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帰途─────帰り道。




それは、いつも希望を運んできてくれた。




けれど、楽しいことばかりではなく、




涙も、また─────















そして今、悲劇が幕を開ける…

































Project :  "EVANGELION"

PROGRAM: 01

「帰途」



−A−



 ゴウ…ン…

 低くうなりを上げるエンジン音。
 窓の外には、街の明かりが見える。

 「はぁ…やっと、帰ってきたんだなぁ…」
 その窓を、まるで子供のように無邪気に覗いていた青年…碇シンジは、誰とも無く呟いた。

 「…この、東京に…」

 『お客様に申し上げます。着陸姿勢に入りますので、シートベルトをお締め下さい』
 放送のその声に気づき、シンジはあわてて姿勢を正し、シートベルトを締めた。
 街の明かりの中、ひときわ高い建物が、中心部に一つ、ぽつんと建っていた。

 「旧」東京都。
 かつての「セカンドインパクト」の災禍が、未だ色濃い街。
 21世紀に入ってから、ちょうど30年。いきなり訪れた、全世界を襲うほどの未曾有の大地震は、各国の大都市に壊滅的な打撃を与えた。
 東京もその例外ではなく、今は無事だった「元」地方都市へと、国家の主要機関が移転されている。
 現在、東京は再び中心都市として再開発されている真っ最中なのだ。
 しかし、かつての「治安の良い東京」はどこにもなく、そこかしこで暴走族やら何やらが暗躍している。裏通りに入らなければ気づくことはないが、事実「スラム街」というものも東京には存在しているのである。

 また、テロも頻繁に起こっている。
 それは、多くが東京都中心部にそびえ立つ唯一の高層ビル…「株式会社NERV 東京支社」を狙ってのものだ。
 株式会社NERVは、ロボットテクノロジや医療分野で最近急成長してきた複合企業体(コングロマリット)で、この街の再建は大部分この会社が手がけている。

 「あれが、東京支社か…」
 窓の外を相変わらず眺めながら、シンジは呟く。
 彼、碇シンジも、株式会社NERVの職員であった。
 先日までアメリカ支社のロボットテクノロジ開発部門において研究主任であったシンジは、本社で行われている「ある」プロジェクトに参加するため、帰国したのである。
 頂上部に取り付けられたNERVのロゴの形をした赤いライトが、だんだんと上に上がっていく様を見ながら、彼はもう一つの願いに心を弾ませた。

 「レイ、元気かな…」
 久しく会っていなかった妹のことを思って、彼は視線を本社ビルから外した。




 そのころ、シンジの妹…碇レイは、空港の中を歩き回っていた。
 やっとお兄ちゃんに会える…そう思うと、いつもはあまり笑わないレイでも、笑みが浮かんできてしまう。

 大学院卒業と同時に株式会社NERVアメリカ支社に配属になったシンジとは、かれこれ3年も会っていない。
 時折電話(ヴィジュアルフォン)で2言3言、会話を交わすのみだった。
 両親は、セカンドインパクトの時に不幸にして行方不明となってしまった。
 今となっては、シンジだけが唯一の肉親だ。

 家族が株式会社NERVに務めている、その事実はめずらしくはなかった。
 株式会社NERVは、世界で今一番大きく有名な会社である。給料も良い。就職ならここと早く決めている学生もいる。
 しかし、レイは寂しかった。一人になれてしまい、心が麻痺するようで、誰かに助けを求めたかった。
 寂しく思いながら、何度帰ってきてとシンジに言ったことだろう。
 その度に、ごめんよ、と謝っていた兄の姿が脳裏に蘇る。

 守秘義務とかで、会社からなかなか出られないんだ、とシンジは告げた。
 だが、一介の技術屋を、そこまで縛り付けるものだろうか?
 レイは、仄かに疑惑を抱いていた。

 そこへ、突然決まった本社への転属。
 レイは、また「家族」というものを味わえる…そんな予感に胸躍らせていた。
 飛行機はもう到着している頃。
 シンジの姿を、レイは探す。




 「あ、いたいた。…レーイ!
 シンジが、手を振りながらレイを呼んだ。
 ぱあっと顔を明るく輝かせ、レイはシンジの方に駆け出した。
 シンジも、レイの方に向かってくる。
 後ろの方から、ルルル…と小さなモーター音を響かせつつ、カートロボットがついてきた。
 シンジが立ち止まると、その脇でロボットは止まる。

 「ただいま!」
 言うなり、シンジはレイを抱きしめた。

 「お、お兄ちゃん!」
 あわててレイがシンジを引きはがす。

 「何するのよ、いきなり…」
 「…ひどいなぁ。それが久しぶりに会う僕への態度?」
 「だ、だって…恥ずかしいじゃない…。いきなり抱きしめられたら、そう思うわよ、普通は…」
 「はぁ…素直じゃないね、レイは…」
 口ではそんなことを言っているが、シンジはそれでも嬉しそうな表情を崩さない。
 気を取り直して、とりあえず、シンジはもう一度言った。

 「ただいま、レイ。」

 今度は、レイもちゃんとにっこり微笑んで返事を返してくる。

 「お帰りなさい、お兄ちゃん。」




 「…さて、行こうか」
 シンジが、ポケットの中からカードを取りだし、カートロボットに差し込んだ。
 シュッと小さな音を立てて、プラスチックの透明なカバーが開いた。
 中には、鞄がいくつか入っている。

 「お兄ちゃんたら、荷物ぐらい自分で持てばいいのに…」
 「レイは、相変わらずロボットが嫌いなの?」
 「だって…人形でしょ? 人のための…」

 レイは、嫌悪感を露にした。
 もともと昔から感情の発達が遅れていたレイは、「人形女」というあだ名を付けられていた時期がある。
 今はそんなことはないが、その時から「人形」というものについてトラウマを持ってしまったのだろう。
 しかしこの時代、ロボット(やコンピュータ)があちこちに適用され、タクシーを含む交通網も殆ど無人化が図られている。それに慣れないのも困ったものだ。
 仕方が無いな、とシンジは思った。

 『ご利用ありがとうございました』
 苦笑しつつ荷物を取り上げると、カートロボットは忘れ物がないことを確認して、元の置き場へ戻っていく。
 ご丁寧に、プログラム通り、合成音声の挨拶までして。

 「いえいえ、どういたしまして。それじゃ、またね。」
 まるで友人にするようにカートロボットに挨拶をするシンジを見て、レイが膨れっ面をする。
 我ながら恥ずかしい兄だ、そう思ったらしい。

 「どうしてそういうことするのよ。周りが見てるわよ?」
 「いいじゃないか、別に」
 「でも、機械相手じゃない。どうせ返事なんかしてくれないわよ」
 「それでも良いんだよ。こういうのは形が大事なんだ」
 「形ねえ…」

 それにしても、シンジはロボット(の中枢であるコンピュータ)関係の仕事をしているわけだが、この性格は果たして仕事のせいだろうか。
 レイは、見る度不思議に思う。
 まるで、ロボットが…機械が友達であるかのように振る舞うシンジ…。
 それも愛想の悪い友達だ。こちらが挨拶したとて、挨拶し返してくれるわけでもないのだから。
 やっぱり自分の兄は変わっている。そう考えるレイだった。




 「…さ、久しぶりに2人で食事をしようか」
 「うん…」
 シンジが歩き始める。
 と、突然後ろから声がかかった。

 「失礼。碇博士でいらっしゃいますでしょうか」
 聞き慣れない声に、シンジは何事かと思いながら振り返った。
 サングラスをかけた、いかにもSPでございというような男が、立っていた。

 「そうですが、あなたは?」
 「申し遅れました。私は、NSSのものです。」
 男は、そういって身分証明書を差し出した。「NSS 第1班副隊長 八谷ヤスヒロ」と書かれている。
 NSS…それは、株式会社NERVが持つ、護衛部隊だ。NERV SECURITY SERVICES というたいそうなネーミングを持ってはいるが、実の所軍隊とさして変わらない。社内では「保安諜報部」と呼ばれている。

 「それで、何か?」
 「お荷物を。社へすぐおいでくださるようにと。…そちらは?」
 「ああ、妹です。しかし…私は、今日一日は休暇を取っていたはずですが…」
 シンジが困った顔をして言う。
 今回の帰国は、レイと実際に会って話をするためのものでもあったのだから。…いや、むしろそちらの方の優先度が高いだろう。
 就職してからこのかた、ただの一度でも実際に会いに来たことはない。そのせいでいつの間にか心の距離が空いてしまったとシンジは感じていた。
 そして、この帰国が、自分にとっても、レイにとっても、良いチャンスとなるはずだ…シンジはそう信じて疑わなかった。

 「せっかく帰ってきたんですから、家族との団欒ぐらい、構わないでしょう?」
 「お言葉ですが、時間に余裕がありません。『アポトーシスが始まった』、そう伝えろと言われております」
 「アポトーシス…」
 その言葉を聞いたシンジの顔が翳る。

 「お兄ちゃん…」
 シンジの顔に不安をかき立てられたレイが、ちょんちょんと服のすそを引っ張った。

 「…仕方ないですね…」
 シンジは、がっくりと肩を落とす。
 レイは、希望が費えたことを知った。

 「…ごめんね、レイ。なるべく早く終わらせて、帰るようにするから…」
 「何よ…そんなに仕事が大事なの? 私よりも仕事が大事なの?」
 レイは、涙を滲ませながら、シンジに訴えた。
 さすがにシンジも暗い顔は隠せない。

 「もちろん、レイの方が大事さ…。だけど…ごめん…」
 「もういいわよ!」
 突然、レイがヒステリックに叫んだ。

 「お兄ちゃんなんか、ずっと仕事仕事仕事…仕事ばっかり! いつも仕事だって言って約束をほったらかしにしてきたじゃない!」
 「・・・」
 「もう、帰ってこなくたっていい! 私は、一人でも大丈夫だもの! ずっと、仕事だけしてればいいのよ!!」
 泣きながら、レイは走り去っていった。
 シンジは何も言えなかった。事実、その通りだったのだから。
 その後ろ姿を見ながら、待ってと言おうと差し出した手が、空を切る。

 「レイ…」
 「博士。いきましょう」
 黒服の男に肩を押され、シンジは何度も後ろを振り返りながら、車に乗り込んだ。
 そして運命の歯車は、車の発進とともに周り始めた…。




 シュッ!

 自動ドアが開いた。
 ここは、株式会社NERVの本社の一室。

 「どうぞ」
 黒服に言われて中に入ったシンジは、見慣れた顔と再会した。

 「お帰りなさい、碇博士」
 「えと…あなたが、綾波さんですか?」
 彼女は、綾波ユイ。シンジがこれから参加しようというプロジェクトの主任だ。
 事前に知っていたとはいえ、実際に会ってみるまではなかなか実感がわかないものである。

 「IDカードよ。これをなくすと入れないから、注意して」
 「はい。…それで、ラボは?」
 渡されたIDカードを胸に付けながら、シンジはユイに聞いた。
 まずい状況が発生しているはず。一刻も早く、この荷物を届けなくては…。

 「こっちに来て」
 ユイは、エレベータを呼んだ。程なくして、扉が開く。
 そこへ、ユイとシンジ、そしてSPの男が乗りこんだ。

 「ラボは、安全を考えて、地下に作られているの」
 ユイは、地下7階のボタンを押した。
 かすかなモーター音とともに、軽い浮遊感が全員を包み込む。
 シンジもユイも、既に再会の時のなごやかさは忘れ、今は一科学者としての顔をしていた。

 やがて…静かにエレベータは停止し、扉が再び開く。
 一歩踏み出すと、そこからコンピュータの並ぶ部屋が見えた。
 ユイがシンジを手招きする。シンジは後についていった。

 「…ここが、『プロジェクト・エヴァ』メインラボ。そして…あれが、『エヴァ』の一号機よ。まだ組み立て中だけど」
 「あれが…」
 ユイの指さした先には、ところどころまだ足りないが、大まかには人の形をした「ロボット」が見えた。
 身長は、シンジより少し大きい程度だろう。それでも、シンジ自身がかなりの長身であるから、190センチくらいはあるのではないだろうか。
 青紫を基調とした落ちついた色配置が今の段階から見て取れる。

 「…さ、みんなへの紹介はあとにして…」
 ユイが本題に入った。




 「アポトーシスが始まっていると聞きましたが…」
 「そう。過負荷がBシステムコアの一部にアポトーシスを起こしたらしいの。何度もいろいろ試したのだけれど…どうにも…」
 「進行はどうです」
 「これを見て。…侵食が、20%にも達しているわ。」
 「ひどいですね…」

 Bシステム…それは、ユイが研究していた生体コンピュータシステムの名称だ。尤も、元々の基礎理論自体はシンジが提出したものだったが。
 神経細胞を培養増殖させ、多数の細胞によりネットワークをつくる…それは、脳そのものだ。いわば、「脳を工業的に作り出す」という研究である。
 ちなみに、Bは、「BRAIN」のBである。

 「プロジェクト・エヴァ」とは、人のパートナーとなりうるロボットを開発する計画であった。そのために、人間にとって初めてのパートナーであった「イヴ」すなわち「エヴァ」から名前を取ったのだ。
 自分で考え、自分で行動できるロボット…それは、長年シンジが夢見てきたことでもあった。
 シンジも、実はアメリカ支社で、生体コンピュータの研究をしていたのだ。人間に近いロボット、人間と友達になれるようなロボットを作ることを夢見て。

 そして、それは、今現実のものになりつつある。

 「それで、あなたを呼んだのよ。…お願い。」
 「わかりました。」
 シンジが、荷物のうち一つを開ける。
 パチン、とロックが外れる音に続いて鞄から出てきたのは、ポリタンクだった。
 「LCL」とマジックで書かれている。

 「これを…」
 傍らのオペレータに手渡す。
 オペレータは、無言で頷くと、機械にそれをセットした。

 「では、まず先程のLCLをレベル2で注入。その後、全帯域に対して活動電位のダミーパルスを送り、シナプスを活性化させて下さい。それで、自律的に細胞定着と補完処理が行われ、崩壊は止まるはずです。そのあと、壊死組織は内部で酵素分解処理した後、フィルタで除去してください。…よろしいですか?」
 「了解…。」
 半ば呆然としながら聞いていたオペレータの一人が、何とか理解したらしく答えた。

 「どう? できるかしら?」
 「タイミングを指示していただければ…なんとか。」
 「ああ…じゃあ、僕がメインをやりましょうか」

 シンジは、空いているいすに座り、キーボードをたたき始めた。
 エラーを表示していたディスプレイが、キーの一つ一つでだんだんと正常状態に戻っていく。
 ほう…と思わず周りから嘆息が漏れた。
 ここ数日彼らが悩みに悩み抜いてできなかった仕事を、たった一人の青年が解決してしまっている。
 やがて、崩壊が完全に止まった。

 「…これでいいはずですよ。」
 「さすがね。LCL、大した効力だわ。…やっぱり、あなたを呼びつけてよかったわ。…これで反対派も押さえられそうね」
 「反対派?」
 「ええ…。実験のコストがかかりすぎるとかで反対しているお偉いさんがいるのよ。でももう安心だわ。碇君が来てくれたから。」
 ユイはそう言うと、再びにっこり笑って見せた。

 「…さ、落ちついたところで、自己紹介といきましょう。」




 「お兄ちゃんのバカ…」
 バスに揺られながら、レイは何度も涙を拭っていた。

 分かっていたはずではないか。シンジがいつも、仕事のほうを優先してしまうと言うことは。
 けれど、嬉しかったのに…会えて話せると思ったのに…。
 家族の関係をまた修復できると思ったのに…。

 「…結局、私ってなんなのかな…」
 レイは、一人寂しく呟いた。
 放送が停留所を告げる。
 降りなくちゃ、そう思ったレイは、慌てて「停車」ボタンを押した。
 悲しみを払拭するため、まるでたたきつけるように押した。

 そしてゆっくりと止まるバス。
 レイは、カードを差し込んで運賃を支払うと、ドアから外に降り立った。
 空には、月が雲に半分ほど隠れながら出ている。
 ぼんやりと空を見上げながら、レイは歩いた。

 「あら、レイじゃない!」
 突然、後ろから声がかかる。
 聞き覚えのある声。
 レイは振り返った。

 「アスカ…」
 そこには、栗色の髪の、レイと同年代の少女がいた。
 アスカと呼ばれた彼女の後ろから、もう一つ人影が現れる。

 「…カヲルもいたの?」
 「僕がいちゃいけないのかい?」
 カヲルと呼ばれた少年は、困ったように言い返す。
 月の明かりが、みごとな銀髪に反射して煌めく。

 「そういうことじゃないけど…」
 「でも、こんな時間にどうしたのよ?」
 「ちょっと…空港まで…」
 「空港? 何しにいったのよ、そんなとこに」
 「…何でも、ない…」
 ふと表情を翳らせ、レイは視線を逸らした。
 アスカは、こういうときは「アレだ」と経験で知っていた。

 「ははぁん…シンジさんでしょ」
 「!」
 心の中を見透かされたレイが、びくっと震える。

 「相変わらずブラコンなんだから、レイは…」
 「そんなんじゃ、ないもん…」
 「でも、シンジさん帰ってきたの? ずっとアメリカからでられ無いって言ってなかったっけ?」
 「うん…こっちの方に異動になったんだって。今日は一緒に食事するはずだったのに…仕事に行っちゃった…」
 「そう。なら少なくとも会うことはできるんじゃない。それだけでも大した進歩だと思わなくちゃ。」
 「でも…」
 「あ、そうだ。アンタまだ食事してないんでしょ。なら、一緒に食べましょう。これから丁度『上海亭』に行くところだから」
 「…いいの?」
 「もちろんよ。ね、カヲル?」
 「ああ。」

 2人の親切を思って、レイの顔は少し明るくなった。
 そう、少しだけ、状況が進展したと考えればいい。何事も、プラスに考えるのが大事なのだ。




 「では、改めて…碇シンジです」
 シンジは、全員に向かって頭を下げた。

 「じゃ、次にうちのスタッフを…」

 「ふむ…トラブルは消えたようだな?」
 突然の声に、全員がびくっとする。
…と、エレベータから、一人の男が降りてきた。「上司」というものを身体全体で表しているような男だ。スーツをきっちりと着て、奇妙なバイザーを付けた男。その向こうの視線は見えないが、どこか人を睨み付けるような雰囲気を持っている。

 「どれ。では報告を聞かせてもらおうか」
 「はい、副社長。」
 ユイが、無感情に答えた。
 その言葉に目を丸くして、シンジは男の胸に付けられたIDカードを見た。


 株式会社NERV 東京支社
 副社長  六分儀ゲンドウ



 「4日前に始まった人工ニューロンのアポトーシスは、周囲の細胞をも巻き込んで崩壊を開始。その後、ゆっくりとではありますが、周囲に侵食していきました。」
 ゲンドウは、ユイの報告を黙って聞いている。

 「本日、碇博士到着と同時にLCLによる強制定着処置を行い、崩壊は止まりました。が、全組織の30%ほどが既に侵されてしまいました。これより急ピッチで再生に入りますが、プロジェクト全体にかなりの遅れが出てしまう可能性もあります」
 「困るな、それは。どれくらいの遅れが見込まれている?」
 「およそ1ヶ月ほどです。」
 「…それはまずいな。納期に間に合わないということは、信用を落とすと言うことに他ならないぞ。」

 「納期…と言いますと、もう販売契約が?」
 「販売契約?…聞いてないわ…」
 思わず、シンジは口を挟んだ。
 怪訝な顔をして、ユイが小声で呟く。

 「それで、どこと契約を? 作り手としては、興味があるところですが」
 「余計な口を挟むな。第一、君には聞いておらん」
 ゲンドウは、不機嫌な声でそれを遮った。

 「技術者は開発だけをしていればいい。余計なことに首を突っ込むと君のためにならんぞ。…それに、納期と言うのは、『社内での』発表の時期のことだ。完成の目処が立っていない段階では、営業などできんからな。当然だが」
 「はあ…」
 「…計画の修正などは後日会議で聞くことにしよう。では、仕事を続けたまえ」
 つっけんどんにそれだけ言うと、ゲンドウは出ていった。
 やっと行ったかという安堵が全員に広がる。

 「あれが上司だと思うと、ホントにうんざりするわ…」
 ユイはそう呟いた。
 それは、ここにいる全員が感じていたことかも知れない。




 「ただいま…」
 誰もいない自宅の玄関を開けて、レイは中に入った。
 返事は帰ってこない。
 代わりに、センサーが人間を感知して、玄関の明かりをともした。

 「・・・」
 誰もいない家の中で、レイはただ一人、ひっそりと腰を下ろす。

 いつからだろう、孤独になれてしまったのは。
 セカンドインパクトで両親が死ぬまでは、せめて両親とは一緒にいられたのに。
 考えてみれば、その時もシンジは帰ってきてはくれなかった。
 電話の画面の向こうで、シンジがレイを言葉だけで慰めていたが、その機械を通した音声が、やけに心のない、冷たいものであるとレイは感じた。

 光回線を通して、殆どタイムラグなく、一瞬で声や映像を送れる時代。だが、機械化は2人を現に引き裂いてしまっている。機械のせいで…心の距離はだんだんと広がってしまっている。
 だから、レイは「ロボット」があまり好きでなかったのかも知れない。
 心の中で、ロボットばかり相手にする兄に、自分も構って欲しいと嫉妬していたのかも知れない。
 ふと、テレビの上に視線をやる。

 まだレイが小学生だった頃、シンジと一緒に撮った写真がある。
 シンジはその時高校生で、年の離れた兄妹ではあったが、2人はいつも一緒で、仲が良かった。
 その写真の中のシンジは、レイに向かって最高の笑顔で微笑んでくれていた。
 だが、今はそれを見る度に胸を締め付けられるような思いを抱いてしまう。

 「私にも…また、笑いかけてよ…お兄ちゃん…」
 写真を取り上げ、大事そうに胸に抱く。
 シィン…と耳の痛くなるような静寂の中、レイは思い出の海に沈んだ。

…大学院を卒業して、アメリカに行ったシンジの元を、一度だけ訪ねたことがある。
 あちこち行きたいとねだるレイに、シンジは嫌な顔一つせずにつきあってくれた。
 仕事もあったらしいが、早く切り上げてレイと相手をしてくれた。
 その過去が、懐かしい。

 しかし懐かしんでいるばかりでは始まらない。
 レイは、また無表情に戻って、写真立てをテレビの上に置きなおした。
 ふと、隣の電話に目をやると、メモリーランプが点滅しているのに気づいた。留守中に連絡があった証拠だ。
 何気無く再生ボタンを押すと、ディスプレイにシンジの顔が現れた。両手を合わせ、頭を下げている。

 『ごめん! プロジェクトの方で緊急の処置があって、それからどうも抜け出せそうにないんだ。だから…』
 皆まで言わせず、レイは再生を止めた。メモリーからメッセージを削除してしまう。
 いつまでも待っていた自分がどこか馬鹿のように思えて、レイは哀しくなってきた。

…だが、願いは捨てられなかった。
 「もう一度、あの日のように微笑んで欲しい」
 レイは、祈る。

 その願いが、叶えられないものであるなどとは、誰も知る由もないことだった…。




−B−



 「では、始めよう」
 一番遅れて会議室に入ってきたゲンドウが宣言する。
 同時に、プロジェクタ用のスクリーンが天井から降りてきた。そして、明かりが必要最低限まで落とされる。

 「今日の特別会議では、『プロジェクト・エヴァ』について、主旨の再確認ならびに現状報告を中心に、今後の予定の変更などを論議したいと思います」
 肩まで髪を伸ばした青年…青葉シゲルが言った。
 彼は、一応開発部の課長であり、シンジ達にとって最も近い上司である。
 仕事にはまじめだがプライベートではあまりお堅くないほうなので、シンジら部下の信頼も厚い。

 「まず、こちらのスクリーンをご覧下さい。」
 青葉は、手元のコンソールを操作した。
 スクリーンに映し出されていた株式会社NERVのロゴが、3DCGに変わる。

 「…これが、我が『プロジェクト・エヴァ』が開発を進めているヒューマノイド汎用ロボット、『エヴァ』の概略図です。」
 一旦青葉は言葉を切った。
 全員が、その図に注目する。

 「エヴァ」は、ヒューマノイドというだけあって、相当人間に近い姿をしている。「鎧を付けた人間」と言っても通りそうだが、実際に比べるとそれよりも多少スマートだ。
 ボディはわりと地味なデザインで、全体的に曲面による構成が多いように見えた。

 「このプロジェクトは、我が株式会社NERVの次期主力商品としての、新世代型ロボットを開発するものであります。ご存じの通り、ヒューマノイドタイプのロボットは既にアミューズメントなどの分野で利用されていますが、『エヴァ』はこれらとは異なった、『完全な』ヒューマノイドタイプロボットを目指すものです。」
 再びキーを操作すると、画面上に文字が現れた。

 「高速完全二足歩行や高汎用性マニピュレータにより高い汎用性が実現でき、今でも尚人間がやらざるを得ない複雑な作業を任せることができます。そして、一番のセールスポイントは、世界初の完全思考型制御ということです。与えられた命令を実行するだけではなく、自分で『考えて』行動する、それにより扱う側の労力の削減も計れます。…では、内部システムについて、綾波開発主任から説明をしていただきましょう。」
 青葉がすっと横にずれて、ユイに場所をゆずる。
 ユイは、コンソールを操作して、「エヴァ」の内部構造概略のワイヤフレーム図を表示させた。




 「『エヴァ』は、完全ヒューマノイドタイプとして開発するため、設計初期段階からかなり人体を模して設計されています。基本的には、人体同様に、骨格…内部フレームと呼称…があり、それをさらに皮膚…こちらは外部フレームと呼称…が保護・固定する形で覆っています。これにより、片方のフレームが破損しても維持が可能となっています。」
 腕の部分が一部拡大される。
 そこには、色づけされたモーターやらシリンダーやらが表示されていた。

 「次に、各部の動力です。電位伸縮性繊維を用いた人工筋肉と、小型超伝導モータを利用したアクチュエータを併用し、人間以上の瞬発性を備えた、超高速・超高精度の全体制御、そして高いパワーを実現しています。」
 図では、シリンダーが「人工筋肉」にあたる。中には電圧をかけることによって高精度に伸縮する特殊な繊維を束ねたものがはいっている。
 多数の駆動系システムを組み合わせることで、人体にできる動きはほぼ実現可能だ。

 「マニピュレータは、人間と同じく5指を備え、動きも殆ど人間と変わりません。そのため人間の使える道具ならば殆どが使用可能です。」
 ユイがコンソールを操作すると、画面にはビデオの記録映像が映し出された。
 手の部分が、いろいろな動きを行っている。
 指を順次閉じたり開いたりするほか、卵つかみなどよくマニピュレータのデモンストレーションに使われるシーンが流れた。

 「脚部は、自律行動を可能にするため、人間の足と殆ど同じ形状をしています。これにより多脚式ロボットよりも狭い範囲内で行動することができるようになっています。これは屋内使用などに対しての汎用性を発揮します。」
 再びビデオ映像。
 今度は、腰から下の部分が、歩いている。歩き方も、人間そのものだ。
 と思うと、膝の屈伸をして見せたりしている。

 「周囲状況は頭部正面のメインカメラアイの他各部に赤外線センサや超音波センサ、静電容量式傾斜角センサ、電磁波センサなどを配備しており、完璧な状況把握を可能とします。」
 動画は終わり、また全体構造が表示された。
 センサーの位置が図上でしめされる。
 その数は、軽く数千。

 「そのほか、全身にフィルム式の感圧センサ、さらに温度センサなどを施し、対物処理も完璧です。」
 このセンサが、人間で言えば「皮膚」にあたる。
 僅かな圧力などにも敏感に反応することができる感圧センサは、感度によっては空気の動きすらも感知可能だ。温度センサと連携させることによって、さらに高いレベルの処理ができる。




 説明も、そろそろ終わりだ。
 今度は、頭部のある部分が点滅する。
 その形は、シンジ達にとって見慣れたものだった。

 「さて、最後にこれら全ての同時制御を可能とする超高速・超高性能コンピュータについてです。『エヴァ』では、Bシステム…コードネーム『セフィロト』と呼ばれる生体コンピュータシステムによって、推測行動や自律行動が可能となります。先天的学習による行動だけではなく、後天的学習を自動的に行い、後の行動にフィードバックすることも可能です。」
 Bシステムは、培養した脳細胞にニューラルネットワークを組ませ、人間とほぼ同レベルの思考能力を与えることができると予想されている。
 「先天的学習」という用語は生物学にもあるが、その名の通り「本能」である。
 これはシステム構築時に外部からの刺激で「強制的に学習」させることによって、基本命令を書き込んでおくことに相当する。これが技術だ。
 しかしそれでは不足なので、補助として特定パターンをいくつか記憶させたコンピュータチップを併用することもできる。「カスパー」と呼ばれるそのチップは、工業的に量産可能のため、「エヴァ」の汎用性を高めるのに役立っている。

 対して、「後天的学習」とは、行動を行い、その結果から自己を書き換える形でよりよいシステム構築を自動的に行っていくという、いわば「自己進化する人工知能」とでも言ったらいいだろうか。
 しかし、そうすると「人間にとって危険な」学習をしてしまう危険性がある。そこでここにも補助コンピュータチップが用いられる予定だ。
 そのチップは「バルタザール」と呼ばれ、一種のフィルタである。

 これらの有機・無機の回路の結合により、今までにない高速情報処理と大容量記憶、そして的確な判断を実現させることができるのだ。




 「…以上が、現時点での『エヴァ』の仕様です。」
 ユイが一礼して席に戻ると、再び青葉がコンソール前に立った。
 咳払いをして、青葉は再び話し始めた。

 「『プロジェクト・エヴァ』は、人間により親しみやすいロボット…隣人となってくれるようなロボットを目指して発足しました。それによって、より生活は豊かになっていくことでしょう。初めの人間アダムの初めてのパートナーであった『エヴァ』から名をとったことも、その願いを考えてのことです。新しくプロジェクトに加わった方々も、以前から携わっている方々も、このことを忘れないで頂きたいと思います。」
 青葉も礼をして席に戻った。
 プロジェクタの電源が切れ、再び部屋の明かりが灯る。
 そして、スクリーンがせり上がっていく。

 「さて…では、プロジェクトの今後の予定について、聞かせてもらおうか」
 「はい。それでは、手元のスクリーンをご覧下さい…」
 ようやく本題に入ったとばかりに聞いてくるゲンドウに、ユイが答えた。
 小さな液晶スクリーンが、各人の席についている。そこに、スケジュールが簡単に表示された。

 「骨格フレーム部や駆動系などのシステムはほぼ予定通りです。部品調達も済み、組立に入るのみとなっています。センサー部は、システムの小型化に少々遅れ気味ですが、コンピュータを使ったテストでは、期待値を出しております。」
 「Bシステムとやらはどうなっている?」
 「先日の組織崩壊で、メインシステムの完成が大幅に遅れる予定です。しかし、アメリカから技術提供を受けられましたので、一ヶ月程度の遅れで済むと思われます」
 「予測だけでは困るのだがな。営業部の方からも、広報部の方からも、発表時期について問い合わせが来ている。第一、これはビジネスなのだ。君たちの遊びではないのだぞ。ビジネスのモットーとして、第一は誠実であることだ。」
 「しかし、未来の予測は完全には立てられません。予測不可能な事態も起こり得ると思います。」
 「それは当然だ。…だが、あまりに遅れるようであれば、他の制御系をも考慮する必要があるようだな」
 「Bシステムに匹敵するものは事実上存在しません。現在の状態が最善です」
 「補助システムに頼れば、多少はカバーできるだろう?」
 「既存の生体脳を使うと言うことですか? 人間は倫理上問題がありますし、他動物のものは演算能力や記憶容量の点で大きく不足していますから、代替は不可能です。」
 「いいか、先程も言ったがこれはビジネスなのだ。話に寄れば、ドイツの方でも同様のプロジェクトが発足したと言う。一度チャンスを逃せば、二度とチャンスは訪れんぞ。そのためには、早く完成させることだな。」

 やけにこだわるゲンドウに対し、シンジは不満を隠しきれなくなってきた。
 そしてついに、発言の切れ目に、すっと割り込んだ。

 「…お言葉ですが、副社長。なぜそれほど発表時期にこだわるのですか? 『人に近いところで働くロボット』というコンセプト上、システムの安全性に問題が出ることは避けなければならないと思いますが?」
 「それは、後のバージョンアップで解決できるのではないかね?」
 「頻繁にバージョンアップを繰り返せば、逆に信用を落とすことにもなります。最初の段階で、安全性や安定性には慎重にも慎重を期する必要があるのではありませんか?」
 その言葉を聞いたゲンドウは、多少語気を荒げて言った。

 「ならば、いつまでも研究だけ繰り返し続けているがいい。そんなことでは、いつまで経ってもプロジェクトは完成せんぞ。ある程度の所で追求を打ち切ることもビジネスには必要なのだ。ビジネス、その土台無くしては、プロジェクトは存在し得ないのだぞ」
 「ま、まあその辺でよろしいでしょう」
 まずい状況になってきたと思い、慌てて青葉が割り込んだ。

 「一月の遅れも、現在ではただの予定ですから、まだ早まる可能性もあるわけですし。まだ起こってもいないことを心配して議論するのは捕らぬ狸の何とやらというもので、時間の無駄に過ぎません。部下の監督指導は私の役目ですので、別途下部会議を開いて徹底させておくことにしましょう。結果は、スケジュールの上方修正という形でお届けできると思います。」
 「ふん…期待したいところだな」
 「失望はさせないよう、現在にも増して努力します。…さて、予定は終了しましたのでこれにて今回の会議は終了と言うことにしようと思います。何か質議のある方はいらっしゃいますか?」
 青葉が全体を見渡す。
…手を挙げているものはいない。ほっと心の中でため息をついて、青葉は続けた。

 「…いらっしゃらないようなので、それでは今会議は終会としましょう。」
 ガタガタと椅子の音がして、三々五々人が外に出ていく。
 プロジェクトメンバー全員が、ふうと大きな息を一つ吐いた。




 「碇君…」
 ユイが小声で話しかけた。

 「あまり副社長にたてつかない方がいいわよ。あの人、自分の意向に添わない人はどんどん首切りするタイプだから。あなたがいなくなったら、本当にプロジェクトの進行に支障が出るわ。」
 「いや、そんなことは…」
 「あるわよ。あなたがいなくなったら、誰がBシステムの開発を進めるのよ。いい? 表面上だけは大人しく従っておいた方がいいわよ。後になってからじゃ遅いもの。」
 「…わかりました。気を付けます」
 シンジがぺこりと頭を下げた。
 内心、馬鹿正直な発言を恥じていたらしい。

 「さ、そうと決まったら、みんなで食事にでもいくか!」
 青葉が、全員を元気づけるように言った。
 この辺の明るさが、部下の信頼を集める理由なのかも知れない。

 「…おや?」
 机の上に黒光りする物体を見つけたシンジは、何気無く取り上げた。
 それは、今の時代には古風となった、万年筆だった。

 「万年筆か。こりゃまたアナクロなもんだ…」
 「副社長の席ですね。…届けておきましょう」
 「ああ、じゃあ俺が…」
 「いえ、僕が行って来ます。少しは媚び売ってきますよ。」
 万年筆を受け取ろうとした青葉を遮って、シンジが言った。

 「…なんか心配ね」
 「ちょっとは信じて下さいよ…」
 ユイの言葉に、シンジが苦笑を浮かべた。

 「じゃあ、みなさん先に行っててください。僕はこれ届けてから後を追いますから」
 「ああ。じゃあ、いつもの店な。迷うんじゃ無いぞ」
 「はい、分かってます」
 シンジは、エレベータ前でプロジェクトメンバーと別れた。
 他の人が見えなくなると、その顔から笑顔が消える。
 汗ばむ右手を握ったり開いたりしながら、しきりに何事か呟いていた。




 地上50階に、副社長の部屋はある。
 重厚な木のドアの前に立ち、シンジは呼吸を整えていた。

 「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…」
 どうやら、彼の癖らしい。
 その言葉に合わせ、右手をぎゅっと握りしめる。

 ピン、ポーン…

 秘書に渡そうかとも思ったが、あいにく脇の秘書の机は空だった。今ごろは、どこかで食事をしているのだろう。
 シンジは、呼び鈴を鳴らしてみた。
…だが返事はない。

 「留守かな?」
 もう一度ならしても返事がないことを確認すると、シンジは周囲を確認してドアのノブに手をかけた。
 あっさりとそれは開き、シンジを中に迎え入れた。

 ギイィィィ…

 「おじゃま、します…」
 抜き足差し足で机に近づくシンジ。
 まるで泥棒だが、仕方がない。後ろめたさからか、本当の泥棒のように行動してしまっている。

 万年筆を置こうとしたシンジは、机の上に置いてある書類に目を止めた。
 「NE−001−Mタイプ・ヒューマノイドロボット 受注書 (草稿)」…表紙にはそう書いてある。
 シンジは、一目見て、今開発中の「エヴァ」に関する書類だと分かった。NE−001というのは、「エヴァ」の正式タイプのコードだからだ。
 ちなみに、現在は開発中なので、「NE−X001α」という。

 「M?」
 見慣れない略号に、シンジは眉を顰めた。何の略号かは分からない。
 しかし、慣用上、ここにはオプションなどを表すものが入るはずだ。




 何だろうと思案し始めたその時、後ろから厳しい声がかかった。

 「そこで何をしている!」
 慌てて振り返り、シンジはぎょっとした。
 副社長の隣りに、NSSの制服を着た男が立っていたからだ。どこか、「人殺し」を連想させる面構えである。
 ついでに、パラライザの銃口をシンジに向けていた。

 「あ、す、すみません! ふ、副社長が、会議室に万年筆をお忘れになったので、届けに上がったのですが…」
 両手を上げながら、ポケットから万年筆を取り出す。

 「あいにく、秘書の方も留守だったようで、仕方なく…」
 「もういい。黙れ」
 ゲンドウは言うと、つかつかと歩み寄って万年筆を受け取った。

 「ふむ…」
 「彼の言い分は正しいですか?」
 しばらくそれをしげしげと眺めた後、ポケットにしまう。
 黙って、ゲンドウは銃口を下げさせた。

 「親切も良いが、お節介は止めた方がいい。これからは、秘書を見つけて渡すようにしたまえ」
 「は、はい…で、では失礼します…」
 ぎくしゃくとした動きでゲンドウにぞんざいに礼をすると、シンジは逃げるように部屋を後にした。

 シンジが去った後の部屋。
 ゲンドウが机の上の書類に手を置いた。

 「見られたか…まあいい。これだけで何か分かるものでもあるまい」
 「しかし、『雑草』は『掃除』した方がよろしいのでは?」
 「焦るな。行動にも時期がある。今はまだ泳がせておこう。…それより、『彼女』の来日が決まった。詳しくは追って連絡するが、憶えておきたまえ。」
 「はっ。」

 ゲンドウは、椅子に腰掛けると、そう言って不気味な笑みを浮かべた。




 「じゃあ、お先に失礼します。」
 「また明日。伊吹さん」
 エレベータに向かう伊吹マヤを、シンジは笑顔で見送った。
 いつの間にか時刻は8時。仕事をしていると時間を忘れてしまう、シンジの悪い癖だ。そこのところ、レイにもたびたび言われている。
 思わず、微笑が苦笑に変わった。

 辺りを改めて見回すと、もう残っているのはシンジとユイの2人だけのようだ。
 ユイが、その視線に気づいたのか、こちらにやってくる。

 「…どう? 調子は」
 「ええ、まあまあですね」
 ユイが、シンジの操作している端末のディスプレイを覗き込んだ。
 そこには、作り掛けの生体コンピュータの、反応データが表示されていた。
 同時に、シンジ達研究員などのデータも並んでいる。データ取り作業を始めた途端、我も我もと何人か集まってきてしまったのだった。おかげで、沢山サンプルは取れたが。

 「ふーん…だいぶ『本物』に近づいてきたわね」
 「ええ、誤差で0.11%程度。ハードウェアはほぼ問題ないと思います。あとはソフトウェア面ですね。『先天的学習』をどうやって書き込むか…これが一番厄介ではありますけど。」
 「そうね」
 「…ユイさんの方は? I/Fの進展はいかがです?」
 「ええ、大体。神経信号から光ファイバーへの変換実験はほぼ済んでいるし、あとは組立と接合なんだけど…こっちもこれからが山場なのよね。でも、理論上は人間の脳でも接続が可能なものに仕上がっているわ。まあ、Bシステムだって似たようなものだけど」
 事実、Bシステムの構造は人の脳そのものであり(形はちょっと異なるが)、人の脳を取り出して代わりに使っても問題はないはずだ。
 ただ、好き好んでそんな実験の実験台になる人間がいれば、の話だ。実際こういう案も考えられたことはあるが、倫理上に問題があるとしてすぐに却下された。

 「じゃあ、本当にもう少し、ですね…」
 「ええ…」
 シンジとユイは、それぞれ夢見るような、遠い目つきをした。
 ユイが、唐突に聞いた。

 「シンちゃん」
 いつの間にか、2人の時はこう呼ばれることになってしまっているらしい。
 ちょっと恥ずかしいが、仕方あるまい。

 「あなたは、『エヴァ』が完成したら、何をさせてみたい?」
 「…そうですね…特に、何も…。そこにいてくれるだけで…話し相手になってくれるだけで、いいですね。きっと」
 「え? たった、それだけ?」
 「ええ。元々、『エヴァ』は、人になじみやすいロボット、ある意味『作られた人間』を目指しているわけですから…そう、友達に、なってもらいたいですね…」
 その声には、どこか自嘲が含まれていた。

 「心を持ち…いや、少なくとも持っているかのように、人に接することができるロボット…そんなものが、僕の夢だったんです。」
 かつてのセカンドインパクトの時、結局帰国できなかったシンジは、後になって現場の状況をレイから聞くことになった。

 瓦礫に埋まった、碇家の住むマンション。運良く買い物に出かけていたレイは、災害に巻き込まれずに、擦り傷だけで済んでいた。
 帰ってみると、瓦礫の山に蠢く影。災害救助用ロボットの姿だった。与えられた命令…生きている人を見つけたら、助け出す…だけを忠実にこなすその姿は、まるで無機質だったという。
 そして、レイは見てしまった。
 飛び出している手首…瓦礫の中から必死にもがいている手首を踏みつける、ロボットの姿を。おそらくロボットの対物センサプログラムに、「人」と認識されなかったのだろうその手首は、ぐったりとして動かなくなった。
 誰も、災害救助要員の姿はなく、ただ黙々と、その場にはモーター音だけが響きわたっていた。人間がその場で指揮を執っていたならば助けられたかも知れない命。…少なくとも、明るい地上には出られたはずだ。
 レイは、ただ呆然とその光景を見ていた。悲鳴すら、上げられなかった。
 もしかすると、このことが、レイのトラウマを増幅させることになってしまったのかも知れない。

 それからというもの、「人の心を持つコンピュータ」の研究にシンジは没頭した。そうすることで、自責の念を忘れようと言わんばかりに。
…だが、そのことが、かえって家庭の崩壊を招きつつある。
 シンジは、激しく後悔していた。

 「それに僕は、いろいろと不器用ですから…。」
 「妹さんのこと?」
 「ええ…」
 「…たまには帰ってあげた方がいいわよ。私は肉親がいないから良いけど、あなたはまだ家族というものが存在するんだから」
 「そうします。…このデータ比較の作業を終わらせてから、すぐに帰ります。…あと1時間程度で終わらせます。」
 「そうするといいわ。…久しぶりに、私も早く帰ってみようかしら」
 そういって、ユイはにっこりとシンジに微笑んだ。
 その笑顔に、少しだけ心が軽くなるシンジだった。




 「…よし。あとはデータの保存をして、と…」
 シンジはふと時計に目をやった。
 20:45。まだ15分ほどある。

 「…もう、大体の組立は済んでるのかな…」
 ガラス越しに、実験室の中を覗いてみる。が、ライトが落とされた状態では、どうにも確認がとりづらい。
 わざわざライトをつけてみるのも難だし、と思い、シンジはコンピュータで他のセクションの状況を覗いてみることにした。

 ここの研究室内のコンピュータは全てLANを組んでつながっているので、互いのデータ交換は容易だ。
 一応、社内の一般ネットワークからは分離してあるため、研究の極秘データは一般社員には漏れないようになっている。

 「…うーん、どこも似たようなものか…」
 センサー、各部駆動系、フレーム…大体覗いてみたが、進歩はシンジの携わっているBシステムとさして変わらない。が、どこを見ても、ちょっと前に「仕様変更」があったと記録されている。
 部品に問題でもあったか、とシンジはチェックしてみる。その顔が、だんだんと険しくなっていった。

 「このアクチュエータも、フレーム材質も…まるで戦車みたいだな…」
 軽量のFRPであったはずのフレームは金属製となり、アクチュエータに使われるモータも当初予定より大幅にパワーの大きいものが使われている。
 耐衝撃性でも考えたのだろうか? いや、それにしては強度パラメータの差異が著しすぎる。
 第一、フレームがそのせいで重くなったからと言って、現在使われている部品の出力はそれを補ってなおあまりある。あからさまに、怪しい。

 しかし、それ以上に心配なのが、経済事情だった。
 研究開発費は無限ではない。それに、いつか「これでぎりぎりなのよね…」とユイがぼやいていたことがある。
 それが本当だとするならば、今になって設計変更とは…。

 「研究費、ホントに大丈夫なのかな?」
 まさか途中で打ち切られるなんてことないよな…と心配しながら、シンジは研究開発費のデータを覗いてみた。
 帳簿はちゃんとつけてあるのだ。

 「うん…大丈夫だよねえ。…おや?」
 部品はリストを作ってあるが、特に問題はないようだ。

…と、おかしな所の空白に気づく。
 文書の整形元ソースを覗いてみると、隠してハイパーリンクが張ってあるのを見つけた。その先は社内サーバであったので、ここからは直接にはアクセスできない。

 「…何だろ?」
 隣の端末…社内もしくは社の外との連絡用端末…に席を移動し、シンジはそのリンク先を呼び出してみた。
 パスワードがかかっているらしく、すぐには見られないようになっている。
 何か怪しいものを感じたシンジは、この先に進めてみることにした。

 「しょうがないな、ちょっといけないことだけど…」




 パスワードクラックは案外簡単に済んでしまった。
 シンジ自身あっけないほどだった。

 「これは…納品書だよね…」
 ずらりと出てきた納品書には、「グレネードランチャー」とか「手榴弾」とか物々しい表記がされていた。
 全て、納品先はNSSとなっている。

 「NSS?」
 しかし、あるところでシンジは眉を顰めた。
 「小型超伝導モータ」「D6タイプVLSIチップ」など、およそNSSとは関わりのなさそうな部品の名前がずらりと並んでいる。そしてそれは、全て最近シンジ自身が「この研究室内で」目にしたものばかりだった。

 「…研究費がかさんでNSSに回してる…なんてのは虫が良すぎるかな…?」
 聞いたところに寄ると、副社長のゲンドウは、NSSの統括もしているという。
 それだったら、こっちの費用を向こうに付けるぐらいは簡単だろうが…どうも、人間的に言ってそんなことはなさそうだ。

 「…ま、いいか。」
 どのみち、自分にはあまり関係のないことだ。NSSなどとは、間違っても関係を持ちたくもない。銃を向けられた記憶が蘇って、ぶるっとシンジは身を震わせた。
 外部接続をそそくさと終了し、元の席に戻りデータの保存が終わったことを確認して、シンジは端末の電源を切った。
 ちょうどそこにユイがやってくる。

 「どう? 予定通り、終わった?」
 「はい、ちょうど。」
 「よろしい。じゃあ、帰りましょう」
 「ええ」




−C−



 その日、レイはアスカに招かれて、一緒に遊んでいた。
 ついつい話に熱中するうちに、いつの間にか夕食までごちそうになり、時計は10時になっていた。

 「あ、もうこんな時間。帰らなきゃ…」
 「えー? 泊まってけば?」
 「ごめんね。…じゃあ、おじゃましました」
 「はいはい。またね。」
 「うん」
 慌てて外に出ると、パタパタと自宅へ急ぐ。
 アスカの家からレイの家まで、ほぼ歩いて3分。それほど遠くない距離だ。

 「…え?」
 家の前まで来て、明かりがついていることに気づいた。
 ひょっとして…

 「お兄ちゃんが、帰ってるの…?」
 少しわくわくしながら、レイは扉を開けた。
 が、玄関には、シンジが無表情に立っていた。少し怒っている証拠だ。
 レイの心は、それで冷めてしまった。

 「…レイ、今までどこにいってたんだい」
 「どこだって、いいじゃない…」
 「…まあ無理には聞かないけど、遅くなるならなるで、連絡なりなんなり残しておいてよね」
 自分のことは棚に上げて…
 レイは、ちょっとむっとした。

 「どうせお兄ちゃんなんか毎日会社に泊まってるんでしょ? 連絡なんてしたって無駄だもの。電話代がかかるだけだし」
 「僕だって、たまには早く帰ってくることはあるんだよ。…毎日、少なくとも連絡は入れてるつもりだけど」
 「毎日、ね…確かに、連絡は入ってるかもしれないけど、意味無いわ」
 「…待ちなさい」
 つんとすましたまま部屋に行こうとするレイを、シンジが呼び止めた。

 「心配したんだよ。そういう言い方はないだろう?」
 「心配? どうせ私の心配なんか二の次のくせに、良く言うわよ! 伝言だって、意味なんか無くて、形だけ取り繕ってるだけじゃないの! そのくせ都合のいいときだけ保護者面して…心配だなんて、聞いて呆れるわ!!」
 「レイ、そんなことはないんだ。僕が帰ってきたのは、レイと暮らしたいと思ったからなんだよ」
 「どうせ、2番目の目的なんでしょ? いいわよ、私は一人でも大丈夫だもの!」
 「大丈夫じゃないよ。…僕がいなかったら、レイは…」
 ひとりぼっちになっちゃうじゃないか…寂しがりやのレイが…
 そう、シンジは言いたかった。
 しかし、レイは最後まで言う機会を与えてくれなかった。

 「何よ! 私は人間なのよ! お兄ちゃんの、おもちゃじゃないんだから!!」
 「あ、待って! レイ!」
 言うだけ言って、レイは部屋に走っていってしまった。
 鍵をかけて、すぐにベッドに横になる。

 「お兄ちゃんなんか…」
 そういうレイの眼に、涙がじわりと浮かんでくる。
 ドアの外で、シンジが何か言っている。
 ひたすら謝り続けていたようだが、そのうちに諦めたのだろう、声はしなくなった。


 次の日の朝、淡い期待を抱いて階段を下りていったレイを待っていたのは、冷めたご飯の待つ、誰もいない食卓だった。

 「おいしくない…」




 早いもので、シンジが帰国して早3ヶ月。
 そのうち、家に帰ることができたのはたったの15回。それにしても、毎回レイに拒絶され、結局何もできないまま会社にやってくることになってしまっていた。

 自分の目的とは何か、だんだんと分からなくなっていく。
 帰国は、レイのためではなかったのか? 仕事だけのためでは少なくとも無かったはずだ…帰ってくるまでは。
 今は、と問われると、答えに詰まってしまう。実際、仕事だけのためにいるようなものだ。何とかレイと暮らしたいと思っても、両立が予想以上に難しいということを、シンジは痛感していた。

 そして、とある鬱陶しい雨の日。レイは、一人部屋で本を読んでいた。
 雨足はだんだんと強まり、そのうち窓の外で稲光がした。
 間断無くやってきた大きな音に、レイはキャッと身をすくめる。
 が、どうなるわけでもなく、レイはベッドに潜り込むと、雷が鳴る度に布団をかぶってがたがたと震えていた。

 そんなときに、電話の着信音が耳に入った。
 自分の部屋の端末の元へ歩み寄り、レイは通話ボタンを押す。すぐに、ディスプレイにシンジの顔が現れた。

 『ああ、レイ。』
 「…何か用?」
 『ごめん、実は今日も…』
 プチン、という音がして、画面は再びブラックアウトする。
 レイが聞きたくないとばかりに通話を一方的に切ったのだった。

 「何よ、結局帰国なんて意味無かったじゃない…」
 レイは、再びベッドに潜り込んだ。
 外で降る雨は、レイの心を表していたのかもしれない。




 『回線が切断されました』
 無機質な機械音声が、告げた。
 真っ黒になってしまった画面を見ながら、シンジはがっくりとうなだれた。

 自分のふがいなさに、怒りすら覚えてしまう。本当に、このままでいいのだろうか。そう思いながら、結局何もできていない自分に。
 ため息をついて、画面を消した。
 ユイが、心配そうに声をかける。

 「どうかしたの?」
 「いえ…大したことじゃありません。」
 「あのねえ…家庭崩壊の危機なんでしょう?」
 「ええ、まあ…」
 「それだけで、十分大したことよ。」
 「はい…」
 「ねえ、あまり他人の家庭の事情に口を出すのが良いことだとは思わないけど…このままじゃ本当にまずいわよ。」
 「分かってます。分かってるんです…。ですが…」
 「いますぐにとは言わないけど、本当に一度よく話し合った方がいいわ。」
 「ええ。…けど、いつもうちに帰ると…ダメなんですよね…ついつい、保護者面してしまって…」
 「だったら、いい喫茶店を知ってるの。場所を変えれば、気分も変わるでしょう。好きな女の子をくどくつもりで誘ってみなさい。」
 「はい。いろいろと、済みません…」
 「いいのよ。大事なプロジェクトメンバーの一人だもの。そのくらい当然よ。…じゃあ明日、一度行ってみましょう。」
 「わかりました。」




 「えっ、喫茶店で?」
 レイは、素っ頓狂な声で聞き返した。
 日曜だからゆっくり寝ていようかと思ったところを電話の音にたたき起こされたのである。

 『うん。今日は久しぶりに早く帰れそうだから…地図を送るから、そこで7時に待ち合わせしよう』
 「でも…仕事は?」
 『レイとの時間に比べたら、全然些細なことだよ。』
 「本当に大丈夫なの?」
 こういきなり態度が変わってしまうと、逆に疑いたくもなってしまう。
 レイは、怪訝な表情で聞いた。

 『うん。会社を辞めてでも行くからね。じゃあ、7時に。』
 シンジの姿が画面から消え、地図が代わりに表示された。それをプリントアウトし、じっくりと眺めるレイ。
 通話ボタンを押すと、画面が消えた。思わず、嬉しさがこみ上げてくる。

 「お兄ちゃん…やっと、私にも構ってくれた…」
 はやる心を抑えきれず、レイは家の中で飛び跳ねるように歩き回った。
 喫茶店までは、タクシーで10分もあれば行けるだろう。あと10時間、何をして過ごそうか。

 本を読もうとしても、気が散って手に付かない。
 散歩に行っても、時間の進み方がやけに遅く感じられる。
 ゲームをしても、集中できない…。

 レイは、久しぶりの家族の会話を、心待ちにしていた。きっと、シンジの笑顔にも逢える、そう信じて。




 レイがなかなか落ちつけずに困っている頃、シンジ達は朝一番で会議を行っていた。

 「…というわけで、技術的な目処は一応立ちました。予定としては、組立も含めてこれから5ヶ月といったところです」
 ユイを筆頭としたシンジ達プロジェクトメンバーと、ゲンドウほか会社役員が、プロジェクトの予定について話し合っている。

 「完成予定は来年の4月か…」
 「はい。例の事故による組織崩壊もほぼ元通りになりましたので、当初予定通り、間に合いそうです。」
 「よろしい。では、これにて今会議を終了する」

 「ふう…」
 緊張の糸がほぐれる。シンジは一旦背もたれに寄り掛かった。

 「どう? 誘った?」
 「ええ。…喜んでました」
 「そう、よかったわね…私も応援するわ。」
 「行きましょうか…」
 ふと気づくと、もうユイとシンジ以外誰もいなくなっていた。
 慌てて荷物をまとめ、シンジはユイの後に続いた。

 「…ホント、待ち遠しいです…でも、本当に大丈夫なんですか? 仕事のほうは…」
 「ふふ、任せなさい。私にもちょっとは権限があるんだから。今日ぐらい、オフになったら仕事のことは忘れて、思う存分話し合いなさい。それが、あなたの義務よ」
 「義務…ですか…」

 チン…

 微かに身体が重くなったような感覚。
 そして扉が開いた。

 「あ…」
 研究室に帰って開口一番、シンジが口にしたのはこの言葉だった。
 しきりに紙ばさみの中の書類を眺め回している。

 「どうしたんだい? 忘れ物かな?」
 状況を見て回っていた青葉が、それに気づいて声をかける。

 「あ、はい…。多分会議室だと思いますから…取りに行って来ますね」
 「ああ、行ってらっしゃい」




 再びシンジは会議室へと向かった。
 シンジが探しているのは、Bシステムコアの、I/F接続部の設計図だった。間違えて持っていってしまったのだが、これがないとかなりまずいものがある。昨日徹夜で結線を考えた苦心の作なのだ。
 途中で落としていないことを確認しながら、会議室へとたどり着く。まだあれから5分も経っていまい。

 ギイィ…

 「誰だ!?」
 木の扉を開けると、中から思わず怒号が飛んできた。
 びくっと身体を竦ませるシンジ。そんなにどならなくてもいいじゃないか、と思い、どこかで聞いたような声の主へと視線をやる。

 「副社長?」
 「なんだ、また君かね。…何かあったのか?」
 「あ、いえ…ちょっと忘れ物を…」

 「ああ、これかしら?」
 突然聞こえた女の声にシンジがきょろきょろと見回すと、ゲンドウの向こうにもう一人、人影が見えた。
 窓の外から差し込む日光に、逆光になって見えない「彼女」の顔。手には、数枚の紙を持っているようだ。
 彼女は、シンジの方に近づいてくる。それによって、顔が明らかになった。金髪に、黒い泣きボクロ…ついでに黒い眉毛。

 「はい。」
 「彼女」はシンジに、持っていた書類を手渡す。…確かに、シンジが探していた設計図だった。

 「あ、ありがとうございます」
 ぺこり、とシンジは頭を下げた。

 「ところで…こちらはどなた?」
 「『プロジェクト・エヴァ』副主任の、碇シンジ博士だ。」
 「ああ、あなたが…噂は聞いています。私は、赤木リツコ。あなたと同じ分野だから、名前ぐらいは聞いたことがあるかしら?」
 そういって、彼女は微笑んだ。

 「しかし、ノックぐらいせんか。無礼だぞ」
 「済みませんでした。これから気を付けます…」
 怒るゲンドウにもう一度頭を下げて、シンジはそそくさとその場を後にした。




 「彼が…『脳細胞補完法』と『LCL理論』の基礎理論を提唱した碇博士ですか…。私がドイツ、彼がアメリカで、日本の綾波博士とともに生体コンピュータの三賢者…MAGI、と呼ばれた頃もありますわ。今となっては昔の話ですが」
 冷笑を浮かべ、リツコは言った。その顔に、先程までの優しさはない。

 「しかし、彼は何かを探っているとか?」
 「そうだ。一度、システムに侵入された形跡があった。無論それだけではやや裏付けが弱いがな…。」
 「今度はもう少しプロテクトを強固にしておくことですわね。…私もちょっと試してみましたが、本当に簡単にクラックできてしまいますから。…『掃除』の頃合なのではないでしょうか?」
 「うむ…。しかし、Bシステムの完成までは必要な人材だ。彼が無くては、計画にかなりの遅れが出ることは否めない。」
 「あら、そのために私が呼ばれたのでしょう? マテリアル・Gの研究者として」
 マテリアル・GEHIRN…それは、人工脳ではなく、生体脳をコンピュータとして使う…そういうものであった。当然ながら、発表されると同時に世界中から倫理的問題で反発が押し寄せたのは言うまでもない。
 そのため、驚いたドイツ生体工学界は、リツコを学会から追放したのだった。

 「マテリアル・Gならば、Bシステムに必要な『先天的学習』が必要ありません。既に生体内で演算装置として確立しているものですから、技術的な面でも開発期間が少なくて済みます。」
 「ということは、碇は『要らない』ということだな?」
 「ええ。Bシステムには興味がありますが、まだ問題が多いことは周知の事実です。マテリアル・Gを用いた結果により、Bシステムの改良をも進めることができます。」
 「ふ…なるほどな。」

 ゲンドウは、おもむろに携帯電話を取り出すと、短縮ダイヤルを押した。

 「…雑草の掃除を頼む」
 『了解』
 電話の向こうから聞こえてきたのは、この上なく邪悪な…しかしどこか楽しげな声だった。




 時計が、午後6時30分をさす。
 同時に、シンジの使っている端末から、アラーム時刻を示す音が流れ始めた。

 「時間だ…主任!」
 「あ、時間ね。いいわよ、帰って」
 「じゃあ、お先に失礼します…」
 「はい。たっぷり話をしてあげなさいね」
 端末の電源を落として意気揚々と研究室を出ていくシンジの後ろ姿を、ユイは笑顔で見送っていた。

 (この分なら、きっと大丈夫ね…)
 自分には味わえない「家族」というもの。ユイは、少し羨ましいと思った。
 きっと、この機会は、シンジにとっても、彼の妹レイにとっても、有意義なものとなるだろう、そうユイは信じて疑わなかった。

 「さて、と…」
 「お帰りですか?」
 正面玄関を出たところで、シンジはある人物の声を聞いた。
 先日シンジに銃を向けたNSSの男だった。胸元の名札を確認すると、霧山と書いてある。

 「え? ああ、はい」
 「では、タクシーをお呼びしましょう」
 霧山が携帯電話を取り出し、ボタンを押す。しばらくして、無人タクシーがシンジ達の前についた。
 霧山は、ドアガラスに浮かび上がったキーパネルの、「乗車」ボタンを押した。ドアが開く。

 「どうぞ」
 「ありがとうございます。では…」
 シンジは乗り込むと、レイが待っている喫茶店の住所を入力した。
 ゆっくりと、車が走り出す。あとは、自動で連れていってくれるはずだ。およそ20分の道のり。十分、待ち合わせ時刻には間に合う。
 シンジは、シートに背を預けた。息を吐き、これからのことに思いを馳せる。

 「レイ…待っててね…」




 タクシーは、直進するはずの道を突然右に逸れた。
 近道でもする気なのだろうか? それともこの先に渋滞があるというので避ける為なのだろうか?
 どちらにせよ、このままでは無人街の方へいってしまう。シンジは、慌てて行き先表示を確認した。

 「…大丈夫だよね」
 表示が正しいことを確認すると、シンジは再び背もたれに寄り掛かった。
 帰国してから今まで、レイに対して結局何もできなかったこと…何と言って詫びたらよいのか…そんなことばかりを考えていた。しかし、それはイヤな感じではない。
 寧ろ、自分を客観的に見つめられたというすがすがしい気分になっていた。そう、この時までは…。

 やがて、廃虚連なる無人街…かつてのセカンドインパクトで廃虚となったまままだ再建されていない場所…の中心部へとたどり着いたタクシーは、ゆっくり停車した。

 『ご利用ありがとうございました』
 機械音声が言い、扉が開く。
 おかしいな、とは思ったが、これ以上動く気配もないので、シンジはタクシーを降りて外に出た。

 「!?」
 あちこちを見回すシンジを、急に強烈な光が襲う。
 何かと思って目を細めると、光の中に浮かび上がる人影が見えた。
 すっ、と手を挙げてこちらに向ける。

 何かを感じて、シンジは再びタクシーの中に逃げ込んだ。同時に、開いたままの扉のガラスに、穴が空く。
 間違いなく、自分は銃撃されたのだ。

 急いで、後部座席に取り付けられたコンソールに指を走らせる。
 が、焦っているためになかなか入力が上手く行かない。
 そこへ、銃口が覗く。シンジは、銃を構えている男の顔を見た。

 (…霧山!)
 もう一方のドアを開け、逃げ出すシンジ。
 しかし、その身体を、熱い衝撃が突き抜けた。

 「…っ!!」
 たまらず、シンジは地面に倒れ伏す。
 左胸に手をやると、どくどくと血が流れているのが分かった。
 噴き出した血が池を作り、シンジの服を赤く染める。

 「レ…イ……」
 最期に妹の名前を呼ぶシンジ。しかし、伸ばした手は力を失って…地面に、落ちた。


 そこへ、ちらりほらりと白いものが見え始める。少し早い、冬の到来だった。












To be Continued...

version 1.00 1998+09/02公開
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Tossy-2
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  あとがき

 えーと、ひとまず、100万ヒットおめでとうございます。>大家さん
 僕のホームページもめでたく10000を頂きました。訪問者の方に、ありがとうの言葉をプレゼントします。
 で、この度めぞんの100万記念(+自分のページの10000記念…いいじゃないですか、一緒にやったって…あうあう^^;)と言うことで、6〜7話完結程度の割と短い?シリーズをお届けします。
(「EPSとASASはどうした?」「う…」)

 分かった方がいらっしゃるかも知れませんが、原作は、電撃文庫刊の小説「プロジェクト・リムーバー」です。作者の篠崎砂美氏は、なーんとあの「マッチメーカー」(知ってますか?)の作者だったりするんですねえ。
 ある日、本屋でなんとなく見つけて何とはなしに買ってきたんですが、これまた僕のツボにぴったりで。
 それで、「こりゃぁもぉ、配役をEVAにして書かねば」って勝手に決めちゃって書いてます(爆)。
 一応2話か3話ぐらいまでで小説の第1巻が終わる予定です。大体原作の「流れ」には沿っていく予定ですが、状況設定などは話が進むに連れて徐々に原作から離していくつもりですので、お楽しみ頂けるかと。
 でもまあ、少なくとも2話当たりまでは導入部ですので、だいたい流れは同じになると思います。
 路線は、LRS+LAKかな? シリアス・コメディ両方アリのつもりです。

 ちなみに今現在は、「あ〜、エヴァの姿どーしよ〜」って感じで考えあぐねてます。初号機(マンネリですが…)にするか、はたまたムーバーまんま(いわゆるコテコテのロボットですな)にするか。後者の方が戦闘は書きやすいですから、ちょっとこっちに傾いてたり(^^;。
 それから、固有名詞とかなんですけど…できるだけ変えるようにはしてるんですが、相応しいものが思いつかないのがあったりしてなかなか大変。フェード・エパダーミス(fade epidermis …色褪せる表皮?)なんか良い例ですね。でも、頑張ります(^^; 。
 あと、このお話、IRCチャットに出てらっしゃる方々から、一部名前を借りたりしています。ここまでで一人登場してますが、誰だか判りますか? :)


 さてさて、この後どうなるか。とりあえず、乞うご期待!(他の連載もね〜)





 Tossy-2さんの『Project: "EVANGELION"』PROGRAM: 01、公開です。



 めぞん100万記念作をありがとうございました(^^)


 連載ってのがすごいです〜





 全く知らない話なのですが
 EVAの名前のキャラがでているので親しみをもてるかな?

 でも
 人間関係とか、性格とかからして
 かなり違っているので逆に混乱しそう・・(^^;




 粋なり大大ピンチの碇博士。

   どうなっちゃうんだろう・・心配・・・



 ドキドキの展開です・





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