第6話
「食卓は戦場だ」
「よく帰ってきたな、シンジ」
部活の居残り練習のためいつもより遅く帰宅したシンジは、思いがけない出迎えを受けた。玄関先で腕を組み顎をツンと上げ、シンジを見下ろすように仁王立ちしていたゲンドウは、威嚇するかのように言った。
玄関の電気は点灯しておらず、碇家の入り口は薄暗い。リビングの方から漏れてくる光を背に受けてそそり立つゲンドウは、鬼を従えた羅刹のようだった。少なくともシンジにはそう見えた。
(夜道では絶対会いたくないタイプだな。父さんって・・・・)
父親の不気味な姿に完全に萎縮していたシンジだったが、黙っているわけにもいかず絞り出すような声で何とか答えた。
「た、ただいま。父さん・・・・」
「うむ」
ゲンドウの短い返事は時間を止めた。シンジは靴を脱ぐことも言葉を返すこともできなかった。
「シンジ、お帰りなさい」
キッチンから白いエプロンをつけたままでてきたユイが出てきた。
「あらあら、あなたったら電気もつけないでどうしたの?」
電気のスイッチを入れながらニッコリ微笑み、そう言ったユイが、シンジには後光をさした菩薩のように見えた。
「シンジ早く着替えちゃいなさい。アスカちゃんも待ってるわよ」
ユイにそう促されたシンジは足早に自分の部屋に入っていった。
「あなたったら電気もつけないで何してるんですか?」
「その方が迫力が出るだろう?」
ユイはこめかみに手をやりながらあきれかえっていた。
「ほんとにもう、自分の息子を脅かして何が楽しいんですか?」
「非常に愉快だ」
「愉快だじゃないでしょ。しょうがない人ね、全く・・・」
「遅いわよ!!バカシンジ」
着替えを終えてリビングに入ってきたシンジを迎えたのはアスカの怒声だった。両親の仕事の都合で全員がそろうことがあまりない碇家(アスカを含む)では、家族がそろいそうな時には、みんなが揃うまで食事をしないのがしきたりだった。
「こんな時間まで何してたのよ?!アタシをこんなに待たした男は始めてだわ!」
「ア、アスカそれはミサトさんのセリフじゃ・・・・」
「うっさいわね。文句なら作者に言いなさい!!」
「それよりほんとに何してたの?」
一瞬レイのことが頭をよぎったアスカは、いつもより1時間あまり遅れて帰宅したシンジの行動がかなり気になっていた。
「あ、トウジが居残り練習につきあえって言うから、それでチョッチね・・・」
「アンタこそ三十路女の口癖、横取りしてんじゃないの?!」
「三十路だなんて・・・・。ミサトさんはまだ一応20代なんだよ。大台に乗ったのはリツコさんだけだよ」
ためらいがちながら、本人達が聞いたら発狂してそうなことを無頓着に言うシンジ。
「でも居残り練習なんて前近代的なことするわね」
「もう少しでレギュラーがとれるって青葉先生が言うんだ。だからトウジも妙に張り切っちゃってね」
それを聞くとアスカは目をキョトンとさせた。
「鈴原がレギュラー?」
「トウジだけじゃないよ。僕もそう言われたんだ」
ちょっとだけ照れて頬を赤らめ、少しだけ誇らしげにそういうシンジがアスカにはまぶしかった。アスカは胸の音が微量だが、高鳴るのを感じた。しかし二人のラヴラヴ会話(何よ!文句ある?! by アスカ)はユイの一言で中断された.。
「シンジ、アスカちゃん、ご飯よー」
「シンジもアスカちゃんも飲む?」
ユイは手に白ワインのボトルを持っている。ドライな白がユイのお気に入りだった。この日飲もうとしているのは、プイィ・ヒュメというブルゴーニュの白ワインである。
2015年になっても20歳未満の飲酒は禁じられていたが、碇家は親が子供にアルコールをすすめる無法地帯だった。アスカはアルコールに強い西洋人の血がはいっているせいか、結構平気で飲んでいたが、シンジは限りなく下戸に近かった。
「ぼ、僕はいいよ・・・」
「そんなことでは駄目だ。シンジ」
いつの間にかシンジとアスカの後ろにそびえ立っていたゲンドウは、右手の中指で眼鏡を押し上げながら言った。
「いいかシンジ。世の中には男がこたわらなくてはならないものが3つある。その1つ目が酒だ。くだらん酒を飲む男はくだらん人間にしかならん。そして2番目は女だ。まあこれに関してはおまえにはアスカちゃんがいるから心配ないと思うが・・・」
「「どうしてアスカ(シンジ)なんかと!!」」
ガッチャーーン
ユニゾンして答えた2人に真っ先に反応したのはユイだった。手にしていたワインボトルを床に落とし、エプロンで目のあたりをぬぐう。
「ま、まさかシンジがアスカちゃんに見捨てられるとは思わなかったわ。確かにシンジは頼りないところが多いし、軟弱っぽいし、一部では女装が似合う女男とか言われてるし、映画ではアスカちゃんをオカズにしていたし・・・・、とにかく情けない男だけど、アスカちゃんがついててくれるから、どうにかなるだろうって思ってたのに」
「お、おばさま・・・・。それは言い過ぎじゃあ?・・・」
「いいえ、アスカちゃんに捨てられたシンジなんて群からはぐれた渡り鳥よ!使い捨てのLCL以下よ!いつもギタギタにやられるだけのUN軍ほどの価値もないわ!!」
「おまえには失望した、シンジ・・・」
「まだ18禁の内容まではいってないとしても、Kissくらいはしているものだと思っていたぞ。私とユイが何のために度々家を空けていると思っているのだ。」
絶壁のようにそそり立つゲンドウと涙にくれるユイに挟まれたシンジとアスカは、まさに前門の狼、後門の虎状態であった。シンジはオロオロとユイとゲンドウを交互に見ながら、脳細胞を回転させやっと次の言葉をひねり出した。
「そ、そういえば父さん。男がこだわらければいけないものって3つあったよね?お酒と女性ともう1つは?」
「ふむ。もう1つは人それぞれだ。各個人の個性が決めることだ。ちなみに私は・・」
そこまで言うとゲンドウは血を吹いて前のめりに倒れた。いつの間にか泣くのを止めたユイが、テーブルの上に置いてあったゲンドウ愛飲の菊姫・大吟醸”吟”で殴りつけたらしい。
「シンジ・・・・、世の中には知らない方がいいこともあるのよ」
ニッコリ笑いながらそういうユイは、シンジが今まで目にしてきたものの中で最も恐ろしいものだった。
碇シンジは寡黙的自閉的内向的症状に陥っていた。
(なんでだよ。なぜなんだ。僕がどうしたっていうんだ。何も悪いことしてないのに。どうして?・・・・・)
「どうしてカニの身はこんなにはずしにくいいんだ!!」
「五月蠅いぞ!!シンジ!!」
「あなた、何も漢字にしなくても・・・・」
碇家の今日の夕飯はカニだった。
ゲンドウが食べたかったので、ネルフのVTOL機で海上から直送させたのである。碇家には、ほとんど北海道限定販売であるカニほじくり器が標準装備されていたが、シンジはカニの身をはずすのが下手だった。
必然的に他人より食べるカニの量が減り、それが焦りを産んで更に作業を遅らすという悪循環に陥ってしまう。
そしてシンジがようやくほじくりだしたカニの身を自分の皿に山積みにした時、事件は起こった。
「よくやったなシンジ・・・・」
そう言うやいなやゲンドウがシンジのカニを一気に食べてしまったのだ。シンジは顔面を一瞬蒼白にした後、怒りで肩をふるわせる。
「裏切ったな!父さん!!僕の気持ちを裏切ったな!!!」
椅子から立ち上がって叫ぶシンジに動ずることもなく、ゲンドウは口元だけで器用にニヤリと笑った。
「食卓は戦場だ、シンジ・・・・」
「ほんとにもうトロいんだから!アタシの分もあげるから泣くんじゃないわよ」
「あなたもちょっとやりすぎですよ」
アスカとユイからそう声をかけられたため、シンジとゲンドウは一時休戦するかに見えた。しかしシンジは恨みを忘れてはいなかった。ちょっと目は離した隙をついてゲンドウが大事そうに残していた刺身のカニをすばやくかっさらったのである。
「何!!そ、それは3番目の脚なんだぞ。おのれシンジ!!」
シンジは勝ち誇ったようにカニをのどの奥に流し込んだ。絶妙な甘さが舌とのどで溶け合って、シンジは恍惚とした表情を浮かべる。
ゲンドウは心底悔しそうに唇を噛むと「3番目の脚・・・3番目の脚」と呪文のように呟いている。
「おじさま、3番目の脚ってどういうことですか?」
「なんだアスカちゃんは知らないのか?それでは・・・・」
そう宣言するなりゲンドウは立ち上がって詠うように言い始めた。
「わーたしの記憶が確かならば、カニは3番目の脚。脚の中で1番目のものはハサミの脚、2番目は体のバランスを保つ天秤脚、そしてカニは3番目の脚で海底に立っている。つまり、3番目にはたっぷりと肉が付き、且つ身がしまっているということになる。カニを見たら思い出せ。3番目の脚」
ゲンドウは言い終えるとどこからか黄色いピーマンを取り出し、思い切り音を立てて囓った。その後ゲンドウがキッチンスタジアムに行ったかどうかは定かではない。
「じゃ、土曜の練習試合にはでるるわけ?」
壮絶な食事を終えてリビングでテレビを見ているアスカは、シンジにそう話しかけた。
「うん。レギュラーじゃないと思うけど、3年生の試合に出れるとは思うよ」
シンジの声を聞きつけたユイは洗い物の手をとめてうれしそうに言った。
「シンジが試合に出るの?土曜日は仕事も休みだし、母さんも応援に言ってあげるね」
「そ、そんな練習試合くらいでそこまで大げさにしないでよ!」
自分の親がハゲたりしていると授業参観の時に、子供は困ったりするものだが、若そうに見えすぎるというのも問題であった。以前授業参観に訪れたユイが、シンジの姉に間違われ冷やかされたことをシンジは克明に記憶していた。しわ1つないユイの顔は10年前の写真とほとんど変化がない。
「だ・め・よ!もう行くって決めてしまったもの。アスカちゃんとお弁当作っていくからね?」
「え、アスカも来るの?」
「行くわよね?アスカちゃん?」
ニッコリ微笑んだユイに逆らえるものは地球上に存在しないと言っても過言ではなかった。何しろあの碇ゲンドウですら無条件に従わせてしまうのだから。
「え、は、はい。行きます」
ユイに押し切られた形となったアスカだったが、内心ほっとしていた。どうやって練習試合に行く口実を見つけようか考えていたところだったからである。
(ふふ、マネージャーになれば部活は自分の独壇場になると思ったら甘いわよ、レイ・・・。このアスカ様が黙ってみているわけがないでしょう?)
碇家の平和な夜はこうして更けていった。
第6話です。今回はゲンドウとユイの独壇場でした。さすがのアスカもこの2人相手にはまだまだ苦戦しそうです。ゲンドウの「わーたしの記憶が確かならば・・・・」はちょっと悪のりかな?と反省しています。次回はバスケ部練習試合です。さてどうなるのでしょうか?僕もまだ考えていません・・・・・。では
MEGURU さんの『Project E』 第六話公開です。
愉快で賑やかな碇家の食事でした(^^)
ユイとゲンドウ、二人ともちょっと、いやかなりずれていて無茶苦茶楽しそうな食卓ですね(^^)
ここのゲンドウは人に言えない秘密を持っているようなんですが、
妙に間抜けで変な大人です(^^)
元気なアスカちゃんもこの二人にすっかりペースを握られていて出番無しでした・・ (;;)
いよいよ次回はバスケの試合ですね、
シンジとトウジに出番はあるのでしょうか?
あったとして、シンジの活躍にアスカは?レイは?
訪問者の皆さん、『ストックを切らさない男』 MEGURU さんにぜひとも激励のメールを!