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=悔恨と思慕の狭間で=

 




−第十一章 煙る真実への推考−

 

 

 

「―――あれは、17年前の事だった」

 

 

 

河岸には、水遊びや日光浴目的でたむろっている子供達で賑わっている。

ゴム長を川に浸し、釣りを勤しむ大人達もいる。

そして、堤防に佇んで過去の過ちを語ろうとする男もいた。

アスカは、その傍らの草むらに腰を下ろし、ゲンドウの話に耳を傾けようとしていた。

 

 

ユイはと言えば、車内に一人残り日頃の疲労に身を任せ深い眠りに落ちていた。

尤も、ゲンドウが「二人きりの方がいい」と駄々にも似た言い訳であしらったというのもあるが。

 

 

ゲンドウは自分がアスカの風下にいる事を確かめてから、煙草を一本取り出し火を付けた。

「結婚してからは随分吸っていなかったのだが、な」

そんな事を口こぼしながらも、ゲンドウは半ば必死に場を持たせていた。

いや、持たせざるを得なかった。

 

「ゆっくり話してくれて構いませんよ」

そんな様だから、14歳の少女の方が気が利いたりもする。

「……そうか」

ゲンドウはつくづく女性に弱い自分を自覚せざるを得なかった。

 

 

 

「私はかつてゼーレの下部監査部官に過ぎなかった。

 いやゼーレという組織に顎で使われている事さえ知らないような末端人員だった。

 だがそれも元々私にはどうでも良かった。

 あの頃の私は他に生きる術も目的も持ち得ない抜け殻だったからな……。

 

 今では妻になっているユイでさえも、当時にして見れば監視対象の一人に過ぎなかった。

 ユイが何に携わっているかも知らされない下っ端としてな。

 だが私は直接ユイと面識を持ってからは、彼女の行動はおろか彼女自身に

 惹かれつつあった物だった。

 だがやがて彼女の研究の正体を知って後、私は一つの行動に出た。

 それは私が心の何処かで願っていながら、諦めていた事。

 その願い自体私の脆弱さの象徴でありながら、

 それを晒け出す事さえも恐れる体たらくの、閉塞の産物。

 それを実行可能にする為というだけの腹黒い理由で私はユイに近付き、

 ひいてはゼーレの老人共の眼鏡に適う事に成功した」

 

2cm程に伸びた灰を叩き落とし、一息くゆらせつつ、

ゲンドウは「若さ故の過ち」を振り返っていた。

 

「当時私は30歳、内偵や監視が主な任務とは言え、

 実際は裏街道の破落戸と何ら変わりのない生活だった。

 京都の裏街では、喧嘩っ早い男で悪評がまかり通っていただったくらいだよ。

 冬月に昔「安っぽい男だ」と言われたのが一番言い得ているのかも知れなかった。

 

 私の内偵官としての能力は決して高くなどなかった。

 私程度の男につく優秀な指揮官や教官はいないからな。

 仕方無く私は自分自身で、自分の野心を叶える為の手腕を磨いた。

 だが、所詮私の出来る事などたかが知れている。

 人付き合いも出来ず、口下手な私がネルフ司令に成り上がるまでには、

 ユイと冬月の助力無くしては到底無理であったろう。

 

 それとて、ユイの慈悲に縋って得たも同然だった」

 

 

ゲンドウは二本目の煙草に火を付けていた。

 

「それ、何です?」

久しくアスカが口を開いたかと思えば、それはゲンドウの着火器具の事だった。

「顔に似合わず気取り屋なもんでね、映画俳優の真似事だよ。

 今日びの子供はマッチを知らないのだな」

と言うと、もう一度ゆっくりと着火して見せる。

手前側に向かって擦り、そのまま口元の煙草に火を持っていく。

それだけの動作も、アスカの世代には物珍しいようだった。

「こんな古臭い代物に拘っているから、セカンドインパクト世代だなどと

 笑われるのかもしれんな」

とは言え、拘りを捨てるつもりは毛頭無いようだ。

「続けてかまわんかね?」

「どうぞ」

 

 

「私は一年程度で、ゼーレの最高幹部に面識を持つまでになった。

 策略が成功したのだ。

 奴等が私とユイの関係が、私の打算だけの代物と思いこんでいたのが

 カモフラージュになったし、実際私も初めはそのつもりだった。

 そして私はユイを介して、また独自に作った情報網から、

 目一杯ゼーレという組織の目論見を調査し続けた。

 

 『ゼーレ』という組織が、人類の有史以来世界を総括する程の極密組織と

 知った時は、正直驚愕した物だ。

 だがそれは同時に私にとって良い酔い醒ましとなった。

 自分一人だけが満たされようとするだけの、

 甘い酔いから、な」

 

 

二本目の煙草は、饒舌になり始めていたゲンドウの指の間で崩れ落ち、殆ど吸われる事はなかった。

 

 

「私には両親も親類も健在ではあったが、

 私そのものは優秀な兄弟のつま弾かれ物でな、

 若い頃、そう確か17で勘当されて家を出た。

 以来他人の愛はおろか好意の一つも信じられない荒んだ男に成り果ててな、

 裏町角を彷徨くガキでしかなかった。

 そして段々と擦れていく私の心が密かに望んでいたのが『愛』だったのか、

 『同情』だったのかが分かる程の自我はなかったし、

 そんな言葉の違いは大した問題にもならなかった。

 

 要は、他人そのものから自分を切り離しておきながら、

 利己の為だけに利用する事に終始し、

 そんな奸計にばかり長けたのか、今となっては……」

 

 

指元に熱が伝わって来たのに慌てて煙草を落とし、荒いアスファルトの上で踏み消す。

 

 

「煙草も他人も、今にして見れば踏みにじるだけの価値でしかなかった……。

 君やレイもそんな中の一人であった事を今更否定する気はない……」

 

足下だけをただ見下ろすだけの男は、そうして懺悔さえも自らの胸中だけで自己解決を謀ろうとする。ある者に言わせれば、そんな内罰的感情こそ最も疎んじて然るべき物だったのだろうが。

 

 

「……親子……なんですね」

それでも彼女は朗らかに微笑むのだった。

「どういう事かね?」

「そう言う内罰的な所、シンジにそっくりだったんです」

「……そうか。彼は私の一番忌まわしい部分を受け継いでしまったのだな」

顔も名も知らない筈の「息子」に、急に親近感を錯覚してしまう。

「てっきりユイ似の美顔なのでな、

 あれの意志を受け継いだ頼もしい少年とばかり思っていたが……」

「本人にその自覚は全く無かったようですし、

 日頃はボケボケっとした、鈍いので有名な冴えない奴でした。

 内気さも手伝って、親しい友人も少なかったんです」

なんて主観的な見解だろうと思い知るアスカ。

「まるで私の昔その物だな。

 ……ならば、私の与り知らぬで随分と迷惑を掛けてしまった事だろう」

自分似の息子とあらば、さぞかし他人に冷たい少年であったのだろうという邪推。

「いえ、アタシも彼の事を言える程出来た人間でもありませんでしたし……」

 

 

「少し要らぬ身の上話が過ぎたな。多少端折るか」

相変わらず疲れを知らない仁王立ちのまま、ゲンドウは三本目の煙草に黙って火を付ける。

一息深く吸った後、ゆっくりと煙を棚引かせ、苦くも甘美な味に心酔する。

 

―――風向きが変わっていたか。

 

アスカの方に副流煙が流れていくのに気付くと、すかさず風下を見切ってそちらに歩み、また黙って一息吹かす。

一部始終を見ていたアスカが、ふと微笑んだ。

(変な所で気を遣うとことか、ホント、そっくり。

 たとえ世界観が多少歪められていたとしても、こんな所にも昔の名残を感じてしまう……)

「補完」された「今」は平和そのもので、それはそれでいいとも思う。

だが、かつて荒みきった戦いの中にも、僅かに息づいていたつかの間の「安息」も、彼女にとっては貴重な回顧録だ。

 

 

「シンジという少年が私の息子だとしても、

 恐らく私にとっては自らの愚劣な計画の一端を担わせるだけの道具でしかなかったろう。

 或いは、私がレイに強いていた苦痛よりも更に辛い物を

 素知らぬ顔で押しつけてさえいたかも知れない。

 ……彼が、何か大きな悩み、もとい心の傷を抱えていたという事はなかったかね?」

 

リツコの提出した書類の反芻と裏付けの為の行為に過ぎない。

勿論本人の探求心が先に立つ質問だが、だからと言ってなかなか割り切れた事でもないし、それにしては彼は自分という男をよく知っていた。

当然、アスカの側にとっても答えてよい物がどうか戸惑う所だ。

 

『彼は両親の愛に飢えていた。そして父親に認めて貰いたがっていた、

 ただその為だけにエヴァという忌まわしい兵器に乗っていたのだから』

 

そう断言してあげるべきなのだろうか、この人の為にも。

この人とて過去の自分を悔いて改めようと―――自嘲が過ぎる嫌いはあれど―――努めてしているのだ。

だから、あえて言葉にしなくてはならないのかも知れない。

 

 

やがて、幾らかの逡巡の後、アスカは自分の言葉で自らの知る限りをゲンドウに余す所なく白状した。

 

 

「……そうか」

そう一言漏らしただけで、ゲンドウは暫く思う所あってか、黙って心慮の海に浸かりながら三本目の煙草を最後まで吸い続けていた。

 

やがて四本目の煙草を取り出し、またも沈黙を保ったまま火を付け、静かに一息吸った。

ゲンドウが手にしている橙色の箱の銘柄は、アスカがコマーシャルや小売店でも見かけた事のない銘柄のそれで、実際今は殆ど店頭に置かれていない代物だ。

 

「もう父の顔もろくに思い出せんが、この銘柄が親父の墨付きだっのが忘れられなくてな、

 あれだけ依怙地で頑固者だった親父も、酒の銘柄にも拘らず浴びるように鯨飲していた男も、

 煙草となるとこれがまた五月蠅くてな、饒舌にくどくどと私に講釈垂れるのが酒癖だった。

 まだ私が13歳の時にだぞ」

結局、あんな情けない男と嘲笑っていた父の、面影を追うかの如くの拘りに自分を失笑するゲンドウの悪癖でしかなかった。

 

「顔を思い出せない、って事は、写真とかお持ちじゃないんですか?」

「親父の写真に限らんよ。ユイのでさえ持ち付けぬ性分でな」

 

振り切りたかった過去だからこそ、捕らわれる。

アスカにとっても他人事ではなかったからなのか、ゲンドウを見上げるその瞳は暖かい眼差しであった。

だがその思いは同情などという薄っぺらい物ではない。

それに感付いたからか、自分を食い入るように見つめる視線に気付いたゲンドウはそれとなく目を泳がせる。

 

 

「要は、皆心に空虚を抱えていたのだろう。

 他人を拒絶する者も、排除しようとする者も、無理矢理魂を同化しようと企む者も、

 かつてはその『他人』……言うなれば、

 「自分以外に備わった心」が、自分のそれを押し潰すのではないかという

 限りない不安、しかも実際にその羽目に陥り、心に深い傷を負った者としては、

 当然の様に備えてしまった『疑心暗鬼』。

 その成れの果てと呼ぶのならば、ゼーレも私も同列なのだ。

 そしてそんな連中の毒牙に掛かった罪の無い人々も……」

 

 

四本目の煙草は半ばで揉み消された。

それを足蹴にしながら、ゲンドウの独白は続く。

 

ちなみに、アスカには「疑心暗鬼」の意味が分かっていない。

大方の意味合いは文脈で推測はしていたが。

 

 

「それでも理不尽な思いの衝動のまま、

 私が振り上げようとした拳を止めようとするユイの手は暖かかった。

 私はゼーレを心底嫌った。だかそれも所詮は近親憎悪。

 何故ならば、奴等の行おうとしている行為が、短絡的な幸福追求にしか映らなかったから。

 そして、それに密かに憧れる私がいたから。

 だが、その頃の私にはもう補完計画など必要なかった。

 

 

 『碇ユイ』という愛すべき存在を知ってしまったから―――。

 

 

 私にとって、彼女が心の拠り所であり、

 『女神』として偶像的に崇拝してしまった愚は認めるしかなかった。

 そしてそれが私の本質である事も。

 だがユイの慈愛は、そんな私の自嘲さえも飲み込んでしまうほど、

 彼女の懐は広く、そして温もりに満ちていた。

 

 彼女の様な女性に知り合えた事こそが、私にとって生涯唯一の喜びだった。

 ユイと出会った時は打算でしかなかった物を、

 ユイと結ばれた時には、既に私はすっかりユイに魅せられていたのだから。

 

 

 だが所詮それも、私の成長を促した訳ではなかった。

 ゼーレの暗躍が、私からユイを奪ったと信じ込んだ時、

 私は再び以前の私に戻らざるを得なかった。

 愛娘のレイさえ利用してまでユイの奪回にかまけ、レイ自身の心になど見向きもしなかった。

 私には『父親』としての自覚はおろか、『人』とての倫理観さえ欠けていたのだから。

 

 結果は知っての通りだよ。

 レイはおろか、キョウコ君の愛娘である君や、渚君や鈴原君に対する傲慢な仕打ち、

 そして―――シンジ、恐らく彼も自身に限りない不倶戴天の思いを強いてしまったのだろうな……」

 

 

五本目の煙草は指に携えられたまま、取り出される事なく箱に収まっていた。

 

「ふぐたいてん?」

「難しい言葉を使ってしまったかな、すまない。

 ……つまり、彼がそこまで私似という事なら、私に考えられる理由と行動は只一つだけだ」

 

 言い出そうとするゲンドウも、また聞き届けようとするアスカも、心持ち気を引き締める。

 

 

 

ちちちちちちち、ちっちっちっちっ……。

 

ちちちちちちち、ちっちっちっちっ……。

 

遠くで蜩が鳴いている。

マウンテンバイクを駆った子供達が数人、ゲンドウの後ろを通り過ぎ、乗っていた子供達の朗らかな笑い声が周囲に響いた。

 

 

 

やがて、子供達が走り去って後、ゲンドウは三度静かに口を開いた。

「彼が君の言う通りの少年ならば、君が彼に追い詰められたと言うのならば、

 彼がそれを自覚出来ない事はないだろう。

 但し、それが出来ない方が或いは幸せだったのかも知れない。

 もし知ってしまえば、私のように限りない自虐感と憂愁に捕らわれる筈だから。

 罪悪感が募って、やがて自らの中で帰結してしまのが関の山か。

 

 それも彼が『発動者』でないとすればの話だが……」

 

ゲンドウの右手には、煙草の代わりにの合成写真が握られていた。

(到底、悪辣にはなれん顔付きだな。いっそその方が楽だった物を)

 

「……発動者?」

アスカの耳には聞き慣れない言葉だ。

 

 

「心の空虚を埋める為に、老人共が策略したのが第一の補完計画。

 私がユイを取り戻す為でしかなかった独り善がりが、第二の補完計画。

 

 そしてこの世界は補完され、ユイも取り戻された。

 だが引き起こった補完計画は、そのどちらでもない。

 我々の与り知らぬ『第三の』補完計画が存在するのだ。

 ゼーレや私の考えた計画よりも、前向きで善処された補完がな。

 

 補完計画がを発動させるには、チルドレンと呼ばれた子供達の助力が必要不可欠だった。

 だが、レイも君も鈴原君も渚君も健在でいて、

 君が言う少年だけがこの世に存在しない理由。

 

 突き詰めていけばそれしか考えられぬのだ。

 補完を発動する為の依代となったのが、その少年であるとしか」

 

「シンジが……この補完を成したって仰りたいんですか?」

そんな大仰な、とは言えなかった。

初号機には常々不可思議な力を発揮し続け、

チルドレンとしての適正はシンジが一番優れていた。

確かに、彼にならそれだけの素質があったのかも知れない。

 

 

「一つ考えられる『恐怖』がある。

 彼が、我々とは違う補完計画を発動させたとして、

 その計画がとかく純正な物であるとして、

 どうしてこの世界に彼が存在出来ていないのか。

 君以外の誰もが『碇シンジ』を記憶していないのか。

 

 ……恐らくは、拭い切れぬ劣等自意識を背負ったな。

 自らの生そのものを拒絶する程の罪悪感を背負ったな。

 そして補完にかこつけて、自分を消滅させたのかも知れぬ。

 『死』とはまた違った帰結として……」

 

 

「消……滅……シンジが……そんな……」

アスカは自らの両掌を顔に当て、酷く狼狽した。

ゲンドウは流石に居たたまれなくなったが、彼にとってはその推測は絶望ではなかった。

 

だが、やがて微かに嗚咽の声を漏らし始めたアスカを見て改めて自分の失言を知る。

ここは正直に理由を話して彼女にも希望を知らせようと、ゲンドウは不器用な慰めでしかない手段に出た。

 

「だが、まだ解せぬ事が一つある。

 ならば何故君だけが彼を知り続けていられるのだ?

 この世から消え去った筈の魂の記憶が、君にだけある?

 君はどうしてそれを知り得た、あるいは記憶を持ち続けたのだ?」

 

「!! ……そ、それは……」

分からなかった。

確かに、シンジはこの世の生きとし生ける者の誰からも忘れ去られてしまった筈の存在。

なのにどうして自分だけはシンジを覚えているのか―――。

だが、

「分かりません。……最近思うんです。

 アタシのこの記憶そのものが、アタシの妄想が生み出した『安楽』じゃないかって。

 それでも所詮、アタシが他人に接しようとしていた態度が変わっていた訳でもないだろうし、

 妄想にしろ現実にしろ、『シンジ』が救われる訳でもないんです」

 

「そう不安がる事はない。

 『碇シンジ』という存在がいた事は確信できる」

「どうして断言出来るんです!?」

殊更に自分を否定されて、少し神経質になったアスカの言葉尻が荒くなる。

 

「簡単な事だよ。

 15年前、私達は娘を授かった。

 名前はユイと二人で生前から決めていた。『レイ』とな。

 だが、もし授かったのが男の子だった時、息子に名付けようとした名前がある。

 それが……」

 

「「シンジ」」

二人の声が重なる。

 

 

アスカは、全てを悟ったように呆然としていた。

 

 

それが、シンジの意志だったかどうかまでは自分の考えの及ぶところではない。

だが、彼がこの世から消え去ってしまった代償に「綾波レイ」という少女は、

「碇レイ」と名を変え、人の親の愛と温もりを一心に受ける事が出来ているのだ。

 

シンジが自分を捨て去ってレイに幸せを与えたのか、

誰が他の発動者が、シンジを置き去ってレイを幸せにしたのか。

 

場合によっては哀しみ、場合によっては憎む。

アスカの本心は簡素であった。

 

 

 

「……話は変わるが、先日ユイが実験棟の一角から不可思議な代物を発見してな、

 調べてみた所、私とユイの受精卵だと言う。

 だが、私達にそんな物を保管していた覚えはないのだが、

 誰かが私達の遺伝子を組み替えてご丁寧に冷凍保存させていたとも考えられない。

 

 その受精卵が保存されていた一本の試験管に、一枚のラベルが張ってあった。

 『親愛なる息子、シンジ』とな……。

 

 これが何を意味するのか、それが分かれば君の自信にも繋がるだろうが……」

 

暫く話に夢中になって、煙草の存在を失念していたゲンドウだったが、思い直したように五本目の煙草に火を付けた。

だが、そんなゲンドウに対し、話の先が見えないアスカに心の余裕はない。

 

「どういう事なんですか、それって?」

「……私の憶測でよければ、幾らか話してあげられるのだが」

 

 

そう、全ては「憶測」でしかない。

だが、信憑性の高い憶測を辿っていくしか、真実への道は開けないもどかしさがあるからこそ。

 

 

「それで構いません。教えていただけますか?」

自分を見上げ見つめる瞳の中に真摯さと純真さを垣間見たゲンドウが、何かが嬉しかったのであろう、口元を綻ばせながら、吸いかけて間もない煙草を踏み消しつつ、自らの中の疑問さえも紐解くべく語りだした。

 

「昔、一度ユイの身籠もった受精卵……つまりはレイだな、

 娘を利用するべくゼーレの下部官共がユイを拉致しようとした事件があった。

 幸い私は暗躍をいち早く察し、ユイを保護するのに成功し、

 尻尾が捕まる前に奴等が撤退を余儀なくされ、事なきを得た事件があった。

 事後その謀略が、レイの遺伝子を組み替える為の物と知って、

 幾分恐怖したのを覚えている。

 結局その件は母子共に無事だったのだが……改竄するならここだろう」

 

「かいざん?」

 

「つまり、記憶の差し替えを行うならば、ここだという事だよ。

 この記憶が本当に私にとって確信出来る自信のある物でないという事は、

 あの受精卵が身を以て証明した。

 レイは二卵性双生児であった訳でもないのに、

 何故男性児の受精卵子が存在するのか……結論は一つだ。

 

 私ならば、受精卵を分割して保護する位の事はするだろう。

 生命に対する冒涜も、道理に欠けた私の罪に他ならない。

 

 それはまだいい。

 

 なら、ならばだ。

 『レイ』は私達の何なのだ。

 レイは私達の娘ではないとでも言うのか!

 娘の立場はどうなるというのだ……!」

 

俯き加減のまま、ゲンドウは人知れず憂い悲しみを覚える。

 

「し、司令……!」

 

体操座りになっていたアスカもやおら立ち上がり、傍らのゲンドウに声を掛けようとしたが何を言い出せる訳でもない自分に気付き、歯痒い気持ちそのままに、伸ばしかけた手を引っ込めつつ逡巡せざるを得なかった。

 

「確かに、私に父親の資格などとうになかった。

 ……ユイの言う通り、私がレイに父親らしい事など一つも出来なかったからな。

 だが、それでも娘はユイと私の宝物だ。

 

 私の手から取り上げる事は許しても、ユイの腕から引き離す事は断じて許せん……」

 

ユイはレイの心の支え、レイはユイの心の支え。

母親と子には、血縁より濃い繋がりが存在する。

端で嫉妬している父親などなくとも、子は母性で生きていける。

所詮父親は稼ぎ手でしかない。

だが子の成長に母親は一日たりとて手放せない存在。

 

―――前時代的な家庭像の持ち主の、ゲンドウらしい考え方であった。

 

 

「レイが司令の娘さんとは、知りませんでした」

 

狼狽えていた自分を取り繕う為にか、アスカがポツリと呟く。

 

「やはり向こうの世界にそんな事実はなかったと言う事かね」

 

ゲンドウは俯いたまま。

 

「いいえ、レイの家族構成に興味さえ持たなかったんです。

 彼女もアタシの事には触れなかった。

 アタシもレイと関わりを持つだなんて考えもしなかった。

 

 アタシにとっては、レイは自分の居場所を脅かしかねない娘でした。

 ネルフ内だけじゃない……彼の心の中にも……」

 

―――今度は彼女の長話に付き合う番だな。

   ゲンドウは自分の口を塞ぐ為に、六本目の煙草に火を付ける。

   (流石に頂けんかな……)

   ここ二ヶ月程は、煙草の一本も吸い付ける暇もなかったゲンドウである。

   計画の発動以前はおろか、発動以降の事後処理となれば、その労力は並々ではない。

   第一に、ゼーレ亡き後のネルフが半独立権を得るに至るまでに、

   何度国連理事会と腹の探り合いになった事か。

   彼等は往々にして、独立権や経済援助と言った類と引き替えに、

   それを帳消しにする程の相応の要求を突き付けてくる物だ。

   ゲンドウも、ある程度は妥協止む無しと見て覚悟していたとは言え、

   開口一番「弐号機の接収」というカードが場に出されては、只事ではなかった。

 

   零号機は中古廃棄となり、初号機は最早「エヴァ」としての運用が出来る状態ではない。

   有効活用出来た筈のS2機関もその運用データごと消滅してしまい、

   例え四号機以降のデータを入手出来たとしても、それでは無意味に等しい。

 

   そしてそんな情報を収集して何を企む連中かと疑いかってしまう状況になった以上、

   プロダクションモデルの弐号機を引き渡せばどうなるかは自明の理だ。

   勿論、ネルフとてこのまま特務機関として、

   「エヴァ」という凶器を持ち続けるつもりもない。

   最早「核」と同義となってしまった「エヴァ」の存在が、

   国連の疑心をも招いてしまっているのだから。

 

 

   人々の心の壁は確かに削り取られているのかも知れない。

   安寧の日々は取り戻されつつあるのかも知れない。

   だがしかし「闇」を恐れる人間の本能としての「傷」が癒されきった訳ではない。

   「エヴァ」という過ぎた力は、この時代に於いては天上の霹靂にも等しい存在なのだ。

 

 

―――しかし、今はまだ弐号機を手放す訳にはいかないだろう。

   この娘の為にも。

 

 

「……アタシ、昔はあの娘にかなり冷たく当たっていたんです。

 レイだけじゃありません。シンジも、ミサトにもそうでしたし、

 アタシは誰にも本当の自分を晒け出せなかった。

 

 多分……心を開いて見せたとして、その『心』を一笑に伏される事を恐れて……。

 アタシは皆に認めて貰える自分を望んで、目指していた。

 それも『エヴァ』を通して、『セカンドチルドレン』としての歪んだ眼鏡を通して

 崇めたて奉られるだけのアタシを。

 それは、『本当の私』だけは誰にも見られたくなかったから。

 セカンドチルドレンという気丈な少女が、本当はこんな脆い子供なんだという事を、

 誰一人として知られたくなかったから……。

 もし知られて嘲笑われたら、疎んじられたら、

 アタシの居場所も存在価値さえも崩れ去って、

 やがてアタシが壊れてしまうんじゃないかって危機感は、自覚していたから……。

 

 でも「自分を見て欲しい」と偉ぶるセカンドチルドレンとしてのアタシと、

 「脆い本心を見られたくない」と脅えている『アスカ』としてのアタシが

 矛盾していた時点で、いずれアタシの自我が壊れてしまう事は、

 今思えば時間の問題だったんです。

 誰かがどちらかのアタシを否定して、どちらが本当のアタシかをはっきりと

 見抜いてくれない限り、アタシは到底前に進む事なんて出来なかったのかも知れない。

 

 でも結局、正直になれる勇気を持ち得なかったアタシは、

 周囲の優しさを感じられなかったアタシは、自分で自分を壊してしまった。

 そして、そんな弱い自分が一番嫌いだった、だから……。

 

 原因は、シンジのような人にもあったかも知れない。

 でもシンジがいたから気付く事が出来た事だって沢山あったんです。

 何故ならば、『シンジ』はアタシを映した鏡そのものだったから。

 アタシが疎んじたシンジの弱さは、アタシの弱さ。

 アタシが罵ったシンジの醜さは、アタシの醜さ。

 自分の弱さに立ち向かう事は出来ずとも、他人の事となれば

 誰よりもやっかんだ……それも今思えば只の防衛手段に過ぎなくて……。

 

 

 補完されたから、だから今更こうして物分かりのいい小娘になってるんですね。

 昔だったら絶対こんな柔軟な考え方は到底出来ませんでしたから……」

 

虚しい過誤の代物を口に出す恥ずかしさなのか、アスカは正面だけをただひたすら見据えて長々と話し続けていた。

 

 

 「強いのだな、君は」

 

七本目の煙草は、箱の中には存在しなかった。

空箱を握りしめ、ポケットに無造作に突っ込む。

そのまま両手をスラックスに納めたまま、アスカの長い独白に耳を傾けていたのだ。

 

 

自分の脆弱さに準えて。

 

 

ゲンドウはふと、納めていた手に触れる懐中時計の存在に気が付いた。

そう言えばどれだけ話し込んだのだろう。

 

―――三時二十四分。

 

(だいぶ話し込んだ割には、全部話しきる事が出来なかったな。

 せめてもう少し確かめたい事もあったが、後日にするか……)

 

陽はまだ高い。川岸の堤防はそれなりに涼しい環境とはいえ、

ここへ来てから二時間近くこうして『意義のある駄弁』に興じていた事になる。

 

「そう言えば喉も乾いたな。何か飲むかね?」

懐中時計を忍ばせている方とは反対側のポケットの、先刻の蕎麦代の釣りをジャラジャラと弄びながら。

ゲンドウ自身、馴れぬ気遣いだと呆れている。

それでも「ネルフ司令」と「セカンドチルドレン」としてではない、今の状態がこうして心地良いのか、そんな自分にふと酔いしれもする。

 

「ふふ、それじゃ遠慮なく」

不器用が顔に出るゲンドウに苦笑しつつも、そんな風に戯けて見せられる自分にはにかむアスカ。

 

「なら、場所を変えるとするか」

 

 

 

「ユイ、ユイ、起きないか、ユイ」

いざ車に戻って見れば、車内の適度な冷房に気を良くしたか、はたまた子供達の与り知らぬ連日の過労の影響か、ユイはあれからずっと眠りこけていたのだ。

家庭的で子供達に優しい「母親」としてのユイも、ネルフという職場では一介の研究者だ。

今はリツコという有能な相方がいてくれるから幾分心強いものの、それでも連日MAGIの総データの閲覧とピックアップ作業に務める連日の激務はとても片手間で済む話ではない。

国連等との外交渉はゲンドウや冬月のような男仕事、ネルフ内の問題は女性の仕事と不思議と割り振りが決まっていたからだ。

(ミサトの立場はちょうどこの仲介になる)

 

「……あらあなた」

悠長に目覚めるユイ。

「……まったく、エンジンも駆けずにクーラーをかけおって。

 バッテリーがあがったらどうする」

毛布の一つも掛けずに眠るユイの、身体の心配をしているとは、到底言えまい。

「今時こんな旧式のカローラなんか買うあなたもあなたなんです。

 どうせならもう少しクラシックなりスポーティなりレトロなり……」

以心伝心と言うべきか、ユイのはぐらかし方も不自然だ。

「何を言うか……」

ゲンドウの対外工作の辣腕も、愛妻の前ではけんもほろろと言ったところか。

 

「少し喉が痛いわ」

「だから言ったろうに。今丁度何か飲み物を買ってくる所だ。お前は何がいい?」

「そうね、ウーロン茶でいいですわ」

「分かった、少し待っていろ」

気怠そうに車のドアを閉め、堤防沿いの自販機まで歩くゲンドウ。アスカがその後をついて行く。

 

「面白い人なんですね、ユイさんって」

深い考え無しに出てくるアスカの余談。

意外とそれに乗りやすいゲンドウ。

「良くも悪くも目立つあの性格だ。実際に夫婦などやっていると、変な所で疲れる」

「でも、嫌そうには見えませんね」

クスクスと可愛らしげに笑われてしまえば、成る程これではゲンドウの立つ瀬もない。

(成る程な、よく笑うようになった……)

その年齢相応の微笑みに、かつての刺々しい雰囲気はもう微塵も存在しない。

 

脆く、歪んだプライドだけを心の支えにせざるを得なかった悲しい少女に仕立てた片棒を担いだ男の、今更ながらの罪滅ぼし。

 

 

知らぬ間に、150円まで値上がりした缶飲料に僅かに眉間をしかめた後、小銭を適当に投入し、とりあえず自分の分の缶コーヒーと、ユイの分のウーロン茶を早々に買い求める。

「好きなのを選ぶといい」

 

アスカは躊躇なくミルクティーのボタンを押した。

 

 

車に戻ると、何故か顔をしかめるユイがいた。

「あなた、煙草の臭いがするんですけど」

ユイは大の煙草嫌いである。

ゲンドウと唯一そりが合わないのもここである。

「た、たまに一服もいいだろう」

「…………」

ユイのしかめっ面は解けない。

「大体にしてあなたは煙草の吸い方のマナーがなっていないでしょうに!

 吸い殻はそこらに捨てる! 半病人の前で吸う!

 最近吸わなくなったと思ったらこれですもの……」

「わ、分かったユイ、そこまで言わずとも……」

夫権の欠片もない会話である。

 

「取り合えず吸い殻を拾ってきなさい!」

「……分かった」

先刻の場所に向かうゲンドウの背中は、小さかった。

後には、言葉を失ったアスカと、躾のなっていない子供を見守る目線のユイ。

「こうでも言わないとあの人の為にならないのよ」

「分かる気はします」

苦笑いのアスカ。

 

 

 

帰り道―――。

「今日は無理をさせてしまって、すまなかったな。

 おまけに私の愚痴が過ぎて、話したい事も全部話せなかった」

「無駄話が過ぎるのは、碇家の人間の悪い癖なのかしら」

ユイが他人事のように苦笑する。

「ユイ……元々誰の姓名だと思っている……」

「あら、婿入りしたいと泣きついたのはあなたじゃありませんか」

「誰が泣きついたか。大体にして昔、連名で借家を借りる事になったのは、

 君が言い出した事だったではないか」

「なら私に六分儀姓を名乗らせればいいだけではないですか。

 そうすれば碇姓が絶えるだなんて言い出したのは何故かあなたの方でしたわね。

 私は格段そんな事に拘っていた訳でもないのに……」

「それは……」

 

『君にあの忌まわしい姓を名乗らせるのは酷だから』

(惣流君には到底話せまいよ。あの悪夢は……) 

 

とゲンドウが上手く締めようかとした時、二人の犬も食わぬ痴話喧嘩に失笑しているアスカがバックミラー一杯に映っていた。流石に少し気恥ずかしさを覚えたユイが俯き、やはり名誉挽回の機会を得損なったゲンドウもばつが悪いのか、黙って運転に集中していた。

「ごめんなさい、お二人とも仲が良い筈なのに、

 しょっちゅう喧嘩になってしまうのが面白可笑しくて……」

「あら、私達そんな風に見えるのかしら?」

「『喧嘩する程仲がいい』って言葉、本当らしいですね」

「アスカ、よくそんな言葉知っているのね」

「『義兄』に教わったんです」

そこで顔を見合わせてけたたましく笑い合う二人。

 

車内に収まるには少々持て余す程かまびすしい笑い声も、少なくとも運転中のゲンドウの不快感を煽ったりはしなかった。

そして、この場にいるのがアスカであれレイであれ、全く違和感無く「娘」として接する事の出来る「親」としての自分の立場を改めて噛み締める。

 

 

―――気恥ずかしくも、これが「幸せ」の形なのだと。

 

 

 

「いい娘ですわね」

ユイがそう一言漏らしたのは、アスカを病室に見送って後、病棟のフロアを歩いていた時であった。

「惣流君か」

「……キョウコも、本来はああいう明るい女性でしたわ。

 誰にでも分け隔て無く気前良く接してあげられて、

 当然誰からも好かれる愛すべき人でしたもの」

ユイの少し遠い瞳が全てを物語る。

ゲンドウに、ユイの回想録を引き留める理由は無かった。

「そんな彼女も色恋沙汰には疎くて、それでも意中の人が出来て、そして結ばれて……。

 あの混迷の時代には、とても挙式出来る余裕なんて私達にはなかったから、

 お互い身内だけでささやかな式を挙げて……」

 

二人が歩いていた病棟の白い床が、いつの間にか黒く染まっていた。

回想録に浸る二人は、既に病棟と司令部棟の判別もつかない程没頭している。

 

「……でも、研究者としての自分を欲していた彼女が、本格的にゼーレの傘下に入ってからは、

 自然と塞ぎ込みがちになってしまって、それでも研究員としての自分に没頭して

 家庭を、娘をおざなりにしている自分に何時も歯痒さを覚えていて、

 そしてそんな彼女の悩みさえも周囲の圧迫が押し潰す……。

 肝心の旦那さんは他の女性(ひと)に走って、愛娘はエヴァとの

 高適応性を認められたばかりに、幼少のみぎりに実験漬け……」

 

穴があったら入りたい。

将にそんなゲンドウの心境の裏返しが、ユイの言葉の端々に顕れている。

 

自分一人だけが全ての元凶なのだと自分を苛むのは、果たして傲慢なのだろうか、それとも只のお門違いなのか。

当然、ユイはそんなゲンドウを責め立てる行為自体は「あの時」に済ましているつもりだ。

 

「……あの時代、誰もが心の何処かに漠然とした空虚を抱えていて、

 それに閑寂を覚える自分がもどかしくて、他人の心は邪推する事しか出来ない、

 そして結局自分のか弱い心に厚い壁を作るしかなかった。

 

 あなたや、あの娘のように……。

 

 だから、ゼーレの人達の考えていた事も、今となっては良く理解出来るんです。

 でもあの人達は性急すぎた。そして、所詮群れた筈の彼等も独りぼっちだった。

 本来は静かに、世界を『陰』から見守って支えているだけの人達が、

 何時から世界を『影』から操る暗黒結社に豹変してしまったのか……」

 

ユイが、ただ歩みながら黙々と悲しさを語り、ゲンドウもまた黙って相槌だけで、悲しさを享受する。

 

 

 

―――いつの間にか司令室の重苦しい扉の前に立ち塞がっていた二人。

ゲンドウがやはり、何も言わずにドアノブに手を掛け、ユイを中に促す。

中では、司令代理として任に就いていた冬月が、忙しそうに書類に目を通し、必要とあらばサインまでしたためている。

 

「やれやれ、補完計画が済んでも碇の後始末は相変わらず俺の仕事か。

 要職をさぼって家族サービスも結構だが、随分と気前の良い身分だな。

 子煩悩も大概にしろ。こっちにしわ寄せが来る。

 全く、ユイ君もユイ君で……」

 

多忙な仕事に一息入れて、痛んだ首筋をほぐしつつ悪態をつく冬月は、どうやら司令室に入ってきた二人に気が付いていないようだったが、

 

「……なんだ、帰ってたのか」

今の台詞を一通り聞かれていた事に悪びれる素振りもない冬月。

 

「お前のいない間に、国連評議会の首脳連中各自から山程通達が来ているぞ。

 どうやら弐号機をお前の手元に置いておくのに痺れを切らし始めたらしい。

 こちらが引き渡しの延長を口走れば、この有様だ。

 後で一応目を通しておけ。それと、下部のは葛城君の所に直接入った物もある。

 そちらも忘れるなよ」

 

どうやら、本来の休日返上で司令卓に括られていたのが余程腹に据えかねたのか、冬月にしては辛辣に捲し立ててから、早々に帰宅準備を始める。

 

「分かっている。……少なくとも、惣流君の体調が戻って、

 彼女自身の意志が承諾してからだ」

 

ユイの顔に険しさが漂う。

 

「あなた……本当に実行するつもりですの?」

だがその影は了承出来ないという理不尽への反抗ではなく、危惧のそれである。

 

「ああ……やるしかあるまい。

 ……今、補完計画者迄の糸筋を手繰り寄せる事の出来るのは、彼女だけだ。

 そして出来れば助け出そう。

 

 ―――私達の『息子』に、是非会ってみようではないか」

 

「あなた……」

ユイが潤んだ瞳で夫を見上げる。

 

 

 

「……頼んだぞ、碇」

その一言に様々な思いを集約させ、冬月は司令室を去った。

彼とて、本当の意味での碇夫妻の味方なのだ。

 

 

 

「私達の『息子』は、生憎と私に似過ぎたらしい。

 世界を正しく補完しておいて、その世界から自分だけを消し去るとは、

 いかにもなやり方だからな……」

ゲンドウの哀愁は、窓際に歩み寄りながら。

その際に、司令卓なら何かをかすめ取っていた。

 

「どうして、補完したのがその子だと断言出来るんです?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「断言する気はまだない。

 彼女が『確信』するまでは、な」

 

 

今日七本目の煙草は、即座にユイに叩き落とされた。

「あ・な・た!」

 

 

「冗談だ、ユイ」

 


TO BE CONTINUED・・・
ver.-1.00 1998+04/11 公開
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 第十一章をお届けします。

 

 風呂敷が広がり過ぎ始めた気がしますね……。

 ゲンドウの設定にプラスαが付きすぎたかも知れません。勿論、追々語られるでしょうが。

 

 

 この話の「補完」はアスカを満たした訳ではありません。アスカの周囲の全てを満たしつつあるだけです。

 だから、周囲がアスカを満たす。そしていずれはアスカ自身が自分を掴み、やがて自分の幸せを求めようと努力出来るでしょう。

 そうすれば、やがて碇シンジなど忘れ去って、彼女の心には安寧が訪れるでしょう。

 或いは「碇シンジ」はこの世で最も彼女に相応しくない少年だったのかも知れないのだから。

 

 だったら、シンジとアスカの心の交流を描く理由はなくなってしまう。

 「碇シンジ」に対する評価は総じて低い。ならばと言って、彼を徹底弾圧して事態解決。

 むしろそれがアスカの幸せの為なのかも。

 でも、シンジを憎んで蔑んで、それで終わりに出来る物語に意味はないのに……。

 

 世間はアスカの生い立ちには同情的になるかも知れない。でもシンジにはと言えば、怪しいかも知れない。

 彼女にあって彼になかった物は何もないと思うのに。

 彼の歪んだ姿ではなく、歪められてしまった行程こそ忌むべき物なのに……。

 

 この話でそれを書けるのは、当分先のようです。

 それでは、また次回……。

 



 彩羽さんの『悔恨と思慕の狭間で』第十一章、公開です。



 ゲンドウにも沢山のことがありますね。


 話の間中ずっと煙草を手放せない、

 一言一言が重いこと−−

 

 こういう人をコントロールしきる。

 やっぱりユイさんは凄いお人です(^^)



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