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 「ありがとう、母さん…。」
 涙を拭って、シンジは答えた。
 今まで、これ程までに誰かに必要とされて嬉しいことは無かった。
 幸せをかみしめたような顔。

 「でも」
 明るくなったはずの顔に、再び寥が訪れる。
 暗い影が、重苦しい空気が、だんだんと辺りを支配する。

 「僕は、ヒトを…ヒトを、殺してしまいました…。頭を貫かれて…気がついたら、僕は彼を、『サキエル』を…。」
 がっくりと、シンジは肩を落とした。
 うつむく。

 「もっと、きっと何か他の方法があったはずなのに…僕は…」
 「シンジ…」

 両手を見る。
 昼間の戦いの事が、今でもありありと蘇ってくる。
 錯覚。
 血塗れの手。

 それは、かつて繰り返し見せられた、殺戮の映像を彷彿とさせた。
 見る度に吐き気を催した、あの映像。
 映っていた人影は血塗れで…そして必ずもう一人。
 血塗れの手をしながら…笑っていた、誰か。

 ずきん。

 忘れよう、忘れようとするほど、強く目に焼き付いた。
 その度に、心が痛んだ。

 ぽたり。

 最近になってようやく知った、感情の迸り。
 滴は蛍光灯の光を反射して、きらりと光った。

 「…優しいのね、シンジは」
 「僕が…優しい…?」
 意外なことを言われて、シンジは思わず顔を上げる。

 「そう。だって、あの状況ならいくらでも『正当防衛』で片付けることができるわ。世の中には、そういうひとが大勢いる。でもシンジは違ったじゃない。そう言うのを『優しい』って言うんだと、私は思うわ。」

 「けれど…彼は、同じ仲間だったのに…。きっと、みんな…僕のことを…」
 「大丈夫。だって、シンジは私たちをかばってくれたじゃない。私たちは、そんなあなたを悪くなんか思わないわよ。誰も、ね。」
 「・・・」
 「確かに彼…ユウジ君はかわいそうだったけれど、ああしなければ、間違いなくシンジは前の所に連れ戻されていたでしょ? それでも、よかったの?」
 「・・・」
 無言で、シンジは首を横に振った。

 そう。それだけはいやだった。
 けれど、それが完全な理由にならないことなど知っている。
 すがりたかった。
 しかし、完全にはすがれなかった。

 「それに、みんなあなたのことを心配してるわ。だから、過去にくよくよしないで。そんなシンジを見てると、私も悲しくなってきちゃうから。」
 「はい…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



Angels' Song
Angels Sing

〜天使の歌を、天使が歌う〜


第3話
EVA−





存在理由

 

 翌日。

 ゴウ……ンン…

 エレベータに無言で乗るトウジとケンスケ。
 彼らは、新しい友達の家へと足を運んでいた。
 ここ数日の習慣と化している道が、ひどく長いものに感じられた。
 足どりも、気分も重かった。

 なにしろ、昨日あんな事があったばかりだ…。
 それに、実際に見ていたのだ。「事件」のあった現場で。
 激しく吹き出す夥しい量の血液の光景が、今になってなお不快感と心配を煽る。
 連絡が来ていないから、余計に心配になってしまう。
 また逆に、大丈夫だからと考えることもできるのではあるが…。

 『12』。
 デジタルの階数表示が止まり、ベルが鳴った。
 そして、扉が開く。
 外に出る2人。
 朝日が廊下に差し込んできて眩しい。

 その中を、やはり無言で2人は歩く。
 突き当たりのドアが、目的地だ。

 「・・・」
 はた、と足を止める。
 「IKARI」と、綺麗な字で書かれたネームプレートが目の前にあった。

 チャイムに手が伸びる。
 だが、すぐに引っ込めてしまう。

 「…トウジ、押せよ」
 「ホントに、碇は大丈夫なんやろか…」
 「きっと大丈夫だよ。だって、連絡が何も来てないんだから…」
 「せやから心配なんや! お前だって見とったろ!? あそこまでされて、普通だったら死んでおるで!」
 「…まあ、確かにそうだな。」
 沈黙。

 「…よし。俺が押すよ。」
 決意したように、ケンスケが言う。

 チャイムに手を伸ばす。
 だが、トウジは気づいていた。
 ケンスケも強がっていることを。
 震える手が、それを知らせていた。

 「…待った、ケンスケ。」
 だから、トウジは声を掛けた。

 「2人で、押さへんか。」
 「…ああ」

 そして、彼らはチャイムのボタンに指を置いた。
 2人同時に、指に力を込める。

 ピン、ポーン…

 部屋の中でチャイムが鳴ったのが聞こえた。

 『ちょっとお待ち下さい…』
 少しして、声がした。
 ユイの、声だった。



 プシュッ!

 気圧式の扉が開く。
 朝日が玄関に差し込んだ。

 「はい。…あら。」
 出てきたのはユイだった。
 エプロンをしたままだ。
 どうやら洗い物の最中だったらしい。

 その表情からは、トウジ達2人の疑問の答えを推し量るには十分でなかった。

 「えー…確か、鈴原君と相田君だったわよね。」
 ユイが聞く。

 「はい。」
 トウジとケンスケは、いささか緊張して返事をした。
 だが、それを打ち消すに十分なだけ心配も心にある。
 そのため、声が震えてしまった。

 「…ちょっと待ってて。」
 ユイは、そう言うと一旦奥へ消えた。



 「ほら、シンジ。行くわよ!」
 「あ、待ってよアスカ!」
 急いで鞄を持って出かけるアスカと、それを慌てて追うシンジ。

 既に玄関にはトウジ達が待っていた。

 碇!
 ケンスケの顔が明るくなる。

 「無事やったか!」
 トウジも表情を崩した。

 「う、うん…なんとか…。」
 「それにしても、良く無事だったなぁ…」
 「ホント。アンタは運がいいわよね。傷がちょうど急所を避けてたって?」

 「うん…」
 「それにしても情けないわねぇ。ただかすっただけで気絶するなんて。…ま、数ミリであぶなかったらしいけど? 傷跡も殆ど残らないようにしてもらったんでしょ?」
 「うん…」

 「そか…。ま、災難やったな。」
 「…ほんとだ。全然残ってないぜ。よかったな。」

 ふと思い出したようにケンスケが言った。

 「…しかし、あの『サキエル』とか言う奴、あれ一体何だったんだろうな。…碇、お前の知り合いだろ?」
 「そ、そんなことないよ」
 初めてついた、嘘。
 無意識のうちに、手が汗ばんでいた。

 「…本当か? じゃあ、どうしてあいつは…?」
 「・・・」
 悲しげな表情をしたまま、シンジは答えない。

 突然の来訪。
 昨日の事件。
 そして、今の状況。

 全てを考え合わせると、思いつく疑問が一つ。

 「…碇、お前は…」
 「・・・」

 (…僕も、彼と同じなんだよ…)
 心の中だけで呟く。
 苦い顔がいつの間にか浮かんでいた。
 ぐっ、と拳を握りしめる。

 騙さなければならない辛さ。
 それは、いつものようにつきまとっていた。

 「お前は、一体…」
 「・・・」
 黙り込んだまま、シンジはうつむいて歩いている。

 そんなことを続ける内、いつの間にか校門に到着する。

 「・・・」
 「…話したくなかったら、それでもいい。でも…俺達を信じてはくれないのか?」

 「ケンスケ、それ以上言うな。」
 黙っているシンジに助け船を出すように、トウジが言った。

 「今まで通りでええやんか。…シンジはこうやって元気になったんやし、それを辛気くさくしてどないすんのや。」
 「分かったよ。…すまなかったな、変なこと聞いて。」
 「…いいんだ…僕の方こそ…」
 そういってシンジは、寂しそうに微笑んだ。



 「『サキエル』が失敗しました」
 報告が入る。
 キールは苦い顔を隠せなかった。

 「『Seraph』に『Angel』では役不足だな。…『サキエル』の予備は?」
 「はい。細胞サンプルは採取して保存してありますので、いつでも再生は可能です。ただし、記憶は含まず、だそうですが」
 「それは止むを得ん。問題は無いな。しかし…やはり、『Seraph』には少なくとも『Cherub』以上を充てるべきだったか…」

 「ですが、『リリス』は…『タブリス』にしても、少々問題が…」
 「うむ、わかっている。今の所は、『Angels』で遂行するしかないだろう。いずれにせよ『アダム』が戻るか如何に関わらず、例の計画は実行するほか無い。…『リリス』の具合はどうだ」

 秘書は、書類をめくって読む。

 「報告によると、順調に回復の模様です。事故の影響も殆ど見られません。」
 「…さすがは『Seraph』だけある、か…。事故の詳細はどうだったかな?」
 「虚数空間干渉実験中の事故です。次元断層に飲み込まれたとのことです。」

 「実験結果では、干渉が成功したのは『アダム』の時だけだったな。」
 「はい。…他の『ANGEL』でも実験を行いましたが…いずれも失敗です。位相空間の強さが関係していると言われていますが…」
 「『アダム』を失ったのはまずかったな…」

 「…なお現在、ATフィールドの共鳴による増幅実験を行っているそうです。」
 「そうか。…早急に結果を提出するように、と伝えておけ。」
 「はっ。」



 どこか分からない、部屋。
 何もかもが、白く見える。
 壁も、ベッドも。
 全てが。
 それは、照明のせいであった。

 かなり広いその部屋には、いくつもの機械が所狭しと置かれている。
 その中央には。

 一つだけ、ぽつんとベッドがあった。
 機械はそれを取り囲むように配置されている。

 ベッドの上には人が眠っている。
 身体のあちこちに、コードをつながれて。
 響く機械音は、生命反応があるということを示しているのだろう。

 そのヒト…女性なので、以後『彼女』としよう…は、白い部屋の中でも一段と白く見えた。
 白い肌、そして青みがかったプラチナブロンドの髪。
 神々しい雰囲気を漂わせながら、『彼女』はぴくりとも動かない。
 治療の為かベッドには掛け布団もなく、『彼女』はシーツの上に裸で眠っていた。
 特に、これと言った外傷はない。
 ゆっくりと小さく上下する胸が、正常な呼吸を伝えている。

 『彼女』は、治療を受けている最中だった。

 ベッドの頭の方には、プレートが掛けられている。
 そこには、こう書いてあった。

 「SAMPLE #02 - LILLITH / PROTOTYPE EVA-00」

 裏を見ると、また別の言葉が。
 今度は、たった一言だけ。

 REI



 彼女は、夢を見ていた。
 現実に彼女の周りにある明るさとはうって変わって真っ暗な空間。

 一寸先すら見えないところに、彼女は居た。

 その姿は、現実と変わらぬ…はずだった。
 自分の存在すら見えない。
 ただ、「そこにある」ということが辛うじて分かるだけだ。

 少し、身体を動かしてみる。
 重い。
 まるで身体が鉛のように、重かった。

 だが、それ以上に気になったことがある。
 足下がぬかるんでいるのが、分かった。

 (私は、何故…)
 重い身体を少しずつ動かしながら、彼女は自分に問う。
 一歩進む毎に、彼女の今までの経験が湧き出してきた。

 自分の生誕の秘密。
 その存在の目的。
…そして、事件。

 (何故、ここにいるの…)
 それは、彼女が…レイが事故にあったときにふと頭の中を過ぎった疑問だった。



 2週間程前。
 ちょうどシンジがユイに拾われる前日。
 日本国内の某所で、それは起こった。

 ビビーッ!

 警報が鳴る。
 白衣の研究員達が忙しく動き回った。
 今までよりも、一層。

 何があった!
 眼鏡を掛けた、神経質そうな青年が入ってくる。
 額に汗をかきながら、彼は怒鳴った。

 次元歪みが拡大しています! このままでは、『サンプル』が!
 『サンプル』の状況はどうなっている!?
 強力な磁場を確認。素粒子レベルでの対消滅を観測しました!
 『サンプル』、脳波乱れています。α波、β波共に弱まっています!
 実験場…強化ガラスを隔てた、向こうの空間に、火花が散る。
 青白い火花が、バチバチと数回。

 磁場防御フィールド、臨界に近づいています!
 『サンプル』保護を最優先! 実験を中断しろ!
 ダメです! 近づくには危険すぎます!
 虚数回廊が開きました。エネルギー、なおも増加中!
 その報告と同時に、黒い穴が現れた。
 それは、ひたすらに黒かった。
 まるで部屋の明るさを全て吸い取ってしまうかのように。

 悲鳴が上がる。
 レイの、澄み切った悲鳴が。
 だが、それもしばらく後に消え、後には一旦の静寂が訪れた。

 「『サンプル』、反応が微弱になりました。…虚数回廊に飲み込まれた模様です。」
 何だと!?
 チーフらしき青年は顔色を青くして叫んだ。
 その瞬間、真っ黒の穴は現れたときと同様音もなく、すっと消えた。

 ピッ!

 同時に報告が入る。
 「…待って下さい。…い、いました! 外傷はありません。無事です!」

 「そうか…」
 彼は、息をついた。
 安堵の表情を浮かべる。

 「だが…」
 しかし、それもすぐに消え。

 「なぜ、上手くいかん。…なぜだ。…『アダム』の時は上手くコントロールができたではないか…。」
 苦い顔。
 眼鏡に、モニターの光が反射する。

 ダンッ!

 机に打ちつける、手。

 「…やはり、『アダム』以上のものは、作れんのか…。存在しないのか…。」
 口惜しげに、彼はそう言った。



 この日、日本各地の、いや世界各地の電波望遠鏡そして重力波観測所が、同時刻にものすごい時空間の歪みを観測した。
 推定エネルギーは、概算でさえ十分に他次元への干渉を許すものだった。
 それは、すなわち時間航行が理論的に可能になるのだ、と言うことに他ならない。
 世間の物理学者達は、にわかに沸き立った。

 だが、その結果にも彼は満足できなかった。
 観測されたエネルギーは確かに強大である。
 しかし…一度開いたとはいえ、それをコントロールすることすらもままならず、殆どのエネルギーが外へ漏れだしたという事実。

 さらには、自分達の創り上げた最高のものであるはずの『アダム』は、自らの意志で自分達の意志に逆らおうとしている。
 そうなれば、計画の崩壊も招きかねない。

 彼らは、『アダム』に匹敵するものを求めた。
…だが結局、それは見つからなかった。
 存在しないことが既に証明済みである。

 同じ『Seraph』である『リリス』でさえも、この実験ではこんな調子。
 異次元空間に飲み込まれたおかげで、エネルギーの急激な消耗、そして内臓などに全治約1ヶ月の傷。
 全員の脳裏に、何の問題もなく虚数回廊が開いた『アダム』の時の実験が過ぎる…。

 『出力、増加中』
 『重力波、臨界点を突破します。』
 『…虚数回廊、確認。徐々に拡大しています。』
 『磁場防御フィールド、出力+2.5。』
 『電磁波防御フィールド、正常作動中。「サンプル」にも影響は見られません。』
 『出力、安定しました。』
 そして、その時彼らの目の前には。
 分厚いガラス一枚隔てた隣の部屋では、『アダム』の前に広がる暗黒の円があった。

 これほど気を使う実験にも、彼は平然としている。
 むしろ、落ちついていると言った方が相応しい。
 その目に、光はない。
 無表情なのにどこか悲しげな表情をしながら、『アダム』は立っていた。
 その感情は、ただ彼の右手が物語っていた。
 ぎゅっと握られた、右手が…。

 素人目にも分かったはずだ。誰が見ても、『アダム』の能力が突出しているのは、紛れもなく明らかだった。



 時間は順調に流れ、その日も半分が過ぎる。
 舞台は午後へと移った。

 午後になっても、快晴の空は相変わらず青い。
 抜けるような、という表現がぴったり来る空。
 雲はところどころに小さいものがいくつかあるが、それらと太陽以外には本当に何もないように思える。
 現在の気温は20度。
 年中夏ではあるが、この日は風もあり、それほど暑くもない。
 まさに「ちょうど良い」。

 いつしか、それは生徒たちを眠りへと誘う。
 それを後押しするように、その時間は数学だった。
 いつもの老教師が、これまたいつものようにとうとうと「セカンドインパクト」の頃について話を続けている。

 「…セカンドインパクト…。その頃、私は根府川に住んでいましてね…。本当に、あの頃は大変でした。食料もない、住む場所もない。…生き残った人達は、まさに戦争のようでした。…あちこちで犯罪が起こり、私たちももう慣れっこになってしまった…。本当に悲しい出来事です」

 この話が始まると、彼はもう生徒の様子など気にならないらしい。
 教室内の約半数近くが眠っているというのに、話は延々と続く。

 「大質量隕石が南極に落下…それによる海面の上昇。これが全ての始まりだったわけです。」
 報道陣から与えられた情報を、鵜呑みにして。
 だが、疑う理由がなかったのもまた、事実であった。



 シンジも、彼にしては珍しく眠っていた。
 よほど昨日のことが身体に響いたのだろうか、それとも…。

 教室内で起きているのは、教師と学級委員長のヒカリ、そしてこそこそとおしゃべりをする女子数人だけ。
 そのヒカリにしても、もはや誰を注意する気力もなく、むしろ睡魔と戦っていた。
 だが、それを責めるものは、責めることができる者は誰一人としていない。

 蝉の声がBGMになり、眠気を誘う。
 その泥濘に足を取られたものは、誰も抜け出すことは叶わない。
 教師はそれでも無頓着に続けている。

 「…こうして、今まで我々人類は主として最大の危機を乗り越え、今やここまで復興することに成功しました。これは、まさしく私たち『人類』の優秀性、そしてあなた方のお父さんやお母さんの努力の賜物です。…けれど、さすがに悲しみの歴史は多々あります。私も、良く見たものでした。幸いにも私は家族全員難を逃れ、何とか今こうして生きています。ですが、あの頃は…。道を歩けば、そこら中に親を失った子が居て…」

 未だ授業は半分を少し回ったばかり。
 ヒカリの眠気との戦いも、ようやく終盤戦にもつれ込んだ頃。
 シンジが、ぽつりと呟いた。

 「ごめん、リリス…僕は…」

 決して誰にも聞き取られることのない、小さなつぶやき。
 おそらく、寝言だったのだろう。
 ヒカリも、いくつか音が聞こえたような気がしたばかりで、言葉の意味まで解するには至らなかった。

 そんなシンジの頬を、一筋の涙が伝った。



 シンジは、その頃夢を見ていた。

 まだ、研究所にいた頃の日々。
 実験に明け暮れる、日々。
 その頃は、それが普通だとばかり思っていた。

 だが、居るはずの仲間は会ったこともない。
 名前を聞いただけで、話をしたことすらない。
…たった、一人を除いて。

 初めて話をした「仲間」が、たった一人いた。
 だが、実際に会ったわけでもなんでもない。
 ただ一度だけ、心の奥底・混沌の中に互いの姿を見ただけであったが。

 脱走のしばらく前から、シンジは自分の存在理由に疑問を抱いていた。

 (なぜ、僕は…)
 あの日見せられた血生臭い映像を思いだし、軽い吐き気が襲う。
 ふと目に焼き付いた彼女の姿を思い出す。
 それだけで、心が落ちついた。
 自分との共通点。
 そのせいだろうか。

 そんなある日、彼女が怪我をしたとの話。
 異次元空間との干渉実験中に、次元空間の隙間に吸い込まれたらしい。

 そのせいではないが、シンジの悩みはつのる。
 ここにいても、いいのだろうか。
 自分の力を、存在理由を知っているから、よけいにそれは増す。

 そしてシンジは外の世界へと…。



 シンジの夢には、彼女が出てきていた。
 青い髪、白い肌。
 そして…赤い瞳。
 彼女の名は…。

 『アダム』
 突然、彼女が口を開く。
 憂いを瞳の光に混ぜて。

 『なぜ、行ってしまうの?』

 その質問が来ることは分かっていた。
 彼女は、自分の心の中にいる彼女なのだから。
 この質問は、シンジが自分自身何度も繰り返した質問であった。
 しかしシンジは答えない。

 『私たちの目的は、どうなるの?』
 『…僕達の、目的…その存在理由は人類の抹消、世界の浄化…。それは、分かってるんだ。』
 『ならば、どうして?』

 『イヤなんだ…。だって、「彼ら」は何もしてないのに。どうして…』
 『だから、行くの?』
 『それだけじゃない…。僕は、誰も傷つけたくないんだ。…本当は怖いんだよ。いつ僕の力が暴走するか…それが、怖いんだ』
 『それが、理由?』

 『…たぶん…』
 『そう…。』

 静寂。
 そして。

 『どうしても…行くのね。』
 『うん…。ごめん、リリス…僕は…』
 それ以上は言葉にならなかった。
 自分の心と話をしている、それは知っている。
 けれど、それにしても、彼女を悲しませたくなかった。

 (誰も…傷つけたくないんだ…)

 背を向けて、駆け出した。
 全てを捨てて逃げるように。
 それを彼女は、ただ見守っていた。
 少しの動揺だけを見せる、無表情な瞳で。

 そう。
 彼女の名は、『リリス』。
 シンジ…『アダム』と同じ、『Seraph』。



 キーン コーン カーン コーーン……

 チャイム。

 「そして、我々の世代は終わりを告げます。これからは、君たちが…おっと、もう時間か。…では、今日はここまで。」
 いつものマイペースな教師。
 ぺこりと頭を下げると、教卓の上から教科書を持って出ていった。

 ガラガラ…

 扉が閉まると、生徒たちは三々五々目を覚まし出す。
 まるで、そうプログラムされているかのように正確に。
 これも、「慣れ」のなせるわざであろう。
 それが良いことなのか、誰も分からないが…。

 「ん…」
 シンジも頭を上げる。

 「お、センセも起きたか」
 後ろのトウジが声を掛ける。
 そう言いながらも、トウジも眠そうな声だ。

 「珍しいな。センセが寝とるの。」
 「仕方ないじゃないか…」
 「…ま、昨日あんなことがあったばかりだしな」
 ケンスケがいつの間にかやってきていた。

 「…だけど、ホントに嘘みたいに思えるよな。…傷も無いみたいだし…よかったな、怪我がひどくなくて。」
 「せやな。」
 「ありがと…」
 言って欠伸をするシンジ。
 どこか、気のない返事だった。



 キールはめずらしく部屋の中をうろうろとゆっくり歩いていた。
 いつもの薄暗い部屋。
 ほのかな光だけが、キールのバイザーを、そして秘書のサングラスを照らす。

 「日本支部より、報告です。次の駒が決まったそうです。」
 「…それで、次は誰を」
 「『シャムシェル』を予定とのことです。」
 「『リリス』の容態は何と言っていた」
 「まだ意識がない状態が続いているそうです。」
 「そうか…まあいい。」

 そして、キールは腰を椅子に落ちつけた。

 「…期待している、とでも言っておけ。」
 「わかりました。」

 秘書が退出する。
 残ったキールは、扉が閉まった後にふっと軽く鼻で笑った。

 「期待…か。…まあ、そうせざるを得んな。」
 癪だが、今はそれしか手がない。
 『アダム』を取り戻すため。
 彼らの…いや、正確には彼らではなく、…『神』と呼びうる存在の創り上げた最高傑作を、人の手に取り戻すために。

 (やはり、ヒトは神にはなれんか…)
 自嘲が、漏れた。

 



No.IV

 

 街を、人波に逆行して一人の少年が歩いていた。
 きょろきょろと辺りを見回し、彼は捜し物をしているように見える。
 さして背も高くは無いので、ちょっと背伸びをしたりして何かを探しているようだ。

 彼は、名をケンと言った。
 正式には「宮田ケン」だが、苗字は最近になって与えられたばかりだ。
 一応帰るべき家もあり、家族もいるが、それらは全てフェイク。擬似的なもの。
 この街での生活は、全てがテンポラリー…一時的なものなのだ。

 だが、それを寂しいと思いはしない。
 それが今まで彼にとって普通だったから。

 この街での仕事が終われば、それは自然消滅するだろう。
 ただし、それは「無事に終わらせることができれば」、の話だが。

 むしろ、彼はそれを待っていた。
 孤独には慣れているから。
 いやがおうにも慣れなくてはならなかった状況が続いていたのだから。

 「ケン」と呼ばれることより、彼は『シャムシェル』と呼ばれる方が多かった。

…そう。
 彼は『ANGEL』の一人だ。

 そして、彼が探しているモノは…。
 彼の未だ見ぬ仲間の一人。
 名前は「シンジ」、コードネーム『アダム』だった。

 「碇、シンジか…」
 少しの期待に胸を膨らませるが、それは冷静な部分に押し止められた。



 シンジは、教室で帰りの準備をしていた。
 教科書類を鞄に詰め、背負う。
 そして、ふと何かを感じたように窓の外を見た。

 そのまましばらくぼーっと立っていた。
 後ろにアスカがやってきたが、それも気に留めていない様子。
 なかなか準備の終わらないシンジに業を煮やしてアスカは呼びに来たのだった。

 アスカは、シンジに話しかけてみた。

 「…シンジ。」
 反応はない。

 「シンジってば。」
 「…え? あ、何?」
 「なにしてんのよ。行くわよ。」
 「うん…」

 そう言いながら、アスカはシンジの手を引っ張って歩き出した。
 シンジはまだ何か未練があるように後ろを見る。
 その先には、雲一つない青空。
 視線は、その一点に集中していた。

 その向こうから、誰にも分からない波動がシンジに届く。
 いつしかシンジの瞳はルビーのように紅く染まっていた。
 しかしそれも、振り返って歩き出すと元に戻る。

 「…行こう。」
 言いながら、心の中では違うことを考えていた。

 (これは…また、『ANGEL』が? また…殺さなきゃいけないのか…?)
 仲間の血で汚れた手。
 それは、原罪を持たぬ清らかな心を締め付ける。
 シンジの胸が、また少し痛んだ。



 だが、それでも元の所には帰りたくなかった。
 外に出て初めて触れた人間達、その全てが持っている、笑顔を壊したくはない。
 しかしそれは同時に、自分の仲間を…自分と同じ存在を失って行くことでもあった。
 一人、また一人と仲間は減っていくのだろう。ただ「浄化」のみが使命と教えられてきたから。精神をコントロールされているため、他の『ANGEL』は、それに何の疑問も抱いていないはずだ。

 そして今もまた、誰かが自分を連れ戻しに来ている。
 話し合い、分かり合えたらどんなにか楽だろう、そう思った。
 だが、世の中そう上手くは行かないのだ。
 望まざる戦いを、繰り返さざるを得なかった。
 そう分かっていたが、それでも戦うことは好きにはなれない。
 たとえ、それが自分の、そして仲間達の存在理由だとしても。

 大きすぎる力は、自分の心に掛けられた枷を外してしまった。
 以前はシンジも精神コントロールをかけられていたが、ふとしたきっかけで簡単に外れてしまったのである。
 そのまま気づかずにいれば、こうして苦しむことはなかっただろう。
 けれど、今から思えば、今の道を歩んで良かったと思う。
 人の温もりに触れ、彼らを守らなければならないと思っていた。

 それに…いずれにせよ、『ANGEL』はやってくるのだ。
 目撃者を始末する目的でも。

 どちらと戦うべきか。
 どちらを、生かすべきか。
 二律背反。



 「今日は…どこか行くの?」
 シンジは、少しおそるおそると言った感じでアスカに聞いた。

 「え? 特に今日は予定無いけど?」
 「あ…じゃあ、僕ちょっと寄り道して行くから…先に帰ってて…」
 「あ、ならアタシもついてくわ」
 「え、いや…あの…ちょっと、トウジ達と、約束が…」
 慌てて言うシンジ。
 見え透いた嘘だと言うのは、分かっていた。

 「ふーん…分かったわ。」
 ちょっと膨れっ面をして、アスカは言う。

 「じゃ、先帰ってるから。」
 「う、うん。それじゃ…」
 シンジが慌てて駆け出す。
 その後ろ姿を見送るアスカ。
…そして、その後をこっそりとつけていく。

 (何なのよ、一体…?)
 シンジは、しきりに辺りを気にしているようだったが…やがて、歩みがゆっくりになった。
 どうやら、町の中心部に向かっているらしい。



 「あ〜、暇やなぁ」
 「そーだな…」
 一方、こちらは見るからに暇、といったトウジとケンスケ。
 いつものように、何と言うことはなしにぶらついている。

 そして、丁度中央公園に差し掛かった時。

 「なぁ、ケンスケ」
 「何だ?」
 「アイスでも喰うか?」
 「そうするか」
 とりあえず意見の一致したところで、手近な店に向かう。
 そして、アイスクリームを各々持って出てきた。

 「公園でしばらく休もうぜ」
 「そやな。」
 公園に入る。
 まだ気温は低くなり始めていない。
 アイスはじわり、と溶けていく。
 木陰のベンチに2人は鞄を置いて座った。

 「しっかし…毎日あつぅてかなわんの〜」
 「ホントだよ。俺達にも、水泳ぐらいさせてくれても良さそうなんだけどな…」

 蝉が鳴いている。
 いつもの光景。
 そして、なま暖かい風が2人の顔を撫でる。

 公園には、噴水がいかにも涼しげな雰囲気を漂わせていた。
 他に人は、見る限りでは居ない。



 第三新東京市中心部にある「中央公園」は、ビル街のなかで殆ど唯一と言っても良いほど緑が目に染みるような場所となっている。
 その中央には噴水が設けられ、常夏の街にささやかな涼しさを(気分だけだが)運んでくれる。

 昼時にはあちらこちらの会社から社員が出てきては昼食を取る一大スポットともなっていた。
 しかし、その割には子供は少ない。

 なぜか。
 それは、遊具が無いためであった。
 市街地中心部にあるこの公園は、どちらかというと大人を中心対象に造られているからである。
 あるものといえば、公衆便所と噴水、木立とベンチだけだ。
 もともと、子供がこんな所まで遊びに来るほど公園に不自由しているわけでもないだろう。
 付近に団地のようなものは無いが…近郊のマンションの近くには確か子供用の公園があったはずだ。
 つまりここは、大人が心のやすらぎを求めてやってくる場所なのだ。

 そして、昼時一時のピークを過ぎると…人の数は極端に少なくなる。
 この日のように、全くだれも居ないことも稀ではない。

 だが、かといって誰も気に留めはしない…。



 シンジは、ただ闇雲に歩いているわけではなかった。
 こっちだ、そうどこかで感じるのだ。
 その先に何が待っているのか…薄々感づいてはいた。

 シンジ自身は望まざること。
 だが、避けて通ることのできないこと。
 ならば早い方がいいではないか。
 ならば…。
 そう思って、こうしてここまで来た。

 「・・・」
 誰かに迷惑をかけるわけには行かない。
 だから、アスカも置いてきた。
 そのアスカ本人がついてきているとは知らず、シンジはただ黙々と歩き続けていた。

 その視界が、開けた。
 緑の眩しい木立の向こう、高く吹き上げる噴水が見える。
 シンジは立ち止まった。

 (ここか…?)
 本当に良いのか?
…逡巡の後、シンジはゆっくりと中に入っていった。
 門が彼を迎える。
 門には、こう記されていた。

 「第三新東京市 中央公園」



 「・・・」
 シンジは噴水の前で、ハタと立ち止まる。
 後ろから、気配を感じた。
 どこか懐かしい感じ。

 「…そこにいるんだろ? 分かってるよ」
 決して大きくない声を出す。
 独白のようだった…が、その声は相手に届いたようだ。
 がさり、後ろで音がする。

 「やっぱりバレてたか…。でも、そっちから来てくれるとは有り難いね。」
 『彼』はゆっくりと、どこかおもしろそうに言った。

 「君は?」
 「シャムシェル、と言えば分かるだろう? あるいは、宮田ケンとも言うけどね。」
 「また、僕を連れ戻しに?」
 「ああ。」
 「…イヤだと言ったら?」
 「フフン、分かってるんだろ?…力尽くでも連れて行くまでさ。」

 『彼』のその言葉を聞き、シンジは振り返った。
 双眸が、紅く煌めく。
 その背後で、噴水が飛沫をひときわ高く吹き上げた。



 「このまま…帰ってくれないか?」
 「それはできない相談というものだね。…僕が帰ったとしても君はずっと狙われ続けるだろうからね。」
 「…どうしても、ダメと?」

 「そう。君が僕と一緒に来るなら話は早いけどね。」
 「…僕は…行かない。…あそこには、もう戻らない。」
 「そうか。残念だね…まあ、組織の一部でも持ち帰れれば良いらしいから…相手をしてもらうよ!」
 ケンの身体が変貌を遂げる。

 のっぺりした身体に、鳥脅しのような目玉が二つ。
 両手が変化したらしいところからは、2本の光の鞭らしいものが伸びている。
 そして胸の辺りには…赤黒い球体…「コア」がはまっている。
 10センチほど、使徒「シャムシェル」は地面から浮いていた。

 ちらり、公園の入り口を見るシンジ。

 『大丈夫だよ。ATフィールドを張ってある。誰かに邪魔される恐れはない。ついでに逃げられない。』
 「…準備いいことで…」
 『とりあえず、ありがとうと言っておこうか。…行くぞ!』

 ヒュルッ!

 空気を切り裂き、鞭がシンジを襲った。



 ガッ!
 地面が少し抉れる。
 光の鞭は、簡単にコンクリートの地面を突き破っていた。
 避けるシンジ。

 立て続けに数発、鞭が襲う。
 それを全てかわし続ける。

 『どうしたんだい? 避けてばかりではどうしようもないよ?』
 その声はどこか楽しんでいるようで、シンジはいやだった。
 戦いを楽しむなど、彼にはできようはずがなかった。
 誰かを傷つけることを嫌うシンジは。

…しかし、今はやらなければならない。
 守らなければならないものがあるのだ。
 掛け替えのないものを教えてくれた人達を、守らねばならない。

 …くっ!
 右手指先にATフィールドを発生させ、投げつける。
 攻撃態勢に急に移ったことによってシンジの体勢が少し崩れた。
 シャムシェルは、そこを狙った。

 そこだっ!

 ビシュルッ!

 …っ!?

 足を取られる。
 見れば、光の鞭が巻き付いていた。
 そのまま高々と掲げられ…投げ飛ばされる。
 その先には、コンクリートの壁がある…!



 「トイレ行くわ」
 「あ、待った。俺も。」

 そんなこんなでアイスを食べ終え、トウジとケンスケはトイレへ向かった。
 そしてシンジがやってくる。
 シャムシェルとの戦闘に入ったシンジ。

 トウジとケンスケは、ちょうどその時手を洗って出てくるところだった。
 ここのトイレは、いつも綺麗に掃除されている。
 汚いらくがきや、ゴミなどは落ちていない。
 こういった公園には、相応しくもなかなか見ることのできないものであった。

 「…さて、そろそろ帰るか?」
 「そうするか。」

 ドゴォン!

 そう言ったところへ、トイレ出口前にあるコンクリート壁が、大音響とともに崩れてきた。
 コンクリートの欠片が、降ってくる。

 な、何やぁ!?
 うわあぁぁっ!?



 「おーい…ケンスケ〜?」
 「…俺は大丈夫だ。トウジは?」
 「ワイも大丈夫みたいや。」
 瓦礫を押しのけて、2つの人影が起きあがった。
 なんとか直撃は免れ、トウジとケンスケは2人とも無事のようだ。

 「しっかし、なんでこんなのが…」
 ケンスケが首を傾げる。と、トウジが素っ頓狂な声を上げた。

 み、見てみい!
 指さした先にあった顔は…

 碇!?
 紛れもない、碇シンジだった。

 「トウジに…ケンスケ?」
 どうやら、シンジもこちらに気づいた様子。

 「何で、こんな所に…」
 どちらともなく、呟いた。
 しばし、呆然とした時が流れる。

 『こないだの戦闘の時にいた2人か。…処分する手間が省けたな。』
 どこからか声が聞こえてくる。
 その声の方向を、全員が見た。

 ひぃっ!?
 その視線の先では、使徒シャムシェルがこちらに寄って来る。

 『アダムより先に、お前達から始末してやる!』

 ビュン!

 鞭が、トウジとケンスケの方に一直線に向かってきた。
 2人は、目を固く閉じた。



 (いけない!)
 身体の方が反応していた。

 バチッ!

 火花が飛んだような音がした。
 トウジもケンスケも、身体はどこも痛くはない。

 「・・・?」
 ケンスケがおそるおそる目を開けた。

 (まだ…生きてるみたいだな)

 「トウジ。おい、トウジ…」
 「な、何や…ワイ、まだ生きとるんやな…」
 トウジもようやく目を開けた。

 2人の前では、シンジが2本の光の鞭を掴んでいた。
 その手からは煙が上り、周囲には蛋白質の焦げる嫌な匂いが広がっていた。
 歯を食いしばり、それに耐えている。
 だが、視線はその光景から離せない。まるで、吸い付いてしまったかのように。

 『アダム! 何故邪魔をする!?』
 「僕は…僕のせいで、誰も傷つけたくない…それくらいなら…誰かを痛い目に遭わせるくらいなら…僕自身が傷ついた方が、よっぽどいいっ!
 のどの奥から絞り出すような叫びを上げ、シンジはシャムシェルの身体に渾身のキックを食らわせる。
 それに飛ばされ、シャムシェルは噴水の池に突っ込んだ。

 バシャァッ!

 水しぶきが上がる。
 シンジは、ゆっくりと立ち上がった。
 その両手の平は、焼けただれて見るも無惨だった。

 手の痛みで気を失い掛けているのか、少しふらつく。
 思わず駆け寄ろうとするトウジとケンスケに対して、シンジは目線で「大丈夫」と合図した。

 「もう…誰も、誰も傷つけたくないんだ…っ!」
 シャムシェルを睨み据える。
 その双眸が、紅い光を増す。

 「…あああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
 空に向かって、力強く吼えるシンジ。
 それとともに、身体の奥から大きな力が迸る。

 奔流に飲み込まれる刹那、一粒の涙が、頬を流れた。



 トウジとケンスケは、目を見張っていた。

 シンジの咆吼、その瞬間、目の前にいたシンジの姿が、光に包まれる。
 眩しい光を放ち、そして光の粒子が辺りに飛び散る。
 大量にまき散らされた光は、まるで常夏の町に降る雪のように、きらきらと輝き消えていった。

 その後に残ったのは…まるで…そう、「ロボット」とでも表現するに相応しいような…とにかくそういうモノだった。
 紫色の装甲が全身を覆い、両肩にはそれぞれ黒い板のようなものがはまっている。
 金色に輝く双眸、そして額には角のようなもの。
 全体的には、人型をしている。

 シャッ!

 「それ」の左肩にとりつけられた板が開く。
 中からはナイフが出てきた。
 それを掴むと、「それ」は、シャムシェルに向かっていく。

 『…やっとやる気になったようだね!?』
 ようやく体勢を立て直したシャムシェルは、ここぞとばかりに鞭を走らせる。

 次の瞬間、紫の人型の背からは、2本の光の鞭が生えていた。
 だが、「それ」は一瞬動きを止めるのみで、すぐにまた動き出した。

 『ああああぁぁぁぁぁぁっっ!!』
 再び、「それ」…いや、シンジが吼える。
 そのままシンジはナイフをコアに向けて突き出し…無防備な体勢だったシャムシェルはコアに痛烈な一撃を食らった。

 ガギン…ッ!

 『ぐっ!?』
 ナイフが、コアに突き刺さる。
 じわじわと、食い込んでいく。

 ピシッ…

 コアにひびが入り、輝きが失せる。
 同時に、シャムシェルの身体は崩れ落ち、まるで風船のようにパァンと破裂した。
 後に残ったのは、オレンジ色の液体。
 そしてそれに浮かぶ、紅いガラスの破片のような、こなごなになった、コア。
 液体は、既に蒸発を始めていた。

 それをただ見て、シンジは佇んでいる。

 「…シンジ?」
 ふと、か細い声が公園の外から聞こえた。
 3人・6つの目が、その方を見やる。

 惣流!?
 トウジとケンスケが思わず声を上げた。
 公園入り口には、アスカがいた。
 顔面を蒼白にした、アスカが。

 



TESTTYPE EVA-01

 

 「何…?」
 シンジを追って公園に着いたはいいが、アスカは中に入れなかった。
 まるで何か見えない壁にでも阻まれているかのようであった。

 入り口の門の陰から、そっと覗く。
 噴水の前に、シンジが立っていた。

 その手前の茂みから、人影が姿を現す。
 背はシンジと同じくらい。
 体格もさして大きくはないし、かといって小さい方でもない。
 だいたい年齢で言えば自分と同じくらいだろう。
 顔は背中を向けているので見えないが、髪は男子にしては少し長め。
 きれいな黒髪だった。

 シンジと何事か話している様子だったが…どうやら雰囲気が尋常でない。
 互いに警戒しあっているように見えた。
…いや、むしろ「これから戦おうとしている」と言った方がしっくりくるかもしれないほどだ。

 (こんなのと、約束…?)
 嘘には気付いていたが、きっと何か約束は有るのだろうと思っていた。
 だが、それも違ったようだ。

 (何を…言ってるの?)
 聞こうとしたが、見えない「壁」は音すらも遮断しているらしい。
 噴水の音も聞こえない。
 シンジの表情が、一層険しくなる。

 そして、手前の人影が変貌を始めた。

 「!!」



 (何…? また、こないだの…?)
 驚きに見開かれた瞳の先、シンジと「何か」が戦っていた。
 赤い化け物の方が、どちらかというと優勢のようだ。

 ぐらり、シンジの体勢が崩れる。
 化け物の鞭が、シンジの脚にからみついた。

 「あっ!?」
 声を上げてから思わず手で口を押さえる。
 辺りを見回す。
 幸い、人はいないようだった。

 放り投げられるシンジ。
 そして、分厚いコンクリートの壁に激しくたたきつけられる。

 「・・・!!」
 声にならない悲鳴を上げ、アスカは目を覆った。
 噴水の音も蝉の鳴き声も聞こえない、静寂の中。

 (シンジが死んじゃう!)
 そう、思った。
 行かなくちゃ、そう思った。

 が、その思いは無情にも「壁」に阻まれて届かない。



 がらり、瓦礫の中から人影が出てくる。
 それを見つけて、アスカの顔は一気に明るくなった。

 (生きてた…)
 ほっと胸をなで下ろし、シンジの向こうにいる人影に目をやる。

 「相田と鈴原…?」
 見慣れた顔が揃う。
 赤い化け物は、シンジ達の方へ向かっていった。

 光の鞭が3人を襲う。
 トウジとケンスケが身体を堅くするのが見えた。
 そして、シンジの両手が鞭をしっかりとつかんだことも。

 見れば、煙が立ち登っているではないか。
 その痛みを、歯を食いしばって耐えているシンジが目に入る。
 シンジの脚が、化け物の腹部を蹴り…化け物は吹っ飛んだ。

 噴水の池に倒れ込む。
 水しぶきが太陽の光を反射してきらきらと光った。
 よろり、シンジが立ち上がる…。



 光の粒子を辺りに降らせ、シンジも変貌を遂げていた。
 紫の装甲に覆われた、もう一つの姿へと。
 当然、トウジとケンスケには見られてしまった。
 しかしそんなことよりも、2人を守らなければならない。
 そちらの方が大事に思えた。

 その頃アスカもその姿を見て、驚愕していた。
 シンジの双眸が怪しく光る。
 そして、一気にシャムシェルの方へと突っ込んでいった。
 光の鞭が、その無防備な腹部に突き刺さる。
 だが、シンジは攻撃を止めようとはしない。
 そのままの勢いで、シャムシェルのコアに持っていたナイフを刺した。

 グッ、とナイフが刺さるのが見える。
 そして、コアがパリン、と音がするかのように割れた。
 倒れるシャムシェル。
 そして、そのまま佇んでいるシンジ。

 呆然としていたアスカが正気を取り戻した頃には、シャムシェルの身体は跡形もなく消え去っていた。
 同時に、アスカの進入を拒んでいた「壁」が消える。

 ザァァ…

 噴水の音が耳に入って、アスカは思わずふらふらと足を踏み出した。
 そして、名前を呼ぶ。

 「シ…シンジ…?」
 自分の声とは思えない、震えた声だった。



 シンジは、無言で目を逸らす。
 紫色の装甲に覆われた身体が、すっ…とシンジの姿に戻った。
 少しうつむき、シンジは右手を握りしめていた。

 アスカが駆け寄る。
 トウジとケンスケもそれに倣った。

 「シンジ!」
 「・・・」
 それには答えず、ただシンジは辛そうに視線を外すだけ。

 震える手。
 噛みしめた唇。
 にじみでた血が、顎を伝う。

 「アンタ、何者なの!?」
 「・・・」
 無言のまま、シンジは耐えていた。

 こうなることはわかっていたはずなのに。
 いつか、全てを明かさなければならないと分かっていた。
 避けられない運命であると、認識していたはずだった。
 けれど今、心は恐怖を感じている。
 何かを口に出せば、関係が壊れてしまいそうで怖かった。



 「ねぇ…」
 「・・・」
 何か言いなさいよ! 黙ってちゃ分からないわよ!
 アスカにも、シンジの心は痛いほどよく伝わっていた。
 しかし、そこで我慢できるほどアスカは大人ではなかった。

 「…ごめん」
 シンジは絞り出すような声を、やっとのことで発する。
 それ以上は、口にできなかった。
 急激に力を使ったため、多少身体が痛い。
 そして何より、心が痛い。

 手を振りほどいて、シンジはその場を逃げ出した。

 「あっ!?」
 アスカ達は、シンジを追わなかった。
 追えなかった。

 (シンジ…)
 あまりに苦しそうな響きを聞いてしまったから。
 シンジも辛いんだ、初めてそう理解した。

 どこかで、時間を告げるチャイムが鳴る。
 それでも3人は、その場で佇んだまま…



 「・・・」
 走りながらシンジは自問自答を繰り返していた。

…本当に、あれでよかったのだろうか?

 力を使えば真実を知られてしまうことぐらい、容易に分かる。
 だが…ならば自分があそこへ行った意味は、そして戦った意味は何なのだろう。

 自分の心が、自分で理解できなくなってしまっていた。
 敢えてシャムシェルの待っている場所へ行き、自分はシャムシェルと戦った。
 自分は、あの時何を考えていたのだろう。

 『みんなを守らなきゃ…』
 その想いが強かったこと、それは確かにある。

 『今やらなければ、また誰かが危ない目に遭うかもしれない』

 自分の力を…本当の姿を見られる事は、どうしようもないことだった。
 知られても構わない、そういう気持ちがそこには存在していた。

 ところが、終わってみれば、どうだ。
 今こうして、逃げ出している。
 なんと情けないことか。



 『日本支部より報告、計画失敗とのこと』
 「ふん…まあ、予想通りだがな」

 いつもの通り、薄暗い部屋にバイザーをかけたキールが居る。
 椅子に腰掛けて、仕事をしていたのだろう、机に向かっていた。
 傍らにはコンピュータがあり、画面にはカラフルな2重螺旋が表示されている。

 キールは、コンピュータの隣りに置いてある電話で部下と話していた。
 声は、どこまでも冷静だった。

 『リリスの方も、意識は回復しかけていると言っています』
 部下が、つけ加えるように言う。
 これは朗報だ。
 だが、キールの声に感情はこもらない。

 「そうか。次はリリスも投入させた方がいいだろうな」
 『ええ。…アダムに唯一対抗できるであろう存在ですからね』
 「その旨、伝えておけ。…今回の作戦指揮者は秘密裏に処分しろ。次の作戦は、私が直々に指揮をしよう。」
 『了解しました』

 翌日、身元不明の男性死体が日本のとある田舎町で発見されることとなった。



 しばらく前に渡されたカードキーを持つ手が震える。
 逡巡して後、スロットに通した。

 ピッ!

 プシュッ!

 空気音が響き、ドアが開く。
 シンジは、ゆっくりと中に入った。

 「あら、おかえりなさい」
 ユイが奥から顔を出して言う。
 いつも通り、にこにこしていた。
 その顔を見て、シンジは少し胸が苦しくなった。

 相談すべきか。
 ユイならば、自分のことを知っているから、きっと相談に乗ってくれるだろう。
 だが今は、誰かとの接触が…たとえそれがユイでも…怖かったのだ。

 「ただいま…」
 少し元気のない声を出し、シンジは自分の部屋に入っていった。
 そのまま、ベッドに倒れ込む。

 シンジは、泣かなかった。
 このあときっと、全てを話さなければならなくなる。
 そのために、心の準備をしておきたかった。
 泣いたら決心が鈍ってしまう、そう感じていたから。
 泣けなかった。



 その三十分後。
 再び、碇家の扉が開く。
 帰ってきたのは、アスカ。

 「ただいま…」
 こちらも暗い声。

 「おかえり、アスカちゃん」
 その声を聞きつけ、ユイが玄関まで出てくる。
 調子がいつもと違うことはすぐに分かった。

 「…どうしたの?」
 心配そうな表情を浮かべ、ユイは聞いた。

 「…シンジ、帰ってきてるの?」
 玄関の靴を見ながら、アスカは聞き返す。

 「ええ。…もしかして、シンジと何かあったの?」
 「・・・」
 「良ければ、聞かせてちょうだい。」
 辺りを伺うアスカ。
 秘密の話なのだろうか。
 そう思ったユイは、自分の部屋にアスカを招いた。



 「で…何があったの?」
 綺麗に片付けられたユイの部屋。
 ベッドを背もたれにしカーペットに腰を下ろしている。

 「こないだ…化け物がシンジを襲ったでしょ?」
 「ええ。」
 「また、今日別の化け物が…」
 声の調子は固い。
 感情がこもっていない声だった。

 「まさか、シンジがまた怪我したの?」
 「ううん…」
 「・・・」
 「シンジ、その化け物と戦ってた。でも…」
 その後が続かない。
 何と言おうか、迷っているようだ。

 「でも、途中で…どう言ったらいいのかわかんないけど…シンジが、ロボットみたいのに…『変身』…したの」
 「・・・」
 ユイは静かに聞いていた。
 アスカの心の動揺が、言葉の奥に見えかくれする。
 それをユイは感じていた。

 「アタシ…なんか怖くなっちゃったの。シンジのこと…」
 ぎゅっ、と手を握りしめる。
 そして震えていた。

 「ねえ、おばさま…。シンジって、何者なの…?」



 「アスカちゃん、良く聞いて」
 一呼吸置いて、ユイは静かに話し始めた。

 「その『彼ら』は、『ANGEL』と言うらしいわ。それで…」
 どうしようか、一瞬躊躇する。
 教えて良いものだろうか。
 しかし…今となっては隠し通すことはできない。
 もう、遅かった。

 「シンジも、『ANGEL』なの。」
 「『ANGEL』…? 『天使』…?」
 「ええ、そう。」
 言葉の意味をかみ砕くに連れて、アスカの顔が蒼白になっていく。

 「ウソ…」
 「いいえ。この間、シンジが話してくれたわ。」
 「そんな…」

 「でもね、アスカちゃん」
 諭すような口調になるユイ。

 「シンジも、悩んでいるわ。それは分かってあげて欲しいの。」
 「・・・」
 「たしかに、シンジは私たち『人間』とは違う身体を持っているわ。けれど、シンジも『心』を持った『ヒト』なのよ。」
 「『ヒト』…」

 「今までずっと黙ってきて、シンジも辛かったと思うの。だから、今までと同じように接してあげて。それが私たちの義務だから…」
 「はい…」

 「…とりあえず、シンジを呼んでくるわね。」

 パタン。
 ユイは部屋を出ていった。

 後に残されたアスカは、自分の行動を後悔する。

 『何者なのよ!?』
 底知れぬ恐怖に任せてあんなことを言ってしまった。
 シンジの恐怖に、気づいていたはずだったのに。

 「シンジ…ごめんなさい…」
 ぽつり、一言。
 嗚咽が漏れる。



 コン、コン。
 ノックの音がして、シンジはビクッと身体を震わせた。

 『…シンジ、入るわよ』
 ユイの声だった。

 「・・・」
 無言で待つ。
 扉が開き、ユイが入ってきたのが分かった。

 「アスカちゃんから、話は聞いたわ。」
 ゆっくり、身体を起こす。
 ベッドに腰掛けるシンジ。
 ユイも隣りに腰を下ろした。

 「そう…ですか…。」
 うつむいたままのシンジの表情。

 「怖かったでしょうね…あんな姿を見せられて…」
 「・・・」
 「でも、僕も…怖いんです。自分で招いた結果なのに…おかしな話ですよね」
 「シンジ…」

 「もう、隠せません。だから、話は僕からします。けれど…」
 「けれど?」
 「…まだ、心の準備がつかないんです。」
 「・・・」
 「嫌われたらと思うと…怖いんです。」
 沈黙。
 声はか細く、涙をこらえているようだった。

 「…辛いのね?」
 「・・・」
 「辛かったら、泣きなさい。そうすれば、涙が流してくれるわ。」
 「・・・」
 静かに、すすり泣く声が聞こえ始める。
 泣きだしたシンジの背中を、優しく抱き寄せるユイ。
 その顔は、優しく慈愛に満ちていた。

 シンジの、人一倍感受性の高い心の痛み、それが痛い程良く伝わってきた。
 今まで、いろいろなことがあっただろう。
 辛かっただろう。

 辛いときは、涙でそれを流し去ればいい。
 そして、明日に向かってまた歩き始めればいいのだ。



 「アスカちゃん…」
 声に顔を上げる。
 ぼんやりとした視界に、人影。
 涙を拭う。
 ユイとシンジだった。
 シンジも、泣きはらした目をしている。
 それが、余計にアスカの罪悪感を煽った。

 「シンジがね、全部話すって。」
 3人で、円を描くように座る。
 窓の外では、もう日は落ち、夕焼けが消え去ろうとしていた。
 一番星が空に輝き始める。

 「アスカ…ずっと黙ってて、ごめん」
 「アタシこそ…あんなこと言っちゃって…」
 アスカは珍しく素直になれた。

 「それじゃ…始めます。」
 目を閉じて、ゆっくりとシンジは言う。
 深呼吸を何度か繰り返し、瞼を開けた。

 「『セカンドインパクト』…あの大災害から、全ては始まりました…」



 『セカンドインパクト』。
 世間には「大質量隕石の落下による災害」として発表されているそうです。
 でも、事実はそうではありませんでした。

 西暦2000年9月。
 南極に、ある調査のため赴いていた研究所の調査団がありました。
 南極の氷の一部に、空洞らしきものが発見されたのです。
 彼らは、その空洞を発掘しました。

 そこは洞窟のような場所でした。
 しかし、天然のものではありませんでした。
 明らかに、誰かが造ったものとしか考えられなかったのです。
 あまりに、内部が綺麗だったためです。

 その中を進んでいくと、彼らは大きな広間に出ました。
 そこで彼らは、信じられない『モノ』を目にしました。
 17個の赤い十字架に磔にされ氷漬けにされた、17体の異形の生物。
 それが、全ての始まりです。

 その場所で、彼らは研究を始めました。
 いろいろな事が明らかになりました。

 その生物は、粒子と波…光のようなモノで構成されていること。
 ゲノムらしきモノを解析すると、彼ら自身…『人間』と、99.89%の一致率があること。
 そして…半永久的に生き続けること。

 

 「これは…世紀の大発見だ!」
 白衣を着た、長身の男が言う。
 額には、氷の中だというのに汗がいくつも浮かんでいた。

 「しかし、発表する訳にはいきません!」
 眼鏡をかけた、同じく白衣の男。
 長身の男の助手だった。

 「何…? 何故だ!?」
 「考えてもみて下さい。人間に一番近いとされる類人猿でも、人間とのDNA一致率は90%程度。それより遥かに人間に近く、人間とは全く異なった生物…その存在が世間に知れたとき、どうなるか…」
 そう。
 疑心暗鬼に駆られた人々が、互いに殺し合うかも知れない。

 「だが…発表しなくては…何事も…」
 「これは、秘密にして置くしかないのです。」
 助手は、そう言って『生物』の方を見やった。

 「これは『パンドラの箱』だったんですよ、きっと…」
 「・・・」
 「何もみなかったことにして、帰りましょう。それしかありません…」
 「……とが…」
 ぼそり、長身の男が呟く。

 「え?」
 そんなことができるかッ!
 男は懐から拳銃を取り出し、助手に向けて撃った。

 ガァン!!

 何度も何度も氷の壁に反響し、硝煙の匂いが辺りに漂う。

 「ハァ…ハァ……せっかく、見つけたんだ。これで、俺も財産を築きあげるんだ…」
 その男を、陰から見つめる冷ややかな視線があった。

 「愚かな…第一、これはそんな生やさしいものではない。」
 その人影は、独り言のように呟いた。
 一心不乱に何かをしている男の耳には届かない。

 「これは…『神の造りたもうた、完全な人間』なのだ…」
 男の名は、キールと言った。

 ピシ…
 小さな音がする。
 今さっき死んだ助手は、床を真っ赤に染めて倒れている。
 その真上、天井から氷の破片がいくつか落ちてきた。

 ビシ…
 ゴゴ…

 辺りが揺れる。

 ビーッ!

 男の前に設置された、メーターが激しく振れている。
 男は、ようやく何が起こっているのかに気付き始めた。

 「何…目覚めようとしているのか…!?」
 既にキールの影は無い。
 丁度その時、南極大陸から飛び立った一機のヘリがあった。

 ははは…そうだ、目覚めるのだ! そうすれば…
 言葉は途中で途切れた。
 氷の欠片が降ってくる。

 「何…?」
 思う間もなく、狂気にとりつかれた科学者は、落ちてきた分厚い氷の天井に押しつぶされた。
 不思議なことに、17体の『生物』達は、傷一つ無い。
 その周囲には、光り輝くオレンジ色の壁が現れていた。

 その衝撃がおさまった頃、南極大陸の一ヶ所で、原因不明の大爆発が起こった。
 それは世界全てを覆い尽くし…そして世界の人口の半数が死んだ。


 

…これが、セカンドインパクトの真実です。
 もう分かったと思いますが、その時発見された生物、それが『ANGEL』でした。
 その時にヘリで逃げた男は、あとでその組織を回収しに来ました。
 『ANGEL』の身体は、セカンドインパクトによって組織一部を遺すのみにまで還元していました。

 そして、自分の研究所で『ANGEL』を復活させる研究を始めたのです。

 セカンドインパクトは、『死海文書』と呼ばれる文書によって、すでに予言されていました。
 西暦1947年に見つかったこの文書の存在は、歴史研究家など、一般の人々の知るところとなりました。
 しかし実は、それには隠された部分が存在したのです。
 それは、セカンドインパクトや南極の空洞などを、恐ろしく正確に伝えていました。

 このことは、今はおそらく世界で知っているのも数えるほどしか居ないでしょう。

 逃げた男はそれを知り、自ら神となるべく行動していたのです。
 僕達『ANGEL』を使って、神になろうと…。

 『ANGEL』の復活は、当時バイオ技術の発展が著しかった日本で行われました。
 思惑通り、僕達はこうして今再び生きています。
 人間態を持っていること、それもきっと死海文書に記されてあったのでしょう。
 僕達は、復活したときこの姿でした。
 セカンドインパクト前の姿ではなく…。



 「…ということは、さっきのは?」
 「僕の、もう一つの本当の姿だよ。」
 言った瞬間、シンジの姿が変わる。

 「あっ…!?」
 『…そう。これが、僕の本来の姿です。EVA…「エヴァ」とか、「初号機」とか呼ばれますが。』
 「『エヴァ』…」

 『僕達「ANGEL」は、全部で17体。僕は、その最初の成功体…』
 再び、シンジの姿になった。

 「…コードネーム『アダム』です。」
 「『アダム』って…聖書に出てくるあのアダムよね?」
 「うん。『ANGEL』は、その名の通り、だいたい天使の名前からコードネームを取っているんだ。」
 「・・・」
 「僕の場合は、最初の成功体だから…『最初の人間』=『アダム』と付けられたんだと思う。」

 シンジの話は終わった。
 沈黙。
 既に、夜空には星が瞬いている。

 「ホントに、ごめん…ずっと黙ってて…」
 「ううん、いいの。だって、こうして話してくれたじゃない…それに…」
 少し頬が赤い。

 「…シンジ、アタシは一つ約束するわ。」
 「え?」
 「アンタとは、前まで通りつきあうって事。」
 「うん…僕も、約束する事があるんだ。」
 「何を?」
 「『ANGEL』は、僕だけじゃなくて…目撃者も狙ってるらしいから…だから、アスカ。僕はアスカを守る…って…」
 シンジも少し照れているようだ。

 「あり…がとう…」

 「ともあれ、良かったわね。さあ、ご飯にしましょう」
 ユイが、場をまとめる。

 「はい!」

 



束の間の休息と…

 

 次の日。
 昼休み。
 シンジは、屋上で昼食を食べている。
 トウジとケンスケも一緒だ。

 「…なんだ、そーゆー訳やったんか。」
 「ごめん…かくしてて…」
 「いや、まあ無理もないだろ。でも、話してくれてありがとうな。」
 「そや。これでまた、ワイらの友情が、一つ深まったな」
 大きな声で笑うトウジ。

 「ありがとう…」
 にっこり、シンジが微笑む。

 「ハハハ…」
 ケンスケも、それにつられて笑っていた。

 が…
 一瞬にして、シンジの顔が強張る。

 「な、何や?」
 …2人とも、早くつかまって!
 言われるまま、トウジとケンスケはシンジの身体につかまる。

 ドウン!

 大きな音とともに、視界が真っ白に染まる。

 うわっ!?
 ケンスケが目を閉じる。
 恐ろしいエネルギーの束だった。



…が、まだ身体は死んでいないようだ。
 おそるおそる目を開ける。
 目の前で、今までいた屋上が燃えていた。
 そして自分達は…宙に浮いていた。

 「な、な…」
 慌てるケンスケをよそに、シンジはひどく冷静に言う。

 「また…『ANGEL』だ…」
 はっ、と気づく。
 火災報知器が、けたたましい音を全校に響かせていた。

 (まずい!)
 瞬間移動し、教室に戻る。

 「あ? あれ?? 俺は…?」
 「どーなっとんのや…??」
 理解不能に陥るトウジとケンスケ。
 生徒が、窓から上を見上げていた。
 消防車が駆けつけてくる。

 それをシンジは、渋い顔で見つめていた。



 「所長」
 声をかけられた。

 「ラミエルがターゲットと接触しました」
 「よし。リリスの容態は?」
 「問題ありません。意識はもうすぐ戻ります。」
 「準備しておけ。リリスを使うことになるやもしれん」

 「はっ…しかし、訓練もせずに、ですか…?」
 「問題はない。…アダムを捕らえるには、リリスを使うしかあるまい?」
 「そ…それはそうですが…」
 「状況報告を忘れるな」
 所長は、きびすを返して部屋に向かう。

 「所長室」
 日本語だ。

 ゼーレ日本支部。
 その所長の座は、昨日空になった。
 そこに入るは、ゼーレ全体を統率する全ての長。

 キール・ローレンツ。

 「全ては死海文書通りだ…」
 ほくそ笑む。



 ピッ…… ピッ……

 電子音が流れる真っ白な部屋で、少女が目を開ける。
 ゆっくりと開かれた瞳は、紅い。

 「私は…生きてるの…?」
 消え入りそうな声で、呟いた。
 それは、誰にも届かず…

 教えて、アダム…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第4話 につづく

ver.-1.00 1998+03/11公開
ご意見・感想・誤字情報などは Tossy-2@eva.nerv.to まで。




次回予告

 強力なATフィールドと、強力な攻撃手段。
 ほぼ完璧の攻守を見せるラミエルに、シンジは苦戦する。
 そして、シンジの前にリリスが現れた…。

 次回、「私の生きる意味」。お楽しみに!


 

  あとがき

 ちょっと更新ペースが上がってきた、LES(Love2 EVA and Shinji ^^;)人・Tossy-2です。

 まずは重要なお知らせ。
 この話、今まではちょっとLASっぽかったですが、次回からLRSになるかも知れません。
 少なくとも、次回はLRSな話の予定です(^^;。

 さて、今回の話ですが。
 割と水の描写が多いです。なんでかな?
 今回は、風景描写と(いつもながらの)心理描写が主でした。
 次は戦闘シーンが盛りだくさん…の予定(「予定は未定」ですので ^^;)。

 感想・ご意見など、いつでもお待ちしております。
 Tossy-2@eva.nerv.to まで、お気軽にどうぞ。




 Tossy-2さんの『Angels' Song Angels Sing』第3話、公開です。



 ケンスケもトウジも巻き込まれますね、戦闘に。


 不幸の一番星ケンスケは分かるけど(分かるんかい(^^;)
 トウジも−−−


 一緒に行動している少年のluck値が低すぎるのがトウジの不幸なのかも・・・


 友達選べよ〜(笑)




 重すぎる運命に苦しむシンジに
 支えと明日の幸せを−−



 さあ、訪問者の皆さん。
 長い作品を一気に魅せるTossy-2さんに感想メールを送りましょう!



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