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Project E

第十八話

「ゲレンデはトラブルがお好き」


 裸の太陽がギラついた視線を落としている。空気中に漂う塵や水蒸気が少ない分、北海道の空気は澄んでいる。透明度の高い空気は余計な衣をはぎ取り、色彩をより一層鮮やかに見せていた。
 大地には雪が積もっているにも関わらず、今日の太陽は元気そうだ。セカンドインパクト後の気象変動で年中雪になってしまった北海道も、あと一ヶ月ほど経てばつかの間の春が訪れる。
 一昨年から去年、去年から今年。
 雪に閉ざされる期間は一日二日ではあるが短くなってきている。あと何十年か経てば元に戻るかもしれない。今生きている人間にとってみれば長い年月だが、何十年か先の人間達にとってはそう長いことではないだろう。

 陽光は張りつめた空気を通過すると、雪化粧に覆われた峰を滑り降りる。複雑に入り組んだ山々は絶妙な光と影を作りだし、輝く河を誕生させていた。山々を流れ落ちる光の河が何本か収束し、なだらかな流れになったあたりに人工物が見られる。
 第三新東京市立第一中学校の林間学校の場所であるネルフリゾート・スキー場は、宿泊場所であるSEELE・HOTELからバスで10分くらい行った山間にあった。
 北海道の中でも有数の規模と設備を誇るスキー場であるのに人影がまばらなのは営業努力が乏しいからではない。ネルフリゾートの職員はたかが一中学校の林間学校のために広大なスキー場を貸し切りにし、お得意さまのツアー客を断ってしまった財団ネルフ会長・碇ゲンドウの暴挙に頭を抱えていた。
 きちんとした株式会社であるにも関わらず、このような横暴が通ってしまう原因は何だろう?
 強面のゲンドウに凝視されると大概の人間は蛇に睨まれた蛙になる。便宜を図るように命令された挙げ句、損失は自分たちで補うように言われたネルフリゾートの社長は胃潰瘍に苦しめられたという。
 ただし豪華な設備を独占してはしゃぎまわる子供達は、そんな裏事情は全く知らなかったし、もし知っていても彼らの行動は変わらなかったであろう。


 シュッワーーー


 スキーのエッジがパウダースノーを切り裂く。今年流行のウェアに身を包み、茜色の髪をなびかせて風を切る少女の心は爽快の極みだった。
 彼女の目の前には誰にも汚されていないゲレンデが広がっている。今日スキー場の上の方にある上級者用のコースに足を踏み入れたのは、彼女が初めてである。第一中学の面々はほとんどが初級者であるうえ、貸し切りであるから無理もないことであったが。

 「ん?」

 疾駆していた足が止まる。アスカは粉雪をまき散らしながら急停止するとサングラスを押し上げて後方を振り返る。彼女は余りの爽快感に同行者がいなくなっていたことに気づいていなかった。

 「遅いわよっ、シンジ!レディを待たせるとはどういう了見なの?!」

 トーンの高い声がゲレンデに響きわたる。クラリネットのように軽快なアスカの声は静寂に包まれたスキー場によく通った。声が届く範囲ギリギリにいた彼女の同行者・碇シンジは幼なじみの声に答えようとしてストックを振り上げると同時にこけた。
 見事なまでに雪まみれになりながら斜面を転げ落ちるシンジ。元々今日の朝初めてスキーというものに触れたシンジがこのコースに来るのには無理があったのだ。学校のヴァーチャルスキーの練習は何度もしたが、実際やるのとでは大きく違う。なにしろ午前中にボーゲンと転び方をインストラクターに教えてもらったばかりだ。
 自由行動となった午後にアスカに引きずられるように高速リフトに乗せられ40度の斜面に立たされたシンジはその場で卒倒しようになった。

 「40度なんて嘘だ!90度以上あるよこれ!!」

 「そんな斜面あるわけないでしょう?アンタ頭悪すぎよ。ほらっ、行くわよ」

 にべもなくアスカに突き落とされたシンジはしばらく直滑降で爆進した後、盛大にこけた。それでも怪我をしないようにうまく転倒したのはりっぱなっものだ。その後は足を目一杯開いた鈍行ボーゲンで斜面を降りるシンジはアスカに引き離されてしまっていた。

 「まったくトロトロ滑るんじゃないわよ。スキーの醍醐味というものが半減しちゃうわ。ゲレンデに対する冒涜よ!」

 上級者コースの終点で待ちわびていたアスカの第一声がこれであった。神経を張りつめるようにして降りてきたシンジは言い返す気力もなく、両手でストックをついてようやく身体を支えた。

 「今度は中級者コースで我慢してあげるわ。アタシがみっちり教えて上げるから今日中にパラレルターンをマスターするのよ」

 「そ、そんな無理だよ!ボーゲンだってまだ完璧じゃないのに!」

 「言い訳はしない!あと二話か三話でこの物語も終わるんだから無駄なことに文面を割いてる暇はないのよ。話の都合上アンタは今日中にパラレルターンを修得してもらわないと困るの!!」

 「ア、アスカ、そんなこと言っちゃあ身も蓋もないよ・・・・・」

 「いいから行くわよ!!」

 シンジの背中をストックで叩いたアスカは半ば強引にシンジを二人乗りのリフトに導いた。今度はこぶもなくなだらかな中級者用コースのリフトだ。
 アスカは係員の誘導に従って腰を掛けるとシンジにしがみつくように寄り添った。

 「ア、アスカ!そんなにくっつかないでよ」

 「どうして?いいじゃない?」

 サングラスをはずしてニッコリと笑ったアイスブルーの瞳にシンジは動けなくなった。しばらくサファイヤのような瞳に魅入られたようになった後、額に押し上げていたゴーグルを戻す。
 なぜって?
 そんなことを聞いてはいけません。
 それはアスカの瞳がまぶしすぎたから。




 林間学校は二日目に突入していた。
 バスでホテルから移動してきた一行は、午前中班別のインストラクター講習を受けた後、午後の自由行動へと移行していた。旅行はつつがなく進行しているように見える。
 昨晩はレイのささやかな陰謀があったものの、局地的な範囲を越えてはいない。暁カスミの部屋に忍び込もうとしたケンスケがゼーレの仕掛けた電磁ネットにひっかかったり、ミサトの入浴を覗きにに行った一部の生徒が鏡の前でナルシーポーズをとる冬月を目撃して卒倒するなどの出来事があったが、どれも詳しく書くには値しないことである。

 「シンジ君、チョッチいいかしら?」

 時間は少し遡る。
 シンジは朝の朝礼の後、ミサトに呼ばれた。先日くだらない話で生徒達を困らせた冬月校長だが、今朝は目覚めが悪かったのか「以上だ」とい身も蓋もない一言で挨拶を完了させていた。

 「なんですかミサトさん?」

 いきなりの呼び出しにシンジは少し身を堅くした。
 教師に呼び出された生徒は一様に緊張するものだが、相手がミサトとなると少し意味合いが違ってくる。この29歳はまともな用事で生徒を呼び出すことはほとんどない。前回は確かカレーの作り方を聞かれた。前々回はアスカとはどこまでいったのかで、その前はゲンドウはブリーフ派なのかトランクス派なのかということだった。
 だが昨日のことがある。あの後シンジはもう一度風呂場に行って何かないかと点検したのだが、異常は認められなかった。それでも心配性のシンジには一抹の不安が残っている。昨晩はよく眠れなかった。

 「昨日のことなんだけどね。今度からはちゃんとつけなければ駄目よ。これを肌身離さず持っていなさい」

 いつになくまじめな口調でミサトは言った。差し出された掌にはタバコくらいの大きさの箱が収まっている。箱は白い無地で何も書いていない簡素なものだ。

 「肌身離さずですか?」

 「そうよ。いつ何時必要になるかわからないでしょ、特にシンジ君の場合はね。とりあえずこれだけ渡して置くから足りなくなったら言いなさい」

 シンジは頭の中にハテナマークを幾つか浮かべた。キョトンとしながらもミサトから箱を受け取る。肌身離さずと言われたので、シンジはそれをすでに着替え終えているスキーウェアのポケットに入れた。そのことが後で何をもたらすのかも知らずに。
 シンジを取り巻く暗雲は確実にしかも加速度的に濃くなっていた。北海道の広い空を覆い尽くしてしまうくらいに。

 「目標はB−3地点に到着」

 「こちら本部、了解した。引き続き監視に当たれ」

 「了解した」

 「ヤシマ作戦始動まで30秒。カウントを開始する。30、29,28,27・・・」

 麓にあるロッジ地下に陣取った財団ネルフ特別調査室の面々は彼らの卓越した能力を考えるとくだらない、余りにもくだらない作業にあたっていた。
 各国首脳の動向やライバル企業の情報収集、裏の世界との暗闘までこなす彼らをこんなところに張り付けておくのははっきり言って人材の浪費である。それでも各員が手を抜いていないのはプロフェッショナリズムの成せる技か、あるいは単に給料のためか、果ては碇ゲンドウという巨大な朱に染まってしまっただけなのであろうか?

 「加持室長。作戦開始まであとカウント20です」

 退屈そうにデスクに肩肘をついていた長髪の男は音のない欠伸をした。頭の固い学生のようなオペレーターの勤勉な報告をつまらなそうに聞いた加持リョウジは、なるべく真剣味を込めて答えた。

 「よし、それでは遺漏無く作戦を実行するように。あとは実行部隊に一任する」

 くだらない仕事には変わりないが高い給料はもらっている。あまりやる気のないところを見せると部下の士気にも関わるし、仕事の成功率も落ちる。だが加持には大半の仕事と動揺に、この仕事もくそまじめにやる気などはなかった。ポケットの中にはスコッチの小瓶を忍ばせているし、競馬新聞とラジオも完備している。
 加持が前の席に座っている部下に気づかれないように二回目の欠伸をした時、作戦開始を告げるカウントは0になった。


 ガチャンッ


 中級者用コースへと続くリフトが丁度中間点にさしかかった頃、けたたましい駆動音は唐突に停止した。リフトに乗っている客は登り下りを通してシンジとアスカだけである。二人は誰もいない中空に取り残されてしまった。

 「あれ、どうしたのかな?止まっちゃったね、シンジ」

 つぶらな瞳をまばたきさせたアスカは傍らにいるシンジのウェアを掴む手に力を込めた。アスカは高所恐怖症というわけではないが、地上10m以上でリフトごと宙吊りにされるのは気持ちのいいことではない。

 「故障しちゃったのかな?」

 シンジとアスカが顔を見合わせながら呟いた時、リフトを支える鉄柱に付いている拡声器から女性の声が流れてきた。

 「ただいま六番リフトにおきまして電気系のトラブルが発生いたしました。ただいま修復中でございます。五分ほどで運転を再開いたしますのでリフトにご乗車のお客様は座席に座ったままお待ち下さい」

 スキー場側の反応は素早かった。まるでそのことが折り込み済みであったかのように。不安になる暇も与えてもらえなかったシンジとアスカは両手に持ったストックをカシャカシャいわせている。故障ということであれば仕方がない。五分くらいで復旧するというのだから、少し休みをもらったと考えればいいであろう。
 だが納得できない人間が一人だけいた。
 空色の髪をなびかせてようやくシンジとアスカに追いついた綾波レイは、リフト乗り場の係員に食ってかかっていた。自由時間が始まってすぐにアスカがシンジを拉致してしまったので探すのに手間取っていたのだ。

 「ちょっと!どういうことなの?!ようやくシンちゃんに追いついたのにリフトが停止するなんて!いますぐ動かしなさい!!」

 「そ、そんなご無理をおっしゃらないで下さい、お客様」

 「なんとかしなさいよ!あなたはここの係員でしょ?!」

 「ぼ、僕はただのアルバイトなんです。ですから・・・・」

 特別調査室の一員であるリフトの係員は無力なアルバイターを装ってごまかそうとしていた。だがレイはそんな係員をよそに、ストックをウェアのベルト部分に引っかけると手を開けたり閉めたりしている。

 「もういいわ。私こう見えても雲底は得意なの。自力でシンちゃんの所まで行くわ」

 「や、止めて下さい!お客様!!危険です」

 「危険?私は知らないわ。それに私の辞書には不可能という言葉は乗っていないのよ」

 乗っていないのはそれだけではないだろう。常識、熟慮、謙遜といった言葉も乗っていないのではないか?
 若い係員がそう思ったかどうかは定かではない。だがレイは羽交い締めにしてまで止めようとする係員の鳩尾に肘打ちを入れると同時に、頭突きを顎へ見舞った。鼻血を吹き出しながら倒れ込む係員を無視したレイは指をパキパキとならすと不敵に笑った。

 「待っててね、シンちゃん。今行くわよ」




 「加持室長!エネミー1が行動Z−12を開始しました」

 モニターを見ながらその報告を聞いた加持は、一瞬口を大きく開けたまま動かなくなった。全ての人間の全ての行動について予測を立てシュミレートはしていたのだが、まさかZ−12が起こるとは思っていなかった。事前の会議でも失笑が漏れた項目である。

 「落ち着け。マニュアル通りに行動すればいい。B−2ポイントで要撃の準備だ。麻酔噴霧ガスをスタンバイ。エネミー1を落としてもかまわん。下は新雪だから丁度良いクッションになる。それからターゲットに睡眠光線照射開始」

 加持の最初の一言は自分に向けた言葉であった。
 自分の言葉で落ち着きを取り戻した加持は、青ざめているというより呆れ返っている職員に的確な指示を飛ばす。それにしてもリフトを吊っているケーブルを自力で伝って進もうとするレイもレイだが、そんなことを想定してマニュアルを作成していた加持も加持である。

 「エネミー1はB−1地点を突破。計算によりますとあと80秒でB−2地点に到着の模様。信じられない速さです!」

 加持は苦虫を噛みつぶしたような表情をしている。モニターの中のレイはおそろしい速さでリフトからリフトへ乗り移っている。あのきしゃな腕のどこにあんな怪力が秘められているのだろう?それともレイのウェアはどこかの漫画でみたような筋肉増強構造を施したものなのであろうか?
 特殊装備していることを差し引いてもレイの速さは異常だった。雲底がオリンピックの正式種目になることがあったら金メダルをとるのはおそらく彼女であろう。すくなくとも筋肉番付にそういう種目があったら100万円獲得だけは間違いない。

 「エネミー1はB−2ポイントに到着します。噴霧ガス発射。体内に吸引されたのを確認。・・・・・・・効いていません!エネミー1はややペースが落ちたものの、直進を開始しました。本当に人間か?!」

 オペレーターが吐き捨てた最後の一言に加持はピンときた。噴霧された麻酔ガスはインド象を1mgで即座に眠らせてしまうくらい強烈なものである。加持の記憶がただしければこれに耐えうる人間は存在しないはずだ。だが人間でないとしたら?

 (ううむ。綾波レイは本当に人間なのか?もしかしたらゼーレが開発した生体兵器ではないのか?凡用人型決戦兵器零号機とかいって・・・・・)

 そこまで考えて加持は決断した。相手が人間でないなら容赦をする必要はない。手段を選ばないことが十八番であるのは碇ゲンドウだけではないのだ。

 「ケーブルに電流を流せ!最大出力で構わん。それから液体窒素をB−3ポイントで爆発させろ。凍り付いて動けなくなるはずだ」

 「し、しかしそれではエネミー1が・・・・・」

 死んでしまうのでは?という言葉をオペレーターは飲み込んだ。化け物じみた力を発揮しているとはいえ、レイは財団ゼーレ議長、キール・ローレンツの一人娘という設定。殺してしまっては全面戦争に発展しかねない。

 「大丈夫だ。とりあえずの責任は俺が、そのあとは碇会長が、最終的な責任は作者がとってくれる。それにこれは俺の勘だが、エネミー1はそれくらいではくだばらない」

 加持はほとんどやけくそであった。マイナス200度以下の液体窒素を至近距離で浴びればいかにレイとは動けなくなるだろう。普通の人間なら即死だが、レイが普通の人間であると思っている者は一人もいない。

 「本当にやるんですか?加持室長・・・・・」

 「やれ!」

 加持はスコッチの小瓶を開けると一気にあおった。

 加持とレイが暗闘を繰り広げている頃、シンジは妙な感覚に包まれていた。自分が自分でなくなるような気持ち。いや、自分が何かに誘導されて普段は眠っている本能をあらぬ方向へ導こうとしている。

 「・・・・・でね、シンジ。その時ヒカリったらね」

 リフトが止まっている間世間話に興じていたアスカは、横にいる幼なじみの様子が妙であることに気が付いた。いつもならアスカがどんなにくだらない話をしていてもあいづちくらいは打ったりしてくれるのに全く反応がない。

 「ちょっとシンジ。聞いてるの?」

 少し顔をしかめてのぞき込むようにしたアスカは、次の瞬間シンジの腕にからめ取られた。リフトの上であるから、勿論逃げ場はない。ゴーグルをつけたまま、白い首に手を回したシンジは、いきなりアスカを抱き寄せて薔薇のような唇を奪った。しかも濃厚な大人のKissで。

 「ちょっとシンジ、何するのよ?!」

 そう言おうとしたアスカであったが舌をからめ取られているので声は出せない。ひっぱたいてシンジを正そうとしようにも、リフトの上で無闇に暴れることは危険であるという理性が働いた。それでもなんとか身体を引き離そうとするアスカは両手に持っていたストックを片手にまとめて、空いた右手で方を押そうとした。
 だがシンジは意外なくらいの力強さを発揮し、アスカの手は意志諸とも跳ね返されてしまった。やがてアスカの右手は力無くずり落ちる。

 (まあ誰も見ていないし、少しくらいいいかな?)

 人が変わったように積極的になったシンジに驚きながらアスカは目を閉じた。しばしの間シンジに身を委ねる。いつになく情熱的なシンジは身をすり寄せるようにアスカを抱きしめた。

 「シ、シンジ。ゴーグルが当たって痛いよ・・・・・」

 息苦しくなったのかシンジが唇を離した時にアスカは力無く言ってシンジのゴーグルを額に押し上げた。シンジがしていたやや大きめのゴーグルはアスカの柔肌に少しだけ赤い痕をつけていた。まるでその肌が自分のものであることの証であるかのように。

 (ん?)

 ゴーグルが押し上げられた瞬間、シンジは意識を取り戻した。
 やや混濁ぎみだが視界は良好だ。キョトンとしているシンジに、アスカはさっきのおかえしとばかりに今度は自分からKissを仕掛けた。まだ身体まで意識が戻っていないシンジはなされるがままだ。

 (ア、アスカが僕にKissしている!!)

 全校生徒、いや日本人の半分がうらやましがるような状況に置かれていたシンジだが、訳が分からず混乱していた。

 (な、何が起こっているんだろう?!頭がボウーとなったと思ったらアスカが目の前にいて、そしたらアスカが・・・・)

 瞼を開けたまま焦熱的なくちづけを受けたシンジは頭の中であれこれ考えているがよく思い出せない。だが自分の置かれている立場を凝視したシンジは、顔を真っ赤に染め身体を振るわせ始めた。

 「大変長らくお待たせいたしました。6番リフトはただいま運転を開始いたしました。お客様に多大なるご迷惑をおかけいたしましたことに心よりお詫び申し上げます」

 Kissが佳境に入り、50m後方でレイが液体窒素に凍り付いていた頃、女性オペレーターのアナウンスがこだました。リフトは快調にに流れ始めている。さっきまで故障していたのが嘘のようだ。
 リフトが動き出すとアスカは身体を離した。あれほど積極的であったシンジが硬直してしまっている。アスカは顔を赤らめて横を向いた。記憶と意識がはっきりしていないシンジは何もフォローすることができない。
 リフトの終点に着くまでアスカは何も喋らなかった。シンジにはそれまでの時間が不思議と長く感じられた。

 「この仕事、何か自分が嫌になってきますね」

 モニターで二人の様子を観察していたオペレーターは嫉妬まじりの声を出した。特別調査室に入ってまだ一年半の若い男は、14歳のガキ共に見せつけられたようで不満げだ。加持はシンジに嫉妬するほど子供ではなかったが、若い部下の気持ちが分からないほどスレてもいなかった。

 「そうやって人は大人になっていくのさ」

 肩をポンと叩いた加持は、教師が生徒に言い聞かせるように言った。

 「それよりエネミー1はどうした?」

 「あ、はい。まだ凍り付いたままです。ですが完全に沈黙したわけではありません。概算ですが3分後には活動を再開する模様です」

 「そうか。それでは目標の二人が中級者コースに降り立った後、もう一度リフトを止めて時間稼ぎをしろ。彼女に追いつかれては作戦が台無しになる」

 やや上擦った声で報告を行うオペレーターになるべくやさしい声で命令した加持は、大きな息を一つ吐くと深々と椅子に座り直した。

 「ふう、どうやらおもしろくなってきたかな?レイがあんなにしぶといとは予想外だったな。それにして最初からハプニングか・・・・。どうやらゲレンデはトラブルがお好きってことかな?」

 不敵に笑った加持の瞳は謹厳な教師にいたずらを仕掛ける学生のように輝いていた。この一年、加持につきっきりだった若いオペレーターは、子供のように輝かせるのは彼の上司が本気で仕事をする証であることを知っていた。




 「ほら、シンジ!行くわよ」

 アスカは何だか不機嫌だ。
 無理もないことだ。いきなり唇を奪われた後、お返しをしたら今度は人が変わったようにキョトンとしているシンジ。いくら自分の好きな相手とはいえ、何もフォローしてくれないのでは自分の立場がない。いっそシンジを置いて先に帰ってしまおうかと思ったくらいだ。


 ズシャッ


 だがアスカよりも先に滑り出したのはシンジだった。アスカの背後から飛び出したシンジはものすごいスピードで滑り降りていく。

 「なんだ、もうちゃんと滑れるじゃない。・・・・あれ?」

 アタシが教える必要もないかな、と言葉を継ごうとしたアスカだが、すぐに異変に気が付いた。猛スピードで滑降していくシンジだが、その姿勢はバナナの皮を踏んでこける瞬間コンマ一秒前、といったような感じだ。
 しばらく爆進した後、バランスをとるように体重を前にかけ直したシンジは、アルペン競技の選手がダウンヒルを行うような前屈みになって更に加速していく。その速度はプロ顔負けといった具合で明らかに素人のシンジに出せる速度ではない。

 「ア、アスカ!た、助けて!!」

 あわてて追いかけるアスカの耳には、シンジが置き忘れていった悲鳴が入ってくる。アスカは全速力で追いかけているのだがシンジはまだ遙か前方にいる。それも正規のコースを離れて林の中へと突入していくシンジ。木にぶち当たるのはなんとか回避しているようだが、暴走していることは確かだった。

 「もう!何やってるのかしら?!」

 ウェルデンで木々の間をすり抜けながらアスカは吐き捨てた。だが何がどうなっているのか最も知りたいのは当のシンジであった。
 リフトに乗っていたかと思うと止まってしまうし、止まったかと思えば記憶が跳ぶ。ようやくリフトから解放されたと思ったら、スキー板が一人でに動き出したように滑り出して制御がきかない。
 午前中に修得した足を目一杯ハの字型に広げたボーゲンの止まり方を実践しようとしているのであるが、板も靴もシンジの意志を受け入れようとはしない。まるで磁石に引っ張られるかのように疾走している。後ろにあった重心を前に持ってくることで何とかバランスはとったが、それはスピードアップにも一役買っていた。
 ジェットコースターを拘束具をつけないで乗せられたような感覚に襲われたシンジは、絶叫を上げながら林の中を滑降していった。

 「だ、誰か僕を止めてくれーーー!!!」




 「ちょっとシンジ!大丈夫?!」

 雪まみれで転がっていたシンジをアスカが発見する二分ほど前、シンジのスキー板はようやく所持者の意志を受け入れて減速行動に移っていた。それでも既にマッハの域に達していたスピードを殺すにはシンジの初心者テクニックでは役不足だった。懸命にエッジをたてたシンジだが慣性の法則に逆らうことはできなかった。
 おまけにそれまで自動的に避けていた木をよけられなくなっていた。一本目は何とか回避したが、その直後に出現した二本目の木をさけることは初心者のシンジには不可能だった。それでも減速していたおかげでシンジは命を落とさずに済んだ。

 「止まり方?急ごしらえだから考えていないわ。超電磁磁石で誘導は可能だけど、止めるとなると難しいわね。磁力を反発させる手もあるけど設計までに時間がかかるわよ。まあシンジ君が何とかするでしょ」

 「何とかできなかった場合はどうなるんだい?」

 「まあそれならそれでいいんじゃない?この連載ももうすぐ終わりだし、碇シンジ北海道で死すっていうのもいいんじゃなくて?いきなり終わりにしたらカミソリメールが飛んでくるでしょうけど、所詮私の知ったことではないわ」

 それがこのスキー板の設計者と実務者が事前に話していた内容だった。睡眠光線内蔵ゴーグル同様、余り気乗りしない研究をやらされた赤木リツコ博士はやや投げやりだった。

 「・・・・ア、アスカ・・・・。何とか生きてるよ・・・・」

 シンジは瀕死の重傷だった。
 80km近い速度で雪面を転がった挙げ句、木に叩きつけられたのである。劇画と小説以外の世界ならとっくに死んでいる。

 「まったく、なんであんなスピードで滑り出しちゃうのよ?!自分の実力を把握しないと本当に死ぬわよ!」

 アスカはプリプリした口調でシンジを叱りつけた。だが内心はホッとしている。シンジが大きな木の根元で倒れているのを発見した時には泣きそうになったアスカだが、一応大丈夫そうなので口調はいつものアスカに戻っている。

 「でも随分へんぴなところに来ちゃったわぇ・・・・・」

 シンジを助け起こしたアスカはサングラスをとると周囲を見回した。雪を枝に抱いた木々が二人を囲んでいる。巨大な針葉樹林の群はまるでシンジとアスカを威圧しているかのようだ。
 アスカは時計を見た。最後に時間を確認したのはリフトを降りる直前。それから25分が経過している。アスカの滑る速度は時速30kmは軽くでていたであろう。林の中を突っ切ってきたわけだから多少迂回行動もしているのであくまで概算だが、中級者コースのリフト降り口から10km弱は離れた地点まで来てしまった計算になる。山の斜面が大体20度から30度くらいだったことを考慮に入れても7kmか8kmは離れているかもしれない。
 アスカは右手首につけてあった時計のような物のスィッチを押した。林間学校の安全管理を行うために全生徒に配布されていた発信器である。アスカは硬化プラスチックのカヴァーをとって赤いボタンを押すとSOSの信号が出るという説明を思い出していた。
 ただし信号が届く派少々疑問だった。
 海とかなら電波を遮るものがないので最高100Kmくらいは届くかもしれないが、ここは遮蔽物の多い山間部である。この発信器もあくまで簡易式のもので、それほど高性能に見えない。
 アスカは顔をしかめて溜息をついた。頭脳が鋭敏であるのも場合によりけりだ。アスカの優れた思考力は自分たちが遭難していて、今すぐ助けが来る可能性が低いことを即座にはじき出してしまった。

 「はぁーーーー」

 溜息をもう一回つきながらもアスカの脳は回転を続けている。
 今が2:25。集合がかかるのは4;00だから、ミサト達がシンジとアスカがいなくなっていることに気が付くのはそれ以降。まあそうなったら捜索が開始されるだろう。シンジは世界的な大企業、財団ネルフのトップの一人息子であるから捜索も血眼になって行われる可能性が高いし、そうなったら案外すぐに救助されるのかもしれない。

 (あと二,三時間我慢していればいいのかな?それとも自力で帰ることを考えるべきかしら?)

 そこまで考えたアスカはまだ雪に埋もれていた同行者を介抱しにいった。少々楽観的な予測だが、いまから最悪のケースを想定してもしょうがない。

 「立てる?シンジ」

 アスカはストックでつついてスキー板をはずすと、新雪のベットで寝ているシンジに肩を貸した。取り立ててするべき事もないが、じっとしているのも落ち着かない。アスカはとりあえず少し平坦な場所まで移動しようとして周囲を見回した。

 「アスカ、あれ・・・・・」

 足下がおぼつかないシンジは、弱々しく右手をあげて前方やや右を指し示した。雪に反射する陽光に目を細めながらアスカはシンジの指先の方向に視線を走らせる。そこには丸太で組まれた山小屋のようなものが確認できた。

 「なんだろう?スキー場関係のものかな?それとも単なる避難小屋かしら?」

 アスカは小首を傾げた。
 なんだかできすぎているような気もするが、ずっとこうしていてもしょうがない。二人は各々のスキー板をかついで小屋に向かって歩き出した。シンジの左肩はアスカに抱えられたままなので持ちにくいが、小屋までは100mもない。シンジとアスカは二分後には小屋の前にたどり着いた。


 コンコンッ


 「誰かいませんか?」

 驚異の回復力を見せたシンジが律儀にドアをノックする。誰もいないとは思うが儀式みたいなものだ。

 「居ないなら入りますよ。僕たち道に迷ってしまったんです」

 そう言いながらドアノブに手を掛けたシンジのゲンドウは完全に矛盾していた。だが疲れ果てていたアスカはそれを指摘する気にもなれない。20分以上もシンジを探して滑ってきたのだ。それも全速力で、立ちはだかるような木々を交わしながら。
 なんだかんだ言ってもアスカは中学生の女の子である。体力はたかがしれている。蓄積された疲労は自覚した途端に襲いかかってきた。

 ガチャリ

 シンジの手がスムーズにまわり分厚い木製の扉が開く。その無機質な音はアスカを少し安心させ、疲労を和らげた。小屋の中に入れれば、とりあえず休むことができそうだ。

 「やっぱり避難小屋かな?」

 丸太小屋の中に足を踏み入れたシンジは、内部を見回すと振り返りながら呟いた。小屋は二十畳ほどの広さで三分の一が今二人が立っている土間のようなもので、残りが一段高くなっている。

 土間の脇には角材と登山用ザイルが折り重なって置かれていて、中には左手に木製のベット、右手に簡素な椅子と戸棚がある。正面には少し不釣り合いな暖炉があった。ベットにはむき出しのマットの上に毛布が積まれている。
 一段高くなっているフローリングにはうっすらとほこりが積もっていて、この小屋が誰にも使われていないことを物語っていた。

 「一応避難小屋みたいだから通信設備や発煙筒みたいなものがあるかもしれないわ。手分けして探しましょ」

 スキー板を土間に立てかけるなりアスカは部屋の散策を始めた。シンジは座り込んで休みたい気分だったが、女の子が動いているのに一人だけ休憩するわけにもいかず、土間におりて角材とザイルの奥の捜索を始めた。

 「何にもないわぇ・・・・」

 狭い部屋を二人がかりで調べた捜索は十分と経たない内に終了した。非常用食料と水、それに救急キットなどは見つかったものの助けを呼べるようなものは一つもない。なんて用意の悪い避難小屋なのかしらとアスカが不平をぶちまけたが何の解決にもならない。

 「クシュン!」

 「あれ?アスカ風邪でもひいたの?」

 小鳥のさえずりのようなかわいいくしゃみをしたアスカは自分がかなり汗をかいていることに気が付いた。20分以上も全力で滑ってきたのだから仕方のないことだ。

 「着替えないと本当に風邪ひいちゃうわね」

 そう呟いたアスカだが、着替えなどが完備されているわけがない。毛布とタオルは何枚かあるが女物の下着を完備している避難小屋があったらお目にかかりたいものだ。

 「あ、そうだ。暖炉に火を入れようよ。たしか角材の影に石炭があったんだ。さっきアスカが戸棚から引っぱり出した中にでっかいライターみたいのがあったよね?よくアウトドアなんかでつかうやつが。それに煙突から煙が上がれば誰かが気づいてくれるかもしれないし」

 「珍しく冴えてるわね、シンジ」

 「珍しくはないと思うけど、珍しくは・・・・・」

 シンジはブツブツ不平を小さな声でこぼしながら土間に降りて石炭を抱えて戻ってきた。当然スキーグローブは真っ黒になったがこの際そんなことは気にしてられなかった。石炭を暖炉に積み上げた後、戸棚から三週間前の新聞と巨大なライターを引っぱり出したシンジは慣れた手つきで火をおこしていく。

 「シンジ、やったことあるの?」

 「うん。長野の松代に父さんの別荘があるだろ?ほら去年加持さんやアスカも一緒にいったところだよ。あそこに暖炉があったよね。アスカは確かあの時母さんと買い物に行っていたけど、その時加持さんに教えてもらったんだ」

 そう話す間にもシンジの手は止まらない。積み上げた石炭の下に新聞紙いれるうと手早く火を付けて残りの新聞紙で風を送る。アスカが幼なじみの意外な一面に感心している間に炎は石炭に燃え移り暖炉は穏やかな暖かみをともし始めた。

 「くしゅん!」

 アスカはもう一度くしゃみをした。ベットリと汗を含んだTシャツの感触が気持ち悪い。これでは本当に風邪を引いてしまうだろう。

 「シ、シンジ」

 「何?どうしたの?アスカ」

 暖炉の脇に置いて有った火かき棒で炎の具合を調節していたシンジが振り返る。その瞳には炎のゆらめきが反射していてアスカは一瞬ドキリとした。

 「そ、その・・・・、あ、汗を拭くからアタシが合図するまでこっちむかないでね」

 アスカは照れながら言うと戸棚からタオルを引っぱり出し、毛布を持ってきた。シンジは自動人形のようにカクカクと首を上下に動かすとまた暖炉の方に向き直って火の調節をし始めた。当分は石炭をたす必要もないのだが暖炉の隅の方にたまっていたすすをかき出したり、それを意味もなく集めたりしている。

 (今、アスカが後ろで着替えてる・・・・。あ、チャックを下ろす音がした。ということは今上半身裸?いや中にも着込んでるに違いないじゃないか!下着の上に直接スキーウェアを着る人間がどこにいるんだぁ!)

 火かき棒を無意味に振り回しながらシンジの妄想は暴走を始めていた。少しだけならいいかなと思いつつ首を回そうとするが、肝心の首の筋肉は硬直してしまって言うことを聞かない。
 その間にもスカが着替えている音だけは妙に大きな音で聞こえてきてシンジの血液は下半身に一部にあつまり始めた。

 (膨張しちゃ駄目だ!駄目なんだ!駄目ったら駄目だ!!)

 シンジが果てしない妄想と男の本能に苦悩している頃、アスカも訳の分からぬ妄想にとりつかれていた。

 (ああ、もうスポーツブラなんかしてくるんじゃなかったわ!これじゃ色気のかわいさもなくてシンジに幻滅されちゃうわ!で、でも見られなければいいわけだし・・・・。で、で水着も下着も露出部分は変わらないじゃない?この前シンジとプールに行ったもんね。それなら下着姿くらい見られたってどうってことないじゃない。ああもう、アタシは何考えているのかしら?!)

 まだあどけなさがありありと残る二人の様子を見ている者がいたら、頬をやさしくゆるませたであろう。ただこの時のシンジとアスカを見つめていたのは優しげに燃え上がる暖炉の炎だけであった。
 わけではない。
 シンジとアスカが悶々とする一部始終を覗くどころかモニターで録画までしている連中がしっかりと存在した。

 「ごくっ」

 「こら!中学生の着替えに何を興奮しているんだ、おまえは」

 加持は食い入るようにモニターに見入っていた部下をたしなめた。だがその気持ちも分からないわけではない。西欧人の血が入っているアスカの胸の果実は十分に発育していて平均的日本人女性よりもそのボリュームは上かもしれない。
 アスカはスキーに備えて飾り気のないタンクトップを切ったようなスポーツブラをしているが、簡素な下着は逆にアスカの素の魅力を倍増させているようにも見える。モニターの中のアスカは長袖のトレーナーとTシャツを脱いで上半身を露わにしてタオルで汗を拭っていた。

 「ほら見とれてないでコードC−7を発動させろ」

 子供を叱りつけるような加持の言葉に若いオペレーターは不平をのどで押しとどめてコンソールを操作した。

 「なんでこんなことをしなくちゃいけないんだ!まったく!やってられないぜ!!」

 オペレーターはそう言いたかったに違いない。だが言葉に出すことはなかった。それを見守る加持の方は不平というものを余り感じないたちだ。常に今自分が立っている時点から前を見るのが彼の習性である。後ろを振り返って不平をこぼしたり愚痴を言うのはそれが前に進むための活力になるときだけだ。
 それに加持はこの状況を結構楽しんでいた。特にアスカの着替えは男として純粋に楽しめた。小さい頃からアスカを知っている加持にとっては娘の着替えを覗く父親のような心境でもあるが、都合のいいときに倫理観をどこかに放り投げることができるのも彼の習性の一つであった。


 ガタンッ!!


 アスカが上半身の汗をふき終えて、今度は大腿部の汗を拭おうとしてスキーウェアを全部脱ぎ捨てた時のことである。土間に立て掛けてあった角材が急に倒れ、強い衝撃と轟音が小屋の中に響きわたった。暖炉の炎の前で妄想にふけっていたシンジも当然のごとく振り返る。

 「ビックリさせないでよ!もうっ」

 着替えの途中に驚いて土間の方を見たアスカは角材が倒れただけだと分かると姿勢を元の位置に戻す。その視線はシンジのものとぶつかった。反射的に振り返ったシンジは、視線を移した途端角材ではなくアスカに目を奪われていた。


 「エッチ!バカ!!変態!!」


 数瞬の静寂の後、アスカの怒号と蹴りがシンジを直撃した。アスカのしなやかな曲線美にも見とれていたシンジはすねが顎にヒットするまで世界一幸せな覗き魔であった。魅惑の裸体が近づいてくるのだから。

 「下はエメラルドグリーンだ・・・・・」

 謎の言葉を残してシンジは沈んだ。だがシンジが座り込んでいたためアスカのミドルキックはうまい具合に直撃しなかった。ただ痛みを感じる分だけ意識が飛んだ方が良かったとシンジは思った。

 「も、もう!アタシが合図するまでこっちを見たら駄目だって言ったでしょ!!」

 「だって、すごい音がしたから・・・・」

 シンジはそう言おうとして口の中でセリフをかみ殺した。今のアスカに何を言っても蹴りが飛んで来るだけのことだということは身体が分かっている。
 だがその後アスカの罵声は飛んでこなかった。いつもなら機関銃のように乱射してくる怒号は最初だけだった。代わりにシンジの背中には何とも言えない柔らかい感触と汗と石鹸が入り交じったようなかぐわしい匂いが押しつけられてきた。

 「ごめんね、シンジ・・・・。痛かったでしょ?」

 「あ、いや・・・大丈夫だよ。慣れてるから」

 「慣れてるって・・・・。アタシそんなにシンジのこと殴ってるかな・・・・・」

 「い、いや言い方の問題だよ。そ、そんなにアスカに殴られた経験なんてないよ」

 シンジはアスカの急変にとまどいを隠しきれなかった。本当のことを言えばアスカには今日だけですでに三回殴られている。一日平均は五回だから、寝るまでにあと二回ほど攻撃を受けるのが通常であった。

 「あ、そうだ!ミサトさんが今朝僕に渡してくれたものがあったんだ。いざというときに役に立つって・・・・・」

 アスカに抱きつかれた妙な居心地の悪さを覚えたシンジは故意に話を逸らした。ウェアの肩口にあるポケットのチャックを下ろすと、今朝ミサトから渡された小箱を取り出す。別にそれが遭難から自分たちを助けてくれるものとは思わなかったが、気まずい空気に耐えられなかったのだ。

 「何なのそれ?」

 「分からない。でもミサトさんがいずれ必要になるだろうって・・・・」

 アスカに背中を押さえられているから手がうまく動かないシンジだが、小箱を開けて中身を取り出した。


 カタカタカタ


 シンジとアスカは中身を見た瞬間絶句した。硬直して動けなくなったシンジの手からこぼれ落ちたそれは木製の床に当たって小さな音を立てる。シンジがいくらお子様であるとはいえ、10個以上でてきたそれが何であるかはすぐに理解できた。それにしても1ダースも渡して置いて、とりあえずこれだけとは何を考えている?葛城ミサト。

 「わ、悪い冗談だよね!ミサトさんも!まったく僕をおちょくいっているんだよ。困った先生だね」

 シンジは何度もどもりながらそう言うと小箱からこぼれたものを元通りに詰めようとした。だが一度出てしまったそれらはシンジの手が震えていたことも手伝ってなかなか元通りに収まりきらない。

 「シンジ」

 シンジの震える手をアスカが押さえ込んだ。アスカの手もまた震えているのが分かる。そしてアスカの手は暖炉の火が燃え移ったと思えるくらい熱かった。

 「しちゃおっか?」

 アスカはシンジを後ろから抱きすくめたまま言った。シンジのい鼓膜はきちんと振動して言葉を脳に伝えていたが、シンジの脳はなかなかその意味を理解しなかった。アスカのぬくもりが背中から伝わり、身体の匂いが鼻孔をくすぐってからシンジの脳はようやく動き出した。

 「だ、駄目だよ!ここはれっきとした禁18禁サイトなんだよ!そんなことしたら大家さんに叩き出されちゃううよ!」

 「大丈夫よ。事後承諾ってことにしておけば。それに実際にアタシとアンタがそういう関係になっちゃってる小説だっていくつかあるじゃない?」

 「で、でも作者は性描写が苦手なんだよ!ここまでふっといて、さあ始めました、終わりましたでは読者が納得しないよ!」

 「苦手な分野は努力して直さなければいけないわ。それに・・・」

 「それに?」

 「・・・・・アタシじゃ嫌なの?・・・・・」

 「い、嫌なわけないよ。アスカはとってもかわいいし、スタイルもいいし、頭もいいし、運動神経もいいし、もてるし、・・・・」

 「そんなこと聞いてるんじゃないわ!」

 「シンジはアタシのことどう思ってるの?いつかの夕方言おうとしてくれたわよね?ほらシンジがB組の暁さんと出かけたあの日に・・・・・」

 アスカはシンジの頬を白い手で掴むと首を回してシンジと見つめ合った。アスカの息づかいがシンジの肌をくすぐる。匂いも、視線も、五感で感じられる全てのアスカがシンジの中を駆けめぐった。

 「アタシはシンジが大好きよ。ずっとずっとずっと・・・・、世界中の誰にも負けないくらいに」

 アスカは言葉で、香りで、肌で、感覚で、心の全てでシンジに語りかけてきた。シンジの中にもそれに対する答えはすでにできあがっている。シンジの中はアスカ一色で満たされていた。

 「ア、アスカ・・・・・、僕も・・・・・」


 

「そこまでよ」


 それは火照った身体も心も一瞬で冷やしてしまうほど冷たい言葉だった。実際にも入り口の扉が開け放たれているのだから体感温度はどんどん低下していた。スキーウェアを雪まみれにして荒い息を付きながら、夜叉のような形相で立ちつくしていたのは、読者がそろそろ現れるだろう予測していたと思われるお約束の少女であった。

 「シンちゃんを拉致した挙げ句、監禁しているなんて酷い女ね、あなたは。刑法176条及び225条違反よ。1年以上10年以下の懲役だわ」

 「ひ、酷い女なのはアンタでしょう?!さっさと出ていきなさいよ!邪魔よアンタ!!」

 「大丈夫?シンジ君、アスカ!」

 レイとアスカが火花を散らした直後、無責任教師葛城ミサトが飛び込んできた。再び止められたリフトを凍り付きながらも突破したレイと、自由行動で偶然通りかかったミサトはシンジとアスカを追尾してきたのだった。
 中級者用コースの入り口から小屋に至るまでのルートには加持の手による偽装工作がしてあったのだが、人工衛星と連絡をとってまで追尾したレイの捜索から逃れることはできなかった。
 アスカの着替えに見とれていたネルフ特別調査室の面々はレイの追尾に気が付かなかった。その理由としてアスカがあまりにも魅力的すぎたことと自分たちの偽装工作に対する過信、元々この仕事を見くびっていたことなどがあげられる。
 レイがモニターに映った途端、加持は天を仰ぎ、全てのスタッフは頭を抱えた。このままでは大幅な減俸は確実だった。

 「ちょっと!アンタ達二人何してるの?!」

 ミサトは部屋の中で身体を寄せ合っているシンジとアスカに声をかけたが、何をしているかというより何をしようとしているかは一目瞭然だった。アスカは半裸だし、二人は抱き合っている。床にはミサトが今朝手渡したコンドームが散乱している。

 「あ、ごめんねぇーー邪魔しちゃって」

 「だったら出て行きなさいよ!」

 「まあそういうわけにもいかないのよ。一応林間学校は授業の一環ということになっているからねぇ。プライベートはタッチしない主義だけど授業中にそんなことされちゃ私の責任問題にもなるしね」

 だったらコンドームを渡した責任はどうなるんだ?と突っ込みだくなるシンジとアスカであったが、いきなりのことに口にはできなかった。

 「見なかったことにしてあげるからとりあえずアスカは服を着てくれない?今本部と連絡を取ったからすぐにヘリコプターが来るはずだから」

 アスカは顔を怒りと恥ずかしさに真っ赤に染めて、歯がみをしながらTシャツを羽織りスキーウェアを着込んだ。その時間が30秒に満たなかったことを考えるとアスカの憤怒がどれだけのものであったかが分かる。
 一方のレイは相変わらず涼しい顔をしている。少しだけ菩薩のような笑みを浮かべるとアスカを鼻で笑うような仕草を見せたが、後はヘリがくるまで何かをするということもなかった。

 「二股とはやるわね。でもあの二人じゃ大変でしょ」

 呆然としているシンジに、ミサトはアスカとレイには聞こえないような声で言った。シンジはそれを正しく理解することもできずに身を切るような北国の風にふかれていた。林間学校はまだ二日目。シンジの幸福な苦難はまだまだ終わらない。




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ver.-1.00 1997-10/02 公開
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 Project Eです。ディオネアさんのコメントで大家さんが言っていたことなんですが、僕も現行の人気投票に少し疑問を感じます。大家さんが言っていたような組織票についてはどうでもいいのですが、一旦黄色マークがついてしまうと惰性で作品を書いてしまうような気がします。
 僕も一応黄色マークをいただいているのですが、実際に他の作家さんの小説を読んで自分より優れていると思うことが少なくありません。それに毎回の自分の作品の出来がどの程度の物か分からなくなってしまうような気がしています。
 さてProject Eですが終わりそうでなかなか終わりません。まだもう少し続きそうです。このままでは本当にスキーシーズンまで連載が続きかねないのでちょっと焦っています。でもここまで連載が続けば尻切れトンボで終わらせるのはできませんし・・・・。焦らずに書いてしっかり完結させる気でいますので長い目で見て下さいね。
 ではまた


 MEGURUさんの『Project E』 第十八話、公開です。
 

 くのぅ〜!
 特別調査室室員!!

 中学生のセミヌードを凝視してんじゃない!

 おまけに、
 「ゴクッ」だと〜!

 このロリコン野郎!

 さらに、
 ビデオに撮っているだと〜〜!!

 くれ!!(爆)
 

 羨ましいけど、
 その立場にはあんまり立ちたくないような、
 違うような、
 そうであるかのような・・・

 やっぱり、いいなぁ(^^;
 

 あのまま事に及んだとして、
 室員達はずっと見ているつもりだったのか?!

 くれ!(N2爆)  

 

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