いつも通り彼は目覚めた。
彼は家で朝食は取らない。服を着て、歯を磨き、顔を洗い、髭を剃って、今日のノートを準備する。
彼は彼女のもとへと向かう。
相も変わらず僕達の研究班は松代勤めである。調査は5月に完全に終了し、結局全ての施設は破棄された。水漏れを防ぐ現状維持の為の費用だけでも莫大なのだ。基本的に「厄介者」の集合と言える僕達の機関に予算はさほど無い。
素晴らしい技術の資料―目的が素晴らしかったかどうかは今や謎だが―はあるのだが、どこまで民生転用が可能かは難しい問題らしい。中途半端にオーバーテクノロジーな分、やはりあまりに軍事に「生かしやすい」のだ。生物兵器の好きな一部国家には漏れてはいけない、そうで結局宝の持腐れ。委員会の貧乏は解消されずというところだ。
僕達のチームは純粋に学術基礎研究を担当するので、気楽と言えば気楽である。まあ、それでも貧乏には変わりないのだが。
僕が大学在学中に構想したエコロボットは、自然界の法則の動きをロボットに取り入れるといった物だった。僕は生き物そのものは実は苦手分野だったので、そういうやや観念論的な研究をしていたのだ。
一方僕達が現在研究中なのは、より直接的に生物とロボットを繋げる生物ロボット学、一般に言う「バイオロボット」についてであった。アスカの豊富な生物学の知識、エヴァに使われていたという神経接続ソフトの解析等の助けを得て、全く新しい人工生命体を開発しようと研究していた。
学者としての2人は、共通の目標があるものの方法論に若干の食い違いが見られた。僕はどうしても、目の前に興味深い題材があると後先考えず進んでしまいがちになるのだが、彼女は時々ある価値観を持ち出して強硬に僕の手法に反対する事があった。不良研究者にとっては耳の痛い「倫理」、という奴だ。
それこそマウスの実験すら反対されるので、動物の結果が欲しい時はごくたまにアスカが不在の時を狙うか、コンピュータシミュレーションで我慢するかしかなかった。しかし残念ながらまだまだ生物反応のシミュレーションは精度が低い。しかし彼女に言わせると、「どんなに崇高な目的を持つ研究でも、その手段に問題があってはならない」のだそうだ。恐らくパイロット時代の感情・経験も影響している意見だと思われ、尊重もするが、中々合意点を探るのは難しい。
一方私生活においては、アスカは相変わらず楽しい人だった。何時まで経っても元気が消えない。彼女を見ていると、自分がつくづく年寄りに思える。彼女の表情は常に目まぐるしく変化し、何時まで見ていても飽きが来ない。この前職場でその事を言ったら同僚には冷やかされ、アスカは真っ赤な顔で怒っていた。これも、プライベートで言うべき事らしい。僕は純粋に生物学的興味で言ったつもりだったのだが、悪い事をしたようだ。
今日僕達は2人で第二東京付近の―正確には穂高市だ―第二東京ファミリーランドに来ていた。当然我がプリンセスのリクエストである。正直僕はこの年で遊園地はやや恥ずかしいような気もしたのだが、彼女の御意とあれば聞かねばならない。
しかし彼女は「隠れ体育会系」の本領を発揮して、この遊園地に2つしかないジェットコースターを何度も乗りたがる。
僕は一回目で既に気分が悪くなったのでベンチでリタイアさせてもらっていた。
僕は暇潰しに辺りを見回した。
向こうの売店のベンチで、風船を持った子供がソフトクリームを嘗めている。そんなに夢中になっていると…ほら、風船が手を離れて飛んで行った。子供は泣きながら母親に訴えている。自分の注意力の欠如は棚に上げて…と言うより、自覚していないのだろう。
アスカがふらーっとしながら降りて来た。
「楽しかった?」
「た、楽しかったです。とっても。」
低い声で、少し瞬きをした。
彼女が瞬きをする時は本心を語っていない時が多い。申し訳なく思う。僕も出来ればジェットコースターに付き合いたかったのだが、体が言うことを聞かないのは仕様がない。僕は軽く「良かった。」と流して話題を変えることにした。
「待ってる間思ってたんだけど、子供って、何だかいいよね。」
アスカはぽかんと僕の顔を見つめ、急に赤くなった。
「な、ななな何言ってんですかっ! またそう言ってからかって!
私はまだ、そこまでは…」
後半は何だかよく聞き取れない。
僕は先程の男子を指差した。「ほら、あの子。さっき見てたんだけど…」僕はその子供の興味深い行動について話した。
アスカは僕の話を聞いているうちに目が細くなり、眉間にしわがよっている。
どうも疲れているようだ。僕の隣にちょこんと座った。
「ふう。そうですよね森さんって、結局何時だって科学者なんだから。」彼女は僕に頭をもたれさせかけてきた。確かに僕は科学者だが。
「男として、私を女として見てくれる事なんか無いんでしょ。」僕には質問の意味が良く分からない。
「僕は男だし、君は女だよね?」
アスカはぶすっとした表情で頭をすとんと僕の膝に落とした。悪い感触ではない。
「うーんと、つまり…そういう感情とかはやっぱりないんでしょ。」
「どういう?」
「だから…その…私とそういう事は、したくないですか?」
今、彼女の表情は髪で隠れて見えないけど、声は震えていた。僕はようやく彼女の質問の意味が理解出来て来た。
そう、考えれば自然な事なのだ。僕が16の時も悪ガキ仲間から怪しげなディスクを見せられて興奮したりしたものだ。しかし僕は当時から「変人ムネアキ」の名を欲しいままにする変わり者だったので、同学年の女性の性欲等について考えた事がなかった。
僕はアスカが好きだし、セックスもしたいと思うが、恐らくそういった事は、例えば後2年位経って彼女が十分身体的にも大人になってからの話になると考えていた。
僕はまだ迷っていた。
アスカは突然立ち上がって、あっかんべえをして見せた。
「へへーん! ひっかかったー! 驚きました? 森さん奥手だから。」
じゃあ、その目に光っているのは何だ。何故鼻が赤いんだ。
僕は珍しく、少し怒っていたと思う。僕も立ち上がった。
「アスカ。…前にも言っただろう。言いたい事があったら、何でも正直に言ってくれ。君が無理をして、僕が喜ぶと思うのかい。僕が」「だって!」アスカはまた涙をあふれさせて、叫んだ。
「森さん何時だってそうじゃないですか! 都合が悪くなるとすぐはぐらかしてばっかりで、本当は私の事なんて」
僕は彼女の口を塞いだ。
やはり唇は変な感触だと思うのだが、相手の体温が人に安心感を与えるのではなかろうか。
しばらくして彼女は口を放した。
「そうやって、都合が悪くなるとすぐはぐらかすんだから…」
彼女はそうつぶやいて、僕の体に巻いている腕をぎゅっと締め付けた。
その夜僕達は初めてセックスをした。
彼女はやりかけの算数ドリルを閉じる。
今日も暑くなるのだろう。
陽が彼女の顔に当たる。
彼女は窓からの光に眩しそうにしている。
彼はブラインドをやや閉じる。
「せ、先輩、眠らないで下さいよ。」僕は耳がこそばゆくて起きた。
まだぼけっとした目で見回すと、2年の坂戸君が恐縮して立っている。1年の川越君、若葉さんはこっちを見てクスクスしている。
「あ、ご、ごめん…寝てた?」言わずもがなの質問を思わずしてしまう。
「お願いしますよ。一年生にとっては、今が大切なんすから。」坂戸君が生真面目に答える。
彼は短髪だし、口調もしゃきしゃきしていてここより野球部とかの方が似合いそうだ。
僕は苦笑いをしながら「ごめん。じゃあ、次は32ページのdを行くよ。」と1年生に指示を出した。
僕は2年生の時から、また管弦楽部に入り直していた。しかしもう3年生になって、夏以降は進路を考えなければならない。よって僕が部で実質的に活動するのは春の間だけ。今は後輩の指導が主で、僕自身のスキルアップも時間が空いたら、といった感じだった。
困った事は、チェロのグループのこの3人の後輩達が非常にやる気があるという事だった。こっちも彼等が目に見えて音が出せるようになってるのを見ると興奮して、用務員さんが来るような時間まで指導してしまったりする。これも毎日続くと、眠くもなるのだった。
学校の授業は、やっぱり全体としては楽しいとは思えない。しかし目標の為なら、少し位の苦難は乗り越えなきゃいけないんだ。…苦難って言う程の事じゃないけど。クラスでの僕はやっぱり友人という程の人間はいないのだが、それでも2・3人良く話す相手は出来るようになった。まあ、彼等と話すのの10倍以上の時間で部活の後輩と話しているような気もする。
結局今日も6時半までねばってしまった。日本はサマータイムを採用していない。そのためまだまだ外は明るいので、夕方という感じはしないのだが。
坂戸タクミ君は僕と帰る方向が同じなので、しばらくの道を一緒に帰る事になる。虫が賑やかに鳴いている道だ。
「彼等の飲み込みは本当に速いですね。」バッグを肩に高めに下げて、彼はにこやかに言う。
「うん。僕もあの2人を見ると、なんかこう、励まされる感じがするよ。」
僕も思わず笑みがこぼれる。
「そんな老け込んだような事言わないで下さいよ。」
「あ、ごめん。…でも、本当にそう思うんだ。坂戸は知らないだろうけど、僕は1年の時、色々あって凄く落ち込んでた頃があって、一度は楽器を捨てようかとも思ったんだ。でも思い止どまった。今の僕にある才能は、これ位だから。ああ、才能なんて言うほどのもんじゃないけど。…だから、彼等の成長には凄く励まされるんだ。」
坂戸君はまた熱っぽく話す。
「またそうやって自分を卑下する。先輩めちゃくちゃ上手いじゃないですか。僕は先輩の事好きなんすから。」
一瞬僕の足の動きが止まった。視線も止まる。
「え、あ、あの…僕、そういう趣味は…」
「何だ?」という顔の坂戸君は、ここで自分の言った言葉に気付き手をぶんぶん振った。
「あ、ち、違うっす! そうじゃなくって、あ、すいません、「尊敬してる」って言おうと思ったんです。俺もホモじゃないっすから!」
2人ともその場の滑稽さに言葉を失う。
「ぷっ」
「「あ、あはははは」」2人ともお腹が痛くなるほど笑った。
僕は腕を組んで、首を振った。
「そうかあ、僕は坂戸に愛されていたのかぁ…」
「違うっす! 気持ち悪い事言わないで下さい!」しかし彼も目が笑っている。
「ははは…あ…でも、ありがとう。その、変な意味じゃないにしても、僕、人から好きだって言われた事あんまり、無いから。」
「そりゃ俺だってあんまり…え? 先輩、無いっすか?
女からも?」
「うん。」
「…そうっすか。」
彼は少しけげんそうな顔をしていた。
ここの交差点で僕と坂戸君はいつも分かれる。
「じゃ、また明日。」
「お疲れさまっすー!」彼は鞄を上げて答えた。
家に帰ると、玄関にまで何とも良い匂いが立ち込めて来た。今日はマヤさんが夕食を作ってくれる日だ。
これは、間違いなく、ビーフシチューだ。
「ただいま。」
「お帰りなさい。今日も遅いわね。体調大丈夫?」
キッチンから声が聞こえる。
「ええ、大丈夫だと思います。」
僕は自分の部屋に鞄だけ置いて、居間とキッチンと繋がった食堂、つまりLDKの椅子に座る。
「お腹すいたでしょ。今日は特製ビーフシチューよ。朝から肉を仕込んどいたんだから。」
こっちを振り返ってウインクをする。
「は、ははは…」未だにこういうマヤさんは慣れない。
その後僕はマヤさんと他愛もない話をして、食事が終わる。作るのは時間がかかるが、食べるのはつくづく簡単だ。
「お風呂も入れてあるから、先に入って良いわよ。」
まあ、これはこの家の習慣としていつも通りだ。食事当番が食器洗いもするから、その間にもう一人がお風呂に入る事になっている。
僕はお風呂に入りながら思った。
そうだ、マヤさんと2人暮らしなんだよなあ…
なんだかそう思うと急に変な感じがした。普通に考えたら…やっぱり変だよな? こんな年の近い家族なんて。…あんまりそういう事、考えた事無かったな。
マヤさんには悪い事なのかもしれないけど、僕は何時だって考えている事は只一つだった。
アスカ。
アスカを何時か振り向かせる。
全てはそのためだった。僕の得意な物はチェロ位しかないから、結果はどうあれもう少しだけ頑張ってみようと思ったし、音大…は無理っぽいけど、大学には進学するつもりだ。実際にそれで彼女を振り向かせられるか、と言われたら、正直心許ないけど。まあ、ベストは尽くそうと決めたんだ。
今夜は泣くかもしれないな…
今でもたまに、寝つけない夜に急に涙が出ることがあった。
…それでも、これだけ忙しいと、最近はすぐ眠れるようになって来ていた。
「ありがとう。」
彼女は無邪気にそれを食べる。
あたしはわくわくしている。ようやく上がった書類をフォルダにしまい、彼の方を見た。
「これでいいわ。」
彼はあたしの後ろに立って、あたしの向かっていた画面を見ていた。
「うん。それじゃ、合意成立だな。」
「そうね。」あたしは報告書を上層部にメールで送る。
「実験が開始されるのは…」
「来週初めだろう。誰かさんのお陰で、シミュレーション検証に時間がかかった。」
軽い口調で、彼はあたしの肩で指を遊ばせながら言う。
「その点は譲れないわ。あたしが初めて指揮を取る実地のインパルスロボット実験ですもの。あたしの好きなようにやる。」
彼は肩をぽんと叩いて笑った。「その意気だ。」
「来週が楽しみだわ。」
「僕もだよ。」
いきなり彼はあたしの肩に顔を埋め、あたしを抱きしめた。
一瞬私は戸惑ったが、振り向かずに思いっきり腕を引っ張ってやった。
「ムネアキ…」
あたしが彼を下の名前で呼ぶのは、2人きりの時だけだった。
「あたし、感謝してるの。ムネアキがいなかったら、ここまで頑張れなかった。」
「それは僕もだ。」
「うん…」
ムネアキの腕、あったかい。
「ムネアキ、愛してる…」
「僕も愛してるよ、アスカ…」
「あん、ムネアキ…」
「アスカ…」
「ムネアキ…」
私達はまた、恋人の口付けを始めていた。
彼はそんな彼女を細い目で見つめる。
満足気に彼女は兄に言った。
「ふう。今日もごちそうさま。」
つづく
それでは、「来週も、地味に地味に!」
23,24,25日と投稿爆発してました。
私ね、先週の水曜辺りからボロボロなんですよ・・・・
ちょっと回りで大問題が起きていて−−−
精神面、体力面。
キツイ。
もう、本当に、息をするのも辛い。
3時間連続で眠りたい。
その状況の中での投稿爆発。
投稿を頂けるのはとても嬉しく、
その作品を読むのは凄く楽しいんです。
でも、
今の私の状態で1日8本のUP作業は限界でしたね・・・・
ヤバイっす。
EVAが嫌いになりそう(^^;
で、この第7話。
アスカのセリフ「ムネアキ」・・・厳し〜〜!(^^;
死にかけの心にクリティカルでしたよ・・・
ねえ、フラン研さん。
私のためにベタなLASバージョン第7話を書いてくれませんか?(笑)
このお願いをするために愚痴をウダウダ書きました(爆)
さあ、訪問者の皆さん。
Lovelove Asuka-Shinji 殺しのフラン研さんに感想のメールを!