26からのストーリー
第十二話:知らない部屋(後編)
甘い香りが霧のかかった意識の中に人の顔を思い浮かばせる。
淡い栗色の髪の少女。
・・・・違う・・・アスカじゃない・・・・
蜃気楼のようにあやふやな意識はその少女の影を消し去り青く白い影を映す。
・・・・違う・・・綾波じゃない・・・・
形を持たない意識に視界のような物が生まれ、それは少し眩しかった。
・・・・誰の匂いだろ・・・・
思い出そうと思ったが記憶は何の答えも返さない。
眩しいだけだった視界はゆっくりと景色を映し出し頭の中にかかった霧をゆっくりと晴らしていく。
見たことのない机、見たことのない本棚、見たことのない壁。
シンジの頭が明瞭になるに連れ疑問が大きくなっていく。
・・・・・どこだろ?此処は・・・・
「シンちゃん起きた?」
そして聞いたことのない声、目を覚ましたときに聞いたことのない声。
「そろそろ起きなーい?朝御飯出来てるわよ」
・・・・ミサトさん?・・・・そうか昨日あのまま寝ちゃったんだ!・・・・
ようやくシンジは自分の置かれた状況が把握できた。
夕べこの部屋で宴会をしてそのまま眠りにつき誰かが布団まで運んでくれたらしい。
少なくても自分で布団に潜り込んだ記憶はない。
「ここ・・・・ミサトさんの部屋か・・・・」
そう言えばほのかに甘い香りが鼻をくすぐる。自分の部屋では嗅いだことのない香りがこの部屋に漂う。
人が生活して染みついた匂い。
「この布団もミサトさんのかな・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
かかっていた毛布に顔を近づけ匂いを嗅いでみるとやはり同じ匂いがする。
それを感じ取った瞬間、胸が跳ね上がり顔が充血した。彼女の身体をくるんだ毛布が今自分の身体の上に乗っている。
誰かに見られているような気がして思わず毛布を被ってしまった。
・・・・アスカの匂いと全然違うんだな・・・・
「アスカ?・・・・・アスカ?・・・・・ああああ!!!」
今度は心臓が思いっきりジャンプした。今日は約束があったのだ。
楽しみにしているアスカとレイ、無理に誘ったトウジ、これで自分が遅刻したら何をされるか判ったもんじゃない。
「ミサトさん!今何時ですか!?」
「ヒカリ・・・今何時?・・・・」
「まだ9時半・・・・アスカ、シャワー使う?」
「うん・・・・貸して・・・・」
寝ぼけ眼の少女二人は言葉も少なく洗面所で鏡を見つめていた。
夕べ結局遅くまで話し込んでいたのが今、寝不足という形でのし掛かってくる。
脱衣室でチェックの寝間着を脱ぎ去るとヒカリ宅の浴室を借りた。
髪の毛の寝癖が酷くてドライヤーくらいでは直りそうにない。
コックを捻るとやや熱めのお湯が降り注ぎ栗色の髪を濡らしていく。
日本人より白い肌が朱に染まっていき体中の血液が勢い良く巡っていった。
気持ちよさそうに顔にもお湯を浴び今度はシャワーをお湯から水に変え全身に浴びる。
「冷たーーーい!」
寝ぼけていた身体は覚醒し、こびり付いた眠気を洗い流していく。
・・・・シンジの奴、ちゃんと起きれるかしら・・・・
自分の部屋で惰眠を貪っている筈の同居人が思い浮かぶ。
・・・・大丈夫ね、目覚ましセットしたし・・・・
昨日出かける間際にシンジの時計を合わせてきたのだ。自分の部屋にあった一番大きな目覚ましだから寝過ごすことはないだろうし、今日シンジの着る洋服だって準備してある。
取り敢えずは安心して良いはずだ。
再び冷たい水が降り注いだ。
「綾波さんもシャワー使って、アスカがもう少しで上がるから」
リビングの椅子に腰掛けたまま、すぐにでももう一度寝てしまいそうなレイに話しかけた。
白一色で病院の寝間着のような格好だが、それは人それぞれだ。
「そう・・・・」
まだうつらうつらとした調子でヒカリの言うように風呂場へと向かった。
その間、鼻歌混じりにヒカリは朝食の準備を始める。
昼食は外食だから軽くお腹に貯まらない物をと野菜とハムのサンドイッチを準備していると浴室の方が騒がしい。
「何騒いでるかな?」
「レイ!その辺に脱ぎ散らさないでよ!全くあんたといいシンジといい・・・」
「そう・・・」
「そう、じゃないわよ!人の家で!ちゃんと畳んで・・・・あ、こらレイ!」
何も聞こえないかのように浴室に入り扉を閉めるとシャワーの音が聞こえてくる。
自分の家でも浴室に脱ぎ散らかすが此処はヒカリ宅だ。あまり恥ずかしい真似をされるのはアスカとしても困るのだ。
とはいうもののすでにシャワーを浴びているレイに今片づけろと言うわけには行かない。
・・・・・何だってこのあたしがこんな事しなきゃ・・・・
彼女の着ていた寝間着と下着をかなり不満ながらも畳んでいく。
下着に手が掛かったとき自分のと少し比べてみた。
同じサイズの下着。
・・・・同じよね・・・・
白い肌の彼女だったがさっき見たレイの肌はそれより白い。
まるで厳重監視下の病人のようだ。色が抜け落ちてしまったような、白と言うより『何もない色』。
健康な色ではない。太陽と無縁に過ごしたような・・・・。
もっとも病人と言うには語弊があるだろう。昨日の食欲は健康そのものだ。
レイは昨日5.5人前の焼き肉を片づけた3人の内の一人だった。
「太っちゃったかな?」
自分の昨日の食欲を思い出し恐る恐る足下の体重計に乗るが昨日と変わらない。
「うん、OK!・・・・負けてないわよね・・・」
鏡に腰に手を当てて満足げなポーズをしてみる。
今度はいろんなポーズを取ってみた。
しなやかな肢体、長い足に白い肌、細い腰に少し大人びた秀麗な顔。
そして・・・・・
「何やってるのアスカ?」
苦笑を浮かべたヒカリの顔。
*
「悪いわねー出来合いでさ」
葛城家のリビングのテーブルにはサンドイッチ、おむすび、菓子パン数種が並びついでに缶コーヒーもあった。
片づいている床にはコンビニの茶色いビニール袋。朝起きてすぐ買いに行ったらしい。
「い、いえ・・・じゃあ、いただきます」
いつもの朝では口にすることのない朝食に手を着ける。
ユイが毎朝朝食を作ってくれるので出来合いの物を家で食べたことは殆どない。
おやつの菓子類と下校中の買い食いぐらいだ。
だからといってミサトを『ずぼら』と決めつけるつもりは毛頭なない。
人それぞれの都合と事情があるのだ。
「美味しい?いつもお母さんに作ってもらってるから美味しい訳無いか」
「そんなこと・・・無いですよ・・・」
不味いと言っても出来合いの代物だからミサトのせいではない。
だが夕べの彼女の言葉が記憶から這いずりだしてくる。
・・・・誰も来ないからね・・・つい散らかっちゃうのよ・・・・
「あ・・・夕べ楽しかったですね、みんな集まって食べたのって初めてですか?」
「うーん、たまに来てたけどあれだけ集まったのは初めてね」
夕べの喧噪の名残がまだ部屋の片隅にゴミ袋に詰まって山積みされていたし、ビールの空き缶も数ダース分、分別されて転がっている。
それでもなお昨日の部屋の有様よりずっと片づいている。
だからといってミサトを『ずぼら』と決めつける気は今のところ無い。
サンドイッチを片手に改めてミサトの部屋を見回してみると思ったより飾り気がない。無地のカーテンに並んでるだけの家具。
もっともシンジの知っている女性の部屋といえばアスカとレイぐらいだし、この二人と比べるには年齢が違いすぎる。
ミサトは大人の女性だ。
だから部屋も簡素になっているのかも知れない。
簡素な部屋にある時計の針は10時20分過ぎを示し、そろそろシンジに出かける準備を促していた。
アスカの用意した目覚ましと着替えは役に立たなかったがそれでも彼女の不安だった遅刻はしないで済みそうだ。
「ミサトさん、そろそろ出かける準備したいんだけど僕の洋服ありますか?」
「へーえ、今日お出かけするの?・・・ははーんデートでしょぅ」
「ちがいますよ!買い物付き合えって言われて、大体トウジやケンスケだって一緒だし」
慌てて否定はしたがミサトの意味ありげな笑みは消えることはなかった。
「と、とにかく11時に待ち合わせだから・・・洋服ください」
「はいはい、洗濯した後乾燥機に入れたから大丈夫よーん。バッチシ綺麗になってるから」
元々泊まる予定ではなかったが今更仕方がない。家に帰って着替える時間はないしそれに服装センスのないシンジのこと、別に昨日着ていた服でもさして気にならなかった。
洗ってあるのであれば文句など無い。
「あーーーーー!!・・・・・ゴメン、シンちゃん。乾燥機電源入れるの忘れてた・・・」
濡れたまましわくちゃになっている洋服をぶら下げながらミサトが顔を出した。
いかにも申し訳なさそうな顔だ。
「そんなあ・・・どうしよ、帰ってる時間無いですよ・・・・」
幾らセンスが無くても寝間着代わりのピンクのトレーナーではどうしようもない。
もちろん着替えなど持ってきていないし、濡れた服を着るわけにも行かない。
泊まったのも予定外なら着替えがないのも当然だ。
ミサトをずぼらとは言わないが、いい加減なのではとほんのちょっと思った。
「しょうがない、あたしの服貸してあげるわよ。男の子でも着れる奴あったと思うし」
ミサトはさっきまでシンジの寝ていた部屋のタンスをあさるとジーンズと半袖のトレーナーを引っぱり出してきた。
ジーンズはさすがに女物だが数枚持ってきたトレーナーは特に男女別のある物じゃない。
「えっと、ど・れ・に・し・よ・う・か・な」
指で指しながら一枚一枚シンジに合わせていく。
どことなく楽しそうな顔をしているのは気のせいか。
わざと乾燥機のスイッチを入れなかったと思うのはうがち過ぎだろう。
「やっぱこれがいいわねー。あたしが見立てたんだからばっちし似合うわよ」
アスカと同じ事を口にする。
・・・・人のを選ぶのって楽しいのかなあ・・・・
ミサトの様子が買い物に行ったときのアスカと重なった。
大人の女であるミサトが14歳の少女と同じ笑顔を見せることがある。
そしてアスカとは比べようもない深刻な顔を見せることもある。
シンジにはその心を読みとることは今だ無理だった。
「ほらシンちゃん、これこれ!」
ミサトが取り出したのは淡いクリーム色のフード付き半袖のパーカー。
「ちょっち前に買ったんだけどまだ古くないから」
シンジは少し躊躇いながらも甘い香りのするパーカーに着替えた。
サイズは些か大きいがそれでも体が泳ぐほどではない。デザインも今風で気になるところはなく十分外出着として耐える。
「OK!バッチシじゃない。じゃあジーパンも履いてみて。ほらっあたし足がすっごく長いから詰めなきゃだけっどぅ」
・・・・やっぱり子供っぽいんだな・・・・
シンジの担任でありシンジの上司でもある二倍以上年上の女性はあまりにも幼くシンジの目に映った。
「でも・・・ウエストぶかぶかですね・・・・ベルト貸してもらえますか・・・・」
「うっさいわねぇ。サスペンダーあるから貸したげるわよ」
着替えが終わるとミサトは時計を眺めた。
壁に掛かった『NERV(贈)』と書かれたアナログ時計は大きな円形をしている。
「そろそろ行きませんか?」
「えー、まだ10時20分よ。そんな焦んなくって間に合うわよ」
「10時・・・・・20分?」
着替える前も確かそんな時間だった筈だ。
・・・・ミサトさんはいい加減でずぼらで変人で子供っぽいんだ!・・・・
電池が空になり数日前から10時20分を指していた時計は何の恥ずかしげも無く、慌てる二人を見つめていた。
*
ミサトのルノーが爆音を響かせ小うるさい速度制限を黙殺し、黄色と赤の信号を青と認識しながら他の走行中の自動車を背景の一部と化しバイパスを疾駆している頃、市営バスは定刻通りにバス停に到着し3人の少女を乗せていた。
住宅地から駅前通りに向かうバスだけあって買い物に出かける人で少し込んでいたが一番後ろの席に3人がに並んで座ることが出来た。
親子連れが多いのか子供達の声がバスの中に響きわたる。
「アスカ、何きょろきょろしてるの?」
「べ、別に・・・・」
すぐとなりのアスカがいつになく落ち着かない。
幾度も髪の毛を気にしたり、襟元をもぞもぞと直してみたり、ポシェットを何度も開けてみたりとさっきから頻りに身だしなみを気にしている。
「別に変じゃないよ。よく似合ってるし」
彼女が落ち着かなくなったのは洋服を着替えてからだ。
それまで何かと喋っていたのだが途端に無口になり緊張らしき物まで纏い始めていた。
盛んに鏡を見ては髪をとかし数回に渡り歯を磨き洋服のチェック。
その時も訪ねたのだが「別に」の一言しか帰ってこなかったのだ。
・・・・どうしたんだろ?・・・・
変だと思うが落ち込んでるのとは違うようだ。普段とはあまりにもかけ離れた様子なのでつい戸惑ってしまう。
「・・・ねえ、ここ変じゃない?なんかしっくりしなくて・・・」
髪飾りで束ねた髪をいじりながらヒカリの前に頭を下げてみせる。
栗色の細く柔らかい髪が綺麗に束ねられ、ヒカリがどんなに目を凝らしてもおかしな所は見つからない。
いつもの綺麗な髪が目の前にあるだけだ。
「大丈夫よ・・・・ホント、どうしたの?」
「そう・・・・ありがと」
アスカはそう告げると窓の外を眺めた。
今まで何回もこのバスに乗り同じように駅に向かう通りを眺めた。
しかし今日は今までと少し違うところがある。
いつも彼女の隣に座っていた少年が今日はいない。そしてその少年は待ち合わせの場所で彼女が到着するのを待っているのだ。
そのことに気が付いたのは鏡を見て洋服のチェックをしたとき。
・・・・・シンジと待ち合わせなんて、初めてじゃないかなあ・・・・
同じ家に住み、同じ学校に通い、同じ時間を過ごす二人にとって『待ち合わせ』などという回りくどいことはなかった。
一緒に出かけ一緒に帰ってくる、それが当たり前だったのだ。
だが今日はその『当たり前』ではない。
たったそれだけのことが鼓動を早め足を地に着かなくさせた。
・・・・シンジが待っているんだ・・・・
何故かバスが遅く感じられた。
さてヒカリのもう一人の『友人』は普段とさして変わらない様子で大人しくバスに揺られていた。
時折となりに座るアスカを不思議そうな目で眺めたりもしたが、すぐに視界を外の景色に切り替えている。
「綾波さんてアクセサリーとか付けないの?」
「・・・・・付けない・・・要らないもの」
にべもない返事の見本のような返答だったがヒカリは気を悪くすることもなかった。
誰だって得手不得手があり、その不得手の中に『人付き合い』があっても悪いことではない。
自慢することではないが責められることでもない筈だ。
「でも綾波さんなら似合うと思うよ。イヤリングとかネックレスとか」
頭の中でいろんなデザインのイヤリングをレイに付けてみる。
抜けるような白い肌にどんな色のアクセサリーでも合うような気がする。
「綾波さんてホント肌白いね。陶器みたい・・・いいなあ、あたしなんかそばかすがあるし・・・」
レイは『人付き合い』が苦手かも知れないがそれを覆い隠すほどの美しさを持っていると思う。
・・・・あたしなんかよりずっと綺麗だな・・・・
ヒカリが自分にした評価だが、勿論それが世の中全員の評価と言うわけではない。
ただ彼女がそのことに気が付くには14歳という年齢では若すぎたかも知れない。
「昨日は・・・ごちそうさま・・・楽しかった・・・・・」
呟くようなレイの声は唐突にヒカリの耳に届いた。
「え?・・・あ・・・うん、あたしも楽しかった。また一緒にやろうね」
「うん・・・・呼んで・・・・」
友人という言葉の意味は辞書に載っているがレイは辞書を引かなくても何となく意味が分かった。
・・・・独りで無くなるもの・・・・
今レイが心の戸棚から探し出せた『意味』。
彼女にはヒカリが暖かかった。
そしてシンジに教えたかった。
・・・・あたしに友達・・・出来たの・・・・
「洞木さん・・・バス遅いわね・・・・」
*
「遅い!シンジの奴何やっとんのや!」
「こっち向かってるんじゃないのか?それにまだ10分前だぜ」
蛍光色で『タイムバーガー』と書かれた看板の下でかれこれ30分ほど待っている二人の少年は辺りを見回した。
時を刻むに連れ多くなる人並みに彼らの待ち人の姿はない。
ジーンズに腕まくりした白のTシャツ姿のトウジは飲み干したコーラの空き缶を捻り潰すと近くのくずかごへ放り込んだ。
それほど乗り気でなかった今日の買い物だったが、せっかちな性分なのか人を待たせるのが嫌いなのかケンスケを朝早くから叩き起こし、こうして早めに来て待っていた。
ケンスケはいい迷惑だ。
何もそんなに早く行くことはない、と何度も言ったのだが。
モスグリーンのカーゴパンツにカーキ色のTシャツ、迷彩のベストに迷彩キャップは彼の趣味だろう。
曲がりなりにも女の子が来るというので彼なりにおしゃれしたのだ。
「せやけど・・・・ん?なんや?」
「あれミサト先生の車じゃないか?」
赤信号になりかけた交差点に一台の青い車が飛び込みタイヤから白煙と悲鳴を上げながら右折してくる。
やがて自分達の少し先にその車は停車し、焦げたゴムの匂いを漂わせた。
「じゃあ、シンちゃん、みんなに宜しくねー」
「はい、有り難うございました・・・・・・その・・・」
「じゃあね・・・・久しぶりに朝御飯、美味しかったわ」
けたたましい特別製のダミーノイズと共にトウジ達の見たことのある青い車は走り去っていった。
「あ・・・おはよう・・・」
幾分青ざめた顔のシンジは近寄ってくる友人に気づくといつも通り挨拶を交わす。
「いい度胸やなシンジ・・・何でおのれがミサト先生の車で送られて来るんや?」
「そうだな、はっきりさせないとな・・・・」
二人の顔に怪しい輝きが宿る。
憧れの『ミサト先生』の車に乗っただけでも許し難いのにあまつさえ送ってもらうとは!!
そんな羨ましいことは許されないのだ。
「い・・・家の近くであって・・・それでついでに乗せてもらっただけだよ」
あまりの表情につい、でまかせがこぼれ落ちる。
これで夕べ「一緒に食事してミサトさんの部屋に泊まった」などと言ったら更に話がややこしくなる。
ましてや『NERV』の宴会であって担任の先生との食事ではないのだ。
「何でミサト先生がシンジの家の近くに居るんだ?」
「知らないよ・・・それよりアスカ達は?・・・・」
「そういや何で一緒に来なかったんや?」
アスカとレイがヒカリ宅に泊まったことだけを正直に答えると二人とも納得した。
「ほうか。せやけど遅いなあ・・・わい何や腹減ってきおったわ」
ぼやき始めるトウジの鼻には後ろからハンバーグの焼ける香ばしい香りが漂ってくる。
勿論朝食は食べてきたが食欲を誘う香りに包まれているのだ。
「なんか食うかな・・・っと。あのバスそうじゃないか?」
古めかしい形のボンネットバスが3人の前に現れ何人もの人を降ろし走り去っていった。
その中にあたりを見回し指を指しながら近寄ってくる3人の少女の姿がある。
「おはよう・・・・なんか変だね」
小さく手を振るシンジの前に立つ二人の少女。
シンジにしても街中で待ち合わせというのはどことなく照れくさかった。
毎日顔を合わせ見慣れているはずのアスカが今日は何故かはじめて出会ったような感じだ。
「お、おはよ、来たばっかりなの?」
軽くうなずく彼女を眺める。
明るいオレンジ色のロングワンピースに白の半袖シャツを羽織ったファッションだ。
夏の日差しの中で彼女の姿が眩しく見える。
「に・・・似合う?」
「うん。似合うと思うけど?」
いつもなら「似合うでしょ!!」と答えを迫るのだが何故か今はしおらしい聞き方だ。
「あ、ありがと」
・・・・ありがと?・・・・・
どことなく気恥ずかしそうにうつむいて、普段「このあたしが着てるんだから当たり前でしょ!!」などと豪語してるとは想像できない。
(ねえアスカ・・・アスカってば)
そんな彼女の耳に小さな声が聞こえてくる。
「なに・・・・え?」
(何で鈴原がいるの?アスカ何も言わなかったじゃない)
少し不満げに、だが頬を赤く染め苦情に似た疑問をアスカに問いただした。
「シンジが誘ったんじゃない?あたしは知らないけど」
すました調子で友人を眺めている。
確かにトウジを誘ったのはシンジだ。だから嘘ではない。
しかしシンジに命じたのがアスカという事実を口にしていない事も確かだ。
ある程度ヒカリの疑問がはれたのか再びトウジに目を向けた。
その視線に気が付いたのかさっきまで『タイムバーガー』の看板に書かれたメニューをケンスケと二人で食い入るように眺めていたトウジが振り返った。
ライトグリーンが鮮やかな膝丈のツーピースに白いレースのカーディガン、グリーンと白のチェックのベレー帽を被ったヒカリが映る。
「おはようさん、いいんちょも来たんかいな。お互い暇やなあ」
「おはよう・・・・来ちゃまずかった?」
トウジの言い様にほんの少し顔を曇らせた。勿論悪気がないのは判っているがもう少し気の利いたことを言って欲しい。
「そないな事言っとらんやろ、せやけどいいんちょの普段着姿始めて見たわ」
「変かなあ・・・・」
「そないな事あらへん、よう似合っとるで。意外やな」
トウジにお世辞などという気の利いたことなど言えるわけもない。
見たまま正直に感想を述べたのがそのまま誉め言葉になっただけだ。さっきまで気の利いたことを言って欲しかったヒカリだったが、いざ言われてみると顔が熱くなり何も言葉を返せなくなってしまった。
「トウジも意外と口がうまいなあ、ほんの少しだけど」
ケンスケがからかうように口を挟む。
「何のことや?よう似合っとるやないか、緑色の服もちっこい帽子も」
ツーピースとかベレー帽などとは無縁に過ごしているので表現の無粋さは仕方がない。
その言葉を聞いたヒカリはすっかり赤くなってアスカの陰に隠れてしまった。
「碇君・・・おはよう」
「おはよう、綾波はよく寝れた?」
コクッと頷いたが勿論夕べお風呂でのぼせたことなど口にしない。
周囲ではヒカリはアスカと何かヒソヒソ話、トウジとケンスケは再び看板メニューに見入っている。
更にその周囲では無数の人が活気を生み出す。活気は往々にして騒々しい。
溢れ返る街の音楽がレイの耳に流れ込んだ。
・・・・碇君に教えたいことあったのに・・・・
今伝えるには雑音が多すぎた。
「それ綾波が選んだの?洋服選ぶの上手いね」
レイは唐突な誉め言葉に戸惑いながらも自分の服を眺めてみた。
白のジャンパースカートに青と白のチェックのブラウス。
ヒカリの家に行く前に選んだ洋服だ。
「ありがと・・・碇君も似合うと思う」
だぶついてるクリーム色のパーカーも、ウエストとヒップが大きめのジーパンもミサトからの借り物だがわざわざ口にすることではない。
愛想笑いを浮かべてその辺をぼかしながらも何となく嬉しいと思う。
「じゃあそろそろ行こう!水着買わなくっちゃ!」
*
相変わらずの人出を誇る第三新東京市駅前を六人の中学生が賑わいの一部を担っていた。
6人のうち3人は平凡などこにでも転がっている、変哲もない男の子だがもう3人は女の子でなかなかに人目を引く。
栗色の長い髪の少女は時折パーカーを着た少年を突っつき、だが楽しそうに微笑んでいる。
ベレー帽を被った少女はTシャツの少年に文句を言ったりもするが笑顔だ。
真紅の瞳を持つ少女はクリーム色のパーカーの裾をしっかり握りながらあたりに並ぶ洋服を眺めていた。
「ケンスケなに買うんだよ?」
「あ?DVD−Rと望遠のカタログと・・・後で本屋付き合えよ、今日出てるのあるから」
「まーたドンパチの本かいな、ほんますっきやなあ」
この3人の中で趣味らしい物持ってるのはケンスケぐらいで他の二人にこれと言った目的はない。
ケンスケが言うように本屋でも電気屋でも付き合うつもりだが、行き先の決定権は彼らにはないらしい。
「それより先に水着見るんだから!まだこの先の店見てないのよ」
「そうよ、まだ五軒しか見てないんだから。一時までまだ時間あるしもっと見よう」
アスカとヒカリの意見は同調し二言三言文句のありそうなトウジ達の口を封じる。
「何や、昼飯は一時かいな・・・・昼飯っちゅうんは12時に食うもんやで」
もっともな意見だが買い物に熱中している彼女達に聞き入れてはもらえなかった。
彼としてはどの店に回るかよりいつ昼飯を食べるかの方が遙かに重要だったのだが。
「殺生や・・・はぁ・・・・わい餓死してしまうかもしれんなぁ」
そんなトウジの泣き言は沢山ある洋服と水着に阻まれ届かなかった。
「男らしさが信条のトウジ君。今日は弱気だねえ」
「アホぬかせ、わいは勝てん喧嘩はせーへんのや」
からかったケンスケは端からしばらくは付き合わざる負えないと諦めている。
トウジもたった今諦めた。
『三番通り』と名付けられたこの通りはブティックやアクセサリーショップ、雑貨屋などが立ち並ぶ一大ファッション通りだ。
休日ともなれば綺麗に着飾った中高生達で埋め尽くされるが今日は桁が違う。
このあたりの学校は同じ日に夏休みに突入し、今日はその初日。外出意欲を削ぐほど暑くないのでどの店も同じ年頃の女の子が大勢いてごった返していた。
店先は毎年夏になると咲き誇るカラフルな水着で埋め尽くされ、女の子が蜜蜂のごとく取り囲んでいる。
「アスカ、この色すっごく綺麗よ!」
「これなんかいいと思うわ。ストライプでいい感じ!」
「でもちょっと大胆じゃない?」
セパレートの水着をもとあった場所に返すと今度はワンピースの水着を手にする。
「この赤のラインがいいと思わない?」
「アスカに似合うんじゃない?あたしそっちのグリーンにしようかな!綾波さんは決まったの!?」
「・・・・・・・まだ・・・・・・・」
声が大きくなるのは同じような会話があちこちでなされているからだ。
元気に何着も水着を抱えるヒカリとアスカに比べ、レイからは暑さと人混みで辟易とした様子が伺える。
これだけ人がいるとエアコンの効きも悪いし何より騒がしい。
やはり人混みは苦手なのだろう。
かき分けるようにして通路を進みどうにかこうにか出口へと辿り着くと大きく息を吸った。
新鮮な空気が肺を満たし、眩しい光に目を細める。
そして誰かを捜すように辺りを見回す。
街路樹の木陰に幾つかベンチが並びその内の一つに3人ほどの人影を見いだした。
クリーム色のパーカーを着た男の子。
・・・・いた・・・・・
手を振りその名を声に出そうとして思いとどまった。
・・・・気づいてくれる?・・・・
レイの目の前を幾人もの通行人が通り過ぎていく。
彼女の後ろにも周りにも大勢の人がいる。
レイはその中の一人、景色の中の一部。
だがシンジには違って見えて欲しい。そして気が付いて欲しい。
『自分の色』を持っているのだから。
その場に立ったままベンチの方を見つめた。
そしてなんの言葉も出さず、身動きもせず待った。
鼓動が響き、街のざわめきが消える。
躊躇いながらも一歩足を進めその分シンジに近づく。
ゆっくりともう一歩。
・・・・判らないの?・・・・
少しだけ早まる鼓動。
時折吹く風が彼女の心と青い髪を揺らす。
・・・・あと一歩だけ・・・・
青いシューズが灰色の地面をほんの少しだけ進んだ。
そして水面を飛び立つ鳥のように静かに大地を蹴った。
自分に向け手を振り自分の名前を呼んでる少年が居るから。
*
『コ・ダータ』と看板に書かれた茶色の外壁にスウェート葺きの屋根の小さな店は意外と人が少なかった。
ちょっとしたブランド物を扱う店だが値段はそれほど高くなくデザインセンスのいい商品が豊富にありアスカとヒカリのお気に入りの店だ。
アスカもこの前シンジと一緒に来ようと思っていたのだが使徒の襲撃のおかげで今日まで来れないで居た。
男物もあるのでシンジを連れてこようと思っていたからだ。
「これならゆっくり探せるわね」
時間のちょっとした谷間、12時でみんなお昼でも食べているのだろうか人通りもさっきより減ってきている。
カランとベルを鳴らしながら古めかしい扉を開けると店内は意外に広く、アスカの想像通り豊富な品揃えで彼らを迎えた。
ロングヘアの背の高い女性店員が笑顔で挨拶を交わす。
アスカとヒカリは早速水着を手に取り大きな鏡の前に立った。洋服の上から体に当ていろいろ比べてみる。
「やっぱりあたしこの色がいいな。グリーンて綺麗よね」
今日の洋服も緑だが特にこの色が好きなわけでもない。ただ今朝のトウジの一言が特に好きな色に変えさせた。
「あたしはストライプにしようかな・・・・シンジ!ちょっと来てよ」
そのころお供の『サンバカトリオ』はTシャツを手に取り驚愕の表情を浮かべている。
何しろ値段がかなり高い。
ブランド物としてはさほどの値段でもないのだがこの3人は『ブランド物』などという物とは縁がない。
財力がどうのと言うよりその辺の『3枚で幾ら』と言うシャツで満足しているので相場という物を知らなかったのだ。
「なんだよこの値段・・・・ドイツ陸軍のコートより高いじゃないか」
「ホントだね、ゲームソフト2本買えるよこれ」
「なんだっちゅーんや、非常識やで。シャツ一枚でこの値段かいな」
小綺麗な絵がプリントされているがそれ以外にさして変わったところはないように思えるがそう言う物でもないのだろう。
とにかくおいそれとさわって良い物には思えなくなりそっと元に戻す。
「ちょっとシンジ!こっち来なさいよ。さっきから呼んでるでしょ!」
「あ?うん、なんか用?」
「暇そうにしてるんならちょっとこっち来て一緒に選んでよ!」
シンジは困惑の表情を浮かべた。
自分の洋服すら満足に選んだことなど無いのに他人の、それも女の子のあろう事か水着など選べるはずもないのだ。
そんなシンジの思いをよそに彼の目の前には3着ほどの水着を手にしたアスカが立っている。
3着まで絞り込んだが最終的な決定はシンジにやらせると言うことだろう。
「どれがいいと思う?これ?それともこっち?あたしはこの色も好きなんだ」
どれだって似たような物に思えるが「どれでもいいよ、そんなの」などという訳にも行かないことぐらいシンジにも察しが付く。
3着とも赤系統の水着だがデザインと柄が違う。
・・・・そんなこと言ったって・・・・
悩みながらもアスカの顔を眺めた。
楽しそうな笑みを浮かべた明るい顔。
・・・・選んでもらうって嬉しいのかな・・・・
考えて見ればシンジの洋服はいつもアスカが選んでいた。
頼んだ訳でもないがいつの間にかそれが当たり前になっていたのだ。
それを嬉しいと思ったことはないが嫌だと思ったこともない。当たり前になってそんなことを考えなくなっていた。
「えっと・・・・こっちのがいいかな・・・」
柔らかい布の手触りを感じながら一枚の水着を手にしてみる。取り敢えず適当に手にしただけの水着にアスカの顔がほころぶ。
「そう!じゃあそれにしよう!」
彼女を眺めシンジの記憶に一人の『女性』の笑顔が浮かんだ。
今朝見たミサトの笑顔と同じだった。
・・・・僕の服選んだときも・・・・楽しそうだったのかな・・・・
目の前にいるアスカは自分の洋服を選ぶときも笑顔を浮かべていたのだろうか。
シンジの胸が少し痛みレジに向かおうとしていたアスカを呼び止めた。
「ちょっと待って、もっとよく選ぶから・・・・」
シンジがかつて無いほど真剣な顔で水着と見つめ合っている頃、トウジも似たような状況にいた。
ヒカリの手にしたグリーンの水着の脇で彼もまた選択を迫られ頭を抱えていたのだ。
「せやなあ・・・これなんかどないや?やっぱわいにはよう判らんわ」
期待に満ちた目に答えるべく一生懸命選んだがそれでも似合ってるかどうかなど判るはずもなかった。
楽しそうな二組をケンスケはボウッと眺めている。それ以外にすることがないのだ。
彼に選んでとお願いする相手も居ないし洋服にも興味がないので手持ちぶさたも甚だしい。
だからといって不満を口にするでもなく頭の中では全く別のことを考えていた。
・・・・望遠レンズは何倍にするかなあ、D・N・Fも欲しいし・・・・
彼の趣味であるデジタルカメラのオプション類の購入計画を大雑把に頭の中に描いている。
出来れば今日電気屋でも寄って最新カタログを入手したいので可能な限り彼女達には買い物をこの場で済ませていただきたい。
「シンジ、シンジ・・・・ちょっと話があるんだ」
アスカがレジに向かい暇になったシンジを呼び止めると何か耳打ちをする。
「え?・・・そんなぁ」
「と言うことだから宜しくな」
レイは所在なさげに店内をうろつきながらいろいろな洋服を眺めていた。
彼女も水着を買う予定だが未だに決められないで居る。「選ぶ」と言うことにまだ慣れていなかったのだ。
そんな彼女の視界にアスカの姿が映されている。
大事そうに両腕で水着を抱きかかえた彼女からは、笑みが惜しげなくこぼれ落ちていた。
彼女の抱きかかえた物はさっきまでシンジと選んでいた水着。
幾度と無くシンジに話しかけようと思ったが結局出来なかった。
ただ赤い瞳を向けその目の前の光景を見つめるだけしか出来ない。
・・・・比べられたくない・・・・
アスカの持っている笑みは自分にはない。彼女のように思いを伝えることが出来ない。
そのことが彼女の口を閉じさせていた。
「綾波・・・・何買うか決まった?」
背後から呼ばれた声に振り返ると照れくさそうにシンジが立っていた。
「・・・・・・・・・・・・」
「あ、あのさ・・・決まってないなら一緒に探さない?」
レイは自分の言いたかったことがシンジの口から聞いた。
何も言葉が出ない。
だから小さく頷き、そのままシンジの服の裾をつかむと一緒に水着売り場へと向かった。
「ヒカリ決まった?」
アスカは上機嫌で彼女の元を訪れた。
「どうこれ?鈴原が選んだんだけど・・・・」
グリーンとホワイトのストライプの水着を手にして少し照れくさそうにアスカに見せる。
「へえ、鈴原がねえ。ふーーーーん」
チラッとトウジに目を向けると彼はあらぬ方向に目を向けそそくさとケンスケの元へ立ち去っていく。
そのままこの場にいればアスカに何を言われるか判った物ではない。
どうせセンスが悪いと文句を言うに決まっているのだ。
何より自分らしからぬ行動があまりにも照れくさかった。
「ヒカリに似合うわよ、その緑も綺麗な色だし。結構いいセンスしてるじゃない」
「アスカはどんなの買ったの?」
「ヘヘヘ、内緒!」
大事そうに抱えた水着を興味津々に覗き込もうとするがアスカはクルッと背を向けてしまう。
「あ!ずるいよ!見せて」
ヒカリは再びアスカの腕の中を覗き込もうとするが今度は避けようとはしない。
彼女は向こう側で水着を選んでいるシンジとレイをただ見つめているだけだった。
「綾波って何色がいいの?」
「青と白・・・・碇君の言った色・・・・」
シンジは4着目の水着を手にしている。
正直言って何を選べばいいのか見当も付かないし、サイズに至っては何をどう見ればいいのかさっぱり判らない。
『青と白』をキーワードに手当たり次第にあさっているようにも見える。
・・・・似合うのって言っても・・・・
レイなら何を着ても似合うと思うが逆にそれが選択を難しくしていた。
おまけに彼女は自分の好みを何も言わないものだからシンジ如きではどうしようもないのだ。
とはいうもののケンスケに言われたからとはいえ「一緒に選ぼう」と口にしたのはシンジなのだから今更逃げるわけにも行かない。
勿論ケンスケが午後の自分の予定を睨んでそう彼に進言したことなど知る由もないが。
「っと・・・こんなもんかな?これなんかどう?」
ようやく5着目の水着を選びレイの前に差し出す。
「それでもいい・・・・」
5回同じ返事を繰り返すレイ。
いい加減に答えているのではないところがシンジに苦労を強いていたのだ。
赤い瞳はいつもより明るかった。
少し深く沈んだ青い瞳はまばたきするのを忘れていたのかも知れない。
だが胸の痛みだけははっきりと感じ取ることが出来る。
・・・・・バカシンジ!・・・・
知らず知らずのうちに二人の元に足が進んだ。
それは徐々に早まっていく。
シンジに選んでもらった水着を強く抱きしめながら。
「ねえ、シンジ・・・・・」
「アスカ、アスカ」
アスカを呼び止めたのはヒカリだった。
少し真剣な、どこか困った表情でアスカを呼び止めると静かに語りかける。
「アスカの水着はよく似合うよ」
「・・・・でも・・・・・・・・」
一瞬だけ目を向こう側の二人に向けた。
ラックに掛けられた洋服の合間からの光景は彼女の顔を俯かせる。
「絶対似合うよ。その水着、碇君がアスカに選んだんでしょ?」
ヒカリの本当に言いたかった事を言葉の影に見つけると無理にではあったが笑顔を浮かべた。
「ヒカリ、早く会計しちゃおう!」
恐らく6着目も7着目も同じ答えが返って来るであろう事を予想したシンジは取り敢えず手元の水着の中から選ぶことにした。
「どれがいいと思う?」
「良くわからない・・・・」
シンジも良くわからない。
一応好きな色と言っていた青と白の配色の水着をそろえたがデザインはまちまちだ。
しばらく考え込んだ彼だったがようやく意を決したようにその中の一枚を取り出した。
丸襟ワンピースで青と白のツートンのデザイン。
「これなんかがいいと・・・思うけど・・・・どう・・・かな?」
自分のセンスに自信など持てよう筈もないが彼なりに選んだつもりだ。
しばらく赤い瞳がその水着を見つめていた。
「・・・それがいい・・・」
シンジの手からそれを受け取ると体に当て鏡に映し出してみる。
・・・・選んでもらった・・・・
たったそれだけの事が何故か心にしみ込んでくる。
シンジの手から渡された時点でそれはたった一枚だけの水着になった。
「あたし・・・これ着るわ」
「そう、気に入ってもらえて良かった。僕じゃ良く判らないから・・・・」
センスに自信など無いがいい加減に選んだつもりもない。
それに今はレイによく似合うように思える。
「・・・お金払ってくる」
大切な水着の所有者になるべく財布を取りだしレジへと駆け出していった。
*
太陽は街の真上でなんの遠慮もなく燦々と輝き、歩いている人々から水分を搾り取っている。
自動販売機の缶ジュースは今年最高の売れ行きを示し、日が経つに連れその記録は塗り替えられていくだろう。
11時頃まで低かった気温も12時を超した時点で跳ね上がり、1時の今では36度を超していた。
行き交う人々は恨めしげな目を街頭の温度計に向けるが無論気温が下がることはない。
「なあいいんちょ・・・・もうそろそろ昼飯食おうや。わいそろそろ限界や」
トウジの甘えたような声はヒカリの耳に届く。
暑さだけではなく彼の身は空腹感にも襲われている。
「うん、アスカそろそろお昼にしない?」
「そうね。どこで食べようか?」
六人の中に昼御飯に反対する者は居なかった。水着を買い終えたら空きっ腹を抱えていることに気が付いたのだ。
「せや、もう一時や。何でもええからはよ食べようや」
食べると決まったら一秒でも早く食べたい。この際どこでも、何でも良い。
一行は三番通りを離れレストランや喫茶店の建ち並ぶ大通りへと場所を移した。
何軒も並ぶレストランにはついさっきまで大勢の客で溢れ返っていたが、一時を過ぎると席も空いてきている。
アスカがお昼を1時に設定したのはそのためだ。ことさらトウジを苛めたわけではない。
「で、どこにする?」
ケンスケの視界には3軒のレストランがあるがいずれの店も席が空いており待たずに済みそうだ。
その内の一番色使いの明るい店に入ることに決めた。
どの店にするか悩むほどお腹の虫に余裕はない。
店内はファミリーレストランだけあってやたらと広く六人掛けの席も幾つか空いていた。
どこでもいいのだが窓際の空いた席の腰を下ろす。
「ふう・・・涼しいね。何食べようかな・・・・・」
ウエイトレスの持ってきたメニューは豊富な品揃えで彼らを魅了した。
「あたしサイコロステーキセット!」
最初に決めたのはアスカだった。万事において決断は早いほうだがお腹が空いているので今日は特に早い。
「わいは特大ステーキセットやな。ライス大盛りや!」
「俺は・・・和風ハンバーグセット、ライスは普通」
「あたしもサイコロステーキセットでいいや」
「ナポリタン・・・・」
次々とメニューが決まっていく中、いまだにメニューを睨み付けている者が居る。
シンジだ。
アスカとは対照的に万事決断は遅い。
あーでもないこーでもないとブツブツ呟きながらメニュー選びに没頭している。
永遠に続くかと思われたがアスカは手慣れた様子で一言で片づけた。
「この子あたしと同じ物ね」
「3分たったーらー訪れるーし・あ・わ・せーっと」
葛城ミサトはどこかの食品メーカーのCMソングを歌いながら自室でカップラーメンの蓋をはがした。
少し遅い昼食はこの他にもおむすびとビールがテーブルに並んでいる。
キムチ味のラーメンはいかにも辛そうな赤い色を見せそれが彼女の食欲をそそった。
ズズッっと音を立て面をすすると口の中に唐辛子の辛みが広がり汗が吹き出る。
「やっぱこのくらい辛くなくっちゃ嘘よねー」
『超激辛』と大きく書かれた器を眺めての独り言。ミサトの手で七味唐辛子をふんだんに加えられたカップラーメンはそれでようやく彼女の気に入った辛さになった。
昼食に見られるような味覚が部下のシゲルに不安を抱かせる要因となっている。
麺をすべて食べると残ったおつゆに今度は明太子おむすびを海苔ごと放り込みかき混ぜた。
「食事にも変化をってね。四川風おじやの出来あがりー」
四川風かどうかはともかくやはり満足げにそれをかき込むとビールを一気に飲み干す。
「たまんないわねーーーー!!!」
この部屋には彼女一人しか居ないので誰もとがめず思う存分この『料理』を楽しんだ。
「ふううう・・・ごっそうさんっと。さてまた寝るかなあ・・・・」
休みといっても以外とやることはない。
買い物も近くのコンビニで済むし掃除洗濯はともかく特に趣味のない彼女に外に出る用事は持ち合わせていないのだ。いい大人が部屋で眠りこけて休日を過ごすなどみっともない話だが。
そんな彼女の窮状を救うべく電話は鳴った。
「あい・・・もしもし・・・?・・・加持君!?」
「で、これからどないするんや?買い物は終わったんやろ?」
「うん。あたし達は終わったけどあんた達は何か用あるの?」
ケンスケの目論見通り午後の予定は彼らで決めることが出来るようだ。
セットで付いてきたコーヒーを啜りながら満足そうに笑みを浮かべる。
「本屋と電気屋。駅前のカメラ屋寄りたいし向こう通りのゲーセンにも行きたいしゲームショップにもいこうぜ」
さっきまで頭の中で立てていた予定をここぞとばかりに披露した。
「えーー!?何でそんなつまんない所行くの?こっどもねーー」
全く趣味が違うのでアスカやヒカリは今ひとつ乗り気ではないがさっきまでさんざん引っ張り回した手前そうわがままも言えない。
「べつにいいよ。綾波さんはどうする?」
アイスコーヒーを飲んでいたレイは特に不満な様子もなくヒカリに頷いてみせる。
結局誰の反対もなく予定は決まり、一同はセットのドリンクを飲み干す。
可でも不可でもないファミリーレストラン独特の味付けを堪能した6人は買い物を再開すべく大通りの人並みへと飲み込まれていった。
*
芦ノ湖周遊道路を青いスポーツカーが軽快な速度で疾駆していた。
人類に悩み事など無いような青い空の元、芦ノ湖の深い緑の湖面には数隻の観光船が多数の観光客を乗せ浮かんでいる。
加持はハンドルを握りながらそんな光景を横目で眺め以前に乗っていた車の乗り心地を楽しんでいた。
「まだ走るもんだな。相当なクラシックカーだぜ、これ」
「そりゃ持ち主の手入れがいいからよ」
「リッちゃんがやってるんだろ?」
自動車の整備を自分の功績にしようとしたミサトの企みをあっさりと見抜くと苦笑を浮かべる。
「毎日乗るのだって整備の内よ」
外の景色にドライブインが現れると加持はウインカーを点滅させ車を寄せた。
家族連れが多いらしく小さな子供が辺りを走り回っている。
「近場に住んでるとこんな所滅多に来ないのよねえ」
今日まで4回使徒の襲撃を受けた第三新東京市だがこの芦ノ湖は今だ観光地の地位を保っており休日には大勢の親子連れで賑わう。
ミサトは勿論この場所を知っていたがここに来るまでの国道が渋滞するので寄りつくことはなかったのだ。
眼下に広がった森は湖面にその姿を映しだしている。
ミサトの目には遊歩道に通じる橋の欄干から覗き込む自分の姿が映し出されていた。
更にその後ろには男の姿も。
「全くのんびり過ごそうと思ってたのにこんな所連れ回して・・・もう少し気の利いた所無かったの?」
「まあ、昼過ぎからじゃ行ける所も限られるさ。気晴らしにはちょうどいいだろ」
やる事がないのを「のんびり」と言う前向きな言葉に置き換え文句を言うが加持は一向に気にした様子はない。
自宅でゴロゴロ過ごすよりは健康的だが隣にいる男がミサトの表情を少々複雑な物にした。
それでも誘いに乗ったのは一人で過ごす休日に飽きていたからだろう。
湖面を渡る冷たい風が二人の間をすり抜けていく。
「しかし現実かと思うくらいに平和な光景だな」
二人の目の前を走り去っていく小さな兄妹を眺めながら加持はそれを疑うような口調だ。
人類の命運を賭けた戦いを繰り広げている最前線の光景にしては拍子抜けするほど静かな一日。
恐らくこの間見た『東京都』も海に還る直前はこんな景色だったのだろう。
「15年か・・・・人類は丈夫だな。あの時は世の中終わると思ったのにな」
「セカンドインパクトで滅び損ねたのよ。人間は」
二人とも文明が滅びていくのと再興していくのを体験した世代だ。
見たくない物と体験したくない事をその身に刻み込んで生きてきた。
必死に生きて気が付いてみれば『観光地』と言う言葉が当たり前に使えるほど人類はかつての栄光を取り戻していたのだ。
「時々使徒を倒さなくても人類は滅びないんじゃないかって思うのよ・・・またこうやって復活するんじゃないかって」
「試してみるか?」
不敵な笑みを浮かべる加持に何も言い返せなくなってしまった。
遠くを走り去るモーターボートの波が湖面に映る自分の顔を歪ませる。
「あの子達に戦わせておいてこんな事言うなんてバカもいい所ね・・・」
使徒を倒すことが無駄だとは思わない。
だが時として彼女の抱えた重責が日頃思うことのない疑問を口走らせる。
明確な物はミサトに何もないのだ。
使徒が来た、だから倒す、その繰り返しだ。
「判らないと不安になる」そんな友人の言葉が思い浮かぶ。
確実な証が欲しい。
使徒を倒さねば人類は全て滅ぶという確実な証拠が。
シンジ達を死地に追いやった事への理由が必要なのだ。
自分に対して仕方がないと思えるだけの理由が・・・・。
「なあ葛城、真実なんて無いんだよ、あるのは事実だけさ」
「教え子騙して訳の分からない戦いに放り込んだ教師・・・・それが事実よ」
加持は口にした煙草に火を付けると目だけをミサトに向けた。
彼女は湖面を眺めたまま身動きしようとはしない、どこか彼の言葉を待っているようでもあった。
「シンジ君達に責められたら苦しめばいい、それまでは気にしないで過ごすしかないさ」
「あたし・・・卑怯だと思う?慰めて欲しくってこんな事口にしてるのよ。お前は悪くないって誰かに言って欲しいのよ」
誰もいなければ重荷を持ち続けられたのかも知れない。
だが加持は昔と変わらぬ笑みを浮かべ彼女の前に現れてしまった。
もしかしたら一緒にこの重荷を持ってくれるかも知れない、そんな期待を抱かせていた。
それは彼女の勝手な思い込みでしかなかったが。
「なあ、取り合えず俺達はあがくしかないんだよ。・・・・何か判るまでな」
当てもなくゆらゆらと立ち上っていた煙が風に吹かれ消えていく。
「人の歴史はあがいて作る物だからな、人である俺達もあがくしかないのさ」
「何の為にあがくのよ・・・・・」
数羽の水鳥が軽やかに水面を蹴って大空へと飛び立っていく。
折り返してきたボートが彼らの橋の下を抜けていった。
「そんな物は人それぞれだよ。取り敢えず俺は今夜君と一緒に過ごすためにあがくけど」
*
本屋に電気屋にカメラショップにその他諸々。
紙袋に大量のカメラやらゲーム機やらモデルガンのカタログとDVDディスクを詰め込みご満悦の様子でケンスケは先頭を歩いていた。
午後は殆ど彼の希望通りに過ぎている。
「大量だな。さすが駅前は収穫が違うよ!」
「バッカみたい!全部買える訳じゃないんでしょ。こっどもねー」
それを言ったらアスカの部屋にある大量のファッションカタログも同じ事なのだがそんなことに気づいた様子もない。
「いいんだよ。いつか買えるかも知れないし、まっ、男のロマンだな。なあシンジ」
カメラのカタログを眺めながら歩いていた彼は曖昧な返事しか返せない。
無趣味なのでその辺りの心境という物が同じ男とは言えよく判らないのだ。
結局今日の休日を有意義に過ごしたのは男性陣ではケンスケだけのようである。
トウジとシンジは買い物に文字通り付き合わされただけで終わっていた。
一方そんな二人を後目に3人の少女はそれぞれに大切な水着を抱え、嬉しそうな顔が夕日に赤く染まっている。
夏休み初日はもうそろそろ夜の時間へと入りかけていた。
「ほなそろそろ帰ろか。もうそろそろ6時やで」
トウジの口からあまり聞きたくない言葉がヒカリの耳に届く。
楽しかった分時間の流れは速く過ぎ去り気が付けばもう夕方だ。赤みの差した顔に少しだけ影が映る。
「え・・・・・もうそんな時間?・・・そうだね・・・」
腕時計を見ると確かのトウジの言った時間だ。
逆に針を回せば時間が戻るような気がした。
「そうだね、そろそろ帰ろう。バスの時間は・・・・・」
バスターミナルの液晶画面にシンジは指をふれ自分達の路線バスを呼び出し時間を眺めた。
後5分ほどでボンネットバスがやってくるようだ。
「あーあ、今日も終わりか」
彼らの後ろには同じ方面に帰る乗客が並び始め列を作っていた。サラリーマンの姿も見える。
家に帰れば家族がその帰りを待っているのだろう。
彼ら6人にも待っている者が居る。
だがヒカリはもう少しだけ待たせても良いと思っていた。
「ねえ、鈴原ってどこのバス停降りるの?」
「わいか?いいんちょの一個前のバス停や。そない離れとらんわ」
レイの白い肌は今は薄赤く染まっている。
胸に抱きかかえた買い物袋を時折眺めながら、ちらちらとアスカの抱えた同じ様な紙袋を気にしていた。
自分の手にした物とどう違うのか、綺麗に包装されていて比べるべくもないがさっきから気になっている。
同じ店で同じ少年が選んだ色の違う水着。
どんな風に違うのか、栗色の髪の少女を気にしていた。
*
いくつものバス停を通り過ぎ夕日が高層ビルにすっかり隠れた頃には車内は数人になっていた。
少年の友人もすでに降車していたし、少女の友人も一緒にバスから降りている。
一番後ろの6人掛けの席には今は二人しか座っていない。
「それ妹さんへのお土産?」
「そない大したモンやあらへんけどな・・・ま、ケーキ好きやからなあいつ」
ピンク色の箱に目を移す。結構有名なケーキ屋の名前が印刷されていた。
「・・・・鈴原は甘い物とか食べるの?」
「わいは好き嫌いなんぞあらへんがな。妹もわいと一緒で何でも食べおるわ」
トウジの自慢げな答えはヒカリの顔にちょっとした決心に似た表情が浮かばせた。
買い物袋を強く握りしめながら勇気を振り絞り、だがいつもと同じ調子を心がけて口を開いた。
「あのさ、たまにあたしクッキーとか焼くんだ・・・でも時々沢山作り過ぎちゃったりして・・・鈴原って甘いの大丈夫だよね・・・」
「いいんちょはお菓子作れるんかいな。大したもんやな」
「それで・・・作りすぎたりしたとき食べてくれる?うちの人はあんまり食べないし・・・妹さんも好きなら良かったらその貰ってくれると片づいていいなと思って・・・・あ、でも別に余ったからだとか片づけたいとかじゃなくて・・・」
努力の甲斐あって口調はあまり変わらなかった。内容に多少の矛盾が含まれたが。
少しトウジに不可解そうな表情が浮かんだがすぐ笑顔に変わると礼を口にした。
「ほんまにええんか?せやったら遠慮のう楽しみにさせて貰うわ」
単純な分言葉に偽りはない。
「うん、今度持って行くね。すぐ作るから!」
バスの窓には赤みの強くなった住宅街が現れ車内アナウンスはトウジの降りるバス停を告げた。
「ほなわいは此処で降りるわ、じゃあまた今度な」
走り去って行くバスを見送っているのは二人。
「あたしこっちに用事あるから・・・・うん、同じ方向・・・・」
洞木ヒカリという少女がありもしない用事のために遠回りしている頃アスカは袋から取り出した水着を眺めていた。
ニヘラと笑みを浮かべながらそっとタンスにしまうと暫し反対側の壁を眺めた。
綾波レイという少女の部屋がそこにはあった。
・・・・どんなの買ったのかしら・・・・
壁を見つめていた青い瞳は意を決したように部屋のドアへ向けられる
そして包装紙を脇によけ立ち上がると扉に向かった。
いずれは一緒に海に行くのだから今見なくてもいいのだが気になって仕方がない。
だがそれと同時に不安もあった。
・・・・すっごく似合ってたらどうしよう・・・・
どうしようもない。
ただ素直に似合ってると誉められないであろう自分が嫌だった。
渦巻く思いを無理矢理しまい込むと扉を開ける。
それと同時にとなりの部屋の扉も開き見知った顔の少女が姿を現し視線を合わせた。
「あ・・・・あのさ・・・・」
「・・・・あの・・・・」
共に視線を逸らし何となく口をモゴつかせる。
「別に・・・・やっぱりいい、何でもないわ。それよりなんか用?」
「・・・・・いい、何でもない・・・」
互いに何も聞かず二人とも部屋にはいると少しだけ溜息をついた。
*
「綺麗に片づいてるじゃない。意外にまめねぇ」
初めて見た加持リョウジの部屋はミサトの予想以上に片づいており思わず感心したような声を出した。
自分の部屋と比べると雲泥の差だ。
少しだけ懐古趣味の味付けのなされた部屋は落ち着いた雰囲気を持っている。
窓際にある古めかしいランプの向こうには最新鋭の要塞都市の高層ビル群がいつも通り舞い降りた夜を無数の明かりで彩っていた。
「飲むか?」
冷蔵庫からワインを取りだし掲げて見せる。
「サンキュー。少し貰うわ」
ほぼ予想通りの答えを聞くと丸い木のテーブルにワインを二本おいた。
それは天井から吊されたライトに照らされ赤い影を延ばす。
・・・・気取った部屋ね・・・・
彼女は部屋を眺めながら笑みを浮かべた。趣味に拘る辺りが子供っぽく映る。
加持が台所でグラスとつまみの準備をしている頃、ミサトは小さく古めかしい箪笥の上に乗っている時計を手に取ってみた。
細い革ベルトの小さな時計。
知らない部屋で知らない品物に囲まれている中、この時計だけは知っている。
ミサトの友人がつい最近まで身につけていた物だ。
第三新東京市の頭上に輝く月を眺め僅かに目を細める。
時計を持つ右手に僅かに動き行き場もなく宙を彷徨った。
・・・・迂闊よ・・・加持君・・・・
その目を時計からそらすと箪笥の引き出しを開け時計をしまい込んだ。
これ以上見るのが辛いかのように。
「葛城、つまみはチーズでいいだろ?美味いのがあるんだぜ」
「悪いわねぇ。ご馳走になるわ」
まるで何もなかったように気の椅子に腰を下ろす。
・・・・知らないから不安になる・・・か・・・・
ミサトは不安にならないために知らないことにした。
知らない部屋にあった知らない時計、自分に向けてそう呪文を唱え笑顔を浮かべる。
やましい者を恐れさせ魔女に力を貸す月は、雲一つない夜空を煌々と照らしていた。
続く
お品書き・・・じゃないあとがき
みなさま夏休みも終わりましたが如何でしたか?
夏休みがあったにもかかわらず更新できなかったディオネアです(;;)
別に忙しかった訳じゃないんですが・・・・・。
さて、「知らない部屋(後編)」如何でしたか?
長い割にはまとまらなかったような気がしてます(^^;
現実時間では夏休みも終わりましたが此処では未だ初日(笑)
当分夏休みが続きますが宜しければ読んでやってください
ではまた次回お会いしましょう。
お読みいただき有り難うございました。
ディオネアさんの『26からのストーリー』第十二話後編、公開です。
いろいろな事があった休日。
様々な思いが疾走った休日。
子供達。
大人達。
それぞれの1日。
子供。
だけど思いは深く、
子供。
だからこそ思いは深い。
アスカとレイの微妙な距離感が暖かく、冷たい緊張感を伝えます。
夏休み初日の物語。
夏休み中に公開できて良かった(^^;
・・・・最近とみに忙しい神田です(^^;;;
さあ、訪問者の皆さん。
益々筆に磨きが掛かるディオネアさんにメールを送りましょう!