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26からのストーリー

第十話:おもい、言葉(後編)




梅雨明け宣言を待たずして此処、第三新東京市は嫌みなほど晴れ渡っていた。
煮え切らない気象庁を急かすように新聞の紙面を『もうすぐ海開き』の見出しが踊っている。
リビングから見渡すと、庭の草木も通りの街路樹も既に夏色の洋服に衣替えしていた。
誰もがすぐそこまで来ている夏に向けての準備を大急ぎで揃えているのだ。

革張りのソファーから役目を明け渡された籐の長椅子は、一人の少女を乗せている。
時折リビングに駆け込んでくる朝の風にその淡い栗色の髪を揺らし、真剣な表情で一冊の本を読んでいた。
『お得意さま専用カタログ。夏用』
駅前メインストリートに店を構える大型高級デパートのカタログだ。
アスカがその青い瞳を輝かせ見つめているのは水着のページ。

・・・色が駄目!!・・・・デザインが悪い!!・・・これはいいけど・・・

思考に合わせ柔らかい赤みを帯びた唇をモゴモゴと動かす。
週刊漫画程の厚さだがその辺の雑誌とは比べ物にならないほど上質の印刷を施したカタログは『夏用』と銘が打れているだけあって、水着のページは数十ページに及ぶ。
種類も国産から外国産、幼児から大人、見せる水着から競技用まで『水着』と名のつく物全てを網羅する勢いだ。
アスカが『駄目』の烙印を幾つ押そうと、まだ尽きることなく新しい品物を提示する。
「コレなんかいいかな・・・・・でもこっちも・・・・うーーーーー」

朝、郵便受けの中に有る新聞のついでに、大層に包装されたそれを持ち込んでからずっとこの調子で眺めていたのだ。

毎年送られてくるカタログを最初に見たのはいつの頃だったか。

綺麗なお洋服の載ってる絵本を小さな手で一生懸命ページをめくり、気に入ったのを見つけてはユイにそれを自慢げに見せる。
「この服すっごくかわいいの!」
次の日には彼女の枕元にすごく可愛い服が置かれていた。
そして絵本をカタログとして見るようになってからは、それを口にしないようになった。

「ふう・・・そろそろ時間ね、さてと・・・」

マガジンラックの上に置かれている狸時計の針は8:30を指し、アスカに一つの仕事を思い出させる。
放っておけばいつまでも寝ているシンジを叩き起こさなければならない。
たとえ土曜日の休日と言えども、いつまでもだらだら寝ているのは許されないのだ。
特に今日は大切な用事がある。

「シンジならレイちゃんが起こしに行ったわよ」
台所で朝御飯の支度をしていたユイは、階段に向かったアスカをそう呼び止めた。
アスカが何をしに階段に向かったのか察しがついたらしい。
「・・・ふうーーん、じゃあいいわ。朝御飯の支度手伝う。えっと・・・じゃあ食器並べてるわ」
いつも食事の支度を手伝っているため、手順に悩むことなく仕事に掛かる。
「えっとシンジ・・・レイ・・・おばさま・・・おじ・・・おじさまは?」
そう言えば朝からゲンドウの姿が見あたらないことに気がついた。いつもなら起きて新聞を読んでいる時間の筈なのだが。
「仕事よ。休日出勤ですって」
「あっそ、大変ね。それじゃ四人分ね、おっちゃわーんっとおっはっしにおっさらー」
ゲンドウの休日出勤については深く問わず、リズムを取りながら食器を並べ始めた。
軽快な音楽が聞こえてきそうなステップで食器棚とテーブルを楽しげに行き来している。

今日の『用事』が彼女を浮かれさせていた。


夏が間近なのはカレンダーをめくることなく知ることもできる。
毛布を蹴飛ばし半袖の寝間着で寝ているシンジを見ている彼女も季節の移り変わりを感じ取った。

「・・・・起きて・・・・」

さっきから幾度もそう呼びかけているのだが全く動く気配がない。

「碇君・・・時間よ・・・・」
シンジの両肩に手を添え揺すってみる。
アスカのように蹴飛ばして文字通り叩き起こす、という訳にもいかない。あれはアスカだけの特権だ。

「・・・ん・・・ん・・・あ・・・」

シンジの両目が渋々とその役割を果たし始める。焦点の合っていない視界の中に人影が有った。
「アスカ・・・・?・・・綾波?」
ショートカットの少女がシンジを見つめていた。
「おはよう・・・・アスカは?」
「今日はあたしが起こしに来たの・・・・時間よ。起きて・・・」
ほんの少し自分を主張するように返事を返すと、シンジは昨日したアスカとの約束を思い出した。

・・・・・・・・

「明日買い物行かない?暇だし。綾波も一緒に」
訓練予定が通常スケジュールに戻り、休日を休日として過ごすことが出来るようになり、昨日の夜アスカとレイを買い物に誘ったのだ。
取り立てて理由があるわけではないが強いて言えば、このところみんなと出かける機会がすっかり減っていたので、久しぶりにと言う奴だ。

「めっずらしー!!シンジが買い物なんて。いいわ、付き合って上げる。そのかわり寝坊するんじゃないわよ!!」

アスカが瞳を輝かせながら即OKの返事を返す。

「あたしも・・・行っていいの?・・・・」

レイも躊躇いがちながらにコクッと頷く。
人混みは嫌いだがそれ以上に『シンジとのお出かけ』に魅力を感じていた。

こうしてシンジは二人の少女をデートに誘うことに成功したのだ。
たとえ本人にそのつもりはなくとも周りから見れば羨ましい限りだろう。

・・・・・

ようやくベットから起きあがり起きざる負えないことを悟った。
ここで『やっぱり眠いから取りやめ』などとは恐ろしくて口に出来ない。
それ程までに二人は嬉しそうだった。
「下に行きましょ。朝御飯出来てると思うわ・・・」
レイは階段を下りるシンジの後ろ姿を見つめている。

・・・誘ってくれた。気がついてくれた・・・

今までの連日の訓練に不満はなかった。
必要な事であり、何よりシンジとレイだけしか参加できないのだ。
だがそれは命令されてのことであり、誘われた訳ではない。

今日は彼女の自由意志で買い物に行くのだ。
そのきっかけを与えてくれたシンジの背中を見つめた。


「ほらさっさと着替えてきなさいよ!寝間着で街に行くつもり!?」
アスカが懸命にシンジを急かしていた。
ようやく食事が終わったと思ったらのんきにお茶などを啜り、のんびりくつろいでいるのだ。
レイなどはさっさと着替えに行っていると言うのに。
「すぐに着替えるよ・・・うるさいなあ・・・まだ九時半じゃないか」
「十時にはお店開くでしょ!さっさとしなさいよ。時間が勿体ないでしょ!!」

アスカは一分一秒も無駄にしたくない。
久しぶりなのはアスカも同じだった。
もはやシンジの腕を引っ張り飛び出していきそうな勢いだ。
その様子からは夕べ遅くまで洋服を選んで今朝は寝不足だなどとは想像できない。
「判ったよ・・・ふぁ・・・母さん、お小遣いちょうだい。少しでいいから・・・・」

その頃レイは自分の部屋で洋服を並べたまま途方に暮れていた。

・・・・何着ればいいの?・・・・

制服でも、ジーパンにTシャツでも、ましてやプラグスーツでもない。
選ぶ、などと言うことが今まで無かった彼女に、目の前の洋服達は難しい問いかけをして来る。

「ちょっとレイ、何してるの?・・・・入るわよ!」
ノックの後数十秒待ったが何も返答がないので扉を開けてみると、洋服の海の中でそれを眺めているレイがいた。
「まだ選んでるの?夕べのうちに選んで置けばいいでしょ」
アスカの無慈悲な言葉に不平の色を白い顔に浮かべる。

レイの部屋の洋服達は夕べからこうなっていたのだ。

「何着たらいいか・・・判らない・・・」

その一言でアスカは大体の事情が判った。
「うんとね・・・パンツは・・・コレ!!その色に合うのは・・・このシャツ!!」
無数の洋服の中から次々と選び出していく。
「何で・・・選べるの?・・・」
ボソッと口の中で呟く。
「何言ってるの!?自分に似合うの選べばいいだけじゃない」

忙しそうにしながらもレイの質問に答える。
アスカにしてみれば馬鹿馬鹿しい問いかけだと思う。
「それに似合ってるって言われれば嬉しいでしょ。そう思えば選べるってもんよ!」
「誰もそんなこと言ってくれなかったわ・・・・碇君だけ・・・」
そのシンジにしてからセンスとは無縁であった。
今までだってそんなことはなかった。

寂しげな赤い瞳がアスカには印象に残る。

・・・・あたしだって此処にいなきゃ・・・・同じかもね・・・・

自分の中でこの家に依存している部分がどれだけ大きいか、レイを見ているとその姿が別のアスカと重なる。

「ほらこれでよし!さっさと着替えてよ。でないと置いて行くんだから!」

レイは急いで着替え始める。
一分一秒が勿体ないのは彼女も一緒だった。


ジーパンにダボダボのTシャツ姿のシンジ。
行動は一番遅いが着替えに全く手間が掛からなかった分、一番早く支度できた。
着替えたと入ってもいつもの普段着だ。
お出かけにしてはパッとしないこと甚だしい。

「シンジ、これ持って行きなさい」
先にリビングにいたシンジにユイは数枚の高額紙幣を手渡した。
その中にはシンジへの小遣いも含まれている。
「ありがと・・・・」
大抵「毎月ちゃんと渡してるでしょ」の一言で断られているので、さして期待はしていなかったのだが。
「ゆっくり遊んできなさい。今まで忙しかったんだから・・・」
台所に立って後片づけをしながら今までを労うように声をかけた。
「うん・・・・そうする」

複雑な思いをしまい込みながらリビングに目を向けるといつもとは違う二人が立っている。

淡いピンクのスカートにピンクのストライプのシャツ。その上にアクセントのベージュのベスト。
アスカが夕べ選んだものだ。

青いチェックのツータックパンツに淡いブルーを基調としたセーラーブラウス。白いニットのベスト。
レイのショートカットの髪がボーイッシュな感じに見える。

「どう、シンジ?似合ってるでしょ!」
自慢げにポーズを取ってみせるアスカ。クルッと身を翻すと薄い生地のスカートが花のように開く。
「う、うん、似合うと思うよ。綾波も感じがすごく変わるね」
似合わないなどとは間違っても口に出来ない。
もっとも確かによく似合っていると思う。
レイなど特に印象がすっかり変わって見える。
「あ・・・あんまり見ないで・・・恥ずかしいから・・・」
普段滅多に着ない服なので何か気恥ずかしい。
「でも似合うよ。涼しそうだし・・・・」
「あたしが選んだんだから当たり前でしょ!ほら行くわよ。じゃ、おばさま行って来ます!」

シンジの腕を引っ張りアスカが先頭をレイがその後をついて玄関に向かう。

「行って来まーす!!」


9:45発の市営バスは定刻通りに到着し三人はそのバスに乗り込む。
まだそれ程混んでいない道を順調に通り抜け10:15には『駅前通り』に停車した。
ほぼアスカの希望通りに開店時間に合わせ着いたようだ。

「どうする?どこから回る?」
「そうねえ・・・・やっぱ水着じゃない」
「あたし何処でもいい・・・・」

よって唯一具体的な意見を言ったアスカに従うこととなった。
何軒有るか判らないブティックの店先には色とりどりの水着が並んでいる。
赤、青、白、柄物に蛍光色等々、色だけでもどれだけ有るか、ましてやデザインまで含めれば星の数ほどその種類は豊富である。

早速最初の店から見ていくことにした。
アスカは並べてある水着を次々とチェックしていく。
「何かどれもいまいちね」
この店にはアスカの眼鏡にかなう水着はなかったらしく場所を移動する。
そしてほかの店でも同じように選び始めるのだ。

「やっぱりアスカの買い物は長いんだよなあ・・・」
下手すると全部の店を見て回りかねない、シンジの胸にそんな悪い予感がムクムクと沸き上がる。

・・・・でも、久しぶりだな・・・・

ガードレールに腰掛けアスカの様子を眺めながら、ついこのあいだまでを振り返った。
いつもはこうして街に出るのが当たり前だったのだ。
しかし今のシンジには当たり前がそうではなくなってきている。

・・・・あのビルはアンビリカル・ケーブルの収納庫、あそこは兵装ビル。あれは監視カメラ・・・

この街の地図はたたき込まれている。通常は知りえないもう一つの街の顔。
六番特殊装甲ビルに隠れターゲットをロック、零号機は12番より援護。
通信機より流れてくるミサトの声が頭のどこかにこびり付いている。

・・・・この隣がライフルの射出ゲート、そこは16番出口・・・・・

生活の場だった街はシンジにとって戦場でもあった。
少しでもそれを忘れたかった。だからこうして街へ出たのだがその景色は今までと違って映る。
いつもの街を久しぶりと思えるほどに。

・・・・何が嫌なんだろ、エヴァに乗ること?訓練?・・・違う・・・そんなんじゃない・・・・

「シンジ、次の店行くわよ。此処もイイの無いんだもん」
いつもより数段暗い表情のシンジに不満顔で話しかけた。
「そう、みんな同じに見えるけど・・・いいよ、行こう」
笑顔に戻して腰を上げる。今日は何軒でも付き合うつもりだ。
いつもそうだったから。

アスカを先頭に二十数m先の同じ様な店に向かった。
大通りに車が溢れ出し、人通りも時間と共に増える。

「シンジも水着買うんでしょ?まさか去年と同じじゃないでしょうね」
疑惑の視線でシンジを見つめる。こう言わないと買わずに済ませてしまうだろうとアスカは確信していた。
「ん?去年のでも履けるし別に要らないよ」
アスカの疑惑の視線が呆れた視線に変わる。彼女の脳裏に去年使って袋に入れたまま放り出してあるトランクスタイプの水着が映し出された。
「あんたバカァ!!あんなの履けるわけ無いじゃない、すっかりカビて青いのが真っ白になってたから捨てたわよ!いい、今日はぜーーーーーーーーーーーったい買いなさいよ!!」
「捨てる事無いじゃ・・・・・・うん・・・買うよ・・・」
呆れた視線が怒りの視線に変わる前にシンジは賢明にも買うことを承諾した。
「でもアスカは毎年水着買うね・・・」
「何よ、いいじゃない別に。あたしのお小遣い貯めて買ってるんだから」
勿論ユイに言えば何着でも買ってくれるのだが、遊ぶための物は自分で買う事にしている。
彼女なりのけじめだ。
「悪いなんて言ってないだろ・・・でも・・・・毎年太ってるのかなと思って・・・」

キジも鳴かずば撃たれまい、そんな言葉を以前ミサト先生から習ったような気がした。

「レイ、そんなブァァァカ放っておいていこう!!」
ズンズンと歩みを早め店内に二人は消えていく。両頬に赤い『手形』を付けたシンジは大人しく待つことにした。女性服専門店なので入っていく気にならない。

・・・まったくすぐ手が出るんだよなあ、・・・ま、いいか・・・・

その方が彼女らしいと思うし、いつもと一緒だ。

・・・・いつからそんなこと思うようになったんだろ・・・・

さっきから頭の中に渦巻く不安、その影が少し見えたような気がした。


「ちょっと・・・誰か知らないけどまだ11時前よ・・・非常識にも程があるってもんじゃない?」

枕元の電話を取りながらミサトは今日の第一声を向こう側の人物にぶつけた。そして返ってきた答えが氷の礫のような物だったらしく受話器を耳から遠ざける。

「あによ・・・あたし昨日も徹夜なのよ・・・少しくらい労ってくれたって・・・え?」

ミサトの頭から眠気が徐々に去っていく。

「OK、すぐそっちに行くわ。分析急がせて・・・・そう、了解。索敵はそのまま続行よろしく」

布団から出た彼女の顔に眠気を匂わす物は何もなかった。

「ミサトが来るまでに使徒の行動解析して、そっちは関係各所に連絡。青葉君は上陸地点の予測範囲算出してちょうだい」

赤木リツコの凛とした声が電子臭がうっすらと漂う発令所を駆け抜ける。
ミサトが到着するまでやらなければいけないことが幾らでもあるのだ。
「全く今頃になって連絡よこすなんて・・・・嫌がらせ以外の何者でもないわ」
眉間にしわを寄せどう見ても不機嫌としか取れない表情を浮かべながら、忙しそうな周囲を見渡す。

事が起きたのは昨日の夕刻、NERV本部に連絡が入ったのはついさっき。

「国連軍艦隊は半数がやられたらしいな。そのあとムキになって追いかけ回したのだろう」
報告書を挟んだクリップボードをリツコに返しながら冬月副司令は面白くない顔で呟いた。
「ええ、恐らくそうでしょう。挙げ句の果てに艦隊は70%の損失。身の程知らずの見本ですわ」
無慈悲と無感情の絶妙なブレンドで作り上げた声で連絡の遅れた国連本部を非難する。

・・・・早く泣きつけば傷口も広がらなくて済んだでしょうに・・・・

もし使徒と遭遇した時点で連絡が来れば対応策は幾らでも練れた筈だ。
『役立たず共』そんな言葉がリツコの頭の中を行進していた。

「で、分析は進んでいるのか?衛星写真くらい有ったと思うが?」
「はい、現在解析中・・・あと五分ほどで。せめてデータ収集の材料になって貰わないと無駄飯食いも甚だしい!」

国連軍の情報が一日遅れたその原因が、彼らの面子へのこだわりによる物と言うことが手に取るように判る。
気に入らない。
そのお陰で彼女達が苦労せねばならないことが気に入らない。
何より彼らの尻拭いをするような形なのがもっとも気に入らない。
初めから泣きつけば可愛げがあるものを!!

・・・無能が出しゃばるからよ!カスはカスらしく怯えてればいいのに!!・・・・

さすがに上司である冬月の前だけあって言いたい事の十分の一も口にしない。
表情までは隠せなかったが。

その雰囲気が発令所内に伝わったのか、彼女の指示を受けたマコト、シゲル、マヤの三人の働きぶりは迅速を極めた。
「赤木博士、行動解析終了しました。特性も判明・・・詳しくはこちらに」
マヤが手渡した容姿には短時間で綺麗にまとめられた報告が印字されている。
先輩と呼ぶのが常の彼女だったが今日ばかりはそんな状態ではない。
三分の一ほど吸った煙草を灰皿にこすりつけるリツコを見て取るとマヤはさっさと自分の席に退却した。

・・・・さすがに艦隊を相手にしただけあって詳しく判るわね・・・・

衛星画像には国連軍の壊滅する様子がきめ細やかに描かれ、そこから導き出されたデータの質はリツコを大いに満足させた。
だがそれで彼女の機嫌が良くなったわけではない。
「さてと後はミサトの仕事・・・いつまで掛かってるのかしら!?」

そんな独り言を漏らす彼女の先のエレベータが開き、一人の女性が颯爽とメインスクリーンの前に立つ。
「国連のバカ共は今頃何寝ぼけたこと言ってるの!?日向君、状況説明して!」
葛城三佐は全く遠慮なく自らの苛立ちを披露すると、手近にいた彼の説明を聞いた。
「呆れた・・・尻拭いさせるつもり?バカは引っ込んでりゃいいのよ!」
「口を慎みなさい葛城三佐、此処は発令所よ。・・・・はい、今回のデータ、お陰でかなり詳しく特性が判るわ」
ついさっきより冷静さの増した声で自分と同じ考えの彼女をたしなめると、ボードを手渡す。
僅かに顔をしかめたミサトだったが何も言わず、解析データがプリントされているそれに目を落とした。
腹立たしげな表情は変わらないまま、マコトに指示を出す。
「作戦室にみんな集めて。これから会議よ」

作戦室の床に埋め込まれているスクリーンには第三新東京市湾岸地区『Fブロック』の拡大地図が映し出されている。
MAGIを使い青葉シゲル二尉が大急ぎではじき出した使徒の予想上陸地点だ。

「海上保安庁設置のマーカーの反応から計測して上陸は90分後、上陸地点はちょうどFブロックの中央。予想精度は93っす」
その報告にミサトの表情は幾分和らぐ。それだけ在れば少しは準備が出来る。
「90分・・・無いよりましか。でもねえ・・・この解析結果は何?ATフィールドがスタンダードの二倍強!?このクソ暑いのに良く着込んでるわね」

スタンダードは第一次使徒迎撃戦の時の相手を指す。シンジの、と言うより初号機の初戦の相手だ。
何しろその時が人類にとって初めての使徒との戦いなのだ。
データと言ってもそれを含め三体分しかない。参考程度の目印代わりだ。

「・・・・・やるしかないか。すぐに市全域に第一種避難命令発令。シンジ君達に非常召集掛けて。自衛隊は到着次第配置。ま、枯れ木の山も賑わいね」


シンジはいつの間にか自分の周囲の時間がゆっくりと流れているように感じていた。
答えの出ない問いが時を止めている。

「シンジ、次の店行くわよ。・・・・どうしたの?」

不意に青い瞳がシンジの目の前に現れた。
その瞬間にさっきまで消えていた街のざわめきが溢れ出し、時が急に流れ出す。
「あ、何でもないよ、どの店行くの?」
幾分心配げな瞳を数軒先にある液晶看板に向けた。
「まだまだ時間は在るんだからゆっくり探すのよ」

アスカは薄いピンクのスカートをパッとなびかせ再び歩き出す。とことん見て回るつもりらしい。
歩き出したシンジのほんの少し後ろをレイがキョロキョロしながら追いかける。
時折ショウウインドウに映るブルーと白でコーディネイトされた少女に目を向けた。
どことなく気恥ずかしい、だが嫌な感じではない。

「綾波その色、似合うね。」
シンジの不意の言葉は彼女を困惑させる。
思わずシンジに向き直るが、顔がどんどん熱くなるのを感じた。
街の音が耳の中で反響する。
鼓動が一秒ごとに早くなる。

「何・・・言うのよ・・・そんな事無い・・・」
「ゴメン、でも白と青って綾波によく似合うと思うよ」
「あ・・・・あ・・・あり・・・がと・・・」

最後の方はすっかり掠れてしまいシンジには聞き取れなかった。
思わず「変なこと言ったかな?」と自問するシンジだったがレイが怒っているようにも見えないのでそのまま口を閉じた。

「何やってるの、置いてくわよ」
アスカは遅れ気味の二人を急かす。人が増えてきているので離れると今日一日離ればなれになりかねない。
それ程此処の人通りは多い。この辺では最大の繁華街なのだ。

「ゴメン、今行くよ」
二人は歩みを早めアスカの後をついていく。
建ち並ぶ店のウインドウに再びレイが映る。
沢山の人々が映っている、その内の一人。

・・・・・青と白はあたし・・・・

・・・・あたしの色・・・・

シンジの言葉がレイの中で幾度も繰り返す。

・・・・この色は・・・あたしの色・・・・
水着を選ぶのに少なくとも色だけは決まった。

「で、シンジは何か決まったの?あんたは・・・緑なんてどう?」
アスカの勧める水着は深緑のトランクスタイプの水着だ。
『安売り処分!!』と札の立ててあるワゴンをあさっているシンジの前にそれを突き出す。デザインはそんなに種類のない男用なので色と仕立てがポイントだ。
「いいけど・・・高そうだね・・・こっちの方が安いよ」

はっきり言って変な色でなければ後はどうでもいいと思っているシンジなので 、アスカが見立てないと必ず安い方に傾く。

「シンジ、あんた安物買いの何とかって知ってる?」
「でも・・・・あ、ちょっと待って・・・」

シンジの耳は雑踏の中から、際限なく流れる店のBGMを飛び越え一つの音を拾い出した。

『・・・・さい。第一種避難命令が発令されました。すぐに近くの避難所から・・・・』
それが聞き間違いではないことがサイレンによって教えられる。
繰り返される放送が周囲にも伝わり、辺りは騒然となった。

「アスカ、急ごう。避難所は向こうだ」
シンジのTシャツの裾をレイが掴み、アスカの手をシンジはしっかりと握りしめ足早に避難所に向かって歩き出した。
「ちょ、ちょっと、シンジ、シンジってば!・・・・離し・・・」
今彼女の目の前にいるシンジはいつもとは違った。
避難の時は慌てておろおろする、そんな様子をいつも想像していたのだが今の彼は明確な目的を持ってアスカを避難所へと引っ張っていく。

今までに見たことのない姿だ。

「離してよ、恥ずかしいから!」
さっきから何回もその言葉を口にしようとするが途中で飲み込んでしまう。
振り払おうと手に力を込めるが掌の温度を感じ取ると力が抜けてしまう。

結局その手を離すことはなかった。

第一種避難命令が出されたのはこれで四回目。
他人を押しのけ倒れ込んだ子供を踏み潰し、道路では追突した車が炎上、と言った光景は何処にもなく整然と人の群は各避難所に向かう。
さすがに第三新東京市市民は慣れたのか人出の割に混乱はない。

シンジ達がたどり着いた避難所入り口は混乱はしていないが混雑はしていた。
休日と言うこともあって人出が多かったのだろう、そこへ突然の避難命令だ。
パニックにならないのが不思議なくらいだ。

「凄い人ね・・・何人くらいいるのかしら」
アスカの周りには人がごった返し、係員の誘導に従って各ブロックへと流れていく。
押されるようなことはないが流れに逆らうと人にぶつかってしまう。
三人は一塊りになって前へと進んだ。

アルファベット順に番号の付いた部屋が次々と定員を満たし閉められていく。
過去三回に『避難所に入れて貰えなかった』という話がなかったのでだれも焦ることはない。
迷子が数人出るのは仕方ない事だ。

「はぐれたらそれまでね・・・あんた、手離さないで・・・・あ・・・」

シンジの手からゆっくりと力が抜けていく。
彼に握りしめられていたアスカの手は徐々に解放されていく。

・・・・ごめん、アスカ・・・・

手と手が離れたとき、悲しげな目をしたシンジが映った。
「バカシンジ!手離しちゃったら・・・・・」

その姿も押し寄せる人並みに隠れ、やがてアスカの視界から二人は完全に消えた。


「休みに悪いわね、早速説明するわ」
作戦室にプラグスーツ姿でシンジとレイは立っていた。
よそ行きの服は更衣室のロッカーにしまい込み、頭を切り換える。
避難命令はそのまま彼らへの出撃命令へと変わっていく。

レイのお洒落な姿を見たときさすがに胸が少し痛んだミサトだったが、そんな素振りは全く見せず床のスクリーンに作戦内容を映し出す。
作戦室には彼ら以外に赤木リツコ博士、冬月副司令、そしてシンジの父親でもある碇司令が彼らに目を向けていた。
「リツコがさっき解析してくれたんだけど、ちょっち厄介なのよ。陽電子砲みたいの持ってんのよねえ。ほらこれ」

ミサトがスクリーンを操作し使徒の静止画を出力した。
巨大な球体、表面は金属のように光沢を帯び青い海を反射している。そしてよく見ると幾つかの穴が開いていた。
「この穴が陽電子砲の発射口よ」
リツコが使徒について説明しだした。訓練を受けたパイロットとは言うものの相手は中学二年生だ。『陽電子砲とはなんぞや』と言った説明はすっかり省き、彼女なりに要点だけを単純化して話す。
「この使徒は一定距離までは複数の発射口から体内で加速された荷電し・・・とにかくビームを発射するの。それはまだATフィールドで防げるけど・・・・此処、このラインを越した時点でそれが一つに収束して高出力のビームになるわ。そうなると防げないと思って間違いないわね」

作戦図には使徒を中心として二重の円が描かれていた。外側の円には第一次ライン、内側には最終ラインと書かれている。

「じゃあ、綾波がフィールド中和して・・・・狙撃ですか?」
シンジの不安げな表情がスクリーンの明かりで浮かび上がる。
「無理なの。こいつのATフィールドはスタンダードの二倍強、零号機の中和だけじゃちょっちねー」

レイの責任ではなく、零号機の持つ『プロトタイプ』と言う生い立ちが不安定の要因だ。
その事は当人も知っているのか、レイは顔色一つ変えず説明を聞いている。

「いい、こっからが肝心よ、作戦の詳細説明するわ。エヴァ両機は左右から挟むように第一ラインまで突入、そのあとはその線に沿ってこちらの指示通り中央に向かって進入。この間動きを止めちゃ駄目よ、とにかく走って。そして・・・・此処、最終ライン手前まで来たら・・・・レイ、悪いけどシンジ君の盾になってくれる?」

さすがにレイの表情が動く。だがシンジの表情はそれ以上に変化した。
「そんな!無茶だ!だって・・・・」
「ちょっち待って、まだあるから。いいレイ、此処でシンジ君の前に立って一直線に目標に突入、そして間違いなく使徒の最大出力の攻撃が来るからそれを・・・受け止めて。そうすればその後、再充電の20秒間は敵の攻撃はないからその間にシンジ君はATフィールドの浸食、そして使徒の殲滅。・・・・・・以上よ」

ほんの数秒の沈黙の後リツコが口を開く。
「テスト用の耐熱シールドを零号機に装備して置くわ。少なくとの8秒のビーム照射には絶えられるわよ」
8秒以降どうなるかは口にしなかった。

作戦を立てた二人をシンジが睨む。
納得できなかった。
『守ること』がシンジにとって今、彼の認識できる唯一の理由だ。今回の作戦は文字通りレイを盾として使うつもりだ。
それは彼にとって容認できる物ではない。
「それなら僕が盾になって綾波がとどめを刺せば!前もそうしたし・・・」
「零号機にはあのフィールドは破れないわ」
リツコの低温の声はシンジの熱を一気に冷やす。そして更にゲンドウの声がシンジにのし掛かった。
「レイ、やれるな?」
「・・・はい、問題ありません」
リツコ以上に温度の低い声がシンジに降りかかっていく。
「父さん!!」
「悪いけどシンジ君、これで決定。変更はないわ。じゃあ二人共すぐ準備して」


シンジ達の前に彼らを待っているエヴァが二機現れてきた。
「綾波、何であんな無茶な作戦に従うんだよ」
赤い瞳に向かって今まで無言になっていたシンジがようやく口を開いた。
「・・・・何を怒ってるの?」
シンジとは対照的なほど冷静な彼女はその細い首を傾げる。
「何って・・・怖くないの?」
「ええ・・・もっと大切なものあるから・・・・」

レイの言葉の真意は伝わらない。

「じゃあ・・・行きましょ」
自信なのか、或いは決意なのか。
シンジにその区別は付かないがいつもとは違うレイがそこにいた。

シンジが初号機に足を向けたとき良く知っている声が後ろから聞こえる。
彼の不機嫌の原因を作った女性だ。
「ミサトさん・・・・・何ですか」
「・・・・怒ってる?まあ、しょうがないけど・・・」
何処かばつの悪そうな顔で壁にもたれ掛かってシンジを眺める。
「父さんも、ミサトさんも・・・何であんな危ないこと綾波に押しつけて・・・ 」
ミサトに顔を向けて喋れないのは自分でも仕方がないと判っているからだ。
だが苛立ちは誰かにぶつけてしまいたい。

「遊びじゃないの、悪いけど・・・・・使徒を倒すために現状でやれるベストの方法を採っただけよ」
諭すような、宥めるような口調だった。

「子守も大変ね。文句の聞き役なんて珍しいじゃない?」
ケイジの入り口で眺めていたリツコが声を掛ける。幾分笑みを浮かべているがミサトには何となく癇に障った。
もしかしたら本当はお互い気に入らないのかも知れない、相手の理解できない部分が受け容れられない、そんなことを漠然と思い浮かべた。
「全くバカがもっと早く連絡すればあの子達にもっとしてやれることあったのに!!」
ミサトは磨き込まれた床を蹴飛ばした。
指揮官として準備不足が彼らへの危険が増すことを痛感している。
「どうでもいいことだけど・・・国連軍の死者400人越したわ・・・」
沈んだ船、砕け散った戦闘機は無人ではない。

ミサトは独り言のように口を開いた。
「言い訳よ・・・・そんなの」


「さてと、弱小部隊の我々はあちらさんに迷惑が掛からん程度に力一杯働こうや」
どう聞いても力など入りそうもない事を香山一佐が無線で、彼の指揮下の『陸上自衛隊特別第一編成部隊』に向かって語りかけた。
僅かな時間で配備を済ませたあたり、彼の指揮能力は無能と対局に位置していたが、熱心さとも対局にいるらしい。
地上攻撃ヘリ二十機、特殊装甲車三十台、そして彼に言わせれば「兵隊さんがいっぱい」の部隊は決して弱小とは言い難いがそれも相手による。

「各部隊装備点検終了、いつでも出せます」
彼の副官、山科二尉が戦闘準備が整ったことを冷静な声で伝える。先程の『訓辞』など気にもならない。逃げ出そうと言ったとしても驚かないだろう。
「NERVから適当にやってくれと言われてるからな」

自分達が作戦外に置かれていることは百も承知している。あの巨大な二体のロボットでないと歯が立たないのだ。
むしろ『奮戦を期待する』などと煽てられ最前線に出されても困るのだ。
ほぼ確実に全滅するだろう。
部下の命を預かっていることをその両肩に感じている香山は面子や誇りなど軽い物だと思う。

「おいでなすったな。頑張ってくれよ・・・全機、戦闘準備!!」

紫と黄色の巨人が予定通り浅瀬に上陸した、六本の細い足に支えられている銀色の球体を見つめる。
使徒の表面には陽電子砲の発射口が滑るように蠢く。

・・・・来た、綾波大丈夫かな・・・・

人の作った物では再現できない動きを見せる発射口が不気味に映る。

・・・・守らなきゃ、僕が・・・・

自らにそう言い聞かせた。
レバーを握る手に力がこもる。
そうしないと怖くて逃げ出しそうだったから。

初号機の反対側にレイを載せた零号機が巨大な黒い盾を持って使徒と向き合う。
彼女の瞳には何の恐怖も表さなかった。

・・・・碇君は何が怖いの?・・・・

さっき訪ねれば良かったかも知れない。
そうすれば『怖い』とは何か判ったかも知れない。
今まで色々教えてくれたから。

・・・・・あたしが守るもの、だからあなたは怖がることはないわ・・・・・

視界に初号機の影が映し出されたとき通信が入った。

「シンジ君、レイ、いい?作戦通りに行くわよ・・・・・作戦開始!!」


正午になって日差しが強く照りつける。
磨き込まれた鏡のように遠くの第三新東京市をその身体に映し出していた。
六本の足を器用に動かし目的地に向かって歩みだす。
今では水没している以前人の生活のあった場所が使徒の足下に広がっていた。

その遙か前方から二つの水柱が左右に分かれ近づいてくる。

余人の加われない彼らだけの狂宴が幕を上げた。

「綾波、行くよ!!」
シンジは初号機の出力を最大まで上げ作戦通り第一ラインに突入し指示通り螺旋を描きながら使徒に近づいていく。
陽電子砲が初号機をかすめ飛んだ。
空気を切り裂くのを初号機が感じそれをシンジに伝える。

・・・・これで低出力!?・・・・

鳥肌が全身を覆う。レイはこれより高出力の攻撃を受け止めなければならないのだ。
初号機の走り去った後の空間を閃光の刃が幾度も凪払う。
その度に後方で海水が蒸発し水蒸気をもうもうと立ち上らせた。

「ふう、使徒は狙点固定に1秒掛かるみたいね。何とか避けてるわ」
「シンジ君無意識にATフィールド広げて陽電子砲の軌道を変えてるわね。レイも何とかかわしてる・・・・ここまでは読み通りね」
僅かに安堵の表情を浮かべたミサトをリツコが見つめる。
「そろそろ予定地点よ、二人共準備して」

通信を聞きながらシンジはある覚悟を決めた。

使徒は既に歩みを止めエヴァの攻撃に集中している。
四つ開いている発射口を本体の表面を滑らせながら次々と陽電子砲を繰り出す。
シンジ達もその足を止めることなく最速で使徒の周囲を駆け回る。

「綾波・・・・」
「ええ・・・・ATフィールド全開」

ミサトの合図が飛ぶ。
「今よ!」

零号機が先頭に盾を構えその後ろを初号機が追従する。
足下の水飛沫をより高く跳ね上げ一直線に使徒に向かって突入した。

「収束開始しました!」

マヤの報告通り四つの発射口は一つに重なりその奥で死の宝石が怪しく光る。

シンジはとっさに何が起きたのか判断できない。一瞬にして彼の視界は白色の光に覆われてしまった。
「綾波!!」
盾を構え使徒の攻撃を受ける零号機が見て取れる。

・・・・まだ、まだなの!?早く早く止めろ!!・・・・

耐熱シールドが徐々に融解していく。
それに連れレイの呻き声がシンジに聞こえてきた。

「綾波!!綾波!!」

シンジの絶叫に近い呼びかけはレイの耳に通信機から届けられる。

・・・・あたしにも守れるもの、だからあなたは大丈夫よ・・・・

その時シールドが負荷に絶えきれず粉砕した。

レイは光に包まれた。

「レイ!!状況は!?」
青ざめたミサトにシゲルが答える。
「熱源測定より、照射終了まで後五秒、四秒、三秒」
シンジのレイを呼ぶ絶叫が発令所を埋め尽くす。
「二秒、一秒!!」

葛城ミサト三佐はスクリーンを睨み声を張り上げた。
「行けえ!!」


白い光の洪水がシンジを覆い尽くしていた。高熱を抱えた大気は苦し紛れの絶叫を響かせ耳を打つ。
だが身体への苦痛はない。
両腕を広げ、押し寄せるエネルギーの奔流を受け止めるレイ。
その全ては目の前で堰き止められシンジに届くことはなかった。
そしてその事がシンジの心の苦痛を増した。

ミサトの声が届く、零号機が崩れ落ちる、シンジが初号機を空に踊らせた、恐らく全てが同時だったろう。

拡散した光の中から大地を蹴ったその巨体が宙を舞い、銀の球体にその拳を振り上げた。
「このおおおおおおおおお!!」

使徒の張り巡らせた見えない壁に初号機の右拳が炸裂する。
分厚い硬化ガラスを金属ハンマーで殴りつけたような、場違いな程澄みきった音が響きわたる。

ATフィールドは一撃で粉砕されることなくそれを受け止めてみせた。
シンジには覚悟の上だ。僅かにひずんだ空間に両手を差し込み左右へと押し広げた。

「浸食開始しました!!」
「敵、収束開始!カウントダウン始め!!19・18・17・16・・・・・・」

20秒、綾波レイの命から紡ぎだした時間をシンジは生かさなければならない。
マコトのカウントと共にマヤの見つめるグラフは浸食の広がりを示していく。

ガラスの軋む音がシンジに聞こえた。
目の前のATフィールドが歪み、奇妙な輝きを見せる。使徒の身体にある発射口はシンジを見つめ時が満ちるのを待ち続けている。
紫の鋭利な顔が使徒の身体に映りシンジを見つめていた。

・・・・この!この!消えろ!!・・・・・

「10・9・8・7・・・・・」
「間に合って!!」

何かが砕けた。
強大な圧力に負けATフィールドは無数の光の粒になり宙へ散っていった。

マコトのカウントはその時0を告げていた。
「熱源集中!!来ます!!」

シンジを見つめ続けた発射口はその暗闇の奥に絶望の光を灯し時が満ちたことを示している。

・・・・・間に合わなかった・・・・・

頑張ったはずだ。
諦めなかったはずだ。
だが結果はその事を無視していた。
・・・・綾波、ごめん・・・・

せめて彼女は守りたい。シンジは避けることなく、最初に心に決めたようにレイと使徒との間に立ちその身を盾にする。

陽電子砲の発射口は再び発光した。

興奮と緊張と絶望がシンジの視界を狭めていた。
だが耳には届いた。
凶暴な蛍の咆哮がその瞬間、轟いたのを。

「第二射、撃て!!!」
香山一佐指揮下の『陸上自衛隊特別第一編成部隊』所属の攻撃ヘリは自らの腹に抱えた大量の殺戮兵器を遠慮なく目標にたたき込む。

使徒に対して通常兵器は無力だ。
だがそうさせたATフィールドは今は存在しない。シンジが剥ぎ取ってしまっている。

第一射が使徒の本体に命中しその球体を大きく横に弾いたのと最高出力の陽電子砲が発射されたのとほぼ同時だった。
さすがに破壊までは行かないがシンジに与えるラストチャンスとしては充分だ。

狙点をずらされたた陽電子砲は初号機の右脇をかすめその後方で巨大な水蒸気を巻き上げていた。

二度はない。
自分の為すべき事を思い描く間もなく、シンジは飛びはね腰にくくりつけた劣化ウラン弾のフル装填されたハンドガンを引き抜く。

思考を海に投げ捨て、訓練で体が覚えた動きをトレースする。
目標をセンターに入れスイッチ・・・・

・・・・・外したら・・・・・

100%の確信が欲しい。
大脳から直結したような考えが体を動かす。

外さないためには近づけばいい、使徒の体内に直接撃ち込めばいい。
巨大な空洞と化した発射口にハンドガンごと腕を突っ込んだ。

「なんて事を!!そんなの教えてないでしょ!!」

12回の発射音がミサトの耳に響いた。


さっきまでの狂宴が嘘のように、今は波の音しか聞こえない。
目の前には銀色の球体が12ヶ所の穴を開け波を被っている。
後ろを振り向けば零号機が焼けただれた機体を横たえていた。
シンジがそれを目にした時、体中が震え一瞬目が眩んだ。だが意外にも少女は自力でその機体から姿を現した。

「何であんな事したの?」
全てを終えた初号機の肩でシンジは睨み付けられていた。
「あんな事?・・・・どの事?」
表情に変化はないが雰囲気で明らかに怒っていると判るレイの問いかけに、シンジは言葉を濁す。
「碇君・・・何であたしの前に立ったの?・・・・そんな事しないで・・・」
「そんなこと言ったって・・・ほかに考えつかなかったし・・・」
あの時は何も考えていなかったと思う。全ては秒単位の中の出来事だ。

互いに沈黙する。

シンジは初めて海の上から第三新東京市を眺めていた。初夏の光を浴びてビルが、まるで蜃気楼のように揺らめく。
「綾波は・・・・何で怖くないの?」
海を眺めていた、この空にも負けないほど青い髪の少女が振り向く。

・・・・怖くない?・・・違う、怖かった・・・・

朦朧とした意識の中で見た初号機の背中。
その中にいる少年の思いを垣間見たとき、心の何処かが凍てついた。
初めて感じる恐怖。
大切な者を失う恐怖。

「碇君・・・・もう、無茶しないで・・・・」

言葉は想いを乗せるには余りにも小さい。
溢れ出す想いを伝えるには余りにも短い。

・・・・もっと伝えたいのに・・・・

シンジを見つめる目は余りにも悲しい赤。

「綾波が守ってくれて・・・嬉しかったんだ。でも、僕も守りたいんだ、綾波達を・・・」

守る者と守られる者、二つの想いが交錯する。

怖いから守る、失うのが怖いから守る。
その事に気が付いたときレイはシンジの腕にしがみついていた。

「あ、綾波?・・・あのさ・・・離し・・・」
うつむいたまましがみつく。
シンジが此処にいることは彼女から恐怖を拭い去っていく。
伝えられない想いが伝わるのを願うように、強くしがみつく。

シンジが生きていることを確認し、自分自身が生きていることを実感した。

・・・・失わない・・・絶対に!・・・・・


避難命令中の街は玩具にも見える。
誰もが地下の避難所に逃げ込み地上にいるのはシンジ達だけだ。

「でも・・・何か面白いね」
危機が去り、日常の一歩手前まで来ているためかシンジは軽口を叩く。無人の大都会などという物は、そうそうお目に掛かれる物ではない。
街にも被害はないし恐らく此処では怪我人すら出ていないだろう。
全ては順調に終了した。

ミサトが言うには後10分で避難命令は解除される。
それまで地上の住人はシンジとレイだけだ。

出口にもたれ掛かり時間が過ぎるのを待つ。
後少しで街には人が溢れ、何もなかったように明日が来る。

・・・・でもあたしは変わっていく・・・

それがいい事だとシンジは言ってくれた。
一つ一つ拾い集め自らに纏っていく。それが綾波レイの色になっていく。

「だから碇君・・・・気が付いて・・・・」

シンジが何か答える前に避難所入り口のシャッターが開き、シンジ達だけの時間は終わった。

避難所は一つではないがそれでも大都会、人の数は多い。
皆口々に無事を祝いながら足早に避難所を去っていく。シンジは懸命に目を凝らしながら一人の少女を捜した。
そして・・・・・

「あーーーー!!バカシンジ!!あんた達何やってんのよ!!」

恐らく彼女も同じように避難所ではぐれた連れを探していたのだろう。
だが心配はしていなかった。何しろはぐれたのが避難所だ。外をうろつく事はない筈、アスカはそう信じている。
「ホントに二人共とろいわね」
「ゴメン、でも混んでたし・・・」
「ま、いいわ。それよりもう帰るわよ。せっかくの休日なのにケチが付いちゃった」

楽しみにしていた買い物は、殆ど楽しめずに三時が過ぎていた。それに避難命令の後では開店する店は少ないし、自分も疲れている。
「うん、また今度だね」
「そうね・・・また来ましょ」

シンジとレイも彼女の意見に賛成だ。さすがに疲れているのでゆっくり休みたい。
その理由をアスカが知る由もなかったが。

「臨時バスは5番線からね・・・ほら、行くわよ」

アスカはシンジの手を握りしめ引っぱり出す。そしてレイもシンジの左手を握る。
「シンジ・・・・いい、何でもない」

・・・・この次も一緒に買い物できるよね・・・・

そうでなければ駄目だ。
明日は必ず来るし、その時はシンジも側にいる筈だ。
言葉で確認する必要もないことなのだ。

「お腹空いちゃった!帰ったら何食べる?」
言葉で確認するのは日常の事。

「うんと・・・チャーハンがいいな」
「ラーメン・・・・」

三人は帰ったら家で帰りを待っているユイに何を作って貰うか、とても大切な相談をしながら家路に向かうための5番線へと空いたお腹を抱えながら走っていった。

続く


まだやるつもり!?

ver.-1.00 1997-07/13公開

今感想を送るともれなく返信が付いてくるンですね!!宛先はこちら!!とってもお得です(^^;;;

とにかく後書き。

あーうー・・・・暑さのあまり腐っている作者です。
遅くなりましたが後編、後悔・・・公開しました。
本当に遅くなってご催促下さった方、応援して下さった方お待たせいたしました。

ご覧のように長い物になってしまいましたが・・・・やはり構成ミスかな(笑)
と言うのもレイに一区切り付けたかったんです。

何処が?と疑問をお持ちの方!メールにてお問い合わせ下さい(笑)

さて次回は『恐ろしいことに決まっていない!?(仮題)』です。
なるべく早くUPしますんで見捨てないで下さいね(^^;;;

では今回もお読みいただき有り難う御座いました。
次回もよろしくお願いいたします

ディオネア


 ディオネアさんの『26からのストーリー』第十話後編、公開です。
 

 一つの戦いの幕が引かれ、
 レイの心にまた一つ生まれる何か・・・

 寂しいこと。
 辛いこと。
 恐ろしいこと。
 

 あたたかな日常と、それを守るための非日常。

 「だから、みんな幸せになればいいのに・・・」  (^^;
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 書き続けるディオネアさんに感想メールでパワーを補充してあげましょう!


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