第二十三話
「フィナーレは華やかに」
「先輩!私、先輩のことが好きなんです!!」
朝っぱらからマヤは騒々しかった。久しく出番がなかったので不満が鬱積していたのかもしれない。取り立てて話題のない職員会議の第一声がこれであった。
「あら、そう。良かったわね」
リツコはそっけないを通り越して無視に限りなく近い返答を送った。彼女の関心は、背後にある巨大な水だしコーヒーメーカーに集中している。弱アルカリの清冽な水が手に入ったので、今日は冷たい方にするようだ。
山からしみ出した水を、長いフラスコのようなそそぎ込む。長い年月をかけ地下鉱脈を進む過程を繰り返しているかのように、水はゆっくりとコーヒー豆にさらされる。アイスコーヒーは不味いものだと決め込んでいる輩もいるが、きちんとした方法で入れるととんでもなくうまくなる。
人間の舌は熱いものより冷たいものに敏感に感じる。手を抜いたアイスコーヒーは飲めたものではないが、手間暇かけると極上のものができあがる。香りを楽しむにはこちらの方がいいというコーヒー通もいるくらいだ。
一時代前の実験道具のみたいな水だしコーヒー製造器は、リツコお気に入りの一品だった。先日、ネルフ特別調査室の面々に与えられたおしおきの一つは、この器具の輸送である。
「先輩!私は真剣なんです」
「今、忙しいの。よそへ行ってやってちょうだい」
リツコはマヤと目を合わせようともしなかった。静かな瞳はゆっくりと落ちてくる黒く澄んだ液体に注がれている。リツコを焦らすようにゆっくりと降りてくる液体は、普通のコーヒーとは違って濁ってはいなかった。
「先輩!話を聞いて下さい!!」
マヤはついに立ち上がるとリツコにしがみついた。涙ながらに自分がどれだけリツコのことを愛しているか訴えるが、答はない。
「どいてちょうだい、マヤ」
リツコは野良犬を蹴飛ばすかのようにマヤをはねのけた。尻餅をついて床にはいつくばったマヤには一瞥もくれずに会議室の出口に行く。無造作にドアを開けるとマヤの涙と鼻水に濡れた白衣を脱ぎ捨て、外に待機していたネルフ特別調査室の一人に押しつける。
「クリーニングですか?」
「いいえ、焼却して」
二人いた内の片方が白衣を受け取り、もう片方が新しい白衣を取り出した。リツコは機械的な動作でそれを羽織ると席に戻り、再びコーヒーに神経を集中させる。
「せ、先輩!」
「五月蠅いわね。作者は根本的に同性愛者が嫌いなのよ。レズもホモも書けないって言ってるわ」
「そ、そんな。最近は同性愛も市民権を得てきたんですよ。人権侵害です」
「それがどうしたって言うの?ほとんどのイデオロギーが崩壊を迎えたからって、人権にすがらないでくれるかしら。人権思想は民主主義の裏面よ。世界的な投票率の低下、政治への無関心は民主主義の欠陥だけでなく、人権の欠陥をも露わにしているのよ。人が生まれながらに持っている権利、美しいわね。だけど美しいものほど脆いのよ」
「そ、そんな難しいことは私には分かりません!ただ、私は先輩のことがっ」
「難しいことは分からない?過ちの原因のほとんどは無知からくるものよ。人は誰しも全てを知り得るはずがないけど、無知を振りかざして開き直る人間には吐き気がするわ」
リツコとマヤの言い争いは既に痴話喧嘩の領域を越えていた。だが職員会議に出席している他の三人は間にはいることができないでいる。青葉シゲルをあきらめたように溜息をつき、冬月コウゾウは無関心に日本茶をすすり、も一人の眼鏡は存在自体を作者から無視
されていた。
「止めなくていいんですか?冬月校長」
「反対する理由はない。続けさせたまえ」
冬月は気にとめた風もなく詰め将棋の本を開いた。職員会議といってもただ文面を潰すためだけであって、積極的な意義はない。未だ会議室に姿すら見せない教師もいた。
バタンッ
「遅刻よ、ミサト」
「言い訳はしないわ」
一応本編にあるやり取りを繰り返したミサトは、自分の役目は終わったとばかりに大欠伸をした。寝癖が残っているし、瞼も重そうだ。教師のあるべき姿の対極にあるような格好だった。
「もう少し整えてから来れないの?生徒への体面もあるのよ」
「家庭的な雰囲気を醸し出していると言ってくれない。この寝癖の角度をつけるのには苦労したのよ」
「本気で言ってるの?」
「私はいつだって本気よ」
「不幸なことにね」
水だしコーヒーはようやく一杯分落ちていた。リツコは香りを楽しみながら口に含む。横でミサトが机に突っ伏して寝ていようとも、足元でマヤが泣き叫んでいようとも、苦労して入れたコーヒーはリツコを満足させた。
林間学校はようやく四日目に入った。林間学校の日程を忘れていたのは読者だけでなく作者も同じ事だった。あわてて三話に戻った作者は、すでに半分の日程を消化していたことに気づく。
林間学校は五泊六日。今日と明日スキーをしてその次は午前中に諸々の後かたづけなどをして、午後には飛行機の中だ。実際世界では林間学校編に突入したのが八月二十三日。少年ジャンプに掲載されていた某バスケ漫画に匹敵する程、時間の流れは遅かった。内容はスカスカなのに。
今日はとてもいい感じだった。レイもカスミも邪魔しなかったので、シンジと二人きり。ラブラブモード全開!
ゲレンデにはシンジと2人だけのシュプールが描かれる。重なり合う軌跡はまるでアタシとシンジの心のよう。先行くアタシのシュプールをなぞるようにしてシンジは降りてくる。
白銀のゲレンデはシンジをより一層、輝かせて見せて。エッジとパウダースノーのすり合う音と爽快に風を斬る音の協奏曲は、アタシとシンジの恋の第一幕を告げる。
世界はアタシ達だけのためにある、そんな一日だった。今日は生涯でも絶対に忘れられない日になった。
「アスカ、ソース取って」
現実は厳しい。アスカは渋々と醤油のビンをシンジに手渡す。一度でいいから日記の書き出しに使いたい描写はいつになったら実現するのだろう。
とりあえず、今日は無理そうだった。ランチタイムに入るやいなや、レイとカスミはいち早くシンジに寄り添っていた。午前中の班別行動では、アスカとケンスケだけが上級者班であるため、どうしてもシンジを見つけるのは遅くなる。
できうることなら、シンジを連れ出して二人きりで食事をしたいのだが、レイの執念とカスミの純情、作者の都合はそれを許してはくれなかった。
「なんだよ、アスカはそんなにカレーにソースかけるのが嫌い?」
アスカの向かい側の席でレイとカスミに挟まれたシンジは、口を尖らせた。確かにカレーにソースをかけるのは大嫌いなアスカだが、視線の意味を取り違えているシンジにそれを言う気にもならない。
アスカは溜息とともにペスカトーレにフォークを絡めた。銀製のフォークとあさりの殻が当たって鉱物的な音がする。アスカはカチカチとした音を聞くだけで食欲をなくした。
「おいしいと思うんだけどなぁ・・・・、アスカも一口食べてみなよ」
「遠慮しておくわ。余り食欲もないし」
うまそうにカレーを口に運ぶシンジを見て、アスカは少し悲しくなった。シンジなら自分の全てを分かっていてくれると思っていた。楽しみも悲しみも。
幼い頃からずっと一緒、色んな物を共有してきた二人。だが中学校に上がってから別々に行動することが多くなった。学校では男女の区別がつけられるようになり、部活も違う。それぞれの友達もできた。
「アスカ、午後はどうする?」
「そうねぇ、スキーは飽きてきたからスノーバイクとか、スノースケートでもやってみる?」
寂しさというものは、急に、しかもいつの間にか心の中にしみ出してくる。一度しみてしまった寂しさはアメーバのように広がって心を占拠する。
眠れなくて繰り出した夜明けの街を覆っていた孤独な蒼。人の息吹が聞こえない街を支配する、もしかしたら世界中に人間は自分一人しかいないのではないかと錯覚させるような蒼。
アスカの胸の内を覆い尽くしたのは、そういう蒼だった。限りなく澄んでいて果てが見えないような、透明であるがゆえに無機質で人の気配を感じさせない、孤独な、あまりにも他と隔絶した蒼。
「そんなの僕にできるかな?スキーだってやっとボーゲンを卒業したばかりなのに」
「スキーより簡単みたいよ。一,二時間やれば誰でもできるようになるって」
舌に残るあさりの塩味はやけにザラザラしていた。手長エビは火が通りすぎてパサついているように思えたし、イカは固い。ホタテは生すぎだ。トマトはまだいいが、バジリコが頑張りすぎて魚介の風味が損なわれているような気がする。
アスカはあら探しをするかのようにパスタを食べた。洗い流すように口に含んだハーブティーも気に入らない。香りがきつすぎて鼻につく。気取らないで烏龍茶でも頼めば良かった、アスカはそう思った。
「スノーバイクとかスノースケートってどこで貸りられるの?」
「スキー板を貸りた所の脇に、もう一つ小さな建物があったでしょ。あそこで貸し出しているってミサトが言ってたわ」
「シンちゃんはどうするの?」
「そうだな・・・・、アスカはどっちがいい?」
「シンジの好きな方でいいわ。アタシはどっちもやったことがあるから」
ニンニクラーメンチャーシュー抜きではなく、Tボーンステーキを片づけたレイが話に入ってきたがアスカは気にならなかった。
それにしてもレイは本当にベジタリアンなのか?豚骨や鳥ガラで出しをとるラーメンを食べられるのだから、生粋の菜食主義者というわけではない。
肉が嫌いだからと言っているが、肉嫌いの原因の大半は香りに原因がある。お世辞にも肉の匂いがしないとは言えないララーメンを食べられるのなら、肉の香りが原因とは考えにくい。もしかしたら視覚さえ閉じてしまえば、レイは肉が食べられるのではないだろうか?
アスカがそんなことを考えてる間にも、レイはシンジにちょっかい出し続けていた。余り話がかみ合っているようには見えなかったが。
「暁さんはどうする?」
「私は簡単な方がいいな。あんまり運動は得意じゃないから」
カスミはサンドイッチ片手にそう言った。一番量の少ない昼食を取っているカスミだったが、食べるのは一番遅かった。手元にはまだ半分くらいのサンドイッチが残っている。ストロベリーヨーグルトも手つかずのままだ。
「カスミ、食べるの大変そうだね。ちょっと手伝ってあげようか?」
ヨウコの前にある野菜のリゾットの皿はだいぶ前に空になっていた。豚汁定食を何杯もおかわりしているトウジと違い、ヨウコは席を立とうとはしない。
「うん・・・・、ちょっと多すぎたみたい」
カスミはBLTサンドイッテとハム&タマゴサンドイッチを二つずつヨウコに差し出した。手元には食べかけのフルーツサンドとトマトサンドが残されている。
「碇君も少し食べない?」
少し多いと思ったヨウコは、カレーを食べ終えたシンジを見た。シンジの前には福神漬けだけが残された皿がある。福神漬けはくらげとともにシンジの嫌いな物の上位にランクされていた。
「そうだね、一つもらうよ」
シンジは食べかけのトマトサンドに手を出した。一番近くにあったし、しつこいものを食べた後なので、無意識にさっぱりしたサンドイッチを選んだだけなのかもしれない。
「シンジ!」「シンちゃん!」「シンジ君!」
三人の少女は思わず立ち上がっていた。アスカはやや青ざめて、レイは氷のように冷たい炎を瞳に宿して、カスミはうつむきながら顔を赤らめて。
「え、な、何?」
この期に及んでも鈍感を具現化した少年は自体の重要性に気がついていなかった。シンジはとまどいをトマトサンドイッチと共に飲み込み目を白黒させた。自分に集中する視線の意味はさっぱり理解できない。
もしケンスケがいたら、殺気と嫉妬がこもった視線がもう一つ加わったことだろう。だがケンスケはこの場にいなかった。先話、脇役のくせに活躍しすぎたので一服盛られたのである。
誰の手によるかは分からなかったが、誰一人として気にしている人間がいなかったのも事実である。出番を使い果たしたケンスケは、昨晩から猛烈な腹痛に苦しめられベットでうずくまっていた。
リツコに救援を求めたのだが、忙しいと断られ、加持は音信不通。ケンスケに味方は一人もいなかった。ちなみに暁カスミ救国戦線の面々も、全て同じ症状に悩まされていた。
「ぼ、僕なんか悪いことした?」
シンジは視線を三人の少女の間でうろうろさせていた。右にレイ、左にカスミ、正面にアスカ。心と同様に視線も落ち着きがなかった。
「もういいわ」
アスカは首を振りながら座り込む。
「あとでおしおきよ」
レイの瞳の炎は消えない。
「・・・・・・」
カスミは無言で席に着いた。
「恋とは何とも罪深きものかな。恋ほど人間が苦しむものはなく、恋ほど人間が焦がれるものはない。真に罪深きは人間か、恋か。世界のことわりを知る者でさえ、答えることはできないであろう。人の心は世界より広いが故」
カオルは詠うように言った。同時にワイングラスに満たされた初春の陽光のような液体を喉に流し込む。
「またもったいぶった言い方やのう。誰の言葉や?」
「二十一世紀を代表するとある哲学者の言葉だよ」
「名前は?」
「渚カオル」
トウジは無言で豚汁をかきこんだ。豚汁定食にはほかに生姜焼きと白飯、ほうれん草のお浸しが添えられている。
トウジは糸こんにゃくと人参をかみ砕きながら確信した。自分が一番まともなキャラであるということを。
万年ジャージ人間が最もまっとうなキャラになるほどこの話は破綻していた。いっそのことエヴァ本編型セミナー落ちにするか、イデオン型ジェノサイド落ちにするか、Zガンダム型クルクルパー落ちにするか、ハイスクール奇面組型夢落ちにするか、作者が真剣に迷うくらいに。
「えっと、スノーバイクを8つ貸して下さい」
シンジは後ろを見回して人数を確認すると係員に声を掛けた。昼食をすませた一同はスキー板を片づけてロッジ脇の貸し出し場までてくてく歩いてきた。
午後は自由時間。アスカ、レイ、カスミにとってはアタックタイム。カオルとケンスケにとっては陰謀の時間。シンジにとっては受難の時。
「8つですね。はい、少々お待ち下さい」
若い係員はにこやかに答えながらも心臓の鼓動を早めていた。シンジの背後に綾波レイの姿を見つけたからである。
レイのリフト雲底強行突破事件の時に、リフトの係員を務めていた男は背筋に寒気がした。だが、悟られてはならない。自分が動揺していることも、実はネルフ特別調査室の一員であることも、例え名もない脇であっても作者がオリジナルキャラを作ることに疲れ果て、自分を再登場させたことも。
「スノーバイクなどの多目的ゲレンデは右手前方にあります。インストラクターがいつもいますので、詳しいことはあちらでお聞きになって下さい」
スノーバイクは、スノーボードを2つにぶったぎって車輪のかわりにつけた自転車のようなものだった。ハンドル操作で前輪ではなく前ボードが動き方向転換ができる。ブレーキはついていないが、エッジをきかせることによって止まる。
軽量化素材で作られているため、思ったより軽くシンジでも片手で持ち上げることができた。シンジ達はネルフのロゴマークと認識番号が入っているスノーバイクを手渡され、多目的ゲレンデの方に歩き出した。
「こちら、ローンウルフB。目標はプランコードDを選択」
係員はそっけなく言った。おそらくこれが最後のセリフであることを噛みしめながら。言い終わった瞬間、名前くらいは考えてくれてもいいのではないかと作者に毒づいていた。
「こちら狼の巣。了解した」
係員の無念までは伝わってこない通信を終えた加持は、首だけ回して背後に視線を向けた。一瞥しただけで寒気が伝わってくる。背筋に冷たいものが走るのは外の気温のせいではなかった。
「本当によろしいんですか?」
「反対する理由はない。やりたまえ」
そのセリフは本日二回目だ、加持はそう思った。朝の職員会議ですでに冬月が同じ様な言葉を言っている。同じセリフは使うごとに価値が落ちると言っていたのは誰だったか。加持は心の中で苦笑した。
「何か、いいたそうだな?」
「とんでもない」
無遠慮に上司に意見するほど加持はまぬけではない。上司を皮肉る場所と時をわきまえている者だけが組織の中で生き残ることができる。特に碇ゲンドウという男が君臨するネルフにあっては、その傾向は顕著だった。
「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす、そういうことだ」
加持は顔には全く出さずにあきれ果てた。それは物の例えであって、どこに実際に千尋の谷に突き落とす親いるのだろう。巨費を投じてスキー場を改造して断崖絶壁を作り、これから我が子を飛ばして楽しもうというゲンドウの神経が加持には理解できなかった。
「フィナーレは華やかにいかねばならん、華やかにな」
ゲンドウはいつものようにデスクに両肘をつきながらそういうと、音のない笑いを漏らした。加持は追従して薄笑いを浮かべながら苦虫を噛みつぶしている。
碇ゲンドウという男は存在自体がタチの悪いジョークだな。周囲の人間は俺にみたいに上辺だけ追従して距離を置くか、冬月先生みたいに狂気につきあってしまうか、シンジ君みたいに犠牲になるしかないのか?唯一の例外は碇夫人か。
しかし、これだけタチが悪いといつ俺まで朱に染まってしまうか分からない。その内ジェノサイドまでやらされかねんぞ。俺は給料分だけ良心を売り渡しているつもりだが、品性まで売り渡した覚えはないしな。
そもそも殺人なんてファッショナブルじゃない。気にも食わない。殺人分の給料といったら100億くらいは頂戴しないとな。
おっと失言。碇ゲンドウなら自分の欲望のためには国を一つ潰すくらいはやりかねない。100億なんてポケットマネーの範疇だろう。まあ、この話も次回で最終話だし大丈夫かな?
加持は呑気にそんなことを考えながらモニターを眺めていた。薄暗い部屋にいくつも並べられた四角形の画面には、様々な角度からシンジ達が映し出されている。ゲンドウの薄気味悪い笑みが加持の背筋をなでた頃、シンジ達は多目的ゲレンデに到着していた。
「さあ、シンジ。これからおまえは飛ぶのだ。身を切る爽快感、肌に伝わる風の感触、脳裏を埋め尽くす恐怖。親としてはおまえに色々なことを体験させてらりたいのだ。まあ、安心しろ。どんなことがあっても多分おまえは死なん。作者が生かしておいてくれるだろう、おそらくな」
ゲンドウは高らかに笑った。限りなく不気味に。そうすることだけがこの話におけるゲンドウの存在意義であった。理解ある父親も優しき父親もこの小説には必要はなかった。必要とされているのは、悪巧みを全て包容してくれる陰険な父親だけであった。
「風が強いわね」
スノーバイクを片手に多目手ゲレンデまで来たアスカは、冷風に髪をなびかせていた。ロッジから東北東に500m程、多目的ゲレンデはスキー場を構成する山裾に位置している。
多目的ゲレンデは山肌を滑り降りた風の終着駅だ。雪化粧した雑木林に誘導されるように集められた風はここに集められた後、東側の崖から虚空に舞ってまた度を始める。
東側の斜面は切り立った崖であり、西側を見るとスキー場を舌から一望できる。勿論、崖の前には防護ネットが三重に張ってあり、その外には雑木林が植えてある。
崖から転落するには10m間隔で張られた高さ3mの防護ネットを飛び越え、崖を覆い尽くすように立ち並んでいる雑木林を突破するという神業を演じなければならない。アスカと談笑しながら多目的ゲレンデに来たシンジは、自分が神業に無理矢理挑戦させられることなど全く知らなかった。
「そうだね、アスカ。帽子を飛ばされないように気を付けなくっちゃ」
シンジは耳当てのついた帽子を深く被り直した。同時に吐き出した息は白い。まるで口の中にあった時から白く染まっていたのではないか、と思わせるくらい真っ白だった。
シンジはとりあえずスノーバイクに乗ってみた。右足を前ボードに左足を後ろボードに乗せてハンドルを握る。
「シンジ、力入り過ぎよ。もう少し肩の力をぬかないと」
肩を怒らせながらスノーバイクに乗ったシンジを見たアスカは、すぐにこけるわねと内心で笑って見せた。
「それっ!」
イタズラ心に背中を押す。力が入りすぎで下半身に柔軟性のないシンジはすぐに転倒するはずだった。
スゥーーーーーーッ
アスカに押されたシンジは斜面を滑り出した。アスカの予想を外れて横倒しにもならず、ボードは雪を巻き上げて滑りだす。
「あれ、意外と滑れるじゃない」
アスカは目を大きく見開いて驚いた。それから自分もシンジの後を追うためにスキーバイクに乗る。膝を柔らかく保ち、腰で乗るのが転ばないコツだ。
「ア、アスカ!止まらないよー!」
アスカが視線を上げた先には、猛スピードで疾走するシンジの姿があった。声だけが取り残されて伝わってくる。
「体重を左側にかけて!エッジをきかせるのよ!」
アスカは追いかけながら叫んでみたが、遙か先を行くシンジに伝わったかははなはだ疑問だった。
「ま、またあの時と同じだー!」
シンジは手足を動かそうとしたが、グローブと靴がスノーバイクに密着して離れない。一昨日の遭難の時と状況はよく似ていた。
グォオオオオオンンッ
シンジにはモーターの駆動音が聞こえた。益々スピードは上がる。転んで止まろうと思っても身体はいうことを聞かない。シンジの細胞は悲鳴を上げていた。
余りのスピードに瞳から涙が溢れ始めている。斬りつけてくる風から角膜を守るかのように。濡れ始めたシンジの視界の一部が盛り上がる。
薄炉から追走してくるアスカには見えなかったが、シンジには目の前斜面が盛り上がりジャンプ台を作っているかのように思えた。
シンジの身体が宙に舞う。スノーバイクの下に取り付けられた超小型ロケットがはジェット噴射をまき散らす。シンジの身体は防護ネットを飛び越え、雑木林の間を縫って空にとんだ。
「ぎゃああーーーーーー!!」
シンジの絶叫だけがゲレンデに残される。崖は数十メートルの段差があり、その下には原生林が広がっている。シンジは恐怖で神経が凍り付いて何も見えなくなった。
「シンジ!」「シンちゃん!」「シンジ君!」
響きわたる少女の絶叫とゲンドウの意味不明な高笑いが、ファイナルステージの幕が上がったことを告げていた。悲鳴と轟笑に後押しされるようにシンジは天高く舞い上がり、未開の原生林へと身を投げ出した。
MEGURUさんの『Project E』第二十三話、公開です。
一度収れんに向かったかに見えた物語も、
復活したキャラ達の活躍で再び絡まっていますよね。
この世界最大の実力者、ゲンドウも
痛い思考でかき回すし・・・
あえて同じ手を使った謀略。
お前はシンジをどうしたんじゃ〜(笑)
崖の下では同様な出来事が待っているのでしょうか。
シンジよ・・・頑張るのだ (;;)
さあ、訪問者の皆さん。
後少しでラストを迎えるMEGURUさんに感想メールを送りましょう!
某少年マガジンに連載されている格闘マンガより、ずっと早い展開です(^^)