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それは絶叫とも悲鳴とも付かない声だった。
体内から無理矢理引きずり出されたような声は、年端もいかない少年の口から零れ落ちていた。
幼さの残る顔を歪ませる。
いつもなら通信機からミサトの指示が飛ぶが、今は沈黙したまま少年を助けようとはしない。
届かぬ声を当てにすることも出来ず、かつて聞いたことのない自らの声に恐怖した。

虚ろな視線が辛うじて映していた景色はいつの間にか白一色へと変わり、彼は五感全てを失った。
自分の声すら自らの耳に届かない。
リアクションレバーを掴んでいる手の平に何の感触もない。
口の中で溢れ返っていた血の味も消えていた。
全てがゼロの中に漂い始めた少年が自我もその中に溶け込ませかけた頃、聞こえないはずの彼に誰かの声が聞こえた。

とても静かでとても優しく、そしてとても懐かしい声。
辛うじて残った意識を全てかき集め、すがりつくようにその声に集中する。
何を言っているのか解らない、何を伝えたいのか解らない、だがその声が自分に向けられていることだけは理解できた。
そして自分はその声に答えるべきだ、その声の元に戻るべきだ。
消えゆく自我を必死で押さえながら彼は自らの帰る場所を探した。

再び聞こえる懐かしい声に呼び止められるまで。

……… 何のために帰るの? ………








26からのストーリー


第二十四話:明日晴れるか





僅かな雲の隙間から覗いた空から太陽の輝きが、午前中から暗澹として居た第三新東京市の一部を照らす。
気まぐれだろうか、あと数刻もすれば雨が降り出しそうな空にほんの少し雲の切れ間が覗く。
高台にある第一中学二階の教室からはその様子がありありと見えた。
中央に生える市役所ビルとそれを取り囲むような集光ビル、そしてカモフラージュされ点在する兵装ビルが薄暗かった空間のほんの一部で幻想的なまでに浮き上がる。
それほど珍しい景色でもないが何故か碇シンジはその光景に目を奪われていた。
映画の特殊効果のような光景が何かを予感させるような気がして窓の外に暫く顔を向けたままだ。
特に何かあるわけでもなく単に雲の隙間から光が射しただけなのだが、そこから目を離そうとはしない。
その様子は不機嫌そうで幼さの残る顔も必要以上に険しい。
それが休み時間だったら誰にも何も言われないだろうが、生憎とそうではなかったので当然のように注意の声が飛ぶ。

「ほらシンジ君!どこ見てンの?まだ授業中でしょーが」

国語の教科書の背表紙がシンジの頭部にコツンと直撃した。

「ボウッとしてるほど暇なら続き読んでちょーだい」

痛覚よりも羞恥心を刺激され慌てて席から立ち上がると、全く見ていなかった国語の教科書を開く。
勿論続きなど解るはずもなく周囲に救いの手を求めるが、国語教師の厳重な監視下の元では教えたくても教えられない。

「ほら、早く続き読みなさい。聞いてたんでしょ?」

何ページを開いたらいいか解らず無作為にページをめくるシンジに無慈悲な指示が再度飛ぶ。

「これで注意されたの何回目?授業受ける気がないんなら帰ってもいいわよ。じゃあ続きは後ろの中西君、読んで頂戴」

確かに授業を聞いていなかったシンジが悪いし、注意を受けるのはごく当然だ、何だったら黒板の脇に座らせて授業を受けさせるぐらいしても良いだろう。
だが放っておくことはないはずだ、立ちつくすシンジをそのままに教壇に戻った葛城先生に向けた蒼い視線は当人以上に不満の色が満ちあふれていた。

何処か普段とは違う、数日前から何処か担任教師の態度が変わった。
正確にはシンジに対しての態度だけが変わったのだ、自分を含めそのほかの生徒とはいつも通りの葛城先生なのに。
教師として星の数ほどの不備不足を抱えながらも、それを不満にまでは繋げなかった気楽気さくな先生は、碇シンジに対してだけその表情を隠すことが多くなったように隣の席に座っているアスカには思える。
何しろその少年と四六時中顔を突き合わせているのだから、他人がシンジに見せる態度の変化に否応無く気付いてしまう。

「さてと、この教科書に載ってる小説の論評がみんなに配ったコピーなの。いろんな人の評論があるからどんな事言ってるか比べてみて」

今日の授業は教科書はおまけで配ったコピーが主役らしい。
もとより教科書など滅多なことでは開かない珍しい国語教師なので、今日の授業自体異例と言えば異例だ。
そんな国語教師はコピーを数枚めくりどれから始めるか思案していたが、その前に解決すべき事から手を着けた。

「碇君、いつまで立ってるの?帰るなら早く帰りなさい。授業受けるなら邪魔になるから早く座りなさい」

普段より低温な声はさっきから立ったまま放って置いたシンジに告げられる。
やはりアスカの目にはこの教師と生徒の間に妙なしこりを認めたが、それが何なのかまでは見抜けない。
彼女の洞察力に問題があるのではなく、原因があまりにも常軌を逸している出来事だからだ。

一方シンジの様子もどこかおかしい。
以前だったらこの時点でしどろもどろになり普通に立っていられるような神経の太さはない。
だが今の彼は何処か平然とし、担任に険しく反抗的な視線を向けている。
今にもこのまま教室を後にしそうな彼の姿はアスカの記憶にはない。

「……シンジ、立ってること無い、座んなさいよ」

決断はシンジではなくアスカが行ったがそれには彼女自身の担任教師の態度に対する明確な反抗心が溢れている。
一旦教壇に目を向けたがそこには自分に見向きもしない担任がいるだけだ。
わざわざ音を立て椅子を引くと自分を叩き付けるように腰を下ろした。

良きに付け悪しきに付けシンジは殊更誰かともめ事を起こすような事はしなかった、少なくともアスカの記憶にはない。
まず目立たないと言って良く、教師から目を付けられるような素行の悪さも無ければ感心させるようなずば抜けた成績を上げたこともなかった。
シンジが校内で問題を起こしたことなど今の今まで見たことがなど無いし、実際起こしていないだろう。
故に担任の葛城ミサト先生の態度はシンジよりアスカにとってどうしても納得のいく物ではない。

そんな一部の生徒の不満など構うことなく授業は淡々と進められた。
時折笑いの起こる授業は相変わらずでそこだけ取ってみればいつもと何の変わりもない授業だ。

「……っとまぁ要するに感想文なのよ。さてみんながこの小説を読んで思った感想とそこに書いてある論評を比較してどの辺が違うか書き出してみて」

大多数の生徒はその言葉に従いノートを広げシャープペンを走らせる。
それと共に教室の中に無駄話の華があちこちで咲き誇った。
生徒同士互いの意見を交換しあう、と言えば聞こえが良いが実のところどう書いて良いのか解らず相談しているだけだ。
そしてどんどん雑談に移行していくのも常だ。
何しろこの国語教師は雑談に関しては細かいことには注意をせず、ほぼ成り行き任せな授業を行っている。
それだけにシンジへの注意は異例と言えば異例だった。

さて教室内の「意見交換」がほぼ雑談に変わると葛城先生は一同を見渡し声を上げる。

「ほい、そこまで!んじゃまぁお話も尽きませんでしょうが後十分で書きだしたモンをまとめてちょーだいな。ンでもってチャイムと同時にそれ提出ね、よろしく!」

成り行き任せだろうが何だろうが授業は授業、きっちり出す物は出して貰うらしい。
雑談に熱中し始めた生徒達は慌てたように机に向かい何も書いてなかったノートに文字を書き込み始めた。








薬品臭よりコーヒーの香りが漂う理科準備室というのはそうはないだろう。
この部屋の管理責任者の嗜好によるもので、理科担当教諭赤木リツコが居るときはいつもその香りが漂っている。
今日もまた漆黒の液体を愛用のマグカップになみなみと注ぐと、いかにも美味そうに喉へ流し込む。

これでやっと三時間目が終わり小休止と言ったところか。
半分ほどコーヒーを飲むと今度は商店街で貰ったライターで煙草に火をともす。
昨日まで使っていたブランド物のライターは第三新東京市の地下に置きっぱなしだった。
教師などと言う想像以上に体力を使う職業から約十分だけ解放される貴重な時間だった。
廊下を駆け抜ける生徒の足音、壁越しに聞こえてくる楽しげな談笑、古ぼけたスピーカーから流れる校内放送、その何れもがリツコにとって決して不快ではない。
むしろ遙か昔から教師をやっていたような錯覚を見せてくれる子守歌のような物かも知れなかった。
平和な世界が確かにこの場所で感じられるのだ、地下に潜りもう一つの顔を出したときはそんな物など欠片もないのだが。

心地よい雑音に身を沈めひとときの安らぎを満喫していた彼女の耳に不吉の足音が聞こえたのは約五分ほど経ってからだ。
生徒のそれとは明らかに異なり、廊下を踏みにじるような足音はまっすぐ理科準備室に向かって行った。
やがて荒々しく引き戸を開け、その倍以上の乱暴さで扉を閉じ、さらに数倍のがさつさで椅子にドンと腰を下ろした女性は、認めたくはないが地上に置いても地下に置いても同僚といえる相手だった。

「ずいぶんご機嫌斜めね、何かあったの?どうせ下らないことだろうけど」

一応聞いてみたがリツコの頭の中では、入室してきた女が何に苛立っているのか大方の見当は付いていた。

「はん!どうせ下らないわよ!!リツコ、コーヒー頂戴!」

葛城ミサトの荒れ様は此処最近では今日が一番だろう。

「全くシンジの奴!」

矢張りリツコの想像した名前がミサトの口から吐き出された。
このところ、正確には第六次使徒迎撃戦以降シンジの態度から従順さが消えていた。
今まで戦闘訓練時に指示に従わないことは度々あったが、それは技術の未熟さによるもので指示に従えなかったと言った方が正しい。
だがあの一戦以来明確な拒否の元、ミサトの指示を無視するこようになった。
戦闘フォーメーション、使用武器、進入経路等全て好き勝手に選択してはシミュレーションをこなしていた。
勿論ミサトも再三注意をしたが一向に聞き入れられる様子もなく、最後は二人での口喧嘩がコントロールルームの名物にまでなっている有様だ。

「それを何もこんな学校内まで持ち込むことはないでしょう?全く大人げないわね」
「大人毛ってどんな毛よ!大体あたしゃぁ授業中の態度が気に入らないつってんの!!」

折角のレギュラーコーヒーだったが香りを楽しむまもなくいつも通り砂糖をスプーン五杯入れると口へ一気に流し込む。
そしてあまりの熱さに口を押さえ二、三度のたうち回り水道の蛇口に縋り付いた。

「いい歳して落ち着きのない……お願いだから余所であたしと同じ職場って言わないでね、恥ずかしいから」
「………ふぁるふぁったわふぇえ…………」

スラックス姿なのを良いことに空いている椅子に足を放り上げるとふんぞり返って天井を睨み付ける。
休み時間の学校は静けさの存在を許さないかのようにざわめく。
リツコにとって心地良かった雑音が今のミサトにはただ耳障りなだけだ。

「少しぐらい大目に見たら?中学生相手にムキになってどうするのよ。曲がりなりにも特務機関の指揮官が中学生と職員の前で口喧嘩なんて体裁が悪いったらありゃしない」
「ちょっとぅ、何であたしばっかり文句言われるのよ。大体あの子が命令無視すんのが悪いんじゃない」

頭痛にも似た感覚がリツコの脳味噌を駆けめぐる。

「使徒迎撃戦は過去六回、その何れも迎撃に成功。多少なりとも自信が付いたんでしょう、あなたの命令にだって逆らう気にもなるわね」

シンジの手にした力は事実上人類の持てる兵器の中では最強の物だろう。
それを自在に駆使し誰も勝てない敵を倒す、尤も解りやすい力の証明を彼自身の手で行っているのだ。
14歳の少年がそれに応じて変化するのも無理はないのかも知れない。

「ハン、勝ったつったってどれも薄氷の勝利じゃない。んな余裕なんざありっこ無いわよ」

ミサトが程良く冷めた甘すぎるコーヒーを口にする一方、リツコはコーヒーサーバの残りを自分のマグカップに注ぎ二杯目を口にする。
口の中に広がる苦めの香りを満喫するとその成分の残ったようなことを口にする。

「……昔からいつもそう。好意を寄せる相手にはあれこれ注文して冷たくされるとふてくされる、そのくせ自分から合わせようとはしない……どうにかしたら?」
「何よ、言いがかりは……」
「加持君の時もそうだったでしょ、大学にいるときは散々頼っても頼らせようとはしなかったわね。卒業して彼がドイツに行ったときもそれに付いていこうとはしなかった、身勝手さの報いは必ず受けるわよ」
「ったく、カビの生えた古くさい話を………」

何か言い返したいミサトだったが今回は旗色が悪いので無視することにした。
昔話と言っても思い出したい類の話でもない。
憂さ晴らしに立ち寄っただけだったが雲行きがリツコの表情と共に怪しくなってきたので、大人しく撤収する事にした。

「さてそろそろ引き上げるわ、次はその問題児の居るクラスでしょ」
「まるで逃げ出すみたいにいなくならなくても良いのに」

さっさと引き上げようとするミサトを横目で見ながら自分も次の授業の準備を進める。
と言っても実験道具は既に用意してあるので後はプリントを配るだけだが。
人数分印刷されたプリントを手で揃え枚数を確認する。
どれほどの生徒がこのプリントを真面目に読むかは知らないが別に放り出されても構わないとリツコは思う。
自分やミサトが幾ら教えたところで興味や必要性のないことなどは覚えようがないのだ。

そう言う意味ではシンジがエヴァの操縦を覚え、オプションの取り扱いを覚え、戦術を覚えたことは少なくともそれが必要だと認識しているからだろう。
だとしたら少々の反抗など気にとめる必要はない。
むしろミサトの方に言っておきたいことがあった。

「ミサト……あなたシンジ君と少し距離置いた方がいいわ。必要なとき必要な決断が出来なくなるから」








校門から溢れだした学生服の群は学校前の通りを左右に分かれて進みその先でさらに細分化され第三新東京市に散っていく。
家に帰るか寄り道していくか、幾つかの小集団に別れ、あるいは一人でそれぞれの放課後を過ごすのだ。

「シンジ、レイ、街に行くから付き合いなさいよ。どうせ帰っても暇なんでしょ?」
「何しに行くんだよ、買うもんなんて無いじゃんか」
「……何か用事有るの?」

賛成ではなく疑問での解答は青い瞳の少女にとってあまり愉快な反応ではない。

「用事がなきゃ街に行っちゃいけないの?良いから付き合いなさいよ、見たい物が有るんだモン」
「だったら一人で……解ったよ、付き合うから睨むなよ……」

これといって買う物があるわけではないのだが何となくぶらつきたいのだろう。
余り変化のない日々では飽きてくる。
洋服や靴、アクセサリーに雑貨が溢れた市街地は退屈になりがちな放課後を彩るには最適だった。
此処からならバスで十分足らず、遠い距離じゃない。

「レイも付き合うわよね、一緒に洋服見よ」

もう聞く必要はない、自分とシンジが街に行ってレイが一人残るなど許されないのだ。
三人は常に一緒だ、その筈なのだ。
自分はシンジの元を訪れ、時を置いてレイが二人の元に現れた。
もしかしたら全く関わりを持たない人生がそれぞれにあったのかも知れない、だが今こうして同じ家で同じ時間を過ごすことが当たり前の生活だ。
レイが来てたった数ヶ月だが遙か昔から一緒にいるような気がする。
なのに避難命令がでると途端にその姿が見えなくなる、ついこの間のように。
本当なら偶然で済ませられる、気にする必要のないことなのに何故かしこりになって残り、わざわざ自分で言い聞かせないと底なしの疑惑に飲み込まれそうだった。

歩道の脇を車が通り過ぎる度舞い上がる風に栗色の髪が不安げに揺れる。
目に掛かった前髪は頭を振って払う。
揺れる景色の中にシンジの姿があった。
国語の時間の不機嫌さとは違いいつもと同じ穏やかさを見せている。

……いつもと同じ、か……

いつもと同じなのに違和感を感じるのはアスカの気のせいか。
落ち着きの増した表情だと思うのは、何処か変わったと思うのは自分の足下が少しずつ疑問の中に埋没し始めたせいか。

「………何人の顔ジロジロ見てるんだよ、何か付いてるの?」
「バ、バッカじゃない!!何であんたなんかの顔見なきゃいけないのよ!たまたま目に入っただけよ、あぁあ、つまんないモン見ちゃった」

慌てて顔を逸らすと色違いのブロックを敷き詰めた歩道を飛び跳ねるように進む。
二色のブロックが交互に敷き詰められ、その内青色のブロックだけを選び次から次へとジャンプして渡っていく。

「………バス停はそこよ、何処まで行くの?」
「いいじゃない、バス停一つぐらい歩いたって。待ち時間の間には着いちゃうモン」

学校前のバス停を通り越す。
いつもの放課後、いつもの帰り道、そしていつもと同じ顔、それなのにとても貴重な時間のように思える。
知らぬ間に訪れた冬が秋の名残を全て覆い隠してしまうように、今のこの景色を変わり始めた三人の季節が消し去ってしまう。

アスカ自身も知らぬ間に自分の季節が変わり、アスカの知らぬ所でシンジの季節は変わり、二人の知らないところでレイの季節は動き出している。
次ぎに訪れる季節がなんなのか想像もできないまま、自分達は変わり始めていた。

「レイ、おばさまがねコート見繕って置きなさいだって。あんた知らないだろうけどこの辺冬になるとすっごく冷えるんだから」

地面を軽く蹴り三つ先の青いブロックの上に音もなく着地する。
スカートを揺らし、長い髪が軽く宙に舞う。

「アスカ、何浮かれてるんだよ?良いことでもあったの?大体何だってバス停をわざわざ歩くんだよ」
「べっつにぃ!シンジが勝手にそう見てるだけじゃない。それより速く歩いてよ、バス来ちゃうじゃない」

浮かれてなんかいない、飛び跳ねていないと粘り着く疑問に足が巻き取られそうなだけだ。
余計なことを考えたくはない、今こうして一緒にいる時間を楽しむのには乗り物など邪魔なだけだ。
再びリズムを取り一つ一つブロックを跳ねていく。

だが同じタイミングで同じ距離を飛んでいるつもりでも少しずつづれ始める。

誰も気付かない程僅かなズレがいつの間にか大きな距離となって。

「あ……赤いブロック踏んじゃった……」










過去六回マスコミが言うところの「巨大生命体」の出現は当事者である第三新東京市に一応暗い影を落としていた。
国営放送、民放、海外マスメディアのインタビューがある度に市民の口からは心配と不安と言う単語がお決まりのようにこぼれ落ちる。
勿論本音でもあるが「巨大生命体」が現れてから同じ質問を幾度もされているので答える方も適当になってきている一面もあった。
何しろ大騒ぎした割には彼ら一般市民の受けた被害というのは微々たる物で死傷者もなく事実上はないに等しい。
確かに名も無き巨大生命体はやって来て避難命令も出されたのだろうが、次の日からは別に不自由のない生活が送れているのだ。
TVや新聞で騒ぐほどには人類が未だかつて経験したことのない出来事に現実感を持てないでいるのかもしれない。

だが同じ第三新東京市の地下にはそうも言っていられない連中がいた。
天井から降り注ぐ太陽光に照らされたピラミッド型の本部と研究施設を赤くにじませる。
歩哨に立っているNERV警備部の職員は交代の時間になり、日勤の職員は後を夜勤に任せ帰宅の支度を始める時間だ。
残業する者は食堂に行き休憩と軽く腹ごしらえをする。

24時間動き続ける組織が取り敢えず一息つく、が、同本部地下にある訓練設備は未だ稼働中だった。

何の彩りもない灰色だけで構成された無機質な空間は、誰も居なければ此処だけ時が止まったように思えた。
だがそれを否定するようにさながら銃撃戦のような銃声が、ドラムでも叩いているように鳴り響いている。
15回銃声を響かせた後一拍置いて再び同じ数だけ物騒なドラムが連打された。
硝煙が天井に着けられたエアダクトに吸い込まれていく様を演奏者である彼女は無気力な目で見つめていた。

「よぅ葛城、飯は食わないのか、今日は残業だろ?」

自分一人だけだと思っていた射撃訓練場に一人の男が現れた。
ジャケットを羽織っただけの身軽でラフな格好がどことなく場違いだが、それが加持リョウジのいつものスタイルであることは彼女も良く知っている。

「心配しなくても食べるわよ、調子が上がってきたから続けてやっただけ」

手元に引き寄せた幾重にも円の描かれた標的に穿たれた小さな穴は、大半が円の外に空いていた。
お世辞にも調子が上がったなどと言えない。

「上手でしょ、そこまで外して撃つのは難しいのよ」

何一つ悪びれるふうでもなく標的を丸めてクズカゴに放り込むと足下のペダルを踏み込む。
モーターの発する低周波の駆動音と共に派手に散らばった60発分の薬夾をダクトが吸い込んでいく。

「さっき搬入口でリッちゃんにあってね、此処で憂さ晴らししてるって言うんで寄ったんだがずいぶんぶっ放したな」
「あ、今日マゴロクテックからの受け入れ検査でしょ?品証に検査なんか任せときゃいいのに出しゃばるんだから」
「自分で確認しないと安心できないんだろ、昔からそうだったしな」

ミサトは不機嫌さを隠しもせず少々乱暴にイヤープロテクターを壁に掛け、まだ熱の残る銃を肩からかけたホルスターにしまう。
そして銃の変わりに加持の差し出したコーヒーを受け取る。
まだ口の中がヒリヒリしているので自販機の入れ立てコーヒーを一気飲みするような真似はしなかった。
用心深くコーヒーを啜ると備品棚の上に腰を下ろした。

「リツコの奴、自分がそうなのに他人には徹底的に秘密主義なんだから!」
「別にその事に苛立ってるわけじゃないんだろう?」
「まぁね………結局さ、あの子も理由無しでハイハイ納得出来るほど子供じゃないのよ。かといって目の前にもっともな理由があってもそれだって受け取れやしない」
「その為に葛城達が教師やってるんだろう?どんな理由でも納得して受け取れるように」

ミサトよりもコーヒーを先に飲み干し紙コップを握りつぶすと溢れ掛かったクズカゴにそっと上積みする。
優しそうで、だが何処か他人を受け入れようとはしない冷たさを秘めた目が静かに俯いている彼女を見つめる。

「納得してないのはシンジ君だけじゃない、あたしもなのよ。だからあの子に何言っても説得力が無さ過ぎるのよ」

使徒が何で此処にやってくるのか、何を求めてやってくるのか、それ以前に自分達が敵と見なしている使徒とは何なのか。
ミサトの手の中に掴んでいる情報は誰かを納得させるには、あるいは自分を納得させるには余りにも乏しかった。
此処数日のこと、今日学校でのこと、自分とその教え子が抱えているのは互いに対する不信感ではなく、自分達のやっていることに対する不信感だった。
だからシンジが幾らミサトに頼ろうとしても彼女はそれに応えてやれない、ミサトがシンジに何を訴えても聞き入れようとはしない。
「無我夢中だったらそれでも良かった、それでも六回使徒を迎撃すれば悩むだけの余裕は生まれる……か」

加持の言葉に一瞬表情を曇らせる。
冷ましながらようやくコーヒーを飲み終え、空になったカップを一杯になったクズカゴに押し込む。
既に入っていた缶ジュースの空き缶が押し出され床に乾いた音を立て転がった。

「加持君、セカンドインパクトって何だったの?NERV、使徒、エヴァ……訳の解らない物が全部そこから溢れだしてる。自分で何も知らないままあの子にエヴァに乗れなんて……何時までも言い続けられないわよ」

15年前起きたセカンドインパクトと呼ばれる未曾有の大惨事、全てはそこから始まっている。
だがその「始まり」が何処に行き着くのか、ミサトには全く見えない。
進む過程で自分やシンジ、レイがどう巻き込まれていくのか、全く想像できないことが不安だった。

必要性だけでは何時までも続かない、縋り付けるだけの事実が欲しかった。
必要性を飾り立てるだけの情報が欲しかった。

「それで俺がこうだと言えば葛城、お前それを信じるのか?」
「………信じたいわね」
「俺の知っている事実なんて俺にとっての事実だけさ、葛城にとっては虚構でしかない……嘘は付きたくないな。それに此処で話せるようなことじゃない」

突き放されたのかあしらわれたのか、ミサトにその区別は様々な感情が邪魔してにわかには付かなかった。
出来たことと言えば辛うじて怒鳴り声を我慢したことだけだ。

「此処でまずけりゃベットの中でもいいわ、寝物語に聞かせて」

灰色の壁に取り付けられた無骨なスピーカーから愛想のないチャイムが響く。
夜勤、あるいは残業する者達を職務に就かせる合図だ。
一体どっちが沈黙の呪縛から救われたのだろう、加持は髪を掻き上げミサトは大きく息を吐いた。

「さてと、俺は仕事に戻るぜ。そのうち飲みにいこうや、気が晴れるだろ?」
「奢ってくれるなら幾らでも付き合うわよ。あたしもぼちぼち戻るか……」
「じゃ、財布が元気なうちに何処かいい店探しておくか」

射撃訓練の後かたづけをする振りで加持と同時には訓練場から出ていかなかった。
元通り誰も居ない無機質な灰色の部屋に戻ると、ミサトはその殺風景な風景に溶け込むように存在感を消す。
そして自分で作り出した思考の海に身を沈めた。

……自分で調べるしかないか、正体不明なモンで世界救うとはね……

与えられた物を使って与えられた命令をこなす、疑問を持たずにこなせればそれで良かったのだろう。
いや、以前にはそんな疑問など浮かびもしなかった、目の前にあることだけで十分納得できた。

「あたしもシンジ君と同じか………人にゃ言えないわなぁ」

まだ14年しか生きていない少年と29年生きた女、現状に抱いた不審は簡単には拭えそうもなかった。










「暗いし雨も降ってるから車に気を付けなさいね」

玄関を閉める間際に母親から声をかけられた。
見上げればいつも顔を出す蒼い月が今宵は分厚い雨雲の布団をかぶり居留守を決め込んでいる。
唯一街灯の安っぽい明かりだけが道路を照らしていた。
通りに面している葉の落ちた椿の垣根は、白い明かりを受け明と暗の格子模様を浮かび上がらせる。
傘を叩く雨音、遠くから聞こえる車のダミーノイズ、夜の散歩をするには十分なBGMだった。
一人で歩くには静かすぎ、三人で歩くには騒がしすぎる。
友達と歩くには雨が冷たすぎ、恋人と歩くにはコートが暖かすぎた。

「えーっと、母さんは無糖、アスカはコーラ……綾波、何飲むの?」

歩くこと五分、自販機の明かりを受け地面に伸びる影は二つ。
シンジは財布から小銭を取り出すと投入口に流し込み、頼まれたジュースを買う。
自分の分のココア、そして無糖のコーヒー二本に風呂上がりに飲みたいとアスカの所望したコーラを取り出し口から持ってきたビニール袋に入れた。

「ねえ綾波、何飲むんだよ?」
「え………碇君と同じのでいい……」

風呂上がりの身体に心地いい夜風は暫しレイから時間を奪っていた。
別にジュースなど欲しくはなかったが、何となくシンジについてきてしまっただけだ。
左手に自分の傘、右手にはシンジから受け取った傘を持ちそれを自販機の前で屈む彼の頭上に差す。

「ココア買ったよ。熱いから気を付けて」

シンジが渡そうにも彼女の両手は傘で塞がっているので、レイの羽織っているハーフコートのポケットにココアの缶を忍ばせた。
時刻は恐らく十時半を回った頃だ、雨の中何時までも表にいる理由はないので足を我が家に向ける。

此処に来たとき傘は二本あった、だが今は一本だけが開いて少年と少女を覆っていた。

「そっちの傘は?」
「………一本有れば足りると思うから………」

降りしきる雨は街路灯に照らされ銀の粒子となり地面に消えていく。
透水性ブロックを敷いた歩道だがそれでも微かに貯まった水たまりは、月の代わりに水銀灯を映し路面を銀色に飾った。

雨降る夜更け、色彩を失った住宅街の歩道に銀色の誘導灯が輝き、その脇を二人の影が通り過ぎる。
一本の傘の下何か話をするでもなく漠然とただ歩く。

一つ目の角を右に曲がり、水銀灯の輝く三つ目の角を左に折れれば自宅が見える、筈だった。
だがシンジはその角を曲がれない、ジャンバーを掴んだ白い指が控えめながら彼の帰宅を阻んでいた。
雨の中佇んでいる二人の目に映っていた家の明かりは、数秒後にその視界から消えた。




窓から庭に零れるリビングの明かりの中に不機嫌そうな一人の少女が居た。
彼女はパジャマ姿でリビングのソファにデンと腰を下ろすと、まだ濡れている栗色の髪をタオルで荒っぽく拭く。
陶磁器のように白い頬も風呂上がりで淡く桜色に化粧されている。

「おばさま、シンジとレイまだ帰ってこないの?」
「そうね、そろそろ帰ってくると思うけど……何処まで買いに行ったのかしら」

口ほどには心配している様子もなくユイは着替えの準備をすると風呂場に向かった。
特に入浴の順番が決まっているわけではなくその日の気分でコロコロ変わる。
今日はレイ、シンジ、アスカの順で最後にユイが入るらしい。
ゲンドウは面倒くさがって寝室に直行し、今は既に夢の中だ。

広いリビングにはTVから流れるニュースがアスカの前を通り過ぎていく。
今日一日の出来事、野球とゴルフの結果、政治に経済、両手の指で数え切れない情報が渦を巻くが彼女の耳に進入できたニュースは一つもなかった。
未だに特集を組んでいる一連の巨大生命体事件が画面に現れる。

……あの二人何処に消えたんだろう……

勿論今はその辺にジュースを買いに行っている、だが避難命令が出たときにあの二人は本当に避難所にいたのだろうか。
疑問に思うのも馬鹿らしいしあの二人は口を揃えて「避難所にいた」と言っているのだから疑う必要など全くないのだ。
ましてやシンジにしろレイにしろわざわざ避難命令が出ている最中に、自分の前から内緒で姿を消さなければならない理由などどう考えても見あたらない。
第一理由が在れば聞かなくても向こうから言ってくるはずだ。

「……言ってきてるのよね、避難所にいたって……」

頭にタオルを乗せたまま転がっていたクッションを抱きしめる。
疑う必要もない、あの二人は避難所にいたと言っているのだ。
一回二回なら何の躊躇もなくそれを信用できただろう、だが過去六回避難命令が出されその全てにあの二人は一緒にいなかったのだ。
全くの他人ならともかくこうしてく一緒に暮らしている、ましてや同じ学校で同じクラス、一日の内一緒にいない時間の方が遙かに短い。
それもシンジとレイ、どちらか一方ならまだしも両方居なくなる、偶然だけで納得出来る状況ではなかった。
納得できないからと言って何処にいたのかなど想像が付かない。

根拠も理由もないのに何処か釈然としない物が残る。
まるで揺らぐ水面に映った月のように、輪郭のない幻像だけがあたかもそこに在るように。

……昔こんなこと無かったのに……

シンジが今までアスカに言った嘘は嘘と言うことが大げさなぐらいどれもこれもたわいのない物だ。
同じ歳の彼女が騙されたくても気付いてしまうほど稚拙さで、それ故かシンジが彼女に対しての隠し事など持てた試しがない。
正直とは違うだろうが素質がないのだろう。

アスカの知らないシンジなど今まで居なかった。
十年暮らしてそんなシンジは居なかった。
抱きしめたクッションが知らぬ間に潰れていた。

……レイは関係ない!!……

得体の知れない気持ちを必死に押さえ込んだ。
絶対に封印しなければいけない、いや、持っていることすら自分で許せない感情だった。
唐突に頭を振るとタオルを跳ね飛ばし、勢い良くソファの上に立った。

「あのバカ二人いつまでジュース買いに行ってるのよ!」








「綾波ってエヴァに乗ることどう思う?」

質問は沈黙が返答した。

「解らなくなったよ。最初の頃は無我夢中だったけど……今はいろんなこと考えちゃって……」

頭上で騒がしげに雨がはじける。
本当ならもう家に着いている時間だが今はバス停で雨宿りをしていた。
時折目の前を車のライトが流星のように駆け抜ける、その台数は少なくまだ片手で数えられるほどだ。

「……戦って勝てばいいと思ってた。何も考えないでただ戦って使徒を倒せばいいと思ってたんだ。でもそれだけじゃなくて色んな事を知らなきゃいけないような気がして」
「……EVAは力だから……人が作り上げた絶対無二の力……」

レイの顔を走り去る車が浮かび上がらせた。
蒼銀の髪が静かに揺れ、何れ降る雪より白い肌と何れ昇るだろう朝日より赤い瞳がシンジの目に映る。

「そんな力を持っても……何を知ればいいのか解らないんだ、闇雲にエヴァに乗ってるだけじゃ……」
「必要だから……碇君はエヴァを必要だと思っているからそう思うの」

深紅の瞳がシンジを透かすように見つめる。

「必要だなんてそんなこと思ったこと無いよ……乗りたくないと思ってるし」
「でもエヴァに乗っているわ……逃げることもできたのに……」

少年の瞳はバス停の屋根の隙間から見える空を仰いだ。
月も星も雲に覆い隠され暗澹とした色が広がっている。

「……逃げられなかったんだ……」

まるで微かに零れる月明かりのようにか細い呟きが記憶の幻燈機に明かりを灯し、雨のスクリーンにあの時の光景を映し出す。
自分が初めてあのおぞましいまでの化け物に身をやつした理由は何だったのだろう。
何も知らないままで済んだ日常の中から引きずり出され目の前に突き付けられた現実は、殆ど面識のない少女がたった一人で戦場に立つ姿だった。
かつて見たこともない巨大な化け物と少女の操る巨人、どれほど奇異に感じようともそれが事実として自分に突き付けられた。

EVAに乗れ、さもなくば去れ……選びようのない二者択一、予め道は一つしか用意されていなかった。
自分以外の誰かだったら全て見捨てて逃げ出せたかも知れない、あるいは積極的に自ら望んでEVAに乗ったかも知れない。

……どっちも出来なかっただけだ……

見捨てることも積極的に乗ることも出来ず周囲に流されたまま周囲の望む道を選択させられた。
少なくとも自分はその選択に積極的に関与などしていない。
レイを見捨てる事で背負わされる責任、逃げ出すことで突き付けられる周囲の失望、それが耐えられなかった。

「みんなを守ろうなんて考えてなかったんだよ、本当はあの時、最初に乗ったときあのまま負けても良いと思ったんだ……」

アスカには告げられない、ミサトには理解できない、母親にも父親にも解らないだろう。
唯一同じ時間を過ごせる紅い瞳の少女だけにしか訴えられなかった。
訴えたところでどうなる物でもない、シンジに何かしてやれるほどレイにも余裕はなかったし、シンジ自身それを期待しているわけでもない。
ただ理解者になって貰いたかった。
同じように日常からかけ離れたEVAのパイロットとしての理解者になって欲しかった。

不意に立ち上がった少女の髪が水銀灯の明かりに反射し光を撒き散らす。

「……あたしには何もなかった……居場所も生きている理由も……ただ必要だったから生きていただけ……でも……今は違うと思う」

俯いた視線は地面に貯まる銀色の水たまりを見つめていた。

「今は此処に在りたいと思ってる……誰にも望まれていないのかも知れないけれど……あたしは此処に居たい……あの時碇君に助けて貰えたからだと思う……」

悲しい言葉だとシンジは思う。
理由など無い、何故か悲しく思えた。
自分はレイを助けようと思った訳じゃない、だがそれに縋って此処に居たいと言う少女が悲しかった。

雨は止むことなく降り続ける。
停まった時を埋める雨音は絶え間なく揺らぐ二人を包む。

「碇君は変わっていくわ……あの時のままじゃなく……」

二人のこの先進む方向は銀色のカーテンの向こう側だ。
何処に向かうのか、何がどう変わっていくかなど見えるはずもない。
シンジの心で大きくなっていく水たまりに映った影、まだ姿は見えずこの先何を映し出すのか解らない。
だが秒針が一目盛り進む度に、雨粒が一つ地面に落ちる度に何かを見て何かを感じて行くだろう。

戸惑いと後悔に弄ばれ不安に揺らぎながら。

「帰りましょ……アスカが心配する……」

普段無機質なほど無表情な少女の顔にある種の感情が浮かぶ。
優しさか、あるいは満足か、シンジを見つめる瞳には何処か母親の雰囲気を纏わせた色が浮かぶ。
我が子に甘えられた母親が見せる表情に酷似していたかも知れない。

「風邪を引いてしまうから……」

シンジの頭上に傘が開く。

「そうだね……そろそろアスカが怒り出す頃だし。それぬるくなっちゃったから新しいのもう一本買っていこう」

レイのハーフコートのポケットには遠回りした分冷えてしまった缶ココアが入っている。
それはまたあとで暖めればいい、通り道に違う銘柄の自販機が有った筈だ。

シンジより半歩遅れてレイは歩む。
そして二人同時に地面に雨が描いた大きな銀色の月を飛び越していった。










夜半に一度止んだ雨は翌朝に再び降り始め、雨は降るような気がしないでもないと言う天気予報を信じなかった人々を慌てさせた。
冷たい雨が第三新東京市に叩き付けられ、街は何処か凍えているようにも見える。
こんな日は学校が終わっても街に出かける気にもならず、かと言って家にすぐ帰ってもする事がない。

友人宅でウダウダ過ごすというのはこんな日には相応しいのかも知れなかった。

「ケンスケ、これの新しい巻は何処や?こっちはもう読み終えてしもた」
「今シンジが読んでるよ、忙しいんだからそっちで探せよな」

コンピュータの操作に夢中になっている級友は素っ気なく答えた。
彼がベットに目を向けるとそれに寄りかかりマンガに熱中している友人が居た。

「……もうちょっと待ってよ、読み終わるから……トウジは読むの早すぎるンだよ」
「おのれがノンビリしとるだけや」

この部屋にいる三人は普段ごく日常的につるんでおり、親友と言えば大げさだが遊び仲間には違いなかった。
三人とも雨の中街まで遊びに行くのが面倒になり、こうして学校から一番近い相田ケンスケのマンションに屯しているのだ。
シンジの家はアスカやレイが居て気を使わねばならず、トウジの家は遠いのでやはり除外される。
日中に誰も居ないケンスケの家が屯するのに最も都合がいいのだ。
甚だ非生産的ではあるが金も使わず暇つぶしが出来るとなるとこんな場所しかない。

「ほれもういいやろ、こっち貸したるさかい」

コミック本がトウジに渡され新しい本が棚から引っぱり出される。
とはいうもののどれも既に一度は読んだ本であり、あとはこの部屋の主であるケンスケの趣味の本があるぐらいだ。
当人のミリタリー趣味を色濃く反映してその手の解説本が多い。
興味のないシンジにしてみればあまり見る気の起きない本ばかりだが、一冊だけ目を引く本があった。
軍用機の写真集らしい本を手にするとパラパラとページを捲った。

……これって確か自衛隊のヘリだっけ……

普通の中学生なら見覚えなど無い筈の軍用ヘリがカラー写真で載っている。
シンジがエヴァに乗るとき援護として出撃してくる陸上自衛隊ヘリ部隊の機体だった。
二枚のローターとコックピットの下に付いた巨大なスタブウイング、何れも自分の回りを飛び回っているヘリの特徴だ。

「ケンスケ、このヘリ詳しいこと知ってる?」
「?……ああ、それね。今度VTOL重戦闘機が配備されるからお払い箱になるんだよ。唯一のツインローター機だったけどもうレシプロでもないんだろ。機動性も装甲も比べ物にならないくらい上だし……確か東部方面隊の松本駐屯地に配備してあるはずだよ」

ケンスケはそれだけ答えると再びモニターに向かいキーボードを叩き始める。
書かれている解説によればケンスケの言うとおり既に配備から外され始めている古い機らしい。

……いい加減だよな、人類の命運なんて言ってこんな古い機体寄越すなんて……

どんな装備を持った部隊が来ても恐らくは役に立たないだろうし、極端な話エヴァだけで使徒迎撃を遂行した方がシンジとしてはやり易い。
だが引退寸前のヘリを寄せ集めて申し訳程度に寄越されるとやはり面白くない。
少なくとも自分達は人類の生き残りを賭けて戦っているはずではないか。

面白くない。
軽んじられているようで面白くない。
少なくとも軽んじられるような戦いなど一度もない、何時だって賭けたくもないが命がけだ。
更にそんなことに不満を持つこと自体面白くない。
別に好きでエヴァに乗っている訳じゃない、与えられた機材で与えられた仕事を淡々とこなせばいいだけなのにどうしても余計なことまで考えてしまう。
好きでもないことに腹を立てなきゃならない事が不愉快きわまりない。

自分の本でもないし自分の部屋でもないので八つ当たりすることなく、大人しく本棚にしまう。

「……どうしたんやシンジ、眉間に皺なんぞ寄せて。腹痛いんならトイレ行って来いや」
「ん、トイレか、場所知ってるだろ?其処の廊下の突き当たりね」

シンジの悩みなど知る由もない友人二人は何処までも気楽だが、勿論教えることなど出来るわけもない。
ケンスケなど生えていない尻尾を振って喜びそうだが、国際的重要機密をお茶請けに軽々しく披露するのも非常識だ。

「ところでケンスケ、さっきから何やっとんのや?」
「親父がこの間帰ってきたときに取材ディスクコピーしてね、それ読んでるんだよ」
「そか、ケンスケのオヤジハンはジャーナリストやったな。で、なんぞ面白いこと書いてあったか?」

モニターをのぞき込んだトウジだったが文字だけが画面に細かく映し出されていたので読むのを諦めた。

「前にネルフって話したろ?あれの調査してるらしいんだけど……例えば……」

父親の影響でケンスケ自身もジャーナリストを目指していた。
だからといってまだ中学生の身、父親のように四六時中取材など出来るはずもなくこうしてファイルを覗くことである程度満足しなければならない。
その彼が何やら講釈を始めたがシンジは今更聞く気にもならなかった。
民間人であるケンスケの父親が幾ら調べたところで入手できる情報はたかが知れている。
仮に何か知ったとしてもそれを公表する事は叶わない、もし出来るなら今頃TVの画面に深紫の鎧を被ったエヴァの形相がこれ見よがしに流されているに決まっていた。
そうならないのは全ての情報をあらゆる手段を持って押さえきるだけの影響力をNERVと其処の司令である自分の父親が持っていると言うことだ。

恐らくは合法非合法など問わない影響力だろう。

知りたくもないことは知ろうとしなくても気付いてしまう。
「せやけどマメやなぁ、そないな事調べてどないすんのや?ワイ等がなんぞ知ったところで何もでけへんやろ、避難命令が出たら大人しゅう従ってあのロボットと兵隊サンにお任せでええんやなか」
「気分悪いじゃんか、知らないところで勝手に何か進むのって。何かしようとは思わないけど無視されているみたいで気に入らないぜ」

ケンスケとトウジはテーブルの上に広げられたポテトチップスを頬張り、乾いた喉にコーラを流し込む。
そしてシンジが手を伸ばしたときは既に空になっており、指先に残りカスが付いただけだった。

「ま、どうでもええけどケンスケ、知ってどないするつもりや。面白くないから調べて何か解ったとしてやな、その後どないするつもりや?」

殆ど粉末状になったポテトチップスを口に流し込みながらの質問にケンスケは何も答えずただコーラを飲むだけだった。

……知ってどうする、か……

トウジの問いかけは意図せずしてそのままシンジにも掛かっていた。
そしてケンスケと同じようにその答えは導けない。
子供のように答えを欲しがってだだをこねているだけなのか、それとも知らなくてはならないことなのか。

トウジはさほど答えを望んでいなかったのだろう、再びマンガにに目を落とし時折肩を揺らす。
ケンスケもまた何事もなかったようにコンピュータの画面に集中する。
そしてシンジは寝転がり自問自答していたが、勿論幾ら考えようとも答えなど出っこないだろう。

テーブルの上にはポテトチップスの空き袋とコーラの空き缶が三つずつ、無造作に散らかっている。
寝転がれば天井に張ってある軍用機のポスターが目に飛び込む。
そして本棚と漫画本とオーディオ、机にベット、多少は違えど殆ど自分の部屋と同じ構成だ、聞くまでもなくトウジの部屋も似たような物だろう事は想像に難くない。

ごく平均的な中学生のごく平均的な部屋、もしかしたら抱えている悩みも似たような物なのかも知れなかった。
だが自分はその「平均的」な中にはもう含まれない、異質な存在であることがこうして友人達と一緒にいると思い知らされる。

彼らにとっての避難命令は出撃命令に変わることなど絶対にない、自分に対してだけの命令なのだ。
その認識が不愉快でない事にシンジは自分に対する気味の悪さを覚えた。

雨は止むこと無く降り続けケンスケの部屋のアルミサッシを濡らし透明な模様を描き続けていた。










赤い二本の触手が音もなく忍び寄る。
その様は獲物を狙う蛇の如く目標に近づき茶色の固まりを二つ、赤い触手に突き刺すとやはり音もなくその場から消えた。
その触手の持ち主は淡い色の唇に微妙なカーブを描き、蒼い瞳に妖しい輝きを灯す。

行為に満足したのか、あるいは手に入れた物に満足したのか、その両方か。

「……アスカ!僕の唐揚げ取ったろ!!」
「ふっふぁいわふぇー……ん、食事中に大声出さないでよ、一個や二個でがたがたみっともない」
「人の取ることないだろう、自分の分まだあるじゃないか」
「さっきから全く箸を付けないんだモン、唐揚げ嫌いになったのかと思ったから食べて上げたのよ、あーーーーーーっあたしってなんて細かい気配りするのかしら」

夕飯時が常に楽しく団らんしているとは限らない。
ごく一部では油断ならない緊迫した状況を呈している事もある。
特に今夜のように唐揚げがおかずだったりするとその度合いは一層激しくなる。
少し考え事をしていて箸を休めていたシンジのおかずが減ってしまったのも止む終えない。
キャベツの千切りとポテトサラダ、ご飯に漬け物数種類、それとメインの鳥の唐揚げがあっという間に減っていく。

食べ方にも色々個性があるようで、シンジなどは好きな物ほど後に取っておくタイプでサラダやスープなどと言った小物から箸を付ける。
レイは特に決まっているわけでもないらしいが大抵おかずのメインから真っ先に食べ始め、ご飯を食べるときは漬け物やみそ汁をおかずにするようだ。
そしてアスカはメインのおかず半分を最初に食べ、ご飯を食べるときはシンジの取って置いてあるおかずを略奪し、最後の最後に残りの半分のおかずを楽しむと言う大変効率的な食べ方だ。
勿論それが原因で小さいときはシンジとよく喧嘩になったが、対戦成績はアスカの全勝だった。

緊迫しながらも楽しい夕食は終盤を迎え、三人の前には空になった皿と茶碗が並ぶ。
いつもながら猫の前に出しても匂いすら嗅がないほど綺麗に食べ終えていた。
そんな中で一皿だけ手の着いていないおかずがあった。

「ねえおばさまは食べないの?」
「ええ、お父さんが帰ってからと思ったんだけど……」
「もう、おじさまも電話ぐらいすればいいのに。そう言うとこってシンジとそっくりよねぇ」

最近ゲンドウの帰宅はめっきり遅くなった。
その理由はシンジもユイも良く知ってる、レイも勿論知っている、仮に知らなかったとしても殊更何も言わないだろう。
だがアスカは何も知らない、ユイが夫に合わせて夕飯を遅く取るのでどちらかというとゲンドウに対しては批判的だ。
特に洗濯物を出さない、遅くなるにしても連絡しない、読んだ新聞を放り出す等々控えめに苦言を言いたくなることが父子共々にある。

箸の先に最後まで取って置いた唐揚げを突き刺すと大きく開けた口に運ぶ。
あまり行儀は良くないが勿論家の中のことだけで、外食に出かけたときはちゃんとマナーは守っているので、ユイは何も言ったことがない。

「ほら、食べ終わったら台所に持っていって頂戴ね」

それぞれ自分の使った食器を重ね台所に向かい、TVの前に座ったときには手にミカンを持っていた。
バラエティー番組にチャンネルを合わせ戯けるタレント達に笑い声を上げ、レイはその傍らでアスカの買ってきたファッション雑誌に何となく目を落としている。

夕飯を終え就寝までさして長くもない時間はいつも通り過ぎる。
一つの番組が終わり次の番組へ、一冊目の雑誌を読み終え次の雑誌へ。
時折愚にも付かないバカ話を交わす。

「何、学校終わってからずっと相田の家にいたの?鈴原と一緒にマンガ読んでたぁ?なんて非生産的で廃退的なのかしら、まさしく人生無駄使いって感じ」
「しょうがないだろ、雨降ってたんだし」

さてアスカとレイはどうしていたかというと、洞木ヒカリの部屋でやはり雑誌を読みながら無駄話に興じていたのであまり人のことは言えない。
雨の日の過ごし方などそう変わりがあるわけでもなかった。

「シンジ、チャンネル変えて、6で天気予報やってるから。この雨いつまで降るのかな?」

CMの後に始まった天気予報はアスカの期待した予想をしてくれなかった。
明日も雨は止まないそうだが彼女の期待していたのはそれが雪に変わることだ。

「つまんないなぁ……シンジ、ちょっと出かけて雪にしてきなさいよ」
「何言ってるんだか。大体雪が降ってはしゃぐなんて子供だね」
「あーーーーー!シンジの癖に生意気!あんたそんなこと言っていいと思ってンの」

シンジの剥いたミカンを横取りするとその半分をレイに渡す。
暖房の入っていない台所に置いてあったのでジュースのように冷たく、その果汁が喉に染みわたる。
今年のミカンは甘く程良い酸味が混ざりなかなか出来が良いようだ。
レイも本を閉じ口にミカンの房を運ぶ。

同じ時間の中、同じ部屋の空気を吸い同じ味を共有している三人。
その筈だった。

「……アスカ、あたしのミカン酸っぱいわ」








深夜二時、路上からは人影が消えごく一部を除いて寝静まっている時間だ。
こんな時間にあわただしく動く理由は大抵有り難くない物だろう。
火事に急患、事故に刑事事件に夫婦喧嘩。
彼らの慌てた理由はそれらより更に悪質だった。

「レーダーには映らなかったの!?」
「駄目です、各観測所では確認できていません!」

警戒アラームと警戒態勢を示す赤い緊急ランプが廊下に充満する。

「空挺隊上げて現状確認!!各兵装ビルはいつでも使えるように。後はいつも通り地上閉鎖やらせて。それと日勤連中は全部呼び出し、あたしを恨まないように言って置きなさいね」

深夜にあわただしく動くなんて本当にろくな事じゃない、葛城ミサト三佐は己の職業を呪った。
恋人より遙かに優しい布団をはねのけジャケットを肩に引っかけめい一杯歩幅を伸ばし仮眠室から発令所へ向かう様に苛立ちが満ちあふれていた。
NERV本部に響いた使徒出現の一報のお陰でこの組織を準備運動なしに激しい体操をしなくてはならない。
とはいえ、さっきまで夢の中でくつろいでいた意識が急速に覚醒するのは慣れだろう。
過去六回、これで七回目の使徒出現はあわただしくとも焦らずに事を運べるだけの慣れを染み込ませていた。

発令所の自動ドアを開けるといつの間にか伝わっている葛城三佐の指示に従い制服を着た職員達が的確に動いている。

「ご苦労だな、陸自の部隊もそろそろ上がってくるだろう」
「了解しました、到着すれば連絡が来るでしょうね。国連は相変わらずですか?」
「いつものことだよ、今頃出撃できない言い訳を考えている最中だろうな。これで七回目だ、そろそろネタも尽きるだろうよ」

冬月副司令の顔に諦めと苦笑が浮かぶ。
国連軍の援護などはなから期待はしていないがこうあからさまにサボタージュを決め込まれると嫌味の一つも言いたくなるらしい。

「ところで碇司令は?」

いつもある司令席にいつもある可愛げの無い顔が今回は見あたらなかった。

「後五分……そう言っていたぞ」
「……その分御子息に働いて貰いましょう……」

さて忙しいのはNERVに所属する人々ばかりではない。
緊急召集を受けた内閣、防衛庁、警察機関、何処でかぎつけたかマスコミ。
そして彼ら。

「おーらー!飛ばせ飛ばせ!!天下御免の緊急事態だ、オービスにびびんな!!」

不機嫌が深緑の軍服を着込んで深夜の第三新東京市を走り回っていた。
陸上自衛隊対使徒迎撃戦用特別編成部隊の指揮官、香山昇一佐は甚だ不機嫌だった。
規則正しい生活を送る彼は深夜は眠る時間と決めており、それを理不尽にも破られたのだ。

「またぞろ出てきたかと思えばこんな時間だ!それも雨ン中にわざわざ……嫌がらせだ」
「仕方ないですよ、営業時間決められる仕事じゃないですし」
「うちは朝十時開店の夕方四時半閉店!!二十四時間営業何ざ松本の駐屯地にやらせておきゃ良いんだ」

副官の慰めも耳に入らない。
幌を張ったジープの屋根を雨が激しく叩き騒々しいほどだ。

「先ほどNERVから連絡が入りまして空挺隊を上げたそうです。現時刻では使徒の特性は不明」
「いつものことだろ。どっちにしてもな、夜中に人んちに来たり電話したりするような奴はミサイルぶち込んで良いと日本国憲法に書いてあるんだ、遠慮無くやらせてもらうぞ」

副官の山科二尉は生まれてこの方そんな物を見た覚えはないが逆らったりはしない。
どのみち上司の言うようにミサイルを遠慮無くぶち込まなくてはならないのだ。
雲に覆われた空には月はおろか星も隠れ何一つ輝く物はなく、地上も必要最小限の明かりだけが灯るだけだ。
だが山科二尉の見上げた空には銀色の月が浮かんでいた。
子供の時夢の中で見た月と同じようにとても近く見えた。

恐ろしいほど大きく気味が悪いほど鮮やかな銀色の月、それが今日の相手だった。

「第三新東京市の閉鎖並びに各環状線は封鎖完了。各機所定の位置に配備終了、指示待ちです」








真夜中の電話というのは大抵ろくな事がない。
知人に何かあったかあるいは間違い電話のどちらかだ。
シンジを叩き起こした携帯電話が伝えてきたのもやはりろくでもない内容だった。
閉じたがる瞼を無理矢理開き、布団から這い出すと手近に脱ぎ捨ててあったジーンズとトレーナーを着込みジャンバーを羽織る。

「何だってこんな時間に来るんだよ、まったく……」

今宵関係者の誰もが感じた不満が思わず口をつく。
更に三十分もすれば避難命令を出される第三新東京市市民も同じ不満を抱くことだろう。
何れにせよ不満を抱いたまま居られる立場にない彼はこれからその元凶を排除しなければならない。

音を立てないようにそっと部屋のドアを開ける。
真っ暗な廊下に白っぽい影が浮かぶ。
一瞬幽霊という単語が浮かんだがシンジと同じ立場にいる少女で有ることはすぐに確認できた。
目だけで互いに意思を交わすと抜き足忍び足で階段を下りる。

真っ暗なリビングは暖房も切れ冷蔵庫のように冷え切っていた。

「……シンジ、出かけるの?」

誰も起きていないはずなのに背後から呼び止める声。
シンジの鼓動が大きく跳ね上がり、そして声の主に思い当たると落ち着いて振り返った。

「……母さん、起きちゃったんだ」
「出撃ね……準備は良いの?」

寝間着の上にガウンを羽織った母親の表情はシンジがかつて見たことのない物だ。

「これから行ってくるよ、多分明け方までは終わらないと思うけど……心配しないで避難所にアスカと一緒に行っていて」

心配する七度という言葉が無意味なのは発言した本人が一番よく解っていた。
第六感だろうか、連絡もないのにこうして起きてきた母親に心配するなと言ってどうなる物でもない。

「寒いからちゃんと着ていきなさいよ……着替えも持って寒くないようにして……」
「大丈夫だよ、着替えは向こうにもあるし……それじゃ時間がないから行くよ」

背中にユイの気配が突き刺さる。
自分だって行きたいなんて思ったことは一度もない、だがそれを実行など出来ない。
過去六回の出撃、母親の見送りを受けたのは今日が初めてだった。

ほんの僅かの間会話が途切れ、母と子の間に言葉にならない想いが交錯する。
自分がエヴァに乗った後、その母親がどれだけ心配しているのか垣間見えたような気がした。

「何か作る?おむすびぐらいだったらすぐ出来るから……」
「いいよ母さん……もう行くから。じゃあ……早くアスカと一緒に避難して」
「……そうね、レイもシンジも気を付けて……」

どんな言葉を言っても無意味だ、ユイもシンジもそれは解っていた。
言ってもどうにもならない、どうしてやることもできない。
ただ父親のように、夫のように口を閉ざしたままでいることに耐えられないだけなのかも知れなかった。

音もなく玄関が開く。
静まりきった住宅地にシンジ達を迎えに来たNERVの車がヘッドライトを照らしていた。










「目標は確認できてるわね?勝手なことは許さないからそのつもりで」

深夜の第三新東京市に立つ二体の巨人は地下からの指示を受け、手にした火器を構えた。
二人の頭上に浮かぶ銀色の月は発令所のメインモニターにも大きく映し出されている。

「リツコ、分析終わった?」
「今MAGIからの解答待ち……出てきたわよ」

二人は伊吹二尉の前のモニターを背後からのぞき込む。

「何これ?パターン不明??どういう事よ」
「見たとおり、波長パターンが識別できないのよ。今までのお客さんとは少し違うみたいね、使徒って断定もできないわ」
「んなの見りゃ解るでしょうが、ああいう非常識なモンは使徒って憲法で決まってンのよ。日向君、陸自の皆さんに連絡とって」

直径40メートルを越しているだろうか、地上150メートルほどの位置に浮かぶ巨大な銀の円盤。
表面は光沢を帯びているが硬質さは伺えず、時折うねりを見せまるで無重力地帯に水銀が宙に浮かんでいるようだ。
外見上からはどんな特性を持っているのか察することすら難しい。

「マヤちゃん、スキャン結果はどう?何か解った?」
「まるで駄目です、X線、超音波、赤外線、MWエコー……全部遮断されてますね。ATフィールドは確認されましたが有効範囲についての詳細は不明です」

使徒とミサトが決めつけた物体の上空を飛び回るNERVの空挺隊が送ってきたデータは、外見上のサイズ以外を知らせることが出来なかった。

「ミサト、どうするの?シンジ君達に先制させる?」
「取り敢えずプロにやって貰いましょ。日向君、陸自に取り敢えず安全距離から攻撃するように伝えて」

特性が解らない以上安全距離なる物が存在するかどうかは甚だ疑問だが、その辺の判断は当人達に任せることにした。
シンジ、レイ二人の駆るエヴァは人類が使徒に対して対抗できる唯一の武器だ。
無情なことを言えば形式遅れのヘリ部隊の代わりなど幾らでもある。
勿論やられても良いなどとは毛頭思っていないが、どうしても両天秤で計らなければならない立場にミサトはあった。

その辺りの事情は自衛隊の香山一佐もよく解っており、愚痴を言うことも文句を言うこともなく淡々と部下に指示を出す。
深夜の出撃と言うことに対して散々愚痴ってありったけの文句をぶちまけていたのでそんな事情は今更気にもならないのだ。

「よーし、配置に付いたな。そろそろ始めるぞ。取り敢えず三、四、五番機で一発ずつ撃ち込んでやれ」

ヘリの装備している武装ならもっと派手なことが出来るが何しろ相手の正体が解らないのだ、夢中になって攻撃すればしっぺ返しがこないとも限らない。

一段と激しく羽音が唸りを上げた。
HUDに映し出される数字を睨みながら三機のヘリは訓練通り旋回し銀色の物体よりやや上空に位置する。
そしてスタブウイングから一筋の軌跡が描かれる。
断続的に三発の空対空ミサイルが巨大すぎる目標に一直線に向かう。
逆立ちして撃っても外しようのない距離と目標のサイズだ、パイロット達も目の前に爆炎が発生するのを確信していた。
たかが空対空ミサイル三発でこんな化け物を倒せるなどと指示した香山もそれを受けたパイロットも思ってはいない。
目的はデーターサンプリングにあるのだ。
通常兵器を無効にしてしまうATフィールドと呼ばれる障壁の強度、攻撃を受けた使徒の変化、反撃した場合の攻撃特性等々、全て採集されている。
本体に届く前にその障壁によってミサイルは爆発するだろう、それが地上と地下の一致した見方だった。

レーダーに三方向から向かうミサイルが映る。
そして中心に達し、消滅するはずだった。

「ンな馬鹿な!」

関係者全員の予想を裏切り、行く手を阻む障壁は存在していなかった。
存在していたとしても銀色の身体に突進したミサイルを防げない程度だったのか、遠慮無く突き刺さる。
本来ならそこで爆炎を巻き上げた筈だ。
だがミサイルは水にでも突っ込んだように銀色の飛沫を上げはしたものの爆発することなく銀色の身体を突き抜け、何事もなかったように地上に向かった。

ビルとビルの谷間に激しい爆発音と火炎が駆け抜けた。
避難命令の際駐車してあったままの車数台が宙に煽られ、商店の看板は吹き飛び自販機は軒並み薙ぎ倒される。
ビルの窓ガラスは無数のナイフとなって街路樹を刻んだ。

「ま、マジィなぁ……各機後方に下がって大人しくしろ!これ以上撃つんじゃねーぞ、弁償できねー!」

地上の香山昇一等陸佐の悲痛な叫びは地下の葛城ミサト作戦本部長に届いたか。

「ちょっと何あれ!?突き抜けてんじゃないのよ!!すぐに解析結果回して」

マヤの指がコンソロールパネルを連打する。

「レートレベル458VMcでサンプリング!MAGIに転送します、SYS5.7.8LINEを解放……DEF三番五番連結、エミュレート開始」

上空で旋回するデーター収集用の哨戒機、地上のビルに設置されたモニターシステム、NERV地上班、第三新東京市の監視カメラ、それら全ての情報がスーパーコンピュータMAGIに流れ込む。
人格移植OSを組み込んだ第七世代コンピュータは集められた情報を元に瞬時にさっき起きた現象をその内部に再現する。
そして数千に及ぶパターンに分けそれぞれを解析し、表面硬度や組体構造、熱反応変化を割り出すのだ。
それらを材料に使徒を擬似的に構築し攻撃シミュレーションを行い、効果的な方法を抽出する。

まとめられた解析結果がミサトとリツコの前に出力された。

「ATフィールドは?それに何であの軟体野郎にはコアがないの?」

コアと呼ばれる熱源集中体。
恐らく使徒の活動エネルギーはそれから供給されていると考えられている。
逆に言えばそれさえ破壊してしまえば使徒の活動を停止させられるのだ。
シンジ達が今まで倒した敵も全てそのコアを持ち、それを破壊することによって勝利を収めてきた。
コアがない、それは最終的な決め手を欠く事に他ならない。

葛城三佐の眉間にこれ以上はないほど皺が寄り、右手の親指が頻りに形のいい顎の先端を撫でる。
使徒迎撃戦において出たところ勝負の行き当たりばったりになるのは、戦う相手のことが殆ど解っていないからだ。
出現周期から出現場所、攻撃方法に進攻ルート全てが不明なままだ。

……そんで何しに来てるかも解らないのよねぇ……

前もって出来ることと言えば用意された道具をすぐ使えるように揃えておくことぐらいだった。
全てが不備不十分の中で結果だけが求められる。

「さってと……どうしたもんか……青葉君、MAGIは何か言ってる?」
「保留案でしたら五案提出されてますが……現有武装では難しいっすね、MAGIの提出案だと武装再編成を要求してます」
「ンな暇無いわよ、つっても絞り込みするだけ無駄か……」

従来の戦闘方法では勝敗などつかない、物量に任せ機銃なりミサイルなり荷電子砲なりを撃ち込んでもさっきと同様にATフィールドは障壁として機能せず、使徒の本体を突き抜け第三新東京市に突き刺さるだけだ。
幸いなことに使徒の方から攻撃する様子もなく、ミサトが悩む余裕はあった。

「あいつ……何か待ってるのかしら?」
「何を?それより次の指示出して頂戴。エヴァを動かすの?それとも陸自に再度攻撃させる?」

こうして睨み合っていても仕方がない。
とにかく何か打開策を見つけないと結果すら出せない。

「シンジ君、レイ、聞いてる?取り敢えずATフィールドを中和しつつ接近、後は相手の出方次第よ!」

結局何も思いつかなかった。
取り敢えず攻めて相手の出方を伺い再度対応を検討する、甚だ迂遠な方法だが全く手掛かりのない相手にはそれ以外なかった。
自ら動いて調べる以外には。








深夜の避難命令と言うこともあってか避難所内には寝間着姿の人が多く見受けられた。
避難所は手ぶらで避難しても特別な状態、例えば持病持ちや入院中の患者などを除けば取り敢えず困らないで生活できるだけの設備を持っている。
一旦避難所に入れば一応は安心できる状態になるので、避難と言う単語とは何処か縁遠い雰囲気があった。

深夜二時半、小さな子供などはこの事態に興奮し走り回っているか、あるいは母親の隣で熟睡していた。
こんな真夜中に、誰もの口から同様の文句が零れるが、起きてしまった災害時の避難とは違ってその表情に暗さはない。
今回の避難命令では彼らの知る限り未だ人的物的被害は出ていないのだ。

にもかかわらず避難所ホールの隅にいる二人の周囲には、ただならない雰囲気が漂よっていた。

「おばさま、何でシンジとレイはいないの?」

出来る限り抑揚を抑えた少女の声は質問などではなく詰問であり、疑問ではなく確信を持っての事だった。
共に暮らしている二人が避難命令のさなか姿をくらました、その事実はもはや彼女にとって疑いようのない事実だ。
距離にして僅か壁一枚、廊下一本挟んだだけの部屋に寝ているはずの二人が何故此処に一緒にいないのか。
はぐれた、たまたま別の避難所に移った……最早そんな理由など成り立つ筈もない。
家から出る際には既に二人の姿はなかったのだ。
疑う余地もない、あの二人は某かの理由でアスカの目の前から内緒で姿を消したのだ。

「何であの二人……いつも避難命令が出るといなくなるのよ」

家から此処に向かうまでユイに同じ事を三回ほど聞いた、これで四回目だ。
移動中はとにかく避難してからと言う答えが返ってきた、なら避難し終えた今ならちゃんと教えてくれるだろう。
南海の海のような蒼さをたたえた瞳から南極の氷のような冷たい視線が放たれている。

「きっと……遅れて来るはずよ、あの子寝起き悪いから」
「嘘!!そんなの嘘よ!おばさま待とうともしなかったじゃない!!」

アスカの右手首は此処に来るまでユイに握りしめられ、その跡が赤く残っている。
それが彼女に嘘と断定させた。
さらにはユイが嘘を付かねばならない理由が介在することを言外に示している。
坂道で背中を押されたように今まで少女の抱えた思いが転げ出し停まることはない。

もう引き戻すこともできない、答えが出るまで引っ込むこともできない。

「ねえ、おばさま……あたしが何か知ったら都合が悪いの?」
「そんなことある筈無いでしょ……それより少し休んだらどう?まだ眠いんじゃ」
「誤魔化さないで!何であの二人は避難してないのよ、おばさま知ってるんでしょ?何で教えてくれないのよ!!」

言葉の調子とは裏腹にアスカの目は不安に揺らいでいる。
どんな答えが返ってくるのか想像もできない。
後悔がまるで雪だるまのように膨らんでいく。

「アスカ……あなたが心配する事なんて何もないのよ」
「それじゃあたし何も関係ないみたいじゃない……そんなのおかしいわよ、シンジとレイの事なんでしょ!?何であたしだけ関係ないのよ!!」

少し荒くなった息と上気した頬、震え始めた足、激しいのかゆっくりなのか解らない鼓動、目眩のように中心の定まらなくなった身体が十四歳の少女にのし掛かる。
今までユイに対して此処まで声を荒げた事はなかった。
そんなことをしなければならないなんて思いも寄らなかった。

ずっと良い子でいられると思っていた。
それが今足下から崩壊し始める。
もしかしたら何も聞かず何も疑問に思わないでいればその方が良かったかも知れない、何も知りたがらない振りをしていれば今まで通りあの家で暮らせるだろう。

何で知らなければいけないのか、それすらも解らないのに自分で踏み出してしまった一歩。

目の前でユイが大きく息をつき、アスカに比べ遙かに複雑な表情を見せた。

「アスカ、此処では話せないわ……外に出たらちゃんと話すから」

ユイの知っていることはホール内の人目を集め始めたこの場所では語れないことだった。
それに興奮気味の彼女に話したところで信じられるかどうか、非常識と言えば非常識な話なのだ。
冷静な状態で聞かせても納得できないかも知れない。
そして知っていること全てを話せない。

まるで全てを見透かすような冷たい蒼がユイに向けられた。
初めて会った十年前と同じ色の瞳。

「解った……あたしトイレ行ってくる……」

栗色の髪をなびかせクルッと背を向け小走りに立ち去った。
去年買ったチェックのコートが徐々に小さくなっていく。

それはまるでユイの手元から今までの十年間がすり抜けていくようでもあった。








軽い足音が長い避難所の廊下にこだまする。
天井に埋め込まれた蛍光灯が灰色の床に落とす漆黒の影は短距離選手の如く走り抜けていく。
その影の持ち主は幾度となく人とすれ違い、そしてようやく無人の場所にたどり着いた。
注意してみなければ見過ごしてしまいそうな小さな扉が壁に埋め込まれている。
さして背の高くない彼女だったがそれでも頭をぶつけそうな扉だった。
備品搬入の際に使った台車や空の段ボール箱を脇に避け、いかにも予備的な扉を開ける。

アスカは以前同級生の相田ケンスケに聞いたことがあった。
物資搬入用口がどのブロックにもあり、其処を通じて外に出られるらしいのだ。
避難所備品では対応できない緊急患者などが出た場合、地上から医薬品等の搬入をするのに使用される連絡路だ。
通常はセキュリティーロックが掛けられているのだが、避難命令が発令されてから一時間程度はロックが解除されている。
混乱しやすい避難直後に素早く対応するためだ。

アスカもこの間まではそんな搬入路の存在など知らなかったし、知ったところで意味のないものだった。
わざわざ外に出なければならない理由もなかった。
意を決したようにノブを握る手に力を込め手前に引く。
不気味な唸り声のような音を発し、アスカの髪を揺らしながら廊下の空気が流れ込んでいった。
廊下とは違いコンクリートがむき出しの床と壁を天井に取って付けたような蛍光灯が無機質に照らし出す。
空調が効いていないのだろう、頬が凍りそうなほど冷え切っている。
アスカは一旦周囲を見渡し誰もいないことを確認した。
今なら見つかっても引き戻されるだけで処罰の対象にはならない。

幸か不幸か彼女の周囲には人は居らず、引き留められる事はなかった。

……外に出て、どうするんだろう……

避難所を抜け出したら何か解る訳でもない。
シンジやレイに会える確立なんて殆ど無いだろうし、何処にいるのかすら解っていない。
自分のやることは無意味に終わるだろう、何も探し出せず外を彷徨くだけに終わるだろう。
それでもアスカの足は止まらなかった。
何かから逃れるようにぽっかり空いた壁に飛び込むとその扉を閉じる。

ケンスケの話ではこの搬入路はさほど厳重な監視はついて居らず、避難直後なら監視はされていないとのことだった。
そもそも刑務所や強制収容所の類ではないから、厳重な監視下に置かれている性質のものでもないのだろう。

地上に通じる冷たい通路、其処を抜けたところであの二人がいなくなった理由など見つかるものでもない。
だが何もせず此処に留まっているのが恐かった。
何時か教えて貰える時を待つだけ、その立場が嫌だった。
最も希望的な結末を望みながらタラップを昇りエレベーターに乗り込み地上へのボタンを押す。

……どうせ下らない理由なんだから、あの二人にそんな大げさなモンがある訳ない!……








迎撃戦開始後、拭いきれない一抹の不安を感じながらも発令所内の職員達は送信されてくるデータを処理する事ぐらいしか関わることを許されなかった。
モニターの中で繰り広げられる別次元の戦い、ミサトはそれを歯痒い思いで見つめるしかない。
作戦は練る、指示は出す、だが直接戦うのは彼らだった。

モニターの中で二体の巨人がゆっくりと動き出す。
初号機は国道を北から南下し、零号機はそれとは逆に北上を続ける。

「綾波、ATフィールドをこっちと同調させて。その方がきっと効果的だよ」
無線を通じてモニターに映し出されるシンジの表情は余裕が溢れていた。
見慣れた街を普段より遙かに高い視線から見下ろしながら歩くのはそう悪い気分のものでもない。
軽い高揚感を感じながら使徒に向けエヴァを一歩一歩前進させる。
確かに正体不明の敵は不気味ではあるが恐怖はない、むしろこれから行える力の解放に対する期待が遙かに強かった。

『シンジ君、発砲はこっちの指示を待ちなさいよ。さっき送ったけど使徒のコアがまだ不明なのよ、相手の出方を取り敢えず伺うからそのつもりでね』

ミサトの指示に適当に頷くが殆ど聞いていない。

降りしきる雨に濡らされ光沢を帯びた初号機の姿は何処か生物的に見える。
消し忘れたネオンと街路灯が反射し、深紫の鎧にイミテーションの宝石を飾り立てた。
やがて目前のビルの上空に鈍く光る目を向け浮かぶ銀色の物体を視界にとらえると、更に輝きを増す。
そして歩みを止めた初号機の周辺の空間が陽炎の如く歪む。

「ATフィールド展開!」

初号機の足下が圧力を掛けられ、捲り上がった無数のアスファルトの欠片が宙を舞う。
更に出力を上げると街路樹が根こそぎ引き抜かれ、停車してあった貨物トレーラーが木の葉のように舞い上がっていく。
それすらも巨人と一体化したシンジから見れば手の平の中の出来事に過ぎない。
自らの高揚感を表すかのように初号機のATフィールドは徐々にその領域を広げていく。
その向かい側ではレイの操る零号機が同じように見えない壁を広げていた。

「ミサト、あの戦法はあなたが指示したの?」
「……まさか、勝手にやってるのよあの子達。シンジ君は何か妙に浮かれてるし、レイは彼の言うことなら何でも聞くみたいだし……」
「そう、でもそう悪くない方法よ。同調させたATフィールドで使徒を押しつぶすつもりね、器用なものだわ……」

敵のATフィールドを無力化しその後にエヴァ両機による直接攻撃というのが今までの基本戦法だ、今回もそれに乗っ取っていると思われた。
目的通り敵の発していた壁は同調されたエヴァのATフィールドによって加速度的に中和され、使徒本体がむき出しにされた。
ただ今回はその後もいつも通りというわけにも行かない。
先の自衛隊の攻撃は本体を通り抜けたのだ。
「リツコ、攻撃しなかったらあの使徒どうすると思う?」

訝しげな女科学者を横目に言葉を続けた。

「もしかしたら何もしてこないんじゃないかしら?」
「馬鹿な、そんなことある訳無いでしょう」

半ば呆れ顔の同僚を後目に再びモニターに向き直る。
以前からミサトの抱いていた疑問でもあった。
もしこちらから何も仕掛けなければ使徒は一体何をするのだろうか。
一体何を求め此処にやってくるのか、此処に一体何があるのか。

あっさりと自分の意見を否定したリツコに対して値踏みするような目を向ける。
彼女の知っている事をすべて吐露させたい気分に駆られたが、それを引っ込めざる終えなかったのはオペレーターの報告だった。

「初号機パレットガン装備!……発砲しました!!」
「あのバカ!!日向君、使徒の情報収集を徹底させて……チクショウ、あれほど勝手に動くなって言ってるのに!」

思わずモニターを叩きそばにあった通信マイクをひったくるとそのままの勢いで怒声を上げる。
返ってきた答えは再度の発砲だった。








目の前を無数の蛍が行儀良く整列して銀色の海に飛び込んでいく。
腕に伝わる偽りの振動がシンジにこれから始まるだろう「解放」を期待させた。
反撃するであろう使徒を半ば楽しみに待ち受ける。
その反撃こそがシンジの楽園の始まりなのだ、それを促すように再度蛍の群を放つ。
だが弾丸はすべて貫通し見えない雨雲の広がる上空へと消えていった。
先に自衛隊が攻撃したときと同様、流動体の身体を素通りしただけで終わった。

「くそ、これじゃ駄目だ……プログナイフで行けば……」
「……碇君、無駄だと思う。それにあれは動かないんじゃない、コアがないから動けないの、何をしてくるか……注意して」

エヴァのATフィールドで圧迫する、その目的を忘れ発砲したシンジにいつもより不安混じりの声が通信機から届く。
自身の事に関しては何の表情もなく一切の不安を見せない彼女とは裏腹の行動だった。

まるで銀色の月のように浮かんでいる使徒の表面は小石を投げ込まれた程度に揺らぐ。
水銀状の本体にはコアは存在せず、幾ら攻撃を加えようと致命傷などにはならない。
そしてレイの言うように出現してから使徒は攻撃してくるでもなくただ其処に浮かんでいるだけだ。

誰もが手詰まりに陥ったと思えた。
勿論その後の変化など誰も想像できなかった。

「碇君、逃げて!」

シンジも発令所の面々も初めてレイの叫び声を聞いたが、それに驚くまもなく銀色の物体が急激に変化する。
つい数秒前まで球形を保っていたが突如としてそれを崩し始めたのだ。
水風船が弾けたかのごとく水銀の濁流となって上空から一気に流れ落ちた。

「何なんだよ!!」

その現象が攻撃なのか単なる変化に過ぎないのかなど全くの不明だ。
迎撃しようにも何をどうしたらいいのか解るわけがない、すべては貫通して無効化されてしまうだろう。
対策を考える間も与えられずに初号機の足下に銀色の水たまりが出来上がっていく。

「ミサトさん!何だよこれ?!」
『落ち着いてその場から離れて!!だから勝手に動くなっていったのに!!』
「駄目だよ、足が動かない……動かないよ!!」

恐怖ですくんだのではない、自分の足が、初号機の足がまるで別の物体のように意志が通じないのだ。
幾ら藻掻こうとも下半身が無くなったように動こうとはしない。

『レイ、初号機を引っ張って!!其処から撤退!』

ミサトに言われるまでもなくそれを実行しようと突入を試みたのだが彼女も異変に襲われていた。
シンジとは違いもっと即物的な異変であり、それは発令所でも確認できた。

「識別パターン変化!青、青です!!敵ATフィールド増大!」

零号機の目前に広がった水銀の水たまりは盛り上がりまるで海草のように幾本もの触手が伸びた。
初めて攻撃的な体勢を取り始めた使徒は何本生えたか知れない銀の剣を揺らし零号機に狙いを定めると一斉に襲いかかった。
レイのとっさの判断は手にしているパレットガンを銃器としてではなく棍棒の代わりに使うことだった。
銃身を握り振り回して襲いかかる触手を払う。
衝撃音が響く度に火花が飛び散り、闇色の都市の中に巨人の姿を浮かび上がらせた。

『レイ!一旦離れて大勢を整えて、これじゃ零号機も捕まるわ』

追いすがる触手を凌ぎなんとか使徒の攻撃範囲から後退した。
動けないシンジを置いては行きたくないが、このまま捕まってしまえば助けるどころの騒ぎではない。
ましてや零号機の戦闘能力では使徒の攻撃を交わし続けるのも難しい。
地面に広がった使徒本体から離れ、すぐさまパレットガンを構えると触手を狙い掃射した。
さっきとは違い触手に着弾した劣化ウラン弾は弾け、派手な火炎を巻き上げる
その攻撃で触手は千切れはしたものの再び流動体となり使徒本体に吸収されていく。

「……このままじゃきりがない……」

静かながら苛立ちの混ざる声がレイの口から吐き出された。
根本的な弱点がない以上効果的な攻撃など出来よう筈もない。

結局誰も手を出せなかった。
兵装ビルの砲門は一発も発砲するチャンスが無く、陸自のヘリもただ旋回をするまま手の出しようがない。
そんな中でシンジの乗っている初号機は水銀状の流動体に包み込まれていく。
まるで陸上に立ったまま水中に引きずり込まれていくようでもあった。
初号機の足下から腰まで使徒の本体が包み込むと、その部分から元の形である球形に戻り始める。

「ちょっと、リツコあれは何!?」
「まさか……初号機を取り込む気なの?それでコアがない……まずい!!初号機をコアにするつもりよ!!最初からその為に……」

出現した当初は何の攻撃力もないただの物体に過ぎなかったと言うことだ。

「こんなの……どうしろって言うのよ……シンジ君、シンジ君逃げなさい!!マヤ、エントリープラグ強制射出、早く!!」
ミサトの直感的な指示だった。
正しいかどうか、初号機を失うことになる、そんなことは吹き飛び純粋にパイロットの保護だけを主眼においた命令だった。
だが伊吹二尉の悲観的な顔がコンソロールパネルの画面に映る。

「駄目なら何度もやって!!陸自は零号機の援護を、レイは隙を見てシンジ君を救出!」

上空でホバリングし待機していたヘリは猛然と降下し、腹に抱えた火器を海草のような触手に向ける。
勿論どれほどの効果があるか疑問だが少なくとも触手の攻撃を邪魔する程度にはなる。
出撃した八機のヘリが波状攻撃を仕掛け始めた。

気温零度の大地に火炎の華が狂い咲きする。
広がった衝撃波は次々に触手を刈り、零号機の進む道を強引に切り開いていく。
恐らくは一瞬しか開かないだろう、弾薬の種が咲かせた火炎が消えぬ間に零号機は疾走した。
既に初号機は胸の当たりまで飲み込まれ、時折藻掻く両腕が見え隠れする状態だ。
一秒が一時間にも二時間にも思えるもどかしさを振り切り、ようやく初号機に向け腕を伸ばす。

レイの指先に確かに感触が伝わった。
それを握りしめる……だが五本の指すべてが閉じる前に腹部に衝撃が走った。

「!!」

強烈な嘔吐感と息苦しさがレイの顔をゆがめる。
一瞬の無重力を感じた後、自分が後方に吹き飛ばされているのを悟った。
背中から伝わる衝撃の後、地上と空が何度も入れ替わり意識が消えていく中、紅い瞳は銀色の球体の中に飲み込まれていく初号機を映し出していた。










一体何処をどうやってこの場所に来たのか、アスカは余りよく覚えていない。
自分が跨っていた自転車は誰かが乗り捨ててあったのを無断借用してきたのだろう。
栗色の髪が雨に濡れ大粒の滴を垂らし如何にも重そうにコートに張り付いている。
さっきから派手な騒ぎの起きている場所は市の中心部、さすがに其処までは時間が掛かるが、見渡せる場所までならそう時間は掛からない。
自宅から約十分ほどのマンションにたどり着くと一気に階段を駆け上がる。
屋上に着いたときは自分が呼吸しているのかどうか解らないほど息が苦しかった。
見下ろせばウンザリするほど明かりのついた街の夜景が、今夜は殆どの明かりが消えていた。
まるで夜の海のように飲み込まれそうな闇が広がっている。

「……何で外にでる必要があるのよ……」

シンジがレイを連れて避難命令のさなか外にいなければならない理由は何なのか。
何度考えてもそんな必要性が何処にあるのか思いつかない。
ましてや自分に黙ってまで外にいなければならないとは。
ただ一つ解っていることは今目の前でやっている馬鹿騒ぎがその原因だろう。
シンジかレイ、あるいは二人共にこの騒ぎに関わっている、それがどんな理由かは知らないが。

「……ずっと……嘘付かれてたのかな……シンジにも、レイにも……おばさまにも……」

恐らく理由はあるのだ、アスカには言えない事、知らせることの出来ない理由がそこにはあるのだ。
例え十年以上一緒に暮らしても教えては貰えず、たった数ヶ月一緒に暮らしているだけのレイは知っている理由。

何故レイなのか、何故自分が知ってはいけないのか。
考えるほどに闇色の海は広がり幾ら見渡しても、縋るべき陸地が見えない。
だが疑惑の海を泳ぎだしたのは間違いなく自分自身の意志だ、知らないままでいられたのに立っていた暖かい地面を蹴り、飛び込んだのは間違いなく自分の意志だ。

頬を伝わる滴は雨なのかそれとも涙なのか、ずぶ濡れになったアスカには解らない。
ただ一つ解っているのはどんな理由であろうともう元通りにはならない、少なくともアスカは元通りになるつもりはなかった。

最初の避難命令から七回、その間一回たりとも何も言って貰えなかった。

夜空より暗い蒼色の瞳は、今まで暮らしてきた第三新東京市を見下ろした。
地面で蠢く銀色の固まりが今回やって来た化け物なのだろう。
上空には数機のヘリが旋回し地上にはあの巨人が発砲している様子がハッキリ見える。
そして半身を水銀のような物に包まれたかつて一度だけ見た巨人。

この世のものとは思えない奇怪で不気味な光景。
背中が冷たく感じたのは何も深夜の雨に打たれたからだけではない。

「……シンジ、レイ……こんなのに関わってないよね……大丈夫よね……」

光の筋が地面に向け幾本も伸び、そして巨大な花をいくつも咲かせる。
それは屋上で不安げに眺めている少女を闇夜に浮かび上がらせていた。








電源供給停止、神経回路切断、起動停止、生命維持装置起動……発令所が確認できたのはエヴァの起動状態だけだった。
パイロットの生死については不明。
ナビゲーションシステムも沈黙し、その他の方位確認システムも機能を失っている。
鉛でも流し込まれたように誰もが声を発せられず、身動き一つ出来ない。
辛うじてミサトだけが背後にいる碇司令に顔を向けられた。

職員達は息を飲んで二人に注目する。

沈黙を先に破ったのはエヴァ初号機パイロットの父親だった。

「詳細を報告しろ……」





不快感は続いていた。
全身の神経をむき出しにされ、一本一本指でなぞられるような不快感。
内臓を直接撫で回されるような、そんな気色の悪さだった。
苦痛を伴わない分不快感はより増す。
辛うじて繋ぎ止めている意識は映りの悪いテレビのように時折自分自身を見失ってしまう。

……此処は……何処なんだろう……僕は何をやってたんだろう……

銀色の世界だ。
視神経を伝わり脳に送られ映像処理された世界は何もない、銀色に埋め尽くされた世界だった。
去年の冬、第三新東京市を包んだ雪景色のように境目の消えた光景。
白い地面に最初に模様を描いたのはアスカの足跡だった。
歩幅が大きいのは思いっきり跳ね回ったからだろう。
玄関から門のところまで足跡は一直線に伸び歩道に消えていく。
その後を追いかけてみると雪まみれになって、少し恥ずかしそうにえらく不服そうな顔がシンジに向けられていた。

……早く起こしてよ!ちょっと、何笑ってるの!……

少し頬を赤くした少女に手を差し伸べる。
握りしめたら壊れそうな細い指が自分の手に乗せられる。
まるで降った雪で作ったような儚い結晶が手の中にあった。

記憶の映像がまるで今実際に感じていることのようにシンジには見えた。
それが自分の中から引きずり出されている物であることに気付いたのは望みもしない記憶が蘇ったからだ。

古びたオモチャの電子ピアノが手元にある。
父親が玩具代わりに何処からか貰ってきてシンジに与えた物だ。
抱えられる程度の大きさのそれは既に相当使い込まれており塗装はあちこちが剥げ、お世辞にも高そうには見えないが小学校一年生のオモチャとしてなら十分すぎる。

小さな身体には少し大きすぎるがそれでも辿々しい指使いで楽しそうに音を鳴らす。
その音がドなのかレなのかミなのかは解らないが、シンジの思い通りに音を鳴らす。
やがて偶然かどうか、曲にも似た音階が出来上がりそれを自慢げに母親に聞かせる。

……シンジは上手ね、それはなんていう曲なの?……

嬉しそうに考えた題名を優しい母親に教えた。
様々な音色の音をかき鳴らし父親と母親に自身と偶然が作曲した曲を披露する、少なくとも本人は曲のつもりだった。
母親の微笑む顔を見て気をよくしたのかテレビで見たピアノ奏者気取りで指を動かす。

……何やってるの?あたしにも貸して!……

シンジの演奏が停まる。
面白そうな様子を嗅ぎつけたアスカが代わりに鍵盤を叩く。
初めて弾くピアノはシンジと似たり寄ったりであったが、時計の長針が進むほどにより曲らしく変化していった。
鍵盤と音を把握すると音楽の時間に習ったドレミを思い出しながら鍵盤をリズミカルに叩く。
ユイが驚くような顔をしている間に何処かで聞いたような曲が電子ピアノのスピーカーから流れ出した。
アスカが時折口ずさむTVアニメの主題歌らしい。
テレビで聞いただけでそのメロディーを記憶し、ろくに練習もなしに電子ピアノで再現できるのは並外れた勘の良さだろう。
勿論特別に習い事をしたこともない。

……おばさま聞いた!?すごいでしょ、ちゃんと弾けたわ……

得意満面の笑顔だ。
ユイは優しく誉める。
ついさっきまで誉められたのは自分だけだったのに、ピアノを弾いていたのは自分だけだったのにその特権を女の子は持っていってしまった。
自分より遙かに優れた技量をもって。

自分だけだったのに……

だが口に出したのは不満ではなく賞賛だった。

……アスカはすごいね、何でも上手に出来るね……

いつも何も言わずに賞賛する。
何か言えば自分もアスカも辛い思いをする、だから何も言わない、ただ賞賛するだけだ。

……僕だけなんだから取らないでよ!……

いつも言葉を飲み込み「僕だけ」を諦める。
いつも諦める、アスカが自分より優れている事に傷つかないために。
そして「僕だけ」を失っていく。

白銀の世界に流される自分の記憶。
その映像の中にいる女の子は冷たく輝く蒼眼を自分に向けていた。

『だからあたしが嫌いなのね』

うっすらと笑い顔を浮かべ更に言葉を続けた。

『あたしに何やっても勝てなくて何も言えない、それでも顔つき合わせてるから悔しがることも出来ないんでしょ?』

話しかける女の子の口元から冷ややかな笑みは消えない。
そんなこと無い、シンジが否定しようとも女の子は笑うだけだ。
突き刺さる言葉はなおも続いた。

『シンジだけが出来る事なんて何もないのに自分だけのことを欲しがるのね。何の努力もしない癖に』

冷たく言い放つ女の子。

『何もできない癖に、何もしようとしない癖に欲しがるのなんておかしいと思わない?』

責め立てているのではなく、あざ笑っているのだ。
今まで何でも出来た少女は何も出来ず自分の後に付いてくるだけの少年をあざ笑う。
そしてシンジは言い返すべき言葉を見つけられない。

……だってしょうがないじゃないか、みんながアスカみたいに何でも出来る訳じゃないんだ……

目の前の女の子は再び笑みを浮かべた。

……出来ない事があってもしょうがないじゃないか!……
『出来るようになろうとしたこと無かった癖に。すぐに諦めて色々言い訳して出来なくてもしょうがないって言ってるだけ。それなのに人を恨むことは出来るのよね』
……恨んでなんかない!そんなことあるモンか!……
『あたし知ってるのよ、あたしがおばさまに誉められる度に睨んでたんでしょ?』

すべてを見通している様な蒼い瞳がシンジを凍らせる。
揺れる白銀の世界でシンジはただ彫像のように立ちすくむことしかできない。
歩み寄ってくる女の子に目を向けることも出来ずただ項垂れている。
彼女は紛れもない現実の象徴だ。
シンジの意識から引きずり出され作り上げられた現実の側面。

否定できなかった。

……でも一生懸命やってるんだ!!だからエヴァにだって乗ってるんじゃないか……
『あんたバカァ?それが言い訳だって言うの。いつもそうやって言い訳して出来ない理由を飾り立てるんだから。素直に役立たずって認めればいいのに』

乾いた笑い声がシンジに降りかかる。
それは氷柱が身体に突き刺さるように苦痛を伴い、全身を凍てつかせる。

自分を責め立てる自分の中のアスカ。
ただ冷たい目を見せ、劣っていることだけを無理矢理見せつける少女はシンジの目前まで歩み寄り、俯いた顔をのぞき込む。

そして答えようのない問いかけが小さな唇から紡ぎ出された。

『ねえ、誰にも誉められないのに何で生きてるの?』








「……申し訳有りません、私の作戦ミスです」

無言だった空間にようやく一人の女の声が響いた。

「今、責任云々を此処で言っても始まらないだろう……赤木博士、打開策はあるのかね」

灰色の髪の男は物静かな口調で責任より対策を問うた。
現状で責任を問う意味など何処にもない、このまま何も対策を講じられなければすべてが無に帰すだけだ。

「……恐らくあの使徒は初号機を取り込み同化することで機能する未完成体だと思われます」
「ほう、未完成であることが奴の攻撃方法か……確かにコアがなければ攻撃も意味がないか」
「はい。逆にコアのない時点では何も行動できなかったものと思われます。ATフィールドでようやくあの形態を保っていたに過ぎなかった、陸自の発射したミサイルもATフィールドを容易に貫通させていますから」

そして初号機の出撃をきっかけにATフィールドを消滅させ融合を果たしたのだ。

「本格的な攻撃はこれからと言うことか?」
「恐らくは。初号機というコアを飲み込んだ以上その融合が終われば真っ先に此処を目指すと思います……零号機では押さえきれないでしょうね」

赤木リツコの口調は極めて事務的で冷淡とさえ感じられるが何処か無理をした印象もあった。
作戦立案は葛城三佐の仕事だがその材料となるデータを揃えるのは技術課主任赤木リツコの仕事だ。
この結果に対する責任の半分は自分にあることは重々承知していた。
形の良い顎に指を添え、暫し考え込むように天井に目を向ける。

「……今後の対策としては初号機と使徒の融合を切り離すことです」

怪訝そうな顔を作戦本部長とNERV副司令は向けた。

「零号機によるATフィールド中和、その後低出力のポジトロンライフルで内部にいる初号機を狙います」
「馬鹿な!!味方撃ってどうするつもりよ!!」
「初号機に当たれば装甲表面を構成する電子と陽電子が対消滅し、密閉状態で逃げ場のないそのエネルギーは最も弱い部分、つまり使徒との接合部分の隙間に入り込み一時的なライデン現象を起こす、その時に使徒から剥離するわ」

使徒のコアとなる初号機を取り除けば取り敢えず一応の決着を見る。
コアさえなければ使徒は攻撃を出来ないのだ、電磁ケイジで捕獲すれば後は焼くなり煮るなり好きに出来る。
最初からそれが解っていればミサトとて打つ手は幾らでもあった。
わざわざ二人を危険な目に遭わせ威力偵察する必要など無かった。
後になって解る情報は時として言いようのない腹立たしさを押しつける。
それが質問の形を取ってリツコにぶつけられた。

「装甲を貫通したらどうなると思う?それこそ最悪の結果を招くわよ」
「使徒本体を貫通させるから計算上初号機の装甲は耐えきるわ。現在緊急に用意できる装備だとこれぐらいしかないのよ」
「パイロットはどうなるって聞いてるのよ!シンジ君の安全は確保できるの?神経接続がこちらからは解除できないし下手をすればショック死するわ。それにエントリープラグの中は高温状態になることだって……危険すぎるわよ!……作戦部長として本案の却下を要求します」

辛うじて役職らしい文言を付け加え、単なる言い争いの誹りを免れた。
リツコの提案は恐らく妥当なものだろうし、それ以外の方法をミサトは思いつけない。
だからといって危険すぎる方法をハイそうですかとやれるほど割り切れるものでもないのだ。
何れにせよ作戦採用の最終的な決は司令である碇ゲンドウが決めなければならない。

初号機に乗っているのは自分の息子、その上でこの作戦を採用するかどうか。
ミサトは別の意味でも注意深くその様子を観察した。
腕を組み終始無言のまま周囲を見続け、余計なことは殆ど口にしたことがない。

は虫類にも似た無機質な視線が徘徊する。

「……現時点で初号機の回収を最優先とする。都市部の損害並びに初号機パイロットの状態は一切問わん」

冷たく零れた声に三者三様の表情が浮かんだ。
誰が納得しだれが納得できなかったかは聞くまでもない。
ただ何も言わず二人の女は敬礼をし、司令室から退室していった。
決定が下された以上何か言う必要はないし、時間もない。

部屋に残された二人の男の視線に閉じられていく扉が微速度撮影のように映った。

「碇……構わんのかね?下手をすれば息子を、いや、パイロットを一人失うぞ」
「……フッ……問題ない、この程度のことは範囲内だ」
「補完委員会が黙ってはいないぞ、後でパイロットの出頭を求めて来るんじゃないか?」

ゲンドウの唇がいびつに歪む。

「その為にあの男を飼っている……たまには役に立たせるさ」

指示を下されたNERV職員はこの上ない忙しさに襲われた。
司令部からの命令は狙撃用の大型ポジトロンライフルをビルの屋上に設置することだった。
出力を規定値以上に上げたり収束器を調整したりとただでさえ忙しい中、短時間でやらなければならないことは山ほど有るのだ。
その事に真っ先に疑問を抱いたのは他ならぬリツコだった。

「何故零号機に持たせないの?こんな手間掛けてビルに設置するなんて……」
「あの子が従う訳ないでしょうが、シンジ君を攻撃しろなんて。余計な手間増えるだけだからこっちでやるわ」

半ば吐き捨てるようにミサトは言い放った。
矢張り方法自体に不満があるのだろう、その意味では彼女もレイとさほど変わらない。
だからといって嫌といえる立場でもない、作戦遂行の命令は既に下されているのだ。

「そんなに心配しなくても大丈夫よ、上手くいくわ……多分ね」
「あんたねえ、多分じゃ済まさないわよ。計算違いでシンジ君に何かあったらどうするつもりよ」

トイレ前の廊下でミサトの声が響く。
彼女とは付き合いが長い分、感情をぶつけられることが多く、またリツコ自身感情を表に出さない方なのでこう言うときには疳に障るらしい。
だが時としてリツコの方が反撃に出ることもある。

「あなたねえ、そう言う心配する振りは止めたら?戦わせてるのはあなただって一緒でしょ。自分だけ特別に心配してるつもりかも知れないけどあなただって同罪よ」







自分を好きになれない、生まれてから何度そう思ったことだろう。
すぐそばにいる女の子との差が見える度に自身に対する劣等感が増す。
アスカより劣っている自分をどうしても好きにはなれず、自己否定に直結していった。
しょうがないを繰り返し好きになれない自分を諦める事で塗りつぶしていく。
最後まで競わず、答えを出さずにいれば誰も傷つかず、自分も劣っていることの決定を下さずに済んだ。

「そんなの欺瞞よ、あたしに気を使っている振りして自分が痛い目みないようにしてるだけじゃない」

ブランコが大きく揺れ女の子の長い栗色の髪が揺れる。

「仕方ないじゃないか……誰だって嫌な思いはしたくないんだよ」

頂点に達したブランコはシンジの方に再び大きく揺れる。

「そんなの当たり前じゃない、だからみんな色々やるのよ。どれか一つでも人より優れていたいから」

何もない闇の中、互い違いに揺れるブランコ。
すれ違う度に幼いアスカと今のアスカが入れ替わっていた。

「アスカは何でも出来るからそんなこと言えるんだよ」
「すぐそうやって人のせいにする、あんた一度だって出来る迄頑張ったことある?すぐ諦めて誤魔化してきたじゃない」
「それはアスカが途中から首を突っ込むからだよ!同じ事やったらアスカの方が上手く出来るんじゃないか!」
「誉められないから諦めてるの?誉められるためにやってるの?」

シンジの乗ったブランコは大きく振られ頂点に達っし、同じだけの勢いで引き戻され途中でアスカとすれ違う。
同じ場所での繰り返しは無限に続くだろう、自らの意志が介在しない限り永遠に揺れ続けるブランコ。
そこから一歩も進むこともなく同じ景色の中で揺られ続ける。

「……特別なものが欲しかったんだ、僕だけの……」

母親に、父親に誉められることで存在していた「僕だけのもの」、二人にとって特別な存在でいたかった自分。
比較対象のない無条件な愛情の中で暮らせた少年にとって、不意に現れた少女はぬるま湯に放り込まれた氷のようだった。
薄まってしまった自分の存在感、浮かび上がれない重さの劣等感。
ブランコに揺られている少女は歪んだ鏡のようにシンジ自身の姿を映していた。
今まで見ることを避けてきた自分、諦めの中に埋没させ表面に出そうとしなかった自分をこの少女は浮き彫りにしてしまう。

認められるだけのものを持っていない少年はすべてを認めて貰える少女に口を噤み続けてきた。

「だから此処に居続けるつもり?諦めて此処に居続けるつもり?」

今まで振り子のように揺れていたブランコが停止した。
そして向き合った少女は問いかける。

「シンジ……此処から出ていってもあんたはあんたでしかないわ、あたしに勝てないシンジでしかないわ」

ブランコに座っている蒼い瞳の少女。
淡い栗色の髪を掻き上げると優しそうな笑みがシンジを見つめていた。
永遠とも思える長い時間此処にいたような気がする。
そのまま此処に居続けて……そう、すべてを放り出して今までのように結果を出さず途中で諦めて。
誘惑にも似た想いがシンジを蝕んでいく。
此処はどんな自分であってもさらけ出しても許される桃源郷。
留まることもできる、そんな誘惑はシンジを揺らし続けた。
嫌な自分を見ないで済む場所、誰からも比べられることなく自分自身でいられる場所。
まるでブランコのように同じ問いが行き来する。

……シンジの選択肢は一つだけではなかった。

「………何のために帰るの?………」








兵装ビルの屋上に黒い槍のような砲身が顔を出した。
それは一直線に銀色の球体へと向けられており、目標はその中にいる初号機だ。
作戦準備は雨のために予定していた時刻より五分ほど遅れていた。
「ミサト、傘ぐらい差したら?」
「別に要らないわよ、馬鹿は風邪引かないって言うしね」

自虐的になった同僚は雨に濡れ如何にも重そうになった黒髪を掻き上げると天を仰いだ。
黒い絵の具で塗りつぶした夜空がのし掛かる。

「もう作戦変更は無理よ、時間もないし。そんなことしててもあの子は別に喜ばないわ」
「……初号機の状態を報告して」
「電源供給が停止してからかれこれ三十分、そろそろメインのバッテリーが空になるわ。後は素体維持用のバッテリーで二十分……少なくとも現状ではもう活動不能ね」
「パイロットの状態は解らないの?」
「接続はすべて切断されてるわ、パイロットはおろか初号機のモニタリングだって出来る状態じゃないもの。初号機が完全に停止していればLCLの循環が停止してパイロットは溺れるわね、もっとも飲み込まれてからどういったことが起きているかは解らないけどその可能性は低いわ……多分ね」

雨の中に溶けて流れ出す冷たい口調をミサトは相変わらず天を仰いだまま聞いていた。
表情はリツコが驚くほど無表情で、捨てられたマネキンのように生気がない。
その蒼白の顔に張り付いた赤い唇はゆっくり動く。

「リツコ、使徒って何?何が目的で第三新東京市にやってくるの?」
「同じ事を何度も聞かないで頂戴。あたしが知ってるのは……!!」

マネキンは急激に人間へと変化しリツコの襟首を掴んだ。
彼女の喉に痛いほどの圧力が加わり、咳き込むこともできなかった。
ミサトの目に灯るのは紛れもなく殺意の色だ。

「あたしねぇ、何でも言われたことほいほい出来るほど大人じゃないのよ。子供と一緒で欲しいモンや知りたいモンがあったら駄々だってこねるわよ……答えなさいよ、使徒の目的は何!!」

気に入らなかった。
したり顔で状況を説明するリツコも初号機を優先させた碇司令もそれを当然のような顔で見ていた冬月副司令も何もかも気に入らなかった。
理屈では解ってもそれ以外の部分が納得できなかった。
自分もそしてシンジやレイもこの件に関する「事実」を知る権利はあるはずだ。
口出しする権利はもぎ取れないにしても。

「一応あんたには言っておくわ、あたしね納得出来ない事は調べることにしたから。邪魔すんじゃないわよ、これ以上訳知り顔で隠し立てすんならこっちも実力行使するからね」

リツコの喉をようやく新鮮な空気が流れ込んだ。
びしょ濡れになった金髪を掻き上げ気丈にもミサトを睨むが言葉はまだでてこない。
首回りがうっすらと赤く腫れ、鈍痛を伴っていた。
幾度か大きく息を吸い呼吸を整える。
地上に設置された仮設テントの臨時司令部、その片隅で起きた小さな身内争いは幸いにも忙しく走り回る職員達の目には入らなかった。

「……ミサト、あなたなんかには何も解らないわ。そうやって自分一人苦悩してる振りしか出来ない女に何が調べられるって言うの。実力行使?出来るもんならやってみなさい!」
「あんたはいつも自分一人が何でも解っていて自分一人が何でも出来るって思ってるのよね……いつか足下救われるわよ」

それ以上何か言おうとしたリツコに目も向けずきびすを返し、濡れた髪が揺れ銀色の滴を放つ。
かつて友人だった女の視線が背中に突き刺さるのを感じ取ったが、何かを振り切るように声を張り上げた。

「日向君、進行状況を報告!青葉君は空挺隊に連絡とって現状確認!」

兵装ビルに設置されたポジトロンライフルの銃口は一直線に国道上にある銀色のオブジェに狙いを定めている。
仮設テントに準備が整った旨の報告が次々送られ、号令があればいつでも実行できる体勢となった。
雨は全く止む気配を見せず、地上から照らす遊園地にも似たサーチライトを浮かび上がらせた。

使徒内部に取り込まれた初号機に対してポジトロンライフルによる狙撃を行い、そこから押し出すというパイロットに対してかなりの危険を伴う初号機回収作戦、それに対してミサトはどうしても躊躇いがちになる。
確かに現存する兵器の中で唯一使徒に対抗しうる力を持つ初号機だが、それを操れるのも唯一シンジだけだ。
どちらが欠けても今後の防衛戦略上著しいダメージになる。
リツコの言うことを信じれば現在の初号機は活動するだけの電力を持たず、エヴァ本体維持用電力だけしか残っていない。
別電源でパイロットの生命維持システムは作動しているだろうが、電源供給を絶った状態で長時間の使用は考慮されていないのだ。
そう言った事情を考慮すればミサトには躊躇うだけの時間はない。
さらには使徒が完全に初号機を融合し終えた場合、その後行われるであろう使徒の進攻を防ぐ手だてが無くなるのだ。

シンジに及ぶ危険性を知りつつも、例え見殺し、あるいは積極的に害してでも初号機の回収は行われなければならない。
それを知っているだけにミサトは暗澹となるのだ。
納得出来ない必要性を理解している事がやるせない。

「零号機の配置は?」
「はい、所定位置についていつでも行動できます。……レイには作戦概要説明してあるんですか?」

マヤの疑問は零号機と通信したとき、明らかに何も聞かされていない様子のレイによって湧いた物だ。

「言ったらあの子はこの作戦に反対するわ、あたしとは違って真剣だから。余計な手間を掛けてらんないのよ」

自笑気味に唇をゆがめ自らの身を呪う。
何も知らなければ純粋に心配する立場でいられるのだ、レイのように。

「それより最終報告は?」
「……はい、零号機によるフィールド中和で相違値を7.5に減少させます。雨による陽電子拡散、敵ATフィールド並びに使徒本体貫通時の減少を考慮すると収束値、出力共にこの程度ですね」

マヤの指がディスプレーに数値を描いていく。

「初号機の装甲は耐えられる?後エントリープラグ内部の熱の問題もあるんだけどその辺はどう?」
「出力自体は大きくありませんから貫通することはないと思われます。ですが熱伝導を考えると……厳しいですね、LCLの循環効率が落ちていれば生存温域を越すおそれがあります。それ以外にも問題はありますし……計算上初号機の維持電力が限界近くです。エントリープラグの減圧処理が上手く機能しないかも知れません……」

初号機は回収できるがパイロットの安全までは保障できない、彼女の表情がそう語っていた。
ミサト自身も感じていたことだが初号機回収に重点を置き、シンジの安全に対してはあまり重要視されていないように思える。
日向、青葉、伊吹二尉は作戦立案自体には関わっておらず、先ほどから三人の表情に困惑の色が浮かんでいた。
「いいわ、作戦に変更はありません。03:45時に作戦を開始します、陸自は配置に付かせて。ポジトロンライフルは最終チェック急いで!」

振り切らざるを得ない、それがミサトの立場だった。








ビルの影に身を隠した零号機から初号機を取り込んだ使徒の姿が見えた。
球体ではあったがまだ完全ではないらしく歪な形で地面にも水銀のように使徒の身体が広がっている。
それでも完全に初号機を融合させれば形状は安定し、此処に襲いかかってくるだろう。
取り込んだシンジと共に。

『レイ、聞こえる?これから回収作戦を展開させるから合図したら突撃して。時間的にも一発勝負だから宜しく』

無線機からの声に改めて銀色の球体に紅い瞳を向けた。

……どうやって引き離すつもり?……

レイは改めて周囲を見回す。
もし零号機単体で突撃をかけ強行的に『救出』するならもっと詳しい説明があるはずだ。
だがなんの説明もないしさっきの通信が唯一の指示だ、急に不安が彼女を襲った。

不安、焦り、苛立ち……今までそんな物に関わることなく命令されたことを疑問も持たずに遂行できた。
だが今はこうして不安に襲われ解らないことに苛立ち時の流れに焦りを感じる。
無数に疑問を沸き立たせそれを知ろうとする。

……今の自分は誰なのだろう……

変化し続ける自分が何処か恐ろしい。

『レイ、そろそろ時間よ。準備して合図を待って』

ミサトの通信に戸惑いを隠せなかった。
詳しいことを聞かされていないので対応しようがないし、これから何が起こるのか見当も付かない。
上空を見上げればヘリが高度を取り始めている。
何かが始まる予兆だろう、レイは零号機を僅かに動かし周囲の様子を窺った。
気味が悪いほど静まり返った辺りの様子、だが闇に包まれた街中の一カ所に不気味な発光体を見つけた。

「……あれはポジトロンライフル?何をするつもり……」
『レイ!顔を出さないで!作戦に変更はない……何してんの馬鹿!!!』

通信機は切られた。
替わりに状況は一変し零号機は使徒とポジトロンライフルの間に立ちはだかっている。
それこそミサトの恐れていた状況だった。

『レイ!引きなさい!!シンジ君を助ける為なのよ!!邪魔するつもり?』

自分で言ってミサトは嫌になった。
レイの行動はついさっきまでの自分の行動と変わらないのだ。
それを証明するようにレイの口から言葉が零れる。

「……碇君を助けるんじゃない、初号機を回収するつもりね……」

疑惑は確信に近づいた。
ミサトも全く同じ気持ちだったがそれでも彼女を説得しなければならないのだ。

『邪魔するとあんたも一緒に撃ち抜くわよ!これしか方法がないんだからしょうがないでしょうが』

仮設テントの中に通信機から聞こえる今夜の雨のように冷たい声が底のない水たまりを作る。

「何も出来ないのに首を突っ込まないで……あなた達が関われるような出来事じゃないわ……待つことも信じることもできないあなた達に」

零号機の腕がゆっくり動きパレットガンを向ける。
初号機に劣るとはいえ兵器としては最強のエヴァがたった今『人類』の敵となった。
テントの中の職員達はレイの作り出した水たまりに飲み込まれたように言葉を発せられなかった。

『レイ……自分が何やってるか解ってるの?下がりなさい、さもないと接続切るわよ……』

ミサトは目でマヤに合図を送った。
少なくとも敵対できる相手ではない、作戦に大幅な支障を来すが零号機は停止させるしかないのだろう。
ミサトの中にやりきれない苛立ちが沸き上がる。
レイの行動は紛れもなく自分と同じなのだ。
立場がなければ『救出』作戦ではない作戦に対しミサトも同じようなことをしただろう。
何の躊躇いもなく行動に移れる彼女に嫉妬している自分が苛立たしかった。

重苦しい沈黙が第三新東京市を覆うが、そんなことに関係なく零号機はポジトロンライフルに向け再び歩き始める。
彼女にとって許容しがたい出来事を阻止するためだ。
今まで許したことも許さなかったこともない、ただ現状がすべてのレイにとってこれから起きるであろう事は許容出来ないものだった。

「チッ……仕方ないわ、零号機の接続解除」

困惑したマヤ、苛立たしいミサト二つの視線が交差する。

「……零号機回路切断します……待って下さい、使徒に変化が……使徒本体から高熱反応!!」

それまで沈黙し続けていた球体は静かに上空へと舞い上がり、仮設テントから飛び出したミサト達を見下ろしていた。








何のために帰るのか。
小さいとき家に帰った理由はお腹が空いたからだ。
空が赤くなるとお腹が空き始める、見たいTVアニメもある、それにいつまでも遊んでいると真っ暗になりお化けがでるかも知れない。
夕日の中アスカと二人で走って家に帰る。
玄関を開ければユイが出迎え、夕食のいい匂いの漂う廊下をぬけ風呂場で手を洗う。
即物的でごく単純な帰る理由。

拡散を始めた意識はその断面から遙か昔の記憶を引きずり出した。
ガラスの破片の如く闇に散らばる今までの時間、アスカはその中に浮かんでいた。

「シンジ、帰れば何かいいことあるの?」
「……嫌なこともあるかも知れないね、でも帰りたいんだ……」
「何のために帰るの?誰も帰ってくることを望んでいないかも知れないのに……」

シンジは自分がまるで遙か深海に沈んでいるような錯覚を覚えていた。
いつか溶けてしまうような、死ぬわけではなく海水と混ざり広がっていくような意識の拡散。
薄まり消えていく自分。
溶け込んでいく自分。

「帰ってもシンジって必要とされてるの?みんなの中に溶けだしてるだけじゃないの?此処とどう違うの?」
「解らないよ……でも……僕はエヴァに乗ってる!!必要とされるんだ!!」
「必要とされたいからエヴァに乗ってるの?」
「いけないのかよ!!アスカみたいに何でも出来る訳じゃないんだ!!」

蒼い瞳の少女は静かに呟いた。
いつか聞いたあの懐かしい声で。

「そう……なら手伝ってあげる……」





雨雲が立ちこめる夜空に輝くものは何もない。
いつも顔を出す星座も黒のカーテンに姿を隠したままだ。
眼下に浮かぶ異形の月を恐れて隠れたのかも知れない。

そんな夜空に雷鳴がとどろいた、いや、地上で重圧に押しつぶされそうな者達にとっては雷鳴と等しく聞こえた。
上空から放たれた衝撃波は高層ビル三つを全壊、三つを半壊させアスファルトの大地に巨大なクレーターを刻みつける。
青葉二尉の矢継ぎ早な報告がミサトの耳に届く。

「使徒ATフィールド崩壊!使徒内部……中心部より高出力のエネルギー放射!これは、この辺り一帯吹っ飛びますよ!」

モニターに映されるメーターは狂ったように跳ね回り、激しい電波障害は通信士の耳を叩く。

「使徒外殻部が崩壊を始めました!これ以上はどうなるか……」

もうミサトに迷う暇はなかった。

「総員待避!!防爆豪に待避!!」

上空では陸上自衛隊のヘリが慌てて飛び去っていく。
すべて放り出して走り去る職員達の背中を雨交じりの突風が襲い、機材もろとも仮設テントを引き剥がした。
そして地面に叩き付けられた者達、単眼の巨人とそれを操る少女、ビルの屋上で震えてる少女に銀色の月は己の変化を見せつける。

使徒の身体から水銀の水柱が天と地に向け吹き出した。
内部からの圧力に耐えきれないように球形の身体のあちこちがひび割れ、そこからも勢い良く吹き出す。
月の最後はこんな形だろうか、途轍もないエネルギーが行き場を求めて使徒の本体のあちらこちらから吹き出していく。

「なんなのよ……あれが使徒の攻撃なの?」
「わ、解りません、観測センサー全部死んでますから……ただ使徒の構成素子が崩壊してるんじゃないっすか?」

自らの重さを耐えきれないようにただ見守ることしかできない人々の前で使徒は地面へと落下する。
青葉二尉が言ったように構成素子を失った使徒の身体はそれさえも維持することが出来ないのだろう、氷が溶けるように次々と流れ出し銀色の水たまりを作っていく。
現状でどういった理由でそれらが起きているのかを説明できる者は此処にはいなかった。
余りにもの激変に誰もが身体の訴える痛みを忘れ見入っている。

……レイの言うとおりだわ、あたし達の理屈でなんか動きっこないのよ……

言いようのない無力感と冷たい雨がミサトの身体を浸食していく。

「……リツコ、初号機はもう動けないんじゃなかったの……」

口にした疑問も空しく雨の中で繰り広げられる光景にかき消された。
電源供給もなく動かないはずの初号機が、エネルギーの奔流を演じそのまま萎んだ使徒を食い破り、銀色に縁取られた禍々しい姿を漆黒の空に刻み付けていた。

シンジを介することで、テクノロジーを介することで操っていたつもりだったエヴァは、それらをあざ笑うように銀色の水たまりの上に立ち無力な人間を見下ろしていた。
人など関われない、それを思い知らせるように初号機の雷鳴にも似た咆吼が空気を振るわせる。

「しょ、初号機ATフィールド展開……出力マックス……一体何処からそんな電力を……」
「使徒と一部とはいえ融合していたのよ……きっと初号機は使徒を喰らい尽くした……」

先の衝撃波で地上にいた職員達はその多数が吹き飛ばされ大なり小なり怪我を負った。
リツコもそのうちの一人で白衣とは呼べないほど泥まみれになり、額にはうっすらと血がにじんでいる。
口元まで垂れてきた血を拭いながら同僚に目を向けた。

「……葛城三佐、指示を出しなさい。現時刻を持って使徒を殲滅、初号機およびパイロットは回収……」










「碇、終わったぞ。お前の息子も初号機も無事回収したそうだ」

冬月の伝言に答えたのはゲンドウではない。
司令室には相応しくないほど不遜な態度でコーヒーを啜っている男だった。

「それはそれは。しかし良く作戦を許可しましたね、パイロットに何かあれば補完委員会がしゃしゃり出てくるでしょうに。マルドゥックにまで手を伸ばされればまずいんじゃないですか?」

椅子で足を組み机の上で腕を組む男を眺めた。

「……所詮は確約された勝利だ、それに至る過程はどうでも良い。連中はエヴァさえ使っていれば何も言わんよ」
「それでは済まないのでは?使徒とコンタクトしたシンジ君、委員会の興味は尽きないと思いますがね。動かないはずの初号機は再起動、辻褄合わせが大変ですな」

加持は自分が此処に呼ばれた目的は承知していたが、敢えてそれを目の前の男に言わせたい。
ゲンドウの思い通りに動いてやらねばならない義理は彼自身あまり感じていない。
相手の反応をつぶさに観察するような視線が司令官に向けられる。

「幾らでも理由はある、所詮偶発的な現象に過ぎんさ……それを納得させろ」
「パイロットは出頭させない?」
「交代要員がいない以上当然の処置だ……」

禍々しい笑みの中に誰にも伺い知ることの出来ないすべてを隠す。
事実をすべて覆い隠し、そしていつか隠しきれなくなったときこの男はどういう顔をするのか。
根の軽そうな顔は微かに目を細めたことで隠していた鋭利さを覗かせた。
そしてゲンドウと冬月を見据えると口を開く。
「さっきエントリープラグが射出されませんでしたが……指示コードが書き換えられていたらしいですね」

鉛より重い沈黙が三人にのし掛かるが、その程度の重さなど彼らには関係ないようだ。

「明後日、向こうに顔を出しておきます、すべては予定通りと言うことでね」





空が赤い。
夕焼けと朝焼け、今空を染める朱はどちらなのだろうか。
赤と黒のまだら模様を敷き詰めた空をただ見上げる少年はそんなことを考えていた。
後かたづけに追われている職員達の中で、コンクリートの固まりに腰を下ろしているのはシンジだけだ。
時間が溶けたバターのようにゆっくり感じる。
普段の朝もこんな感じなのか、早起きと縁のないシンジには解らない。
冷たいが透き通った空気が肺に入る度に、体中の血液が綺麗になっていくような気分になる。
身体は疲れ切り寝不足きわまりないにも関わらず、何故かすっきりした心持ちだった。
雨がいつ止んだのかは解らないが今日は晴れるようだ。

「……ジュース飲む?」

朝焼けの中、彼の視界に映ったのは紅い瞳の少女だった。
何処から持ってきたのか缶コーヒーを手にしている。

「アリガト、撤収はまだ終わらないのかな?」
「……もう少し掛かるみたい。広範囲に散らばったからこの辺りは暫く封鎖するって言っていたわ」

缶コーヒーを受け取ると少しぬるくなってはいたが両手の中に暖かさが伝わる。
少し場所を空けレイに座るよう促した。
さっきまでシャワーを浴びていたのだろう、石鹸の香りがシンジの鼻をくすぐる。
自分もその前にシャワーを浴びたので同じ匂いがしているのだろう。

「あんまり寝てないから頭がボウッとするね……綾波は眠くない?」

頷いて答えた。
二人共に夜中に叩き起こされさっきまでの激務だ、体力気力の有り余る年齢とはいえさすがにガス欠近くだ。
お腹も空いているが仮設テントは吹っ飛び、職員用の非常食など跡形もなく消えている。
本部に戻るまでは空腹を抱えていなければならない、缶コーヒーでも見つけだしてきたレイにシンジは感謝した。

「……身体検査は終わったの?」
「ううん、精密検査を明日するって言ってた。使徒に飲み込まれてたから色々調べることがあるみたいだけど……面倒だね」

ほぼ同時にコーヒーを啜る。
いつも迎撃戦が終わった後飲んでおり、こうしているとやっと終わったと実感できるらしい。
疲れ切った二人の身体に甘みが染み込んでいった。

「……ビルずいぶん壊しちゃったな……」

被害額で言えば幾らぐらいになるのだろうか。
第三新東京市中心部のビル街の一部が完全崩壊だ、兵装ビルだけでなく民間企業の本社ビルもあっただろう。
過去六回の使徒迎撃戦において最大規模の被害だ。
もっともシンジは知っている。
経済的損失の補填は政府を通じて行われ、その迅速さたるや今日の午後には関係者に通達されるのだ。
他の災害に関しての救済対策は稚拙遅効の局地だが、この一件に関しての対応はずば抜けており、嫌味半分で見れば被害者の不満が興味に繋がるのを拒んでいるように少年には映った。
そもそもが最初から都市部の被害については考慮に入れなくて構わないとミサトや父親から言われている。
シンジが公的に責任を感じる必要はない、個人的には兎も角。
それに今回の件もTVや新聞で流れるときにはエヴァに関しては一言も報道されず、自衛隊の活躍によりと言う大本営発表がそのまま流れるのだ、エヴァのパイロットを責める者は出現しないだろう。
人的被害に至っては避難命令のお陰で民間人には被害無し、NERV職員に重軽傷者十八名でたが命に別状はない。

結局誰も関われなかった戦いだった。
だからこそ被害がこの程度ですんでいるのかも知れない、シンジはそれを実感している。

「……どうやって助かったのかまるで解らないんだ。綾波何か知ってる?僕はどうやって此処に帰ってこれたんだろう」

ちょうど朝焼けの空と同じ色の瞳が静かにシンジに向く。
その表情は今の時間のように穏やかで静かなものだった。

「……望んだから。碇君が帰りたいって望んだからそれに応えたと思う……」
「そうかも知れないね、帰りたいか……そう思うことが出来たのか……」

あれは使徒の見せた幻覚だったのか、それとも混乱した自分の脳が見せた自分自身だったのか。
身近な少女の姿を借りた自分の一部。

「……そうだね、帰ろうと思ったんだよ、多分」

望まれていないかも知れないけど自分は此処にいたい、綾波レイという少女は雨の中そう呟いた。
その中にある気持ちが、ごく簡単なカタチの気持ちがシンジには解ったような気がした。
雨の中の悲しい言葉じゃない、少なくともそれだけは理解できた。

「……なんでエヴァに乗るのか解った?」

レイの声はとても静かでいつも聞いている声なのにとても懐かしく思えた。
ずっと昔聞いたような声。

「うん……僕はエヴァに乗りたいと思ってるんだ……今はそれだけしか解らないけど……」

それは微笑みだったのだろうか。
シンジに向けたレイの表情はとても優しそうに……ほんの一瞬、夜と朝の狭間のような笑みを浮かべた。

「それで良いと思うわ……碇君は碇君でしかないのだから」








あと三十分ほど経てば避難命令は解除され、今走っている国道にも深緑より鮮やかなカラーの普通車で埋まる。
大半の人々は睡眠不足を抱え会社へと向かうだろう。
取り敢えず会社に向かうと言うのは些か考えるところだが問題視するほどでもない。
FM放送を流し続けるカーラジオは早速巨大生命体の進攻を報じていた。
その内容に今までと変化はなくジープを運転する二人は聞いていない。

「一佐、どうしたんですか?難しい顔で」
陸上自衛隊特別編成部隊の指揮官、香山昇一佐はさっきからずっと眉間に皺を寄せている。
いつもなら軽口の三つや四つを叩きながら休暇に何をするかあれこれ下らないことを楽しそうに喋るのだ。
やれ何処のパチンコ屋は良く出るだの映画は何をやってるだの凡そどうでも良いことが大半で、少なくとも仕事上の話は滅多にしない。
副官の山科二尉としてはその彼が小難しい顔で黙りこくっているものだから些か気味が悪かった。

「何か問題でもあったんですか?味方に被害はないですし……その……ミサイルの誤射だってあれはしょうがないですし第一その後でもっと酷く壊れたから請求書は回ってきませんよ」

彼女はこんな事を普段なら言わないが、香山一佐の様子を見るに付け思わず口にした。
だがそれに合わせることも応えることもなく腕組みしたままその表情を崩さない。
確かに今日の一戦は気味の悪い思いを彼女も感じていた。
銀色の球体を弾けさせ、そこから現れた最終決戦兵器の姿は寒気がするほどおぞましく思えた。
山科二尉は見たこともないし信じてもいないが、もし幽霊を見たらちょうどこんな感じを覚えたかも知れない。
得体の知れない不気味さか。

暫し無言のドライブが続く。
彼が口を開いたのはラジオを聞き始めてから十三個目のCMになってからだった。

「……あのロボット、エヴァとか言ったな。あれのパイロットってどんな奴か知ってるか?」
「え?パイロットですか……さぁ、それって外部には漏れないと思いますよ……トップクラスの機密でしょうし。そういえば使徒の内部に取り込まれていたみたいですしどうなったんでしょうね?無事だったのかな?」
「俺の言ってるのは違う方だ、一つ目のエヴァの方だよ。お前さん覚えてるか?奇妙な動きを見せたのを」

山科は決して記憶力の悪い方ではない、だから香山の言う事も覚えていた。
確かのあの一つ目のエヴァは回収作戦開始直前にポジトロンライフルに銃口を向けていた。
あの時は単なる連絡上の行き違い程度にしか見ていなかったし、そのご特に連絡もなかったので問題にもなっていないのだろう。

「ずいぶん妙なことに疑問持ちますね?」
「そうか?ありゃ敵対行動だったと思うんだがな。どんな理由があったか知らんが銃口をむけただろう?」
「そんな大げさなモンじゃ……」

笑おうとして山科は一瞬背筋が寒くなった。

「そうだ、人間様だけじゃ勝てない使徒をいとも簡単に潰すエヴァをあのパイロットはこっち側に向けたんだ……NERVの司令部がパイロットを押さえきれなかったかあるいはエヴァそのものを押さえられなかったか……どっちにしても気色悪すぎるな」

もし必要なら電源供給を停止するなり外部からの強制停止程度は出来るだろう。
詳しいスペックは教えてなど貰えないが少なくとも建前としてはそう聞いている。

「なぁ、山科……もしかしたら俺達は今日運が良かっただけなのかも知れないな。あのエヴァって奴は運良くちゃんと動いてくれただけで……制御なんか出来ちゃいないのかもな」

彼女が窓を開けると冷たい風がジープの中に舞い込んでくる。
風に当たれば頭の中で渦巻く不安や香山の呟きがすべて吹き飛んでくれるような気がした。








アスカは自分が生まれつき運がいいと何となく思った。
避難命令を無視してこうして外を彷徨いていても、地上警備にかり出されていた自衛隊員に見つかることなく無事家に着いた。
更に言うなら調子に乗ってあの現場付近にいたなら自分は助からなかっただろう。
相当離れたビルの屋上にいても身体が転げるほどの衝撃を受けたのだ。
お陰で膝と肘を少し擦り剥いてしまったが、その程度なら御の字だろう、矢張り運がいいと思う。
だが昨夜の雨で全身びしょ濡れの身体は寒気が居座っており、熱を計れば平熱を大きく越しているだろう。
それでも彼女は玄関の前に立っていた。
自分と同じように避難所に向かわず、自分とは違って何かをしていた二人を出迎えるためだ。

すっかり晴れ上がった空は淡い青をしており、照らされた路面は銀色に輝いている。
すべてを洗い流した雨が去れば、景色はいっそ清々しいほどだ。
だが彼女の胸には暗澹とした雲がのし掛かっている。

まだ避難命令は解除されていない、だが話し声と足音が聞こえてきた。
二人分の音だ。
銀色の路面に二つの影が伸びる。

そして三色の視線が交錯した。

「お帰り、シンジ、レイ。何処行ってたの?」

言葉を失ったように立ちつくしたままのシンジに再び声が聞こえた。

「教えて、何していたのか。おばさまに言ったら後で教えるって言ったわ。でもあたしあんたの口から聞きたい。シンジ、レイ……何していたの?」

荒くもなく静かな口調、だが夕べの雨のように冷たい声。
アスカに見つめられたシンジの頭の中が白くなっていった。
もう言い訳など何も思いつかなかった。

「あ、あのさ……」
「別に怒ってないし文句言いたい訳じゃないわ。でも何でレイもシンジも知っててあたしには教えられないの?一体外で何をしていたの?あの化け物退治見たけどあれと何か関係あるの?」

アスカは視界がぼけ始めた。
口調は幾ら冷静でも言葉を発するごとに熱が高まっていく。
立っている足場がまるでゼリーのように揺れる感じがする、それでも聞きたかった。
体調の限界を悟ったアスカは最後の力を振り絞り散らばり始めた意識をかき集め、いま出せる一番大きな声を発した。

「教えなさいよシンジ!!」

綺麗に晴れ渡った空から照らす太陽は、銀色の路面に三つの影を落としていた。

続く


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ver.-1.00 1999 08/20公開

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 ディオネアさんの『26からのストーリー』第二十四話、公開です。







 やれ行けっ

 それ行けっっ


 敵を倒せっっっ

 使徒を倒せっっっっ


 輝けプログナイフ

 火を噴けパレットガン





 なんて風だと楽なんでしょうけど
 そうは問屋が卸さない。

 し、卸しちゃったら話が(^^;




 シンジ個人はなんかなったけど、
 アスカの方が決壊で。

 これはもう、ごまかせないよね。
 誤魔化したらいかんよね、もう。



 なんかなるんでしょうか・・・






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