第十一話
「告白しちゃったら?」
洞木ヒカリの顔はひきつっていた。青く澄み切った空と輝く太陽がもたらす心地よい朝の空気とは対称的に。
転校生がこのクラスに来るというので、担任の葛城ミサトに呼ばれて職員室にいって転校生を見たヒカリは、かつてないほど混乱してしまった。いつもとは違い、うつろな仕草をしながら朝のショートホームルームの準備を進めるヒカリに、クラスメイトもとまどいの表情を隠せない。
予鈴が鳴ってざわめく生徒達が自分の席に着き始めたころ、いつものように遅刻ギリギリに疾走してきたシンジとアスカが教室に入ってくる。数日前までなら夫婦喧嘩をしながら走ってくるのだが、最近2人の間におきたささやかな事件の後、シンジとアスカは微妙な距離を保っていた。
無論嫌い合っているというわけではない。ただお互いを変に意識してしまって、いままでのような応対ができなくなっている。
クラスメイトの何人かは、うすうす2人に何かあったことに気がついていた。先日の噂もある。しかしこの日の2年A組は突然やってくることになった転校生の話題で持ちきりだった。
「転校生ってどんなヤツやろな?」
「それがトウジ、俺の情報網にも引っからなかったんだ。ただ者じゃないぜ」
相田ケンスケは携帯用パソコンを悔しそうに覗きながら言った。第一中でケンスケの耳に入らないことなど無い。転校生に関する情報が事前にケンスケの元に届かなかったのは、綾波レイに続いてこれが2人目だった。
「あ、そうや?イインチョはさっき職員室に行って、転校生の顔見ているんやろな?どんなヤツやった?」
トウジは何気なく聞いただけなのだが、ヒカリは転校生と聞いただけで肩をふるわせ、幽霊でも見たかのような凍り付いた表情をしている。
「なんや、もったいつけおって。男か女かそれだけでも教えてくれへんか?」
「・・・お、男よ・・・」
ヒカリの声は消え入りそうなくらい小さかったが、その情報はクラスを駆けめぐった。男子生徒は残念そうな顔をし、一部の女子生徒は色めき立つ。綾波レイのようにまるで関心がないかのような生徒もいれば、碇シンジと惣流アスカ・ラングレーのように、それどころではない生徒もいる。教室内は混沌に満ちていた。
「・・・みんな、噂の転校生を紹介するわ・・・」
教室に入ってきた葛城ミサトの声はかつて無いくらいに暗かった。愛車のルノーをクラッシュさせて、トボトボ歩いて学校に来た時よりもなお暗い。これほどよどんだ顔をしているミサトを、生徒達は見たことがなかった。
沈痛な表情のミサトとは裏腹に、紹介された転校生は軽くスキップしながら、2年A組の生徒達の前に現れた。輝くような白い髪に、日本人とは思えない赤い瞳をした転校生に、クラス全員は息をのんだ。
「冬月コウゾウだ。よろしく頼む」
反応は無かった。
黒板の前に立っているのは、どう見ても50歳を軽く越えた老人である。第一中の制服に身を包んでいるが、そのことはA組の生徒の脳をより一層の混乱へと導いていた。泡を吹いて卒倒する生徒や、何が起きたか分からず、生ける彫像のように硬直してしまった生徒もいる。
冬月はどっかの誰かみたいに、第1印象で「いやな男だ」とは思われたくなかったので、自分の名前を言うのと同時にニッコリ微笑んでみたが、それは想像するのもおぞましい物だった。第1印象はいきなりレッドゾ−ンまで悪化していた。
「あなたがなぜここにいるの?」
場が沈黙する中、一人だけ口を動かせたのは綾波レイである。
「大学生と違って中学生は2回できないのよ。あなた文部省に喧嘩売ってるの?だいたい赤いカラーコンタクトなんかしちゃって、恥ずかしいとは思わないの?そもそも転校生といえば26話の私と、その他方々でホモ扱いされている変態使徒の特権よ。あなたが転校生だなんていくら設定でも許せないわ」
「変態使徒・・・。彼のことか・・・。しかし前から思っていたのだが、ファーストはともかく、セカンド・チルドレンとかフィフス・チルドレンというのはどう考えてもおかしな表現ではないのかね?謎解き本で様々な解説が行われているが、実は制作者がミスしただけのことではないのか?」
「私は3人目だから知らないわ・・・。でもこれだけは言えるわ。ネルフ誕生ですでに髪が全部白髪なんておかしいわ。実は生まれたときから髪は真っ白だったとか?一体歳いくつなの?あなた・・・」
トゥルル、トゥルル
冬月とレイ以外の人間が石化してしまったかのような教室に電子音が響きわたる。冬月は制服のポケットから携帯電話をとりだした。
「冬月だが・・・。何?生徒として転入するのではなかったのか?!しかし私も若い子たちに囲まれて生活したい。何?駄目だって?!しかしゲンちゃん、そんな殺生な・・・、何?!ユイ君の生写真を2枚つける?!むむむ・・・、そうかそれなら仕方がない。それで手を打とう」
おもむろに電話を切ると冬月は心底残念そうにしながら教室を去っていった。
「葛城君。私の転校は無かったことにしてもらいたい。ではまた会うことになるだろうが、しばらくの間さらばだ諸君」
嵐が去った被害は甚大だった。
クラスメイトの3分の1は気絶して保健室にかつぎ込まれた。しかし昼休み前の臨時校内放送の後、被害は更に拡大し2年A組の午後の授業は閉鎖されることになった。校内放送を見て卒倒する生徒が続出し、生き残った生徒が10名をきってしまったためである。
「話の都合により、今度この学校の校長に就任することになった冬月コウゾウだ。前の校長はどうせ名前もでないようなザコキャラなので、さっさと退場してもらった。ちなみに趣味はつめ将棋と主にアスカちゃんのものマネ。ファンレターの受付は、午前8時から午後5時までだ」
それが新しい校長の挨拶だった。
「ね、ヨウコ。今度の週末予定空いてるかな?」
訳の分からない校内放送の後、体育館の脇の芝生でお弁当をひろげた暁カスミは、隣にいる少女にそう話しかけた。
「ん?空いてるけど、何?」
「うん、ベルリン・フィルのチケットがあるの。一緒に行ってくれない?」
「ベルリン・フィルって、この前の日曜日、碇君とアスカと会ったところでやってるコンサート?」
碇君とアスカ、そのセリフにカスミの身体は素直に反応した。碇君という言葉はカスミの神経を紅潮させ、アスカという言葉は神経を落胆させた。微妙に揺れ動くカスミの様子を、ヨウコは興味深げに眺めていた。
「でもよく手には入ったわね。予約でいっぱいだって聞いたけど?」
「あ、そ、それはシンジ君が券が余っているからって・・・」
「ふうーーん、シンジ君がねぇ」
シンジ君という部分を故意に強調したヨウコは、興味津々の表情をつくってカスミの顔をのぞき込む。ポニーテールの少女の顔はヨウコの意味ありげな行動も手伝って、頬は少し朱に染まっていた。
「そろそろ告白しちゃったら?」
ヨウコは何気ない口調で爆弾を落とした。カスミは一瞬何のことだかわからないのか、目を点のようにしていたが、やがて言葉を理解すると耳まで真っ赤にした。
「そ、そんなできないよ・・・。私がシンジ君に告白なんて・・・」
「私は相手が碇君だなんて一言も言ってないけど?」
からかうようなヨウコの言葉にカスミは沈没した。
「本気なら早めに言った方がいいと思うよ。そうしないと碇君は他の誰かさんのものになっちゃうよ」
他の誰かさんというのが誰を指すかは明白だった。カスミは再び複雑な表情を作って、ヨウコの方を見やる。
「というわけで週末はパスするね。他に誘いたい人がいるんでしょ?」
ヨウコは言いたいことだけカスミに言うと、卵焼きを口に入れた。
カスミはしばらくの間、お弁当に手もつけずに固まっていたが、やがて瞳に決意の色を浮かべると昼食を再開した。
午後の授業が新校長によってなくなったため、2年A組の教室は空に近かった。精神力が強いというのか、鈍いだけなのか、とりあえず保健校医の赤木リツコの世話にならなかったシンジ達はいつものようにお弁当を広げていた。
「それにしても、とんでもない校長センセやったのぉ・・・」
鈴原トウジは珍しく感慨深げである。
「ちょっとアンタ!おぞましいこと思い出させないでよ!」
アスカは苦虫を噛みつぶしたような顔になった。アスカの雰囲気が伝染したのか、シンジ以外の事に関心がない綾波レイを除いた一同は暗い表情になる。
「で、でも校長先生なんて、あんまり実生活に関係ないじゃない?実際に会うことも少ないしね、そうでしょ?」
「でも僕とアスカは冬月さんに会ったことがあるんだよ。父さんの仕事の関係で。あの冬月さんがなぜ・・・。アスカもそう思わないか?」
冬月コウゾウと碇シンジ、惣流アスカ・ラングレーはいささか面識があった。親しいというわけではない。しかしゲンドウは何回か冬月を家に連れてきていたし、ユイの大学時代の恩師でもあるらしい。誕生日プレゼントやお年玉で豪華なものをくれる、温厚な紳士、それが冬月コウゾウに対する2人の評価だった。
シンジが話を降った途端、アスカは動きがぎこちなくなった。周りにいる人間をある種すがすがしくもさせる軽やかな動きは息を潜め、オイルが足りなくなったブリキ人形のような仕草で口を動かす。
「え、ええ、そ、そうね・・・」
シンジ以外のさりげない4本の視線がアスカに集中した。やっぱりこの2人怪しい・・・、目線はそう語っている。喧嘩しているようには見えない。目立った口論をしていないし、アスカはシンジの隣に寄り添うようにして座っている。しかし2人の間で会話が少なく、しかも不自然になったのは事実である。何かある・・・、4人の思惑を受けて場はアスカに密かなプレッシャーを与ええていた。
「ア、アタシ、購買部に行ってヨーグルトでも買ってくる」
アスカはそういった雰囲気に耐えられなかったのか、急に席を立ち上がると教室を出ていった。
「あ、じゃ、じゃあ私も何か買ってくる」
ヒカリがアスカを追いかけて教室を飛び出していき、残った3人の視線は今度はシンジに集中した。
「シンジ、惣流と何かあったのか?ここ数日のおまえら変だぞ」
「べべべつに、何もないよ、ケンスケ!!ほんとに何もないんだ・・・」
だんだん小さくなるシンジの返答には、説得力と名の付くものは一切含まれていなかった。しかし、いぶかしげな表情を3者3様に浮かべたケンスケ、トウジ、レイは、それ以上の追求はしなかった。追求が無く淡々と昼食がすすむことに耐えられなくなったシンジも、声を震わせながら席を立った。
「あ、ぼ、僕も何か買ってこようかな・・・」
「ね、アスカ。私たち親友でしょ?何があったか話してくれるわよね」
アスカとヒカリは購買部にはいなかった。カラリと晴れ上がった空の下、校舎の屋上で風に吹かれている。ヒカリの口調は決して強いものではなかったが、アスカの顔をのぞき込んだ瞳の色は鋭かった。
「あ、あのね、ヒカリ・・・。シンジとKissしちゃったの・・・」
アスカはヒカリが思っていたよりも、いとも簡単に口を開いた。アスカも誰かに話したっかたのかもしれない。
ヒカリは驚いたような表情はみせなじゃった。やっぱり・・・、という感じの顔つきをしている。最も昨日の噂では最後まで行ってしまったとの怪情報もあったから、Kiss程度で止まっていたことにヒカリは安堵した。
「それで変だったのね?・・・」
「うん・・・。なんだか意識し始めると止まらないの。気がつけばシンジのことばかり考えてるし、一緒にいてもまともに顔を見れないの。でも一緒にいたくないわけじゃない。1人で家にいると寂しいし、シンジの家に行く口実ばかり考えてる。でもわざとらしいのも何だか照れちゃうし、今朝もシンジのところに行く準備が早すぎて、どうしようか?って悩んでいたし。でも・・・、」
アスカの口調は一気に重くなった。
「でもシンジからは、まだ好きって言われたこと無いの・・・」
そう不安げに言って、アスカは目を伏せた。ヒカリはうつむいたまま黙っているアスカに、かける言葉が見つからなかった。
言葉を紡ぎ出すという作業は、ある意味選択するという作業でもある。それまで自分が蓄えた言語ファイルの中から、いろいろに組み合わせたり、混ぜ合わせたりして言葉を作る。恋愛小説やメロドラマを見るのは、好きなヒカリだったが、自分が体験したことのない領域にアスカがいるために、気の利いた言葉は見つけだせなかった。
「私はどんなときでもアスカの味方よ・・・」
それは慰めにも励ましにも、ましてや解決法を示唆する言葉ではなかった。しかしそれに込められたヒカリの思いを、アスカに伝えるには十分な重みがあった。
アスカはずっと下に向けていた顔を、少しだけあげるとヒカリの気持ちに答えた。
「ありがとう、ヒカリ・・・」
「ね!ヒカリはいつになったら鈴原に告白するの?」
気分転換の早いアスカは、いきなりカウンターパンチを放った。アスカの攻撃はクリーンヒットしたらしく、ヒカリはいきなり顔を紅潮させた。
「わわわたしは、べ、別に鈴原なんて・・・」
「素直になりなさいって言っていたのはヒカリの方でしょ?今更何言ってるの!」
「・・・もしかしてバレバレだった?・・・」
「当たり前じゃない」
今度は完全に立場を入れ替えた2人である。アスカは更にヒカリに何か言おうと画策していたが、衝撃的な発言で先手を打ったのはヒカリの方だった。
「でも鈴原、他に好きな人いるのかもしれない・・・」
妙に確信を持った言い方だった。アスカはトウジの好きな人なんて、全く気にかけたことがなかったから、見当もつかなかったが、トウジだけを見ているヒカリには何か思うところがある様子だった。
「それって誰なの?」
「バスケ部の山城ユリカ先輩・・・」
山城ユリカ
アスカの脳裏には即座にその人物の姿が浮かび上がった。学校で最も人気のある女子生徒の1人。クラブも同じだし、トウジが好きになりそうなタイプでもある。しばらくの間2人は何もしゃべらなかった。
初夏の風はすでに熱気をはらんでいる。加熱されたアスカとヒカリの髪はそれぞれの思いをのせて風に舞った。鈍感な男2人に、その思いが届くのであろうか?いつかは届く。アスカとヒカリは心の奥でそう願うというより、信じていた。信じることは力になる。そう思わなければ、恋なんてしてられなかった。
少しの間風に吹かれた後、2人は顔を見合わせて笑いあった。
「そろそろ戻ろっか?ヒカリ」
「そうね、アスカ」
購買部に行くと言った手前、一応何か買って帰らなければマズイと思った2人は、1階の突き当たりにある購買部へと降りていった。少し悩んだあげく、ヨーグルトとチーズケーキを買ったアスカの視界に2人の男女の姿が飛び込んでくる。かなり距離はあったが、アスカの目にはそれが誰だかすぐに分かった。
「ねぇアスカどうしたの?教室に行こうよ」
呆然と突っ立ったままのアスカに、ヒカリが声をかける。応答がないのを不思議に思ったヒカリは、アスカが何かを凝視していることに気がつくと、自分もアスカと同じ方向に視線を向ける。
碇シンジと暁カスミ。体育館の脇にある植え込みに隠れるようにして、立っている2人は、まるで逢い引きをしている恋人のようにお互いを見つめ合っていた。
MEGURU さんの『Project E』第十一話公開です!
シンジの周りで静かで熱い戦いが繰り広げられていますね。
当のシンジはノホホンでしたが、カスミと”逢い引きと”は?!
カスミは行動に移ったのでしょうか?
アスカはどう出る?
レイの動きも・・・・怖いです(^^;
しかし、アスカ・レイ・カスミの第一中綺麗所を集めたシンジ。
・・・・・刺されるぞ(^^;;;;;
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