26からのストーリー
第七話:火曜日のラヴソング
夕べ天気予報が予告したように火曜日の朝は、太陽が顔を見せず暗澹とした雲に空を明け渡していた。
その薄暗さのためか時計を見なければいつもより一時間早く起きたかと思うかも知れない。
彼の枕元では主人を起こすべく目覚まし時計が単調なアラーム音を響かせている。
余所の時計達は大抵ささやかな抵抗を受け、謂われの無い嫌悪の対象に晒されるが此処ではそんな事もなくあっさりとその役目を終えた。
「雨か・・・・・」
実用一点張りのベットから身を起こす。睡魔の甘い誘いを完全に無視してのけるといつも通り、テーブルに向かいポットの中のぬるくなったお茶を湯飲みに注いだ。
さほど広くなく片づいてはいるが殺風景としか言い様のない部屋。
そこに置かれているその部屋に相応しい机の上には一枚の写真が飾られていた。
この空間の中で唯一の飾り物だ。
「おはよう・・・今日は雨だな・・・・」
写真の中に写っている二人の女性にそう挨拶をする。
ここ十五年ほど続いている習慣。
彼女達に直接挨拶していた頃、彼の髪の毛はまだ黒かった。
黒が灰色に変わるに連れ自分の心も色褪せていった様に冬月には思えて仕方がない。
一人の朝食に慣れたのもその為か、或いは十五年という時間の為か・・・・・・
*
「シンジ、ちょっと醤油取ってよ」
「ン・・・・母さん漬け物出てないよー」
「あなた!新聞は後にして!」
「ああ・・・・」
朝の碇家の食卓にいつもの賑やかな声が飛び交う。
皆それぞれ忙しい身なので朝食はさっさと済ませてしまいたい。
今朝のメニューはあじの開き、大根のみそ汁、筑前煮、海苔、などである。平均すると朝食は和食の方が多い。シンジ、アスカ、レイはご飯とお茶を好む。
ゲンドウはどちらかと言えばパン、コーヒー党だがユイが子供中心のメニューを組むので文句を言えなかった。
「シンジ、チャッチャと食べちゃいなさいよ!今日雨なんだから早めに出るわよ!」
「うるさいなー・・分かってるよ。文句ばっか言うン・・・アタッ!」
「親切よ、し・ん・せ・つ !! あんたが遅刻しないのは誰のお陰かしらねー」
勿論無条件にアスカのお陰である。もし彼女に見放されればシンジは遅刻の校内チャンピオンになる事は容易だろう。
「・・・碇君・・・お茶飲むの?」
レイはいつの間にか食事を終わらせると急須を手にお茶をついで回っていた。
何となくそれが彼女の役割になってしまっている。別に誰かが頼んだ訳ではない。
自然とそうなったのだ。
アスカも『シンジの飼育係』以外にも朝夕の食事の支度を手伝ったり、洗濯物を取り込んだりと何かとユイの手伝いをしている。
それは決して無理してやっているのではない、何時の頃からか自然とそうするようになった。
「もぐ・・・ン・・・うん、飲む」
ようやく朝食を食べ終わったシンジの湯飲みにお茶がつがれ湯気を立てた。
「ほう偉くなったものだなシンジ、人に茶を入れさせるとは・・・。お前など風呂の残り湯で十分だ」
「何だよ、父さんだって何もしないじゃないか。自分だって金魚鉢の水でも飲めばいいんだ」
シンジにそれを言う資格はない。
碇家の男二人はこと家事一般に置いて今まで役に立ったなどと言うことは一度もない。
ユイとアスカに任せっきりでシンジにいたっては、自分の部屋の掃除すらしようとはしないのだ。
ゲンドウにしても洗濯物を放り出すのでいつもユイに小言を言われている。
そんな二人が言い合ったところで不毛なだけであろう。
もっとも碇家の女性はこの戦力にならない二人にハナから期待をしていないようである。
「ほらシンジ、そろそろ行くわよ。おじさまもあんまりからかわないで」
アスカに腕を捕まれシンジは席を立つ。彼女にたしなめられゲンドウの反撃は不発に終わってしまった。
いつもより10分ほど早いが、雨の日は仕方がない。レイも鞄を手に二人を待っている。
「それじゃ、いってきまーす!!」
*
マンション『トランカータ』の前に一台のルノーが停車していた。かなり古い車ではあったが綺麗によく手入れされている為か、青いボディーの上に無数の水滴が踊っている。
・・・おっそい!!人を迎えに来させといて・・・遅すぎる!!・・・
不平満々と言った顔でミサトはマンションの出入り口を睨み付けていた。
フロントガラスに幾筋もの軌跡を描きながら流れ落ちる水滴を数える事数分、ようやく彼女が現れた。
NERVのNo.3,葛城ミサト三佐を迎えによこさせ尚かつ待たせる事の出来る者は少ない。
「あら、ご苦労様。じゃあ行きましょう」
「あら、じゃないわよ全く!!さっさと来なさいよ!」
そんな彼女の様子を全く気にかけずに車に乗り込みこう話しかけた。
「こんな古い車が元気よく走るのは誰のお陰?」
彼女、赤木リツコはNERVの技術部主任だ。
以前に何処から見つけてきたのかスクラップ同然の車を持ち込み
「何とかして!!」
とミサトに泣きつかれ、潰れた車をレストアしてやったのだ。
その後、やれ擦った、やれぶつけた、やれ車検だと言う度に持ち込んできては技術部のお世話になっていた。
「えっらそー。ちゃんと修理費ふんだくる癖に」
「あなたを公金横領で訴えたくないからよ。以外とうるさいんだから」
この車を修理する際には『公用車No.151。定期点検』と書いた書類を総務部に回している。
「それよりレイの訓練は今日でしょ。プログラム組んであるんでしょうね」
ミサトは慌てて話を替えた。
「ええ、あの子は射撃訓練で十分ね。どのみち零号機で格闘はまだ無理みたいだから。それよりシンジ君も一緒に呼び出してくれる」
「?」
「フィードバックの検査もう少ししておきたいの」
煙草に火をつけ煙を揺らしながらそう告げた。この車が『禁煙車』と言うことはよく知っている。
考えがまとまらなくなると彼女は無意識に煙草を吸い始めてしまう。
シンジにフィードバックが出始めたのは昨日の話だ。今のところ反応速度の上昇だけだが今後何が出るか分からない。
今は少しでも判断材料が欲しかったのだ。
エヴァのコントロールはパイロットの『A10神経』に接続し行われる。無論それだけではなくその他末端神経まで接続するがその際のエヴァに搭載されているOSとどれだけ同調するかが『シンクロ率』に表されてくる。
当然シンクロ率が上がればエヴァの操縦もよりコントロールが効くし、パイロットの感情にも反応し出力を上昇させたりもする。
二回目の戦闘の際にシンジがATフィールドを発生させ、尚かつ相手のそれをうち破ったのもその辺りが関係してくる。
そしてエヴァがダメージを受ければそれに同調しているパイロットにもダメージは伝わる。
当然シンクロ率が上がれば伝わるダメージも大きくなっていく。
リツコとミサトが心配しているのはその辺りだった。
「了解、ついでだから稽古も少し付けようかしら」
決してシンジの格闘訓練は無駄ではない。体力がどうこうではなく体を動かすイメージが大切なのだ。それに『教師と生徒』以外に関わりを持つのも大事なことなのだ。
エヴァがシンジの感情に反応する以上、彼自身の制御も誰かがやらねばならない。
「サードチルドレンに速やかに協力させるための信頼関係の構築」
彼女達の仕事はきれい事だけで済む物ではなかった。
「そう言えば職員会議の資料ありがとね。奢らなきゃいけないみたいだけどう」
先日の職員会議の資料は結局リツコが殆ど作ってミサトに渡したのだ。
「あなたが気兼ねするといけないと思ってね、食事くらい奢らないと寝つき悪いでしょ」
ニコッとしながら言うリツコに彼女は何も言えなかった。
*
「こんなもんか・・・・・」
段ボールから出した荷物をあらかた収容し終わると缶コーヒーを一口啜る。
甘ったるい味が口の中に広がって行く。無糖の缶コーヒーにすればよかったかと少し後悔をするが売り切れだったので仕方がない。
一人で暮らすには些か広い部屋を眺めながら物思いに耽った。
これからどうするか・・・・・・・。
引っ越しの片づけを理由に今日一日の休暇を取ったのだから有意義に使いたいものだ。
取りあえず生活用具一般揃えるために買い物に行かなくてはならないがまだ十時、少し早すぎるようだ。
お昼くらいまで何か暇つぶしになるような事はないか、頭の中で様々に思案する。
そしてふっと記憶の隅の方に何かがあった。それは考え様によっては偉く馬鹿馬鹿しい話ではあったがには十分暇つぶしになりそうだ。
口元に不敵な笑みを浮かべ彼は部屋を後にした。
「ッと、名札入れとくか」
そこにはこう書かれている。
『加持リョウジ』
*
古今東西、中学校の休み時間などと言う物は騒々しいに決まっている。当然第一中学校もそんな学校の内の一つだ。そして2年A組は恐らく一番賑やかであったろう。
「もう一度言ってみなさいよ!!このバカシンジ!!」
「やだって言ったんだ!!それくらい一人で行けばいいじゃないか」
その賑やかな教室の中で一番賑やかな二人が言い合っていた。周りではトウジとケンスケが呆れた顔でこの二人を眺めている。
呆れてはいるが珍しくはない。
「洋服取り行くぐらい付き合ったっていいじゃない!!」
「やだ!!アスカの買い物長いんだから!」
今日はアスカのオーダーメイドの洋服が出来る日だ。彼女は取りに行くのにシンジを付き合わせようとしたが思いも寄らない抵抗にあったのだ。
買い物に興味のないシンジはアスカに付き合う気は全くない。
「ケチシンジ!バカシンジ!アホシンジ!あーーーーっ最低!!!」
「うるさいな!ブスアスカ!!」
結局二人はヒカリとトウジ達に「まあまあ」と引き離されようやく騒ぎが一段落ついた。
「ほれせんせ、少し落ち付けや。な・・・」
トウジがシンジをなだめた。普段は大人しいシンジだが彼とてたまに血が昇ったりする事もある。
「全く贅沢だなシンジは。惣流と一緒に買い物って言えば涙流して喜ぶ連中が何人居ると思うんだ」
ケンスケの言う事も尤もだ。シンジの言う『ブスアスカ』には、ほぼ毎日大量のラブレターが下駄箱で彼女が登校してくるのを待っている。
そんな訳でシンジは大半の男子中学生がうらやむような立場にいた。
だがシンジにそれを理解するのは難しい。彼女は記憶と呼べるような物が出来始めた頃から一緒に暮らしているのだ。アスカといつも一緒にいることが当たり前であった。
「そないな事言っても、女なんちゅうもんはビシッと言わな分からンのや!シンジは悪ろうない!!」
「あっそう、別に構わないけどな、俺は。後々非道い目に遭うのはシンジだしな」
「そないな事言うから舐められとんのや!!せやけどよう言うた!偉いでシンジ!」
ケンスケとトウジはそれぞれ好き勝手なことを口にしている。二人とも直接関係ないのと喧嘩自体がさほど深刻とは言え無いので言いたい放題だ。
一方シンジは頭に昇った血が下がりきるとだんだん後悔の念が沸き上がってきた。
・・・どうしよう、言い過ぎたかな・・・・
この辺りがシンジの限界だろう。
*
ミサトとリツコは好きな時に学校を抜け出せる。彼女達のもう一つの顔『NERV指揮官』と言う役目のお陰である。この学校の校長がそれなりの用事をでっち上げてくれるので今のところ怪しまれることはない。教師とNERVの両立はそうでもしなければ無理だった。そして校長もNERVの関係者であり、この学校自体もまたNERVの管轄下で運営されている。
二人の中学生のために。
リツコは時折思う。
この街も、研究都市ジオフロントも、そしてこの学校もすべてはNERVに絡んでいる。
一見関係なさそうでもどこかで絡んでくる。
一体、彼処に関係のない物はあるのだろうかと。
そう思うと何か自分の従事している仕事が空恐ろしくなるのだ。
・・・ミサトはどう思ってるのかしら・・・・
今、喫茶店にいるミサトはNERVの用事ではない。
ただのさぼりだ。
ロイヤルティーを片手に忙しそうに往来する人々を眺めていると、今休んでいる自分が何かとても素晴らしい特権を持っているように感じてしまい、ついにやけてしまう。
そんなお昼前のひとときのささやかな幸せは一人の乱入者によって中断させられた。
「よう、葛城。相変わらずさぼりか」
「・・・・・・・・・・・・・・・だれあんた?」
「おいおい、久しぶりにあったんだ。そう怒るなよ」
「なによ随分なれなれしいわね!あんたみたいな下品な奴なんか知らないわよ!」
髪を後ろで軽くまとめた男は相変わらずと言った様子でミサトの正面に腰を下ろした。
「何年ぶりだろうな。元気そうじゃないか」
「はん!いきなり居なくなった奴のことなんか覚えてる訳無いじゃない!大体何であんたが此処にいるわけ?」
ミサトは目を合わせないようにウインドウに視線を固定すると忌々しげに聞き返した。
向かいに座っている男の事はよく知っている。言葉が敬語でない辺りがそれを物語っていた。
「呼び出しでね、しばらくこっちにいる事になったんだ。まあよろしくな」
「いつの間にか消えたあんたがまた戻ってくるなんて・・・・悪夢だわ。厄災の前触れね」
ウインドウガラスに映る加持リョウジという男の顔をつい眺めてしまう。
相変わらずのにやけた目、顎に生えた無精ひげ、少し痩せたような印象を持ったのは居なくなった時からの年月のせいか・・・。
「リツコに・・・あったの?」
「いいや、まだだ。・・・それより面白い話を聞いたんだがな。お前さんが先生になったとか」
ミサトは思わず紅茶を吹き出しそうになった。
「なによ・・・何か文句あんの?」
「いや、ミサト先生はどんな授業してるんだ?是非拝見したいな」
加持の顔には明らかにからかうような視線があったが本気らしい物も確かに含まれている。
「あ、あんたには関係ないでしょ!!・・・ったく、気分悪くなったわ」
このときミサトはつくづくさぼるもんじゃないと痛感していた。
古い知り合いという奴は二通りある。会いたい者と会いたくない者。加持はミサトにとってその両方に当てはまるようだ。
「あんた今日なにすんの?一日中そうやってブラブラするつもり?」
「どうかな・・・特にやる事無いからな、まあ、買い物くらいだ」
彼の予定には『日用品の購入』と言う散文的な用事があった。独身男性の買う物などたかが知れているがそれでもなければ困る。どのみち歩きではそう大した物は買えないだろう。
「そ、じゃあね。あたし学校戻るから・・・・・・・ぶつけないでよ」
加持の目の前に車のキーがぶら下げられた。ミサトの愛車の鍵だ。
「おい、いいのか。別にタクシーでも・・・・」
「・・・・元々あんたの車でしょ、本当にぶつけないでよ。リツコ修理費取るんだから」
それだけ言うとさっさと喫茶店を出ていった。
「・・・相変わらずか・・・・・ん?・・・ははっやっぱり相変わらずだな」
テーブルの上にはロイヤルティーと抹茶ムースの伝票が残されていたのだった。
*
アスカの機嫌は90度ほど斜めであった。朝の一件以来機嫌はまだ直っていなかった。
「大体シンジの奴わがままなのよ!すぐそこに行くだけなのに」
「ほら、碇君も何か用事あるのかも知れないし・・・・」
「あいつに用事なんて百年早い!!」
ヒカリが宥めてはいたが相変わらずの無茶をアスカは口にしている。もっともヒカリにしたところでさほど真剣に受け止めては居ない。
トウジ達と同じようにただのじゃれあいにしか思えないのだ。
「でもゴメンね・・・・つき合えなくって」
「いいわよ、しょうがないじゃない。妹さん風邪なんでしょ、早く帰った方が良いわよ」
シンジの時とはうって変わって理解を示す。さすがにヒカリに文句は言えないのだろう。
そんなアスカの態度がヒカリにはおかしい。
・・・やっぱり碇君がアスカに一番近いんだ・・・
そう思うと誘いを断ったシンジに何か義憤めいた物をつい感じてしまう。
ついさっきまでアスカを宥めていたがその彼女と同じ事を考えていた。
少しくらいアスカに付き合ってもいいのに・・・・
「じゃあね、後で服見せるから」
「うん、じゃあ、また明日ね。バイバイ・・・」
レイも誘おうとしたのだがいつの間にか姿を消している。
彼女は今日エヴァの訓練に行ったのだがアスカがそんなことを知る由もない。
結局アスカは一人で街中へと行くことになってしまった。
「ん?・・・確か・・・惣流アスカ・ラングレー・・・だったな・・・」
車を返しに来た加持が彼女を見つけたのは恐らく偶然だろう。
そして彼のリストに載っていた顔と同じである事を確かめると車を返すのを止めた。
*
訓練予定のレイといきなり呼び出されたシンジはNERV本部にいた。
二人とも取り立てて用事はなかったのでさほどの不満はない。
もっともレイが文句を言った事はない。少なくともシンジは聞いた事がない。
アスカの文句は何年も聞き続けていたが。
「大体アスカは我が儘なんだよな・・・・」
「碇君・・・何で喧嘩してたの?」
「昔っからそうなんだ。すぐに怒るし・・・・」
万事超然とした趣のあるレイが何か聞くときは大抵シンジに関わる事だ。その事にどういう意味があるのかシンジはおろかレイ本人も気がつかないで居る。
「そう・・・・」
シンジの言葉の中にアスカに対する想いが見え隠れするのを感じ取ると途端に面白くなくなる。
せめてNERVにいる時くらいは自分を見て欲しかった。此処だけなのだ。
シンジとレイが共有し、アスカの知らない時間は。
綺麗な服ではなくプラグスーツに身を包み、遊園地ではなくエントリープラグの中での時間。
だがそれでもレイにはとても貴重な物に思えるのだ。それがアスカの持っているシンジと共有してきた長い時間の変わりになるはずだった。
何もない自分・・・・・
過去もなく自分を知る者も居ない。
だからそれが欲しかった。
*
「あのバッカ!!車返しに来なかったわね!!まさかぶつけたんじゃあ・・・」
その台詞と本部内部にけたたましく鳴り響いた警報とどちらが早かっただろうか。
「総員第一種緊急配備!!繰り返す、総員第一種緊急配備!!」
本部内が一斉に騒々しくなるが、それでも慌ててはいない。この警報が発令されたのは三回目だ。それぞれの職員が迅速に持ち場に着いた。
「状況は?」
「パターン青!使徒と確認!まずいッすよ市街地に出現しました!!」
今まで使徒は市街地に出現しなかったのだが考えてみれば使徒にこちらの都合に合わせてくれる筈がないのだ。
「レーダーに引っかかんなかったの!!」
「駄目です!各地の対地空レーダー反応無し、富士観測所も確認できていません!!」
「何よそれ・・・ステルスって訳?」
マコトは答えない。ただ現実にここまで確認出来なかったのだ。
「まあいいわ、とにかくあの子達をケイジに、各機準備出来次第出撃させて」
様々な指示が飛ぶ中、彼女の指示は最優先で実行に移される。
「参ったわ、市街地に出てくるなんてね・・・この際多少の被害はしょうがないわね。リツコ敵さんの分析お願い。各兵装ビルは指示待ちにして、下手に撃つと被害が広がるだけだから。各部隊はGブロックで待機よろしく・・・宜しいですね、司令」
彼女は発令所の最上段にいる碇司令に最終的な許可を求めた。
エヴァを使用する事、それにより都市部に被害が出る事、そして彼の息子を出撃させる事。
許可を出せるのは彼一人だけだ。
「構わん・・・その為のエヴァだ」
果たしてその中にシンジが含まれているのかどうかミサトには計りかねた。
シンジは突然の出撃命令に戸惑いはしたもののすぐさまケイジに駆け込みエントリープラグに乗り込んだ。ミサトの指示は東部戦闘区域まで使徒を引きずり出しそこで叩く、と言うごく単純なものだった。難しい事を言われてもまだ彼には出来ないのでそれで良いのかも知れない。
「行こう綾波・・・・」
「ええ・・・また勝てるわ・・・あたし達」
多分それはシンジのために口にした台詞なのだろう。
「うん、綾波も居てくれるしね」
それを聞いた彼女は僅かに頬を染めた
「零号機、初号機出撃!!」
*
「迎撃率100%!!まっ今回も大丈夫っしょ」
モニターに映し出された二機のエヴァを眺めながらミサトは不敵な笑みを浮かべた。
彼女の言うように二回使徒を殲滅して見せた彼らだ。まして初号機はATフィールドを使えるようになったのだ。全く心配要素がない訳ではないがそれは微々たるものだった。
「じゃあシンジ君、さっさと片づけちゃいましょ。レイは東部戦闘区域で迎撃担当ね。二機のエヴァがあんな所で暴れたらいくら掛かるか分かんないしー」
ミサトの言い様は気楽なものだった。自信がそうさせたのだ。
「はあ。分かりましたけど、どっちみち少しは壊しちゃいますよ・・・」
モニターの中でシンジが申し訳なさそうにそう答えた。街を破壊しないで戦うことは不可能だ。そんな器用な事はまだ出来ないだろう。
「出来るだけ被害を押さえたいってだけよ。別にいいわよ遠慮しなくって、ガンガンいっちゃってー!レイ、ライフルは好きなだけ撃てるからね。弾はイーッパイ有るんだから!」
ミサトはシンジに必要以上の負担と緊張を課すつもりはない。その為の軽口だ。
零号機はいっぱい弾の詰まったポジトロン・ライフルを抱えGブロックへ向かい、初号機はプログナイフを装備して使徒の出現した第三新東京駅の東側5番地区へと向かった。
「さてと、空挺隊に連絡・・・・なに?」
「まずいですよ、五番地区にまだ避難してない民間人が・・・違うな、今個人識別出します」
「何処のバカよ。この騒ぎに逃げ遅れ・・・て・・・・ええええええ!?」
*
第三新東京市市民は避難訓練を幾度も経験している。二度『化け物』に襲われているのでその後に行われた避難訓練は真に迫っていた。
勿論アスカも真面目に参加している。彼女の場合『ボケボケッとした同居人』が二人居るのでまさしく真剣そのものだった。
訓練では速やかに避難所に行く事になっているのだが、今の彼女はそれを実行できそうにないようだ。
アスカが新しくできた洋服の試着をしていた頃に警報のサイレンが響いたのだ。
その際、下着姿の彼女に強烈な地震のような衝撃が襲いかかり更衣室の中で転げ回り、足に軽い捻挫を負ってしまった。
それでもすぐに逃げ出したがったが下着姿では十四歳の彼女に出来るはずもない。
結局散らばった制服をかき集め足を引きずりながら着替え終わると既に誰もいなかった。
店員に大丈夫だから先に行くようにと強がりを言ったのが悔やまれる。
「全く何もこんな時に来なくったっていいじゃない!!人の迷惑考えないんだから!!」
もっともな、だが現状では何の役にも立たない文句を言いながらも地下の避難所につながるゲートを探していた。
辺りに立っている標識通りに進めばそこにたどり着くはずだ。だがそれを探している内に彼女は我が目を疑うものを見つけてしまった。
一本通りを隔てた向こう側に周囲のビルと同じ高さの巨大なそれはそこにいた。
「・・・・・・・・な・・なによ・・・・あれ・・・・」
*
「シンジ君、良く聞いて!惣流さんがまだ避難してないの。使徒の近くに居るんだけど、とにかく現地についたら足下に気をつけて!彼女の居場所は今そっちに送るわ」
「なんで・・・アスカが・・・」
シンジは今聞いた話を信じたくはなかった。確かにモニターには彼女の顔が映し出された。
そしてその先にはまるで出来の悪い粘土細工のような形の使徒が・・・・・
気がつくとシンジは走り出していた。
初号機はシンジの意志を受けその巨体を動かす。
「今すぐに回収部隊出すから落ち着いて行動して!!」
だが使徒が現れたときに一番近くのゲートは潰されている。
それ以外のゲートでは間に合う可能性は少ない。それより使徒が暴れ出したらたどり着くことすら難しい。
その事は告げられなかった。
「・・・・シンジ君、頼んだわよ。・・・リツコどう思う、あの使徒・・・」
「進化してるわ。少なくとも先の二体はレーダーに引っかかったもの」
モニターに映されている黒い使徒。足とは呼べないような四本の突起物、腕とは言えないような二本の触手の様な物には鋭利な刃がついていた。恐らくは感覚器官であろう顔に見えない顔が辺りをレーダーのように探っている。
「でもコアがあるのは同じね。基本は一緒だわ」
転送されてくる画像に僅かにコアが映し出される。
赤い宝石のような光を放ち怪しく輝いていた。
・・・進化か、一体どこで情報を仕入れたのかしら・・・・まさか・・・
リツコの頭の中に一つの仮定が浮かんだときミサトは叫んだ。
「まずい!!逃げて!!」
「・・・・・いやよ・・・何よ、何なのよ!!」
アスカの前にいる『化け物』は彼女の居る方向に顔を向けた。その表情は全く分からないが彼女の全身に悪寒が走る。
生まれてこの方、怖い目に合ったというのはあまりない。
捻挫した足を無理に動かしたが痛み以外の何かが邪魔をする。足のすくむ恐怖など今まで感じたことはなかったのだ。
「!!」
すぐ近くのビルが真っ二つに切り裂かれた。激しい轟音と共に崩れ落ちていく。
ミサトが敵の気を逸らすために攻撃させた兵装ビルだ。特殊強化コンクリートで作られたそれはまるで発泡スチロールの玩具のようにいとも簡単に破壊さてしまう。
そして再びアスカの方に振り返り、今度は明らかに彼女を見つめた。
両腕の刃をゆっくりと振り上げそれはアスカの正面に立っている。
・・・あ、もう駄目なんだ・・・・もう終わりなんだ・・・・
不思議と悲しくなかった。怖くはなかった。
辺りの音が消えたように感じる。
何故自分がこの化け物に狙われたか分からない。だがそんな事はアスカにはどうでもよかった。
・・・よかった、シンジが一緒じゃなくって・・・
避難所にいるはずの少年が頭に思い浮かぶ。そして二度と逢えないだろう事も分かった。
・・・あいつちゃんと起きれるかな・・・ゴメンね・・・もう起こせないから・・・
死はすぐそこにあった。
「このおおおお!!」
アスカの目の前にはひっくり返った黒い化け物と紫水晶の甲冑を身に纏った巨人が映る。
それが取りあえず彼女から死を遠ざけた事に気がつかなかった。
「何よ・・・また化け物?・・・・」
シンジにその事は聞こえない。とにかく使徒を突き放したかった。
だが使徒の俊敏な動きは容易にとらえられそうにない。
「初号機ATフィールド無展開です。・・・・あ!」
「そうよマヤ。今展開すればあの子も潰されるわよ・・・」
シンジにフィールドの範囲調整などまだ無理だ。
その事は本人がよく知っているらしく最大の武器を封印しているのだ。
まだ危機は去ってはいなかった。
「回収班は?・・・」
「まだ到着できません。・・・・どうしますか?」
ミサトは後ろを振り返った。そこには総司令が居る。そして彼はアスカの保護者でもあった。
だが彼は何も言うことなくモニターを見つめ続けている。
「どうする碇・・・このままでは彼が戦えんぞ・・」
「現状を維持させろ・・・彼女を回収するまで手を出させるな」
その声は冷たい。
「そうか・・・・」
それはミサトにも伝わった。
「とにかく・・・今はシンジ君に任せるしかないわね」
自分がいかに無力であるかを痛感させられる。何一つ手伝えない。分かってはいるが目の前に突きつけられるとさすがにつらい。
・・・どうする、後ろにアスカが居るんだ・・・どうする・・・・
シンジが幾ら自問自答しようと解決策は出ない。その間に事態は激変した。
使徒の攻撃が初号機に向けられたのだ。
ATフィールドさえ使えれば互角に渡り合える。だが今は駄目だ。それに背後にアスカが居る。格闘戦すら出来ない。攻撃を避けることも・・・・
「!!」
声も出ないような激痛が右肩を襲う。使徒の触手の先について居る刃の一本が初号機の右肩に突き刺さった。
取り付けられている生体装甲をはじき飛ばし深々と突き刺さったのだ。
「あ・・・・・・ぐっ」
目もくらむような苦痛に取りあえず耐えると再び衝撃が襲った。
もう一本の触手が今度は斬りつけはじめたのだ。
一撃ごとに意識が削り取られていく。
その様子は零号機のモニターにも映し出されている。
「碇君・・・・!」
レイは自分もそこに行くつもりでエヴァを動かした。
シンジを失いたくない。ただそれだけだった。今彼女は守るべき物が失われようとしているのを目の当たりにして激しく動揺していた。
「レイ、そこで待機してなさい!」
「駄目・・・彼が・・碇君が・・・碇君を」
「レイ!!命令よ!!」
だが彼女は聞き入れようとはせず零号機に命令を下そうとしていた。今の彼女には何より優先されるべき事があるのだ。
「世話焼かすんじゃないわよ!!命令を守んなさい!!」
「・・・・・・」
ポジトロン・ライフルを構えはじめる零号機。
「あんた彼を信じてないの!?シンジ君はあんたの事信じてくれたんでしょ!!」
「・・・・信じる?・・・・・」
「そうよ今だってあんたの事信じてるから一人で戦ってんのよ!!」
前はシンジがレイを信頼してくれた。そして今度は自分が彼を信じるときだ。
「・・・了解・・・・待機続行します・・・」
そしてその事がとてもつらいことだと初めて知った。
「フィードバック限界値突破!!危険です!!」
マヤの悲鳴に近い報告を無表情でミサトは聞いていた。
「神経接続60%まで落として下さい!!このままじゃ・・・・」
「・・・初号機は現状維持、零号機は待機続行」
マコトには信じられないような酷薄さでミサトは答えたのだった。
「意識混濁始まりました!!葛城三佐・・・・」
彼女はマイクを取り初号機の中のシンジに話しかけた。それは激励だったのか或いは自分への言い訳なのか。
「シンジ君。あなたの後ろにいるのはアスカよ。一緒に暮らしてる彼女を守りたかったら気をしっかり持ちなさい。今守らなきゃ彼女は死ぬわよ。あたし達には何も出来ないけどあなたなら・・・・・・・男でしょ!!好きな女くらい守って見せなさいよ!!」
シンジにそれが聞こえたのか、僅かな意識をかき集めなんとかレバーを握りしめている。
口の中に血の味が広がっていく。
「ミサトさん勝手な事・・・言わないでよ・・・あんな我が儘な・・・奴なんか・・・」
ミサトの呼びかけになんとか答えてはいた。
「回収班は何やってるの!!!!さっさと・・・・なによ」
ミサトの携帯電話がなった。そこからは聞き覚えのある声が飛び出してきた。
一際陽気な、一際不敵な声が。
「よう葛城。これから女の子とドライブに行こうと思ってね。もう少し車借りるぜ」
「あ・・・!!モニター出して!!早く!!」
そこに映し出されたのは見覚えのある青い車が今まさに初号機の足下をすり抜けたところだった。
・・・この化け物達も非常識だけどあの運転手も非常識だわ。こんなとこに来るなんて・・・
だが非常識を恥じることもなく車は彼女の前に止められた。
「ドライブはどうかな?海辺まで」
アスカの予想を上回る非常識さではあったが、何をしに来たのかはすぐ分かる。そしてついさっきまで隣にいた死に神が捨てぜりふを残しながら立ち去っていったのも。
加持は彼女を車に乗せ、一気に走り出した。
「シンジ君!!後ちょっと我慢して!!もう少しだから」
「目標、安全圏まであと300・・・250・・・200・・・」
「加持君・・・・・」
走り去る車に無数のコンクリートが降り注いでいくが、大きな固まりは器用に避けて最速で走り抜けて行く。
「あと150・・・100・・・50・・・・・・・・・・安全圏に入りました!!」
「今よシンジ君!!」
耳に届いたその言葉をかろうじてシンジは理解した。
その言葉が引き金となる。
そして体の中心から一気に何かが溢れだしていく。押さえようのない感情が全身を覆い尽くす。
「うああああああああああああああ!!!!!」
封印した最強の武器ATフィールドを解き放つと初号機の周りはクレーターのように大きく抉られていった。
「このおおおお!!」
問答無用で使徒を掴むとそのままGブロックへと突き進んでいった。
その進路上にあるビルはそれに巻き込まれ次々と粉砕されていく。だがシンジは何も気にはならなかった。今は沸き上がる欲求に忠実であったのだ。
「・・・来た」
「レイ!そっち言ったわよ、準備して」
もうもうと煙を上げながら向かってくる巨大な陰の片方に標準を合わせた。
「目標Gブロックに入りました!」
「各部隊並びに兵装ビルは援護して!!」
「この!!この!!この!!よくも!!!!」
力ずくで使徒を殴りつける。肩の痛みは激情が忘れさせた。恐怖は興奮がうち消した。
「うおおおおおお!!!」
無敵なはずのATフィールドがシンジによって簡単に破壊されてしまう。使徒に感情があればさぞかし恐怖を味わった事だろう。
だが初号機の攻撃は止まらない。触手の一本を引きちぎると本体に向かってプログナイフを幾度も突き刺している。辺りに体液が飛び散り初号機の色を変えていく。
「よくも!!よくも!!よくも!!死ねええ!!」
シンジは生まれて初めて味わう開放感に酔っていた。全身の力のすべてを一気に解き放つその快感に酔いしれた。
そして力をぶつけた相手が刻々と破壊されていく光景が心地よかった。
シンジの激しい欲求を忠実に具現化していく初号機。
尽きる事のない破壊衝動、無限とも思える怒り、エヴァはそのすべてに答えようとしている。
さっきまで耐えていた分、それは激しかった。
「死ね!!死ね!!死ねえええ!!」
足のような突起物もプログナイフで切り落とした。
ほぼ戦闘力を奪われた使徒は、今までかろうじて抵抗していたがそれも急激に弱まっていく。
「暴走したの?」
余りの様子にリツコが問いかける。
「いいえ、初号機は正常です。でも・・・・メンタルゲージが・・・」
マヤの報告にリツコが覗き込むとそのメーターは振り切らんばかりだった。
「・・・・・暴走してるわ」
「初号機が・・・・まさか!?・・・」
ミサトの顔が一瞬青くなる。だがリツコはいつもと変わらない。
「いいえ、パイロットが」
その時レイから通信が入ってきた。
「目標に近すぎるわ・・・」
ポジトロン・ライフルを抱えたまま撃つチャンスを得られないレイがミサトにシンジを離すように依頼してきたのだ。
「どうするのミサト」
「どう・・・って言ったって・・・」
我を見失ったシンジに幾ら通信を入れても一向に聞いては貰えなかった。さっきとは状況が違うが打つ手がないのだ。
だが意外な終止符が打たれようとしている事をシゲルから告げられた。
「アンビリカルケーブル切断しました!活動限界まで60!」
残された一本の触手がエヴァの生命線であるアンビリカルケーブルを切断したのだ。
「・・・・・レイ、そろそろ終わらせるわよ」
「あと40・・・30・・・」
今のシンジに内部電源に切り替わった事や、フルで一分しか動かない事など関係なかった。
「20・・・10・・・活動限界ッす」
いきなり初号機の動きが停止したのに気がついたのは使徒もシンジも同時だが次に行動を移せたのは使徒だった。
残った一本の刃を振り上げ攻撃を加えようとするのがシンジに見える。
「あ・・・・動けよ!!この!動けってば!!」
だがそれには答えなかった。黒い陰が初号機に覆い被さっていく。
恐らく使徒が最後に見たのはライフルを自分に向かって構えた単眼の巨人の姿だろう。
レイに何の躊躇いもなかった。
「・・・よくも・・・・・!!」
*
「少し冷やした方がいいな・・・」
駅前三番地区の避難ゲート前で加持はアスカを車から降ろした。
多少腫れた足首が痛々しい。
軽く右足を引きずりながらも車を降り自分を助けた男に少し胡散臭そうな視線を送った。無精ひげを生やした一癖あるような目つき。僅かな警戒心を張り巡らしながらとにかくお礼を言うことにした。命を救われたのは確かだ。
「あ、有り難うございました。もう大丈夫です」
礼を言われ加持は頭をかく。
「まあ、無事でよかったな。そんじゃお大事に」
どこかで見たことのある車が走り去っていくのを見送ると携帯電話でユイに連絡を取った。
「・・・・・あ、おばさま?アスカ・・・うん、大丈夫だから・・・うん」
電話からユイの優しい声を聞くごとに少しずつ自分の声が涙声になっていくのが分かる。
だがもう少しの辛抱だ。後少しでみんなに会える。
もう逢えないと思ったあいつに会える。
涙を流すのはその時まで我慢出来るはずだった。
その時、響くような幾度も連なる砲撃音と振動が伝わってくる。
それはこの日のフィナーレとなった。
*
「あーあ・・・・・・」
「回収が大変ね・・・」
辺りの様子を見渡す現場の最高指揮官たる二人が呆れたように呟いた。
黒い巨体で絶対的な戦闘力を持った使徒は今ではその面影すら残さずカケラと化して、周囲に点在している。唯一シンジがちぎった触手だけが穴だらけになった地面にその原形を留めて転がっていた。
誰がやったかは、いっぱい弾の詰まっていたポジトロン・ライフルが空になっているのを見ればすぐに分かる。
もっともその当人は一向に気にした様子もなく少年の傍らに座っていた。
「・・・痛むの?・・・」
「うん・・・少し・・・」
ついさっきまでミサトの連れてきた医師の治療を受けていた。検査の結果、骨や神経には異常ないが右肩の炎症と内出血が酷い。
シンジの華奢な体には似つかわしくないほど肩が紫色に腫れ上がっている。
初号機がもっとも酷く攻撃を受けた場所だ。
リツコ曰く「その程度で済んでよかったわ」
熱を取るために高分子ゲルが肩に張り付けられ、その上を包帯で巻かれていた。
プラグスーツは脱いでおり、手持ちのズボンだけはいている。上着はまだ痛みが酷くて着られない。肩以外も大小さまざまなあざがあちこちに出来ている。動かすだけで激痛が全身を駆け抜けていくのだ。
「・・・飲む?・・・」
「うん」
壊れた自動販売機から缶コーヒーを二本抜き取ると一本プルトップを開けシンジに渡した。
よく冷えており心地よい甘さが口に広がる。
「何で・・・僕があれに乗るのか・・・まだよく分からないんだ・・・でも・・・」
「・・・・・・・」
レイには分かっていた。シンジが何故戦うのか、何故彼処まで耐えられたのか。
だがその事は彼女の胸に切ない痛みを感じさせる。
アスカはシンジに必要とされている・・・・・・。
シンジを見つめていた赤い瞳を逸らし、二体のエヴァに目を向けた。
それぞれの主と同じようにひとときの休息を取っている。
今は彼女の大切な時間だ。家に帰るまでのほんの僅かな、二人にしか共有する事の出来ないレイにとって宝石のような時間だ。
目をそらしたままシンジの言葉を遮った。
小さな声で。
「・・今は・・・いい・・・聞きたくない・・・・」
彼は言葉を続ける。
「綾波がいつも居てくれるから・・・家でも、ここでも居てくれるから怖くてもあれに乗れるんだと思う」
レイはアスカの持っていない自分だけの何かが欲しかった。そして彼はそれをくれる。
信じる事のつらさを、信じる相手が居る事の嬉しさをくれた。
そして自分を必要としてくれた。その事は自分に存在価値をくれたのだった。
過去のない、たった一つの役目しかなかった自分に生きる理由が出来ていく
シンジの腫れ上がった肩にそっと触れる。それで少しでも痛みが和らげばと思う。
彼の感じている痛みを拭い去ってしまいたい。
二度と危険な目に合わせたくない。
そして
・・・守りたい・・・碇君を・・・・・
役目でもなく、対抗心でもなく、自然と湧き出てきた想い・・・・・・・・・
「いいんですか一佐・・・帰っちゃって・・・・」
「いいんだ!今帰ればナイターに間に合うだろうが」
『陸上自衛隊特別第一編成部隊』指揮官、香山昇一佐は心配げに見ている副官に真剣な表情でそう伝えた。
「でも、上からの指示では・・・・」
「記録係!!こう書いとけ・・・5回にわたるNERV指揮官に現地回収作業の協力の申し出、ならびにサンプルの一部引き渡しを求めたがいずれも国際法により拒否された。よってやむおえず当部隊は16:00をもってNERV側の要請により現地を離れた・・・っとな!!」
「一回だけじゃないですか・・・連絡したの・・・しかも、もう帰っていいかなんて」
副官は情けない抗議を唱えたが香山一佐は聞き入れるつもりはないようだ。
待機中のヘリ部隊と戦車隊に「さっさと帰るぞ!」と無線を飛ばしている。
「知らないですよ・・・後で怒られても・・・」
「どのみち連絡取ったって同じだよ。いいじゃないか一発の砲弾も無駄にしなかったし犠牲もない。これぞ税金の節約!自衛官の鏡!!」
彼の言うように無駄にはしなかった。と言うより一発も撃つ事がなかった。
はっきり言ってしまえば出番がなかったのだ。
「それにあんな戦いに巻き込まれるのはゴメンだね。俺らの出る幕じゃあないよ」
それが今回の戦いの偽ざる感想だ。この辺は副官も同感である。
「はあ・・・・ですが・・・・」
「運転手、急げよ。ナイターに間に合わなかったら南極にでも飛ばしてやるぞ」
別に本気にとった訳ではないが緑のジープは速度を上げていく。
「なあ、アダムが腰につけていたのなんだか分かるか?」
「へ?何なんですかいきなり・・・・」
唐突な香山一佐の質問に副官は答えようがない。
それにしても馬鹿馬鹿しい質問だ。
「イチジクの葉っぱだ。無理矢理そんなもん剥がしてみろ、見たくないもん見ちまうぞ」
「はああ?・・・・何言ってるんですか?・・・・」
副官はそう言いながらある事に気がついた。
この一佐の冗談が下品になる時はもう何を言っても無駄だと言う事を。
・・・そうさ、無理に剥がしてとんでも無い物を見せられたって困るのさ・・・
*
赤い半葉のマークの刻印された一台の車が走り去っていく。車にはミサトとリツコが乗っていた。あの二人を家に送り届けた帰りだ。現場の回収作業はマコトに押しつけてある。
「ふぃー、つっかれたあー!今回はやばかったわ、ちょっち」
「・・・・加持君、帰ってたの。ミサトが言わないから知らなかったわ」
僅かに目を細めたリツコが運転手に顔を向ける。
「あ、あたしだってついさっき知ったのよ・・・別に言わなかったわけじゃないわよ・・・」
ついさっきという言葉に五時間前が含まれるかどうか疑問だが、リツコはそれ以上問わない変わりに別の言葉を口にした。
「加持君になんか奢らなきゃいけないわね」
「・・・そうねえ、今回ばっかは奢んなきゃ」
苦笑しながらミサトは何を奢るか思案している。
確かに加持が居なければ危なかった。アスカの生命にシンジが絡んでくる以上無視できる物ではない。もし彼がエヴァに乗らないと言えば・・・・
彼の行動は単に一人の少女を救っただけではなかった。それに付随する物が大きいのだ。
「なんか、いいもん奢らなきゃいけないみたいね」
「そうね、あたしのも忘れないでね」
「ちっ・・・・・」
だが車を本部の車庫に入れた時に考えが変わった。
「彼に奢るの?・・・・」
「何を?・・・・・」
恐らくミサトが最初に持ち込んだ時と姿になった彼女の愛車が止まっていた。
レストアする前の姿に・・・・
よく見るとメモが挟んである。
『ゴメン』
呆然とするミサトの耳にリツコの声だけが響いていた。
「毎度ありー」
*
「お帰りなさい二人とも」
いつもと同じユイの優しい笑顔が二人を迎えた。
包帯で上半身を包まれた彼女の息子を見つめ語りかける
「よくがんばったわね・・・・シンジ」
「うん・・・・・うん、そう思う」
「そう、よかったわね」
三度目の出撃、三度目の帰還。
応援する事しか、見守る事しか出来ない。だがシンジの照れくさそうな、だが誇らしげな笑顔をみるとそれでも良いとユイは思う。
誰にも分からないのだ。
人の為とは何なのか、何をしてやればいいのか。
だが気がつかない内にその人の為になっている事だってある筈だ。
ユイがシンジを出迎えてくれる事もそうだろう。
シンジがレイに語りかけた事もそうだろう。
レイが、アスカがこの家にいる事もそうだろう。
その事に気がつかないから人は苦しみ、悲しむのかも知れない。
「レイちゃんも無事で良かったわ・・・ご苦労様。有り難う・・・・」
「・・・・・・はい」
ユイの偽ざる気持ちだ。
「アスカはどうしたの、まだ帰って・・・・」
「さっき電話があって・・・・あ」
アスカが避難所から帰り最初にシンジをみたときは心臓が大きく跳ね上がった。
上半身を包帯で巻かれシャツを掛けた姿は想像の範囲外だ。
だから“ただいま”すら口に出来なかった。
「どうしたのよシンジ!!何その怪我!!」
「あ、落ちてきたコンクリートに当たって・・・でも打ち身だけだから直ぐ良くなるって」
ミサトの用意した言い訳は簡単にアスカを納得させた。彼女もあの化け物をみているし、何より彼女も軽い捻挫をしているのだ。
「本当に大丈夫なの・・・レイは?」
アスカの評価でとろい二人の内の一人がこの有様だ。もう一人も怪我をしていると思っても仕方がない。
「・・・あたしは・・・大丈夫・・・」
「本当に大丈夫でしょうね。嘘ついたら承知しないわよ」
アスカは別に喧嘩を売っているわけではない。彼女なりにこの同居人を心配しているのだ。
レイはコクッと頷き無傷であることを告げた。
「お帰りなさい、アスカちゃん」
「あ・・・・はい・・・・ただいま、おばさま・・・」
ようやくアスカは安心できた。
ただいまと言える、その事がどれほど大切か再確認できた。
「さあ、お茶でも入れて一休みしましょ」
ユイの一言でいつもの生活が始まる。
その為の『我が家』だ。
ユイとレイが台所でお茶の準備を始めた。無傷なのはこの二人なのだ。
一方アスカとシンジはリビングのソファーで並んで座っている。
レイは悲しい色を帯びた瞳でそれを見ると、自分がさっきまではいていたガラスの靴が脱げてしまったことを悟った。もうレイの時間ではない、『EVA』の魔法が解ける時間だった。
「シンジ・・・・こっち向かないでよ!・・・向いたら・・・ぶつわよ・・・」
「うん・・・どうしたのさ?・・・・・イタッ!」
アスカは今まで我慢していた涙がとうとう溢れ出してきた。
みんなの顔を見て無事を確認した途端、シンジが側にいることを確認した途端にぽろぽろと涙が溢れだしてきた。
怖くなった。
もう誰にも会えなくなるかもしれなかった事が。
シンジに会えなくなることがこんなに怖い事とは、さっきまでは思っていなかったのだ。
小刻みに体が震えそれがシンジに伝わる。
「・・・・バカ・・・なんで居てくれなかったのよ・・・・・・」
消えるような涙声でそう呟く、彼女の本音。
「アスカ・・・・・・・・」
シンジの背中に彼女の涙がしみこんでくる。もう、振り向かなくても分かる。
だから言うのだ。精一杯の気持ちを込めて。
「もう大丈夫だから・・・誰も居なくならないから・・・」
続く
わったっしをつーきに連れてってえーーーー(NASAキャンペーンソング)
どうも、暴走状態のディオネアです。
えー第七話如何だったでしょうか。いつもより少し長いです。これは構成ミスによるものです。本当は前後編だったのですが一気に書いたせいで一話になってしまいました。(^^;
それはともかく言い訳です。
*使徒ですが本当はラミちゃんだったんですが彼(?)ではこの話は無理だったんで急きょオリジナルな使徒を出したんですが・・・もう出したくない・・・・
絵まで描いてイメージ作ったんですが・・・・もうやらないでしょう・・・自分に絵が描けないことを再認識いたしました(;;)
参考までにモデルは『寄生獣』のミギーさんっす・・・・知ってるかな・・・・
面白いんで一読をお薦めいたします。
*謎の男の正体はなんと加持だった!!(;;)あーヤダヤダ・・・悔しいんで二人もオリジナルキャラ出しちゃいましたよ・・・・彼らは今後も出るでしょう。
*第三新東京市ですが箱根あたりは全く知らない(行ったことがない)ので街のモデルを静岡県浜松市にしてありますのでTVとは地理的にかなり違います。5番地区だの何だの分かりづらいとは思います。一応地図も書いたんですが・・・・
(浜名湖が芦ノ湖かなあ・・・ジオフロントは・・・都田・・・知ってる人は知っている(^^;)
とにかくあの辺りを切り張りした街です。
因みに昔住んでたんです。
ベッタベタな展開だったとは思いますがお読みいただき有り難うございました。
あ、メール下さった方々、本当に有り難うございます。大変、気力が充実いたします。
勿論返信させていただきましたがこの場をお借りしてお礼申し上げます。
有り難うございます。どうかお見捨て無きよう・・
では次回の言い訳でまたお逢いしましょう
ディオネア
ディオネアさん、渾身の連載『26からのストーリー』第七話、公開です!
迫力あるバトル、
緊迫した展開、
迫る危機、
戦いとそのまわりの動きの緊張感が迫ってきました!
その中での[生きる]が[信じる]が持つ意味がアスカやレイ達にもたらした変化、
重く、深く描かれていました。
今回のイベントでアスカもレイもシンジへの欲求が高まったようですが、
これからどうなっていくのでしょうね。
訪問者の皆さんがこの戦いから得た物は何ですか?
それをディオネアさんに送って下さい!!