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26からのストーリー

第二話:侵入者(後編)

「いい、戦おうなんて思っちゃだめ!レイを助けたらすぐ撤退!!いいわね」
円筒形の“エントリープラグ”と呼ばれるコクピットに乗り込んだシンジにミサトの指示が飛んだ。其の周囲では、エヴァ初号機を出撃されるべく技術課の職員達が作業を進めている。
「ミサト先生...」
やはり不安は隠せない。使徒の見せた圧倒的な強さ。
零号機と呼ばれたエヴァでは、歯が立たなかったのだ。今日初めてエヴァに乗ったシンジでは戦いようが無い。
だから囮になる、レイを助ける為に。
「大丈夫!初号機は一撃で壊れたりしないわ。落ち着いて私の誘導にしたがってね。」
取り合えず今は零号機を回収して仕切り直す、それしかなかった。
もっとも其の後どう戦うか、まだ考えては無いのだが。

「そろそろ始めるわよ。シンジ君、準備はいい、落ち着いて。痛みはないから。今から初号機を起動します!」
リツコの顔に険しさが表れる。シンジは適格者の可能性が在るのであって、確認された訳ではない。エヴァとシンクロ出来ない事も十分ありえるのだ。いや、むしろ其の確率の方が高い。
何しろ今エヴァを操っているレイでさえ、初号機は起動できなかった。
だからテストタイプの不安定な零号機を使っているのだが。

...だめなら...これまでね...

ミサトもリツコも同じ思いだろう。だがやらなければ結果は出ない。とにかくやるしかないのだ。選択の余地など何処にも無かった。

「マヤ...エントリープラグ挿入!!」
「エントリープラグ挿入完了」
「LCL注水!」
「な、うわ!!み、水漏れしてる...お、溺れる!!」
さっきまでの威勢の良さとはうってかわって、LCLと呼ばれる液体が注水されると情けない悲鳴を上げた。
「大丈夫よ、死にはしないわ、毒じゃないから。思いっきり吸い込んでしまいなさい。其の中でも呼吸できるわ」
おそらくリツコは詳しく説明する気はないのだろう、かなりいい加減な説明で納得させた。別に納得しなくても構わない。それ何処ではないのだ。
其の間にもモニターが様々に彩られていく。
「A10神経接続開始!...ハーモニクス正常!...各部神経接続終了!」
シンジの聞きなれない言葉が飛び交う。
そしてシンジは自分の体に異変を感じた。
まるで体が解けていくような感じ...全身を襲う蟻走感...目、手、足、皮膚、全てが自分の物でないような...
「うああ...くっ」
うめき声を上げるシンジ。狭いコクピットに押し込められ、水攻めに逢い、挙げ句の果てに全身の不快感...拷問を受けているようなモノだ。
「シンクロ率45.7%!..絶対境界線突破!!..パルス正常..初号機..起動します!!!」
一瞬リツコの顔がほころんだように見えた。
「よし!!いける!」
ミサトはそう呟くとNERV司令に顔を向けた。これから戦うのは、死地に赴き命懸けの戦いを挑むのは彼の息子だった。
「かまわん...やりたまえ」
NERV司令はそれだけの指示を下した。それがの指示すべてだった。

「初号機出撃!!」


今シンジは全身に恐怖を感じていた。
地上に射出され、これからエヴァを動かし使徒と渡り合わなければならない。
...動くのかな...これ...
「シンジ君、今は歩く事だけを考えて」
...歩くこと...動け...動け..動け!!
シンジを乗せたエヴァは其の巨体をゆっくりと揺らした。
「動いた!」
リツコを始め、エヴァ初号機の建造に携わった技術者達は万感の思いで其の光景を見つめていた。
だがミサトはその後の事で頭がいっぱいだった。
「取りあえず動いたわね。回収班準備よろしく!マヤ、奴が零号機から離れたら神経回路切断、プラグ強制排出して!!」
使徒の顔の無機質な空洞は、まだ頼りない歩き方の初号機に向けられた。其の途端、今まで攻撃を加えていた零号機を放り出すとシンジにゆっくりと近づいてくる。
「!!」
エヴァの目を通じてシンジに伝わる映像に使徒の全身が映し出された。黒く巨大な体、異様に長い腕、首はなく空洞が二つ開いた顔、腹に赤く光る“コア”、いずれも恐怖の対象になる。
ましてや今、零号機を血祭りに上げたところだ。そして...使徒は動いた。
初号機を血祭りに上げる為に...。
「う....」
シンジはただ呆然とするしかない。
心が潰される...どうすれば...いやだ...こっちに来た...怖い.......
そして凄まじい激痛がシンジの顔面を襲った。次に左腕、そして全身に衝撃が走ったときシンジはパニックに陥ってしまった。
「うあああ!!!!!わあああああああああああああああああ!!!」
「シンジ君!!落ち着いて!!とにかく使徒から離れて!!」
そんなミサトの叫びは彼には届かなかった。仮に届いたとしても何も出来はしなかったが。
「だめです!フィールド無展開!」
「自己防御プログラム作動しません!!」
そんな報告はミサトの心をより締め付けた。モニターの中ではさっきまで繰り広げられた光景が、役者を変えて繰り返されるだけだった。激しい激突音の度にシンジの絶叫が発令所に響き渡る。
「ミサト先生!!助けて!!うわああミサト先生!!ミサト先生!!ミサト先生!!」
彼女の胸に其の絶叫は深く突き刺さった。
「援護射撃はどうなってるの!!」
「目標が近すぎます!!もっと離れないと」
結局さっきと同じ事の繰り返し...だが...ミサトの頭の中に一つの疑問が湧き出した。

...なぜ司令はシンジ君を出撃させたの...こうなる事分ってたのに...

幾ら初号機の完成度が高くても、ぶっつけ本番では零号機より話に成らない。ましてパイロットは今日初めてエヴァに乗ったときている。どうにか出来るはずがない。はずはなかった。

...どうにも成らない事分ってて...まさかね...じゃあどうにか成るって事?...

其の答えを求めるかのようにゲンドウを見つめたが...其の表情はいつもと同じだった。


シンジは諦めた。消えかかった意識の中で諦めた。

しょうがないよ...しょうがないんだ...無理だったんだ...しょうがないよな...
僕に出来る訳なかったんだ。...僕はもう死ぬのか....しょうがないよ...

ミサトの声が聞こえたが、気に止める事はなかった。全身を襲う激痛、圧倒的な恐怖、それらに耐えられるシンジではない。唯一彼に出来る事といえば諦める事だけでしかない。

「パイロット心拍および呼吸数減少!!神経系過負荷!もちませんよ!これじゃあ!!」
「エヴァ、各神経接続部切断!!」
時が経つにつれミサトになされる報告はより深刻になっていく。だが実行すべき手段は何も無い。
「!!」
使徒の腕から伸びた光の槍が初号機の頭を突き刺した。オペレーターの報告はミサトの胸を串刺しにした。
「...初号機活動停止...パイロットの生死...不明.....」

バカシンジ..早く起きなさいよ...何時まで寝てるの

いいだろ...疲れてたんだ..もう少し寝かせてよ

だめよ!!遅れちゃうでしょ。それに起こすって約束したんだからね

遅れちゃうって...何?...それに...約束って...

早く起きなさいよ...早く起きなさいよ...早く起きなさいよ......

............

だれ...誰か居るの....知ってる....この人...良く知ってる...誰だっけ...

消えかけた意識の中に記憶から紡ぎ出された一つの光景が見えた。それは見覚えのある光景...
一件のブティック。いつかアスカに無理矢理付き合わされた店....。

...そう言えば...前に行った事あったな...もう一度行こうって言ってたっけ...

誰が...そう..アスカ...アスカと行ったんだ...アスカ...ごめん...もう...

何で逢えないんだろ...僕死ぬからか...死ぬ...母さん...父さん...

何か言ってたな...そう...使徒を倒せって...でないとみんな死ぬって...

みんな...アスカも...アスカも..アスカも.アスカも!!
だめだ!!まだ!まだ死ねない!!助けなきゃ!!アスカも!!綾波も!!

そのために乗ったんじゃないか!!

...そうよ...だから手伝ってあげるから....

「....!!初号機に反応!!そ....そんな」
失意のミサトの耳に届いた報告は彼女のみならず、その場の全員を凍りつかせた。
「さ、再起動しました!!」
「馬鹿な!!まさか...暴走...!!」


第三新東京市Fエリア。対使徒用海岸線戦闘区域。
数多くの兵装ビルの立ち並ぶ中、それは悠然と立ちあがっていた。そしてそれを見つめる使徒。咆哮と共に初号機が跳ねた。振りかざされる腕。
それは使徒の持つATフィールドと呼ばれるバリアに防がれた。そのはずであった。
「!!ATフィールドを引き裂いた...一撃で!」
ミサトの言うようにエヴァは腕を一降りしてATフィールドそのものを引き裂くと使徒の顔を片手で掴んだ。そのまま放り投げる。自らも飛び、地面に叩き付けられた使徒の赤く光るコアを踏み潰す。
今までとは全く違っていた。さっきまでとは全く逆の光景。
今度は使徒の腕を掴むとそれを力任せに引き千切る。そしてもう一方の腕も。
体液のようなモノがビルを染めていく中、だが初号機の攻撃はまだ終わらない。
両腕をもぎ取られ立ちすくむ使徒の今度は足を踏み砕いたのだ。
何かが折れる音が響き渡り地面に倒れ込んだ。それを足で幾度も踏み付けた。

まるで今迄の礼をするかのように。

「誰がやってるの....」
誰もがモニターに見入り、口を開けない中リツコがかろうじて呟いた。
「あれに乗ってるのはシンジ君よ。今更何を....」
「彼に出来る分けないわ。無理よ。扱い方もろくに知らないのに....」
リツコの言葉にそんな彼をあそこに引きずり出した事に自己嫌悪をミサトは感じていた。
だがリツコの言う事も解る。考えてみれば訓練も無しにエヴァで戦うなど不可能だ。
だとしたら...。
「勝ったな......彼女が」
冬月は安堵したように呟く。だが呟かれた方は何も答えず、ただ其の戦闘をじっと見つめていた。
やがて初号機は使徒の“コア”を掴むと一気に体から引き剥がす。決着は付いた。
そして其のコアを天に掲げると咆哮した。
勝利の雄叫びを上げるかのように...。


「使徒...完全に沈黙!!...パイロット生存確認!!脳波ならびに呼吸器系、循環器系正常!!無事です!!やったあ!!!」
報告が済むと発令所は大歓声に包まれた。様々な物が飛び交う中、ミサトは床にへたり込んでしまった。其の目は涙ぐんでいた。リツコは煙草を口にくわえると静かに火を付けた。オペレーターの三人は飛び跳ねて喜んでいる。それぞれがそれぞれの方法で喜んだ。
今まで皆を押しつぶしていた空気はすべて一掃された。

「ん、碇...何処へ行く?」
「少し外す。後を頼む」
それだけ言い残すと何事もなかったようにゲンドウは執務室へと消えていった。
「ふう...奴も大変だったな...」

“司令執務室”と書かれた部屋に彼はたどり着いた。いつもどうりに部屋の前まで来ると、やはりいつもどうりに扉を閉めた。
閉めるまではいつもどうりだった。

扉が閉じた途端、膝が震えだし、おまけに手も震えだした。どうにかこうにか這うように椅子までたどり着くと今度は全身が震えた。
「ふううううううううううううううううう」
いっきに緊張が解け、大きな溜め息を一つつくとゲンドウは窓の外を見つめていた。
其処にはジオフロントの研究都市が集光ビルからの明かりに照らし出されている。
人の作り出した景色。
「これからだな....」
それだけ呟くと彼はひとまず休む事にしたらしい。
汗でぬれた服を着替えるのも、カラカラに乾いた喉を潤すのも後の事だ。
今は安堵したかった....。


「全く!!こんな時あのバッカ!!何処うろついてるのかしら?」

辺りを見回しながらそんな言葉をアスカは漏らした。
苛ついているのは幼馴染であり、同級生であり、同居人であるシンジが避難命令が出ているにもかかわらず避難所に其の姿が見えないからだ。
一体何度同じ言葉を口にしたのか...ただ避難して間も無い時に比べて、其の表情に心配の色がより濃くなっている。
「大丈夫よ。ミサト先生も一緒だし...きっと他のブロックに避難してるのよ」
ヒカリもまた同じ言葉をアスカと同じだけ繰り返していた。彼女の気持ちも良く分る。
時折感じる振動、聞こえる爆発音...何が起きてるのかは判らないが、その度にアスカの表情が険しくなるのを見ると、ヒカリは慰めざる負えない。

「大丈夫や。あの音じゃ相当遠くやってケンスケも言うとったで。シンジ達やったらどうせこの辺のブロックや。無事で居るに決っとるがな」
「そうそう、仮に避難ブロックに入ってなくてもこの辺は被害は無さそうだしね。あの音じゃ...そうだな、海岸の辺りの開発地区じゃないかな。あの二人がわざわざそんな所まで出かけるとも思えないし」

さすがにアスカの青くなっている顔を見て柄にもなくつい慰めてしまった。落ち込んでいるアスカなどトウジもケンスケも見たのは初めてだった。
怒り狂っているのは良く見るが...。
「バ、バカじゃない!!あ、あたしがバカシンジの心配なんかする訳無いでしょ!!ふん、どうせその辺で大人しく隠れてんでしょ。全く...ほーんと、迷惑ばっかかけるんだから。ふん!!」
彼女を慰めた三人の同級生は、顔を見合わせると苦笑した。
もっとも事実を知らないからであって、ついさっきまでシンジは、命懸けで戦ってたなどとは夢にも思わないだろう。

...第一種避難命令は解除されました。係員の誘導にしたがって避難所より退出してください。...午後3:30をもって...


「どうしたの」
リツコはシンジの寝ている病室とは、反対の方向に行こうとしているミサトを呼び止めた。
彼女の様子はまるで逃げるかのように見える。

「そっちじゃないでしょ。何処行くつもり。」
「いいじゃない、どこだって....」
「彼らに会わないの?二人ともそろそろ起きるわよ?」
ミサトは静かに首を横に振った。其の姿は余りにも痛々しかった。
「作戦の事?しょうがないわよ、誰だってあれ以上の事は...」
「違うわ。...その事じゃなくて...あわせる顔が無いの...特にシンジ君にはね....」
「...じゃあ、何...」
ミサトは振り返ってリツコを見つめた。その顔は今にも泣き出しそうであった。
「彼さっきなんて叫んだと思う...“ミサト先生、助けて”って叫んだの。わかる?ミサト先生よ!!あの子...自分をあんな所に放り出したあたしを...そんなあたしに助けを求めたのよ...何も出来ないあたしに!!」
「.....」
リツコは無言だった。今は聞き役に回るしかない。
「先生だって...笑っちゃうわよ....自分の生徒をあんな所に行かせる教師なんて居ると思う!!そんな酷い教師なんて...ましてあの子を囮に使ったのよ!!先生なんて呼ばれる資格無いわ!!信じてくれた子を裏切ったの!!道具に使ったの!!殺しかけたの!!....どんな顔して会えっていうのよ....」
涙を堪えている分、より悲しげに見える。
「だからって会わない訳にはいかないわよ。これからだって...」
「解ってる、葛城三佐として仕事はする....ミサト先生はもうだめ....出来そうに無い....」

シンジをあそこに引きずり出した事が今更ながら心を軋ませる。エヴァのパイロットを戦場に送り出したのではなく、教師が生徒を死地に送り出した。
すべては計画の上で・・・。
その事を一番良く知っているのがミサト本人だった。
そしてそれは消す事も忘れる事も出来無い刻印となってミサトの心に焼き付けられた。

今の彼女にはもはや“葛城三佐”としてしかシンジ達に合う事が出来そうもなかった。
「あの子はきっとミサト先生を探すわよ。確かに酷い先生だけどあの子はそれでもミサト先生を探すわよ。それでも貴方は答えない訳?」
リツコの声はいささか無機質な感じがする。この時は意識的にそうしていたのかもしれない。
「命懸けで戦ったあの子を放っておく訳?」
「........」
「貴方がどう責任を感じるか知らないけど、あの子が望むならそうしてあげたら。それくらいの権利はあると思うわ。あの子達にだって....」

もしかしたらリツコも何処かで彼らに対する引け目を感じてたのかもしれない。だからミサトに“ミサト先生”である事を薦めたのだろうか。


...何処だろ...
辺りを見回すと少なくとも自分の部屋ではない事に気づいた。ぼうっとした頭の中にいくつかの光景が蘇る。爆炎、奇妙な模様、数字の並んだモニター、そして使徒。
「!!」
それらは自分が何をしていたのか思い出させた。

...戦ってたんだ....使徒と...だけど、頭に穴が開いて...

頭の痛みを思いだし思わず顔を歪める。だが、その後の記憶が無い。頭に穴が開きそれから...この病室までの間の記憶が飛んでいた。
「綾波...アスカ...みんな大丈夫なのかな?」
そのうちのレイが無事なのはこの場で確認が出来た。赤い瞳の彼女はすぐそばに居て、シンジを見つめていたのだった。

「綾波...よかった、無事なんだ....」
「...ええ...碇君も大丈夫...」
「うん....その...ごめん...」
「..どうして謝るの...」
「もっと...早くエヴァに乗ってれば...だから...其の...」
「...いいの...」

それきり会話は沈黙に飲み込まれた。
だが静寂は不快ではない。むしろ心地よかった。
彼女から向けられた視線も心地よかった。初めて会った時の印象とは別人のような感じだ。
「!!痛」
身体を起そうとした時に軽い痛みがシンジの全身に駆け巡った。その時レイの腕がシンジの背中に回され彼を支える。
「あ、ありがと。大丈夫だから」
慌て礼を言うが顔が少し熱くなるのを感じた。だがレイは背中から腕をどかさず、そのまま支え続けている。シンジも無理に退かそうとせず、少しだけ体重を預けた。
「...とっても怖かったんだ...諦めたんだけど...でも..」

突然病室の自動ドアが開き、一人の女性が入ってきた。
「シンジ君、気が付いたんだ...よかった。大丈夫?」
ミサトはいつもよりトーンの低い声で話し掛けていた。
「ミサト先生!...大丈夫です。ちょっとあちこち痛いけど」
軽い笑みを浮かべながらシンジは肩を慣らすようにまわした。
「そうなの。よかった。今日は良く頑張ったわね。みんなも喜んでたわよ。」
「どうしたんですか?なんか元気無いみたいだけど...大丈夫ですか?」

シンジは、なんか皆で大丈夫?と言い合ってるな、などと思いながらもやはり口にした。
実際、誰もが大変だったのだ。終わった後に本人の口から無事を確かめたい、それが目の前に居る人でも。
「何でもないのよ。あ、一応報告しとくね。使徒は殲滅。市街地に被害は無し。民間人にも死傷者無し。ちょっち上手く行き過ぎたくらいね。ほんと良くやったわ、シンジ君」
最初に戦った自衛隊員の死傷者は百人単位だが、それを今言う事もないと思い取り合えず伏せた。

「そうですか...じゃあ、母さんやアスカも無事なんだ!!」
「ええ、市街地は何とも無かったから」
シンジは早く帰りたいと思った。自分の目で確かめたかった。
「シンジ君...ごめんね...無理矢理戦わせて...貴方の担任なのに...危ない事させて...本当にごめんね...」
今にも泣きそうな声でミサトはどうにか呟いた。その様子は彼女がまるでシンジより年下のように見える。今にも泣き出しそうな、必死に涙を堪えている少女、そんな感じだ。
「....」

シンジはどう答えたらいいか分らない。年上、しかも女性に謝られるなどという経験は、シンジには無かった。慰めればいいのか、怒ればいいのか、それとも強がればいいのか、答え方は数あれどどれを選べばいいのか迷ってしまい、黙り込んでしまった。
「頼るしかなかったの。皆あなた達に頼るしかなかった。許されないとは思うけど、でも」
「ミサト先生...詳しい事分らないけど、皆無事でよかったと思う...だから...謝んないでください」
それがシンジに出来る精いっぱいの答えだった。言いたい事は沢山在ったのかもしれない。だが、今はどうでもよかった。アスカもレイも母さんもクラスの皆も無事、今はそれで満足だった。
「ありがと...ほんと...ありがと」
レイの見つめる中、シンジを抱き寄せて口にした言葉。精いっぱいの言葉。
沢山感謝する事は在ったが、言葉にならない気持ちは涙になってシンジの肩をぬらしていった。

「ふう、大丈夫ね,まだ」
シンジの病室の様子をナースルームのモニターで見ていた赤木リツコ博士は、同僚がどうするか見ていたが、さっきの様子を見て安心したように呟いた。
ミサトの落ち込みようが酷かったので一応心配していたらしい。無論単なる覗き見だったのかもしれないが。

...全く、だから担任なんて引き受けなきゃいいのに。お調子者だから、昔っから...

吸っていた煙草を揉み消すとモニターのスイッチを切った。

...私じゃ無理ね...耐えられない...強いわね、ミサト...

検査の結果異常無し、よって帰宅許可。
一時間ほど待った甲斐があってシンジとレイは自宅に帰れる事になった。ちなみにレイは今日初めて碇家の住人となる。今日の大騒ぎでシンジはすっかり忘れていたのだが、
「...私のうちは?...」
のレイの一言でようやく思い出した次第だった。

ミサトの車でシンジとレイは“自宅”に送られていった。
「父さんはどうしたんですか?」
「司令?さあ、そのうち帰ってくんじゃない。色々忙しい人だから。」
彼女には執務室で緊張が解け放心状態となっている碇司令の姿は、想像の範囲の遥か彼方だった。
「ミサト先生、ええと“ねるふ”でしたっけ。何で其処と関係あるんですか?」
気分が落ち着くと様々な疑問が浮かぶ。後で詳しく話すと言ったミサトの言葉を思い出し、取り合えずシンジは身近な事から聞き始めた。
「あたし?あたしはね、あそこの作戦司令部の部長なの。作戦司令部、葛城ミサト三佐、それがあたしの役職。ミサト先生は世を忍ぶ仮の姿、なんちって」
にかっと笑いながらシンジに答えた。
「でもなんで教師もやってるんですか?....ネルフってそんなに給料安いんですか」
同情するような眼差しをシンジは向ける。
「あのねー、ま、いっか。実際給料そんなに高くないし...。それよりお父さんの事聞きたいんじゃない?」
「ええ...父さん...何で...何も言わなかったんだろ」
シンジの顔が曇った。レイが気にするようにシンジの顔を覗き込む。だが、かける言葉は見つからないらしい。
「シンジ君、あたしが教えてあげられるのはお父さんの仕事だけ。司令の心の中までは分らないわ」
「...父さんて何やってるんですか?」
「特務機関NERVの総司令。要するに一番偉い人。だけどその事をなんでシンジ君に言わなかったのかは分らない。直接司令に聞いてくれない」
「そうですか...でも聞いても何も言わないだろうな」
シンジは諦めざる負えなかった。自分の父親は昔から何を考えてるのか良く分らなかった。多分聞いてもまともに答えないだろう。
「それとね、シンジ君。エヴァの事やネルフの事は誰にも言わないで。もちろんあたしの事もね。解ってると思うけどあたし達の事って極秘事項なのよ。表沙汰に出来ない事もあるしね」
「ネルフって秘密組織だったんですか?それに表沙汰に出来ないってなんか犯罪でもしたとか...」
「まっさかー。ただ宣伝してまわるところじゃ無いって事よ。大体昔っから“正義の味方”って正体隠すじゃない。それと一緒よ」
くだけた言い方をしながらもミサトは、今日の事を口外しないように再度求めていた。シンジは釈然としないながらも理解は出来た。
通常兵器では太刀打ち出来ない使徒を簡単に殲滅して見せたエヴァ。
そんなモノを持っているネルフには、確かに表沙汰に出来ない事もあるだろう。

正義の味方は正義の味方だけではいられないのだ。現実では。

シンジはミサトの指示が無くともアスカには内緒にしておくつもりだった。この事を教える事で彼女を巻き込んでしまうような気がしたからだ。それだけは絶対に避けたかった。もっとも
「巨大ロボットに乗って悪い怪獣と戦いました」
などと言ったところで信じる訳がないし、はっきり言って別の意味で心配をかけるだろう。
「解りました。当然アスカにも内緒ですね。...母さんは知ってるのかな...」
「ええ、貴方のお母さんはご存じよ。既に連絡が行ってると思うわ」
「そうですか...」

母親の顔を思い浮かべ心配かけたかなとしおらしい事を考えていた。

既に夕焼けで赤く染まった市街地をミサトのルノーはダミーノイズを響かせ走りぬけていった。避難所から出てきた人々が忙しそうに日常に復帰すべく動いている。
シンジが、レイが守った街。だがシンジに実感はない。事が余りにも現実離れしている。TVゲームの中の出来事のような一日。だが使徒との戦いは現実に起きたし、シンジが戦ったのも現実だった。
流れ去っていく点り始めた街の明かりはシンジを日常に戻す誘導灯になるのだろうか....。


「ただいま...」
恐る恐るシンジが自宅の玄関を開けたのは午後6:30を回っていた。
無論アスカが居ればしのごの言い訳をしなければならなかったからどうしても、腰が引けてしまう。が、彼らを出迎えたのは、母親のユイだった。
「お帰りなさい。二人とも今日は本当にご苦労様」
母親の顔には優しい労りの笑みが浮かんでいる。そしてユイの手がシンジの頭をそっと撫でた。
「お疲れ様...シンジ」
「うん...」

中学二年ともなると母親に撫でられれば照れくさいだけだが、今日は素直に嬉しく思える。この街を守った、と言うより自分の大切な人たちを守ったと実感できたのかもしれない。
そして自分のやった事が誇れる事だと思えた。シンジの見せた笑顔は、僅かに、本当に僅かだが逞しくユイには映った。

「アスカちゃん、シンジ帰ってきたわよ。レイちゃんも一緒よ」
二階に向けてアスカに伝えるとバタバタと二階から駆け下りてくる足音が響いた。そして階段を下りるのがもどかしくなったのか、途中から一気に飛び降りてシンジ達の前に姿を現したのは、いままで心配していたと解る顔をした少女だった。
「このバカシンジ!!!今までどこうろうろしてたのよ!!全くどこまで心配させるつもり!!この馬鹿!!!!」
泣き顔と怒った顔が合わさったような少女の顔にシンジはドキッとしたがやはり言い訳を始めざる負えなかった。
「ご、ごめん。避難所に行く途中にミサト先生とはぐれちゃって,それで避難所に行ったらもう扉がしまってて、しょうがないから他の避難所に行こうとしたら綾波と一緒になって...それで...」
ミサトの車の中で練習した言い訳にもかかわらず要領を得ないシンジの説明は、やはりアスカを苛立たせた。やはりアスカに嘘を付く罪悪感が口の動きをぎこちなくしたのかもしれない。
「何が言いたいの!!何が!!」
「う、うん。だから他の避難所に行ってたんだ。そこで色々係りの人の手伝いさせられて遅くなったんだ。...その...ごめん、心配かけちゃって」
ようやくシンジの言いたい事が掴めたのか、アスカは納得したようにシンジの顔を見やった。
「そう...綾波さんもそうなの?」
「...ええ、此処は初めてだから碇君の後をついて行っただけ...」
悪びれもせず答えるレイ。アスカにしてみれば取っ付きにくい相手ではある。
よって矛先はやはりシンジに向けられた。
「あんたの心配なんかする分けないでしょ!!大体あんたは普段からボケボケッとしてるからいつまで経ってもそうなのよ!!要領悪いったらありゃしない。面倒見てるあたしの身にもなってよね!!シンジの分際でこのあたしに心配かけるなんて千年早いわよ!!!!」

言うが早いかシンジの首を絞め上げ、それでも足りないのかヘッドロックをかけていた。さらにまだ気が済まないのか飛びゲリを食らわせ今度は逆えびがためをかける。
「く...苦しい...イ!イタイタイタイタ...イタイ!...ぐっ」
鮮やかな紫色の顔をしながらもシンジは、やっぱり心配させちゃったなと申し訳ないような気になっていた。
そんな光景を微笑ましそうにユイは眺めていたが、シンジが無意識の世界に入り込む前に、彼らに伝えなければならない事が在る。

「さあさあ、その辺にして晩御飯にしましょ。さあ、レイちゃんも上がって!みんなおなか空いたでしょ」

偉大なる慈母神のお言葉は育ち盛りの少年と少女のおなかにありがたく響き渡ったのだった。


次回に続く続いてしまう

ver.-1.00 1997- 03/23

ご意見・感想・誤字情報などは dionaea@ps.ksky.ne.jpまで。


作者より

どうも初めまして。私「ディオネア」と申します。第一話、第二話(前、後編)お読みいただき有り難うございましす。皆様方の目を汚すような作品なのですがここの管理人様の御好意により掲載させていただきました。

さてようやく導入部分が終わりました。一応「もし26話に使徒とエヴァが出てきたら」と言う思いつきの設定です。
ですからユイさんもいます。ゲンドウ氏もリツコさんに手を出していません(^^;
とりあえず最初なのでTV版とほぼ同じ形でしたが、今後は話がいささか違ってきます。
キャラクターの性格も多少違ってくるでしょう。
ユイさんが生きているのになぜレイがいるのか、というのはいずれ・・・ってやつですね。
うまくいくかどうか・・・・まあ、奇跡ってのは起こすもんだそうですから。

では、今後ともどうか見捨てずにつき合って下さい。
「こんなとこ間違えやがって」とか「こうしたらどうなの」などご意見、ご希望、ご感想
ございましたらどうぞ遠慮なくおっしゃって下さい。心の底からお待ちしております。
是非参考にさせていただきます。

お読みいただき本当に有り難うございます。 m(__)m

302号室 ディオネア



 初号機の戦いがついに始まりましたね。

 送り出す者、出される者、それぞれの思惑や緊張感が伝わってきます。

 動かない初号機を蹂躙する使徒。
 反撃を開始し一方的な勝利を収め、コアを手に咆哮する初号機。

 映像とは違う、文章の臨場感が迫ります。


 そして、戦いが終わった後のそれぞれの心情。

 苦悩・葛藤・安堵・・・

 シンジが家に帰ってきてのシーンで私もほっとしました。


 読者の皆さんも、ぜひ、ディオネアさんにエールを!


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