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 「目覚めよ 混沌に埋もれし 闇の眷属 ・・・・」

 麗しく昏い声が響く。狭い空間で発せられたその音は、乱反射して無骨な岩肌をなめるようにして周囲に伝わっていく。発せられた音は洞窟の隅々に波紋のように広がり、一条の光も刺さない空間に構造物の輪郭を浮かび上がらせた。
 漆黒の闇に佇む女性が一人。明かりも付けずに呪文の詠唱を続けている。

 「死霊の叫び 大地のことわりすらも引き裂く その闇を・・・」

 ゴツゴツした玄武岩に覆われた洞窟は、厳重な結界と忍び寄るような不気味な霧に囲まれており、獣さえ近づかない絶界に存在した。幾重にも張り巡らされた結界は、侵入者を阻ぶものなのか、それとも脱出者を防ぐものなのか。
 普通の人間の足なら、入り口から折れ曲がって進むこと3日ほどでそこにたどり着くであろう。黒き祭壇の前に眠るある一族の墓のもとに。もっともここではそんな心配は必要なかった。入り口にたどり着けるものが”普通の人間”などということはあり得ないことであったから。

 「恨みを重ねて来たれ 恐怖をまき散らして降り立て ・・・・」

 鎮魂歌のような旋律に乗って細い指が空間をなぶるように魔法陣を描いていく。ゆっくりと、そして艶やかに。

 「この地に混沌と災いをもたらさんがため 悠久なる呪縛から今こそ解き放たん」

 妖しげな魔法陣の完成とともに声が止まる。解き放たれた力が祭壇の宝玉に伝わり、地面に埋められた柱が隆起するのを見た詠唱者は、耽美な口元を満足げに歪ませた。洞窟内は背筋が凍るような凶々しい気で満ち始める。常人なら逃げ出す前に発狂してしまいそうな空気だが、女性は眉一つ動かさずにその様子凝視していた。これが彼女の望んだ光景であったから。

 「我らバルバロイの民に何用だ?虚空の女神の分身よ」

 威圧するような調子の声がこだまする。どこから発せられたかは見当も付かない。祭壇の前の柱かもしれないし、祭壇からかもしれない。あるいは立ちこめる障気が意志のこもった振動を形成しているのようにも聞こえたし、洞窟自身から発せられた趣もある。

 「おまえ達の力をもらいうけに来たわ」

 「血魂の契約を望むか?」

 「あいにく私たち使徒には血が通っていないのよ。それに魂を捧げる気はないわ」

 「ならば、帰れ。話すことは何もない」

 「私が望むのは協力ではないわ。隷属よ」

 冷然と言い放った女性は、懐から拳大の黒い珠を取り出した。先程から洞窟内を覆う障気と反応したのか、それとも元々の性質なのか暗黒を凝縮したような気を放っている。漆黒の気は大気を振るわせ、夜想曲のように響きわたった。

 「それは、業魔の珠か?・・・なるほど、従わない場合は消滅させる気か?さすがに白き神々の中で、最も多く人間どもを殺した神の片割れのことだけはあるな、空天使サハクィエルよ」

 「まあよい。破滅もまた我らが望み・・・」

 一拍の呼吸が空いた。自らの破滅さえ厭わないバルバロイの民とはいかなる輩か?サハクィエルは淡々としたバルバロイの長の言葉を聞き流していた。しばらくのあいだ沈黙が洞窟内を支配する。

 「一つだけ聞こう。我らに何を望む?」

 「EVAの適格者の抹殺。適格者の一人の姓は碇。だがただの碇ではなくてよ。六分儀の男と碇の女の間に生まれた子供・・・」

 「碇・・・我らを混沌に沈めし一族。そして封印者と巫女の間に生まれし者か・・・」

 うなるような声がした後、再び長い沈黙が続いた。  ”静寂は承諾の証”と言ったのはどこの国の詩人であったか。洞窟内には黙り込んだ障気と空天使の満足げな笑みだけが残った。




ジオフロント創世記

第16話

決戦、浅間山



 浅間基地襲撃の連絡が入った日の夕刻、すでにネルフは浅間山を見上げる奥信濃の街に到着していた。ネオトウキョウから200km以上離れたこの街に短時間で到着できたのは、UN軍が張り巡らせた魔法ネットワークのおかげである。魔法ネットワークは人を物資を情報を運ぶためにジオフロント世界全域に網の目のように走っている。
 UN軍がジオフロント最強の組織である所以はここにあった。いかなる大軍を持とうとも、正しい情報と適切な補給が受けられない部隊はただのオブジェである。いや、不平不満を吐き出す代わりに食料を浪費する分、オブジェの方がまだましな存在であるかもしれないくらいだ。
 数百人にも及ぶ人間を一度に転移させるには膨大な魔力を必要とする困難なことであるが、EVA00の力とリツコの熟練した魔法がそれを可能にしていた。魔法陣の規模の関係上、一気に全員を転移させることはできなかったが、絶え間なく魔法ネットワークは活動を続け、始めてから1時間もたたない内にネルフは到着を完了させていた。

 「まるで血の山ね・・・」

 とりあえずの作業を終えて外の空気を吸いに建物から出たリツコはそう呟いた。夕日に赤く染まる美しい山も戦いを前にした人間の目には凄惨なものに映る。ただしリツコは事実を淡々と述べただけであった。あの山はやがて血に染まるであろう。それは時間軸をずらしただけの既定事実であった。




 陽が落ちたにも関わらず、ネルフは行動を開始した。暗闇での作戦行動は昼間の何倍もの熟練が必要とされる作業である。ネルフの中に夜目が全くきかないような人間はいなかったが、闇夜の行動を得意とする魔族が待ち受けているのに夜間に行軍するのは危険極まりない行為である。

 「いつ龍脈が暴走してもおかしくないのよ。それに昼にだって罠はあるわ。まだ浅間基地襲撃からあまり時間が経過していない。相手に時間を与えては状況は不利になるばかりだわ」

 それが指揮官であるミサトの判断であった。ネルフは整然としてミサトの指示に従い行動を開始した。その様子はよく訓練されたもので、シンジは目の前で展開される行動を映画のワンシーンを見ているかのようにただ感心して見ていた。危機感のない顔は周囲の人間と比べて際だっていたが、緊張と暗がりに隠されて気づいた者はいなかった。ただ一人、誰にも悟られずに寄り添う影を除けば。
 ネルフは山頂にある龍脈の収束ポイントに向かって一直線に進んでいた。山の中腹にはUN軍の基地があり、まだ生き残りがいるはずなのだがミサトはこれを無視することに決めた。
 今重要なのは龍脈の暴走を起こす可能性をつみ取ること。それには龍脈を暴走させる力を持つ使徒を倒すか、レイのEVA00で収束地点に蓄えられた力を吸い取り、封印してしまうかのどちらかしかない。
 封印はレイが集めた力をもってかければ、使徒といえどもそう簡単に破れるものではなくなる。また収束ポイントに集まった龍脈を吸い取れば再び力が凝縮されるまで一,二年かかることが判っている。
 この作戦においてミサトがやるべきことは、使徒を倒すかレイを山頂に送り届けて封印を施すことである。UN軍にかまっている暇はなかった。

 「来ているわね」

 走りながらリツコが発した言葉にミサトは無言でうなずいた。登山を開始してからまもなくして、不気味な影がまとわりつくようについてきていた。つかず離れず微妙な距離を保ちながらネルフの部隊に併走している。カンの鋭いレイやシンジも何となく気が付いているのかもしれない。ミサトの傍らにいるシンジは時折左右の林に目をやりながら進んでいる。
 だがミサトは進撃速度を落としたりはしなかった。罠があるのは百も承知なのである。敵が待ちかまえていようといまいと、目的に対して最短ルートをとり、速攻で決着をつける、いかにもミサトらしい決断だった。
 それにしても不気味な影達の行動は不可解であった。何回か攻撃する機会と場所はあったはずなのに仕掛けてこない。監視するだけにしては攻撃的な殺気をたきだらせている。焦らしている可能性もあるが、このままの進撃速度を保てば山頂までは数時間、心身共に消耗するような距離ではない。

 「この先に余程強力な人員と罠が配備されているということ?」

 分かり切っていることをミサトは改めて口にした。行く手には使徒が待ち受けているのだ、言葉に出して確認する必要もないことである。しかし焦らすような余りに人間らしい攻撃にとまどっていた。それがネルフの横を誰にも気づかれずに疾走する二人の男によってもたらされたものとも知らずに。


 「ボランティアにしては今回は骨が折れますね」

 「まったくだ・・・。それにしてもバルバロイの民とはな、太古の遺物を持ち出してきたものだな」

 「そうですね。あちらさんも色々とあって人手不足みたいですね」

 「人も使徒も争うことしか知らんのか・・・」

 年老い声の持ち主は嘆息して呟いた。通常の空間からは、姿は見えないし声も聞こえないが二人は気配と感覚だけで会話していた。少々投げやりな発言に若い方の男は無精髭をなでながら苦笑した。

 「おや、珍しいですね。愚痴ですか?冬月先生」

 「いつもは表に出さんだけだよ。碇とつきあい始めてから愚痴ばかりだ」

 「ま、そう言わずに。・・・そろそろ来ますよ。雑魚ではない本物のバルバロイが」

 戦場にいるとは思えないほど剣呑に会話した二人の男は、短く言葉をかわすと再び闇に溶けた。完全に姿を隠した二人は無言の、しかし絶妙な連携によって敵を葬っていった。片方の男が雑魚だと呑気に言っていた敵は、大部分の人間にとっては恐ろしい力を持つ輩である。UN軍の精鋭であるネルフのメンバーが一対一で戦って勝てる補償がないくらいに。
 彼ら二人は、性格も容貌も年齢も、全てにおいてかけ離れていたがただ一つだけ共通することがあった。絶大なる能力を有しているという一点において。そしてその力が時代の闇に生きてきたものであることも全く一緒であった。


 「私はあなた達を買いかぶっていたのかしら?ネルフ本隊にまともに近づくこともできないじゃない」

 「そのようですな」

 皮肉というより刃を突きつけるようなサハクィエルの言葉をバルバロイの長は軽く受け流した。山頂近くの上空に浮かぶ影が二つ。下方で繰り広げられている状況を見下ろしている。空天使サハクィエルはその優美な容貌を不愉快ように歪ませ、バルバロイの長は顔色一つ変えずに様子を眺めている。
 バルバロイの民の再三にわたる攻撃を阻止している男の正体をを知らなければ、長も焦りと怒りを隠せなかったかもしれない。長は二人の男の内片方の人間をよく知っていた。器は違うが中身とは何度も相まみえたことがある。恐るべき力をもって彼らバルバロイの民と何百年にも渡って血なまぐさい争いを繰り広げてきた男である。

 「余裕を見せてる場合ではなくてよ」

 サハクィエルの言葉には怒りと殺気がこもっていた。しかし”恐れを知らぬ”と言われるバルバロイの民の長は微塵も恐れを見せない。

 「もうすぐですよ。とっておきの男達が待ち受けている場所まで」

 「せいぜい善処することね。でなければ首が飛ぶわよ」

 サハクィエルは冷たく言い放つと虚空に消えた。バルバロイの長は振り返りもせずサハクィエルを見送ると自らも身体を踊らせた。サハクィエルの脅しは気にした様子も感じさせない。破壊を司る黒き神が作り出したと言われる彼らバルバロイの民にとって消滅ということは、何の恐怖にもならなかった。
 この世を破壊し自らも無に帰る、それが彼らの望みであり存在理由でもあった。それ故バルバロイの民は長い間封じ込められてきたのである。神の血脈と伝えられる一族の手によって。
 バルバロイの長は死は恐れなかったが、敗北は好むところではなかった。長い間封じられてきた身体を解き放たれた充実感もある。長は表情には出さずに笑みを浮かべた。この世界が混沌と闇に覆われることを願って。



 ネルフの先頭を切って疾駆していた青葉シゲルの足が不意に止まる。敵が襲ってきても止まってはならないとミサトから言われていたシゲルだが、正面の少し開けたところに悠然と佇む二つの人影は彼の警戒心をこれまでになく刺激した。
 ”コイツらは危険だ”と身体全体が告げている。背筋に冷たいものを感じたシゲルは剣を抜き放つと、いきり立つ部下を制して前に出る。

 「何者だ?」

 「何者とは愚問だな。敵に決まっているだろう」

 多少の侮蔑を込めて言い放った二人の男の言葉に、シゲルは全身の汗腺から冷たい汗が吹き出てくるのを感じた。前に使徒を見たときよりも汗の量は多かった。使徒は恐怖を感じることもできないほど巨大な存在であったのだが、シゲルはそのことに気づかなかった。ただし今目の前にいる敵の強大さだけは理解できた。

 「葛城ミサトと赤木リツコはいるかね?」

 すり足で力を溜めながら間合いを付け始めたシゲルに言葉が投げつけられた。声は決して大きくなかったが、シゲルは高めた闘気を一瞬そがれたような格好になった。

 「何の用かしら?無駄な争いをしている暇はないの。通してもらえるとありがたいんだけど」

 その声は部隊の前進が停止していたため先頭に追いついたミサトの耳にも聞こえていたらしい。ミサトはシゲルを制して慎重に前に出た。傍らには周囲に目を凝らすて警戒を怠らないリツコがいる。

 「それは困る。私たちはおまえ達二人を始末するよう、一族の長から言いつかっているのでな」

 影の片方の冷然とした声とともにミサトとリツコが突然闇に捕らわれる。一瞬の出来事にさすがにミサトとリツコも対応できなかった。慎重に場所と時を選んで仕掛けられた罠にはまった二人は漆黒のヴェールに包まれると同時に姿を消した。まるでマジシャンの芸当のように。

 「ミサトさん!リツコさん!!」

 シンジの絶叫が空しく響きわたる。そしてシンジの声が呼び水となったように潜んでいた黒い影がネルフに襲いかかった。障気を凝縮したガス生命体のような異形の影である。それまで影達の攻撃を阻止していた二人の男もこれを止めることはできなかった。
 今までより数が多かったこともその原因であるが、二人揃っていれば事前に連絡くらいできたかもしれない。それが不可能だったのは片方の男の前に恐るべき強敵が現れたためである。現在冬月はその強敵と睨み合ったまま一歩も動けずにいた。
 もう一人の男・加持リョウジは鋭い舌打ちをしつつも複数の影を相手に激闘を繰り広げていた。旧知の女性二人が異空間に囚われたことが気にならないわけではなかったが、適格者を守ることが彼に科せられた最大の任務である。とりあえずの危機を乗り切るまで迷いは心の奥に封印しておかなくてはならない。  ”あの二人なら自分たちでなんとかするだろう”、そう自分に言い聞かせた加持は雲霞のごとく押し寄せる影に向かって殺人的な刃を振るい続けた。




 ミサトとリツコは自分たちの認識の甘さを実感していた。シンジ・レイ・アスカが狙われることは予想通りとは言えたが、まさか自分たちが直接の標的になるとは思っていなかった。
 ミサトとリツコは異空間に取り込まれていた。薄暗がりで半球型のドームのような結界。見た目の広さは野球場と同じくらいありかなり大きめ。
 ミサトは軽く拳を握って龍脈と精霊の力が働くか試してみる。四種類の精霊は呼びかけに応じないが龍脈の力は感じる。異世界に取り込まれたわけではなく、何者かが作り出した結界の中に封じ込められたようであった。

 「これは使徒の攻撃ではないわね・・・」

 「いやにはっきり言うわね、リツコ」

 「神の分身である使徒は私たちただの人間のことなど見ていないわ。シンジ君達適格者のおまけぐらいにしか思っていないはず。だから・・・」

 「ご名答」

 言葉と同時に闇の牙が大気を切り裂いて飛んだ。背中を合わせるようにして周囲に警戒を放っていたミサトとリツコは、軽く身体をひねってその一撃をかわし再び警戒態勢をとる。

 「お初お目にかかる。私はバルバロイのムシェル」

 「同じくアンシェル」

 音も立てずに忽然と現れた二人の男は気負う様子もなく名乗った。両者とも細身の長身で鍛え上げられた鋼のような印象を与える。平静を保っているのは余裕があってのことか、それとも感情が希薄なためか、いずれにしても隙がない立ち振る舞いである。

 「私は使徒と違って君たちを決して過小評価はしない。いわば君たち二人が、ネルフの頭脳とも言える存在だからな」

 「バルバロイの民とはね・・・」

 「ほう、知っていたかさすがは天王流四天王」

 「名前だけはね・・・」

 「すぐにその力も知ることになる。もっとも死ぬまでのほんの短い間だけな・・・」


 シュワッーーー!!


 再び大気が二つに割れる。いや大気だけではなく空間までも割っているのか?繰り出された刃の左と右では景色が少し歪んで見える。これだけ大きな空間を作り出せるのだから切り裂くというのは造作もないことなのかもしれない。
 アンシェルと名乗った男の手がもう一度動く。互いに死角をかばい合うようにしていたミサトとリツコの間の空間が割れた。飛び退いてそれを避けたミサトとリツコだが、すかさずアンシェルとムシェルが二人に襲いかかる。ムシェルはミサトに、アンシェルはリツコに。斬り裂かれた空気が発する風きり音が闘い幕開けを告げていた。

 闘いの幕があがってさほど経たない内にミサトは劣勢に立たされていた。ムシェルは目にも留まらぬ高速移動を繰り返しながら攻撃を仕掛けてくる。精霊魔法が使えればとらえるかもしれないが、この結界内では精霊魔法は使えそうもないし、呪文の詠唱をする暇がない。
 ミサトは気功剣を乱射した。狙いを付けているわけではなさそうである。ただ当てずっぽうにあらゆる方向に荒れ狂ったように気を放出している。ミサトの気はムシェルの脇腹の辺りをかすめたが、ダメージは限りなく0に近かった。練り上げた鋭い気でなければ高位魔族にダメージを与えることはできない。
 ムシェルはあざ笑うようにミサトの気功波をかわすと手にした黒い剣を振るった。さほど大きい傷は与えていない。一気に致命傷を狙えば危険を犯すことになる。スピードを殺さずに動き回り、じわじわと追いつめていくつもりであった。
 突然ミサトは剣を鞘に収めた。軽く瞼を閉じると防御のために放出していた気も解除し無防備な体勢になる。
 ムシェルは不審に思って動きを一瞬止めた。葛城ミサトはどんな苦境にあろうとも諦める人間ではないということは分かっている。なにしろ六分儀ショウ=イロウルと戦った時ですら諦めることをしなかった精神の持ち主である。無防備に見える構えも成算があってのことにちがいない。

 「無想剣か?・・・」

 ムシェルは心の中だけで呟くと自分の行動を悟られないように息をひそめ闇にとけ込んだ。自分を無の状態にして間合いに入り込んでくる敵を神速の抜刀術でしとめる無想剣。確かに決まればいかにムシェルとはいえ命を落とす。
 ならばじっとしていて相手が疲れるのを待てばよい、ムシェルはそう思うと勝機が見えたことを確信した。いざとなれば一日でも二日待ってやる、無想剣は近距離の技であるから間合いの外で持久戦をしていればよい。心に余裕のできたムシェルが、アンシェルの方はどうなっているかなと注意を逸らした刹那、ミサトは消えた。
 ミサトは飛んだでも駈けたのでもない。身体を一瞬龍脈にとけこませていきなりムシェルの目の前に出現して剣を横一文字に振るった。あろうことに目を閉じたままの状態で。
 身体を真っ二つにされたメシェルは無様に地面に転がるとうめき声を上げた。

 「こ、これは?・・・」

 「天王流・四龍の一つ、覇龍閃」

 「覇龍閃・・・。そ、そうか、気功剣を連発したのは俺の身体に自分の気を付けるためか?・・・」

 「まだ完璧じゃないわ。でも近い内にものにしてみせる。いつまでもゲンシュウ閣下やシャルロット少将にばかり頼ってはいられないのよ」

 ようやく瞼を開けたミサトは静かに剣を収めた。


 リツコも苦戦を強いられていた。アンシェルはムシェル以上の使い手といえた。ムシェルは高速移動をするだけであったが、アンシェルは本当に消えてみせるのである。目では追えない速さで動いているわけではない。アンシェルは自ら空間を切り裂くとそこに身を踊らせて全く別の場所から出現して攻撃しまた消える。
 その連続攻撃は息も付かせないくらいすばやいもので、リツコは防御結界を張ったまま攻撃を避けることしかできなかった。もともと魔法使いは一対一の戦闘を苦手にしている。しかも接近戦となればなおさらだ。呪文を詠唱する暇はないし、肉体もそれほど強靱ではない。
ミサトがいればどうにかなったかもしれないが、巧妙に引き離されてしまって連絡がとれない。この結界は見た目よりもだいぶ奥行きがあるらしく、リツコの視界からミサトの姿は消えていた。
 リツコは戦士としての訓練も受けているが、アンシェルを捕らえられるわけがない。一応腰に短剣をさしているが実際の戦闘で使用したことは一度もなかった。防御結界を張りつつ軽い呪文を唱えてみるが足止めにもならない。命中もしなしし、たとえ当たってもダメージは与えられないであろう。
 アンシェルほどの相手を倒すにはかなり高度な攻撃呪文が必要である。そしてその呪文をとなえるには長い詠唱と高い集中力が必要となる。アンシェルもそのことは百も承知である。リツコに間を与えないように断続的な攻撃を続けている。
 リツコは形の良い眉をひそめつつ防御結界を張っていた。周囲に目を配りながら移動して何とかいいポジションを取ろうとするが、アンシェルの攻撃は止まらない。アンシェルは慎重に攻撃を続けながらリツコの結界に隙ができるのを窺っていた。かなり高度な防御結界を連続使用しているのでいつかはほころびができるはずである。アンシェルが狙っているのはその隙であった。それができるまでは何時間でもこの攻撃を続けるつもりであった。

 「きゃあっ!」

 その時リツコの背後で遠くから叫び声が聞こえた。自分の知っている声に振り返ったリツコは愕然とした表情を浮かべる。リツコの視界にはムシェルの刀に身体を貫かれて崩れ落ちるミサトがいた。一瞬リツコの集中力が途切れる。リツコの頭上にほころびを見つけたアンシェルは、今が好機とばかりに忽然とリツコの頭の上に姿を現し必殺の刃を振り下ろそうとした。


 「何っ!!」


 絶望の叫び声をあげたのはアンシェルであった。アンシェルの身体の周りには古代文字と不可思議な文様で構成された魔法陣が輝きを放っている。何とか脱出しようとするが、強力な力を秘めた意志のある光は、アンシェルにはふりほどくことができなかった。

 「こ、これは積層型立体魔法陣?!古代語魔法か?!」

 身動きのとれなくなったアンシェルを、リツコが冷ややかな視線で見上げている。その冷静な瞳を見たときアンシェルは全てを悟った。
 先程ミサトの悲鳴があがった方向に全身の力を使って眼球を動かしてみるが、今は何もなくなっている。リツコは逃げながら立体魔法陣を描いていた。だがどこから現れるか分からないアンシェルが相手では、呪文が決まる可能性は低い。そこでミサトが襲われている幻を作り出してわざと集中力をきらしたように見せかけ、頭上の魔法陣にアンシェルを誘い込んだのだ。
 全てを悟って青ざめるアンシェルに耳に呪文の詠唱の声が入ってくる。朗々としたその声はアンシェルにとっては死神の笛同然の響きをもっていた。

 「この世の始源より受け継がれし神秘なる力 古の盟約により天の聖櫃へと続く回廊を築け 神々により聖なる棺に封じられし禁断の力よ 我が意志の命ずる存在を次元の闇へと誘え 」


 「覇幻封神」


 アンシェルが断末魔もあげずに消滅するのを見たリツコは、ポケットから煙草を取り出して一口だけ吸った。ゆっくりと儀式のように煙を吐き出すと指先で煙草を放り投げ靴でもみ消す。

 「実はあなたより数段できる空間支配者を知っているの。この結界内がいかにあなたの空間とはここで負けるわけにはいかないのよ」

 リツコは静かに言い放つとミサトを探し始めた。強力なバルバロイの民が相手とはいえ”あのミサトが簡単にやられるはずがない”という確信にも似た感情がリツコにはある。
 (こんな科学的ではない思いがあるから、母さんにおいつけないのかな?)
 科学ではうまく説明できない自分の心に自嘲的なセリフを投げかけてみる。非論理的な行動を嫌うはずのリツコはどこか嬉しそうであった。そして数分後、彼女は自分の確信が間違っていなかったことを知ることになる。




 「シンジ!何してるの?!早く剣を取りなさい!でないと死ぬわよ!」

 「で、でもミサトさんとリツコさんが!」

 「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」

 叱りつけるようなアスカの声で、ようやくシンジは腰の剣を抜いた。EVAはまだ右手に収まったままである。シンジは極光の剣を抜いたもののどこか落ち着きのない顔をしていた。極光の剣は闇夜でも一段と強い光を放ち、影達を余計に呼び寄せているのだが、シンジの表情はミサト達を心配しているのか、闘いに集中していない。
 シンジ・アスカ・レイの三人は守られるように部隊の中心にいたが、迫り来る影はシンジ達の元にも押し寄せている。ミサトとリツコという指揮官を一時的に失ってしまったネルフは混乱してしまい、統一的な行動が取れなくなっている。乱戦になってしまえば指揮官も何もないのだが、ミサトとリツコは乱戦を立て直して部隊を再編成するだけの手腕を有していた。
 ミサトの下で中隊を統率する青葉シゲルと日向マコトも優秀な前線指揮官であるのだが、必ずしも有効な指示を出しているとは言い難い。これは能力というより経験の不足から来るものだった。シャルロットがいれば建て直しが可能であっただろうが、彼女はゲンドウとともにネルフ本部に残りこの場に来ていない。

 「何しているのシンジ!?」

 シンジは剣を抜いたものの守りに徹するだけであった。いくらでも斬りこむ隙はあるのだが、ただ身構えているだけである。

 「だ、だってアスカ、こんな人混みで無闇に剣を振り回したら他の人が傷つくじゃないか」

 シンジの言葉は確かに的を得ているのだが、あきらかに緊張感に欠けていた。アスカはまだ何かを言おうとしたが、敵の攻勢が一段落をしたこともあって顔をしかめて溜息をつくだけにしておいた。
 指揮官がいないとはいえ、さすがにネルフは精鋭部隊を名乗るだけのことはあった。乱戦の中でも確実に敵の数を減らして行き優勢にたっていた。ただし損害も大きい。今まで使徒との激闘で被った損害よりも多数の人員が戦死している。それでも戦闘はほぼ終結していた。一部を除いて部隊の再編が始まっている。一部とは警戒にあたっている人数と永久に帰ることのない人間を含めたものたちを指す。
 暗闇での戦闘であったのでどれだけの損害が出ているかはまだ分からない。死者が見えないことは幸か不幸かシンジの心の安定に微妙な影響を及ぼしていた。今のシンジでは目の前で知り合いが死んでいたら卒倒しかねない。
 シンジは血糊が全く付いていない剣を鞘に収めると、心配そうに空を見上げた。闇に消えたミサトとリツコがそこにいるわけではないのだが、何となく視線を空に向ける。地に染みついた血の匂いを本能的に避けただけのことかもしれない。そんなシンジをアスカは腰に手を当てて間近で、レイは無表情に一歩離れて見守っている。




 「どうなの?リツコ」

 ミサトは煙草をくわえながら結界内を調べ回っているリツコに苛立ったような声を向ける。アンシェルとムシェルを倒したのはいいが、ミサトとリツコは未だに結界内に囚われたままであった。

 「アンシェルと名乗ったバルバロイが消滅すれば、結界も消えて無くなると思ったけどそうはいかないようね」

 「どうにかならないの?」

 「結界を作り出している力は当分消えそうにないわね。結界内の魔力を逆転させるか、結界を破壊するくらいの巨大な力を召還して壊すか、でも危険が大きいわね。空間というのはデリケートなのよ。一つ間違えればおしまいだわ」

 「でも手をこまねいている暇は無いのよ」

 ミサトのせき立てるような言葉に、リツコが分かってるわよ、といいたげな視線を向けた時、結界の上のほうから陽気な声が聞こえてきた。

 「葛城、リッちゃん無事でなによりだ」

 「か、加持!アンタどこにいるの?」

 「説明はあとだ。一秒間だけ結界を中和する。その隙に飛んでくれ」

 ミサトは反論しようと身を乗り出したがリツコに肩を捕まれて振り返った。リツコは首を左右に振ると真剣な眼差しでミサトの顔を見る。リツコの瞳を凝視したミサトは嘆息してやれやれといった表情を作ると集中力を高めた。

 「いくぞ」

 加持の短い合図とともに結界に光が射し込む。ミサトとリツコはその光目がけて身体を飛び込ませた。


 シンジの見上げていた空が突然ひび割れしたようになる。空間がいきなり割れてそこからミサトとリツコが飛び出してくる。飛び込み前転をするような勢いで飛び出してきた二人だが、空中で回転すると軽やかな足取りで着地すると周囲を見回した。

 「ミサトさん!リツコさん!」

 「大丈夫ですか先輩?」

 「お怪我はありませんか?葛城大尉」

 シンジがマヤがマコトが次々に駆け寄ってくる。ミサトは満面の笑みでVサインを作ってみせると一瞬にして真剣な指揮官の顔に表情を変えた。

 「私たちは大丈夫。状況を報告して」

 「正体不明の魔族と交戦。不意を突かれたのと相手が多数であったためかなりの被害が出ました。負傷者は今手当をしています。部隊の再編成は完了しました」

 ミサトの厳しい表情を受けて状況を報告した日向マコトは少し暗い顔になった。ミサトがいない間に大きな損害を出してしまったことにたいする自責の念がマコトのあどけなさが残る顔を曇らせる。

 「そう・・・」

 ミサトはその報告を予期していたのか、短く呟くだけで気を取り直したように厳然とした調子で言った。

 「マヤ、あなたの隊は負傷者の手当をお願い。応急処置が終わったらすぐに下山して奥信濃の街で待機」

 「し、しかし・・・」

 「マヤ、返事は?」

 「は、はい。分かりました。葛城大尉」

 「さあ行くわよ。山頂までもう少しだわ」

 ミサトが声を掛けると生き残ったネルフの面々は再び行動を開始した。彼らはまだ前座を撃退しただけなのである。この後待ち受ける真打ちはこの程度ではないはずだ。思い思いに顔を引き締めたネルフの隊員は一歩一歩山頂に向かって足を進めだした。




 ネオトウキョウは閑散としていた。もともと使徒迎撃用に作られた街だけに民間人はそう多くない。しかし龍脈の新たな露出地点ではあるし地形も悪くはないため人口は増加しつつあった。
 だが今のネオトウキョウには全く人の気配がない。ネオンサインがついている家は一つもないし、通りに人影もない。まるで死の街になってしまったかのようだ。
 静寂と闇に包まれた街の上空に出現した影が一つ。影は一際高いビルに目を移すとややこわばったような声を出した。

 「あそこか?・・・」

 顎でしゃくり上げた先には彼が欲するものと彼を待ち受けている人物がいるはずであった。不敵に表情を緩めた影は虚空に身を踊らせると闇に消えた。待ち受けているのは明らかに敵であるはずなのに、その後ろ姿はどこか楽しげであった。



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ver.-1.00 1997-07/17 公開
ご意見・ご感想・誤字情報などは meguru@knight.avexnet.or.jpまで。

 ジオフロント創世記第16話です。大学の授業が殺人的なスケジュールだったため、更新が遅れていました。夏休みの間は旅行などで開ける場合もありますがなるべく前のペースを取り戻そうと努力しようと思います。
 映画がそろそろ公開ですね。どうせ尻切れトンボで終わることは予想が付いているのですが、どのくらい説明がされるのでしょうか?使徒とは、アダムとは何か?人類補完計画とは?約束の日とは?どうせ謎だらけで終わってしまうのでしょうが、楽しめる内容でいて欲しいです。少なくとも”鋼鉄の・・・”よりまともな映画になっていることを切に希望します。
 ジオフロント創世記で今最も苦労しているのは魔法です。詠唱の言葉も魔法名もそろそろ思いつかなくなってきているような・・・。魔法らしくてかっこいい四文字か五文字の漢字表記の言葉があったら教えて下さいね。大々的に「魔法募集」とかすると創造力の欠如を宣伝しているようなので後書きでこっそり言っておきます。
 今回も戦闘シーンは苦労しました。どのファンタジー小説を読んでもそう思うのですが、戦闘シーンを掘り下げて書いている小説は思ったより少ないです。文章のつなぎかたで読ましているような気がして、有名作家のものでも戦闘シーンだけ取り出してみるとどこか貧弱な印象がするものが多いです。僕が読んだ中で最も熱が入ったようにみえるのは菊池秀行の「吸血鬼ハンターD」シリーズでしたが、皆さんはどう思っているのでしょうか?ご意見のある人はどしどし教えて下さい。
 それではまた


 MEGURUさんの『ジオフロント創世記』第16話、公開です。

 久しぶりの更新です(^^)
 中六日ですから全然久しぶりではないようですが、
 MEGURUさんのペースから考えると「久しぶり」という言葉が出てきてしまいます。

 リツコミサトの大活劇!

 隙を待ち、
 隙を誘い、
 一撃必殺。

 そして裏で支える加持と冬月(!)

 冬月副司令がこの様な肉体的活躍をする話って無いですよね。
 今までにない冬月像です!
 MEGURUさんもう1本の連載『Project E』から見ても正反対(^^;
 

 さあ、訪問者の皆さん。
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 D・・・懐かしい・・・昔読んでました(^^)


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