TOP 】 / 【 めぞん 】 / [フラン研]の部屋/ NEXT

 



第四話

旧第三東京跡は市の中心部の殆どが爆心湖、第四芦ノ湖の湖底に沈んでおり、発掘は困難を極めると思われた。水を抜いて発掘することも検討されたが、それに伴なう莫大な費用などは捻出できなかったので、補償委員会はそのままの状態で水中探索をする他無いと結論付けた。ジオフロント内の最深層部分、つまりセントラルドグマ周辺は意外にも浸水していなかったこともこの決定を後押しした。

長尾峠付近。
良い見晴らし。心地良い風。
森とアスカは多数の小型潜水調査船、運搬船の停泊する湖畔に立っている。2人もこれからその一つに乗り込み、ジオフロントを訪れようとしていた。潜水船が現在唯一使用可能なジオフロントへの交通手段である。

アスカは持っていたPDAのスイッチを切った。軽くため息を付いて、先ほどまでの会話を総括した。
「要は、もう掘り返すようなものは特に残ってないわけね。」
森は苦笑しながら同意する。
「そうだね。発令所付近は殆ど「蒸発」してしまったんだ。せめてマギだけでも残っていれば、一々これだけのロボット船をリースすることもなかったろうけどね。うん…まあ、これも念を入れているだけかな。」
湖畔の風は涼しい。アスカの美しい髪がさらさらなびいて、輝いている。
「念?」
「今、集中して探索しているのはつまり残った最下層の部分だ。ここに全ての謎への答え、があったらしい。と言っても殆どは大爆発直前に隠蔽されてるけどね。単なるエヴァやマギの技術なら旧ネルフの各支部にもバックアップがあるけど、碇指令の真の目的はここでしかわからないんだ。」
「例の、私達パイロットは踊らされていて、裏には別の目的があった、っていう話ね。」
アスカの表情は少し堅かった。しかし同時に目は冷静だった。

それでも森は気遣って言った。
「ああ、研究者の無神経な発言だったかな。済まない。」わざわざこっちを向いて微笑んだ。
「…良いのよ、そんなことで気を使わなくて。今までの事を私は私なりに納得しているし、それ位の事に一々動揺していたらこんな仕事やってられないわ。」
「確かに」見ると森の顔は湖の波の模様が映っている。
「確かに、ここでは、当事者だった君にとっては辛い仕事も多いと思う。僕は一般の人間感情にどうも疎いところがあるみたいだから、つらい時、不愉快な時はいつでも指摘してくれ。…そういった人間の機微は、僕にとっての宿題みたいなもんだからね。」
「フフ…」アスカは森の顔をのぞき込んだ。
「森さんて、面白い人ね。」
一瞬森は驚いたような表情をした。あるいは、女性に慣れていないだけかもしれない。
「そ…そうかな。」ぎこちなく微笑んだ。
 
 
 
 
「そうよ。」
アスカは自分の気持ちに忠実に、歌うように言った。
 


アスカは今日も帰って来ないみたいだ。仕事だから仕方無い、といえばそれまでなんだけど…思わずため息もつきたくなる。
せっかく食事を作っても、結局一旦冷めたものをレンジで暖めることになる。それでは栄養が壊れてしまうし、何よりおいしくないと思う。マヤさんはもう諦めて2人分しか作らなくなってるけど…最近はそうやってラップで包んだ物すらまず減らないし。ちゃんとした物食べてるのかな? 残暑も厳しい時期で、スタミナもいるだろうに…

最近のアスカは、とにかく忙しいらしい。たまに家に帰って来てもシャワーだけ浴びて自分の部屋のベッドに直行しているみたいだ。アスカ、お風呂好きだったのに。

アスカにこんなこと言ったら怒られそうだけど、やっぱり最近の僕は自分が一人であると感じることが多くなって来ている、と思う。マヤさんは本当に僕によくしてくれてる。でもマヤさんは例えばアスカみたいな同年代の「友達」とは違うし、トウジやケンスケみたいな悪友とももちろん違う。馬鹿な話は出来ないし、何より僕の心のもやもやを吐露できる相手ではないような気がする。マヤさんは、最初「何でも悩みがあったら言うのよ。」って言っていたけど、僕の今のもやもやは悩みなんかじゃないんだ。うまく言えないけど、そんな立派な、存在することが許されるような性質の物ではないと思うんだ。

一人の高校は退屈だ。勉強は、可もなく不可もなくといったところだろうと思う。僕は、そもそもが人と話すことに慣れていない性格だったが、一旦落ち込むと更にどんどんふさぎ込んでいった。誰も僕に必要以上の事を話しかけないし、僕も誰にも最低限必要な事以上は話さなくなっていった。
 

「このままじゃいけない」
そんなことは分かっている。

「自分から動かないと」
そんなことは分かっている。

「自分から心を開いて」
そんなことは分かっている。

「傷ついているのは僕だけじゃない」
そんなことは分かっている。

「誰だって心に寂しさを抱えている」
そんなことは分かっている。

「自分から働き掛けなきゃ、何も変わらないよ」
そんなことは分かっている。

「僕は一人は、嫌なんだろう?」
嫌だよ。

「なら、そんなふうに非生産的な態度を取るのは止めろよ。僕は一人が嫌なんだ。だったらもっと最低限でも社交的にならなきゃ。僕の論理に何か問題があるかい?」
別に無いよ。

「なら、自分から心を開いて」
そんなことは分かっている。分かっているよ。

ただ、分かっているのと実行できるのとは違うんだ。

分かっているけど、出来ないんだ。
だから僕は罰を甘んじて受けようと思うんだ。こういう性格なんだ。

仕方無いよ。

2学期に入って、僕は管弦楽部も止めてしまった。やってても、だって意味が無いんだ。僕は5才の時からチェロをやってるけど、結局物にならなかったのを自覚している。音楽は、少なくともクラシックは、幼いころからやっている人でないと圧倒的に不利になる。違う言い方をするとある程度以上の年齢になってからでは、中々「努力」だけでレベルアップするというわけにはいかない。技術そのものは上達可能だけど、天性の音感の部分でかなわなくなるんだ。そして僕は小さい時に物に出来なかった。例えばアスカとかマヤさんみたいな音楽を知らない人なら誉めてくれたりするけど、それは正当な評価ではないんだ。やっても意味の無いことなら、止めても文句を言われる筋合は無いと思う。

そして、僕には何も無くなった。

僕は何もすることが無かった。学校に行って、誰とも話さずに授業を消化する。誰の顔も見ずに帰って、部屋に戻る。最初の内はS-DATでクラシックを聞いていたけど、却って心が苛立ったので聞かなくなった。

何もしないでいると、1日の時間は長かった。

僕の生活は先生の家にいた時に戻っていた。いや、それよりも僕は悪いはずだ。まだあの時はチェロを続けていた。そもそも今の僕は環境には恵まれてるじゃないか! マヤさんは親身になって心配してくれているし、アスカだって「あんたは一人じゃないのよ」と言ってくれている。彼女は最近家に帰って来てないけど、それだって今、仕事がたまたま忙しいからじゃないか。結局、僕が勝手に塞いでいるだけじゃないか。
 
 
 
心を閉ざしているのは僕だ。
 
 
 
 
悪いのは、全部、僕の心だ…


アスカは最近忙しかった。しかし、それは全く苦にはならなかった。
結論から言うと「人類補完計画」の肝心の部分は殆ど跡形もなく消え去り、今更ながら旧ネルフの隠蔽工作の完璧さに舌を巻かざるおえないといった状況だったが、それでも仕事は山積みであった。
予算や軍備の乏しい現状でどのように各国政府の追及をかわし残された情報を保管していくか。平和利用への転用研究。そして何より最優先で行なわなければならない、世論コントロール。特に最後の任務は事実上国土が「地球防衛戦争」唯一の戦場となった日本で重要であった。

「この「地球防衛戦争」って誰が考えた名前なの? ウルトラマンか何かみたいね。」
足を組み椅子でくるくる廻りながらウィンドウをペンで指差すアスカ。
「あ、それ、僕のネーミングなんだけど…」何だか縮こまってる森。
「え? 森さんがぁ? こ、子供っぽい、のねぇ…」
「いやあ、いいネーミングだと思ったんだけどな。「正義の戦争」って感じが凄く出てると思わない?」
真顔で聞いている。
「私、補償委員会の行く末が少し不安になって来たわ。」本気で言うアスカ。
「ああ、大丈夫。英語の正式名称は、ちゃんとしたお偉方が決定したから。」
「世論コントロールが一番必要なのは日本よ。日本語の名称が一番重要でしょ。」
なるほど、と言わんばかりにぽんと手を叩く森。
「ああ、そうねえ。」

アスカは頭を抱えた。

子供っぽいところが気になるが、森は技術者としては申し分無かった。彼もまだ23才なのだが、別海大学環境学部在学中に生態系学とロボット工学をクロスオーバーした研究論文を雑誌に投稿したところ、その才能を見込まれ補償委員会にスカウトされた。彼はまだ研究者としては不慣れなアスカを過不足無くサポートしていた。アスカが分からないところがある時でも、たいてい質問する前にふらっと現われて「何やってるの?」と言ってきたりする。そういった点は、アスカはつくづくパートナーが有能なことに感謝した。

そして森はいつも子供のように笑っている。
仕事以外の面では森は何処か抜けていた。しかしアスカは、森を見ていると心が安らぐ自分に気付いた。

気付くとは、つまり認めること。
自覚がある上で森と話しだす。森を見るようになる。森がそばにいる。
意識して自分の心の動きをモニターして、彼女は一つの結論に達した。

自分が説明している事への食い付きが悪い。どうも生返事なのだ。森は何か反対意見でもあるのかとアスカの方を見た。
アスカが何か困ったような顔でこっちをじっとにらんでいる。

「どしたの、最近? 何か僕、気に障る事でも言った?」
少し眉をひそめ、森はやや不安気に聞いた。
「あ…ううん、何でも無いの。こっちの問題。あれ、私怖い顔してます?」
アスカはあわてておどけた。
「うん…何か気になることがあったら、いつでも言ってよ。それで、このエリアの残存物質なんだけど…」

森の説明を聞きながらアスカは確認していた。
そう。この感じ。確かにそうなのよね。

9月も終わりに近付いて、暑さもほんの少ししのぎやすくなって来たころ。
森達の研究班は発掘調査が仮終了したことを記念して、松代近くの繁華街、篠ノ井の居酒屋で打ち上げをしていた。

総勢4名の一行は、ビールを乾杯していた。
「これで一段落、か。少しは仕事も楽になるかな。」コップ一杯分飲み干して、森がアスカに聞く。
「本気で言ってるのお? 何にも終わってないじゃない。あーあ、こんなに忙しくなるって最初から分かってたら、こんな所には来ずに、青春をエンジョイしてたのになぁ。」髪をいじくりながらアスカは言う。
「あー。そんなことを言ったら、課長ショックでいじけちゃいますよ。」
アスカの向かいに座る、20代後半のショートカットの女性、佐藤が森の方を目で指して言った。
「そうそう、アスカちゃんがいないと、課長本当に寂しそうなんだから。」
アスカの隣、森の向かいに座る男、川辺が同意する。彼は身長は低くやや小太りで、眼鏡はかけていない。年齢は森と同じ程度に見える。
「え、森さんまさか私が好きだとか?」
堂々とビールを口にしているアスカも悪乗りする。

森は笑顔で言った。
「うん。好きだよ。」

「は? あ、どうも。」意外な答えに素っ頓狂な答えを返すアスカ。

「かわいいし、頭も良いし、明るいし、非の打ちどころがないよ。うん、君の彼氏になる人は、幸せ者なんじゃないかな。」
「あ、分かる?」アスカは冗談で混ぜ返した。顔は笑っていたが、少し寂しかった。

「飲み会」は11時前に終わった。1名未成年者がいるのであまり遅くまでいるわけにはいかない、という同僚の配慮である。
森とアスカは2人で松本に比べて明かりの少ない通りを歩いていた。まだ虫の声がする。

「はー。アスカちゃん、疲れた?」
「いえ、全然。」
「そう? そうか、そりゃそうだよなあ。考えてみればまだ15なんだもんなあ。僕達おじさんとは、体力が違うよな。」
森は腕を延ばして夜空を見ながら、自嘲気味に笑った。
星は、それほど見えなかった。

アスカはうつむいていた。そして森の顔をちらっと見た。
アスカは軽い声で言った。
「森さんから見たら…私はやっぱり子供かな。」
「子供だと思うよ。」森は前を見ている。
「そうか…そうだよねえ!」
アスカは無理に笑おうとしたが、何故か出来なかった。
「でも、僕よりは大人かな。」
「私は、わ…たし、は…」
 
 

 
アスカは立ち止まって、森の方を向いた。森も歩くのを止めた。

「私は、あなたの恋人になるには子供過ぎますか。」
 
 
 
 
まだ晩夏だが、アスカは風を肌寒く感じた。

あ…あたし、いきなり何言ってるんだろう。あたしは、いつからこんなに薄情な女になったの。

分かってたんだ。あたしは頼れる「お兄さん」に憧れているだけ。それがシンジに無いからって仕事の同僚に求めて、身勝手にも程があるわ。あ、森さんがあたしを見てる。笑ってない森さんなんて、初めて見た…息が苦しい…御免なさい。迷惑よね。森さん、そんな顔で私を見ないで…
 
 
 
 
森は手を差し出して微笑んだ。

「僕みたいな子供でよければ、喜んで。」

 
 
 
通りを生暖かい風が吹き抜けていた。


嫌な雰囲気の食卓だ。僕は箸を進めるのがためらわれた。

「私は、認められないわ。」マヤさんは顔を強張らせた。

8時25分。伊吹家久しぶりの3人揃った食卓は、何だか冷たい空気が支配している。

アスカは立ったまま言った。
「マヤが認める認めないの問題じゃないわ。あたしはもう、決めたの。警備上の心配をしているの? あたしが越すのは幹部専用のマンションだから、何も問題は無いわ。」
「そういう問題ではないでしょ? あなたは、まだ15才なのよ。たまたま特殊な立場にいるけど、本来なら高校生なのよ。まだ一人で暮らす年齢ではないでしょう。」

アスカは今日久しぶりに早めに帰って来て、突然、「松代に引っ越して一人で暮らすことにした」と僕達に伝えに来たのだ。

「それにアスカちゃん、家事とか出来るの? ここにいれば面倒な事はしなくて済むのよ。確かに殆ど毎日研究所に行くのは時間がかかるけど、それだって往復一時間くらいでしょ。何でわざわざ一人暮らしだなんて。ねえ、シンジ君もそう思うでしょ?」
マヤさんは、殆ど泣きそうだった。一旦持っていたお味噌汁を置いて僕に聞く。
でも…もうアスカは、この家にいないも同然なんだ。
「でも、…最終的には、アスカの決めることだと思います。」
「シンジ君!」
「そういうことよ。私もこの家にいたいけど、毎日研究所漬けじゃ帰ってこれないでしょ? それなら松代に住んだ方が早いじゃない。明日中に業者が来るわ。」
アスカは言いたいことだけ言って自分の部屋に引っ込んでしまった。

翌日アスカは僕達の家を出ていった。

つづく


次回に続くよどこまでも
ver.-1.00 1997-06/25 公開
感想・質問・誤字情報・御飲食・御宴会・ネタ提供(切実)などは こちらまで!


何と言うか、あっさりとした小説ですね。何故いきなりそうなる、アスカ? うーん。(^^;; ま、頑張るわさ。
それでは、「来週も、地味に地味に!」
最新情報:意外に10話じゃ収まりきらないかも。


 フラン研さんの『キーホルダー』第四話、公開です。
 

 第一話後書きにあった『真綿で首を締める』世界が展開されていますね。

 シンジはすべてを失って・・・自分から棄てていき、
 アスカは新しい拠り所を。

 ホントにアスカxシンジの人--私の事です--には辛いぞ (笑)
 真綿が首に喰い込むーーーー
 

 森って・・・ロリコン?(^^;
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 フラン研さんに貴方の感想を送って下さいね!


めぞん/ TOP/ [フラン研]の部屋