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『ある1つの可能性』

拉致



 父親である碇司令から出頭を命じられたシンジは,ミサトとともに本部へと車で向っていた.

「ミサトさん,朝早くから何の用?」

「自分は,碇副司令をお連れするように命令を受けただけで,用件は存じません.」

 いつもと違うミサトの口調に違和感を感じるシンジ.そんなシンジの様子を察してミサトはシンジの耳元で囁く.

「ほら,運転手が居るじゃない,だからよ!二人っきりの時にはいつも調子でね,シンちゃん.」

「よろしい,許可する.葛城三佐.」

 シンジは笑いながら,かしこまった口調で答えた.

 ミサトは気付かなかったが,後部座席と運転席との間の透明な仕切りのため,よほど大きな声で話さない限り

運転手には後部座席での会話が聞こえないと言う事を.

 シンジ達の乗る車は,先頭を走る護衛の車に続いて,兵装ビルが左右に立ち並ぶ道路に入った.

後ろを走る護衛の車もそれにならう.

 3台の車は,信号にかかる事もなく,かなりのスピードでビルの間を走っていた.

 突然,シンジ達の乗る車がコントロールを失い,右に左に車体が暴れ始める.

咄嗟にミサトは,シンジに覆い被さり衝撃から守ろうとする.

車は,コントロールを失い,歩道に乗り上げ,街灯に激突し停止した.

「シンジ君,大丈夫?」

「ええ,ミサトさんは?」

「アタシも大丈夫よ.」

 2人とも咄嗟に体を低くしたおかげで,たいしたダメージを受ける事はなかった.

「どうしたの?敵襲?」

「わ,わかりません.タイヤがパンクしたようです.タイヤの具合を調べますので,お二人は車の中に居て下さい.」

 運転手もエアバックのおかげでたいした怪我も負っていないようである.

 辺りに注意を払いながら,運転手はドアを開けて車外へ出ようと頭を出した.

 その時,運転手の頭部に赤い花が咲いた.

 脳漿がドアガラスに飛び散る.

 ミサトは,シンジにその光景を見せないため,そして狙撃者からの盾になるため再び覆い被さった.

「シンジ君!こっちの車に移れ!」

「加持!」

「加持さん!」

 3台目の車に乗っていた加持が,側に車を寄せて叫んでいる.

 ミサトは,狙撃者からシンジの盾になるようにしながら,加持が乗る車の後部座席へとシンジを押し込んだ.

 シンジが乗り込むとすぐに加持は車を発進させる.

 ミサトを残して.

 当初の予定のルートを外れて,加持は車を走らせながら,後部座席のスピーカーを通してシンジに話し掛けた.

「シンジ君,大丈夫かい?とんだ災難だったね.まあ,目的地に着くまではゆっくりと休んでいてくれ.」

「加地さんありがとうございます.助かりました.」

 加持は一瞬振り向いてシンジに笑顔を向けた.

「シンジ君,お休み.」

「え!」

 突如,どこからかガスが吹き出す音する.シンジは不審に思い,辺りを見回した.

しかし,強烈な睡魔に襲われ意識が急激に遠のく.

「し,しまった!」

 薄れる意識の中で自分のうかつさを後悔していた.


 しばらくしてシンジは,意識を取り戻した.

 咄嗟に呼吸を止めたおかげで,吸い込んだガスの量が少なく,眠っていた時間も短くすんだようだ.

 シンジは,目は開けずに気配で当たりを伺い,どうやら,まだ車に載せられて移動中と結論を出した.

 眠たふりをしておとなしく連れて行かれるか,それとも寝たふりを止めて加持と話をするか,シンジは判断に迷った.

しばらく考えた末,シンジは後者を選択した.

 シンジは起き上がると加持との間の仕切りをノックする.

 加持は驚いて振返り,信じられない物を見る目をシンジに向ける.しかし,運転中であることを思い出し,

加持は慌てて正面に向き直った.

「驚いたな,もう目を覚ますとは.シンジ君,そこのスイッチを入れると会話ができるぞ.」

 加持の口調はいつもと変わらない.

 シンジは,目の前のスイッチを操作し,加持に話し掛ける.

「僕をどこへ連れて行く気ですか?」

「なんとなくわかるだろ.」

「第二新東京市ですか?」

「その通り!シンジ君,悪いがおとなしくしていてくれ.さもないとアスカによくない事が起こる.」

 加持は,すまなさそうに告げるが,シンジはアスカの名前が出た事で憤慨した.

「加持さん!アスカにこれ以上酷い事をしたら,僕も容赦しませんよ!」

「わかってるよ.君が目的地に到着するまでは何もしないさ.」

「でも,どうして加持さんがこんなことを・・・」

 最近の加持の不審な行動はネルフ上層部の知る事となっており,もちろんシンジも情報は得ていた.

しかし,シンジを誘拐するとは予測の範疇にはなかった.

 ゼーレからの尋問または召喚命令はあるだろうとシンジは予測していたが,それが誘拐という荒っぽい手段にでるとは,

事体はかなり切迫しているようだ.しかも顔見知りの加持を実行者にするとは,よほど急を要するらしい.

 アスカの事も気になるので,ここはおとなしく加持に協力する事に決めたシンジは,シートに深く座り直した.


 途中で2度車を乗り換え,加持は第2新東京市へとシンジを乗せた車を飛ばす.

 加持は何も話さない.

 風を切る音だけがいやに耳に響く.

 加持は,時折煙草に火を付け,2,3口吸ってはもみ消すを繰り返している.

 シンジは景色を眺めながら,アスカの事を考えている.

 昨夜のアスカとの甘美な時間,そしてその後のアスカへの精神潜行.

 アスカは,ネルフドイツ支部時代に心理操作と記憶操作を受けていた.

 昨夜のただ1度の精神潜行ではアスカの全ての心理状態や記憶を解析することは不可能だ.しかも,治療するには

長い期間が必要になる.まだ発見できていない暗示が,深層心理に植え付けられている可能性も十分にあった.

細胞レベルのマイクロマシンが使われている可能性も考えられる.

 いずれにしてもアスカはネルフ本部にとって獅子身中の虫となる恐れは十分にあった.だが,そのことは

アスカ自身でさえ知らない,知っているのはおそらくシンジと加持,そして仕掛けをした張本人だけであろう.

(かわいそうなアスカ.)

 シンジがアスカと出会ってから,まだほんの数ヶ月しか経っていない.初号機に取り込まれる以前のシンジにとって,

アスカは仲間で同居人でしかなかった.しかし,それはいつもの”気にしていないように思い込んでいた”だけと

今のシンジは気付いている.今では,シンジにとってアスカは,守るべき人という存在になっていた.

 アスカの為,そして自分のためにも,これ以上アスカに危害を加えさせない,シンジは心にそう誓っていた.

 道路標示が第2新東京市まで後10kmということを示していた.

 加持が何時間かぶりに口を開く.

「シンジ君,悪いがブラインドを降ろさせてもらうよ.」

 加持がそう言ったとたん後部座席のドアガラス,リアガラス,そして運転席との間のガラスも不透明になり,

外の景色が全く見えなくなった.


 その頃,学校では当のアスカが教室でヒカリに呼び止められていた.

「ねぇ,アスカ.今日は天気が良いし屋上でお昼食べない?」

「いいわねぇ,じゃぁ,パンを買ったらすぐに屋上に行くから,先に行ってて.」

 たまにヒカリとアスカは屋上でお昼ご飯を食べるが,今日ヒカリがアスカを屋上に誘ったのには思惑があった.

ヒカリはなるべく人の居ないところにアスカを連れ出したかったのだ.しかし,体育館の裏でお昼を取る,なんて言うのは

不自然なので,仕方なく屋上を選んだのだ.

 ヒカリが屋上に上がると,そこには誰も居なかった.

 幸運に感謝しつつ,座ってアスカを待つ.

 階段を駆け上がる足音が響いてくる.そして程なくアスカが現れた.

「アスカ,何かあったの?」

 開口一番ヒカリはアスカに詰め寄った.

「な,何かって,何にもないわよ.」

 今のうろたえぶりから,ヒカリはアスカに何かあった事を確信した.

(アスカ!乙女の感を見くびってるわね.)

 ヒカリはフェンス越に校庭を見下ろして,アスカにかまを掛ける.

「あ,碇君!」

「え,シンジ!」

 アスカは顔を赤らめて校庭の方を見る.

 ヒカリは,冷ややかな目でそんなアスカを見ている.

「碇君がらみか,アスカの今日の様子がおかしいのは.」

「あら,アタシはいつも通りよ.」

「そお?時折赤い顔してにやついたり,たまに遠くを見る目をしたり,困ったような顔をしたりするのが普通なの?

それに歩き方もなんか変だし.」

 アスカは何も言えない.言われてみれば全てその通りだからだ.

「も,もしかして,アスカ・・・,碇君と・・・最後まで・・・.」

「う,うん.」

 アスカは真っ赤になって小さくうなずく.

「いやぁ〜,不潔よ!」

 ヒカリが一歩退き,変なポーズをしながら叫ぶ.

「冗談でも不潔なんて言わないで!」

 アスカの真剣な声と眼差しにヒカリはたじろいだ.

「ゴ,ゴメン,アスカ.」

「アタシこそ急に大きな声出しちゃって.ヒカリの口癖だものね.」

 うなだれたヒカリの頭が上げられると,そこには好奇心むき出しの14歳の乙女の顔が存在した.

 アスカがヒカリの質問攻めに遭っている最中,突然アスカの携帯電話が鳴った.地獄に仏という言葉がアスカの頭に浮かぶ.

暗号回線による呼び出しなので,ヒカリから少し距離を置き,パスワードを入力する.

 ミサトからであった.

「アスカ,良く聞いて.シンちゃんが拉致されたわ.」

 ミサトの言葉が,アスカの心を空しく通り抜けていった.

「本部へ向う途中何者かに襲われ,シンちゃんだけ加持の車に乗り換えたの.それ以来行方不明よ.

主犯は加持と見られているわ.アスカ聞いてる?」

「ええ,聞こえているわ.」

「とにかくあなたたちを保護するわ.迎えの護衛がそろそろ到着するから,アスカすぐに本部に来て.

レイにはアタシから連絡するから.今すぐによ!いい?」

「ええ,わかったわ.」

 アスカは通話が切れた携帯電話を見つめた.

「どうしたの?アスカ.」

 急に黙り込んだアスカを心配して,ヒカリが声を掛ける.

「うんんん,何でもない.いつもの非常召集よ.アタシ行かなきゃ.」

 アスカは平静を装いながら急いで帰り支度をし,そのまま本部へと急いだ.

(何でシンジが加持さんに拉致されなきゃいけないの?分けわかんない!)

 加持の正体を知らないアスカの心は千々に乱れていた.


 加持は,町の一角の何の変哲もない雑居ビルの地下駐車場に車を滑り込ませた.

「さあ,着いたぞ.」

「ここがゼーレ日本支部ですか.」

「ああ,そのとおりさ.悪いが,車から出る前に目隠ししてくれないか.」

 加持は,後ろのドアを開けて,目隠しを差し出した.シンジは,目隠しをしてから車を降り,加持に腕を引かれて歩き出した.

 シンジが連れて行かれたのは,8畳ほどの広さに,家具が一つも無い,がらんとした薄暗い部屋であった.

窓が無いのに真っ暗ではないのは,壁全体が燐光のようにほのかに光を放っているせいである.

 部屋に入るとシンジは目隠しを外された.薄明かりのため,すぐに目がなれたシンジは,辺りを見回しても何も無い事を

意外に感じた.

「見ての通り,何にも無いが,まぁ,しばらく我慢してくれ.」

 加持はそう言って,部屋から出ていった.

 一人取り残されたシンジは,相手の出方を伺うしか無かった.

 アスカに危害を加える,という加持の言葉が嘘とは思えなかったので,シンジはここまでおとなしく従ってきた.

しかし,シンジが拉致されてからかなり時間が経っている,ネルフが他のチルドレンを安全な場所に保護するための時間は

十分にあっただろう.

 そろそろ第3新東京市に戻ろうかと考えているシンジの目の前に,黒い板状の物体が1つ,また1つと浮かび上がった.

それぞれにはナンバーが振られており,ぐるりとシンジを取り囲む.

 正面の01と書かれた物体から声が発せられた.

「ようこそ,碇シンジ君.我々は君を歓迎するよ.」

「あなたたちは誰です?,どうして僕をこんなところへ連れてきたんですか?早く家に返してください!」

 シンジはわざと中学生らしく,うろたえて見せた.しかし,板状の物体は何も答えない.

 突然,鋭い音が部屋に響く.

「ほう,ATフィールドを張れるか.しかも無意識に.」

 その音の正体は,シンジのふくらはぎを狙って放たれた弾丸が壁に当たった音であった.

弾丸はシンジの体に触れる直前に方向を変え,壁に激突したのだ.シンジを試す手荒なテストであった.

「君は何者かね?」

 01から再び言葉が発せられる.

「僕は碇シンジ.14歳.」

「そんなことは聞いていない!」

 03と書かれた板状の物体が声を荒げる.

 01がさらに質問する.

「では,言葉を変えよう.君は何と融合したのだ?それとも,何に転生したのだ?」

 全てを理解しているものでなければ,何を問うているのか分からないような簡潔な質問であった.

しかし,シンジには言わんとしていることが理解できる.

「ルシフェルでもシバでも不動明王でも阿修羅でもお好きな呼び方でどうぞ.」

「ふざけないでもらおう.」

 04が一言一言区切るように言葉を発した.

「僕は,ふざけてませんよ.名前なんて後から人間が付けたものですから.」

「君の言うところは,そういった高次元の存在と融合または転生したという事かね.」

「そういう事ですかね.」

 全ての板状の物体は黙り込んでしまった.何やら,シンジに聞こえぬところで協議しているようだ.

「そろそろ僕を開放してくれませんか?」

 シンジは,これ以上何も話す気はなかった.相手の勝手な都合で連れてこられたシンジにとって,

1分1秒でもここにとどまる理由は欠片もない.

「最後に1つ,君は神となって何をなそうとしているのかね?」

「特に何も.降りかかる火の粉は払いますが.それから,僕は神じゃありませんよ.」

「そうか.良く分かった.だが,君をすぐに帰すわけにはいかん,もうしばらくここに居てもらおう.」

 シンジが不平を述べる前に,板状の物体は,全て跡形も無く消え去った.立ち尽くすシンジを残して.


 シンジが居る部屋との回線を切ったゼーレの老人達は,会議を再開していた.全員が吐き出す不愉快という名の吐息が

部屋中に充満している.

「碇とあの少年が手を組むと厄介な事になるぞ.いや,すでに手を組んでいるかもしれん.」

「組んで当然だろう.あの少年の力は計り知れない.敵になればこれほど厄介な相手はいまい.」

「まったく,親子そろっていまいまし奴等め.」

「だが,そのための布石は打ってある.」

「そうだな,”鈴”はもう用済みだが,彼女にはこれから働いてもらわねばな.」

「彼女を使ってあの少年をうまくこちら側に引き込まねばな.」

 会議は続けられ,当面の対策を決定した老人達は退出した.ただ一人キール議長だけを残して.

(あの少年が彼女の正体に気付いていたとしたら,どうなる・・・?いずれにしても,あの少年の能力を

もう少し確認する必要があるようだな.)

 キール議長は自分の考えを実行すべく,手配を始めた.


 シンジは,壁によりかかって座り込んでいる.さっき見た時計の針は2時を示していた.

 脱出はすぐにできる.しかし,アスカが安全なところに保護されているという確信がないので,シンジは監禁に甘んじていた.

 そんな時ふと綾波レイの顔が頭に浮かんだ.

 綾波とコンタクトは取れないだろうか?そんなアイデアがひらめいたのだ.

 さっそく,試しに意識を集中し綾波に問い掛ける.問題は,綾波がシンジからの問いに気付き,

応答できる能力レベルに達しているかどうかだけである.

(綾波,綾波,聞こえる?聞こえたら返事して.碇シンジだよ.)

 しばらく問い掛けていると,微かだが応答が帰ってきた.

(・・・碇君なの?・・・今どこにいるの?)

(教えて,アスカはどこにいるの?)

(・・・隣にいるわ.)

だんだん,はっきり綾波の言葉が伝わってくる.

(本部の中?)

(ええ,そうよ.)

 綾波に礼を言うとシンジはすぐさま行動に移った.

 シンジがATフィールドを伸ばして部屋の鍵を破壊すると,突然警報が鳴り響いた.ローカを走る複数の足音が近づいてくる.

 シンジは,体表にATフィールドを展開させながら廊下を歩き始めた.

 後ろから3人,サイレンサー付きの銃で撃ってくる.しかし,弾はATフィールドに弾かれ,当たらない.

 前方にも敵が現れ,攻撃してくる.これもATフィールドにはばまれる.

 シンジはまさに無敵であった.シンジは全ての攻撃を跳ね除け,反撃はまったくしなかった.

何事もないかのように,平然と銃弾の中を歩いている,その事実が力の差を如実に表していた.

 敵と銃弾をATフィールドでかき分けながら,シンジはゆっくりと歩いて出口へと向った.

「攻撃を中止せよ.無駄だ!」

 突如,隊長らしい人物が命令を発した.その声とともに銃声がぴたりと止んだ.

 シンジは,大勢の武装兵士達に見送られながら,何も言わずビルを後にした.


「久々の第2か,どこかに寄り道してから帰ろうかな.」

 誘拐から開放されたばかりの子供には,まったく似つかわしくないセリフだ.

 追手のことなど気にもせず,シンジは中心街に向けて歩きだした.

 加持のことが気になったが,加持自身の問題なのでこれ以上は考えることを止めた.

ただ,ミサトが悲しむことのほうがずっと,シンジにとっては問題であった.

 ふと大事なことを思い出して,シンジは公衆電話がないかあたりを見回した.コンビニの店頭に公衆電話を見つけると,

無事を知らせるためにミサトへ連絡を入れた.

「もしもし,ミサトさん?シンジです.いま開放されました.」

「シンジ君!無事だったの!よかった.今どこにいるの?加持は?」

 電話口のミサトは少し涙声になっていた.

「第2新東京市です.加持さんはどうなったかわかりません.ミサトさん,1時間後にヘリを迎えに来させてくれませんか?」

「わかったわ,シンジ君.ヘリが着陸できる広い場所にいてね.ところで今,IDカードは持ってる?」

 シンジはポケットにIDカードがあることを確認し,ミサトにはい,と答えた.

「そう,じゃ位置はこちらでトレースできるから,とにかく広い場所に居てね.ちょっと待って今,アスカと変わるから.」

 受話器の向こうからアスカを呼ぶミサトの声が聞こえる.どうやらみんな同じ部屋にいるようだ.

「シンジ,シンジなの?無事だったのね,よかった.」

 アスカの声も涙ぐんでいた.

「ヘリで迎えに来てもらうから,夕方までにはそっちに戻れると思うよ.じゃ,また後でね.」

 アスカはまだ何か言いたそうだったが,テレカの残り度数も少ないのでシンジは電話を切し,ふたたび歩き出した.

 途中のファーストフードで遅い昼食を済まし,シンジは探し物のために繁華街を歩き回った.

1軒のジュエリーショップがシンジの目に留まった.こじんまりとした店だが,なかなか趣味のよさそうな店である.

 店内では若い女性店員がショーケースを拭いていた.シンジは,店に入り,ただ一人のその店員に話し掛けた.

「すいません,指輪の台だけほしいのですが,いいのありますか?」

 シンジが店に入ってきた時,店員は,掃除の手を止めてシンジの方に顔を向けた.店員の表情から営業スマイルが急激に失せる.

こんな時間に制服を着た子供が一人で買い物に来たので,不審に思ったのだ.警察に連絡しようかどうか迷ったくらいである.

「君,学校はどうしたの?」

 まっとうな質問が帰ってくる.

 シンジは説明する手間を省くため,ネルフのIDカードを店員に見せた.

 初めてみるIDカードに初めは困惑した店員だったが,すぐにシンジの身分を悟り,これ以上ない営業スマイルをシンジに向けた.

 数十分後,シンジは希望の品を購入し,ジュエリーショップを後にした.

 広域避難所の案内を便りに,シンジはかなり広い公園にたどり着いた.グラウンドも併設されていたので,

そのグラウンドをヘリの着陸地点にすることに決めた.

 公衆電話でミサトに公園の名前と大体の特徴を伝えたシンジは,ベンチに座ってヘリの到着を待つことにした.

 公園には人影がまばらであった.

 3歳ぐらいの子供が母親と遊びにきている.まことに平和な風景であった.

(第2は使徒の襲撃がないから,こんなに人間らしい風景が見られるんだろうな.)

 シンジは辺りに注意を払い,不審な人物が居ないかを探ったが,それらしい人物はいなかった.

 缶ジュースを片手にベンチに腰掛けたシンジは,先ほど買った指輪をケースから取り出し,左手の人差し指と親指でつまんだ.

シンジが,目をつぶり神経を指輪に集中すると,指輪をつまんだ指先から赤い糸がリングを伝って台に向かって伸び始めた.

その糸はリングの両側から台に向かって伸びている.その糸のように見える物体は,赤い液体,血である.

 リングを伝い上る血は,宝石がはめられるはずの台の部分で渦を巻き,徐々に密度を増していく,そうまるで宇宙での惑星創世のように,

まるで重力の存在を感じさせない.

 どのくらい時間が経っただろうか,遠くでヘリのプロペラ音が聞こえ始めたとき,シンジの奇怪な作業は完了していた.

 指輪にはまっている宝石は,まるで限りない透明度の深海から空を望む,そんな深い色合いをたたえていた.

ただ,その海の色は赤いのだ.魂まで吸い込まれそうな深い赤の底に命あふれる魂が燃えている,そんな色の宝石である.

しかも,シンジの血がどう変化したものか,元々が液体とは考えられないほどの無機質な硬度を備えていた.

 シンジは,小さな赤い宝石が付いた指輪をケースに収め,ベンチから立ち上がると,ヘリが着陸するグランドへゆっくりと歩き始めた.


 ヘリには,パイロットの他にミサト,アスカが搭乗していた.これにシンジが乗り込めば定員いっぱいである.

ミサトは当然として,アスカが同乗して来ているのは,きっと本部で待っていられなかったのだろう.

 ヘリが着陸するや否や,アスカが飛び出し,スカートの裾を気にもせずシンジに駆け寄って抱き着いた.

「心配したんだぞ.バカシンジ!」

「ごめん,心配かけて.」

 しばらくシンジの香りと存在を確かめたアスカは,腕を解き,ヘリに向かってシンジの手を引っ張った.

「さあ,早く帰ろう.」

 ほんの半日の拉致であったが,アスカの香りと手のぬくもりを感じて,シンジは帰ってきたことを実感した.

 アスカに引っ張られる格好でヘリの後部座席に乗り込んだシンジは,パイロットの横に座るミサトに声をかけた.

「ありがとうございます,ミサトさん.」

「とにかく無事でよかったわ.」

 後ろを振り返って微笑むミサト.

 4人を載せたヘリは,ネルフ本部へと向かって離陸した.


 ネルフ本部に到着した後,シンジは司令への報告を済ました.その後,保安部から事情聴取を受けたが,

副司令という立場のため非常に簡単なものであった.結局,シンジは思っていたより短時間で開放された.

 夕焼けの第3新東京市をシンジはマンションへと急いだ.

 マンションに帰り着くと,アスカがリビングでうたた寝していた.

 シンジはしばらくアスカの寝顔を眺めていた.すると気配を察したのか,アスカは寝返りを打ち,小さくうめいて目を覚ました.

「おはよう,アスカ.」

「きゃ〜,見ないで,寝顔見るなんて悪趣味よ.」

 アスカは,枕に顔を伏せる.

「ねえ,アスカ,晩御飯食べた?何か作ろうか?」

「んんん,まだ.そう言えばおなかぺこぺこ.何か作ってぇ.」

 眠たそうな目をシンジに向けて,甘えた声でアスカがおねだりする.

「簡単なもので良いよね.」

 シンジはキッチンへと向かい,夕食の準備に取り掛かった.準備の間,アスカは,黙ってテーブルに座って

シンジの背中を見つめていた.決して「手伝おうか?」と言わない辺りがアスカらしい.

 食事を終えた二人は,並んでお茶を飲んでいた.話題は自然と今日の誘拐拉致事件に及んだ.

 シンジは,加持がアスカに危害を加えるという個所を除いて,すべてアスカに話した.

アスカは加持がなぜそういった行動に出たのかを知りたがったが,シンジにもわからないので答えようがなかった.

 ふと会話が途絶えると,シンジは思い出したように話を切り出した.

「アスカ,お土産があるんだけど.ちょっと待ってて.」

 アスカは意外そうな顔をしたが,シンジはかまわず部屋へ指輪が入ったケースを取りにいった.

「はい,これ.」

 シンジは,アスカに例の指輪が入ったケースを渡した.

「何?・・・わあ,きれい.これ何と言う名前の宝石?」

 アスカはケースを開けると感嘆の声を上げた.

「え,いや,名前はよく知らないんだ.アスカに似合うと思って選んだから.できればいつも付けていてほしいんだ.」

 まさか自分が作った宝石などとは言えないので,シンジは適当に誤魔化した.

「ねぇ,シンジ,付けて.」

 アスカは赤く頬を染めながら,左手をシンジに向けて差し出した.さすがにシンジも意図を察して,顔中真っ赤になる.

 いつも付けていてほしい,と言ったのは,シンジの念がこもったこの宝石がアスカの身を守る護符になるからである.

この宝石は,アスカの身に危険が及んだときには強力な力を発するように作られているのだ.

「あ,あの,アスカ,その,まだ僕たち中学生だし・・・」

 シンジは,しどろもどろになりながら,言い訳を考えるが,うまい言い訳が思い付かない.

「ひ,酷い,アタシをもてあそんだのね!」

 アスカは,顔をテーブルに伏せて,肩を震わせた.

 もてあそんだ覚えはまるでないシンジだが,アスカの様子にすっかりうろたえてしまった.

「ご,ごめん,つ,付けるよ.いえ,付けさせて下さい.」

 どう対処したら良いのかわからなくてパニックに陥ったシンジは,反射的に言ってしまった.

 顔を上げたアスカの顔は,笑っていた.

 その笑顔にドキッ,としたシンジだが,すぐに我に返り,騙されたことに気付いたが,時はもう戻らない.

 これ以上ないような笑顔で左手を差し出すアスカの手を取り,苦虫をつぶしたような顔をしながらも真っ赤になったシンジが,

アスカの左手の薬指に指輪を通した.


 帰宅したミサトが,その左手薬指の指輪を見付け,ひと騒動あったのは言うまでもない.





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ver.-1.10 1998+08/30 公開

ver.-1.00 1997-08/15 公開

ご意見・感想・誤字情報などは okazaki@alles.or.jpまで。


後書き&言い訳

 大変ご無沙汰しておりました.岡崎です.

 お読みいただきありがとうございます.いかがでしたでしょうか?

 各場面の光景が思い描いていただければ幸いです.

 指輪についてですが,ある方からのご提案でして,それを少し味付けして書きました.

 この場をお借りしてお礼申し上げます.

 誤字・脱字,ご意見・御感想などを頂ければ幸いです.

 それではこれにて失礼致します.


 岡崎さんの『ある1つの可能性』6、公開です。
 

 アスカの左手薬指に光るシンジの力。
 ロマンチックですね(^^)

 シンジとレイは人の手の及ばない強い力を持っていますが、
 アスカはそうじゃなかったですね。

 そのアスカが狙われたら大変だなぁと思っていたのですが、
 これで一安心です。

 岡崎さんにこのアイデアを出した人も同じ様な思いだったのかな?
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 久々の更新をした岡崎さんを感想メールでもてなしましょう!

 

 

 人の事を言ってられる更新状況でない神田です(^^;;;;


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