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Episode 6. Rei II
 
 

「戻して、早く!」
 ミサトの声に反応して、間髪入れずオペレータの手が動いた。
 リフトオフしないまま、初号機が地下に引き戻される。それを追った光束が目標を失い、アスファルトを穿った。その熱に耐え切れず爆炎が上がる。
「目標、完黙!」
「シンジ君は?」
「生きてます!」
「初号機回収、第七ケイジへ」
 射出カタパルトから降ろされる初号機。その胸部に醜く抉られた痕が見える。未だ立ち上る幾筋かの煙が、そのエネルギーの凄まじさを窺わせた。
「初号機、固定完了」
「パイロット、脳波乱れています。心音微弱」
「生命維持システム最大。心臓マッサージを」赤木博士にしては焦りの感じられる口調。
 電気ショックに、少年の細い体がびくりと跳ね上がった。
「パルス確認!」
「プラグ強制排出。LCL緊急排水、急いで」
 吐き出された白い円筒から透明なオレンジ色の液体が吹き出す。
 まだ水蒸気の上がるプラグから引き出される座席ユニット。そこに座る少年は力無くぐったりとシートに身を持たせかけている。意識はない。
「シンジ君……」それをスクリーンに見ながら、葛城ミサトは唇を噛み締めていた。握り締めた拳が、内心の葛藤を示す。それに無理矢理決着を付けると、ミサトはやにわに第七ケイジに繋がるマイクを引っつかみ、怒鳴った。
「マリエっ」
 数秒ほど間が開いて、
”はっ、はいっ!”少女の裏返った声が返る。おそらくケイジ一杯に響き渡ったミサトの怒声に、慌てて手近の電話に走ったのだろう。
「ケイジに居るのね。じゃあ、シンジ君をよろしく」
”はい”
 その返事を確かめるとマイクを切り、忌々しげに大きく息をつく。
「いいの?」とリツコ。
「私が行ったところでどうにもならないもの。それに、目標は健在よ。今ここを離れるわけにはいかないわ」
 無理しない方がいいわよ、と口にしかけてリツコは思いとどまる。
 ミサトの判断は正しい。初めての負け戦だ。指揮官の不在は発令所全体に影響しかねない。それにこれくらいで度を失うようでは、最初からここに立っている資格はないのだ。おそらくスクリーンに背を向けた瞬間に背後の司令席からクビのお達しがあった筈だ。
 でも、よくこの堪え性のない女がガマンしたものね、と思った途端、
「それに、マリエがついているから」
 呟くように漏れたその言葉に、ああ、そういうことか、とリツコは納得した。おそらくマリエがあの場に居なかったら、例え制止を振り切ってでもケイジへ向かっていただろう。もう十年も顔を突き合わせている赤木リツコが知っている葛城ミサトとは、そういう人間だった。
「目標は直上にて停止しました」オペレータの声が、二人をスクリーンへと引き戻す。
 下側の四角錐、その先端からするすると細いものが伸びる。細いといっても、本体のサイズに比してのことだ。実際には直径二十メートル近いそれは、接触した地面をいとも簡単に抉り始める。
「何を始めたの?!」
 だが、そのミサトの問いは言わずもがなのものだった。ボーリングマシンそのものの形状を持つそれの目的は一つしかない。
「アレで、直接ここに攻撃を仕掛けるつもりね」
「しゃらくさい」リツコの冷静な言葉に、旧い云い回しでミサトが悪態をつく。ジオフロントの天井を構成する二十二層に及ぶ特殊装甲、それがすべて貫通されるのに、どれほどの時間が掛かるだろうか。
「それまでになんとかしてみせろ、ってことね」
 さすがに笑みを押し上げる余裕はない。だが、かわりに揺るぎ無い不屈を込めて、ミサトはそう言った。
 

 看護婦に押されていくストレッチャー。その上にはぐったりとしたままの少年。意識はまだ戻らない。ひょっとしたら、ずっと戻らないかもしれない、と思ったものの、マリエは唇を噛み締めて不吉な予感を追い出す。
 プラグ内の液体が沸騰を始めてから、何分間くらい閉じ込められていただろうか。LCLが肺に酸素を送りこんでくれるのは、常温からせいぜい十度以内の範囲だと聞いている。それを越えると変質してしまって、普通の液体の中にいるのと変わらない状態になる。そうなれば溺れているのと大差ない。
 それに、沸点はそれほど高くないとはいえ、加熱した液体が気管に詰まっていたのだ。呼吸器系がそうとう痛めつけられていることは、容易に想像がついた。
 ストレッチャーが緊急処置室に入っていく。部外者のマリエが行けるのはそこまでだった。閉じられた扉の前で、点灯した「処置中」の表示を不安な気持ちで見上げる。
 あとは祈ることしか、マリエには出来ることはなかった。
 
 
 

 のそり。と、初号機の凶悪な顔が中空に浮かぶ。だが、それはもちろんホンモノではない。本当の初号機はまだケイジ内で損害状況の確認作業中だった。
 だれが思い付いたか、1/1スケールバルーンダミー。「何か標的になるものはない?」という葛城ミサト一尉の一言で、倉庫の隅っこから探し出されてきたものだ。その場しのぎのやっつけ仕事ではない。この高さ百メートルを軽く超える風船を、あらかじめ作っておいた奴がいるというのだから、Nervという組織もなかなか侮れない。このテのおバカさんはどこにもいるものだ。
 だがそのおバカさんも、さすがにこういう使われ方をするとは想像も出来なかっただろう。今ボートに引かれながら、それはしずしずと使徒に向かって進んでいた。ご丁寧に右手に持たされたエヴァサイズの拳銃を使徒に向けた瞬間。
 張り合わされた三角錐の底辺がギラリと光ると同時に、等身大風船人形は一瞬で蒸発した。
”敵加粒子砲命中。ダミー、消滅”
 哀れ、引っ張り出されて僅か一時間足らずでその生涯を終える。
 だがそれに構うことなく、

「次っ!」

 葛城ミサトの凛とした声が飛ぶ。
 牽引車に引かれ、トンネルに隠されていた巨大な列車砲が姿を現す。短く切りつめられた砲身が湖越しに使徒に向けられ、そして火を噴いた。おそらく戦艦の装甲ですら打ち抜くであろうその火線は、しかし多角形の姿を現した光の壁にあっさりと弾かれる。
 反撃は一瞬。射線が目に映る前に派手な火柱が上がり、鉄の塊が跡形もなく吹き飛んだ。
”十弐式自走臼砲、消滅”
 まさに電光石火。その凄まじさに、ミサトは呆れたように表情を崩した。

「なるほどね」
 

「これまで採取したデータから判断して、目標は一定距離内の外敵を迎撃、排除するものと推測されます」
 分析班からの報告と共に、指にはさんだペンがひらひらと踊る。耳の無いような顔はしているものの、そのすべてを聞き漏らさんとして、葛城ミサトの意識の半分は聴覚に集中していた。残り半分は、状況判断と作戦立案にめまぐるしく動いている。
「迎撃エリア内に侵入した目標物を、敵と判断すると同時に加粒子砲で百パーセント狙い撃ち。エヴァによる近接戦闘は、危険過ぎますね」しかも連続的に射線を変えられる、という芸の細かさ。優に十秒を越える照射時間とを合せて考えれば、まず逃れるすべはないと云っていいだろう。
 綺麗な目元に鋭い光を閃かせ、報告者を見据える。
「ATフィールドはどう?」
「健在です。相転移空間を肉眼で確認できるほど強力なものが展開されています」エヴァだってそれほど強力なATフィールドは展開できない。半端な出力では中和すらままならないだろう。
「誘導兵器や砲爆撃等の生半可な攻撃では、泣きを見るだけですね、これは」
「攻守とも、ほぼパーペキ。まさに空中要塞ね。で、問題のシールドは?」
「現在目標は我々の直上、第三新東京市ゼロエリアに侵攻。直径十七.五メートルの巨大シールドがジオフロント内、Nerv本部に向かい穿孔中です。到達予想時刻は、明朝午前零時零六分五十四秒。その時刻には、二十二層全ての装甲防御を貫通し、ネルフ本部へ到達するものと思われます」
 時計を確認し、ミサトは不満気に鼻を鳴らす。「あと十時間足らずか」
”敵シールド、第一装甲板に接触”アナウンスが発令所に響く。
 となると、ますますこちらの残存戦力が問題になるわけだが、さてさて、どんなものかしら。マイクをつかみ、ケイジへ呼びかける。
「赤木博士、初号機の状況はどう?」

「胸部第三装甲板まで見事に融解。機能中枢をやられなかったのは不幸中の幸いだったわね」カップを片手にリツコはマイクに応える。淡々とした口調に、ほんの少しだけ抑え損ねた苛立ちと自嘲が混じる。氷の女、赤木リツコ女史にしては珍しいことだ。場所が場所ならチェーンスモークであたりを煙に巻いているところだが、あいにくケイジ内は禁煙。コーヒーでガマンするしかない。
「あと三秒照射されていたらアウトでしたけど」と傍らに立つ女性オペレータ。
「三時間後には、換装作業終了予定です」
”零号機は?”
「再起動自体に問題はありませんが、フィードバックにまだ誤差が残っています」
「とりあえずは動く、というレベルよ。本格的な戦闘は無理ね」

 ミサトはその形のよい眉をひそめた。やはり零号機の実戦投入は無理のようだ。しかし初号機の方も大きな問題を抱えている。その一番の心配事を、ミサトは口にする。
「初号機専属パイロットの容体は?」
「加熱したLCLを吸い込んでいて、呼吸器系に問題が出ています。容体は落ち着いてきていますが依然、酸素マスクが必要な状態です」
 ミサトは難しい顔になる。とてもではないが、「出撃」などといえる状況ではなさそうだ。
 試作品のエヴァ二機。一機はパイロットが負傷、もう一機は調整が万全ではない。パイロットは二人残っているが、一人は初号機とのシンクロに成功しておらず起動には至っていない。
 ただでさえ零号機はプロトタイプ、制式タイプの原形となった初号機ですら荷が重いと云うのに、とてもではないが実戦運用に耐えられるようには造られていない。まともに戦闘をさせる訳にはいかなかった。
”敵シールド到達まで、あと九時間五十五分”
「状況は芳しくないわね」
「白旗でも上げますか?」
「そうね、それもなかなか悪くないアイディアね」
 だがその言葉と裏腹に、ミサトはあの不敵な笑みを浮かべていた。周囲に安堵ともつかない空気が広がる。指揮官はまだ諦めていないのだ。ならばまだいけるかもしれない。その期待を裏切らず、ミサトは云った。
「その前に、ちょっちやってみたいことがあるの」
 
 
 

「目標レンジ外、長々距離からの直接射撃かね」
「はい。目標のATフィールドを中和せず、高エネルギー集束体による一点突破を行います」
 だだっ広い空間のど真ん中に、ぽつりと置かれた執務机。机自体も相当な大きさな筈なのだが、この部屋の中にあっては大海の中に取り残された孤島のように小さく見える。それに座る男と傍らに立つ長身も、ここからではまるで河の向こう岸にいるようだった。
 だが、その存在感は小さくはない。ずっしりと伝わってくるそれは、使徒にもビビらない葛城ミサトでさえ息苦しくなるほどのもの。ミサトですらそうなのだから、他の職員たちの反応は推して知るべし、だ。気の弱い人間なら、この場からとっとと逃げ出しているところだ。いや、その前にその空気の重さに圧死しているかもしれない。
 Nerv本部司令、碇ゲンドウ。
 ミサトとて、本来ここに立っていられるような立場ではない。出撃からものの数秒でなす術もなく撃退されたのだから、その場でクビを言い渡されても不思議ではなかった。それとも、これまで二度の使徒殲滅の功績を買ってもう一度だけチャンスをやろう、ということなのか。いずれにせよ、その本心は色眼鏡の奥に隠されて窺いようもなかった。
 よくもまぁ、こんなのを四六時中相手にしていられるものだわ、とミサトは視界の片隅で銀髪の紳士を覗き見る。
 不釣り合いと云えばこれほど不釣り合いな取り合わせも無い。髭面で不遜な表情を崩さないゲンドウと比して、冬月副司令はまったくの常識人に見える。理知的な顔立ちに厳しい表情を浮かべ、一部の隙もなく着込んだ制服の背をしゃんと伸ばしている様子は、厳格な老教師を思わせた。実際大学で教鞭をとっていた過去からくるものなのか、碇司令が不在の間を取り仕切る冬月は、出来の悪い生徒を叱り付ける教師のように口うるさい。もっともそれは、碇ゲンドウのように威圧と権力ではなく、蘊蓄と年輪とがそうさせているのであって、だから得体の知れない親玉よりもよほど人望が厚かった。
「MAGIはなんといっている?」その冬月の声。
「賛成が二、条件付き賛成が一でした」
「勝算は八.七パーセントか」
「最も高い数値です」自信たっぷりに応える。
「反対する理由はない。やりたまえ、葛城一尉」ゲンドウの低い声が耳朶を打つ。その言葉に込められた重圧に耐え、
「はい」ぴしっ。と音がしそうな敬礼を返す葛城ミサト。
「だが、パイロットはどうする。3rd Childrenは負傷しているのだろう? 零号機を使うのか」
「その件については、アテがあります。問題ありません」
 
 
 

 Nerv本部、ブリーフィングルーム。
「わたしが? ぜろごうきに?」ぽかん、とした表情の帆足マリエに、
「ええ、そうよ」それがどうかしたの? という顔で、ミサト。
「じゃあ、あやなみさんは?」
「レイは初号機に。以前にもシンクロテストをしたことがあったわね?」
 こくん、と頷くレイ。
「そのときのシンクロ率は二十パーセントを越えているわ。シンジ君ほどではないにせよ、十分運用が可能よ」
「で、でも、わたし、ぜろごうきなんてのったことが………」
「誰にだって最初はあるものだし、大丈夫、きっとうまくいくわよ」
 ミ、ミサトさん、ぜんぜんりくつになってないんだけど。
 あまりの意外さに呆然とつつミサトの眸を見れば、そこには紛れも無く本気の色。こういうミサトには絶対逆らえないことを、マリエは身に染みて知っている。
 とはいうものの、第一次直上会戦のときの無力感を、マリエは忘れたわけではない。また起動に失敗してあんな思いをするハメにでもなれば、今度こそ本当に自信を無くしてしまいかねなかった。何でもいいから役に立ちたい、という気持ちに嘘はないが、これはあまりにも無茶すぎるというものだ。
 そもそも、専属パイロット以外でのエヴァの起動の確率は、極めて低い。各機のパーソナルデータは、専属パイロットに合せて最適化されているのが常だからだ。汎用的なデータチューニングを行えば、より多くの適格者とシンクロできるが、その分高いシンクロ率は望めない。逆に専用チューニングを施せばより高いレベルでのシンクロが可能になるが、そのままの状態で他のパイロットとのシンクロが成功することは、極めて希だ。だからこそ、何も調整されていない状態であれほどのシンクロ率を記録した碇シンジは、特異な才能と云われているのだった。
 今の零号機は1st Children綾波レイに合せて最適化されている筈で、そのままでマリエがシンクロできるとはとても思えない。助けを求めて、本来のパイロットである傍らの少女を見たものの、いつもと変わらず無表情な視線で見返されて言葉を失う。味方を頼むにはちょっち相手が悪すぎる。
「今リツコが零号機のパーソナルデータの書き換えをしているわ。二時間後に起動試験をするから」ウィンクしてみせる葛城ミサト。「吉報を期待してるわよ」
 そんなぁ。
 あんまりと云えばあんまりの状況に、マリエは思わず泣きそうになった。颯爽と去っていく保護者の背中を呆然と見送ると、がっくりと肩を落とす。
 そんなマリエの様子を冷ややかに見ていた少女は、
「先、行くから」
 まるで無関心に背を向ける。
 ぐしっ、と涙ぐむマリエ。
 ひどいよ、綾波さん。もうゴハン作ってあげないから。
 声に出せば一瞬でレイが振り向くであろう台詞を心の中だけで呟くと、マリエはとレイの後についてとぼとぼと歩き出した。
 
 
 

「てな具合に、マリエにプレッシャーまでかけてきたんですからね。やっぱり動きませんでした、では済まないわよ」
「ええ。分かっているわ」ミサトの言葉にリツコは堅い声で応える。
 管制室への扉が開くと、その向こうの実験場に括り付けられたままの零号機。
「あ、先輩」ショートカットの女性オペレータが振り向く。「零号機のパーソナルデータの書き換え、終わりました」
「データは最新のものに?」
「はい、今朝帆足一佐から送られてきたもので行っています」
 そもそもの発端は、朝イチで米第一支部から送られてきた、零号機の新しいパーソナルデータだった。もちろんそれは今日の再起動実験のためのものだったのだが、それには綾波レイ用以外に、ナゼか帆足マリエのものまで含まれていたのだ。
 こういう事態を予測していたのかいなかったのか、”参号機用のついでに組んでみたから、試しに使ってみてくれや”というお気楽な送信者のコメント。だが、そのデータを見て「これはいけるかもしれないわ」と呟いたのが赤木リツコ博士の運の尽き、それを小耳に挟んだ葛城ミサト作戦部長に、無理ではないが無茶な要求を突き付けられるハメになったワケだった。
「で、本当に大丈夫なんでしょうね?」背後に立つ作戦部長の思い切りのプレッシャーに、
「分からないわ。今はとにかく、帆足一佐を信じてやってみるしかないわね」
「赤木リツコ博士にしては、ずいぶん弱気な発言ね」
「仕方ないわよ。マリエと零号機のシンクロなんて、今まで一度も考えたことが無かったんだから」さしもの赤木博士にも、どのような結果になるのかまるで見当が付かない。初号機の時のようにぴくりとも動かないのか、あるいは制御しきれなくてまたしても暴走してしまうのか。
 だがそうはいっても、葛城ミサトにはそれ以外に上司に大見得を切った作戦部長としての責務がある。「やっぱアカンかったわ」と云おうと思えば云えてしまう立場のリツコとは、その細い両肩にかかる重圧の度合いがまるで違う。だから不満をぶつけるより同情を感じてしまって、仏頂面の親友にリツコは珍しく苦笑を押し上げて見せた。
「でもおそらく大丈夫でしょう。ああ見えても帆足一佐は人格移植OSの第一人者ですもの。母さんを除けば、パーソナルデータのチューナーとしては一佐以上の人は望めないわ」
「ああ見えても、は余計よ」憮然とした表情で、ミサト。そりゃあ、ちょっち見てくれはよくないけどさ。
「あとのことは私がやっておくわ。結果が出たら報告を入れるから。それより、陽電子砲の方がまだなんでしょう。こんなところで油売ってていいの?」とリツコ。
「万事おっけーよ。といいたいとこだけど、これから手配するわ」
「手配するって、どうするつもり?」
「ああ見えても、頼りになるオジサンがいるでしょ? 第一支部に」
 
 
 

”なんだってぇ?”電話の向こうの相手は、素っ頓狂な声を上げた。”ATフィールドを、ぶち抜く?”
「そうよ」ミサトの返事はニベもない。
”そうよ、って、お前……”絶句する相手を尻目に、ミサトは言葉を継いだ。
「だから、大出力のポジトロンライフルが必要なの。戦自研のプロトタイプ」
”あのなぁ、簡単に云ってくれるが、どのくらいの出力が必要なのか、分かって云ってるんだろうな?”
「ええ、もちろん。最低一億八千万キロワットね」
”そんなべらぼうなエネルギー、どこから持ってくるつもりだ?”
「必要とあらば、日本中からかき集めてでも」
”おい、ちったぁ頭を冷やせや。そんなのお役人共が首を縦に振る訳ないだろう?”
「わかってるわ。だからこうしてお願いしてるんじゃない」
”お前な、それがお願いするっていう態度か?”
「早急に手配しないと時間がないの。なりふりかまってらんないのよ。借りられるの? 借りられないの?」
 真剣そのもののミサトの声に、電話の相手はむぅっと唸った。まったくしょうがねぇなぁ、とぶつぶつ云いながら、
”わかったよ。ポジトロンライフルと電力の徴発、なんとかアメリカ政府を通してナシ付けてやる。そっちのお役人連中は相も変わらず外圧ってのにヨワイからな。非公式なルートを使えば、二時間もあればハナシが通るはずだ”
「ありがと。助かるわ」ほっ、と安堵の表情を浮かべるミサト。
 今回だけだぞ、と相手は念を押しつつ、いつもの調子でボヤキ始める。”ったく、碇司令といい、お前と云い、どうしてこうお役人やセンセイ方の機嫌を損ねるのが好きなんだ? ゴリ押しの後始末に駆けずり回るのは、俺と冬月先生なんだぞ”
「分かってるわ。ホント、いつも悪いわね」
”本当に悪いと思ってるんだったら、一つだけ約束しろ”
「なに?」
”必ず、勝てよ”
 その言葉に、ミサトの笑みが優しいものになる。
「…………わかってるわ」
 ホント、「大丈夫か」とか「頑張れ」とか、絶対云わないんだから。
「では、ご協力感謝します、帆足一佐」
”吉報を期待してるよ、葛城一尉”
 
 
 

”番組の中ですが、ここで臨時ニュースをお伝えいたします”
 いきなり切り替わったテレビ画面に、洞木ヒカリはキーボードを打つ手を止めて、きょとんとした表情を浮かべた。だが、その意味を理解すると、不安げな表情になる。
「大丈夫なんでしょうか、マリエさんたち」向かいに座る山岸マユミがぽつりと呟いた。
 洞木家は、第三新東京市から少し外れた山の中腹の、新興住宅地の一角にある。市内全域に避難命令が出たときも位置的に除外されることが多く、だからこうして家で友人と顔を突き合わせて宿題などしていられる。
 一方山岸マユミは、第三新東京市に派遣されているさる国連機関職員の娘である。本来ならば公舎となっているマンションにいなければならないのだが、洞木家で勉強中に外出禁止令が発令されてしまったため、家に帰るに帰れなくなってしまっていた。
 その洞木家から見下ろす第三新東京市。いつもと変わらぬように見えて、しかしそのほぼ中心に白銀の巨体が浮かぶ。それが、今そこで何が起きているのかを如実に物語っていた。
 これでもう三度、この街に現れた正体不明の敵性体。それがNerv内では「使徒」と呼ばれているのだと、どこからか流れてきたまことしやかな噂で聞いている。それとなく帆足マリエに聞いてみたこともあったが、困ったような苦笑が返ってきて、そのまま真偽を確かめ損ねていた。
 その「使徒」を迎え撃つための組織、特務機関Nerv。彼女たちのクラスメート、そして特に親しい友人のひとりが、その組織に属するパイロットとしてあの得体の知れないものと戦わなくてはならない。いつもにこにこしているその優しい友人の顔を思い浮かべ、洞木ヒカリは漠然とした不安に襲われる。
 大丈夫なんだろうか、あんなのがパイロットで。
 確かに帆足マリエは運動神経だけは人並み以上だが、お世辞にもアタマがよいとは云いかねるし、それ以前にお人好しで気が弱くて泣き虫なのを、洞木ヒカリはよく知っている。世界を救うロボットのパイロット、などという大役がつとまるようには、およそ見えない。
 まぁそれを云えば、同じくクラスメートである碇シンジだって負けないくらい気が小さくて優柔不断だし、綾波レイに至っては見るからに体が弱そうで出撃する前に倒れてしまいそうだった。
 そう考えてみれば、マリエが一番まともなのかもしれないわね。ホント、エヴァのパイロットって、変わり者が選ばれるのかしら。
 などと失礼なことを考える洞木ヒカリ。それが知らぬ間に顔に出ていたようで、気付くと山岸マユミのメガネがぴきーんと冷たい光を放っていた。
「なにか余計なことを考えていませんか、ヒカリさん?」
 どきっ。「え、ううん、別に」なんでこうカンが鋭いんだろう、この娘は。
「だめですよ。マリエさんたちが私たちを守ってくれているんですから」
「そ、そうよね。ちゃんと信じてあげなくちゃ」
「そうですよ」
 それきり言葉が途絶え、同じ台詞を繰り返すアナウンサーの単調な声だけが響く。ひとしきりの沈黙のうち、
「でも」またぽつりと山岸マユミが言葉を漏らす。
「大丈夫なんでしょうか、マリエさんたちで」
 やっぱりそう思う? 顔を見合わせると、期せずしてほとんど同時にため息をついた二人なのだった。
 
 
 

 第三新東京市、十八時00分。
 もうすぐ夜がやってくる。
 赤々と傾いた日差しに街並みが名残の紅に染まり、その中空に浮かぶ八つの鏡面も鮮烈なほどの茜色に彩られる。
 その正体を知らなければ、巨大なオブジェとして賛美のため息を漏らすことさえあるかもしれない。スクリーンを通してさえ、それはそれほど美しい光景だった。
 だが同時にそれは、ゆっくりと破滅に向かっての時を刻みつつある。休むことなく大地を穿ちつづける巨大なシールド。それを止めることが出来なければ、人類に明日の朝はこない。
 だから、騒然とした発令所に立ち、ミサトは思うのだ。
 長い夜になりそうだ、と。
”敵シールド、第七装甲板を突破”アナウンスが残り時間が少ないことを告げる。
「エネルギーシステムの見通しは?」
”現在予定より三.二パーセント遅れていますが、本日二十三時十分にはなんとかできます”
「ポジトロンライフルはどう?」
”技術開発部第三課の意地に掛けても、あと三時間でカタチにしてみせますよ”ケイジから威勢のいい返事が返ってくる。
「防御手段は?」
”SSTOの底部から流用したものが盾として使用可能です。急造ではありますが、裏側に冷却材を循環させるようにしておきましたから、あの加粒子砲の直撃にも最低十七秒は持ちます。二課の保証書付きですよ”
「結構。で、狙撃地点は?」 
「目標との距離、地形、手頃な変電設備を考えれば、やはりここです」 ウィンドウに浮かび上がらせた地図を指し示し、オペレータが云う。
「ふむ。確かにいけるわね」ミサトは満足げに頷く。
 発令所を見渡せば、張り詰めた緊張感と絶え間ない慌ただしさが入り交じった空気。それら全てが、ミサトの次の言葉を待っていた。我ながら不謹慎だとは思うが、僅かな昂揚を憶えるを禁じ得ない。
 ここに居合わせる者達は、誰一人として無能ではありない。その誰もが己の力の限りを尽くして、明日を切り開こうとしている。その事実が、ミサトには何よりも心地良かった。これぞ指揮官冥利に尽きるというものだ。
 だからそれに応えるべく、葛城ミサトは凛と通る声で宣言した。
「狙撃地点は二子山山頂。作戦開始時刻は、明朝零時。以後、本作戦をヤシマ作戦と呼称します」
 その言葉に、発令所全体が声もなくざわめいた。だが注意が逸れたのは刹那。次の瞬間には全てが端然と動き出していく。
 すべては作戦通りに進行している。あとは、パイロット次第だ。だが、実験場からはまだなんの沙汰もなかった。
 焦っても仕方がない。ミサトは自分にそう言い聞かせる。
 信じて待つしか、今の自分にはできることはないのだから。
 
 
 

 ぴちょん。

 なにか音がする。何の音だろう?

 ぴちょん。

 ああ、そうか。しずくが落ちる音だ。
 とても静かだ。しずくがこんなにも響くんだから。

 ぴちょん。

 そう音がするたびに、滑らかな水の表面に穏やかな波紋が広がっていくイメージが広がる。

 ぴちょん。

 なんだかとても落ち着く。静かな水面。透き通った水がとてもきれい。ずっと底の方まで見通せてしまえるくらい。

 ぴちょん。

 それは綾波レイのイメージ。彼女の中に映る心の色。

 でも、流れない水は、濁っていくだけなのよ

 えっ?
 
 

 帆足マリエは、夢から覚めたように眸を開いた。
 
 

 第二実験場に括り付けられたままのエヴァ零号機。そのエントリープラグの中に、黒のプラグスーツ。4th Children帆足マリエ。モニターに映るその表情は、緊張した落ち着かなげな面持ち。
「シンクロ率、十二.八パーセント」
「ひどいものね」リツコはこめかみを抑える。「参号機の時の半分以下じゃない」
「しかし、起動は可能です。初号機の時には二桁にすら達しませんでしたから」
「暴走しないだけ、よしとするべきかしら」
「そうですね。それに、初号機と零号機、パーソナルパターンが酷似しているのに、よくこれだけの数値が出ましたね」
「やはりデータチューニングが効を奏したのかしら。その点ではなかなか興味深いわ。でも、今は起動試験が先よ。シーケンス、続けて」
「はい。第二次接続、開始します」
 

「で、結果は?」発令所で報告を聞くミサト。
「レイと初号機、マリエと零号機、ともに起動自体には問題はなし。但し、零号機の方は起動指数ぎりぎりよ。付け焼き刃もいいところね」
「動けば何とかなるわ。ありがとう、ご苦労様でした」
「本気なの?」
「もちろんよ。シンジ君はとても乗れるような状態じゃないもの。二機とも動いてくれただけでも、ありがたいわ」
「しかし、このシンクロ値は低すぎます。例え出撃したとしても、戦闘にはとても耐えられません。危険過ぎます」と女性オペレータ。
「分かってるわ。もちろん損失ゼロで済むのが一番だけど、そうそう都合よくは行かないわよ。この際、エヴァ一機、あるいは両機失うことも、やむをえません」
「葛城一尉?!」オペレータの非難を含んだ声。
「大丈夫、弐号機が届くまでの間だけよ。アレが届けば、試作品二機合せたってお釣が来るわ」
「そんな………」
「それがどういう意味かわかっているわね?」とリツコ。
「ええ」頷くミサト。
「そうなれば、パイロットをロストする可能性の方が高いのよ」
「そうね」
 リツコはその言葉に眉を潜める。もちろん、それを知らない葛城ミサトではない。だからこそ、リツコはミサトの真意を汲み取りかねていた。真っ直ぐにミサトを見据えて、問う。
「そのパイロットが、例えマリエだったとしても?」
 ミサトは視線だけ動かし、リツコを見る。数瞬視線が絡み合い、そしてミサトは云った。

「ええ。そうよ」
 
 
 

 碇シンジは、ようやくのことで意識を取り戻した。
 はた、と白い天井を見上げている自分に気付く。だがあの時とは違う病室。日差しはもうすっかり落ちていて、夕闇が迫りつつある。それがぽっかりあいた記憶の空白の長さを思い起こさせた。
 だが大きく息をしようとして、喉に何かが詰まった感覚に息苦しさを憶える。思うように呼吸が出来ない。無理に吸い込もうとすると、焼け付くような痛みが胸一杯に広がった。思い切り噎せた。喉の奥がぜいぜいと情けない音を立てる。苦しい。しばらく苦労してなんとか楽に息をするコツを掴む。
 少し落ち着くと、少しずつ記憶が戻ってくきた。そうか、また使徒が来て、僕が初号機で出撃したんだっけ。それで、何か光ったと思ったら急に胸の辺りがものすごく熱くなって、それから……。
 背筋に寒気が走る。
 そうか。死にかけたんだ、僕は。
 急に怖さが蘇ってきて、シンジはシーツの中で身を竦ませた。そのときだった。
 不意にノックも無しにドアが開き、トレイが乗ったワゴンを押して華奢な少女が入って来た。
 綾波……、と云おうとしたが、喉の痛みにままならない。
 それを冷ややかな視線で見下ろす少女。
「今日は寝てていいわ。あとはあたしたちでやるから」
 寝てていい、って? 予想外の言葉に混乱するシンジ。それに「あたしたち」ってことは、帆足さんも出撃するんだろうか? でも、初号機は帆足さんじゃ起動しなかったって……。
 だが同時に安堵している自分にも気付く。今日はもうアレに乗って怖い思いをせずに済むのか……。いや、僕はなにを考えてるんだ。綾波や帆足さんに怖いこと押し付けて安心してるなんて。
 そんな密かな動揺にも気付くそぶりさえ見せず、綾波レイはワゴンに乗せられたトレイを眸で示し、
「食事」
 何種類かのペーストとスープ。それは痛む喉でもなんとか食べられそうではあったが、食欲の欠片も沸いてこない碇シンジは、力なく首を振った。
「そう」レイの形のよい眉がひそめられる。「じゃあ好きにしたら」
 いつも通りの淡々とした声。だがその中に含まれた苛立ちを感じ取って、シンジははっと息を呑んだ。見上げれば、緋色の眸がシンジを見据える。
「碇君。あたしたちパイロットは、エヴァに乗れるからここにいる。何があろうと、どんな理由だろうと、エヴァに乗れなければここにいる資格はない。それ、忘れないで」
 もう用は済んだ、とばかりにシンジに背を向ける。
「この次はないわ。よく憶えておくことね」
 吐き捨てるように云ったその口調ではなく、言葉にシンジは圧倒された。
 思わず呼び止めようとしたが、その言葉は喉の痛みと共に病室の空気に解け消えてしまう。
「じゃ、さよなら」
 その後ろ姿を、扉が隠した。
 
 

 あー、スッキリ。
 これでちっとは気が晴れたわ。綾波レイは思った。
 もう少し何か云ってやりたかったけど、ま、あんなとこでしょ。あんまりイジメると、また家出しかねないから。
 それにしても、あの小僧ときたら随分甘やかされてるわよね。こっちはこの間なんか今にも死にそうな状態なのに出撃しろって云われたのに。葛城一尉も甘いわね。あのボウヤがそんなに大事なのかしら。帆足さんもアイツには気を妙に遣ってるみたいだし。まったくシツレイしちゃうわ。あたしの方が何倍も頑張ってるっていうのにさ。
 そう思いつつ病室を出たレイは、すぐ脇のソファーに座っている少女に眸を止めた。
 帆足マリエ。つと顔を上げると、同じ色の眸が絡み合う。
「碇君は目を覚ました?」
 マリエの問いに、こくん、と頷くレイ。
「そう。じゃあ、行こうか」
 静かに立ちあがると、先に立って歩き出す。
 その背中に、レイは声を掛ける。
「いいの?」彼に会わなくて?
 その言葉にマリエは足を止めた。
「うん、いいんだ。今、碇君にあったら、へんなこといいそうだから」
「どうして」
 振り返ると、帆足マリエは微笑んだ。ずいぶんさみしそうな笑い方だな。綾波レイは思った。なんだか無理して笑ってるみたいだ。
「わたし、怖いんだ。碇君には甘えるななんて、偉そうなこと云ってたのに、自分が出撃するって分かったら、すごく怖いんだ。ほら」右手を差し出す。かすかに震える細い指先。
「おかしいでしょ。勝手だよね。やっぱり碇君はすごいよ。こんなことを、もう三回もしてるんだから」
 その手をきゅっ、と握り締め、胸元を抑える。その思いを胸の奥深くに沈めようとするかように。
「だめだね、わたしって。ちゃんとわかってるつもりでいても、本当は一番大切なこと、わかってないの」
 参号機の事故。零号機の暴走。そして第一次直上会戦で見せた初号機の狂態。唯一、それらすべてを目の当たりにしてきた少女。だが同時にそれは、常に傍観者でしかなかったということでもある。本当の恐ろしさを味わった訳ではないのだ。
 でも、それが何だというの? 綾波レイは思う。恐ろしさにすくみながらも、帆足マリエはなおエヴァに乗ろうとしている。自分自身の意志で。それで充分じゃないの。他に何が必要だというの?
「帆足さん」
 え? と顔を上げるマリエ。その戸惑った表情に、レイは云った。
「あたしたちは、エヴァに乗るしかない。それが、あたしたちがここに居ることができる理由だから。だからあなたは、エヴァに乗ることを恥じる必要はないわ」
「綾波さん………」
 帆足マリエはほけっとレイを見つめた。だが小さく微笑むと、こくんと頷く。
「そう、そうだったよね」ありがと、と小さくつぶやく。
 その表情に、レイはガラにもないことを云ってしまった自分に気付いた。なんだか気恥ずかしくなって、視線を外して腕時計に目をやり、そして云った。
「時間よ。行きましょう」
 
 
 

 鏡の向こうから、女が見ている。
 化粧室の大きな鏡。そこに映る女の顔。
 きれいな女だ。つややかな黒髪を背中まで伸ばし、染み一つない白い肌、形のよい鼻梁、引き締められた薄い唇。
 だが、その眸は冷徹な軍人の眸。それがこちらを見つめている。
 いやな眸だ、ミサトは思う。それはこれから少女達を死地へ送り出そうとしている女の眸だ。だが逸らすことが出来ない。それが今の自分の眸だからだ。
 所詮、こういう人間なのね、私は。
 自嘲気味に、心の内で呟く。
 気付くと、背後に赤木リツコが立っていた。鏡越しにぶつかり合う眸。だがふと目を逸らすと、何事もなかった様に隣で手を洗い始める。
「シンジ君の意識が戻ったそうよ」洗う手を休めず、赤木リツコは云った。まるで世間話でもするような、何気ない調子。
「そう」無関心を装い、ミサトは返事を返す。
「検査数値に問題はなし。まだ気管支に支障が残っているけど、無理をすれば乗れないほどではないわ」
「作戦は予定通りに行います。変更はないわ」
「いいのかしら、それで?」
「指揮官は私です。不服があるならいってちょうだい」
「いいえ、特にないわ」リツコはタオルで手をぬぐいながら云う。
「その割にはさっきから随分こだわってるわね。マリエが出撃することに」
 リツコの切れ長の目元がひらめき、鏡の中のミサトを見る。
「こだわっているのは、あなたじゃなくて?」
 一瞬、ミサトは言葉に詰まった。
「そうかしら」
「あなたが決めたことですもの、私は何も云うつもりはないわ。ただ、後悔しないといいけど」
「まだ死ぬと決まった訳じゃないわ」
「そうなってからでは遅いのよ」
「今は信じるしかないわ。あの子達を」
 その言葉に、リツコは手を止めてミサトを見る。その視線から逃れるように、ミサトは顔を背けた。
 ずいぶん弱気ね、ミサト。らしくないわ。
 この十年間、いつも躊躇などカケラも見せたことがなかったその背中が、今はほんの少し小さく感じられた。
 それとも、もう年なのかしら、お互いに。ふとそんな思いが浮かぶ。
 三十歳。その人生の大きな分岐点に、ミサトとリツコはいる。思いだけで闇雲に突き進めるくらいに若いとは云えず、だからといって諦観できるほど十分に歳を重ねたわけでもない。人が本当に大人への入り口に立てるのは、三十に手が届いてからだ、という言葉を聞いたことがある。幾つかの成功と幾つかの挫折を経て、ようやく若さという呪縛から解き放たれたばかりの、そんな中途半端な存在。それが今のリツコ達だった。
 その曖昧な自分達が、「人類の存亡」という旗印の下、今こうして己の半分しか人生を過ごしていない少女達を絶望的な戦いに送り出そうとしている。その一方で、同じ大義名分が世界中に何百万人もの餓死者を出している。私たちに正義を語る資格などない、とリツコは時々思う。それほどご立派な人間ではないのだ、自分も、そしておそらくミサトも。
 だからこうして迷う。今、目の前のミサトのように、自分自身のこだわりと、その肩に課せられた責務の重さとの間で。だがそれを共有できると信じるほど、リツコは若くはない。
 だからリツコはミサトが口を開くのを待った。
 しばしの後、「わかってるわ」とミサト。呟くような弱い声。いつもとはまるで別人のよう。
「こんなの、ただの感傷だものね。私だって、マリエをエヴァに乗せたいわけじゃないわ。あの娘には、パイロットなんて向いてないのもわかってる。でも……」
「でも?」
 ミサトは唇を噛み締めた。
「いいえ、止めましょ。今は作戦前だから」一転して厳しい声。リツコを振り返ると、そこにあるのは発令所でのいつもの表情。指揮官の顔をした葛城ミサトだった。その唇が、云った。
「あの娘達が待ってるわ。行きましょう」
 
 
 

”敵シールド、第十七装甲板を突破。本部到達まで、あと三時間五十五分”
”四国、及び九州エリアの通電完了”
”各冷却システムは、試運転に入ってください”
 

 エヴァの全長ほどもある長大なライフルが、強烈な光芒の中に浮かび上がっている。
 エヴァ専用改造陽電子砲Nerv仕様。元、戦自研試作自走陽電子砲。すでに移送は完了し、双子山山頂の狙撃地点に設置されている。
 だが、約束の時間を少しだけ超過して組み上げられたそれは、兵器としての重厚感よりも実験機としての華奢さの方が勝っていて、なんだか頼りない印象を与えていた。
「こんな試作機で、本当に役に立つんですか?」落ちつかなげなマリエの声に、リツコは冷たく応える。
「仕方ないわよ、間に合わせなんだから」
 その応えにますます不安が募る帆足マリエ。そんな急ごしらえのものが、本当にあの超強力な使徒に通用するんだろうか。いや、その前に暴発とかしちゃったりするかも。撃つ前にこっちが自爆するなんて笑い話にもならない。
「だいじょぶですよね?」
「設計上はね。けど、銃身や加速器が持つかどうかは、撃ってみないと分からないわ。こんな大出力で試射したこと、一度もないもの」
 ぜんぜん慰めになっていない。リツコはリツコで、出来る限り正確な情報を伝えようとしているのだろうが、マリエには逆効果だった。脅えた目でライフルを見上げる。
「本作戦における、各担当を伝達します」とミサト。普段とは違う軍人の声。
「レイ、初号機で砲手を担当」
「はい」とレイ。いつも通りの無表情な声。
「マリエは零号機で防御を担当して」
「はい」とマリエ。珍しく歯切れの悪い声。
「これは、シンクロ率、機体の安定度、二人の射撃の成績を元に決めたものよ。最大限MAGIがサポートするし、こちらから指示も出すけれど、最終的に発射はパイロットの判断で行われます。いいわね、レイ」
「はい」
「陽電子は、地球の自転、磁場、重力の影響を受け、直進しません。その誤差を修正するのを、忘れないでね。正確に、コア一点のみを貫くのよ」
 そのリツコの言葉だけで、マリエは目眩がしそうになった。云っていることの半分も理解できない。とにかくものすごく難しそうだ。砲手が自分でなくてホントによかった、と真剣にそう思った。だがこともなげに頷くレイをみて、やっぱり綾波さんはスゴイなぁ、と素直に感心する。
 だが、当のレイとて分かっているわけではないし、できるとも思っていなかった。ただ、この期に及んで「そんなのできませェん」とか「練習してないですぅ」などと云えるわけもないし、云ったところで「いいからやれ」と返事が返ってくることには変わりがなくて、頷くしかないから頷いたまでだった。出来なければ自分たちが死ぬだけだ。他に選択肢など無い。
「それから、一度発射すると、冷却や再充填、ヒューズの交換等で次に撃てるまで時間が掛かるから」
 じゃあ、もし初撃が外れたら? その時には自分が盾になるしかない。マリエは、きゅっ、と胸の前で掌を握り締める。その拳が小さければ健気な勇気にも見えるのだが、あいにく図体相応に大きな掌はそんなものからは縁遠かった。だが、胸のうちに押し込めた不安の大きさは、少しも変わるところはない。
「時間よ。二人とも準備して」ミサトの凛とした声に、二人の少女は大きく頷いた。
 
 
 

 二三時三○分。日本上空。
 そのときちょうどそこを通過していた人工衛星の光学センサは、不思議な光景を捉えた。
 日本列島、その本州と呼ばれている弓形の島。不夜城とも思えるほどの光の海が、その海岸線を取り巻いて広がる。
 不意にその中央から、すっ、と闇が生じた。闇は見る見る島を覆い、やがて周辺の島の明かりもその闇に呑み込まれていく。
 そして、ものの十秒と立たぬうちに、島々は暗黒に抱かれる。ただ一点、闇の生じた場所を除いて。
 

 その闇の生じた場所、第三新東京市。二子山山頂。
 煌煌と照らされた仮説ケイジに、二機の巨人の姿があった。
 プラグ搭乗のために設置されたブリッジの上に、黒白のプラグスーツを纏った二人の少女。一人は華奢で儚げ、もう一人は伸びやかな肢体。ブリッジをなぶる山頂の夜風が、不吉な音を孕んで帆足マリエの長い髪をなびかせる。
「あかりが、きえた………」マリエがぽつりと呟く。つい先刻まで眼下の街並みにあかあかと灯されていたひとのあかりは、ほんの数瞬の間に闇へと変わった。残るのは白銀の巨体を照らし出すサーチライトのみ。それは周囲の異変にも動じた様子も無く、今だ悠然と中空に浮かんでいる。
 それを見つめて、二人の少女はただ膝を抱えたまま口を閉ざしていた。
 見上げれば満ちかけた月の豊満な裸身、その明りが二人を白々と照らしだす。太古から変わらぬその冴えた光は、人々を見守るのか、それとも冷ややかに見つめるだけなのか。
 その答えはだれも知らない。

「さっきは、ごめんなさい」
 不意に帆足マリエが口を開いた。あなたもあのボウヤと同じ事を言うのね。綾波レイは思った。
「なにが」
「弱気なこと、云っちゃったから。怖いのは、わたしだけじゃないんだものね」
 ふと、マリエは思い出したようにくすっと笑った。不思議に思って、レイは視線をその少女に向ける。
 先刻まであった気弱さは影を潜め、口元には人を安心させるような笑み。そこにいるのは、まるでいつも通りの帆足マリエだった。
「でも、だいじょぶ。綾波さんはだいじょぶだよ」
 その微笑みが眩しくて、レイは眸を細める。あれほどの不安を抱きながら、何故こんなに優しく笑えるんだろう? だから思わず問うていた。
「どうして」
「綾波さんは、わたしが守ってあげる。だから、絶対に、だいじょぶ」
 
 
 

”ただいまより、午前、0時、0秒を、お知らせします”

 響き渡る時報の電子音。ミサトはそれを移動指揮車の中で聞く。
「作戦、スタートです」
「レイ、日本中のエネルギー、あなたに預けるわ」ミサトの厳しい声に、
”はい”いつもと変わらぬ淡々とした返事が返る。分かっているのかいないのか。
 ホントにだいじょぶかしら、との思いがよぎったものの、一瞬で意識の外へ押し出されていく。他に考えるべきこと、やるべきことが山のようにある。今は残り数分の時間が何よりも貴重だ。レイを、そしてマリエを信用して、最大限彼女たちのバックアップをするしかない。
「第一次接続開始」とミサト。
「第一から第八○三管区まで、送電開始」
 回路が切り替わる。だがミサトに伝わるのは、いつもの発令所のスクリーンと違う、狭苦しい司令車の十数のディスプレイからだけだ。現地との連絡が途絶えるのを考慮して、わざわざ二子山山頂まで出張ってきたのだから、贅沢は言えない。
”電圧上昇中、加圧域へ”
「陽電子流入、順調なり」
「第二次、接続」
 再度ディスプレイの中で回路が切り替わる。
「全加速器、運転開始」
「強制収束器、作動」
”全電力、双子山変電所へ”
 どこからともなく焦げ臭い匂いが鼻をつく。ディスプレイの一つを見れば、外でとぐろを巻く様に敷設された高圧コードがもうもうと煙を上げている。恐ろしい数字の電力が、その太い線に掛かっている筈だった。全て終わった時には、もう二度と使い物にならないだろう。もっとも、それを回収する人間が生き残っていれば、の話だが。
”第三次接続、問題なし”
「最終安全装置、解除」とミサト。
「撃鉄起こせ」
 その声に初号機は、ボルトアクションに模した装填動作でヒューズを薬室内に送り込む。
”地球自転、及び重力誤差修正、プラス0.000九”
”電圧、発射点まであと0.0二”
「第七次最終接続」
「全エネルギー、ポジトロンライフルへ」
 機関部に設置された加速器が唸りを上げる。
「八、七、六、五」
 だが、不意に使徒の錐の底辺が明滅を始める。
「目標内部に高エネルギー反応!」
「なんですって?!」オペレータの悲鳴に近い声に、傍らに立つ赤木リツコが動揺をあらわにする。
 だがレイは動じない。ゆっくりと中心に集まっていく照準に、全神経を集中させている。
「二、一」
「発射」
 ミサトの声と共に、レイは引き金を引いた。
 封じ込めていた磁場の向きが変わり、陽電子が加速器から飛び出す。銃身を加熱させながら、プラズマ化したそれは、強烈な光と共に中空の一点に向かって一直線に射出された。
 その瞬間、使徒の一点がギラリと光った。昼間とは比べ物にならないくらい鮮やかな火線が延びる。
 だが、伸びる光束同士がすれ違った瞬間、両者の軌道が大きく歪められた。
 大きくずれる着弾。片方は郊外へ、もう一方は二子山の麓へ。二つの巨大な火柱が上がる。
 山肌をなめて這い上がってきた爆風が司令車を激しく揺さぶった。一瞬室内灯が消え、二三度瞬くと再び点灯する。

 ミスった?!

 そう思うと同時に、本部に残ったオペレータからの通信。
”敵シールド、ジオフロント内に侵入”
 まずい! 
「第二射、急いで」すかさずミサトの声が飛ぶ。
「銃身、冷却開始」
「ヒューズ交換、再充填開始」
「誤差修正、再計算開始」
 ボルトアクションとともに、次のヒューズが送り込まれる。
「目標内部に、再び高エネルギー反応」
 やばい、早すぎる!
 ミサトが声にならない叫びを上げると同時に、錐の底辺が再び閃光を放った。一直線に走る光条、それを見たとき、誰もが死を意識した。
 だが次の瞬間、それを阻む巨大な影。エヴァ零号機が構えた盾で光条を圧し戻す。それは見る見る融け歪んでいく。
「盾が、もたない!」リツコの悲鳴に近い声。
 何が二課の保証書付きよ。マリエに何かあったら、云った奴、コロス。
 ディスプレイを睨み付けながら、葛城ミサトは怒鳴る。
「第二射、まだなのっ?!」
「あと十秒!」
 その応えは、ミサトには永劫とも思えるほど長い時間に思えた。
 

 マリエは歯を食いしばって耐える。
 盾を構えた腕が焼け爛れていく感覚。シンクロ率が低いために明確には伝わってはこないが、それでもそのおぞましい感覚に体中が悲鳴を上げる。
 電化したLCLですら今にも沸騰してしまいそうな、恐ろしいほどの熱。
 まだLCLは気体の性質を保っていて、そのせいで吹き出す汗が容赦無く目に流れ込む。だが瞬きをする余裕も無い。熱と塩分でひりつく瞼をむりやり見開く。
 ATフィールドは張れない。初号機の構えたポジトロンライフルの威力を減じてしまう可能性があるからだ。だが、もし張れたとしてもこの加粒子砲の威力を防げるかは疑問だ。今のマリエのシンクロ率では、大した出力は期待できないだろう
「つっ」
 急に腕に差し込むような痛みが走る。融解した盾の一部が滴り、零号機の装甲を灼いている。その装甲ももはや表面は融けかけ、その下の本体を蒸し焼きにするばかりだ。盾の残った部分も見る見る融け落ちていく。
 だめ、早すぎる! マリエは絶望的な思いに囚われる。これでは第二射までとても持ちそうにない。
 おねがい、もうすこしだけ!
 だがそう思った瞬間、その盾を貫いて光条が零号機に突き刺さった。
 鳩尾にひやりとした感覚、それが一瞬ののち灼けつくような激痛に変わった。
 同時にかろうじて生き残っていたLCLの循環システムがついに息絶える。視界が液体の淡い橙色に染まり、次の瞬間沸騰した。熱い液体が喉の奥にどっと流れ込む。
 マリエは声にならない悲鳴を上げた。
 

 ミサトは思わず叫びそうになるのを抑える。
 既に切れた零号機との回線。マリエがどうなっているのか、知る術もない。
 零号機はまだ倒れない。それはパイロットの意識が今だ保たれているということ。マリエがまだ生きている印。だが、無事だという保証にはならない。
「銃身冷却終了」
「陽電子再充填完了」
”電圧、発射点まであと0.0一”
 手を掛けたオペレータ席の背に、今にも握り潰さんばかりの力が加えられる。
 焦り。恐慌。後悔。今にも吹き出しそうなそれらを、ミサトは必死で喉の奥に呑み込む。

 早く、早く、早く、早く!

「いけますっ」
 待ちに待ったオペレータの声に、ミサトは叫んだ。
「レイっ!」
 数瞬違わぬタイミングで、ポジトロンライフルが光束を撃ち出した。
 相手加粒子流の干渉までも計算に入れた光条が一直線に使徒へ伸びる。
 が、直前で光の壁がそれを阻んだ。ATフィールド。
「!」打ち抜けない?! 絶望的な思いが脳裏を過ぎる。
 だが次の瞬間、光条はその壁を貫いていた。狙い違わず、そのまま使徒のど真ん中を射抜く。吹き出す炎。
 燃え落ちていく白銀の巨体を認め、指揮車の中を歓声が駆け抜ける。
”敵シールド、本部直上にて停止。完全に沈黙しました”
 その本部からの報告も、安堵の色が濃い。
 だが、その瞬間、どうと地響きを立てて零号機が崩れ落ちた。歓喜が凍り付く。
 ミサトが厳しい表情で怒鳴る。「零号機、プラグを強制排出。パイロット保護を最優先。救護班、急いで!」そしてマイクを引っつかみ、「レイっ、大至急パイロットを回収してっ」
”はい”いつもと変わらぬ淡々とした返事が返る。だが、今はそれが例えようもなく頼もしく感じられた。
 

 電力徴発の終結が宣言されたのは、それから三十分後のことだった。
 
 
 

 病室。白いシーツに包まれて、少女が眠る。
 傍らの椅子に座る華奢な人影。綾波レイはじっと帆足マリエの寝顔を見つめていた。
 身体的な問題はもう何もなくて、後は目を覚ますの待つばかりなのだと、聞いていた。心配された呼吸器へのダメージも、救出が早かったせいで碇シンジのそれよりも遥かに軽いものだったそうだ。
 窓の外に目をやれば、眩しい朝の光。それは徹夜明けの眸に染み入る。眠い。
 あの後も事後処理云々で、結局開放されたのは明け方近くなってからだった。零号機はスクラップ寸前、しかもパイロットは白ビル送りで、そうなるとなんのかんのと残った初号機にすべてお鉢が回ってきて、せっかく一躍ヤシマ作戦のヒロインになれたというのに、散々こき使われた挙げ句、「ご苦労様。あがっていいわよ」の一言で早々に放り出されてしまったのだった。
 葛城ミサトとしては、大変だったでしょう、ゆっくり休みなさい、という意味を込めてのそれだったのだが、あいにくちゃんと誉めて欲しかった綾波レイは、余計者扱いされたようで気に入らなかった。憶えときなさいよ、葛城一尉。
 でも、またこうして朝日を拝めるのはあたしたちのおかげよね。碇君にあったら、散々恩を売っといてやろうっと。
 そう思いつつ、帆足マリエの安らかな寝顔から目を離さない。
(綾波さんはわたしが守ってあげる。だから、絶対に、だいじょぶ)
 マリエの言葉がずっと脳裏を駆け巡っている。守ってあげる、か。その響きに心が揺れる。
 面と向かってそんなことを云われたのは初めてだ。碇ユイ博士でさえ云ったことが無い言葉。
 そして彼女は、その言葉通りレイを守ってくれた。不思議なキモチ。レイは思う。たぶんそれは、帆足マリエがそうしたのが、命令だからではなく、彼女自身がそう本当にそう思っていたからなんだろう、と漠然と思う。そうでなければあんなに眩しい笑顔は、つくれないような気がする。
 何故彼女はあんなにあたしの世話をやくんだろう? 何故あたしを守ってあげるなんて云ったんだろう? 今までそんなこと気にしたことも無かったけど、よく考えれば彼女には何のメリットもないはず。なのにどうして?
 同じ適格者だから? クラスメートだから? よくわからないけれど、どちらも違う気がする。
 最初にあったとき彼女が「仲良くしましょう」と云ったのは、どうせお愛想みたいなもんだろう、と勝手に思っていた。だからこっちも愛想の無い返事を返してやったけど、本当はそうじゃなかったことは、今ならなんとなく分かる。
 そういえば、こういうのをあらわす、何かぴったりな言葉があったような気がする。なんだっけ?
 レイは、はた、と考え込んで、やがて思い当たった。
 ああ、そうか。こういうのをトモダチっていうのかしら。
 そう思ってから、レイはなんだかこそばゆくなって、落ちつかなげにもじもじした。今までトモダチといえる相手なんて、ただのひとりも居なかったからだ。
 でも悪くないわね、こういうのも。
 ふと、レイは微笑んでいる自分に気付く。正直、びっくりした。こんな気持ちで微笑むなんて、初めてのことだった。
 でもきっと今の微笑みは、あの時の彼女と同じなんだろうな。
 そう思うと、戸惑いよりもなんだかうれしくなって、だからレイは彼女の口調を真似て呟いた。
 

「ありがと」
 
 
 
 
 

 覚醒は唐突だった。
 ぱちり、という感じで瞼が開き、自分が白い天井を見上げていることに気付く。
(どこだろ、ここ……)
 見知らぬ天井だった。模様のない、ただひたすらに白い天井。
 どのくらい眠っていたんだろう。時計を探して枕元を見るが、サイドテーブルには水差しと、花瓶に生けられた一束の花があるだけだった。
 どこかで見たことのある光景……。ああ、そうか。
 それでマリエは、ようやく自分が病室にいることに気付く。
 あの時と同じ病室。
 だが、隣に何か暖かいものがぴったりと寄り添っていることに気付いた。滑らかな素肌の感触。
 目をやると、淡い色の髪が目に入った。透き通るように白い肌。マリエの首に回された華奢な腕。
 綾波レイが、すやすやと寝息を立てて眠っていた。
 見ると、床に脱ぎ散らされた制服。こんもりと山になった布の脇に、ころんと丸まった白い下着が転がっている。
 しょうがないなぁ、もう。
 マリエは苦笑する。部屋に行くたびにちゃんと畳んでおくように云ってるのに。
 でも、これじゃあ、いつもとまるで逆だよね。ひょっとして、いつものお返しのつもりなのかしら。
 だが、その抱擁はやさしく、とても心地よかった。だから、マリエはその身を委ねたまま、そっと眸を閉じた。
 
 
 
 
 

The End of Episode6.


NEXT
ver.-1.00 1998+04/16公開
ご意見・ご感想は ryu1@imasy.or.jp まで!!

Next Episode is "A HUMAN WORK".

 使徒の脅威に対して、抵抗を試みる人々はNervだけではなかった。
 民間が開発した巨大人型兵器。その存在に、あるものは期待を、あるものは危惧を抱く。
 公試運転までに張り巡らされる謀略。
 その結末に、人々は己の愚かさを見る。

第七話、「人の作りしもの」
 
 
 

Appendix of Episode6.

「マリエちゅわ〜ん、お見舞いにきましたよ〜ん……、っ?」
 陽気な声と共に病室に一歩足を踏み入れた瞬間、素裸で抱き合って眠る少女達を見て、固まる葛城ミサト。
 こめかみを押さえて怒りを堪える赤木リツコ。
 その後ろにいた童顔の女性オペレータがひとこと。

「………不潔。」
 



 斎藤さんの『EVANGELION「M」』Episode 6.、公開です。



 苦戦しながらもどうにか仕留めました(^^)


 この使徒は面倒だよね、
 どうにかこうにか倒せて、良かった良かった♪


 女同士の友情も、
 綺麗だったよね。


 マリエって何だか頭良さそうとイメージしていたけど、
 そうでもないってのにはちょっと意外、だったかな。


 子供も大人も、
 いろいろあるよね。



 さあ、訪問者の皆さん。
 感想メールを書いて齊藤さんに送りましょうね!


めぞん/ Top/ [齊藤りゅう]の部屋