨が数本折れ内臓に突き刺さった。コウイチは壁を背にして座り込むように地面に尻から落ちた。




 魔犬はナオコの腹の畳針をくわえて引きぬいた。ぺろぺろと血を舐め出す。味見だろう。臭い匂いのするよだれを垂らす。さすがのナオコも恐怖で呆けた様な表情になっていた。




 コウイチはまだ息があった。もうほとんど体は動かなかった。目も霞んできた。涙があふれてきた。また愛する妻を救えないのかと思った。とにかく助けたかった。迫り来る自分の死も忘れそう思った。ひたすらその為の力が欲しいと途切れかかった意識で思った。




 (力が欲しいか?)




 何者かがコウイチに話しかけた。




 (ああ)




 コウイチは心の中で呟いた。




 (それ以外全てを失ってもか?)
 (ああ。ナオコさえ助ける事が出来れば)




 コウイチは殆ど消えていた意識の底で呟いた。




 (では力とそれにふさわしい姿を与えよう。なんじが求める力を示せ)




 コウイチは日本最強の陸上生物の姿を頭に思い浮かべた。












 ナオコはまた別の気配が洞窟に生まれたのを感じ正気に戻った。初めてプチに会った時側にいた気配と似ていた。ナオコの父はその気配を先祖の霊や古代の神だと説明していた。その気配はコウイチが跳ね飛ばされた方から漂って来た。ナオコはその方を振り向く。そこには俯き表情が見えない血だらけのコウイチが座り込んでいた。




 「あぐ」




 ナオコは悲鳴をあげた。声はやはりほとんど出なかった。だがナオコはコウイチの姿が徐々に変わっていくのに気が付いた。体毛が伸びて来た。体が膨れ上がってきた。




 「あう」




 今度は魔犬がナオコの体を軽く噛み始めた。味見の続きだろう。噛まれる痛みに耐えナオコはコウイチを見続けた。




 コウイチの服は弾け飛んだ。口と鼻がせり出してくる。ますます体中を体毛が覆う。手足が短くなってくる。指も短くなり鋭い爪が生えてくる。そしてコウイチだったものは顔を上げた。




 がぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ




 それは立ち上がった。身長二メートル半はあるひぐまがそこに居た。ひぐまはものすごいダッシュで魔犬に体当たりをしていった。
 魔犬は気にしていなかった。魔犬は人間が地獄や魔界と勘違いしている世界で最強の部類に入る生き物だった。この世界の生き物など取るに足らないと感じていた。




 どこぉん




 凄い音がして魔犬はひぐまに跳ね飛ばされた。ただのひぐまだったら魔犬はびくともしなかっただろう。だがコウイチだったひぐまは彼自身も超自然の生き物となっていた。




 わぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん




 魔犬は吠えひぐまに飛びかかって来た。ひぐまは少し身をかがめ二本の前足で魔犬の首を捕まえると後ろに転がり後足で腹を蹴り魔犬を投げとばす。
 巴投げだった。姿は変わってもコウイチだった。ナオコは二匹の戦いを見続けていた。コウイチに手を貸せない悔しさで涙が止まらなかった。




 がぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ




 ひぐまが魔犬の背中から手を伸ばしベアハッグを掛けた。魔犬はじたばたするがひぐまは絶対離そうとはしなかった。












 「プチいそいで」




 森の中をリツコとシンイチを乗せプチが走っていた。




 「シンちゃんプチはお母さんの気配の方に走っているの。さっきまでは変な気配もそっちからしてたわ」
 「うん」




 大きくなっているプチの首輪にシンイチがしがみつき、シンイチにリツコがしがみつき、リツコのランドセルの中からビーが顔を出していた。




 「あっあそこに洞窟がある。きっとお母さんあそこだわ」




 リツコとシンイチは洞窟の前でプチから降りる。プチは小さくなる。ランドセルからライトを出すと洞窟に走って入って行った。




 「うわっ、くまだ」




 二人と二匹は洞窟の途中でひぐまに会った。ひぐまはまぶしそうにライトを見、そしてどことなく悲しそうな目でリツコ達を見た。しばらく後にひぐまは洞窟の端の方に身を寄せる。




 「あの熊さん道を譲ってくれてるみたい」
 「そうだね」




 二人は恐る恐る横を通り抜けた。プチが二人をガードしているかのように横に並んで通った。リツコ達はまた走り出した。ひぐまはしばらく後ろ姿を眺めていたがまたとぼとぼと外に向かって四つ足で歩き始めた。












 「「お母さん」」




 リツコとシンイチは洞窟の通路で全裸で血だらけになって這っているナオコを見つけた。両手両足には金属の環がはめられていた。その環に繋がっている鎖は鋭い何かで引きちぎられたような跡が在った。




 「うわわわぁん。お母さぁん」




 リツコが泣き出し走り寄る。ナオコはどうにか身を起す。リツコは抱きつく。




 「うぁぁぁぁん」




 シンイチは呆然としている。ナオコはリツコのランドセルを手で探ると一本の注射器を取り出した。それを自分の喉に突き刺す。




 「お母さん!!」




 リツコが目を剥く。ナオコは薬剤を打ち込む。数秒後に声を出す。




 「い゛ま゛くま……が……出ていったわね」




 徐々に声がまともになってくる。




 「うん」
 「でていったよ」




 リツコはナオコに抱きつき泣いている。シンイチは周囲を警戒している。




 「あれ……は……あの熊は……コウイチさんなの」
 「えっ……おとうさんなの?」
 「私を助ける為にあんな姿に変わってしまったの」




 シンイチは驚いた。一方ナオコはふらふらとしながらも立ち上がろうとする。リツコは抱きつくのをやめ肩を貸そうとする。シンイチも手伝う。リツコはランドセルから白衣を出す。ナオコはようやく立ち上がる。白衣を受け取ると身に着ける。たちまち血がしみてくる。出血の為か顔が青白い。




 「プチ……追いかけるわ。大きくなって私を乗せて」




 ナオコの言葉通りにすぐにプチは今までで一番大きくなった。ナオコは抱きつくようにまたがった。




 「あなた達はついてきてね」
 「はいお母さん」
 「うん」




 もう泣きやんでいるリツコとシンイチは返事をする。




 「じゃプチ追いかけて」




 プチは走り出した。シンイチとリツコも一生懸命ついていった。












 ひぐまは森の中を進んでいた。徐々にコウイチの意識は薄れていった。ナオコと一緒にずっと居たかった。ただあそこに居るうちナオコを食べたくなって来た。自分はどんどん熊になっているのだと思った。その場を立ち去った。途中でリツコとシンイチに会った。二人はコウイチを見て脅えていた。ただの熊に見えるのだと思った。道を退いてやった。二人は行ってしまった。ナオコは二人が手当をしてくれるだろうと思った。リツコとシンイチにも最後に会えた。もう何も思い残す事は無いと感じた。




 森で暮らそうと思った。二度と人間に会わぬ様、森の奥、山の奥で暮らそうと思った。ひぐまはなんとなく機嫌が良かった。もうナオコの事もリツコやシンイチの事も忘れていた。ただ満足感が体を包んでいた。少し腹が減っていたがそれも気にならなかった。のんびりと森の奥に進んでいった。












 「待って行ってはだめ」




 のんびりと歩いていたひぐまの横を白と黒の塊が通り過ぎた。黒い塊から白い塊が降りた。




 「コウイチさん行っては駄目」




 驚いたのか足を止めたひぐまの首にナオコはしがみついた。




 「熊でもいい、一緒にいて。お願い置いてかないで。お願い……」




 ナオコはしがみついて泣いた。




 ひぐまは何か変な生き物が首にしがみついていると思った。なんとなく尻を地面に着けて座った。美味しそうに思えた。丁度腹も空いていた。味見をしてみようと思った。しがみついているナオコを前足で引きはがすと音を出している穴の辺りを舐めてみた。




 ナオコはひぐまに顔を舐められても顔を背けなかった。もうコウイチは私の事を覚えていないと思った。コウイチに食べられようと思った。リツコとシンイチの事もちらりと頭をかすめたがあの子達はきっとたくましく生きると思った。もう愛する人にいなくなられるのは嫌だった。食べられて一緒になろうと思った。




 ひぐまは変な味がすると思った。もう一度舐めてみた。やはり変な味だった。ただどこか懐かしい味の様な気がした。もう一度ナオコの口の辺りを舐めた。何回も舐めた。この味は……の味だ。思い出して来た。ひぐまの意識に押し潰され無くなりかけていたコウイチの意識が徐々によみがえって来た。




 この味は……
 この味は…………
 この味は………………
 この味はナオコさんの……
 ナオコさんの……………………




 ナオコさんの……………………く……口紅の味だ……あの紫の口紅の味だ




 その瞬間ひぐまの意識は弾け飛びコウイチの意識がひぐまの体を覆った。ひぐまはナオコを舐めるのを止めた。舌を引っ込め口を閉じナオコの顔をじっと見た。




 ナオコはひぐまの雰囲気が変わったのに気が付いた。




 「コウイチさん……判るのね……私が判るのね。よかった。お願い。熊の姿でもいい。一緒にいて。お願いよ。一人にしないで。お願い。お願い…………」




 ナオコは涙で顔をぐしゃぐしゃにして何度も何度も繰り返した。ひぐまはまだナオコをじっと見ていた。やがて静かに首を横に振る。




 「なぜ、どうして、お願い、お願いよ、駄目なの、どうして……なら……なら私も熊になる。赤木家の人間は生涯に一度だけ姿を変えられる。後戻りは出来ないけどそういう力が有る。それを使うわ。一緒に熊になって付いていく」




 ひぐまは慌てて首を振る。絶対駄目だと言おうとしているようだ。




 「じゃ一緒にいて。お願い……お願いよぉ……」




 もう後は言葉にならなかった。ナオコは泣き続けた。




 ひぐまはじっとナオコを見ていた。やがて首を縦に振りナオコの涙で濡れた顔を舐め始めた。




 「コウイチさん…………うううううううう…………」




 ナオコはひぐまの手の中で泣き続けた。リツコとシンイチがやっと追い付いてやって来た。












 「あの後母さんが宿の方は必死にごまかして、時田の死体や魔犬の残骸は……完全に首がちぎれていたわ……研究所の方が始末したわ。で大月の研究所に皆で移動したのよ。母さんと私の発明を研究所に売ってその代わり皆で研究所内の社員用住宅に住んだの。あそこなら秘密は守られるし。義父さん警備熊として雇ってもらったわ。なんせケルベロスに勝ったのよ。この世で義父さんより強い存在は無かったから。ただ私とシンイチ急に転校になったわ。それも理由を言えないから苦労したし、いきなりだったから学校の皆と別れが辛かった」
 「…………いつ聞いても凄い話よね」




 ここは西田家の居間である。リツコはショットグラスにウィスキー、ミサトは缶ビールを手にくつろいでいた。シンイチは出張でいない。




 「母さんがMAGIを作ったのもE計画に協力したのも義父さんを元の姿に戻す為。ひぐまのままでも愛していたけどもう一度人間の姿を見たかったからよ」
 「ナオコさんって……。それでこれが家族写真な訳なのよね。やっぱ凄い話」
 「そうね」




 居間の小さな机の上には二つの写真立てがあった。一つはシンイチがショートカットの幼児を肩車しリツコと腕を組んでいる写真。一つは釣りズボンを履いた大きなひぐまが地面に腰を降ろし、首にナオコが後ろから抱きつき頬ずりし、子供のリツコとシンイチがひぐまの両膝に座っている写真だった。プチとパチとビーもいた。みんな笑っていた。ひぐまも微笑んでいるみたいだった。








        
つづく





NEXT
ver.-1.00 1999_01/01公開
ご意見・感想・誤字情報・らぶりぃりっちゃん情報などは lovely-ricchan@EVANGELION.NETまでお送り下さい!




 あとがき




 という事で……熊になっちゃいました。それでも赤木、西田家は仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし?

 さて次回は最終回。最終回は当然りっちゃんとシンちゃんの……




 次回は




 「あの子といっしょに」





 合言葉は「らぶりぃりっちゃん」





 ではまた




 まっこうさんの『気になるあの子』第九話、公開です。




 く、熊、、

 く、熊になった〜


 こうなるとは、
 こう行くとは、、

 びっくりで、驚きで、
 ぶっとびですぅっっっ



 体は熊で、心は元のままって、あぁっ、きつそう・・・
 いっそ、なら楽かもしれないけど、、

 ナオコさん、シンちゃんりっちゃんがいるからね。


 この3人がいるから−−

 この3人なら、元に戻せるよね。
 耐えられるよね。


 がんばれ〜




 さあ、訪問者のみなさん。
 1999年初日スタートしたまっこうさんに感想&年賀メールを送りましょう!




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