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26からのストーリー

第十話:おもい、言葉(前編)




少女は窓辺に立っている。
ベットで横になっても眠りの国の使者は現れず、ただ一人取り残されてしまった。
真夜中を煌々と照らす月はレイが気に入ったようで今暫く手元に置きたいようだ。

無色の世界、月の明かりはすべての色彩を持ち去り灰色になった街並みを残す。

・・・・悲しい街・・・・

見慣れた住宅街は異世界の光景へとその様相を変容させていた。
そしてレイはたった一人、月の作り出した景色を眺めている。

・・・・あたしと同じ・・・・・

視界に広がる灰色の光景に自らを重ねてみた。

・・・・違う、一緒じゃない・・・・

否定。
この家での『生活』と言う時間はレイにそう否定出来るだけの『色彩』を持たせた。
そして否定しようと思うだけの心を持つことも出来た。

・・・・色がないのは寂しい・・・色がないのは悲しい・・・

・・・何故?・・・前はあなたもそうだったでしょ?そして悲しくなかったでしょ?・・

・・・・見つけて貰えないもの・・・気が付いて貰えないもの・・・・

心の中の問いかけに今は答えを持っている。
そして外の景色もまた朝が来れば様々な色で満たされるはずだ。

レイがそうなっていったように。


「朝よ!朝!!世話焼かさないでよ!忙しいんだから」
アスカの明るい声と共に布団をはぎ取られたレイは不平満々だ。
「・・・・・・・・・・・・」
「遅刻するわよ!さっさと起きて。シンジも起こさなきゃいけないんだから!」
いつもなら早くから食堂でお茶を啜っている筈のレイが今朝は姿を見せなかったのだ。
ユイの「起こしてあげて」の要請を受け、アスカの出動となった。
「じゃあ、先に下行って。バカシンジ起こしてくるから」
「・・・・・・・・・」
ユイの用意した飾り気はないががっしりと安定感のあるベットからその身を起こす。
叩き起こされたレイは無慈悲にも眠りを妨げたアスカを一睨みすると、かなり大きめのクローゼットからいつもの学生服を取り出し、ゆっくりと着替え始める。
その様子を確認するとアスカはこの部屋の隣にあるシンジの部屋へと向かった。
アスカの毎朝の仕事である。
今朝は一件余計に依頼があったが。

やがてレイの耳にアスカの怒鳴り声が聞こえてきた。

食堂にある大きなテーブルには人数分のイスと朝食の準備がほぼ整っていた。
ユイの運んできた食欲をそそる香りと暖かそうな湯気の立ち上る大根のみそ汁で終わりらしい。
「手伝えなくてごめんなさーい。レイがいつまでも寝てるんだもん」
アスカは未だにむっつりしているレイを横目で見ながらユイに詫びる。
いつもならシンジを起こした後、準備をレイと共に手伝うのだがその相棒を起こしていたのでそれが出来なかった。
「あらいいわよ、今朝はレイもゆっくりね」
優しい微笑みを絵に描くとこうなる、そんな笑顔で二人を席に着かせた。
「あ、おじさまお早う」
「ああ、お早う。・・・ん、バカはどうした。まだ寝てるのか?」
シンジが未だ席に着いていないのでそう訪ねたのだ。
だが訪ねられた彼女はその中の一言が気に入らなかったのか食堂と廊下を繋ぐ厚めの扉に目を向けただけだった。
アスカの視線の先、ゲンドウの斜め後方からいつもと同じぼうっとした顔のシンジが現れた。
「・・・お早う・・・・・・・なに?」
「ふっ、相変わらずはっきりしない顔だな。バカなのかマヌケなのか」
新聞から目を離さずゲンドウは言ってのけた。だが言われた当人はまだ頭がはっきりしないのか何も言い返さずアスカとレイのとなりの席に腰を下ろす。
「・・・お早う綾波・・・・眠いね・・・」
「・・・・・・そうね・・・碇君も眠いのね・・・ふぅぁ・・・」
二人とも半分ほど瞼が落ちかかっており、レイなどはあくびをかみ殺している。
「だらしないわね二人とも。朝くらいシャキッとしたら!」

それぞれの湯飲みに注がれている透き通った緑のお茶を口に含む。
熱いお茶は彼らの口の中に清涼感を残しこびり付いた眠気を洗い流していく。
朝から様々なおかずの並んだテーブルに三人は箸を延ばした。


「アスカお早う」
教室に入って真っ先にアスカを迎えたのはお下げのに合うそばかすの少女だ。
「あ、お早うヒカリ」
鞄を自分の席に放りあげると親友の元に走り寄り、そして早速おしゃべりを始めてる。
シンジなどにしてみれば毎日顔を合わせているのに何故そんなに話す事があるのか不思議でならない。

「ようシンジ、お早うさん。」
「あ、おはよう・・・・」
「なんや、相変わらずはっきりせん顔しとるのう・・・・ぼやーっとしとるっちゅうか」どこかで聞いたようなトウジとの今日最初の会話だ。しかし毎朝誰かに「ボウッとしてる」だの「はっきりしない顔」だの言われるとさすがのシンジも少しだけ気になる。
「そうかなあ・・・」
自分の顔を掌でなで回してみた。

確かにシンジの顔は中性的で顔だけなら女の子のようにも見える。実際小さい時はアスカの妹と間違われた事もあった。もっとも瞳の色にすぐ気が付き妹ではないと訂正して貰えるのだが果たして女の子じゃないと思って貰えたかどうか。

「・・・・どうしたの?」
「う、何でもないよ・・・」
シンジの顔を覗き込むレイに慌てて手を振る。
「シンジの奴自分の顔にちゃんと目鼻が付いてるンか心配になったんやろ」
笑いながらシンジの机に腰掛けた。たわいのない冗談を口にするトウジの視界に「三バカトリオ」のメンバーの一人であるケンスケの姿が映る。
通学鞄を机に置くとシンジ達の元に来て早速仲間に加わる。
「よう、昨日のTVみた?UFO特集やってただろ?」
ケンスケの言葉をきっかけにここでもおしゃべりが始まった。

担任の葛城先生が姿を現すまで十数分間の生徒達だけのホームルーム。
議題は自由。
あちこちでクラスメイト達がわいわいやっている中で一人、外を眺めるだけの少女がいる。

・・・・綾波、友達いないのかな・・・・

会話の合間にふとレイを眺めたシンジは無感情な瞳に一抹の悲しさを感じた。
自分にもそれ程友人がいるわけではない。
ここにいるトウジとケンスケくらいだ。しかしそれでもこうして話をする事が出来る。
一人でいないで済む。

・・・・寂しくないのかな?・・・・

レイの周りにだれも友人がいない理由は分かる。
レイ自身がそれを望まないからだ。
シンジの知っている自宅でくつろぐ姿も、訓練の時の親しさも他人にはその片鱗も見せない。
最初にあった頃と同じ誰も受け容れない彼女の姿。
シンジにはレイが一人でいることより、その事を受け容れられ平然としていられる事の方が悲しい事のように思えた。

「・・・・シンジ、シンジ!どないしたんや」
意識を下界から切り離し一人の少女に向けていたシンジをトウジが引き戻す。
「なに?・・・何か言った?」
「何上の空になってるんだよ、駅前のゲーセンに行こうって言ったんだよ」
デジタルカメラの無機質な瞳がシンジを見つめていた。もっともシンジに向ける前はプラチナブルーの少女がモニターに映し出されていたのだ。
カメラの被写体ならシンジよりよほどましだ。
「ゲーセン?・・・・・・・ゴメン、今日も用事あるから・・・」
この所ずっとそう言い続けているような気がする。
訓練、訓練、訓練・・・・
「何やシンジ、ここんとこ付き合い悪いで・・・用事って何や?」
人造人間エヴァンゲリオンに乗って重火器の射撃訓練・・・・とは言えない。
ケンスケ辺りならそれこそ『涙を流して』羨ましがるだろうがそれはそれで迷惑な話だ。
「何か買いに行くのか?それなら俺達も付き合う・・・・」

「・・・・碇君、私と一緒に用事があるの・・・・」
いつも“傍観者”の指定席から動こうとはしないレイがお世辞にも『愛嬌』や『友愛』とは無縁な瞳を二人に向けた。
「せやから何の用事や・・・・」
「・・・・用事があるの」
より一層冷気をはらんだ視線が二人に投げつけられ彼のそれ以上の質問を封じた。
「さ、さよか・・・・せやったらしゃあないな・・・」
溜息をつくシンジは二人の友人に謝った。心の中で。

「じゃあ、今度貸して!」
「うん、今度持ってくるから。結構載ってるよ、この本」
新刊のファッション雑誌の話題にアスカとヒカリの顔に笑みがこぼれる。
ちょうどその時、担任教師のミサトの入場となった。
「じゃ、後でね」
アスカは自分の席に戻り、ヒカリはそれを確認すると号令をかけた。
「起立、礼、着席」

「おっはよー。さて出席取っちゃおうか。えー相田君・・・」
生徒の前で暗い表情を見せないミサトは今日も明るい調子で名を呼んだ。
欠席者は誰も居らずシンジもレイも特に変わった様子はない。毎朝のチェックが終わりホームルームへ移る。
「さてと、修学旅行の積み立てと予定表のプリント渡すから家に帰ったら渡しといて」
ミサトが最前列の生徒達にそのプリントを配りそこから後ろに渡っていくに従い修学旅行の話題へと変わっていった。

何処へ行くのか。
誰と一緒に組もうか。
どんな風に過ごすか・・・・

ミサトはざわつく教室を暫く為すがままに任せた。この手の話題はひとしきりさせてしまった方がよい。それよりこういう機会にクラスの人間関係を見ていた方が面白い。
確かにミサトの思惑通り数人のグループに分かれ始める。
シンジはトウジ、ケンスケと、アスカはヒカリとその他数人のグループの中にいる。
レイは数秒間プリントを眺めた後、鞄にしまい込み外を眺めていた。

・・・・あちゃ・・・やっぱそうなるか・・・・

どうもレイが変わったと思っていたのは訓練の時に限定されたものらしい。
相変わらずうち解けようとはしないレイがそこにいた。

「はいはいはい、そこまで。後は休み時間にして。じゃあ、一時間目は国語だから教科書出しまっしょう」

出歩いている生徒達は各々の席に戻り教科書を出し始めた。
「えっと今日は『山椒魚と私』の第二章からね。エーここで山椒魚が言いたかった事は・・・・・」


「ほらそこよそ見しないの!真面目にやらないと怪我するわよ」
各班の様子を眺めながら落ち着きのない生徒に注意を促した。
「毎年指吹き飛ばすバカや顔中にガラス突き刺すマヌケがいるけど大抵落ち着かない子がやるのよねえ」
当人は冗談のつもりだが注意された生徒はそうは受け取らなかったらしい。
そもそも毎年と口に出来るほど教師生活は長くない。恐らく教師以外の体験談だろう。

いつも注意する際にそんな事を口にするものだから生徒達から意外と人気がない。
しかし一切気にする事無く黙々と授業を進めている。

「じゃあ、そろそろ時間だから片づけて。あ、廃液の処理は静かにやりなさい。それ手にかけるとケロイドになって残るわよ」
生徒達はリツコ先生の言いつけをよく守り無駄口一つ叩かず実験器具を片づけ始めた。

二時間目終了のチャイムが鳴り響く。
「はい、じゃあ今日の結果はまとめて次回に提出しなさい」
ようやく緊張に満ちた化学の時間が終わった。

「ふう・・・さて次は・・・あら、何か用ミサト?」
「へへへっ暇になったから。ね、コーヒー入れて」
四時間目の授業まで暇なミサトが早速サボりに来たのだ。取りあえず文句を言われずにサボれるのはリツコの管理している『理科準備室』しかない。
「呆れた・・・・ここは喫茶店じゃないのよ。・・・・・ほら、熱いわよ」
入れたてのコーヒーが注がれたマグカップを手渡される。
「サンキュー・・・ねえ、リツコの授業っていつもあんな感じ?」
「やだ、見てたの。いいのよ、少し脅して置いた方が言うこと聞くし」
ミサトに言葉はなかった。

周囲を無数の実験器具に囲まれ、小さな流し台と事務机。
NERVにある彼女の研究室と変わらないくらい飾り気のない部屋。
以前に寄ったことのある彼女の部屋もやはり何の飾り気もなかった。
彼女がリアリストだから、そうかも知れない。だが執拗なまでに不要な物を省いているような気がする。

・・・あの時から・・・
少なくとも大学で初めてあったときはそうではなかった筈だ。

ふと机の上に置かれている『現代日本U』と書かれた教科書を眺めた。
理科教師のリツコには不要な物なので恐らく誰かの忘れ物だろう。
「さっきの授業で教科書間違えて持ってきた子がいてね、おまけに忘れてったわ」
苦笑しながらリツコが教えてくれた。
緊迫した雰囲気から解放された瞬間に気が緩んだのだろう、とミサトは想像している。

ぱらぱらとそれのページを捲りながら、その内の一ページに目を留めた。
「なになに・・・セカンドインパクトは大質量の隕石の落下により・・・・」
「まあまあね、嘘にしては。原因が何であれ死体の山があちこちに出来たのは事実だし」
カップの中は不透明な黒い液体で満たされていた。
リツコは殆ど表情を変えず教科書を嘘と決めつける。
彼女達は嘘を付く側に属していた。

「今更事実なんて出せないわよねえ・・・・」
「いいんじゃないかしら、原因がないと不安になるけど在ればそれが例え嘘でも安心するわ」
「見えない真実より見える嘘か・・・ま、そんな所ね」

彼女達もTVは見る。
そしてそこに真実など無い事を知っている。
それは彼女達の所属する組織が正常に機能している事の証しだった。

「十五年前か・・・あたしさあよく覚えてないのよねえ。気が付いたときは病院だったし」「そう、幸せよ、それって。・・・もう忘れてもいいんだけれど・・・なかなかね」

十五年前にも聞こえていた女子生徒達の黄色い声が廊下に響く。
窓の外には生まれて十五年立った第三新東京市が無数のビルを生やし、その存在を示している。
この間の第三次迎撃戦により不通になっていた東海道線はリニア線と共に復旧され何本もの列車を通し動脈たる役割を再開していた。

「忘却は神様の贈り物・・・か。使徒を倒して何年か経ったらあたし達のした事も忘れるのかしらね。傷だらけになっててもさ」
「傷なら直るわよ。たとえ醜い傷跡が残っても傷口は塞がるわ・・・生き残っていればね」



「何や深刻な顔しとんなあ・・・」
「駄目・・・死んだ・・・・数学のテストなんて聞いてなかったよ」

三時間目の数学が終わったと同時にシンジは精も根も尽き果てた様子で机に倒れ込んでいた。
数学は苦手・・・と言うより全教科苦手なのだがその中で一際苦手な数学で小テストが行われたのだ。 何の予習もしていない上にあまりに突然なテストは初っぱなから負け戦だった。
それは他の二人、トウジとケンスケにも当てはまるがちょっと違う点がある。

「シンジ、あんたまさか平均点下回る事無いでしょうね。このあたしが教えてるんだからそんな事はないと思うけど」

誰にも文句を言われなければそれで済むのだが、淡い栗色の髪をたなびかせ、サファイアさえ石ころに見えるような綺麗な光を放つ瞳、数億分の一の確率でしか配置させられないような目鼻立ちの整った顔。
アスカの視線はシンジには痛かった。

「多分・・・・その・・・・大丈夫なような気が少しだけ、もしかしたらするかも・・・」
もはや結果を見るまでもない。
「何よそれ!あの程度のテストくらいで!情けないったらありゃしない」
象牙細工のような手で顔を覆う。
あの程度のテストが出来なかったのはシンジの脇にいる二人も同様である。
「惣流!何やその言い方は!誰にかて得意と不得意ちゅうもんが在るンや!」
「そうだぜ、一方的に言ったら身も蓋もないだろ」
別にシンジを庇ったわけではない、シンジと一括りになっている彼らとしてはやはり反論しておかねばならない。
ただあまりにも土台が弱かった。
「ふーーーーーん、じゃあ得意な物とやらを見せてよ」
「そ、そりゃ・・・なあケンスケ、見せてやれや」
「うっ・・・・シンジ、負けるな!何か言ってやれ!」
「その・・・・次がんばるよ・・・」

もはや太刀打ちしようが無かった。
元々成績が学年で常にトップの彼女に『三バカトリオ』如きでは役者不足も甚だしい。

「せやけどイイやないか、三食おまんまの食べれる健康が何よりや」
苦し紛れとしか言い様のない唯一の拠り所をトウジは口にした。彼が怪我や病気で休んだ事はシンジ達の知る限り一度もない。
ケンスケとシンジは顔を伏せる。この手の言い訳はアスカに通用しないのだ。
その筈だった。
「そ・・・・そりゃそうだけど・・・・でも・・・少しくらい勉強したって・・・」
この反応は三人の予想を遙かに超えている。
ふとケンスケは一つの記憶を探り当てた。
連鎖的に繋がっていく記憶の触手は一つの結論を導き出していく。

・・・あの時のシンジの怪我か・・・まだ・・・・

「悪いな惣流、まあ長い目で見てやってよ。俺達だってやるときはやるんだからさ」
慌てたそぶりをまったく見せずケンスケはそう言い終えるとトウジに目を向けた。
「ま、そう言うこっちゃ。シンジかて一生懸命やっとンのや、やさしゅうしてやってや」
恐らくケンスケの思惑とは相当ずれた事を口にするトウジ。
巧みにシンジを庇ってやる立場に鞍替えしたようだ。

「えっらそーに。シンジ、あんたテスト帰ってきたら特訓だかんね!」
シンジは恐れ入るしかない。
やがてアスカはヒカリの元に行き再びテストの話を始めている。
ヒカリとの場合彼らとは異なり「あ、そこ一問間違えちゃった」だの「こっちの計算式の方が早いわよ」だの彼らの時とはえらく違う会話の内容になっていた。

「はぁ・・・シンジも大変やなあ」
苦笑いで答える。
それだけ今まで点の悪かったテストがあったと言う事になる。
しかしその程度の事で落ち込んでいては身が持たないのですぐ忘れるようにしている。
「なあシンジ、綾波も勉強できるのか?・・・数学とか・・・」
ケンスケの視界の端に何かの本を読んでいるレイの姿が入り込んできた。
「さあ・・・聞いた事無いし・・・でも出来そうな雰囲気だよね・・・」
そう口にしながらシンジは考え込んでいる。

・・・よく知らないよな・・・綾波の事・・・

以前は聞きたい事が沢山あったが、様々な出来事がそれらを押しやっていった。
レイが訪れたと共にそれまでとは180度変わった生活。
変わり続ける日々に対応するのが精一杯で、日々沸き上がってくる悩みで精一杯で未だに振り返る余裕はなかった。


「碇、補完委員会から来たぞ」
司令官執務室で冬月副司令は一枚の報告書を重厚な執務机の上に差し出した。
『設備拡充計画予算請求回答書』
仰々しいほどの題の下に幾つもの項目に別れた回答が書かれている。
古今東西、書類と管理職は永遠の恋人同士にあるらしい。
NERV司令である碇ゲンドウは無言のまま冬月に目を向けた。
「予算は通った。彼らも金を出し惜しむ訳にもいくまいな」
その答えだけで満足したのかそれ以上は何も問わず、顔の前で組んだ手の奥にその表情を隠す。

ジオフロント、第三新東京市、NERV、いずれもその運営資金は『人類補完委員会』から拠出されている。
それ故日本政府は一連の事柄に発言権を大きくそがれ、日本国内で起きている事件にも関わらず蚊帳の外に置かれていた。
もっともその運用資金は国連で集められる『特殊災害救済協力金』と言う名目で国連加盟各国から集められ、勿論日本もそれは払っている。

「金くらいは惜しまずに出して貰いたいものだな」
冬月は皮肉そうな笑みを浮かべ予算回答書をゴミ箱にねじ込んだ。
「それより昼はどうする?何か頼むか?」
「ああ、ざるでいい・・・・」


第三新東京市の地下で昼飯を口にしている父親とは対照的に、彼の頭上にはやや曇っている空が広がっているが校舎の屋上で弁当を食べるのに差し障りはなかった。
シンジは今のところ地上での生活に重点を置くことが出来る。

「今日は二人共パンなんだ」
地上にしか用のない二人は学食のパン数種類を手にしている。
その中でも特に競争率の高いカツサンドとデラックス焼き肉サラダサンドをそれぞれ二個ずつ確保したのは特筆に値するだろう。
「ほな食べようか・・ほれ、ジュース買っといたで」

それぞれ腰を下ろすと食事を始めた。
それなりに広い屋上には彼ら以外にも数グループが食事をしておりシンジがゲンドウに聞いた「昔は屋上に上がることは出来なかった」というのは嘘だと確信している。

「やっぱこの間撮った奴TVに出なかったよ・・・・」
クリームパンを口にしながらボソッとケンスケは呟く。
特ダネとしては文句の付けようのない映像だったのだがそれ以外の理由で排除されたのだ。
分かってはいた。
以前自分でも口にしたようにこの件には何か見えない壁のような物がある。
ただそれを自ら感じる事によって改めてその大きさを実感したのだ。
「しょうがないよ、避難命令の時うろつくのは・・えっと・・・不法行為なんだから」
一応正当な理由を付けてみるが勿論納得するはずもない。
「バカだな、どこのTVだってそんなもん関係ないさ。特ダネなんて法律なんて守ってたら手に入らないんだよ」

ケンスケの言い分に理はない。
そもそも中学生の彼にそこまでして特ダネを追う必要はないのだ。
「きっと凄いの撮って・・・・驚かせてやるんだ!」
「誰をさ・・・・」
シンジは控えめに問いただした。

・・・・絶対にTVになんか出ないんだよ・・・・

シンジには判っている。
幾らケンスケが夢中になってもそれを叶えられないと言うことを。

「ほな、怪我せーへんようにガンバレや」

トウジは希少価値の在るカツサンドを大事そうに頬張りながら熱のこもらない返事を返した。
最初の内はあまりの事に血が上ってケンスケと行動をともにしたが元々それ程興味があったわけではない。
更に時間が経ってしまえば頭も冷え、熱中の度合いも下がるというものだ。

シンジはそんな様子をやるせない顔で眺めている。
ケンスケ達は何も知らない。彼らに限らず大半の人達が何も知らずに暮らしている。
そうさせたのが碇ゲンドウという自分の父親である事は心穏やかと言う訳にはいかなかった。
そしてその一端に自分も属している。
かつては多数の中の自分。
今はケンスケの行為を快く思えない立場にいる。
彼の欲しているもの、違法行為をしてまで欲しているものをシンジは持っていた。

誰も知らない情報。

『秘密』という名の魅力的な囲いの中にシンジはいるのだ。
期待される特別な立場の人間、かつて自分の居た場所と大きく違うポジション。
その事は友人に対する奇妙な優越感をもたらしていた。


もはや公認の赤木リツコ専用室と化した理科準備室で彼女とミサトはいつもここで昼食を取る。
職員室で食べてもいいのだがあまり他の教師と関わり合いを持つのは、自分達の役目上好ましくない。

「どうするの?あの子の事・・・相田君て言ったっけ?」
リツコは食べ終わった出前の天丼を机に置くと思い出したように口を開いた。
「何の事だっけ?・・・・・ああ、あれね。うん、その内手を打つわよ」

彼女達の話題に上ったのは相田ケンスケの撮影した映像の事だ。
TV局に持ち込まれた時点で誰の撮影した物か判明している。市内の人間であれば避難者リストのチェックから外れるからそこから絞り込んでいけばいい。
更にTV局のすべてにNERVの人間が入り込み放送内容および持ち込み映像の確認、その身元の調査等確認できる事はすべて行っているのだ。

「あなたの受け持ちの生徒なんだから何とかしなさい」
無機質そのものとしか言いようのない声で対応の催促をする。
映像など幾らでも抑えが効くがシンジやレイ、そして自分達の素性がばれるのは不味い。
それが自分達の身近な人間というのも実に好ましくない。
場合によってはケンスケ本人の身柄を拘束する必要も生じてくる。
無論ミサトはそれと同じ考えだ。

「そこまでしたくないけど、必要ならね・・・・」
一応ミサトの権限で在る程度は押さえておくことが出来る。現にケンスケは今のところ逮捕も拘束もされずに登校しているのだ。
彼女なりに何か思うところがあるらしい。
「それより零号機の改修計画どうなってるの?いつまでもシンジ君に危ない橋渡らせらんないわよ」
「順調よ、このまま行けば来月には作業に入れるわね」
「あっそ、急いでちょうだいね。これは作戦部長としてのお願い」

ちょうどその時五時間目のチャイムが鳴り響いた。


「ほなケンスケ、行こうか」
「ああ・・・・シンジの奴もういないぜ。何だったんだ用事って?」
教室の掃除も終わり半数ほどのクラスメイト達は既に帰路に就いている。
トウジ達も駅前のゲームセンタへすぐに向かうつもりだった。
シンジを誘うのは諦めていたがそれにしても居なくなるのが早い。そしてプラチナブルーの髪の少女も姿を消していた。
「案外デートやったりしてな。シッシッシ」
別にシンジが誰とデートしようと二人には関係ないがやはり友人として充分興味が湧く。
だがそれより今はゲームセンターで新しいゲームをやる方が重要であった。

「ヒカリ、帰ろっ」
すっかり片づいた教室の中で彼女を見つけるとアスカは走り寄っていく。
「うん、あれ?碇君はいいの?」
シンジと帰ることの多い彼女がこのところ自分と一緒に帰ることが増えたので多少気になっていた。
喧嘩している様子ではなかったが。
「・・・うん、何か用事あるみたいだし。それよりこのあいだの店行こう、新しいブローチ入ったかも」
特に何か買いたいわけではないが真っ直ぐ帰っても仕方がない。
ヒカリも別にそれ以上追求はせずアスカの言う店に付き合うことにした。

「あ、ちょっと待って。鈴原!来週から日直当番だからね。忘れないでよ」
学級委員長でもあるヒカリがこの手のことを素早く忘れるトウジに釘を刺す。
それが学級委員長の役目だから当然、と当人は思っているのだ。
「あいよ、惣流とやろ。分かっとるがな、サボったら殺されてしまうわ」
軽く手を振りながら二人の前から姿を消す。
アスカは何か言ってやろうと思ったが何も思い浮かばなかったのでそのまま見逃してやった。
自分達も掃除が終わりすっかり片づいた教室から姿を消した。

「綾波、今日のテストどうだった?」
「・・・あまり分からなかった。よく・・・出来なかったみたい」
『ジオフロント入り口』停車の市営バスに乗り込んだ二人は二人掛けの座席に腰を下ろすと今日の数学のテストのことを話していた。
レイの口調はどことなく明瞭ではなかったがシンジには気にならなかった。

それにしてもこのところ訓練はほぼ連日でさすがにシンジは不満である。
今日だってトウジ達に誘われていたのだがそれに答えることは出来なかったのだ。
言い訳すら出来ない。
訓練の必要性は分かるし理解もできる。必要ないと思えるほど自惚れても居ない。
とは言え彼だって仲間と一緒に遊びたいし家でのんびりとしたい。
「どうしたの?」
不満が表情に出ていたのだろう、レイはそんなシンジの様子が気になるようだ。
「何でもないよ、このところ連日だから・・・・綾波は誰かと約束とかないの?」
言った瞬間に愚問だと自分で分かった。
レイが『友人』と話したところなど見たことがない。
それ以前に友人なる者がいるかどうかさえ怪しい。
細い首を左右に振りながらそんな物がないことを告げた。そしてその事が何の気にもなっていないようである。
シンジはそれ以上の質問を止めた。
聞けば何か答えを返してくれるだろうがこれ以上立ち入る気にはならなかった。

バスは順調に駅前通りを抜けていく。
最新近代都市の風景に不釣り合いなボンネットバス。
「利用者に親しみやすい形を」との名目の元、採用されたかなりのレトロデザインのバスだ。
板張りの床に濃い紫のシート、ブザーの鳴る停車ボタンとかなりこった造りだが中身は最新EV車で外装も特殊軽合金の『形だけレトロ』の見本のような車。
だからといって誰の迷惑でもないので回収もされず堂々と公共の足として活躍している。

賑わいは通りを進むに連れ大きくなっていく。
メインストリートだけあって無数に建ち並ぶ店舗やデパートは相変わらずの人出だ。
これが休日になれば比較にならないくらいその数を増やす。
相変わらず艶やかな街並みは今のシンジにはよけい魅力的に映る。本当なら悩むことなくこの場でトウジ達と遊んでいたのだ。

・・・生活が変わるって、こういう事なのかな・・・

流れ去っていく街並みを眺めながらシンジは変わっていく自分の生活を見たような気がした。

『駅前通り』のバス停に着くと大半の客はそこで降りていく。この先はジオフロントゲートまで直通で大抵はここで降りる。
その周囲には民家もなく数件の飲食店があるだけで一般には用のない場所だ。

「碇君・・・辛いの?」
ずっと窓の外を眺めているシンジは窓に映っているレイが自分を見つめているのに気が付いた。
「・・・・今までと変わってきてるんだ・・・いつもと一緒と思ってたのに」
眺めている景色はいつもと同じ。
だが『ジオフロント入り口』などというバス停に用はなかった。
『訓練』と言う言葉に用はなかった。
ケンスケの言葉を気にすることもなかった。

そしてアスカに嘘をつく必要もなかった。

「でも碇君・・・変わるっていい事だって言ってたわ・・・」

レイの不安そうな瞳が向けられる。
変化を感じたのは彼だけではない。

シンジの記憶の中にたわいのない日常会話の一つが浮かぶ。

・・・・・・・いい事なの?・・・・

多分・・・いいんじゃないかな・・・

自分の無責任さを呪いたくなった。レイの受け取っていた言葉の重さを思い知らされた。
シンジの左手が堅く握られる。
「うん、いいと思うよ。ただ戸惑っただけだから。今までと違うから・・・」

せめて少しでもよくなるように、そう感じられるように。
たとえそれが嘘に過ぎなくとも。

『終点、ジオフロント入り口。お降りのお客様は忘れ物の無いよう・・・』


NERV本部内の廊下には缶ジュースを手にした職員達がちらほら見受けられる。
忙しいとは言っても午後のお茶の時間くらいは確保できるようだ。
そこかしこに設置されている休憩所やそれぞれの職場ではそばにいる上司の悪口以外の話でそれなりに盛り上がっていた。

そんな彼らを尻目に彼女の仕事はこれからである。
上級幹部用の個人用更衣室でミサト先生から葛城三佐に変身を遂げた彼女は既にゲートに入った二人の中学生を迎えに行く途中だった。

「テレッテテレッテうっさぎのダンス・・・・」
鼻歌混じりの軽い足取りはシンジの訓練結果が予想以上に向上しているからだろう。
教え子の出来がいいと教える側にも張り合いというものが出る。
彼は器用に物事をこなせるタイプではないので結果が良かったことは意外でもあり嬉しい誤算でもあった。

「ご機嫌だな葛城。何の歌だい?」
「・・・・・・葬送行進曲よ」
ご機嫌な顔は声を掛けた男の出現で無表情のお面を被った。
NERVのNo.3 に馴れ馴れしく声を掛けられる男は彼一人だけだ。
上司の二人はそれ以前の問題である。
役職では加持より上官になるが仕事以外の部分でそれを可能にしていた。
人なつっこく、それでいてどこか人を寄せ付けないような笑顔は大半の女性にはなかなか好評であったが目の前の彼女にはそうではないようである。

笑顔以外の部分がそうさせた。

「何の用?自分の仕事したら?」
「いや、葛城の新しい恋人を品定めしようと思ってね」
どうやら訓練に付いてくるつもりらしい。
本来ならそう暇な身分でもないのだが。
ミサトは何も言わずそのまま歩き続ける。口を開く労力すら惜しむほど疲れが出たように感じていた。

マイペースを崩さず、かといって強引でもなく雲のようにつかみ所の無い男。
五年前に彼女の隣にいた時もそうだった。
空気のようで、居ないとすぐに分かるような・・・・
「あんたよりいい男よ、素直でひねて無くて。無精ひげも生えてないし」
ミサトはシンジをそう評した。
そして加持が以前自分の恋人であったことを頭の中に蘇らせていた。

「何で帰ってきたのよ・・・五年も経って・・・」

長い廊下には誰も居らず彼女ら二人だけの足音が響いている。
手にしているクリップボードを無意識のうちにもてあそぶ。
口にしたい言葉は山ほどあるし、ついてやりたい悪態は頭の中で渦を巻いている。
それも五年分だ。
一人でため込むにはそろそろ重くなる。原因となった者に少し分けてやろうと思った。
だが場所と、時と、そしてミサトの「新しい恋人」が目の前に姿を現したことでそれらは次の機会に持ち越すこととなった。

「ようシンジ君。元気だったか?」
シンジ達が来るのが早かったのか、それとも知らないうちに歩みが遅くなったのかエレベータに着く前に顔を合わせてしまった。
「加持さん・・・でしたっけ。・・・・こんにちわ」
名前も顔もしっかりと覚えていたがあえて疑問調で挨拶をする。
彼の持っているすべての邪気を隠すような笑顔で挨拶に答えた。だが隣にいるレイの瞳からは相変わらず警戒と言う名の剣が加持に向けられている。
「シンジ君、駄目よこんなのと口聞いちゃ。ろくでなしが移っちゃうから。さっ、行きましょ」
ミサトはシンジとレイを連れ地下の訓練場に向かうべくエレベータに乗り込んでいった。


平日三時過ぎの街中は彼女達と同じように学生服を着た若者達でそれなりの賑わいを見せている。
そして何か買うわけでもなく友人達と様々な店を回ってはお喋りを楽しむ。
『駅前通り』には学生のそんな要求を満たす様々な店が建ち並び、そして食欲旺盛な彼らの欲求を満たす飲食店にも事欠かない。

そんな中の一軒『タイム・バーガー』の窓際に二人の少女の姿が見えた。
一人は手元にあるアイスティーと同じ髪の色の少女といかにも真面目そうな、髪をお下げにしている少女。
「あのシャツ、ヒカリに似合ってたわよ」
アスカはここに立ち寄る前に覗いたブティックの事を持ち出した。明るい水色のシャツは彼女によく似合っていたと思う。
しかし衝動買いするには値段が許してくれなかった。
「でもあのブラウスだってアスカによく似合うと思うな」
彼女の言葉は返礼に過ぎない。
アスカは何を着ても似合うと思う。
白い肌に青い瞳、整った目鼻立ちは歳を経るに連れ『美女』へと導くだろう。
彼女を見る度、思春期相応のかすかな嫉妬がブレンドされたほろ苦い思いを抱くのだ。

アスカに友人は意外と少ない。
トウジ達は例外としても女子ではヒカリくらいな物だ。

何よ、いい気になってさ!
ちょっと可愛いからって図に乗って!
少しくらい勉強が出来るからって見下した態度して!

ヒカリが知っているアスカへの陰口の一端だ。
綺麗、スポーツ万能、成績優秀、これがそろっていることは、女子の同級生達の嫉妬心を大きく駆り立てる。
皆、表だっては言わない。
皆、仲良く話もする。
だが彼女の居ない場所での評価はアスカに責任のない部分で下されていた。

「ねえアスカ・・・今度うちに泊まりに来ない?次の日買い物にしたりしてさ!」
ヒカリの唐突な提案は一瞬アスカを戸惑わせたがすぐ笑顔になる。
「うん!!絶対行く!!ねえいついつ!?・・・やっぱ金曜日がいいなあ」
「うん、来週の金曜日お母さん達出かけちゃって誰も居ないんだ。来てくれる?」

小学生並に子供っぽい笑顔を見せながらヒカリの誘いを受けた。

・・・みんな知らないんだ!アスカは一生懸命なだけじゃない!・・・

多分自分は恵まれている、ヒカリはそう思う。
一生懸命でなくとも受け容れてくれる両親が居る。
優秀ではなくとも大勢の友人が居る。

そしてアスカを弁護できるほど余裕を持つ自分が居る・・・・・

目の前で本当に嬉しそうにはしゃいでいるアスカを見ると彼女を誘ったことがまるで同情しているからの様にも見え、そしてそんなことを思う自分に酷い嫌悪感を感じていた。

「ヒカリ、今度ここ寄ってみない?ほら、結構安いみたい」
どこかで見つけた広告のチラシを取り出す。
『サマージャケット入荷!!夏へ向かって支度しよう!』
例に載せられている値段はとても魅力的だ。
「じゃあ、これ飲んじゃお!」
未だ半分以上残っているアイスティーを二人共慌てて飲み干した。


「おりゃああああああああ!!」
レバーを気合いと共に手前に引くとそれに合わせ背中に重力を感じる。
警報が響きランプは黄色から赤へと変わる。
全身を揺らす衝撃。
画面にゲームオーバーの文字。

「あかん!何や気持ち悪うなったわ」
「どうでもいいけど大きな声出すなよ・・・恥ずかしい奴。敵はとってやるよ」

ケンスケはこういう物はクールに決めてこそ意味がある、とそれなりの美学があり、わずか数分で撃墜されたトウジに変わり360度回転式の巨大なゲーム機に乗り込む。
行きつけの『ゲーセン』に新規入荷されたゲーム機が今日の目玉だ。
網膜投射式のゴーグルを付け気分はエースパイロットになっている。

「ほな・・・ガンバレや・・・・うえっ・・・気持ちわるう・・・」
ぐるぐる回されたので三半規管はパニックを起こしトウジにまっすぐ立つことを許さなかった。
周囲を見渡せば同じ様な状態の学生が少なからず居る。
いずれも意気込んで乗り込み返り討ちにされた面々だ。

数分後ケンスケもその仲間に加わった。

「うっ・・・・駄目だ・・・世界が回る・・・」
このゲーム機の凄まじさをトウジと共有する羽目になった。

それにしても今では順番待ちの列を作っている。
何故か身体的に負荷が掛かればば掛かるほどこの手のゲームは人気がでるらしい。

「なあ、シンジの奴何してんのかなあ。最近付き合い悪いよな」
「しゃーないやろ、人それぞれや。せやけど綾波も一緒やろ、その辺居るンちゃうか?」

設置されているベンチに腰掛け、コーラを口にする。
今まで共に放課後を過ごした仲間が居ない、しかもその理由が分からないのでは付き合いが悪いと言われても仕方がない。
「わい・・・そろそろ帰るわ。妹が帰ってる頃やしな」
「そうだな、俺も帰る。カメラのチェックもしておきたいし・・・」
二人はゲームセンターを後にした。
三人の内一人欠けただけだが今ひとつ盛り上がりに欠ける。
何となく未消化のまま家路へとついた。






「じゃあ、帰るね」
「うん、あたしも・・・そうだヒカリ。あたし来週日直なんだ・・・」

アスカはどこかニヤッとした笑みを浮かべながらヒカリに話しかけた。名簿順なので来週はアスカが当番だ。
「あたしさあ、来週忙しいから誰か代わってくれると嬉しいなあ」
ヒカリに代わって欲しいと言わんばかりに彼女を見つめる。

名簿順。
惣流アスカ・ラングレーの前に『杉田』や『関根』と言った名字の女子生徒が居ないので『鈴原』と言う名字の男子生徒と一緒に日直をすることになっている。
「あ・・・・あのさ・・・もし・・・忙しいんなら・・・・」
「ホント、誰か代わってくれるといいなー」
うつむいたヒカリを覗き込み、好意的な笑みを浮かべる。
別に意地悪してる訳ではなくヒカリが何を期待しているか手に取るように分かるのでついからかってしまう。
「だから・・・・あたし・・・忙しくないし」
「じゃあ、代わってくれる?」
コクッと小さく頷き、頬が朱に染まったのは夕日のせいだけではない。

「じゃあね!」
「うん、バイバイ」

走り去って行くヒカリを眺め彼女が友人でいてくれることが嬉しく思えた。
それにしても・・・

・・・・バカシンジの奴、もう帰ってるかな・・・・

下校からヒカリと共に夕方まで時を過ごした。一人きりで過ごすには少し長すぎる時間。

シンジがもう帰っているはずだ。
何処へ行っているかは知らないし、誰と一緒にいるかも知らない。
知りたくもないし聞きたくもない。

・・・・そうすればまだ悲しまないで済むから・・・・

ついさっきより赤く染まり始めた空の下を『我が家』に向かって歩き始めた。


「ようやくこれでシンジ君達ものんびり出来ますね」
マヤは訓練結果を満足げに眺めているリツコに話しかけた。

つい先程シンジ達は訓練を終了し、帰宅したがその際にミサトは「今後訓練は通常スケジュールに戻す」と告げていた。

「そうね、ここのところ少し無理させた感じだったから」
だがその甲斐あってシンジ達の上達ぶりは十分な物になっている。
「反応速度、命中率、フィールド展開速度・・・充分ね」
リツコの手にしている分析結果にはそれを示す数値がはっきり現れていた。

「でも・・・何か嫌ですね・・・中学生なのに遊べないでこんな所で訓練させるなんて・・・」
マヤの顔に陰りが生じる。
集中訓練の終了を告げられたシンジが嬉しそうな顔をしたのを思い出していた。

ほかの中学生達は放課後の時間を部活に使う者もいる。
遊びに使う者もいる。
いずれも自分達で選んだ時間の使い方だ。

シンジ達は違う、自分で選んだ訳ではない。自分で決めただけだ。
一方的なそれも選びようのない二者択一を目の前に出され選ぶことを強要されて。

「やっぱり、可哀想だと思います・・・」
「じゃあ、貴方に何がしてあげられるって言うの?何にも出来ないんなら下手に同情しない事ね。偽善よ、そんなのはミサトだけで十分だわ」

より一層陰りを生じたマヤがそこにいた。

「何だ、シンジ帰ってたんだ」
アスカが碇家の広い庭に出ると珍しくシンジが庭木に水やりをしていた。
レイも着替えを済ませジーンズとデニムのシャツというラフな格好でそばにいる。
だがどういう訳か二人共びしょ濡れだ。

当然のように尋ねるアスカに返ってきた答えは彼女を十分に呆れさせた。
レイがホースの先を踏んでいたので圧力に耐えきれなくなったホースが取り付け口から外れ勢い良く吹き出した水を仲良く被ったらしい。

「あんた達バカァ!?どうしてそうヌケてるの?」

二人共不機嫌そうな顔をしているが本当に不機嫌だった。
自分達もしみじみそう思っていたからだ。

「何だよ・・・えらそうに・・・しょうがないだろ、急に吹き出したんだから」
一応抗議はするが自分でも間が抜けていると思っているので遠慮がちだ。
レイはアスカと顔を合わせようとしない。
「いいわよ、あたしも水やり手伝うから。・・・レイ、そっち繋いで」
アスカは腕まくりしながら二本目のホースを蛇口に繋いで水やりに加わった。この二人に任せて置いたらいつ終わるか知れたもんじゃない。

いつもはアスカがやっていた仕事だ。

碇家は建物も広いが庭もやけに広い。
塀に囲まれた庭には数種類の庭木が植えられ、季節が来れば木蓮だの椿だのが咲き乱れる。
木々の合間には誰の趣味なのか盆栽が適当に置かれ、アスカとユイの趣味なのか花壇も作られている。

小さい時から見続けた庭。
今は一人の少女がその庭の中に加わっている。

「ほらバカシンジ、ボケッとしてると水かけるわよ!」
「や、やめろ!うわっ、冷たいよ!」

ホラホラと口にしながら強めた水をシンジに引っかけ始めるアスカ。
六月下旬の夕方は蒸し暑さがきつくなり始めている。
今日のようにはっきりしない天気では尚更だ。かけられた水はむしろ気持ちいい。

「この!」

シンジも手にホースを持っている。
狙いは庭木からアスカへと変更された。

「バ、バカシンジ!!ちょ、止めなさいよ、このバカァ!」
シンジもレイも普段着だがアスカは制服だ。
だがシンジは遠慮なくホースを向ける。

通常スケジュールの訓練への変更、アスカの知らない事でシンジははしゃいでいた。

ホースの先を細め逃げるアスカをずぶ濡れにしていく。
「いつもやられてるばっかりじゃない!食らえ!!」
「何よ、生意気に!!返り討ち!!」
シンジに何も聞かないために、二人を疑わないために彼女は一生懸命はしゃぐ。

・・・・重すぎるもの、言葉なんて・・・・

何かを振り払うかのように水をまき散らす。
「あ・・・ゴメン!」
アスカのホースの先に水を滴らせているレイが立っていた。
「・・・・・・冷たい」
元々びしょ濡れだったのでさして気にもならない、が、シンジをまねて逆襲することにした。
「碇君、・・・ホース貸して」

碇家の庭に水が弧を描いて様々な方向に飛び交う。
時にはシンジ対アスカ、レイ。
時にはシンジ、アスカ対レイ。
組み合わせを幾通りにも変えながら二人の笑い声を織り交ぜて続く、夕方のほんのひとときの時間。

シンジは思う。

・・・・綾波だって誰かと仲良くなれるんだよ・・・・

それを口にするには、今少し彼自身の成長が必要だった。


買い物から帰ってきたユイが水だらけの庭と三人を眺め呆れ返っている頃。

「駄目です!!攻撃に効果は確認できません!!」
国連軍太平洋艦隊所属、空母『ガイナス』の艦橋で悲鳴に近い報告がなされた。
「巡洋艦沈没!!・・・そんな一撃で・・・」
悲鳴はやがて絶望への嘆きと変わる。
美しい輝きが伸びる度に海軍兵士は炸裂する船と運命を共にしていた。

「・・・待避だ!!全鑑回頭!!」

この命令が後五分早ければこの指揮官は、自らに襲いかかってくる一際強い輝きを見ないで済んだかも知れない。

「第四次使徒迎撃戦」は太平洋遙か沖合でそのファンファーレを響かせた。

続く


お次の番だよ

ver.-1.00 1997-06/28公開

いらっしゃいませ。感想ですか?苦情ですか?ご意見など如何でしょう?こちらへどうぞ(^^;;


 ディオネアさんの連載『26からのストーリー』公開です。
 

 好評連載を続ける『26からのストーリー』、
 その回数もついに二桁の10!
 あっ、前後編の話もあったので回数は12ですね(^^;
 

 連載当初からのディオネアさんお得意の
 比喩表現、凝った言い回し、
 絶好調に展開してますね。

 明るいだけでない心中の葛藤。
 愉快なだけでない日常。

 そこにまた訪れた使徒・・・・・
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 連載話数10を記録したディオネアさんにお祝いのメールを!!


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