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 「他にも仲間がいる」と聞いた日から。
 いつか、会える。
 そう信じていた。

 だが。
 それがいつになるのか。
 僕は、知る由もなかった。

…少なくとも、「彼ら」とは、「あそこ」では会わなかった。
 では、いつになったら出会えるのだろう?

 ほのかな願いを抱きつつ、今まで過ごしたあの日々を。
 今は捨てて、新しい生活へと。

 しかし、どうしても「願い」だけは捨てられなかった。
 「好奇心」。それもある。
 だが、一番大きいのは。
 「孤独がイヤ」だった。

 いつか、友達に会える。
 自分と同じ、友達に。

 「彼ら」…。
 自分と同じ存在であるはずの、「彼ら」と…。













Angels' Song
Angels Sing

〜天使の歌を、天使が歌う〜


第2話


会い




いつもの、朝


 「ん…」

 碇シンジの朝は早い。
 たいてい、東の空が白み始める頃に起き出す。
 そして、ただ何をするでもなくぼーっとしているのだった。

 今日も、普段通りの一日になるのだろう。

 この家に来てから、早2週間。
 近所の人達とも、だんだんと打ち解けてきた。
 だが、人付き合いが苦手なところは相変わらずだった。

 枕元に置かれた小さな目覚まし時計は、「4:30」と表示している。
 いくら家族全員仕事があるとはいえ、この時間に起きている者はまだいない。
 最も早起きのユイでさえ5時過ぎだ。

 それでもシンジは、全く眠たそうな顔はしていない。
 「寝る」という行為そのものが不必要なものなのだから、当然と言えば当然だ。

 シンジは、毎日のようにベッドを整理すると、居間に出た。



 最近、毎日の日課となっていること。
 それは、起きてからベランダに出て、朝の空気に身をゆだねること。

 「・・・」
 無言でたたずむシンジ。
 誰もいない、何もない、大都会の朝。
 もうしばらくすれば、活気に溢れる場所となるここでも、今は静かだった。
 視線を上に向ければ青空が広がっている。

 時折聞こえる自動車のエンジン音の他には、蝉の声以外聞こえない。
 が、なぜか落ちつく状況であった。
 涼しい朝の空気が、心を落ちつかせてくれるのだろうか。

 ともあれ、シンジはそれを胸一杯に吸い込んだ。
 目の前のビルがだんだんと陽の光に照らされていくのを見ながら。

 すがすがしい朝。
 いつもの、朝だった。

 改めて、この街に来たことを実感する。
 過去を捨てて来たことを。

 そして、そこに暮らす「人間」達。
 異質な自分の存在を隠しているとは言え、笑ってつきあってくれるヒト達がいる。
 それが、「嬉しい」という感情を運んできてくれた。



 「あら、今日も早いわね」
 ベランダにいるシンジを見て、起き出してきたユイは声を掛けた。

 「あ…おはようございます」
 シンジも振り返って返事をする。

 ユイは、既に着替えて来ていた。
 そのままエプロンを付け、キッチンに向かう。
 シンジも部屋に入り、ユイの手伝いを始めた。
 すぐに、いい匂いが辺りに広がる。

 「…さて、今日のご飯は何にしようかな…」
 ユイは楽しそうに冷蔵庫の中身を見ている。

 「おはようございます…」
 「・・・」
 しばらくして、それにつられてゲンドウとアスカが起きてきた。
 どうやら2人とも低血圧らしく、テンションが低いこと甚だしい。

 「2人とも、顔洗ってきたら?」
 慣れれば声の調子だけでどんな顔をしているか分かるものだ。
 ユイは、振り向かずにそう言った。

 「うむ…」
 「はい…」



 いつもの朝食が済み、シンジとアスカは学校へ、ゲンドウとユイも出勤の時間。
 誰も居ない家に、一斉に「いってきます」を合唱した後、2人ずつそれぞれの方向に別れた。

 ユイとゲンドウは近くの駅からモノレールに乗って地下都市に降りる。
 ここ第三新東京市の地下には「ジオフロント」と呼ばれる街があり、研究都市としての役割を果たしているのだ。
 また、それだけでなく、ジオフロントにはショッピングモールなどもあり、こと休日にはかなりのにぎわいを見せている。

 さて、一方アスカとシンジはといえば。
 学校へは歩いて15分ばかり。
 十分始業には間に合う時刻だ。

 真新しい鞄を持って、シンジはアスカの後をついていく。
 一応、会話は成り立っている。
…といっても、アスカが一方的に喋ってシンジはただ「うん」「そう」など相槌を入れるだけなのだが。

 「よ、碇」
 突然、後ろから声を掛けられた。
 シンジは振り返り、相手を確認する。
 眼鏡を掛けた、そばかすの少年…「相田ケンスケ」だ。

 「お、おはよう。ケンスケ…君」
 「またぁ。君はいらないっていったろ?」
 「あ、ご、ごめん…」
 「もういいからさ。一緒に行こうぜ」
 ここの所毎日、同じ会話が繰り返されている。

 もう一ヶ所でも…

 「お、センセやないか」
 「よ、トウジ。今日は早いじゃないか。」
 こちらはケンスケ。

 「おはよう…」
 「なんや辛気くさい声してからに。もうちっと、ぱーっと明るくせんと。やっていけへんで」
 「う、うん…」

 その頃アスカは。

 「それでね…」
 「えーっ!?」
 トウジと一緒の所で合流したヒカリと談笑していた。



 コン、コン。

 扉がノックされた。

 「入れ」
 部屋の主は、椅子に座ったままドアの方を見向きもせずに一言告げる。
 同時にドアが開く。
 そして、彼…部屋の主…の秘書が入ってきた。

 「失礼します、所長。」
 「何だ」
 「はい。日本支部より連絡がありました。A計画サンプル#01の件ですが、国内で発見した模様です」
 「そうか。すぐに捕獲せよ。…『ANGEL』を投入しても構わん。もしくは、捕獲ができなければ抹消だ。」
 「はっ」

 敬礼をすると、秘書は出ていった。
 終始同じ姿勢を崩さなかった「所長」は、ふっと軽い溜息をついた。
 その表情は、バイザーで隠れて見えない。

 「…いずれにせよ、サンプルは回収せねばならん。だが…他の『ANGEL』で太刀打ちできるか…」



 起立! 礼! 着席!
 いつものように号令が響きわたり、椅子から立ち上がる音、静寂、椅子に座る音がクラスの人数分聞こえた。

 「みんな、揃ってるかー!?」
 2年A組の教室では、ミサトのとびっきり元気の良い声が聞こえる。

 「今日はいつも通り。特に予定はナシよ。…はい、これで朝会終わりね。」
 至って簡単な連絡。
 尤も、連絡すべき内容などないことが普通である。

 起立! 礼! 着席!

 さ、今日も一日頑張って行くわよ!
 「おーっ!!」
 そして、2年A組の朝会は、ミサトと生徒の元気合戦で幕を閉じた。
 いつものように。

 それから、生徒は話を始め、教師は教室を出ていく。
 いくつかのグループが瞬時にして創られ、共通の話題がこれまた数秒と経たずに出てくるのだった。
 話は、チャイムが鳴って、教科担任の教師が入ってくるまで続く。



 2週間の間にシンジにも友達は出来た。
 朝一緒になったトウジとケンスケだった。

 「せやけどセンセも大変やな。…『あの』惣流と同居しとるとは。同情するで、ホンマに」
 「そうそう。」
 「そんなに…アスカってすごかったの? 家じゃそれほどでもないんだけど…」
 「それがまた信じられんのや。今は平和なカオして話しとるがな、そのうち出るで。本性が。良く見とるとええわ」
 「ふうん…」

 テンポにひきずられる、とでもいうのだろうか。
 話が苦手なシンジも、この2人との会話では饒舌になった。
 まあ、ほんのちょっぴり、という程度ではあるが。

 「人はみかけによらない、ってね」
 「? そう言うものなの?」
 「そや。惣流がテンケーテキな例やがな」
 「ま、俺は写真さえ売れれば別にいいけどね」
 「ま、それもそやな」

 会話から想像がつくかも知れないが、ケンスケとトウジは校内の女子の写真を撮っては売りさばいて小遣い稼ぎをしていた。
 アスカは、(性格は別として)容姿はなかなかのため、注文が殺到しているらしい。

 「・・・」
 やはり、シンジはまだちょっと会話の内容についていけないところがあるようだ。



 「フン、平和なものだね」

 向かいの校舎。
 屋上に、一人の少年が立っていた。
 こざっぱりとした黒髪、そして頼りなさそうには見えるがどこか鋭い眼光を持つ青みがかった瞳。
 彼は、手すりに寄り掛かって、双眼鏡を覗いていた。

 「まあ、命令は遂行するまでだ。」

 また、呟く。

 彼は、今まで覗いていた双眼鏡を地面に置くと、傍らに置いたバッグからボールを取り出した。
 硬式野球のボールだ。
 手に、ずっしりとした感触。
 当たったら、相当痛いことだろう。

 「…とりあえず、お手並み拝見といくか」

 そして。
 彼は、そのボールをある窓にめがけて力一杯投げた。

 向かいの校舎、2階の端の教室、その前から2番目の窓を狙って。
 その先には。
 碇シンジの側頭部。



 ガシャーン!

 ガラスの割れる音が、校舎内に響いた。
 とっさに身を伏せる窓際の女子。
 そして、何事かと振り返るシンジ。
 ボールは正確にシンジを狙って飛んできた。
 シンジは、手を顔の前にかざし、ぶつかることを避けようとする。
 だが、ボールのコースはシンジに向かって一直線。
 誰が見てもぶつかることは必至である。

 はずだった。

 カン!

 甲高い音が響き、ボールは跳ね返った。
 シンジもどうやら無事のようだ。

 ぽとり。
 ボールが床に落ちる。

 「・・・」
 シンジはそれを拾い上げた。

 何があった!?
 血相を変えて飛び込んできたのは、C組担任・加持リョウジ。
 その頃、ようやく女子も何があったのか把握し始めたのだった。



 「原因不明、ね…」

 あの後、調べもしたが結局なぜ飛んできたのか、その原因は分からずじまい。
 心配されていたシンジの方も、特に外傷も内出血もしていないし、平然としているので問題はなかろうと言うことになった。

 「…でも、何だって野球のボールなんかが…」
 ケンスケが、怪訝な顔をする。
 彼の中では、「原因不明」は徹底的に追及するもの、というポリシーが根底に存在するのだ。

 「なんや、まだ考えておるんか。」
 そう言ったのはトウジだった。
 今はもう放課後。
 事件があったのは、今日の朝。
 ケンスケは、ずっと考え込んでいる。
 昼食もパンを2、3口かじったばかりで。

 「だって、アレは明らかに碇を狙ったものだったぞ」
 「せやけど、センセはこのとおりピンピンしとるやないか。考えすぎやないか?」
 「だけど、あのボールは確かに何かに当たって跳ね返った。…それは、トウジも見ただろ?」
 「まあな」
 「碇じゃないとすると、何に当たったんだよ?」
 「何や?」
 「俺が聞きたいよ。…な、碇?」
 「え?…そ、そうだね。」
 上の空だったような返事を返すシンジ。
 ケンスケも、考え込んでいたのでその違和感には気づかなかった。

 シンジは知っていた。
 ケンスケの疑問の答えを。
 答えは、「A.T.フィールド」…一部の研究者達の間でそう呼ばれる、位相空間の壁である。
 しかし、その存在は科学の進歩した今でも謎に包まれていた。

 なぜ、シンジがそんなものの存在を知っているのか。

 答は至って簡単。

 あの時のATフィールドは、他でもない、シンジが創り出したのだから。



 「ふ、思った通りか。」

 屋上で風に吹かれながら、不敵に微笑むのは「彼」。
 バッグを肩に掛け、髪をなびかせながら口の端をつりあげた。

 視線の先には、割れたガラスを見て右往左往する生徒たち。
 彼らの上げる声は、「彼」のところまでとどいてきた。

 「…さて。気づかれない内に退散するか」

 一言呟くと、「彼」は目を軽く閉じる。

 瞬間。
 空気が揺らいだ。

 そして、「彼」は。
 もう、いなくなっていた。




ジオフロントにて


 そんな騒ぎも、ガラスが取り替えられるとすぐに記憶から消えていった。
 騒ぎがあったことすら覚えていないこともある。
 当事者のようなものでもあるシンジも、その週の週末にはほぼ忘れてしまっていた。

 「えー、では次の問題を…碇君」

 数学の授業。
 それに限らず、滞りなく時間は経過していく。

 「はい。」

 シンジは端末を操作する。
 キーボードタッチもかなり手慣れたものだ。
 実を言うと、トウジとケンスケの訓練の賜物でもある。

 余談だが、2015年現在では、半数以上の学校が個人端末による集中管理で授業を行っている。
 シンジ達の通う第三新東京市立第壱中学校も例外ではない。
 ただこの方法、管理が便利な反面、授業中チャットなどで遊ぶ生徒が増えて困るという短所もある。

 だが、初老の数学教師はあまりそう言ったことには頓着しないようだった。



 「では、説明して下さい。」
 いつもののんびりとした口調で、そう告げる。
 そして、全員の端末にシンジの答えが表示されたところで、シンジは口を開いた。

 「問題の式からY、Zを消去するために、一つの式に注目して…」

 口頭での説明と同時に、画面上でもマーカーなどで示す。
 これによって理解が高まるわけだ。

 実の所、端末を使う方法が重宝されているのはこの理由もあった。

 「…そして、YとZを式変形して残った式に代入すれば…」

 静かな教室に、シンジの声が響く。
 蝉の声をBGMにして。

 「…となります。つまり…」

 シンジの説明は続く。
 声は多少小さいが、教室の端の方でも聞こえるので問題はない。

 シンジの評価は、だんだんと改められてきた。
 転入当初は「あんまりパッとしない奴」位に思われていた。
 しかし、「人は見かけによらない」とは良く言ったもので、そう経たない内にあったテストでも全て満点で周囲の生徒を驚かせた。
 そのため最近では、ちょくちょく男子女子を問わず勉強などの相談も持ちかけられるようになっていた。
 ただ相変わらずの人付き合いの苦手さは残っていたが。



 キーン コーン カーン コーーン…

 チャイムが鳴る。
 全ての生徒が心を一つにするとき。

 「ああ、これで今日の授業も終わりだ」
 同時に、「これで今週の授業も終わりだ」とも感じる瞬間である。

 「…はい。それでは、今日はここまで。みなさん、また来週。」
 数学教師は、にこにこした顔で挨拶を済ませると出ていった。

 それから、ミサトがやってきて形だけの終会が始まる。
 それが済めば、一週間の終わりであり、休みの始まりである。

 部活のあるものはそちらに行き、ないものは三々五々帰り支度をして帰り始める。
 シンジとアスカ、トウジとケンスケは、後者のグループだった。

 「ほな、帰ろか。センセ。」
 「うん。」
 「行こうぜ」

 3人まとまって歩くその後を、アスカがついていく。
 会話に加わればいいものを…とシンジは思うのだが、どうもアスカとトウジとは仲が悪いらしい。
 なので、そのことにはあまり触れなかった。



 「…で、結局なんだったんだろう」
 ケンスケが、唐突にぼそり、と呟いた。
 正午を少し過ぎた街。

 「何がや?」
 トウジが、心ここにあらず、と言った顔で問う。

 「この間の事件だよ。」
 「この間の…ああ、あれか。何や、まだ考えとったんかいな」
 「そりゃそうさ…いくら考えても分からないんだから…」
 「無駄なことはせん方がええ。腹が減るだけやからな」
 「トウジはそうだろうけどね」
 「何や、ひっかかる言い方やな…」
 「それより…碇。ホントにお前何もおかしいところないんだな?」

 突然、シンジは話題を振られてびっくりした。
 なんとか答えを返す。

 「え? あ、うん。痛くもなかったし…」
 「それが分からないんだよな…」

 また怪訝な顔をして考え込むケンスケ。

 「気のせいや、気のせい。」

 トウジの頭にあるのは、昼御飯のことだけだった。



 「あら、シンジにアスカちゃんじゃない」
 歩いていた3人+1は、いきなりかけられた声に振り向く。
 声だけなら若い女性のもの。

 「あ、おばさま…」
 第一声はアスカだった。

 「母さん…」
 次に、シンジ。

 声を掛けたのは、ユイだった。
 トウジとケンスケは多少驚いている。
 話では40を過ぎているという事だったので、よくいる「オバサン」をイメージしていたのだが…これなら30代、いやひょっとすると20代でも通るかも知れない。

 (き、綺麗や…)
 (ほ、ホントに40代なのかよ…?)

 外出着を着たユイは、ゲンドウを連れていた。
 どうやら、昼食もかねて街にくりだしたらしい。

 ユイはゲンドウを引っ張ってシンジの方にやってくる。

 「ちょうど良かった。一緒にお昼食べて買い物しない?」
 「アタシは構わないわよ」
 「僕もいいですけど…」

 「そ、それじゃ僕達はこの辺で…」
 「あ、ちょっと。」
 帰ろうとしたケンスケとトウジを、ユイは引き留める。

 「相田君に、鈴原君ね。…いつも、シンジがお世話になってます。」
 「い、いや…こちらこそお世話になってます。」
 トウジが若干関西がかったイントネーションで言う。

 「…で、よければ一緒に、どう? 街を歩くのは、大人数の方が楽しいと思うの。」
 そういって、ユイは微笑む。
 空腹のトウジとケンスケに、断れるはずもなかった。

 「はい…ご一緒させていただきます…」

 「昼食」という甘美な響きに逆らえない2人だった。



 ジオフロント行きのモノレール。
 ユイとゲンドウは毎日見ている風景だし、シンジやアスカも何回となく連れていってもらったのでさして珍しいわけでもない。
 が、トウジとケンスケは違った。

 「これがジオフロント…」
 「メシ…」

 研究施設とショッピングモール位しかないジオフロントである。
 地上でも必要なものをそろえることは可能なので、トウジもケンスケもジオフロントにはあまり関心を持ってはいなかった。
 そのため、珍しい光景にあちこちを見回している。

 さすがに金曜の昼下がりは人が多い。
 金曜日は学校・役所などが午前で終わるからだ。
 モノレールにも、相当数の人が乗っているのだろう。
 人混みで見えないが。

 乗客は主に20代以降の人々らしい。
 あちこちで、がやがやと話し声が聞こえる。

 くぅ…

 話し声に隠れて、トウジの腹が自己主張をした。



 ジオフロント。

 実際に地面に降り立ってみると、ここが本当に地上であるかのような錯覚を覚える。
 地面はきちんとコンクリートとアスファルトで舗装され、脇には街路樹が植えられて
いる。
 そして、何より地上から日光を光ファイバーで取り入れているため、地上の明るさがそのまま伝わってくること。

 天井を見上げれば、物々しい鉄板などで覆われているが、周りを見渡す分には、自然いっぱいの街、としか見えなかった。

 「…で、今日はどこにいくんですか?」
 「いつものところだけど…他には行きたいところ、ある?」
 「いえ、特にないです…」
 「アスカちゃんは?」
 「私も。」

 ユイ一行は歩く。
 ジオフロントには数えるほどの建物しかないので、どこに行くのかはトウジでも見当がつく。
 ひときわ大きな、ピンク色の建物。
 食料品から雑貨まで、様々な品物をそろえたショッピングモールだった。



…そして、何事もなく昼食は済んで。

 「ふぅ〜…久しぶりにぎょうさん喰ったわ〜…」
 「トウジ、腹大丈夫か?」
 「はっはっはっ、あれくらいで壊れるほどヤワやないで!」
 「威張れることかよ…」
 ケンスケは呆れていた。

 「どう? おいしかった?」
 「はい。」
 「んー、もうすこし辛くてもいいかな。」

 「さて、あとはちょっと買い物があるのよね…」
 ユイはポケットからメモを取りだした。
 買い物のリストである。

 「あ、そうだ。俺もディスク補充しとかないと」
 「ワイもなんか忘れとる思っとったら、買い物せなアカンかったわ!」

 結局、その後全員で一時間ほどあたりを回った後、来たときと同様に5人で帰ることになった。



 「…で、他のでかい建物は何ですか?」
 ケンスケはビデオカメラで景色を撮っている。
 撮りながら、ユイに質問した。

 「あれは私たちが勤めている研究所よ。」
 「ああ。…そういえばジオフロントは学術都市計画の一貫でしたね。」
 「そういうこと。」

 「…な、シンジ。ホンマにお前、惣流の本性知らんのかいな?」
 「う、うん…」
 「ま、知ったら苦労すると思うで…がんばりや」
 「今でも苦労してるんだけど…」

 いくつかのまとまりになってそれぞれ会話をしながら、来た道を戻っていた。
 ふと、ケンスケは周囲の異変に気づく。

 「?」

 「どうしたの?」
 怪訝な顔をして立ち止まったケンスケに、シンジが聞いた。

 「…静かだな。」
 すぐには意味が分からない。

 「それは人が少ないからじゃ…」
 「いや、人が周りに一人もいないってことさ。…あれだけ店の中にはいたのに…変だと思わないか?」
 「そう言われると…そんな気もするな」

 「…誰かいるな。」
 ゲンドウが、ぼそりと呟いた。



 「ご明察!」
 声が聞こえた。
 感じからすると、中学生男子のようだが…。
 木の陰から、一人の少年が出てきた。

 「一応、はじめまして…かな。」
 「彼」は、微笑を浮かべていた。
 少し閉じかかっているような瞼、肌の白さ。
 が、その表情は確実にどこか冷たい。
 それが刺となって全員を射抜いていた。

 「お前、誰や?」
 「名前なんて意味がないものだけど…一応、『ユウジ』と呼んでくれないか。そういうことになっているのでね。」
 少し長めの黒髪、そして灰色の瞳。

 「私たちに、何の用だね?」
 ゲンドウが聞く。

 「…さあ、何でしょう?」
 「もったいぶらずに言えばいいじゃないか。」
 そう言いながらも、ケンスケの声は少し震えていた。

 「ふふ…じゃあ、単刀直入に言おう。…僕はね、君を連れ戻しに来たんだよ、碇シンジ君…いや…」
 ユウジの瞳に、あやしげな光が宿る。

 「『アダム』…」

 「!?」
 驚きシンジの方を向く一同。
 それを見ながら、ユウジは口の端をつり上げてニヤリと笑った。



 「…報告によると、先程『ANGEL』と『アダム』が接触した模様です。」
 「誰を投入した?」
 「『サキエル』です。」
 「そうか…。」

 キールは、机に座っている。
 秘書が前に立って事務的な口調で話をしていた。

 キールの表情はバイザーで隠れて見えない。
 サングラスを掛けた秘書も、どんな表情を浮かべているのか分からない。

 彼らの心配は、「アダムが取り戻せるかどうか」である。
 だが、とりあえず「アダム」の逃亡よりすぐに訓練を始めた「ANGEL」の投入があった以上、互角かそれ以上の分はあるはずだった。
 ただ最も不確定要素なのが、「アダム」自身のため、それはあくまでも机上の論にしか過ぎなかった。

 キールは、秘書に言った。

 暗い部屋で、口の動きもよくは見えない。

 「…逐次報告、続けてくれ。」
 「はっ。」



 「帰ってきてくれないかな。返事は? YesかNoか。」
 ユウジは、おもしろそうに聞いた。

 真っ直ぐその目を見返して、シンジは言う。

 「…イヤだ。」

 「そうか。残念だね。」
 表情を全く崩さないユウジ。
 まるで感情が存在しないかのよう。

 「なるべく手荒なことはしたくなかったんだけど…」
 目をはっきりと開く。
 何があるのか、この時点では誰にも予想すらつかなかった。

 「…致し方ないね。」
 ユウジはそう言った。
 彼のTシャツが、風に揺れた。

 お前、何者や!?
 トウジがたまらず叫ぶ。

 「おや、さっき言ったよ。僕は、佐木ユウジ。…まあ、『サキエル』と仲間内では呼ばれているけれどね。」

 そして。
 ユウジの身体は、全員が見ている前で変貌を始めた。

 「!!」
 一同は、息を呑む。

 ユウジの変貌。
 白かった肌が、黒くなる。
 身長が頭一つ分くらい高い。
 異様に細い腕、足。
 足の付け根には、エラのようなもの。
 胸の辺りには、肋骨に見える白い骨。
 それらは、胸の赤いつるんとした球体を守るように突き出ていた。
 球体の上には、白い仮面のような、顔。
 黒く落ちくぼんだ眼窩。

 全てが「死」を連想させるような、邪な気配に満ちていた。




哀しき


 サキエルは、シンジに向かっていく。
 一歩一歩。
 恐怖からか、シンジは動けない。
 足がただがくがくとした振動を繰り返すだけ。

 当たり前である。
 シンジは「研究所」でも、戦闘訓練などは行わなかったのだ。
 それに対し、誰が見てもサキエルは訓練を積んでいる。たとえ2週間という短い期間であっても、人間を超えた能力を持つ彼らにとってはなんでもない。
 初めから、勝負は見えていた。

 それでも、何とか立ち向かおうとするシンジ。
 だが、その行動をあざ笑うかのようにサキエルはシンジの前に立ち。

 そして。
 シンジの頭を掴んだ。

 そのまま、持ち上げる。

 もがくシンジの左腕を、サキエルはその三本の指でしっかりと掴んだ。



 ガシッ

 左手が掴まれた。
 そのまま、ものすごい力が掛かる。

 キ…

 骨が悲鳴を上げていた。
 痛みは、あまり感じなかった。
 それよりも、頭を掴まれる苦しみが大きかったから…。

 ボキッ

 大きな音がした。
 シンジの左腕が、サキエルに掴まれている所より先が、力無くブラブラと揺れる。

 「あああぁぁっ!!」
 シンジの悲鳴。
 それは、痛みに対してなのか。
 それとも。

 同じように、右腕も掴んで力を掛ける。
 周囲のユイ達は、ただ見守るしかなかった。
 ただ、呆然として。



 ボキン

 右腕も折れる。
 手の感覚がなくなり、だらりと垂れ下がる。

 それを確認すると、サキエルは次の段階へ攻撃を進めた。

 サキエルの肘から出ている、半透明の鋭い槍のようなものが発光を始める。
 白く光るそれは、確かに槍だった。

 シンジは頭を掴まれたまま。
 逃げようとしても手が動かない。
 足だけでは何もできない。

 そして、その光の槍は勢い良く…

 シンジの頭に…

 バシュッ!

 突き刺さった。



 そのまま槍はのび、シンジの身体を串刺しにしながら近くの木の肌に打ちつける。

 シンジ!
 ユイは、顔面蒼白になってやっとの事で声を発した。

 槍が抜かれる。
 支えをなくしたシンジの頭は、ガクン、とうなだれた。

 激しく何か液体が貫かれた穴からほとばしる。

 赤い。
 ひたすら、赤い。
 夕日より、更に赤かった。
 それは、真っ赤な鮮血だった。

 「!!」
 アスカが、目を見開いて口を押さえる。
 それを抱き抱えるユイ、それをさらに支えるゲンドウ。

 トウジとケンスケは、まだ呆然としたままで佇んでいた。

 サキエルは、そう頓着せずにシンジに近づいていった。
 シンジは動かない。
 先程と同じように一歩、また一歩と近づく。

 コンクリートの地面は、何も音を立てない。
 ただ静かに、その場は過ぎ去っていく…。



 その時だった。

 グルルル…

 低い、動物のうめき声のようなものが聞こえた。
 何事かと、辺りを見回す。
 だが、ここにはうめき声を立てるような動物は見あたらない。

 グルル…

 まただ。
 しかも、だんだんと大きくなっているようだ。

 グルルルル…

 3回目で、やっと発生源が分かった。
 うめき声は、シンジからだった。
 それは、痛みの声でもなんでもない、獲物を狙うような声。

 その場にいる全員は、シンジの方を見た。
 何が起きているというのだろう。
 目を貫かれ、場合によっては脳にすら損傷が及んでいるかもしれない。
 シンジは、即死していてもおかしくない。
 だが、聞こえる声は…。

 その時。
 シンジが頭を持ち上げた。



 「!」
 その姿に一瞬吐き気すら催すアスカ。
 それほど、ショッキングだった。

 シンジの右目のところには本来あるべき瞳はなく、先程の攻撃によりくぼんだ穴が開いていた。
 後頭部にも穴はあるようであるが…。
 それだけならまだしも、未だ血は止まっていないようだ。
 開いた穴から頬を伝って流れ落ちている。

 普通のヒト…こと女性には、刺激の強すぎるものである。

 だが。
 ユイは、ゲンドウはそれ以上に驚愕していた。
 あの角度だったなら、確実にシンジは即死するか、よしんば生きていたとしても身動きなど取れないはずだ。
…いや、「はずだった」。
 しかし、確かにシンジは動いている。

 彼らは見た。
 両手を振り上げるシンジを。
 顔の前に持ってきたときには、既に再びその本来の働きを腕は取り戻していた。
 確かに今までブラブラとして折れていたはずの腕が、一瞬にして再生されたのを、彼らは見た。

 グ、ググ…

 シンジの口から声が漏れる。
 残った左目は、しっかりとサキエルを射ている。

 グアアアァァァァァァァ……!

 そのまま、咆吼するシンジ。
 聞くもの全ての鼓膜を刺激し、空気さえもふるわすその咆吼。
 サキエルは立ち止まった。



 今度先に動いたのは、シンジの方だった。

 ぐっ、とひざを曲げると、一気に跳躍する。
 10mはあろうかというサキエルとの距離を、たった一回で詰める。
 空中で一回転したシンジは、そのままサキエルに蹴りをいれた。

 急な反撃にたまらず倒れるサキエル。
 その仮面の二つの目が光を帯びる。
 それに気づいたシンジは頭を逸らす。

 一瞬後、サキエルの目からは光線が放たれ、街路樹の一本に当たった。
 木は爆発を起こして跡形もなくなる。
 その威力に、誰しも足がすくんだ。

 サキエルは、両腕でシンジを振り払う。
 再び元の場所まで戻されるシンジ。
 だが、今回はちゃんと着地した。
 両手、両足をついて四つん這いの姿勢で。

 起きあがったサキエルに向かって、駆け出すシンジ。
 しかし。

 キィン!

 シンジは、突然何もない空間に行く手を阻まれた。
 サキエルとシンジとの間に、オレンジ色の光がちらつく。
 「ATフィールド」だった。

 シンジはフィールドの境界面に手をつく。

 ガン!
 ガン!

 数回殴りつけるが、フィールドはびくともしない。
 サキエルも動かず、様子をうかがっていた。



 シンジは、急にフィールドから手を離した。
 そして、光の波紋の中央に両手の平を外に向かい合わせて当てた。

 サキエルの前のフィールドの発する光が一層強くなる。
 ユイ達は知らないが、これはATフィールドとエネルギー体の干渉により起こる現象である。
 シンジは、自らATフィールドを展開し、サキエルのフィールドを中和しようとしていたのだった。

 ググ…

 布が裂けるような音がして、少しシンジの手がフィールドの中に入っていく。
 少しずつ。
 少しずつ。

 第1関節まで入ったところで、シンジはおもむろに両手を開いた。

 バチッ!

 火花を立ててオレンジの光は消える。
 すなわち、サキエルのATフィールドは消えた。



 フィールドが破られたのを見ると、サキエルは再び目を光らせる。
 行動はシンジの方が早かった。
 ATフィールドでビームをはじいたシンジは、そのまま、消えたサキエルのフィールドの中へ侵入すると、攻撃を加えようと伸びてきたサキエルの両手を片手で掴む。

 手に力を入れると、サキエルの腕はちぎれた。
 青い体液が辺りに飛び散る。

 ちぎった腕を投げ捨てると、シンジはサキエルの胸に再び足をお見舞いする。
 抵抗なく、サキエルは倒れた。
 シンジは馬乗りになる。

 サキエルの胸に光るつるつるした質感の、球。
 「光球」と呼ばれるそれを守るように両脇についている、肋骨らしきもの。
 シンジはそれに手を掛けると、引きちぎる。

 サキエルの胸から、また体液が溢れた。
 服に付くが、気にも留めず攻撃をつづける。
 引きちぎった白い骨を、光球めがけて振り下ろす。

 ガン!

 何度も、何度も振り下ろす。

 ガン! ガン! ガン!

…やがて、丈夫そうな光球にもヒビが入ってきた。

 ピシ…

 ガン! ガン!

 ピシシ…

 『!!』
 かすれたような叫び声をあげたサキエルは、びくんと身体をふるわせ、シンジの頭にちぎられたままの手を伸ばす。
 そして、身体を丸めてシンジの頭を包み込んだ。

 シンジの目の前で、光球に光が集まって白く発光し始める。

 「…はっ!」
 そのとき、明るさでシンジは意識を取り戻した。
 目の前の光球を見て、思う。

 (…もうすぐ、自爆する…)
 周りを探ると、おそらくユイ達だろう、人間の気配がした。
 が、自爆に巻き込まれたら自分はともかく彼らも助からない。

 シンジは、両手が動くのを確かめると、軽く両脇に伸ばす。
 薄いオレンジの半球がシンジを中心として発生した。

 一秒ほど遅れて、半球内部が真っ白に染まった。






 中がクリアになってくる。
 半球も同様に消えた。

 まだ立ち昇る熱気の中、人の影だけが見えた。
 それは、ガクリと地面に膝をつく。
 力無く、上半身も倒した。

 我に返って駆け寄るユイ達。
 そこで見たものは。

 シンジ!

 確かに、シンジだった。
 が、依然として怪我はひどい。
 特に、目の所はまだ血が流れている。
 その上、今の爆発で所々やけどまであった。

 誰の目から見ても、すぐに手当をしないと危険な状態だった。

 「…研究所に連れていく」
 ゲンドウが、言った。

 「あそこなら、医療設備は一通りあるはずだ。」
 「アスカちゃん、鈴原君、相田君。…ごめんなさい。先に、帰っていて」
 ユイは、できるだけ明るい顔で送り出そうとした…が、無理だった。
 額から汗が流れ落ちる。

 「行くぞ」
 そんな間にも、ゲンドウはシンジを背負って歩き出す。
 ユイはついていく。

 取り残されたアスカ達は、ただ心配そうな顔で見守るしかできなかった…。



 走って3分で研究所に到着した。
 中に入って、医療部へと急ぐ。
 途中、冬月と出会った。

 「おや、忘れ物かね?」
 「冬月先生! シ、シンジが…シンジが大怪我を…」
 「何!? 何かあったのか!?」
 「はい。詳しくは後で…」
 「早く医療部へ。まだ誰か居たはずだ。」
 「ありがとうございます。」

 そう言っている間にも、シンジからは一滴一滴、血液が流れ出している。
 それはシンジを背負っているゲンドウの、肩口にまでたどり着き。
 その後はどんどんと染みを広げていた。

 ゲンドウとユイは一目散に医療部へ走る。
 シンジの命がかかっているのだ。
 ゆっくり歩いてなどいられない。
 そう思うと、不思議と息苦しくもなかった。

 ぽたり。

 手のひらまで達した血が、指先から床に一滴、落ちた。



 「・・・」
 「・・・」
 「・・・」

 ゴトン…

 モノレールの中。
 渋い顔のアスカ、トウジ、ケンスケが乗っている。
 いるはずのシンジとユイとゲンドウは居ない。シンジが何かに襲われ、怪我をしてユイとゲンドウが助けるために連れていった。

 三人とも、一言も発しない。
 視線も、合わせない。

 無人運転のモノレールのなかに、乗客は3人しか居ない。
 ジオフロントにいたはずの人達はどうしたのだろう。
 その疑問は、浮かんですら来なかった。

 「なあ」
 ふいに、トウジが口を開く。
 渇いたのどが、かすれた声を出した。

 「シンジ…助かるやろか」

 当たり前よ!
 珍しくトウジの発言にアスカが答える。

 「せっかくこの前来たばっかりだってのに…たった2週間で死ぬなんて…そんなことあるはずがないでしょ!」
 理は通らない。
 だが、そこには願いがあった。
 願わなければ、何も奇跡は起きない。

 「来たばっかりなのに…そんな…」
 だんだんと、声が弱くなっていく。

 感情のダムも、決壊寸前だった。



 医療部にたどり着くと、まず研究室のドアをノックした。
 いくつも研究室があるので、それはなかなかじれったい作業である。

 3回目にして、ようやく人が顔を出した。
 感じのいい青年。
 白衣を着て、眼鏡を掛けている。

 「碇さんじゃないですか。…何ですか?」
 少し怪訝そうな顔。

 「日向君、うちのシンジ知ってるわよね。」
 「え? ああ、はい。」
 「シンジが大怪我したのよ。ここからだと病院も遠いから連れてきたんだけど、処置頼めないかしら。」
 「は、はい!」

 せっぱ詰まったような口調の話で大事だとさとる。
 日向と呼ばれた医師…フルネームでは日向マコト…は、部屋の中で電話を掛けると、ユイ達を誘導した。

 「今、スタッフを集めましたから。行けば、ちょうど来ているはずです。」
 「ありがとう」



 「お待ちしてました」
 無機質だが埃一つ落ちていない几帳面な清潔さを誇る治療室。
 ユイ達が入っていくと既に白衣を着た青年医師と看護婦が数人、待機していた。

 「とりあえず、ここに寝かせて下さい。」
 言うとおりに、ベッドに寝かせるゲンドウ。
 ワイシャツの肩はどす黒く染まってしまっていた。

 「これは…」

 シンジを見たときに、その場の人々は言葉を失った。
 「大怪我」と言っても、予想していたものを遥かに超えるものだったからだ。
 せいぜいで内臓破裂位だろうと高をくくっていたが、シンジの状況はそれより明らかに悪い。

 全身、服が黒く焦げるまでのやけどを負っているほか、頭部には何かに貫かれた跡。

 「と、とりあえず心電図と脳波計を…」
 焦りながら指示をだす、マコト。
 てきぱきと動き始める医師・看護婦達。

 ものの数分で、シンジの周りにはさまざまな機器がセットされ、シンジの身体の状況を伝えていた。



 ピッ…… ピッ……

 定期的な電子音が、心臓の拍動を伝える。
 シンジはまだ生きている、それが全員の希望だった。

 だが、頭部の穴を調べたところ、シンジは脳の一部も損傷を負っていた。
 特に、脳幹の部分にまで損傷は及び、いつ死んでもおかしくないような状況となっていた。
 ところが、シンジはまだ生きている。
 その脳は、その心臓は、その肺は全て機能を果たしている。

 ただ、意識がない。

 生きているだけでも奇跡のようなものなのだ。
 その場には重苦しい空気が充満し、あきらめの色が一秒毎に濃くなっていった。

 シンジの肌は、赤い。
 やけどのせいもある。血のせいもある。
 まるで、今にも目覚めそうだが、逆に儚く見える。

 そして。
 それは、起こった。



 最初に異変に気づいたのは、シンジの身体を拭いていた看護婦だった。

 「あら?」
 誰も話さないその空間に、その声だけが響きわたる。

 「どうした?」
 「いえ…このクランケ、さっきより肌の色が薄れてきているようですが…」
 「何!? 体温は!?」
 「変化ありません」
 「ただれているのが、元に戻ったような感じで…」
 「そんな、あり得ないぞ! こんな短時間で!」
 だが、それは事実だった。
 確かに、シンジの肌の色は普通に戻って来つつある。
 唾を呑んで、人々は見守った。

 ゆっくりと、のぼせた血の気が引いていくように、ただれた赤から肌の赤に変化していく肌の色。
 信じがたい光景だった。

 (どういうことだ…?)
 嬉しいながらも、怪訝に思う。



 ついに、肌の色は何事もなかったように元通りになる。

 依然として目は閉じられたまま。
 右目のあったところにある穴も、変わらずだった。

 彼らは、希望の明かりが明るく灯ったことを知った。
 治るかも知れない…
 今起こったのは、まさに「奇跡」と呼ぶべきもの。
 ならば、これからも…。

 一抹の希望が、辺りをだんだんと照らし、大きな太陽となっていく。
 そういった空気が高まってきたときに、再び異変は起こった。

 ぶくぶくと、右目の周りに肉が盛り上がってくる。
 まず、瞼が出来上がった。
 それから、中で眼球ができたようだった。
 ぐりぐりと動いているのが見える。
 それもしばらくして止まり、穴は完全にふさがって頭も元通りとなった。

 そして。
 シンジは、ゆっくりと目を開けた…。



 初め、俄には信じられなかった。
 が、シンジはあれからぱっちりと目を開け、ベッドの上に起きあがると、キョロキョロと辺りを見回した。

 「シンジ…」
 ユイが、おそるおそる声を掛ける。
 シンジは、その方に顔を向け、反応した。

 「母さん…」
 安堵の色が顔に現れる。

 「…シンジ!」
 ユイは、シンジの元に走り、抱きしめる。

 「よかった…。無事で、よかった…」
 「ごめんなさい、心配掛けて…」
 「もう、良いのよ。…戻ってきてくれたから。それだけで、十分よ。」
 涙を拭きながら、ユイは言った。
 感動の再会。

 後ろで見ていた看護婦も、思わず目頭が熱くなる。

 ただ一人、冷静にマコトが言った。

 「…とりあえず、検査をしておきましょう。大丈夫のようですけど、万が一という事もありますし。」
 「そうね…」



 1時間ほど経って。

 「検査結果、でましたよ。」
 待合室でジュースを飲んでいたユイ・ゲンドウ・シンジに、マコトの声がかかる。

 「あ、はい。今行きますから。」
 急いで残りを飲み干し、マコトの研究室の中に消えるユイ。
 ゲンドウとシンジは、ベンチに座って待つことにした。

 「本当に、大丈夫か?」
 「はい。心配いりません。」
 「そうか…」

 声が、廊下のはしに反響して帰ってくる。
 誰も居ない廊下。
 こうこうと明かりがついてこそいるものの、寂しい無機感はぬぐい去ることができなかった。

 「寂しい、ところですね。」
 「…まあ、研究所に用事のある人間などあまりおらんしな。第一、今日は金曜だからだろうが…いつもこんなモノと言えばこんなモノだな」
 「そうなんですか…。」



 「!?」
 ユイは、身体全体で驚きを表現した。

 無理もない。
 入ってまず言われた言葉が、

 「シンジ君は、人間じゃありません。」

 だったものだから。

 「に、人間じゃないって…どう言うことです?」
 「これを…見て下さい。」

 マコトは、ユイに数枚のグラフィックを差し出した。

 「ゲノム配列ですか?」
 「…組織の整合性を確かめるために、右瞼と指先の細胞で対象比較してみたんです。一応、ゲノムらしきモノは発見されました。」
 「それで…」
 「人間のDNA配置に良く似ていますが…これは、数カ所違いがあるんです。」
 「…そう言われれば…」

 マコトは、眉を顰めて声も小さくして言った。

 「…第一、構成素材が不明なんです。」
 「アミノ酸ではない、と?」
 「はい。『少なくとも』アミノ酸の類ではありませんね」
 「そんな…」
 「平均的な人類との遺伝子一致率は、99.89%です。…非常に人間に近いことは近いのですが、厳密には異なるんです。」
 「・・・」

 再び、声を元に戻す。

 「まあ、他の検査は異常ありませんでしたから。」
 「じゃあ、これで帰ります。…資料、頂いて行きますよ」
 「…どうぞ」



 パタン。

 どこか青ざめた顔で出てきたユイは、検査結果を簡潔に告げた。
 だが、最初の方は言えなかった。
 言いたくなかった。

 とりあえず無事なようなので、3人はモノレールに乗って帰る。
 どうやって封鎖していたのかは分からないが、封鎖も解かれたようで、列車内は再び混雑していた。

 がやがやと聞こえる話し声の中、ユイだけは一人考え込んでいた。

 (99.89%…)
 あの数値が、ヤケに頭に残る。
 何を意味するというのだろう。
 100%マイナス0.11%の違いは。

 いつの間にか、駅に着いていた。
 気づくと、シンジが覗き込んでいた。

 「母さん?」
 「い、今行くわ。」



 家に帰ったシンジはアスカとも感動の再会を果たした。

 「おかえりなさい!」
 「ただいま…」

 その後、家族揃った夕食を食べ、夜のくつろぎの時間となった。

 ユイは片づけもの。
 ゲンドウは個室にこもっている。
 シンジ・アスカはTVを見ていた。

 『それで、彼が言うには…』
 『どうして早く教えてくれなかったの!?』
 『聞かなかったじゃないか! 君だって、彼は…』
 『だからって、私のものはどうだっていうのよ! あなたはまだ私じゃない誰かを見てるわ。…お願いだから、私を見て!

 キュッ

 食器洗いを済ませたユイは、エプロンを外してゲンドウの書斎へと向かった。



 「あなた」

 「む。ユイか。…何だ」
 「『99.89%』と言う数字に覚えはありませんか?」
 「99.89%…どこかで聞いたような気もするが…ああ、ある。」
 「一体、何なんです?」

 「うむ。…噂なのだがな、お前も聞いたことぐらいはあるだろう。セカンドインパクトの話だ。例の『使徒』がどうとか言う…」
 「ああ、あれですか。」
 「それで、どうも裏の筋の情報によるとな、その『使徒』を再生、そして研究している研究所が世界のあるところにある、と言うんだな。」
 「…どこです?」
 「これまたハッキリしないのだがな、一説によると、ドイツの『ゼーレ研究所』らしいのだ…。あるいは、日本だとかいろいろ言われているぞ」
 「ゼーレ…キール・ローレンツ氏、でしたっけ?」
 「うむ。」
 「あの人、何か胡散臭くてあまり好きになれませんわね。」
 「ああ、それはあるな。…で、それでだ。そのどこかの研究所で研究したところによると、その『使徒』とやらの固有電磁波放射パターンを、2次元マトリクスに展開したところ、何とヒトゲノムとの一致率が99.89%あった…という話を聞いたことがある」

 「そうですか…」
 「だが…なぜそんなことを?」
 「い、いえ…ちょっと頭に浮かんで気になったものですから…」
 「そうか。」

 パタン。

 ユイはゲンドウの書斎を後にした。



 ぎゅっ。
 拳を一回握りしめ、またほどいてからユイは声を掛けた。

 「シンジ」
 できるだけ明るく言った。

 「? 何、母さん」
 「ちょっと、来て。」
 いつものにこにこ顔で、ユイはシンジを連れてシンジの部屋に入った。
 ベッドに腰掛けさせ、自分も隣りに座る。

 「実は、ちょっと聞きたいんだけど…」
 「・・・」
 「…答えたくなかったら、答えなくても良いわ。だから、一応、聞くだけだから…」
 「・・・」

 シンジはきょとんとしている。

 「あなた…何者?」
 ゆっくりと、シンジの耳元でユイは言葉を発する。
 シンジは、まるでそれを予期していたかのように平然としていた。

 だが、一瞬訪れた寥を、ユイは見逃さなかった。

 「僕は…」
 シンジが、口を開く。



 「簡単に言うと、僕は人間じゃありません。」
 「・・・」
 ユイは黙って聞いている。

 「いつか話さなきゃと思ってはいたんですが、まさかこんな早くになろうとは…」
 「…で、今日の彼は?」
 「確かに、僕の仲間…みたいです。」

 それから、シンジは自分の生い立ちをぽつりぽつりと話し始めた。

 「人間社会では、セカンドインパクトは大質量隕石の落下によるもの、と信じられているそうですが、事実は違うんです。『使徒』…そう呼ばれる生命体が南極で発見され、その調査中に原因不明の大爆発を起こしました。…それが、セカンドインパクトです。」

 「最近の研究によって、『使徒』は人類…ヒトの別の可能性であるということが分かりました。それ以前に、それは格好の研究材料でした。そして…僕達が造られたんです。僕達は、使徒の細胞から生まれました。17人の、ヒトの形をした『使徒』。それが、僕達です。」

 「更に研究によって…20世紀に発見された『死海文書』と呼ばれるものが、使徒の存在そして目的について予言していることが分かりました。最初に現れた使徒の目的は、単に地球の調査だったようです。それを見つけた人間は喜んで調査に乗り出し…結局、セカンドインパクトが起きたわけです。」

 「使徒の目的は、『世界の浄化』となっていました。それがどんなものか、今となっては分かりませんが、僕達を造った研究所では、それを利用して世界を支配しようと考えていました。使徒は神の使い。自ら使徒を従えて、神となるべく。」

 「僕達は、そのために利用されるはずだったんです。でも、僕はいやだった。誰かが…自分達と同じ姿をした誰かが傷つくのはいやだった。…見たくなかった。だから、僕は逃げ出しました。そして、ここに来ました。」

 そして、最後につけ加えた。

 「僕のコードネームは、『アダム』。僕は、使徒再生計画…通称『A計画』の、最初の成功体なんです。」



 「そう…だったの。」
 「ごめんなさい、隠していて。…話したら、また居場所がなくなってしまうんじゃないかと心配で…」

 ポタリ。
 水滴が手に落ちる。
 過去を隠して来たシンジにとって、それを思い返すことは苦痛でしかなかった。
 だが、しなければならない。
 過去を直視することも、必要なのだ。

 「シンジ」
 ユイは、そんなシンジを優しく抱きしめる。

 「シンジは、私たちの子よ。心配しなくてもいいわ。もう、どこへも行かなくて良いから。…ここに、あなたの居場所があるから…」
 「母さん…」

 「お願い。ここに、いて…」
 ユイは、優しい声で言った。

 「…ありがとう…母さん。」

 シンジの涙が、また一粒、こぼれおちた。














第3話 につづく

ver.-1.00 1997-10/18公開
ご意見・感想・誤字情報などは Tossy-2@nerv.to まで。



 次回予告

 真実を知ることによって、家族の絆をより深めたシンジ。
 だが平和は長く続かない。
 再びやってくる「ANGEL」。
 ユイだけでなく、アスカとトウジ・ケンスケにもシンジの真実は露呈する。
 そして訪れる変貌。

 次回、「EVA−01」。お楽しみに!


  あとがき

 「更新サイクルが長くなる」とか言いながら実は一番早く更新してたりします(^^;。
 まあ、今の所次の更新は「新戦士」になると思うのですが(^^;。

 さて。
 今回、結構人体の話が出てきてたりしましたけど、結構曖昧に書いてます。
 そのため、間違っているところが多々あるかも知れません。
 誰か、心優しい方、ご指摘を待ってます(^^;。

 うーん、404号室は18000ヒットだし、ホームページも1000ヒット超えたし…いろいろと記念が重なってて大変です(^^;。
 これからは「芸術の秋」です。更新も、もう少し早くなるかも知れませんよ(^^)。



 Tossy-2さんの『Angels' Song Angels Sing』第2話、公開です。
 

 町中での大激戦。

 状況は違えど、
 本編に沿った動きでの戦い。

 人サイズで生身であることが
 緊迫感と痛々しさを−−。

 

 トウジとケンスケが言う
 アスカの”本性”・・
 どんなんだろう(^^;

 

 

 さあ、訪問者の皆さん。
 記念が重なりまくりのTossy-2さんを感想メールで応援を!



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