【 TOP 】 / 【 めぞん 】 / [ぎゃぶりえる]の部屋に戻る / NEXT
夢を見ていた。
昔の、思い出せないくらい昔の夢だ。
彼女は高い石柱の上に立って、そこからの景色を満喫していた。高い、とはいっても子供の目から見た話だが、それでも3メートルは優にあったその石柱の上からの視点はまるでこの世界の支配者になったかのような甘い錯覚を幼い彼女に与えた。
村の外側は高い樹木に覆われて見ることは出来なかったが、村の中の自分や友達の家、遊び慣れた広場、はずれにひっそりと立つ神殿、今も何人かの女性が集まっている井戸端――そんな見慣れた景色が、上から見下ろすことによって見せるいつもとは違う姿に彼女は充分満足していた。
足下は平らではなく、長い風雨にさらされたせいかでこぼこになっていた。全体的にもやや傾斜しているので、バランスを崩すと落ちてしまいそうではある。しかし、彼女は腰を下ろそうとはせず、足を大きく開いて石柱の上にそびえ立っていた。その方が、より高いところから景色が見えると思ったのだ。
石柱には、一本のはしごが立てかけてある。家の納屋から引っぱり出してきたものである。そのはしごの下から、聞き慣れた情けない声が聞こえて来る。
彼女は少し呆れたようにため息をついて、その声の主を見下ろした。はしごを両手で握りしめるようにして、必死に降りてくるよう彼女に呼びかけている見慣れた少年の姿がそこにあった。
彼女は悪戯げな笑みを浮かべ、少年にも登ってくるように呼びかけた。無論、彼が怖くて登ってこれないことを十二分に心得た上で言ったのだ。少年は彼女の期待通りに、困ったような怒ったような曖昧な表情を浮かべ、再度危ないから降りてくるようにと叫んだ。
幼い彼女にも、少年が彼女の身を案じて言っているのだということぐらいは分かっていた。しかし、その必死の姿が楽しくて、自分をかまっていることが嬉しくて、ついついからかってしまうのだ。
彼女がさらに言葉を投げかけようと身を乗り出した、その瞬間。
まるであらかじめ仕掛けられていたかのように、彼女の足下がわずかに崩れた。それはほんの微かなものであったが、幼い彼女のバランスを崩すには充分すぎるほどだった。ちょうど前のめりになっていた彼女の体は、そのままの勢いで虚空へと投げ出された。
全身を包む心地よい浮遊感に、彼女は一瞬何が起こったのか理解することが出来なかった。ただ、視界の中で、意味不明な紋様の刻まれた石柱の側面がもの凄いスピードで下から上へと流れていく。誰かが何かを叫ぶのが聞こえたような気もした。
そして、落下が終わってから初めて彼女は自分が落ちたのだということを知った。それにしては痛みのないことを訝しく思いながら手を動かすと、生ぬるい感触に触れた。
彼女の手は、真っ赤な血に濡れていた。叫びだしそうになるのを堪え、どこか怪我したのかと下を見下ろした。
その時になってようやく彼女は気付いた。自分の下敷きになって横たわっている少年の存在を。そして、自分の手に付着した血は少年の頭から流れているものなのだということを。
前につんのめるようにして落ちたため、彼女の落ちた場所は石柱から少し離れていた。少年があのまま石柱の下にいたのなら、下敷きになることもなかっただろう。少年は、反射的に彼女を受け止めようとしたのだ。
半泣きになって揺り起こすと、少年は彼女の顔を見て、少し辛そうに怪我はないかと聞いた。涙目のまま彼女が頷くと、少年は自身の頭の怪我のことも忘れたかのように満面の笑みを浮かべ、そして言った。
「よかった。アスカが無事で」
そこで目が覚めた。
目に星の光が飛び込んでくる。それを避けるかのようにくるまっていた毛布を顔の上にまでたくし上げ、アスカは小さく息をついた。
あたりにはちらほらと同じように毛布にくるまって眠っている姿が見える。詳しい時刻は分からなかったが、まだ夜明けには遠いようだった。
アスカは自分でも気付かないうちに、よく見知った少年の姿を目で探していた。しかし、離れたところにいるのか、彼の姿を見つけることは出来ない。
少し勢いをつけて体をひねり、うつ伏せになって腕だけを毛布から出す。出した腕を組んだその上にあごを乗せてところどころ地面の露出した草地を眺めるともなしに眺めた。名前を知らない小さな白い花が一輪、つつましげに咲いている。手を伸ばしてそれに触れようかとも思ったがやはりやめて、そのまま眺めることにする。
もう一度視線をあたりに巡らしてみたが、やはり夢にも出てきた少年の姿は見えない。アスカは昼間のことを思い出し、陰鬱な気分で今度はすこし大きめに息をついた。花が左右に大きく揺れて、やがて少しずつ静止へと戻っていく。
「シンジ、怒ってるかな……」
きっと怒っている。それだけのことを自分はした。嫌われても仕方がないくらいのことを。
そう考えるだけで、胸の奥に締め付けられるような痛みを感じる。自然と目尻が熱を帯びて、視界が歪み出す。アスカは顔を腕に押しつけるようにして目を拭った。
シンジはエヴァを救うのだと言った。彼がどんな気持ちでそれを言ったのかは分からないが、あのカヲルも協力していたのだ。きっと何か方法はあるのだろう。しかし、正直に言ってアスカはエヴァを恐れていた。
その絶対的な戦闘力が怖いのではない。エヴァの、シンジを見つめる目が怖いのだ。それは、まるで小鳥がたった一羽の親鳥を見つめるかのような、強い想いを現す目だ。感情などほとんど現さないあのエヴァが、シンジを見るときにだけまるで人間の少女のような激しい感情をその瞳に映し出す。アスカは、それが怖かった。自分からシンジを奪い取っていってしまいそうなその目が怖いのだ。
そんなことは自分のエゴだということぐらい、彼女にも分かってはいる。しかし、たとえ頭で理解していても、感情はどうにもならない。黒い炎が胸の内側で渦巻くのを感じ、そんな自分に対してまた自己嫌悪を抱く。出口のない迷路に迷い込んだかのように、アスカは混乱していた。自分の気持ちすらはっきりと分からなくなりそうだった。
「シンジ……」
誰にも聞こえないように、そっとその名を呼ぶ。幼なじみの愛着が、恋に変わったのははたしていつのことだったのだろう。それを思い出せぬまま、彼女は再び眠りに落ちようとしていた。
暗くなりかけた視界の中で、ぼやけた花がわずかに揺れていた。
生まれたての太陽の光に洗われるように、少女は立っていた。否、浮かんでいた。
直立不動の姿勢のまま、人ふたり分ほどの高さに目を閉じて静止している。ゆっくりと瞼を開けると、その下から現れたのは血のように赤い瞳だった。かつて多彩な色彩を宿らせたその瞳も、今はただ単色に塗りつぶされている。
「『エヴァンゲリオン』……」
声は足下から聞こえてきた。少女は無言で下を向き、その声の主へと視線を送る。
「決戦の時が来た……今こそ、我が前に立ちふさがる仇敵を討ち滅ぼし、しかるのちに偉大なる真の目的を達成するときだ……」
声の主――トキタは、何やら感極まったかのように天を仰ぎ、恍惚とした表情をしている。右手に下げたロンギヌスの槍を、天も貫けとばかりに高く掲げる。
「さあ! 我らが偉大なる目的のために突き進むのだ! 正義は我にあり!」
その背後には、妙に疲労感を感じさせる顔の二人組が続いていた。
「なんか、もー非常にどうでもいいような気分なんだけど……」
「彼らには手を出さないほうがいいと思うんですがねぇ……」
という、独り言のようなぼやきを意にも介せず、トキタは進む。頭の上でロンギヌスの槍を振り回しながら突き進むその姿は、妙にハイになっているようにも見える。
「なあ……あんたらの総帥、とうとう頭のネジが何本か抜けちゃったんじゃないかい?」
「それなら昔っから抜けっぱなしですが……なんか精神的ショックでも受けたんでしょうか」
「ま、どーでもいいけどね」
言葉通り、心の底からどうでもよさそうな表情でツキオカは視線をやや上向けた。
そこには、糸のない風船のように、常にトキタの左斜め上方に位置して浮遊しているエヴァの姿があった。その年齢のわりに成熟した腰のラインなど見るともなしに眺めつつ、彼は今日何度目かのため息をついた。
「人生って……なんだろうなぁ……」
呟いてみても、もちろん答えなど出るはずはないのだった。
「……来たわ」
空中で、瞑目していたレイが言った。その場にいた全員に緊張が走る。
レイは音もなく地面に降り立つと、足下にちらと視線を走らせた。山の中腹に位置するここは、森の中にぽつんと存在するいびつな円形の広場である。全員の立っている地面には、まんべんなく木の葉が敷き詰められていた。
レイが巡るように視線を向けると、各自で頷き、森の中へと入っていく。シンジとカヲルのふたりだけが、彼女の近くで待機していた。
「いい、チャンスは一度よ……それもあまり長い時間は保たないわ」
「わかってる」
「そう……ならいいんだけど、ね」
と、レイはやや不安げな視線を弟に向けた。その表情は湖面のように静かで、迷いは見受けられない。
彼らの作戦を聞いたのはこの朝だが――正直、レイにはそれはあまりにも無謀だとしか思えなかった。カヲルもそれは同様だったようだが、シンジの普段見せない真剣な表情に気圧され、つい了承してしまったのだ。
視線をカヲルに向けると、彼はいつも通りの薄い笑みを浮かべ、静かに頷いてみせた。たったそれだけのことなのだが、妙に胸が軽くなるのをレイは感じていた。
――と、和やかになりかけた空気が、瞬間的に張り詰めた。
三組の視線が突き刺す中、四人の人影が森の奥から現れる。彼女たちの姿を認めたトキタが、いやらしい笑みを浮かべて見せた。
「ほう……貴様らだけか? 他の奴はおじけづいて逃げたのか?」
レイは答えず、ただ口の端に笑みを浮かべた。空中にその細身を押し上げ、挑発するかのようにくいくいと手を動かす。
「ごたくはいいから、とっとと来なさいよ。私を倒しに来たんでしょ?」
ぴく、とトキタのこめかみがひくついた。余裕を保つように笑みを浮かべたまま、手に持ったロンギヌスの槍をレイへと向ける。
「ふん、偉そうに。エヴァの力は貴様らも見たはずだろう。こうなったらいちいち面倒な作戦を立てるまでもない、力ずくで殲滅してくれるわ!」
叫びと同時、空中で静止していたエヴァが、真っ直ぐにレイへと向かっていく。その手に作り出された、極限まで圧縮された魔法エネルギーの塊――まさにそれこそが『神の鎚』の正体だったが――が強烈な光を放っている。
同じ姿を持つふたりの少女の距離が残り数歩分にまで縮まったとき、
「発動せよ! <ディヴァイデッド・ユニバース>!」
カヲルの声が、辺りに響いた。その瞬間、地面に敷き詰められていた木の葉が浮き上がり、その下から魔法陣が現れる。
「何ぃっ!?」
その場にいる全員の視界を、閃光が白く塗りつぶす。たまらず顔をかばったトキタが次に目を開けたときには、エヴァの姿は消えていた。その代わりとでもいうように、巨大な黒球が宙に静止している。
「な……」
事態が飲み込めず、うめくような声を出すトキタ。額にうっすらと汗を浮かべているレイが笑みを浮かべる。
「この黒球の中はこことは完全に隔離された純粋な魔法空間……当然、あんたのロンギヌスの槍とやらの効力も届かないわ。これでもうあんたを守る者はなくなったわね」
「馬鹿な……そんなもの、いつまでも保つはずがないことぐらい分かるだろうに。正気か?」
「充分すぎるぐらい正気よ……それにね、この中にいるのは、何もエヴァだけじゃないのよ」
「なんだと?」
その時、トキタは気付いた。彼女の隣に立っていた少年の姿もいつの間にか消えていることに。
「まさか……この閉鎖空間の中に制御を失ったエヴァとふたりきりでいるというのか!? 馬鹿な! 自殺行為だ!」
信じられないというように叫び声をあげる。しかし、レイの表情は変わらない。
「ま、普通に考えればそうよね。でも、わたしだってたまには弟を信用するのよ……それに」
と、額の汗を拭い、壮絶な――まさに見る者を心胆から凍り付かせるような――笑みを浮かべる。
「あんたには、でっかい借りがあったのよね」
そこは奇妙な空間だった。
水に溶かした絵の具のように、いくつかの原色が複雑に混じり合い、絶えず流動し続けている。重力は存在せず、彼の体は不安定に漂っていた。上下の区別もつかない。
手足をばたつかせるようにして、シンジはなんとか体を安定させた。エヴァを探し、辺りに視線を巡らせる。
彼女の姿はすぐに見つかった。やや離れたところで、やはり水中の木の葉のように頼りなげに漂っている。うまくバランスが取れないのか、何度か回転を繰り返すと、ようやく姿勢が定まったようだった。
シンジは、黙ってエヴァを見つめていた。まだやや不安定な姿勢の彼女もまたシンジに気付いたのか、静かに彼を見つめ返してきた。
その見慣れた赤い瞳には、ほんの微かだが、やはり確かに悲しみの色が浮かんでいるようにシンジには思えた。
「ここは……?」
聞き慣れた声が、聞き慣れない響きで聞こえる。シンジの頭には、昨日のアスカの言葉が蘇っていた。
――実の姉を見捨ててあいつと仲良くするの?
(違う……!)
知らず知らずのうちに、拳を強く握りしめる。エヴァを見つめるシンジの瞳には、かつてないほど強い意志の光が宿っていた。
(誰も失いたくない……誰も悲しませたくないんだ。彼女は絶対に単なる無機質な魔法生物なんかじゃない。自分自身の感情を持っているはずなんだ。だから、救いたいと思った……それだけなんだ、アスカ!)
シンジは全身を緩やかに動かし、エヴァの方向へと移動した。流れるように体が滑り、残り数歩の位置にまで近づいたところで止まる。
「ここは、魔法陣によって作り出された魔法空間だ。ここになら、あの槍の支配力も及ばない」
「…………」
「君と……話がしたかったんだ」
「私と?」
シンジは頷いた。時間はあまり残されてはいない。これだけの空間を作り出すには、膨大な量の魔力が必要となるはずだからだ。カヲルの持っていた魔晶石でしばらくは持つだろうが、それでも数分が限度だろう。
「君は……君には意思は存在しないと言った。槍を持つ物に従うのみだと。けれど、僕にはどうしてもそうは思えないんだ」
「……私たちは、人の下僕。意思など必要ないわ」
「そんな!」
シンジは、我知らず声を荒らげていた。突然の大声に驚いたのか、エヴァは少し身を震わせた。
「そんなこと……ないよ。だって、君はあんなに悲しそうだったじゃないか。あんなに……まるで、助けを求めているようだった……」
「助け……を」
エヴァは静かに、シンジの言葉を繰り返した。その瞳には、今までなかった戸惑いの色が確かに現れている。
「君は単なる魔法生物なんかじゃない。しっかりと感情を持った存在じゃないか! それが、あんな槍なんかのために誰かの言いなりにならなくちゃいけないなんて……そんなこと、あっていいはずがないんだ!」
エヴァの顔には、今やはっきりと狼狽の色が浮かび上がっていた。先ほどまでとは違い、人間らしいその反応は妙に彼女を幼く見せている。
「……僕たちの村に来ないかい?」
その言葉に、エヴァははっと顔を上げた。目を見開いて、シンジの顔を見つめている。
「君は、まだ感情をあまり知らない子供のようなものだと思うんだ。僕たちと一緒に暮らせば、きっと僕たちと同じような人間になれる――少なくとも近づくことは出来る。村の人はみんないい人だから……あんな奴に従わなくたって、きっと君のことを受け入れてくれるよ」
エヴァは目を見開いたまま、黙ってシンジの話を聞いている。それは、初めてエヴァと会話したときからシンジの中にあった考えだった。自分でもはっきりとした理由は分からなかったが、それが一番いい方法だと彼は思ったのだ。
「私も……人間に、なれる……?」
エヴァの問いかけに、シンジは何も言わずに頷いた。彼女は明らかに迷っていた。古代魔法帝国において造られた魔法生物に、初めて自我が芽生えようとしている瞬間だった。
しかし、次の瞬間にはエヴァの顔は再びもとの無表情に戻ってしまった。微かな憂いを瞳に浮かべて、静かにかぶりを振る。
「……駄目」
「そんな、どうして!?」
「私は、槍には逆らえない。あの槍があるかぎり……私は人の下僕であり続けるしかない」
彼女の声からは、急速に抑揚が失われつつあった。その瞳に浮かんだ色彩も、徐々に消えていく。彼女は、元の無機質な魔法生物へと戻り始めていた。
「駄目だ!」
シンジの声に、エヴァの背がびくんと震える。
「そんなの……駄目だ。君が望んでいないのに、従うしかないなんて絶対に駄目だ! 槍が君に支配力を持っているというのなら、そんなものはね除けてしまえばいいんだ! だから……だから、そんな悲しいこと……言わないでくれ」
「…………」
エヴァは何も言わず――ただ、俯いていた。彼女の胸の中で、ある激流がほとばしり始めていた。それは、魔法帝国における戦士として戦っていた日々には一度も感じたことのない、未経験のものだった。しかし、彼女の心のどこかが、それに従うべきだと彼女自身に告げていた。今一度頭の中で、目の前の少年の言葉を反芻する。少年は、彼女が人間になれると言った。共に暮らそうとも言った。そして、それを確かに喜んでいる自分もあった。
そう、これは喜びなのだ。
彼女は今、はっきりとそれを悟っていた。自分は確かに喜んでいる。そして、数千年の間戦士としてのみ存在してきた自分を喜ばせるものは、この目の前に立つ少年に他ならないのだ。
人間になると言うことも、槍の呪縛も、彼女にはどうでもいいことに思えた。ただ、この少年と共にいたい。共に生きたい。それだけが彼女の心を満たす。それは、『エヴァンゲリオン』と呼ばれた存在がその長き生涯において、初めて感じた欲望だった。
「……私は……ロンギヌスの槍に打ち勝つことが……出来るの?」
シンジの顔が、ぱっと輝く。彼はエヴァの手を取り、力強く言った。
「もちろん! きっと――きっと出来るはずだよ!」
その瞬間――空間に、一筋の亀裂が入った。
「<セカンド・インパクト>!」
ぐぁぁぁぁぁぁん!
「<ダムネイション・ブラスト>!」
ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!
「<エンプティ・ジェネシス>!」
かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
「ふっふっふぅ……レイちゃん絶好調ぉっ!!」
立て続けに攻城レベルの破壊魔法の洗礼を浴びた広場は、すでにほとんど原形をとどめてはいなかった。辺り一面は焼け野原と化し、遠くから眺めたなら山のど真ん中が真っ黒に染まっているように見えることだろう。
「まだまだ終わらないわよ……<ジャイアント・インパクト>!」
ずごがぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!
命からがら呪文を防ぎきっているトキタを中心として、すでに何度目かも分からない大爆発が巻き起こる。もうもうと立ちこめる粉塵が収まると、そこには魔力障壁を張った体勢のままのトキタの姿があった。
防御だけで魔法力をほとんど使い切ったのか、すでに目は血走り、膝も笑っている。防ぎきれなかった魔法の余波のためか、衣服はあちこちぼろぼろになっていた。
かたやレイは最初の位置に浮かんだまま、まだまだ余裕の笑みを浮かべている。その手にはすでに次の破壊魔法が構成されつつあった。
もはや誰の目にもふたりの実力差は明らかだった。しかし、あえて彼を弁護するならば、トキタはけして無能な魔術師ではない。むしろ、学院でもトップレベルと言えるだけの実力者である。ただ、今のレイが飛び抜けて化け物じみているのだ。
もともと人間離れしていた強大な魔力――知っている人間はごくわずかだが、それはあきらかに現学院長フユツキの血によるものだった――は、肉体の制約が外れたことにより、以前の数倍にまで膨れ上がり、それに刺激されるかのように生来の魔法センスにも磨きがかかっている。むしろここまで耐えきっただけでも、トキタは充分称賛に値すると言えるだろう。
しかし、そんな称賛は少なくとも本人にとっては何の価値もなかっただろう。オオツキとツキオカのふたりは自分で勝手に逃げ回っているらしく、今は姿が見えない。あるいはもう逃げ出してしまったのかも知れない。
「なかなかしぶといわね……次が止めよ」
「くっ……」
すでにほとんど残ってない魔法力をかき集めるようにして、さらに障壁を張る準備をする。今の彼に出来ることは少しでも時間を引き延ばし、エヴァが解放されるのを待つことだけだった。
レイの手の中にある魔法の光が、一際輝きを増す。彼女がそれを掲げるようにして解放しようとした瞬間、純白の光線がそれを貫いた。
「んなっ……!?」
ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!
瞬間的に圧縮されていた魔法力が解き放たれ、レイを巻き込んで大爆発を巻き起こす。
「やりましたか……?」
まだ微かに残っていた林の影から、オオツキが姿を見せる。魔法の余波をかわしきれなかったのか、全身まんべんなくぼろぼろになっていた。
しかし、強烈な閃光と熱波が収まった後に見えたのは、何事もなかったかのように浮かんでいるレイの姿だった。
「な……!?」
「ふっふっふ……わたしは精神体なのよ。いくら破壊魔法といっても、直接的なダメージを与えるのは物理的な衝撃。全部わたしの体はすり抜けるってわけ」
「は……反則だぁぁぁっ!」
悲痛な叫びをあげるオオツキの首筋に、冷たい感触が当てられる。
息をのんだ彼の背後からは、妙に不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「レイの馬鹿のせいで出てくるタイミングを逸したけど……あんたの相手はこのあたしよ」
恐る恐る振り返ると、栗色の髪の少女が、据わった目でオオツキを睨み付けていた。その手には冷たい感触の正体――抜き身の刀――が握られている。
「悪いけどね。あたし今、死ぬほど機嫌が悪いのよ」
「くっ……!」
飛び退いて、体勢を立て直しながら魔法の予備動作に入るオオツキ。しかし、
「いない!?」
視界から外れた一瞬の間に、アスカの姿は消えていた。予備動作を中断して辺りを見回すが、どこにもその姿は見受けられない。
全身を緊張させて、油断無く神経を張り詰める。額から流れ落ちた汗が目に入り、袖口でそれを拭ったその瞬間。
「<鳳凰>!」
どがぁぁぁぁぁぁぁん!
「どひぃぃぃぃぃぃぃっ!」
と、巻き起こる派手な爆発を横目で見ながら――レイはすでに次の破壊魔法を用意していた。
「さ・て・と……あんたにはそろそろ、このわたしを殺した罪の深さを思い知ってもらうことにしましょうか……」
静かに燃えるような笑みで、そんなことを言う。それだけで、通常の人間では精神崩壊に陥ってしまいそうである。
「ま、待て!」
「……何よ? この期に及んで命乞いでもする気?」
今にも発動させようとしていた魔法を邪魔されたのが気に入らないのか、レイは手の上で淡く光る破壊の光を弄びながら、不機嫌な声で聞いた。
一方トキタは、頭の中で必死に言うべき言葉を探していた。もう一発魔法を食らえば、まず間違いなく防ぎきれないだろう。なんとか時間を引き延ばさなくては行けない。
「そ、その……なんだ」
「だからなんなのよ。とっとと用件を言わないと止め刺すわよ」
「待て! もうちょっと待て! 今言うから!」
少しでも時間稼ぎになりそうな言葉をトキタが頭の中で探していると、不意に焦土と化した地面が盛り上がる。
隆起はひとつではなく、あちこちからぼこっぼこっと音を立てて現れてきた。人の頭ほどの大きさのそれは、呆然と見つめるレイとトキタの視線の中で、徐々に土の中からその全貌を現してくる。
「……人間?」
全体が土の上に現れたそれは、確かに人の形をしていた。しかし、その全身は見たところ土によって構成されているようであり、顔に当たる部分もまっさらになっている。
「ふっふっふっふ……」
どこからともなく、笑い声が響く。
「秘技『土傀儡』……これこそ、僕が『人形使い』と呼ばれ恐れられる理由さ……」
まるで土人形全てから発せられているように、その声の出元ははっきりとしない。レイはどことなく冷めた面もちでその得意げな声を聞きながら、
「……聞いたこと無いわよ、そんなふたつ名」
「私も知らないな」
「とっ、とにかくっ!」
声は、どうやら咳払いしたようだった。
「本来無生物である物質に仮想的な生命を与え、その仮想精神と僕の精神を魔法的に接続することによって……」
「別にごたくなんて聞きたくないわよ。で、そんなにたくさん人形を作ってどうするの? お人形さん遊びでもする気?」
「ふふ……これを見てもまだそんな口がたたけるかな?」
ばっ――と十数体の土人形が四散する。レイはすかさず、背後に向けて手の中の魔力を解き放った。両手を振り上げた形で襲いかかろうとしていた土人形が、一瞬で崩壊する。
「ふん、こんな雑魚をいくら増やしたって……」
と、嘲笑を浮かべようとしたその瞬間。彼女の体を感電したかのような衝撃が走った。
「なっ……!?」
わずかに存在が希薄になるのを感じて振り返ると、肩越しにひと振りの剣を構えた土人形が見えた。
「微弱ながらも、魔力を付与した剣だ……これならば少しずつだけれど、君にもダメージを与えることが出来る」
またもどこからともなく声が聞こえてくる。
レイの背骨の中心を、冷たいものが駆け上がっていった。全身に残るしびれたような感覚に、押し殺したはずの恐怖が、不安が、じわりじわりと浮かび上がってくる。
それを隠すかのように、レイは唇を噛みしめて、早口に呪文を詠唱した。
「そんなの、ぶっ壊してやればすむわ! <ポジトロン・カノン>!」
薄青色の熱光線が、剣を持った土人形の体を容易く突き通す。土人形は一瞬静止すると、支えを失ったかのようにがくんと倒れた。
しかし――
「うそぉ……」
見ると、いつの間にかあたりを囲んでいる全ての土人形が同じような剣を持っている。一見すると単なる安物の剣だが、ほのかに存在を主張する光が、それが魔力の付与された武器であることを示している。
「なるほど……あんた、付与魔術師ね」
レイの瞳に理解の色が浮かぶ。
「冷静に考えてみれば、無生物を操ったりっていうのは召喚魔術よりむしろ付与魔術の領域なのよね……しかも、魔力付きの剣を自作するなんて芸当、よほどの高レベルな付与魔術師じゃないと無理な話だわ」
「へえ……」
声には、素直に称賛の色が現れていた。
「なかなか察しが早いね。概ね正解だ。けれど……」
土人形が、一斉に剣を構える。
「だからといってこれだけの土人形たちから逃げ切れるかな?」
「くっ……」
レイが口惜しげに歯を食いしばったその瞬間、一体の土人形が静かに崩れ落ちた。
「何!?」
声に、初めて狼狽の調子が生まれる。
「どうやら私たちの存在を忘れていたようだな……」
見ると、そこにはいつの間にかゲンドウが立っていた。右手には土人形の頭部が持たれ、その本来の持ち主は彼の足下に横たわっている。
「お父さん!」
レイの声に応えるように、ゲンドウは黙って色眼鏡を片手で押し上げて見せた。その後ろには、ユイの姿もある。森に隠れて機を窺っていたのはいいのだが、ひとりで全て倒してしまいそうなレイの勢いに、出るタイミングを逸してしまっていたのだ。
見慣れた両親の姿に、心が急速に落ち着いていくのをレイは感じていた。もう迷いはない。
「レイ! こいつらは私たちに任せなさい! あなたは頭を狙って!」
「お母さん……ふたりとも、ありがと!」
レイは、両手に一度に純白の光を生み出した。彼女の使い得る最強の魔法でトキタにとどめを刺すべく、光の宿った両手で円を描くように呪文を詠唱する。
「くっ……!」
すでに腕も満足に上がらないトキタが、口惜しげに唇を噛んだ。レイの口から紡がれる呪文に呼応するかのように、大気が彼女を中心に渦巻き始め、木々がおののくように葉を鳴らす。両手の光は徐々に膨張し、それに伴って焼け野原と化した周囲の温度も上昇する。確かに圧力を持った力に押され、レイの足下の地面にわずかな陥没が生まれた。
究極の破壊が、いままさに完成しようとしているのだ。
――しかし、レイの魔法が完成しようとしたその瞬間。
「……レイ。もう限界だ……!」
苦しげなカヲルの声と同時――黒球に、亀裂が走った。
23話です。
今回はやや早めにお届けできたような気もする今日この頃です。1ヶ月切ったし。
なんせ遅筆なので、今の状況ではこれぐらいの早さが精一杯です。とりあえず、僕の中ではまだ凍結した作品はないので、気を長くして待っていて下さると幸いです(^^;
それでは。