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「B棟15ゲート閉鎖!!」
「43から49ライン閉鎖完了!」

緊迫した声の飛び交う本部保安室の無数にあるモニターの内1/3は彼を映し出していた。
そして別のモニターには制服を着込み小銃を抱えて走り去っていく男達。

共に真剣だった。

そして保安室の中も緊張に包まれている。
「第三層湖底通路方面に逃走!」

モニターを見つめる者と同じ制服を着た彼は、逃走者と言う名称を与えられていた。
逃げる必要があったのだ。

「くそ!・・・・・全て上手くいったのに!」

この場になってもなお信じられなかった。
だからこそ追われる身になったとも言える。

上手く回線に入り込めたと信じた。
上手くデータを引き出せたと信じた。
上手く逃げられると信じた。

そして誰にも見られていないと信じていた。

信じたことで誤ったツケを今彼は逃走によって精算しようとしていたのだ。

そして精算できると信じていた。








26からのストーリー


第十六話:抱えたモノ





海面は宝石を惜しげもなくばら撒いたように真夏の光で輝いていた。
波が揺らめくたびに海は光る。

「眩しいなぁ・・・・」

浜辺に寝転がった彼はサングラスを指で押し上げた。
顔のサイズより若干大きいらしく容易にずり落ちてしまうのだろう。

大きなビーチパラソルの作る影の中でお気に入りの曲を聴きながら優雅に過ごしている。
沖から届けられる風が心地いい。
時折風に乗って名を呼ぶような声が聞こえるが気のせいだろう。

気に入った曲を聴きながら浜辺に寝ころんでコーラを飲む。
こんな至福の時間は静かに過ごしたい。

目をつむれば寝不足気味の頭に霧がかかり、波の音が子守歌に聞こえる。
脳波計を付ければα波が計測されたかも知れない。

のんびりとした砂浜の午前11時、そんな彼の時間は銃口に見つめられる事で破られた。

「覚悟!」

その一言と共に1mgの容赦もなく引き金は引かれた。
避ける間もない。

「うわあっ!!・・・・バカ!」

シンジに目の前に黒い固まりを構えた赤い水着の少女が、自慢げな笑みを浮かべ立っていた。
栗色の長い髪に海より蒼い瞳。
碇シンジの良く知っている顔だ。

「バカアスカ!!いきなり何するんだよ!!」
「サングラスなんか似合わないわよ!生意気!」

再び引き金は引かれ、水鉄砲からカスタネットのような音と共に冷たい水が降り注いだ。

「もう・・・んっとにガキなんだよなぁ・・・・やることがさ」

心地よい時間を静かに過ごしたかったのにそんな物はあっという間に元気な少女によって粉砕されてしまった。

「やっだぁ!シンジにガキ呼ばわりされたぁ!ショックゥゥゥゥ!」

両手で秀麗な顔を覆いながら悔し紛れに水鉄砲を乱射する。
勢い良く飛び出す水の弾を軽くかわしながらサングラスを外した。

一瞬目が眩むほど眩しい光が飛び込んでくる。

アスカはその手にした物に興味を引かれた。
「何?品位に欠けたサングラス、シンジが買ったの?」
「ううん、車のダッシュボードに入ってたんだ。母さんのでも父さんのでもないし・・・」
「呆れた!誰のか判らないのに身に付けてるの!?汚いかも知れ無いじゃない!よしなさいよ」

すっと指が伸びるとシンジの手からサングラスをさらった。
幅が広く角度がきつめのデザイン、結構高級なメーカーの物だ。

「返せよ、別に汚くないよ。どうせ誰か忘れたんだ、会社の車だから」

会社、特務機関を普通そうは呼ばないがこの際仕方がない。

「誰のか判らないのは一緒でしょ!人のなんか付けないでよね」

結局サングラスは取り上げられ、アスカのポシェットにティッシュでくるんで放り込まれてしまった。

シンジには判らなかったがアスカには気が付いていた。
このメーカーは女物のサングラスを作っているメーカーで、これはかなり高級な女物のサングラス。
どこかの女性が着けていたのだろう。
その証拠にファンデーションと妙に甘い臭いが微かに残っている。

「こんな下品なの似合わないわよ、まったく何でもすぐ拾っちゃうんだから」

昔は拾った玩具を家に持ち帰り、その度にアスカにひっぱたかれたのだ。
未だに懲りないらしい。

サングラスの作り出した暗闇は消え、目が馴染んでくると改めて夏の景色が広がった。
海に砂浜、水着にビーチパラソル。
日常とは別の時間の中にいることを実感できる。

夏休みという通常の時間から外れた時の流れ。
一種の異次元と言っていいかも知れない、特に旅行先は。
彼女もそんなことを感じていたのだろうか。

「綾波は?」
「あそこよ・・・・」

波打ち際で座り込み砂山を懸命に作っている少女がいた。

こんもりとした砂山はうち寄せる波にすぐに削られるが白い手は再び砂を盛る。
そんな動作がさっきからずっと続いているようだ。

「綾波、何やってるの?」
「知らないわよ、さっきからずっとあの調子だモン」

幾度か話しかけその度にほんの少しの会話が成立するが発展はしない。
結局レイと遊ぶのを諦めて、贅沢にもこんな天気の良い日に寝ころんでいるシンジの元を訪れたのだ。

「ふうん、そういえば・・・・・ねえアスカ・・・」
レイと言えば少し気になることがあった。
「アスカも綾波に聞いたんだろ?昔何処にいたのかって。何か言ってた?」

シンジが自転車の上でレイに聞いた事はアスカのそれと同じだったらしい。

「ううん・・・・良く知らないって・・・・教えてくれなかった」

僅かに形のいい眉が不機嫌そうに寄り、声にもほんの少し苛立ちが混ざり込む。
そしてシンジの隣に座ると不意に彼の目を見つめた。
「シンジ君は興味津々ねぇ。そんなに気になる?レイのこと」

どことなく挑発するような目が彼に向けられた。

「気になるって言うか・・・・僕らあまり綾波のこと知らないからちょっと」

そう思って昔住んで居た所を聞いたのだが二人とも教えて貰えなかったのだ。
どうしても知りたい、と言うほどでは無いが同居人のことを殆ど知らないと言うのもそれはそれで落ち着かない。
また余りに無関心なのも薄情とも思う。

「でも本人が喋らないんだから無理に聞くことないじゃない・・・・そのうち教えてくれるわよ」

そう、無理には聞かない。
だが話したくなったらいつでも聞くつもりだ。
きっとそういう時は来るだろうし、その時自分達も側にいるはずだ。

そんな色の髪の少女を2人は無言で眺めた。





押し寄せる波はせっかく作った砂山を遠慮なく押し流していく。
その都度、砂をかき集める。

一体何回同じ動作をしたのだろう。

「綾波、何やってるの?」
「・・・・・あれ作ってるの・・・・」

レイの指先には彼女と同じように砂山を作っている小さな女の子とその母親が居た。
プライベートビーチと言うことを知らずに来たのだろうが誰も咎めなかったらしい。
今、自分達の周囲にいる人間は全員が『NERV』と言う組織に所属している。

アスカ以外全員だ。

ある種の異常さが潜んだ光景の中、ごく普通の母子は結構大きな砂山を楽しそうに作っている。

レイはどこか羨ましそうな目で時々眺めては再び手元を見つめる。
そんな彼女に気が付いたのか、小さな女の子は時折自慢げな顔を見せているような気がした。
自分も作ろうと思ったのだろうか。

「でも・・・・すぐ消えてしまうから」

だから再び砂を寄せ集める。

「もっと向こうで作れば?」
「最初にここに作ったから・・・・」

シンジにはレイの言葉の意味が良く判らない。
ただあまりにも真剣な顔がやっている事と妙に違和感があるのだ。

「・・・・・一生懸命だね・・・」

盛られるはしから流されていく砂山。
シンジには彼女が何か言いたくてこんな物を作っているように思えてきた。
だがそれを読みとれるほど彼は成熟していない。


シンジは以前海に家族で遊びに行ったとき彼女と同じ事をした記憶がある。
アスカが碇家の人間になって数ヶ月後の夏だ。

アスカと一緒に砂山を作った。
一生懸命波に負けないような大きな砂山を作ろうとした。
波に幾度も砕かれ、それでも一生懸命作った覚えがある。

なぜそうしたかは、もう覚えていない。
子供のやることだから大した理由ではないのだろう。

「レイ、いつまでも暗い事してないでよ!ほら、ボールあるしバレーしない?」

ミイラ取りがミイラになりそうな雰囲気を感じ取ったアスカは、慌てるように駆け寄って2人を連れ戻そうとした。
何も砂山作って日が暮れるのを待つことはないのだ。

やることはいっぱいある。

「でも・・・・・・・」
「でももへったくれもないの!遊ぶの!明日は帰るんだから」

とうとうアスカは実力行使する事にしたようでレイの顔に水鉄砲を押しつけた。

「さっさとしないと撃つわよ」
ゆっくりと引き金に指をかけニンマリと笑みを浮かべる。
シンジも苦笑しながらその様子を見ていたが、これ以上レイが砂山に拘ればアスカが怒り出すのではと少し心配でもあった。

さっきのレイのことでの会話だってアスカにしてみれば面白くない部分があるだろう。
一緒に住んで居るのに昔のことを教えて貰えないのだから嬉しいはずがない。
無理矢理その想いを押し込めたような感じがするのだ。

その分を一緒に遊ぶ事でうち消そうとしているのが判る。

「綾波、一緒にやろうよ。1人でそんな事したって・・・・・」

そんなシンジの言葉に一瞬戸惑いの表情を見せた。

「でも・・・・・・」

何かを望んでいるような目がシンジとアスカに向けられる。
少し沈んだ、夕日色の瞳。

「ああ!もう!判ったわよ、一緒に作って上げるわよ!いっくらでも大きいの作って上げるわよ!百年経っても無くならないような奴!!」

アスカは早速しゃがみ込むと砂を両手でかき集め始めた。

「そらそらそら!!」

・・・・・シンジと同じ顔して・・・・バッカみたい!・・・・・

レイの瞳は彼女のたわいのない記憶を呼び起こした。



小さい頃、同じように砂山を作っていた小さな男の子が同じような顔をしていた。
知り合って、間もない男の子。
その子とは滅多に話もしなかったがなぜか彼女を見つめた。
一緒に遊ぼうと口にするでもなく、手招きするでもなく、自分の座っていた位置をずらして再び砂山を作り始めたのだ。

『判ったわよ。手伝ってあげる』

その子が何を望んだのかすぐに判った。
多分自分も言い出せなかったことだ。

・・・・一緒に遊ぼう・・・・




「ほら、シンジもボケッとしてないでよ!」
そんなアスカの様子に見とれていたシンジに早速お声が掛かった。
「あ?ああ、判ったよ。どれくらいの作る?」
「思いっきり大きい奴!!」

シンジも手を広げブルトーザーのごとく砂をかき集めた。

見る見る間に砂山は大きくなりレイの顔に満足そうな表情が浮かぶ。
そして引き潮なのか波も少し遠くなった。

やがてシンジもアスカもレイも砂まみれになった頃、シンジの腰ほどまでに盛り上げられた砂山が出来上がった。

「どうよレイ!これで満足した?」

腰に手を当て砂山を見つめるレイを見下ろすアスカ。
言葉の中に自慢と自信が溢れ返っている。

恐らく次の満ち潮までは残っているだろう。

「ありがと・・・・・・」

赤い瞳は出来たばかりの山を見つめた。

小高く盛り上げられた砂の山。

嬉しかった。
そして何かを実感できた。

・・・・・2人と一緒にいれば『昔』が出来る・・・・・

しばらくは消えない三人で作った砂山。

「レイ!ほらバレーしよう!!今度はあんたが付き合うんだからね」

ビーチボールが水色の頭の上で跳ねる。
振り向けばアスカの笑顔。
まだかき集めるべき砂は沢山あるのだった。



生まれ持った天分の才というのは確かにあるようだ。
器用さや勘の良さなどの類はまさしくそうだろう。
彼女の場合、そう言った物が大抵備わっているように思える。

足場の悪さにも関わらずアスカの足には羽が生えているように軽やかに飛び回っていた。
実際彼女は飛んできたボールを一回も取り落としていない。

その全く逆な少年も居る。

彼は砂に足を取られぎこちない動きで必死にボールを追いかけていた。
元々それほど器用でも運動神経が取り立てて良いわけでもない、いつも通りと言えばそうなのだが。

運動神経が鈍いはずのシンジがヨタツキながらもまだ一度もボールを取り落としていないことは、アスカの意識から波の音が押し流していた。
ヨタついていても追いつけるほどの反応の良さに対する疑問は浮かばない。

「アスカ!ちゃんと打ち返せよ・・・・・ット」

シンジの位置からかなりそれた場所に飛んできたボールを必死に追いかける。
かなりもたつきながらなんとか腕で弾いてレイの方向に飛ばす。

「綾波ッ」

宙に浮かぶグリーンのボールはちゃんとレイの位置に落下して彼女は殆ど動かずに済んだ。
手の平を空にかざし落ちてくるボールを見つめアスカに向けて打ち返す。

軽い音と共に再び運動エネルギーを得たビニールのボールは空高く跳ね上がりアスカの頭上を越えた。

「バカレイ!何処打ってるのよ!」
慌ててアスカが砂を蹴りボールを追いかけた。
やがて落下地点に到着すると思いっきりジャンプして腕を振り下ろす。

「シンジ!行ったわよ」

だがボールを受け止めたのは彼ではなく彼の父親だった。

「アスカ、レイ、昼飯だ。シンジ、まだ遊んでいて構わんぞ」





ビーチパラソルの下は即席レストランとなっていた。
バスケットにはサンドイッチとサラダ。カップにはコンソメスープ。
保温水筒の中にはアイスコーヒーが入っているらしく紙コップにつがれていた。

「ほら三人とも、手拭いて食べましょう」

異論は当然彼らにはない。
朝からずっと遊び続けているので朝食など既に使い切ってしまっている。

「今日は風が静かだから外で食べようと思って」

ユイはなにやら楽しそうに三人にウエットティッシュを渡した。
エアコンの効いた部屋に閉じこもっていたかったゲンドウとは実に対照的だ。

保養所のレストランのローストビーフサンドはいかにも美味しそうで早速ティッシュで手を拭くと大きな口で頬張った。

「うん、マスタードが利いて・・・ん、んん、美味しい」

ユイの見積もった彼らの食欲は中学生達の分だけでもサンドイッチ5人前だがそれでも少し足りなくなりそうな勢いで減っていく。
晴れた空と潮の香りは彼らの胃袋を広げたらしい。

「ほら、あなたも食べないと無くなるわよ」

そんな様子を微笑ましそうに眺め、ゲンドウにサンドイッチを渡した。

「ああ・・・・・ん、シンジには贅沢だな。コンビニで十分だ」

碇家家長にしてもこの味に納得がいったらしい。
それにしても息子に突っかかるのは毎度のことだからシンジも簡単に受け流す。

「ふうん、・・・・そう」

彼にしても思うところがあるのだ。
NERV本部で見る父親はまさしく『特務機関の総司令』。
家で見る父親とはまるで違う。

生まれたときから見ていた父親とはまったく違う人間があの場所にはいる。

・・・・どっちなんだろう・・・・

その差が有りすぎて今ひとつ判りかねているのだ。
サンドイッチに食らいついているゲンドウの顔を思わず眺めてしまった。

そこにはやはり良く知っている『顔』があった。
生まれたときから側にある『父親ゲンドウ』の顔。

以前加持の言った言葉が不意に思い出される。

・・・・・人はいくつもの顔を持っている・・・・・

幾つもある顔の中で一体どの顔が本当なのか?
シンジには『碇司令』の顔が最近馴染んで見え始めていた。



「シンジ、お土産何買うの?」

水着から洋服に着替えた3人の午後の予定は買い物だ。
彼らだけではなくユイとゲンドウも同行するようで仕度を整えている。
この辺りの土産物屋には大した物がないので市場のある『笹川流漁港』付近まで行くことにしたのだ。
「別に大した物は買わないよ。トウジ達だから食べる物にしようかとは思ってるけど」
「ふぅん、あたしヒカリに何買おうかな・・・レイはどうする?」

毎年お土産に何を買ったらいいか迷ってしまう。
シンジは『食べる物』と限定しているので悩まないがアスカの場合そうも言っていられない。

14才の女の子のお土産が干物では少し可愛さに欠けるような気が彼女にはしているらしい。
去年まではそれを分かち合える相手が居なかったが今年は違う。

「知らない・・・・そういうの買ったこと無いから」

生憎とアスカの希望通りの答えは得られなかった。
そして戸惑っているようなレイの顔にこれ以上同じ質問や『買ったこと』のない理由を問いただすのも躊躇われた。

「じゃあさ、一緒に探そう。シンジ、あんたも手伝うのよ!」

保養所から自動車で20分ほどの場所に漁港はある。
その人では大した物で駐車場を探し回るのに20分ほど掛かっていた。

「おじさま!そこ!その陰空いてる!」

ようやく見つけた場所に車を止め降りると改めて人での多さに驚いた。

勿論漁港としても機能しているだろうがそのメインは、観光客相手の鮮魚市場と様々な店舗の入った土産物屋らしい。
明るい空色の建物はまだ真新しい。

「じゃあ・・・・・一時間ぐらいしたらそこで落ち合いましょ」
ユイの指さした場所は土産物屋の中の喫茶店だった。
「OK!じゃ、行ってきまーす」

小走りに店内に消えていく3人を見送ると自分達は鮮魚市場へと足を向けた。
ユイは土産物はともかく家で何か食べるのに少し買って行くつもりなのだ。
せっかく来たのだから何か美味しい物を買っていきたい。

「あなた、何買っていく?」
「好きな物を買えばいい・・・・ウニと蟹でも買っていくか・・・」
「ええ、それもだけど今夜あれやるんでしょ?」

ユイの顔に笑みがこぼれる。
どこか祭りを待つ子供のような笑みだった。




得体の知れないぬいぐるみに訳の分からない貝殻のキーホルダーやネックレス、仰々しく地名の書いてあるハンカチやTシャツ。

土産物などは何処に行っても大抵は同じらしい。
これといった物が見つからないままアスカ達は店内を徘徊していた。

「んーーー、パッとしないわね。何でこう没個性というか右に習えな物しかないわけ?」
「そんなの知らないよ。何でもいいんじゃない?お土産なんて」
「変な物買える訳ないでしょ!こんなの持っていったら人格疑われちゃう」

見本に置いてあった膨れたフグの人形のついた孫の手でシンジの頭を軽く引っ掻いた。
何もそんな物を買うことはないのだがどうしても好みのものが見あたらないのでついヤケになる。

「ね、レイは何か決めたの?」
辺りをキョロキョロしているレイに一応聞いてみた。
「・・・・・渡す相手いないから・・・」
「やっぱりそう言うと思った。でもヒカリにはなんか買って行きなさいよ」

アスカは自分の親友の名前を挙げた。

「・・・一緒に選んで・・・・何買ったらいいか・・・・判らないの」
「じゃあ、向こう見てこよう。シンジ、あんたも来なさいよ」

アスカに片腕を引っ張られ渋々と明るいオレンジともピンクとも言えない色のファンシーショップに引きずり込まれていった。





「・・・・それで何も買わなかったの?」
「だっていいの無かったんだモン。みんなどこかで見たようなのばっかり」

不平満々と言った顔でアスカはアイスコーヒーを啜るとユイに土産物屋の品揃えの不満を告げた。
コーヒースタンドなので味は大したことではない。

「しょうがないわね・・・・他も廻ってみる?」

ユイの提案に不満と不平を満面に現したのは父親とその息子であった。

「まだ見るの?もういいじゃんか・・・」
ユイの買い物にずっと付き合わされたゲンドウもまったく同じ気分らしく気付かれないように少し頷く。
だがそんな様子を一切無視して除けると碇家女性陣は、早速次に廻るお店をガイドブック片手に探している。
その様子があまりにも楽しそうなのでシンジもゲンドウも明確に反対の意志を口に出来なかった。

よって愚痴となる。
「・・・・・付き合わされるんだろうなあ」
「ああ、お前がさっさと選ばんからだ。何時まで経っても物事を決められん奴め」
「何だよ・・・・父さんだって同じ癖に」

少々情けない会話だが面と向かって文句を言えるほど碇家の男性陣に勢力はない。

そうこうしている間に話は進んでおり結局、街中に買い物に出ようと言うことになったらしい。
ガイドブックに載っていた骨董店や、糸魚川で取れる翡翠を展示している『翡翠館』が彼女らの興味を引いたのだ。

「じゃあ、おじさま、そろそろ行きましょ」
「そうね、あなたここに地図が載っているからお願いね」

NERV本部総司令碇ゲンドウは、今ただの運転手になり果てていた。




JR新潟駅の前に広がる新潟市街地。
県内一の繁華街は家族連れでごった返していた。
高層ビルの数は彼らのやってきた第三新東京市に比べ遙かに少ないが人口密度と総店舗数で決して劣る物ではない。
その証拠に濃紺のステーションワゴンを運転していた彼はしばらくの間駐車場を探して右往左往していたのだ。

やっと見つけた市営駐車場に車を止め、今は5人とも徒歩で市街地を見て回っていた。

「みんなそろって買い物なんて久しぶりだわ」

楽しそうなユイはアスカとレイを引き連れあちこちの店を覗いている。
土産物屋で発散できなかった購買欲をここぞとばかりに発揮していた。
それに従うアスカも彼女と共に品定めに余念がない。

ここ、『翡翠館』でも賑やかであった。
翡翠細工だけではなく地元の工芸品である新潟ガラスも豊富にある。

「このコップすごく薄いのね。色がすごく綺麗!」
「あら本当ね、いいわね、あたし買って行こうかしら」
「こっちなら5個セットよ!」

そんな調子の会話が広い店内でショーケースを覗く度に繰り返されている。

「レイ、ほら、このブローチなんかよく似合うんじゃない?」
彼女の白いシャツにブルーの蝶を象ったガラスのブローチを当てて見たり翡翠のネックレスをぶら下げてみたりと忙しい。

そんな傍らでシンジとゲンドウはさしてやることもなく店内をウロウロしていた。
時折展示してあるコップを手にして眺めてはいるがさして興味を引く物ではない。




「綾波もそう言うの好きなの?」
アスカに渡されたブローチをしげしげと見つめているレイに不意に声を掛けた。
「え?・・・・あ・・・・別に・・・」
慌てたような顔を見せながらも手にしたブローチをそっと台に戻す。

「でも綾波ってそう言うのあんまり着けないね。アスカは何かいっぱい持ってるけど」

シンジに何か思うところがあって言ったわけではない。
話す相手が居ないのだ。
それにアスカとユイが2人でショーケースを覗いて廻って時折店員に品物を出させているし、ゲンドウは遠の昔に休憩所で新聞を読んでいる。
彼女1人が取り残されているようにも見えた。

「そういうの着けた方が・・・・いいの?」
「そう言う訳じゃないけどさ・・・・」

そう言いつつも手持ちぶさたなものだからブローチのサンプルを選んでいる。

「これなんか似合うんじゃない?青好きだって言ってたろ」

手にしたのは透明な三色。
色の違う三角形が3つ少しずれて重なった形だ。
三枚のガラスが銀で縁取りされており、一つの角を中心に扇のように重なっている。
両端に配置されたガラスはブルーとワインレッド。そして中心の一枚は翡翠らしく一枚だけ透けるような緑をしていた。

割れないようにとの配慮だろう、表面は薄く何かの樹脂でコーティングされているようだが、ガラスと翡翠の色合いの差を損なう物ではない。

「着けて・・・みない?」
「・・・・・ええ・・・」

それを受け取るとショーケースに淡く映る自分の姿を見ながら胸元に重ねてみた。
似合うかどうかはやはり判らない。

だが自分で気に入ったのは判る。

「おみやげに買ったら?自分のお土産にさ・・・・また来れるか判らないし・・・」

その理由はレイにしか言えない。
自分の置かれた立場が決して安全な場所ではないことぐらいは嫌でも知らされている。
だからこそアスカを遠ざけたかったのだ。

戦いの場所以外でさえ安全ではない、それは窓の外に目を向ければすぐに感じ取れた。
街中で付きまとう言い様のない視線。

旅行に護衛が必要なほどの立場なのだ。

何より自分達の抱えた役目はすぐ側に明日を迎えられない危うさが転がっているのだ。

「・・・・それ貸して。今買ってくるから」
「え?」

言葉を返す間もなく自分の手の中からブローチは消え去り、再び現れたときには小さな箱のなかに綺麗な紙で包まれていた。

「旅行記念になるか知らないけど・・・・まあ、思い出にはなるんじゃない」

手渡された小さな包み。

「?」
「あげるよ。せっかく一緒に来たんだしさ」

とても小さな包みの中はブローチだけではなくとても大切な物が詰め込まれていた。
自分は持っていないと思った物。

「・・・・・ありがと・・・・・・・・ありがとう・・・」

両手でそっとその包みをくるんだ。
透明なブローチは壊れやすかった。

「じゃ、次の店行きましょ」



結局さっきのグラスセットを買い込んだユイが戻ってくると早速ガイドブックを開き他の店を物色し始めた。
アスカはこの店で小さなワイングラスを購入した。
ワインを飲むわけではないが青色がとても綺麗だったので買ってしまった。
それとヒカリへのお土産で翡翠の小さなキーホルダーとワイングラスも買っている。
レイと一緒に選んでお金を出し合ったので決して安物ではない。

「あら、地酒のお店もあるのね・・・ここ行かない?」
「あ、ワインもある!うん、行きましょ」

レイは特に反対する様子もないのでその店に決まった。
ゲンドウとその息子の意見などは当初から無視されている。

「また歩くの・・・・しかしよく飽きないね」
ぼやくシンジに同意するのはゲンドウただ1人だ。
味方として頼るにはあまりにも心もとないし当てにもならない。
どうせユイに何か言われれば首を引っ込めてしまうに違いないのだ。

「シンジってぼやいてばっかり!もうーーーー少し協力的でもいいんじゃない?」
「本当ね、この子は。文句言わないで早く来なさい」

このように言われるからゲンドウはシンジに同意はしても沈黙を保っているらしい。

「だってさぁ・・・何軒目だよ?同じような物ばっかりでさ・・・・あ、ねえ、あそこ寄りたいんだけど・・・・」

シンジが指さしたゲームショップを2人は一瞥すると、あっさり無視して除けスタスタと歩みを早める。

「ハイハイ、大人しく付いてきなさいね」

アスカにしっかりと腕を掴まれそのまま引きずられていった。
何が悲しくで新潟くんだりまで来て何処にでもあるゲームショップに寄らなければならないのか。
無駄としか言いようのないことだ、とアスカもユイも感じているようだ。

そんな彼らの後ろから妙に注意深く歩いているレイがついてくる。
両手の中にはさっきの小さな箱が大事そうに抱えられていた。
店の紙袋に入っているので最初は手にぶら下げていたが、ぶつけるのではと何となく不安になり小脇に抱え、今では胸のところで抱きかかえている。

「レイ、何買ったの?」

そんな様子に興味を引かれたアスカが駆け寄って早速紙袋の中身を尋ねた。

「・・・・・・内緒・・・・」

まだ教えたくなかった。

「ケーーーチ!」

レイにしては珍しく冗談を口にしたと思ったのだろう、それ以上追求することなく再びシンジの元に駆け戻った。

「ねえ、レイ何買ったのか知ってる?」
「え?・・・・あ・・・・さあ」

とぼけるように言葉を濁すシンジに怪訝な目を向けもう一度問いただそうとしたとき、彼女が呼び止められた。

「ほらアスカ、この店よ。御免下さい」







「え?先輩ですか?・・・・・研究室に居ませんでしたかぁ・・・どこでしょ?」

技術開発部の扉を開けるなりの葛城三佐の質問は?マークで答えが返ってきた。
今日は朝から顔を見ていないのでさっきからあちこち探し回ったのだが影も形もない。

「へへへへっとうとうくたばったのかしら?」

どこか楽しそうなのはマヤの気のせいだろう。

「そんなぁ・・・・MAGIのチェックしましたからその報告書作成じゃないですか?電算室かな?」

リツコは大抵研究室かここ開発部のディスク、それと発令所などに主にいるので探そうと思えばいつでも会えると思っていたのだが今日に限ってそのいずれにも居ない。
勿論マヤの言った場所も廻ったのだがそこにも居なかった。

NERV本部は今、夏期ローテーション中なので普段より職員の数が少ない。
だがリツコはまだ夏休みに入っていないはずなのだが。

「ま、いいっか・・・・・・」

重大な用事なら館内放送でも呼び出しでもするのだが、急ぎの用でもないので結局諦めることにした。
朝から彼女の顔を見なかったので平和な一日だったとも言える。

「このまま顔を見ないで済むようにお祈りしちゃいましょう・・・・出てきたら埋めてやる」
神妙な顔つきで十字を切ると苦笑しているマヤと別れた。
ミサトの『お祈り』が通じなかったのは彼女が不信心だからだったのだろうか・・・・・・




「・・・・以上です。現在までMAGIに異常は報告されていませんが赤木博士からの報告がまだ出てきません」
「そうかね。彼女にしては珍しいな・・・・・まあいい。ご苦労だったな」

NERV副司令、冬月コウゾウは書類の束を手にするとほんの数秒眺めた後、些か不機嫌そうな表情を見せながらデスクの上に放り出した。
以前加持に『留守番が副司令の仕事』と語った彼だったが実際はそれどころではなかったのだ。
本来なら総司令の机に回される書類が鍵の掛かった『司令執務室』に門前払いされ全て彼の目の前に居場所を求めてきたのだ。

碇ゲンドウという男がいなければ冬月がここの最高責任者なのだから仕方がない。
それは判っているがこうも立て続けに仕事が舞い込んでくると、今頃優雅に家族旅行で遊び回っているであろう男に恨み言の一つでも言いたくなるという物だ。

「ふぅ、幾らやっても終わらんな。碇の奴、よく今まで片づけていた物だ」

各部署の業務計画書やら決算報告やら改善要求やら・・・・・その題名だけリストUPしてもコピー用紙三枚ぐらいにはなりそうな勢いだ。
いずれも承認だの許可だのと目を通さなければならない物が多すぎるのだろう。

「このところ時間に空きが有るので、普段出来ないことをみんなやりますから」

苦笑しながらマコトは現在のNERVの状況を説明した。
使徒迎撃の後片付けも終わり、新たなる敵に対しての迎撃準備も終わり、そしてつかの間であろう今の平和。そうなると今まで放って置いた書類やら伝票やらを片づけなければならないのだ。

忙しさにかまけて放り出してあった分、その量は少なくないらしい。
部署によっては技術員が事務員に変身しなければならないところもある。
それらがまとめてゲンドウのいない間を見計らったように冬月の元にやってきたのだ。
文句を言いたくなるのも無理ないのかも知れない。

副司令執務室、司令のそれより些か狭くはなっているがそれでも他の部屋より広い。
おおよそ事務的な物以外は何もない部屋だ。

お茶道具が辛うじて仕事と関係ない物としてその存在を示している。

「司令は明後日戻られるのですか?」
「ああ、それまでに片づく物は片づけて置いてくれ。また煩いからな」

一休みするつもりなのだろう、『接続記録』と書かれた書類を放り出しながら緑茶を湯飲みに注ぐと口を付けた。

「不振と欺瞞の固まりの象徴だな。このMAGIにしたって同じ人間が信用できないからこんなアクセスログまで取って調べなきゃならん。そんな信用できない人間を救うための命懸けか」

その顔には皮肉な笑みが浮かぶ。
どこか自分の置かれた立場を皮肉っているようにも見えた。

「改竄できませんから・・・・・確実な物が欲しいんですよ。信頼できる何かを」

恐らくは平和な午後3時。
冬月としてはそう急かすつもりはないが何も終わっていないと言うのも少し不味いだろう。
一息に半分ほどぬるいお茶を飲んだ。
副司令執務室もエアコンが効いているので、夏というのに熱いお茶を欲しいと思うことが多い。

「ふう・・・・夏というのに・・・・存外人間というのは進歩しない生き物だな」
「もう少し進歩すれば夏にコタツ出すようになりますよ」

冬月は思う。
人間の足はどちらに向かっているのだろうと。

夏の暑さに耐えきれない、冬の寒さをしのげない。
空も飛べず歩みも遅く、柔らかい素肌を露出した生物としては最弱に属する生き物。

その癖、自分ですら制御しきれない『科学の力』を持つ歪な生き物。

「今ヒトは歩み方を修正しているのかもしらんな」
「・・・・人類の未来ですか?副司令は悲観論者で?」
「いや、もっと単純な話だ・・・・・・もう一度やり直したい、歳を取るとそう言う思いに駆られることもあるのさ」

冬月の表情は複雑すぎて、まだ若くそんなことを考えている暇のないマコトには、その意志を読みとることは出来なかった。



「なあ、人は何だと思う?」
「鏡みれば判るんじゃない?」

キーボードを叩く速度はまったく変わらない。
手にした液晶モニターの中を文字や数字が流れては消える。

朝からここにいた。
メインコンピュータMAGIの点検は彼女が居なくてもできる。ごく簡単な検査なのだ。
終了後報告してくれればいいと言われているので、特に彼女を呼び出す者も居なかった。

「彼・・・・やっと進入したようよ」

まるで薄氷のような笑みを浮かべ満足そうにモニターを見つめる。
全ては順調に進んでいるのだろう。

再びキーボードを叩く。

「同調終了・・・後は好きに引き出せるわ。残るのは彼の足跡だけ・・・・」

薄暗い場所で幾つかのパイロットランプが無機質な明かりを灯す。
だが彼女にはクリスマスのキャンドルの様にも見える。

今やっていることが彼女にとっては最も大切なことだった。
自分にしかできない、自分ならやれる。

そんな思いを十分に満足させていた。

「後は任せるわ・・・・・どうせまだ手伝わすんでしょ?」
「悪いな。他に頼る人が居なくってね」

期待したとおりの答えがこぼれ落ちた。
男の行動理由などどうせつまらない物だろうし、それにどうでも良いことだ。
そんな物は必要ない。
ただ目の前に居る男は一言言えばいいのだ。

『頼む』と。

「しかし人間て言うのは判らないな、どう転ぶか見当がつかない。彼にしても・・・・」
「彼が望んだ事よ・・・・・話を持ちかけられてそれを選択したのは自分自身」

その口調には罪悪感の欠片すら見いだせない。
他人の望んだことを利用する・・・何処が悪いのか。
自分達にしたってそうなのかも知れないと言うのに。

望んだことを手に入れられるとは限らない。
手の中にある物をいつまでも抱えられているとは限らない。

手にしたと思った途端抜け落ちてしまうことだってよくあることだ。

「所詮ヒトの抱えられる物なんて大したこと無いな」
「ヒトが何なのか知らないけど・・・・女は片手で誰かを抱きしめて片手で誰かを絞め殺す・・・・そう言う生き物よ、加持君」








さっきまで青かった空はゆっくりと朱色に染まり始めた。
後もう少しすればこの街全体が赤く染まるだろう。

それと共に街中の人々の歩みは思い思いの方向に向かう。
家路に急ぐ者、家族そろって夕食を食べに来た者、恋人同士でこの黄昏時を過ごす者。

何処にでもある普通の光景だ。

シンジとその父親は山ほどの荷物を抱えて人混みの中を苦労して歩いていた。
その中に自分の買った物はごく僅かなのだがそれでも持たされている。

珍しくもない在り来たりな景色の一部だ。

「理不尽だな・・・・」
「うん・・・・でもいつものことだよ。買い物に出るとさ」
そんなことぐらい覚悟しなければ彼女らと一緒に買い物は出来ない。
ゲンドウと違ってシンジはユイやアスカの買い物に付き合わされる機会が多いのですっかり悟っている。

「2人とも!何ブツブツ言ってるのよ!」

3割ほどはゲンドウに、残り七割はその息子に向けて元気の良い声が飛ぶ。
その表情には何の憂いもなく、楽しさの成分だけで構成されている笑顔だ。

「いや・・・・・シンジの奴が煩いのだよ。まったく文句と愚痴の多い奴だ」

買い込んだワインやら一升瓶やらを抱えていては文句の一つも言いたくなるという物だろう。
のんびりと副司令室で羽を伸ばしている冬月がちょっと羨ましく思える。

そう思いつつ瞬時に変わり身の術を使いアスカからの批判はシンジに押しつけた。
どこか彼女が最近ユイに似てきているような気がする。

「あ、ゴメン・・・・」

今更父親に文句を言う気にもならない。

「ほら、早く行こうよ。帰り道混んじゃうよ」

急かすアスカにシンジの後ろから別の声が聞こえた。

「・・・・待って・・・・早く歩けないから・・・」

人の増えだした道路をさっきより慎重な歩みでゆっくり、一生懸命についてくる少女。
よほど大切な物なのだろう、まるで貝のようにしっかりと両手でくるんでいる。
そんな彼女だがすれ違う親子連れの子供と目が合うとどこか自慢げな表情になっていた。
「レイ、ちょっと早くしなさいよ・・・・日が暮れちゃうわ」
「・・・・ご免なさい・・・」

蒼い瞳の少女は不満ではあるが先に行こうとはしない。

「ねえ、大事そうに何抱えてるの?ちょっと見せて」
「駄目・・・・まだ駄目・・・・お土産だから帰ってから・・・・」

興味の輝きが増す蒼い瞳から子供のように小さな箱を隠す。

「あーー!ケッチィ!」

覗き込もうとするアスカから体を丸めて阻止しようとした。
アスカは別に無理に見ようとは思わないが今のレイの反応が面白いので続けてしまう。
くすぐったり抱きついてみたりと色々ちょっかいを出す。
その度にレイは必死の抵抗を試みる。

必死ではあったが真剣ではなく、必死ではあったが楽しかった。

「後で見せるから・・・・キャッ」
「今じゃなきゃダメ!ほら見せなさいよ!」

あちこちから手を伸ばすが小さな箱には触れようとしない。
要するに彼女にちょっかいを出すことに目的は変わったらしい。

人の波を器用にかわしながら広い歩道でじゃれ合う2人。
2人とも気分が舞い上がっていた。
何でも出来そうな気がするほど昂揚している。
そして『今』が永遠に続くような気さえしていた。

「こら!危ないでしょ。ほら駐車券出して」

ユイの一言で気が付いてみれば市営駐車場の前。
早くと急かしたアスカだったがちょっと不満である。
シンジとゲンドウは方からぶら下げた一升瓶等をやっと降ろせるとホッとした。

「あーあ、もう帰っちゃうのかぁ・・・」

今日は宿に帰る、明日は第三新東京市の自宅に帰る。
そして日常に戻る。
今乗っている車はその行程で走るはずだ。

「結構あっという間だったね」
「そうね・・・・」

アスカと同じ事をシンジもレイも感じ取った。
すぐ帰るには楽しすぎた。

窓の外を流れ去る普段見ない景色。
目に飛び込む光景のいずれもが愛おしい。
夕日が差し掛かり始めた新潟市を眺めていると急に胸の奥が痛くなる。

「ね、ね、おじさま、まだ休み有るんでしょ?もう少しここに居ない?」
「無理言うな。仕事があるからな」

バックミラーに映った彼の目はアスカではなくシンジに向けているようだ。

「でもさぁ・・・・ねえ、有給使えば・・・・」

すげなく断れなくなったのかシンジに明確に目を向けられている。

「アスカァ・・・毎年同じ我が儘言うなよ」

シンジの言う通り毎年のことなのだ。
旅行最終日になると急に帰りたくないと駄々をこねる。
碇夫婦に対して滅多なことでは我が儘など口にしない彼女だったがこの時ばかりは急に物わかりが悪くなるようだ。

その度にシンジはアスカを宥めなければならなかった。

去年までは彼も帰りたくないと思っていたが今年は違う。
やらなければならないことが頭の中に沸き上がる。

「しょうがないだろ。充分遊んだし・・・・」
「何よ!もう少し居たっていいじゃない!」

鏡の中のゲンドウはアスカの目標が自分からシンジに映ったのを見て取ると満足げに頷い運転に集中した。
アスカの生け贄にされた彼は顔を曇らせるしかない。

結局、言えないことが時にはとてつもなく重荷となる。

「忙しいんだからさ。諦めよう」
「何時からそんなに物分かりよくなったの!?」

アスカに苛立ちが募る。
「また来ればいいよ・・・・・」
「ふん!!」

アスカはふてくされた。
自分の要求が通らないことなど百も承知だが、そんなことよりシンジの言い様がイヤだった。
去年までは一言か二言だったが一応アスカに同意してくれたのに今年はそれがないのだ。
あっさりとゲンドウのように帰ることを認めてしまっている。

・・・・つまんなかったのかな・・・・

シンジの言葉がしたくもない憶測をさせる。
そうは思いたくない。
自分と一緒にいる間はシンジも楽しんだと思いたい。
今眺めている景色がシンジやレイも同じように楽しんでいると思いたかった。

「・・・・・」
「何よ?」

自分のシャツの裾が白い手に引っ張られていた。
その手の持ち主は不安げな赤い瞳で自分を見つめている。

「また来ればいいから・・・・あたしは楽しかったわ・・・だから・・・」

だから・・・・の後は言葉が続かない。
どう言えばいいのか判らない。

・・・・・碇君やあなたと居て楽しかった・・・・

たったそれだけの言葉が作れない。心の中から口へ伝わる経路に壁がある。
口にすれば空々しくなってしまうような気がした。
そしてその分距離が離れてしまうような予感もする。

「わ、判ってるわよ!・・・・っとにもう、マジに取らないでよね。あたし子供みたいじゃない!」

文句を言っているにしては笑顔の分量が多いようだ。

「3人とも。夜面白いことやるから楽しみにね」

後ろを振り向きながら
機嫌の直り掛かったアスカとその他2人に向けて届いた言葉は不満と不安と疲労を思い切り吹き飛ばしていた。



「ジャンケンポン!!」
一台のステーションワゴンが走り去った後に残された3人から楽しそうな声が響く。
赤く染まった海を一望できる堤防には彼ら以外にも帰り支度を始めた釣り人や、既に帰路に就いたこの辺りに住んでいる子供達がいた。

シンジの背中に柔らかさとずしっと重みが加わる。

「あそこの電柱までね」
「お・・・・重い・・・・」

よちよちとまるで酔っぱらいのようにフラフラしながらアスカを背負い500m程先の電柱を目指した。
彼女の体重は同年代の平均のそれより殊更重いわけではないがシンジは大げさなほど苦悶の表情を浮かべている。

勿論わざとそんな顔をしていた。

「すっごく・・・・重い・・・・・」
「ヤな奴。あたしそんなに重くないモン!」

とは言うもののシンジが最後に彼女を背負ったのは小学校の低学年の頃だ。
その頃と比べれば身長も体重も伸びている。

その彼女が背中で暴れるからシンジも一頻り苦労せねばならない。
次のジャンケンに勝たなければもう一回2人のうちの誰かを背負うことになる。

「ほら、交代だ!次は勝つ!」
「シンジが????へぇーおっどろいた。何処からそんな自信がでてくるのかしら」
ようやく辿り着いた電柱にもたれて一休みしながら次に何を出すか手をかざし予想しているアスカを眺めた。

平和の内に暮れていく一日。
多分彼女以上にその事が身に染みているのだろう。

このままそれが続けばいいと思う。
しかしそれが続かないとも思っている。
だから帰れば訓練が待っているしNERVもエヴァも第三新東京市の地下で彼らを待っている。

得体の知れない笑みを浮かべ。

「シンジ、ほら次行くわよ!」
赤く染まった彼女の笑みは純粋に今を楽しんでいる顔だ。
楽しめない理由などないし知りもしない。

ただ両手を振り上げ次の勝負のために気合いを込める。
その隣ではアスカの真似をするように両手を胸の前で組んでいるレイがいた。

負けた者が勝った者を背負って歩く、ごく単純な勝負のメリットは何もない。
短い距離背負われたからと言ってさして楽なわけではないが遊ぶ理由などいつだってそんな物だ。

そんな事だがジャンケンは真剣だ。

「行くわよ・・・ジャンケンポン!」

「レイって意外と・・・重いのね・・・うんっしょ!」
始めて背負った自分と同じ身長の少女は自分と同じぐらいなのだろう。
口ほどには重くない。

「背中乗ったの・・・始めて・・・」

アスカの背中からの声は不思議だった。
小さな子供が呟いたように聞こえた。

アスカに両親は居ない。
記憶にあるのは『キライ』と言う言葉だけだ。

それが悲しいことかどうかは未だに判らない。しかし寂しくはない。

すぐ側にユイもゲンドウもいた。
2人の背中も良く知っている。

『今の時間』の始発点はとても優しく温かった。

それは背中に背負われたことが無いより幸せなのだろう。

「ちょっと、ちゃんとしがみついててよ」

ずり落ちてくる彼女を小さな子を背負うように軽く揺する。
まだ彼女を背負いきるにはその背中は細い、だが今だけを背負うなら充分耐えられる。

昔がないと言った少女に、明日生きるのに必要な『昔』を作ることぐらいは出来そうだ。

「あそこの自動販売機までだからね」
「もっと先まで・・・・・・」

2人の後をトボトボとついて歩いてるシンジは缶コーヒーを飲み干すとゴミ箱に放り込んだ。
目の前は何かと賑やかだ。

「あーあ、明日は帰るのかぁ」

帰ればいつもの日常だ。
それに不満はないがどことなく寂しい感じが胸にしみ込んでいく。

夕日の色が余計にそう思わせたのかも知れない。
誰かが居なくなる訳ではないからまたいつでもみんなで楽しむことが出来るはずだ。

「その為のエヴァ・・・なのかなぁ・・・・」

あまりにも小さな呟きなのでアスカやレイの耳には入らない。

不意に背負わされた人類の未来。
そんな物の重さを実感できるわけではない、だからエヴァに何で自分が乗らなければならないのかその理由が見えなかった。
だが目の前の光景は大切だと思う。
自分の抱えているモノの重さ。

使徒の襲来という危機はシンジにその重さを実感させていた。

・・・・・自分のためにエヴァに乗りなさい・・・・・

ミサトという女の口にした言葉が渦巻く。
自分の為が何なのか判らないが目の前の2人や自分の家族、友人、そんな身近なモノを守る。
抱えたモノは多分そうするだけの価値があると思う。

目の前の光景を眺めながらシンジはその事を理由にしようとしていた。








「理由を話してくれない?」

薄い笑顔を張り付かせてミサトは問い掛けた。
だが相手が答えるとは思わない。

引きつった彼の顔からは余裕も何も見られない。
追いつめられた表情だ。

「そこを開けろ・・・・開けろよ・・・」

彼の言葉に虚ろさが混じる。

「リツコ・・・・まったくこんなところで顔見るとはねえ」

苦し紛れの笑みがミサトに浮かぶ。
名を呼んだ相手は頭に銃口を突きつけられながら苦笑していた。
『E計画責任者』は人質として条件を十分に満たしている。

「あなたの顔見るまでは平和だったのよ・・・・・ミサトの顔見た途端これだものね」

無駄口がこぼれ落ちるがこの場が和むわけでもない。
部屋から出た途端に彼女の立場は人質となったのだ。
「そこを開けろ!!」

苦しげな表情がリツコに浮かんだ。
首に巻き付いた腕に力が込められたのだ。

「蜂谷君、悪いけどその女離してくれないかなぁ。あたしも助けたくはないんだけど」

無駄口を叩きつつも背後にいる保安要員に無言で指示を出す。
それを受け静かに包囲するように小銃を片手に左右へと広がる。

勿論蜂谷の要求など受け入れられる事は出来ない。
だとしたらリツコを無傷で取り返し彼を取り押さえる。

答えはすぐ出るがその方法はデリケートだ。

MAGIに不法アクセスの一報があったのは30分前、ゲート封鎖に個人特定および捕捉まで1分。
『身内』の人間と言うことが判り箝口令を徹底させ、保安要員の中でも特に選別された一団を率いてこの場に追いつめたのは今から3分前だ。

ここまでは順調だったがそこにリツコがひょっこり顔を出すなど計算外だったろう。

一見すると形成が逆転したようにさえ思える。

「逃げらんないわよ・・・あんたもここに身を置いてるんだからどんな組織か知ってるでしょう・・・」

静かな口調で話し掛ける。
興奮して引き金でも引かれたらえらいことだ。

リツコは無傷で救う必要があるし、それに何で蜂谷がMAGIからデータを抜こうとしたのかが知りたかった。

頼まれたのか単なる興味本位なのか。

その為には安易に射殺するという手段は採れない。

「悪いんだけどみんな忙しいしね・・・・そろそろ終わりにしない?」

減らず口は相変わらずだが体だけはいつでも飛び出せるように緊張させていた。
右手に握った拳銃はそれとなく見える位置にする。

「そこをどいてくれ・・・・頼むから!」

蜂谷はとにかくこの場から逃げ出したかった。
それは逃亡のためではなく現状から逃げたかったのかも知れない。
自分のやったことの意味がぐらつき始めている。

興味本位、その代償は意外なほど高くついた。
そして失敗した理由は判らない。

アクセス権は偽造したカードの範囲内だった筈だしそれ以上のアクセスはしていない筈だ。

・・・・・そうか・・・・全部・・・・『その筈』だったんだ・・・・

何一つ確かなモノを持っていなかったことに気が付いた。
手にしたモノは全てあやふや。

今何かが彼の中で流れ落ちていった。

得体の知れないNERVを知ろうとして引き受けた仕事。
その理由すらあやふやだったのだ。

リツコを掴む腕から力が抜けていく。
その様子はミサトの目にも映った。

「・・・・・・行くわよ」

微かな声がすぐ後ろの保安要員に、そしてすぐ周りに無言のまま伝わった。
このまま行けばミサトの要望通り彼を捕らえることが出来る。

「・・・・そろそろ離してくれないかしら?」

リツコの一言は蜂谷の耳の中に突き刺さる。
彼だけではない、彼を取り巻く保安要員、ミサトにはその一言で再び緊張を取り戻した蜂谷の姿まで映った。

・・・・余計なことを!!・・・・

舌打ちと共に事態は一気に流れ始めた。

蜂谷はリツコを睨み引き金に指をかける。
ミサトは蜂谷を目指し大きく踏み込んだ。
リツコは微笑む。

そしてすぐ側の柱の影から現れた第三者は引き金を引いた。

「加持君!?」








「シンジ、焼けたわよ」
ユイの箸が網の上からサザエを取ると皿に載せ渡した。
さっきまで食べていたハマグリの殻をゴミ箱に放り込むと一生懸命サザエの“蓋”を外しに掛かる。

「おばさま、ハマグリもう一個!」

アスカはサザエよりハマグリの方が気に入ったようで彼女の足下のゴミ箱には沢山殻が転がっている。

「ハイハイ、もう少しで焼けるからちょっと待ってね」

彼らの食べる速度に徐々に追いつかなくなってきたのでユイは忙しい。

月明かりの眩しい浜辺のバーベキュー、そのメインは市場で買った魚介類だ。
お土産を選んでいたアスカには乏しい市場だったがこの仕度をしていたユイにとっては充分満足行く物だったらしい。

さすがに物は新鮮でその味は彼らの食欲に拍車をかけていた。

「シンジ、少しは遠慮しろ。サザエばかり・・・まったく」

ゲンドウも珍しくビールなど飲みながら磯魚をついばんでいる。
元々飲む方ではないのでその本数は多くはないが今日は何故か飲む気になったらしい。

「ホント、さっきから同じのバッカリ。ほら、ハマグリも美味しいわよ」
自分の確保したハマグリを半分ほどシンジの皿とレイの皿に空ける。
ユイは彼らの食欲を見誤らななかったので余裕はあるようだ。

「それとって・・・・」

レイはアスカの前に皿を出すと程良く焼けているイカを指さした。

「何よ、自分で取りなさいよ」
そうぶっきらぼうに言いつつもそのイカを取り醤油をかけて皿に乗せてやる。

「気を付けないと火傷するからね」

まだ音のするイカは香ばしい匂いで湯気を立てている。

バーベキューセットの下では炭火が赤々と燃えているが夜の海風は暑さを感じさせない。
自宅ではやれない食事なだけにより美味しく感じる。

ちょっとした開放感と微かな興奮。
シンジは何となく夜の海を眺めながら泳いだら気持ちが良いのかもと思い始めていた。
何でも出来そうな感覚、何をしても許されそうな感触。

このまま走り出して海に飛び込みたくなるような躍動感が時折体を抜ける。

「シンジ、少しは泳げるようになったのか?」
「煩いなぁ・・・・」
「結局練習しなかったの?少しは教えて貰えばよかったのに」

両親の言葉がいい加減鬱陶しい。
別に泳げなくても人間は陸上の生き物だから困らないはずなのだ。
いずれにしても不思議な感覚は消え去り不満と文句だけが残った。

「シンジったら教えてやるって言うのにさぁ逃げ回るんだモン」
「余計なこと言わなくったっていいだろ」
「何よ!」
「何だよ!」

険悪さとは無縁な言い合いなので放って置かれた。
一方レイはイカの丸焼きと悪戦苦闘しているのでそれどころではない。
一口で食べるには大きすぎるし噛み切るには弾力が有りすぎた。
「レイ、ちょっと貸して」

そんな様子にアスカは彼女の皿を受け取ると包丁で一口サイズに切り始めた。
以前彼女が指摘した箸の使い方は相変わらずなのだ。

幾通りもある箸の使い方で、刺す挟むぐらいにしか使えないらしい。

「もう、口の周り真っ黒じゃない。少し拭いたら?」

白い顔なだけに口の周りの汚れが目立つ。
だが拭こうとしないレイに業を煮やしたのか、すぐ側に置いてあったウエットティッシュを無造作に引き抜くと些か乱暴に彼女の口に押しつけた。

「子供じゃないんだから!自分で拭きなさいよね」

少々力が強かったのか少しのけぞる格好になってしまったがレイの表情に不快感は全くない。
むしろどこか心地よさそうにしているようでもあった。

・・・・・綾波は僕らより子供なんじゃないか?・・・・・

シンジはそんな2人の様子に疑問を抱いていた。
仕草が子供っぽいから・・・・それほど単純ではない。

昔がないと言った彼女、それはもしかしたら自分はまだ子供だと言いたかったのじゃないだろうか。

幼い子供に昔はないし必要もない。これから作っていく物だ。

まるで海の底から浮かんだ泡のようにシンジの頭にそんな思いが弾けた。
自分やアスカには警戒心の欠片もないのに、他人に対してはまるで絶壁のような壁を隔てる。

レイと逢ってからの数ヶ月を思い出してみるとそんな出来事が幾つも思い浮かんだ。

彼女にそんな思い付きを話すほどシンジはバカではない。
そうするほど自分は大人だと自惚れてもいない。
自分はレイより抱えていた物が多かっただけなのだろう。

「綾波、それ美味しい?」

シンジの問いかけに大きく頷いた。
アスカのお陰で丸ごと一匹口にくわえなくても済んでいるのでゆっくりと味わっている。

「この子って手間ばっかり掛けるんだモン。やんなちゃう」

そう言う割には何かと面倒をよく見ていた。
最初レイと逢ったときには『気に入らない!!』の一言だったのだが、そんなことは記憶の中から綺麗さっぱり消えている。

レイがうち解けたのかアスカが受け入れたのか・・・・

「シンジ、牡蛎も焼けてるから取っていいわよ」

ぱっくりと開き湯気を立てている殻付き牡蛎にレモンをたっぷりと振りかける。

「シンジ、あたしにも取ってよ」
「あたしも・・・・」

その様がいかにも美味しそうだったのだろう、シンジの前に二枚の皿を差し出す。

「あ、ずるい!大きい方取ったでしょ!」
「同じだよ・・・・あ、取り替えるなよなぁ」

アスカに渡した牡蛎が再び自分の方に戻ってくる。
そうなってみると少し小さいような気がしてくるから不思議だ。

文句を言おうと思った時には既にアスカの口の中である。

「あーーー美味しい、やっぱり大きいと味がいいわぁ」

ここぞとばかりにオーバーアクションで顔を緩め両頬を手で押さえた。
確かに美味しいがシンジが羨ましがれば更に味がさぞ増すことだろう。

レイを子供だと思ったシンジだったが別の意味でアスカもそうなのかも知れない。

やがてゲンドウが炭を加えると火力が増し、それと共に皆の顔が赤く照らされる。
最初の頃はユイが一生懸命食材を網に乗せていたが、今はもう各々が勝手に焼いていた。

エビに牡蛎にハマグリ、イカにメバルにタラバガニ。

そのいずれもがお腹の中に消えていく。

「3人ともお腹壊さない程度にしておきなさいね」

幾ら食べても構わないがその点だけがユイには気がかりだった。
それほどまでに彼らの食べっぷりはよかった。




しばらくしてコーラを飲み干し喉の乾きを潤すと、自分の使い捨て皿をゴミ箱に投げ捨てた。
舌も充分、お腹も充分過ぎるほど満足したのだろう、少し苦しげな顔に苦笑いが浮かんでいる。
山ほど合った魚介類は殆ど殻と骨だけになっていた。
静かに燃え皆の顔を赤く染めていた炭火が、今では灰の方が多くなった。

「3人とも随分食べたわね。じゃあ、動いて少し減らしましょ。そっちから片づけて」

片づけたくはない。
手伝うのが嫌なのではなくまだこのまま残して置きたいと思う。
全て片づけてしまえばもうこれで終わりなのだ。

あっけなく終わらせるには楽しすぎたのだろう。
3人とも動きが食べ過ぎのせいではなく、どうしても鈍くなる。

紙コップ一つ捨てるのに溜息をつく騒ぎだ。

広い浜辺に唯一明かりの灯った一角。
楽しげな声が沸き上がっていた場所はやがて海に静けさを返し、月明かりに暗闇を明け渡したのだった。








長い廊下の突き当たりにある小さな休憩所。
自動販売機の明かりがそこにいる3人の顔を浮かび上がらせている。

いずれの顔にも笑みはない。

さっきまでの騒ぎの渦中にいた彼らはようやく今になって一息つくことが出来た。

「参ったわね・・・・」
溜息一つ付くとノンシュガーの缶コーヒーを苛立ちと共にゴミ箱へと叩き込んだ。

「死体は片づけたそうよ、後は諜報部がやるから出しゃばるなって」

赤木リツコは壁に受話器を掛けると内線を切り大雑把に電話の内容を伝えるとミサトに顔を向けた。

「説明してくんない?彼・・・・蜂谷君はなんでMAGIにアクセスできたの?彼がアクセスしたのはAクラスデータよ、第二種機密事項だわ」

あれからどれくらいの時間が過ぎたのか。

B級職員の蜂谷が偽造したIDカードでMAGIにアクセスし、NERVのデータを抜き出そうとした。
今ミサトに判っていることはそれくらいだ。
後は調査報告を待たなければならないだろうが、MAGIの主任管理者が目の前にいるので聴けることはまだ沢山あるのだろう。

「それだけじゃなくて、その先、Sクラスまでアクセスしてたわ」

リツコは淡々とした調子で口にする。

「プロテクトは?」
「点検中よ、回線の一部は外してあったわ」
「・・・・・上手くいってればAクラスデータは全て抜けたわね、Sに入るまで見つからなかったんだから。何処でカード手に入れたの?」

ミサトの視界には平然と2人を眺めている加持リョウジが映っていた。

「彼は公安の人間じゃない。こっちにも報告はなかったからな」

日本政府の調査機関の一つと繋がりのある彼は、蜂谷が自分の関係者ではないことを暗に否定している。
表情には何の変化もなく、まるで写真を貼り付けているかのようだ。

そんな様子を一瞥するとすぐに向き直り、ぼんやりと自販機の明かりを見つめた。

さっきまでは忙しかったのだ。
副司令への連絡は勿論、現場にいた保安要員に箝口令を徹底させMAGIのアクセスログから蜂谷個人の持ち物、住んでいた家の家財道具に至るまでを全て回収し、厳重な管理下に置くよう手配した。

第三新東京市市役所の戸籍データも抹消、彼のことは一切どのマスメディアにも載らないだろう。

1人の人間の死はごく少数にしか知らされないまま消えていく。

「リツコ・・・・あんた怪我無かったの?」
「お陰様でね。見殺しにすると思ったのに」

この場に初めて浮かんだ笑みは苦笑いだ。

「ああ、俺も一瞬本気かと思ったぜ」

ミサトの肩を叩きようやく加持も一息ついた。
彼もまた事情聴取でさっきまで籠の鳥だったのだ。

結局だれも深くこの話を続けようとはしない。そうするには自販機の明かりですら眩しすぎた。

「ミサト、全部首を突っ込もうとするのは悪い癖よ。後は諜報部に任せなさい」

だが結局蜂谷の行動理由は判らずじまいになるだろう。
当人はもうこの世から立ち去っているのだ。
今更後悔しても始まらないが恐らく最も肝心な物は彼が持ち去ってしまっているだろう。

・・・・・NERVの誰と接触したのか・・・・・

不法アクセスをした彼には協力者がこの組織の中に居る。
1人なのか2人なのか。

だから彼を生かして捕らえたかったのだ。
ミサトは自分の言葉を思い出した。
彼がまだ生きている内に掛けた言葉だ。

・・・・・ここがどんな組織か知ってるでしょう・・・・

こういう組織なのだ。
同僚だった者の死を悲しむ前にやることが山ほどある。
同僚の裏切りを憎む前に調べることが有る。

山ほどの隠し事を抱え込んだ地下帝國。
そこの住人でありながら自分は何も知らないのではないかという疑問がミサトの中に染みわたってきた。

・・・・・誰かにとって都合よく死んだ訳ね・・・・・

休憩所に通じる廊下の明かりが端から順に消えていく。
それと共に広がっていく暗闇は自分の抱えたモノを象徴しているようにミサトには見えて仕方がない。

全てを覆い隠すように明かりが消えると、離れ小島のように休憩所とその場いる3人だけが浮かび上がっていた。








砂浜を見下ろせるちょっとした丘に小綺麗な煉瓦風の外壁をした建造物が、煌々と照らす月明かりの元その姿を映しだしている。

『社団法人保養施設 石保荘』と名付けられた建物の海側にある窓からは、灯された明かりと年頃の女の子の声が静かな海辺にこぼれ落ちていた。

天井に埋め込まれた蛍光灯が白色の光を降り注いでいる。

その中で白い手の平に覆い隠された小さな箱は今まさに露呈しようとしていた。

「ねぇってば、ちょっとくらい見せてくれたっていいじゃない。ねえ」
「でも・・・・」

一応拒否してはいるがその顔は決して不快そうではない。

「またくすぐるわよ。ほーーら、見せなさいよ」

アスカの笑みは赤い瞳の少女を興味津々に見つめている。

バーベキューの片づけも終わってしまい、そして明日帰る準備をしている最中にレイが大事そうにバックの中へとしまい込むそれを見つけたのだ。

買い物の時から少し気になっていたので早速ねだっている。

アスカの『見せろ』攻撃から必死に隠していたのだがそろそろ限界だろう。
どうも彼女は『見せたくない』のではなく『どうしようかな』と迷っているようでもあった。

「じゃあ・・・・・少しだけ・・・」

若干上目使い気味にアスカの顔を覗き込みながらその小箱を渡した。

『翡翠館』と書かれた包装紙を破らないようにそっと開け、漆黒に塗られた化粧箱の蓋を開ける。
そして現れたのは三色のブローチ。

「・・・・えーー!こんないいの有ったの?レイって滅多にこういうの買わない癖にセンスはいいのね」

一頻り感心するとブローチを手にすると蛍光灯にかざし眺めた。
白色の明かりは三色に色づいた影をアスカの顔に落とす。

「教えてくれればいいのに、ケッチなんだからぁ。でもレイに似合いそうね・・・・」

しげしげと細かい部分までチェックするが文句など着ける部分が見あたらない。
そしておもむろに白のTシャツを着ているレイの胸元に当ててみると三色の色が良く映えた。

「うん、似合うわよ。センスいいわね」
「あたし・・・買ったんじゃないから・・・・貰ったの」

お世話になったベットに寝転がりレイに顔を向けるとどことなく恥ずかしそうな、それでいてほんの少し自慢げな顔があった。
「碇君・・・・買ってくれて・・・・」
「え・・・・・バカシンジ・・・・が・・・・?」

驚いたように蒼い瞳が丸くなる。
彼女の記憶にシンジのプレゼントでこんなに気の利いた物はない。
誕生日の記念でもなければプレゼントなんて思いもつかないタイプだし、誕生日にしたって散々アピールしてやっと思いつくのだ。

無駄使いする彼が今まで渡したプレゼントと言えば、スリッパだの爪切りだのブラシだの・・・・・・

大事に箱の中にしまってある『プレゼント』の数々が思い出される。

「そ、そう、よかったじゃない・・・・・うん、珍しくあいつから気の利いたモン貰えたんだから」

レイを見つめていた瞳に天井を映した。
枕を宙に放り投げて弄びながらこの場には居ない少年を睨み付ける。

別に自分と比べるつもりはない。

そうしても仕方がないし、つまらないだけだ。

・・・・・何でレイだけ・・・・・

幾ら掻き消してもどこかに残る思いを見つける度に枕を締め上げる。
大きな枕は何も文句を言うことなくアスカの暴虐な八つ当たりを受け止めていた。

・・・・バカシンジ!!・・・・

口にしては絶対に言えない言葉だろう。

「レイ、お風呂行こう。温泉に入りに行かないと勿体ないわ!」
「ちょっと待って・・・・今・・・しまうから・・・」

その取り扱いを見てもいかに彼女がそのプレゼントを大事にしているのかが判る。
判るだけに絶対に言えないのだ。

「もう帰っちゃうのが何か勿体ないわね」
「そうね・・・・」

だがレイにはやることがある。
シンジと共にやらなくてはいけないことだ。

「また来ればいいから・・・・」

その言葉を嘘にしないために。



「シンジ、今上がったのか?」

無人の廊下の照明が半分ほど消えている。
そんな中を洗面器を抱え息子が歩いてきたのだ。

「寝付けなくって・・・・父さんは?」
「飲み物を買いに来ただけだ」

ゲンドウの目の前には自動販売機の明かりが煌々と灯り、今だ営業中であることを示している。
アルコール類は滅多に飲まないのでスポーツドリンクでも良いらしい。

もそもそと小銭を探している様子だったのでシンジは自分のポケットに手を突っ込むと小銭入れを出しゲンドウに渡した。
「ん・・・・」

ボタンを押すとスポーツドリンクがやけになったように取りだし口に放り出される。
一口飲んで喉を潤すと財布を返しざま声を掛けた。

「楽しかったのか?」
「うん・・・・ねえ、それより母さんなんだけど・・・少し様子おかしくなかった?」

シンジの目には驚いたような父親の姿があった。
滅多に見られる物ではない。
一瞬逆にシンジが怖じ気づくほど驚いてしまった。

「あ、お、おかしいって言うか・・・・その・・・なんか・・・舞い上がってたって言うか・・・」

今ひとつはっきりしない言い方だったが仕方がないだろう。
シンジ自身それほど明確に母親の様子が気になったわけではない。

ただ何となくだ。

「そう見えたのか・・・・」

別段否定はしない。
ただシンジより彼女についてよく知っている分、はっきりと認めることもできなかった。

・・・・・子供というのはよく見ている物だな・・・・・

半ば感心したように少し俯いた少年を見下ろした。
まだ成長途中なので父親を見るには見上げなければならない。

顔は母親似とよく言われるが体格が父親に似れば、さぞ背の高い青年になるだろう。
だがまだ仮定の話だ。
今は父親に見下ろされるほどの背丈しかない。

それでも去年よりは少し身長は伸びたのだろう、そして少しは物が見えるようになったのだろう。

そんな一面を息子から実感すると表情だけは仏頂面のまま背を向ける。
その正面から駆け寄ってくる小さな影を見いだすと少し自らの立ち位置をずらした。

「おじさまもジュース買いに来たの?」
「ん?ああ・・・・のどが渇いたからな。レイは一緒じゃないのか?」
「もう寝ちゃったわ」

気が付いたらベットの上でレイはスヤスヤと寝息を立て眠りについているので、今だ眠気の訪れないアスカはシンジを見つけにこの辺りを彷徨いていたのだ。

「ねえ、あたしも何か驕ってよ」
「何するの?」

シンジが小銭入れを手にしているのを素早く見て取ると早速ねだった。
いちいち小銭を部屋まで取りに戻るのも面倒くさい話だ。

「たかるなよ・・・・何にする?」

アスカが指さしたのはレモン味のスポーツドリンクだ。
やはり彼女も塩分の取りすぎで喉が渇いたらしい。

「・・・・あれ?出てこないや・・・・あれ?あれ?」
「何やってるのよ、ちょっとどいて・・・・・出ないじゃない!おちょくってるのシンジ!?」

別にシンジはおちょくっていないが自販機はそうかも知れない。
全てのボタンに一斉に『故障』の文字が点灯されたのだ。

「えーー何で!!シンジ、あんたなんかしたの?」

首を横に振る少年を疑わしげな目で眺めながら再度ボタンを押すが、やはり何の反応もない。

「もういい!あんたなんかで買ってやらないから!シンジ、外行くわよ。おじさま、行って来ます」

夜の11時にわざわざ遠くの自販機まで何故ジュースを買いに行かなければいけないのかシンジには良く判らなかったが、部屋に行ってもどうせ寝付けないだろうから別に不満もない。

強引に腕を引っ張られ玄関を飛び出していく中学生2人を無言のまま見送ると、ゲンドウは部屋に戻るべく空き缶をゴミ箱に投げ込んだ。

そして故障故障と点滅する自販機を暫し眺め、何か思いついたようにおもむろに足を振り上げる。

衝撃音と共に異様な機械音が無人の廊下に響き渡り、アスカの飲みたがったスポーツドリンクが山ほど転がりだした。

「ふん。やはり故障だな・・・・」

満足そうに両手でそれを抱えると薄暗くなった廊下に消えていった。





「それじゃなくて・・・・アイスコーヒー!」
ほんの数分の散歩の間に好みが変わったらしい。
今度はまともに売ってくれた。

「ふう、やっと飲めた・・・・よく冷えてるわ」

冷たいコーヒーが心地よく喉を滑り落ちていく。
夜の海風はエアコンより心地よく2人の間をすり抜けた。

「外は涼しいね。綾波も呼んでこよっか?」
「寝てるの起こすこと無いでしょ」

2人は堤防の上まで行くとそこに腰を下ろす。
柔らかい月明かりが辺りを支配している。決して闇だけの世界ではない。

グレー一色で染め上げられた柔らかい世界に見える。

「シンジ、レイすっごく喜んでたわよ」
「あ・・・聞いたんだ。大したモンじゃないけど・・・」

わざわざ伝えなくても良いことだったが一応言っておくことにしたようだ。

「で、あたしには何か買ってくれた?」
「え?・・・・あ・・・・・う・・・・・ん・・・買って無い・・・・何か欲しかったの?」

非常にバツの悪そうな顔を浮かべるだけならまだしも、聞き返した言葉はあまりにも無神経だったかも知れない。

「別に何にも要らないわよ」

やはりむくれてしまった。

「ゴメン、でも・・・初めてだし・・・綾波と来たのって」
「あたしには買わなかった癖に」

怒ったふうではなかったが不満を目一杯込めた蒼い瞳を向ける。
このグレーの時間の中で唯一色褪せない瞳。

そんな色に見つめられつい固まってしまったシンジだったがどこか心地よさもある。
「アスカとはずっと一緒にいるから・・・・つい・・・」
「ふーーん、じゃあいいや」

その言葉の中に何となく安心感を探し出したのだろう、それだけを抜き取りしまい込むとようやく笑みを浮かべた。

「ね、シンジってこれから先のこと考えてる?」

打ち寄せる波の音に掻き消される事無く届く。

「え・・・・何も・・・・どうなるんだろう・・・」

不意に差し出された疑問はシンジが漠然と抱いていた不安だ。
この先、そう言われてもどの程度先なのか見当も付かない。

「先かぁ・・・・」

近い未来、3人とも中学を卒業し、同じ所にいけるかどうかは判らないが高校に入学、そしてシンジの場合運が良ければ、アスカはより高きを目指して大学へと進む。

無事に卒業できたなら22才。

今から8年後の話だ。

「分かんないなぁ・・・・やっぱり・・・」

明日すら見えない彼に8年先など遙か彼方、山の向こう側だ。
その先を見通すにはまだ身長が足りない。

「あたし達・・・・・どうなると思う?」

アスカにしても見えない、だから聞いてみたのだ。

シンジの希望を。

「働くようになったら・・・・バラバラになるかしら・・・・」

優しいはずの月明かりが悲しい色に映った。

アスカはそうはなりたくない。
だが『家族』と言う枠の中から出ない限り、アスカは誰かと、シンジは知らない人と、レイは見たことのない人と家族を持つかも知れない。

その時に祝いの言葉を述べるのだろうか・・・・

「バッカみたい!!ホント!!バッカみたい!!」

自分の思考回路に映し出した妄想を思いっきりたたき壊す。
余りに不快な思いだった。

「シンジ、あんたが悪いのよ!少しぐらいはっきりしたらどうなのよ!!」

八つ当たりをした。
今のところ自分だけが出来る特権だ。

「はっきりって・・・何を?」

突然の変貌に戸惑いながらも一応聞いてみた。
八つ当たりに理由など無いのは良く知っている。

・・・・・何を?・・・・・何だろう・・・・

そして八つ当たりしているアスカ自身がその理由が見つけられなかった。
喉の所まで出かかっているのに。

「もう部屋に戻ろう・・・・冷えちゃうよ」

シンジの手はアスカの細い指先を握る。

「これから先なんて・・・まだ判らないけど・・・・来年も旅行に行くよ。絶対に」

立ち上がりざま一瞬だけアスカより身長の伸びたシンジは、彼女を見下ろしながら断言した。

「来年、どこ行くか決めて置いてよ。絶対に旅行みんなで行くんだからさ」

自信はない、だが覚悟はある。
守るモノ、抱えたモノはとてつもなく重い。
だがその重いモノを守り続ける、抱え続ける覚悟だけは持とうと決心した。
それだけの価値は自分にとってある。
命懸けと言う言葉に値するはずだ。

「シンジ・・・どこか・・・・どこかに頭ぶつけた?ね、ね・・・熱有るんじゃない?」

淡い明かりの元でも判るほど顔が赤い。
全身が熱く感じるのは夏のせいではないだろう。

幾ら冗談めかしても顔の赤さは引きそうになかった。

「ぶつけたかも知れないね・・・」

苦笑するシンジが大人に見えて仕方がない。
今までに見たことのない顔だ。

手を引かれ保養所に向かう道はとても夜とは思えないほど明るい。
人の作った光ではなく空から舞い降りた粒子。

アスカは何も喋れなくなっていた。
渦巻く想いに口を閉ざされている。

「多分・・・・当分はみんな一緒だし・・・」

静寂を消したシンジの言葉もどこかに取り落としてしまった。

シンジの掴んでいる指先が熱い。

アスファルトの上をペタペタとサンダルの足音が静寂の中でやけに響くような気がした。

誰もいない無人の浜辺。

「・・・・じゃない・・・・」

静寂の中でも聞こえないほど小さな声がシンジに向けられた。

「?」
「キョウダイ・・・・じゃないわよ、あたし達」

指先しか掴んでいないはずの手が彼女の柔らかい手に包まれる。
一瞬だった。

月明かりが陰り、夜風が顔の前を通り抜ける。

そして柔らかい感触だけが唇に残った。

静かに触れた唇。

微かに甘い残り香。

全てはほんの一瞬だった。

「ア・・・・アス・・・」
「部屋・・・戻るわよ・・・・」

さっきとは逆にシンジの手を握りしめ、より無言のまま歩み続ける。

2人とも言葉が出なかった。

静寂の海の中、ゆっくりと歩みを進める。

早く歩むにはあまりにも月光が眩しすぎたのだった。


続く


Next

ver.-1.00 1998 01/12公開

何かありましたらこちら!!お気軽にどうぞ


 ディオネアさんの『26からのストーリー』第十六話、公開です。
 

 

 感想は多々あれど・・・

 一番印象に残っているのはこれです・・

 「お、お腹の虫が騒いでいる」
 

 海辺のバーベキュー〜
 とりたて新鮮〜
 ぴちぴち魚介類〜

 サザエ、イカ、ハマグリ、カキ・・・
 

 腹減っているときに読んだので、
 鳴りましたよ、久しぶりに、お腹(^^;
 

 

 

 家族旅行で高くなった砂山。
 明日からまた、これを守る日々が始まるんですね。
 

 アスカレイシンジの関係も動き出して、

 さあさあさあ!

 

 

 さあ、訪問者の皆さん。
 書き込みを見せるディオネアさんに感想メールを送りましょう!


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