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私立第三新東京幼稚園A.D.2007



第十一話 保健室


「ぎぃやぁぁぁぁぁーっ!!!」

ここは私立第三新東京幼稚園の保健室,6月末のある日を境に園児の悲鳴もしくは泣き声がたびたび響きわたるようになっていた.原因は産休の先生の代理で入った新任の保健校医にあった.

「(ううっ)なにさらすんやっ.」

叫び声の主,「かきつばた組」のトウジは半泣きで保健室の主に抗議を行った.
「これが一番速く治せるのよ.はい,我慢して.」
保健室の主の返事はにべもない.新しい保健室の主…赤木リツコはトウジの抗議を右から左へと流しながら「治療」を続けた.

トウジは右の膝小僧を擦りむいていた.昼休み,ボール遊びをしてすっ転んだ時にできたものである.リツコは怪我した膝小僧を流水で洗い流すと無言で消毒液に浸した脱脂綿を患部にあてがった.先程の悲鳴はその時のものである.

確かに患部を清潔にして消毒するという処置は適切である.だが消毒液というものは傷にしみるものであり,痛みに対する心の準備をさせる「一言」がおさなごには特に必要である.リツコはそれに対する配慮がいささか欠けていた.

「はうっ.あいたっ,あうっ.」
リツコの素早いかつ手荒い治療を受けてトウジは何度もうめいた.リツコが患部にガーゼをあてがって紙テープで固定した時にはトウジは涙目になっていた.泣かなかったのはトウジの「男の意地」の賜物であり,外傷で保健室に来た園児で泣かないで帰ってくるのは十人中一人か二人であった.

「だいじょうぶ?すずはらっ.」
「こんなの,へいきや.ワイは,ワイはないてないでっ.」
保健室の外で待っていたヒカリがトウジを気遣う.トウジは「男の意地」を貫くのに必死だった.

…このように,園児達にとって保健室は恐怖の場所と化した.無愛想なリツコのことをシンジのクラスのタカシなどは「おにばばあ.」と言ってはばからないし,園児達の中には「きっとあのせんせいは『ゼーレ』のまわしものなんだ.」と『機動刑事エバン』の悪の組織を持ち出す子もいれば「白衣の天使」ならぬ「はくいのあくま」と呼ぶ子もいた.園児達のリツコに対する印象は最悪だった.

「ふう.」
主以外いなくなった保健室でリツコはため息をついていた.

「まったく教授も何考えてるのかしら….」
リツコは独り誰にとなくつぶやく.ここに赴任する前,リツコは母校の大学の医局に所属していた.彼女はマヤより二つ上に過ぎないが,高校を1年,大学を2年「飛び級」したため既に研修医としての期間を終わらせていた.

『ま,マヤがいたのは嬉しかったけど.』
リツコとマヤは中高一貫の母校での先輩・後輩の間柄でリツコはマヤを可愛がっており,マヤもリツコのことを慕っていた.リツコは心の中であれこれとつぶやきながらインスタントコーヒーに口をつけていた.


…それはさておき,幼稚園では明日は七夕ということでどのクラスでも慌ただしく動いていた.七夕,それは仕事を怠けた罰として仲を引き裂かれた織姫と牽牛(彦星)が一年に一度だけの逢瀬を楽しむことのできる日.だが,園児達の関心は短冊の願い事と笹の飾り付けと明日の天気に集まっていた.

「ヒカリちゃん,きれーいっ!」
「ケンスケくん,すごーいっ!」
「かきつばた組」ではちょっとした歓声があがっていた.笹の飾り付けには色紙(いろがみ)を主に使っているのだが,この二人の色紙の使い方とはさみ捌きの上手さは群を抜いていた.ヒカリは持ち前の丁寧さで実に長い長い色紙にはさみを奇麗に入れて天の川を織り成していく.ケンスケはこだわりの強さを反映してか織姫・牽牛の人形を色紙とのりをうまく張り合わせて作っていた.もっとも,ケンスケの場合は自分の趣味を反映してか船やら飛行機やら戦車やらと,七夕にあまりふさわしくないものまで飾り付けていたが.

「ねえねえ,ヒカリちゃん,ちょっとみてーっ.」
「ねえ,ケンスケくーん,ちょっとてつだってぇ.」
この日のヒカリとケンスケはクラス中で引っ張りだこだった.

「やまおり,たにおりってどうするんや?」
二人とは対照的にトウジは折り紙相手に悪戦苦闘していた.

園児達はできあがった飾りと共に願いを書いた短冊を笹に括り付ける.短冊にはこの前の日課で描いた将来の夢だとかあるいは「…がほしい」といった現実的な願いだとか園児によって様々なことが書かれていた.短冊の書き方も大きい字で目一杯に書かれたもの,片隅に可愛く書かれたもの,箇条書きにいくつもの願いを書いたものなどなど様々であった.


「シンジくん,レイちゃん,それって『てるてる坊主』?」
「かきつばた組」同様「さくら組」でも笹の飾り付けが行われていた.その中でマヤは白い紙を丸めているシンジとレイに気が付いて尋ねた.

「はい.」
「…うん.」
「シンジくん,どうして『てるてる坊主』を?」
答えの分かっている質問をマヤはあえて尋ねてみた.

「だって,はれないとねがいごとがかなわないんでしょう?」
「そうね.レイちゃんもそうなのかな?」
「…うん.それに….」
「それに?」
「…はれないとおりひめさんとひこぼしさん,あえないから….」
「レイちゃん,そのお話誰から聞いたのかな?」
「…おかあさん.」
「…そう.明日の夜,晴れるといいわね.」
「うん.」
マヤとレイ・シンジとの間でそんなやりとりがなされる.それをアスカは手を動かしながら呆れたような羨ましそうな眼差しで見ていた.

『てるてるぼうずではれるならせわないわよ.』
そう考えつつも短冊にはしっかりと願い事を書いているアスカであった.

「ちょっと,じゃましないでよっ.」
「べつにじゃまなんかしてねーぜ.ただひまなんだよ.」
「なにもこっちにきてちょっかいださなくたっていいじゃない.」
「ちょっとてつだってやろーかなっておもっただけだよ.」
「じゃあなにもしないでっ.」
マヤがシンジ達と話している間,クラスの一角では悪ガキ3人組の一人のタカシと女の子の園児がもめていた.トウジと同様に悪ガキ3人組にとってこの手の作業は苦手の部類に入る.短冊に願い事を書き上げた後はクラスのあちこちを廻って暇をつぶしていた.

「わあ,すごーい!」
「リョウくん,これなあに?」
「かきつばた組」の「折り紙名人」がヒカリとケンスケならば「さくら組」の「名手」はリョウという名の男の子であった.リョウは白い紙を使って奇妙な形に折っていた.

「『しきがみ』ってよばれるものだよ.」
「『しきがみ』ってなあに?」
「『しきがみ』っていうのは…(かくかくしかじか).」
「リョウくんってものしりねーっ!」
「さくら組」の別の一角ではリョウの周りに人だかりができていた.

「シンジ,『てるてるぼうず』はできたの?」
「え?…うん.」
「じゃあ,かざりつけましょっ.」
「…そうだね.」
「レイもいい?」
「…うん.」
アスカの一声でシンジとレイは飾り付けに向かう.飾り付けの笹は園児達全員が飾っても大丈夫なようにそれなりに大きめのものである.上の方に飾ろうと思えば当然,椅子なり机なりの足場が必要であった.

「シンジ,もうちょっとみぎよっ.」
「えっと,こう?」
「ちがうわよっ.そのえだじゃなくてもうひとつみぎの!」
「…シンジくん,がんばって….」
シンジは椅子の上に乗って三人分の飾り付けをしようと奮闘していた.

「うんしょっと.やった!」
シンジはようやくアスカに指示された枝を右手でつかむことに成功した.が,無理につかんだその枝は弾性が働いてシンジを引っ張ろうとする.

「あっと,わっ.」
「シンジ!」
「シンジくん!」
思わぬ枝の力に慌てたシンジが思わず枝を握っていた力をゆるめる.すると枝は待っていましたとばかりにシンジの手の中を擦って元に戻ろうとする.シンジはバランスを崩した.

(どんっ!)

椅子から落ちたシンジと下で見守っていたレイがぶつかった.

「だ,だいじょうぶ?レイちゃん?」
「…う,うん.わ,わたしはだいじょうぶ.」
「…よかった.」
「あ!シンジくん,みぎて….」
「え?」
レイに指摘されてシンジは自分の右手を見た.シンジの右手はさっき擦った所から血が流れていた.

「わっ!」
「たいへん!ほんけんしつにいかなくちゃっ.マヤせん….」
シンジを保健室に連れて行こうとアスカがマヤを呼ぼうとした.

「ちょっと,もういいかげんにしてよねっ!」
「なんだよっ.そのいいかたはっ.」
「タカシがちょっかいだすからでしょっ!」

「リョウ,おまえちょっとものしりだからってなまいきだぞっ!」
「そんなつもりじゃ….」
「ちょっと,リョウくんにあたらないでよっ.」
「なんだとお!」

「みんな,やめなさいっ!」
マヤは教室で同時に起こった揉め事を鎮めるのにてんてこまいだった.

「…ちょっとむりみたいね.じゃあ,レイはここでまっていて.で,あとでマヤせんせいにつたえて.アタシはシンジをほけんしつにつれていくから.」
「…う,うん.」
レイはこくりと頷いた.

「ひとりでいけるよぉ,アスカ.」
「だーめっ.アンタはけがにんなんだから.つきそいがひつようでしょっ.」
「それじゃ,レイ.あとはたのんだわよ.」
「うん.」
アスカはシンジのそでを引っ張って教室を出ていった.


−保健室(園児達の通称:「えんまどう」もしくは「ゼーレだいさんしぶ」)−

(こんこん)
(.......)
アスカは保健室の扉を叩くが反応がない.

(ごんごん)
「…はい.」
アスカはもう一度さっきより強い力で扉を叩く.すると中から女の人の声でうろんげに返事が返って来た.

「しつれいしまーすっ.」×2
アスカは扉を開けてシンジと共に中に入る.中には白いブラウスと紺のスカートに白衣をつっかけたリツコが立っていた.

「あ,せんせい,こんにちはぁ.」
「…あいさつはいいから,どうしたの?」
リツコの姿を認めてシンジは挨拶をするがそれにかまわずリツコは状況を聞く.

「ささのはでてをこすっちゃったんですっ!」
リツコの態度にかちんときたアスカがとんがった口調でシンジの怪我を説明する.

「…そう.ちょっときなさい.」
アスカの言葉を聞いてリツコはシンジの手を引く.アスカの口調は意に介していないようだ.リツコはシンジを水道場に連れて行くとシンジの園児服の袖をまくって流水で傷口を洗った.

『あら?私としたことが.』
シンジを保健室のベッドに座らせたリツコだったが消毒液の瓶が空なのに気が付く.リツコはストックを保管している薬品庫の扉を開けて未開封の薬瓶を取り出した.そして,救急箱を持ってシンジの待つベッドに向かう.ベッドの傍らにはアスカが立っていた.

「.......」
治療の邪魔になると言う訳でもないのでリツコはアスカを一瞥しただけでピンセットと脱脂綿を取り出す.そしてシンジの右腕をむんずとつかんで右手を開かせて消毒液を浸した脱脂綿を例のごとく無言で患部に当てた.

「!!!!!」
消毒液の傷口にしみいる痛みがシンジを襲う.悲鳴を上げそうになるシンジ.が,傍らにはアスカがじっとその青い目でシンジを見ていた.

『ここでないたら….』
シンジは痛みに耐える.リツコは無言のまま「治療」を続ける.シンジは小さくうめいた.思わず目から涙がこぼれそうになる.そんなシンジの思いに構わずリツコは脱脂綿を念入りに傷口にあてがっていた.

「うっ….」
ずっと続くかと思われた苦痛の時間はリツコが軟膏を取り出したところで終わりを告げた.リツコは軟膏を薄く引き伸ばして傷口に擦り込み,ガーゼをあてがってテープで固定して治療を終わらせた.

(こんこん)

扉がノックされたのはまさにその時だった.

「どうぞ.」
リツコは短く返事をした.すると,扉が開く.扉の向こうには騒ぎを鎮めて教室を後にしたマヤとレイが立っていた.二人は保健室内に入っていく.

「赤木先生,ちょっと見てもらえます?」
「どうかしたの?」
「そこのシンジくんとぶつかって頭を打ったみたいなんです.ちょっとこぶになったみたいで….」
「わかったわ.」
リツコはそういってレイの方に向かおうとする.

「あ,あの….」
「ん?」
シンジの声にリツコは『まだ何か用?』といった目で振り返った.

「あ,ありがとうございました.」
「.......」
シンジはお礼の言葉を言って頭を下げた.リツコはきょとんとした目になって何も言えずにいた.

「赤木先生っ.」
「え?あ…いいえ,どういたしまして.」
上の空になっているリツコをマヤが現実に引き戻す.リツコは慌てたようにシンジに言葉を返した.リツコの言葉にシンジは微笑む.

「…シンジくん,だいじょうぶだった?」
「うん,だいじょうぶ.」
「よかったあ.」
レイがシンジの怪我を気遣う.シンジはそれに微笑んで応えた.シンジの表情にレイは安堵する.

「…もう,いいかしら.」
平生に戻ったリツコが淡々とした口調でレイを診せるよう促がした.

「あ,はい.シンジくん,アスカちゃん,後は先生が見るから先に戻ってて.」
「え?は,はい.」
「…はーい.」
二人共,その場に残りたがっていたがここは大人しくマヤの指示に従って教室に戻っていった.


「だいじょうぶだった?レイちゃん?」
「レイ,ひどいめにあわなかった?」
ことが済んで一人で教室に戻ってきたレイをシンジとアスカが心配する.二人の「心配」の意味は微妙に異なっていたが.

「…うん.だいじょうぶ.ちょっとこぶをみてもらっただけ….」
レイははにかむように答えた.

「よかったあ.」×2
「やっぱり『おに』っていううわさはほんとうね.」
「そうかなあ?」
「そうよっ.」
「でも,ちゃんとてあてしてくれたし『どういたしまして』っていってくれたよ.」
「あれが『てあて』っていえる?『どういたしまして』だってマヤせんせいにいわれてやっといったんじゃない.」
「でもいわれるほど『おに』にはみえなかったよぉ.」
「アンタ,むりしていってない?」
「…ふたりともケンカはやめて….」
マヤが戻るまでの間,リツコについてシンジとアスカの間で議論になっていた.


診断が終わってレイを先に教室に帰した後,保健室にはリツコとマヤの二人だけが残っていた.
「先輩っ.」
「…苦手なのよ,子供って.うるさいし,わめくし,すぐ泣くし,理解不可能な行動取るし….」
「…でも,かわいいでしょ?」
「.......」
マヤの言葉にリツコは黙り込む.リツコの脳裏に先程のシンジの笑顔が浮かんだ.

「…ところでこの短冊,何て書けばいいの?」
「先輩のお好きなように.」
「…そう.」
リツコはボールペンを取り出してささっと短冊に書き付けマヤに渡した.マヤは短冊を見てクスッと笑った.

「先輩,これって….」
「伊吹先生….」
「…わかりました.教室に戻って吊るしておきますね.」
リツコの言葉にマヤはそう言って保健室を立ち去る.リツコの短冊にはこう書いてあった.


“閻魔堂”に来る子が減りますように. “白衣の悪魔”


第十二話に続く?

1.01公開+10/10
1.00公開07/07
お便りは qyh07600@niftyserve.or.jpに!!

1997/07/07 Ver.1.0 Written by VISI.
1998/10/09 Ver.1.01 一部改変



筆者より

本編においてはクールでデータと結果で人を見るようでいて実は結構感情的なんじゃないかというリツコを「幼稚園」ではどう描こうか迷いましたが結局,今回の話の形に落ち着きました.おそらくマッドは入っていませんが今のところ大多数の園児達にとっては「恐怖の魔女(笑)」です.
「七夕」は時節ネタということで(^^).御感想・御要望お待ちしております.

誤字・脱字・文章・設定の突っ込み等は,
までお願いします.


Ver.1.01にあたって

西暦 2007年7月7日が土曜日だと判明しましたので「設定」(土日祭日休園)に合わせて「今晩」を「明日の夜」に変更しました.


 VISI.さんの『私立第三新東京幼稚園A.D.2007』第11話、公開です(^^)
 

 ケ、ケンスケが活躍している!
 ほんの一瞬で次の場面に移ってしまいましたが(^^;
 VISI.さんも「ケンスケ哀乞う会」のメンバーになりませんか?(^^)
 

 園児に怖れられる存在、リツコさん。
 シンジの笑顔で、少し暖かい物が表面に出てきましたね。
 内面は優しいおねいさんなのかな?
 短冊のメッセージに彼女の見えにくい思いやりが出ていましたね。
 

 シンジ、アスカ、レイ。
 子供達の願いは何だったんでしょうね・・・・
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 ホンワカ暖かい子供の世界を描くVISI.さんに応援メールを送りましょう!


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