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闇の中のどこともしれぬ場所から、雫が一滴落ちた。
無表情な石の床に弾け、そのわずかな飛沫を少女の膝元へと届かせる。その冷たさに微睡んでいた意志を覚醒させた。
「ここは……?」
つぶやいてから、顔をしかめた。口を動かしただけでも頭ががんがんと響く。最悪の目覚めだった。
脳天から釘を刺されるような痛みに耐えかねて、頭を押さえようとしたが、そこまで手が届かなかった。届かないならしかたがない。ただ黙って痛みに耐えるしか……
(届かない……?)
激しい頭痛に、思考がまとまらない。だがおかしい。なぜ届かない? 自分の腕は頭を押さえることもできないほど短かったか?
勢いをつけて手を引くと、じゃら、というくぐもった音がした。
そちらに視線を向け──再び頭痛に顔を歪める。焦点の定まらない視線で、なんとか自分が鎖に繋がれているらしいことを悟った。手だけではない。両足も、床に打ち付けられた鉄輪に繋がれた短い鎖で戒められている。
「くっ──」
少し力を入れてみるが、それで外れるようなものではない。無駄な努力を速やかに放棄しながらも、彼女は次に魔法による脱出を試みた。
しかし、海鳴りのように繰り返す頭痛で、呪文を思い出すこともできない。また、思い出せたとしてもそれが有効かどうかは甚だ疑問だった。淡い燐光を放っている鎖は、見るからに対魔力のコーティングが施されている。
「くそ──このわたしが、捕まるなんて──」
拳を握りしめて、低く毒づいた。自分の戒められている石壁と床以外には、何も見えない。その壁と床も、見えるのは鎖の放つ燐光に照らされたごく小さな範囲のみで、残りは闇の中へととけ込んでいっている。空気の湿り具合や流れから判断すると、どうやら地下のあまり広くはない部屋のようである。
だが、それ以上のことはわからない。他に生き物の気配もしない。ふと、自分は誰も知らない地下の奥深くにひとり取り残されてしまったのではないかという恐怖を感じた。このまま、両手両足を動かせないまま緩やかに飢えて死んでいくのだろうか。
「……ぞっとしないわね」
つぶやいて、彼女は冷静に現状を分析し、希望的要素を探そうと試みたが、絶え間なく押し寄せる頭痛の波に、それも断念せざるを得なかった。
その時、闇に一条の切れ目が入った。その光は、彼女の正面から漏れている。今まで気づかなかったが、そこに扉があったのだ。そして、扉の向こうには光があふれている。
「……目覚めたようだね」
光の向こうから、男の声が聞こえる。闇に刻み込まれた光の筋は徐々に広がって闇を押しのけた。扉が完全に開かれると、男は余裕のある足取りで彼女へと向かってきた。
本能的に手足をできるだけ引き寄せて身を小さくする。男はそれを見て鼻で笑ったようだった。逆光になっているため、顔は見えない。ただ、シルエットだけで判断するならば、貧相な体つきだとしかいいようがなかった。
「心配しなくてもいい。別に取って食おうというわけじゃないんだ。ただ……少しだけ、我々に協力してもらいたいだけだよ」
彼女は何も答えなかった。反抗心によるものではなく、頭の中で鳴り響く狂想曲に口を開くのもおっくうだったからだ。──だが、男はそうは思わなかったようだった。
ぱぁん! と乾いた音が狭い部屋に響きわたる。いつの間にか自分が横を向いてることに気づき、少し遅れて左頬がじんわりと熱を帯びた。
「……あまり反抗的な意思を見せるんじゃない。自分の立場というものをわきまえることだな」
神経質そうな男の声に、今度こそ彼女は反抗心から笑って見せた。
「身動きできない女の子に暴力ふるって喜んでるような人間って、基本的にいじめられっ子タイプなのよね」
「貴様……」
男が再び腕を振り上げる。衝撃に備えるために歯を食いしばった。
だが、衝撃は訪れない。男は腕を下げて、再び笑みを浮かべたのだ――それが余裕ありげな笑みを作ろうとしているのだとしたら、成功しているとは言い難かったが。
「ふ、ふ、ふ……いいだろう。そんな口を利けるのも今のうちだ」
まだ微妙に頬の辺りがひきつっていたが、それを隠すように男はローブを翻して彼女に背を向けた。扉が完全にしまった後、声だけが響いてきた。
「お前の泣き叫ぶ姿が楽しみだぞ……イカリ=レイ」
「変態」
ぼそっと呟いたが──どうせ聞こえはしないのだろうと、レイは陰鬱なため息をもらした。
かっ――
始めに広がるのは閃光。次いで熱量。そして最後に衝撃。
実際には順番などなく、全てが同時に展開されているのだろうが、自ら使った魔法をイメージとして見るとき、そこには常に順番が存在する。どちらにしても同じことだ。つまり、一言で表すなら――破壊。
まさに問答無用の破壊の跡の中、ゲンドウは黒こげになった肉塊をぞんざいに足下から目の高さまで持ち上げた。
「ううう……」
わずかにうめいている肉塊。
「さて……とりあえず尋問より先に拷問を行ってしまったような気もするが、非常事態ゆえ仕方がないな。さあ、もう一度同じ目に遭いたくなければとっととレイの居場所を吐け」
「あうう……」
肉塊はうめくのみで答えない。誠意ある見方をすれば、ぼろぼろになっていて答えられない、ともいえる。
「答えないというのか?」
誠意のかけらも感じられない口調でゲンドウが問いつめる。
「無駄だぞ。もはや貴様が犯人だということはあまりに明確な事実だ。おまえを犯人とするのに足りないものをあえてあげるなら、根拠と証拠ぐらいだ」
「なんじゃそりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
復活する肉塊。じたばたと暴れてゲンドウの制約から抜け出すと、黒こげの指をつきだしてまくしたてる。
「いきなり攻撃呪文で人の家を完全に破壊し尽くした上に訳のわからんことをのたまいおって! 前から性格が悪くて陰険でネクラで根性のねじ曲がった人間のクズだと思っとったが、とうとう気でも狂ったか!?」
「やかましい」
無表情に肉塊(というか、キール)の脳天に踵落としを入れる。頭から煙を上げて倒れたキールの胸ぐらをつかみ、自分の顔に近づけてささやくような声で言う。
「貴様があの『アダム』とかいう連中の後ろにいることは分かっている。こんな陰湿で馬鹿らしいことをするのは貴様ぐらいしかいないからな。ただちょっかいを出してくるだけならかわいげもあるが、レイを誘拐したとなると話は別だ。さあ、とっとと吐いてもらおうか」
「ちょ、ちょっと待て! だからわしには何のことかさっぱり……」
「そうか。この期に及んでなお白を切るか。しかたない。『ザ・死より苦しい絶好調爽快拷問その弐』を実施するしか……」
「ま、待て! いいから、とりあえずわしの話を聞け! 聞けば得するぞ!」
恐怖の色を顔面に浮かべ、わたわたと両手を振りながら、必死に説得を試みる。
ゲンドウはしばしその表情を観察して――不意にキールの胸ぐらから手を離す。
「言ってみろ」
キールは思わず安堵の息をついた。その姿を見下ろして、
「拷問は後からでもできる」
キールは何か反論しようとしたようだったが――あきらめたようにひとつ息をつくと、襟元を直しながら口を開いた。
「貴様、さっき『アダム』と言ったが……奴らがお前たちに何か干渉しているのか?」
「貴様が命令しているのだろう。さあ吐け。すぐ吐け。瞬時に吐け。今ならぎりぎりの線で命だけは助けてやる可能性もなきにしもあらずだ」
「お、落ち着け! いいからわしの話を最後まで聞け!」
わきわきと両手を動かしながら迫ってくるゲンドウから身をさけながら、キールが必死に叫ぶ。
「と、とにかくだ! 貴様、『アダム』の正体を知っているのか!?」
「正体……?」
ゲンドウは怪訝そうに眉をひそめた。
「そういえば、単なる変態集団だと思ってそんなことには考えが及びもしなかったな」
「どういう思考回路をしとるんだ、貴様は……とにかく、奴らの正体が知りたいか? なんなら教えてやらんこともないが……」
ゲンドウは無言でキールの頭をつかみ、そのままぎりぎりと締め上げた。
「あだだだだだだ! 分かった! 話す! 話す! だからその手を離して!」
「分かればいい」
と、無表情に手を離した。キールはバイザーの奥から険悪な視線で睨み付けながら、
「誰も話さないとは言ってないだろうが……とにかく、『アダム』とはだな……」
「ソフトボール部ぅ!?」
シンジが間の抜けた声を上げる。
シンジの家の一室である。シンジ、ゲンドウのほか、マヤとアスカが部屋の中心にあるテーブルに腰掛けている。マナは確かめたいことがあると言って、アルミサエルと共に姿を消してしまった。
それに対してうむ、とうなずいたゲンドウの後を継ぐようにマヤが、
「そういえば、確かにあったわね、魔法学院の召還学部に『アダム・ソフトボール・クラブ』とかいう弱小チームが」
と、妙に納得した様子で言った。
「で、でも……なんでソフトボール部が……?」
「なに言ってるのよシンジ君。犯人がソフトボール部だと考えれば、すべてのつじつまが合うわ」
「そうかなあ……」
いまいち釈然としない様子のシンジは無視して、マヤは続けた。
「実は、何年か前に私と先輩で一体の暗黒獣を魔界から呼び出したんだけど、その暗黒獣の制御に失敗しちゃって、暴走しちゃったの。それがちょうど練習中のソフトボール部に乱入して……まあ、死者は出なかったんだけど、重軽傷者多数。さすがにこれはシャレにならないっていうんで、学院の方も調査に乗り出したんだけど……」
そこでマヤは言葉を切った。はぁと息を吐き出して、
「先輩がこっそり実験器具入れに使用していた、ソフトボール部キャプテンの机の中から見つかった証拠が決め手となって、当時のキャプテンは責任をとらされて学院を追放されたわ……」
「それって……思いっきり計画犯罪じゃ……」
冷や汗を垂らしながらアスカが言うが、とんでもないというようにマヤは首を振った。
「そんなことないわ! そりゃあ、実験が失敗した時点で先輩と一緒にあわてて暗黒獣召還に使った道具を全部そのキャプテンの机の中やロッカーの中に隠したけど……それが見つかってしまったのはきっと私たちの責任ではないはずよ!」
「アホかぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ずごっ――と後頭部に回し蹴りを入れて、マヤを昏倒させたアスカは、肩で息をしながら独りごちた。
「くっ――なんかレイがいなくなったせいであたしが完全にツッコミ役になってるような……」
「……でも、なんでリツコさんを狙うのかは分かった気もするけど、それでどうして姉さんまでさらわれちゃったんだろう?」
「思うに、きっと彼らの目的は単純に先輩への復讐というだけではないはずよ」
光の速さで復活したマヤが人差し指をたてて言う。昏倒させた本人であるアスカはなにやら不思議なものを見たような顔でそれを眺めていた。
「おそらくは、何かほかに目的があるのよ。こんな時間がたってからわざわざ先輩を連れ去ったのも、復讐のためというより先輩の召還魔術師としての腕が必要だったんだと思うわ」
「それじゃあ、姉さんもその目的に必要だと……?」
「おそらくね。あの子の魔力容量と魔法構成の才能はずば抜けてるから……アダムが何らかの目的にレイを連れ去ったとしてもなんの不思議もないわ」
マヤの言葉に、シンジは少し安心したようだった。
「ということは、とりあえず姉さんは殺される心配はないってことですよね」
「いや、それはわからないな」
不意にどこからともなく声が聞こえる。
「誰!?」
瞬時に武器を構え、油断なく辺りを見回しながらアスカが誰何の声を上げた。その声に応えるかのように、不意に天井近くにひとりの少年の姿が現れる。
「カヲルくん……」
「やあ、僕も仲間に入れてもらっていいかな?」
と、カヲルはウインクをして地面に降りた。シンジの隣の空席に平然と腰を下ろす。
「……あんた、いつからいたのよ」
「最初からね。レイが連れ去られたってのに僕がいないわけにはいかないだろう?」
「……なんだか色々と不満がないこともないけど、まあいいわ。追求するのも面倒くさいし、そんな場合じゃないしね」
アスカがやけに達観したような表情で言った。刀を納めると、拍子抜けしたように椅子に腰掛け直す。
そんな仕草を見ながら――シンジは先ほどのカヲルの言葉を思い出した。
「そうだカヲルくん、それはわからないってどういうこと?」
カヲルは、虚空を見つめながら話し出した。
「――まず、僕が思うに彼らはレイを生贄として連れ去ったんじゃないだろうか」
「生贄!?」
その穏やかならぬ響きに、シンジの顔が硬直する。
「そう。正確には召還のための媒体にね。何か自分たちのレベルでは召還できないような高位の召還獣を呼び出すときの方法の一つとして、生贄を使うという方法がある。通常召還魔術師は精神体だけの存在である召還獣に、この世界で具現するための肉体を与えてやらなくてはならない。その肉体を、すでに用意してある生き物の肉体で代用するんだ。この肉体に必要な条件はいくつかある。まず、召還獣の憑依に耐えられるだけの魔力容量。若く、健康的な肉体。そして――処女であること」
「……最初の二つはわかるけど、処女がなんか関係あるわけ?」
アスカが訝しげに聞いた。カヲルは頭を振って、
「さあ。ただ昔からそう伝えられているだけだから。処女の血はおいしいっていうけど試したこともないしね。ただ、汚れを知らない処女はそうでない女性に比べてより魔力的な存在であるっていう説はあるよ。伝説の一角獣はその背には処女しか乗せないっていうし……とにかく、これらの条件にレイは全て当てはまるわけだ。リツコさんを連れ去ったのもその召還魔術師としての才能を見込んでだと考えるとつじつまが合う」
「あの……カヲルくん」
「なんだい? シンジ君」
不安げな表情で声をかけたシンジに、カヲルは優しく笑い返した。
「あの、さ……もし、姉さんがその、生贄だったとして……姉さんは、どうなるの?」
カヲルの顔が少し曇る。カヲルは立ち上がって、窓枠から外を眺めた。空はよく晴れていて、ちぎれ雲がいくつかゆったりとながれている。それを目で追うようにしながら――カヲルは言った。
「……死ぬ。召還獣が体に憑依したら、その人物の本来の精神は追い出されてしまうからね。器からこぼれた水は、形を保つことができない……魂も同じように、形を保つことができなくなり、霧散して消えてしまう」
「そんな――」
シンジの顔が青ざめた。両手で自分の体を抱くようにして、下を向く。その肩を抱くようにしたアスカも、やはり顔は真っ青だ。
「だから、ことは火急を要するんだ。おそらく彼らは魔術学園の廃校舎を使って召還の儀式を行っているのだろう。あそこなら施設も整ってるし、人も来ないしね。普通に行けば魔術学園まで二日はかかるが、僕の召還獣を使えば、もっと早く着くはずだ」
カヲルは淡々と話した。彼自身、すでにレイが死んでしまっているかもしれないという不安からは逃れられなかった。それでもそれを無理に押さえつけるようにして、なんとか自分だけは平静を保っておこうとする。
「……でも、そんなに大勢は行けない。操る僕を抜かしても、二人だけだ」
「あたしがいくわ!」
「私が行こう」
アスカとゲンドウが同時に声を上げる。カヲルは、シンジを見つめた。シンジは何かに迷うかのように下を向いたままだ。
見ると、膝の上で握りしめた右手を何度も開き、また強く握りしめている。
「僕が……行くよ」
小さい、けれどはっきりとした声。
「父さんは、家で待ってて。僕が……必ず、姉さんを連れ戻してきてみせる」
そう言って顔を上げたシンジの瞳には、決意の色が現れていた。
「……それで、いいですか?」
「……ああ」
ゲンドウはうなずいた。シンジを見つめるその瞳からは、感情は読みとれない。しかし、何らかの思いがそこに現れていることは確かだった。
カヲルはゲンドウに目礼して、シンジとアスカに向き直った。
「シンジ君、アスカちゃん。すぐに出発しよう。さっきも行ったけど、ことは火急を要するんだ」
「もとより、そのつもりよ!」
威勢のいいアスカの声が返ってくる。カヲルはそれに満足げな笑みを浮かべた。
シンジにも視線を送る。力強くうなずくその顔にはもはや迷いの色はなかった。ただ、姉を助けなければならないという意思があるだけだ。
(レイ……無事でいてくれ……)
心の独白は、まさに神に願うような心持ちではあった――彼は神を信じてはいなかったが。
闇は変わらない。
悠久の歴史の中で常に不変であるもののひとつだろう。ただ唯一闇に変化を与えるものがあるとすれば、それは光だけだ。
その光も今は与えられない。
どれぐらい時間が過ぎたのか分からない。一度も食事は与えられていないので、餓死しない位の時間であろうとは推測できる。ただ、人間が飲まず食わずでどれだけ生きていられるものか彼女は知らなかった。それほど飢えを感じていないことも考えれば、実際には先ほどの男が去ってからまだ数分しかたっていないのかもしれない。
どちらにせよ、自分が未だ鎖につながれたままだという事実は変わらない。手首と足首に触れる鉄輪の冷たさ、地面の固い感触以外に彼女の五感を刺激するものもない。
(まだトイレに行きたくなってないのがせめてもの救いよね……)
そんなことを考えていると――不意に、再び光の切れ目が走った。
「イカリ=レイ……来てもらおうか」
先ほどの男だった。男はレイの前まで歩み寄ると、壁の鉄輪から鎖を外した。ようやく解放された両手を勢いよく上につきだし、伸びをする。
「魔力は封じなくてはならないのでな……鎖は付けたままだ」
「ふーん……えいっ」
と繰り出した右ストレートは、あっけなく男の顔の前で止められた。
「……なんのつもりだ?」
「別に。やっぱ、私って肉体労働には向いてないのよねー」
「…………」
男は何か言いたそうではあったが――結局、何も言わずにレイの後ろに回った。
「歩け」
そう言って背中を小突く。とりあえず言われたとおりに前進するレイ。
「ドアを出たら右に回れ」
「……どこに連れていく気よ?」
「答える義務はない」
男の言葉はにべもない。今更ながら、レイの背筋を悪寒にも似た不安感が走り抜けていった。心中の動揺を押し隠すように、無表情を保って言われたとおりに歩き続ける。
魔力を封じられた自分がこれほどに無力だとは思わなかった。先日のカヲルとの一件といい、どうも最近は失態続きである。それが無性に面白くなかった。
「ここだ」
着いたのは、巨大な扉の前である。そこで男は初めてレイの前に立ち、自らの手で扉を押し開けた。
扉の向こうには巨大な空間が広がっていた。外に比べて薄暗いが、明かりがないわけではなく、少し目が慣れれば用意に中を見渡すことができる。空間の中心には、やはり巨大な水晶が置いてある。その水晶から無数に伸びた触手のような管が、それぞれ小さな水晶玉につながっていて、何人かの人影がその水晶玉を操作しているらしいのが見えた。
その中でもひときわ大きな水晶玉がある。おそらくはこの巨大な魔法装置のメインの操作機なのだろう。その横に、レイは見知った姿を見つけた。
「――リツコ!」
「――――?」
一心不乱に水晶玉を操作していたリツコは、不意に顔を上げた。
「今、何か呼ばれたような気がしたけど……」
「き、気のせいだ! 先ほど素体を見つけてきたから、きっとそいつが何か叫んだんだよ!」
「でも、確かに私の名前を……」
まだ納得行かない様子のリツコに、トミヲはため息混じりに足下のぬいぐるみを着てみせた。
「きゃああああああ、クロちゃぁぁぁぁぁぁぁん!」
ごろごろとのどが鳴りそうな勢いでそれに抱きつくリツコ。
「だ、だあ! ほら、仕事が終わればこれは全部お前のものだ。分かったら操作に専念しろ!」
「もちのろんよ!」
「……あの馬鹿……完全に我を見失ってる……」
絶望してレイは呟いた。
不意に体が宙に浮き、次の瞬間には固い鉄のベッドに仰向けに下ろされる。男はそのまま、レイの体が大の字になるように、両手両足の鎖を鉄のベッドに止めた。
「……なんか、やらしいことしようとしてるんじゃないでしょうね」
冗談混じりに言うが、内心の不安は隠しきれない。声が震えるのを押さえることができなかった。
「馬鹿モン。そんなことをしたらここに置いてもらえなくなるだろうが……だいたい、お前は大事な素体。傷つけはせんよ」
「素体?」
聞き慣れない言葉に、レイは思わず訪ね返した。男は弱者に対する優越感をありありとその顔に浮かべ、
「その通りだ。お前には我らアダム・ソフトボール・クラブの悲願のため、伝説の神の戦士、『エヴァンゲリオン』の素体となってもらう」
「『エヴァンゲリオン』? っていうかソフトボールって何よ!?」
「答える義務はない。さあ、始めるのだ『Zephyr』!」
男の声と同時、中央の水晶に、ひとりの男の姿が浮かび上がった。年の頃は20代前半ほどか。これといって特徴のない顔つきをしている。
『まあ、僕はシステムにすぎないからやれといわれればやるけどね。こんな可愛い子にあれを憑依させるのはどうも忍びないなぁ』
妙に現実感のない声だった。水晶の中に浮かび上がっているその姿はおそらくは単なる映像に過ぎないのだろうが、ごていねいに頭をかく仕草まで本物の人間どうりに行っている。
「いいから黙ってやれ。我々には時間がないのだからな」
『わかったよ……ところで、僕の出番、これで終わりってことはないよね?』
「作者に聞け」
『ちぇっ、それじゃあ始めるよ……悪く思わないでおくれよ、お嬢ちゃん』
『Zephyr』と呼ばれたそのシステムは、その言葉を最後に姿を消した。その代わりとでもいうように、水晶には魔術文字が次々と浮かび上がっていく。
「『エヴァンゲリオン』……素晴らしい……ついにくるのだ……我々の悲願が達成する日が……」
恍惚とした表情で呟く男。
「ちょっと……何をするつもりよ!?」
必死に両手足を引っ張るが、それで鎖が緩むわけでもない。すでにこちらの声など聞こえていない男に怒鳴るため、レイが大きく息を吸い込んだ、その時。
ごぅん!
「あああっ!?」
突然、レイの体を何か強力な力のようなものが駆け抜ける。
それは何度も繰り返し、断続的に衝撃として彼女を襲った。次の瞬間には視界が暗転し、下腹部から激しい嘔吐感がわき上がる。
(苦しい――!)
声を出すこともできない。まるで足首をつかまれたまま体を振り回されているようだ。呼吸もままならない。
全身の血液が逆流する。心拍数が跳ね上がり、汗がどっと噴き出す。闇に閉ざされた視界で、赤と青の光が交互に何度も閃いた。
何が起こったのかも分からないまま、頭の中に浮かんだのはひとつの思い。
(私――死ぬの――?)
それは、ひどく現実的な思考に思えた。頭の中を、知人たちの顔が駆けめぐっていく。
(これって……あの死ぬ前に見るっていう? 冗談じゃないわ。助けてよ……助けて、父さん、シンジ……カヲル……)
一瞬、意識が途切れる。体の奥底から爆発するような感覚を感じた。自分が自分の体からはじき出されるような、そんな感覚。
必死に最後の力を振り絞って自分の体にしがみつこうとした瞬間――彼女の意識は、圧倒的なまでの巨大な力の奔流に押し流された。
後には、ただ闇が残るのみ。
そして――イカリ=レイは、死んだ。
どうも、お久しぶりのぎゃぶりえるです。
いやあ、久しぶりに書いたもんでなかなか文体がつかめず、大変でした。いや、もともとそんな大したモンじゃなかったんですが(^^;
内容については……あえて何も言いません。抗議、文句のメールは24時間受け付けております。
それでは、20話も早く書きたいと思います。