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『ある1つの可能性』

誕生

 朝から前線の通過に伴う静かな雨が降り続いている.まるでアスカの心情を表している,そんな天候である.

にもかかわらず,アスカは今日もケイジに向っていた.ケイジに拘束されている初号機,

いやその中にいるはずのシンジに会いに行く事が最近のアスカの放課後の日課になっているのだ.

 ふらっとケイジに現れ,拘束された巨人の前で30分ほどサルベージの準備作業をぼうっと眺め,

来た時と同じように静かに帰っていく.そんなアスカの行動はネルフ職員の間でちょっとしたうわさになっていた.

 うわさする者達全員が,やっぱり碇シンジと惣流アスカラングレーはできている,という認識で一致していた.

 そんなうわさがアスカの耳に入っているかどうかは,定かではないが,アスカのそぶりから伺い知る事は

できなかった.


 今日もアスカがケイジに現れると,そこにはすでに先客がいた.

 アスカと同じ制服に身を包んだ赤い瞳の少女,綾波レイである.

 レイがいる,そのことがアスカの胸の辺りに痛みを伴う熱いものを生じさせた.

 アスカは大股でつかつかとレイに近づくと,レイに指を突きつけた.

「なんでアンタがここに居るのよ!」

「碇君に呼ばれた気がしたから.」

 初号機を見上げていたレイは,無表情な顔をアスカの方に向けた.

「シンジがアンタを呼んだですって?へ〜,アンタの幻聴じゃないの?」

「あなたは,なぜ,ここに来たの?」

「な,なぜって・・・,アタシは弐号機のパイロットなんだから,弐号機を見に来たに決まってるじゃない.」

 言葉とは裏腹に,弐号機の方へは向おうともせず,アスカは初号機の前に立ち止まったままだ.

 レイもそれっきり何も言わずに再び初号機の方に向かい,アスカも不本意ながらレイと並んで初号機を見上げた.

 他人が見ると美少女2人が,並んで祈っているように見える.それは殺伐としたケイジに清らかな花が

咲いたような美しい光景であるが,彼女らの目前にそびえる祈りの対象は,ぬめぬめと光沢を放つ

血色の良い肌をした巨人である.

 彼女達は確かに巨人に願っていた,シンジが無事現れる事を.その祈りは純真な心であったが,純真とは

言えない感情もお互いに対して併せ持っていた.

(ファーストが他人の事を心配するとは珍しいわね.やっぱりシンジに気があるのかしら?)

 レイの生命感や感情の乏しさ,白磁のような肌は,人形を連想させる.そのことがレイに対する

アスカの嫌悪感の原因となっていた.

 それにしてもこれほど長い時間アスカとレイが二人きりでいた事があったであろうか?

 アスカは,時折隣のレイを横目で盗み見ながら,同じ少年に好意を寄せているというある種の連帯感,

そしてライバル意識をレイに対してかすかに感じ始めていた.

 レイの方は,隣にアスカがいるという事に最初は何も感じていなかった.だが,次第に碇シンジという存在を

通してアスカを意識するようになった.

(碇君と一緒に住んでいる人,私も彼女のように碇君と一緒にいたいの?)

 彼女達の願いが果たしてシンジには届いているのであろうか.


 突然,ケイジ内に警報が響き,アナウンスが非常事態を告げる.

「総員,第1種戦闘配置.対空迎撃戦,用意.」

 レイとアスカは,すぐさまプラグスーツに着替え,待機所で命令が降りるのを待つ.

 待機所のスクリーンに葛城三佐が現れ,命令が2人に伝達された.

「両パイロットは,零号機,弐号機に搭乗.ポジトロンライフル装備の上発進.各機,距離を置いて市街地にて展開後,

大遠距離射撃の準備のまま待機.詳しい状況は待機中に説明するわ.」

 アスカは久々の出撃に多少興奮していた.一方で初号機が出撃できないという不安感も抱いている.

 その不安感は,アスカだけでなく,発令所の全員が共有する感情だった.ミサトは,よりによってこんな時に,

と苦々しく呟いていた.

 レイとアスカはそれぞれ郊外に距離を取って機体を展開させた.ポジトロンライフルを設置し,射撃の時を待つ.

 降りかかる雨が,巨体を濡らし,パイロットまで冷たさを伝える.

 そこへミサトからの通信が入った.

「状況を説明するわ.使徒は20分前に太平洋上の衛星軌道上に出現.現在,降下中.マギの予測では約10分後に

射程距離内に入るわ.射程距離に入り次第ライフルで一斉射撃.いいわね.」

「オッケー.一撃でやっつけてあげるわ.」

「了解.」

 アスカは,エントリープラグの中で使徒が射程距離内に入ってくるのをじっと息を殺して待っている.

1秒が1分に,1分が1時間にも感じられる時間の中で,アスカの意識は研ぎ澄まされ,いつしかエヴァに

降りかかる雨の冷たささえ忘れていた.

 レイも静かに待機していた.戦闘中なので通信回線は開きっぱなしだが,ノイズさえも聞こえてこない.

そんな静けさの中でレイの感覚は研ぎ澄まされていく.

「いけない!」

 レイとアスカは,突然,スコープ内の使徒が光輝きはじめるのを見た.

 衛星軌道上からゆっくり降下して来ていた使徒から光が放たれた.雨雲を突き抜けてアスカに降り注ぐ.

 まるで,神からの啓示を受ける聖人を描いた宗教画のように.しかし,その光は神の祝福などではなかった.

「きゃぁああああ〜.」

 アスカの悲鳴が発令所内のスピーカーから響き渡る.

 発令所内に異常な緊張感が走る.

「敵の指向兵器?」

「いえ,熱エネルギー反応無し!」

 突発な異状事態にミサトは状況の把握をしようとする.

「心理グラフが乱れています.精神汚染が始まります.」

 今までにないグラフの乱れにうろたえながらも,早口でマヤが報告する.

「使徒からの心理攻撃?分析急いで.」

「アスカ,ATフィールドよ,すぐにATフィールドを展開して.」

 発令所内を命令が駆け巡る.

 アスカも何が起こったのかを理解できていなかった.少なくとも体に痛みはない.

 心に痛みが走っている.

 忘れようとしていた哀しい思い出,子どもの頃に受けたトラウマが,頭の中に次から次へとあふれて出ていた.

 どんなに記憶の奥底へ封印し直そうとしても,それらは止め処もなくあふれ出てくる.

 自分自身との戦いに必死で,ミサトからの通信はアスカの耳には入っていなかった.

まして,ATフィールドを張る余裕など今のアスカにはない.

「いやー,そんなこと思い出させないで.心の中を覗かないで.」

 弐号機が頭を押さえて転げまわる.

 アスカは,プラグ内で頭を押さえてうずくまっている.

 一方,発令所内では使徒からの光線の分析を急いでいた.

「分析結果でました.可視領域ですが電磁波ではありません.ATフィールドに近いものです.詳細は不明.

マギの推測によると,ATフィールドが防護として有効とあります.」

 日向マコトがコンソールの表示を読み取りながら叫ぶ.

「弐号機エントリープラグ内にATフィールド発生.パイロットの周りに展開されています.」

「弐号機パイロットの観測不能.回線が何者かに遮断されました.」

 青葉シゲルとマヤが同時に叫んだ.

 全員の視線が,プラグ内のアスカを映すモニタに向けられる.そこには,胎児のように背中を丸めて

LCLの中に浮かぶアスカがいた.先ほどとは打って変わって,天使のような笑みを浮かべて静かに目を閉じている.

 一方,弐号機の方は,依然頭を抱えて苦しみ,悶えている.

 この光はエヴァへも作用するようだ.

(まずい,弐号機のコアがやられてしまう.)

 アスカの周囲に展開されていたATフィールドが金色に輝きながら膨張し,苦しむ弐号機全体を包み込んだ.

ATフィールドに包まれた弐号機は苦しむことをやめ,横たわったまま沈黙した.

 いったい何が起こったのか?同じ疑問が発令所の全員の頭に浮かんだ.

「ATフィールド,アスカが作っているの?」

「いいえ,ありえないわ,じゃ,誰が・・・.もしかして,ケイジの初号機に変化はない?」

 ミサトの問いに答えながら,リツコは自分なりの推論を進め,そしてあることに思い当たった.

「ケイジ内の初号機に高エネルギー反応.ATフィールドの反応です.」

「やっぱり.アスカはまたシンジ君に助けられたというわけね.」

 リツコは自分の推論の正しさに満足すると,小声でマヤにデータの記録を取っているかを確認した.

(ATフィールドの遠隔操作,非常に貴重なデータだわ.)

 アスカの精神汚染の進行が食い止められた今のうちに,弐号機を回収するようミサトはレイに指示を与えた.


 その頃,アスカは,夢を見ていた.

 心の中に進入して来ていた何かが,現れた時と同様に突然消え失せ,代わりに現れた何か暖かいものに

体全体が包まれる感覚をアスカは感じた.それは抗いがたい眠りへとアスカを誘う.

 遠い昔に感じた事があるようなそんな感覚であった.

 思い出せるはずのないほど小さい頃の両親の優しさと厳しさ.そしてヒカリとのおしゃべり,チェロを弾くシンジ.

アスカを助けた時のシンジ.それらが走馬灯のように思い出されてくる.

(アタシ死んじゃったのかな?ああ,気持ち良いい,きっとここは天国ね.

だけどなんで,側にシンジがいる気がするんだろう?)

 夢心地のアスカを乗せた弐号機が零号機によって回収され,ケージに運ばれる.

 すでに弐号機を包むATフィールドは消失しており,プラグ内と外部との通信が回復していた.

「アスカ,聞こえる.アスカ!」

 心地よい眠りを妨げたミサトへの返事は,うっさいわね,聞こえるわよ,であった.

 アスカは,意外にしっかりとした足取りタラップから降りて来た.

 ケージにはリツコと,担架を持った医師団が待機している.

「アスカ,大丈夫.」

「ええ,大丈夫よ.かなりやばかったけど.」

 シンジが,ATフィールドをアスカの周りに張って,使徒からの精神攻撃を防いだという事を,

リツコが簡単に説明した.それを聞いてアスカは,なぜ弐号機の中で,シンジが側にいるような感じが

していたのかを納得した.

「そう,シンジがアタシを助けてくれたの.」

「ええ,シンジ君が助けてくれなかったら,今ごろ廃人よ.」

 この年で廃人にあることを想像して,アスカは寒気を覚えた.

「ところで,シンジはどこ?」

「残念ながら,まだ初号機の中よ.」

 アスカは,リツコがいる事を無視して初号機に向って走りだした.

 初号機のところまで来ると,アスカは初号機に向って大声で叫んだ.

「シンジ,聞こえる?中にいるんでしょう?だったら出て来て,お願い.」

 初号機のコア周辺には依然,高エネルギー反応が観測されている.それがアスカの叫びに呼応するかのように

一段と数値が上がった.

 音もなく,アスカの目の前の初号機の胸に縦一文字に亀裂が生じる.その亀裂は見る見る長くなり,

左右に押し開かれると,中から全裸のシンジが押し出されるように現れた.

 力なく倒れ込んでくるシンジを,慌ててアスカは両手で受け止め,愛しげに胸の中に抱きしめた.

 後日,シンジが自力で初号機から現れた事について,マヤから感想を求められたリツコはこう言った.

「3週間のサルベージ計画よりもアスカの一言か.まったく男って若い女の子が好きね.」


 シンジが初号機から出て来た頃,ポジトロンライフルでは使徒のATフィールドを貫通できないと悟った

碇ゲンドウは,レイにロンギヌスの槍の使用を許可し,零号機のロンギヌスの槍の投擲によって使徒を迎撃していた.


 担架で運ばれたシンジは,病院に着いてすぐに意識を取り戻した.しかし,精密検査のため明日まで

入院する事になった.

 シンジが意識を取り戻したことを聞かされて,アスカは面会を求めたが,それはリツコによって拒否された.


 翌日,一連の検査結果の報告のため,リツコが司令室を訪れた.

「碇シンジの外見,内臓,骨格および精神に異常は見られません.ただ,遺伝子構造がエヴァと同じ,

つまりホモサピエンスとの間に0.11%の差異があるという事,さらに細胞内にS2機関と思われる器官が発見されました.」

「そうか.それを知る者は?」

「私と伊吹二尉のみです.」

「検査結果を第1級極秘扱いとし,ダミーの検査結果をすぐに作成せよ.」

「わかりました.」

「司令,検査結果ではないのですが,ひとつご報告する事がございます.」

「何だ?」

「碇シンジが初号機から現れる直前,初号機からマギの全データに対するアクセスか記録されています.

これは侵入ではなく,マギの許可を受けた正常なアクセスです.」

「そうか.その件に関しては問題無い.」

 リツコは一礼し,司令室から退出した.


 リツコが立っていた場所に,今度はシンジが立っていた.退院するところを呼び出されたのだ.

 シンジの実父でありネルフの司令官である碇ゲンドウは,自分の息子を前にして困惑していた.

我が子の雰囲気が明らかに違っている.

 サングラスと薄暗い室内のため,シンジにはゲンドウの表情はわからなかった.

 呼び出されたシンジは,静かに自然体でゲンドウと対面している.

 ゲンドウが呼び出した用件を説明する事もなく,単刀直入に切り出した.

「シンジ,どこまで知っている.」

 問われた方も予測していたかのように即座に答える.

「人類補完計画を除いて全て.さすがですね,媒体ごとはずしておくとは.」

 ゲンドウは,本当にシンジか,という問いを飲みこんだ.それほどシンジは変貌していた.

以前の頼りなさそうなところは微塵もなく,人を引き付け,採り込んでしまう,そんなカリスマ性にあふれていた.

 ゲンドウはひとつの決断を行った.

「本日を持って,碇シンジを初号機パイロットより解任の上,副司令に任命する.今日中に初号機パイロットを

選任しておくように.」

「了解しました.」

 シンジにとって突然の副司令就任は予想外だった.しかし,組織において,組織の内情に詳しい者を

そうでない者の下に配置することは運営上好ましい事ではないので,妥当と言えば妥当な人事である.

 副司令としての初仕事である初号機パイロットの選任はすんなり終わった.自分の名前を記入して

提出すればよいのだから.

 事務手続きを終えると,今度はミサトとリツコへ就任の挨拶に向った.

 挨拶を終えて地上に出ると,雨はすっかり上がって,代わりに星が降るような夜空がシンジの頭上に広がっていた.


次回に続く

ver.-1.10 1998+08/30公開

ver.-1.00 1997-05/18公開

ご意見・感想・誤字情報などは okazaki@alles.or.jpまで。


 [岡崎]さんの『ある1つの可能性』第4回、公開です。

 加持に、ヒカリに、まわりの人々、そしてシンジの存在によって自分を支えたアスカ。
 そのアスカの求める気持ちを受けてシンジが帰ってきました。

 そして急転直下の展開!
 変わったシンジ。
 彼の変貌は何を意味するのか?
 彼の変貌によって何が起こるのか?

 アスカの補完の物語がほんのプロローグだったとは驚きです。

 さあ、訪問者の皆さん。
 大きくうねる世界を描く岡崎さんに貴方の感想を伝えて下さい。


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