GAINAX(C)NEON GENESIS EVANGELION - ANOTHER STORY
GUARDIAN
- Code - 01 -
――21世紀初頭
数十億もの人類が完全統治する世界。
その世界が、新しい世紀を迎えてからまだ間もない。
ここ数十年間、人類を破滅に歩ませるような大きな戦争も起こらず、世界は平和なように見える。
しかし、その事実が人を狂わせるのか……
小さなキッカケさえあれば、世界は確実に破滅の道を歩む運命にあると言える。
何の問題もないように見えるその世界だが、常にそんな危険を抱えていた。
「おめでとう、シンジ君」
「……ありがとうございます、先生」
シンジは照れた顔を俯けながら、やや小さくお礼を述べた。
まだまだ少年の雰囲気を保ち、歳の分かりにくい顔をした青年。
誰が見ても、悪い印象は抱かないであろう微笑み。
少し頼りない感じもするが、それを補うだけの優しい眼差しと聡明な頭脳を持ち合わせている。
シンジの向かいに座っているのは、やや白髪の目立つ渋めの男性。
冬月コウゾウ。
表の世界はもとより、裏の世界でもかなり名の売れた人物である。
様々な分野の最先端技術を多く生み出し、『世界の道しるべ』と呼ばれていた。
シンジは、そんな冬月を心から尊敬している。
自分がここまでやって来れたのも、冬月の師事があったから。
事実、そうである。
そして、家族の居ないシンジにとって、冬月は父のような存在だった。
その2人が酒を酌み交わしていた。
あまり大きいとは言えないマンションの部屋。
しかし、どこにでもあるであろうこの普通のマンションを選んだのはシンジ自身だった。
普段、現実離れした施設で仕事をしているシンジには、この空間こそが『家』と感じられたのだろう。
大きなマンションを薦めた冬月だったが、シンジの気持ちを理解し、ここへ住む事を快く許した。
冬月も、シンジのそんな部分を気に入っていた。
どうしても人の気持ちの通わない人間が多くなる中、シンジのような純な青年が必要に感じられる。
冬月にとっても、シンジは自慢の聡明な息子なのだ。
「先生のおかげです」
「今回、私は何もしていない。アレはキミの力だけで作り上げたのだよ」
「そんな……先生の教えを守っただけです。…ホントに」
シンジはますます俯きながら、冬月に言葉を返した。
冬月は大きく笑い、手にしていた酒を一気に流し込む。
「本当に欲がないな。それはキミの良いところでもあるが、直さなければいけない所かもしれないぞ」
「そうでしょうか?」
シンジは顔を上げ、困った表情で苦笑する。
「いや、失言だったな。……それで良いのだよ。欲深いキミなど見たくない」
「あはは……ありがとうございます」
2人で声を上げて笑いあった。
冬月がふ…と横を見ると、リビングのすぐ横に大きな窓が見える。
この部屋に入る光は、その窓から入ってくる光がほとんどである。
その窓から見える景色は、空だけが見えた。
やや赤く染まった夜の空。
「雨が降ってきそうな空だな」
「えぇ、そうですね。夕方から天気がおかしかったですから」
シンジは、自分が冬月の為に作った料理に手を伸ばし、ゆっくりしたペースで食事する。
冬月は酒のつまみ程度につついているだけだが、満足そうに味わっていた。
料理に箸を運ぶだけの時が流れる。
その沈黙がしばらく続いた後、冬月がシンジに目をやった。
「シンジ君」
「はい?」
「キミの作ったナノマシンは、素晴らしいな」
「ありがとうございます」
「しかし、これだけは覚えていてほしい。画期的な技術は『諸刃の剣』なのだということを」
「はい」
シンジは、『ナノマシン』という医療用ロボットを作った。
名前の通りの超微少のロボット。
それは、目に見えることなく人の身体に進入することができ、極細の毛細血管内をも移動する。
そして、そのロボットに対して指示を埋め込む事ができるのだ。
多くの情報は埋め込めないが、『どこに何をする』くらいまでなら指示することは容易にできた。
ナノマシンの一番の特徴は、皮膚の外からでも患者の体内に進入できること。
つまりそれを使えば、今まで不可能だった個所の治療や手術が可能になるのだ。
「あの技術は、使う方法を誤れば悪魔にも成り得る可能性がある」
「……兵器としての使用ですか?」
冬月は、手にしていた酒をテーブルに置いた。
真剣な表情でシンジを見つめて、重い口調で口を開いた。
「あぁ……それも、現時点では『完璧な兵器』になる」
「……………」
シンジは料理に目を落として、悲しい表情を表に出した。
「やっぱり……こんな危険を含んだ技術は……作らないほうが良かったんでしょうか?」
「それは違う。我々がそんな事を言っていては、人類の進歩は止まってしまうよ」
「でも…」
「軍事使用の危険は、どんな技術であろうとも持っている。それを怖がっていてはダメなのだよ」
シンジは姿勢を整え、冬月の言葉に集中した。
冬月の教えを受ける時は、いつもそうだった。
「問題は、生み出した後にある。『それを正しく利用する』。それが生み出す時以上に困難な事なのだ」
「はい」
「シンジ君。その場合、一番してはいけないことがある。……分かるだろうか?」
「してはいけないこと…ですか?しなければいけないことではなくて?」
「そうだ」
「……………」
シンジは俯いて考える。
『してはいけないこと……』
しなければいけないことは考えられるのだが、そんな事は見当も付かなかった。
その様子を見ていた冬月は、冷めてきた酒を手にして、また一気に煽った。
「『死なないこと』…だ」
「えっ!?」
明るい食卓に、沈んだ沈黙が広がる。
シンジは、予想外の答えに言葉を失った。
冬月は真剣な表情のままで、ゴクゴクと酒を飲んでいる。
明らかに、シンジの予想を上回る答えであった。
他人に対しての『死』には考えることはあっても、自分に対しては考えたことはない。
それも、平和な世界では病気や事故以外が要因の『死』というものは滑稽にさえ感じる。
考えられないのだ。
「数日前、私のところに『ナノマシン』の軍事利用を匂わす話がきていた」
「!?」
「その場ですぐに断ったが、かなり危ない話になっているんだよ」
「……………」
「私はキミの気持ちを壊したくない。絶対に断り続けるつもりだ」
「…すみません。先生にご迷惑をかけてしまって……僕の事なのに…」
冬月はシンジを見て、優しく笑った。
それは、師としての顔ではなく、父としての顔になる。
沈んだシンジの肩を叩き、明るい声をかけた。
「気にすることはない。キミは、私の希望のようなものなのだよ」
「先生……」
「大丈夫だ。キミの技術は私が何としても守ってみせるよ。『その手』の経験も豊富だからな」
そう言って、冬月は大きな声で笑う。
その明るい笑顔を見ていたシンジも、次第に強張った表情を柔らかくさせて微笑んだ。
そのまま箸をすすめるうちに、食卓の上に多く並んでいた料理も空いたものが目立つようになる。
酒も空のビンが集められて、卓上の端に幾つも置かれていった。
酔わないシンジと、それ以上に酔いを知らない冬月の『ナノマシン』の技術的な話がそのまま続いた。
シンジの説明する画期的な技術を聞き、冬月はそれに微笑んで細かい質問を繰り返す。
シンジも自分の苦心して考え出した技術を、冬月に理解してもらおうと必死に話しつづけていた。
「改めて考えてみると、本当に素晴らしいな」
「ありがとうございます」
「いや。『ナノマシン』もそうなんだが……今は、シンジ君の話だ」
「えっ?」
シンジは冬月の言わんとしていることが理解できず、間の抜けた返事を返した。
冬月はジッとシンジを見て、大きく笑った。
「キミは良いヤツに育ったよ。私の教えた者の中でもキミほど素晴らしく成長してくれた者は居ないな」
「そんな……全般的な技術では、まだまだ先生の足元にも及びません」
「はははっ……本当に鈍くていいな。その鈍さがキミの魅力のひとつなんだな」
「…ち…違いましたか?」
「私は、キミの人間としての魅力を評価したんだよ。技術は二の次だ」
「……………」
シンジは勘違いしていた事と、心から尊敬する人に誉められた事で照れを越えて緊張した。
ぎこちない笑顔で返事を返すだけである。
「私に娘でもがいれば、無理にでも君と引き合わせるんだがな」
「先生……あまりからかわないで下さいよ」
シンジはクスッと笑って、僅かに残った酒を冬月のコップに注いだ。
周りの暗くなったシンジのマンションの前に、大きな黒いリムジンが静かに止まった。
止まると同時に、ドライバーがサッと降りて後部座席のドアを空けてる。
「お気を付けて、先生」
「あぁ、長話になってしまって済まなかった」
「いいえ。僕も楽しませて頂きましたよ」
シンジは暖かく微笑み、冬月の鞄をドライバーに手渡す。
冬月はその様子を見ながら、最後にシンジの耳に小声で言葉を残した。
「シンジ君。これからは、くれぐれも身の回りに気を付けた方がいい」
「……死なないことですか」
「そうだ。数日中に状況はマシになると思うんだが…」
先ほどからやや赤く染まっていた空から、細かい雨が降り出してきた。
さらに冷たい風がその雨を横から撫でつけ、細かい雨を霧のように舞い上がらせる。
それは、2人の話を遮るように足元から降りかかった。
「先生、その話はまた明日にお願いします。どうぞ、濡れないうちに」
「あぁ、ありがとう。……くれぐれも気をつけるんだ」
シンジは濡れる髪を気にもせず、冬月の言葉に黙って頷く。
冬月はリムジンの後部座席に乗り込み、ドライバーがそれを見てドアをゆっくりと閉めた。
そして、ドライバーが小走りに運転席へと戻っていく。
車は闇の中を滑るように静かに出発し、冬月は窓越しのままでシンジに無言の別れを告げる。
シンジはその姿を見送りながら、冬月の気になる言葉を思い出していた。
『死なないことだ…』
車が去った後もしばらくそのままで考えたが、その時のシンジにははっきりと理解できなかった。
冷たい雨は激しさを増し、未だに降り続いている。
赤みを含んでいた空が、吸い込まれるような闇一色に染まっていた。
辺りは、車一台通らないであろう寂しい道が延々と続いている。
どう考えても場違いな豪華な黒いリムジンが、その道をゆっくりと走っていた。
そんな激しく雨の降る景色とは反対に、車の中に控えめな携帯電話の呼び出し音が鳴り響き出した。
車は止まることなく、そのまま走りつづける。
その携帯電話の音は、止むことなく鳴り続いていた。
「……………」
辺りに明かりらしきものがない為、真っ暗で何も見えない車内。
そこに人が座っているのだが、携帯電話の音など全く気にもせずに目を瞑ったままでいる。
いい加減に鳴り止むと思われた携帯電話の音だが、いつまでたっても鳴り止まない。
1分経ち……2分経ち………
目を瞑っていた男が目を開ける。
そして、手元にある携帯電話をジッと見つる。
さらに時間が過ぎる。
1分……2分………3分……
男の手が携帯電話に伸びた。
そして、軽く携帯電話を握り、自分の耳元へと引き寄せる。
「はい……」
「……今、帰りか?」
「……………」
男は、その電話から届く問いに答えない。
リムジンの後部座席で足を組んだまま、表情を変えることなく座っている。
「碇君はどう言っていた?……やはり驚いていたか?」
「……………」
電話からの声を聞き、男は少し口の端を吊り上げる。
声には出さず、静かに笑った。
「我々研究所としても、彼と君の安全は確実に保障するつもりだ。君は技術の熟成を急いで欲しい」
男は笑いながら、携帯電話を持った手の人差し指をトントンとリズミカルに動かしはじめた。
「資金の方もなんとか都合を付けた。……君たちの出世払いだがな」
「ふふふ……」
電話の相手は、笑いながら冗談を言う。
男は、ついに声に出して笑う。
冷たい笑いを電話に向かって投げかけた。
「それで、いつ頃完成しそうだ?君と碇君なら簡単に完成させられるのだろう?」
「……………」
「………どうした?」
電話の相手の口調が突然変わった。
それを聴き、男はゆっくりと口を開いた。
「すぐに完成するさ……」
「そうか」
「我々の力と碇シンジの頭脳を以ってすればな。……最強の戦略兵器が誕生する」
「!?……何を言ってい…」
プツッ…
電話は、その言葉を最後に切れる。
男は携帯電話を握り締めたまま、外の景色を見た。
しばらくじっと見つめ、ドライバーに声をかける。
「止めろ。もう、この辺りで十分だ」
その言葉と同時にリムジンは、ゆっくりと車道の端に止まった。
そこはトラブルの起きた車が止まるための安全地帯のようになった広い場所。
車は、ちょうどピッタリとそこに納まった。
「運ぶぞ」
「はい」
後部座席の男がドライバーに声をかけ、車を降りた。
ドライバーはトランクを開け、男に続くように降りる。
外の空気は凍るように冷たく、未だに降り続ける強い雨と風が容赦なく叩きつけてきた。
近くではないが、空を明るく照らして光る稲妻の音もはっきりと聞こえる。
それに呼応するように、雨もますます激しくなった。
ギッ…
トランクが大きく開かれ、その中に大量の雨が降りこんだ。
男は腕に軽く力を入れ、トランクの中に入っていたものを軽々と担ぎ出す。
ドライバーは、その反対に回って担ぐ作業を手伝った。
雨の中を、男の足音だけが冷たく響く。
稲妻の光が射し込み、まるで何枚もの静止画像を続けて見せられているように動作が止まって見えた。
冷たい足音は崖淵で止まり、男は担いでいたものを空中に向かって大きく投げる。
ソレは音もなく闇に吸い込まれ、ドサッという小さな音だけが遅れて響いた。
男はそのままジッと下を向いたまま立ち尽くす。
男の顔から腕、足にかけて黒いモノがベッタリと付いていた。
それは稲妻が光ると、はっきりと見えるようになる。
――血
その稲妻の光の中、崖の下の様子がチラチラと見える。
目を凝らせば、はっきりと倒れた人が見える。
……冬月の亡骸が見える。
「……………」
男はそれを確認すると、踵を返してリムジンへ向かって歩いた。
しかし、すぐに立ち止まる。
「忘れ物だ」
男は振り返り、手に握っていた携帯電話を崖下に投げつけた。
研究所は、いつも以上に慌しく動いていた。
だが、けっして仕事をしているわけではない。
研究所内に大きな衝撃が走っていた。
早朝に、冬月が遺体で発見されたのだ。
「殺された……」
「昨日の夜らしい……」
「…どうして……」
研究所に出てきた者たちの間に、様々な憶測が飛び交った。
そして、その憶測は徐々に真実に近いものになり、話題の的はシンジに向けられるようになる。
『ナノマシン』の持つ危険性は、この研究所にいる者ならば誰でも分かるのだろう。
以前から事件を予期するような噂もあったのかもしれない。
シンジは、研究所に出てきている。
冬月と共に研究を進めていた部屋に入り、椅子に座って動かなかった。
「……………」
所狭しと並べられた機械が、その部屋のほとんどを埋め尽くしている。
中央に大きな台があり、そのまわりにも様々な機械。
人が休める場所は、部屋の入り口の近くに2つある椅子だけ。
そこに、シンジが力なくもたれていた。
『……先生』
頭の中には冬月の顔だけが浮かび、他には何も浮かばない。
ちょっとした考えさえも浮かばない。
居なくなってしまった人の顔がうっすらと浮かんでいた。
シンジにも、冬月が普通の事故で死んでしまったのでは無いことが分かる。
冬月は殺されたのだ。
誰によって殺されたのかは分からないが、理由は分かった。
『ナノマシン』
幼い頃のシンジは、母親のユイと2人で暮らしていた。
シンジも特に秀でた才能を持った少年ではなく、ごく普通の少年。
やがて、ユイが倒れる。
原因はすぐに判明したが、治療は極めて困難な病だった。
必死の延命治療も空しく、人の手では治療できない厄介な病によって、ユイは帰らぬ人となってしまう。
医者もシンジも無力だった。
それがあって、シンジは長い年月をかけて、冬月とともに『ナノマシン』を生み出す。
しかし、人を助けるためにと作った技術が恩師である冬月を殺してしまった。
シンジの頭の中に浮かんでいた冬月の顔が霧のように消えてる。
頭の中が真っ白になり、虚ろな目を反対側の壁に据えながら、シンジは漠然と思った。
『次は僕なのだろうか?』
だが、それが頭に浮かんだ瞬間、冬月の声が聞こえた。
『……死なないことだ』
「…………死なない…こと……」
ここまで来れた。
多くの人が助けてくれたが、自分だけでここまで歩いて来れた。
そして、長い間の夢だったことも叶う寸前である。
シンジはようやく視線を手元に戻し、自分の手のひらを眺めた。
いままでの生きてきた事が思い返される。
母の顔、冬月の顔が浮かんだ。
それをしっかりと忘れないように目を瞑り、きつく手を握る。
「………夢だけは」
シンジはゆっくりと立ち上がった。
そして、徐々に暗くなり始めた研究室の明かりをつけ、周りにある機械の電源も入れ始める。
他の研究室が明かりを消していく中、シンジの研究室だけが明かりを灯していった。
シンジには、どれくらい時間が経ったのか分からなかった。
部屋を出ることも少なく、あれから研究所内を出た覚えはない。
シンジは不眠不休のままで研究を続けたが、それでも限界は訪れる。
眠る気などなかったシンジだが、知らず眠っていた。
コンピューターの前に座りながら、キーボードの手前で疲れ果てた様子で眠っている。
真夜中であることもあり、パソコンの起動する音以外の音は何も聞こえない。
カチャ…
研究室の扉が開いた。
ほんの小さな音だけで、よほど気をつけなければ分からないような音。
パソコンの画面以外、真っ暗な部屋の中をいくつかの足音が部屋の中心に近づいていった。
「……………」
全身を黒い服を身にまとった侵入者が、お互いに手で合図をして部屋の中を歩き回った。
全員の両目に、赤外線のスコープらしきものを付けている。
音もなく静かに、部屋にある資料などを物色しはじめた。
さらに他の数人は、シンジの位置を確認して後ろから近づく。
真後ろにまで近づいた侵入者が、手に小さな針のついた薬を取り出してシンジの手に近づけた。
その動きはゆっくりとしたものではなかったが、けっして無駄のない静かな動き。
見るものが見れば、この者たちがどのような者なのか分かるのだろうが、シンジは目を覚さなかった。
ツ…
シンジの手の甲に針が差し込まれ、それと共に薬が減っていくのが透明な容器から微かに見える。
その全てが無くなり、侵入者はそれを他の者に伝える合図をした。
その合図で、部屋に最低限の明かりがつけられる。
暗かった室内に、ゴチャゴチャとした機械の山がはっきりと見えるようになった。
「……よし。目的のサンプルを確保。ターゲットを連れ出す」
「……………」
リーダーらしき男の指示に、その場にいた者たちが頷く。
そして、すばやく行動を開始した。
中央の台にある容器……『ナノマシン』の入っているであろうモノを取り、慎重にケースの中に居れる。
起きる気配どころか、全く反応の無くなってしまったシンジを数人が囲んで椅子から引きずり出した。
そして、乱暴に床に寝かす。
その横に小さな車輪の付いた台のようなモノを広げ、シンジをそこへと移した。
リーダーらしき男はその様子を見て、シンジの座っていたパソコンの画面に視線を移す。
プログラムが長々と出力されていた。
とても常人には理解できる代物ではないだろう。
その男はサッとキーボードを操作し、他に立ち上がったままになっている画面に変えていく。
男の手が、ある画面で止まった。
『ナノマシンは、人間の手では不可能な個所や病の治療に特に効果がある。
これを用いれば、これまで不可能だった治療方法が誕生し、多くの人々が……』
技術発表時の説明だろう。
男はそれを見て無言のまま一歩後ろに下がり、長いサイレンサーのついた銃を向ける。
バシュバシュッ
短い音を立て、パソコンは動きを止めた。
男は他の者たちの様子を確かめ、銃を収める。
「出るぞ」
容器の入ったケースを持った者を先頭に、シンジを運び出した。
そして、最後の1人が部屋の電気を消す。
侵入者たちは、真っ暗になった研究所の廊下を昼間と同じようなペースで走った。
それでもかなり長い廊下を移動し、ようやく入り口にたどり着く。
だが、そこまで来て先頭を走っていたリーダーらしき男が鋭く言った。
「!?…止まれ」
その声で全員が一斉に足を止める。
「……………」
入り口に誰かが立っていた。
そこの壁にもたれるようにして、真っ暗闇の中を立っていた。
しかし、その人物はそんな暗い中でも目立つ。
シルエットだけしか見えないが、背中にかなり伸びた長い髪。
背もそれほど高くない。
その右拳には薄めのモノだが、はっきりと分かるナックルグローブが見えた。
「……何者だ」
「……………」
リーダーらしき男が短く問い掛ける。
その瞬間から、すでに手は銃を握っていた。
「……貴様…」
「同業者よ。……一応ね」
少し高めの落ち着いた声を出し、もたれていた壁を離れた。
そして、右の拳を前に突き出して黒ずくめの集団を威嚇する。
「アンタたちの邪魔をするだけよ」
その言葉を聞くなり、黒ずくめの集団の前の2人が動く。
サイレンサーで消された銃声が3つ聞こえた。
ババッバシュッ
長い髪の者は、あっさりとその銃弾を正面から避け、相手の1人に近づくと凄まじい音を上げた。
右拳のナックルグローブが唸りをあげる。
ズバンッッ!!
「があぁっ!!!…」
ドサッ…と派手に倒れる音を立て、黒ずくめの1人が一撃で沈んだ。
他の黒ずくめに、一気に緊張が走った。
間を空けずに、黒ずくめのリーダーらしき男が銃を収めて蹴りかかる。
凄まじい蹴りが空を切る音と共に飛ぶ。
しかし長い髪の者は、その足をサバくどころか上手く脇に抱え込んだ。
足を掴んだまま、逆に顔面を捉える蹴りを繰り出す。
シュッ!!
リーダーらしき男は顔面にヒットするのは避けたが、固められた足を無理に抜いてふらつく。
そのまま、片膝をついた。
髪の長い者は、それを見て構えを解いて言い放った。
今度は、拳を出して威圧することもしない。
「アンタたち、相手にならないわね」
「……………」
「運ぼうとしてたモノを置いていくのよ。まだ、死にたくないでしょう」
両者の間に、沈黙が訪れる。
「……引くぞ」
黒ずくめの集団は、その声で全ての荷物を置いた。
そして、その代わりに倒れた1人を担いで入り口から出て行く。
何十秒もしないうちに、その場には黒ずくめの集団は完全に消えていた。
朝の匂いがした。
「……………」
瞼を閉じていても分かるくらいの日差しが、強くシンジの目に差し込んでいた。
微かな音を立て、鳥が飛んでいる。
シンジはゆっくりと目を空けた。
辺りを見回すと、マンションの自分の部屋であることが分かる。
シンジは違和感を覚えて、昨日のことを思い返した。
『僕は……研究所にいたはず……』
ワケの分からないシンジは、部屋を出てリビングに入る。
そこで、何かが眼の端に映った。
リビングの反対の大きな窓に、気持ち良く晴れた外を眺めている女性の後ろ姿。
背中まで伸びた長く綺麗な髪は薄い栗色で、頭の上の方に赤いピンのようなもので止めてある。
背丈はスラッとしているが、それほど高くない。
両手を中央で組み、窓のにもたれかかりながら外の景色を眺めている。
シンジは、驚きのあまり動けなかった。
今の自分の置かれた事情が全く飲み込めない。
「目は覚めた」
「……えっ」
「……………」
そう言って、その女性はシンジに向き直った。
それまで見たことも無いような可憐な女性。
強い日差しで表情が少し見えにくいが、その蒼い瞳がシンジにはっきりと印象付けた。
End of Code - 01