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私立第三新東京幼稚園A.D.2007



第十九話 ごっこ遊び


運動会も終わって何度か日曜日が過ぎたある月曜日のこと,ここ私立第三新東京幼稚園「さくら組」ではいつもと少しだけ変わった光景が展開されていた.

「4つもらーいっ.」
「あーっ,ずるーいっ.」
「へっへーん.」
「これでアタシのかちね.」
「う〜ん.」
園児達による悲喜こもごもの声が教室内で響く.園児達の前には白と黒の碁石が沢山置かれていた.園児達はゲームをしていた.とはいっても,碁を打つとか五目並べを行っている訳ではない.ごく簡単な「石取り」ゲームである.

「・・・・・」
「・・・・・」
「…はい.」
「…うん.」
「?」
大多数の園児は石を取った取らないとか勝った負けたで声を上げていたが何人かの園児は妙に静まっていた.勝つために子供なりに考えている子,元からおとなしい子,ルールがよく飲み込めていない子などその原因は様々だがとにもかくにもその「遊び」を行っていた.

「ミサトおねーちゃーん,おわったよー.」
「おわったぁ….」
ゲームを行っていた園児の中の一組がトレイを持って黒板前のミサトのもとにやってきた.トレイには仕切りがあってそれぞれの仕切り毎に碁石が入っている.仕切りには番号が振ってあってどういう経緯でゲームが進んだのか分かるようになっていた.

「はい.ありがとう.ちょっち待っててね.」
机上に携帯端末を置いてゲームの結果を入力するGジャンにジーンズ姿の女性,研究生としてこの幼稚園に通っているミサトだ.ミサトはトレイと端末それに教室全体に視線を向けながら園児に応えていた.

「ねえ,ミサトおねーちゃん.」
「・・・・・」
「ミサトぉ.」
「・・・・・」
ミサトの入力を待っている園児が彼女に声を掛けるがミサトは応えない.園児達が端末越しにミサトの顔を覗き込むと口元を引き締めてディスプレイをじっと見ている彼女が見て取れた.

「(ぼそっ)なんかこわいね….」
「(ぼそっ)うん….」
ミサトの「真剣な」表情を見た園児二人が小さい声でひそひそ話し合う.小さい声といってもミサトの真ん前である.当然,彼女の耳にそれは入っていた.

「聞こえてるわよ〜アヤちゃん,カツヤくん.」
「わっ.」
「ひゃっ.」
ミサトは入力を中断して園児二人に話し掛ける.アヤとカツヤは驚いた.だが,ミサトの口調に二人を咎めるそぶりはなくその表情は何か面白いものを見つけた…そんな感じだった.

「あのね,お姉さんは今『お勉強中』なの.それでね,真面目にやらないと『恐いおじさん』に怒られちゃうの.分かるかな?」
「うん.」
「そうなんだあ.」
ミサトは園児二人に噛んで聞かせるように語った.ここでの言うところの「恐いおじさん」とはミサトの指導教官のことである.今のミサトのセリフを当人が聞いたらさぞかし苦笑いを浮かべるだろうがもちろん彼はその場にはいなかった.

「ねえ,ミサトぉ.」
「何かな?」
「そのおじさんとほけんしつのせんせい,どっちがこわい?」
「(ぷっ)」
カツヤの質問にミサトは吹き出しそうになった.園児にしてみれば教官もリツコも同列に見えるらしい.ミサトにとって今恐いのは教官なのだが園児の思わぬ質問にミサトは考え込む振りをした.

「うーんどっちかなあ?」
「どっちなのお?」
「そうだ!カツヤくん,『恐いおじさん』に会ってみる?」
「ええっ!?」
ミサトの言葉に驚くカツヤ.その顔には「いいえ,結構です」と書いてあった.ストレートなカツヤの反応にミサトの顔から笑みがこぼれる.

「(ホント,素直ね)…冗談よ.」
「ミサトぉ〜.」
「からかってゴメン…ね.はい,トレイ返すわね.次は,カツヤくんはシンジくんと,アヤちゃんはアスカちゃんと遊んでね.」
「「はーい.」」
ゲームの結果の入力を終えたミサトが園児から預かったトレイと碁石を返す.席に戻って行く園児達.ミサトは次に待っている園児達のデータ処理に入ろうと列に目を向ける.

「・・・・・」
ミサトがカツヤと話している間にトレイを持った園児が長蛇の列をなしていた.

『あちゃあ.』
面白いことを見つけると首を突っ込んでしまう,分かってはいてもついつい突っ走ってしまう自分自身にミサトは苦笑する.指導教官のにこやかな顔とこめかみの青筋が脳裏に浮かんだ.

『さて…と.』
ミサトは真面目な表情に戻ってゲームの結果の集計を進めていく.様々な条件で集計されたデータは論文の基礎資料として使われる.こういった実験の実施と集計は,ミサトが教官から与えられた「任務」の一つであった.

『…でも,今日こそは「保健室の主」とゆっくり話してみたいわね.』
…好奇心の抑えられないミサトであった.


−*−


実験(園児達は全然意識していないが)が終わった後,「さくら組」の園児達は中庭で思い思いにあちこちで遊んでいた.

「エバン,ビルドオン!」×3
「エバン1ごうさんじょう!」
「…おなじく0ごう….」
「おなじく3ごうや.」
中庭のある一角では『機動刑事エバン』ごっこが展開されていた.園児達…特に男の子に大人気の『エバン』だが放送翌日の月曜日ともなると昨日の放送のリプレイとばかりに「ごっこ」遊びをする子供が多数出ていた.

「けーしちょーきどーそーさはん『ネルフ』けーしせー,きどーけーじエバン!」
「…たい『シト』ほうだい4じょう,きどーけーじエバンはさいばんしょのきょかなしに『シト』をまっさつすることをゆるされる….」
「かくごしいや,イスラフェルセカンドはん.」
エバンを演じているのは1号がタカシ,0号がツヨシ,3号がカズヒロの「さくら組悪ガキ3人衆」だった.ちなみに,カズヒロの怪しい関西弁は放送のものまねである.3人共,『エバン』の熱烈なファンで結構舌を噛みそうなセリフも堂に入っていた.

「いくぜ,0ごう.3ごう.」
「…りょうかい.」
「おう.」
タカシ(1号)の合図と共に散開する3人.敵『シト』イスラフェル2(以下この記述)も3体に分離する.両手を広げて「通せんぼ」みたいなポーズを取った3人の園児がイスラフェル2を演じていた.

「えいっ.」
「・・・・・」
「てやっ.」
3人それぞれ似たような動きをしながらも相手を取っ替え引っ換えしながらヒット&アウェイでイスラフェル2と戦う.そして,イスラフェル2が「合体」したところを3人同時に攻撃をかける.

「「とぉりゃああーっ.」」
ツヨシ(0号)以外の二人が気合の声を上げる.0号は役柄上,滅多に叫ばないからであった.撃破されるイスラフェル2,「やられ役」の園児達が一斉に倒れる.

「・・・・・」
「・・・・・」
「…なんかしっくりこねーな.」
「うん.」
「ああ.」
いつも通り「ヒーロー役」を演じた3人だったが今日はのりが悪い.実は昨日の『エバン』のあらすじは大体以下のようなものだった.

エバンとネルフの前に地球征服の野望を阻まれるゼーレの面々.送り出す『シト』は次々と抹殺されるていたいらく.ゼーレ総裁キールはネルフのエバン4名を抹殺するべく芦ノ湖に沈んだ分離型『シト』イスラフェルをサルベージする.次回,『機動刑事エバン』,「クォーターの罠!?取り込まれるエバン達!!」・・・.

…などどいう予告が先週日曜のED後に流された『エバン』だったが昨日は4体(甲・乙・丙・丁)に分離可能になってパワーアップ復活したイスラフェル(2)とエバン4人の戦士が戦うというものだった.そして,4人が戦闘の最初から同時に戦うのはこの回が初めてでもあった.昔,1号と2号がその動きをシンクロさせて2体に分離したイスラフェルを同時殲滅したように同じ戦法で戦う4人.だが,敵はそれを逆手にとって各個撃破を狙っていた.抹殺どころか逆にイスラフェル2にやられそうになる4人.その中で,辛うじてイスラフェル2(丙)を振り切った2号が仲間を救い出す・・・

「…きのう,4にんだったしな.」
「…ひとりたりない.」
「しかも2ごうがめだってたし.」
タカシ達の言う通り,昨日の『エバン』は2号が大活躍で仲間を救い出した後,変更後の作戦全てを取り仕切ってイスラフェル2を抹殺に至らしめたのであった.だが,タカシ達3人は2号がどうも好きではなかった.理由は2号と彼らの「天敵」…アスカ…がダブっていたからである.従って『エバン』ごっこをする時はタカシ達は2号抜きでやっていた.また,2号がいない分だけタカシの演じる1号は放送のそれよりも威勢が良かった.


…タカシ達3人が『エバン』ごっこでしっくりこないと首を傾げている間,シンジとレイとアスカそれにマナの4人は『エバン』とはまた別の「ごっこ」遊びをしていた.

「ただいまーっ.」
「…おかえりなさい.」
砂場の外側からシンジが入ってくる.砂場でシンジを出迎えたのはレイだった.砂場の中が家の中でシンジとレイは夫婦役といったところである.

「きょうもつかれたあ.」
「おつかれさま…パパ.」
仕事から帰ってきた夫を妻が出迎える,2007年ではそれなりに古典的展開なドラマ(20世紀に放映された番組の再放送らしい)の一場面である.シンジは右手を額に当てて汗を拭う仕草をしながら,レイはちょっと顔を赤らめながらそれぞれの役を演じていた.

「ママぁ,きょうはなにかな?」
「パパ,きょうはね….」
妙にほのぼのとした会話をするシンジとレイ.「将来の夢」に「お嫁さん」と描いたレイはちょっと嬉しそうだ.このまま二人の世界が続くかと思われたがそれはあっさりと破られる.

「あーっ,パパだあ.」
「パパーっ,おかえりなさーいっ.」
二人の元気な声が上がってくる.アスカとマナ,二人はシンジとレイが演じる夫婦の双子の娘役だった.

「「パパーっ,あそんでーっ.」」
「うわああっ.」
アスカがシンジの右腕をつかみ,マナが左腕をつかむ.そして二人してぐるぐると回ってシンジを振り回す.悲鳴を上げるシンジ.それとは対照的にアスカとマナは実に楽しそうである.これをやってみたかったとばかりに.二人に振り回されるシンジの反応にレイはおろおろとしていた.

「「ぐるぐるぐるぐるーっ.」」
「はうーっ.」
『娘』二人に振り回される父親役,それがシンジの「役割」だった.シンジ達が今,「ごっこ」遊びをしているドラマの「主役」は双子の娘の方である.ちなみにこれをやろうと言い出したのはマナだった.

「きゅう.」
「シンジくん,だいじょうぶ?」
「ちょっと…やりすぎちゃった…かな?」
「なっさけないわねーっ.これぐらいでめーまわさないでよっ.」
アスカとマナに振り回されて目を回したシンジに女の子3人がそれぞれ声を掛ける.シンジを心配するレイに,ちょっとだけ反省のマナ,それにシンジを叱咤するアスカであった.

「…うん,もうだいじょうぶ.ごめんね.」
「それじゃ,つづき,やるわよ.」
「え?」
「え?じゃないわよ.つぎは『おうまさんごっこ』をするのよ.」
「どうして?」
「そういうてんかいなの,シンジくん.」
シンジが「復活」を3人に告げるとアスカが「続き」を言い出す.「お馬さんごっこ」に当惑するシンジ.そのシンジにマナが両手を合わせて「お願い」をするような仕草をして解説する.ドラマの放送によればこの後「お馬さんごっこ」で父の背中にどっちが乗るかでちょっともめた後,二人一緒で乗ることになっていた.

…シンジが本日二度目の音を上げたのはそれから間もなくのことであった.


−*−


「シンジーっ,そーりゅーたちなんかとあそんでないで『エバン』ごっこやろーぜーっ.」
タカシがシンジに声を掛けたのはシンジが砂場でアスカとマナに潰されて間もなくのことだった.普段は仲のあまり良くないシンジとタカシ達だが月曜日に限って言えば『エバン』のこともあって比較的平穏だった.

「そーりゅーたちなんかとはなによっ!?」
「なんかって,しつれいしちゃうわねっ.」
タカシの言い草にアスカとマナが反発する.

「うるせーなー,おんなのおまえたちにはかんけーねーだろーっ.」
タカシは啖呵を切るがすぐにしまったという顔に変わる.タカシの言葉を聞いたアスカがニヤリとした笑みを返した.

「きのうはアンタのきらいな2ごうがかつやくしたもんねーっ.」
「くっ.」
「やっぱり『あか』はしゅやくのいろよねーっ.」
「ううっ.」
アスカは実に嬉しそうにタカシに話し掛ける.アスカは新たに赴任してきた女性エリート警察官扮する2号のファンだった.ちなみにこの2号はちょっと線の細い1号よりもヒーロー向きな性格で登場以来,戦闘を仕切ることが多かった.

「うーっ.そんなことないっ.」
「そんなことあるわよっ.0ごうも1ごうも3ごうも,2ごうのひきたてやくよっ.」
「しゅやくは1ごうだいっ.」
「2ごうっ.」
「1ごうっ.」
アスカの言葉に反発するタカシ.それをきっかけにアスカとタカシは『エバン』の真の主役について口論を始めた.

「『エバン』のしゅやくは1ごうだよなーっ.」
「そうだよ,オープニングのあたま,1ごうだもん.」
「おうよ.」
タカシが後ろからやってきたツヨシとカズヒロに賛意を求める.ツヨシとカズヒロはタカシに賛同した.

「しゅやくは2ごうよっ.そうよね?」
「うーん,でもアスカちゃん,かつやくはともかくしゅやくは1ごうだとおもうわ.」
「ちょっとぉ,マナ〜.」
「あたしも1ごうのファンだし…ね.ごめんね,アスカちゃん.」
「マ〜ナ〜.」
アスカもまた賛意を求めようとしようとする.が,マナはあっさりと否定する.終いには1号のファンだと言い出す始末で,アスカはかくんっとこけてしまった.

「ほれみろっ.」
「ううっ,シンジ〜,レイっ.」
マナの意見(?)によってタカシが勢いづく.先程とは逆に押されているアスカはシンジとレイを呼んだ.

「ぼく,1ごうすきだけど『エバン』ぜんいんがしゅやくだとおもう.」
「…わたしも.」
「シンジ〜,レイ〜.」
アスカに呼ばれたシンジとレイは戦士全員が主役と言い出す.アスカはさらにがくっときていた.

「レイちゃん,『エバン』みてるんだあ.」
「…うん.」
「1ごうのファンなのかあ?」
「…ううん,0ごうさん.1ごうさんもいいけど.」
レイが『エバン』について話すのを聞いたタカシ達がレイに尋ねる.レイは控え目ながらもタカシ達の質問に答えていた.昔,恥ずかしがってシンジとアスカにしか『エバン』のことを話さなかった頃に比べれば,クラスの女の子に『エバン』ファンが増えたとは言え格段の進歩である.

「0ごうのどこがいいんだあ?」
「・・・・・」
タカシがレイに0号ファンの理由を尋ねる.だが,レイは顔を赤らめて応えなかった.「はにかみ屋」のレイからすれば無口の「0号」とはどこか相通じるものがあるのかもしれない.もっとも,本当のところはよく分からないが.

「と,とにかく,これで2ごうがしゅやくだというのはそーりゅーだけだよなっ.」
「アンタがなんといったってしんのしゅやくは2ごうよっ.」
「みんなでなにやってるのかなー?」
「あー,ミサトだぁ.」
その場にいた全員の意見が出たところでタカシが自分の意見の優位をアピールする.あくまでも「2号主役」にこだわるアスカ.そこへのんびりとした声が掛かってきた.ミサトである.園児達と「遊ぶ」こともまた研究生として課せられている大事な「使命」の一つだった.

「『エバン』のしゅやくはだれかについてはなしてたの.」
「ミサトおねーちゃんはどうおもう?」
ミサトの問いかけに答えたのはマナだった.続いてツヨシがミサトに尋ねる.ミサトが『エバン』を観ていることはこの場にいた園児全員が知っていた.

「そおねえ…ところで何でそんな話になったのかな?」
「あ,そうだ.『エバン』ごっこやるんだった.ミサトぉ,いっしょにやってくれよーっ.」
「いいわよ.」
ミサトの問いかけにタカシが当初の目的を思い出す.ミサトはタカシの要請をあっさりと承諾した.

「で,私は何をすればいいのかな?」
「エバン2ごうっ.」
「あら,昨日一番おいしい所持っていったじゃない.いいの?」
「ミサトならいい.」
「ありがとう.でも,いいわ.どちらかというと『シト』の方がやりたいわね.」
「えー?なんでー?ミサトぉ?」
「『シト』の方が面白そうだからよっ.」
「へんなミサトぉ.」
「ふふっ.」
自分から進んで悪役である『シト』をやりたいと言い出すミサトにタカシは奇妙なものを見たような表情をする.それに対してミサトは微笑みを返した.

「でもミサトぉ,きのうの『シト』は4たいにわかれたんだぜ.1人だけおおきいのやっぱりへんだよ.」
「それもそうね…うーん…ん?」
タカシは昨日の『シト』の特徴である「分体能力」を指摘する.タカシのもっともな指摘にミサトもちょっと考え込む.思案に入ったミサトだったがすぐにその解決方法を思いついた.

「マヤ先生っ.」
「どうしました?ミサトさん.」
ミサトは一緒に中庭に出ていたマヤに声を掛ける.ミサトに声を掛けられたマヤはすすっとミサトの方に駆け寄ってくる.それからミサトがかくかくしかじかと事情をマヤに話していた.

「ええ.いいですわ.でも,あと二人必要ですね…一人は職員室から来ていただくことにしてもう一人は….」
ミサトの依頼をマヤは快諾した.それからマヤはイスラフェル2を演じる「要員」について思案する.

「マヤ先生…(ごにょごにょ).」
「え?・・・」
思案のところへミサトがひそひそ話で何やら吹き込んだ.ミサトの言葉にマヤは一瞬,当惑の色を浮かべる.

「…ええ,そうですね.分かりました.頼んでみますね.」
「お願いします.」
「はいっ.」
ミサトの言葉に驚きの表情を浮かべたマヤだったがそれはすぐに微笑みに変わる.そして,軽やかな足取りで建屋の方に向かって行った.


−*−


「・・・・・」
「・・・・・」
マヤが「残り二人」を呼びに行った後,沈黙がタカシ達を支配した.マヤが呼びに行ったのは一人はマヤの同僚の女性教諭.タカシ達も何度か顔を会わせていてそれなりに見知っていた.問題は残るもう一人の方だった.

「(ひそひそ)なんで『おにばばあ』よんでくんだよっ.」
「(ひそひそ)あら,『悪役』にはぴったりじゃないの?」
「(ひそひそ)そ,そりゃそうだけど.」
タカシとミサトが噂している本人は「仕方ないわね」といった表情でその場に突っ立っていた.この季節には薄手と思われる白のブラウスの上に借り物と思われる黒のトレーニングウェアを袖通し,下はクリーム色のズボンをはいている.白衣は着ていないが,切れ長の目に左目元のほくろが印象的なその女性は「保健室の主」リツコに相違無かった.

『変なことになったわ…レポート書いてる時だったら断ったんだけど.』
マヤが保健室に入ってきた時,リツコはレポートを書き上げてコーヒーを楽しんでいた所だった.マヤの「お願い」に一度断ったリツコだったが結局「後輩」のお願いに抗いきれずここに来てしまったのである.

『ほっとけないって感じがするのよね…昔から.』
それがリツコのマヤに対する印象だった.


「(ひそひそ)おい,どうする?」
「(ひそひそ)どうするたって…なあ.」
「(ひそひそ)あ,ああ.」
ひそひそ話を始めるタカシ・ツヨシ・カズヒロの3人.3人共完全に退いていた.「白衣の悪魔」リツコの恐怖は園児達にとって並大抵のものではなかったからである.それは「さくら組悪ガキ3人組」にとっても例外ではなかった.

「(ひそひそ)なっさけないわねー.あかぎせんせいってみんながいうほどこわくないわよっ.」
ひそひそ話の3人にアスカが割って入る.以前,リツコに助けてもらったことのあるアスカは彼女に好意的だ.

「(ひそひそ)そーりゅー,おまえどきょうあるな….」
「(ひそひそ)そこまでいうんだったらおまえあかぎせんせいとやってくれるんだろうな.」
「(ひそひそ)いいわよ.そのかわりアタシがリーダーよ.いいわねっ.」
「(ひそひそ)わかった.」×3
リツコに全く臆さないアスカにタカシは感心にも似た反応をする.それから程なくアスカが2号となってリツコの相手をすることがタカシ達の間で決まった.

「いくわよっ.0ごう,1ごう,3ごうっ.」
「…りょうかい.」
「おうっ.」
「ああ.」
…ヒーロー物お約束の口上が終わって打ち合わせを済ました大人4人が「待ち構える」中,アスカがリーダーとなってタカシ達を仕切る.2号以外のエバン戦士の役割分担は前と同じだ.アスカはリツコの前へ,タカシはミサトの前へ,ツヨシはマヤの同僚教諭の前へ,カズヒロはマヤの前に出て対峙を始めた.

「あかぎせんせーっ.」
「?」
1対1になった所で唐突にアスカが大きな声を上げた.突然のアスカの大声に虚を衝かれたリツコ.リツコだけでなく周囲の大人も園児もアスカの行動に驚いていた.

「あかぎせんせいっ,てがのびてないですっ.」
リツコの反応に構わずアスカは続ける.他の3人の大人が両手両足を広げて「通せんぼ」をしてイスラフェル2を模しているのに対しリツコだけはただ突っ立ってるだけだった.

「あ,アスカちゃんっ….」
一応丁寧語になっているとは言え,アスカの怖れを知らない「指摘」にたまらずマナがはらはらとアスカに声を掛ける.はらはらしているのは他の園児達はもちろん,マヤを除く大人達も同様だった.口数が少なく,美人ではあるがともすればきつい印象を与える容貌を持つリツコは大人から見てもちょっと恐い感じがしていた.

「・・・・・」
「・・・・・」
それからリツコとアスカは黙ったまま互いに見詰め合っていた.アスカはじっと見上げて,リツコはじっと見下ろして.アスカを見るリツコの表情が少し固く感じられる.その時間は15秒も無かったのだがその時はもっと長く感じられた.先に口を開いたのはリツコだった.

「…そうね.それはもっともね.」
「うんっ.」
リツコは強ばった顔を崩し,アスカに微笑んで応えた.マヤとアスカとシンジを除くその場にいた全員がリツコのにこやかな微笑みを見たのは初めてだった.リツコの微笑みにミサトもマヤの同僚も胸をなで下ろす.アスカはリツコに微笑み返し,レイとマナは何か凄いものを見たという顔をしていた.マヤはそんなリツコを見て微笑んでいた.

『「おにばばあ」がわらってるよ〜.』
『「はくいのあくま」がわらってるよ〜.』
『「だいまじん」がわらってるぞ〜.』
リツコに対して特に恐怖感を持っていないシンジ達とは対照的にタカシ達は今まで見たことも無いリツコの微笑みにパニックをおこしかけていた.

「やるからには徹底的に…ね.」
アスカだけに聞こえる声でリツコは呟くともう一度笑みを浮かべる.今度の笑みは先程のと異なって見る者を退かせるものがあった.アスカの顔も少し引きつる.リツコは「通せんぼ」のポーズを取ってアスカの前に立ちはだかった.

「きゃあああ.」
「わあああっ.」
「ひゃあっ.」
「のわったあっ.」
アスカとタカシ達がリツコやミサト達によって両脇を抱えられて振り回されたのはそれから間もなくのことだった.

「はなせよなーっ,ミサトぉーっ.」
「2号が助けに来るまでは駄目よん♪それに今,私はイスラフェル2(乙)〜♪」
タカシが自分を振り回しているミサトに抗議をする.が,ミサトはそれをあっさりと無視していた.ちなみにイスラフェル2がエバンを捕まえて振り回すのは放送でもあった場面でこれはシナリオ通りである.

『このシーンがあったから「シト」になったのよん♪』
…ミサトが敵役を選んだ理由はこうやって園児で遊べるからであった.

「…アスカちゃん,だいじょうぶかな.」
「だいじょうぶ…だとおもうけど.」
「だいじょうぶよっ.アスカちゃん,つよいもん.」
リツコに振り回されているアスカを心配するレイ.レイはシンジやマナと一緒にその光景を固唾を飲んで見守っていた.リツコはアスカに語った言葉通り徹底的に敵役を演じていた.

数分後,先生達から解放されたアスカ達が放送にあった通りに『シト』を「撃破」した.終わった後,4人共ふらふらになっていたが.

「だいじょうぶ?アスカちゃん.」
「アスカぁ,だいじょうぶ?」
「だ,だいじょうぶよっ.シンジ,レイ,マナっ.リターンマッチ,やるわよっ.」
「え?ちょっと,アスカちゃん…?」
「ぼく,えんりょしたい….」
戻ってきたアスカにレイとシンジが声を掛ける.それに対してアスカはもう一度やると言い出した.アスカの宣言にマナとシンジはちょっと尻込みしていた.

「…わたし…0ごうさん,やってみたい.」
「「え?レイちゃん?」」
「そうこなくっちゃっ.いくわよっ,シンジ,マナ!」
思わぬレイの反応にシンジとマナが同時に驚く.賛同者を得てアスカはシンジとマナを強引に引っ張り込んだ.

…0号レイ,1号シンジ,2号アスカ,3号マナで『エバン』ごっこを再開してミサトに「遊ばれた」シンジがまた目を回した(本日三度目)のはそれから10分後のことであった.


−*−


「今日は疲れましたね.せん…赤木先生.」
「…そうね.」
保健室では『エバン』ごっこを終えたマヤとリツコ,マヤの同僚,それにミサトが「コーヒーブレーク」をしていた.同僚とミサトの手前,マヤは「赤木先生」でリツコに話し掛けていた.

「あれから6回も振り回したんですものね.」
マヤの同僚がコーヒーマグ片手にうなずく.シンジ達の相手を終えた後,「さくら組」の他の園児達が「ぼくも」「わたしも」とばかりに寄ってきたのである.結局クラスのほぼ全員を「振り回す」ことになって腕は張ってしまうわ,最後の方は『エバン』ごっこというよりはただ振り回しているだけという様相だった.

「でも,赤木先生,一番のってたみたい♪」
「そ,それは…や,やるからには徹底的に…」
ミサトが先程のリツコの振る舞いに突っ込みを入れた.ミサトに茶々を入れられたリツコは頬を少し赤くしてうろたえる.

「でも先輩,楽しそうでしたよ.」
「ちょっと,マヤ!何言い出すのよっ.」
「「あ.」」
うろたえているリツコにマヤが茶々を入れた.そんなマヤにリツコは言い返すが言い返した直後,二人は学生の頃の呼び名に戻っていたことに気づく.

「仲がいいんですね.」
「私達のことは気にしないでどうぞどうぞ続けて♪」
マヤの同僚とミサトはそれぞれニコニコとそしてニンマリとしながらマヤとリツコを見ている.この後,リツコはミサトに根掘り葉掘りと聞かれてたじろぐはめになった.


「やっぱり『はくいのあくま』だあ,あかぎのおにっ.」
「アンタ,バカァ?そんなわけないじゃない.」
「そーりゅーだってふりまわされてたじゃねーか,2ども.」
「アンタほんとにガキね.あれはちゃーんときのうのとおりよっ.」
「ぜーったいあれはたのしんでたとおもうぞ.それにおめーだってこどもじゃねーかっ.」
教室ではアスカとタカシが懲りずに口論になっていた.今度の「テーマ」は「保健室の主」リツコについてである.アンチリツコのタカシに反発するアスカだが教室の大半はタカシの方に傾いていた.

というのも,リツコ自身の前々からの印象に加えて今日は『エバン』の悪役をそれこそ徹底的に演じて園児を振り回したために恐怖の「伝説」がまた一つ増えてしまったからである.ちなみに,同じ事を行ったマヤ達3人にはそういうことは無かった.少し不公平かもしれない.

「シンジはどうおもう?」
「やさしいせんせいだよ.だってぼくとアスカをいえにおくってくれたもん.」
「いえにおくってくれたってなあに?シンジくん?」
「うんとね,マナちゃん.なつやすみにね・・・」
「ちょ,ちょっと,シンジ!な,なにいいだすのよっ.」
話をシンジに振ったアスカだったが,シンジが夏休みの「迷子騒動」について触れると急にうろたえだす.確かにあの事件はアスカのリツコに対する感情を180度変えさせる出来事ではあったが,アスカ(とシンジ)が「迷子」になってリツコに泣きつくというちょっと格好の悪い出来事でもあった.アスカにしてみればできるなら他の人(特にタカシ達)には聞かれたくなかった.

「シンジ!いっちゃだめよ.」
「え〜.しりたい,しりたい,しりたい,しりたい〜.」
「だめったらだめっ.あ,マナ!ちょっとやめなさいっ.」
「ひゃっ.ひゃははっはははーっ.や,やめて,マナちゃん.」
アスカがシンジを口止めしようとする.が,マナはその好奇心を引っ込めようとはしない.マナはシンジにひっつくと得意技(?)の一つである「くすぐり」を始めた.

…マナの「くすぐり」に観念したシンジが口を割り,アスカの「バカシンジーっ!」が教室に響いたのはそれから間もなくのことだった.


第二十話に続く

公開11/26
お便りは qyh07600@nifty.ne.jpに!!

1997/11/24 Ver.1.0 Written by VISI.



筆者より

私はこの連載を真面目にかつお気楽に書いている(つもり)なのですが今回は(珍しく)泥沼に陥りました.一度途中まで書いて完全に没にしたくらいです.筋書きが変わってしまうことは良くあることなのですが書き直しまでいったのは久しぶりです.どうも肩に力を入れすぎた様で(どこで力を入れてんだか ^^;)・・・少しだけ力を抜いてみたつもりです.抜きすぎて「軽くなり過ぎた」かもしれませんが(苦笑).今回の話は読者の方からのお手紙をヒントに構成を練り上げました.ご満足いただけるものになったかどうかは・・・?・・・ではありますが,心より御礼申し上げます.

ミサトとリツコといえば口ではミサトの方がやり込められるのが普通のパターンだと思われるのですがここでは逆になりました.リツコの性格付けが災い(幸い?)したようです.初期の設定(らしきもの)ではリツコはもっと「恐い人」のはずだったのですが(^^;).…今回も,ちょっと暴走したかもしれません(苦笑).ご意見,ご質問,ご感想お待ちしております.


おまけ 『機動刑事エバン』について解説と補足(らしきもの)

機動刑事エバン・・・朝陽テレビ系列毎週日曜朝に放映中の「宇宙刑事」系の子供向け特撮番組.地球征服を目論む謎の組織「ゼーレ」とそれを阻む警視庁非公開組織「ネルフ」という悪と善の対立構造は「お約束」だが,正義の戦士に相当する「エバン」4人のうち半数の2人も女性を起用するというのは特撮物では珍しいことである.それはともあれ,基本的には「ベタな特撮ヒーロー物」であり幼い子供がひきつけを起こしたり訳の分からない世界に突入したり(笑)…ということはないはずである.多分.

イスラフェルセカンド・・・甲乙丙丁(笑)の4体に分体能力を持つシト.人形の形状を有し,「通せんぼ」してるようなポーズを通常取っている.かつて1号と2号の共同作戦により撃破されたイスラフェルをゼーレがサルベージしたことによりパワーアップして復活.エバン達を苦しめるが2号の機転と活躍で立ち直ったエバン達に結局抹殺された.放送後,一部の特撮ファンの間で「シトが復活するのは設定上おかしい」とか「ネタ切れではないのか」等々がささやかれたようである(笑).

(おまけ おわり)

誤字・脱字・文章・設定の突っ込み等は,

までお願いします.


 VISI.さんの『私立第三新東京幼稚園A.D.2007』第十九話、公開です。
 

 白衣の悪魔、リツコさんのお茶目な1日(^^)
 

 マヤの頼みを断りきれないところや、
 子供相手のゴッコ遊びに真面目に取り組むところなど

 冷たい仮面の下からのぞいていますよね、リツコさんのもう一つの顔が(^^)
 

 いやしかし。

 同じ事をしているのに
 1人怖がられるリツコさんは可哀想だ(^^;

 あっ
 もっと可哀想な人が・・・

 マヤの同僚(爆)

 名前どころか、性別さえはっきりしなかった・・・ホント可哀想(笑)

 

 
 さあ、訪問者の皆さん。
 貴方の幼稚園時代の想い出をVISI.さんに送りましょう!


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