(ざわざわざわ)
冬休みが明けて数週間経ったある朝のこと,私立第三新東京幼稚園のとある教室では「さくら組」と「かきつばた組」の園児達が集合していた.いつもと違う教室,いつも以上の大人数ということもあって園児達はざわついていた.
「よぉ,シンジ!」
「あ,おはよう.トウジくん.ケンスケくん」
「おはよう,シンジ.マナちゃん.」
「おはよっ.ケンスケくん.トウジくん.」
「さくら組」のシンジとマナ,「かきつばた組」のトウジとケンスケの間で朝の挨拶が交わされる.
「おはようっ,ヒカリ!」
「…おはよう,ヒカリちゃん.」
「おはよ,アスカ.レイちゃん.」
アスカやレイ,ヒカリもまた顔を合わせては挨拶を交わしていた.
「みんなあつまって,きょうはなんだろうね?」
「なんやろな?」
「アンタバカァ!?そんなこともわからないの?」
「バカとはなんや.バカとは!?」
「アスカはわかるの?」
「もっちろんよっ.シンジ.」
いつになく人が集まっている状況の中,シンジが疑問を口にする.トウジもまた首を傾げていた.そこへアスカが口を挟む.
「…なにがはじまるの?アスカちゃん.」
「これはね,きっと『がくげいかい』のあつまりよっ.」
「がくげいかい!?」×5
レイがアスカに尋ねるとアスカはエッヘンと胸を張って答える.アスカの答えにシンジ・レイ・マナ・トウジ・ケンスケの5人が口を揃えて復唱した.
「…ってなんや?くいもんか?」
トウジのボケた発言にシンジとレイを除く話の輪にいた子がみなずっこけたり肩を落としたりした.
「トウジぃ・・・.」
「だからアンタはバカなのよっ.」
「なんやと!?」
「すずはら…『がくげいかい』というのはおうたをうたったりげきをやったりしてみんなにみてもらうことなのよ.」
「そ,そうなのか?」
「うん.」
「・・・・・.」
呆れ顔のケンスケに,容赦無い言葉をトウジに浴びせるアスカ.アスカの言葉にムッとするトウジだったがヒカリの指摘に沈黙する.
『そ,そうなんだあ.』×2
シンジとレイは同じ事を考えていた.二人もまたトウジと同様に「学芸会」の言葉の意味が分からなかったらしい.
「ねえ.シンジくんにレイちゃん,なんでかおあかいの?」
「え?」
「ねえ.なんで.なんで.なんで.」
「な,なんでもないよ.」
「なんでもない….」
「ねえ.おしえて.おしえて.おしえてーっ.」
「ちょっとマナ!シンジとレイにひっつくのやめなさいよっ.」
シンジとレイの表情を見て取ったマナが二人にまとわりつく.二人に引っ付くマナをアスカが引き剥がす.マナの「まとわりつき攻撃」にシンジとレイ,それにアスカも振り回されていた.
「みんな,静かにして.」
「静かにしなさーい.」
シンジ達「さくら組」の担任マヤとトウジ達「かきつばた組」の担任シゲルが騒いでいる園児達を鎮めようとする.
(ざわっざわざわ)
人数が多い分だけ園児達が静かになるまでいつもより少しだけ時間がかかった.
「はい.それではきょうは・・・」
(がらっ)
「おはよーっ,みんな.」
「あーっ,ミサトおねーちゃん.」
「ミサトぉーっ.」
「ミサトおねーちゃん,おはようっ.」
マヤが切り出そうとした瞬間,見計らったかのように教室の扉が開く.扉を開いたのは研究生としてこの幼稚園に通っているミサトだった.静かになっていた教室がまた賑やかになる.折角静かになったのにまた騒ぎが始まってしまった事態にマヤもシゲルも苦笑いを禁じ得なかった.再び静かになるまでさらに数分を要する.
「・・・はい.それでは今日は来たるべき『学芸会』について説明しますね.」
数分後,マヤがミサトの登場によって中断された話を再開する.アスカの言った通り今日は学芸会についての話だった.ここでマヤが語る学芸会とは年長組の園児達が卒園前に保護者達の前で何らかの出し物をするというものである.これは私立第三新東京幼稚園の毎年恒例の行事であり難しい話をすればカリキュラムの一つでもあった.
「せんせー,『がくげいかい』ってなにするのぉ?」
「みんながお父さんやお母さんの前でお歌を歌ったり,劇をやったりするのよ.」
「そうなんだあ.」
「ねえせんせい,わたしたち『がくげいかい』でなにやるの?」
「それはだね,僕達『かきつばた組』と伊吹先生の『さくら組』とで劇をやることなってるんだ.」
「どんなげきなんですか?せんせい.」
「『かぐや姫』.竹から生まれた女の子がお爺さんお婆さんに育てられてやがて時が来て月に帰っていく物語よ.」
先だってトウジが言った疑問を園児の一人が口にする.それにマヤとシゲルが答える.二人が質問に答える度に園児達からいろんな問いが飛んで来た.今年の学芸会は劇.4クラスある年長組のうち,「さくら組」と「かきつばた組」,「あやめ組」と「つばき組」がそれぞれ合同して各々一つの演目を行うというものであった.
「せんせい!しゅやくはだれがやるのー!?」
「アタシ,やりたーいっ!」
「わたし.わたしっ.」
「・・・わたしも.」
「あたし,やりたい.」
主役と聞いて女の子の園児達から次々と「立候補」が出る.主役と言っても役者は幼稚園児,難しい台詞などは省略されていて比較的簡素なものである.だが,そうは言っても主役は「華」でありマヤ,シゲルが答える前に園児達から次々と手が挙がっていた.
「あれ?レイちゃんはてをあげないの?」
「…うん.」
女の子の過半数以上・・・アスカやマナ・・・の二人は元気良く,そしてヒカリもまた控えめに手を挙げる中,レイは手を挙げていなかった.それに気づいたシンジがレイに尋ねた.
「どうして?レイちゃん,めだつのやなの?」
「…うん.」
シンジの問いにレイはうなずいて答える.「はにかみ」のレイが主役という非常に注目を浴びる役に手を挙げなかったのはもっともなことであった.
「…ねえ,シンジくん.『かぐやひめ』ってかなしくない?」
「どうして?レイちゃん?」
レイがシンジに問い掛ける.「かぐや姫」の物語を悲しいと言うレイ.レイの問いにシンジは解らないという顔をしていた.
「…だっておじいさんおばあさんをおいてつきにかえっちゃうでしょ….」
「でも,かぐやひめはもといたところにかえったんじゃないの.」
「…そうだけど…かぐやひめさん,おつきさまにかえりたくなかったとおもうの.」
「・・・・・」
「…だって,かぐやひめさん,くるまのなかでないてたんだもの.」
原典の「竹取物語」には最後にかぐや姫が天の羽衣を着せられてこれまでの地上への思いを忘れ去ってしまう場面があるのだが子供向けの絵本ではそれは割愛されている.レイが読んだ絵本もその通りでそこには月に向かう車の中で泣いているかぐや姫が描かれていた.
「…そうなんだ.そうだよね.かぐやひめ,ないてたもんね.」
「…シンジくんもそうおもう?」
「…うん.そうおもうよ.レイちゃん.」
「・・・・・(にこっ)」
解らない顔をしていたシンジもレイの話を聞いて納得という表情に変わり,彼女の話にうなずいた.解ってもらえたのが嬉しかったのかレイはにっこりと微笑んだ.
「みんな,静かに.」
「みんな,落ち着いて.役割分担については全部くじ引きで決めまーす.」
「えーっ!?」
「そんなーっ!」
「いやいやいやっ.」
園児達の騒ぎにシゲルが割って入る.マヤがキャストをくじで決めると言い出すと何人かの女の子達から不満の声が上がる.男の子達の大多数は決め方など何でもいいという様相だった.
「・・・それじゃ,ジャンケンで勝ち残った子が『かぐや姫』をやるということでどうかな?」
騒ぎにマヤは苦笑いを浮かべる.園児達から不満の声が上がることはマヤも予想していたようで首をちょっと傾げただけで次の提案を園児達に示した.
(ざわざわ)
「わかりましたーっ.」
「いいですぅ.」
「やりましょっ.せんせー.」
不満の声を上げた園児達を中心にしばらくざわめきがあった後,賛同の声が上がる.くじ引きもジャンケンもそう大して変わらない・・・アスカとシンジのジャンケンは例外としても・・・ような気もするが恐らくは手を動かすことによってある程度納得できることなのかもしれない.
「それじゃ,5,6人になるまで僕とジャンケンするということでいいね.」
「はーいっ.」×多数
「かたせてもらいますわっ.シゲルさまっ.」
「あら,かぐやひめのやくはわたしのものよっ.」
シゲルがジャンケンについて確認を園児達に求める.女の子の園児達から元気な声が返ってくる.主役を巡って小さな戦いが始まろうとしていた.
「それじゃ,じゃーんけーん・・・」
それからしばらくの間,教室ではシゲルの掛け声と女の子達の声がこだましていた.
「・・・それじゃ,練習を始めますね.役柄ごとに私か青葉先生の前に集まってね.」
「はーい.」×多数
「おーっ.」×多数
全ての配役が決まった所でマヤが練習の開始を宣言する.かぐや姫が決定した後は,竹取の翁夫婦の役から台詞無しの従者役まで園児の希望とくじ引きによってキャストが決められていった.
「ざんねんだったね,アスカ.かぐやひめになれなくて.」
「・・・ジャンケンでまけたんだからしょうがないわよ.」
シンジがアスカに慰めの言葉をかける.健闘空しくアスカはジャンケンで負けて主役の座を逸していた.だが,アスカはそのことをあまり気にしていないようだった.
「それよりもシンジ!このアタシといっしょなんだからしっかりやるのよ!」
「う,うん.アスカ.」
「レイもはずかしがっちゃダメよっ.」
「う,うん….」
アスカがシンジとレイに激を飛ばす.うなずくシンジ.ためらい気味のレイ.シンジとアスカ,レイはそれぞれの希望とくじの因果によって同じ場面を一緒に演じることになった.
「おめでとうっ.ヒカリ!」
「アスカ…ありがとう.」
「ヒカリが『かぐやひめ』かいな.なんや…しっくりこんなあ.」
「しっくりこないってなによ!?」
「しっくりこないもんはしっくりこんのや.そーりゅーはだあっとれ.」
「なんですってえ!?」
主役の『かぐや姫』を射止めたのは「かきつばた組」のヒカリだった.そのことを素直に喜ぶアスカとちょっとけなした感じのトウジ.トウジの言い草にアスカが噛み付き,二人は言い争いを始める.
「やめなよ,アスカ.」
「シンジはだまってて.」
「せや,シンジはだまっといてくれ.」
「だいたいそーりゅーはがさつで・・・」
「なによっ.アンタなんかにがさつっていってもらいたくないわよっ.」
「ふたりともやめてっ.」
「とめないで.ヒカリ.」
「ヒカリにはかんけいのないことや.」
始めはヒカリの『かぐや姫』に関しての些細な言い争いだったのだが,アスカとトウジの口ゲンカは次第にエスカレートしていく.シンジ,それにヒカリが止めに入るが二人共意固地になって止めようとはしなかった.
「・・・なにすんや.」
「やめなさいっていってるでしょっ.きこえないのっ.」
「アンタがバカだからよっ.」
「なんやとーっ.」
「やめてっ.」
「ほんとっ,ものわかりがわるいわねっ.」
「ひとをバカよわばりすなーっ.」
「やめなよーっ,アスカぁ.」
「トウジもおちついて.」
「アンタたちはひっこんで.」
「おまえらはひっこんどれ.」
「・・・・・」
アスカとトウジの言い争いは止まず,エスカレートするばかりである.ヒカリやシンジ,それにケンスケが止めに入るがアスカもトウジも聞く耳持たないと言う感じになっていた.聞く耳持たない二人にヒカリは拳をわなわなと震わせる.
ヒカリの大きな声が教室内に響く.その声によって争いの当事者であるアスカとトウジはもちろんのこと,止めに入っていたシンジやケンスケまで凍り付いた.さらに教室内の園児達までも各々の動きを止めていた.
「ふたりとも,そこにすわんなさいっ.」
ヒカリは間髪を入れずアスカとトウジを座らせた.当事者二人だけでなくその場にいたシンジとケンスケも何故だか畏まって座っていた.
「アスカにすずはらっ.ケンカはだめっていつもいってるでしょっ!」
「せ,せやかてそーりゅーのやつが・・・.」
「す・ず・は・ら」
「…はい.」
ヒカリが仁王立ちになって二人に「説教」を始める.トウジが言い訳をしようとするがヒカリの見幕の前にただただうなずくことだけしかできなかった.アスカもまたヒカリの前に完全に沈黙させられていた.
「やーい.おこられてやんの.」
「(きっ)」
「ひっ.」
ヒカリに対しぐうの音も出ない状態の二人を揶揄する声が他の園児・・・「さくら組」のツヨシから上がる.だがその直後,ヒカリの向けた視線を目の当たりにしたツヨシは凍り付く.今のヒカリはまさに無敵と言っても良かった.
「・・・ふたりともわかった?へんじは?」
「「…はい.」」
「はい.よくできました.」
それからもヒカリによる二人への注意は続き,アスカとトウジは神妙に聞くより他に無かった.二人を注意するヒカリのその姿は6歳になったばかりとは思えないその辺の大人よりも威厳があり堂に入っていた.ヒカリの「許し」を得てアスカとトウジはようやく凍り付いた姿勢を崩すことができた.
「あの〜もういいかな?ヒカリちゃん.」
「ご,ごめんなさいっ.マ,マヤせんせい.」
場が一段落して,おっとり刀でマヤが切り出す.マヤの言葉で我に帰ったヒカリはこれ以上は無いというくらいに顔を真っ赤にしていた.
「…シンジくん,うごいてもいいのよ.」
「もうだいじょうぶだよ.シンジ.」
「レイちゃん,ケンスケくん・・・うごけない.」
「たてる?シンジくん?ケンスケくん,てつだって.」
「わかったよ.マナちゃん.」
レイとケンスケがいまだ固まっているシンジに声を掛ける.だが,シンジは体が強張って動かなくなっていた.マナとケンスケが固まっているシンジを助け起こす.ある意味ではシンジが今の出来事の最大の被害者かもしれなかった.
「(ひそひそ)あのそーりゅーとトウジを・・・.」
「(ひそひそ)こわいよぉ・・・.」
「(ひそひそ)すごいわぁヒカリちゃん・・・.」
今の出来事は他の園児達にも衝撃を与えていた.男の子達からは畏怖と恐怖の声が,女の子達からは尊敬の眼差しが寄せられていた.
「やるわね〜ヒカリちゃん.」
「あ,ミサトおねーさん.さっきは・・・ごめんなさい.」
いつの間にかそばに来ていたミサトがヒカリに声を掛ける.ヒカリはミサトにも謝っていた.
「気にしなくていいわよ.女の子はそれ位元気が無くっちゃ.」
頭を下げるヒカリにミサトが目線の高さをヒカリに合わせて座り込んで話し掛ける.ミサトの言葉は一般的には男の子に使うものなのだろうが今は完全に無視していた.多分,男の子が相手ならばその時は主語を変えて同じ事をやはり言うのだろう.
「ミサトおねーさん.」
「なにかな?」
「わたし…『かぐやひめ』,にあわないですか?」
ヒカリは所在無げにミサトに尋ねる.先程の自分の行動のこと,そしてトウジの言葉を気にしてのことだった.
「・・・どうしてそんなこと聞くのかな〜?ヒカリちゃんは?」
「だって・・・」
「さっきのことを気にしてるんだったらそれは関係ないわよ.・・・それとも他に何かあるのかな?」
「え?それは・・・」
「すずはらのやつが『にあわない』なんていったからよっ.」
「なんや,アスカ.ワシはただしっくりこんとゆーただけや.」
「それが『にあわない』っていうことなのよっ.」
「まあまあ,二人共ケンカはやめて.それともまたヒカリちゃんにお説教されたいのかな?」
ミサトに質問の理由を聞かれてヒカリは口ごもる.そこへアスカがケンカの原因ともなったトウジの発言を引き合いに出す.トウジがアスカの言葉に反論してまたケンカかと思われたがミサトの牽制に取り敢えず二人は大人しくなった.
「ふ〜ん,そ〜なんだあ.」
アスカとトウジのやり取りを聞いてミサトはしたり顔で笑みを浮かべた.
「ヒカリちゃん.どうして『かぐや姫』をやりたかったのかな?」
「それはやっぱり・・・」
「お姫さまをやってみたいから?」
「・・・うん.」
「だったら気にすること無いんじゃない?ヒカリちゃんの『かぐや姫』,お姉さん,似合うと思うわよ.」
「・・・・・」
「それとも鈴原君に『似合う』って言ってもらわないと駄目なのかな?」
「!」
ミサトに図星を衝かれてヒカリは顔を真っ赤にする.明らかにミサトは今の状況を楽しんでいた.ちょっと悪乗りしてるかもしれない.
「ヒカリちゃんは鈴原君に『似合う』って言ってもらいたいそうよ.」
「ワ,ワシにか?」
顔を真っ赤にして何も言えなくなったヒカリをよそにミサトがトウジの方を向いて尋ねる.ミサトに話し掛けられてトウジはうろたえた.ふと周りを見ればアスカが恐い目をして睨み,レイやマナもまたトウジのことをじっと見ていた.幼くかつ鈍感なトウジにも今の状況が分かったのか次第に顔が引きつっていく.
「ワ,ワシにはやっぱりヒカリと『かぐやひめ』はしっくりこんのや.」
「すずはらぁ〜.」
顔を引きつらせながらも前言を撤回しなかったトウジにアスカの視線はさらに凶悪なものになった.レイやマナの眼差しも心なしか冷たく感じられる.
「せ,せやけどべつに『にあわん』とゆーわけやないっ.ただ・・・」
「ただ?」
ミサトがトウジの顔を見つめて問い掛ける.ミサトがトウジを見る視線は幼児に対するそれとしては厳しいものに変わりつつあった.
「ただ,ヒカリには・・・『かぐやひめ』みたいな…なーんかおたかくとまったよーなのはしっくりこんのや.」
「鈴原君・・・.」
「すずはら,アンタねぇ・・・」
どうやらトウジにとって『かぐや姫』は無理難題を言いつける高飛車な女性に映ったようである.確かに『かぐや姫』をそういう見方で見ることも可能ではあるが,トウジの返答にミサトとアスカは脱力状態になっていた.
「あのね,すずはらくん.『かぐやひめ』というのはね・・・」
「?」
呆れ顔をしながらマナがトウジに『かぐや姫』について解説を始める.一生懸命に説明するマナだったがトウジは首を傾げるばかりだった.
「すずはらっ.」
「な,なんや.」
「わたし,たかびーにならないようにするからねっ.」
「お,おう.がんばりや.ヒカリ.」
「うん!」
ヒカリがにっこりとトウジに話し掛ける.トウジはなぜヒカリが微笑んでいるのか分からなくて戸惑っていた.
「昔々,ある所にお爺さんとお婆さんが住んでいました.お爺さんは山へ竹を切りに行き,お婆さんはそれで竹細工を作っていました・・・」
マヤが『かぐや姫』の冒頭を朗読する.ナレーションは先生が担当することになっていた.舞台の上で演じるのが幼稚園児とあって話は原典に比べて簡素化されているし喋る台詞も少ない.
「・・・ある日,お爺さんがいつもの様に山に行くと竹林の中で光る竹を見つけました.お爺さんは『なんだろう』と思ってその竹に近づいてゆきました・・・」
ここで園児の最初の出番となる.シゲルと共に翁役の園児ケンスケが舞台・・・まだ練習なので教室の前方のスペースだが・・・に登場する.そして,シゲルがケンスケに竹を切る仕草を指導していた.
「・・・お爺さんはその光る竹を切ってみることにしました.…よいっしょっ…よいしょっ…よいしょっ.」
シゲルが指導し,マヤがナレーションを続ける.そして,マヤは掛け声の部分をゆっくりと語る.それに合わせて翁役のケンスケがなたを振るう動作を繰り返した.
「わあ.」
「・・・竹を切ってみてお爺さんは驚きました.中には可愛らしい赤ん坊がいるではありませんか.」
ナレーションに合わせてケンスケが驚く仕草をする.練習を始めたばかりなのでシゲルに誘導されながらではあったが.
「・・・お爺さんはいったいこれはどうしたものかと考えましたが,ひとまず赤ん坊を家に連れて帰ることにしました・・・」
ここで竹林での最初の場面は終了する.マヤは引き続き翁夫婦の家の場面へと話を進めていった.
「ただいまあ.おばあさん.」
「おかえりなさいっ.おじいさんっ.」
翁の帰宅の場面だが,媼にしては威勢のいい声が上がる.
「・・・マナちゃん,それだと『おばあさん』と言うよりは『新婚さん』という感じよ.」
「あ.やっぱり?.マヤせんせいっ.」
マヤがナレーションを中断してマナにやんわりとチェックを入れる.媼役にはマナがくじで選ばれていた.元気良く台詞を言ったマナ,どうやら確信犯のようである.
「ただいまあ.おばあさん.」
「お〜か〜え〜り〜な〜さ〜い〜お〜じ〜い〜さ〜ん〜.」
やり直しで二回目,今度はしゃがれ声でマナは媼役を演じていた.声はともかく,これではコントのネタに出てくるようなお婆さんである.マナの茶目っ気のある振る舞いに周りの園児達から笑い声が上がっていた.
「・・・普通にやっていいのよ.マナちゃん.ケンスケくん,ずっこけてるわよ.」
マヤが苦笑いでマナに話し掛ける.こうしたマナの振る舞いは日常茶飯事で度が過ぎなければマヤも取り立てて目くじらを立てることは無かった.
「はーい,せんせい.ごめんね.ケンスケくん.」
「あ…うん.いいよ.マナちゃん.」
その辺のところ分かっているのかどうか不明だがマナは素直に返事をする.それからマナはケンスケに軽いノリで謝った.ケンスケもマナの振る舞いに腹を立てるよりというよりは可愛いと思う子の一人なので怒ることも無い.そういう意味ではマナは“得な”子だった.
「・・・もうレイったら,はずかしがんないでよっ.」
一通り練習が終わった後,アスカが少しばかりとんがった口調でレイに話し掛ける.案の定と言うか何と言うかレイは練習でもじもじとするばかりで台詞も動きも全く成り立っていなかった.
「そんなこといったってさいしょからすぐはうまくいかないよ.アスカ.」
「あまやかしちゃだめよっ.シンジ!レイ,シンジのうしろでひっつかないのっ.」
両手を腰に当ててちょっとしかめっ面のアスカの前にシンジが立っていた.レイがシンジの袖を引っ張る形で後ろに居たのでシンジがレイをかばう形になっている.転入直後の頃に比べれば他の子と話すようになったレイだが,大勢の前では以前と変わらず「はにかみ」が先行していた.
「ど〜したのぉ?アスカちゃん,シンジくん.ケンカ?」
「「ミサトおねーちゃん.」」
対峙しているシンジとアスカの間にミサトが首を突っ込む.ミサトの声に二人は同時に反応していた.
「レイがはずかしがっておしばいになんないのっ.」
「アスカぁ〜いきなりはむりだよぉ〜.」
「そんなのきあいでなんとかなるわよっ.」
「アスカ,そればっかり.」
「なによ!シンジ!なまいきよっ.」
「…ふたりともやめて.」
「まあまあ,二人共.」
アスカとシンジが二人して事情をミサトに話す.話しているうちに今度はアスカとシンジが口ゲンカを始めそうな雰囲気になる.シンジの袖を引いていたレイが泣きそうな顔に変わっていく.ミサトは二人の仲裁に入った.
「・・・確かにいきなり大勢の前でお芝居するのは大変よね.」
「ミサトおねーちゃん,シンジのみかたなの!?」
ミサトがシンジの肩を持つ発言をするとアスカが口をとんがらせた.
「でも,最初から仕方ないというのも良くないわよね〜.」
「そうでしょ!」
今度はアスカの言葉を尊重することを言い出すミサト.アスカは「当然よっ」といった顔でミサトを見上げていた.
「・・・アスカちゃん,『北風と太陽』のお話知ってるかな?」
「たびびとのふくをぬがすおはなしでしょっ.」
「そう.お話の中で北風は強く吹いたのでかえって旅人は服を飛ばされない様にしました.で,太陽はどうしたかな?シンジくん?」
「・・・たいようはさんさんとてらして,たびびとはあつくなってふくをぬぎました.」
それからミサトはイソップ寓話を引き合いに出す.ミサトの問いかけにアスカとシンジは答えていた.
「はい.良くできました.アスカちゃん,どうして私がこんな話をしたのか解るかな?」
「アタシが・・・きたかぜだから?」
アスカとシンジの答えにミサトはうんうんとうなずくとさらにアスカに尋ねる.アスカは自分が『北風』なのかとミサトに問い返す.アスカは年齢の割に頭の回転の良い子だった.
「察しがいいわね.でもちょっち違うかな.アスカちゃんは北風じゃないし〜ただちょっと急ぎすぎなんじゃないかな〜と思って.」
「ミサトはレイのはずかしがりがよくわかってないのよっ.」
「あら〜分かるわよ〜お姉さんも小さい頃はレイちゃんみたいに恥ずかしがり屋さんだったもの.」
「「え〜!?」」
「えっ?」
ミサトはアスカにやんわりと気長に見た方が良いのではと切り出す.だが,アスカはミサトの言葉に素直にはうなずくことはできなかった.そんなアスカにミサトは意外な告白をする.その内容にアスカやシンジ,それにレイも驚きの声を上げた.
「うそ!」
「しんじられない….」
「嘘じゃないわよ〜小さい頃はいっつも…そうね…お父さん…の足に捕まって後ろに隠れていたし,みんなの前でお話したり歌ったりすることも苦手だったわ・・・」
早速,アスカから疑いの声が上がる.シンジも半信半疑の様子だ.ミサトはそれを否定し,「お父さん」のところでちょっと言いよどんでから過去の事を話し始めた.
「・・・ま,そうね.そう思うのも無理は無いよね.今は全然違うし.でも,これは本当のことよ.」
「う,うん.」
「…どうしてミサトおねーちゃんはみんなのまえであんなにはなせるようになったの?」
「えっと,それは・・・なんだったかな・・・う〜ん・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
過去の事をミサトは真顔でシンジ達に語り掛ける.ミサトの真剣な表情にシンジは思わずうなずいていた.話を聞いていたレイがミサトに尋ねる.レイの問いにミサトは腕を組んで考え始めた.
「・・・ごめん.忘れちゃった.いつの間にか…ね.」
「かんじんなことがぬけてるじゃない!」
「あ.そうよねえ.うんうん.」
「まったくおきらくなんだからっ.」
「あははは.そうね.」
しばらく記憶を振り絞っていたミサトだったがどうにも思い出す事ができず,てへへ笑いをする.この辺り決まらないのがミサトである.そんなミサトにアスカが突っ込む.アスカの言葉に対してミサトはまさに言葉通りお気楽に応えていた.
「・・・レイちゃん.ありきたりだけどみんなが見てることはあまり気にしないことね.」
「…うん.」
「それと,楽しんでやんなくちゃ. "Take it easy." ってね.」
「てーくいっと…???」
ミサトがレイに話し掛ける.ミサトの語る言葉は恐らく10人中9人は使いそうなありふれたものだったがそれでもあえて彼女は話していた.レイはミサトの "Take it easy." に分からない顔をする.
「あ.ごめん.レイちゃんにはちょっち難しかったわね.気楽にやんなさいということよ.えーと…あ.そうそう,いつもやってるごっこ遊びみたいにね.」
「ごっこあそび….」
レイの分からない顔にミサトはしまったという表情を浮かべ,それから言葉を変えて話し直す.ミサトがとっさに思いついた「ごっこ遊び」という言葉をレイは復唱していた.
「ま.焦んなくてもレイちゃんならきっと私みたいになれるわよ.レイちゃん,正月,一人で私に挨拶してくれたしね〜.」
「…う,うん.」
「え〜レイちゃん,ミサトおねーちゃんみたいになるの〜?」
自分を引き合いにレイを励ますミサト.正月の時の事を言われたレイは頬を赤くしてうなずく.シンジはミサトの言葉にいかにも信じられないという顔で声を上げていた.シンジには今のレイからはミサトの姿がどうしても想像できなかったからである.
「なあに,その声は?シンちゃん?気になるわね〜.」
「え.あの,その….」
「・・・どうしてそんなことを言うのかな〜?このお口のせいかな〜?」
「やめれ,みあろおねーあん.(やめて,ミサトおねーちゃん)」
ミサトがシンジを捕まえ,その疑問の声について追及する.うろたえるシンジに対してミサトはシンジの頬を軽くつまみ上下させる.研究生として幼稚園に来て以来,シンジはミサトによって時折このように遊ばれていた.
「ちょっとミサトぉ!シンジであそぶのやめてよねっ.」
「あ〜ら,アスカちゃん.やきもち?」
「ち,ちがうわよっ.」
「ミサトおねーちゃん,やめて….」
ミサトにいいようにされているシンジに,たまらずアスカが非難の声を上げる.それを茶化すミサトにアスカは真っ赤にして否定した.レイもミサトの服を掴まえて止めさせようとする.
…シンジで遊ぶミサトをアスカとレイが止めるそのさまは幼稚園での日常の光景の一つとなっていた.
「さっきはごめんね.レイ.」
「ううん…いいの.アスカちゃん.」
「でもがくげーかいのひまでにはできるように『とっくん』するからねっ.レイ!」
「うん.」
アスカはレイに謝っていた.ミサトの話を聞いてアスカは『太陽』でありたいと思ったのかもしれない.だが,彼女が学芸会に向けて特訓をやろうと言い出す事に関してはミサトの話の前でも後でも変わり無かった.
「いっしょにがんばろうね.レイちゃんのこえ,きれいだからうまくいくとその…たのしいとおもうよ.」
「…ありがとう.シンジくん.」
「アンタもがんばんなさいよっ.シンジ!」
「うん.アスカ.」
シンジもレイに声を掛ける.シンジの励ましとおぼしき言葉にレイは頬にちょっと赤みを差しながら応えた.アスカはシンジにも激を飛ばしていた.
「さんにんでなれたらこーえんでやるからねっ.」
「え〜はずかしいよぉ〜アスカぁ〜.」
「どきょうをつけるためよ.やるといったらやるわよっ.いいわねっ.シンジ!レイっ.」
「う,うん.」
「…うん.アスカちゃん.」
それからアスカはたかが幼稚園の学芸会にそこまでやらなくてもというようなことを言い出す.慣れたら公園で練習すると言い出すアスカにはシンジも引いていた.だが,アスカの断固たる態度を前にしてはシンジも首を横に振る事ができなかった.
「・・・もういちどやるわよ.」
「・・・アスカぁ〜もうやめようよぉ〜.」
「ダメ!まだやるわよっ.」
繰り返し練習を行おうとするアスカの前にシンジは泣きが入っていた.レイのことでは『太陽』であらんとしたアスカだったが今は『北風』のごときスパルタモードである.これはいつも通りと言えばそうかもしれない.幼稚園が終わって家に帰った後,碇家でシンジ達は劇の練習をしていた.レイもまた一緒に練習をしていたのだが,夕食の時間を前に先に自分の家に帰っていた.
「もうなんかいめだとおもってるの?アスカぁ.」
「レイちゃんが帰ってから6回目だな.シンジ.」
黒地に赤のロゴが入ったエプロンを付けて夕食を作るゲンドウが背を向けたままアスカの代わりに答える.家にはシンジとアスカ,それと夕食の準備で台所に立つゲンドウの3人だけだった.ちなみにゲンドウの答えは当てずっぽである.
「とめてよ〜おとーさんっ.」
「…問題ない.どんどん続けたまえ.アスカちゃん.」
シンジはゲンドウに助けを求めた.だが,ゲンドウはにべもなくアスカに続けるよう指示する.明らかにゲンドウは息子をダシに今の状況を楽しんでいた.
「はいっ.おじさまっ!」
「おと〜さ〜ん〜」
ゲンドウのお墨付きが出てますます張り切るアスカ.薄情な父に向かってシンジは情けない声を上げる.幼稚園の劇しかも主役ではない脇役の練習なのだが,アスカは実に張り切ってそれをやっていた.
…それから30分,ゲンドウが夕食を作り上げるまでシンジはアスカに引き回されていた.
実のところ・・・幼稚園児に「かぐや姫」は(言葉の難しさや場面の多さで)難しすぎるかなと思って一度は止めにしました.・・・ですがキャスティングも含めて何度か迷った末,結局この話で進めることにしました.次回は劇本番ですが果たしてどのようなものになるやら・・・(^^;).
今回は何故だかヒカリとトウジが当初の予定以上に動きました.主役三人のラブコメが全然進展しないのをよそにこちらは筆者の思惑以上に突っ走ってくれています.何ででしょうね(笑).
シンジ達三人・トウジの配役については次回ということで.(えっと…“脇役”です.すみません.)
誤字・脱字・文章・設定・“キャスティング(笑)”の突っ込み等は,