セカンドインパクト以降,夜明けが早くなった.
登校時間には,すでに太陽はかなりの高さに上っており,ジリジリと兵装ビル群を焦がしている.
いつものそんな風景の中をシンジとアスカは,並んで学校への道を歩いていた.
度重なる使徒の来襲により,多くの人達が町を離れて疎開している今,シンジが初めて第3新東京市に来た時の活気は
すでに過去のものとなっている.
シャッターの下りた商店が目立ち,行き交う人々も疎らだ.
それでもシンジにしてみれば,何週間かぶりの学校である.町の風景は様変わりを見せてはいても,シンジは
まだ自分が中学生であると言う変わらない事実に,なにか安心感のような物を感じていた.
隣りを並んで歩くアスカは,しきりに左手の薬指を目の前にかざしては,太陽の光を受けて赤く輝く指輪を眺めている.
朝起きてからもう何十回目だろうか.その度に歩く速度が遅くなる.
そんなアスカを横目で見ながら,シンジは時間を確認する.
「アスカ!急ぐよ.」
そう言ってから,シンジはアスカの手を取って走り出した.
「きゃ!ちょっ,ちょっと.」
シンジに手を握られ強く引かれてびっくりしたアスカだが,すぐさまシンジについて走り出した.
急いだおかげで,何とか遅刻は免れた2人であったが,二人が教室に入ると,全員が二人に注目した.
久しぶりのシンジの登校,そうして仲睦まじく手をつなぐ2人が立っていた.
「おやおや,朝から見せ付けてくれるねぇ.」
ケンスケが,そう言いながらレンズを二人にすばやく向ける.
ファインダーの中で,アスカとシンジは顔を赤くしながら慌てて手を放した.
「いっ,いや,あの,これは・・・.」
シンジは照れ隠しで何か言おうと焦っているが,アスカの方は,頬をうっすらと赤く染めただけで,
いつもの罵声が飛んでこない.
何も無かったかのように自分の席に着いて,ヒカリと談笑をはじめた.
シンジは,言い訳が見つからないまま教室の入り口に立っていたが,教室を見回した時にふとある事に気付いた.
教室がいやにがらんとしているのだ.
シンジがいない間に,生徒の数がかなり減っていた.
ほとんどは家族と共に疎開したためだが,中には度重なる使徒の攻撃のために死亡したり,負傷して
入院している生徒も何人かはいるのだ.
トウジの席に視線を移したシンジは,未だ入院している親友を思い出し,胸が痛んだ.
「おい,シンジどうしたんだ?」
ケンスケが,ヒカリと談笑するアスカをレンズで追いながら,シンジの方に歩いてくる.しかし,立ち止まらず,
ケンスケはそのままシンジの横を通り抜けた.
すれ違いざまにシンジにだけ聞こえるように耳元で呟いた.
「シンジ,惣流の左手の薬指,おまえが贈ったんだろ?よくやるよ・・・.まぁ,お幸せに.」
ケンスケは一瞬歩みを止め振り替えると,アスカとシンジをファインダー内に収めた.
楽しそうに笑うアスカと,ケンスケの目から見てもたくましくなったシンジの一瞬.
レンズ越しの視線を2人から離し,ちょっと天井を仰ぐと何事も無かったかのように教室を出て行った.
「ちょ,ちょっとケンスケ,どこ行くんだよ.」
「気分が悪いから,ちょっと保健室に.」
その日ケンスケはとうとう教室に戻ってこなかった.
一方,アスカと談笑しているヒカリもアスカの左手の薬指の指輪には当然気付いていた,いやクラスの
女性徒ほとんど全員が気付いていたのだが,問い詰めるのは次の休み時間と決め,今は知らないふりを決め込んでいるのだ.
嵐の前の静けさの如く,いつものように時間だけが過ぎて行った.
1時間目の終了とともに,ヒカリはアスカを連れ出した.
レイを除くクラス中の女子生徒全員も,2人の後を追いかけて教室から消えている.
女の子の目敏さに感心しながらも,問い詰められるアスカに同情を覚えるシンジであった.
ヒカリはアスカを屋上へと連れて行った.
屋上のフェンスまでやってきた二人を遠巻きに女性徒達が囲んだ.遠目から見ると,まるでアスカが
集団でいじめられているようだが,よく見ると女性徒達の顔は皆にやけている.
当事者であるアスカは,状況が飲み込めずきょとんとしている.
口火を切ったのは,もちろんヒカリだった.
「ねぇ,アスカ,その左手の指輪どうしたの?」
「え,これ,もちろんシンジにもらったのよ.」
ギャラリーからどよめきが起こる.
そんなことにはお構いなく,ヒカリは次の攻撃に移る.
「左手の薬指の指輪の意味,も・ち・ろ・ん,知っているわよね?」
「ええ,もちろん知っているわよ.それがどうしたの?」
アスカは,指輪をここにするのがさも当然,とでも言うような顔をしている.
ギャラリー達は,「おとなしい顔してやるわねぇ,碇君」だの,「以外に手が早いのね,碇君って」とささやき合っている.
「アスカ!あなたいつ碇君と婚約したの?親友の私には一言も無かったじゃない.」
「え,婚約,婚約なんてまだしてないわ.ただ,シンジが『この指輪をいつも付けていてくれって』言うから
この指に指輪をはめさせたの.」
ヒカリを含めギャラリー全員があきれていた.
「はい,はい.相変わらずお熱いことで.」
ヒカリの声を合図に,ギャラリー達は口々に勝手なことを言いながら,屋上を後にした.
ヒカリは,アスカがなぜ左手の薬指にこだわるのか,真意が分からなかった.
アスカとシンジの関係を知るヒカリから見ると,婚約していてもおかしくはないのだが,
如何せん二人とも未だ14歳である,一般常識的には早すぎる.
「アスカ,何もその指じゃなくても良いじゃない,婚約もしていないのに変よ.」
「婚約している,していないは関係ないのよ.アタシはこの指に付けていたいの!」
「それにしても,指輪を贈るとは,碇君も思い切ったことするわね.」
「そうね,シンジにしては珍しいわね.指輪の趣味も悪くないし.」
シンジが指輪を贈った真意をまったく知らない2人は,好き勝手な感想を述べていた.
最も,2人が考える意図も幾らかは含んでいたのだが.
結局,アスカ達が戻ってきたのは,2時間目が始まる直前であった.
一足先に屋上を後にした女生徒達は,わざわざシンジの席にやって来ては,「お幸せに.」だの,
「泣かせちゃだめよ!」だの,「結婚式には呼んでね.」だの,果ては「赤ちゃんはいつ?」などと
口々に勝手なことを言って自分の席に戻る始末.これにはシンジもまいってしまった.
遅れて戻ったアスカの方を見ると,幸せの絶頂と言う顔をして相変わらず指輪を見つめている.
シンジは,そんなアスカを心からかわいいと思った.
この事件以降,アスカに対して”碇夫人”という呼び名が一部で囁かれたが,本人にはまったく気にした様子はなかった.
その日の2時間目以降は,大した騒動も無く1日の授業を無事終えた.
ただ,シンジのもとに届いた1通のメールが,異変といえば異変であった.
そのメールの送り主は,綾波レイである.
内容は簡潔を極めていた.
『放課後,部屋に来て.』
放課後,アスカには本部に用事がある,と言って,シンジは以前尋ねたことのある綾波のマンションへと向かった.
アスカにうそを付くことに心苦しさを感じるシンジではあったが,レイのことはやっぱり気になった.
廃虚と呼ばれてもおかしくないような高層マンションの1室に,綾波は住んでいる.
この一帯は,依然シンジが訪れた頃よりも,一層人の気配が薄れ,冷たい感じすら漂ってくる.
階段を上りながら,シンジは以前のレイの部屋でのハプニングを思い出した.
気恥ずかしい気分のまま,綾波の部屋のドアの前に立ったシンジは,ノックすることを一瞬躊躇した.
その時,ドアが内側から突然開き,青い髪の少女が顔を出した.
「入って.」
シンジは,突如開いたドアに面食らい,少女に言われるままに部屋に入った.
部屋の中は相変わらず殺風景で,14歳の少女の部屋とはとてもイメージできない.
レイは,部屋の窓を背にしてシンジに向き直り,赤い瞳でシンジの瞳を覗き込む.
「綾波,どうかしたの?」
レイが自分を呼んだ理由に,シンジは何となく察しはついていた.
レイは単刀直入に話しを切り出す.
「碇君が誘拐された時,私に呼びかけてくれたこと.何故あんな風に碇君と話ができたの?
あの時,碇君をとても身近に感じたの.今まであんなこと一度もなかった.」
レイは真っ直ぐにシンジの目を見詰めながら,いつものように淡々と話した.
レイからの問いは,シンジが予想していた通りの内容であった.
シンジは部屋の隅から椅子を持ってきて,ベッドの横において腰掛た.レイもシンジが座る椅子の正面でベッドに腰掛け,
シンジを見つめる.
レイは心なしか緊張しているようにも見える.
シンジは,昔話でも語るように話し始めた.
「10年前,エヴァの起動実験が初めて行われた.しかし,実験は失敗,起動するどころかパイロットは
エヴァに吸収されてしまったんだ.僕と同じようにね.
すぐさまパイロット救出の為にあらゆる手段が取られたが,結局救出できたのはパイロットではなく,
年の頃4,5歳の女の子だったんだ.」
「それが私・・・」
レイが小さな声で呟いた.
シンジは,話しを中断し,手をレイの腕に伸ばした.
「ちょっとごめん.」
そういうとシンジはレイの手を取った.
『今から僕が話すことは,ネルフでも極一部の人間しか知らない事なんだ.監視の目と耳が有るので
ちょっと特別な方法で話を続けるよ.』
レイの意識の中にシンジの言葉が染み込んでくる.
レイはうなずき,瞳を閉じた.
途端にレイの意識の中で,シンジのイメージがはっきりと感じられる.
暖かい,レイがシンジのイメージから感じる感覚は,今までにない暖かみであった.
シンジのイメージが,心の中で話し始めた.
『いいかい,綾波?』
レイも意識の中のシンジに集中した.
シンジの瞳が赤く輝き出す.それと呼応するかのようにレイの瞳にも赤い輝きが灯り始めた.
意識の中で,より強くシンジの声が伝わる.
『そのエヴァに吸収されたパイロットの子宮の中には受精卵が存在していた.もちろん,彼女の夫を含め
他の人はそんな事は全然知らなかった.当のパイロットも,その時は気付いていなかったんだ.
そのパイロットは,エヴァの起動実験の結果,自分がどうなるのか完全に理解していた.全てを
理解した上でエヴァの起動実験のパイロットを望んだんだ.』
レイの中で悲しみのイメージが湧きあがる.
レイは,薄く目を開けてシンジを見たが,シンジは顔を伏せていたため,表情は見えない.
『エヴァが起動する為には人柱,つまり,人の魂が必要なんだけど.その人柱に母さんは進んで志願したんだ.
エヴァの心となった母さんは,エヴァの中にもう一つ小さな魂が存在することに気付いた.
それが自分達の子供だということを知った母さんは,僕と同じ年格好の女の子としてエヴァの外に産み出したんだ.』
『じゃ,私は碇君の妹・・・.』
『ああ,そうだよ,レイ.』
窓からの風がレイの青い髪を躍らせ,光が青く光らせる.
二人は,目をつぶり手を握り合ったまま静かに座っている.時間の流れが止まっているかのように.
『今の僕と綾波は,とても近い存在,兄妹なんだ.だから離れていても意思の疎通ができるんだ.』
シンジの中のレイは,はにかんだ様子で,シンジに尋ねた.
『一度だけ”・・・・・”て呼んでもいい?』
あまりに小さな意識なので,よく判別できなかったが,レイの気持ちを察したシンジはいいよ,と答えた.
レイのイメージは顔を上げ,少し幼く見える笑顔で囁いた.
『・・・おにいちゃん.』
「レイ.」
シンジは意識ではなく,言葉で答えた.
自分にも血のつながる人がいた,世界との絆が有った,何と言う感激であろう.
レイの心には,今までに感じたことのない充足感が止めども無く沸き上がってきた.
そしてその感覚はシンジの心の中にも痛いほど響いてくる.
レイの赤い瞳には涙が溢れ,握ったシンジの手を濡らした.
「これが涙?私,泣いているの?私,悲しいの?」
レイは自分の目からあふれ出る液体を掌に受け,シンジに問い掛けた.
「そう,涙だよ.だけど,人は悲しい時だけ泣くわけじゃないんだ.嬉しい時だって泣くんだ.
ほら,綾波が盾になって僕を助けてくれた時,僕も泣いていただろう?それは,綾波が生きていて
本当に嬉しかったんだ.それで涙が出てきたんだ.」
「私を助け出してくれた時の碇君と同じ涙・・・.嬉しい・・・,そう,私,嬉しいんだ.」
レイは顔を上げ,満面の笑みをシンジに返した.
純真無垢で神々しささえ漂うレイの笑顔は,シンジの記憶にいつまでも残った.
シンジは,今日は時間が無いことをわび,レイの分の食事の準備を整えて,レイの部屋を後にした.
レイは,シンジが出て行ったドアを泣き出しそうな顔をしながら見つめていた.
(これが寂しいという心?私,碇君がいなくて寂しいのね.)
ドアを後ろ手に閉めたシンジの顔は,先ほどとは打って変って今にも泣きそうなほど悲痛な顔をしていた.
シンジは,レイに全てを話したわけではなかった.レイには未だ秘密が隠されている.シンジはその事を
思うと胸が痛んだ.
一方,アスカはどこにも道草せず真っ直ぐに家へと帰っていた.
制服を着替え,いつものようにメールのチェックを行うアスカの目に,1通のメールが止まった.
それは,アスカの母親からのメールであった.
「へぇ,ママからのメールって珍しいわね.」
アスカがメールを開くと,いきなり画面一杯に赤や青の光が乱舞し始め,スピーカーからは
音楽とはけっして言えない機械的な音の濁流が吐き出された.
「な,何,これ!?」
アスカは慌てて停止させようとした手を途中で止めてしまった.なぜだか分からないが画面に引き付けられるのだ.
アスカは光の乱舞に魅入られたように,その場に動けなくなってしまった.
ほんの2,3分の出来事だった.
光の乱舞が終わると,アスカは何事も無かったかの様にそのメールを削除し,端末を閉じて,
近くの雑誌を手にとりぺらぺらとページをめくり出した.
ミサトは泊りだったので,いつものように2人で夕飯を済ました.
食器の後片付けをしているシンジが,アスカにすまなさそうに話しかける.
「ねぇ,アスカ,その指輪だけど・・・,左手の薬指じゃなくて,別の指にはめてくれないかな?」
「ヒカリも同じようなことを言ったけど,だぁ~~~め!絶対変えないわよ!」
こうなるとアスカは,てこでも動かないことを知っているシンジは,指輪の件をあきらめた.
「シンジ,シンジのお父さんに,アタシをガールフレンドとして紹介してくれない?」
アスカはいきなり奇妙なことを言い出した.
「どうして?恥ずかしいよ.それに,父さんがわざわざ僕の為に時間を作るわけないよ.」
「良いじゃない,セレモニーよ,セレモニー.アタシもドイツの両親にメールか電話で知らせるから.」
「ん~,じゃ,父さんに一応言っておくよ.」
シンジは心に引っ掛かるものを感じながらも,しぶしぶ承知した.
片づけを終えたシンジは,2人分の紅茶を用意して,アスカの向かいに座った.
カップの中身を半分ほど飲んだところで,ふと,昨日の朝の約束をアスカは思い出した.
「ところで,シンジ,シンジが副司令になったことまだ説明してもらってなかったわよね?」
「う,うん,そうだね.」
何を思ったか,シンジは突然立ち上がると,アスカから少し離れた所に移動した.
「アスカ,何か僕に向かって投げてみて.」
アスカは,シンジが何をしようとしているのか分からなかったが,とりあえず近くにある空缶をシンジに向かって投げた.
すると,空缶はシンジに命中する直前に薄らと金色に光る何かに遮られ,床に落ち,派手な音を立てた.
「え,ATフィールド?うそ!?」
「そう,ATフィールド.僕はエヴァに乗らなくてもATフィールドが張れるんだ.」
「ね,どうして?どうしてそんな事ができるの?」
アスカは,テーブルに手を付いて身を乗り出し,驚愕の表情でシンジを見つめる.
「エヴァの中で僕は生まれ変わった.LCLに解けてしまった僕の体は,エヴァのコアの中で碇シンジとして
再構成されたんだ.ただ,エヴァと同じ遺伝子構成だけどね.」
「えっ,エヴァと同じ遺伝子構成って,それって・・・・,その・・・.」
アスカの言葉が徐々に小さくなる.
アスカの視線も徐々にシンジから離れ,床の一点を見詰めている.
「人間じゃないんだ.」
アスカの言わんとすることを,シンジはこともなげにさらっと口にした.
アスカを守る力を得た代償として,シンジは人間であることを捨てていたのだ.
シンジの一言で,アスカの心は混乱しきっていた.
(シンジがヒトじゃない・・・,ヒトじゃないのに,言葉を話し,アタシに微笑みかける・・・,シンジはヒト?
違うって言ったシンジ,ヒトじゃない人・・・,ヒト,シト?シンジとシンジ,何が違うの?)
人間ではないモノに対する潜在的な恐怖心から,無意識にアスカはジリジリとシンジから離れる.
「アスカ.」
「嘘,嘘でしょ!」
シンジが近寄ろうとすると,アスカは反射的に飛び退く.
アスカの目は見開かれ,シンジの顔を凝視している.アスカの瞳に映るのは恐怖,人類という種が持っている根源的な恐怖だ.
原始的な恐怖心がアスカの心を征服している.
「本当なんだ.ごめん,アスカ.だけどアスカには知っておいてほしかったんだ,僕の事を.」
シンジは悲しい顔をしてそう言うと,自室に引きこもってしまった.
シンジの後ろ姿が部屋の中に消えると,アスカは糸が切れた人形のように床に崩れ落ちた.
理性ではシンジのことを理解し,受け入れているが,感情がそれを拒んでいる.恐怖,信頼,依存そして愛情,
それらがアスカの中での今のシンジに対する感情であった.
心を落ち着かせる為,アスカは深呼吸を数回してからシンジの居る部屋へと向かった.
ノックをし,返事があったので,ドアを開けて部屋に入る.部屋の中は真っ暗だが,どうやらシンジは
毛布に包まってベットに横になっているようだった.
アスカがベッドに向かって一歩踏み出した.
「あの,シンジ,・・・.」
突然,後ろから何かが抱き着いてきた.
「きゃぁ.」
悲鳴を上げるアスカの口が手でふさがれる.
抵抗する暇も無くアスカはベットに押し倒されていた.
「アスカぁ~,食べちゃうぞぉ~.」
聞き覚えのある声に恐る恐る目を開けると,目の前にシンジの笑い顔があった.
(えっ,シンジ!?)
いかに聡明なアスカでも,シンジにからかわれたことにすぐには気付かなかった.
「アスカ,びっくりした?」
「バ,バカシンジ!脅かさないでよ!シンジのバカ,バカ,・・・・.」
アスカの青い瞳から,関を切ったように涙がこぼれる.
「バカ,シンジのバカ・・・・.」
とうとうアスカは,シンジの胸にすがりついて号泣してしまった.
「ご,ごめん,ごめんね,アスカ.」
アスカの頭を撫でながら,ひたすら謝るシンジだった.
ひとしきり泣いて,やっとアスカは泣き止んだ.
「大丈夫,アスカ?」
うなずいて,シンジの胸から顔を離すアスカ.
シンジはアスカの隣りに横になり,アスカの顔を見つめる.
アスカは涙を手で拭き取ると,シンジの方にイ~という顔をする.
「僕が恐い?」
はっきりと首を横に振るアスカ.
「さっきはごめんね.取り乱しちゃって.遺伝子構成が人と違うからって,シンジはシンジよね.
そんな基本的なことを見逃すなんて,よっぽどびっくりしてたのね.」
(シンジと結婚したら,赤ちゃんはどうなんだろう?生めるのかな?)
ずいぶん先の未来の心配をして,一人赤くなるアスカであった.
ほんのりと赤い頬をして,アスカは首をシンジの方に傾けた.
「シンジはどうなの?」
「気にしていないよ.見た目は変わらないし.それにアスカを守る力を持てたのだから.」
自分より他人の心配をせずにはいられない,そんなシンジの優しさが心地良くアスカを包む.
心地良い雰囲気に浸り,シンジへの恐怖心はどこかに行ってしまっていた.
「エヴァと同じ遺伝子構成だからATフィールドが張れるようになったのね.だけど,体に変調とかは無いの?大丈夫なの?」
「ああ,大丈夫だよ.前よりも調子良いぐらいだし.」
アスカは,シンジをまじまじと見つめる.
驚愕の事実から,アスカは平静を取り戻していた.
いつもの調子を取り戻したアスカの頭の中に,ある考えが閃いた.
「シンジ,アタシもエヴァに取り込まれたらシンジと同じになれるかな?」
アスカの突拍子もない質問にシンジは狼狽した.
正直シンジはそれを望んでいた.
返事を返せずに,シンジはアスカのエヴァとの一体化とサルベージの可能性を計算していた.
(そうか,エヴァの中で再構成されると,アスカの中の薬物やマイクロマシンの影響から逃れられるかもしれない.)
「アスカ,本気?」
シンジのあまりにも真剣な眼差しに圧倒されつつも,アスカは力強く肯いた.
結局,後日リツコに相談するということになった.
ベットの上で寝そべりながら,二人の貴重な時間は続いた.
ふと,アスカは最近疑問に思っていることをシンジに質問して試たくなった.
「ねぇ,エヴァから出た後のシンジって,雰囲気が大人びて感じられるんだけど,それもエヴァのせい?」
「ああ,そうかもしれない.僕の心は,肉体を持たぬままエヴァの中に存在していた.肉体を持たないので肉欲からは無縁だし,
眠る必要も無い.考える時間はたっぷり有ったんだ.」
本当は,まだいくつか変化した点が有るのだが,シンジは全てをアスカに説明することができなかった.
「だいぶ遠回りになったけど,僕が副司令になれたのは,僕の持っている能力の活用と研究,そして僕自身の護衛の為に便宜上,
副司令の肩書きが付けられたんだよ.他にも理由はあるけど,それはまた別の機会に話してあげるよ.
だけど実際は,副司令らしい仕事なんて何にもやってないんだけどね.ハ,ハ,ハ・・.」
シンジの笑顔につられて,アスカも微笑んだ.
「そうよね,シンジに副司令がまともに勤まるわけ無いわよね.」
「あ,酷い,そこまで言わなくても.じゃ,アスカなら勤まるの?」
「当然ね!美少女副司令って,マスコミが騒いでうるさいからやらないだけよ.」
二人のはずむような笑い声がシンジの部屋に広がった.
「あ,もうこんな時間.今日はここで寝ようかな.」
一度肌を合わせているので,シンジも特に慌てる様子もなく,そうすれば,と軽く相づちを打つだけだ.
「ベ~っだ,アタシをおどかした罰よ,今日は一人で寝なさい!」
そう言って,アスカは上半身を起こし,ベットに手をついて,シンジの方へと体を向ける.
アスカの表情は,暗さの為良く見えないが,うす暗がりの中で美しく光るアスカの髪にシンジは見とれていた.
シンジは,その髪に手を絡ませ,弄び始める.
「シンジ,お願い,アタシと約束して,アタシより絶対先に死なないって,いなくならないって.」
泣いているのか,アスカの声は少し震えている.
アスカの髪を弄びながら,アスカの顔を見据えてシンジは宣言した.
「ああ,約束するよ.」
「ありがとう,シンジ.」
ふわっと,良い香いが近づいたかと思うと,シンジの唇に甘い感覚を残して,アスカはベットを下りた.
「じゃ,お休み.」
呆然と見送るシンジを残し,アスカは部屋を出て行った.
残念に思いながらも,シンジはすんなりと眠りの淵へと落ちていった.
次の朝,司令からの再度の呼び出しを受け,シンジは司令室へと来ていた.
司令の傍らには冬月副司令が立ち,シンジの左側,シンジと司令の間に赤木リツコ博士が立っている.
「シンジ,おまえは何者だ?」
シンジの父,碇司令が唐突に切り出した.
「陳腐な言葉で言えば,”神”です.」
「誰を守護する神なのだ?それとも破壊神か?」
「地球を守護する神ですよ.」
シンジ以外の3人は驚きを隠せなかった.
冬月副司令が始めて口を開いた.
「端的に言うと,我々人類の敵かね?それとも味方かね?」
「いえ,人類を含めた地球の味方です.」
「何が地球の味方よ!敵は宇宙怪獣とでも言うの.」
赤木博士が,はき捨てるように呟く.
「宇宙怪獣相手の方が遥かに話しが簡単ですよ.」
碇司令が話しに割って入った.
「ではシンジ,おまえの望みはなんだ?」
低い声で碇司令が詰問する.
「地球と共に有る霊的生態系の保護です.」
「それはどういう事だ?」
「地球上には,地球外生命の子孫が沢山生息しています.人類は,地球上で進化した種の子孫と地球外から
渡来した種の子孫,アダムとリリスから生まれた種の子孫がお互いに交じったものです.
遺伝子レベルではほとんど区別は付かなくなっていますが,互いに霊質が異なります.地球意思はこれ以上
霊質が異なる種が増殖することを望んでいないのですよ.」
シンジの言葉はにわかに信じがたい内容であり,3人の困惑を誘った.
「では,その地球意思とは異なる霊質を持つ人の消滅を願うのか?」
「いえ,そうではありません.霊質の変換です.」
赤木博士は,間違いを犯した生徒を叱るように,シンジの言葉を否定する.
「アダムとリリスが地球外生命体ということは可能性として否定できないわ,だけど何が地球意思よ!何が霊質よ!
シンジ君,バカも休み休みにしてちょうだい.」
「信じられないことは分かります.信じて下さら無くても結構です.しかし,リツコさん,僕はマギ,
そして,地球意思から知識を得ました.ゼーレの死海文書も僕のように地球意思から知識を得た誰かが記した物です.
今,死海文書を見て下さい,サードインパクト前後の事が記されています.」
3人はシンジの言葉が信じられなかった.
冬月副司令は,一旦退出し,戻った時には古びた書物を手にしていた.
その書物,死海文書を碇司令の机に置くと,碇司令がページをめくり始めた.
やがてページをめくる手が止まり,3人の顔に驚愕が浮かぶ.
「何も記載されていなかったページに文字が・・・.赤木君,すぐにマギに分析させたまえ.」
言うが早いか,赤木博士は,死海文書を手に司令室を飛び出していた.
「シンジ,おまえが書いたのか?」
「いいえ,僕が書いたのではありません.隠していたものを取り去っただけです.ところで,そろそろ,
僕にも人類補完計画について説明してくれませんか?」
碇司令が,冬月副司令に目配せすると,冬月副司令が静かに説明を始めた.
説明の要点はこうであった.
ゼーレは,サードインパクトをコントロールすることで生き残る人類を選別し,選ばれた人々を
選民として,宗教的な融和を図ろうとしていた.
一方,ネルフは,ゼーレによるサードインパクトのコントロールを排除し,自然な人類の補完を目指していた.
より高い霊格を持つ人類,つまり人類の霊的な進化が目的であった.
どちらの計画も,あくまで表向きは,という条件付きだが.
ここに来て第3の勢力とも言えるシンジの出現があった.
ただ1人とは言え,強大な力を有するシンジを両陣営とも無視することはできない.
シンジの思想はネルフ側に近いものであるし,そして何より,父親が最高責任者である.今までの経緯もあるので,
シンジはとりあえずネルフ側につくことにしていた.
「今の所,一部の例外を除いて死海文書通りに事は進んでいる.使徒も後2体を残すのみとなった.
赤木博士の分析を待たねば断言できないが,サードインパクトは回避できないだろう.」
冬月副司令の説明が終わった.
シンジは,この場で自分が何を望まれているのかをはっきりと理解していた.
そう,自分の立場を明確にすることである.
「僕もネルフの副司令です.サードインパクトまではネルフと共に行動します.」
その言葉で,冬月副司令は安堵の表情を浮かべた.碇司令は相変わらずであったが.
「そうか,うれしいよ碇君,いや碇副司令.これからもよろしく.」
冬月副司令はシンジの所までやってくると,右手を差し出して握手を求めた.
「こちらこそ,よろしく.」
シンジは,堂々と冬月副司令の手を握り返した.
会談を終え,退出しようとしたシンジは,振り返ると,この場におよそ似つかわしくない調子で父親の予定を尋ねた.
「そうだ,父さん,こんど父さんとアスカと僕とで食事したいんだけど,時間取れる?」
「考えておく.」
どうでも良いという口調の言葉だが,碇司令にしては珍しく否定はしなかった.
シンジは,14歳の少年らしく挨拶をし,司令室を後にした.
碇司令は,いままでシンジがいた場所を見つめながら,冬月副司令に語り掛けた.
「老兵は,去るべきなのでしょうか?冬月先生.」
「いや,彼らが自由に動けるように,我々が醜い戦いを引き受けようじゃないか.」
碇司令は何も言わず,眼鏡を外し,シンジが出て行ったドアを見つめた.
見つめているドアからノックとともに,赤木博士が死海文書の解読結果を持って現れた.
その報告は,碇司令を驚愕させるに十分な内容であった.
大変,大変ご無沙汰しておりました.岡崎です.
1年ぶりの更新です.構想1年というわけではないので,1年経っても質の向上が無いのがつらいところです.
更新が止まっている間にメールを下さった方々,どうもありがとうございました.
この場を借りて,お礼申し上げます.
誤字・脱字,ご意見・御感想などを頂ければ幸いです.
それではこれにて失礼致します.