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26からのストーリー

第十二話:知らない部屋(前編)



週末最後の金曜日、それは鞄をぶら下げ登校する彼らにとって休みの前日でもあった。
ただの土日前ではない。
夏休みと言う学生生活において、思春期の少年少女にとって重大なる長期休暇が今日一日過ごせば両手を広げ待っているのだ。

浮き足立つのも無理はない。
既に予定の立っている者達は頭の中を夏休みに突入させ、未だ未定の者も思考の地図を広げ何処に行こうかと嬉しげな顔で悩んでいる。

海、山、川、プール、買い物、遊園地、キャンプ、祭りにデート。

その他にも無数の楽しみが頭の中を駆けめぐっていた。

ところで舞い上がっているのは少年少女だけではない。
彼らの浮かれ具合が伝染したのか、それとも何か勘違いしているのかやたら盛り上がっている者も此処にいる。

「諸君!!!明日っからおっまちかねのなっつ休みーーーーーー!!!!!」

教壇の前で片手を高くあげ教室にいる生徒達に力一杯アピールしている彼女がそれだ。

「おお!!!」

二年A組は担任教師と共に威勢の良い声を挙げ、明日からの夏休みを大歓迎していた。
教師の葛城ミサト先生が浮かれているのだから彼女の可愛い生徒達などお祭り騒ぎだ。
勿論ホームルームどころではない、そしてミサトはそんな物はすっかり忘れてしまっている。

「ねえねえ、あんた達どこ行くの?」
ミサトはあちこちの集団に混ざっては夏の予定を聞いてまわり、雑談にすっかりとけ込んでいた。
誘惑の多い夏休み、非行に走らないよう予定を聞いている、と言うのなら立派だがただの興味本位だ。
「四国の親戚!」
「俺達は秩父でキャンプするんだ!」
「海に行くの。でも・・・・・内緒よ、彼と一緒に・・・」
「誘いたいんだけど・・・でもなぁ・・・・先生、なんて誘ったらいいかな・・・・」

待ち遠しそうに語る者やそっと耳打ちする者、相談も持ちかける者全てを好意的な笑顔で聞き止めている。
逆に言えばそんな彼女でも内緒話をされるほど生徒達に信頼されていると言うことだろう。
勿論彼女のいないところでも夏の話題が飛び交っていた。
そんな集団の一つを彼女達は形成している。

「じゃあ、夕方になったらすぐ行くから」
「うん、待ってる。ねえ、夕御飯どうする?何か一緒に作ろうか」
「そうね・・・焼き肉でもやる?三人だから楽しいと思うわ」

アスカの提案は今日彼女らを迎えるヒカリの快諾を得て、朝だというのに夕飯のメニューはもう決まった。
以前からの約束だったヒカリ宅での宿泊は今日である。
昨日から準備していた気の早いアスカは鞄の中に入れ忘れがないか、ざっと思い浮かべた。
別にそんなに離れているわけでもなく忘れ物ならすぐ取りにいける距離なのだが。

「レイ、あんたも準備OKよね。それで夕飯焼き肉でいいでしょ。買い物はヒカリの家に行ってから一緒に行くわ」

風に揺れる街路樹を眺めていた彼女は、少し目を丸くして振り返った。
騒がしい教室の中で孤高を保っていた彼女だったが知らない内に集団の中に入っていたらしい。
集団と言ってもレイを含め3人だけだが。

「何であたしが・・・・・」
一緒に行くなんて返事をした覚えもないし、第一行く理由がない。ヒカリはアスカの友人であってレイの友人ではない。口を利いたこともないし一緒に遊んだこともない。
昼食の時近くにいるがあれはアスカと一緒に食べているのであって自分と一緒に食べてるわけではない、とレイは思っている。

「どうせ準備してないんでしょ、いいわよ帰ったら手伝うから。どうせおばさまと話しもしなきゃいけないし」

同居人の質問は無視したのか、あるいは聞こえていないのか。
少なくともレイは一緒に行くのが前提のようだ。
訳の分からない表情のレイに比べ、今日は朝からすこぶる機嫌のいいアスカ。
家族旅行も決まった。翌朝の『おじさま』がやたらとご機嫌だったのと、シンジがやたらと不機嫌だったのが印象的だったがそんな細かいことは気にしない。

今日のお泊まりの翌日は駅前でショッピングだ。
このあいだ買えなかった水着を今度こそ買うつもりだし、不精者の水着も選ばなければならない。
無論シンジの水着のことだ、ほかの誰の水着を選ぶというのか。

・・・・全く世話が焼けるんだから!・・・・

シンジに何かしてやる度にそう思うが、一度でも何かしてやるのをやめたことがない。

で、その不精者は今、トウジ達と無駄話をしている。
「何でわいがお前らの買い物付き合わないかんのや?」
シンジからの要請は疑問符を持って迎えられた。

アスカに「鈴原の奴、絶対付き合わせなさいよ!」と感嘆符付きできつく申しつけられているのでごり押しの嫌いなシンジも引き下がれない。
「うん・・・・いいじゃないか。付き合ってよ、土曜日、トウジだって何か買うものあるだろ」
「そら買うもんはあるンやけど・・・・先立つもんがなあ」
彼の財布からは小銭がパラパラとこぼれ落ちてきたが紙幣は一枚も落ちてこなかった。
「そんなぁ・・・付き合ってよ・・・・お願いだから」
シンジが可愛い女の子だったらこれ以上の台詞はないのだが生憎と三バカトリオの一員なのでトウジの心は揺れようがない。
「ケンスケは行くンかいな?」
「ああ、買う物と買う金があるから。まあ、付き合えよ、どうせ暇だろ?」

・・・・馬鹿馬鹿しいけどな・・・・

トウジを誘うように言ったのは恐らく惣流だろうと当たりを付けた。
惣流と綾波はシンジに、洞木はトウジにとそれぞれ用のある相手が決まっているのだ。
ところがケンスケにはそういった相手がいない。勿論誘ったシンジに悪気がないのは良く分かる。
どうしてもおまけの感は拭えないが、だからといって行かないと言うのも狭量に見られそうで口に出来なかった。
「ほなしゃあないな、せやったらわいも行くわ。けど買い物はせーへんで」
「ホント、じゃあ土曜の11時に駅前の・・・・『タイムバーガー』で」
ケンスケのお陰でなんとかアスカに叱られずに済みそうである。


「何であなたの教室はいつも騒がしいのかしら。なぜかあなたが居ると特に騒がしいわね」

冷やした緑茶を美味しそうに啜りながら、すました調子で目の前の同僚を眺めた。
その目つきと雰囲気と言いようで知らない人が見れば目の前の女性に嫌みを言っているようにしか見えない。
だが幸いなことに理科準備室にはこの二人以外にだれも居らず余計な誤解を与えることはなかった。
「今の時期、静まり返った教室なんて気味が悪いと思わない?」
同じように緑茶を啜ると反論せず質問で自分を正当化し、リツコの追及をかわしている。
一学期の終業式当日ともなれば多少騒々しくても仕方がない、筈である。
多少の範疇に二年A組が含まれるかどうか定かではないが。

「勘違いしてるようだから一応言って置くけど夏休みはあの子達よ。あなたじゃないから」
今度は意地悪そうな輝きをふんだんに込めた目をミサトに向ける。
この辺を勘違いして一緒に騒ぐ辺りが彼女の『お調子者』たる所以であろう。

「まあまあ、あたし達も数日休み取れそうだしさ。それより今夜来るんでしょ?あたしン家」
それ以上確実に続くであろう嫌みを封じ込め今夜の予定を聞く。
彼女らの休みは来月からだが久しぶりの連休が今度の土日に当たる。
「そうね、七時頃行くわ。何かご希望は?」
「つまみ買ってきてくれる?お酒はこっちで用意するから。加持君にも頼んだけど忘れてると悲惨だし」
「あら、加持君来るの?」
別にリツコに内緒にしていたわけではない、言うのを忘れていただけだ。
「久しぶりね三人で飲むのは。結局加持君、奢らないで済ますつもりね」
以前彼が三人で飲もうと言った台詞を思い出した。リツコの記憶では加持が飲み代を持つ約束だった筈である。

休日前の金曜日、ミサト宅でのささやかな宴会はリツコ、加持、のゲストを迎えもようされる予定だ。
第四次使徒迎撃戦の後片づけはまだまだ残っているが根を詰めたって効率は上がらない。
彼女達にも息抜きは必要である。

「ついでにシンジ君達誘っちゃお。いいっしょ?リツコ」
「別に構わないけど、彼用事があるんじゃない?」
「やーね、美女二人のお誘いでしょ、断るわけ無いじゃない」

こうしてシンジの知らないところで今日の彼の予定が設定された。
彼だってNERVの重要なメンバーでありこのささやかな宴会への出席資格を持っているのだ。
ただリツコには一つ訂正したいことがあった。
「相変わらず勘違いが酷いわね、美女は一人よ」


終業式を始め『式』と名の付く物は中学生にとって煩わしいだけである。
そんな物すっ飛ばしてさっさと家に帰りたいのだが世の中そう言うわけには行かない。
日頃、生徒達に影の薄い校長や教頭と言った面々の晴れの舞台だ。悦に入った表情で体育館に整列した生徒達に懇切丁寧な訓示を垂れていた。

「・・・・夏は自分の実力を向上させるいい機会です。今の自分を見つめ直し良いところは更に伸ばし、悪いところはじっくりと直す。まさに努力するための期間として・・・」

延々と続く有り難い訓辞を生徒達は右の耳から左の耳に流し去り、近くの友人達と無駄話をしている。
有り難いお話は有り難いまま放り出すに限る。

「ケンスケとシンジは何か買うもんあるンかいな?」
「別に無いけど。でもアスカと約束しちゃったし・・・・」
「俺はディスクが終わっちゃったからそれの補充。後、本も出てるしな」

シンジ達は土曜日の買い物の話題に熱中しており、さっきから幾度と無く学級委員長に注意を受けているのだが何処吹く風だ。
「・・・バカシンジ、先生がこっち睨んでるでしょ。少し静かにしなさいよ」

「ほらミサト、学年主任が睨んでるわよ」
有り難い話は教師にとっても有り難い。有り難すぎて居眠りするほどに。


無数の生徒の雑談と一部の教師の居眠りと共に終業式はようやく終了し、背伸びしながら教室へ向かった。
そしてホームルームを終了し掃除が終わればいよいよである。
シンジもそのつもりでいた。

「ハイ、じゃあ通知表わったすわよー」
そう、楽しみを迎えるためには受け取る物もある。
一学期の勉強の成果がそれぞれに配られていった。この時点でクラスは明暗にくっきりと鮮やかに別れる。
満足げに眺める者、当然と言わんばかりにしまう者、想像以上の出来ににやける者。
シンジ、トウジ、ケンスケは此処には含まれない。
見たくないとばかりにしまい込む者、そんなバカなと我が目を疑う者、頭を抱え込む者。
三バカトリオはここに含まれている。
ケンスケは少し眺め「はぁ・・・」と溜息をつき鞄の奥にしまい込む。
トウジは「こないな筈はない!」と言う根拠のない疑問を持ちながら通知表を眺める。

そしてもう一人は・・・・・

「どうだったのシンジ?ちょっと見せなさいよ」
「やだよ!いいだろどうだって!」
机に覆い被さり必死に通知表を死守するシンジの成績は聞くまでも無さそうである。
「何言ってるのよ!ちゃんと見せなさいよ、何処が悪いか判らないじゃない」
「いいよ、別に判らなくったって!僕の成績なんか関係ないだろ!?」
「あるわよ!あんたの勉強見てるのあたしなんだから!」

はっきりそう言いきると彼の通知表を取り上げた。
小さいときから勉強の出来た彼女がシンジの宿題やらテスト勉強やらの面倒を見てきたのだ。
小学校から中学に変わってからもそれは続き、シンジはそれを疎ましく思いながらも頼りにしないわけには行かなかった。
シンジ一人で山と残された宿題や難問奇問のテストに立ち向かうには若干力不足だったのだ。
「なによ・・・・あんまり伸びて無いじゃない。数学なんか・・・・」
「煩いな、いいだろ別に。色々忙しかったんだから」
あいにくと今学期忙しかった理由は口に出来ない。
更に何か続けようとしたアスカを制したのは担任のミサトだった。
「ほらそこ!夫婦喧嘩は家に帰ってからにして。ただでさえ暑いんだからこれ以上暑くしないで」

一瞬ざわついていた教室が静まり二人に視線が集中する。
ミサトの言った言葉をシンジとアスカ、クラスメイトが飲み込んだとき騒ぎは頂点に達した。

「めっちゃ暑いでシンジ!!」
「やってらんねーよな!!」
「あーあ、シンジはいいよ!!もう結婚したのか!」
「子供はいつだ!!」

真っ赤になった二人に口笛と冷やかしの声が降り注ぎ、ハチの巣を突っついた騒ぎとなっている。
「そんなんじゃないわよ!!」
「違うに決まってるだろ!!」
二人の必死の言い訳は圧倒的多数に遮られ誰の耳にも届かなかった。
「ハイハイ、その辺にして、次は夏休みの宿題ね。欲しくないだろうけどさっさと取りに来てねー」

結局この騒ぎはその元凶となったミサトが静め、シンジとアスカはクラス中からの冷やかしから逃れることが出来た。
だが二人共感謝なんかしない。
あくまで元凶は目の前の担任なのだ。

「信じらんない!!何であんな事言うの!!」
「やめようよ・・・またなんか言われるよ。すぐ調子に乗るから・・・あの人・・・・」

『ミサト先生』ではなく『あの人』と口にしたシンジに軽い違和感を覚えたがそれ以外は全くの同感だ。
しかしこのお陰でシンジはアスカの説教から逃れたことに気が付かなかった。
隣の席の少女が持つ赤い瞳が恐ろしく不機嫌そうになってミサトを睨み付けていることにも。

「んじゃあ、パッパと掃除しちゃおう!」


「それにしても片づかない部屋ね・・・全くこの子は・・・・」

忠実な洗濯機が洗面所で懸命に仕事している間、碇ユイは愛すべき息子の部屋の掃除をやっていた。
床に散らばった雑誌、コミック類と聴いたまま放り出してあるMDをまとめベットの上に乗せる。
脱ぎ散らかしてある洋服は洗濯籠に放り込む。
ノートと使ってない参考書の山になっている机の上も整理整頓。

そうしてようやく掃除機の出番となった。

・・・・本人にやらせればいいんだろうけど・・・・

そう思いつつもだんだん悲惨になっていくシンジの部屋を見ると、つい手を出してしまう。
母親としての限界である。
にもかかわらず最近では「勝手にいじらないでよ!いいよ、自分でやるから」などと生意気なことを言うようになった。
それでやってくれればいいのだがそうはならず、見るに見かねたユイが以前と同じように片づけてしまうのだ。

窓を開け放ち部屋の空気を入れ換え、掃除機のスイッチを切るともう11:30だ。
後ちょっとで三人の子供達が帰ってくる。

・・・・チャーハンでいいかしら・・・・

昼食のメニューを思い浮かべているとき、シンジの机にある一枚の写真に目が止まった。
透明なビニールマットの下に置かれた一枚の写真。

大きなランドセルを背負った二人の子供とまだ若いその子の両親。
べそをかきながら写っているのはシンジ、元気よく笑ってVサインしているのはアスカ。
今から八年程前の写真がユイの目に映る。

ゲンドウの『デジタルカメラより綺麗に写る』の一言で30分ほど掛け物置から引っぱり出した古いカメラで写した物だ。
フィルムも劣化しており24枚撮った内のこの一枚だけが撮影に成功していた。
確か小学校入学式当日に写した物、シンジがなんで泣いているのかは忘れた。

「若かったのね、わたしも・・・・」
親が老いた分、この子達は大人になった。
気が付いてみれば知らない内に子供達は成長していた。
洋服のサイズがいつの間にか大きくなった。
アスカとシンジの部屋が別々になったのも気が付かない内のことかも知れない。

変わらない日常の中でいつの間にか大きくなっていく子供達。

本当ならそのまま大きくなって行くはずだ。
変わらないはずの日常の中で。

人類を救うための戦いは我が子に任されている。
息子の戦いで維持される今の日常。

そう思うと今までの母親としての仕事が自分への言い訳に聞こえてしまう。
原因を作った科学者だったユイへの言い訳に。

・・・・いつか全て言わなければいけないのかしら・・・・

もしかしたらその時には二度とこの部屋を掃除する事は出来ないかも知れない。
アスカに洋服を買ってやる事も出来ないかも知れない。
それが自分だけの苦しみなら耐えられる。

せめてレイと共に3人で笑って生きて欲しい。
シンジにはその為だけに戦って欲しい。

昔の写真は昔の記憶で今のユイを責め立てていた。


「じゃあ二人共下で待ってて。すぐ行くから」
二階昇降口の下駄箱前でアスカは靴を履いたシンジとレイにそう伝えた。
教室に忘れ物をしたのを思い出したのだ。大した物ではない、ダビングして貰ったMDだが今日持ち帰らなければ一ヶ月間聴くことが出来ない。
「ン、じゃあ門のところにいるから、すぐ来るよね」
「シンジみたいにとろくないわよ!じゃあ、取ってくるから」

・・・・忘れた癖に・・・いつも一言多いんだよな・・・・

そうシンジは思ったがそう言えば更に時間が掛かるので大人しく口をつぐむ。
一時的に3人は別方向に歩みだした。

校門で待っているシンジとレイの脇を幾人もの生徒達が去っていく。
時折冷やかすような視線を感じるがいちいち気にしても仕方がない。彼女と街を歩けばさらに多くの視線を集めることになるし、それはアスカと一緒に歩いても同じように冷やかしと嫉妬の視線が集まる。不愉快ではあったがどこかに自慢したい気分が無い訳でもない。

「今日洞木さんのとこ泊まりに行くんだろ?明日は『タイムバーガー』11時だよね」
立ち去っていく学生服の群を眺めながらどことなく不機嫌な彼女に問いかけた。
青く透き通った髪が抜けるような白い肌を一際眩しく映す。
「ええ・・・・そう言ってたわ」
不機嫌さを隠すことなく睨み付けるようにシンジにその不思議な赤い瞳を向けた。
「そ、そう・・・・・でも綾波が人の家に行くなんて珍しいね」
いつも無口な彼女だったが今日はそれに輪をかけて無口だ。朝は機嫌が悪く無かったようだが何かあったらしい。
「でも、ほら楽しいと思うよ・・・うん・・・その・・・」

ジッと見つめている彼女の目に少し狼狽えてしまう。

・・・・別になにもしてないよな・・・・

何か機嫌損ねるような事でもしたかと記憶を探ってみたがシンジに思い当たる節はない。

「あ、ちょうどよかった。二人ともちょっち話あるんだけどさー、今夜暇?」
何か喋んなきゃ、となぜかオロオロしているシンジのすぐ目の前に担任の教師がなに食わぬ顔で現れた。
どことなく含みを持った笑みを浮かべ二人を眺めるが、彼女を見る赤い目はドライアイスより冷たい光を放っている。
「な、なによレイ・・・・ご機嫌斜めねー。まっいいや、ねえ二人とも暇?暇なら家にこない?」
「え?ミサトさんの家?・・・・本部じゃなくて?」

担任教師の誘いはシンジ達にとってもう一つの仕事をすぐ連想させた。だが今回はそれとは違うらしい。
「今夜みんなで飲むんだけど二人とも一緒にどう?焼き肉やるから食べにこない?」
他にも加持とリツコも来るという事だ。
「え・・・いいんですか?はい、行きます!」
シンジは嬉しそうに笑顔を浮かべミサトの予想通り誘いを受けた。美女の誘いだったからかどうかはともかく大人達の集いに誘われたことがこの少年には嬉しかったのかも知れない。
だが少女はそれとは全く逆の顔をしている。

(ねえ・・・・シンちゃん、レイなんかあったの?おっそろしく機嫌悪そうよ)
(さあ、わかりませんよ・・・さっきからなんか・・・・)

ひそひそ話をしながら恐る恐る彼女の表情を伺う。
「あたし・・・・行かない・・・」
いつもより声のトーンが数段低い。地の底から沸き上がってくるような声とはこんな物かも知れないと思わせる。
「あ、ほら、綾波は用があるから・・・えっと・・・洞木さんの家行くんだよね」
シンジは慌ててレイの答えのフォローに入った。どことなく雲行きが怪しくてその予感に耐えられなくなったというのが正直なところだろう。
「あ、なーんだ、もう予定あったんだ。ハハハそうよね、予定あるんじゃ仕方ないわね」
ミサトもシンジに同調する。仕方ないで済めば万事平和なのだ。
しかし・・・・・・・・

「予定が無くても行かない・・・・行きたくないの」

三人の頭上に蝉の声が耳障りなほど降り注ぐ。
道路の先が日中の暑さで歪んで見えた。

「え・・・っとじゃあ、シンちゃん、夕方本部にきてくれる?買い物ちょっち手伝ってよ」
「は、はい、うわぁ楽しみだなぁ・・・ハハハ・・・ハ・・ハ」
二人はまるで何も聞かなかったように今夜の約束を取り付けると互いに白々しいほどの笑みを交わす。
そして様子を見るように再びレイに目を向けたがやはりさっきと変わらないように二人を睨み付けている、いや、ミサトを睨んでいるようだ。
「んっじゃあまた後でねー」

ミサトと愛車のルノーが逃げるように走り去っていった。

・・・・参ったわね・・・何怒ってんのかしら。にしても珍しいんじゃない?あの子が怒るなんて・・・

ハンドルを握りながらミサトは今まで自分の知っているレイの姿と今の姿を重ねてみる。

大人しく逆らうことのない少女。
意志を示すことのない少女。
表情を・・・・表情なんて無かった少女。

・・・・シンジ君かな?まっいいっか・・・・

過去の姿が当てはまらなくなったことはたぶん良いことだろう。
14歳の少女が変わっていくことは当たり前のことなのだから。

「綾波さ・・・・何怒ってるの?」
「・・・・・・別に怒ってないわ」
どうしてもいつも通りに見えないので聞いたのだが当人はあっさりと否定した。
「碇君・・・・葛城三佐のところ行くの?」
「うん、行くけど・・・どうかした?」
聞き返された問いかけにレイは口を閉じる。ただ不満そうな顔をシンジに向けるだけだ。
ブスッとしてどことなくむくれた、だだをこねてる小さな女の子にも見える。
普段感情を出さず、大人びたところがあるだけになんと無く可笑しい。
「・・・・・何見てるの?」
「別に見てないよ。綾波は明日何買うの?水着買うって言ってたよね。この間買えなかったから」
どことなく八つ当たりを含んだレイを軽くかわす。
「判らないわ・・・・・・」
仏頂面のままそっぽを向くと校舎から駆け足で近寄ってくる長い髪の少女が映った。
他の生徒達のあいだを器用に軽快なフットワークでスルッとすり抜けながら近寄ってくる。

「お待たせ!帰ってご飯食べよ」
二人に一際明るい声が軽い足音と共に聞こえてくる。
「どうしたの二人共?なんかあったの?」
仏頂面のレイに笑みを含む困った顔をしているシンジ、なかなか珍しい光景だ。
「何でもないよ。行こう、お腹空いたよ」
シンジにだって説明しようがない、レイの不機嫌の原因が分からないのだ。
今のところ自分に原因がないとは思うがもしかしたら気がついていないだけかも知れない。

「さっ早く帰るわよ!!」
そんなことは取り敢えず放っておいて空いたお腹にご飯を詰め込むことが最優先だ。
シンジの右手とレイの左手を抱えるとアスカはお昼ご飯に向かって走り出した。


ジオフロント。
第三新東京市の地下にある表向きは一応、研究都市。
メインゲートの他にいくつかの表ゲート、一般には知られていない複数のゲートを経て行くことが出来る。
だがそこに行くまでは身分証明と専用のパスカードが必要となり誰でも入れるわけではない。
ジオフロントの内部の外周には民間企業の研究施設が幾つか建ち並ぶ。
そして中心に向かう通路にある厳重なゲートを抜けるとピラミット型の一際大きな建造物がそびえ立っている。
ただでさえ立ち入りの制限があるジオフロントでこの建物にはさらに厳重なチェックによって制限されているのだ。
よってこのピラミット型の建造物に足を踏み入れられる者はごく僅かであった。

特務機関『NERV』
人類が人類であり続けるための最後の砦。

「代わり映えのしない昼飯・・・・・」
「またBランチ・・・・飽きたっすね」
「仕方ないですよ。上に食べに行く時間ないし・・・・」
すでに食べ飽きた食事と見飽きた顔がそれぞれに映し出された。

人類最後の砦にある本部の食堂では重大ではないが深刻な問題が発生している。
このところ詰めていたマコト、シゲル、マヤの三人の顔にウンザリとした表情が浮かぶ。

第四次使徒迎撃戦は市街地に被害はなかったが彼らの仕事が暇になるわけでもない。
倒した使徒の解体、分析、新たに襲来するであろう敵への警戒等々・・・・。
その職務は重大である。

「三人とも不景気な顔してどうしたの?」
見飽きた顔と言えばそうだがこの食堂には滅多に現れない三人の上司が顔を出した。
「夏休みももうすぐだし、少し張り切ったら」
ミサトの場違いなほどの明るさは冷笑を持って三人に迎えられている。

「宿・・・取れなかったんですよ」
「めぼしいコンサートもチケット売り切れっす・・・・」
「友達みんな予定入ってて・・・あたし置いてきぼりです・・・・」

フッと悲しそうな笑みを浮かべながら三人ともミサトから顔を逸らす。
『夏期長期休暇』の取得が許可されたのはつい二、三日前。若い彼らのことすぐさま観光予定を立てたが時すでに遅し。七月下旬に入って宿の予約が取れるほど観光業界は甘くなかったのだ。
『長期休暇』と言う絢爛豪華な馬車がその時点でカボチャの馬車になってしまった。

予定のない荒涼とした夏休みが彼らの前に残されているだけだ。

「あ・・・ほら・・しょうがないじゃない、休暇が決まったのついこの間だったし、ね・・・」

今日は不機嫌な奴によく会う・・・そう思わずには居られない。
ミサトはやはり白々しい笑みを浮かべながら彼らのテーブルに腰を下ろした。
「こんな商売だしね・・・休みが取れるだけめっけもんよ」
こんな商売がいつまで続くのか、そんな疑問が頭の中に浮かんだがすぐに消し去る。
別のことを思い浮かべたからだ。
「ねえ、今日さ家にこない?みんなで飲もうかって言ってたんだけど・・・・」




「ええ、ろごうろごえうあえめわの?」
「おおん、わらうえでわい」
「・・・・・・・・・・・・・・・?」

碇家のリビングでは得体の知れない会話が飛び交っている。
「三人ともご飯飲み込んでから喋りなさい!」
口一杯にチャーハンを詰め込み旅行の行き先について話し合っていたシンジ、アスカ、レイの三人はふぐのように両頬を膨らませていた。

「ん・・・ん、まだ決めてないの?宿無くなっちゃうわよ!全く本当にとろいんだから!!」
「ん、んん・・・しょうがないだろ!アスカが決めればいいじゃないか!」
「あんた男でしょ!もっとビシッと決めらんないの?たまには自分で決めなさいよ!」
ぶ然としたシンジにかまうことなくコンソメスープを飲み干す。
シンジは言いたい放題言われながらも同じようにコンソメスープに口を付ける。
何しろ一言言い返せば10倍になって帰ってくるのだ。昔っからそうなのだ。
ユイやゲンドウにはどこか遠慮を見せる癖に、シンジに対してはそんな物髪の毛一筋ほども見せたことはない。

「アスカちゃん達は今日泊まりでしょ?晩御飯はいいわね。それとも何か持っていく?」
彼ら三人と一緒に昼食を取っていたユイがまだ決まらない旅行より今夜の彼らの予定に話を向けた。
「いいわ、後で材料買いに行くから。レイも焼き肉でいいわよね」
「・・・・・・・別にかまわない・・・・」
どこか観念したような口調で答えるとレイもチャーハンを食べ終えコンソメスープを飲み干した。
「ごちそうさま!上に行って仕度しよ!」
「・・・ごちそうさま・・・」
レイはアスカに腕を引っ張られ二階への階段を上がっていく。
シンジはただ一人食後のお茶を啜っていた。別に急いで仕度する用事は彼にはないのだ。

「あ、母さん、僕も夕飯いいや。ミサトさんのとこでご馳走になるから」
「あら・・・・そう。じゃあ遅くならないうちに帰りなさいね」
「うん、そうする。でもミサトさんとの付き合いだから遅くなってもしょうがないよね」
去年まで『ミサト先生』と呼んでいたが今では『ミサトさん』と呼ぶようになった。
ミサトとの親しさを強調するような、『付き合い』を強調するようなどことなく自慢げな感じがその言葉ににじむ。
ユイには何となくおかしさがこみ上げてくる。
「何か持って行きなさい。作っておくから」
ユイはそう告げると台所で昼食の片づけを始めながらシンジの持っていく『お土産』の下ごしらえもやり始めていた。


一階にいた中学生達は今は二階の三室ある内の一室の部屋にいる。
その部屋は整理整頓されており、机の上のきれいに並べられた参考書には埃は被っていない。
二つの洋服ダンスにクローゼット。その脇にあるちょっとした本棚には百科辞典以外にファッション関係の雑誌が何冊も並びその下にはこの部屋の主が好んで読んでいるコミック雑誌が整列している。
その本棚の一角が空いておりそこに収まっていた旅行ガイドとロードマップに時刻表は彼らの足下に所狭しと広がっていた。

「別にどこでもいいよ・・・アスカの行きたいところで・・・」
「何よその言い方!あたしが我が儘言ってるみたいじゃない!!」
「そんなこと言ってないよ、僕も綾波も別に此処にっていう場所ないし・・・」
旅行ガイドをパラパラと捲りながらレイに顔を向けたが彼女は素知らぬ顔で地図を眺めている。
第三新東京市から西へ東へと地図を指でなぞりながらガイドブックに書いてある道筋をたどる。
彼女の場合『旅行』に行けるだけで満足らしい。
「あんた、たまには此処に行こうって誘ってみなさいよ!」
アスカのベットに横になって彼女の持ってる少女コミックを読んでいたシンジを睨み付けた。
何か自分だけはしゃいで居るみたいで少し面白くない。
二人に一緒にはしゃげとは言わないが少しくらい嬉しそうにしてくれてもいいのにと思う。

・・・・別に行きたくないのかな・・・・

『旅行』には行きたがっているレイはともかくシンジに興味がなさそうなのが辛い。
少しだけ深みの増した青い瞳。

「ねえ、沖縄はもう無理だけど四国とか・・・東北なんてどう?みちのくの旅!なんてさ」
相変わらず漫画に熱中しているシンジに近寄ってガイドを見せながら幾つか候補をあげた。
「ほらここなんか水族館もあるしさ、ここはお魚美味しいんだって!・・・ねえ・・シンジ・・・」
アスカの言葉は上の空ですっかりコミックに熱中している。
「シンジ・・・・シンジ・・バカシンジ!!」
シンジの顎の下にあった枕が引き抜かれ、言葉の代わりに彼女の枕の連打が降り注ぐ。
「な、何するんだよ!」
「人の話聞いてよ!!何よ!漫画なんか読んでさ!行きたくないならそう言えばいいじゃない!!」

もしかしたら彼女は泣いていたかも知れない。
涙は隠したが。

「そんなこと言ってないよ・・・アタタタッ・・・に、新潟行かない?」
「え?・・・・新潟?」

振り上げた枕を下におろしシンジの手元を覗き込むとコミックの他に一冊の本がある。
「何・・・『温泉宿一覧ガイド』?・・・・ジジ臭い!!」
「そんなこと無いよぅ・・・ねえ、温泉行かない?ここなら魚も食べれるし」

シンジの背中に腰を下ろすと彼の持っていた本を手にした。
第三新東京市から車で5時間ほどの距離。
遠すぎないが近過ぎもしない。
「まっ、シンジがそこがいいって言うんならしょうが無いわね。宿の予約してね」
しょうがないにしてはアスカの顔から明るい笑みがこぼれ落ちる。
シンジの肩に手を添えながらレイにも旅行先が『決定』したことを伝えた。
「レイも新潟でいいでしょ?」
しかし彼女は何も答えないまま地図を睨み指でなぞる。
第三新東京市から今度は北へ。
日本海に達したところで指の旅行は終点に到着した。

「ここね・・・・」
彼女にとって初めての旅行。
未だ見たことのない景色に思いを馳せた。その架空の景色の中にはシンジがちゃんと居る。
そして現実の景色の中にも彼の姿はあるはずだ。
だが今の現実も見る彼女の瞳は不機嫌さにいっそう磨きが掛かった。

「別にかまわないわ・・・・・・でも本見せて・・・」
シンジの上に乗ったアスカを押しのけ割って入るとやはりシンジの背中にのし掛かり『温泉宿一覧ガイド』を広げる。

・・・・面白くない・・・・・

何故か今日は面白くないことが重なる。
ミサトの冗談も、彼女が夕飯に誘ったことも、シンジがその誘いを断らなかったことも。
何より感じたことのない苛立ちが一番面白くなかった。

シンジは二人の少女の乗られ面白くない以前に苦しかった。


午後三時のお茶を済ますとアスカとレイは玄関に立っていた。
二人ともジーパンにカラーシャツを着ていたが手にしたバックには明日のための着替えが入っている。
「じゃあ、迷惑かけないようにね」
「判ってるわおばさま。大丈夫よ!」
Vサインを出しながらアスカは笑った。子供みたいな注意だが昔からの出かける際の挨拶みたいなモノだ。
「行って来ます!」
「はい、行ってらっしゃい」

母親と二人きりだとこの家は広すぎる。
そう思うとアスカとレイの居場所がこの家の中でどれだけ広かったか判る。
リビングで寝転がって新聞を眺めていたシンジはちょっとした寂寥感を感じていた。
「なんか静かだね・・・煩いの居ないからかな」
台所で料理している母親は何も答えず炒め物を作っている。
この高級住宅街にあって一際大きな碇家。
昔、幾度と無く「お父さんの仕事は何?」と訪ねたことがあったが明確な答えが返ってこなかった。
今まで父親の仕事を知らなかったが今では何となく納得できる。

「母さん、旅行新潟行きたいんだけど・・・・どう?」
さっき子供達で決めた旅行先を伝えた。
「新潟?・・・・そうね、本部に行ったらお父さんに言っておいて。宿のことがあるから」
ユイも旅行はどこでもいいらしい。
子供達が行きたい所があればそこに行くつもりだった。ただ準備はしなければならない。
「うん・・・・言っとく。宿取れるかなあ」

本部にいる父親。
今まで知らなかった父親。
それが今では当たり前のように口に上る。

「どうでもいいけど葛城さんに迷惑かけないようにね。他にも人が来るんでしょ?」
「うん、加持さんにリツコさん・・・・知らないよね・・・」
加持という母親の知らない知人が居ることがどことなくこそばゆい。
「はい、これ持って行きなさい。少し味濃くなったけど大丈夫よね」
プラスチックのパックに入った惣菜がシンジの前に置かれる。
ミサト達へのお土産だ。
「いいよ、もう・・・・・お節介だなあ」
せっかく大人達の集いに参加するのに母親手作りのお土産ではカッコがつかないし子供扱いされているのも何となく面白くない。
「そんなこと言わないで持って行きなさい。おつまみの代わりにはなるから」
苦笑を浮かべながらシンジを見やる。

・・・・やっぱり大人になるのね・・・・

いつか感じたことが今再び感じることが出来る。
とはいうもののまだ底が浅い。
パックを開けつまみ食いしてる息子はやっぱりまだ子供だろう。

「ほら、遅くならない内に早く行きなさい。待たせたら悪いわよ」


歩いて30分、歩道橋を二つ越え住宅地に入って曲がり角を一つ曲がったところに彼女達二人の目的地はあった。
さすがに碇家のある住宅街とは違うがまだ新しい一戸建ての家が並んでいる。
「洞木・・洞木・・・三丁目・・・・ここの次・・・・あった!!」
備え付けられているチャイムが軽い電子音を奏でるとインターホンから女の子の声が飛び出してきた。
「アスカ?いらっしゃい。今行くから上がって!」

ヒカリの部屋にはクローゼットと机、小さな本棚があり三人は部屋の中央で談笑していた。
「ねえ、もう少ししたら買い物行こう。そこにあったスーパーでいいわよね」
「うん、でもお肉屋だったら向こうの方が安いよ。いつもそこで買ってるんだ」
時折自分でお弁当を作ってるヒカリはこの辺の価格事情に多少詳しいようだ。

ウーロン茶の入った紙コップを口にしながらレイは辺りをきょろきょろ見回している。
きれいに片づけられ所々に人形が置かれている。
何か可愛らしい絵の描かれたカーテン、明るい色のテーブル、明るい色の絨毯。
全体的に柔らかい雰囲気が漂う。
自分の部屋にはない雰囲気。

・・・・・この娘の部屋もきれいだった・・・・

二人の部屋は自分の部屋と違っていた。
いろんな思いで彩られた部屋。

・・・・碇君も楽しそうだった・・・・

アスカの部屋でシンジはくつろいでいた。

「レイ、何きょろきょろしてるの?人の部屋で」
「綾波さん、なんか珍しい物でもあった?」
いろんな物に注目するレイに可笑しそうに声をかける。以前アスカと一緒に美容院に行ったときも落ち着きがなかったがそれと同じだ。
「・・・・別に・・・・・」
二人に顔を向けるとそのまま俯き呟いた。
幾つか思うことを抱えながら。

シンジの視界に無機質な廊下が延々と続く。
すでに見慣れた廊下。

「あ、父さん・・・・あの話が・・・・」
見慣れてるはずの父親は家で見る父親とは違っていた。
近寄りがたい雰囲気を纏い相手に息苦しさを感じさせる。NERV本部の中では息子の彼でさえもそう感じざる負えない。
「何だ・・・・早く言え・・・」
「あの・・・旅行なんだけどその・・・新潟に行こうと思って・・・・宿を・・母さんがそう言ったんだ、父さんに・・・言えって・・・」
親子とは言え勤務中にこんな話をした後ろめたさもあるがそれよりも父親、ゲンドウの威圧感に押されどもってしまう。
サングラスを掛けその長身からシンジを見下ろす。
一瞬この廊下が永遠に続くような錯覚に陥った。
「そうか・・・・後でやっておく・・・・」

ゲンドウは僅か二言でシンジの要求を片づけると廊下の先へと消えていった。

「ふう・・・・なんだよ・・・・」
父親が立ち去った後に何か重石が取れたような安堵感を覚える。
家では感じたことのない、家では見たことのない父親。

・・・・やっぱり、正義の味方じゃないよな・・・ここは・・・

NERVに関わるようになって何となく感じていた不信感。
滅多に見ない勤務中の父親の姿はそれを払拭することはなかった。





「で、あんたは何してんのよ。さっさとつまみ買いに行きなさいよ、どーせ暇でしょ?」
本部内第七資料閲覧室。
葛城ミサト三佐は手にしたファイルを捲りながら疎ましそうに後ろに立つ男に話しかけた。
彼女も女性にしては長身だが男の方はさらに長身だ。
「そんな急かさなくても買うさ。それより少し話しないか?このところ忙しかったろ」
「話?あんたと話なんて無いわよ。・・・・今更何・・・言ってるのよ・・・」
「今だからさ・・・」
エアコンの利いているはずの資料室が何故か暑く感じる。
「5年経ってるのよ!!勝手なこと言わないでよ!!勝手に消えたなら現れないでよ!!」
「だけどこうして逢えた・・・もう一度時計を進められるさ・・・」
本棚に寄りかかったまま二人は動かない。

・・・・勝手なことを言っているのは私も同じね・・・・

会いたくなければ幾らでもそうできた。今日だって加持を誘う必要はなかったし、普段外出の多い加持と顔を会わさなければそうできる。
だがいつの間にかこの男が側にいる。
いつの間にかこの男を捜している。
そしてこの男を見つけた途端にホッとしている自分が居た。

「あんたの車・・・まだ乗ってるのよ・・・何度も捨てようと思ったのに・・・」
「うやむやに済ませたくないんでね、後は葛城次第さ。気が付くかどうかは」
彼女の手にした資料ファイルが音を立てて冷たい床に落ちた。
両手が加持に握られ唇が重なった。
「!!・・・・・ん・・・・・」

両手に力を込め・・・そして少しだけ力を抜く。
五年前に感じた想いを今夕方の資料室で再び思い出した。

・・・・・あたし次第か、ずるい奴・・・・・

少しだけ気がついてみようと思う。
五年前止まった時計がすでにゆっくりと動き出していることを。


「シンジ君、何やってるんだこんなところで?」
「あ、青葉さん、良かった・・・・迷っちゃって・・・・」

目の前に立つ一見軽薄そうな青年にシンジは安堵の息をもらす。
いつも発令所に向かうエレベーターが定期検査とかで使用できなかったため遠回りしている内に見たことのない場所に出てしまった。
ただでさえ広い本部、地下施設まで含めれば内部構造を知らないシンジにとって迷宮のごとし。
「ああ、工事だったからな。それよりきょう葛城さんの所行くんだろ?」
「はい・・・あれ?青葉さんも?」
シンジに自分以外にもマコトとマヤも誘われていることを告げた。
ビール1ケース忘れずに持ってくるように言われたと愚痴ったのが印象的だ。
「そうですか。そうだ、ミサトさん知りませんか?」
「えっと資料室・・・・待ってな、携帯掛けてやるから」
カーキ色の上着から専用の携帯電話を取り出しミサトを呼びだしシンジが来たことを告げる。
「駐車場に行ってるようにって。今案内するよ、あそこも分かり難いんだ。いい加減案内図付けりゃいいのに」
特務機関の施設に案内図と言うのもどことなく変な話だ。
それはともかくシンジもお土産の入った鞄を手にするとシゲルの後を付いていく。
「そうだ・・・・まさか葛城さん・・・手料理とか言ってなかったか?」

問いただすシゲルの表情はシンジの見た限り極めて真剣な物だった。




「おっまたせー、さて行こうか」
「でも・・・いいんですか?まだ四時・・・・」
「いいの、あたしは仕事早いんだから。それにちょっちやる事あるしね」
助手席にシンジを乗せ青のルノーは本部から走り去っていった。
「今日青葉さんとか日向さん来るんですか?さっきそこであって・・・」
「ああ、暇そうだから呼んじゃった。いいでしょ」
「はい、人が多い方が楽しいし・・・」
正直に言えばミサトだけならと思うが別に口にはしない。

第三新東京市の中央を走るバイパスを北に走り15分ほどで彼女のマンションが見える。
7階建てで茶色の外壁、つい最近建てた物らしく汚れはない。
新しい都市に相応しい建物に見える。
「さ、入ってー。ちょっち散らかってるからさ、片づけるの手伝ってくれる?」

・・・・なるほど、そのために早く帰ったのか・・・・

シンジは得心言ったように頷いたが玄関から緊張を感じながらも一歩踏み入れるとその得心はどこかに吹き飛んだ。
「ここ・・・片づけるんですか?・・・今から・・・今日中に・・・」
真新しいマンションの一室は何故か樹海のような有様だった。

「そうよ。じゃ、パッパとやっちゃお」

夕方6時頃すっかり片づいたミサトの部屋のリビングには汗だくになったシンジが疲れ果てた様子で横たわっている。
洗濯に雑誌の片づけ、台所の掃除に食器洗い。掃除機掛けてそれから・・・・。
大体その辺になって記憶が怪しくなった。
「お疲れさま・・・お風呂に入って、今入れたから。汗かいちゃったでしょ」
早速冷蔵庫の中から缶ビールをとりだし一本開ける。
もちろんミサトもサボってたわけではないので疲れた体と渇いた喉にビールが彼女に幸せを運ぶ。

彼女のマンションの風呂場は意外なほど広い。
汗でぐっしょりしたTシャツを脱ぎながら洗濯かごに放り込む。人の家のお風呂は大抵落ち着かない物だが頭の上にぶら下がっている家主の下着が気になってそれどころではない。
「・・・・無神経・・・だよな・・・」
そう思いつつも少し名残惜しそうに風呂桶につかる。
「フウーーーーーー、しかし酷かったなあ」
全身の疲れがお湯に溶けていくような心地よさに身を委ねながらさっきまでの部屋の惨状を思い返していた。
食いかけのカップラーメンに散らばったサキイカ・・・・。
普段の彼女からは想像できる物ではない。
「シンちゃん、あたしのトレーナー着替えに置いておくから。洋服は洗濯機に入れとくね」
ドアの向こうからミサトの声がして慌てて口をつぐむ。
「下着は我慢してね、あたしのって訳にはいかないし」
「は、はいでも洗濯は・・・・・」
長期休暇に入っていた洗濯機のうなり声がすでに聞こえてきたのでそれ以上何も言わなかった。
実際あのままもう一度着るのは少し気持ち悪い。
「ねえシンちゃん、あたしの部屋驚いたでしょ・・・」
「え・・・そんなこと・・・・少し・・・」
ドア越しにミサトの声が再び聞こえてくる。どことなく寂しそうな声。
「誰も来ないからね・・・つい散らかっちゃうのよ・・・・」
誰も来ない、それはミサトがいつもこの部屋に一人で居ると言うことだ。
シンジにはそんな経験がない。
ユイが居て、アスカが居て、今はレイも居ていつも誰かが居た。
誰もいない家じゃないのだ。

もし誰もいなければ寂しいと言うことくらいは判る、しかしそれがどう言った物なのかは判らない。

「ミサトさん・・・・」
「シンジ君、一人じゃないことはたぶん幸せなことだと思うわ。だから人類を守るとかじゃなくて・・・・自分の幸せを守るためにエヴァに乗って。それは今みたいな時代・・・あなたの幸せを守るための武器になるわ」
ミサトの言葉がシンジにしみ込んでいく。
今まで漠然とした日常が幸せなのかと少しだけ垣間見えたような気がした。

「さてと、そろそろあたしもお風呂にしよ、どう一緒に入る?」
さっきまでとはうって変わって明るい声でシンジに冗談を口にする。
「バ、バカ言わないでよ!そんなことより部屋片づけてくださいよ!全く」
からかうミサトにすっかり顔を赤くして抗議するがドアの向こうで笑い声が聞こえる。
やはり面白がっているらしい。
「ヘヘヘ、今度来るときは片づけとくわ」

・・・・たぶん誰か来ると思うから・・・・

唇をそっと指でなぞった。


「ほらレイ、そっち焦げてるわよ」
「アスカ、そこ焼けてるわ」
「・・・・・焦げた・・・・」

洞木宅のリビングでは電熱コンロの上でお肉が食欲を誘う香りを放つ。
いったいどれくらい食べたろう。
空になったパックが2,3枚転がっている。
「でもあのドラマ結構面白いわよ」
「あたしあの俳優好きだし。でもアスカ好みじゃないね」
「・・・・熱い・・・」
会話ごとに焼き上がった肉を一枚、気が付かない内にパックをもう一枚。
四人前あった肉と野菜はあっという間に姿を消し五人分の食材も今消えかかっていた。
「食べたらこれ見ない?家から持ってきたんだ、水着カタログ」
「ホント!うん、見る。明日買うの決めなきゃ」
もっともここで決めたって明日街中をウロウロするのだがそれでもカタログを見るのは楽しい。
「綾波さんはどんな水着買うの?」
「・・・・青と白」
「やっぱりワンピース?」
「判らない・・・でも青と白」
焼き肉をほうばりながらレイは答えられる範囲の事を答えた。
ワンピースがどんな物か今ひとつ思い浮かばない。
「でも明日一緒に見よ、いっぱいあるから。碇君も来るんでしょ」
ヒカリの言葉にナスを食べていたアスカがにやりと笑みを浮かべた。一つ彼女に隠していることがあるのだ。
「そうねーーー、明日楽しみねーー」

「明日休みだから飲むわよーーーー」
何本目か判らないビールをミサトは開けた。
此処でも焼き肉だが今日シンジの持ってきた『お土産』はすこぶる評判が良く2パックあったそれは瞬時に消え去っている。
特にマコトとシゲル、マヤはひどく感動して殆どこの3人が平らげたのだ。
マヤに至っては「作り方聞いてくれないかしら」とレシピをシンジに頼んでいた。
シゲルが心底心配した『葛城さんの手料理』は無い。

「葛城さん、飲みますねえ。何本目っすか?」
「お、マヤちゃんも飲むねえ、見かけによらず」
「やだー、まだ四本目ですよぅ」
「ミサト、いい加減にしときなさいよ。すぐ調子に乗るんだから」
そんな喧噪の中でシンジはコーラを飲みながら焼き肉を突っついていた。さっきから一頻りミサトにからかわれマヤにいろいろ聞かれ食べてる暇がなかったのだ。
彼らもシンジという面白い『おもちゃ』で存分に遊んでいたのかも知れない。

・・・・みんな酔ってるんだから・・・・

マコト、シゲル、マヤの三人にリツコに加持にミサトの計7人が今日の宴会の出席者となった。
彼らの会話は止むことなく笑いと共に流れていく。
訳の分からない怪しい組織を構成している彼らは別に怪しくはなかった。

「シンジ君、んん、司令は・・・・お父さんて家でどんな風なんだ?」
マコトの投げかけた質問はこの場の全員の興味を引く。
シンジに視線が集っていく。
「え?・・・父さん?・・・・あの・・・普通なんですけど・・・・」
家ではとっても変、とはさすがに言えない。だが周囲はそれでは許してくれない。

「どう普通なの?状況は詳しく書き留めなさいといつも言ってるでしょ」
理科担当教師は普段授業で言っていることを口にする。
彼女の目は真剣そのもので抗うことは出来そうにない。
「・・・えっと・・・母さんに頭上がらないし・・・その・・・洋服脱ぎっぱなしにしてるし」

今度はマヤが口を挟む。
「えーー!!あの司令が?ねえシンジ君、司令って時々奥さんに怒られてるの?」
「は、はあ・・・・時々・・・・」

おおっというどよめきが彼らの中に起こる。
何しろ彼らが見ているのは『NERV司令、碇ゲンドウ』であって今のシンジの説明とは大きく異なる姿なのだ。
酒の肴にはぴったりな話題である。
「あの司令がねえ・・・・・へえ・・」
なにやら感心したようなシゲルに加持がビール片手に笑いかけた。
「人は二つ以上の顔を持つ、司令だってそうさ。不思議じゃないよ」
すっかり焦げてしまった野菜を鉄板の上からどかしながらリツコは加持の顔を眺める。
何となく複雑な表情だがそれでも笑みを取り戻すと口を開く。

「じゃあ加持君はいくつの顔持ってるのかしら?私の知ってるのは三つの顔だけよ」
「さあな、多すぎて忘れたよ」


ピンクのチェックの寝間着に着替えたアスカの口から小さなあくびがこぼれる。
「え・・・もうこんな時間?ヒカリ、そろそろ寝ない?」
「うん、明日もあるし・・・そろそろ寝ようか」

今彼女達が居るのはヒカリの部屋ではなくもう少し広い居間にいた。
そこには布団が三つ並んで敷いてありその上にはカタログが無数に散らばっていた。
今お風呂に入っているレイが来ればいつでも寝れる体制だ。

「ねえアスカ・・・綾波さんて変わったよね」
「うん、最初より変わったと思うわ。明るいのとは違うけど・・・・」
強いて言えば表情が増えたのかも知れない。
「あたし綾波さんの友達かな?」

今日無理に呼んでしまったのかと少し不安になった。
あまり話したこともないし仲が良いというわけでもない。もちろん嫌いではないのだが。
ただ自分がもしかしたら無神経で人のことを考えてなかったと気になったのだ。
「あの娘・・・あんまり判らないけどヒカリが友達になってくれたら喜ぶと思う。あたしだって嬉しかったし」
うまく言葉に出来ないから自分の思った通りの事を言葉にした。
嘘のない正直な言葉で。

「ありがと・・・あたしもアスカが居てくれて嬉しいし・・・綾波さんも居てくれると」
少し照れくさくなってヒカリは言葉を濁した。
だが嘘じゃない。
友人であって欲しい。
せっかく逢えたのだから。


・・・・あたし何で此処にいるの?・・・・

湯船に浸かったレイはさっきから同じ事を何度も繰り返し問いかけた。
自分が此処にいる理由が良くわからない。

・・・・でも嫌じゃない・・・・

不快でもなく不安でもない。
シンジが今までくれた物とは違う、孤独ではない感じ。
今までそれが気になったことはないがこうしてみると今までの自分が悲しく見えてしまう。

・・・・あたしは一人じゃないの?・・・・

自分を受け入れようとしているヒカリ、彼女の存在は不思議だった。
今までシンジ以外に受け入れてもらう必要はなかったのに、今は違う。

・・・アスカも・・・洞木さんも・・・友人?・・・・

周りの人たちが次々と自分に絡んでくる。
誰かが側に来るたびに自分も変わっていく。

・・・・碇君言ってた、変わるのは良いことだって。でも変わっても碇君、あたしに気が付いてくれる?・・・・

どこかでシンジの声が聞こえたような気がした。

「綾波さん!大丈夫!?」
「レイ!聞こえる?・・・・・全くのぼせるまでお風呂入ってるなんて」

湯気を立て、白い肌を赤くして布団に横たわっている彼女を二人は一生懸命扇いでいた。




すっかり夜も更けミサトのマンションの周囲にある家から明かりが消える頃。
「シンジ君寝ちゃいましたね」
ミサトのトレーナーを着たまますっかり夢の国に行ってしまった中学生が床に転がっていた。
「いいわよ、そのまま寝かせて置いて。今日は遅いから泊めるわ。家にはあたし電話しとくから」

加持がそっとシンジを持ち上げるとミサトの布団に寝かせる。
「ん・・・ん・・」
少し寝返りをうち、枕に顔を埋め再び眠りについた。
「可愛いですね・・・フフッ・・・まだ中学生ですもんね」
マヤはシンジの寝顔を少し眺め寝室の扉を閉めリビングへと戻る。
山のような空き缶にすっかり空になったパック類をリツコが一生懸命片づけていた。
散らかっているのが気に入らない性分らしい。
次々と袋に放り込んでは山積みにしていく。
「よく飲んだわね・・・・殆どミサト・・・という訳でもないか」
彼女の視界の先にマコトとシゲルの撃沈した姿があった。
「マヤ、その二人起こして。そろそろ引き上げましょ」
あらかた片づけ終わった部屋を満足げに見回す。
一人きりで過ごすには広すぎる部屋。
「ん、もう帰る?・・・そうか、もういい時間ね・・・」
ミサトは残ったビールを大事そうに冷蔵庫にしまいながらすっかり片づいた部屋に感動した。
「有り難うリツコ、持つは綺麗好きの友人ねえ」
「良く言うわね。シンジ君に手伝わせたんでしょ・・・・本当にずぼらね」
少しニヤけるミサトの顔にリツコは苦笑を返す。

久しぶりに会話のあった彼女の部屋。
ミサトの表情がどことなく明るいのも気のせいではないだろう。

「あ、葛城さんごちそうさまでした。また呼んでくださいね」
「じゃあ、俺達帰るから・・・シンジ君よろしくな」
「んじゃあ、ご馳走さんでした」

玄関先で小声の挨拶を交わす。もう普通の人たちは寝ている時間だ。

「じゃあね、あ、三人とも明日遅番でしょ。悪いんだけどこの間のファイル此処に転送してくれる?片づけちゃうから」
「はい、判りました。比較データどうしますか?」
「一緒にお願い、それと日向君、迎撃システムの稼働試算よろしくね」
「了解、週明けには出せますよ」

アルコールが回っていることなど感じさせない。
彼らが階段を降りその姿が見えなくなるまでミサトは見送った。

「さてと、あたしも寝るかな」
誰もいなくなったリビングはいつもより寂しく思える。
煙抜き用の換気扇を止めると物音はすべて消えた。だが今日はまだ人の気配が残っている。
壁一枚隔てた向こうに。

・・・・今日は一人じゃないか・・・・

どこからか毛布を引っぱり出し体に掛けると壁に寄り添うように眠りに落ちていった。


「今日は静かだな・・・フッ・・・居ないからか」
独り言とも会話とも取れる言葉を口にしながらゲンドウは周囲を見回した。
姿が見えなくとも居ればそれなりに賑やかだが今日は三人とも外泊だ。
「この家、広すぎるわね・・・二人だと」
ユイはゲンドウがシンジと同じ言葉を口にしたと気が付いたとき改めて父子だと実感した。
そしてユイもまたシンジと同じ想いを口にしていた。

「いずれはそうなる。・・・・その時は引っ越せばいい・・・」

シンジ達がこの家をいつか巣立つ。その時自分達はそれを見送ることが出来るのか。
判らなかった。
ゲンドウにもユイにも。
その時にならなければ判らない。

・・・・判らない振りしてるのかも知れないわね、あたし達・・・・

窓から見える月明かりがやけに眩しかった。

駅のホームから降りた二人の男女を無粋な月明かりが煌々と照らしている。
「眩しいくらいだな」
「そう?わたしは好きよ。知ってる?やましい者は月を恐れる・・・闇に逃れられないからって」

加持の顔に笑みが浮かぶ。不敵ではない子供みたいな笑顔。
「そうか・・・逃げ場が無くなってしまうな」
ふと目を向けるとリツコの細い指に銀色の光が反射した。
「わたしの所忘れていったでしょ、迂闊ね加持君」
銀色のリングは彼の腕時計。
この間立ち寄ったときに忘れたらしい。

「悪いな、どこに忘れたかと思ったよ」
そう言いながら腕にはめ歩き出した。

人は誰もおらず街灯の明かりだけが人の居ない道を照らしている。
静寂と闇が支配するほんの一時の時間。
やましい者達が安堵の息を付く一瞬。

「ねえ加持君、その時計わたしの部屋に置いておこうと思ったのよ・・・・」
「なんでだ?」
月は闇に希望を与え、魔女に力を貸す。
微笑みは闇より暗く、そして寂しさに満ちる。

「ミサトが来たらテーブルの上に出しておこうと思って」

続く

綾波
次に行け・・・

ver.-1.00 1997-08/15公開

何かありましたらこちら!!お気軽にどうぞ

 ディオネアさんの『26からのストーリー』第12話前編、公開です。
 

 言葉を出さず、ただただ睨み付けるだけのレイの怒り・・・
 怖すぎる(^^;

 でも、そう言う風に感情・思いを外に出せる、外に感じさせるようになった彼女。
 変わっていっているんですね。
 

 アスカとレイに乗られたシンジ・・・・
 羨ましいなぁって言うと余りにもお約束のコメントになってしまうか(^^;
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 50KB超の長文を書き上げたディオネアさんに感想メールを送りましょう!


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