TOP 】 / 【 めぞん 】 / [齊藤りゅう]の部屋/

  


「恋をしなさい。」
 
 

 銀色のスプーン。清潔に磨かれたそれは、小さな口にもちょうどひとくちで収まるくらいの大きさ。部屋の窓から差し込む傾きかけた午後の光を映して、きらりと光の欠けらをはなつ。
 それが、しゃくっ、と音を立てて緑の果肉に滑り込む。
 皿の上には切りたてのメロン。種はきれい取り除かれ、三日月形を残している。
 口に運べば良く冷えたみずみずしい果汁と、作り物でない本物の芳香がふわりとひろがる。
 今の時期にはなかなか手に入らない、温室ものじゃないのメロン。たかだが風邪で熱を出した級友の見舞いには、高価過ぎるもの。
 なのに、その匂いに吐き気がする。
 もう熱も下がったし、体調も良くなってきていて、朝も昼もちゃんと食べられたのに。
 それとも、作り物に慣れてしまったせいで、なまものの匂いに耐えられないんだろうか。
 いいえ、違う。その理由は、自分でも良く分かっているもの。

 彼が持ってきてくれたものだから。
 あのひとといっしょに。

 でも、涙の一つも出てこない。まるで心のどこかが麻痺してしまったように、遠い出来事のように思える。つい昨日のことなのに。

 しゃくっ。もう一口すくう。ゆっくりと噛み締め、呑み込もうとするけれど、喉の奥が痛くてどうしても通すことが出来ない。こころでは分かっているのに、体が受け入れることを拒否している。

 これは罰なんだ。あてつけがましく休んだりしたことへの。
 なんて嫌な娘なんだろう。自分がかわいそうだとでも思っているの?
 もうわかってること、もうわかってたことなのに。
 
 

 夏の初め、少女は少年に告白した。
 人気の無い公園。頬の赤さを隠す夕日の中、期待と不安に胸をときめかせながら、彼女は少年にその一言を告げた。
 少年の返答も、同様に短かった。

 次の日、彼女は学校を休んだ。
 そしてその次の日から、長い長い夏の休みが始まった。
 
 

 こんな私なのに、彼が好きなってくれるはず無い。
 私は意気地なしで、臆病で、いつも他の人間が怖くて仕方が無いのだ

 不健康に白いだけの肌。重苦しく見える黒い髪。背は高い方じゃないし、体だって細すぎて、胸だって全然ふくらんでいない。
 なにより、顔立ちが全然美人じゃない。唇は薄くて全然柔らかそうじゃないし、鼻も低い。眸は度の強い眼鏡を通しても細すぎて、開いているのかどうかも分からないくらい。その顔がいつも陰気な表情を浮かべている。
 誰かに話し掛けられるだけですぐ顔が熱くなる。赤面しているのが自分でもはっきり分かるくらい。それに加えて変に緊張してしまうものだから、話し掛けた相手も居心地が悪くなってくる。だから会話も続かない。尻すぼみになって、けっきょく気まずい空気だけ残して終わってしまう。
 そうしているうちに、私に話し掛ける人はだんだんいなくなる。

 そして私は、いつもひとり。
 
 
 

 こんこん。

 ノックの音に、心臓が跳ね上がった。
 驚いて顔を上げると、風を通すために半開きになっていた扉のところに、色白の少年が立っていた。綺麗な顔立ちが、にっと人懐こい笑みを浮かべる。
「渚、くん………?」
「お邪魔していいかな」
 もう人の家に上がり込んでいるのだからお邪魔も何もないものだが、不思議と違和感を感じない。
「ちょうど玄関先でお母さんとお会いしたら、ちょっと買い物に行ってくるから上がっていてくれ、っていわれてね」
 そういう少年を、彼女は不思議な気持ちで見つめた。
 特別に親しいわけではない。それどころか、一度だって口をきいたことだってなかった。
 カヲルは女子の間では人気がある。美少女と見まごうばかりの容貌。誰に対しても気取らない爽やかな微笑み。その少年らしからぬ落ち着いた物腰は、まだ尻に卵の殻をひっつけているお子様な他の男子とは、一線を画していた。
 でもなんとなく近寄りがたい雰囲気があって、憧れよりも縁遠い印象を、彼女は持っていた。
 その彼が、自分の部屋の入り口に立っている。

 どうしてここに渚くんがいるんだろう?

 そう思ったところで彼女は、カヲルが彼と親しかったことを思い出す。よくあの三人組と一緒にいるのを見かけていたっけ。
 ひょっとして彼に頼まれてきたのだろうか?
 胸の奥がとくん、と波打つ。麻痺していたはずのこころが、また息を吹き返してくるような気がする。
「どうして………?」だから、思わず口にしてしまった。
「これは心外だね。クラスメートの見舞いに、それ以外の理由が必要なのかい?」
 思いもかけず、心外、というより、少し憂いのこもった返事が返ってきて、彼女は動揺した。
「い、いえ、そういうわけじゃ、なくて………」
「ひょっとして、迷惑だったかな?」
「い、いえ、そんなこと、ないですけど………」
 顔が熱くなる。きっと頬が染まっている。恥ずかしい。彼のことがまともに見れない。だめ、変な子だと思われちゃう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
「ちょ、ちょうど、メロンが冷えてるんです。よかったら食べませんか?」だから無理矢理口を開いた。「昨日、トモダチが持ってきてくれたんだけど、わたし、あんまり好きじゃないし、その、うちだけじゃきっと、食べきれないから……」でもそれは嘘。本当は自分がもう口にしたくないだけ。
 だけれど、カヲルはすまなそうな笑みを浮かべた。
「せっかくだけど、遠慮しとくよ。見舞いに来て病人に気を使ってもらうわけには、いかないからね」
「いえ、ホントはもう全然大丈夫なんです。いつもよく熱出したりしてるし、でもまだちょっと体がだるくって、それにあんまり外に出たい気分じゃなかったし、それで………」
 あれ? やだ、私ったらなに話してるんだろう? 我に返ると急に恥ずかしさが込み上げてきて、口篭もってしまう。
「でも、せっかくきてくれたのに………」
「いや、かまわないよ」
 がさっ、と茶色い紙袋を取り出す。
「見舞いには果物って、相場がきまってるからね」
 取り出されたのは掌にのるほどの、茶色の果実。

「梨だよ」
 
 
 
 

 カヲルの細い指がしゅるしゅると手際よく皮を剥いていく。その慣れた手つきに、彼女は目を見張った。
「ずいぶん器用なんですね」
「小さいころは妹もからだが弱くてね。両親が留守がちだったから、僕がよくこうやって剥いて食べさせたものさ」
 クラスは違うものの、あの賑やかで元気一杯の少女のことは、彼女も知っている。ちょっと意外だな、とも思う。
 でも、考えてみると、なんだかちょっとへんな光景だ。それほど親しいわけでもない級友の男の子が、目の前で自分のために梨を剥いているなんて。
 当のカヲルはそんなことにはまるで頓着した様子はなくて、彼女の小さな口に合うように八つに切った白い果実を、ガラスの容器に器用に盛る。
「さあ、どうぞ」容器を差し出しにっこり笑う顔には、屈託の色はない。だから彼女もおずおずとそれを受け取る。
 楊枝にさした梨。ひとくち齧れば、その白い実からほんのりと甘い香りが匂う。
 メロンの豊潤な匂いとは違って控えめだけど、それは優しい感じがする。
「おいしい」
 そう素直に口に出したところで、彼女は自分が薄く微笑んでいるのに気付く。さっきまでの感傷に浸っていたのが嘘みたいだった。
 冷たい娘なのかな、私って。もっと悲しくないといけない気がするのに。
 カヲルも何も言わない。自分の剥いた梨をしゃりしゃりと噛んでいる。それがなんだか不思議な気がして、彼女は聞いた。
「慰めたり、しないんですね」
「どうして?」
「聞いてるんでしょう、私のこと」
 数瞬、カヲルは緋色の眸で彼女を見つめ、袋から新しい梨を取り出すとまた剥き始める。
「慰めて欲しいのかい?」手を止めずに聞く。
 彼女は静かに頭を振る。そんなことをされれば、自分が余計にみじめになるだけだ。
「でも、彼のことが好きだったんだろう?」
「わからない。それに、もう、どうでもいいことだから」
「いいのかい、それで」
「だって、やっぱりお似合いですもの。あの二人」
 神妙な顔で玄関先に立つ昨日の二人を思い出す。
 ぎこちない態度の少年を、傍らの少女が突ついて促す。交わした言葉は級友としての見舞いの言葉だけだったけれど、その裏に見え隠れする気遣いに息が詰まりそうだった。
 結局あの二人は、自分達が他人の目にどう映っているのか、良く分かっていないんだろう。口ではいくら否定したところで、どう見ても恋人同士の気安さにしか見えないのに。
 私も彼女のようになりたかったんだろうか。気負うのでもなく甘えるのでもなく、ごく自然に隣に立てるような仲に。でも考えてみても、なんとなくぴんとこない。

 ひょっとして私は恋をしてみたかっただけなのかもしれない。
 ただ、彼の隣を並んで歩きたかっただけなのかもしれない。
 

 だったらどうして、彼じゃなくちゃいけなかったんだろう?
 

 落とした本を拾ってくれた細い指。
 ぎこちないやさしさ。
 照れたように笑う表情。
 

 ほろっ、と何かが頬をつたった。暖かいしずく。
 気付くと、ぽろぽろといくつもいくつも零れ落ちていく。
 彼女は呆然とした想いでそれを感じる。どうしてだろう。さっきまで一滴だって出てこなかったのに。
 

 ああ、でも私、好きだったんだ、彼のこと。
 こんなにも、こんなにも、好きだったんだ。
 

 そう思った途端、もう止まらなかった。押さえつけていた何もかもがどっと堰を切るように溢れ出した。
 口元が勝手に歪んでいく。鳴咽が零れ出す。引き寄せたシーツで塞ごうとするけれど、なんの役にも立たなくて、ただ涙を吸い込んでいくだけ。

 すっ、と手が伸び皿が目の前に差し出される。泣き濡れた眸を上げると剥き終わった果実。変わらぬ淡い笑みを湛えたまま、カヲルは頷いてみせた。
 それに促されるように、梨を口に運ぶ。それを空にすると、次の皿が差し出される。ぼろぼろと涙をこぼしながら、彼女は何も言わずただ差し出される皿を空にしていく。

 先刻まで甘かったその味に、そこはかとないしょっぱさが混じっていた。
 
 
 

 気付くともう日が落ちかけていた。
 玄関の扉を開くと、外の灼けた空気はもう冷えはじめていて、夕刻の匂いがする。
 私、ひどい顔してるんだろうな、と彼女は思う。泣き腫らした眸。暗くなりはじめでよかった。でもなんとなく、胸の奥のわだかまりがほんの少しだけ小さくなって、軽くなった気がする。
 靴紐を結び直して、カヲルが立ち上がった。
「それじゃあ」
 その顔に頷くと、ごく自然に言葉が唇からこぼれた。
「渚くん」
「なんだい?」緋色の眸。夜目にも鮮やかなその眸を真っ直ぐ見返して、彼女は云った。

「ありがとう」

 その言葉に、少年はにっ、笑った。風のような笑顔。
 そのまま踵を返し白いワイシャツの背を見せると、スミレ色の夜に包まれていく街路へと消えていった。
 

 その後ろ姿をしばらく見送って、マユミは夕闇の中に佇む。ふと気付くと、空気にほんの少しだけ、ひんやりとした手触りが混じる。
 
 

 もうすぐ九月。夏が終わる。
 
 


ver.-1.00 1998+05/09公開
ご意見・ご感想は ryu1@imasy.or.jp まで

 

 って、まだ五月だぞ。おい。
 

 温室ものでないマスクメロンは今ごろからが旬だそうですね。
 室温で保存し(冷蔵庫に入れてはダメ)、食べる四、五時間くらい前に切ってから冷やしておくと良いそうで。
 私自身はメロンはキライだったりします。
 

 ところで私、彼女のことよく知りません。あのゲーム、やってないんです。
 なんで、どこぞで伺った「女シンジ」という極めて簡潔な評価を元に、人格を再構築してみました。
 違ってたらすんません。

 タイトルは谷村有美の曲から。かなり古メ。
 曲と全然別物になってしまったのは、私がおおばかのせい。(「M」な娘のことをいえない)
 この歌の作詞をした竹花いち子さんの詞が好きなんですが、最近名前を聞きません。
 どなたか知っている方がいらっしゃるなら、ご一報ください。
 



 斎藤さんの『「恋をしなさい。」』、公開です。



 カップルの影に
 第三者の涙            我ながら(^^;の表現  m(__)m



 あの二人。。

 両方ともいいですからね。


 この話の主人公の立場の子ってかなりのもんだと。



 時間がたって
 気持ちに改めて気付いて

 涙。



 いいね−−





 さあ、訪問者の皆さん。
 季節を飛ばした(^^)齊藤さんに感想メールを送りましょう!



めぞん/ Top/ [齊藤りゅう]の部屋