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=悔恨と思慕の狭間で=

 




−第七章 陽光に手を翳し、少女−

 

 

 

 

 ―――光は取り戻された。

 

 穏やかな日差しに包まれたジオフロント。

 日付は既に八月の半ばを過ぎていた。

 セカンドインパクト以降に異常化した気候は少しずつ元に戻り始めてはいたものの、暑苦しかった太陽の光が、相も変わらず鬱陶しい季節である事に変わりはなかった。

 それでも、空調の利いたジオフロント内の心地よい風が、開かれた窓から流れ入り、無機的に白い病室の空気を潤す。

 

 

 

 

 惣流=アスカ=ラングレーは、一ヶ月ぶりに覚醒した。

 

 

 

 

 真っ先に病室に駆けつけたのはミサトだった。

 恐らく監視カメラの映像に飛び起きるように走ってきたのだろう、息が荒い。

 急いで病室に向かって見れば、そこには多少痩せこけたものの、血色と幼いながらの美貌は相変わらずのアスカがそこにいた。

 傍目には、心なしか機嫌も良さそうに見える。

 とても「精神虚脱」でベッドに伏せっていた少女とは思えない程である。

 

 「・・・・よかった、アスカ・・・・」

 ミサトはしっかりとアスカを抱きしめる。

 「ご免なさいアスカ、不甲斐ない保護者で本当にご免なさい。あなたを理解したつもりで、でも結局何も分かっていなかった愚かな大人でご免なさい。だからこんな悲しい羽目に遭わせてしまった。でももうこれからは絶対に手放さない。私の可愛い妹、もう二度と悲しませたりはしないから・・・・だから・・・・」

 涙ながらに一気に捲し立てるミサトの言葉に、アスカは多少気恥ずかしかったが、

 「・・・・いいのよミサト。もういいの。独り善がりだったアタシの弱さが招いた事だったの。いない母親にすがって、脆いプライドを綱渡るような生き方ばかりに執心したアタシが間違っていたの。だから・・・・これからは正しい生き方にアタシを導いて・・・・。みんなで補い合って生きていっても・・・・いいよね・・・・」

 ミサトは驚いた。まさか自我崩壊の縁にいた少女が、こんな考え方が出来るようになっていたとは。

 だから目覚めたのかも知れない。

 だから・・・・今はアスカが凛々しく見える。

 

 (・・・・そう。これが補完なのね。人と人との心の壁の軋轢を取り除く事、こんなに上手くいくなんてね・・・・)

 ミサトは一人ごちたが、今この少女が正しく歩み始める事が出来る助成になるのなら何でもいいという考え方もある。

 「それじゃ、みんなにもアスカが目覚めた事を教えなくちゃね。レイも喜ぶわ、きっと」

 「ファーストが?」

 「それに、ゼーレ―――世界を裏から操る陰の存在―――も首脳陣が消滅して、ネルフは日本政府とUNと和平交渉に漕ぎ着ける事が出来たの。それにもう使徒も襲来しないらしいし、戦いは終わったのよ。だからもうあなた達を戦いに駆り出す事はなくなったの。・・・・その・・・・アスカにとってはあまり喜ぶべき事じゃないかも知れないけど・・・・」

 ミサトの逡巡の理由は、アスカには手に取るように読解された。

 「何言ってんの。もうエヴァに生き甲斐を求める生き方はやめるの。そうなれば戦いなんて金輪際まっぴらよ。今度からは平和な女子中学生にでもなって、青春を謳歌してやるんだから」

 「あらアスカ、『謳歌』なんて難しい日本語知ってたの?」

 「馬鹿にしちゃって!」

 

 病室に相応しくないほど明るい、乙女達の笑い声が木霊する。

 

 「あはは・・・・。はあ、久々に馬鹿笑いしたわ。なんかお腹が苦しい」

 「当たり前よ。一ヶ月も点滴だけの栄養だったんだから、身体が弱ってて当然よ」

 「一ヶ月!?」

 アスカは素っ頓狂な声で驚いた。

 「まさか三日程度だったなんて思ってないでしょうね? 戦いが終わってからは、レイが身の回りの世話を色々としてくれたけれど、痩せ細る身体だけはどうしようもなかったからねぇ」

 「・・・・ミサトはしてくれなかったの?」

 「ゴメン。作戦部長がそうそう暇を持て余せるわけじゃないのよ」

 「いいわよ。ミサトも色々大変だったんでしょうから」

 アスカの声が優しく心に滲みる。

 そんな新鮮な感覚にミサトは図らずも涙ぐんだ。

 「・・・・ありがと」

 

 「そうそうレイに連絡しなきゃあいけなかったんだ」

 「ふうん・・・・、あの娘がアタシの世話ねぇ・・・・」

 「お礼を言ってあげるのよ、アスカ。それと・・・・会ったら多分驚くわ」

 「どうしてよ?」

 「それは会ってからのお楽しみ」

 「ちぇっ」

 ミサトは懐から携帯を取り出し、ボタン一発でレイの携帯へと繋ぐ。

 呼び出している合間に携帯の下げ紐を弄んでいる所に、ミサトの心理が見え隠れする。

 「あ、レイ? 喜んで、アスカが目覚めたの! そう、しかも心身共に比較的健康よ、あとは心のケアだけだけど、それもあまり心配いらなさそうよ。とにかく一度会ってみなさい、驚くから」

 「ようするに驚かせ合って楽しみたいだけなのね。相変わらずね・・・・」

 だが、その相変わらずがささやかに嬉しい事は、アスカの表情から伺える。

 「・・・・え? 今実験棟にいるの? リツコと? いいから今すぐ来るの、事が事だからリツコも許してくれるでしょ。・・・・・・・・それは後にしましょう。とりあえずアスカを落ち着かせてからよ」

 言葉の最後だけは妙にテンションが低かったものの、大方ミサトはレイとの会話を楽しんでいるような節がある。

 携帯を切ると、ミサトはおもむろに立ち上がり、

 「それじゃ、私はまだ仕事が両手に束になるくらい残っているから少し離れるけど、何かあったらレイに言いなさい。出来る限り相談に乗ってくれるから」

 「あのファーストに相談ねぇ・・・・」

 「それとアスカ。もうあなたもレイも公式には『チルドレン』ではなくなったの。だから、レイの事をファーストと呼ぶのは今限りで止めなさい。四人しかいない大事な仲間達なんだから」

 些細だが、必ず聞き届けて欲しいと言わんばかりの言いぐさのミサト。

 多少芝居がかっている言動の方がミサトの本音が直に出る事はアスカも知っている。

 「・・・・分かったわ」

 アスカは渋々頷いた。

 

 

 

 それから二十分ほどして、やはり息せき切ったレイが303号病室に辿り着く。

 「ねぇねぇミサトさん、アスカが目覚めたって本当? ああ、ホントだぁ!!」

 喜々として、レイは病室に入り込んできた。

 「・・・・ねぇミサト」

 「何?」

 「レイにあんな快活な双子がいたなんてアタシ聞いてないわよ」

 「やっぱりそういう事言うと思ったわ。でもあれは正真正銘『綾波レイ』よ」

 「嘘でしょ!?」

 アスカは喫驚していたが、レイはそんな様子にお構いなしにアスカにすり寄ってきた。

 「久しぶり、アスカ! 元気になって良かったね」

 以前は感情さえ顔に出すことのなかった「人形」呼ばわりして嫌悪していた少女。

 ところがこんなに朗らかな笑顔を見せつけられては、アスカの受けた衝撃たるや尋常ではない。

 大体にして、レイに名前で直接呼ばれた事自体初めてではなかっただろうか。

 「・・・・あ・・・・アンタ・・・・本当にファーストなの?」

 「「アスカ!!」」

 ミサトはアスカの「ファースト」という発言を咎める為に、レイは少し物悲しくなった反動で、思わずアスカの名を叫ぶ。

 「そんな事言わないでアスカ。確かに以前のあたしはあなたに冷たかったし、あなたもあたしを嫌っていたでしょうけど、でも今は違うつもり。だって、共に戦ってきた仲間でしょう? だからあなたとの絆は大事にしたいし、あなたが嫌うあたしの性格も直したつもりだけど・・・・」

 「直したって・・・・、あの性格をどうやったら一ヶ月でここまで変えられるのよ・・・・?」

 実際レイはそれほど苦労はしていない。

 本人は努力の賜物と信じているが、実際はレイは生まれつきこんな性格なのだ。

 彼女自身それを自覚する事が無かっただけである。

 

 「・・・・まあいいわ。アンタも頑張ったみたいだし、もうアンタを『人形』呼ばわりする理由もなさそうだしね。・・・・過去の事は忘れてやってもいいわよ、これからは・・・・まあ上手くやっていきましょ、レイ」

 呟くように言いながら顔が赤いのは、高慢な言葉で覆い隠された照れ隠しなのだという事はミサトにもレイにも一目で分かった。

 渋々とだがアスカは手を差しだし、レイは快くその手を両手で握りしめた。

 

 

 

 「・・・・それと、今思い出したけど・・・・あの・・・・」

 

 「何、どうしたのアスカ? 相談なら何でも乗るわよ。遠慮しないで言って」

 ミサトに代わってレイが優しく声をかけるが、アスカは遠慮しているのではない。

 

 「・・・・あのさ・・・・、・・・・シンジ・・・・は・・・・どうしたの?」

 

 

 

 アスカは一人思考にふける。

 

 今積極的に顔を会わせたい人物じゃないけど、ミサトとレイでさえこれだけ自分の回復に喜んで急いで駆けつけてまでくれたのに、アイツはどこかで適当に過ごしているのだろうか。

 それはそれで悲しかった。正直でない自分の性格は知っている。

 かつてシンジが床にふせっていた時だって、それでも様子ぐらいは見てやったのに、アイツの方はアタシの事など気にしていないということなのか、と。

 

 

 

 「「・・・・シンジ?」」

 

 

 二人は今度も見事に二人同時に問いかける。

 「誰それ、アスカのクラスメート?」

 「でもそんな名前の子はいなかったわよねえ。あたし達の知らない間に恋人まで出来たの?」

 レイは明るい乗りでアスカをからかったつもりだったのだが。

 

 「わ、わかったから、二人に迷惑かけたことは謝るから、・・・・シンジ・・・・に逢わせてよ」

 アスカの瞳は少し潤んでいた。

 言って良い冗談と悪い冗談があるということを分かって欲しかったのだ。

 「って言ったって、そのシンジって子は誰なの?」

 「・・・・ああ、確か二つ隣のクラスに鷲崎シンジ君っていう子がいたような・・・・」

 

 二人の会話はやはりまるで見当違いだった。

 

 「二人とも何言ってんのよ!! いい加減にしないと怒るわよ!! あのバカシンジはどうしたって聞いてるのよ、いいから冗談止めて教えてよ!!」

 アスカの瞳が潤みだしたことを知った二人は、アスカの本気を知ったのだが、にしてもやはりそんな少年は知らないのだから真面目に答えても、やはり分からないという事になる。

 「せめて上の名前でも教えて。名字は何ていうの? MAGIで調べれば・・・・」

 

 とうとうアスカの不安定な精神が爆発した。ここまで二人が意地悪いとは思いもしなかったのだ。

 

 「ふざけないでって言ってるでしょ!! どうして忘れたふりなんかするのよ!! 一緒に戦った仲間だって言ったのはレイじゃない!! そりゃアタシだってシンジには色々と辛く当たったわよ!! 忘れるつもりなんかないわ、だから償いたいだけなのに、折角正直に生きてみようって思っただけなのに・・・・!!」

 

 とうとうアスカは泣き出した。それも声を上げてである。

 彼女を支えていた脆い外殻はもう存在しない。脆弱なプライドは、泣く事さえ許されなかった孤独との戦いの日々の証し。そしてその下にあったのは、誰かに支えて欲しかったという幼子のようなささやかな、叶わぬ希望。

 そしてそれを叶えてくれる物は、アスカの脆い心を支えてくれる者は・・・・・・。

 

 

 ―――アスカはその後、二人に聞き取れないような叫声を叫びつつ、二人を病室から無理矢理追い出した。

 

 

 

 

 そして、一週間が過ぎた―――。

 

 アスカの精神状態の安定を待って、いよいよこの「儀式」は行われる。

 303号病室の前には、特務機関ネルフ司令碇ゲンドウ以下数人のネルフ主要陣の姿がある。

 ネルフ所属の看護婦達も只ならぬ気配に自然と姿を消し、病室周辺は不可思議な静寂に包まれる。

 

 「ここにいるのだな、惣流君は」

 ゲンドウは傍らのミサトに問いかける。聞かずとも承知している事なのは双方共にである。

 ただこれから行う事が、彼といえど心の準備が必要な行為だと言う事であろう。

 それを承知しているミサトもまた、無言で頷いた。

 

 全ては、大人達が自らの為に導き出した勝手な理屈に過ぎない。

 だが、それが大人達の救済となる事にもまた、目を向けなくてはならない―――。

 

 

 ゲンドウは静かにドアを二回叩いた。

 扉越しに、辛うじて聞き取れるように、アスカの声がした。

 「・・・・誰?」

 「ネルフ司令、碇ゲンドウです。今日はあなたに申し上げたい事があってネルフ上層部一同参上した所存です」

 あのゲンドウが、少女一人に敬語を使っている。

 だが傍らのミサト達が、その事に今更違和感を感じる事はなかった。

 何故なら彼がこういう口調で話すのは、これで四度目にもなるからだ。

 自分の「娘」にさえ一度は行った行為でもある。

 

 「・・・・ネルフ上層部一同?」

 アスカは当然ゲンドウの言葉を訝しがった。

 「我々はあなたにお詫びしなくてはならない事がございます」

 

 たとえ相手が気を使ってくれても、ゲンドウは彼の風体からすれば奇妙なこの言葉遣いを止めようとはしなかった。

 そして他の連中もまた大方同じ心境であるが故に、ゲンドウの行為を止めようとはしない。

 

 ―――これは彼等が彼等自身に誓った「禊ぎ」の代償なのだ―――。

 

 「お詫び」という言葉に何か閃いたアスカは、

 「入っていいわよ」

 と素っ気なく入室許可を差し出す。

 「では失礼します」

 

 それでもやはりこの男の敬語など馴れた物ではない・・・・。

 冬月だけは心の中で一人ごちていた。

 

 

 アスカの病室は個室の割に広く、集中治療室とは銘打たれていずともそれ以上の待遇だったので、彼等が並ぶ空間くらいは簡単に確保出来た。それでも狭く感じるのは、押さえきれない心の動悸が生み出す圧迫感なのだろう。

 

 ネルフ司令碇ゲンドウを筆頭に、その右横にミサトと冬月が、左横にはレイとリツコが、そして第一発令所の青葉、日向、伊吹各人も後ろに控えている。

 一同はしばし目でお互いの呼吸を合わせた後、申し合わせたように揃って頭を下げた。

 

 「我々ネルフ幹部は、使徒殲滅の任と、裏に隠されたシナリオ「人類補完計画」の遂行の為に、年端もいかぬ少年少女を無理矢理に任務執行に用いる為に、その心身の保全と人権を強制剥奪し、未来ある子供達の心を蹂躙したのであります。それは人類の存亡をかけた一大政策であるとは言え、どんな体裁でも繕えない悪逆非道な行為であった事もまた事実。我々はネルフと主要先進国のバックボーンであった秘密組織「人類補完委員会」とその上層組織「ゼーレ」の解体と消滅に伴い、特務機関「ネルフ」は今後人類の保全と平定に務める為の組織として再生する事を誓い、それに伴いましては、最重要事項としてネルフと人類補完委員会の傀儡待遇であったエヴァ搭乗適正者「チルドレン」の今後一切の心身の保全、進路志望の待遇の最大級の保証に努める所存であり、その経緯と要項を承知して頂きたいが故に本日は参上致しました」

 

 ゲンドウの長い謳いあげの後、ミサトが掻い摘んで砕いた言葉で横から言い直す。

 ゲンドウの言葉は漢字が多すぎてアスカにはリアルタイムで理解できなかったからだ。

 

 「早い話、もうアスカのやりたいようにできるってわけ。もうネルフのしがらみに囚われることはなくなったのよ」

 「・・・・そうなんだ」

 アスカの表情は半分喜びに、半分憂いに彩られていた。

 「良かったねアスカ、これからは普通に学校にも行けるのよ」

 レイはアスカに微笑んで見せ、アスカも不器用ながら希望を以て笑い返した事で、より一層微笑み返す。

 

 「・・・・すまなかったな惣流君」

 子供達の無邪気な笑顔に胸が締め付けられる思いだったのか、ゲンドウは改めてもう一度頭(こうべ)を下げた。

 よくよく考えれば、アスカにとってはゲンドウとまともに対面するのは来日以来初めてであった。

 アスカはシンジやミサトを介して多少は碇ゲンドウという人物像が見えていたが、ゲンドウにとってはアスカは只の「予備戦力」であった事は今更否定出来た事ではない。

 ミサト達大人はゲンドウを厳しく面倒な上司と言い、シンジは「父親」としてのゲンドウを恐れて近付く事を憚っていた。

 だが、シンジが本心では親の温もりを欲していたのが、碇家の事情に疎いアスカでさえ容易に感じ取れた物だ。

 だからこそ、自分と義理の母親との不和をふとシンジにだけは漏らしてしまったのかも知れない。

 

 ―――シンジ―――。

 

 アスカはふと気付く。

 (シンジは・・・・シンジはそれでも父親との絆を心の何処かで求めていた。それはアタシも同じ。ママとの思い出を心の隅に追いやりながらも、アタシを正しく理解してくれない周囲をはねつけながらも、それでも・・・・心の垣根を乗り越えて、アタシを正しく見つめてくれる人を求めていたのね、きっと・・・・)

 かつてアスカの心の垣根の向こう側を覗くことが出来たのは、加持だけであった。

 だが加持は自分を良く知っていた。

 自分では良くてアスカの父親代わりしか出来ない。だが自分には父親の代わりは務まらない、そして今のアスカに必要なのは母性であって、その為あってかアスカをミサトに託す。それはあわよくばミサト自身の成長にも繋がって欲しいと一縷の望みを持った加持の老婆心であった。

 そしてそれはアスカが人として前進する為に、あえて今一度「母性」に対峙する事が必須だと信じた加持の、最初で最後の親心でもあった。

 

 (ミサトは今一度アタシを家族と認めてくれた。アタシにとってはミサトはむしろ「出来の悪い姉」でしかなかったけれど、それでもミサトだって心の傷を抱えながらも必死で頑張っていたのだもの)

 

 かつて二人きりの大浴場で、ささやかに交わした密約。

 

 (アタシもミサトも、互いの心の傷を知っていた。似た者同士だったからこそ、だからこそすれ違ってしまったのかも知れない・・・・)

 アスカはもう一人似た者同士だった少年にも思いを馳せる。

 (そしてアタシもシンジも、互いを分かり合えなかったものね。アタシはシンジの弱い心を否定した。シンジもアタシと深く関わる事を恐れていた。でも、生半可には理解しあっていたのかも知れない。何故なら、本心ではアタシもシンジも―――)

 

 アスカの取り留めのない思考を中断したのは、アスカの耳元にふと入ってきた一言だった。

 「・・・・ただし、若干記憶に混乱が見られる程度で、あとは精神状態の回復に伴って・・・・」

 リツコが傍らに所持していたカルテをゲンドウと冬月に淡々と読み上げる形で説明していた。

 アスカがそれが瞬時に自分のカルテである事を察し、自分の記憶が異常扱いされている事を知った。

 「・・・・何よリツコ、その『記憶の混乱』ってのは」

 アスカの瞳の中で、怒りの炎がゆらりと揺れる。

 「ミサト達からはそういう風に聞いているわ。ミサトはああ見えても心理学にも多少は精通・・・・」

 リツコの口上を無視し、アスカはミサトとレイを一心に睨んでいた。

 対して後ろめたさを持たないミサトもまた、アスカを神妙な目つきで見届けている。

 

 「シンジの事を言っているのならば、大概にしてよね」

 「アスカ、もう一度冷静になって考えて。夢と現実を混同して、辛い現実を忘れようとするのは良くないわ」

 「夢!? シンジの存在そのものが夢だったと割り切るつもり? アタシ達が三人で「家族」として同居していた事も、嫌がるシンジを無理矢理エヴァに乗せていた事も、今更みんな『夢』の一言で済ませようっての!? それでいて何がチルドレンの擁護よ、笑わせないで!!」

 アスカの激昂は、ミサト以外のネルフの面々にも向けられているのは間違いない。

 

 ―――ふとリツコは個人的な興味を抱いた。

 もしアスカの話を真に受け、ミサトからの又聞きの話と総合すると、「シンジ」という少年は、アスカの中では、「同居人でかつネルフのチルドレン」という事で確立している。

 これは心理的には何を表すのだろうか。

 ―――「自己擁護の為に、自分に近似的な異性の存在を造り上げた」という所かしら。

 リツコの仮説はあくまで心理学的な推測と発想の域であり、またアスカの思考との隔たりの平行線を多少狭めただけであった。

 

 「アスカ、わたし達チルドレンの保障の件は、お父さんが日本政府やUNに掛け合って時間をかけてようやく漕ぎ着けた事なの。お父さん達の必死の交渉あっての賜物なの。だからそんな風に言わないであげて、お願い」

 レイは荒ぶるアスカを宥めるように、優しく真っ直ぐな瞳と共に懇願する。

 アスカもレイも、互いの言葉が本音であるからこそ、それ以上は何も言わず真摯な瞳で互いを見つめ合うだけであった。

 

 

 「ミサト、ミサト」

 「何よリツコ」

 リツコはアスカの意識がレイに集中している間に、紡ぎあげた自分の中の疑問を紐解くべく動き出した。

 「今のアスカの心境にとって、その『シンジ』っていう子がどんな存在なのか気になるわ。もしかすればアスカのメンタルケアの重要な参考になるかも知れないわ。その子の事、何とか詳しく聞き出せないかしら」

 「・・・・難しいわね。私達がその子の事を知らないと言うだけで怒るから、アスカは」

 「なら、アスカにとって面識のない人に間接的に聞き出してもらうのならどうかしら」

 「・・・・ユイさんとカヲル君の事ね。いいわ、何とかしてみましょうか」

 そして、おそらくは二人の話を小耳に挟んでいたであろう事だから、

 「よろしいでしょうか、司令」

 二人の傍らにいたゲンドウは、何時ものように中指で眼鏡をつり上げると、

 「構わん。ユイも惣流君には是非会いたいと言っている事だしな」

 一言多くなったのは、むしろ良い兆候と見るべきである。

 「判りました」

 そしてしばし膠着状態であったレイとアスカの間にミサトが割って入り、アスカに向き直る。

 「アスカ、あなたに改めて紹介したい人がいるの。あなたが病床に伏せっている間に私達に新たに協力してくれる事になった人達なのよ」

 「それって、お母さんとカヲルの事ね?」

 突如、何故かレイは喜々として問い返す。

 アスカはここでようやく思考を再開した。

 

 確かにレイは先刻、「お父さん」と言った。

 そのレイの父親とは―――。

 「れ、レイ。あんたの父親って碇司令だったの?」

 「え? そうよ。アスカ知ってたはずでしょう?」

 「そ、それにお母さんって・・・・」

 アスカの思考は、記憶を伴って徐々に混乱を誘発していく。

 アスカは自分の記憶が本当にあやふやな物になってしまっているのかと、不安に陥り始めた。

 「お母さんの事は、アスカには教えてなかったわよね。わたしだってお母さんに再会したのは十一年ぶりだったもの。でも当時のわたし三歳だから、正直殆どお母さんの事は覚えてなかったけど」

 そう語りかける、相変わらず快活な笑顔のままのレイは、最早アスカにとっては遠い世界の認識と化していた。

 

 ―――三十分後。

 病室からはレイとミサト以外は既に退室し、リツコが直に監視カメラから見届けている状況の中、アスカはレイとミサトに、自らが意識と心を閉ざしていた一ヶ月間のブランクを埋めるべく様々な事情を聞かされた。

 だがアスカにとっては一ヶ月間の事に限らず、辻褄の合わない話ばかりであったが、それはアスカの発言を聞き届ける立場であるレイとミサトにしても同じ事であった。

 

 「いいえ、わたしは一人っ子よ? 兄弟なんかいないわ」

 

 「お母さんはずっと、初号機の中でわたしを見守ってくれていたの。初号機のコアを模写しただけの零号機のコアは不十分だったけど、いざという時はお母さんはいつもわたし達を助けてくれてたじゃない」

 

 「せめてこれからは、今までの分も恩返しするつもりで、家族三人で水入らずで暮らすつもりなの。目一杯親孝行するつもりよ」

 

 レイの言葉が無邪気で純粋なのはアスカにとっては、レイ自身の為になる事だとして喜ばしい反面、アスカの心に確実に楔を打ち込むような苦痛をも伴わせた。

 レイの言う事を全て真実と受け取るならば、シンジは父にも母にもレイにさえも、家族であることはおろかまして血縁さえも完全に否定され、黙殺されているのだ。

 勿論アスカにとっては、本来碇家の事情など他人事に過ぎないはずだ。

 いくらシンジとは上辺だけの家族関係であったとしても。

 だがこれでシンジが、ここにいないはずの少年が拠り所を完全に失ってしまったのも事実である。

 かつてゲンドウはシンジの父親である義務を放棄はしたが、血縁を切り捨てた言動はしなかった筈なのだから。

 これはシンジという脆弱で臆病な少年が受けた「報い」、代償とでも言うべき物なのだろうか―――。

 アスカは一人考えに耽る。

 

 ふと、ドアをノックする音が病室に木霊する。

 しばし固まった病室内の雰囲気をほぐす効果は、あったようだ。

 「惣流さん、碇ユイと申します。入ってもよろしいかしら?」

 「・・・・あ、はい、いいですよ」

 思考の渦から抜け出したアスカが見たのは、ドアの向こうから姿を表す、成る程確かにレイに良く似た顔立ちの女性と、その後ろに付いてきた、アスカにとっては全く見慣れぬ少年の姿であった。

 

 (この女性が、碇・・・・ユイさん?)

 何故だろう、確かにレイに似た容姿ではある女性だが、何かそれ以外の、そう強いて陳腐に言えば「直感的に」レイと深い関係であると感付くような、そんな不思議な雰囲気を保っている不思議な女性だ。

 「初めまして惣流さん、私、碇ゲンドウの妻のユイと申します。この度は夫と娘が大層な御迷惑をお掛けしてしまったようで、妻と母として改めて、厚く謝罪を申しあげようと思って、参上しました」

 ユイは極めて日本人淑女らしい会釈と陳謝、一歩違えば社交辞令と同義な挨拶から始まり、アスカに深々と頭を下げる。

 「・・・・あ、わ、わたし、惣流=アスカ=ラングレーです。初めまして・・・・」

 ユイの腰の低い態度の影響からか、アスカは彼女に似つかわしくないほど不器用に頭を下げ、会釈を返す。

 端で見ればどちらがお詫びに来たのか迷いそうになるほどであった。

 つまりその傍観者の立場であったミサトとレイは、日頃のアスカの性格と今の態度を比べて失笑するが、

 「レイ」

 一言ユイに窘められて、ミサト共々萎縮してしまった。

 とは言え決して怒るという表情を表すのではなく、日頃は弾んでいるレイとの会話の余波であろう。

 それにユイとて、アスカの勝ち気な性格などを全く予備知識無しで向かい合っているわけではないのだから、アスカが無理をしている事は今のアスカの焦り方にも顕著に現れている程なのだから、

 「ふふっ、そんなに堅くならなくてもいいのよ」

 と、一転して朗らかな笑顔でアスカをほぐす事も忘れない。

 アスカの緊張は確かにそれで幾分和らいだが、

 「でも、さっきあの人も弁解していたでしょうけど、私達ゼーレの息のかかった大人達があなたに犯した罪を、これから一生を掛けて償っていく覚悟だけは、せめて知っていて貰いたかったの。偽善と思われてもいいわ、それでも最後にはあなたの純粋な幸せに繋がる為に、精一杯頑張っていくつもり。それだけは信じて欲しいから」

 やんわりとアスカの手を両掌で包み込み、優しく真摯な瞳―――そうまるで父親を信じて欲しいと願ったレイの瞳のように―――アスカだけをしっかりと見据える。

 それは、どんな言葉よりもアスカの心に染みるユイの「真心」であった。

 

 

 でも、この人も、こんな優しい人も、シンジの事は忘れ去ってしまっているのね―――。

 アスカはそれを再び思い起こすと、一瞬だけ瞳を潤ませた。

 

 

 ふと、アスカの視線が泳いだ時、一人の少年の姿が目に入る。

 ユイと共に入ってきた少年だ。

 当然アスカは顔も名も知らない。

 (誰?)

 アスカの疑問混じりの視線が、その少年に向けられているのを見て取ったレイが、

 「ああそうだった、アスカとカヲルって初対面だったわよね。紹介するね、彼は・・・・」

 「僕はカヲル、渚カヲル。君と同じチルドレンさ」

 レイの言葉を続けながら、カヲルは病室のドアから一転してアスカのベッドのそばまで近寄り、それでいてあくまでアスカに不快にならない程度に勤めながらも、朗らかに話しかける。

 他人との距離を測る事に関しては、彼は天才的と呼んでも過言ではない。

 実質、初対面ながらも人なつっこい、それでいて媚びている訳でもない不思議な微笑みに、アスカが不快感を持つ事はなく済んだ。

 「ちょっとカヲル。今はあたしが話してるのよ。邪魔しないで」

 「同じ事さ。いやむしろ君に僕の自己紹介を任せていると、余計な話を含んで冗長になるからね、余計ややこしくなる」

 「言ったわね」

 あくまでお手柔らかな言い合いが始まる。

 そして、二人は日頃から常にこんな関係である。

 出会って間もない頃から、おそらくは波長とでも言うべき物が合ったのだろうか、二人の言動は常に馬が合っていた。

 カヲルとレイがアスカを傍らに馴れ合いにも似た口論を続けている所を見計らって、ミサトが続けた。

 「カヲル君はね、アスカの不在の代わりに戦ってくれる筈だった子なの。結局彼の出撃は対ゼーレの量産型エヴァシリーズとの一戦だけで済んだから、余り苦労と負担を掛けずにはすんだのだけど・・・・」

 作戦部長としての責任がまだ抜けきっていないのだろう。

 ミサトがアスカを見つめる瞳の色はなかなか複雑だった。

 「でも良かったわ、これで四人のチルドレンは皆無事でいられた事になるんだから。アスカにだけは心的負担を余計に掛けてしまったけれど、無事に治ってくれた事だし、またこうして元気にみんなと仲良くやっていける事が、本当に嬉しいわ・・・・」

 ミサトの瞳が潤む。

 

 ―――だが一方で、アスカの表情はミサトの気付かない所で憂いを帯びていた。

 (四人のチルドレン・・・・か)

 欠けているのが一体誰かなんて事は今更考えるだけで何故か悲しくなる。

 誰も自分を見てくれない。

 誰も自分を認めてくれない。

 そう思いこんで心を閉ざした少女は、実際にその羽目に陥ってしまった少年の事を考え、悲しみの表情を浮かべる。

 だが決して顔に出して悟られてはいけない。

 ここにいる人達には彼の事は無関係なのだから、今更無闇に悲しませる事もない。

 そう、もうシンジは誰にも振り向いてもらえない哀しい存在―――。

 

 「あら、もうすぐ退室時間なの。早いわねぇ」

 ユイは来て早々退出するのを少し渋ったが、

 「でもお母さん、また来ればいいじゃない。今度は洞木さん達も連れてさ」

 「そうね、洞木さんアスカに会いたがっていたわね。今度面会許可取っておきましょうか、まだチルドレン関係は色々と手続き面倒なのよね」

 

 ユイとミサトの手を取り、二人の間で微笑んでいるレイは、本当に表情豊かで明るくなったとアスカは思う。元々顔は端正であった―――だから余計に人形扱いしたのね―――のだから、以前からこんなに愛想良く接してくれたならば、もっと前から仲良くできたのかも知れなかったのに、と。

 一昔前はやれエースパイロットの座だの、シンクロ率一番だのと、そんな荒んだ心でなけなしの栄光にすがって自分を保とうとはしたが、一方では打算抜きの親友―――洞木ヒカリ―――のような友人も出来た。

 だから、こう言ってはレイに悪いだろうが、シンクロ率では自分に水をあけていたレイならば、そんなしがらみに気を取られる事なく、仲の良い親友になれた可能性だってあったかも知れないのだ。

 (・・・・だからかな、シンクロ率でアタシを脅かしていく度に、シンジには段々と辛く当たっていったのは。今思うと、露骨に嫌みな行為よね・・・・)

 

 

 第十二使徒が襲来した頃だったろうか、アスカとシンジの間に深い溝が出来始めた。

 それはひとえに「エヴァとのシンクロ率」というだけの問題から、二人のエヴァに対する価値観の差違、果てはお互いを見つめる瞳の奥に潜む心理の探り合いにまで発展し、結果互いの心を傷つけ合う事になってしまった。

 そして第十三、十四使徒にアスカが搭乗する弐号機が決定的に敗北し、アスカの意識がない間に、シンジの駆る初号機が「暴走」という異常事態で使徒を撃破したという事実に目を向けるでもなく、

 「シンジは使徒を倒せた。

  でもアタシは立て続けに負けた。

  だからアタシはシンジと違って役立たずなんだ」

 という、アスカ独自の三段論法がアスカ自身を徐々に追い詰め、その追い詰められたアスカの棘の混じった言動もまた、シンジの心をも追い詰めていった。

 そして、アスカもシンジも互いの心の傷に向かい合う事も出来ずただ苦悩の日々を送る事になり、最終的に「壊れた」のがアスカの方が早かったというだけで、第十七使徒「ダブリス」こと渚カヲルを殺した事に苦悩するシンジとて、あのままではいずれアスカの後を追う事は明白であった。

 

 「・・・・さん、惣流さん!」

 「あ、は、はいっ!」

 ふとアスカが気付くと、アスカに顔を寄せているユイの顔があった。

 「顔色が良くないようだけど、大丈夫?」

 「病み上がりに無理をさせてしまったみたいね。ユイさん、レイ、カヲル君とはまた改めて話をしてもらうとして、今日はここまでにしましょう。もう退出時間だわ」

 「そうですね。それじゃまた来るわね、アスカ」

 「お大事に、惣流さん」

 それぞれが、アスカを優しく気遣いながら、一同は病室を後にした。

 手を振って見送るアスカの瞳に、未だ憂いがあった事に気付いたのは誰もいない。

 少なくとも、今アスカが見送った四人の中には―――だ。

 

 

 

 

 

 リツコは三分の一程吸いかけた煙草を揉み消した。

 

 

 まだ、確証はなかった。

 


TO BE CONTINUED・・・
ver.-1.00 1998+03/11 公開
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 第七章をお届けします。

 私は誰の心理が一番書きにくいかと問われれば、即答で「アスカ」だと言ってしまいます。

 アスカの心理の解釈は、全員共通の部分もあるとは思うのですが、基本的に十人十色でしょう。

 まあそれは「アスカ」に限った事ではないですが。

 例えば「アスカは本当にシンジに好意があったのだろうか」という点さえも、人によってイエスノー様々ですし、本編の解釈も何とでも取れる感がありますから、結局各自の独断で話を進めるしかない気もします。そして、私は一応この点に関して肯定の立場を取らせて貰っています。

 何故かと言われれば、そうでなくてはこの話が成り立たないという(笑い・・・・事じゃないんですけどね)

 更に言えば、レイのシンジに対する思いの解釈は更に難解だというのが、私の個人的意見です。

 その辺りはこの話を書きながら改めて穿ってます。

 そしてそこで苦悩する度、エヴァ小説というのは改めて難しい物だと思います。

 

 それでは、今回はここまでで。

 



 彩羽さんの『悔恨と思慕の狭間で』第七章、公開です。



 アスカが目覚めて、

 めでたしめでたしではない。


 まだまだ先に壁が沢山・・・


 一個片づいても
 そんな簡単には終わらない−−


 シンジを知っているのは自分だけ。

 アスカの心にどんな影を落としちゃうのかな・・



 みんなね、

 幸せになって欲しいな。


 信じたいな




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