BY秋月
そんなわけでシンジは二人に話しかけるのをすでに諦めていた。三人の帰り道は気まずい沈黙と時々上がるアスカの罵声のみに支配されていた。徒歩15分に過ぎない道のりが今は何時間もに思われるほどシンジを圧迫していた。
日はまだ沈まない、まるでその日の名残を惜しむかのようにゆっくりとその姿を山並みへと沈めていく。
「ユイさんから何か聞いてる?」
「何も聞いていないわ。」
シンジはレイの方へ怪訝そうに聞いてみるが、レイも同じような表情を浮かべて答えた。
「どうしたんだろうね?」
「さあ。」
レイはシンジの再度の問いにあっさりと答えてドアに手を伸ばすが、鍵がかけられていて開かない。シンジの方に振り返って首を横に振った。
シンジ達は裏に回り込み、勝手口から中に入る。中からは美味しそうな臭いが漂ってきて、シンジ達の臭覚を刺激した。
「「ただいま。」」
今日はどうやらシチューのようだ。ユイの自家製のシチューはとても美味しい。店の軽食のメニューにも入っており、常連達の評価の高いものの一つである。シンジもレイも店の手伝いなどで料理をする機会も多く、どちらもかなり上手にこなすのだが、ユイの料理を食べるたびにかなわないと思い知らされる。
夕食の楽しみに無邪気に頬を緩めかけたシンジの顔が台所にいる人物を見てはっきりと強張り、台所に踏み込んだところで歩みが止まってしまう。今までシンジの臭覚を楽しませた料理の臭いも一瞬にして色褪せた。もしもこの後ユイが声をかけなければシンジはいつまでもその場に突っ立ったままだったかもしれない。それほどその人物はシンジにとっては忘れられない傷を作った人物であったのだ。碇ゲンドウ、それが彼の名前である。シンジの実の父親、そしてこの家の家主であるはずの人物。
「シンちゃん、レイ、着替えてきなさい。もうすぐ夕御飯出来ますからね。」
ユイはシンジの内面の葛藤を知っていてか、知らずにか明るく声をかけてきた。
「は、はい・・・」
シンジは僅かに震える声でそれに答え、ゲンドウの方を見ないようにして足早に二階に上がっていく。シンジの後ろにいたレイがゲンドウの姿を見た瞬間に僅かに嬉しそうな表情をうかべたが、それはすぐに消え、シンジの背中を心配そうに見つめていた。
「お母さん。」
レイはシンジが出ていったドアの方を眺めながら、ユイの方に声をかけた。その声には僅かに非難の響きがあった。
「ごめんなさい。シンちゃんはまだ駄目なのね。」
その声には多分に悲しみが含まれていた。そんなやり取りの中でゲンドウは一言も声を出さずにいつもならば誰もいないはずのテーブルの一角に両肘をついて座っている。この様子から彼の内心を読みとることは出来ない。たとえ誰であろうとも・・・少なくともこの世にはいなかった。
ゲンドウがこの家に入るのは実に半年ぶりのことであった。
「レイも着替えてきなさい。」
レイはもう一度母親の方を見るとゆっくりと台所を出ていった。
「ただいま〜」
玄関の扉を開くとアスカは不機嫌そうな声ながら、中に向かって声をかけた。それに返ってくる返事はない。アスカは返事を期待していなかった。この時間にはもう彼女に返事を返してくれる人がいないことは分かっていた。アスカは靴を脱ぐと台所へと向かう。
そこにはテーブルの上にラップのかけられた料理が並んでいた。その横には一枚の紙が置かれている。
文面にはそう書かれている。片岡ヤヨイ、仕事でほとんど家にいないアスカの母親キョウコが雇った家政婦であり、アスカが幼い頃からずっと世話を見てくれていた。30歳後半の少し太り気味であるが、そのふっくらとした頬が笑うと愛嬌を感じさせる、真面目で面倒見の良い人である。ただ、セカンドインパクトの時に幼い娘と夫を一度に亡くしたらしく、養い子であるアスカを過保護なまでに大事にしていた。去年までは住み込みで面倒を見てくれていたのだが、今年の初めに再婚をしてこの家を出ていった。その後でも通いの家政婦として家事など一切をしてくれているのだが、自分の家庭があると以前のようにアスカだけに時間を割くわけにはいかず、今アスカは夕食を一人で食べることが多くなっている。
ヤヨイが再婚してから平日ではアスカは朝は碇家で、昼はユイの弁当、夜はヤヨイの用意してくれている食事というのが習慣となっている。ヤヨイの料理はユイには僅かに劣るとはいえ、絶品であるといえる。それにユイと話し合ってでもいるのか、栄養面も十分に考慮された食事であり、何処にも文句のつけようのないものだ。そう、一人で食べるという状況以外には・・・
アスカは用意してくれている料理を暖め直し、一口口を付ける。
「・・・おいしくない。」
唯一人だけの台所の中、アスカは消え入りそうな声で呟いた。
ただ一言だけ、後は黙々と食事を消費し続ける。今日もキョウコは帰らないようだ。一人でいるリビングはやけに広々としていてアスカの孤独に拍車をかけた。
「もういいでしょ。リツコ。話してくれるわね。」
しかしその声は先程に問いかけたものとは質が異なっている。先程のものは厳しいながらも、ミサト個人の立場で友人に答えを求めたものであったが、今のそれは明らかに有無を言わせないものである。彼女の立場でそれはすでにはっきりさせておかなければならないことになっていたのだ。チルドレン達、またその候補者の校内での監督と監視、そして護衛がミサトの任務である。もっともそれはミサトだけの任務ではない、この学校の教員の半数はそのための要員であり、その他にも常時何らかの変化があれば対応できるような編制がしかれている。ミサト自身はその指揮をとればいいのだ。
そして、そのため、ミサトのクラスの生徒は全員がチルドレンの候補生で構成されている。本当に必要なチルドレンは一握りに過ぎないのだが14歳の彼らは僅かながらにもその才能に恵まれていた。いや、14歳というよりも15年前に起きたセカンドインパクトの後から生まれた子供達にその適格が認められているのだ。その人数自体がそう多くはない上にセカンドインパクトによって起きた天変地異や、暴動に巻き込まれ生まれたばかりの彼らの多くが命を落とした。ドイツやアメリカなどの比較的被害の少なかったところではそれぞれの場所でチルドレンのおそれのある者達が優先的に保護されているところもあり、ここ以外においてもチルドレン候補生は存在している。
しかし、ミサトの知る限りに置いて今確定されているチルドレンはファーストとセカンドの二人のはずである、それにも関わらず、リツコはカヲルをフィフスといったのだ。ミサトにとってこれは無視することは出来ないことであったのだ。特に自分に知らされていなかったことが。
「ええ、いいわよ。何が聞きたいのかしら、ミサト?。」
リツコはやっと手を休めてミサトの方へと振り返った、その表情も先程ミサトをからかっていた時とは明らかに異なっている。
「さっき、フィフスチルドレンって言ったわね。」
「ええ、そう言ったわ。それが何か?」
「サードとフォースはどうしたのよ。」
「ほとんど同時に決まったわ。フィフスとね。」
「どういうことよ。」
「そのままよ。サードとフォースもつい先日決まったのよ。」
「どうしてそんなに急に決められたかってことを聞きたいのよ!」
ミサトが僅かに激昂する、その声にリツコの横にいたマヤがびくっと反応し、僅かに脅えた顔でミサトの方をおそるおそる見ていたのだが、ミサトはそんなことには構わなかった。リツコも素知らぬ顔で冷ややかに続ける。
「サードとフォースはすでに有力候補がいたのよ。今回フィフスが送られてきたことによって確定したに過ぎないわ。」
「何故、そんなことをする必要があるのよ?あの子をサードにすればいいじゃない。」
「碇所長はEVAを持たせたくなかったのよ。フィフスに・・・」
僅かにリツコの顔に嘲りが浮かぶ、それは誰に向けられたものだったのか?しかし、すぐにそれを覆い隠しミサトへの説明を続ける。
「今、EVAはここ本部に3個、00,01,02が揃っているわ。そのうち02はまだ調整が十分ではない。そして03はアメリカの第2支部にあるのよ。」
「つまりフィフスにしてしまえば、現在見つかっているEVAを全部集めてもフィフスには持たせないことが出来るって訳ね。
でも、どうしてそこまで阻止しようとする必要があるのよ?碇所長は・・・」
「それは分からないわ。あの人の考えていることだもの・・・」
リツコは顔を俯かせて答えた。ミサトにはそれを一概に信じるわけにはいかない。しかし、リツコがこういうときには決して口を割らないこともまた、ミサトは心得ていた。伊達につきあいが長いわけではないのだ。暗い部屋の中は重苦しい空気だけが満ちていた。
「まあ、いいわ。それでサードとフォースは誰なのよ?」
しばらくするとミサトは左右に頭を振って諦めたように言う。
リツコはまたディスプレイに向き直りキーを幾つか叩く。するとディスプレイに何かのデータが表示された。写真を含めた個人情報のようである。
ミサトがリツコの後ろから乗り出すように覗き込み、言葉を失った。リツコのかけている銀縁の眼鏡がディスプレイからの光を反射して彼女の表情を覆い隠していた。
実際その部屋のものでレイが私用しているのは机とベッドぐらいで、小物類などは買われてから一度も触れられていないものまである。
ベッドとは反対側の壁には幾つかのぬいぐるみ達が立てかけられているが、これらはユイが揃えてきたものでレイにはどうしてこんなものが必要なのか今でも分からない。ただそれらを捨てようとは考えていない。それはせっかくユイが買ってきてくれたものであり、シンジがそれを抱いたレイを”可愛い”と言ってくれたことがあったからだ。それらのものは時々気紛れのようにシンジの部屋に抱いていかれる以外で主人に省みられることはなく、いつも寂しそうに主人を見つめている。
レイは壁際に寄せられたベッドの横に立ち、ベッドの向こうの壁にじっと視線を向けていた。そちらにはシンジの部屋がある。いま、レイの心はレイ自身にもとらえがたい渦をなしていた。
(これは・・・何?)
先程シンジとゲンドウの二人の間に感じた感覚・・・それはレイが初めてシンジと出会った5年前には全く分からないことだった。今もまだ理解できるわけではない、しかし、それでも今ではシンジの様子を気にかけ心配していた。そしてその感情に戸惑う。この5年間ずっとそうしてきたように、何度も自問自答を繰り返す。
他人を気遣うとかいった感情に類するものをレイは5年前には持っていなかった。いや、知らなかったのだ。それまでの生活にそれらは必要ではなかったから。そして、必要だとは思えなかったから。
しかし、今彼女は確かにそれらを周りに示すようになっている、まだ他人と比べれば明らかに乏しいそれらは彼女がこの5年のうちに・・・シンジやユイと一緒に暮らしていく生活の中で・・・僅かずつ身に付けてきたものであり、彼女のたったひとつの財産といえるだろう。
初めてシンジと会ったときのことをレイはいまでも覚えている。自分たちの前に連れてこられたまだ幼い少年は明らかに脅えた表情を浮かべて彼を見下ろす長身の影を見上げていた。しかし、哀れなほど脅えている少年に影は一言だけ告げるとすぐにきびすを返した。
その時の段々と遠くなっていく背中を見ながら、ほっとしたような、それでいて悲しみに溢れた黒い深淵を思わせる瞳をレイは忘れることは出来なかった。
その時はただ訝しく思っただけに過ぎない。しかし、その印象的な瞳はそのころの何に対しても無関心だった少女の心に確かに刻み込まれた。彼女からすればゲンドウのその態度が普段道理のものに過ぎなかったが、シンジのその様子ははじめてみるものであり、当時のレイにとっては不可解なものだった。
今のレイには壁の向こうの少年が悲しみに沈み、脅えているのが感じられる。自分の見つめている方へ、ベッド上へと上がると壁に向かってまるで温もりを求めるかのように手を差し伸べ、ゆっくりとそれに体重をあずけていく。少女は壁により掛かるように座り込み、目を閉じて、一言だけ呟く。その声には複雑な響きが宿っていた。
「お兄ちゃん。」
赤い光の中で、その姿はまるで何かに祈りを捧げているように見えた。
「何か言ってあげればいいでしょう。」
「・・・何も言うことなどない。」
その素っ気ない答えにユイは一つ溜息をつくとそっとゲンドウの方を窺う。彼はユイの方に背中を向けたまま微動だにしない。
「今日は何のために来られたんです?」
「・・・・」
しかし、ゲンドウはユイの問いに答えなかった。
「誰に会いに来たんですか?シンジに・・・レイに・・・・それとも・・・」
そこでユイは僅かに躊躇った後に小さな声で続けた。
「・・・私に、ですか?」
それは本当に小さな声だったが、ゲンドウの耳まで届いたのだろう。今日初めてゲンドウは反応を示した。といってもその無言の背中が僅かに震えたに過ぎなかったが・・・ほんの僅かな動揺、それをユイは敏感に感じ取った。そして、それ以上は問わずに鍋の中をかき混ぜるのに専念しだした。
中には直径2,3センチほどの球体が3つほど入っている。それらの球体は血のように赤く、そして仄かに光を放っているかのようだった。夕日に照らされ、赤く染まった彼の顔にうっすらと笑みが浮かぶ。それはいつも彼がその整った顔に浮かべているのとは僅かに異質な笑みだった。
「まだ、だよ。君達はまだ封印されたままのはずなのだから。」
その言葉に反応するように球体は3つとも違う反応を示した。一つはまるで急かすように明滅を繰り返し、また一つは分かったと言っているかのように一度瞬き、最後の一つは怒ったかのように光を灯したままカヲルの方へと浮かんでくる。その様子にカヲルは驚くこともなく、幼い子に言い聞かせるように語りかける。
「僕に文句を言われても、どうしようもないさ。リリンはいまだに用意が整っていないのだから。ほら、急かさないようにね。」
だが、まだ不満があるのか中空に浮く球体はさらに強く発光する。
「分かったよ。急いで君の身体を探すから。今君達の存在を知らせるのは得策じゃないんだよ。少しは彼を見習って欲しいな。」
カヲルは苦笑しながらただ一つ大人しくしている球体を顎で指した。カヲルの前で明滅していた球体はゆっくりと元の場所に戻っていく。最後にもう一度不満そうに発光することを忘れていなかったが。箱の中に三つの球体が並ぶのを確認してカヲルは了解を求めるように声をかける。
「もうしばらくはこの中にいてもらうよ。」
先程一番落ち着いた反応を返した真ん中の球体が瞬く。その問いかけるように瞬く光にカヲルは真剣に思案しながら答えた。その顔にはすでにいつもの笑みは張り付いていない。
「そうだね、まだ、早い。・・・あと2,3ヶ月は・・・僕にもその間、普通の学生生活を送らせてくれないかな?」
後半の冗談のような言葉にか、それとも期間の長さゆえにか、いっせいに3つが3つともに抗議しているかのように明滅を繰り返す。どうやら誰もそれに納得しなかったらしい。
「分かったよ、君達の身体はもっと早く見つけるから・・・大人しくしばらくは眠っていてくれるかい。」
渋々ながらといった様子でそれぞれの球体は沈黙した。全ての球体から光が消え失せるのを見守るとカヲルは蓋を閉めて、大事そうに持ち上げると部屋の片隅に備え付けられているクローゼットの奥にしまい込んだ。
「同胞達よ。・・・・まだ時は満ちていない。」
少年は茜色の光の中、美しい血の中に沈む町並みを見つめていた。それはこれから起こる出来事であろうか、以前に起こった出来事であろうか。
少年はただ微笑みを浮かべてその街並みを見つめている。
赤い瞳がさらなる紅へと煌めいていた。
「やっと仕上がりました。どうも遅くなって申し訳ありませんでした。一ヶ月も間があいてしまいました。秋月は大変反省しています。」
ミサト「ほんとうかしらねぇ〜?」
「ミ、ミサトさん、酷いですよ。本当に反省しているんですから。」
「だってあんたがこれほったらかして他のところへ投稿していたって話聞いたわよ〜。」
「うっ、そ、それは・・・ま、まあ、ビールどうぞ。」(笑)
「あ、いいの。悪いわね。」(うぐっ、うぐっ、うぐっ・・・ぷはぁぁ〜〜〜)
「(ふっ、買収しやすい人だ。)」(ニヤリ)
「あ〜〜やっぱりこの一本のために生きているって感じようねぇ。」
「何ですか?ミサトさん、この手は?」
「もう一本。」
「えっ、駄目ですよ。」
「もう一本。」
「あのですね。貧乏な者にものをたからないで下さいよ。」
「もう一本。」(すわった目)
「・・・はい。」(泣)
秋月さんの『朧の刻』第4話、公開です。
家に帰ってきたゲンドウ・・
食卓でも例のポーズを取って・・いるんだよね(^^;
ユイさんの
「私に会いに来たの?」
に対する動揺。
照れ・・・じゃないですね?
玉に話し掛けるカヲル。
それぞれの思いを抱くシンジアスカレイ。
そして、
ビールをたかるミサト。 はあとがきですか(^^;
さあ、訪問者の皆さん。
ひさびさ秋月さんに感想メールを送りましょう!!