「そう、お前には一番大事な物が欠けている!!」
突然彼は僕の眼前にずずい、と人差し指を突きつけ毅然と言い放った。
食事の最中の事だったので、僕は意表を突かれ呆然としていたが、一呼吸置いて考えてみれば僕にはその言葉に思い当たるフシが両手に余るくらい存在していた。
「……欠けている? 常識が? 節操が? それとも道徳性が?
欠けているも何も、欠陥だらけの人間に向かって何を今更……」
鼻で笑い、ふてくされた表情を続けて食事を続ける僕だったが、ノヴァスターさんの熱弁は止まらない。
「だーれがお前さんの人格の話をしてるかっての。
いいか! 人型ロボットに乗って戦う人間たる者が必ず持っていて然るべき物を、
君は何故持ち合わせていないのか、考えたことはあるのか!
この俺とした事が、一生の不覚さね。今の今までこんな基礎的な事をド忘れしていたとはっ!」
右手に箸、左手に味噌汁のお椀を装備しつつ、天井を見上げ絶えることなく熱い弁舌を振るっている。
だが僕にしてみれば、大口を開けてしゃべるノヴァスターさんの口から飛んでくる炊き込みご飯の粒々が飛んでくるために迷惑千万としか言いようがない。
「ならば! かくなる上は俺自らがお前さんに一世一代の荒修行を課してやる!
だがこれを見事乗り越えさえすれば、君にかなう敵はいなくなるだろうからな!」
なんだかな……あんまり仕草がわざとらし過ぎて馬鹿馬鹿しすぎるから、突っ込む気だって起こらなくなるよ。大体にして、どうせこの間借りてきたビデオに感化されたんだろうなぁ。
確かこの間はブルースなんとか……とかいう格闘家を題材にした映画のビデオを借りていたし、その次がやっぱりこれもブルースなんとか……とかいうハリウッド俳優の映画を借りていたし、そして一昨日だかは……そう、確かあれはなんとかガンダムとかいうロボットアニメを一心に見ていたんだっけ。
それにしても、いい歳して何を考えているのやら。映画やアニメの内容に感化されて僕に課題を課してくるなんて信じられないよ。……でも、それの何が恐ろしいかって、それが確実に僕の身体に成果として現れてくる事なんだ。こういう「遊び」の要素を上手く実戦に取り入れる事に関してはこの人はミサトさんの比じゃないくらい得意なんだ。
「そうと決まればホレ、シンジ!
ぼけーっとしてないで、とっとと飯を食べてしまえっての!
それを食い終わったら早速特訓するからな!」
「と、特訓ですか!?」
「そう、特訓」
彼は冷めかけた味噌汁を一口でずずっと飲み干し、残ったおかずを大急ぎで掻き込むと、まだ食事最中の僕までけしかけるものだから、仕方なく僕も食事を大急ぎで済ます羽目になる。
その合間、彼は内線電話でリツコさんに連絡を取っているらしかった。エヴァを使わせてもらえないかどうかを尋ねているらしいけど、初号機は先日のサンダルフォン戦の損傷が激しく完全な復旧までまだだいぶ日を要するらしい。
零号機と弐号機は何やら新技術の導入試験試行中との事らしくこちらも使用不能との事。僕はこれで彼の思惑が肩透かしになってくれれば……と一縷の望みを掛けたが、望みむなしく結局彼は起動実験に漕ぎ着けてしまったようだった。
「……しかし、どうやってエヴァを徴用したんです?」
「エヴァじゃなくて実験棟の模擬体を借り受けたんだよ。
リツコさんが直々に起動実験に立ち会ってくれるんだ。恥ずかしいところを、見せるんじゃないぞ」
「はあ……」
リツコさんも物好きだよな、何もこんな事に付き合わなくったって……この人の意図(遊び要素)は見え見えだろうに。
「それじゃ早速今から行くぞ! 早く支度しろって!」
「……はいはい」
ぶつくさ言いながらも、自分を鍛えてくれると言うならば悪い気はしない。いずれは独りで立ち向かうには厳しい使徒や敵性体も襲来するのだろうし、僕が一人で戦い抜く、という我が儘を有言実行するのならば、藁にもすがる心境なのも確かだ。……にしてもその藁が、よりによってこの人なのか……。
「……そう言えば」
「どうした、シンジ?」
「そう言えばまだ聞いてなかったんですけど、『僕に欠けている物』って何なんです?」
聞くんじゃなかった……一瞬後に僕は思いっきり後悔した。その質問を聞いた瞬間のノヴァスターさんの眼が妖しく光り輝き、我を刮目せよと言わんばかりにの仁王立ちで胸を張り、ビシィッ!と僕目掛けて人差し指を指してこう答えたんだ。……にしても、この人のしぐさは最近アスカのそれに似てきたなあ。
「無論、必殺技に他ならない!!
そう、これぞまさにヒーローたる者の持つべき最低条件!」
「……本気で言ってます?」
僕は閉口してしまった。
だけど、ノヴァスターさんは僕が考えていたよりももっと深い考えを以てして、今回のシチュエーションを構成していたようだった。
時々子供のように羽目を外すかと思えば、時にはまるで英知に長けた軍師のように、先見の知恵を僕に授けてくれる……「未来を知っている」僕よりも更に未来を見通しているかのように、そのサングラスに隠された視線が、遥か遠い何処かを眺めている黄昏を見かける事もある。
ノヴァスター=ヴァインさん……その全貌は未だに解けない、謎だらけの人物。
名前は洋名だけど、日本人とも外国人ともつかない不思議な性格と知識を携えている人。
(単に、掴みにくい浮き草みたいな性格なのだと割り切ることも出来なくはないけど……)
それでも、その余りある魅力で誰とも親しくなってしまう不思議な人でもあるんだ。すっかり僕とは疎遠になってしまったミサトさんに代わって、今では実質僕の保護者同然の扱いになってしまっている。
……もし学校で保護者面談があったら、僕はこの人を連れていかなければならないんだろうか。これでも学校ではニヒルで通しているんだけど、それも台無しになりそうで……恥ずかしいなあ。
でも、悪い人じゃない。むしろ凄く優しい人なのも確かなんだ……。
最初こそあんな感じでおどけて言ってみせたノヴァスターさんも、僕達が実験棟に向かう最中にはしっかりとした説明で僕を納得させようとしてくれた。
「いいかシンジ、第六使徒の時も言ったと思うけど、ATフィールドってのは武器としても有効な物質だ。
お前さんが独自に編み出した、ATフィールドを手の中で凝縮してカッター状に加工して斬り裂く、
あの技もなかなか強力だとは思うけど、強敵と渡り合うのではあれではまだ甘いんだ。
あれじゃあまだ『三要素』のうちの一つしかこなしていないからな」
「……『三要素』!?」
「そうだ、例えば、いわゆるアニメでいう『必殺技』っていうのは、
その動作と特性から三種に分別される。これが分かるか?」
僕は当然首を横に振る。
「まず一つ目は<斬る>。
『必殺、なんとか剣!』とか『超!なんとか斬り!』とかいう技がこれに分類される。
剣のような切れやすい物質で相手を切り裂く技……というコンセプトな訳だから、
お前さんの『フィールドスラッシャー』もこれに該当するわけだな」
フィ、フィールドスラッシャーって……人の技に勝手に名前つけてる、この人。しかもセンス皆無だし。
「二つ目は<撃つ>。
『何々キャノン!』とか『必殺!なんとかビーム!』とかってのがこれに分類される。
物質に対する破壊力を持ったエネルギーを放射する遠距離攻撃というコンセプト……
しいてエヴァの武器でたとえれば、ポジトロンスナイパーライフルみたいな物がこれに当たる。
とは言え、一発ビームを撃つのにまたいちいち日本中を停電させる訳には、いかないわな」
はあ……そんな話題で熱弁が振るえるのは、あなた位のものですよ、ホント。
「そんなシラけた顔してないで、最後までしっかり聞いてくれよな。
三つ目はな、<当たる>。
これはな、いわゆる体当たり系の技、もしくは超重兵器による加重攻撃が該当する。
つまり、硬質の兵器、或いは硬質と化した自分自身を、
エネルギーを乗じさせて敵に体当たりする事によって破壊しようと言うのがこの系統の特徴だ」
僕に解説してくれている間、彼は手取り足取りのジェスチャーを織り交ぜながらひたすら熱く語り続けている。ここまで行くと止める事さえ僕にはなんとなく気の毒にさえ思えてきた。
一体何が彼をそう熱くさせるのかは僕にはさっぱりだけど、それを僕一人の為に彼なりに真剣になって教えてくれている事を考えるとやっぱり無下には断れないというのも……あるし。
「まあ要するに、世間一般に言うロボットアニメの必殺技は大体この三つに分類されるという話だ。
この中からどれをとっても遜色なき素晴らしい必殺技の数々!
まさに一芸を極めた技の真骨頂がここにあるわけだな!」
はいはい……。
「だが、俺はあえて考え直してみた。
確かに、斬る、撃つ、当たる! それぞれ一つの要素を極めた必殺技は強く、そして華麗だ!
しかし、その三つの要素にはそれぞれ一長一短があり、完璧とは限らない。
だから俺は考えた、この三つの要素を程良く織り交ぜた新しい必殺技はないものかと!
そして思いついた、エヴァの特性を生かした、強さと華麗さを兼ね合わせた素晴らしい新必殺技を!!」
もう、駄目だ……この人暴走してるよ。
しかし、こんな風にノヴァスターさんが語っている間に、僕達はとっくに実験棟内部にたどり着いてしまっていた。
「……まあ、色々と熱く語ってしまったけど、ちょっとばかり実践してみれば君にもすぐ分かるって」
と言い残すと、彼はそそくさと管制塔の方へと向かっていってしまった。僕はここから一人で搭乗口に向かい、模擬体に搭乗しなくてはならない訳だから当然彼とはここまでしか同伴できない訳だ。
(嵐のように語ってそのまま去って行っちゃったな……)
おかげで僕は、断るとも引き受けるとも言ってはいない。ここで立ち去るのも簡単だろうけど……。
僕は別室で身体を滅菌洗浄し、プラグスーツを身に纏い模擬体に乗る準備をしている間なんども逡巡したけれど、これも自分の運命を司る一つの賭けだと割り切って、ノヴァスターさんの話に乗ることにした。
「どもども、お世話になりますリツコさん」
飄々とした態度で管制塔に入室するノヴァスターさんを見つけると、リツコさんは親友のミサトさんや加持さんにも見せないような無邪気な笑みで受け入れた。とは言え、別にノヴァスターさんに対して男女の関係としての好意を持っているというよりは、むしろ妖しい事を企む者同士の結束感みたいな物で繋がっているらしい。
リツコさんもノヴァスターさん同様に結構悪戯好きな所があって、ノヴァスターさんの妙案も、エヴァに関する事となると気軽に引き受けて実践してしまうリツコさんもつくづく困った人だ。
「あらいらっしゃい。この間話してくれた件の準備、進んでいるわよ」
「お手数かけます。この忙しいところをわざわざ……」
「そうね、この貸しは高くつくわ」
「あいたたた、そう来ますか。……分かりました、今度何かおごりましょ」
軽いジョークを綯い交ぜつつ、二人は模擬体の方に向き直った。
「しかし、それを修得する為にはエヴァが入り用だという話だったのに、本当に模擬体で事足りるの?」
「最初のうちはこれで十分ですよ。『右手』と『ATフィールド』さえ使えれば。
初号機の修復が済んだら、今度はそっちで訓練させれば済む話ですから」
「しかし、随分とシンジ君に入れ込んだものね、あなたも」
「まあ……。でもそういうリツコさんは、あいつは嫌いですか?」
「ミサトやアスカあたりは、彼にだいぶ煮え湯を飲まされている訳だから、
あなたのその言葉を信じるのは難しいでしょうね。
かくいう私だって、あなたほど彼を信頼している訳でもないわ」
「確かに、特にあの二人にとっては当分シンジの存在は心痛でしょうね。
特にアスカ……いや、これはあの二人だけの問題か」
「……あなたも碇司令と同じね。時々ひどく遠くを見透かしたような物言いをするわ」
「止めてくださいよ。あのヒゲ親父と俺が同じだなんて、ぞっとしない」
ノヴァスターさんが上手くはぐらかしたのに応えて、リツコさんも小さく笑う。
「確かにね。フフフ……」
だが、リツコさんも薄々気付いてはいるはずだ。ノヴァスターさんが自称するような平凡な人間ではなく、実際はあまりに謎の多い人間であるという事を。それでもなお、彼女も僕と同じで彼の不可思議な魅力に毒された人なのだ。いやそれはリツコさんに限ったことではない。彼の人なつっこい性格が、ネルフの様々な人達と親交を交わしている事を僕は知っている。
時にはミサトさんと朝まで晩酌と愚痴(主に僕の事だろう)に嫌な顔一つせずに付き合っていたり、
時には加持さんの西瓜畑の畝起こしを汗だくになりながら手伝っていたという話を聞きつけたし、
時には冬月副司令の将棋の相手を努めて逆に副司令を打ち負かしたのだと喜んでいたし、
時には青葉さんのバンド活動に飛び入り参加して、ステージを大いに盛り上げた話が発令所内でも盛り上がっていたし、
時には綾波の家の炊事洗濯一切までも引き受けたのだと、その苦労の一部始終を語ってくれたし、
時にはアスカの我が儘に付き合って、僕に晴らせない鬱憤晴らしの相手になってくたくたになって帰ってきたり、
しまいにはこうやって、リツコさんと二人示し合わせてこんな風に変な実験を企んだり……。「人付き合い」という点に関しては全く彼には脱帽する。……まあ、人付き合いの「ひ」の字もない僕と比較するのがそもそもの間違いなんだろうけど。
それが自然と、僕が険悪に施してしまった人達の雰囲気を和らげていたのだという事に気付くには、僕はもう少し時間がかかる事であった。
そんな風に二人が雑談に興じている頃、僕はとっくに準備を終えテストプラグのそばに待機していた。
「……ノヴァスターさん、僕はいつまで待てばいいんですか?」
「おうっ、早いな。もう準備できてたのか。
んなら早速始めようか。リツコさん、起動準備よろしく」
「了解。じゃあシンジ君、テストプラグに乗り込んでいつものように起動を始めてちょうだい。
最初はインダクションモードで入るのよ」
「……了解」
言われたとおり、僕は一通りの起動テストの作業を黙々と進めている傍ら、ノヴァスターさんは管制塔内部をじろじろと見渡していた。……やがて何かに気付いたようだ。
「あれ? リツコさん、マヤさんの姿が見えないんだけれど?」
確かに、リツコさんを慕っていつも同伴している彼女の姿が見えなかった。コンソールパネルの前で作業をしているのはいつものマヤさんではなくて、他の人だった。リツコさんの側に彼女が居ないのは、確かにそれだけで何処となく違和感がある。
「ああ、マヤね。彼女なら上の方に出張してもらっているわ」
「上?」
「そう。今弐号機のケージでも起動実験を進めているのよ。レイのね」
「レイ!? でも確か零号機と弐号機はパーソナルパターンが違うからって……」
「違うわ。でも、それを克服する為の開発技術の投入らしいのよ。
昨日、人類補完委員会直属の技術者がやってきて、用件だけを述べると早速弐号機をいじり始めたの」
「投入らしいって……リツコさんはその試験には?」
「ノータッチ。発案は委員会からの物よ。だから私が口出しすることもできないわ。
だからせめて今マヤを使いに出しているの」
「偵察ですか?」
「……納得がいかない、それだけなのよ。E計画責任者のプライドとしてね」
「しかし、アスカがレイを弐号機に乗せるのに納得したんですか?」
「なるほど……確かにあのプライドの高いアスカがよく承知したものだわ」
「パーソナルパターンの実験? ……いや、まさか……」
そう呟いたノヴァスターさんの顔付きが険しく変わる。僕達にとってそれは彼の挙動としてあまりに意外な表情だった。
「シンクロ率は安定しています。現在91,62%。
第二次コンタクトにも異常なし。ハーモニクス融合、入ります」
マヤさんの代理オペレーターの報告を受けると、ノヴァスターさんはピンマイクを胸元に装着して指示を始めた。
「よし、シンジ、そろそろ始めるぞ。
まずはじめに、模擬体の右手掌を上にかざせ」
「……はい」
言われた通り、僕は模擬体の右手を動かし、掌を上に向けた。
模擬体とはいえど装甲を被せていないエヴァみたいな物で、エヴァとの違いはほとんどない。操作も至ってスムーズだ。
「そうしたら、次は掌の上に小さいATフィールドをイメージして見るんだ」
「イメージ……?」
「そうだ」
それも言われるがまま、僕は右手掌に小さいATフィールドの板をイメージする。
強くイメージすればするほどATフィールドは強固化し、肉眼でも捕らえられる事の出来る視覚イメージへと昇華する。あのオレンジ色の八角形の事だ。
「そんなにリキ入れてイメージしなくてもいいんだぞ。まだ最初だからな、もう少し力を抜いて見ろ。
あくまでATフィールドの『板』を生成するだけでいいんだ」
少しイメージを緩めて、指示通りに掌の上にやや薄目のATフィールドを生成する。
この程度ならばさすがに朝飯前だ。
「……できました」
「よーしよーし、まず第一段階は無難にクリアだな。次行くぞ」
……その次の台詞こそ、ノヴァスターさんをノヴァスターさんたる者にさせているとでも言うべき突拍子な指示だった。意表を突くと言うよりも、呆れ返ってしまうような一言。
「よしそれじゃシンジ、そのATフィールドの板、二枚に折れっ!」
「「……は?」」
僕は図らずしもリツコさんと同時に問い返してしまっていた。
「は? じゃなくて、その掌の上のATフィールドを二つに曲げて見ろっての」
……前々から常識外れの人だとは思っていたけど、ここまでとは……。
大体、この場合のATフィールドっていうのは、位相空間と通常空間との境目の事を言うのであってそれを縦横にへし曲げろだなんて、エヴァとATフィールドの構造を少しでも知っている人ならとても言えた物ではないはず。第一エヴァの専門家のリツコさんも呆れ果てているところをみると、やはり無理もいい所なのだ。
「あ、あのねノヴァスター君、ATフィールドっていうのは……」
見るに耐えかねてリツコさんが割って入ったが、一方の彼は涼しい顔をして、
「リツコさんまで、そんな人を小馬鹿を見るような目で見ないでくださいよ」
事実でしょう。
「つまりですね、位相空間その物をへし曲げろといいたいのではなくて、
ATフィールドという力場を同じ場所に縦に二つ作れないか、という事なんですよ。
その二枚を更に二分割して四枚、更に分割して八枚、十六枚、三十二枚……。
まあ、喩えれば『ガマの油売り』の要領で累乗していく訳ですよ。
もっと単刀直入に言えば、ATフィールドの板を手の中で沢山生成して見せろ、という事です」
「そ、それなら最初から、そうだと言えばいいじゃないですか!」
僕としたことが思わず怒鳴ってしまった。らしくない。それにしてもこの人とにかく回りくどく物事を説明しようとするからこういう事になるんだと思う。最初から掌の上にATフィールドの板を沢山作って見せろと言えばそれなりに……。
出来るわけがない。理屈を頭で理解するのと実践するのとはまた別次元の問題だ。
掌の上で複数のATフィールドの板を作り出す、というのは意外と難しい作業で、イメージが全然安定しないんだ。一枚目を作って、二枚目を作ろうとするとそれだけで最初の板がイメージから掻き消えてしまう。それを何度も繰り返しているうちに、段々頭の中が混乱してくる。
「シンクログラフに歪みが生じています! ハーモニクス値、軒並み低下!」
「どうだシンジ、難しいだろ。
攻にしろ守にしろ、今まで二点で同時にATフィールドを操った事自体経験がないはずだ。
全身にバリアとして張り巡らせるのは無意識でもできることだし、
多少エヴァの操縦に手慣れれば、手に凝縮するくらいの事も出来るかも知れないけど、
いきなりそんな応用技術を言い渡されても無理があるかも知れないな」
「な、ならどうして……」
「何故なら、君がこれから先やろうとしている事はそういう事なんだ。
ここで多少の応用技術が出来ないようで音を上げられたら、ちと困るな」
「……!」
「独りで戦い抜くというのならば、多少の無茶は事前に自覚しているはずだ。
これはその無茶の範囲内だと割り切って、精進するんだな。
という訳で、いざガマの油売りにレッツトライ!」
何がレッツトライ! だよ全く……。
でも、彼の言うことも一理ある。確かに僕には、多少の無理だってあり得るべきなんだ。今の状況に甘えていられる余裕なんかない。僕はいつもギリギリで勝ち続けている、史実通りにつとめていれば、次も必ず勝てるだなんて確信は本当はない。身に付けておく技術は多くて困ることはないはず。
「ATフィールドはな、エヴァの周囲を取り巻くバリアという一般イメージが強いけれど、
パイロットが任意で張ったり解除したり出来る。という事は操縦者の意志で形を具現化させて、
盾として、また武器としても扱うことも出来るという事だ。
それに『使徒のATフィールドを中和する』というのは、
お互いのATフィールドの力場にお互いを包み込んで、互いに無防備状態になる事だ。
しかしそれは互いのATフィールドのレベルがほぼ同じ場合に有効なのであって、
強力な使徒相手には中和しきれない場合だってある。
だが、そんな力場の中でも腕一本に力場を集中させればそこだけは強力な武器となり、特権となる。
全身の防御を捨てる代わり、相手のATフィールドを認める代わり、
敵のある一点だけを撃破する事が可能になる訳だからな。
それを応用したのがこの技だ。身に付けて損はないと思うぞ。……ふう、長い解説終わり」
……この話が本当ならば、ノヴァスターさんは僕なんかより余程エヴァに精通している事になる。僕でさえ一年半以上のエヴァの操縦からようやく学び取った事なのに、ノヴァスターさんの解説は更にその数段上を行っているのだから。
初対面の時、彼が「準整備士」と詐称したのは満更の嘘でもなかったのだ。
「……という訳で、お前さん今日はそのATフィールドを二枚にできるまで、食事抜きね」
「えっ、ええっ!? 大体、今日の夕食当番は僕じゃないですか!?」
「出来なきゃどの道同じ事だろう? できるまで今日は終わらせないからな。
腹が減ったらLCLをがぶ飲みしてでも根性で続けること!
一朝一夕では必殺技を得る事なんて出来ないんだからな! 世の中そんなにあまかぁない」
「……はい……」
「という事で、これから俺はリツコさんに借りを返すべく食事にでも行こうかと思うので、
オペレーターの皆々様方、後よろしく! 後で差し入れでもサービスしますんで。
あ、仕事の方は機械任せで適度に手を抜きながらでいいですよ。
多少シンクロが乱れても本人が根性でなんとかするでしょうから。
ただし万一、シンジが逃げ出さないようにだけは気を配っといてくださいね」
言いたい事だけを言い残して、ノヴァスターさんはリツコさんを連れて足早に管制塔を出ていってしまった。リツコさんは少しだけ後のことが気になるようであったが、ノヴァスターさんに連れられていくのもまんざら悪い気がしていないようにも見える。
ノヴァスターさんは加持さんと違ってプレイボーイだという事はないし、ましてあの人極度の愛妻家だし、リツコさんも多分それは知っているはずだから……そんな事は有り得ないとは思うんだけど……。
……しかし、考えれば考えるほどなんだか腹が立ってきた。
僕がこうやって出来もしない事を、半ば拘束される形でやらされているというのに、一方では女性を連れて食事だなんて、そんな横暴許されてたまるか! くそっ、こうなったら意地でも今日中に成功させてやる!
一枚が二枚、二枚が四枚、四枚がはちま……ええい、一枚が二枚にもならないじゃないか!
大体ATフィールドを何十枚も作り出すなんて無茶もいい所だ!
なんでこんな出来るかどうかも分からない事を延々と……!
……と愚痴りつつも、それでも僕の『修行』は延々と続いていた。
もしもこれを会得できれば自分自身のパワーアップになるはずだ、そうすればこれから間違いなく訪れるであろう激戦にも勝ち残れる可能性が高くなる筈だ……そんな一縷の望みに縋って修行に打ち込むという事は、僕も自分事ながら焦っているのかも知れない。
それにさっきの二人の話では、アスカや綾波達にもなにがしらのパワーアップが施されているらしい。僕には余裕が無くなり始めている……それをひしひしと感じる。
それにしても、ノヴァスターさんの前での僕はどうにも冷静に振る舞えない。彼のペースにはまって簡単に自分のボロを出してしまう。もっと冷徹に振る舞っていないといけない筈なのに、今回のやりとりでリツコさんに素性に近い部分を晒してしまった気がする。これがミサトさんやアスカ達に伝わらなければいいのだけれど……
「ええと、一枚が二枚、二枚が四枚……くそっ!
こんなの見た事も聞いた事もないのに、出来るわけないじゃないか!」
「……で、何のつもり?」
ノヴァスターさんの愛用車シビックが市内を走り巡る頃、助手席に座っていたリツコさんが切り出した。
「つもり……と言われましてもねえ、俺はその通りでしかないんですけど」
「シンジ君にあんな無理難題吹っ掛けて、今度は一体何を企んでいるの?
彼の意欲を削ぐだとか、自信を失わせるだとか、そういう事でなければ到底納得できないわ」
「……信じてないんですねリツコさん。俺はシンジに出来ない事をさせたつもりは無いですよ。
俺は大真面目であいつにアドバイスを……」
「呆れた。あんな事が本当に出来ると……」
「出来ますよ、あいつならね」
車が赤信号に差し掛かり、ノヴァスターさんはブレーキを踏む。すると、それまではフロントミラー越しに視線を送っていた彼が、初めてリツコさんと面と向かいあって断言して見せた。
「無理で無茶で常識外れかも知れないですけどね、不可能を押しつけたわけではないんです。
あいつは必ずやり遂げる。ああ見えて誰よりも目的意識の強い奴ですから、あいつは……」
「それは、信頼なのかしら」
「ええ、それもとびきりの奴をね」
「あの少年に、とびきりの信頼、ねぇ……」
リツコさんはまだ半信半疑らしい。まあ、僕の性格を考えればリツコさんの考え方のが当然だと思う。
「あいつがやると断言したら必ずやり遂げる……リツコさんにだって心当たりはあるはずでは?」
その時リツコさんが考えていたのは、僕が積み重ねてきた過去の戦歴である。
不敵な態度で周囲を拒絶していた僕も、使徒との決戦となれば確実に、単独で使徒を仕留める。リツコさんとてその様子は欠かさず把握している。だから彼女にも考える余地が出てきた。
「……なるほど。でもそれをミサトが聞いても納得はしないでしょうね」
「そこが辛いところでしてね」
二人は揃って苦笑いを噛み殺していた。
信号が青になり、ノヴァスターさんは再び車を発進させる。
「それで、彼に有言実行させる為に『ガマの油売り』をアドバイスしたと」
「まあ、そんな所です」
「で? 仮にあのアドバイスが功を奏して、あのATフィールドが上手くばらけたとしても、
それが初号機のパワーアップにどう繋がるわけ?」
「その仕組みはこれから追々説明させていただきますよ」
「……そうね。それならそこの店で納得が行くまで話して貰うことにするわ」
と、リツコさんが突然指さしたのは、第三新東京市の中でも有名な寿司割烹の老舗であった。
「あ、あのー……ここってもしかして物凄ーく高いのでわ……(^-^;」
「さ、入りましょ」
リツコさんは何の遠慮もなしに高級料亭を指名してしまった。一方、それを察したノヴァスターさんの顔色は悪い。
「……た、高い斡旋料になったなぁ……。
シンジ、これでいてお前さんが『出来ませんでした』じゃあもう済まされないぞ、こりゃ……」
その頃、実験棟で必死になっている僕にして見ればとんだ言い掛かりでもあるのだが、そんな言葉をぶつぶつ呟きながらノヴァスターさんは渋々車を止め、颯爽と降りていったリツコさんの後に続く。
「高級料亭の寿司を奢ってもらえるなんて何年ぶりかしら、ふふふ……」
この人も、世渡り上手と言うしかない。
リツコさんが遠慮なく、ウニだのイクラだの中トロだのと高級食材をいともあっさりと口に運んでいくのに対して、ノヴァスターさんは先程からガリを囓ってあがりを飲んでいるだけだった。
さっき僕と食事したばかりだから元々さほど空腹ではなかったというのもあるだろうけど、まして自分の懐に響かせるような事はしたくなかったのだろう。
「あら、あなたは食べないの?」
「い、いや、お腹一杯なもんで……」
リツコさんもそれが分かっていて言ってみる。次に生エビを口に運んで飲み込んだ後、ゆっくりとあがりを啜り、一息ついた。
「ふう、人のおごりで食べる寿司はまた格別ね。
ミサトが奢ってくれる時の回転寿司の比じゃないわ」
「そ、そーですか……」
「あら? 寿司一つでエヴァの便宜が図られるのならむしろ安い物じゃないかしら?
それと、ミサトとアスカへの口止め料も込みでね」
「たはは、参りました。その通りですよ」
後ろ頭を掻いて照れ隠しをするノヴァスターさんは、やっぱり何処か白々しい。ああいうリアクションを示しながら彼は本当に二十数年生きてきたのだろうか、僕には図りかねる。
「……それと、一応一通り目を通させてもらったわ、これ」
そう言ってリツコさんがハンドバッグから取り出したのは、数枚の設計図。その時の僕は知らなかったけれど、その設計図は僕がプールサイドで学習していたそれであったのだ。
適当に思いついたように思わせておいて、やっぱり今日の一件は緻密な計画で仕組んでいたのだ。そうでなければ事前に僕に予習させるような事はさせない筈。
そして、その設計図は初号機の右腕部の改造を想定したイメージ図であった。リツコさんの口振りからすると、どうやら設計したのはリツコさんではないらしい。
「ところで、ウニの握りを一人前、追加してもよろしいかしら?」
「……どぞ」
珍しく、ノヴァスターさんがしてやられているようだ。
もっとも、彼の場合これも手段のうちだから、寿司一食で妥協したリツコさんの方こそ実は負けなのだろう。なんのかんの言って結局はノヴァスターさんの思惑通りに事が運んでいるのだから。
話は、数日前の浅間山、技術部仮設テントの中に遡る―――。
「初号機の右手に電気を通す……ですって?」
「ただ通す訳じゃあないですよ。
ハンドウェポン(プログナイフやスマッシュホークの様な手持ち武器)用に埋め込まれている送電線、
それを強化して、腕にまんべんなく巻き付けるわけです。
その下に絶縁体の帯を巻けば、神経パルスにも支障は出ないはずですから」
「それを、実戦の時にはどうするわけ?」
「簡単ですよ。右腕そのものを放電体とすればいいんです」
「そんな手の込んだ改造をせずとも、エヴァ用の兵装にはエレクトリックランサーがあるわ」
「あれとは原理がまた違うんですよ。
……たとえばの話、ATフィールドが帯電する物質であったとするならば?」
「まさか! その為にわざわざ腕に……?」
「そのまさかですよ。このシステムの理屈はそういうことなんです。
ATフィールドが単なる伝導体や絶縁体ならば諦めなければならない所ですけど、
でもあれはむしろ半導体に近い特性を示しているはず。つまり……」
「そうよ、ATフィールド同様、自分の意志で自由に帯電を操作することが可能……!?」
「その通り。あとはこれを、シンジの技能と組み合わせて、三位一体の技にすれば……」
「三位一体?」
「あ、いえ、それはあくまでこっちの話ですから……」
これが、先日二人の間で交わされた密談らしい。
そしてこの原案に基づいて、初号機の右手の修復時にこのシステムを流用してくれるかどうかリツコさんに相談を持ちかけている、そういう裏事情らしいのだ。
「『斬る』『撃つ』『当たる』ねぇ……。
確かそれが三つ同時に出来るのならば、理想の技ね」
「三つを上手く融合した技を編み出せば、三つの技の長所をそれぞれ生かして、さらに弱点を補えるわけですよ。
しかも、状況に応じて技に臨機応変が利くわけですから、
その技を磨き上げれば磨き上げるほど飛躍的に強さを増して行くわけです」
「そう上手く行くかしら」
「シンジの努力次第ですかね。まあ、そっちの心配はあんまりしていないんですけど」
「しかし、変なところにばかり熱が入るのね、あなたって人は」
「たはは……それ、シンジにもよく言われますよ」
リツコさんは食後の一服として、入れ直して貰った熱いあがりをゆっくりと啜りつつ、食後の余韻に浸っている。その向かい側では、リツコさんの残した安めのかっぱ巻きやイカにこそこそ手を着けるノヴァスターさんが……情けないなぁ。
「ねぇノヴァスター君」
「なんでしょう?」
「あなたは、『コレ』をシンジ君に伝授する為だけにネルフに来たのではないでしょう?
今更あなたの素姓にあれこれと探りを入れる訳ではないけれど、
せめてあなたがそれだけシンジ君の肩を持つ理由、聞かせてもらえないかしら」
ノヴァスターさんはしばらくの間、黙々とあがりを飲み続ける。続けざまにおかわりを注ぎ、それをも黙々と口を付け、飲み続ける。リツコさんも彼の話し出すタイミングの難しさを悟ってか、黙ってその瞬間を待ち続ける。
そんな沈黙が三分も続いた後、ようやくノヴァスターさんはゆっくりと話し始めた。
「……そうですね、とあるたとえ話から入りましょうか。
たとえば、友人同士で同居人の、二人の青年がとある部屋に居たとします。
二人のうちの一人は翌朝早くに用事があって、早起きしなければならないけれど低血圧で朝に弱く、
もう一人は特に用事もないのだけれど、早起きを心掛けている人間なので朝には強い。
それで、用事のある方はもう一人に、翌朝七時に起こしてくれと頼んだとしましょう。
早起きの彼は人柄の良い人物で、彼のその申し出を快く承知しました。
彼ならば必ず時間通りに起こしてくれるだろうと信頼し、心地よく眠りについたのですが……」
「ですが?」
「ところが、彼は七時に起きていたにも関わらず、その彼を起こせなかった。
当然起こしてもらえなかった彼は用事に間に合わず、それ以来二人の友情は冷めがちになりました」
「話だけ聞けば、当然ね。でもなんで彼は起こせなかったの?」
「簡単です。あんまり彼がぐっすり心地よさそうに寝ていたものだから、起こすのに気が引けたんですよ」
「でも、頼まれた事は果たさなければならないわ」
「それは勿論、起こす方の彼も承知していることです。
とりあえずは軽く揺すったり、声を掛けてみたりはしたけれど、彼はぐっすり寝ていたままだった。
それで彼は起こすのをためらって、もう三十分寝かせてあげようと考えた訳ですよ。
彼にしてみれば、それが彼なりの優しさだったわけです」
「そういうのは優しさとは言わないわ。
友達のことを考えれば、そこで叩き起こしてでも約束を果たすのが友情じゃないの?」
そこまで問い詰められたノヴァスターさんは、言葉につまりながらも弁解を続ける。
「……普通は誰でもそう思います。そこで寝かせ続けようとするのは別に優しさでも何でもない、と。
しかし、人間の寝顔ほど無防備で無邪気なものはありません。
気持ちよさそうな寝顔でくうくう寝ている、それを目の当たりにすれば見ている方の顔も自然と緩みます。
そして、その寝顔を少しでも続けさせてあげたいと思ったんです。
それが後で彼に怒られる事だと判っていても、その時彼には他にどうしようもなかったんですよ。
起こされる方は損をする、起こす方も損をする、誰も得しない一見至極つまらないたとえ話です。
……だけど、俺の知る碇シンジという少年は、そういう些細な優しさを誰より大事にする少年なんです。
それは偽善とも呼べないほど、瑣末で歯牙ない感情です。
でも、そのつまらない感情を誰でも見捨てがちになるこのご時世の中で、
俺だけはあいつのそういう所を見捨てないでやりたい、そう思ったんです。
なのにシンジ自身は、自分のその感情にとっくに見切りをつけてしまって、
自分は誰の為にもなれない、負価値な人間なんだと割り切ってしまっているんです。
そして、その為に心を閉ざしてしまったあいつには、誰も手を差し伸べてあげる事もできない。
だから俺は、俺だけでもあいつの側にいてやらないと、あいつはいずれ本当に何処かに消えてしまうと思ったから、
あいつはまだ全てを捨てた訳じゃない。大切な物をまた取り戻せるんだという事を、教えてやりたいから、
これからも俺はあいつの数少ない味方でありつづけたいんですよ。誰が何と言おうと……」
中身がなくなってすっかり冷えた湯飲みを両掌で包みながら、ノヴァスターさんは思いの丈を訥々と語る。広い店内の、二人の座っている空間だけを、沈みきった重苦しい雰囲気が包む。
すると突然ノヴァスターさんはいつもの調子に戻り、愛想笑いでおどけながら語り出す。
「……って、実はこの例え話、誰かさんの受け売りそのまんまなんですけど、
俺が話すとなんかシケた話になっちゃいますね。やだやだ、らしくないな。
それじゃあ俺、会計してきますからリツコさんはゆっくりしててくださいよ。
そうだ、オペレーターさん達の為に折り詰めも用意しなきゃな」
照れ隠しなのか、足早に椅子を離れてレジで勘定を済ませるノヴァスターさん。手元の財布から大枚が二枚飛ぶのに悲観的になりながら嘆きのジェスチャーをしている所はなんとも彼らしいけれど、その様子を見守るリツコさんの視線は既に先程のとは違い、複雑な心境が綯い交ぜになっているそれだった。
大枚をはたいた事にいまだにしょげているノヴァスターさんが、暖簾をくぐって店から出てきた時、彼はシビックの横に添い立っていたリツコさんの穏やかな表情に気が付いた。
「……初号機の件は善処する事にするわ。
近いうちにいい知らせが出来ると思うから、そうしょげないで」
「! ……そうですか、お手数かけます」
「それともう一つ……シンジ君の事はまだ全て受け入れられる自信はないけれど、
あなたが彼にそれだけ見込んでいる事に免じて、
今後も出来るだけ彼のバックアップに努められるように尽力してみるわ」
それを穏やかに語るリツコさんの表情は、僕達が知るリツコさんのどの表情よりも安らぎ満ち足りていて艶やかで、あの愛妻家のノヴァスターさんさえも一瞬見惚れてしまう程だったらしい。
「……感謝しますよ、リツコさん」
再び、愛車シビックが街の中を疾走する。
ノヴァスターさんが、「さて、俺達が戻る頃にはあいつの修行は多少は進歩してますかね?」などと人事のように語りながら運転する傍ら、リツコさんは先ほどのイメージ画にもう一度余す所なく目を通している。
「……ねえ、ノヴァスター君?」
「何でしょう」
「……この案、私としてはとても興味の惹かれる改造案ではあったけれど、
果たしてこれは一体『誰が』考えたのかしら?」
「? 俺ですけど?」
「その言葉が本当だとしたら、あなたは絶対に科学者にはなれないわね。
エヴァの設計に携わる者としては、こんな突拍子もないことは普通考えないもの。
科学者は定理と方程式の中で生きているわ。常識に外れた事は発案できない性分なの」
「そうですかねぇ……理論的に無理な事は書いてないはずですけど?」
「それに、さっきシンジ君にATフィールドの事を事細かく説明していたあなたは、
科学者の立場で……というよりは、まるでシンジ君以上に洗練されたパイロットからの助言のように聞こえたわ。
もし私の勘が当たっていれば、あの子供達に代わってあなたにパイロットをやってほしいくらいね」
リツコさんの瞳が妖しく光り輝き、ノヴァスターさんを横目で鋭く射抜く。
そんなリツコさんの言及を苦笑いで凌いで見せていたノヴァスターさんだったが、
「まさか。エヴァには、チルドレンしか乗れないはずじゃあありませんか?」
「そうね。でももしあなたがチルドレンだとしたら、無理のない相談だわ」
「これでも25ですよ。チルドレンなんて呼ばれる歳じゃあありませんって」
「チルドレンで不満ならば『適格者』という言葉もあるわ」
「……もう止しましょう。いずれ時期を見て、お話しできる事もあるでしょうから」
「期待しないで待ってるわ。適格者候補さん」
「そーゆー事になっちゃいましたか、トホホ……」
図面を畳むと、リツコさんは一つ大きな伸びをしながらシートに深く腰掛け直し、本部に戻るまでの間しばしの休憩に浸っていた。
「ところで、私はあなたに関してたった一つだけ許せない事があるの」
「? なんです?」
「……あなた、奥さんがいるそうね。ミサトから聞いたわよ……」
「ぐっ!? あ、あなたまでそれを言いますか!(^-^;」
そりゃあ、リツコさんですから。
「……なんか今ものすごーく怨めいた言葉が聞こえたよーな……(^-^;」
管制塔に二時間ぶりに戻ってきた二人を出迎えたのは、ノヴァスターさんが差し入れた折り詰めに遠慮なく手を伸ばすオペレーター達と、右手に向かって必死に念じている僕、そして右手掌の上にぼんやりと映る四枚のATフィールドを生成している模擬体だった。
それを見るなり虚を突かれたように驚いた表情をしている二人、そしてその光景に鬱憤を充足させてニンマリとした笑みを返す僕。このくらいしてやらないと、ノヴァスターさんは懲りないからね。
「……どうですか? 一度コツを掴んでしまえば意外と簡単でしたよ」
そのコツを掴むのが一苦労だったのだけれど、出来るだけ見栄を張って答えてやる僕。
とは言え、ちょっと気を抜いてしまえばあっという間に消えてしまいかねないくらい不安定な状態でもある。それでもこんな無理難題をこなした自分が嬉しくて、僕はらしくなく得意顔になっていたのかも知れない……自分でも悪い癖なのは知っているんだけれど。
「よーしよし、上出来上出来。この様子だと今日中に八枚まで行けそうだな」
「……えっ? そ、そんなぁ」
「『一度コツを掴んでしまえば意外と簡単』なんだろ? そーれめげずにファイトファイトォ!」
駄目だ、やっぱり僕と彼では役者が違うらしい。簡単に罠にはまってしまった。さすがの「冷徹」サードチルドレンも、ノヴァスターさんに掛かれば他愛ない子供でしかないらしい。
おまけにそのノヴァスターさんの横では、僕達の問答を聞いていたリツコさんが笑いを噛み殺していたりする。今度こそとんでもないところを見られてしまったなぁ。これじゃあもうリツコさんの前で憮然とした態度は取れないや……はぁ。
「っととと!」
危ない危ない、考え事をしていたらイメージが無くなってしまう所だった。
「ほーれほれ、考え事をしてるとイメージがブレるぞ!
人間何事も忍耐と修練の積み重ねが肝心なんだしな、
次の使徒が来るまで時間もあんまりないんだろうし、早いうちに修行を完成させないとな。
そうだろ、シンジ!」
「……分かりました」
僕は再び意識を持ち直し、掌に一心不乱に念ずる。
一枚のATフィールドを二枚に、二枚のATフィールドを四枚に……
僕の思念は揺るぐことなく右手に注がれ続ける。
「頑張れーシンジ。当面の目標は32枚を一秒以内に生成することだ」
「さ、32枚を一秒以内!?」
ついその目標の高さに驚いてしまった僕は、あっという間に掌の上のATフィールドを四散させてしまった。
「あったり前だろ? 使徒の目の前で『一枚が二枚、二枚が四枚……』なんて数えてられる暇があるかよ。
即座に掌の中で板を作り出して、それを相手に叩き付けるのがこの技の主旨なんだからな」
「はあ……先は遠いや」
僕は完全に落胆してしまった。四枚作るのに二時間近く掛かる今の状態から考えれば、あまりに壮大な目標だ……。
「ま、それもこれも全てあの二人の為だと思って一生懸命精を尽くして、頑張るんだな。
それじゃ、修行の邪魔にならないように通信は切るぞ。また後で会おう」
ノヴァスターさんは最後の最後にご丁寧にも、僕が絶対に逆らえないような理由で僕に釘を刺してくれた。確かに「あの二人の為」なんて言われてしまえば、僕がこうやって修行に打ち込んでいる理由もそこに帰結する訳だけど……。
「二人って、誰の事なの?」
リツコさんがさりげなくノヴァスターさんに問いただす。
「そりゃあ勿論……」
「勿論?」
リツコさんが詰め寄る。
「う……、ま、まあ、あいつもあれで年頃の恋する少年だという事ですよ、ははっ、はははっ……」
それで誤魔化したつもりなのだろうか、彼は。鋭いリツコさんにはそれでも十分にバレバレだったというのに。
「……分からないわね。どうしてシンジ君が『あの二人の為』に頑張るわけ?
あの二人を出し抜く為の必殺技じゃなかったの?」
「出し抜く……か。悪く言えばそうなりますかね。
でも良く言えば、これでもうあの二人に戦わせる必要は無くなる……という訳ですよ。
まあそれは、シンジの観点で、最もイージーに考えた場合の話ですけど」
「……ああ、そういう事なのね」
「そう、あいつはそういう奴なんですよ」
妖しく微笑む二人。
「……成る程。あなたのさっきの言葉、少しずつ信じられそうになってきたわ」
「そうですか」
そんな二人の様子もつゆ知らず、僕はプラグの中で必死に「四枚」を「八枚」にすべく、それこそバカの一つ覚えのように一心に念じ続けていた。
「さて、これで残る課題は一つだけになったな。
これが上手く行かない限り、この技は完成の陽の目を見ない……」
ノヴァスターさんがぽつりと呟いたのを、傍らに立っていたリツコさんが当然聞き逃すはずもなく、
「課題? まだ何か問題点があるのかしら?」
「ええ、この必殺技にとって一番肝心な物が、まだ抜けているんですよ。
そう、それは……名称!!
この必殺技に相応しーい名前がなければ、折角の必殺技も威力半減魅力も半減、ってな具合ですからね!」
その自信と誇示の力は一体何処から湧いてくるのだろう、ノヴァスターさんがまた熱く語りだしたのに、リツコさんはしばらく目を点にしていたが、やがて管制塔内に憚らない程の大きな声で笑い出してしまっていた。
「あははは、あはははは……!! ……はあ、あなたには感服するわ」
「それ、褒めてます? それとも皮肉ですか?」
「両方よ」
それを聞いて、今度はノヴァスターさんが高笑いを始めた。まったく、他のオペレーター達にはいい迷惑だよ。でも僕にその声が届いていなかったのは幸いかな。
こうして、すっかり意気投合してしまったノヴァスターさんとリツコさんのバックアップもあって、この必殺技は二ヶ月間の紆余曲折を経て一応の完成を見た。
その二ヶ月間僕が一心に修行に打ち込んでいる間中、気掛かりでならなかったのは、ノヴァスターさんが日常でも事ある度に右手を突き出しながら、一日中でも必殺技名を考えている事だった。完成した暁には何を喋らせられるか分かった物じゃない、じゃあ喋らなければいいかというと……彼の事だからなぁ、何と言ってくるやら。
全く、こんな事に全力で打ち込むことの出来る性格がつくづく羨ましいよ、ホント。
―――初号機の戦力強化の一計として考案されたこの必殺技は、
ノヴァスターの助言通り、第十使徒戦以降幾度となくシンジの窮地を救うことになるのである。
後にして思えば、この技もまた、ノヴァスターがシンジに贈った真心の一つなのかも知れない……。
シンジの一人称である必要があった為に外伝として発表してます。如何だったでしょうか。
しかしなんですかね、このお話は(^^; どうにもパロディが身体から抜けないんです(^^;; まあいいか、どうせ原作もパロディだらけだったんだから(爆) それとも、こんなコメディ書いていられるのも今のうちだから、という強迫観念かも知れないです。この物語の本来のコンセプトを考えるとどうしても、ね……。
ちなみに二十四章を書いたのは先日ですが、この章は去年の八月に書いています。我ながらよくそれで話が通じるもんだ(笑)
本編に際して補足を一つだけ。
『ガマの油』というのは皆さんご存じの通り、ガマの油を傷口に塗りつけて止血するアレです。よく店頭販売の叩き売りで言われるのに、ガマガエルを鏡の前に置いて油汗を流させるというのがありますが、その後に腕を斬ってみせるために、刀の切れ味を証明するために懐紙を斬ってみせる仕草があります。一枚斬ってはそれを重ね合わせ、また斬っては紙を重ね合わせ……を紙が16等分になるくらいまで続けられ、そしていよいよ腕を斬って見せ、それを止血するわけです。
その為に本編内で出てきた「一枚が二枚、二枚が四枚……」というのは、その紙を斬ってみせる動作に起因している訳なんです。これ、高校時代の担任の口癖だったんでよく覚えているんですよね(^^;
さて次章は、確かネルフの停電劇ですね。……まだビデオ借りてないや(笑)
最新鋭の地下施設を彷徨う四人のドタバタ物語になる筈なのですが……。
それでは、また次回。
誰にも突っ込まれないうちに言っておきます。一部の方のお察しの通り、元ネタは某『輝く指』です(笑)