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床に落ちた紙屑を、それほど大きくはない革靴が勢いよく踏みつぶした。
それでもまだ足りないとでも言うように、靴の主はさらに何度も紙屑を踏みつける。胸の中にたまっている鬱憤を全て吐き出すかのようにその行為を繰り返すが、やがてそれが何の気晴らしにもならないことに気づいたのか、はたと動きを止めた。
――かと思うと、その紙屑を拾って壁に向かって叩きつけ、床に落ちた物をさらに、もう一度踏みつぶす。
床の上で無惨な姿をさらしている紙屑を見つめながら靴の主――トキタは、
「くそ……奴らめ、私のことを馬鹿にして……くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
と叫んで、今度は壁を蹴りつける。
その姿を見ているのは、巨大水晶の中に浮かび上がる呆れたような顔の若い男と、その横に立っている無表情の少女である。水晶の中の男の方が、やる気のなさそうな声をあげた。
『物に当たるのはやめたほうがいいと思うよ……それに、そんなことやってる場合じゃないだろう?』
トキタは振り向き、血走った目で彼をにらみつけた。魔力演算装置管理システムである『Zephyr』は、少し肩をすくめるような仕草を残して姿を消した。声だけが暗い部屋に響く。
『今回の敗北は予測不能な事態によるものだ。エヴァが敗北したわけじゃない……』
「そんなことはわかっている!」
トキタは姿の見えないシステムに怒鳴った。歯を食いしばりながらも、続ける。
「私は奴らにコケにされたことに腹が立つのだ……ええい! 今夜だ! 今夜、ネルフ村に奇襲をかけるぞ!」
『……君の目的はそれじゃないだろう?』
「目的を達成する前に、まずは奴らを皆殺しにせんと気が済まん! 今夜だ! 暗黒三兄弟とオオツキ……そうだ、それにツキオカも連れて行くぞ! もちろん『エヴァンゲリオン』もだ!」
ヒステリックに叫ぶトキタに、『Zephyr』は何か言いかけようとして、やめた。こうなったらもう手が着けられない。
「……彼と……戦うのね……」
「え?」
すぐ脇の少女の言葉に、『Zephyr』は肩から上だけを現して聞き返した。それはほんの小さな声だったが、巨大な装置の管理システムである彼には、非常に明瞭に聞こえた。
しかし、少女は何事もなかったかのようにただ前方を見つめている。その顔からは何の感情も読みとれはしない。
『Zephyr』はその横顔を見て、目を細めた。
(エヴァが……意思を持とうとしているのか? これは、面白いことになってきたな……)
彼は気楽にそう考えると、再び姿を消した。
トキタはまだわめき続けているが――彼らはまだ、誰一人としてこれがあまりにも無謀な喧嘩であることに、気が付いてはいなかった。
思う存分その輝きを大地に与えた天の主は、ゆっくりと地の果てへと帰っていこうとしていた。
大地に収まりきらずに天へと向かってはみ出した山脈に、その下端を重ねながら鮮血色の光を辺境の小さな村にも投げかける。
村は赤く染まり、野良仕事を終えて家路を急ぐ父親と息子の姿や、鼻歌混じりに洗濯物を取り入れる主婦の顔も、秋の木の葉の色に染め抜かれる。
しかし、村の中にはそれどころではない人々も確かにいた。
中心部からやや外れた、大きな家。その中でも最も大きな一室に、それでも狭く感じるぐらいの人間が集まっている。
そして、その人の群の中心には、しかめ面で腕を組むゲンドウと、あんぐりと口を開けたユイの姿があった。
「えへへ……ただいま」
宙にぷかぷかと浮かんでいる彼らの娘は、悪びれた様子もなく楽しそうな笑みを見せている。
ゲンドウは無言だった。当然だろう。さんざん心配した実の娘が、こともあろうに幽霊となって帰ってきたのだ。喜んでいいものか悲しんでいいものか、それすらもよく分からない。
事態はカヲルから聞いてだいたい把握していた。しかし、だからといって割り切れるものでもない。
「うーん……ま、無事だったんだったらいいわね」
隣で脳天気なことを言う妻を見ながら、これも無事といえるのだろうかと彼は考えた。
まあ、死んだわけではないのだしどうにかなるだろうと半ば無理矢理自分を納得させたその時、不意にレイの腹部から腕が生えた。
「わー、おもしろーい!」
声と共に腹部から引っ込んだ腕は、足やら胸やら顔やらレイの体のあちこちから何度も飛び出てくる。
「マナ……人の体で遊ぶんじゃないわよ!」
その腕から逃れるように天井近くまで上昇すると、レイはまだ遊びたりなさそうな表情をしている少女に怒鳴りつけた。
「だって、本物の幽霊に触れる機会なんてなかなかないもん。いいじゃない、減るもんじゃなし」
「減らないけどなんかムカつくのよ! だいたい幽霊じゃなくて精神体だって言ってるでしょうが!」
「おんなじようなもんでしょ? それに元々あんまり人間っぽくなかったんだから、今更何になったって驚かないわよ」
「あんたねぇぇ……」
額に青筋を浮かべた彼女をさらに突然背後から抱きしめる者がいる。
「きゃっ!」
「駄目だよマナちゃん。レイで遊んじゃあ」
レイの肩越しに爽やかな笑みを浮かべているのは、言わずもがなのカヲルである。相変わらずの神出鬼没ぶりを発揮して、この部屋にいた誰にも気づかれずに彼女の背後に回り込んでいたらしい。
顔を赤くしながら――精神体にも、肉体を持っていた頃の癖でそんな反応が現れるらしい――レイはカヲルの腕から逃れようともがく。
「は、離しなさいよ! だいたい、なんであんたが私に触れんのよ!?」
「愛の力かな?」
「いい加減にしなさいよ!」
「ヴァンパイアは本来霊的な存在だからね、精神体ぐらいだったら触れることが出来るのさ」
説明する間も、カヲルはレイから離れない。が、腕を伸ばしたゲンドウがカヲルの首根っこをつまんで彼をレイから引き離した。
「……で、レイが体に戻る方法は?」
ゲンドウの声は、その響きだけでシンジがすくみ上がるほど不機嫌そうだったが、カヲルは一陣の涼風のような笑みで軽くそれを受け流した。
「最も手っ取り早いのは、エヴァから体を取り戻す方法でしょうね。どうにかしてあの体からエヴァを追い出してしまえば、元々は彼女の体ですから、再び魂を器に入れることは簡単です」
「ふむ……」
「他にも方法がないことはありませんが……まあ、とりあえずはそちらの方向性で進めていくべきでしょう」
そこまで話すと、カヲルは空中のレイを捕まえようと飛び跳ねているマナに視線を移した。
「ところでマナちゃん。君はレイを助けに行くときにいなかったようだけど、一体どこで何をしてたんだい?」
「ああ、そういえばいなかったわよね。何してたのよあんた」
それまで沈黙を保っていたアスカが、妙に高圧的な姿勢で彼女にびしと指を突きつける。
マナはすこし気後れしたように後ずさった。視線を逸らしながら、
「ちょっと向こうに知り合いがいてね……そいつも関わってるのかどうか調べてたのよ」
「知り合い?」
おうむ返しに聞いたのはシンジである。マナはひとつうなずき、
「確かそいつもあいつらと同じ召還学部だったから……敵に回すとやっかいな奴だからね、色々な意味で」
「それで……どうだったの?」
「わかんないって。ソフトボール部には入ってないけど、中には友人もいるから、もしかしたら加わるかも知れないって言ってた」
「そんなに強いの? そいつ」
アスカの問いに、マナは思案顔で腕を組んだ。
「うーん……弱くはないと思うのよね。腕はけっこういいと思うし。ただ……」
「ただ?」
「なんかよくわかんないのよ」
「……なによそれ」
「だってそうとしか言いようがないんだもん」
アスカは、それ以上彼女からその人物について何かを聞きだそうとするのを諦めた。彼女の口振りから察するに、とぼけているわけではなく本当にうまく言えないのだろう。
そこで、思い出したようにシンジが口を開いた。
「その人、なんて名前なの? マナ」
「名前? 名前はね……」
――がっしゃぁぁぁぁぁぁん!
その瞬間、窓ガラスが激しい音と共に割れ砕け、外からなにやら黒い固まりが飛び込んでくる。その最初の固まりが壊した後を追うかのように、さらにふたつの黒い固まりが飛び込んできた。
呆然と見つめる一同の視線の中、みっつの黒い固まりは、なにやらもぞもぞと動きながら立ち上がった。
そして、それらを黒い固まりに見せていた闇の色のローブを惜しげもなく脱ぎ去り、完璧なフォーメーションでポーズを決める。
「我ら! 暗黒! 三! 兄! だ……」
「<セカンド・インパクト>」
ずがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!
局地的な焦土の中、黒い固まりはこんがりと焼けた死体となった。
「……ば、馬鹿な……」
「……我々の……か、完璧な……」
「奇襲が……破れるとは……おそるべし」
順々に声を発する彼らを呆れたように見下ろしながら、アスカはうめいた。
「いちいちポージングなんてしてたら、奇襲の意味がないでしょーが……」
「……む、むう……」
「……そ、そーいわれてみるとそーかなと思わんでもないな……」
「うかつであった……不覚……」
あくまで順番で話す彼らはもうあまり気にせず、シンジは割れた窓から外をのぞいた。
村の外側に面している窓からは、村を囲っている柵とその向こうに広がる森が見える。首を突き出し、左右を見渡してみるが、人の気配はない。
「……もういないみたいだよ」
「そう。でも、まだ油断できないわよ……あ、お父さん、これ、邪魔だからどっかそのへん埋めといて」
「うむ」
ゲンドウが呪文を唱えると、みっつの黒焦げ死体の下に、黒いしみが現れた。そのしみは徐々に広がり、ある程度の大きさになると、今度はその上に乗っていた黒焦げが沈みはじめる。
「む、むう!?」
「ちょ、ちょっと待て! まさか、これで我々の出番は……」
「終わりかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
最後まで順序を守って悲鳴を上げながら、みっつは騒がしく沈んでいった。完全に沈むと、黒いしみは巻き戻すかのように徐々に小さくなり、やがて消える。
「……どこ、いったの?」
「知らん。適当に空間をつなげて放り出した。運が良ければ生きてるだろう」
ふうんと相づちを打ちながらも、シンジは運が悪かったらどうなるのかについてはあえて聞かないようにした。今はそんな下らないことに時間をかけている暇はないのだ。
「……でも、あいつら何しに来たのかしら?」
ふと思いついたかのように、レイが言った。
アスカも、眉間にしわを寄せて呟く。
「……そういえば、エヴァンゲリオンとやらも復活したんだし、もうここに用はないような気もするけど……」
「……意地、だね」
さらりとカヲルが言った。
「意地?」
聞き返すアスカ。
「彼にしてみれば、エヴァを使って僕たちを倒せなかったのは大きな誤算だったんじゃないかな。レイが生きていたことも含めて、ね」
「と、いうことは……」
「再度決着をつけにくる、というわけだ。エヴァの力を確かめるためにもね。もしかしたらもうすぐそこまで来ているかも……」
と、その時。
爆炎が、彼らを呑み込んだ。
「くっくっく……どうだ、今度こそ『エヴァンゲリオン』の力、思い知っただろう……」
トキタは、不適な笑みを浮かべながら、森の木々越しについ一瞬前までは家のあった場所を眺めていた。
『神の鎚』の余波でまだ粉塵が立ちこめているため、中の様子は見えないが、あれだけの一撃である。全員、生きてはいないだろう。
「これで、ようやく『エヴァンゲリオン』の力が証明されたな……次こそ、我々の真の目的を……」
両腕を体の前で握りしめ、感極まりという様子で天を仰ぐトキタ。その横ではたった今家を吹き飛ばしたばかりのエヴァが、相変わらず何も感情の読みとれない瞳で、自らの行使した破壊の力の跡を見つめている。
否。エヴァの瞳には、何も浮かんでいないわけではない。それは、感情といえるほどのものでもない、もっと未熟なただの色彩。しかし、間違いなく今現在のエヴァの心境に、何らかの影響を与えているであろうものだった。しかし、横に立っているトキタはそれには気づいていない。ただ、恍惚とした面もちで空を仰いでいる。
「さあ、『エヴァンゲリオン』。もうこんな所に用はない。学院に帰って……」
「そうはさせないよ」
不意に、背後から声がかかる。ぎょっとして振り向くと、そこには黒づくめの格好をしたヴァンパイアが立っていた。
「な……」
慌てて、今度は家の方を振り返る。
「……防御結界がなんとか間に合ったな」
ゲンドウ、レイ、ユイ、シンジの四人が作り出した半球状の結界の中に全員の姿がある。トキタは再びカヲルへと向き直った。
「くぅっ……まあいい、死ぬのが少し遅くなっただけだ。ゆけ! 『エヴァンゲリオン』! お前の力を見せてやれ!」
「了解」
トキタがロンギヌスの槍を振り回しながらわめくと、エヴァは滑るようにカヲルの目の前に移動した。
「――――!」
カヲルが反応するよりも早く、やや威力の絞られた――そのぶん発動も早い――『神の鎚』が炸裂する。巻き起こる爆炎の中にカヲルの姿が消えた。
「カヲル!」
レイが叫ぶ。だが、次の瞬間にはエヴァは目標を彼らへと移していた。
足音も立てず、まるで氷上を滑るかのような動きで迫ってくるエヴァ。ぎりぎりまで引きつけて、全員でばっと思い思いの方向に散らばる。一瞬誰に攻撃するか逡巡したエヴァの隙を見逃さずに、アスカが思い切り跳び蹴りをいれた。たまらず吹き飛ぶエヴァ。
「やった!?」
しかし、すぐに立ち上がり、アスカへと向かって迫ってくるエヴァには、まったくダメージのある様子はない。
「危ない、アスカ!」
叫ぶと同時、アスカを突き飛ばすシンジ。目の前にはすでに『神の鎚』を手の中に生み出しているエヴァの姿がある。
(やられる――!)
シンジはとっさに防御姿勢をとった。しかし、エヴァは『神の鎚』を発動させない。
目の前にシンジが出てきた途端、動きを止めてしまったのだ。今までまったくの無機質だったその顔には、微かに迷いの色が浮かんでいる。
「…………? 何をやっている! 『エヴァンゲリオン』! そいつを倒せ!」
「……了……解」
トキタの怒声に押されるように、エヴァは『神の鎚』を持った両手を突き出す。しかし、それを発動させることはしない。いや、できない。
「……くっ……」
微かに声を漏らす。それは、かつて感じたことのないものに対する戸惑いの声。槍の命令に優先するものなど存在しないはずなのに、その命令を妨げる得体の知れない何か。それが、彼女の体の中で渦巻いていた。
「君は……」
そんなエヴァの姿に、シンジは思わず声をかけようとした。その時――
ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ!
「きゃあああああ!?」
エヴァは突如横を向き、マナとその隣にいたレイに向かって『神の鎚』をぶっ放した。
この少年が攻撃できないのだから、要するに他の人間を狙えばいいのだ。そう頭の中で結論づけて、槍の命令を執行するべく、体を静かに滑らせる。
彼女の次の標的はゲンドウだった。無造作に間合いを詰めて、右手を突き出す。
ゲンドウは反射的にその腕をつかみ、向きをそらした。次の瞬間、彼の耳元をかすって膨大な魔力が解き放たれる。
「くぅっ!」
顔の脇をかすめた熱量に戦慄しながら、ゲンドウはつかんだ細腕を折るべく、腕に力を込めた。しかし、自分のつかんでいる腕が愛する一人娘のものであるという事実に、一瞬逡巡する。
その一瞬で、エヴァは信じられないほどの力で強引にゲンドウの腕を振りほどいた。体勢を崩したゲンドウへと向けて突き出した両手に光が宿る。
――避けきれない――
とっさにそう判断したゲンドウは、目の前に魔力の障壁を張った。一瞬遅れて、エヴァの両手から破壊の光がほとばしる。
熱気が地表をえぐり、草木を一瞬にして蒸発させる。一瞬にして、ゲンドウのまわりは焦土と化した。
「ぐ……」
光はその具現と同様に、一瞬にして消滅した。しかし、その破壊の跡は消えはしない。
ゲンドウの右腕は、真っ赤に焼けただれていた。一人分の障壁程度で防げる代物ではない。その右腕を押さえながらさらに間合いを取ろうとするゲンドウに止めをさすべく、エヴァがさらに一歩踏み込んだ、その時。
「<四精縛>!」
凛とした声が場に響くのと同時、エヴァの足下にまるで蜘蛛の巣のような紋様が浮き上がった。
エヴァがそれに反応するよりも早く、その紋様から彼女をとり囲むように赤、青、黒、白の四色の光が飛び出してくる。光はそれぞれ複雑に混ざり合いながらエヴァの周りを高速で回転し始め、やがて一本の巨大な光の円柱となった。
「本体そのものに影響を与えない魔法なら効くんじゃないかと思ったけど……その通りだったわね」
息を切らしながら言ったのはユイである。高レベルの魔法を使ったので、大分体力を消耗している。
「母さん!」
駆け寄ってきたシンジを、ユイは手で制した。
「油断しちゃ駄目。あれはあくまで動きを止めるためだけの魔法だから……それに、古代の魔法生物相手じゃあ、そんなに持たないわ」
ユイの言うとおり、光の円柱はときおり微かに帯電していた。内側からエヴァが壊そうとしているのだろう。
「もって後10分……そのあいだに体勢を立て直して、打開策を見つけないと……」
そこまで言うと、不意にユイはシンジを突き飛ばした。その勢いで自らも後ろに跳ぶ。
その直後、ふたりの立っていた場所を純白の光が貫いていた。体勢を立て直しながらその元を探すと、ロンギヌスの槍を肩に担いだままのトキタが、壮絶な目つきで彼らを睨み付けていた。
「小賢しい真似を……こうなったら、エヴァが出てくるのを待つまでもない。この私が直々に貴様らを皆殺しにしてやろう!」
「本気でそんなことができると思ってるわけ?」
いつの間にかシンジの脇に立っているアスカが、小馬鹿にしたような口調で言った。
「あの暴走魔法兵器女ならともかく、あんたなんかがあたしたちに勝てるとでも思ってるの?」
トキタもアスカに負けないぐらいの不遜な表情を浮かべてみせる。
「やってみなければ分かるまい……まずは貴様から死んでみるか?」
「死ぬのは……」
一呼吸で刀を抜き、全身のバネを使って一気に間合いを詰める。
「……あんたよ!」
刀に魔法の光を付与させながら、姿勢を低くしてトキタに迫る。後一歩でアスカの刀が届くという距離になった時。不意に、トキタの唇が歪んだ。
その邪悪な嘲笑に、シンジの背筋を悪い予感が駆け抜けていく。反射的に彼は叫んでいた。
「アスカ! いけない!」
その声に、刀を振り下ろすアスカの勢いが一瞬緩む。そして、次の瞬間、彼女の体は宙を舞っていた。
緩やかな放物線を描き、空中を飛んでいくアスカ。頭から地面に落ちそうになったところを、ぎりぎりでシンジが受け止める。
「な……!?」
彼女の顔には、痛みとそれ以上の驚愕が浮かんでいた。
「何が……起きたの?」
「わからない。アスカが刀を振り下ろしたと思ったら、いきなり弾き飛ばされて……」
地面に無様な格好で横たわる彼らを見下すように、トキタが醜い笑いを浮かべた。
「ふ……このロンギヌスの槍には、『エヴァンゲリオン』を操っている間、その持ち主の身を守る機能が備わっている。極端な話、エヴァが活動してさえいればこの槍があれば十分なのだ」
トキタの言葉を継ぐように、静かな声があたりに響く。
「……槍の効力を消すにはエヴァを止めるしかなく、エヴァを止めるには槍を奪うか破壊するかしかない。それが、古代魔法帝国において最終兵器とされた『エヴァンゲリオン・シリーズ』の強さの秘密のひとつだよ」
「カヲル君!」
まだ先ほどの一撃によるダメージが残っているのか、カヲルは足を引きずるようにして森から出てきた。
「エヴァの能力が、僕の予想をはるかに超えている……どうやらレイの体と彼女は相当に相性がよかったらしいね」
「そんな……」
その瞬間、ユイの作り出した光の柱が一際大きく帯電した。
「……そんな、もう破られるの!?」
ユイは悲鳴に近い声を上げた。彼女ほどの能力を持つ者が唱えれば、ドラゴンの動きですら数時間は封じることの出来る魔法である。それが、ほんの5分足らずの時間で破られようとしている。
「貴様らの命運も尽きたようだな……別にわざわざ殺す必要もないが、私はやり残したことがあると落ち着かないタイプでね。本来の目的の達成の前に、死んで貰うぞ」
トキタは肩に担いでいる槍を下ろした。その先端をシンジたちへと向けながら、勝利を確信した笑みを浮かべる。
「くっ……」
思わず身構えるシンジの背後から――光の柱が粉々に砕ける音と、レイの叫び声が同時に響いた。
「すべての時空よ点となれ! <テレポート>!」
「なに!?」
トキタの驚愕の声が終わらないうちに――あたりには白い光が満ちる。
その強烈な光に、トキタは反射的に腕で目をかばった。シンジも、ユイも、アスカも、レイも、そしてエヴァも光の中に呑み込まれる。
光は際限なくその勢いを増していくかのようだった。目を閉じていても、瞼の向こうからその目を灼かんばかりの白光に貫かれ、トキタは声にならない悲鳴を上げた。
そして――不意に、それは消失した。
「…………?」
圧倒的な存在が消えたことを感じ、目を開ける。
光に灼かれた目にも徐々に視力が戻ってきた彼に見えたものは――何一つ変わらない景色だった。
そう、それは光が生まれる前と何も変わっていはしない。
ただ――消えていた。
彼の敵が。倒すべき相手が。
こんな状況となっても表情を変えることはないエヴァだけが、所在なげにただ立っている。
「な……」
ただひとり取り残されたようにぽつねんと立っているエヴァを見つめながら――トキタの喉から漏れたのは、意味すらないただの声だった。
「ばか……な……」
その次の声には、多少の意味ぐらいは込められていたのかも知れない。少なくとも、彼の気持ちを表すことのできる言葉はそれだけだった。
先ほどまで確かに戦いの繰り広げられていたはずの空間には、ただエヴァの姿が残るのみだ。これだけの騒ぎが起きているのに村の住人が誰も外に出てきていないことに今更ながら気づく。しかし、気づいたからといってその理由が分かるわけでもなく、また分かろうとも思わなかった。ただ、瞳を大きく見開いたままその空間を見つめている。
目の前の現実を、彼の存在全てが拒絶していた。たとえ頭で理解することが出来たとしても、それは絶対に認められることではなかった。
「空間移動……だと……?」
魔法学院最秘奥のひとつにして、幻の秘技である。魔法学院には、魔法陣を使って物質や生き物を転送する技術はあるが、個人の魔力だけでそれを行うことが出来たのは、魔法学院の創始者『聖なる混沌』グラフ・ミーディアだけであると伝えられている。
それが――その伝説上にしか存在し得ないと思っていた呪文が、たった今彼の目の前で行使された。
「あの女か……まさか、精神体となったことがきっかけで潜在的な魔法の才能が開花したとでもいうのか!?」
それはすでに悲鳴にすら近かったのかも知れない。はっきりと自分の顔が青ざめているのを自覚しながらトキタは――自分が、触れてはならない者に手を出してしまったのではないかという思いを、押さえることが出来なかった。
どうも、ぎゃぶりえるです。SSにかまけてこちらの更新を長らくサボっていましたが、この度ようやく新作を投稿することが出来ました。
もう一本ほどシャレにならない状態なのもありますが、こちらも書いています。ご安心下さい(^^;
中間考査も終わり、これから夏休みまではようやく一休みというところですので(学生は夏休みの方が忙しかったりするのです)、少しこちらの方にも本腰を入れていきたいと思います。
どうか見捨てずに暖かく長い目で見守ってやって下さいませm(_ _)m
それでは。