7月下旬。
「あ、シンジ、お帰りなさい」今日は珍しくアスカが先に帰って来ていた。彼女は端末をいじっている。ちらっとだけ僕の方を見て、すぐにウィンドウに視線を戻す。
「ただいま。今日は、早かったんじゃない。」僕は靴を脱ぎながら言った。
「そうねえ。たまにはシンジの作る夕食も食べたいしい。」ここでアスカは僕の方をちゃんと見て、微笑んでくれた。
何だかアスカのそう言う言葉は久しぶりに聞いたような気がする。僕は素直に、嬉しくなったが、今日の順番を考えるとちょっと申し訳ないような気持ちにもなった。
「あ。でも、今日は、マヤさん当番なんだけど…」
「えー? そうだっけ?」そりゃあ最近全然家で食事取っていないんだもん。分からなくても当然だよ。
「でもマヤもちゃんと作るわよねー。仕事大丈夫なのかしら? 」
「図書館司書だからね。残業の日もあるけど、大体この時間には帰ってこれるんだよ。」
「でも、その当番を変えることは出来ないの?」
言うと思った。ああ、またコーヒー飲みながら端末打ってる。タッチキーって、熱に弱かったんじゃなかったの?
この前こぼして絶叫したのは、誰だったっけ?
「うーん。でも、一応決まりだし…」
僕は嘘を付いていた。こういう当番の順番が崩されるのはもともと気持ちの良いことではないけれど、それもアスカの望みなら僕の食事を食べてくれるという喜びの方がはるかに上回る。僕はこの時結局甘えていた。アスカに「どうしても」って言わせたかったんだ。…未練があるのかな。
「えー? シンジの夕食楽しみにして帰ってきたのにい。」彼女はかわいくふくれっつらを作って見せた。
「ま、順番だって言うなら、仕方無いけどさ。」あれ?
「ただいま。」マヤさんが帰って来た。帰りに買ったのであろう夕飯の食材らしいスーパーの袋をぶら下げている。
「あ、おかえりなさい。マヤさん。」
「ただいまシンジ君。 うん? 何で玄関でじっとしているの?」
「あ、いや、僕も今帰って来たところだから。」
「あら、そう。あら、アスカちゃんももう帰って来ていたんだ。早いわね。」
「何だかそう早い早い言われると、あたしにいて欲しくないみたいね。」
「そおよお! 私とシンジ君の愛の巣を邪魔してー。」食材を冷蔵庫に入れながら、とんでもないことを言うマヤさん。そう、最近の彼女は、結構冗談好きになってしまった。アスカの影響だろうか?
「あー、もうバカシンジならのし付けてあげるから。気にしないでいちゃついて頂戴。」手でしっしってジェスチャーをしながら、軽く流すアスカ。
マヤさんには、この前の事は何にも言ってない。
「あら! アスカちゃんとシンジ君は終わっちゃったの! じゃあ本当にシンジ君、もらっちゃおっかなー。」
誰かに似ていると思ったら…ミサトさんだ! でもこんな所似ないで欲しい…そのうち家事もやらなくなっちゃったりして…
「何さっきからそこでぶぉーっと突っ立ってんの? シンジ。」
「あ、何でもないよ。」僕はそそくさと自分の部屋に向かった。
「もうボケだしたの? 同居人の一人として、あたしは悲しいわ。」
僕は無視して着替えに行った。
あの5月の終わりの土曜日以来、僕達は「恋人らしい」事は一切していない。口にも出さない。
最近僕はアスカの顔を見ると何とも複雑な気持ちになっていた。彼女が嫌だと言った以上、僕は彼女を女性として見てはいけないんだ。だから見ていると切なくなる。でも見れない日はもっと寂しい。
僕達2人は中学校を卒業してから、中の中といった高校にそろって進学していた。学費はマヤさんが負担している。僕が充分お金は入るから、僕が払うと言ったら、マヤさん本気で怒って3日間は口をきいてくれなかったっけ。あの時、アスカは何か就職の話があるとも言っていたけど、僕と同じ高校に入ることにしたんだ。僕はそのことはほとんど忘れていた。
そして、アスカは今は高校に来ていない。たった3ヵ月で高校を中退して、やっぱり就職することになったのだ。
だから最近はあまり顔を合わせられない。今日僕は、久しぶりにアスカの顔をゆっくり見れて、とりあえずそれだけでも嬉しかった。
5ヵ月ほど前、2月中旬。
アスカは何の迷いもなくシンジと同じ高校に進学するつもりだった。しかし一通のメールが来て、彼女は悩みだした。
そのメールは人類補償委員会日本支部からの物で、最高度のプライオリティで送られて来た。
「年金振込報告にしては、様子が変ねえ。」独り言を言いながら彼女が開くと、そこには意外なメールが入っていた。
内容をかいつまんで言うと、人類補償委員会では人員が不足していて、特に管理職、研究職の人員が足りないこと。更に過去のエヴァ機密を扱う人材は限りがあるので、あらゆる所から募集しているが、そこで大学理学部卒業のアスカに来てくれると助かる、といったものだった。中学卒業後、来て欲しいという事だ。
アスカはシンジに相談した。
「良い話じゃない、それ。」シンジは言った。
チルドレンだったということは、必ずしも現在の彼等に良い生活環境を与えるものとは限らない。監禁などこそされてはいなかったが、彼等の行動は常に護衛に守られていたし、住民の多くがネルフ関係者だった第三東京と違ってここ松本では彼等が何かの事情で浮いた、特殊な存在になってしまう危険性は常にあった。ただでさえ失業率の高い現代日本で、彼等の付ける仕事の選択肢は決して多いとは言えなかった。
しかし、人類補償委員会なら内部では安全性はまずクリアされるだろうし、アスカの知識や経験をフルに生かせる仕事に就けるはずだ。
昼間会えなくなるのは寂しいけど、僕達はまず自分達の生活をどう切り開くかを考えなくちゃならないだろう。
シンジはそんなことを考えていた。
「そうねえ。確かに私達のこれからの生活を考えると、有利な話かもしれないわね。」
そう言いながらも、最初彼女はあまり乗り気ではなかった。
今でこそ補償委員会は軍事にノータッチの姿勢を取っているが、エヴァという各国が垂涎するテクノロジーを保管する機構である以上軍隊的性格からは逃れられない、そうアスカは考えた。
「入る以上は、命の覚悟は必要だと思うわ…まあねえ。チルドレンになった時点で、その部分は宿命付けられちゃってんのかもしれないんだけどねえ。」アスカは真面目そのものと言った調子で続けた。
「でも、一番の問題は、シンジの顔が見れなくなるということね。」
この時の2人は、まだ互いの恋人としての関係に疑問を持ってはいなかった。
「え? 家では、いつでも見れるんじゃないの?」
「あんたバカぁ。本気で補償委員会なんかの仕事しだしたら、残業続いたり昼夜逆転したりするのは目に見えてるでしょ。ミサトのこと忘れたの?」
「なるほど…」
既にシンジはミサトやリツコ、レイの名前が出て来ても特に感慨に浸ったりはしなくなっていた。
アスカにとっては、冗談でなくシンジといられるかどうかが一番の問題であるようだった。
一旦は彼女は就職を蹴って、彼と同じ高校に進学した。
しかし7月に入って、1学期を数週間分残したまま急に彼女は高校を止め、補償委員会に入ったのだった。
アスカは「やっぱりどうしてもやりたくなったのよ、学校の授業は退屈だし。」と簡潔に理由を説明した。
マヤは「今行かなくてもいい」と反対していたが、アスカの強い意志に押されたようだった。シンジも2人が何回か深夜まで話し合っているのを知っていたが、シンジは蚊帳の外だった。結構感情的な性格の2人なので喧嘩しないだけ良かったのだが、それでも一度マヤは朝を支度しているシンジに「女同士だと意地張っちゃって駄目ね。」と愚痴っていた。そのときはシンジには何の事だか分からなかったのだが。
就職後、よほど人材に困っているのか、彼女は重用されているようだった。シンジはアスカがどういった仕事をしているのか深くは知らなかったが、アスカはここ数週間毎晩遅くまで端末をいじっているようだったし、一週間ほど前は旧第三東京に「出張」に行ってきていた。シンジがそのことに驚くとアスカは呆れた調子で行った。
「それどころか、松代はほとんど毎日行ってるわよ。交通費洒落にならないんだから。」
最近は3人が同時に家に寝ないで居るというだけで結構貴重であった。
シンジが風呂からあがったのは11時。見るとアスカはまだ端末に取り組んでいた。
数週間前、7月の初め。
アスカはJR新松本駅の東口の通りを歩いていた。松本電鉄第二新東京市駅のある側、つまりJR駅からみて西側は丸居、西部などのデパートもあるメインストリートであり、アスカも学校の帰りによく寄り道したりしていたが、こちら山側はそう何回も来たことはなかった。通りも西口に比べるとぐっと交通量が少ない。
そのビルは意外なほど小さかった。いや、企業の感覚で言えば充分立派な、黒いミラー張りのオフィスビルなのだが、国連直属の特務機関にしてはどうも素っ気の無い建物であった。
「そう、ここね。」
アスカは意を決して、中に入った。
「あの、すいません。」
受付嬢は彼女が建物を間違えたのだとばかり思った。目の前にいるのは緊張した面持ちの白人系の赤い髪の少女。顔は比較的大人びているが、せいぜい高校生。時々いるのだ。向かいの英会話学校のバイトをしにでも来たのだろう。そう思って彼女は返事をしようとした。
「今日から技術調査部に所属することになった、惣流という者ですが…森さん、お会いできますでしょうか?」
「あ…森、でございますか?」
「あなたが惣流さんですね。」
あわてた受付嬢が職員情報をチェックするより前にアスカの背後から声がした。
「あ…」
アスカが振り向くと、そこには20代前半の青年が微笑みながら手を差し出していた。髪は少し長めの短髪で、縁の細い眼鏡をかけている。背は結構高いが、線が細く明らかにスポーツマンタイプではない。目は細く、ともすれば冷たい印象を与えそうな顔の作りだが、その微笑で悪い印象を打ち消していた。
「あ、森さん、ですね。あの、初めまして。」あれだけメールでガンガン議論した後で言う言葉ではないな、と思い、アスカは笑いが漏れて来そうで必死に自分の頬を噛んでいた。
「初めまして。補償委員会入隊、おめでとうございます。」
彼も敬語に違和感があるのか、何だかおかしそうだった。握手を終えて、彼は持っているノートパソコンをぽんと叩いた。
「これからパートナーとして一緒に研究をすることになります、技術調査部1課担当、森ムネアキです。よろしく。」
やだ、きれいな笑顔…何でこんな事で顔が赤くなるの。あたしも節操がないわね。
「私こそ、よろしく。」
つづく
…ヤバいっすよ。某ページで、これからこの小説で書こうとしているのと似た内容の話を見たっすよ。…しかも、そのページとは「穴」でしたよ。(^^;;;
くーーー。ラーメン食べたい(全く以て意味不明)。
今回の話時系列ぐちゃぐちゃ。混乱しないで読めた?前半部は本当は第2話予定の分だったから、難航難航。
既に苦しいですよね。常夏の世界なのに、7月下旬でも高校がまだ夏休みに入ってないのね。そ、そんなもんよ、その分2学期始まるのが遅いの。た、多分。
今回と次回の話は結構「繋ぎ」。それが終わると面白くなる、かな? …なったらいいな。森ムネアキって人名、大丈夫だよね?
私、無意識にパクってないよね? 心配だなあ(トホホ…)。
それでは、「来週も、地味に地味に!」
出てきたな、森ムネアキ。
こいつなのかな? アスカが言った”好きな人”とは。
これからコイツとアスカとシンジが絡まっていくのでしょうか?
アスカにとって、シンジは既にアウトオブ眼中なのかもしれないし、
逆に、「好きな人が出来た」発言自体がシンジに対する含みなのかも・・・
色々考えてしまいます。
一体この先どうなるんだろう?
取り敢えず、「穴」を見に行ってこようかな。
・・・でも、「穴」ですか・・・・・不安(^^;・・・・と・・・・・・期待(爆)
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