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26からのストーリー

第五話:似合う?

第三新東京市、中央区。大通りから一歩逸れると一戸建ての高級住宅街が広がっている。そのうちの第5ブロックの一角に碇家はあった。
碇家の前の通りには街路樹が等間隔に植えられ、そこを歩く人たちに安らげる木陰を提供し、また『高級住宅街』に相応しい雰囲気を醸し出す。
近くにコンビニ、本屋、スーパーマーケット、やや離れたところにバス停と結構便利な場所である。
碇シンジはそんな家に住んでいる。

「・・・おはよう・・・あれ、アスカと綾波は?」
「おはよう、随分ゆっくりね・・・朝御飯食べるんでしょ?」
シンジに挨拶を返したのは母親のユイだった。いつもならアスカとレイが何よりも先に彼の視界に入ってくるが、今日はまだ見かけていない。
「あの二人なら美容院よ、何でも予約入れてあるからって朝一番に出ていったわよ」
時計を見ると狸のお腹の針は、既に十時半を指している。

・・・少し寝過ぎたかな・・・

誰にも文句を言われずにこんな時間まで寝ていられるのは日曜日だからなのだが、アスカがいれば大抵八時には起こされてしまう。

「せっかくの休日なのに寝てちゃ勿体ないでしょ!!」
と言うのが彼女の言い分だ。

「さ、ご飯にしましょ」
ボウっとしているうちにテーブルにはトースト、目玉焼きとソーセージ、レタスサラダが整列しシンジを待ち受けている。
「母さんまだ食べてないの?」
「シンジが起きてからと思って待ってたんだけど」
「あ・・・・うん、いただきます」
シンジはトーストにかぶりつく。焼きたての香ばしい香りとバターの甘い味がシンジの寝過ぎた脳味噌を覚醒させていった。
考えてみれば母親と二人で朝食を取るなど随分久しぶりだ。いつもなら隣でアスカが賑やかに話しかけてくるのだが。
「シンジ・・・もう慣れた?」
「・・・慣れたって言うか・・・何とかやってる・・・」
ユイの一人息子がエヴァのパイロットになって随分経つ。目の前の少年は二度、命がけの戦闘にかり出されている。そして今後も戦場に赴かなければならないだろう。
「そう・・・・」
彼がエヴァのパイロットに成れた事をユイは喜んではいない。
むしろ適性など無い方が良かったとさえ思っている。
だが、それを口には出来ない。シンジが何のために命を懸けているのかを知っているからユイは、母としての想いを閉じこめ口を閉ざす。
「・・・心配掛けちゃうね・・・」
「・・・・・・・・」
ユイの胸に昔の頃のシンジが思い出された。
すぐに泣き、よく笑い、そしていつも後を追いかけてきた頃の息子の姿が。

・・・あっと言う間ね、ついこの間まで泣いていたのに・・・

何となくおかしい。雛鳥が見栄を張って羽を広げているようにも見える。
だがその産毛の下にはいずれ空を翔る為の羽が既に幾本か生えていた。

「・・・まだパン食べる?」
既に二枚の食パンを食べ終えたシンジは少し考えたが三枚目は辞退した。
「もういいや、ごちそうさま」
ぬるくなったお茶を一気に飲み干すとシンジはリビングのソファにごろっと寝ころぶ。
後片づけを始めたユイの後ろ姿が目に入った。今までずっと見てきた姿だ。

・・・何時になったら使徒が来なくなるんだろ・・・

それまで母親に心配掛ける事になるかと思うと少し心が痛む。

ジーンズのポケットに入っているNERV本部へのパスカードを取り出し眺めた。
『碇シンジ』と刻印された名前と顔写真、幾つかの英数字が刻まれている。
中学生のシンジからエヴァのパイロットへと変わるためのカード。
日常から非日常へ向かうための切符。

・・・そのうちそんな事も感じなくなるのかな・・・

「シンジ、しまいなさい」
「?」
「家では必要ないでしょ」
ユイにたしなめられポケットへとカードを押し込んだ。

「母さん、アスカ達何時頃帰ってくるの?」
「お昼じゃないかしら」
「・・・・アスカ、怒るかな。・・・・この事知ったら」
「さあ、どうかしらね」
「父さん・・・この間、黒い服着た人達と何か話してたんだ。あんまり感じの良くない人達だったし、それにNERVって色々あるみたいだし・・・」
シンジはアスカに知らせない理由を口にしようとしたがあまり上手く言えなかった。

エヴァのパイロットである事をアスカには知らせていない。シンジはアスカをNERVに関わらせたくなかった。
ミサトは何も言わないが『NERV』はただの正義の味方ではない。ケンスケが以前言ったように裏で何かある。
そんな組織にアスカを巻き込むわけには行かないのだ。

「シンジ・・・・」
「アスカだけに言わなかったって知ったら・・・・どうするんだろ・・・」
「怒るかも・・・・知れないわね」
「嘘つきだよね、僕は・・・・」
アスカを守りたい、でもその為に嘘をつかなければならない。
嘘をつけば傷つける。

ソファーに寝ころんだままシンジは動こうとはしない。
彼が答えを出すには難しすぎたし、重すぎた。

「シンジはどうしたいの?」
「・・・・・・?」
「アスカちゃんやレイちゃんをどうしたいの?」
「守れれば・・・・と・・・・思ってる・・・」
ユイはテーブルの上に休日出勤のゲンドウが置きっぱなしにした新聞を片づけながら、シンジの答えを聞き少し微笑んでいる。自信の無さそうな相変わらずの言いようだった。
「なら、そのままでいいのよ。今はそれでいいと思うわ」
「でも・・・・・」
「難しいのよ、人を守るとか人の為とか言うモノは・・・・・」
ユイの優しげな顔に僅かな憂いが滲む。
「だからこのままでいいのよ・・・・それが分かるまで」


「その子はこのまま短くするだけでいいわよ」
行きつけの美容院『カーシアナ』の店内でアスカの声が聞こえる。
どんな風にしますか?との美容師の問いかけに何もレイは答えなかったからだ。
レイは初めての美容院で少し戸惑っている様だ。
それに『注文』など聞かれた事は今まで無かったから余計である。

「あたしはいつも通りにして」
「はい、じゃあ揃えるだけね」
常連のお客さんであるアスカの注文を聞き終えるとてきぱきと美容師達は動き始めた。
プロらしい流れるような手つきでアスカの髪をとかし始める。
そんな中、レイは些か居心地が悪そうに落ち着かない。辺りをきょろきょろし美容師の手を止めてしまう。
「ちょ、ちょっと動かないでね」
あちこちに首を動かされるため、美容師はいまだにブラッシングすら出来ない。
「レイ、あんた何してんのよ。ちょっとは落ち着きなさいよ」
普段は落ち着いてるどころか生きているのかと思わせるくらい静かなレイなのだが。
「・・・・・・・・」
ようやく顔を正面に向け落ち着かせる。
細く、柔らかい青い髪が丁寧にブラッシングされていく。

やがて二人の頭上でショキショキとハサミの軽快なリズムが響き始めた。
店内に流れる静かなジャズのメロディーが彼女達の耳にしみこんでいく。

「・・・なぜ髪を切るの・・・」
「はあ?」
アスカはレイの突拍子もない質問に奇妙な顔を向けた。
「あんた何言ってんのよ・・・伸びるからに決まってるじゃない」
「そう・・・・・」
期待した答えではなかったのか、再び鏡の中にいる赤い瞳の自分と目を合わせる。

別にレイ自ら美容院に来たわけではない。彼女は美容院など行った事など一度もなかった。今日だって家にいるつもりだったのだがアスカに強引に連れてこられてしまった。
「あんた何時までその髪伸ばすつもり?いい加減切ったら」
肩に少しかかる程度だったのだが、髪型にほとんど気を使っていないのか『伸ばした』と言うより『伸びた』と言う感じだった。
それ故アスカに「ついでに」連れて来られてしまった。

自分達の家から大通りに出て、徒歩20分程の所にこの美容院『カーシアナ』はある。
アスカが小学三年生の頃、ユイに初めて連れられてきた店だがそれ以来彼女のお気に入りとなった。
アスカはもとより同年代の女の子にも大変人気があって、常に予約が入っておりアスカも随分前から予約をしておいたのだった。
レイの分の予約は入れてなかったがそこは小学生からの「常連さん」と言う事で、無理を言って彼女も一緒にやって貰っている。

「だからあんた感謝すんのよ。このあたしに」
だがレイにはわざわざ混んでいる店で髪を切る必要性を感じない。
髪を『切断』する作業なら何処でも、誰でもいいはずだった。

以前はそうだった。
だから聞いたのだ。

・・・・なぜ髪を切るの・・・・・


「なぜって仕方ないわね・・・・分からないんだもの」
E計画責任者・赤木リツコ博士は、背後でコーヒーをズズっと啜っている作戦部長に苦笑しながら話しかけていた。
「あのねー、あれからどんだけ過ぎてっと思ってんの?」
「十日ね、でも分からない物は分からない。ファイルひっくり返したって答えなんか出て来やしないわよ」
「その辺に隠してんのかと思ったのよ。・・・ちっ、無いわねー」
空のファイルを逆さにして降ってみたが何も落ちては来なかった。

研究室らしいその部屋には何の飾り気もない。
赤木リツコ博士の専用の部屋で他人は許可無しに入ることは出来ない。
その部屋にある色気のない事務机の上のモニターには2体の使徒が映されていた。
圧倒的な力を持つ使徒も今では研究用サンプルとして、その巨体を地下の保管所に横たえているだけだ。
その研究、解析の担当責任者がリツコという訳でこの所ずっとそれに係り切りである。

「全く、そんな所にある分けないでしょ。経過報告はそこの・・・・そう、青のファイルに入ってるわよ」
「どれ・・・・何これ・・・・『不明』がいっぱいねえ」
ミサトの手にしたファイルには、プリントアウトされた経過報告書がファイリングされていた。
しかしどの項目も『不明・調査中』で埋められているだけだ。

「結局分かったと言えば最初に来た奴とこの間の奴が同じモノって事くらいね。DNAパターンも同じだし大元は一緒って事ね」
「同じ?全然形違うじゃない」
ミサトの顔にうっすらと陰りが生じた。リツコの言う通りなら今後様々なタイプの敵が現れることになる。
相手が変われば対応する側もそれに合わせなければならない。
「ある程度、変化に制限みたいの無いの?」
「無いでしょうね・・・粘土みたいな物だから。どうやって発生するのか分からないけど恐らく最初は同じ形よ、きっと。でもその後、そうねえ・・・その場所の環境の影響で形や機能は様々に変化するはずよ」
「予想できないの?」
さして期待もしていないが一応聞いてみた。聞くだけならタダだ。
「無理ね。何処から来るか分からないもの」

ミサトはお手上げと言った表情をした。もっとも落胆はしていない。
ここに来たのもずっと詰めていたリツコの息抜きになればと思い、顔を出したのだ。
このところリツコはろくに自宅にも帰っていない。彼女も懸命だった。
敵の素性が分からないのではリスクが大きすぎる。
彼女の生き残る為の戦いが此処にはあったのだ。

「結局何か分かりそうなの?」
「どうかしらね・・・・お婆さんになった頃、何か分かるんじゃない」
「全く何でも有りの敵と戦う身にもなってよね、このヘボ学者」
「戦うならあの二人の手綱しっかり握ってなさいよ、このマヌケ指揮官」

二人の顔に苦笑が浮かぶ。
リツコにはミサトの心遣いが有り難かった。
もっとも『ヘボ学者』と『マヌケ指揮官』の下で戦うのはシンジとレイなのだが。

「ミサト、それはそうと第二東京市で派手にやったんだって」
リツコは彼女の好意に甘える事にしたのか雑談を始めた。
「誰に聞いたのよ、ほんのちょっとしか・・・」
無論リツコを騙せるとは思っていなかった。ミサトのウソはすぐリツコにばれてしまう。
この間の出張の時の事も黙っていようと思ってたのだが・・・・。
「副司令泣いてたわよ、情けないって」

冬月副司令の元に第二東京市にある中央行政監察部の偉い役人からお手紙が届いたのは、ミサトが中学校でお昼ご飯を食べていた時だ。
中身は
・・・彼らの嫌みに聞き飽きたミサトが席を離れる間際に思いっきり暴言を吐いた・・・
と言う物であった。
無論そこには自分達の正当性と葛城三佐の無礼さがしっかりと書き連ねてあったのだ。
言ってみれば、『上司に言いつけて、憂さ晴らし』と言う事になる。
そう言う事をして情けないと思わないのがお役人の偉いところだ。
因みになぜ司令ではなく副司令に手紙を出したのかは、その人柄に寄るところが大きい。

「だってさあ、明け方よ、明け方。そんな時間までウダウダ言うんだもん。ちょっち文句言っただけじゃない。全くいじけてんだから、彼奴ら」
実のところ『ちょっち文句』どころでは無かったのだが。
「自分の役職考えなさい、葛城三佐。あたしも話聞いて情けなくなったわよ、子供の口喧嘩じゃ在るまいし。あんなのと同レベルで喧嘩したってしょうがないでしょ。大体あんたは・・・・・」
ミサトはしばらくの間、耳を閉店させることにした。
一通りお説教が終わったのを恐る恐る確認するとようやく口を開いた。
「まあまあ、もういいじゃない。済んだことだし」
なるべく都合の悪いことは簡単に済ませたい。

「それじゃあ、また来るわ。しっかりやんなさいよ、性悪博士」
「はいはい、おバカ指揮官殿」


「あ、お帰り。床屋行ってたんだ」
「美容院よ!び・よ・う・い・ん!!何回言えばわかんの?」
シンジに床屋と美容院の区別はない。どっちにしろシンジにとっては行きたくない場所だ。
「どう?綺麗になったでしょ」
「・・・・あんまり変わんないと思うけど」
こういう場合の回答はたとえ髪型が変わって無くとも『うん、そうだね』しかないのだが、シンジにそう言った気遣いはどこかに置き忘れ、いまだに見つけられていない。
「何よ!!変わんないってえのは!!」
「あ、いや、その・・・でも・・・髪型変わって・・・無いと思う・・・し」
あまりの迫力に思わず言葉がどもる。
「ふん!!いーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっだ!!」
アスカは思いっきり 「いー」をすると、ドスンドスンと食堂に入り
「バッカシンジ!!」
と言う大声を上げていた。

僅かな視線を玄関から感じシンジが目を向けると、美容院に行っていたもう一人の少女に気がついた。
「綾波も行ってたんだ。・・・・・どうしたの?」
俯き、ドアの陰に隠れるように立っていたレイに話しかける。
「・・・ただいま」
「お、お帰り・・・入ったら?」
「・・・・・・・」
レイはその場から動こうとはしない。何かあったのかと心配になりシンジが近寄ると、俯いたままズズッと後ろに下がってしまった。
淡い青色の髪から覗かせた、いつもは白い耳が今は赤く染まっている。
「逃げなくても・・・」
「・・・・・・・・・そう・・・・・髪、切ったの・・・」
ようやく意を決したように顔を上げるレイ。そこには髪を綺麗に整えられた、だが真っ赤な顔の少女がシンジから目をそらして立っていた。
以前のように切ってあるだけ、ではなくレイに似合うようにと美容師が整えた髪型。
「似合ってるんじゃないかな・・・可愛いと思うよ」
「・・・・そう・・・・・・・・ありがと・・・」
シンジの言葉に更に赤く染めていった。



「何よ・・・あれ・・・・バカシンジの奴・・・」
何時まで立っても食事に来ない二人をせかしに来たアスカが、玄関先に立ちすくんでいるシンジとレイを見ている。

・・・似合ってるって・・・・あたしん時言わなかった癖に!!・・・

「ちょっと何やってんのよ!!さっさと来なさいよ!!お昼ご飯食べらんないでしょ!!」
かなりご機嫌斜めのアスカの顔が二人に映った。
「今行くよ、そんなに怒んなくったって」
「何時までも来ないからでしょ!とっとと来なさいよ、ホーントおっそいんだから」
アスカにしてみれば面白くない事この上ない。自分だけ誉められなかったという思いがムクムクと湧きだしてくる。
「あたしお腹空いてんの!!」
そう宣言するとシンジの腕をむんずと掴むと強引に引っ張っていった。
「い、いいいいい痛痛。そんなに強く引っ張るなよ」
アスカは胸の奥に痛みを感じる度に掴む腕に力がこもる。
「うるさあああい!!」

・・・このバカバカバカバカバカバカバカ大バカシンジ!!・・・

そんな二人の後にレイも続く。彼女も確かにお腹が空いていた。
玄関にあった鏡に自分の顔が映される。そこにはいつもの自分が映されるはずだった。
だが映っているのは自分に似合った髪型をした、そしていつもより、ついさっきより嬉しげな顔をしている女の子だった。
立ち止まり髪に手を当ててみる。そしてさっきの言葉を反芻してみた。

・・・似合ってるんじゃないかな・・・可愛いと思うよ・・・

再び顔を赤らめる。そしてより嬉しげな顔になった。

「シンジ、あんた午後、何か用事ある?」
「?、無いけど。別に」
「そう、じゃああたしにつき合いなさいよ。買い物行くんだから」
食後のお茶を飲みながらアスカは命令調でシンジにそう伝えた。
いまだに少しむっとした様子だったが、勿論シンジに何が原因なのか分かるはずもない。
「いいけど・・・なに買うの?」
「レイの服よ。レイなんか私服殆ど持ってないんだもん」
そう言いながらレイの方に空色の瞳を向けた。そこには深い青色の長袖Tシャツにジーンズと言うラフなスタイルだったがこれにしたってアスカのお下がりだ。

碇家に来た当初は制服3セットに白の寝間着2着、下着類のみという身軽さであった。
勿論、碇家の主婦ユイは直ぐにでも必要なだけ揃えるつもりだったが、二回にわたる使徒の襲来でそれどころではなかったのだ。

一方アスカは両親を亡くした、と言う理由を聞いていたので、私服が無いのも何か訳があるに違いないと思い『あたしので良かったら使って』と何着も自分の服を渡していた。
だが・・・その後一向に洋服を揃える様子のない彼女に疑問を感じアスカが美容院で、なぜと問いただすと予想もしない答えが返ってきたのだ。
「必要ないもの・・・・あたしには」
「必要ないって・・・・女の子でしょ、揃えなきゃ駄目よ!!」
レイが大人しすぎるのと、アスカが強気なのとでどうしてもアスカが『アネさん』みたいな感じになる。

そんな二人の様子をユイは仲良くなったと思った。
以前にあったギクシャクした感じはお互いに取れてきた様に見える。

・・・なる様になるものね・・・

これらの理由により午後、駅前まで買い物に行く事が決まった。
シンジは当然荷物持ちだ。これは仕方ない。
「はい、これ渡しとくからお願いね」
アスカに差し出されたのは金色のクレジットカードだった。恐らくは一番グレードの高いタイプだろう。
「でも・・・いいの?」
少しためらい気味にユイに訪ねた。
このカードで買い物をしろと言う事なのだろうが、使用制限のないカードを渡されても困ってしまう。
だからといってレイの服を買いに行くのにアスカが断るのもおかしい。無論無制限という訳にも行かない。
こう言うのは本当に悩ませる。
「あ、そうねえ、普段着当座の分に30着ぐらい買っておいてね。それとよそ行きに10着くらいは欲しいわ、あと靴10足ほど。靴なら『コーティー』に良いの置いてあるからそこで買えば。身の回りの物も買ってきてバックとか小物とか。何か気に入った物があったらいっぱい買っておいてね。」

何やら嬉しそうなユイの示した制限は一回の買い物にしては余りにも多かった。ちなみに靴屋の『コーティー』はオーダーメイドで子供に買える値段の靴は置いてない。

アスカとしては幾ら何でも買いすぎと思ったが、口には出来ない。
アスカの靴は20足を越え、洋服に至っては『外国語で書かれたブランド物』が何着有るか既に不明である。
更に言うならハンドバックなど小物は、冬月の土産等含めれば使い切れないほどだ。
いずれもアスカが何か欲しがった事は一度もなく、ユイが彼女を連れてあちこち買い歩いたのだ。
ちなみに靴は子供には買えない『コーティー』ですべて購入している。

「そんなに持てないわよ。それに・・・ちょっとレイ!あんたも何か言いなさいよ」
「・・・・・・・・・・」
呼ばれたレイはお茶を啜っているだけで興味なさそうである。
「大丈夫よ、シンジに持たせれば」
「母さん、やだよそんなの。タクシーで帰ればいいじゃないか」
贅沢な事を言っている。
「ふふっ、そうね。タクシーで帰ってきなさい」

結局ユイの言う通り買う事に決定したようだ。
シンジは渋々支度を始める。アスカの買い物など付き合いたくはなかったが、かなり機嫌が悪そうなので逆らわない事にしたらしい。
今まで何回も付き合わされているがウンザリするほど長い。あれこれ同じ様な服を何回も品定めするもんだから全く興味のないシンジは直ぐに飽きてしまう。
シンジは着る物に関してはまるっきり無頓着で、洋服を欲しがったことなどアスカと違う意味で一度もない。
大抵はアスカが選び、買ってきた服を着ている。もっともこれは洋服のセンスのないシンジにとっては一番賢い方法かも知れなかった。

「いってきまーす」
アスカを先頭に三人は碇家を後にした。
「気をつけて行ってらっしゃい」
ユイの視界から三人の姿が小さくなるに従って碇家の静寂は広がっていく。

・・・人の為って難しいのよ、シンジ。私はまだ分からないもの、どうすればいいのか・・・


第三新東京駅南口
第三新東京市環状線と東海道本線、リニア新幹線が停車するメインターミナル。その南口はデパートや様々な専門店が建ち並ぶ一大繁華街だ。
この第三新東京市で尤も賑わう場所で、メインストリートは若い男女から家族連れ、お年寄りに至るまで様々な人々で埋め尽くされている。
その人混みの一角を形成している三人の少年少女の内、少年の顔だけが疲労に満ちあふれていた。

「まだ見るの・・・・もういいよ・・・・」
「何言ってるのよ。まだ見てないお店が有るんだから」
「そんなあ・・・・・少し休もうよ」
シンジは両手に大量の紙袋を抱えヨタヨタと歩いている。既に何軒の店を回ったのか、何着の洋服を買ったのかシンジは分からなくなっていた。

楽しげな少女と頼りなさげな少年の後ろを大人しげな少女が必死についていく。
レイは『人混み』というのは初めての体験だったがどうやら好きに慣れそうにない。
シンジが一生懸命持っているのはレイが着る事になる洋服達だ。
でもレイには何のために様々な種類が必要なのか分からない。
今まで彼女はそう言った物を必要としない生き方をしていた。生活では無かった・・・。

そんなレイに生活と呼べる物が出来た。
住むべき家と共に暮らす人が出来た。
一緒に買い物をする相手も出来た。
ただその事がどういう事なのか分かるには、もう少し時間が必要かも知れない。

「シンジ、今度あそこの店に行くわよ」
アスカの指先には彼女がよく覗くブティックがあった。
「そ・・・う・・・・まだ・・・・・買うの・・・・」
シンジにしてみれば手荷物が更に増えるだけだ。有り難くもなんともない。
そもそもシンジは洋服など興味はなかった。着られればそれで良い、それ以上は何も求めない。
そんな彼に女の子の買い物のお供は苦行である。
あちこち引きずり回されもはや愚痴を言う気力もない。

「ねえ、これ似合うんじゃない・・・・こっちも良いかな」
四着ほど抱えレイの前で合わせてみる。
彼女の後ろに店員が更に三着ほど持ってアスカのチェックを待っていた。

シンジは備え付けのテーブルで溶けたバターのような状態になっている。
恐らく買う物が決まるまで相当の時間がかかるはず。残り少ない貴重な体力だ。
それまではせめて休息を取らねばならない。

「シンジ、あんたどう思う。これとこれどっちがいいかな」
なぜセンスの皆無なシンジの意見を求めるのかよく分からない。それにシンジはそれどころではない。今は一生懸命体力の回復に勤めている最中だ。
「どっちでもいいよ・・・・・よく似合うよ・・・・」
「つまんないわねー、どう似合うのか言ってみなさいよ」
「・・・・・・だから・・・・よく似合うよ・・・・」

レイの服を買うのにどうしてアスカが此処まで張り切るのか不思議でならない。
レイも既にマネキン状態。
キョトンとしたままアスカの次々と持ってくる服を合わせるために居る様なモノだ。

アスカにも言い分はある。レイが何一つ希望も言わない、選びもしないので彼女がそれをやるしかない。更に人の物だからよけいに気を使って少しでも似合う物をと、選んでいた。その為、何軒ものブティックを回り、何回も試着させていたのだ。
「これどう、いいと思うけど」
「そう・・・ならそうするわ」
この繰り返しだから張り合いがないとの思いも在るが、服選びに手を抜くつもりもない。
その度に引き回されるシンジとしては手を抜いて欲しかったであろう。

「これとこれ・・・・それもね。・・・うーんこんなもんかな。じゃあ、お願いします」
レジに山と積まれたアスカの選んだレイの服。総額は幾らになるか見当もつかない。
アスカは勿論値段にも気を使っている。
自分の買って貰った服より安い物は買っていない。同じか、あるいは高い物を選んでいた。

「あの、宅急便で送りますか。まだ沢山在るみたいだし」
店員がシンジにそう訪ねた。足下にある紙袋の山に気を使ってくれたのだ。
「はい、お願いします」
珍しくシンジは即断即決した。
もはや彼の許容範囲を越した重量の荷物は一括して運んでほしい。
「だらしないわね。それくらいで音を上げるなんてさ」
「やだ、運んで貰う」
シンジのささやかな願いは聞き届けられ荷物から解放される事となった。

「荷物は七時には届きますから。有り難うございました」

「ああ重かった・・・・肩痛いや」
「本当に体力無いのね。少し運動したら?」
そう言いながらもシンジの肩を優しくマッサージするアスカ。
「あ、ありがと」
徐々に肩が軽くなっていく。アスカの手の感触が心地いい。
「もういいよ、大丈夫だから」
ぐるんと腕を回し伸びきった腕に血液を循環させる。
そんな様子を見ていたレイはシンジの側によると口を開いた。
「碇君・・・ありがと・・・」

・・・感謝しているのね・・・あたし・・・嬉しいんだ・・・

最初にシンジが助けてくれた時もそう思ったのかも知れない。
自分の事を信じてくれた時もそう思ったのかも知れない。
髪が似合っていると言われた時もそう思ったのかも知れない。
そしてレイのために荷物を持ってくれたのも嬉しかったのだろう。
知っていただけの言葉が今、実体を持ち始めている。

嬉しいことはシンジの側に沢山在るのかも知れない。
いつか自分もシンジに『嬉しい』を返せるのかなと漠然と考えていた。

「二人とも、なにしてんのよ。もう行くわよ」
「うん、そうだね・・・そろそろ帰・・・」
「今度は靴ね。『コーティー』は向こうの方ね・・・ほら!!しっかり歩け!!」
アスカはシンジの手を握るとグイッと引っ張っていく。
レイはこの二人からはぐれない様にシンジの服の裾をしっかりと握っている。

シンジは二人の少女を繋ぎ、疲れ切った顔で靴屋さんへと重い足を動かしていた。
アスカの元気な声が、日が少し落ちかかる午後4時の街に響いた。

「その次はアクセサリーね!」

続く


よし、次行ってみよう!

ver.-1.00 1997-04/18公開

ご意見・感想・誤字情報などは dionaea@ps.ksky.ne.jpまで。


あとがき

チャカポコチャカポコふらいみーとざむうううんっと
またお逢いできましたね、ディオネアです。
『26からのストーリー第五話:似合う?』お読みいただき有り難うございます。
前回予告でラブコメがどうのと言ってましたが大嘘つきですね・・・・。
ラブコメにしようとしたらこれだもんなあ。次こそラブコメにするぞ!!

次があればな・・・ゲンドウ

難しいですね、ラブコメって言うのは。下手に書くと『めぞんねるふ』になっちゃうもんで。
でも・・・何とかなるでしょう・・・・(^^;
まあ、今後の予定ですが、たぶん30000HIT記念も書くので少し間が空くかも知れません。
ちゃんと書きますのでどうかお見捨て無きよう・・・m(__)m

皆様のご意見、ご指摘、ご感想、何でも結構です。勿論ご批判でも『こんなのアスカじゃない』でも喜んで読ませていただきます。
何かありましたらお便り下さい。

お読みいただき有り難うございました。

ディオネア


 ディオネアさんの連載「26ストーリー」第5話、公開です!!

 今回はシンジ・アスカ・レイの明るいお話なんだなぁと読み進んでいたのですが、
 それだけでは終わらない深さが徐々に伝わってきました。

 例えばユイさん、
 −子供達を愛している、それを形にするために物を沢山買い与える
  物を与えることが相手の為であるのと同時に、
  同じくらい、いやそれ以上に自分を納得させる為になっている・・
 世の中には、この彼女と同じように「とにかく物を与える」人は多いでしょう、
 しかし彼女が違うのは
 「それが自分のためである」事を知っているということでしょうか。

 シンジには、
  アスカを思うが故の葛藤。
 レイには
 そんなユイ・シンジ、そしてアスカに囲まれて徐々にレイに生まれていくモノ・・

 ”心”が行間から伝わってきていますね。

 

 訪問者のあなた。あなたはどう感じましたか?
 ぜひあなたが感じたことをディオネアさんに伝えて下さい。


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