第二話
「シンジ君も大変ね」
惣流アスカ・ラングレーは憂鬱だった。
(どうしてシンジに対して素直になれないのかな・・)
そう心の中で呟いてみるが、理由は分かっていた。
(少し前まではシンジなんて何とも思ってなかったのにな・・・。ただの幼なじみだったのに・・・)
アスカの中のシンジに対する認識が変わってきたのは一ヶ月くらい前からである。そう、それは綾波レイが転校してきてしばらく経った日から。
綾波レイの事ばかり追いかけているシンジの視線に気がついてから、アスカは急にわかった。シンジのことを誰よりも強く思っていることを。それまでもそう思っていたのかもしれない。
しかしそれを自覚することはなかった。自覚する必要もなかったのだろう。シンジとアスカは無意識ではあるが誰にも浸食できない絆で結ばれていたのだから。アスカはレイの登場から二人の聖域が侵され始めてるような気がした。
(シンジにとって私ってなんだろう?幼なじみ?うん、シンジにとってはただの幼なじみなのかもしれない・・。でも毎日お弁当作ってくれるし、気も使ってくれるときもある。少なくとも他の人よりは大切な人間なのかな・・・。でも私はシンジに暴力ばかり振るってる・・・。さっきも一度くらいお弁当作るの忘れただけであんなことを・・・)
それまで下を向いて物思いにふけっていたアスカは、ふとシンジの方を見た。そこにはレイと並んで教科書を眺めているシンジのなにげない姿があった。
(シンジの席はレイの隣・・・出席番号が同じだからしょうがないけど・・・。私ももっと出席番号がシンジに近い名字だったらよかったのに・・・)
アスカがそこまで考えた時、シンジがレイに小声で話しかけた。声は聞こえない。すぐに話すのをやめたからたわいもないことだったのかもしれない。それでも茜色の髪の少女の心は暗く沈んでしまった。
(シンジはもしかしてレイのことが好きなのかな?ううん、そんなこと絶対ない!多分シンジは誰にも恋愛感情を抱くまでいたっていない。ほんとうに子供なんだから・・・。アイツ鈍いから全く気づいていないだろうけど、シンジ結構人気あるんだよね。ユイおばさんに似て顔立ちも綺麗に整ってるし、優しいし、運動神経も悪くない。父親はネルフの会長でお金持ちだし・・・。レイもシンジの事好きなのかな?多分そうだ。何となく分かる。私もそうだから・・・。シンジが最初に好きなるとしたら誰だろう?私?そうあって欲しい。でもさっき保健室でシンジは・・・)
先程のことを思い出すとアスカは下を向くことしかできなくなった。
そんなアスカを見つめていた少女がいる。その少女はおさげにして自分の顔の横に束ねた髪を片手でいじっている。洞木ヒカリであった。
(アスカまたうつむいちゃってる・・。さっきのこと気にしてるのかな・・・)
ヒカリはそう考えると、さきほどの保健室の出来事が思い浮かんできた。
「シンジ君は大丈夫よ。ちょっと脳しんとうを起こしてるだけ。スキャンでも異常なしだしね。」
保健教諭の赤木リツコはそう言った。今では中学校の保健室にも高度な医療機器が導入されており、精密検査が学校でも行える。もっともこの学校にあるものはリツコの手によってかなり違法改造されていたが・・・。
「ほら、赤木先生もこうおっしゃてることだし、教室に戻ろう、ね、アスカ?」
ヒカリはアスカをなだめるようにそう言ったが、アスカは泣きながらシンジのそばを離れようとはしなかった。
「でも・・、ヒカリ・・せめてシンジが目を覚ますまで・・・・」
ヒカリに向かってそういう間もアスカの視線はシンジから離れない。本来ならヒカリとともにアスカをなだめ、授業に戻るよう言わなければならない立場にいるリツコも何も言わなかった。
「う、ううーーん・・・・」
その時唐突にシンジが声をあげる。アスカは一瞬にして喜色満面の表情を浮かべ思わずシンジの名を呼んだ。
「シンジ!大丈夫?痛かったでしょ?ごめんね・・・」
アスカの呼びかけにシンジの返答はない。シンジはまだ意識を取り戻したわけではなかった。しかし続けてシンジが言った寝言はアスカに衝撃を与えた。
「あ、綾波・・・・」
それを聞いた途端アスカは一瞬硬直し、一粒だけ床に涙を落とすと駆け出していた。ヒカリはアスカを呼び止めるがアスカは聞こえていないのか保健室を飛び出していく。
「あ、赤木先生。私たち授業に戻りますので!!」
ヒカリはそう叫ぶとリツコに対して形式だけのおじぎをしてアスカを追いかけた。リツコは興味がなさそうにため息を一つつくと、コーヒーメーカーが置いてあるベット脇の机に歩き出した。無言でコーヒーをカップに注ぎ続けるリツコの脇で、シンジはまた寝言を漏らした。
「ア、アスカ・・・行かないでよ・・・・」
それを聞いたリツコは苦笑と微笑の中間のような何とも形容しがたい笑みを浮かべるとコーヒーの香りを楽しみながらこう呟いた。
「シンジ君も大変ね・・・」
ヒカリは完全にアスカを見失っていた。クラスで一番運動神経のいいアスカである。本気で走られたらヒカリに追いつくわけがない。しかしヒカリに焦りはなかった。アスカがどこに行くか確信があったから。
ヒカリは屋上へと続く鉄製の重い扉を開けると辺りを見回した。そして屋上の隅でうずくまっている茜色の髪の毛を見つけると、安心したように胸に手を当て息を整える。
「ア、アスカ・・・・」
そう声をかけてみたもののそれに続ける言葉はヒカリの脳裏には浮かんでこなかった。自分の中の言語ファイルを懸命に検索してみるが、いい言葉は見つからない。ヒカリがそれでもなんとか声をかけようと自分の中で格闘しているとアスカがポツリと言った。
「先に教室戻ってていいよ・・・ヒカリ・・・・」
アスカのその言葉がヒカリの心の中の堤防を突き崩した。それまでかける言葉が見つからなかったのが嘘のようにヒカリの口から言葉があふれ出す。
「そ、そんなことできるわけないじゃない!私たち親友でしょ、アスカ!アスカが一人でいるのをほっとけるわけないじゃない!もしも碇君が今の私と同じ立場にいたら絶対アスカをほっとかないと思うよ。私に碇君の代わりはつとまらないと思うけど・・・それに碇君だって別に綾波さんが好きだからあんなこと言った訳じゃないと思うよ。アスカと碇君はずっと一緒なんでしょ。碇君は絶対アスカの方を大切に思ってるって!!」
そこまで一気に言ってヒカリは沈黙した。自分の言ってることがなんだか支離滅裂に思えたせいもあるが、何よりアスカの反応が見たかった。しばらくヒカリはアスカの反応を伺っていたが何もアスカが言わないので、黙ってアスカの隣に座って空を眺めた。
「風が強いね・・・」
しばらくたってからヒカリはそう言った。
アスカは何も答えない。
「碇君のこと好きなの?」
「うん・・・」
アスカはしばらく間をおいてから小さい声そう答える
確認しなくてもヒカリには分かっていたことだった。でもヒカリは聞かざるを得なかった。その後ヒカリはアスカの頭に手を起き、髪をなでると意を決したように言った。
「そろそろ戻ろうよ・・・。碇君もそろそろ教室に帰ってるかも・・・」
「まだ戻りたくない・・・。シンジに泣き顔を見られたくないし・・・」
そんなセリフであってもアスカが言葉を返しくれたことにヒカリは少しだけ安堵すると、少し茶化すように言った。
「そうだね・・・。碇君はきっと明るいアスカが好きだもんね・・・」
ヒカリの言葉にアスカは泣きはらした顔をゆっくりとあげると、はにかんだような表情を浮かべ、少しだけ笑った。
「そうだね。いつまでも泣いてるの私らしくないね・・・。こんなんじゃシンジに嫌われちゃうね・・・」
唐突な風がアスカの茜色の髪をなびかせる。強く吹き抜ける風は雲とともにアスカの涙も飛ばしてしまいそうだった。アスカはもう一度空を見上げると深呼吸をして目を拭う。そしてアスカは立ち上がっって言った。
「そろそろ戻ろうか、ヒカリ・・・・・」
「はぁー、やっと終わったわ・・・。さーてメシやメシ!」
鈴原トウジはそう叫ぶと購買部に食料調達に行くため、いつものように相田ケンスケのもとに駆け寄った。前の授業のディスクを整理していたケンスケの席まで来たトウジは、その後ろにあるシンジの机の上にいつもあるものがないことに気がついた。
「あれ、シンジ。弁当はどないしたんや?」
トウジのなにげない問いかけに、シンジは後ろめたさを多分に含んだ視線を返しながら言った。
「あ・・・、今日朝寝坊しちゃって作れなかったんだ・・・・」
碇家は共働きである。父・ゲンドウは財団ネルフに、母・ユイはネルフの研究機関である人工進化研究所に勤めている。ユイは共働きの母親にしてはかなり家事をこなしていたが、やはり限界があった。
中学校に進学した頃からシンジは自分の弁当を作るようになり、いつしか同じような家庭環境のアスカの分まで作るようになっていた。女の子のアスカがなぜ作らないのかといえば、シンジの方が料理が得意であるというのが第一の理由だが、もちろんそれだけではない。
14歳という年齢の女の子には朝やらなければならないことが山ほどあったし、最近アスカは自分の好きな人に作ってもらう弁当を楽しみにしていたからである。
「なんやあ・・・そうやったのか。もしかして朝のごっついどつきあいの原因はそれやったんか?シンジ・・」
「う、うん。そうなんだ・・・・」
シンジはヒカリと話している茜色の髪の少女のほうに、少しだけ目をやりながら答えた。
「さ、早く買いに行こうぜ。シンジは二人分買わなけりゃならないんだしな。」
ケンスケの一言にうなずくと三人は駆け出した。シンジは胸一杯の申し訳なさを、トウジは極大化した空腹感を、ケンスケは微量の嫉妬を抱えて・・・・。
かつてない速さで購買部から戻ってきたシンジは、教室に入るなりアスカの姿を探した。目指す茜色の髪の少女はいつもの窓際の席でヒカリとレイと一緒にいた。昼食は大抵この女性三人に加えて、惣流アスカ・ラングレー認定三バカトリオでとっていた。
レイは転校当初一人で食事を食べていたのだが、見かねたヒカリが誘うようになって以来、この輪のなかに加わっている。アスカとレイはシンジがいるから、ヒカリはトウジがいるから、ケンスケは常にシャッターチャンスを狙っているから、トウジはヒカリの弁当をつまみたいから、シンジはなんとなくという具合に一緒にいる理由は六者六様であったが・・。
「ア、アスカ、・・・・・」
アスカに声をかけた瞬間息切れで何もしゃべれなくなったシンジは、両手を両膝にあててとりあえずの呼吸を整えるとアスカに購買部の袋を差し出した。
「ア、アスカ・・その・・お弁当作れなかったから購買部で買ってきたんだ。アスカの好きなタマゴサンドもハムサンドもあるよ」
「あ、ありがと・・・・・シンジ・・・・・」
アスカの意外なリアクションにシンジはキョトンとしてしまった。以前同じようなことがあった時とまるで反応が違う。前のアスカはシンジの買ってきたものを見るなり大声でまくしたてた。
「なによ!このBLTサンドウィッチ!BLTに使うベーコンはマサチューセッツのウィリアムバーグ特産のオールド・ファッションド・ベーコンと決まっているのよ!こんな脂身の多いベーコンは合わないわ!それに焼き方はカリカリに焼いた方が独特の香りもでるのにこれはちょっと炙っただけじゃない!それからレタスは・・・」
アスカの不平不満は実にバラエティーに富んでいて、食事の初めから終わりまで続いた。そしてそれだけ文句を言いながらも全て平らげ、
「デザートがないじゃない!バカシンジ!!」
と叫んでシンジを再び購買部へと走らせる始末だった。
それがこの豹変ぶり。怒るどころか走ってきたシンジを座らせるために椅子をひき、一息つかせるようと、オレンジジュースのパックを開けてさえいた。そんなアスカの様子をシンジ、トウジ、ケンスケの三人は怪訝なまなざしで、レイは表面上は無表情に、ヒカリだけがニコニコしながら見つめていた。
「な、何してるのよ!さ、さっと座りなさいよ!!」
一同の視線に気がついたアスカは真っ赤になってそう叫ぶ。その声はいつもより格段に迫力を欠いていたが、空腹感を優先させたシンジたちは席に着いた。
そんな中、一人食欲を後回しにしていたのが綾波レイである。
(ア、アスカったらもうどうしちゃったの?あーーー!!!シンちゃん赤くなってるー!普段ががさつだからそのギャップにクラっときちゃうのかしら?とにかくレイちゃんピンチ!って感じよね・・・どうにか挽回しないと・・・・)
レイは少し遅れて食事を開始しながらそんな妄想を暴走させていた。これから永遠に続く二人の戦いはこの日をもって始まったのかもしれない。
MRGURUさんの連載『 Project E 』 第二話を公開します(^^)
副題にあるとおり、本当にシンジ君は大変ですね。
アスカという女の子。
意地っ張りで、
素直になれなくて、
手が早くて、
口が悪くて、
ヤキモチ焼きで、
可愛くて、
一途で、
本当は寂しがり屋、
・・・・・・・なんだかあまり同情したくなくなってきました(^^;
こんな良い子にここまで思われるなら、私は少々痛い目をあってもいいぞ!!(^^;
いや、アスカちゃんになら痛い目に合わせて欲しい(爆)
・・・・・私、また壊れていました・・・・(^^;;;;;
と、とにかく。
meguru さんの描く学園生活に魅了された貴方!
ぜひその気持ちをメールで伝えて下さいね(^^)