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singles




Written by だいてん


  7  


「えー! アスカ妊娠したの!?」
 子供ができたことを知らせると、ヒカリは嬉しそうに大声を上げ
た。
「そうなの。それで、病院の帰りってわけ」
 木曜日。アスカは午前中の仕事を終えると、午後は病院へ行って
いた。体の丈夫さには自信があったが、なにぶん初めてのこと。こ
れからドイツへ行くために、一応の検査をしてきたのだった。
 そのあとの空いた時間、アスカは鈴原家を訪ねていた。
「へー。おめでとう! 良かったじゃないの。ねね、で、いつにす
るの?」
「なにを?」
「結婚よ。結婚。入籍はもうしたの? 式は?」
「まだ話し合っていないの。そういうこと」
「そっか、突然だものね」
 手際よくお茶やお菓子を用意してくれるヒカリを頬杖をついて眺
めながら、アスカはバタークッキーをかじった。
「ごめんね、ヒカリ。急に来ちゃって」
「いいのよ。小学校、夏休みで結構暇だから。いつでも来て」
「ありがと」
 紅茶を入れると、ヒカリも椅子に座った。
「でも、めずらしいね。仕事忙しいって言っていたのに」
「あさってから、ドイツに行くの。それで今日はその準備とかでね」
「ふーん、いろいろと忙しいのね。大丈夫なの?」
「なにが?」
「体とか……碇君とか」
 アスカは紅茶に砂糖を入れて、スプーンでかき混ぜた。
「体の方は大丈夫だし、シンジとは、帰ってから話し合うことにし
たから」
「のんびりしてると、すぐ時間たっちゃうわよ」
「うん。わかってる」
「話し始めると、いっぱい問題が出てくるんだから」
「ヒカリたちはどうだったの?」
 アスカが身を乗り出すと、ヒカリは持っていたティーカップを置
いてテーブルの上で手を組んだ。
「あたしたちの時かぁ。いろいろあったわよ。仕事のこととか。住
むところとか」
「大変だった?」
「結構ね。でも、つくろうと思ってできたわけだから、そんなに慌
てなかったな。それに嬉しかったから、大変だとか、あんまり思わ
なかったわよ。あの人も、すごく喜んでくれたし、真面目に考えて
くれたから」
「鈴原がねぇ……」
 アスカは昔のトウジを思い浮かべながら眉間にしわを寄せた。
「なによ」
 ヒカリは心外だとばかりにアスカの額を突っついた。
「いたっ。なによー」
「人の亭主を悪く言うからよ」
「悪くなんか言っていないでしょう」
「言った! 鈴原がねぇ……って」
「だって、あの、がさつな熱血バカが」
「ほら言ってるじゃない!」
 アスカは慌てて口を押さえた。こみ上げてくる笑いを抑えながら
ヒカリに抗弁を試みる。
「しょうがないでしょう。あいつから想像できないんだもん」
「そりゃぁ、確かに普段はがさつなところもあるけど、でも、でも
本当は……」
 ヒカリはあごを引いて顔を背けた。アスカはなにを言うのかとの
ぞき込んだ。
「本当は?」
「……本当は、優しいんだから」
 はにかむヒカリを前にしばらく固まったあと、アスカは椅子にも
たれかかって「はいはい」と流した。
「そっちはどうなのよ」
 ヒカリは顔を起こした。
「なにが?」
「碇君よ」
「ああ、シンジね」
 アスカは口ごもった。
「碇君、優しいから、大事にしてくれるんじゃない?」
「優しいっていうか、いまいち頼りないのよね」
「それはアスカがしっかりしすぎなのよ」
「そうかな」
「そう。女は男を頼りにしないと。その方がバランスがいいもの」
「バランスね」
 確かに、いつもリードするのはアスカの方だった。しかし、今ま
でずっとそうだったし、それでバランスが悪いと感じたことはない。
「そ。バランス。女は男を頼って、男は女を守る。一番自然な形よ」
「そんなものかなぁ」
 アスカはふと先のことを想像してしまった。自分がシンジに寄り
かかり、すべてをゆだねてしまうところを。
 なんか、違う。
 ふと覚えた違和感に、アスカは顔をしかめた。
「で、碇君。なんて言ってるの?」
 ヒカリはどうしても聞きたいらしかった。
「うん」
 アスカは気のない声を上げた。
「まさか、……反対されたの? 子供」
「ううん。喜んでくれた。あたしのおなかの中に子供がいること、
嬉しいんだ、って言ってくれた」
「なんだ。じゃあ、安心じゃない」
「けどね」アスカはすっかり冷えてしまった紅茶をかき混ぜながら
つぶやいた。「けどね、嘘なの。それ」
「え?」
「シンジ、嘘ついてる。あたしにはわかるの」
「アスカ……」
「……でも、いいの。あたしはそれでも」
 手も止まり、ぼんやりと固まってしまったアスカの口から、もう
一度だけ小さな言葉がもれた。「いいの」と。

* * * * * * * * * * * * * * * *

 土曜日。
 元気いっぱいに成長した入道雲が彼方の空に見える午後。
 シンジは石段を登る足を止め、手をかざしてアスカが飛んでいっ
た空を見上げた。
 飛行場での別れは簡単なものだった。飛行機の時間が来て、デー
トの別れ際のような言葉を交わして、それだけだった。
 出張は一週間。今までだってそれぐらい会えないことはよくあっ
たから、アスカも特に気にはしていないのだろうと、シンジは思っ
ていた。
 シンジは長い石段を登り終わると額に浮かんだ汗をぬぐい、整然
と並ぶ墓石の間を歩き出した。
 空の頂から落ちてくる夏の光に芝生や木々の葉が青く浮き立ち、
白い墓碑はより白く輝く。
 シンジは周りを見ながらゆっくりと歩いていたが、ふと立ち止まっ
て、向き直った。
 そこにはあめかぜにさらされ、だいぶ汚れた墓碑があった。
 シンジは何か言おうと口を開いたものの、何も言えずに視線を落
とした。手に持っていたわずかな花束に気づくと、立ったまま墓前
に供え、所在なくズボンのポケットに手を突っ込んだ。
 言葉も見つからずただ立つだけのシンジだったが、しばらくして
ようやくかすれた声を出すことが出来た。
「……子供が出来たんだ。父さん」
 シンジは、碑に刻み込まれた「IKARI GENDOU」の文字をじっと見
つめた。
「今日、来る気はなかった。これからも、来ないつもりだった。で
も、どうしても聞きたいことがあって」迷い迷い言葉を選びながら
シンジはつぶやいた。「……僕が母さんとの間に出来たって分かっ
たとき、父さん、嬉しかった?」
 言ってしまったその言葉を自分で聞いて、シンジは首を傾げた。
「そんなわけないよね。僕は父さんにとっていらない存在だったん
だから。……僕はさ……僕も、嬉しくないんだ」
 一度口にしてしまうと、胸に秘めていた想いは止まらなかった。
「アスカに言われて、最初はびっくりして、そのあと怖くなったん
だ。だって、そうでしょう。この僕が、父親になんてなれるわけが
ないんだよ。この僕が……。どうしたらいいのかわからなくてアス
カには嘘をついたけど、でも、……でも、アスカがしばらくいなく
なるって聞いて、ホッとしたんだ。逃げられないってことはわかっ
ているのに、いるつもりなのに、僕は逃げたがってる。僕は、どう
したらいいんだろう。ねえ、父さん、教えてよ」
 シンジは返ってくるはずのない答えを求めて、なおも重ねた。
「僕はアスカが好きだ。大事にしたいし、傷つけたくない。でも、
子供は嫌だ。嫌なんだよ。……どうしたらいいの? 教えてよ、父
さん。……教えてよ」
 父が生きていたらいったい何と答えただろう。答えてくれただろ
うか。シンジはそう思った。そして、ほとんど記憶にはないが、母
ならばどう答えてくれただろうか、とも。
 太陽が音もなくシンジの白い首筋を焼き続ける。ひとしきりの告
白は青い空に吸い込まれて消えていった。
 もうその場所にいる理由もなくなり、シンジは帰ろうとして、人
の気配に気づいた。
 墓地は広いが人は見当たらず見通しもよい。足音が遠くに聞こえ、
細身のその姿が光の中に紛れて見えた。
 立っているだけで汗が額から流れ落ちる夏の午後、そこだけ涼や
かな風が吹いているかのように彼女の肌は清らかで白い。はかない
ほど細い肢体にシンジは目を奪われ、陽炎で揺れる足元がこちらへ
向かって動き出すのを見て息を飲んだ。
 シンジは帰ろうとした。ここはお墓。墓参りに人が来るのは当然
のこと。しかし不意な胸の高まりに足は動かなかった。その女性を
見た瞬間、一瞬、どきりとある一人の人物を思い浮かべてしまった
のだ。
「綾波……」
 その声が聞こえたのか否か、彼女は足を止めた。かつての級友の
顔を見やったかと思うと興味なさそうに目を背け、シンジの脇をす
り抜けて墓前にかがみ込んだ。
「なにしに来たの」
 背を向けたまま、彼女は、綾波レイはつぶやいた。シンジの耳に
残るかつての声そのままに。
「……墓参り。綾波も覚えていたんだ。父さんの命日」
「掃除に来ただけよ」
 レイは手にしたハンカチで汚れた墓碑を拭き始めた。
「ひょっとして、毎年?」
「ええ」
「……ご、ごめん」
「どうして謝るの?」
「初めて来たんだ。ここに。父さんに話したいことがあって」
「そう」
 シンジは不思議な気分でレイのやせた背中を見つめた。長い間会っ
ていなかったというのに、そんな気がしない。
 拾い集めた枯れ草を無造作に捨てながらレイは立ち上がった。
「じゃ、さようなら」
 レイは手についた埃を払い、シンジの顔を見ようともせずに立ち
去ろうとした。シンジは慌てて声をかけた。
「ちょっと待ってよ」
 レイは止まらない。
 シンジは思わず駆け出していた。



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ver.-1.00 1998+01/07公開
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 だいてんさんの『singles』7.公開です。
 

 

 シンジは子供を持つことが怖いんですね・・・

 自身の子供時代に
 親に愛されなかった、
 親に愛されていないと感じた、

 付いて回っていますね、辛いです。
 

 

 アスカの留守に出会ったレイ。

 おおお、
 どうなるんだろう〜
 

 父の墓の前での再開。
 昔の空気を身にまとった女性。
 恋人は留守。
 心理は不安定。
 

 し、シンジ〜、ま、まさか〜

 ますます目が離せなくなってきました!  

 

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