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あの一夜以来あたしの生活は変わった。

今あたしはシンジのマンションに転がりこんでいる。

シンジと一緒に生活している。

学校へはもう通っていない。

それに伴いあたしの生活にも余裕が出てきた。

今まで学校へつぎ込んでいた時間を研修の方へまわせるようになり、たっぷりと睡眠時間を取れるようになったから。

追いつめられていた先月までの生活が嘘のよう…。

一日の全てが本当に充実している。

あたしは今本当に幸福なんだろう。

けど、最近ふと不安になる。

あたしは本当に幸せになってもいいの?

本当にシンジの側にいてもいいの?

 

 

 

「二人の補完」

 

 

  第二十話 「幸福への苦悩」

 

 

 

……………………………………………!?

目が覚めた。

あたしは寝ぼけた眼を擦りながらキョロキョロと周りを見る。

あたしの寝ているふとんの隣に一人分の窪みがある。

シンジは隣にいない。

もう朝食を作りに起きたみたい。

低血圧のあたしと違ってあいつは朝に強い。

相変わらずあいつは専業主夫が板についているみたい。

あたしはノソノソと起き上がると着替えを持ってそのままお風呂場へ直行した。

 

 

お風呂はすでに快適な温度に仕上がっている。

シンジが入れてくれたんだ。

心地よい…。

まだ半分眠っていた頭が徐々に目覚めていくのを感じる。

こうして早朝からゆったりと朝風呂に浸れるのは何ヶ月ぶりだろう。

宿舎で一人暮らしをしていた頃は、朝シャワーを浴びる時間もなかったもんね。

また一つあたしはシンジの優しさに感謝する。

 

 

 

お風呂を出たあたしは私服に着替えてから、ドライヤーで髪を乾かして、朝のセットを整える。

そうしているうちに、リビングの方から美味しそうな匂いが順満してくる。そろそろお腹が減ってきたな。

その匂いに釣られるようにリビングに顔を出すと、包丁でネギを刻むリズミカルな音が聞こえてくる。

すでにテーブルクロスの上には朝食にはやや豪奢な料理がほとんど完成してテーブル狭しと並べられていた。

「おはよう、アスカ。」

エプロンをつけたシンジが中性的な笑顔で微笑みながら、味噌汁が入った鍋を持ってリビングに顔を出す。

あたしの頬が一瞬赤く染まったのを感じた。

この時のシンジの笑顔は本当に奇麗だと思った。

男の顔を奇麗なんて変だけど、今ならシンジに入れ込んでいるファンクラブの女の子の気持ちも分かるような気がする。

あのシンジの笑顔は女にとって絶対に反則だもの…。

 

「おはよう、シンジ。とっても良いお湯だったわ。」

「そ…そう?どういたしまして…。」

なんとなく意外そうな顔でシンジは答える。

んっもう!シンジったらなんであたしが謝ったり感謝の言葉を述べたりする度に首を傾げるのよ。そんなに素直なあたしに違和感あるわけぇ?あるんだろうな…。三年前のあたしの態度と比べると…。

 

自分一人がおたおたするのはチョット悔しいわよね。よし…

「ねぇ、シンジィ〜。」

あたしはわざと悪戯っぽい表情で

「今度は一緒にお風呂に入るう〜?」

案の定、そのあたしの言葉にシンジの顔がトマトのように真っ赤に染まる。

「ア…アスカ、そ…それはちょっと……。」

まったく今更何を照れてるんだろ。一度最後までいったというのにね…。

けど、これよ。あたしはやっぱりこれが見たかったんだと思う。

学校で見たクールで颯爽としたシンジも悪くないけど、やっぱりシンジはこうでないと全然らしくない…。

三年前のあたしが大好きだった鈍感バカシンジでないと…。

 

シンジをからかってるのは飽きないけど、早朝で時間がないから「いただきます。」の挨拶して朝食を食べ始めた。

白いごはんに味噌汁にサラダの盛り合わせ、金平ゴボウにおひたし。

「本当にシンジの作った料理って美味しいわね。ありがとうね、シンジ。」

『ありがとう』

それは感謝の言葉。

三年前のあたしは意地張って、こんな当たり前のことさえシンジに言えなかったんだ。

本当に馬鹿みたいだったな。

 

「気にしないでいいよ、アスカ。僕も一人で食べる朝食は味気ないと思っていたから。こうしてまたアスカと一緒にいられて嬉しいよ。」

シンジィ…。

いけない、シンジの優しさに思わず瞳が潤みはじめちゃった。

 

朝食を平らげたあたし達は「ご馳走様」と挨拶すると、シンジはチラリと腕時計を見ながら

「それじゃアスカ。僕は学校があるから、後片付けの方はよろしくね。」

「うん。いってらっしゃい、シンジ。」

「ああ、そうそう。これお弁当だから……。」

そう言ってシンジはあたしの前に赤い弁当箱を置いた後、軽く微笑んで玄関の方へ消えていった。

 

あたしは流しで食器を洗いながらチラリと窓の外に目を走らせる。

シンジの乗ったバイクがマンションから出て行くのが目に入った。

途中で事故らないか少し心配だわ。

さてと、あたしもボチボチ委員会へ行く準備をしないとね。

食器を洗い終えたあたしは棚に食器を片づけながらそう考えた。

 

 

 

「それではこれで今回の講義を終了します。皆様お疲れ様でした。」

マヤの挨拶で今日の研修が終了した。

あたしは教本をバックに詰めながら帰り支度をはじめる。

今は学校へ通っていないから研修にも余裕がある。

この前のテストでも上から2番目まで順位を回復したばかりだし…。

学校へはもう行く気はない。

シンジとの生活を手に入れた今、もう無理して学業的な意味をもたない学校へ通う必要はなくなったから。

それに、あれだけの事があった後で霧島さんや相田の奴に合わせる顔がない。

これはやっぱり逃げることになるのかな?

けど、こればっかりはどうしようもない。

今更シンジと復縁したなんて、尚更あの二人に言えるわけがない…。

この様子だと近いうち学校から除籍されるのは時間の問題だろう。

けど、何の未練もない…。

 

ふと、刺すような視線を感じてあたしは後ろを振り返る。

マヤだ…。

マヤはあたしの一月前とは打って変わった血色の良い顔を信じられないものでも見るような目で見ている。

 

 

『一体なんでこんなことになっているのよ!?』

マヤには今の事態が信じられなかった。

二週間前、マヤは慎重にアスカを追いつめ続けて、霧島マナという切り札(エース)を投入してアスカのシンジに対する許されざる想いに引導を渡したはずだった。

だが、その翌日の土曜日の研修でアスカの姿を見たマヤは愕然となった。

アスカはセーラ服姿で委員会の本部に顔を出してきた。

それはアスカが金曜日に学校を出た後、宿舎へ帰宅していないことを意味していた。

周りの研修生もそのことを好奇の目で見ていたが、アスカは超然とした態度で無視していた。

ただ、さすがにマヤと目が合うと、後ろめたそうにアスカは顔を背けた。

マヤは慎重にアスカの様子を観察した。

アスカは必死に隠そうとしていたようだが、軽く染まったアスカの頬から隠そうとしても滲み出てしまう幸福感のようなものをマヤは感じ取ることが出来た。

その結果、アスカが今まで求めて得られなかった何かを手に入れたことをマヤは本能的な女の勘で感じ取った。

そしてマヤの思考は信じたくない結論に近づこうとしている。

どう考えても、あそこまで追いつめられていた今のアスカにたった一晩で幸福を与えられるような人物はマヤの知る限り一人しか知らなかった。

一晩宿舎へ帰宅しなかったらしいセーラ服姿のアスカと重ねあわせてマヤは極めて不愉快な結論に達する。

『あ…あの娘、ま…まさか、シンジ君をその毒牙にかけたんじゃ……。』

未だ潔癖症ぎみのマヤの感情はその結論を否定したかったが、明敏なマヤの思考と鋭い女の勘がそれ以外の結論はありえないという答えを導き出してしまった。

 

その夜から二週間が過ぎた。

あれ以来アスカは一度も学校へ行っていない。

宿舎へもたまに荷物を取りに戻る程度でほとんど帰宅していない。

夕食時にも今まで頻繁に利用していた委員会の食堂にも全く顔を出さなくなり、昼飯時にはいつも手の込んだ手作りのお弁当を美味しそうに食べていた。

これはマヤの偏見だが、生活不適応者のアスカにあんな手作り弁当など作れるはずはないと信じこんでいた。

それらを統合すると直接調べたわけではないが、どうやら二人が再び同棲しているらしいことはもはや疑いようがなかった。

『一体どこでどう計算を間違えたらこんなことになるのよ!?マナちゃんは一体何をしていたの!?よりによってあの娘にみすみすシンジ君を渡してしまうなんて…。』

マヤの描いたシナリオは机上としては完璧に近く、また霧島マナもマヤの期待以上の働きをしていた。

とはいえ、無論机上と現実とはまったくの別物である。

マヤの思考は所詮はロジカルに傾くところがあり、コンピュータ相手ならともかく、人間の行動全てを机上の論理で制御出来ると信じていたところに一流の科学者とは別にしたマヤの人間としての未熟さがあったのかもしれない。

それゆえ、マヤは二つミスを犯した。

一つはあまりにアスカを追いつめすぎたこと。

極限状態に追いつめられた人間の思考は時に衝動に流れる傾向があり、論理で割り切れなくなることがある。今回アスカがシンジのマンションへ逃げ込んだのはまさにそれである。

そしてもう一つ。こちらが直接的な原因かもしれないが、それ以外の人間の行動をまったく考慮していなかったことである。

その為にケンスケという名のジョーカーの札が何時の間にかマヤのシナリオに紛れ込んでいたことにマヤはまったく気がついていなかった。

 

だが、実はジョーカーの札はまだもう一枚場に伏せられていた…。

一枚目のジョーカーが意外な形でマヤのシナリオを大きく狂わせシンジとアスカの復縁を促してしまった。

果たして二枚目のジョーカーは、今度は一体どんな効力をもたらすのだろうか?

 

 

 

あたしは自分を忌々しそうに見るマヤの顔を無表情に眺める。

あれ以来マヤはもうあたしに手を出さなくなった。

いや、出したくても出す暇がないと言った方が正解かもしれない。

今、マヤは職権乱用したツケを支払わされているのだから…。

マヤがあたしに近づこうとした瞬間、三人の研修生がマヤの周りを取り囲んだ。

 

「伊吹先生。ちょっと付き合って欲しいんですけど。」

黒のセミロングの髪をした黒人のイライザという20歳くらいの研修生が真摯な表情でマヤに尋ねる。

他の二人の黒人男性の研修生も真面目そうな表情がイライザと類似していた。

彼女達は今度新しくMAGIが導入されることになった発展途上国から来た研修生達。

それゆえ今現在はこの異常な研修のペースについていけなくなって四苦八苦している。

サードインパクトで混乱している祖国を立ち直らせようという使命感に燃えている彼女たちは、研修から落ちこぼれたら困ると必死にマヤに泣き付いて補習を受けているらしい。

マヤも彼女たちを見捨てることが出来ず、日曜日も含めてプライベートの時間を全て彼女達の為に注ぎ込んでいるようだ。

マヤは三人の候補生に攫われるように疑似シミュレーションルームへ引っ張られていった。

 

あたしはそのマヤの様を無表情に見詰める。

不思議といい気味だとは思わなかった。

シンジを手に入れた余裕からなのか、それとも一晩の体験からあたしの思考が大人になったからなのかは分からないけど、あれ以来あたしのマヤに対する考え方はガラリと変わった。

あれほどあたしを苛めていたマヤに対して何故かもう憎しみを感じなかった。

不思議と今のあたしにはマヤの行動を理解することが出来たから…。

 

 

マヤは本当にシンジのことを大切に思っている。

何より本気でシンジをあたしから守ろうとしていた。

そのシンジに対する想いが真摯なものだったことだけは疑い用がないだろう。

仕事に私情を持ち込み、無関係の霧島さんまで巻き込んだ乱暴なやり方に問題があったのは確かだけど…。

 

とはいえ今ではあたしはマヤの行動が極めて自然なものに思えた。

マヤはシンジを実の弟のように可愛がっている。

その大切な家族を傷つけたあたしをどんな手段を以ってしても排除しようとするのは、家族を大事に思う者なら当たり前のことだろう。

三年前のあたしだったら絶対にこんな思考は出来なかったと思う。

あの時のあたしは自分以外に大切なものなんて何一つなかったから…。

けど、今なら…自分以外に大切な家族を見つけた今のあたしにならマヤの行動が理解できる。

あたしがマヤと同じ立場だったらきっとあたしもマヤと同じことをしただろうから…。

 

サエコ・ブッフバルト。

あたしの最愛のママ…。

あたしの一番大切な家族。

あたしはふとした切っ掛けから、思考の遊びとしてマヤの立場と自分の立場を置き換えてみたことがある。

もし、ママを見捨てたかつてのフィアンセがママと復縁したいと言ってきたら、あたしはどうするだろう?

勿論、そんな事は絶対にありえない事態だ…。

けど、もし…と仮定したら、あたしは絶対にその男を許せなかったと思う。

一度、ママを見捨ててママを不幸のどん底にまで突き落とした男が、今更のこのことママと復縁するなんてことは絶対に許せなかったと思う…。

たとえ、その男が本気で自分のかつての行動を反省し、本気でママを愛していたとしても…。

そして、ママがその男を許したとしても…。

それでも絶対にあたしはその男を許さなかったと思う。

きっと、そんな事態になったらどんな手段を使ってでも邪魔していただろう…。

 

…………………やっぱり、マヤのあたしに対する態度は当然よね。

あたしは本当に自分がシンジの隣にいていいのか自信がなくなってきた…。

 

あたしは未だ霧島さんと遣り合った時の霧島さんの言葉を忘れたわけじゃない。

一度シンジを不幸にしたあたしが、本気でシンジの幸福を願って身を引いた霧島さんを差し置いて、シンジと一緒にいていいのか分からなくなる…。

それに一つすごく気になることがある…。

『マヤさんは言ってました。アスカさんはシンジを一度壊しただけじゃ飽き足りずに再びシンジに復讐するために日本へ戻ってきたって…。本当なんですか、アスカさん!?』

あの時、霧島さんがあたしに言った言葉。

マヤが霧島さんに与えた濡れ衣の疑惑。

もしかしたらマヤは同じ疑惑をシンジにも与えているかもしれない…。

その可能性は高いと思う。

シンジにあたしの想いを疑わせるにはこれ以上ない有効なやり方だから…。

もしそうだとしたら、あたしにはシンジの疑惑を解く方法はない…。

あたしは一度偽りの笑顔でシンジを騙した。

今度は違うと言っても説得力がない。

たとえ納得したように見えても、猜疑心の種はいつまでも心の中に残り続けるだろう…。

 

もし、その推測が正しいとしたら、考えただけで憂鬱になる。

相手の男に負い目を感じ続ける女。

そして相手の女の想いを疑い続ける男。

本当にあたし達はうまくやっていけるの?

あたしにはいつまでもこの関係を続けられる自信がない。

いつかきっと破綻してしまう。

そんな嫌な予感が止らない…。

 

 

今、アスカの幸福を最も疑っている人物は実はマヤではなくアスカ自身だった。

アスカには、かつて自棄になり衝動で動きまわった結果としてシンジと復縁できたことが未だに信じられなかった。

世の中こんなに甘くていいのだろうか?

三年前に比べて格段に内省能力が高まった今のアスカには、自分の幸福を無条件に信じることが出来なかった。

 

 

 

 

「ただいま…。」

夜の8時。あたしはシンジのマンションに帰ってきたが、無論返事はない。

シンジは相変わらずバイトで忙しいから9時過ぎまでは戻ってこない。

さてと、シンジが帰ってくるまでにあたしが出来る範囲のことだけでもしておかないと…。

あたしは着替えた後、すぐに部屋の掃除をはじめる。

料理は出来なくても、後片付けとか部屋の掃除くらいならあたしにだって出来るから…。

けど、シンジはあたしが何かしようとするだけで本当に驚いた表情をしてあたしを見る。

そんなにあたしって生活不適応者だったのかしら…。

だったんだろうな…。

やっぱり三年前の共同生活で植え付けたイメージはそう簡単に拭えるものじゃないらしい…。

 

シンジの部屋に掃除機をかけていたあたしは、ふと本箱の方を見る。

「カウンセリングの理論と技法U」

「セラピスト入門」

「音楽療法士の技術論」

その他ほとんど心理学関連の書物で埋め尽くされている。

 

そういえば、シンジは将来心理学の方面に進みたいみたいなことを昨日話していたっけ…。

なぜ、そう思ったかについては話してくれなかったけど…。

あいつもようやく目標のようなものを見つけて頑張っているんだ。

けど、内罰的だったシンジがカウンセラーなんてどうしてもピンとこない。

なんで、シンジはカウンセラーを目指す気になったんだろう…。

 

いけない、考え事していた…。

とにかくシンジが帰ってくるまでに、掃除とお風呂の支度ぐらいはしておかないと…。

あたしに出来ることはそれぐらいしかないんだから……。

…………本当にあたしはシンジの隣にいてもいいのかな…。

 

アスカも、もう三年前のような他人から何かを与えてもらうことだけを望んでいた我が侭な子供ではない。

今では、少しでもシンジを喜ばせたい…という、好きな男性に尽くす大人の女の喜びを覚えつつあった。

ただ、現実として自分がシンジの為に出来ることが極端に限られていたため、その理想と現実とのギャップがアスカを憂鬱にしている。

一見幸福を手に入れたように見えるアスカの悩みは尽きることがなかった。

 

 

 

「ただいま……。」

帰ってきた。シンジの声だ。

あたしは慌てて玄関へ顔を出す。

「おかえりなさい。」

あたしは満面の笑顔でシンジを出迎えるとシンジも嬉しそうに微笑み返す。

なんかこうしていると旦那様を出迎える新妻みたい。

幸福感が体中から溢れてくるのを感じる。

 

シンジはレストランから持ってきた材料を見せながら、

「アスカ。これから急いで料理を作るから待っててね。何時も遅目の夕食に付き合わせて悪いけど。」

「ううん、それよりシンジ。あたしも何か手伝えないかな?」

あたしが真剣な表情をして頼むと、シンジは一瞬考えた後、やや済まなそうな顔をして、

「気持ちは嬉しいけど、気にしないでいいよ。それじゃ、皿とかリビングのテーブルに出しておいてくれるかな。」

「うん、分かった……。」

あたしは内心でやや落胆しながら肯いた。

仕方ないよね…。

あたしが調理を手伝った方がかえって迷惑になるんだから。

これもママの元で真剣に料理を学んでおかなかったツケがきているんだろうな。

あたし、本当にシンジに何もしてあげられない。

 

 

「いただきます。」

テーブルの上にはイタリア料理のフルコースが並べられている。

前菜、パスタ、魚料理、肉料理、デザート。そしてワイン。

これだけでも軽く料金にして一万は超えるみたい…。

シンジはどうせ捨てられる材料だから…って悪戯っぽく微笑んでいた。

何時もイタリア料理だけど、レパートリーが豊富なためまったく飽きることがない。

公平に見て、材料の差を差し引いても、委員会の食堂の定食とは比べ物にならないくらい美味しい。

先月までの惨めなコンビニ生活が嘘みたいだ…。

けど、シンジ自身は今は時間重視で作っているから、素材の良さを完全に引き出していない…と言って決して満足していないみたいだ。

本当にあたしなんかからは及びもつかない高い次元のお話しだわ…。

これだけの腕を持っていながら、あいつは将来料理の道へ進むつもりはないらしい…。

本当にもったいない話だ。

どう考えても、カウンセラーよりシェフの方が適性あると思うんだけどな……。

 

 

「ごちそう様。」

シンジは挨拶した後、食器を片づけようとしたのであたしは慌てて

「シンジ。後片付けはあたしがやっておくからお風呂にでも入りなよ。あたしが入れておいたから…。」

「そ…そう。何か悪い…」

「悪くなんかないわよ。あたしに出来ることはそのぐらいなんだから遠慮しないでよ。」

あたしはシンジの背中を押してシンジをリビングから追い出した。

シンジィ。頼むから誰でも出来る後片付けぐらいで申し訳なさそうな顔しないでよ。これじゃあたしがますます惨めになるだけじゃない。

あたしは大きくため息を吐いた。

 

 

 

夕食の後片付けを終了させた頃、ようやくシンジがお風呂から上がってきたみたいだ。

短パンにTシャツというラフな格好で首にタオルを巻いて体中から湯気が立ち上っている。

一見細身だけど、スラリとして無駄がない逞しい筋肉。

三年前はなよなよした情けない子供だったのに、この三年間の間に本当にシンジは逞しくなったんだ…。

きっとそれ相応の努力があったんだろうな…。

ふと気づくとついあたしは頬を赤らめてシンジに見とれてしまう…。

 

その後、リビングのソファに腰掛けて寝るまでシンジと話しをする。

「でさぁ、例のユニゾンの時のこと覚えている?」

「そうそう、あの時はシンジがミスばっかりしてさぁ…。」

「そりゃないんじゃないかな?、アスカ。」

シンジが苦笑する。

楽しい会話。

思わず惹き込まれて、時が経つのを忘れてしまう。

けど、ふと気が付くと意識的に避けている話題がある。

三年前の二度目の共同生活。

そこであたしがシンジにした陰惨な復讐。

話題がそこへ飛びそうになるとシンジは意図して強引に会話を変更しようとする。

何時も包容力を感じさせる穏やかな強さと優しさに満ち溢れているシンジの黒い瞳。

けど、話題を変更した瞬間、本当に微かだけど、脅えに似た色がシンジの瞳に走るのをあたしは見逃さなかった。

それを見てあたしの鋭い勘がこう告げる。

シンジはどこかまだあたしを怖がっているところがある。

やっぱり三年前のトラウマは解消されていない。

あたし達は未だに何一つ問題を解決してはいない。 

 

とにかくシンジは三年前の事件を可能な限り避けようとしている。

そしてシンジからその話題に触れてこない以上、あたしからその話題を提唱することも出来ない。

あたしだって恐いから。

三年前のあの事件を話題にあげて、それを切っ掛けに今の幸福を失ってしまうのはイヤ…。

だからあたし達は可能な限り過去を振り返らずに今を維持しようとしている。

けど、それは本当に可能なことなのだろうか?

あたし達は本当にこのままいつまでもこの関係を維持できるのだろうか?

お互いに相手に負い目を感じながら…。相手の想いを疑いながら…。

分からない……。

 

 

 

夜。シンジはあたしの隣にいてくれる。

結局シンジがあたしを抱いたのはあの一晩だけ。

あれ以来、シンジは添い寝という形であたしと一緒に寝てくれる。

『アスカが悪い夢を見ないように……。』

そう優しく微笑みながら黙ってあたしの隣にいてくれる。

こいつは本当に偽善者だ…。

馬鹿みたいに優しい。

けど、その優しさが今では少し物足りない。

あたしだって寝るときくらいあの不安を忘れたいのに…。

シンジに抱かれながら何もかも忘れていたいのに…。

 

あたしはシンジを挑発するように抱き着いてみせる。

けど、シンジはすぐに心地よい寝息を立てて寝てしまう。

こんな美人が隣にいるというのに呆れてしまう。

まあけどしょうがないよね。シンジは毎日勉強・家事・バイトとクタクタになるまで動き回っているんだから…。

あたしはシンジの胸に顔を埋める。

規則正しい心臓の音が聞こえる。

暖かい……。

逞しくて広い男の人の胸…。

ママと一緒に寝ていた時に感じた、母親の子宮にいる胎児のような安心感とはまったく別種な安心感を感じる。

力強く雄々しい温もりに抱かれるような安堵感を…。

こうしてシンジの温もりを感じるだけで、みるみると夜の恐怖が薄らいでくる。

おやすみ、シンジ…。

この夜もあたしは悪夢に脅えず熟睡することが出来た。

 

 

 

 

……………………………………………!?

目が覚めた。

あたしは寝ぼけた眼を擦りながらキョロキョロと周りを見る。

あたしの寝ているふとんの隣に一人分の窪みがある。

シンジは隣にいない。

その事にあたしはふと不安になる。

分かっているのに、シンジは朝の支度の為に早起きしているだけだって…。

けど、それでもはあたしは今では朝が恐くて仕方がない。

目を覚ましたらシンジは消えているのではないか…。

あたしから愛想を尽かして離れてしまったんじゃないか…。

馬鹿馬鹿しいことだと分かっている。

けど、その不安を消すことは出来ない。

あたしが目覚めた時、シンジが隣で眠ってくれていたら安心できるのに…。

けど、こんな馬鹿なことシンジに言えるはずない。

台所であたしに微笑みかけるシンジの笑顔を見て、はじめてあたしは人心地つくことができる。

あたしは今極度にシンジを失うことを恐れ始めていた。

 

 

 

 

『一体何がどうなっているのかしら?』

シンジ、マナ、トウジ、ケンスケ、そして自分。一人メンバーが足りない。

昼休みの時間。ヒカリはアスカ抜きのメンバーで昼飯を食べながら、どうしても違和感を抑えることが出来なかった。

二週間前から何の前触れもなくアスカが学校へ来なくなった。

教師達にとってはどうでもいいことらしい…。

アスカを除籍する準備を着々と進めている。

普通に考えればアスカは研修に専念する為に学校へ来なくなったと考えるべきだろう。

だが、それと時を同じくして碇君、霧島さん、相田君の態度がおかしくなった。

 

碇君は普段は何時もと変わらないけど、話題がアスカのことに触れられると『アスカは元気にやっていると思うよ。』と目線を泳がせながら答えるだけ…。

それ以上はいくら尋ねても答えてくれなかった…。

それはあまり堂々とした態度とは言えず最近の碇君らしくない…。

絶対に碇君はアスカの行方を知っていると思うんだけど…。

 

霧島さんはアスカが学校へ来なくなって以来、なぜか塞ぎ込んでいる。

『もしかしてあたしが原因なのかも…。』

と何となく後ろめたそうなことを言っていた気がした。

そういえば最近霧島さんは露骨に敵意を剥き出しにしてアスカを睨んでいたような気がする。

それと何か関係あるのかしら…。

そのせいか分からないけど、最近霧島さんと碇君の関係もギクシャクしている。

なんとなく碇君の霧島さんに対する態度が素っ気無いような気がするのは気のせいかしら…。

霧島さんもその事を敏感に感じ取っているらしく、最近碇君に話し掛ける機会が減っているみたいだし…。

 

そして相田君。

最近、相田君がアスカに想いを寄せているらしいことは見ていてなんとなく分かった…。

たぶん、碇君とアスカは気づいていないと思うけど…。

偶然かもしれないけど、アスカが学校へ来なくなったのと時を同じくして一週間ほど相田君は学校を休んだ。

一応風邪だということでトウジがお見舞いにいったけど、会ってくれなかったみたい。

今では学校に顔を出しているけど、ずっと暗く塞ぎ込んだまま…。

そして何かすごく言いたげな目で何時も碇君を見ているみたい。

碇君の方は全然相田君のことを気にしていないみたいだけど…。

 

それと今アスカはどこにいるんだろう?

あたしも心配して二度ほど宿舎を訪ねてみたけど、アスカは今宿舎にいないみたい…。

もしかして……。

あたしはチラリと碇君の方を見ながら思案する。

まさかね……。

もう三年前とは違うんだし…。

碇君に確かめてみたいところだけど、霧島さんの前でそんなこと聞けないわよね。

 

「ごっそさん!相変わらずヒカリの作った飯は最高やわ!」

トウジが本当に満足そうにお腹のあたりを擦りながらあたしに礼をいった。

本当に幸せそうな奴ね。

今のあたし達のグループの緊迫した状況に気づいていないのかしら…。

こいつにはきっと悩みなんかないんだろうな…。

なんであたしはこんな奴がいいんだろう?

たまに自分を疑ってしまう。

 

それにしても本当に一体何が起きているんだろう?

皆の関係が一気にギクシャクしはじめたのは本当にただの偶然なのかしら?

あたしの女の勘は偶然じゃないと主張している。

アスカを中心に碇君、霧島さん、相田君の三人が三角形を描くようにこの件に連なっているとあたしは推測している。

けど、それ以上のことは何も分からない。

三人ともいくら聞いてもアスカのことは何も話してくれないから…。

やっぱりこの件に関してはあたしはただの部外者なんだろう。

アスカと霧島さんの三角関係にしてもどっち付かずで中立を保っていたわけだし。

けど、やっぱり気になる。

このままだといつか取り返しのつかない事態になってしまいそうなすごく嫌な予感がするから…。

あたしは三年前、アスカが最も苦しんでいた時に、結局アスカの友人として何もしてあげられなかった。

結局今回も何も出来ないのだろうか?

あたしは霧島さんのことがあるから、アスカに関しては中立を保っていたけど、それは本当に正しいことなのだろうか?

もし、アスカが三年前のように苦しんでいたとしたら、あたしはどうすればいいのだろう?

分からない…。

誰か教えて欲しい…。

あたしの取るべき道を…。

 

 

 

 

「デェート!?」

あたしは素っ頓狂な声をあげる。

「う…うん。あしたは日曜日だし。よかったらだけど……。」

目の前に頬を赤く染めたシンジの顔がある。

信じられない…。

あのシンジからデートに誘ってくれるなんて…。

夢でも見ているんじゃないだろうか?

思わず頬を抓ってみる。

イ…イタイ…。

夢じゃない。

よかった…。けど、あたしなんかへっぽこだ…。

「あ…あの、アスカ。」

シンジは不安そうな目であたしを見下ろす。

「も…もちろん、いいわよ、シンジ。」

あたしは最高の笑みを返す。

それを見てシンジの表情に安堵の色が現れる。

そのシンジの情けない表情を見ていると、あたしの意地悪の虫が騒ぎ始めたけど、あたしはその衝動を必死に抑え込んだ。

シンジの方から勇気を出して誘ってくれたのに、からかったりしたらバチがあたるから…。

いずれにしても明日が楽しみね…。

あたしはワクワクしながら床に付いた。

 

 

 

日曜日の早朝。

あたしはシンジの隣で目を覚ます。

普段の疲れが溜まっているせいだろうけど、休日だけはシンジは寝起きが悪い。

あたしはシンジが隣にいることに軽く安堵する。

平日もあたしが目覚めた時にシンジが隣にいてくれたら安心出来るんだけどな。

さてと、待ち合わせ場所は決まっているから、宿舎へ戻って余所行きの服に着替えないとね…。

あたしはシンジを起こさないようにそっとシンジの隣から出ていった。

 

 

 

午後一時。

あたしはショッピングセンターの中央にある時計塔の噴水の前でシンジを待っている。

あたしの今の姿は紺のスーツにスカートと赤のハイヒール。

首にリボンを巻いて、軽くルージを塗ってきた。

シンジは気にいってくれるかな…。

それにしても遅いじゃない、シンジの奴。

デートといえば待ち合わせの十分前に来るのが基本でしょう。

このあたしが三十分も前から待っていてあげてるというのに…。

すでに三回もナンパ男から声をかけられちゃったじゃない。

まあ、あたしの美しさをもってすれば当然だけど…。

待ち合わせ時間まで後三分。

もし、一秒でも遅れたら絶対に許さないから…。

「よう、姉ちゃん。一人かい?」

また、二人組みの男が声を掛けてきた…。

さすがにもうウンザリ…。

あたしが断りの声をあげようとした時

「お待たせ。アスカ…。」

聞き覚えのある声。

やっとシンジが姿を現した。

今の時刻は十秒前。

命拾いしたわね、シンジ…。

「もう、遅いじゃない。シンジ。」

シンジの奴デートだというのに、髪も梳かさずに、ポロのシャツにジーンズという普段とあまり代わり映えしないラフな格好で現れた。

シンジらしいといえばシンジらしいけど、ちょっとがっかり…。

けど、素材そのものは抜群にいいから、何を着てもそれなりに絵になるような気がする。

少なくとも二人組みのナンパ男はシンジの姿を見てすごすごと離れていったみたいだし…。

「そ…それじゃ、いこうか、アスカ。」

あらあら、もういきなり本題に入っちゃうわけ。

こういう時は「奇麗だよ。」とか言って誉めたり、あたしの手を引いてエスコートするなり色々作法があるでしょうが……。

まあ、そんなことシンジに期待するほうが無理か…。

デートに誘ってくれただけでも奇跡みたいなもんだし…。

これから追々あたしが教えていけばいいんだし…。

それより、せっかくのデートなんだからあたしももっと楽しまなくちゃ…。

こんな時ぐらい全てを忘れて楽しみたい。

そう思ったあたしはスッと自分の右腕をシンジの左腕に絡めた。

「ア…アスカ……。」

シンジが戸惑った顔であたしを見る。

「いきましょう、シンジ。」

あたしは最高の笑顔をシンジに送る。

「う…うん。」

シンジはやや頬を赤らめながら肯いた。

 

 

 

「あ〜あ、それにしてもせっかくの日曜日だっていうのに女三人でつるんで買い物なんて、すごく虚しいものがあるわよね。」

「そうね。やっぱり彼氏の一人ぐらい欲しいわよね。」

彼女たちはおなじみのシンジのファンクラブの三人組みである。

ヒロコとトモヨがぺちゃくちゃ喋る中、サユリは一人不機嫌そうに押し黙っている。

「ねぇ、あたし達もそろそろ碇先輩から卒業する時期じゃないかしら…。ファンクラブも解散寸前だし、良い機会だと思うんだけど。」

「あたしもそう思う。もう少し自分に合った相手を探したほうがいいような気がしてきた。ねぇ、サユリ。あんたはどう思う?」

「うるさいわね!ちょっと黙っててよ!」

サユリは大声で怒鳴った後、また不機嫌な顔をしてプイと横を向いた。

明らかに虫の居所が悪いらしいサユリに二人は呆れた顔をしながら

「サユリ、どうしたのよ?何か今日は朝からずっとこの調子じゃない。そういえば昨日病院に勤めているお姉さんがひさしぶりに実家へ帰ってきたって言ってたけど、もしかして姉妹喧嘩でもしたとか?」

「サユリって意外にお姉さんっ子なんだ…。」

ヒロコとトモヨがサユリをからかってニヤニヤしはじめたので、サユリは顔を真っ赤にして

「そ…そんなんじゃないわよ!ただ昨日の夜、姉貴からすごくムカツク話を聞いただけよ。そう、世界がひっくり返るぐらい不愉快な話を…。」

「世界がひっくり返るぐらい不愉快な話?随分と大袈裟じゃない。一体どんな話よ?」

「聞いて驚かないでよ。実は碇先輩は…。」

サユリがその先を告げようとした時、

「ねぇ、サユリ。あれ…!」

と言ってトモヨが何かを指差した。

「一体なによ……!?」

サユリがトモヨの指差した先を見ると、人込みの中に仲睦ましく腕を組んで歩いている中性的な顔立ちをした黒髪の青年と、金色の髪をした蒼い瞳の美少女の姿が目に入った。

この二人の組み合わせは人込みの中でも目立つことこの上なかった。

「あ…あれって、碇先輩と惣流先輩じゃない!?」

ヒロコが驚きの声を上げる。

「そういや、惣流先輩って最近学校で見ないと思ったらこういうことだったんだ。あの二人何時の間にあんな関係になっていたのかしら?」

「それにしても…。」

ヒロコとトモヨの二人は、長身でハンサムなシンジと絶せの美女と称しても決して過言でないアスカの組み合わせに軽くため息を吐きながら

「碇先輩と霧島先輩の組み合わせも絵になると思っていたけど、この二人はそれ以上ね。なんか本当の美男美女の理想のカップルって感じ。嫉妬するのも馬鹿らしいぐらいね。」

「そうそう……。ねぇ、サユリ。踏ん切りをつけるにはいい機会じゃない。これからはあたし達も………………!?」

ヒロコはそこで言葉を飲み込んだ。

何やら尋常でないポニーテールの少女の様子に気づいたからだ。

「あ…あの金髪女!一度碇先輩を見捨てておいて、不幸にしておいて…………。」

サユリはシンジの腕の中で幸せそうに微笑んでいるアスカの姿を、激しい嫉妬と憎悪の篭った視線で睨み続ける。

「サ…サユリ。あんた何言ってるのよ!?」

だがサユリはトモヨの言葉を無視して

「ゆ…許せない!絶対に許せない!」

「……………………………………………。」

二人はサユリの剣幕に飲まれて声も上げられなくなった。

しばらくの間、サユリは激しい敵意の篭った視線でアスカを睨んでいたが、

「不愉快だわ。買い物は中止して帰るわよ!」

と宣言してクルリと踵を返すと二人の了解も取らずに駆け出していった。

「ちょ…ちょっと、サユリ!何勝手なこと言ってるのよ!?」

二人は慌ててサユリを追いかけたがサユリは振り返らなかった。

 

 

 

 

あたしとシンジはまずは映画館に入った。

純愛小説をベースにした映画で、まあシンジにしては頑張ったほうかな…。

マニュアル通りと言ったらシンジに悪いわよね。

暗い映画館の中で隣同士の席で二人っきり…。

手を握るとかしてもよさそうなものだけど、結局シンジは何もしてこなかった…。

まあシンジらしいといえばシンジらしいんだけど…。

映画の内容そのものはまあまあだったかな…。

シンジは少し退屈そうにしていたように見えたけど…。

 

 

その後、デパートでショッピング。

シンジに服を選んでもらう…。

「そ…その、僕なんかよりアスカの方が見る目が確かなんだから、自分で選んだ方がいいんじゃ…。」

なんてことを言っていたけど、シンジは女心がまるで分かっていない。

シンジに選んでもらう所に意味があるのよ。

とはいえ、確かにシンジの選ぶものってあまりセンスが良くない。

とりあえず赤い色のドレスを選べば良いと思い込んでいるみたい。

七回目の試着でようやく何とか気に入った服に出会えた。

シンジに『似合う?』と聞いてみたら、『とっても良く似合うよ…。』という返事が返ってきた。

もっとも、シンジは何を着てもそう答えていたけど…。

早く済ませたいという魂胆が見え見えなのよね…。

もう少し女の子とのデートの作法を教えてあげないと駄目ね。

とりあえず、このドレスが気に入ったので会計してもらう。

次のデートの時にはこのドレスを着てこようっと…。

その後、今度はあたしがシンジの余所行きの服を選んであげる…。

この服を着て、レストランでしているみたく髪をオールバックに纏めればきっとモデルとしても通用すると思うんだけど、本人には自分をよく見せようという意識が思いっきり欠けているみたい…。

とにかくこの服も会計して、仕立て直しを依頼した後、宛先をシンジのマンションにして送ってもらう。

次回のデートは絶対にこの服で決めてもらおう…。

次が本当に楽しみだわ…。

 

 

 

そして夜の6時。ちょっと早めの夕食にシンジが連れてきた店はシンジの馴染みの店だった。

高級イタリア料理店「 GEORGE & RAY」。シンジのバイト先。

確かにデートのフィナーレとしては最高の場所よね。

「いらっしゃいませ、何だ碇か…。今日はバイトは休みの日じゃなかったのか?」

その支配人の言葉にシンジは苦笑しながら

「何だはないでしょう、徳永さん。今日はお客として来たんですから…。」

徳永はアスカの方を見ながら

「そうか。で、そちらのお嬢さんは碇のガールフレンドか?」

「え…えぇ、そ…その、何というか……。」

シンジは頬を真っ赤に染めながらしどろもどろしはじめる…。

もう、シンジの奴。せめてこんな時ぐらいハッキリと主張してくれてもいいのに……。

 

『まあ、出来れば女連れでここへくるのは避けて欲しかったんだがな。碇を目当てに店に通っている常連客はけっこういるわけだし…。』

徳永は内心で軽く愚痴りながらもウエイトレスの少女に席へ案内させた。

席につくまでの間、シンジは顔なじみのウエイトレスの少女と楽しそうに会話をしている。

あたしはちょっとムッとする。

デートの最中に他の女と話をするなんて…。

後でこっ酷く問い詰めてやろう。

シンジはあたしと向かい合わせの席へ腰掛けながら

「ここに客として来るのははじめてなんだ…。」

と軽く微笑んだ。

 

「やあ、また会えたね。お嬢さん。」

20歳ぐらいの長身のウエイターがメニューを持って姿を現した。

えっと、確か名前は…、思い出せない。

「こんばんわ、中沢先輩。」

シンジが席に座ったままペコリと挨拶する。

中沢って人はシンジのことを無視してぺちゃくちゃとあたしに話しかけてくる。

ナンパ男とはチョット違う…。すごく人当たりが良くて憎めない感じ…。

そういえば、シンジの部屋に置いてあるワインのストックの作り方もこの人から教わったって言っていたような…。

最近の妙にバイタリティ溢れるシンジはこの人から影響受けているのかも…。

あたしはメニューを開いた後、びっくりする。

な…何よ。この値段は…。最近シンジに何気なく食べさせてもらっているけど、イタリア料理ってこんなに高かったのかしら…。

あたしの表情に気づいたのか中沢さんは

「どう、驚いたかい?常連のお金持ちの人達を除けば、普通の恋人達がこの店を利用するのは年に一度あるかないか…って所だからな。もっとも俺みたいに店の内情を知っている者から言わせればハッキリ言って詐欺だぜ、この店は…。」

「……………………………………………。」

あたしは何とも言えずポカンとした表情で口を開けたまま押し黙っている。

シンジは中沢さんの言葉を苦笑して聞いていたが、チラリとメニューを見て、オーダーを頼みはじめた。

まあ、ここはシンジにまかせた方がいいだろう。

シンジの方がこの店の料理に精通しているはずだしね。

中沢さんはオーダーを取り終わると、あたし達のテーブルから離れていった。

 

 

「乾杯!」

あたし達は軽くワイングラスを合わせた後、料理を食べ始める。

シンジは本物のシェフが丁寧に作った料理は、自分の即席料理とは明確な差があると言っていたけど、あたしにはそれほどの差があるとは思えなかった。

きっとそれほど舌が肥えていないからなんだろうな…。

まあ、ここ数ヶ月ずっとコンビニ生活を続けていたわけだしね…。

 

あたしとシンジがしばらく会話を楽しんでいると突然中沢さんが現れて何やらシンジに話し掛けはじめた。

「……というわけで、頼まれてくれないかな?」

「そ…そんな、困りますよ。今日はプライベートで来てるんだし…。」

一体何を話しているんだろう…。

あたしがシンジに問い掛けると、何やら常連客の何人かがシンジのチェロを聞きたがっているので飛び入りで演奏して欲しいとのことらしい…。

中沢さんは必死に頼み込んでいるがシンジは歯切れが悪い…。

あたしのことを気遣っているのだろうか…。

確かにデートを邪魔されたような感じだけど、クライマックスにシンジのチェロを拝聴するのも悪くないかな…。

この前、三春学園で聞いて以来だし…。

というわけで、あたしもシンジのチェロを聞きたいと口添えしてみたが、それでもシンジは考え顔…。

けど、中沢さんがニヤニヤしながら「演奏してくれたら、今日の払いはチャラでいいって、支配人が言っていたぜ。」と告げたら、シンジはしばらく悩んだ後、「アスカいいかな?」とあたしに確認を取ってから中沢先輩の後に着いていった。

やっぱり先の散財で懐が少し寂しくなっていたみたい…。

 

 

 

15分ぐらいして、シンジがチェロのケースを抱えて姿を現した。今のシンジの姿は黒のウエイタースーツを着こなして、髪をオールバックに纏めてきて、すごく大人っぽい。

やっぱりこういう大人びたシンジも悪くない…。

見ているだけで胸がドキドキしてくる。

それからシンジは椅子に腰を下ろして演奏を開始した。

シンジが弓を動かす都度、魂を揺さ振るような切なくもの悲しいメロディが胸に響いてくる。

さすがにリビングに飾ってあった、都大会のコンクールのソロ部門入賞の賞状は伊達じゃない。

料理に音楽。本当にシンジって発信性の才能に優れている。

受信性の才能に優れているあたしとはまったく逆ね。

ほとんどのお客が食事を中断してシンジのチェロに耳を傾けているみたい…。

しばらくシンジのチェロを堪能していると、再び中沢さんがあたしの側にやってきていろいろ話し掛けてきた。

うるさいわねぇ。今良いところなんだから話し掛けないでよ。

えっ、最近シンジが後片付けの時、夕食を作ってくれなくなったのはあたしのせいかって?

別にそんなことどうでもいいじゃない…。

あたしが一睨みしたら、中沢さんは軽く肩をすくめた後、あたしから離れていった。

ちょっと悪いことしたかな…。

それから演奏が終了するまでの間、あたしは無心でシンジのチェロに耳を傾け続けた。

 

 

 

 

夜8時。

デートの帰り道。

少し距離があるけど、シンジと連れ添ってマンションまで歩く。

ほろ酔い加減に夜風があたってすごく気持ちいい……。

お互い無言のまましばらく沈黙の時が続く……。

あたしはチラリとシンジの顔を見上げる。

ワインで少し頬が火照っている。

シンジは一体何を考えているのだろう?

やがてあたしの視線に気がついたシンジが声を掛けてきた。

「アスカ。今日はありがとう。本当に楽しかったよ。」

そう言ってシンジはにっこりと微笑んだ。

「あたしも楽しかったわ、シンジ。」

ややはにかみながらも、あたしは心からの笑顔でそう答えた。

あたしの頬が真っ赤に染まっているのは決して酔いのせいだけじゃなかった。

 

 

「ただいま…。」

あたし達はシンジのマンションに戻ってきた。

そう、シンジのマンション。

名義的にはあたしとシンジの共同財産という形になっているみたいだけど、あたしにはその資格がないような気がする。

あたしはシンジほどにはミサトのことを家族として認めていたわけじゃなかったから…。

シンジは慌てて洗濯物を取り込みながら明日の準備を整えている。

相変わらず律義な奴…。

他にもっとやることがあるでしょうが…。

少し酔いがまわっているせいかしら…。

あたしの思考が大胆になっていく…。

「シンジィ〜!」

あたしは猫なで声でシンジの名前を呼びながら後ろからシンジを抱きしめる。

「ア…アスカ?」

シンジがクルリと体ごとあたしに振り返る。

「ねぇ、シンジィ…。そんなつまんないことしてないで、もっと楽しいことしようよ。」

「楽しいこと?」

「そっ、楽しいこと…。」

そう言ってあたしは頬を赤らめながら潤んだ瞳でシンジを見上げる。

「ア…アスカ…。」

シンジもあたしの言っている意味に気がついたのかワインで火照った顔をさらに赤らめる…。

「ね…。」

「う…うん。」

シンジも適度に酔いがまわっているのだろう。

何時もに比べてガードが軽い気がする。

いずれにしても良い雰囲気だ…。

シンジの顔が近づいてくる。

んっ……。

シンジの唇があたしの口を塞いだ。

はじめての恋人のキス…。

舌と舌とが絡み合う。

溶けてしまいそう…。

シンジィ…。

シンジの両腕があたしの腰にまわされて、強く強くあたしを抱きしめる。

あたしの思考がどんどん麻痺していく…。

もう何も考えられない…。

何も考える必要はなかった。

 

 

その夜、どちらからともなくあたし達はお互いを求め合った。

広くて逞しいシンジの胸。

心が海のような深い想いで満たされていく。

今ほど幸せを感じられる瞬間はない…。

この時あたしは全ての不安を忘れることが出来た。

 

 

 

 

……………………………………………!?

目が覚めた。

あたしは寝ぼけた眼を擦りながらキョロキョロと周りを見る。

んっ…?

ふと、裸の自分に気づいてあたしは慌ててシーツを身に纏う。

そうだった…。あたし昨日シンジと…。

頬が少し赤くなる…。

何で赤くなるんだろう…。昨日が初めてってわけでもないのに…。

少し頭がボーッとする。

昨日の余韻がまだ残っているみたい…。

そうだ、シンジは…。

あたしの寝ているふとんの隣に一人分の窪みがある。

シンジは隣にいない。

それだけで、昨日の満たされた想いが嘘のように不安になる。

シンジィ…。

あたしは慌てて辺りに散乱していた衣服を纏うと部屋から出ていった。

「ねぇ、シンジ。どこにいるの?」

あたしは大声をあげながらシンジを探したがシンジはどこにもいない。

ふとリビングを見るとテーブルの上にメモが置いてあった。

「アスカへ。

学校があるので先いきます。

今日は寝坊してしまったから、弁当を作れなくてごめんね。

シンジ。」

あたしはその書き置きを見てホッとため息を吐いた。

よかった、シンジは消えたわけではないんだ…。

今の時間は10時過ぎ…。

それに今日は平日だから当然学校がある。

あたし何を慌てていたんだろう…。

本当に馬鹿みたい…。

けどなぜだろう…。

どんどん大きくなっていく心の不安を消すことは出来なかった。

 

 

 

あの夜以来あたし達は毎晩お互いを求めるようになった。

あたしは今幸福を味わっていた。

今までずっと求め続けたシンジとの生活を…。

シンジと一緒に食べる朝食。

無理なく能力を発揮できる委員会の研修。

シンジと一緒に食べる夕食。たまにシンジに料理を教わったりする…。

休日、シンジに聞かせてもらうシンジのチェロ。

そして夜一緒にシンジと寝る…。もう悪夢に脅えることもない。

一日の時間の全てが本当に充実している…。

 

けど、その幸福の中であたしの心に巣食た不安はどんどん成長して大きくなっていく。

シンジに抱かれている時、あたしは全てを忘れてシンジに身も心もまかせることが出来る。

けど、情事が終わって目を覚ました後、隣にいないシンジにあたしは喩ようのない恐怖を感じる。

恐怖…。

今の幸福を失う恐怖。

 

あたしは未だにシンジの心が分からない…。

シンジはあたしをどう思っているの?

愛してる?

それとも三年前の負い目?

抱いてしまった責任?

分からない…。

シンジは一度も自分の想いを話してくれなかったから…。

もしかしたら未だに心の底ではあたしを疑っているかもしれない…。

本当にシンジの心が見えない…。

 

なのにあたしの中でシンジの存在はどんどん際限なく大きくなっていく…。

恐い…。

シンジを失うのが恐い……。

このままだとあたしは本当にシンジなしでは生きられない体になってしまう。

けど、あたしにはいつまでもこの幸福が続くなんて信じられない。

一度シンジを不幸にしたあたしが、もう一度シンジと一緒にいられることが信じられない…。

相手の男に負い目を感じ続ける女。

そして相手の女の想いを疑い続ける男。

お互いに負い目を感じたこんな関係がいつまでも続くとは思えない。

あたしはシンジに負い目を感じたまま生きていくの…。

シンジはあたしの想いを疑い続けるの…。

そして、あたしは一生シンジに捨てられることを脅えながら生きていくしかないの…。

そんなのイヤだ…。

もしかしたらいっそのこと手後れになる前にシンジと別れた方がいいのかもしれない。

あたしはいつかきっとシンジに捨てられる…。

そしたらたぶんあたしは絶対に立ち直れなくなる。

きっと、また昔のように壊れてしまう。

けど、自分からこの幸福を手放すなんて出来るわけない…。

せっかくシンジといられるのに…。

もう一人になるのはイヤ…。

 

 

アスカは今の幸福が大きければ大きいほどそれを失った時の衝撃の大きさに脅えて苦悩し続けていた。

どんどんアスカの中で膨れ上がるシンジの存在の大きさに…。

だが、無論自分から今の幸福を捨てられるほどの勇気は今のアスカにはない…。

ゆえにアスカは無意識のうちに欲していた。

否応なくシンジと別れられる切っ掛けを…。

そしてアスカは求めていた。

未だ自分に対する決定的な肯定力に欠けているアスカがシンジを失っても生きていけるような心の支えになる何かを…。

 

 

 

 

 

「ねぇ、何なのよ。サユリ?わざわざあたし達を呼び出したりしてさ…。」

第三新東京都市の住宅街にある「岩瀬」と表札の掲げられた一戸建ての住居を訪れたヒロコとトモヨの二人はいきなり訳も話さずに自分達を呼び付けたサユリの顔を見ながら面度臭そうに尋ねる。

二階にあるサユリの部屋へ通され二人は、部屋へ入った瞬間思わずゲッと唸ってしまう。

部屋の作りそのものは扱くマトモである。

部屋の中には少女マンガが大量に詰まった本箱とあまり使われていないらしい勉強机が置かれており、小さ目のベッドの上には寝る時愛用しているらしい大き目の可愛い熊のぬいぐるみが寝そべっている。壁はピンクに模様替えされていて、パッと見た部屋全体の雰囲気は今風の女子高生らしらい可愛いらしさに満ちている。

マトモでないのは部屋の壁のあちこちに貼られている大量の写真の存在だった。

三十枚以上貼られている写真の全てがシンジを写したものである。

二人はサユリの小学生の頃からの親友であり、何度もサユリの部屋を訪ねた経験があったので、すでにこのサユリの性癖を知っていたが、何度来てもコレを見せられるとゲッソリしてしまう。

ヒロコとトモヨの二人も確かにシンジのファンではあるが、どちらかと言えば親友のサユリに付き合ってのノリで参加していたところがあり、筋金入りのミーハーであるサユリに比べたらシンジに対するのめり込みの質が全然違う。

だから、何度尋ねても写真だらけのサユリの部屋の独特の雰囲気には思わず引いてしまう…。

 

二人はミニテーブルの上に置かれたお茶とお茶菓子を摘まみながら

「で、サユリ。用件は何よ。もしかしたらファンクラブを解散させる話しかしら?」

「そうよね。とうとうあたし達三人だけになっちゃったもんね。あははっ…。」

早くこの部屋の雰囲気から開放されたい二人は引きつった笑みを浮かべながらサユリを急かし始める。

「そうね。それもいいかもしれないわね。」

そのサユリの声に二人が安堵した瞬間

「けど、その前にやらなきゃいけないことがあるわ。」

「や…やらなきゃいけないこと?」

二人はサユリの暗い目を見て、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

「碇先輩に付きまとっているあの女に天誅を食らわしてやるのよ!」

そう言ってサユリはダンッ!と机を叩いたので二人はビクリとする。

「あ…あの女ってもしかして惣流先輩のことかしら?」

「そうよ!あの金髪女、今では碇先輩のマンションに転がり込んで一緒に生活しているのよ!許せない!」

「えっ!?それってもしかして同棲ってやつ?」

「サユリ。どうしてあんたそんなことを………………。」

と言いかけてヒロコはその先の言葉を飲み込んだ。

サユリの趣味を思い出したからだ。

「け…けど、天誅って一体どうするつもりなのよ?第一惣流先輩って天誅と呼ばれるほど悪いことしたのかしら?あたしも碇先輩のファンだし、確かにあの女は好きじゃないけど…。」

その言葉を聞いてサユリはニヤリと邪笑みをこぼした。

このサユリの態度に二人は寒気を覚えて反論を飲み込んだ。

明るさとミーハーさがサユリの本来の属性のはずだが、この時のサユリは明らかに負の属性に囚われていた。

「実はあの金髪女を破滅させる良いネタがあるのよ。これを見てちょうだい。」

そう言ってサユリは引き出しの中から写真を取り出すとテーブルの上に置いた。

「こ…これは!?」

写真の中のアスカと一緒に写っている男性を見て二人は驚きの声を上げる。

「どう、これがあの金髪女の正体よ!」

勝ち誇った表情のサユリにトモヨは

「ねぇ、サユリ。この写真コンピュータか何かで合成したの?」

「違うわよ。本物よ。」

「ほ…本物。」

「ほらこの間話した山本っていうカメラオタクがいたの覚えてない?あいつここの所ずっと金髪女をストーカーしていたみたいだから、何かあの女を追いつめるネタを持っていないか接触してみたら、案の定とんでもない秘密を抱え込んでいたのよ。」

そのサユリの言葉を聞いて二人は呆れとも驚きともつかない顔で

「蛇の道は蛇というか…。」

「ストーカー同士、類は友を呼ぶという奴かしら…。」

「うるさいわね!黙ってなさいよ!」

サユリの怒鳴り声に二人は沈黙する。

「山本の奴だいぶショックを受けて塞ぎ込んでいたわよ。『惣流さんはもっと清純な人だと信じていたのに…。』とか言って泣き出していたからね……。あたしも『女性とはこうあるべきだ』というあいつの乙女チックな持論を長々と聞かされて本当に霹靂させられたわ。まあ、その代わりにあいつがつい写してしまった決定的スクープの写真を手に入れることが出来たんだけどね。」

「…………………………………………………。」

「あいつ奇麗な女を女神かなんかと勘違いしているみたいね。馬鹿みたい。少女マンガの読みすぎじゃないの?そんな男の願望を理想化した天使みたい女なんているわけないのにね。」

そう言ってサユリは嘲笑する。

他人の欠点は分かっても、自分の欠点には気がつかないものらしい…。

また人間は同じ性の人間を等身大に見ることが出来ても、異性に関しては似たような幻想を抱いてしまうもののようだ。

サユリは自分もまたシンジという異性に彼と似たような自分の理想を重ねていることに気がついていなかった……。

 

二人は黙ってサユリの話を聞いていたが、

「そうね。確かにこの写真を使えば二人の仲を破綻されることは出来るかもしれないわね。碇先輩はけっこうそういう男女間の関係には潔癖そうだし…。けど………。」

そこでトモヨが疑問を持ちかける。

「これがうまくいったからって結局どうなるのかしら?ただ単に霧島先輩に漁夫の利を得られるだけなんじゃないの?ハッキリ言って碇先輩あたし達のこと眼中にないからね。」

「別にそうなったってかまわしないわよ。とにかくあの金髪女を碇先輩から引き離せればそれでいいわ。」

そのサユリの言葉に二人は驚きの声を上げる。

「サ…サユリ。あんた確か霧島先輩のことも嫌っていなかったっけ?」

「確かにあたしはあの茶髪女も嫌いよ。ううん、碇先輩に近づく女はみんな嫌い。けど、あの金髪女だけは絶対に許せないのよ!」

「ゆ…許せないってサユリあんたなんでそこまで、あの女を目の敵にするのよ?」

サユリはプルプルと肩を震わせながら

「トモヨとヒロコの二人は知らないのよ。あの金髪女は一度碇先輩を自殺未遂にまで追いつめたのよ!」

「!?」

そのサユリの言葉に驚いて声も上げられない二人に、サユリは二週間前の姉との会話の一部を話しはじめた。

 

 

 

 

「サユリ。入るわよ。」

そう言ってサユリの姉、タカコは部屋のドアを開けた。

「なによ、お姉ちゃん。」

サユリはベッドの上で寝そべりながら面度臭そうに姉の方をチラリと見る。

「あたし明日デートなのよ。で、今香水が切れちゃったからサユリの持っているオーデコロンを貸して欲しいんだけど。」

「嫌よ。新しいの買えばいいじゃない…。」

「今、金欠でお金がないのよ。デートはオトコに全部奢らせる予定だから…。お願い、サユリ!」

そう言ってタカコは手を合わせるがサユリは無視してゴロリと反対側を向いた。

「ねぇ、いいじゃない、サユリ。どうせサユリは使う機会なんかないんでしょう?」

「大きなお世話よ。ほっといてよ!」

タカコは今の一言は失敗だったかなと肩を竦めた後、チラリと部屋中に飾られている写真を見て

「あらあら、今度はこの子がサユリの王子様なわけね……。」

タカコは呆れた目でサユリを見つめる。

タカコもサユリの趣味には霹靂していたので、こういう切羽詰まった事情でなければ出来ればこの部屋へは入りたくなかったのだ。

『まったく我が妹ながら本当に呆れるわね。ゲッ!?何これ?着替え中の写真じゃない。いくらなんでも普通こんなの部屋の壁に張り込んだりする?この変態娘が…。』

タカコはかろうじて妹を罵倒したい気持ちを抑えながら

「まあ、けど見たとこ今度のターゲットは学校の先輩ってところみたいね。アイドルの追っかけじみたことをしていた頃に比べたら少しはマシか…。あとはもうちょっとサユリの手の届く範囲の男の子にでも的を絞ってもらえれば…。んっ!?」

タカコはシンジの写真の一枚を覗き込んだまま固まり始めた。

「お姉ちゃん。いきなりどうしたのよ?」

タカコは軽く顎に手を当てながら

「この子どこかで見たことがあるのよね。なんとなく既視感(デジャブー)を感じるわ。はて、どこだったか……。」

「えぇ、お姉ちゃん。碇先輩のこと知ってるの!?」

サユリはベッドから跳ね起きて大声を上げる。そのサユリの声にタカコは少し考え込んだ後、ポンッと手を叩くと

「ねえ、サユリ。もしかしてこの子の下の名前はシンジっていうんじゃない?」

「そうよ。碇シンジよ!お姉ちゃん、本当に碇先輩を知ってるの?。ねぇ、どこで会ったの。教えて!!」

「ちょ…ちょっと、サユリ。苦しいから離してよ。ちゃんと話すから…。」

その言葉にいきなり飛び掛かってタカコの襟首を締め上げたサユリは慌ててタカコから手を離す。

タカコはゼイゼイ息を吸い込んだ後、再びシンジの写真を見て、

「そうか、シンジ君は今ではこんなにカッコ良く成長していたのか…。本当に懐かしいわね。チッ…。それにしてもこんなに美味しく育つと分かっていればあの時、粉掛けておくべきだったわね。」

「お姉ちゃん……。」

「あ、シンジ君の話ね。けど、本当に話しちゃっていいのかな。シンジ君のことは仕事に関わることなのよね。」

「教えて、お姉ちゃん!あたし碇先輩のことなら何でも知りたいの!オーデコロンでもお金でもなんでも貸すから、お願い!」

タカコはしばらく考えた後、多少の目先の欲とサユリの真摯な表情を見て三年前の出来事について話しはじめた。

 

「あたしの勤め先を知ってるでしょう?シンジ君のことは第三中央病院ではけっこう有名な逸話なのよ。もう一人、アスカちゃんという女の子とセットでね。」

『アスカ。あの金髪女のことかしら……。』

それからタカコはサードインパクト後の二人の病院内の様子について話した。

精神崩壊を起こして303号病室に収容されたアスカと片時もアスカの側を離れずに看病し続けるシンジ。

ほとんどの看護婦はシンジの健気さに感銘してシンジを応援していた。

そしてアスカが目覚めた時、その出来事は一つの奇跡として語られることになった。

「その後、シンジ君の献身的な看護でアスカちゃんは病院を退院したの。その時はあたし達の誰もが二人の幸福な未来を疑ってはいなかったわ。」

その話を聞いてサユリの顔が暗くなる…。

『そうか…。あの二人はそんなに堅い絆で結ばれていたんだ……。』

サユリがその話を聞いてシンジへの想いを諦めかけた時、

「けど、そこからとんでもないことが起こりはじめたのよ。」

「とんでもないこと?」

「そう。アスカちゃんが退院した翌日いきなりシンジは小指を脱臼して治療しにきたの。次に病院へきた時は全身に暴行の後を受けていたわ。そういえばサユリ。あなたその時一度シンジ君に会ったと思ったけど、覚えてないかしら?」

「う〜ん。覚えてない。」

サユリにとってのシンジはあくまで今現在のシンジを指していた。

「…で極めつけはアスカちゃんが退院してから一ヶ月後に今度はシンジ君が救急車で病院に運ばれてきたのよ。何でもトラックに身を投げて自殺未遂を図ったらしくって…。今度はシンジ君がアスカちゃんみたいに心を閉ざしちゃったのよ。」

「!?」

サユリはその言葉に驚いて息を呑んだ。

どう考えてもサユリの知っているシンジは自殺未遂とか精神崩壊という言葉とは縁がないように思えたからだ…。

「なんでそうなったかはともかく今度はアスカちゃんがシンジ君を看病するものだと思っていたけど、いつまで待ってもアスカちゃんは病院には来なかったのよ。結果としてそれから三ヶ月後にはシンジ君は自力で立ち直ったのだけどね。その時、シンジ君の保護者の伊吹さんとの会話を立ち聞きしたんだけど、すごく驚くことを言っていたのよ。」

 

 

 

 

「………………………………………………。」

トモヨとヒロコの二人はサユリから聞かされた姉との会話に愕然とする。

「じゃあ何?サユリのお姉さんの話だとその時碇先輩を自殺未遂にまで追いつめたのは惣流先輩だっていうわけ!?」

「そうよ。碇先輩の保護者のショタ女との会話で確認してるわ。」

忌々しそうにサユリは答える。

「あの二人って一体どういう関係なのよ!?人一人自殺未遂まで追いつめるなんて絶対に普通じゃないわ…。」

「そうよね。それに碇先輩も碇先輩よね。普通自分を殺しかけた相手と復縁したりする?」

さすがにサユリの姉のタカコも二人が元エヴァのパイロットのチルドレンであることまでは知らなかった。

「とにかくあの金髪女は自分を必死に看病してくれた碇先輩を精神崩壊まで追いつめた挙げ句、「壊れたオモチャに用はない!」とか言って碇先輩を見捨ててドイツへ帰ったのよ。なのに、碇先輩が立ち直ってカッコ良く成長したと知った途端何もなかったような顔をして碇先輩と復縁したのよ。こんなこと許せると思う!?」

「確かにそれはちょっと戴けないわよね。あの女、頭と顔が良ければ何やっても許されると本気で思っているのかしら?」

「これであたしの言っていることが分かったでしょう。とにかく世の中を舐めたあの金髪女に思い知らせてやるのよ。この写真を使ってね。」

サユリがヒラヒラと見せびらかした写真を見てトモヨが疑問を提出する。

「けど、何であの女はあのメガネオタクなんかと…。」

「そんなことはどうでもいいわよ!とにかく……。」

その時今度はヒロコが

「そういえば、サユリ。いつか喫茶店で霧島先輩と碇先輩の保護者が話していたこと覚えている?碇先輩があの金髪女に壊されただとか復讐を目ろんでいるだとかいう……。」

その言葉にサユリはポンと手を叩くと

「これで話が全て繋がったわね。あの金髪女は未だに碇先輩に復讐するつもりなのよ。そう考えればあのメガネオタクの件も納得いくわね。」

『そうかなぁ。本当に惣流先輩って碇先輩のことを憎んでいるのかしら?あたしも一応碇先輩の想いを寄せる女だから分かるけど、碇先輩を見る惣流先輩の目って絶対に恋する乙女の瞳よね。あれは絶対に演技には見えないんだけど……。』

トモヨはそう心の中で思ったが言語化して指摘したりしなかった。

たぶん、サユリもそのことを分かった上で事を運ぼうとしているみたいだからである。

  

その後、三人はこの写真をどう使うかについて話しはじめる。

今現在はアスカは学校には来ていないし、メガネオタクにも特に怨みはないから…ということで掲示板にでも張り出して、大々的にアスカを貶めるというサユリの案は中止になった。

その結果、真意はシンジ一人にだけ伝われば良いということで、シンジの下駄箱にでも写真とアスカの真意(サユリ達の偏見と誤解による)を書き込んだ封筒を入れるということで合意した。

サユリは文章の推敲をしながら、チラリとシンジと一緒にいた時のアスカの顔を思い浮かべる。

アスカの幸福そうな笑顔を思い浮かべるだけで胸の内にどす黒いものが浮かび上がってくる。

サユリにとってはシンジは聖域だった。

決して触れることも近づくことでできない神聖なる存在。

それはケンスケがアスカに抱いていた想いと似通っていたが、サユリは最後までケンスケと違い自分の想いをシンジに伝えることはなかった。

とにかく姉から聞いた話しからサユリにはその聖域をアスカに汚された気分だった。

『壊してやる。あの金髪女が碇先輩の隣にいるのだけは絶対に許せない!』

 

陰謀というにはささやかであるが、アスカが自分の幸福に苦悩する舞台裏で、アスカの幸せを許容出来ない二枚目のジョーカーのカードの役割を負った少女が暗躍していることに、シンジもアスカも気がついていなかった。

 

つづく…。

 

 

 

 

 

 


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ver.-1.00 1998+9/14公開
ご意見・ご感想・誤字情報などは itirokai@gol.com まで!!

 

けびんです。

今回はアスカちゃん内省モードといったところです。

(シンジ君の心理描写は意図的に伏せています。彼がアスカと一緒に生活しながら何を考えていたか、細かい描写から想像してみてください。)

そして二人の補完はじまって以来はじめて幸福そうな二人の姿を書くことが出来ました。

(もちろん伏線を見て分かる通りこれが最終的な解決というわけでは全然ないですが…)

今現在の自分の心境を言うなら、出来れば今回だけは幸せな描写だけで終わらせたかった…というのが正直な本音です。

(次話の展開を暗示する最後の伏線は入れたくなかった。けど、これを入れとかないと次回の展開に納得してもらえないだろうし…。)

たぶん、次回が一番辛いところになると思いますので、覚悟して読んでください。

(逆に言うなら次回さえ乗り越えれば後は…という考え方もありますけど)

 

暗い話ばかりではなんなので、少しおちゃらけた話をすると、さる奇特な方から以前公募したサユリの友人二人の名前を付けていただいたので、今回から使わせてもらいました。(サユリ、ヒロコ、トモヨです。元ネタが分かる人いますかしら?)

 

それと色んな方からメールを戴きまして大変感謝しています。

自分基本的には必ず返事を書いているのですが、以下の方のレスメールが戻ってきてしまいました。

UN.GGGさん、森下さん、arksitさん、まりーんさん、S.Kさん、mariさん、林さん。

正しいメールアドレスを記載してもう一度送ってもらえると嬉しいです。

またメールを送ったけど、返事をもらってない…という方がいましたら、ご連絡お願いします。

 

それでは次回二十一話でお会いしましょう。

(サブタイトルは決まっていますが、物騒なので伏せておきます。)

 

では。

 


 


 けびんさんの『二人の補完』第二十話、公開です。




 いやぁなかなかうまく回らない物ですな・・


 いいように動いているのに
 内へ内へ陰へ陰へ行ってしまうアスカ。

 昔よりかえって難しくなっている気もする・・・


 怖いくらいの悲観的な考え、重いですね。





 いっぱいトラウマっているからしかたがないのかな。




 いつの日か
 素直に幸せを味わえるようになるといいですね。




 今度はサユリ・・・種は尽きまじ





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