土浦の寿司屋のカウンター席に、美女が2人並んで酒を呑んでいた。豪快にビールのグラスを空にしているのは、だれあろう警視庁特車弐課第壱小隊隊長葛城ミサト警部補である。
んぐっ、ぐっ、ぐっ、ぷっはー
「いやー、やぁっぱこれがないと、一日の終わりって気がしないのよねー」
「相変わらずねえ」
リツコは呆れ顔で、こちらは日本酒でつまみの刺し身をつつきながら(註;寿司屋では嫌われるタイプの客である)友人を見やる。
「その様子じゃ、加持君とはうまくいってないわね」
「ちょっとやめてよ、こんな所であんな奴の話するの!」
ミサトは満員の寿司屋の店内だという事も忘れて大声で叫んだ。
「図星?」
「うっ、うっさいわね・・・・」
この二人に加持リョウジを加えた三人は、大学時代に知り合った友人同士である。ミサトと加持は警察に、リツコは大学院を経てSEELEジャパンに就職したが、交際は絶えていない。
「原因は、昼間の一件かしら?」
「なんで・・・・」
「ニュースでも流れていたもの。苦労して育てた弐課の評判を第弐小隊に落とされ続けて、平気じゃいられないでしょうね」
完全に読まれている。これ以上踏み込まれたくなければ、話題を変えるしかなかった。
「仕方ないわよ。零式と弐式改とじゃあ、元からハンデがありすぎるんだから。
それでもうちの第壱小隊だったら、ああも醜態をさらしたりはしないけど」
「そうね。
ねえ、ミサトの目から見て、ゼロとマグマダイバーの性能差はどれくらいなの?」
「なんでそんなこと・・・・」
「決まってるじゃない。わたしはSEELEの技術者なのよ。ライバルの動向は気になるもの」
MOVIL-POLOCE-EVANGELION
Pre-STORY
“
Main characters”“
The first and ultimate”bパート
「確か、お前は19になっていたな」
「当然です」
憮然とするシンジ。
(息子の年齢も把握してないの、父さん。だいたい大学二年生
(高二で受験した)を捕まえて、何言ってんだよ)「保護者の同意があれば、未成年でも結婚できるのは知っているな?」
「・・・・は?」
「命令だ、シンジ。結婚するんだ」
「いきなり呼び出してなんですか、薮から棒に」
政略結婚でもさせる気か、と身構えるシンジ。
「安心しろ、形式の上だけのことだ。
開発部で雇っているレイ・アイァナムの滞在期限が切れてしまうのだ。お前と結婚させてしまえば日本国籍が手に入る」
「・・・・何か、ずいぶん昔に似たような偽装結婚を斡旋したブローカーがお縄になったような記憶があるんですけどね」
「嫌ならば帰れ。他にも当てはある」
「・・・・別に、今のところ相手もいないし、結婚なんて考えてもいませんから、戸籍ぐらいいくらでも貸しますけどね。
そのかわり、質問があります」
「何だ」
「形式上とはいえ妻になる、アイァナムさんの事です。あの子はいったい何者ですか?」
「お前も知っているように、エヴァの操縦に適正のある者を拾って来させただけだ。格闘用のエヴァのテストドライバーというのは、並みの腕では勤まらんからな。
どこの国で育ったのかは聞いていないが、あの顔からしてそれほど遠くではあるまい。琉球か、統一朝鮮か・・・・。
色素が薄いのは、幼少期の栄養失調の後遺症だろう。セカンドインパクト以降の各国の窮状は、お前など想像も出来ないものだったからな」
命令口調とは言え、頼みごとをしている遠慮があるのだろうか、普段のゲンドウなら一蹴してしまいそうな質問にわざわざ答えてやる。それも珍しくも多弁に、まるであらかじめ練習でもしていたかのようにすらすらと並べ立てた。
しかし、やってることのアナーキーさは相変わらずだ。
「それって人身売買じゃないですか!」
「そうだ」
だから何だ、と言う態度に、シンジは絶句しそうになった。なんとか戦意を奮い起こして言う。
「それが本当なら、母さんに生き写しなのはどうしてです?」
「・・・・何のことだ」
「会長のところで昔のアルバムを見ました」
碇重工の会長・・・・すなわち、碇ユイの老母である。高齢と言う事もあって表向きは隠居しているが、碇重工の役員の間では婿養子の社長より会長の発言の方が重いようで、いまだに隠然たる権力を有し続けている。
「気のせいだろう。
まだ何かあるか? なければ帰れ。こちらの用は済んだ」
必ずしも納得したわけではなかったが、冷然と言い放つゲンドウに圧されたシンジは追い返されるように部屋を出た。
リビングに入ると、案の定、下着姿でテレビを見る女性の姿がいやおうなしに目に入る。いくら蒸し暑い梅雨時の夜だと言っても・・・・
もっともシンジもいい加減慣らされてしまったのか、彼女のあられもない軽装については何も言おうとしなかった。
(註;今はまだマシな方で、一度など、素肌の上にワイシャツ一枚だけの姿でいたことがある。それだけは止めてくれとシンジが懇願したので、それ以後は最低でも下着だけは身につけるようになった)「ただいま」
「お帰りなさい」
「今日は早かったね」
「やっと、終わったから」
「へえ、おめでとう」
綾波レイ
(註;夫婦別姓。帰化に伴い、姓を日本風に変更)は、無愛想なほど無口な女性であった。今の会話にしても何が終わったのやら、事情を知らない人間には意味不明であろう。もっとも、他人に聞かせるための会話ではないと言われればそれまでだが。
レイの職業はシステム開発者である。今やっている仕事は動物型ロボット
(註;アイボの同類と思って欲しい)の人工知能システムの開発だが、御多分にもれず開発スケジュールが狂いまくり・・・・今日になってやっと一段落ついたところだった。この部屋にもモニターを兼ねて数体のメカニマル
(註;筑波万博に行った人は、語源を知っているはず)が持ち込まれていた。商品名「PENPEN」と言うペンギン型メカニマルが短い羽で足に抱き着いているのを撫でてやりながら、レイは言葉を惜しむように短く問い掛ける。「・・・・どうするの?」
「まだこれから。綾波は?」
「・・・・私も」
「じゃ、待っててもらえる? 簡単なもので良ければ、すぐに作れるから」
室内とは言え下着姿でいる様子からもわかるように、レイは度外れた不精者でもあった。食事は栄養ビスケットのような適当なもので済ませてしまうし、それも面倒となれば一食や二食は平気で抜いてしまうのだ。システム開発者では普通のことだ、と当人は言うが、それは仕事が立て込んでいる時だけだろう。
あるいは生理的欲求そのものが希薄なのかも知れない。少しばかり変わった生まれの娘だから・・・・いや、それは関係あるまい。
十分ほどで食卓に料理が並べられた。冷凍庫に作り置いてあったものや卵と野菜の炒め物などで、ご飯も冷凍しておいたのをお茶漬けにしたもの。少なくとも弁当屋の冷凍弁当より健康的ではあるという程度の料理だ。
(註;この時代、ほか弁やファーストフード・チェーンのように大量の「残飯」を出す食品産業は食料統制法によって壊滅している。弁当や惣菜も長期保存が可能なものが販売されていた)ニュースは前天皇を狙撃しようとして捕らえられた男の裁判の結果を報じた後、新東京市の建設が進行するのに伴うダイヤの変更に話題を移していた。
「上皇暗殺か・・・・幼帝を狙うよりは手薄だとでも思ったのかな? どっちにしても馬鹿なことを・・・・」
(註;明治維新以降、日本に上皇が存在した記録はない。大正天皇が脳に障害を負った時も、敗戦によって昭和天皇の戦争責任が問われた時にも、退位には至らなかった。おそらくは未来においてもこの原則は崩れないと思われるが、ここでは設定の都合上「元号を変え『セカンドインパクト後』の終了をアピールする」という意図で禅譲の英断が下された、としておく。「・・・・恐いわ・・・・」
唐突にも聞こえる呟きに、シンジは箸を止めた。
「えっ、どうして? 綾波は皇室を崇拝してたっけ?」
そんなわけはない。
「・・・・だって、碇君もテロリストを相手にしているんでしょう」
「ありがとう・・・・でも大丈夫だよ、弐課が取り締まってるのはほとんどが道交法違反だもの。テロリストって言う連中は、ほら、今のニュースみたいな、狙撃銃や時限爆弾を使うような連中のことだから」
レイを安心させようと、シンジは事実を少々歪曲して伝えた。
もっとも、その努力は次のニュースで無駄になったが。
『次のニュースです。
本日午後二時ごろ、「新東京市」建設計画の工事現場に現れたエヴァは、先日盗まれた消防庁のEVA−2Dマグマダイバーであることが・・・・』
「・・・・弐式改が・・・」
シンジは諦め顔で肩をすくめた。
「そう、元々はうち(弐課)に売り込んできたのに、しみったれどもが蹴っ飛ばしたおかげで消防庁に持っていかれた新型だよ。
今ごろ上の方で2、3人首が危なくなっているかもしれないね。弐課の中でも新型機の導入を要求しようって動きが出てるし、碇重工にとっては思わぬ宣伝・・・・・・・」
会話の方向を変えようとして、そこまでは一息に言ったシンジだが、不意に言葉が喉につかえたように沈黙し、顔からも血の気が引いていった。
「まさか・・・・いくら父さんでも・・・・」
「・・・・いいえ・・・・やりかねないと思う・・・・」
「で、でもあの、メリットがさ、ほら、ないし・・・・だってゼロだって碇重工製で・・・・だから、その・・・・」
あんなのでも一応父である。弁護しようとするシンジだが、内心ではレイと同じように、ゲンドウならやりかねないと思っていた。
次の日曜日。
シンジは会長に挨拶に行くように、というゲンドウからの伝言に従い、大学の寮から碇家の屋敷に向かった。
屋敷は大学からさほど遠いわけでもない。通学時間一時間足らずというのは、都では贅沢なぐらいの立地条件だと言える。
それなのにシンジは寮に入っていた。中学高校の時には自ら望んで長野は那須にある全寮制の、しかも男子校に通っていたのだから徹底している。理由は簡単。屋敷の居心地が悪いからだ。
その原因は家族関係にあった。碇重工の社長と会長はお互いを敵視し、自邸においても険悪な雰囲気を撒き散らし・・・・使用人たちも、一部を除いては長続きせず短期間で辞めてゆき、毎年軒先に巣を作っていたツバメの来訪さえもいつしか絶えた。
ゲンドウがシンジに対する態度は、読者諸賢も既にご存知の通り、冷厳なる事あたかも天高くそそり立つ氷山のごとしである。そして、シンジにとっては祖母に当たる老婆の態度は、刺々しいことまるで針の山のようだった。初孫と言えば目に入れても痛くないのが世間の相場だろうが、この家にはいささか特殊な事情が存在するのだ。シンジの方もこの老婆に家族の情など抱いてはおらず、おばあさんでなく会長と呼んでいる。
その祖母は、しかし、今日はいやに上機嫌であった。
京都の町工場でしかなかった碇重工をのし上げ、支配してきた烈女も寄る年波に気弱になったのだろう。そう思っていたシンジだが・・・・話すうち、徐々に違和感を感じ出した。何がどうとは言えないが・・・・小学校までの日々とは別の意味で居心地が悪い。早々に話を切り上げ、帰った方が良さそうだった。
シンジが近いうちに結婚する事を報告すると、恐らくは既に話が通っていたのだろうが、老婆は驚くでもなく型通りの祝いの言葉を述べる。やれ、死んだ母親も喜ぶだろう、やれ、これで自分も安心してあの世へ行けるだの・・・・。
が、それに続く言葉はシンジを驚愕、恐怖させるのに十分なものだった。
「わたしも、もう長くはない。生きているうちに曾孫の顔が見たいと、それだけが心残りでねえ」
(それは無理ですよ・・・・偽装結婚ですから)
少々の後ろめたさを感じながら、シンジは苦笑した。
レイ・アイァナムとは、何度か姿を見たことはあったし、その特徴的な外見もあって印象には残っていたが、会話を交わした事はほとんどない。
一度だけ、二人きりになったことがある。それぞれ別々の用件でゲンドウに呼び出されたのだが、たまたま呼び出した当人に急用が入ってしまい、30分ほど待たされたのだ。
ほとんど苦行に近い体験だった、とシンジは思う。全寮制男子校なんぞに入っていたせいもあって、
(それ以前に、そんなところに入学する時点で)シンジは元来異性が苦手なタイプである。それでも、黙っているのも難なので、ぎこちないなりに会話を成立させようと努力した。・・・・報われない努力だった・・・・日本語が不自由なのか、無口なだけかはわからないが、レイはほとんど「そう」とか「いいえ」としか反応しなかったのだ。
偽装結婚とは言え夫婦になるわけだが・・・・それが実を伴うとは思えなかったし、ゲンドウもそこまで求めてはいないだろう。何年か籍を貸し、そして入国管理局が口を出さなくなるような時期を見計らって離婚するだけだ。
などと思っていたシンジだが、老婆の続く言葉によって現実に引き戻された。
「おまえの父に言って、無理を通したんだよ。あの男は、綾小路家との政略結婚を考えていたようだがね」
(え? 何か、話が違う・・・・?)
「わたしは、レイがいいと言ったのさ。ちょうど今、会社に一人雇われている事でもあるし・・・・」
(?? 何を言って・・・・? その言い方じゃ、まるでレイが何人もいるような・・・・)
「何しろ、レイはユイのクローンだからね。ユイに似た、賢く美しい子供が生まれるはずだよ」
皺だらけの顔にいっそ福々しい笑みを浮かべ、老婆は言た。
「一体、どういうつもりなんですかッ!」
その日のうちに、シンジは碇重工の社長室に怒鳴り込んだ。無言のままのゲンドウに苛立ったように言葉を重ねる。
「会長から、全て聞きました。どうしてあんな馬鹿なことを承知したりしたんです!」
「・・・・老人にも、困ったものだ」
ゲンドウは椅子を百八十度回した。そうして高い背もたれの陰に表情を隠し、さらにおぞましき真実を語りはじめた。
「そう、あれはユイのクローンだ。ユイの生前に、会長が、臓器移植用のバックアップとして作らせた、な」
「なっ・・・・・」
シンジは絶句した。あまりにおぞましい真実を知り、もう何を聞いても驚くきはしないだろうなどと思っていたシンジだが、ゲンドウの告げた新たな事実はシンジに想像しうる範囲の斜め上をゆくものだった。
臓器移植用のクローンの話自体は珍しくもない。二十世紀の末に羊の体細胞クローンが成功した時から考えられていたことだ。国連憲章によっても国内法によっても規制されていることだが、めぼしい産業を持たない一部国家でひそかに行われ、ブラックマーケットで流通しているという噂も耳にしたことがあった。
だが、それが自分の周囲で行われていたとは思いもしなかった。
生きている人間を、いずれ腹をかっさばき内臓を引きずり出すためだけに作るとは! それも愛娘と同じ顔、同じ声の少女を!
いや、だからこそ色素を取り除いて、同じ顔の別人だという刻印を押しておいたのか。いずれにせよシンジには想像も理解もできない、人間性の、他者の苦しみを思う想像力の欠如した精神の所業だった。
「知っての通り、ユイの死因は交通事故による頭部への損傷だ。脳ばかりは換えが利かないので、レイは命拾いしたというわけだ」
ゲンドウの声は平坦で、何の感情も含まれてはいなかった。それは、隠さねばならないほど激しい感情が存在すると言うことだったが、シンジにはそれに気付く余裕など無かった。
「そんな・・・・それを今更、碇家の一員にしようだなんて」
「会長は、娘を失った代わりに、孫娘が欲しくなったのだろう。哀れなものだ」
義母の耄碌ぶりを嘲笑うようにゲンドウは嘯いた。
だが・・・・・シンジは叫びたかった。だが、愚行と嘲笑うならば、なぜ反対してくれなかったのだ! と。
「動揺しているようだな、シンジ」
「当たり前だよ! 父さんは平気なの!?」
キレたシンジが子供の頃の口調で叫ぶのと対照的に、ゲンドウは再び感情のこもらぬ口調を取り繕う。
「最初に言っておいたはずだ、形式上のことだとな」
「何を恐れておいでだい。
おまえはレイの胎から生まれたわけではないだろうに」
「・・・・クローンですよ? 姉妹以上に同一人物に近い・・・・」
「血が濃すぎると言うのかえ。今の遺伝子治療技術なら、たとえ生まれてきた子が畸形でも、治せないことはない」
とんでもない暴論をなんでもないことのように言い放つ老婆に、シンジは狂気の影をさえ感じた。
「レイ・アイァナムは、某国の貧民街の女が売った腹から産まれた娘でユイとは別人。戸籍の上でも、その女の娘となっている。道徳的にも、法律的にも問題はあるまいて」
クローン動物は試験管の中から生まれてくるわけではない。胚から先は他の雌の胎内で育てられるのだ。理論上は遺伝子を提供した個体から産ませることも可能だが、クローンの個体発生率は低いので、成功するとは限らない。何体もの雌の胎内で育てられるのが普通である。最初のクローン動物「ドリー」の場合は十余匹ものホスト・マザーが用意された。
この場合、実際に腹を痛めたホスト・マザーこそが母親なのか? 諺にも氏より育ちとあるが、そういう意味では老婆の言う通りかもしれない。
が、それは理屈でしかない。反論はいくらでも出来る。血は水よりも濃いと言う諺もある。そして何より論理以前の感覚の問題として、異常だと心が叫ぶのだ。
(SFに、自分の性転換クローンと結婚した警察官の話があったなー)
頭の片隅で現実逃避しながら、シンジは老婆の妄執を思い、戦慄した。
(結局、この人はいまだに認めていないんだな。母さんが父さんと結婚したことも、死んだことさえも)
ユイは碇家の一人娘だった。美貌、才能、人格、すべてにおいて衆に優れた愛娘に、女だてらに重工を率いてきた女社長は愛情と期待を注ぎまくっていた。
ところが、あるまいことに、ユイはどこの馬の骨とも知れぬ男・・・・碇ゲンドウと駆け落ち結婚してしまったのである。
愛娘に裏切られた激怒はさぞかし凄まじいものだっただろう。しかし、ユイを手元に引き戻したかった彼女は、しぶしぶながら二人の結婚を認め(すでに子供まで作っているものに、承認も何もあるまいが)、ゲンドウを婿養子として迎え入れた。
しかし、数年後・・・・ユイは交通事故によって帰らぬ人となった。
それを認められない気持ちは、分からなくもないが・・・・
「昔から一姫二太郎と言うての、最初の子供は娘が良い。女の方が育てやすいからね」
シンジは吐き気を催した。眼前の老婆が妄執の、腐敗臭さえ感じるほどのおぞましさよ。
シンジが受け継いだユイの遺伝子が半分。レイはユイの遺伝子を全て(メラニン色素を作る遺伝子を損なっているが)持っている。二分の一の確立で・・・・と言うか、娘が生まれれば(男児は父親からY染色体を、母親からX染色体を受け継ぎ、女児は両方からX染色体を受け継ぐ)彼女はユイの遺伝子のみを受け継いでいることになる。
言うなれば、ユイの生まれ変わりと言うわけだ。
(冗談じゃない・・・・そんな都合よく生まれるはずないじゃないか)
一般人ならだまされたかも知れないが・・・・シンジはまがりなりにも理科系の人間である。生物学については高校の授業までで習った範囲しか知らなかったが、その理屈がいくつもの落とし穴を持っている事はわかる。
実際には、染色体はそれぞれが別々に組み合わさって次代に受け継がれる。これをダーウィンの独立の法則と言う。
簡単な比喩を用いて説明しよう。
トランプのハートのカードがユイの染色体、スペードがゲンドウの染色体だ。今、これを裏返しに二列にならべ、対応する数字をランダムに入れ替えたとする。
13対のカードをオープンした時、同じ記号が一列に並ぶ確立は?
答えは
1/4,096。
ヒトの23対の染色体がそろう確立は
1/4,194,304である。
さらに、組み替えが行われるのは染色体だけではない。各々の相同染色体の内部でも、染色体自体と同じように遺伝子のシャッフルが行われるのだ!
同じく比喩を用いると、たとえ天文学的な確立でハートのカードがそろったとしても、一枚一枚のカードを良く調べてみると・・・・そこには番号と同じ数だけハートが並んでいるはずなのに、黒いスペードのマークが混じっているのである。
が・・・・逆にこうも言える。
どんな組み合わせであれ、赤と黒は同程度含まれている確立がもっとも高い。すなわち、シンジとレイの子は、男であれ女であれ、75%前後はユイに由来する遺伝子を持っている、と。確かに、ユイに良く似た子供が生まれる事だろう。
生物学用語ではこれを戻し交雑と言う。稲などの品種改良では良く行われる事だ。
(そう、稲とか野菜とか、家畜がやることだ)
シンジは、そう叫びたかった。
(僕は人間だ! 心を持った、人間なんだよ!)
だが・・・・いつぽっくり逝ってもおかしくない、そんな老婆に強い態度に出るには、シンジは弱すぎた。その弱さを優しさと言うことも出来るが・・・・結果、自分が傷つくことに違いはない。
結局、シンジは明確に拒否する事は出来なかった。
「老い先短い老人の願いだ、叶えてやれ」
シンジと同じ理由で、ゲンドウも拒絶できなかった・・・・わけではない。
ばあさんが死ぬまでの辛抱だ。なあに、長いことではないさ。冷酷な笑いが、言外にそう告げていた。
「・・・・最後に、聞きたいことがあります」
「何だ」
「あなたにとって、あの娘は何です!?」
本当に聞きたいのはゲンドウにとって自分は何なのか、だったが・・・・直接それを聞く勇気はシンジにはなかった。
その怯堕が、後の悲劇を生む事になる。
ゲンドウはゆっくりと振り向いて、言った。
「お前には関係のないことだ」
当然の反応だ。たとえ実の父と子であっても、土足で踏み荒されたくない領域がある。
ましてゲンドウにとっては、なぜかわからないが才色兼備の令嬢であるユイが自分のような欠陥人間を愛してくれたことも、その突然過ぎる死も、未だに消化出来ない出来事なのだ。
まだ若すぎる子供たちには、そこまで斟酌する余裕がなかった。だから表面的な態度や、口に出された言葉をそのままに受け止めてしまった。
ゲンドウの声も、眼光も、この日の会話のうちで最も冷たいものだった。
「加持隊長・・・・休憩所は禁煙ですよ」
「そう固いことを言うなよ」
「隊長室で吸えばいいじゃないですか。うちの隊長、何も言わないでしょう?」
「隠れ喫煙者だからな、あいつも。
そういう君は、なんでわざわざ自販機のコーヒーを?」
「オフィスの煎れたてコーヒーより、自動販売機のコーヒーの方が飲みたい時もあるんです」
「ふ、言うねえ。
そうだ、さっき土浦の葛城から電話があってな。何か向こうさんの準備が手間取ってるらしくてね、今日は仕事にならないから、SEELEの土浦工場に勤めてる大学時代の友人、赤木リツコっていうんだが、そいつと呑んでるそうだ」
日向は苦笑した。
「第弐小隊の子たちも呑みに行ったみたいですね?」
「ああ。苦労してるよ、あいつらも」
失礼ですが、と断って日向は続けた。
「配置転換を考えた方がよろしいのでは?」
「それはもう考えた。考えたんだが、やっぱり現状が望みうる最善のものなんだよ」
「そうですか? 指揮者が務まるあの二人しかいないのはわかりますが・・・・」
アスカはあの性格だし、マナはコンピューターの扱いで他のメンバーに劣るのである。シンジやマユミが指揮に向いているかと言うと、それはそれで疑問があるが、他の人材がいないのではやむを得まい。
「この際、思い切って指揮者をサポート要員だと考えてはどうです」
「フォワード、霧島、碇。バックアップ、山岸、惣流か?
駄目だな。碇は今は危なすぎてフォワードにはできんよ」
「危ない、ですか」
意外そうな顔をする日向に、加持は大きく肯いてみせた。
「俺が初めてあいつを見たのは、弐課を創設する時に、警察用エヴァに採用する機体がなかなか決まらなくて、一度各機種を集めて模擬戦をやろうってことになったんだが、そのテストパイロットとしてだったんだ」
「へえ・・・・それは初耳です」
「彼の実家は碇重工だからな。割のいい小遣い稼ぎだったんだろう」
無論、一対一の模擬戦で警察用エヴァとしての適性が全て判断されるわけではない。
一機あたりの単価(この時には何機で小隊を成すかも決まってなかった)、整備性、操縦の習熟に要する期間、将来の拡張性、市街地での運用、現場への移動時間、その他諸々・・・・しかし、一つの目安としては意味がある。
今の教習所の中庭で、それは行われた。
その日、後に教習校として日向やシンジたちも(それぞれ時期は異なったが)ここに来ることになる建物には、何台ものエヴァを乗せたキャリアと、警視庁のキャリアたちが集まっていた。
キャリアと言うのはいわゆるエリートのことである。いきなり警部補からスタートし、試験も受けずに年功序列で昇任してゆく。30代前半には地方の署長クラスになるスピード昇進ぶりである。その反面で「浮世離れ」した者が少なくないなど弊害が指摘されているが、警察の首脳部を構成するのが残らずキャリア組である以上、この制度がなくなることはないだろう。
ちなみにミサトは準キャリア。加持はノンキャリアの叩き上げである。ノンキャリアで三十路前に警部補と言うことは、すべての昇任試験をストレートで合格して来たことになる。もっともこの時点では一介の巡査部長だったが。
それら警察官とは別に、各企業の技術者たちも勢揃いしている。すでに一種険悪な緊張感が漂っているが、碇重工の八王子工場と所沢工場、SEELEジャパンとSEELEアメリカなどのように身内で火花を散らしている例さえあった。
模擬戦は勝ち抜きでも総当たり戦でもない。あくまで参考ということで、アミダをひいた対戦表に基づいて一度ずつ戦闘するだけである。今は三試合目。新進の碇重工と、官僚との癒着がささやかれるほど防衛関係に強い日重工との対戦だった。
JA−3Er「ジェット・アローン」は自衛隊にも採用されている機体を、市街地での運用にあわせて軽量化し、火器もネット弾や20mm機関砲にスケールダウンしたものである。人間に近い体型のEV−0「ゼロ」に比べると無骨な作りだ。
「双方、礼っ!」
審判役の警官の合図に従い、ゼロが人間のように上体を折り曲げて礼をする。
同時にジェット・アローンが発砲した。
ドン、バシャッ! バババババ、ベベベベベ!
ペイント弾の塗料がゼロの装甲で破裂し、周囲を朱に染める。
「ばぁかもぉん! 礼をしてからだ!」
「実戦の相手は例などしては呉れませんぞ! ぬっはっはっはっは!」
審判がメガホンごしに怒声を放つが、JAの搭乗者は悪びれもせずに答えた。
「・・・・このっ・・・・いいか、もう一度やり直しだ!」
ふざけるなよ・・・・実戦形式だと? よく、わかったよ・・・・
ゼロが走り出した。
「こら! やり直しだと言ってるだろう!」
審判の叫びがむなしく響く中、JAとゼロが激突し、人間に近い細身のスタイルのゼロではなく、重量級のJAの方が転倒した!
JAはのろくさと立ち上がろうとするが、ゼロがそんな暇を与るはずもなかった。すばやく馬乗りになると、五本の指を使って緊急用の開放ノブを回す。
火薬に火が入り、ハッチが吹き飛んで操縦席がむき出しになる。
「何ぃ!」
「器用なことを・・・・」
桜田門から来た者たちは単なる感嘆、碇重工以外の企業から派遣された者たちは、先を越された無念の混じった驚愕の叫びを上げる。
そして碇重工の人間もまた、ゼロがJAのシートに手を差し入れるのを見て恐怖した。
「彼は何をするつもりなんだ!?」
「止めさせろ、早く!」
「は、はい!
落ち着いてください、シンジさん! 警察の敷地内で人を殺したら、ただじゃ済みませんよ!」
「社長もなんとか言ってください!」
周囲がうろたえ騒ぐ中、ただゲンドウ一人が椅子から立ち上がりもせず、背を丸めて顎の前で手を組んだいつものポーズのまま、模擬戦を見つめていた。
「それから後が凄かった。失禁して失神してるパイロットを掴み出して、中の機械も引きずり出せるだけ引きずり出して、それでも飽き足らずにプログナイフを装甲の隙間に差し入れて整備用ハッチをこじ開けるわ、センサーを一つ残らずぶっ潰すわ・・・・。
で、トドメに、これが採用の決め手になったんだが、JAの搭載火器を根っこから引っこ抜いてシートのあった穴に突っ込んで、トリガーの配線をショートさせて発砲したのさ」
それだけ指先が器用だということである。もちろん、戦略自衛隊が正式採用した軍用エヴァを蹂躪する圧倒的強者のイメージが警察幹部の脳裏に焼き付けられたせいもあるだろう。
「はー・・・・それはまた、徹底的というか、執拗というか・・・・」
常日頃の印象とのギャップの凄まじさに、日向は呆れ顔になった。
「しかし、よくそんな危険人物を、人事に無理言ってまで弐課にスカウトしましたね」
「何、将来の精神的成長を期待してね。
当時、彼はまだ大学の4年生だったわけだしな」
加持はそう言いながらもポジションの入れ替えを保留する。ということは、今はまだ精神的に不安定だと考えているのだろう。
気を付けた方がいいかもしれないな、と日向は思った。
「用は済んだか? ならば帰れ。目障りだ」
冷酷な言葉に押し出されるように廊下に出たシンジは、床に落ちている小さく赤く丸いものを見つけた。
「プチトマト・・・・?」
なぜそんなものが、と、脳を焼き尽くす負の感情から逃避するように考えながら、手でトマトの表面を拭い口の中に放り込んだ。
それからしばらくの時が流れたある日。
「何? 彼がエヴァンゲリオン初号機を動かすのか?」
冬月は意外の念に眉を寄せた。
「ええ、EVANGELの免許も持っているそうですし、社長の息子さんなら、情報を漏らす心配も要らないでしょう」
出来の悪い自衛官なる人種がいる。大型特殊の免許を取って除隊するような連中である。終身雇用制が崩壊して久しい昨今、社員であっても内部情報を持って転職するような輩がいないとは限らない。
ことに格闘用のエヴァのテストドライバーなど若い者でなければ務まらない。エヴァ自体が出来てまもない新しい機械であるため、若さに支えられた反射神経を凌駕するほど経験豊富な熟練操縦者が存在しないからだ。まして格闘などと言う特殊な分野では。
可能性に満ちた時代を生きる、鞍替えによって失われる信用がさほどの痛手にならない、より高いスタートラインから新しくやり直すことが可能だと思える・・・・そんな世代だ。その点、社長の息子ならば安心だと思うのはわかる。会社や職業は変えられても親を換えたり子供を辞めたりは出来ないのだから。
しかし、冬月は納得できなかった。
「・・・・・大学生が、学校を休んでかね?」
「やっぱり男の子ですから、こういうの好きなんじゃないですか?」
「・・・・彼は音楽、それもクラシックを好むタイプだと聞いていたがな・・・・・」
そしてゲンドウとは長い付き合いになる冬月は、父子の仲はけっして良くはない事も察していた。
(・・・・・まさか!?)
「YUIの緊急切り離しプログラムは用意してあるのかね?」
「え? そりゃ、ありますけど・・・・?」
「そうか。なら、いいのだがね」
「あのぉ・・・・教授、何か・・・・?」
「いや、いいんだ。気にしないでくれたまえ。年を取ると、心配症になるものだよ」
冬月の心配は現実のものとなる。ただし、若干のアレンジを加えて・・・・。
初号機のテストが終了し、零号機を相手に、実践を想定したシミュレーションが始まろうとしていた。シミュレーションといっても、コンピューター上でプログラムを走らせるものではなく実機を使用する、所謂模擬戦である。
四方と床を白い特殊パネルに囲まれた部屋に、オレンジ色の零号機と紫色の初号機が対峙する。別に意図したわけでもないのだが、二体のエヴァンゲリオンは互いに補色の色彩を身に纏っていた。胴体や手足の形が同じだけに、まるで格闘ゲームの同キャラ対戦のようだった。
ただし初号機にはS2システムを搭載してあるので、頭部の形状はだいぶ異なる。零号機の方は比較的「おとなしい」デザインだが、初号機の方はまるで・・・・鬼だ。
その形相を見るうちに、冬月の胸中に再び暗雲が垂れ込めてきた。
ちらり、とモニタールームの中央に立つ社長の姿を横目に見る。
(せめて、こいつがここに居なければマシなのだがな・・・・)
そんなことなど察しもせず、ゲンドウは言った。
「始めろ」
「はい。では実験を・・・・あっ!?」
実験の幕があがるよりも早く、EVANGELIONが動きだした。
地響きを立てながらモニタールームを目指して駆け寄ってくる!!
「青葉さん」
「何だ、カヲル君。
もう寝た方がいいぞ、寝る子は育つだ」
「青葉さんたちでしょう、これを仕組んだのは」
カヲルは、ニュース番組を映しているホテル名物の有料テレビを指した。
「ああ、そうだ。マグマダイバーを過激派グループにくれてやって、襲撃のお膳立てまでしてやったのさ。それなのにあの連中と来たら、一回使っただけのマグマを海の底に乗り捨ててきやがって・・・・」
「こんな連中相手に、わざわざ新型を作る必要はないと思いますけど。同じ零式で粉砕して見せますよ、僕ならね」
「そりゃ出来るだろうけど、俺たちの目的は警察に喧嘩を売ることじゃない。新型機の開発が目的で、勝負はあくまで手段なんだってこと、忘れないでくれよ。
なぁに、心配するなよカヲル君・・・・張り合いがないって言うなら、君とサーティーンのデビューの前に、まず連中をレベルアップさせておいてやるさ」
さて、前回に引き続き登場人物紹介です。元ネタとエヴァのキャラクターの擦りあわせ、この過程がなんとも楽しいんですよね。いやー、やっぱ異世界系はやめられんわ。
第壱小隊隊長;葛城ミサト
南雲警部補のポジションです。少なくとも表面的な性格は180度逆ですねー。その意味ではむしろリツコのほうが似合いなんですが、第弐小隊隊長との人間関係を優先させていただきました。本質のところではミサトもマジメ人間ですしね。
左遷されてエリートコースから外されたのは元ネタと同じです。もっとも原因は酒の上でのトラブルですが。
同・巡査部長;日向マコト
この男の場合、ミサトの部下というのはデフォルトでしょう。基本的には温厚な性格ですが、弐課の評判を落としまくってくれる第弐小隊にはあまりいい感情を持っていないようです。
弐課の整備員;相田ケンスケ
もうそのまんまシバシゲオそのものです。以上。
碇重工社長;碇ゲンドウ
一応篠原一馬(だったか?)のポジションですが・・・・まるっきり別物ですね、ハイ。やっぱりゲンドウのキャラクターは濃ゆいっす。
元開発主任;冬月コウゾウ
この人、立場的には実山のおっちゃんとは微妙に違います。むしろアシュラの父、古柳教授に近いでしょう。
ユイの複製;綾波レイ
うーん、またややこしい設定を・・・・
企画七課課長;赤木リツコ
受け売りですがリツコは科学者というより技術者、開発者というより運用者でしょう。MAGIもエヴァも彼女の母親たちの作品ですから。むしろネルフのナンバー3として謀略のような仕事に携わっていた観さえあります。
この話でも、彼女は「黒いエヴァ」の開発に直接は携わってはいません。と言って内海のように裏の仕事に自ら携わるでもありません。企画七課のリーダーとして、全体を統括する立場にあります。
同・課長代理;青葉シゲル
一番異論のありそうなキャスト(笑)。黒崎のポジションですが性格は軽妙で、どちらかと言えば内海に近いでしょう。リツコの性格がお堅い一方なので、ここでバランスを取っておきました。
同・一般社員;玄田、緑川、白鳥、銀河、金月
彼らの出番はcパートになってからで、今回は出てません。
声優さんで名前に色を表す字がついている人の名前を使わせてもらいました。僕は最近の声優さんはよく知らない(っつーか、最近は声優さん多すぎ。昔は普通にアニメを見てるだけで、たいていの声優さんの名前を憶えられたのですが・・・・ベテラン声優の神谷明氏も「最近はもう後輩を指導するどころか、彼らの名前を憶え切れません」と言っていた)ので、昔の人ばかりです。最後の人(ガサラキのヒロインを演ってたので憶えた)は例外ですね。
暗黒のエヴァ;バルディエル
サーティーン(X
III)と言うのは開発中のコードネームです。カヲルが乗ったのは弐号機で、参号機はトウジの受け持ち機体ですが、まあご勘弁を。
以下次号…
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