26からのストーリー
第六話:月曜日の序曲
眩しいほどの月から逃げ出した星々がそこに舞い降りた様に第三新東京市には、無数の明かりが瞬いている。
そしてその明かりの数だけ人々の営みがある。
すべてが幸せでもすべてが不幸でもないごく在り来たりの生活が。
そんな明かりの一つに、一組の夫婦と三人の中学生が暮らしていた。
お湯がティーポットにコポコポと音を立て注がれ、品のある香りを漂わせた。
既に用意された五つのティーカップに深い琥珀色の紅茶が湯気を立て注がれていく。
「紅茶入ったわよ」
碇家の主婦ユイは床に寝転がって雑誌を読んでいる子供達に呼びかけたが、彼らの嗅覚レーダーは既にその香りを察知していたらしい。
「あ、砂糖一つ」
「あたし二つ!」
「・・・・砂糖は要らないわ・・・」
待ってましたと言わんばかりの返答にユイは思わずクスッと笑っている。
彼らの要求に答えたカップをそれぞれに渡していく。
「これはシンジ、アスカちゃんは砂糖二つね。はい、レイちゃんのは何も入ってないやつ」
日曜の夜九時。
明日は学校がある。行きたくない訳ではないが、やはり休日は貴重だ。特に楽しい休日を過ごした後は。
三人とも食事が終わった後、さしてやることもなくリビングでゴロゴロしていた。
自分の部屋に戻ってもいいのだが何となく一人にはなりたくない。幾度と無く読んだ雑誌を眺め、後僅かしかない休日を何とか引き延ばそうとしていた。
「ケーキも食べるでしょ、どれにするか決めて」
リビングのテーブルの上に置かれた箱には色とりどりのハーフサイズの小さなケーキが十個ほど行儀良く並んでいる。
「おばさま買ってきたの?」
「お父さんよ」
シンジとアスカは父ゲンドウの方に目を向けた。そこには憮然とした顔がある。
「何だ、食べないのか?」
「う、ううん食べるよ。ただ珍しいなと思って・・・」
シンジが不思議がるのも無理はない。今までそんな事など無かったのだ。
彼の父親がケーキを買ってくるとは、厄災の前触れにすら思えた。
「おばさまはどれ食べるの?」
一方アスカは不思議だろうが誰が買おうがケーキの味に変わりがあるわけではない、と言う事で既にケーキを選び始めているが、先にユイとゲンドウに選ぶよう進めた。
「いいわよ、どれでも。レイちゃんもこっちで選びなさい」
レイも呼ばれケーキを物色し始めた。
ユイの見るところケーキ選びにもそれぞれの性格が出てくる。
アスカは自分の好みのケーキをさっさと確保した。チーズクリームケーキとブルーベリーケーキだ。彼女の場合常に決断は早い。そして大抵正しい選択をしてきた。
ユイの記憶にアスカが大失敗をやらかしたと言うのはない。
シンジは優柔不断の一言につきる。こういった選択肢が複数になると途端に悩み始めるのだ。まあ、それだけ好きな物があると言う事でもあるのだが逆に言えば自分の好みという物がまだ確立されていないのだろう。その辺りはレイも同じだった。
この家に来てからというもの、何かと選択をする機会が多い。今まで必要の無かった事をしなくてはならなくなったので、いまだに戸惑いはあるが何とか自分で選ぼうと最近になって努力はしている様だ。
「・・・・・・・・・・・」
ただ努力してもいかんともし難い事もある。
・・・環境の違いなのね・・・
ユイはごく簡単に結論を出した。
シンジは両親と暮らし気兼ねする事なく生活している。レイは彼とは別の意味ではあったが今まで気兼ねする必要はなかった。
だがアスカは違った。
小さい時から共に暮らしてるとは言え彼女にとっては『余所のお家』と言う思いは、ほんの僅かだがどうしても拭いきれないのかも知れない。
常に優秀で、いつも良い子で・・・・そんなアスカの思いが時折見え隠れする。
その度にユイの心が少しずつ締め付けられていく。
気にしないで良い、遠慮するな、そんな言葉ではどうにもならない事もよく分かっている。
どうしてやることもできない。少しでもアスカが居やすい様にしてやるのが精一杯だった。
ただ、いつかアスカが自分自身を追いつめた時に力になってやりたい。
それが罪滅ぼしになるとは思っても居ないが・・・・
「アスカ・・・取り替えない?」
「嫌!さっさと選ばないからでしょ、トロイのが悪い!!」
結局、レイはシュークリームとショートケーキ、ゲンドウはチョコクリームとブルーベリー、ユイはストロベリーケーキとフルーツケーキ。
シンジはモンブラン二つ・・・・・・・。
嫌いな訳ではないが出来ればチョコクリームかブルーベリーが欲しかった。だが手を伸ばした瞬間ゲンドウに遮られ二つとも先手を取られてしまったのだ。
「かあ・・・さん」
「駄目よ、アスカちゃんの言う通り。何時までも選んでるからよ」
チラッとレイの方を向いたが既に食べ始めているので取り替えようとは言えなかった。
ゲンドウには聞く気もない。
「シンジ、私はチョコは嫌いだがな、取ってしまった物は仕方がない。食べるとしよう」
わざわざ言う辺りが嫌みだ。
「ブルーベリーケーキなど見たくもないがやむをえん」
ヒョイヒョイと口に放り込み、わざとらしくシンジの前で口をもぐもぐと動かす。
「・・・・・楽しい?父さん・・・・」
「ああ、とてもな・・・」
父と息子の暖かい会話にユイは吹き出すのを必死に我慢していた。
アスカも呆れながらこの二人を見ている。
ブルーベリーケーキに手を着けずに。
*
ピピピピ・・・・ピピピピ・・・・
誰がこんな時間に電話を掛け夜のコーヒータイムを邪魔したのか、何の用件なのか既に予想はついている。そしてその用件は彼女、赤木リツコにとってどうでもいい事というのも分かっている。だが取らなければ恐らく受話器の向こう側にいる人物が直接此処に押し掛けて来るに決まっているのだ。
彼女は受話器を取るか取るまいか少し悩んだが結局取ることにした。
「何の用かしら、ミサト」
「あ、リツコ、どうしよう・・・明日職員会議あんの忘れてた・・・」
彼女達二人とも第一中学校の教師でありミサトはシンジ達のクラスの担任でもあった。
で、明日の月曜日は学校で職員会議がありその為の資料作りをしなくてはならなかったのだが。
「で、今日一日何してたの?」
「えっと・・・寝てた・・・・・」
受話器の向こう側のミサトの顔が浮かぶようだ。すべて予想通りの返答にリツコは呆れてしまう。
「相変わらずね、じゃあ、お休みなさい」
「ちょ、ちょっち待ってよ!!それで資料作んなきゃいけないんだけどさ、データ貸して欲しいななんて思ってたりして」
「あら、あなたのパソコンにも入ってるんでしょ生徒の成績くらい」
リツコの声はひたすら冷たい。無論ミサトがそんなモノをこまめに入れていない事くらい百も承知だ。
「リーツーコー・・・お願い!貸してくんなきゃ一生恨むわよ・・・」
両手を合わせ拝んでいるミサトが脳裏に浮かぶ。ついでに恨めしそうな顔も・・・・。
「そうねえ・・・近くに『セルレア』って言うレストラン出来たんだけど評判良いわよ」
「分かったわよ!ラーメンでも餃子でもおごるわよ」
「あっそ、明日職員会議がんばってね・・・因みにそこフルコースがお薦めなんですって」
この時点で勝負がついた。ミサトに最初から選択の余地はない。
「くっ・・・・分かったわよ・・・・フルコースでも何でもいいわよ・・・・」
「あら、無理にとは言わないけど・・・まあ、良いわ。データ送るからよろしくね」
とにかくこのお陰で明日の職員会議で恥をかかずに済む事となった。
*
「我々に恥をかかせおった!!このままでは済まさんぞ・・・・」
東部洋太郎は狂犬病の犬のような目で窓の外を睨んでいた。国会に最大勢力を持つ『民主国民党』の党首としてのプライドを著しく傷つけられたのだから無理はない。
「全く奴らは何様のつもりだ!!」
サラリーマンの3月分の月給では買えないようなテーブルを思い切りけ飛ばし、ソファーにふんぞり返って怒鳴り散らしている男の名を鐘実昭三という。
日本政府の中枢に職を持つ『実力者』の一人だった。役職は国家公安委員会のトップ。
「本当ですな、思い上がって居るんですよ。バックが国連だと思って」
この男は丘田長一と言って『日本重工業産業促進協会』の会長を務め経済界にその影響力を広く持つ。
誰にでも平等に夜は訪れる。どんな過ごし方をするかは自由だが。
第二東京市に在る高級マンションの一室で苦虫を噛み潰したような中年男性の顔が三個並んでいる。豪華な部屋に似つかわしくはないがそれは仕方がない。
日本の政、官、経の頂点に立つ彼らの恨みは見事なほど一致し在る組織に向けられていた。
だが第三新東京市は約300Km程離れているし、その組織は地面の下にあるのでいかに念じようとも届きそうにない。
「NERVか・・・・組織の全容とは言わんが何か分からんのかね、」
東部の要求に応える事は誰もできなかった。
「彼処は・・・・情報の真空地帯だな。何一つまともな情報は入ってこない」
苦々しく呟く公安の長である鐘実も黙って見ていた訳ではない。幾度と無く探りを入れては見たが成果は上がらないのだ。
勿論彼の用いた調査員はいずれも歴戦のプロだったのだが。
国連直属の特務機関NERV。
今まで公式非公式に幾度と無く情報の公開を求めたが『特別国際法』を盾にすべての要求を跳ね返していた。更にそれだけでは済まず『超法規の適用』をフルに使い戦自研、気象庁、海上保安庁、宇宙開発公団等々有りとあらゆる所から堂々と情報を引き出したのだ。
それもトップシークレットと呼ばれる類の物を。
当然抗議はしたが『特別国際法』の盾にすべて阻まれてしまう。
もっとも腹が立つのは第三新東京市建設の際に得ることの出来るはずだった利権の数々が何一つ手に入れられなかったことだ。
面白くない事この上ない。
セカンドインパクトの混乱からようやく立ち直りその立て役者として絶対的な権力を握っていた彼らだったが、突然湧いた訳の分からない組織に好き勝手やられるのだ。
そしてついこの間はまだ若いNERVの佐官に好き勝手に文句を言われたあげく飲みかけのお茶を引っかけられ更にイスまで投げつけられたのだ。
今まで受けた事のない仕打ちに猛然といきり立ち、その佐官の上司に手紙を出して言いつけるという『勇ましい抗議』をしたが謝罪はおろか返答すら得られなかった。
「NERVというのは我々を甘く見ているのかね!!」
と冬月と言う人物に抗議の電話をしたところ
「いや、君らなど見ていない」
と、とても理性的な返答が帰ってきのだった。
「で、どうするのかね・・・このままと言うわけにはいかんぞ」
「分かっている、あの男を向かわせた。奴なら・・・」
「優秀なのか?」
「俺の知っている限りもっとも確実な男だ」
人的資源から言えば既に目的地に向かっているその男が彼らにとって最後の切り札だった。
*
世の中、月曜日の朝と言う物を喜んで迎える人が居るのだろうか。
シンジは通学路でそんなことを考えていた。
特にやらなければならない事が在る時は尚更だ。
「もう少しシャキッとしたら!」
シンジの襟を直しながらアスカはハッパをかけた。
彼女とて遊ぶ方が好きだがそう言う訳に行かない以上割り切るしかない。
「分かってるよ・・・・ふぁあ」
そんな二人のほんの少し後ろをレイがついていく。
「碇君・・・シャツ出てる・・・」
ズボンの後ろからは見だしたシャツを見つけた彼女はすっとそれを直す。
このところレイは何かとシンジの身の回りの事を気にしだしていた。
特にこれと言った理由など無いのだが何となくという奴だ。
強いて理由を付けるならアスカがそうしているから・・・と言え無くもないのだが。
二人の厳しい(?)チェックのお陰で服装で恥をかくことは彼には無さそうである。
*
「何や、シンジ不景気な顔しとるなー」
シンジの幼なじみ鈴原トウジの第一声であった。
「そう・・・不景気だもん、しょうがないよ」
「かあっ貧乏くさいやっちゃな。シャキッとせんかい!シャキッと」
「アスカと同じ事言うね・・・二人ともお気楽なんだよ」
惣流と同じかいな、と不平を鳴らしながらもシンジの机に腰掛けた。ホームルームまでまだ時間はある。
「仕方ないさ、人それぞれってね。その分苦労する奴もいるけどな」
突然現れたケンスケの言葉にそのつもりは無いだろうがエヴァのパイロットのシンジにはなかなかの皮肉だった。
「何やお前、随分楽しそうやな。なんぞ良い事でもあったんか?」
「別に、ただ親父が帰ってきただけさ。この間まで外国に行ってたから」
ケンスケの父親はルポライターであちこち飛び回り滅多に家にいない。だから彼も父親と過ごす時間というのは殆どないのだ。
その父親が帰ってきたのだから嬉しくないと言えばウソになる。ただ一緒に来たおみやげとどちらが嬉しいかは微妙なところであった。
「そか、良かったな。何時までおるンや、親父はん」
「さあな、何か当分は居るらしいけどな。何か日本に面白い話があるらしいんだ」
やがて彼らの話題は今度新しく出るゲームソフトの話題へと移っていった。
「どんな感じ?色は?」
「ジャケット、スカートもお揃いの。色は・・・明るい感じ!!」
先日レイの洋服を買いに行ったときにユイから
「アスカちゃんも洋服作ってきなさい。春だし新しいのがあった方がいいわ」
と言われ断りきれず頼んでいたのだ。
アスカの友人のヒカリは興味津々と言った様子でその服のデザイン、色など根ほり葉ほり聞いていた。
普通彼女達の年代では、オーダーメイドの洋服など殆ど縁がない。友人がそれを作ったともなればファッションにうるさい彼女達の事、最大限の情報を引き出さなくてはならない。
どうやってサイズを測ったのか?生地は何か?どれくらい時間は掛かるのか?お値段は?等々ヒカリは山のように質問を積み上げた。
仲のいい友人の質問だけに適当にあしらう訳にも行かず一つ一つ詳しくにアスカは答えてる。
「たぶん明日出来るんだ」
「そうなんだ、いいなアスカは何着ても似合うから」
ヒカリは目の前の少女が着れば何でもオーダーメイドのように見えると思う。少し悔しいような気がしないでもないが羨ましい、と言う訳ではない。
洋服を買ってくれるのは碇シンジの母親なのだ。
その事をヒカリは知っているから買って貰えるからいいな、とは口にしないのだった。
「ねえ、今度見せて!火曜日に出来るんでしょ」
「うん!じゃあ、取りに行くの付き合ってくれる?」
「ふうん、あたしにも見してくれる? 取り行くのはちょっちつき合えないけどさ」
不意に声を掛けられ振り返ると担任のミサトが出席簿を持ち立っていた。
周りではみんな席に着いている。
「ついでにH・R始めたいんだけどさ、委員長さん号令かけてくんないかなあ」
「は、はい!起立!!」
アスカは慌てて自分の席に駆け込むとシンジが口だけで『バーーーカ』と言ってるのが見て取れた。
・・・このっ、覚えてなさいよ、シンジ。あとでとっちめてやるんだから!・・・
*
一時間目の理科
「はい、実験器具の接続はちゃんとチェックして。順番も間違えないでよ。怪我するのはあなた達だからね」
赤木先生は生徒達にテキパキと指示を出し、各グループの進行状況を確認していく。
「バカシンジ!そんなとこつないだらフラスコ破裂するわよ!!」
「いいんちょ、此処繋げばいいんかいの?」
「ガスホース水道に繋いだってしょうがないでしょ」
「レイ、ちょっとそっち持ってて。今繋いじゃうから・・・よっと」
なかなか賑やかなシンジ達のグループはそれでも何とか実験準備を進めていた。
「いい、実験するときは器具の配置や繋ぐ順番を必ずノートに書いときなさいね。そういう事をちゃんとこまめにしないと誰かみたいに奢らされる羽目になるんだから」
二時間目の国語
「次、碇シンジ君。読みなさい」
「え・・・っと・・・・・・(アスカ・・・何処次って?)」
「(1003ページ目の289行目)」
国語の教科書は電話帳より薄いのでそんなページはない。アスカは舌を出した。
「(・・・・29ページの5行目)」
レイの囁きが聞こえる。アスカのチッと言う舌打ちも・・・・。
勿論葛城先生はそんな様子を知っていた。
「ほらシンジ君、ちゃんとチェックしなきゃ駄目よ。こまめにチェックしてないと誰かに奢らなきゃいけない羽目になるんだから・・・・」
*
三時間目、四時間目の授業が済むとそこにはトウジの待ちこがれていた昼休みが訪れる。
「ほなシンジ飯にしよかー」
シンジの席にケンスケとトウジが、アスカの所にはヒカリがやってきてそれぞれの弁当箱を広げた。
レイは自分の席から動かなかったがアスカが机を寄せたので三人で食事をする形になる。トウジは購買部のパン各種だがその他のメンツは手製の弁当だ。
「ケンスケのは美味そうやのー、どれ・・・ン、美味いわ」
トウジは彼の唐揚げをひとつまみするとそう誉めた。シンジの弁当は既に味見は済んでいる。
「せめて楊枝使ってくれ・・・まだあるから・・・」
シンジもケンスケも弁当をつまみ食いされるくらい幾らでも黙認できた。
ただ楊枝ぐらい使って欲しい。
「でな、シンジ。モゴモゴ・・・今度のゲームどうするンや?ロボット物やろ」
「ン・・・・ゴックン・・・買わないよ・・・次に出るの買うから」
「次って言うと・・・ああ、『RED・RECE3』ね、ロボット物好きだったろう?」シンジにとっては今更という気もする。まさか本物に乗るとは思いも寄らなかったのだ。
「バカシンジの奴また無駄遣いするんだから」
何となく耳に入った三バカトリオの会話はどうしても無駄遣いするための相談にしか聞こえない。
「何でアスカが気にするの?うん?」
ヒカリの明らかにからかうような顔が悔しい。
「気になんかしてないわよ!ただ直ぐにお金貸してって泣きついてくるから・・・」
アスカ達は同額のお小遣いを貰っている。ごく平均的な額だったが衣、食、住は必要以上に保証されているのでアスカは足りないとは思わない。
レイにいたっては使い道が無いのでなくても困らない、今のところ。
恐らく今月半ばにはシンジがアスカに
「あの・・・少し貸して・・・くれないかな・・・」
と申し訳なさそうに借りに来る姿が見られるだろう。
「アスカは甘いんだ。碇君には。どう思ってるの」
「ババババカ言わないでよ!なんっっっっっとも思ってないんだから!!」
赤くなりながら否定してもあまり効果はない。
レイはそんな様子をコロッケを口にしながら眺めていた。その赤い瞳には複雑な色が混ざっていく。
・・・あたしの所には借りに来ない・・・
そう思うと少し悲しくなる。ただ羨ましくは思わない。
エヴァに乗ってシンジと一緒にその身に抱えた役目を果たしに赴いて行くと、そこには信頼があった。一つの思いを二人だけで共有できる。
今まで知ることの無かった『ココロ』
今までに得ることの出来なかった想い。
あの人造人間によってもたらされるレイとシンジだけの・・・・。
だが、戦いの場から戻るとそれらは夢であったかの様に分からなくなってしまう。
普段の生活の中でそれをもっと感じていたい。
戦場だけでなく自分に出来た『生活』の中でもっと感じていたい。
いや・・・・アスカが眩しすぎて見えなくなってしまっているだけなのかも知れなかったが。
「レイ、何ボウッとしてんの?コロッケ落ちるわよ・・・」
「!!」
相変わらず不器用な箸の持ち方のため不安定になったコロッケに慌てて噛みつくレイ。
「何や綾波、豪快な食い方やのう」
トウジはそう言いながらさりげなくヒカリの弁当箱に楊枝を忍ばした。
だがヒカリは遮るでも文句を言うでもなくアスカとの話に花を咲かせている。
なぜか彼女の弁当箱にはハンバーグ、ソーセージ、卵焼きなどメインのおかずが手つかずで残っている。
一通り楊枝に刺すとさらばや!などとほざきながらその場から離れていってしまった。
「・・・あ、人のおかず!!鈴原!!」
「ヒカリ・・・・わざとらしいわよ・・・」
アスカの逆襲は見事に成功し、ヒカリは真っ赤になって俯いてしまった。
*
少し早い三時のお茶を済ましたユイは今夜の夕飯の買い物に出かけていた。
食欲旺盛な三人の子供達のためのメニューが色々その豊富なレパートリーの中で組み合わされていく。
幸い三人とも好き嫌いはないのでその辺の苦労はない。
「あら奥さん夕飯の準備?」
「こんにちわ。そろそろ時間ですから」
話しかけたのは直ぐ近所の主婦だ。さほど仲がいいわけではないが知り合いではあった。
「何か此処もあんな化け物が来たり避難命令が出たりホント大変ですわ。一体自衛隊は何やってるのかしら」
「そうですね・・・」
それ以上答えようがない。一応公式には彼らと国連軍の名前しかでないのだ。
普通の人々にそれ以上知りうる手段はない。
「それにしてもお宅は中学生のお子さん三人でしょ、色々大変ですねえ」
「ええ、毎日大騒ぎですわ」
さほど実りのない会話も大切な近所つきあいの内。無下にも出来ない。
「特にお二人は女の子でしょ、もう一人は男の子・・・年頃だし色々難しいんじゃ御座いません?」
そこには心配ではなく好奇心に妙な色の混ざった顔がある。
アスカもレイも名字を変えていないので分かると言えば分かるのだが一体どこから聞いてくるのかこの手の情報は伝わるのが早い。
「ふふっ、あの子達はまだ大丈夫ですよ。それじゃあ、買い物ありますので・・・」
まだ何か言いたげな彼女を残しさっさとその場から離れた。
・・・余計なお世話よ・・・
正直に口にしないのが近所つきあいのコツだろう。
「あの子にそんな甲斐性あるかしら?」
母親の我が子に対する評価がそれだった。
*
シンジが追撃から必死に逃げようと身をかがめた。太めの立派な太股が彼の髪の毛を数本舞い上がらせる。
よろけながらも何とか間合いを取ろうと後ろに下がる。が、同時にダン!!という踏み込みと共に拳が飛んできた。
「くっ!!」
両手でそれを辛うじて防ぐが鈍い衝撃がズンと響く。
「この!!」
攻撃はそのまま回し蹴りに移行し再び太股が襲いかかった。彼がそれをかわせたのは技術ではなく幸運の領域だろう。
「はい、いいわよ。お疲れさま」
「ふいいいいちょこまかとまあ良くかわすわね」
リツコは手元のパソコンを眺めながらシンジに話しかけた。
「こっち来てくれる。センサー外しちゃうから」
「ほれシンちゃん、しっかりしなさいよ。もう終わりだから」
ミサトの呼びかけにぜーぜーいいながらも何とか立ち上がり文句を付けていた。
「非道いよミサトさん・・ぜーぜーほ、本気で・・・来るんだもん・・・ぜーぜー」
格闘訓練がようやく終ったが喉はカラカラだし足はフラフラだった。
「それに・・・何です、シンちゃんて・・・」
「へへっいいのよ、細かい事は気にしないでそれより上でジュース奢るから着替えてきて」
リツコにセンサーを外して貰いシンジはヨロヨロと更衣室に消えていった。
ミサトの表情が真面目な物になっていくのを確認できないほど疲れている。
「どうだった?測定値は」
「・・・以前より反応速度が上がってるわね。異常なほど」
やはりといった表情でリツコを見つめた。
「どのくらい異常なの」
「あなたの本気の攻撃をかわしきった程」
今まで格闘はおろかスポーツに縁のないシンジにミサトの攻撃がかわせたのだ。通常ではあり得ない。
彼女はその手の訓練をみっちり受けている。素人にかわせるレベルではないはずだった。
「どう言う訳?・・・まさか」
「恐らくエヴァのシンクロ率が上がったからね。副作用・・・って言い方は乱暴かも」
「・・・・害はないの?・・・」
肝心なのはそこだった。
「多分無いと思うけど何とも言い様がないわ、前例もないし。一種のフィードバックだから乗らなければそのうち元に戻ると思うけど」
頼りない答えのは仕方がない。彼女の言うように他の誰かがシンクロ出来た事はないのだ。
データ不足も甚だしい。
「今後はどうなるか分からないか・・・分からない事だらけね。敵も何か分からない。使う道具もよく分からない。おまけにパイロットがどうなるか分からない・・・・」
「シンジ君には言えないわね・・・」
ミサトにリツコを責める気は毛頭ない。彼女も懸命なのはよく分かっている。
だからこそ余計にやり場のない苛立ちが湧いてきてそれがつい口に上ってしまう。
「でも怖いわね。これだけ顕著にフィードバックを受けるって言うことはまともにダメージを受けた場合、彼の体も無事じゃ済まないわよ・・・・」
「分かってるわよ!!・・・・・シンクロ率が上がれば危険も上がるか・・・諸刃の剣ね・・・ッと大丈夫よ、ATフィールド張れるんだしさ!シンちゃんは無敵よ無敵!!」
慌てたように話を切り上げたのは更衣室から出てきたシンジが目に入ったからだ。
「じゃあねえ。シンちゃんとお茶してくるからさ、後よろしくねー」
普段の顔に戻してミサトはシンジを連れて部屋から出ていった。
・・・諸刃の剣か、エヴァそのものがそうね。人類にとって・・・・
見送るリツコの表情は複雑だった。
*
NERV本部内レクリエーション施設『第二スポーツルーム』の上に福利厚生施設の一つティーラウンジがある。
全面に張られた窓からジオフロントを眺める事が出来た。
辺りは徐々に赤みを帯び、地底湖は不思議な色を醸し出す。
「オレンジ?レモン?コーラ?」
「えーとー・・・・うんと・・・」
「はいレモンジュース」
シンジの前に冷たいレモンジュースが置かれた。
「あ・・・・どうも」
砂漠化した喉に心地よく冷たさがしみこみ、程良い酸味が広がっていく。ミサトはアイスコーヒーを一口飲むと話しかけた。
「ねえシンちゃん、惣流さんと仲良くやってる?」
興味津々な顔がシンジの前にある。
「何です、突然」
「ちょっちねー、レイも最近何か感じが変わってるしー、惣流さんとの間でシンちゃんがどうしてるかと思ってねー」
「別に何ともないですよ・・・アスカが少し怒りっぽくなったかな」
にやーッと笑うミサトにシンジは何か良からぬ物を感じる。
「そうなの、怒りっぽくなった。ふうん案外もてるじゃないシンちゃんは」
「何のこと?」
「お・と・ぼ・け。まあ、上手くやんなさいよ、少年老いやすく恋成りがたし、一瞬の出会い軽んずべからずってね」
国語の教師はかなりいい加減なことを口にしながら飲み干した二つのカップを戻すと
「明日の訓練はレイね。今日はご苦労様、二人によろしくね」
それだけ言うと立ち去っていった。
「別にとぼけてないけど・・・・」
そんな事を言っている限りユイは心配する必要はないのだった。
*
アスカが自分の部屋の窓から夕焼けに染まった街並みを眺めると、目の前の通りに見慣れた少年が歩いていた。
「帰ってきたわね・・・」
どうせ街中で遊んでたのだろう、六時になってようやく帰ってきたのだ。
「お帰り」
「た・・・だ・・・いま・・・」
「なに疲れてんの?どうせ遊びすぎでしょ」
事実とは違うが否定はできない。
「お腹空いた・・・何か食べるものない?」
「もうすぐ夕御飯でしょ!待ちなさいよそれくらい」
ただでさえ健全な青少年の無性にお腹が空く時間だ。ましてヘトヘトになるまで運動したシンジに待つのはかなりつらい。
「母さん、何か無いの?」
「もうすぐお夕飯だから待ちなさい」
こちらも無慈悲な答えが返ってきた。
ガックリと頭を垂らしたシンジはアスカに背中を押されリビングに入っていく。
「・・・お帰りなさい・・・」
「ただいま・・・」
シンジが何をしていたのか知っているレイがソファーに座っていた。
アスカがシンジの臭いをかぎながら文句を言い出した。
「クンクン・・・何か汗くさいわよ・・クン・・・やっぱり汗くさい!」
シンジの胸元の臭いをかいでいるので彼女の髪の毛が顔の前にある。
・・・アスカの髪の匂いだ・・・
「すぐお風呂に入ってきなさいよ!!・・・・さっぱりしてからご飯の方がいいでしょ!!」
再びアスカに背中を押された。
「わ、わかったよ・・・お風呂入ってくるよ・・・強引なんだよな・・全く」
さっぱりしなくてもご飯の方がいいが逆らいようがない。
空きっ腹を抱えやむなくお風呂場へと向かうシンジの後をレイが追った。
そして、アスカと同じように匂いをかいだのだ。
「な、な何、綾波、え、なんで????」
「・・・・碇君の匂い、知りたかったから・・・」
シンジは何のことか全く分からなかった。
彼女はアスカの知っていることを自分も知りたいと思ったのだけだった。
唖然としているシンジの持っている鞄を手に取ると再び口を開いた。
「鞄・・・部屋に置いておくわ・・・・お疲れさま・・・」
レイはシンジと同じ経験を共有できる唯一の少女だ。そしてそれはシンジにとってどれほどの慰めになるだろう。
エヴァの中という特殊な状況を分かってくれる人が居る!!
あの常軌を逸した戦いに一緒に居てくれる人が居る!!
レイが同じ屋根の下に住んで居る事がとても有り難く彼には思えた。
「うん・・・ありがと」
*
夕暮れの赤はジオフロントにあるNERV本部にも集光ビルを通じて届けられた。
総司令執務室の部屋の中も、そしてそこに居る三人の男の顔も赤く染め上げた。
「どうかね、向こうの様子は・・・この間も俺の所に電話があったぞ」
「放っておけ、お前の欲しがった物は出来た。奴らに用はない」
顔の前で手を組んでいるのでその表情は分からない。
「そうか・・・ああ、わざわざご苦労だったな。此処は何年ぶりだ?」
グレーの髪をした人物に問いかけられると男は髪を掻き上げながら答えた。
「さあ、五年ぶりってとこですかね。あの二人は元気ですか?」
NERVの総司令と副司令を前にさして気にするでもなく淡々とした様子だ。
「元気にやっておるよ。まだ若いからな、明日にでも逢えるだろう」
「そうですか・・・・っと引っ越しの片づけまだあるんでそれじゃあ失礼しますよ」
男がポケットに手を突っ込んだままドアの向こうに消えると再び口を開いた。
「もういいのかね、あちらの監視は」
「ああ、もう利用価値はない。出しゃばらないように釘を打てばいい・・・」
「彼は危険ではないか・・・・」
「問題ない」
冬月は悟った。危険な男だから手元で監視することにしたのだという事を。
「ゼーレにもこれで文句は無かろう。元々奴らもそうしたがっていたからな」
「・・・物事は予め分かっていれば容易いものだ・・・」
・・・どうせバレバレだな。当分は好きにしろって言う事か・・・
彼はジオフロントゲートの地上部で煙草を取り出すと火を灯す。
煙の向こうに後僅かでその姿をすっかり隠してしまう太陽があった。
「ま、なる様になるだろ」
それだけ呟くと駅に向かって歩き出した。
まだ片づいていない荷物の待つ、新しい住処に向かうために。
続く
では次回第七話『火曜日の・・・・(未定)』でお逢いしましょう。
お読みいただき有り難うございました。
「めぞんEVA」自治会長のディオネアさんから新作が届きました!
『26からのストーリー第六話:月曜日の序曲』公開です!!
ついにあの男も登場。
謎に包まれた正体ばればれのこの男の登場でいかなる動きが!?(笑)
ミサトはどうする?
アスカはやっぱりときめいちゃうのか?!
そうなったらシンジは?
という風に、次回が非常に楽しみな展開ですね!!
突然巻き込まれた非日常がしだいに日常になりつつあるシンジ、
彼を含めた世界の動きが慌ただしくなるんでしょうか?
自治会長のお仕事をこなしながら、連載2本の更新を続けるディオネアさんに
はげましのメールを送って下さいね!!