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『ある1つの可能性』

二人

 夜という事もあり,3週間ぶりの第3新東京市は見渡す限り何も変わっていなかった.

 エヴァの中では,時間感覚が完全に麻痺する.そのため,シンジ自身には3週間が10年も20年にも感じられた.

 まるで思い出の場所を訪ねるような感覚で町を見まわし,シンジはマンションに帰り着いた.

 自分のマンションかどうかを表札で確認してからシンジはゆっくりとドアを開けた.

「ただいま.」

 アスカがリビングから飛び出して来て,抱き付いた.

「アンタどこをほっつき歩いてたのよ?あんまり遅いんで病院に電話したらとっくに退院したって言うじゃない,

アタシが待っていたのに.」

 アスカはシンジの腰に回した腕をぎりぎりと締め上げると同時に,覆い被さるように胸を密着してくる.

いわゆるベアハッグ,熊の抱擁というやつである.ぎりぎりときしむ背骨の痛みと,密着してくるアスカの胸の心地よさ,

まさに天国と地獄である.逃れたい,いやこのままでいたいという二律背反に苦しみ,うめきながらシンジが訴える.

「い,痛い,痛い.ギブアップ,ギブアップ.た,頼むから,う,腕だけ放してよ.」

「な〜に甘えた事言ってんの,これはアタシの気持ちよ,気持ち!ありがたく受け取りなさい.」

 天国と地獄の共存は長くは続かなかった.

 背中を締め上げるアスカの腕の力が急に緩んだのだ.代わりにアスカはシンジの肩に額を乗せ,シンジを抱きしめた.

 シンジもそんなアスカの背中を優しく抱きしめる.

「お帰り,シンジ.」

「ただいま,アスカ.」

 いるべき場所へ帰ってきた,そんな二人だった.


 アスカは突然,弾かれたようにシンジから離れると,うつむいたままリビングへ行ってしまった.

 一瞬だけ見えたアスカの瞳が潤んでいたのをシンジは見逃さなかった.

 シンジは一度キッチンへ行き,アスカと自分の分のジュースが入ったグラスを持ってリビングに現れた.

 リビングでは,アスカがクッションに顔を埋めて寝転がっている.

 シンジはグラスをテーブルに置くと,アスカに声をかけた.

 少しの間があって,アスカが顔を上げシンジと視線が合った.

 シンジは優しくアスカを見つめる.

 アスカが不思議そうな顔でシンジをまじまじと見つめている.

「ね,あなた本当にシンジ?」

「何言い出すんだよ,アスカ.正真正銘シンジだよ.」

 アスカの目の前にいる少年の持つ雰囲気や目つきは以前の彼のものではなかった.どこか自信なげな,

おどおどしたところはひとつもなく,代わりに人生の年輪を重ねた者のみが持つ風格と,少年らしい清廉さを漂わせている.

そもそも,以前のシンジはアスカの視線を真っ向から受けて逸らさないなどという事はできなかったのだ.

 シンジの方もアスカの雰囲気が柔らかくなっている事に気付いていた.

 シンクロ率をシンジに抜かれたことを気にしていた頃のアスカに比べて格段に明るくそして自然になっていた.

 二人はしばらく見詰め合ったまま,黙っていた.

 見詰め合ったまま,互いに接近している事に気付いて,二人とも真っ赤になって下を向いてしまった.

 アスカは起き上がって,シンジと向き合った.

「シンジ,ありがとう.」

 照れているのか,すぐにシンジから視線をそらしたアスカは,独り言のように話し続ける.

「アタシ,昨日の戦いの後,使徒との戦いがすごく恐くなったの.アタシ達とんでもないものと戦っていることに気付いたの.

もし,シンジが助けてくれなかったら,って想像するだけで恐くって体中が震えて眠れなかったの.」

 シンジは何も言わずに黙ってアスカを見つめている.

「そもそも,シンジが助けてくれなかったら,マグマの中でとっくに死んじゃってたのよね,アタシ・・・.

そんなこと考えてたら,シンジが居なくてとても不安だったの.シンジに逢いたくって,どうしようもなかったの.」

 シンジは,アスカがとても儚げに思えて思わず抱きしめていた.

 シンジの突然の抱擁にアスカは驚いて,きゃっ,と小さく叫び,みじろぎをする.

 優しく抱きしめられたアスカは,知らぬ間にたくましくなった少年の胸に顔を埋め,たとえようのない安らぎを感じてた.

 アスカは顔を上げ,潤んだ瞳でシンジを見上げる.

 まるで幼子が親の愛をせがむように.

「ねぇ,シンジ,ずっとアタシの側に居てくれる?」

 アスカには分かっていた.シンジの優しさに甘えているという事,そして,シンジがアスカを拒否しないという事も.

しかし,心のどこかで素直にシンジに甘える自分に驚いていた.

「もちろんだよ,アスカ.」

 アスカはシンジの背中に腕を回し,胸に顔を埋めた.


 永遠とも思える至福の時間は,意外にもお腹の虫が終わりを告げた.

「きゃ,恥ずかしい.」

 アスカは,シンジから離れて,背中を向けてしまった.

「もうこんな時間だものね,なんか作るよ.インスタントしかないけどでいい?」

「うん,良いわよ.その間に,アタシ,お風呂に入ってくる.」

 シンジは,お風呂の準備のために部屋へ行くアスカの後ろ姿を見送った.


 二人は遅い夕食を終え,キッチンでくつろいでいた.

「シンジ,片づけアタシがやるから,お風呂入って.」

「そう,じゃ,お言葉に甘えてそうするよ.」

 湯船に浸かりながら,シンジは右手をお湯から出して,動作を確かめるようにゆっくりと握ったり開いたりを繰り返す.

 シンジは,両手でお湯をすくいあげ,手のひらに炎をイメージした.すると,とたんにお湯が蒸発する.

今度は氷をイメージすると,瞬時にお湯が氷になる.

「アスカには,いつかきちんと説明しないと.その時は,バケモノと言って逃げ出すだろうな.」

 シンジの悲しげな声が風呂場にこだました.


 シンジがお風呂から上がって,キッチンに行くと,アスカが椅子に座ってお茶を飲んでいた.

「アスカ,後片づけありがとう.」

「どう致しまして.・・・・ね,シンジ,今晩アタシの部屋で寝ない?もちろんシンジは床よ,床.

ほら,シンジの部屋って3週間ほったらかしで掃除してないじゃない,そんなんじゃゆっくり休めないでしょ.」

 アスカは,頬をうっすらと朱に染めて,視線を逸らせて早口でそう言う.

「え!い,いや,その,い・・・.」

 意外なアスかの言葉に,シンジの顔も赤くなる.

 断ろうとしたが,アスカがシンジに向けた訴えかけるような瞳を見て,シンジは言葉につまった.

「・・う,うん.そうするよ.」

 そう答えた時の,アスカの表情をシンジは一生忘れないだろう.


 シンジは自分の布団をアスカの部屋に移し,床にひく.

 始めて入るアスカの部屋に,シンジの心臓の鼓動は早くなる.

 寝具の準備をする間,二人とも黙ったままだ.

 静かな部屋の中で,心臓の音が相手に聞こえないかと,心配になるほど,緊張していた.

「じゃ,電気切るよ.お休み,アスカ.」

「おやすみ.」

 二人はそれぞれの布団で横になって目を閉じた.しかし,目を閉じるとそれだけ聴覚が敏感になる.

相手の息遣いまで聞こえてきそうで,頭の方はより冴えてしまう.

 どれだけ時間がたっただろうか?

 アスカがベットから起き上がる音がしたかと思うとシンジの布団に潜り込んで,背中に抱き付いてきた.

 布ごしにアスカの胸の感覚が背中に伝わる.

「ア,アスカ!どうしたの?」

 驚いてシンジが声をかける.

「一人はイヤ!恐いの!一緒に居て!」

 シンジは我慢の限界を感じた.

「アスカ・・・,忘れてない?僕だって,男だよ!」

 アスカは,一瞬,身をこわばらせたが,黙ってシンジをより強く抱きしめた.


 二人は,甘美な時を過ごした.

 裸のまま抱き合ううちに,疲れと安心感からか,アスカはぐっすりと眠ってしまった.

 シンジは,彼の腕の中で眠る天使の寝顔を見つめながら,一人呟く.

「さてと,アスカに怒られるかな?」

 シンジはアスカの腕をほどき,寝ているアスカの傍らに座った.

 アスカの頭を両手で包むと,目を閉じて,精神を統一する.

「酷い,こんな記憶操作でよく今まで自我が崩壊しなかったな.アスカ・・・,かわいそうに,薬物まで投与されて.

大丈夫,僕が直してあげるよ!」

 目を閉じたままのシンジは,アスカに対する心理操作への嫌悪感で眉にしわを寄せていた.

 アスカは,何も知らず,かわいらしい寝息を立てている.

「徐々に,作られた記憶の影響を小さくしてっと.ふう,粘膜から吸収された僕の細胞の媒介があったので,

予想よりうまく行った.」

 シンジは,アスカの頭を包んでいた両手を離すと,アスカの傍らに横になった.

「お休み,アスカ.良い夢を!」

 アスカの寝顔が,心なしか微笑んだ.

 シンジは満足して,深い眠りに就いた.


 朝,シンジが目覚めると,アスカがシンジの顔を覗き込んでいた.

「あ,おはよう.アスカ.」

「おはよう.シンジ.」

 二人は軽いキスを交わす.

「あんまり見ないで!アタシでも寝起きの顔は自身ないもの.」

 そういって,アスカはシンジの胸に顔を埋める.

 心地よい朝のまどろみの中に二人はいた.

 しかし,そんな至福の朝は,乱入者によって破られた.

「シンちゃん,居る?すぐに支度して本部へ行くわよ.」

 シンジの部屋の方でミサトが戸を開ける音がする.

 二人は硬直し,息を殺して見詰め合う.

「あれ〜,いないわね.トイレかしら?ねぇ,アスカ,アスカ居る?開けるわよ.」

 ミサトが戸を開けるのと,二人が上半身を起こして戸口を見るのとが同時だった.

「アスカ・・・.」

「だめ,開けな・・・.」

 ベッドの上には,裸のシンジとアスカ.戸口には,目と口をいっぱいに開けて固まるミサト.

 時間が止まった.

 そのままの表情でミサトは一歩後ろに下がると,何も言わずに戸を閉めた.

 我に帰ったシンジとアスカは,顔を真っ赤にしながら慌てて起き上がり,散らばった服を身につけた.

 シンジの後にアスカが続いてキッチンに現れた.二人とも真っ赤な顔でうつむいている.

「アンタ達がそんな関係だったとはねぇ.保護者のアタシでも気が付かなかったわ.」

「あの,ミサトさん・・・.」

「ミサト,あの・・・・.」

 二人ともとっさに言い訳を考えるが,言葉が続かない.

 一方,ミサトは呆れかえっている.

「だけど,シンちゃん,ちゃ〜んと気を付けなさいよ,ヒ・ニ・ン!まだ中学生なんだからね!

それに,大きいお腹じゃ戦えないでしょう.」

 ミサトは,一応常識的なことを二人に注意した.

「はい.」

 見事にユニゾンする二人.

「ところで,ミサトさん,どうしたんですか?こんな朝早くから.」

 シンジが話題を逸らす.

 ここに居る目的を思い出し,ミサトは,急に仕事の顔,葛城三佐の顔になった.

「碇副司令,お迎えに来ました.司令がお呼びです.」

「うん,わかった.すぐに支度するよ.」

「えっ,えぇ!シンジが副司令!」

 シンジの言葉とアスカの絶叫が重なった.

「うん,そうなんだ.詳しくは帰ってから説明するよ.」

 シンジはすばやく制服に着替え,身支度を整えると,ミサトが待つネルフの公用車に乗り込んだ.

 運転手付きである.

「早く帰ってきてね!シンジ.」

 見送りに来たアスカが手を振る.

「うん,時間があれば学校に行くよ.」

(まるで新婚夫婦みたい)

(まるで新婚夫婦ね)

(まるで新婚夫婦だよね)

(まるで新婚夫婦だな)

 その場に居る4人は同じ事考えていた.


次回に続く

ver.-1.10 1998+08/30公開

ver.-1.00 1997-05/25公開

ご意見・感想・誤字情報などは okazaki@alles.or.jpまで。


どうもどうも,はじめまして,岡崎です.
ここまで読んでくださった方,どうもありがとうございます.
これからも読んでくださる方,よろしくお願いします.
お気付きのように,この小説は,第弐拾話からの分岐でしで,「シンジがサルベージされるまでの1ヶ月間に何も変化がないのはおかしい.」と,勝手に思い込んで書き始めました.

ここまでで第1部完です.この後,無謀かもしれませんが,独自の結末を迎えるべく構想中です.

爆発する御都合主義,くどいほどの理屈っぽいセリフ,読者をも恐れぬ所業,めちゃめちゃな設定,軋むキーボード,唸るHDD,火を噴くCPU,はぁ,はぁ,はぁ,・・・・と,まぁ,気合を入れて書いております.

誤字・脱字のご指摘,御意見・御感想をいただければとってもうれしです. それではこれにて失礼致します.


 岡崎さんの『ある1つの可能性』第5回公開です(^^)
 

 シンジが戻り、これで一区切りが付きましたね。

 TVエヴァでは壊れていったアスカもここでは多くの支えが現れて、心の安らぎを得ました。
 TVでの彼女に辛い思いをしていた大勢のアスカ人の皆さんも補完されましたか?
 ・・・・私はホッとしています。(^^)
 

 アスカの薬まで使って押さえ込まれた記憶とはなんでしょうね。
 シンジの変貌ぶりはこれからどういう展開を生むのでしょう?

 大きな一区切りですが新たなる謎が次々出てきます。
 次回からのオリジナル展開を待ちましょう!

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