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竜 騎 兵

Mission 2

His Sin, Her Injury.


 

 

少年は走っていた。

白い――他の何物にも例えようのない色――白い廊下を走る。

不思議と疲れは感じなかった。

感じるのは――焦燥感。

何にそれを感じているのかすら、もはやわからない。

ただ、少年にわかっトいること――それは、自分が走っているということ。

走る。

走る。

走る。

まるで、それこそが自分の存在意義だとでもいうように。

白い廊下には、なにもなく、誰もいなかった。

ただ、少年の走る音だけが無情に響き渡る。

「――――!」

誰かの名前を呼んだのがわかる。

いや、それはそのとき唐突に呼ばれたものではなく、走りながらずっと繰り返してきた記号。

「――――! ――――! ――――!」

わからない。

自分は誰を呼んでいるのだろう?

親しい者であったような気がする。

愛しい者であったような気がする。

わからない。なにもわからない。

少年は――ただ、走るだけ。

やがて、白い廊下は唐突に終わりを告げる。

廊下の突き当たりには、淡い光すら放っているような、これもまた白い扉。

少年は迷わなかった。

その扉を開ける。

そして――硬直する。

自分の時間が止まってしまったような気すらする。

「――――……!」

喉からは、同じ名前しか出てこない。

彼は、唐突に、自分が誰を呼んでいるのか理解した。

「レ……イ……」

ふたつの赤い瞳が、彼をとらえていた…………

 

 

「!!」

ばっ! とベッドから跳ね起きる。

上体を起こしてから、自分の起こした行動を知った。

まだ、息が荒い。彼は汗でべっとりと体に張り付いた、寝間着代わりに愛用しているTシャツを乱暴に脱ぎ捨て、枕元の目覚まし時計をつかむ。

それを見ているはずなのに、そこに書いてある事実が脳に届くまで少し時間がかかる。まだ自分が寝ぼけていることに気づくと、いらだたしげに時計を投げ捨てた。投げ捨てる間際に見えた、『5:25』という数字だけがちかちかと頭の中で点滅する。

「くそっ……!」

八つ当たり気味に頭を振り回すようにして、自分の部屋――コンフォートマンションの一室を眺め回す。

白を基調とした趣味のよい壁紙につつまれた決して狭くはないその部屋には、亡き母が残したすべての家具が、計算し尽くされたように完璧な調和を保っている。調和を乱しているのは後から彼が持ち込んだものだけ――その事実も、余計に彼をいらだたせた。

額から流れ落ちる汗を握り拳で思い切り払うと、シンジは布団をはねおけ、まだはっきりしない足取りでバスルームへと向かう。

体を灼くような熱湯と、心まで切り裂くような冷水を交互に浴びる。

それを何回か繰り返した後、シャワーから流れるお湯を適温に設定して、しばしそれに打たれる。やや温度を低めにしたお湯に打たれるうちに、彼はようやく平常心を取り戻していた。

「……久しぶりに……見ちゃったな……」

昔の夢。

あれからもう――7年になる。シンジはその事実に自分ですこし驚いた。

レイは、幼くして両親を亡くし、シンジの両親の元に引き取られていた。シンジの両親はレイを自分たちの娘のように可愛がった。ただ、決して二人を分け隔て無く可愛がったとは言えないような気がする――特に父親のゲンドウに関しては。はっきり言って、レイはシンジよりも可愛がられていた。別にシンジもそれでひねたりすることは無かったが、今考えるともしかしたらあの二人は本当は娘が欲しかったのではないか、などと勘ぐってしまう――おそらく真実だろうが。

そのレイが、原因不明の高熱で倒れたと知ったのは、当時欠かさずに通っていた少年野球の練習から帰ってきた時だった。母親の口からその事実を聞いた瞬間、荷物をすべて放り出し、母親の制止の声も無視してユニフォームのまま病院まで駆けていったことを覚えている。

――だが、シンジが駆け付けても、レイはそれすらも分からない状態だった。艶やかな黒髪を揺らしながら苦悶にその端正な顔を歪めるレイを見たとき、シンジは自分の中で何かが音もなく崩れていくような錯覚に襲われた。ずっと付き添っていたらしい父の手が、やけに暖かく感じられた。

シンジは、ずっとレイに付いていた。時折思い出したように苦悶に顔を歪めても、決して意志を取り戻さない少女の横に。少年は、ただひたすらレイの手を握っていた。それ以外に何もできない自分が情けなかった。憎かった。

――七日目の晩、彼は見てしまった。

ともすればつながって永遠に離れなくなってしまいそうな瞼を無理矢理にこじ開けた瞬間だった。レイの鮮やかな黒髪から、ゆっくりと――色が抜け落ちていったのだ。シンジは魅入られたようにその『変化』に見入っていた。自分の半身とでもいうべき少女が、何か異質な物に変わっていくのを感じた。

そして、変化が完全に終わり――レイの髪が完全な空色に染まった直後――彼女は目を覚ました。ゆっくりと開かれた瞼の下から現れた血の色がシンジを射抜く。

――気が付いた時、シンジは駆け出していた。ただ、ひたすらに走った。どこでもいい。レイのいないところに行きたかった。怖い――初めて感じた、心の底からの、体中の細胞が一斉に震え出すような絶対的な恐怖。

ただ、逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた逃げた――――――――――――――――――――――――!!!

 

 

うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

彼は絶叫した。

自分の胸をかきむしって、心臓を取り出してしまいたいような衝動に駆られる。その代わりとでもいうようにシンジは、バスルームのタイルが張り巡らされた壁を半狂乱になって殴りつけた。過去を打ち砕くように、悪夢から必死に逃れようとするかのように何度も、何度も堅く握った拳を打ち付ける――ふと、激痛を覚え、絶叫の後半は悲鳴へと変わった。見ると、殴りつけた拳の皮がむけ、血がただれている。

しばしそれを湯にさらしてから、シャワーの栓をひねる。力無く、夢遊病者のように虚ろな眼窩で、シンジはバスルームから出た。そこにかけてあったバスタオルで体の湯を拭き取り、乱暴に投げ捨てる。

そのまま、下着すら着けずにしばしたたずむ。

「そうだ……僕は……逃げ出したんだ。レイから……彼女から……」

頭を抱え、力無く横に振る。

「僕は……彼女を……」

うなだれながら、シンジはようやく心を落ち着かせていた。久しぶりに見た昔の夢のせいで、感情が高ぶりすぎてしまったのかも知れない。 

――そうだ。悪夢のせいで平常心を失っているだけなのだ。なのに――

(――なんだ? この焦燥感……)

「いや、違う」

はっきりと声に出して、自分の思考を否定する。

(これは……)

「喪失……感……?」

それは、唐突に浮かんだ言葉だった。だが、一度音声として発せられると、これほどぴったりな言葉はないように思える。そして、そんな体験は、彼にとって決して初めてではなかった。

(そうだ……前に――最後に感じたのは……)

力無くかぶりをふる。思い出すまでもないことなのだ。忘れようとしても、石碑に刻まれた名前のように頭の中に残る記憶。

(父さんが――死ぬ三日前……)

戦死の知らせが届いたのはそれからさらに一週間後のことだったが。

戦車部隊から、ドラグーンの発明と同時にドラグーン乗りとなった父。そんな父が戦死したという知らせが届いたのは三年前――シンジが14歳のころだった。

至近距離から大型砲台の直撃を喰らった父のドラグーンは、ほとんど原形を留めぬほどに粉砕され、遺体の回収すらできなかったという。その事実を涙ながらに知らせに来たのは、父の部下――当時まだ三尉の加持リョウジだった。

……そして、もともと体の強い方ではなかった母も、父の後を追うようにシンジの15の誕生日に帰らぬ人となった。

それからシンジは、ずっと最後の『同居人』と共に暮らしてきたのだ。

ふと、彼の耳に規則的な音が聞こえる。裸足でフローリングの床を歩くようなぺたぺたとした音――言わずもがな、裸足でフローリングの床を歩いたために発せられた音だろうが。

同居人が目覚めたらしい。その音を黙って聞きながらシンジが考えたのは、どうやってこの怪我の言い訳をしようかということだった。

とりあえず自分が全裸であることに気づいたので、バスルームにおいてある小さな棚から乱暴に自分の服を取り出して、身につける。足音はドアの前で止まっている。入ろうかどうか躊躇しているのだろう。ドアの向こうに気配を感じながら、シンジはゆっくりとドアを開けた。

――この時シンジが迂闊だったのは、相手が部屋の中にいるときに普通、人がとる行為というものを、完全に失念していたことだった。歴史的な事例に基づいてドアを叩こうとして同居人は右腕を振り上げ――それがまず感じたのは、木製のドアの堅い感触ではなく、もっと柔らかい――例えて言うなら人の顔面に拳を叩き込んだような、そんな感触だった。

そして――なぜかやたらと力の入っていたその拳で悲鳴もなく床に沈んでいくシンジを、レイはまだ事態をいまいち把握していない表情で見つめていた……

 

 

 

 

息が、詰まる。

油と鉄の臭い。巻き散る火花。夜の色に変色した鉄板。操り人形のように天蓋からの糸により持ち上げられる鋼の腕。

おおむねそんな物に囲まれて、加持は立っていた。

長い黒髪を後ろで束ね、顎には手入れの悪い芝生のように無精ひげがぽつぽつと見える。常に一定の長さに保たれているところを見ると、この無精ひげも彼なりのファッションなのかも知れない。もしそうなら、趣味が悪いとしかいいようがないが。

慌てて仕事を中断し、敬礼を送ってくる整備士に軽く手を振ってやる。持ち上げた右手の持って行き場に少し迷い、結局羽織っている革ジャンのポケットに突っ込む。余った左手で口にくわえていたタバコをつかみ、白い煙を口から吐き出した。

と、彼の横からの、自他共に認める健康第一主義の女性整備士の非難がましい視線に気づき、弁解するように薄ら笑いを浮かべながらタバコをもみ消す。消しゴムのかすほども役に立たない火の消えたタバコをどうするか迷い、目立たないようにそっと近くに置いてあったドラグーンの右レッグの陰に捨てた――先ほどの女性整備士には気づかれているようだったが。

そこはかとなく視線を逸らし、口笛など吹きながら自分の目的地へと少し足を早める。足に引っかかった鉄板を思い切り蹴飛ばしたら、思いのほか音が大きく響き、思わず身をすくめた。そっと後ろを振り向くと、そのショートカットの女性整備士の視線はさらに冷たくなっていた。

顔に薄ら笑いを張り付けたまま仕草だけで謝る。その女性はそれでも10秒ほどこちらを睨んでいたが、やがて小さなため息と共に自分の仕事に戻る。

加持は心の中でそっと安堵の息を付き、目的地へと向かう足取りをさらに早くする。視界を通り過ぎていく無数のドラグーンを特に意識もせず、彼は記憶の糸を検索していた。

(たしか……伊吹とかいったっけか……)

「潔癖性とはぞっとしないねぇ」

誰にも聞こえないように口の中でそっとつぶやいた。

 

 

よお、おやじさん。どうだい、俺の可愛い『イーストステア』の調子は?」

おやじさんと呼ばれたその男は、何やら座り込んでやっかいな作業に取り組んでいた。彼が整備しているのは、漆黒のボディに金色の蛇が巻き付いたような塗装が施され、胸の部分に白く筆で描かれたような字で『東』と大きく書かれているドラグーンである。昔アメリカで傭兵をしていた頃に、「なるべく派手な方がいい」という戦友の進言によってデザインされた加持の愛機である。彼は仕事の手も休めずに、その口元の端に笑みを浮かべながらこちらに歩いてくる男に一瞥を投げかけた。

年の頃は――実際、よく分からない。ぱっと見は老人にも見えるが、20代だと言われればうなずいたかもしれない。見事にはげ上がった頭と、顔の下半分を覆う分厚い口ひげ。さらに牛乳瓶の瓶底のような、両目を完全に隠してしまう眼鏡がとどめをさしていた。

その男は、やおら立ち上がるとTシャツと作業用のズボンという軽装で、手にスパナを持ったままつかつかと加持に歩み寄る。なんとはなしにいやな予感を感じた加持は、牽制するように両手の平をおやじさん――本名を知ってる者もいないらしい――に向けて後ずさったが、

ごんっ。

「だぁぁっ!!」

無造作に脳天にスパナを振り下ろされ、思わず頭を抱えてそこにうずくまる。おやじさんは腕を組んで、口をへの字に曲げながら加持を見下ろし――とはいっても、そのありすぎる身長差から加持がしゃがんでも目線の高さはあまり変わらないのだが――、尊大な口調で言った。

「ぬぁーにが可愛い『イストレスタラ』の調子は? じゃ、この大馬鹿モンがぁっ!」

唾をまき散らしながら加持の言ったことをそのまま――というには少々不満がないこともないが――繰り返す。

「いや、『イストレスタラ』じゃなくて『イーストステア』…………」

「やかましいっ!」

加持の反論を完全無欠に一蹴し、続ける。

「全く最近の若いモンはなにかっちゃあ横文字を使いたがる。嘆かわしいことじゃ……まあ、そんなことはどうでもいいわい。とにかく! わしが言いたいのはじゃなぁ! 貴様はもう少し――いや、もうかなり、ドラグーンを大事に扱えんのかいっ!」

と、スパナを持った右手を横に大きく振る。加持は一瞬身をすくめたが、それは攻撃のためではなく横に置いてあるドラグーンを指し示すためだったらしい。

「い、いやあ、ほら、だからさ、高名なおやじさんの手を借りてるわけじゃない。ね?」

揉み手などしつつ、やや体を斜めにしてのぞき込むように笑いかける。はっきりいって不気味な仕草ではある。

おやじさんはスパナを振り上げかけたが――ひとつため息を付いてそれをまたおろす。再びドラグーンの下に潜り込みながら、

「ドラグーンの反応速度限界ラインで戦い続けるなんて無茶なことできるのは、この世界でもお前さんぐらいのもんだろうよ。まったく……レッグやアームの電子パーツを必ずみっつは駄目にしてきおって……」

ぶつぶつと続ける。

加持はその言葉を右から左へ聞き流しながら、辺りを見回した。特に意味はない。ただ、可愛い子はいないかな、と思った程度の物だ。だが、横にスクロールしていく視界の中に、見知った物が引っかかる。加持は彼特有のいたずらっぽい微笑みを浮かべ、その人影に合図した。

人影は最初からこちらを目指して歩いてきたようで、加持の合図にとくに気づいた様子もない――気づいてないわけはないのだろうが。

「よお、葛城。どうしたんだ? こんなところに」

加持の声に、ミサトは一つうなずいた。いつもの制服姿に、小脇にファイルを抱えている。

「あなたに用があったのよ。知らせることがあるから」

「知らせること?」

オウム返しに尋ねた加持に、ミサトは人差し指と中指を上につきだして見せた。

「とりあえずいいニュースと悪いニュースが一つずつ……どっちから聞く?」

「……悪い方から聞こうか」

顎の無精ひげをなでつけながら、加持。

ミサトは一つため息を付いてみせると、

「第二東京が占拠されたわ……迂闊だった。奴らのねらいはここじゃなくて向こうだったのね」

「第三新東京市への襲撃は陽動だったというわけか……うちの諜報部もあてにならねえなぁ……で、いいニュースの方は?」

彼女は脇に抱えていたファイルを見せつけるように頭の高さでふってみせ、

「あなたが前から言ってた人員の補充、認められたわよ。今度ドイツから戦力融資を受けるんだけど、そのときにこちらに人員を二人ほど割いてくれるって」

「ドラグーン乗り?」

「一人はね。もう一人は……」

と、にんまりと手品の種明かしをする子供のような顔で笑う。

「自分の目で確かめてみなさい」

そう手渡されたファイルを、訝しげに思いながら開く。そして――

「うそっ!?」

彼は思わず声を上げていた。こちらに視線を集中させた整備士たちに愛想笑いを振りまくと、ミサトに小声で問いかける。

「……間違いないんだろうな」

それをまねるようにやはり小声で答えるミサト。

「ええ。これを機会に帰ってくるらしいわ。まだ連絡は取れないんだけど」

「そうか……それじゃあ、また三人でつるめるな」

そう言って、ファイルを持ったまま両手で腕を組み、ドラグーンの収納スペースを考えても不必要に高い天井を見上げる。

その瞳は、再会の喜びに湖面のように輝いていた……

 

 

 

 

「痛たたた……」

「……ごめんなさい……」

不自然に赤くなった顔面をさすってうめくシンジに、レイは首根っこをつかまれた子猫のような表情で、素直に謝った。

顔をさするシンジの手には、包帯が巻かれている。レイには風呂場で転んだと言ったが――信じてはいないだろう。実際、自分でも無茶な言い訳だとは思う。ただ、彼は言い訳を考えるのが下手なのだ――というよりは、むしろ嘘をつくことが下手なのだろう。

シンジは無理に笑顔を作ってみせると――それは部分的に赤い顔面をより滑稽に見せただけだったが――彼女の方に手のひらを向けて、

「いや……僕が不用意だったんだし……そんな綾波が謝るようなことじゃ……」

「でも……」

と、シンジの頭を両側から挟み込むようにしてつかむ。そのままレイの顔が不自然な距離にまで近づいてくることに気づき、シンジは思わず頬を染め――

「やっぱり赤いわよ……」

レイの顔はシンジと額がくっつくかどうかという地点で止まり、しげしげと人の拳の形に赤くなったシンジの顔を覗き込む。

シンジはその距離にどぎまぎしながらも、なんとなく視線を下ろしていき――硬直した。

レイが着ているのは、前でボタンを止めるタイプの薄手のパジャマである。季節は冬だが、空調によって一年中一定の温度に保たれているこの部屋ではこの格好でも十分なのだ。さらに、そのパジャマのボタンは上が二つほど外されていた。まだ言うなら、ベッドに座っているシンジに対し、立っていた彼女はちょうど腰から体を90度曲げるような形でシンジの顔を覗き込んでいた。

つまり――

「あ、あああああ綾波……」

声が震えて言葉にならない。レイは顔の距離はそのままに、なぜか顔を真っ赤に――殴られた部分だけでなく――染めているシンジの視線をたどり――二人の視線が交差する。

「――――!!」

声にならない悲鳴を上げ――次の瞬間には胸元を押さえてばっと飛び退いた。

「い、いや、だから、その……別に見ようと思って見たわけじゃ……」

許しを乞うように両手の平をレイに向けて弁解する――それでも彼女は顔を真っ赤にして険悪な視線で睨み付けてきたが。

「だ、だから、これは不可抗力というか偶然というか不慮の事故というか……」

「……見たの?」

顔を真っ赤にして必死に言い訳する――今更下手だの何だのと言ってはいられない――シンジに、レイは一言だけ――だが、かなり意味の重い一言を投げかけた。

「え……えと……えー……その……」

なんとかこの場から逃れられないかと、意味のない言葉を発しながら天井に視線を回す――結局それが部屋を一周しても、彼の頭がこの状況に対する打開案を打ち出すことはできなかったが。

彼にしてみれば、本当に見ようと思って見たわけではないのだ。ただ、視線がそれを見つけてしまったのだから仕方がない。

(そうだよ……だいたい、あんな無防備な格好をする綾波が悪いんじゃないか……)

ただ、シンジが彼女の胸の谷間を凝視してしまったという事実がある以上、彼としては何かを――何かを言わなくてはならなかった。

(だから……綾波の『見た』っていうのはどれぐらいまでをさすんだろう……)

そんなことを疑問に思ったが、本人に確かめるわけにもいかない。

「えーと……」

視線をさらに回しながらちらとレイの顔を盗み見るが、彼女は自分が何か言うまで待ち続けるつもりらしい。彼は胸中でそっと嘆息し――

――トゥルルルルル トゥルルルルル

唐突に、なんの前触れもなく――そういうものなのだろうが――電話のベルが鳴る。

「あ、綾波……電話だよ……」

…………

レイはこちらから視線を外さない。

シンジはとりあえずカニ歩きで電話に向かい――レイの視線にはそらすことを許さない意志が感じられた――彼女の方を向いたまま電話を取る。

「はい、碇です……ミサトさん? え!? 今すぐですか? ドイツから?……もう下にいるぅ!?」

受話器を持ったまま――コードレスなのだ――ベランダに駆け寄るシンジ。そこから身を乗り出すようにして下を見下ろすと、見覚えのある赤いスポーツカーに寄りかかったミサトがこちらを見上げて手を振ってきた。

「わ、わかりました!」

受話器に向かって言ったのか、外の彼女に向けて言ったのか――あるいはその両方か。とにかく、シンジは慌ててレイに駆け寄る。

「綾波! ミサトさんが、ドイツから新規隊員が来るからすぐに着替えて降りて来いって!」

「…………」

レイはそれでもシンジを睨み付けていたが、やがてふぅとため息をつくと、自分の部屋に着替えるために入っていった。

「…………」

一方、シンジはすれ違いざまに彼女がささやいた言葉を頭の中で反復して、重いため息をついていた。

――「この続きは帰ってからするわ」……

 

 


つづく
ver.-1.10 1997-12/04 修正
ver.-1.00 1997-11/04 公開
ご意見・ご感想・誤字情報などは gyaburiel@anet.ne.jpまで。

皆さま、お初にお目にかかります。ぎゃぶりえるの友人のみきゃえるともうします。
ぎゃぶりえるがぱわーどに変身した副作用で寝込んでおりますので、僭越ながらこの私が後書き代行をつとめさせていただきます(ぺこり)。
この『竜騎兵』も第2話でございます。次の話でようやく『彼女』がでてくると言うので、ぎゃぶりえるも一人で喜んでおりました。
『LRSなのか?』というメールも頂いたようですが、それは今のところ本人にも分からないそうです。
なにはともあれ、本人はシリアスな話にしていきたいようですので、見捨てずに温かい目で見守ってあげてくださいませ。
――あ、そうそう。ぎゃぶりえるからの伝言を言付かっておりました。
『俺は必ず帰ってくるぞぉぉ! 次はネルフ村だ! この程度げぶふぅっ!!(ばたっ)』
だそうです(にっこり)。
それでは、皆さま、ごきげんよう。


 ぎゃぶりえるさんの
   ・・・ぎゃぶりえるさんですよね?(^^;

 『竜 騎 兵』Mission 2 、公開です。
 

 いやー、いいですねぇ(^^)
 

 ギャグギャグの『ネルフ村』と打って変わっての
 シリアス調!
 

 細かな仕草、
 軽い一言、
 何気ない描写。

 ギャグっぽい場面でさえ
 不思議な緊張感がありますよね。

 

 

 レイへのシンジのこだわり・思い・トラウマ。

 次回登場するであろう補充パイロット・・・。

 ますます楽しみになってきました。

 

 

 さあ、訪問者の皆さん。
 今こそメールを出すときです!
 ぎゃぶりえるさんをLASに引き留めましょう!(^^;


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