第四話
「ジャンケンしよっか?」
6時17分
部活を終え自宅マンションの前まで来ていたシンジは、自分の腕にはめられた旧式のアナログ時計に目をやった。
空を見上げる。落日の光が空をアスカの髪と同じ色に染めていて、外はまだ明るかったが、4階の左から2番目の部屋、惣流家の窓からはすでに明かりが漏れていた。
シンジはアスカが帰宅していることに安堵するとマンションのエントランスに入った。入り口脇にある管理人室が目にはいるが、”巡回中”という札がでていてそこには人影はない。
習慣のように郵便受けをのぞく。意味のない広告がいくつか投函されあった。シンジは律儀にそれらを全部抱えると、磁気カードを取り出しドアのロックをはずす。シンジはYシャツの胸ポケットにカードをしまうとエレベーターのボタンを押した。
(アスカどうしたんだろう?今日は少し変だったな・・・。急に帰っちゃうし・・)
エレベーターに乗りながらそんなことを考えたシンジは、碇家の手前にある”惣流”とかかれたドアの前で立ち止まった。
呼び出しボタンに手をやる。しかしシンジの指はボタンの3cm前で停止した。
(でもアスカ帰ってるんだしな・・・。どうせ夕飯の時は呼びに行くんだし・・・)
シンジは鞄を握り直すとYシャツの胸ポケットから磁気カードを取り出し、通路の一番奥にある自宅のドアの方に歩き出した。首だけ振り返って、しばらくアスカの家のドアを眺めた後で。
自分の部屋に荷物を放りなげたシンジは、制服を着替えもせずに夕飯の支度にとりかかった。
冷蔵庫をのぞく。シンジは冷蔵庫のドアを開けたまま顔をしかめる。野菜が入っているチルド室も見てあとでもシンジの表情は変わらない。
「母さんも、もう少し買い置きしてくれればよかったのに・・・」
シンジはそう呟くと、冷蔵庫の中から使えそうな物を引っぱり出した。
ブロッコリーが一袋、ズッキーニが二本、アスパラガスが何本か、カナディアン・ベーコンに北海道産の牡蠣、ユイが先週末作ったコンソメ、飲みかけで気が抜けたビール。シンジは少し考えながら冷蔵庫から食材を出した。
シンジはまずコンソメスープを小さなボールに注ぐと、それにゼラチンを加え冷蔵庫に入れた。それから大きな鍋にたっぷりの水を入れると火にかける。
キッチンの上にある戸棚からパスタを取り出すとテーブルの上に置き、野菜やベーコンを切り出す。思い出したかのように額に手を当てたシンジは卵と小麦粉を取り出した後、平たい皿に輪切りにしたズッキーニとベーコンで巻いた牡蠣を並べ、沸騰した鍋に多めの塩とオリーヴオイルを投入した。
時計を見ると6時45分になろうとしていた。シンジは「急がないと・・」と独り言を漏らすと次の作業を始めた。
煮立った鍋にパスタを入れるたあと、流し台の下から取っ手のついた金属製のザルを出し、それに細かく切ったブロッコリーをいれ、パスタを投入した鍋の縁において同時にブロッコリーもゆで始める。
今度は中華鍋に油を入れ、今度は天ぷらの衣作りにとりかかった。飲みかけのビールと溶かしバターを入れた天ぷらの衣が完成すると、平皿に並べて置いたズッキーニと牡蠣のベーコン巻きに衣を付けて揚げ始めた。
途中ブロッコリーの茹で加減を確認すると冷水にとって色止めし、水を切ってレンジの脇にあるミキサーに入れる。天ぷらを揚げ終わり、パスタの具合をみるとちょうどアルデンテのようだった。
しかしシンジはチラリと時計に目をやるとパスタには手をつけないで、ブロッコリーのミキサーにオリーヴオイル・塩・胡椒・バルサミコ酢・レモン汁・バジルの葉を続けざまにいれると、ミキサーのスィッチを入れた。中身が滑らかになった後、味を確認したシンジは少し天井を見あげ、蜂蜜をスプーン一杯たす。
ジュワッ!
鍋から吹きこぼれた泡が音をたてる。シンジはあわてて火を消しパスタをザルにあけ、水道の水を勢いよくかけた。
「ふーー、水で冷やして締めるっていてもあやうく茹ですぎるところだった・・」
そう呟いた後、冷やしたパスタの上にブロッコリーのソースとゼリー状のコンソメを乗せ、天ぷらにかける天つゆとレモンを用意しテーブルの上の料理を見回す。
少し足りないかな、と思ったシンジは、胡桃入りのパンがあったことを思い出し、パンをバスケットに盛ると改めて食卓を見回した。
「うん!」
満足そうにシンジはそう言うとアスカを呼びに行った。
ピンポーン
「・・・・・・・・・・・・・」
勢いよく家を飛び出し、アスカの家も呼び鈴を押したシンジだったが、反応はなかった。
「おかしいな。電気ついてたからアスカいるはずなのに・・・・」
ピンポーンピンポーン
もう一度押してみる。今度は2回。それでも応答の無かったアスカに、シンジがかなり不安を募らせ、3回目の呼び鈴を押そうとした時、アスカは勢いよくドアを飛び出してきた。
「お、おあ!!」
唐突に空いた扉にビックリしてシンジは思わず声を上げた。
「夕飯できたんでしょ?」
シンジとは対照的にそっけないアスカ。
「う、うん・・・・。それよりアスカ、今日はどうしたの?部活もしないで急に帰っちゃったし、何かあったの?」
「いいのよ部活なんて。どうせヒカリにつきあって入ってるだけだし・・・。」
シンジはそこまで言ったアスカが自分と同じ制服姿なのに驚いた。しかしシンジが二の句を告げる前にアスカはさっさと碇家のドアを開けて中に入ってしまった。
「今日は何なの?」
「え、な、何が?」
アスカに先手を取られっぱなしのシンジの思考能力は半分停止していた。
「何がじゃないでしょ!今日の夕食のメニューよ!!ったっくしょうがないわね、バカシンジは・・・」
シンジがメニューを告げるより早く、食堂に到着したアスカは黙って席に座った。フルオートの機関銃のようにしゃべりまくるいつもとは対称的な態度に、とまどいを隠しきれないシンジ。
「何ボサっと突っ立ってるのよ!時間が経ったらおいしくなくるでしょ!サッサと座りなさいよ、バカシンジ!」
アスカの言葉には逆らえないように訓練されているシンジは、おそるおそる椅子に座った。
「「いただきます」」
食事の最初にそう言ったきり会話はなかった。アスカは黙々と食べ、シンジはアスカに言葉をかけようとするが、いつもとは違うアスカの態度に言葉が見つからない。
(もしかして味付け間違えたのかな?でもまずいなら即座にそう言うはずだし。・・・うん、味付けは間違えてない。ほんとにどうしたんだろうアスカ。僕何か悪いことしたのかな?うわーーわかんないよ!誰か助けて!!)
「シンジ・・・」
シンジが脳細胞を爆発させていると、突然アスカが口を開いた。
「ジャンケンしよっか?」
「は、はぁ?」
「な、何よ!私とジャンケンするのがそんなに嫌なの?それとも怖いの?」
「そんなことあるわけないだろ!怖くなんかないよ!ジャンケンなんか!」
「じゃあ、行くわよ」
アスカは少し照れたような仕草で箸を置いた。
「「ジャンケン、ポイ!」」
シンジはグーをだした。アスカは何も出さなかった。ただシンジの手をじっと見つめている。
「ア、アスカ!そっちからジャンケンしようなんて言っておいて酷いじゃないか!」
激昂するシンジをよそに、アスカは冷静にあごに手を当てて考え事をしている。
「ア、アスカ!!どういうつもり・・・」
「うっさいわね!もう一度やるわよ!」
アスカの言葉には条件反射的に従ってしまうシンジ。
「「ジャンケン、ポイ!!」」
アスカはグー、シンジはチョキだった。それから4回繰り返されたジャンケンにおいてシンジは1回も勝つことができなかった。
(っふ、完璧ね!練習の成果は確実に反映されてるわ!!)
「シンジ、今日はアタシが片づけやるね。紅茶でも入れるからアンタは座ってていいわよ。」
ジャンケンをしたあとのアスカはやたら上機嫌だった。滅多にしない片づけを自ら駆って出て、鼻歌を歌いながらキッチンで皿を洗っている。
(やっぱりアスカ変だよ!自分から後かたづけするなんて・・・。それにだいぶ前に帰ってきたはずなのに制服着てるし。何か悪い物でも食べたんだろうか?)
間が持たなくなったシンジはなんとか話題を見つけてアスカに話しかけた。
「ア、アスカ」
「ん?何、シンジ?」
燕のように軽やかに身を翻し、春のそよ風のように柔らかにアスカは答えた。
(う、な、何でこんなに上機嫌なんだろう?)
シンジはそう思ってうろたえたが、用意していた言葉をアスカに投げかけた。
「今日ね。綾波がうちの部に入部しに来たんだよ。」
「なななな、なんですって!!ちょっとそれ本当なの?!」
アスカの変貌ぶりは激烈だった。それまで洗っていた皿を放り出して、リビングのシンジのところに飛ん来る。もともとお天気屋さんな性格だが、雲一つない晴天から一気に雷雨にまで変化してしまった今日の変化はいつもに増して劇的であった。
「え、そ、そんなに大したことじゃないだろ?うちの部長にマネージャーにならないか?って勧誘されてたみたいだし・・・。」
「アンタねえ!あのレイがいきなり部活に入るだなんて何かあると思わないの?いつもはクラブ活動なんて興味なさそうにしてたじゃない!」
今日のアスカの方がよっぽど変だ、と思ったシンジだったが口から出た言葉はアスカのことではなかった。
「で、でも掃除の時雑巾絞ってる綾波なんてなんかお母さんってみたいだったし、案外マネージャーとかも似合うんじゃないかな?」
だが、アスカはそんなシンジの言葉を聞いていないようだった。
(レイ・・・。これはアンタの宣戦布告と受け取ってかまわないわね・・・。そうと分かればもう容赦はしないわよ!もう皿なんて洗ってる時じゃないわ!)
「シンジ!アタシちょっと用事思い出したからあとやっといてね!!」
アスカはそう言うやいなや、手に持っていたスポンジを洗い場に投げだし、玄関に駆け出していた。シンジは呆然とその背中を見送る事しかできなかった。
玄関で乱暴に靴を脱ぎ捨てたアスカは、脇目もふらず自室にはいった。女の子の部屋らしくかわいらしいものが多く置いて有るが、少女の意識はそんなものにはない。
アスカは木製の机に組み込まれたパソコンのスイッチを入れると一枚のCDをとりだし、セットする。
”2−Aの生徒のジャンケンにおける傾向と対策”とかかれたそのディスクにはクラス全員のジャンケンの様子が入力されていた。
映し出された画面は分割されており、グーを出す時の顔と手首の筋肉のはり、振りかぶり方などが克明に表示される。またグーのあとは何%の割合で次は何を出すか、などという情報もこまめに記録されている。
(林間学校といえば班や座席が勝負を左右するのよ!!そしてそれを決めるのはジャンケンだわ!!ジャンケンを征する者が林間学校を征するのよ!!明日までにクラス全員のジャンケンにおける傾向を完璧に覚えておけば、明日はアタシの独壇場ね!見てなさい、レイ!シンジは渡さないわ!)
茜色の髪の少女はそう心の中で宣言すると、学校から帰ってきてからずっと続けていた作業を再開した。
「ちょっと!ミサト!!どういうことよ!」
「ど、どういうこととはないでしょ。ただ班や座席をくじ引きで決めるっていっただけじゃない・・・」
ロングホームルームでミサトが班と席順の決め方を提案した途端、アスカは立ち上がってミサトのもとに詰め寄っていた。あまりの剣幕にミサトは身を引く。
「だってシンジとの家事当番の分担は全部ジャンケンで決めてたじゃない!!いまさらくじ引きなんてどういうこと!!」
「ア、アスカ、シンジ君との家事当番なんて設定はないのよ・・・。それにどうだっていいじゃない、決め方なんて・・・」
ミサトは完全にアスカに圧倒されていた。声量がいつもの半分もない。みかねたヒカリが仲裁にはいる。
「ア、アスカ落ち着いて。ミサト先生の言う通りよ。別にきめかたなんて」
「何よ!ヒカリまで!!ひょっとしてミサトやレイと結託してるの?!」
「ご、誤解よ、アスカ。私はいつだってアスカの味方よ」
「ごかいも、ろっかいもないわ!!」
荒れ狂うアスカを見てられなかったシンジも席を離れてアスカの説得に向かう。
「アスカ、ね、気を静めてよ。お弁当の卵焼き、僕の分もあげるからさ・・・」
そんなシンジの言葉にも全く静まる様子を見せないアスカは、今度は詰め寄る相手を変えてシンジににじり寄る。
「だいたいいったい誰のために言ってると思ってるの?!元はといえばアンタが」
そういいながら教壇を降りたアスカは、興奮しすぎたためか教卓につまずいてバランスを崩す。シンジは反射的にアスカをかばおうとして身を投げ出した。
その時教室のドアを開けて入ってきた副担任・赤木リツコの目に映った情景は、無惨にうつぶせに床に突っ伏しているシンジと、その上に尻餅をつくような格好でシンジを下敷きにしているアスカだった。
リツコはまばたきを2回すると、こめかみに手を当ててこう呟いた。
「無様ね・・・」
というわけで(どんなわけだ?)第四話です。始めてのあとがきで恐縮です。一応話のコンセプトを書いておきますと<エヴァのキャラで遊ぶ>ということです。アニメを補完しようだとか、謎を解明しようとかいう高尚な理由ではありません。登場人物のセリフが本筋とバッティングしたり矛盾したりしているのは、僕の筆力のせいもありますが、上記のような理由からです。つたない文章ですが感想メールをいただけるととてもうれしいです。
MRGURUさんの『 Project E 』第四話、公開です!
う・・・・お腹が減ってきました(^^)
シンジ君が料理を作る描写、それを食べるアスカちゃんの様子を見ているとお腹の虫が騒ぎ出しましたよ。
それにしてもアスカちゃんが健気ですね、
一体何処から手に入れたかの<2−Aの生徒のジャンケンにおける傾向と対策>を使っての必死の努力・・・・可愛いです!
・・・・酬われなかったけど。
レイをライバルと受け止めた彼女、
林間学校での波乱が楽しみです(^^)
訪問者の皆さん、
MEGURU さんに貴方の林間学校での想い出などを話して見ませんか?