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「回 想」外伝


暗  躍  〜 男達のメロディ 〜  




「はぁ、口の中がシャリシャリする」

そう言って男は砂混じりの唾を吐き出した。

「しかし、資料の予測値も当てになりませんねぇ。
 言われる通りに悪戯しておいたけど、よもやあんなに大きな爆発になるなんて想像してませんでした。
 危うく巻き込まれる所だったし。これは、課長に文句の一つも言っておかないと。
 ・・・しかし、この車はもうダメですね。レンタカーなんですけど・・・」

ボディがボコボコになった車の脇で男は小さい溜息をつく。
さっきまで、一人でひっくり返った車を起こそうと奮戦していたがどうやら諦めたようだ。

「さて、仕方がない。帰りは歩きだな」

地平線が見える。
ここから一番近い街まで50Km。砂漠の真ん中を真昼間に歩いて行かなくてはならない。
暑くなりそうだ。
ハンカチで額の汗を拭うと、男はやってきた方向 −背後− を振り返る。
視線の彼方。200Km離れた砂漠の真ん中には、綺麗なすり鉢状のクレーターが広がっている事だろう。
クレーターの中心地、NERVアメリカ第2支部。
男はそこからやって来たのだ。

「あぁ、そうだ。さっきの衝撃波の煽りを喰らってヘリが墜落してたな。
 連絡しておいて差し上げましょう。
 ・・・街に着けたら」




ネバタ砂漠の真ん中で、男が独り言を呟く羽目になる1時間前、NERVアメリカ第2支部の警備員達
は久しぶりに燃えていた。

最近トンと無かった侵入者だ。どうせ何処かの情報部員だろう。
気にする事はない。追いつめて、せいぜいいたぶってやろう。

獲物を前にした猫の様な残忍な笑みを浮かべると、名も無い警備隊の分隊長は、掌で感じる
ステアーMPi81の冷たい感触を確かめる。銃の力と己の力との奇妙な一体感を感じるひととき。
そうやって陶酔している彼のもとに、部下からの報告がもたらされる。

「分隊長、侵入者を捕捉しました。第二格納庫の南端です!」

「よし。獲るぞ」

「了解!」

無力な獲物相手に行う、知り抜いている庭先での気楽な狩猟。
参加する全員がそう考えていた。

気になる事と言えば、1時間後に技術部が危険な極秘実験を行うと言う事ぐらい。
しかし、警備部員には関係のないことだ。今は目の前の獲物を仕留めることだけ考えよう。
何処まで忍び込んで、何をしていたのか。気にはなるが、調べるのは後回しだ。

部下達は統率の行き届いた、一切無駄のない動きで侵入者の潜んでいる第二格納庫を封鎖する。
分隊長は日頃の訓練の成果に気を良くしていた。

「ヤツの武装は?」

「確認出来ているのはハンドガンだけです。フォルムから恐らくはレーザーサイトを付けた
 ベレッタのM93Rかと。今までに6発撃っています」

その報告に満足すると、彼は部下達にハッパをかける。

「侵入者の武装はハンドガン。ベレッタM93R。1マガジンで15〜20発の装弾数だ。
 今までに6発使っているから、残りは10発ないし15発だろう。
 訓練通りにしてれば楽に獲れる。ただ、相手の銃は3バースト、一度トリガーを引くと
 3発発射できる。留意しなければならない点はそれだけだ。残弾数、装備、数で勝る我々が有利だ。
 しかし、絶対に気を抜くな」

「「「はい」」」

部下達の返答に頷いて満足の意を表すと、改めて命じる。

「突入はカウント3だ。 行け!」

彼の部下達はそれぞれ事前に決めた配置に付いて行く。
心地よい緊張感に包まれる。きっかり1分後に彼の元に通信が入る。

「分隊長、総員配置完了です」

よし、一仕事片づけようか。

「以後、無線オープン。カウント2」

静かな殺気が辺りを包む。

「1」

獲物がゴソゴソ動いている気配が感じ取れる。
だが、もう遅い。頬が緩む。

「GO! 全班突入!!」

子飼いの部下達が一斉に侵入者に向かって襲いかかって行く。
穴だらけになった、ボロ雑巾の様なスパイの姿が一瞬見えたような気がした。
辺りに悲鳴がこだまする。
そして、・・・彼の部下達が次々横たわっていく。
何が起こったのか把握出来ない。
バカな。一体何が起こったんだ。混乱した頭は何も有益な答えを返してこなかった。

乱戦の中、いつの間にか侵入者と向かい合っている自分の姿に、彼は気が付いた。
初めて見るその男は、およそスパイの概念を冒涜した様な格好で立っている。
スーツにネクタイ、黒い革靴。真っ白いワイシャツ。丸眼鏡。
おまけに頭は七三にキッチリ分けている。その上、左手にはブリーフケースまで下げている。
そして、その表情は目尻が下がってニヤケている。

男の格好を目の当たりにして、自らの職業的義務感について何かバカにされたような気がするのを、
果たして単なる被害妄想と言うのだろうか。
そこまで観察してから、ようやく男の持っている武器に目がたどり着いた。
持っている銃は確かに報告通りのベレッタM93R。レーザーサイトも付いている。
そして、グリップの下にはフライングソーサー(フリスビー)。

フリスビー?
違う! あれはスネイルマガジン!!
混乱が収まらないままに彼は抗議の叫びを上げてしまった。

「ぬわんて、インチキ!」

「正々堂々勝負しろ」「そんなマガジン反則だ!」「そうだ、そうだ!!」

生き残りの連中が後に続く。特務機関NERV、結構ノリの良い連中で構成されているらしい(^^;

です」

澄まして、子供の喧嘩の様な答えを返す。侵入者のノリも結構軽い。をひをひ(^^;;;
軽いノリとは裏腹に、ベレッタM93Rが燃焼ガスの熱い吐息を漏らしていく。
その度に、3バーストの圧倒的な制圧力が警備員達に銀色に輝く9mmパラべルムとの熱い抱擁を強制する。
100発近い装弾数を誇るスネイルマガジンを付けている為か、残弾数を気にせずバラ撒く。

「ヒキョー ものーーーーーーーーーっっっっっっっっ」

薄れ行く意識の中で、名も無い分隊長には侵入者が悠々と脱出していく後ろ姿を見送る事
しか出来なかった。




新世紀を目前に控えた年に、南極に大質量隕石が落下した。
その為に、地球上は様々な災厄に見舞われた。

およそ考えつく限りの自然災害。
・・・そして人的災害。内乱が起こり、治安は乱れ、大規模な軍の移動が行われた。
産業基盤は打撃を受け、世界人口は減少し、地球は以前に比べ静かな惑星になった。
新しい技術開発を行う余裕などなく、旧世紀の技術の維持だけに各国は国力の大半を傾けざるを
得なかった。一国での再建は困難であり、為にかつては単なる仲良し倶楽部でしかなかった国連は
21世紀の地球の政(まつりごと)を一手に引き受ける存在へと変貌を遂げた。

しかし、災厄から10年もすると復興の早い国が現れ始める。
そんな国の一つが極東の島国、日本。
ある特務機関の総本部が在るために権力の二重構造を強いられる国。
それがその国の権力者達には面白くない。例え、その機関のお陰で国が潤っているのだとしても・・・・・




第二新東京市。
太平洋の水面に没した旧東京に替わり、日本の政治と経済の中枢を担う街。
大蔵省の庁舎は、そんな第二新東京市のCBDのほぼ中心に位置していた。
国民の文化的な生活を維持するために、血税のより公正な再分配を使命とする公僕達の集う場所。
そんな建物の13階の執務室から地上を眺めている男の姿があった。
背の高い優男。甘いマスクは世の女性の8割以上の審美眼に耐えるだろう。

「『・・・夜よ来たれ   時の鐘を打ち鳴らせ
     日は過ぎ去りて とどまるは・・・我』か・・・」

感傷に満ちた、古い詩文がその口の端からこぼれる。
不意にデスクの上のインターホンが彼の名を呼ぶ。

「麻生副部長、外務省の入江様がお見えです」

秘書の柔らかな声が訪問者の到着を告げる。

「入って貰え。それから、藤波補佐官がみえたら、知らせてくれ」

「はい、畏まりました」

そして、麻生が執務室に作りつけの流し台で二人分のコーヒーを入れる事に夢中になっている間に
来訪者は部屋に入ってきた。

入江省三。畏まっていても、何処か人を小馬鹿にしている様なニヤケた造りの顔。
そして、掛けている丸い眼鏡が、見る者に対し何処かトボケた印象を強調して与えている。
慣れているのか、入江は部屋にはいると造り付けの流しの前で奮戦している麻生の背中を眺めている。
細心の注意で桂が入れているのは・・・出涸らしのアメリカン。
何処にそんなに拘る所があるのか? おそらく、当事者だけにしか判らない事なのだろう。

「ご苦労だったな、適当に座ってくれ」

入れたばかりのコーヒーを、麻生はトレイには載せずソーサーに載せただけで運んでくる。
そして来客用のソファに座る男の前に置く。

「砂糖も、ミルクも無しだったな」

そう言って、麻生は来客に勧める。

「頂きます」

「鰺サンドも、喰うか?」

「はい」




二人は出涸らしのアメリカンと鰺サンドを堪能した後ようやく話をはじめる。

「で、首尾はどうだった? あの人形の四番目とリキトアの魔女は始末できたのか?」

麻生のさりげない問いかけに、入江は澄まして応える。

「出張報告書は外務省に提出してあります。詳細はあちらの課長にお問い合わせ下さい。」

予想していた答えなのか、それ以上の追求はしない。

「外務省に出向してからすぐで悪いが、今度は内務省調査部に出向だ。
 辞令受領後は首相補佐官の藤波補佐官の直接指揮下に入る。装備は特査の物を使って良し。
 ま、詳しい事はもうじき当の本人が来るから、直接訊くと良い」

まるで待っていたかの様なタイミングで、デスクのインターホンが軽やかなメロディを奏でる。

「麻生副部長、首相補佐官の藤波様が第二会議室でお待ちです」

来客の到着を、秘書の柔らかい声が告げる。
インターホンを切ると、麻生は目で合図する。
入江は一礼してから部屋を辞した。
部屋を去る入江の背中を眺めていると、デスクの端にいつも飾ってある古い写真が目に映った。
我知らず、苦笑が浮かぶ。 写真を手に取り、暫し眺める。

写真はどうやら友人達との記念撮影の物らしい。バックに写っているのは学校の正門だろうか。
古い写真には若い男女の姿が焼き付けられていた。
一人は、何処かまだ幼さを残した様な表情の麻生。
端正な顔が歪む。
そうして、苦い思いを嚥下する。
嚥下しきれなかった思いが口を衝いて出る。

「『日は過ぎ去りて とどまるは 我』か。
 ・・・・・・俺は、変わったよ。昔のままではいられなかった。
 葛城、赤木。こんな俺を、君達は決して許してはくれないだろうな」

頭を軽く振って部屋を出ていく。
後には、古い色褪せた写真の若者達だけが無人のデスクの向こう側に向かって静かに微笑んでいた。

男が後にした部屋は、大蔵省査察部特殊査察部副部長室。
国の情報機関の一つであり、国内では最も優位にある機関の一つでもある。
男の後にした部屋は、その責任者の居室である。




「NERVへの潜入ですか?」

「あぁ、そうだ」

麻生に用意された大蔵省第二会議室で藤波の入江への新たな業務についての説明が行われている。

話を聞いた入江は、溜息こそついたがその顔は相変わらずニヤケている。
つい先日、別の国で、とは言っても殺し合いまでした組織の本拠地に行けと言われていながら緊張の欠片
も見せない。流石なのか、単にそう見えないだけなのか、向かい合っている藤波にも判断が付かなかった。
資料を手に、藤波は説明を続ける。

「以前から間(ハザマ)に調べさせていたんだが、NERV本部の地下に何やら大きな施設がある。
 そここそがNERVの本体であり、名称のみで、一切明らかにされていない人類補完計画の要になるらしい」

「間では無理なのですか?」

「かなりの所まで行ったんだが、何者かにNERVの電源ごと落とされてデータを失ってしまった。
 正規のプロテクトならそんな乱暴な手を使わない。明らかに第三者の妨害だ」

ハザマの名前を口にした入江ではあるが、ハザマとは如何なる人物なのか知りはしない。

間(ハザマ)ケンイチは、日本政府がNERV創設以前、計画の最初期から潜り込ませ、
今では最もNERVの奥深くに入り込む事に成功したと言われている男だった。
故に、彼は存在自体が最重要機密であり。名前はともかく、その正体を知る者は極限られた一部の人間だけである。

「NERVと使徒。そして人類補完計画とやらは密接な関係にあるらしい。
 だが、それらの関係と情報は極秘とされ、国連の常任、非常任を問わず安全保障会議理事国にすら
 知らされていない。
 もし、その情報を手にする事が出来たら、日本は国際政治の上で強力なカードを手にする事が出来る」

そこで一旦口を閉じると、悪戯っ子の様な表情を浮かべて冗談とも本気とも取れない事を言い出す。

「それに、あの碇にデカイ顔をされる事も減るってモンだしな。
 ま、いろいろ言いたい事もあるだろうが、これも悲しい宮仕えの性だ。諦めろ」




新箱根湯本駅に入江が降り立ったのは日も暮れかけた頃だった。取り敢えず今日はホテルに泊まって
ゆっくり休むことにしよう。
そう考えた入江は、もっとも近いホテルをタクシーの運転手に告げるとゆっくりと瞼を閉じた。

入江が疲れを癒している頃、第三新東京市の地下に広がるジオフロント内部ではNERVの職員達が
半ばパニックの様相を呈して走り回っていた。

「アメリカの第2支部が消滅してから今日で7日。
 S2機関の実装実験の最中の事故らしいと言う事以外は一切不明とは一体どういう事かね、赤木博士。
 場合によっては参号機の起動実験、おいそれと行う訳にはいかんのだよ」

苛立った調子で冬月NERV副指令が赤木リツコ博士に説明を求めている。その傍らには
リツコ付きの伊吹マヤと情報部所属のオペレーター青葉シゲルが控えている。
薄暗い部屋の床には、第2支部消滅の瞬間を捉えた衛星からの映像が繰り返し流されている。

「その件に尽きましては、現在MAGIを使って材料の強度不足から設計初期段階の
 ミスまでの三万二千七百六十八通りの可能性、全てを洗わせています。」

リツコが屈辱感から唇を噛む。
それに気が付いたマヤは気忙しげにリツコと冬月を見比べているが、それ以上の行動を起こせないでいた。
そんな時、一人の男によって分析室の薄闇が破られる。
無精髭を生やし、後ろ髪を束ねた男が分析室に入ってきた。

「碇指令。今回の一件、どうやら事故ではなさそうです」

「どう言う事なの加持君?」

振り向いたリツコに向かってニヤリと笑ってみせると、手を組んだままで、未だ一言も発していない男
に向かって報告する。

「事故直後、アメリカから日本に向かう民間機の乗客名簿に気になる名前を見つけました。
 マヤちゃん、このディスクを」

そう言って、持ってきたディスクをマヤに手渡して操作を頼む。
乗客のリストが巨大なディスプレイに流れていく。

「止めて。
 事故当日、ある航空会社の最終便の旅客名簿です」

加持の指さした画面を食い入る様に見つめる一同。




23 Peter  Godert
24 Dug   Polen
25 Johan  Kosinsuky
26 Syouzou Irie
27 Nobuatu Aoki
28 Scotte Rassel 



       
   
「これがどうかしたのかね、加持君」

期待した分、裏切られた気がしたのだろう。冬月が不機嫌さを隠すことも忘れて加持に問う。

「26番目を見て下さい」

Irie? この人がどうしたって言うの、加持君」

「リッちゃん、この入江省三って言うのはその筋では有名なヤツなんだ。
 氏名以外は一切不明の日本政府の不正規活動員。よその国にとっては、恐怖の象徴ってトコだろ。
 コイツが派遣されたら、日本政府は本気で事を構えるつもりだと判断してもいい位のヤツさ」

「で、その彼が爆弾でも仕掛けたって言うの?
 第2支部の警備はここ程じゃないけど侵入なんて出来る程甘くないのよ。
 第一、半径89Km以内の関連施設を消滅させる爆弾なんて無いわよ」

「実装実験中のS2機関が有るじゃないか。アレを暴走させれば訳ないさ」

「本気で言ってるの?
 S2機関の保管されている格納庫がどれだけ厳重に警備されているのか、
 アナタ知らない訳じゃないでしょう?」

「それでも、さ」

そう言って肩を竦める加持に、リツコは吐き捨てる様に応じる。

「話に成らないわ」

それまで、二人のやり取りを沈黙の内に眺めていた男がその重い口をようやく開く。

「もう、良い。全員下がりたまえ」

出席者全員は、指令と副指令に一礼すると部屋から退席していった。部屋の中には、
薄闇と口論の残滓と、二人の男だけが残った。

「今回の一件、老人達の警告と言う訳らしいな」

冬月が溜息と共に自らの考察を述べる。

「誰に対する警告になるのか、興味有るな」

一向に動じる気配のない男の発言が気に障ったのか、冬月がやや皮肉を込めて受け応える。

「自分達の手足だった筈の組織を私物化し始めた男に対してだろう」

そう言われて返事を返さない事に、やや溜飲を下げたのか更に分析する。

「エヴァの建造を遅らせてでも、こんな警告を発してくるとはな。
 このことをネタにお前の責任を追及、勢力を削ごうとでも考えてるんだろう。
 実行面は、大方お前の事が気にくわない日本政府を焚き付けでもしたんだろう。
 第二の連中にしてみれば、使徒の迎撃は3機もエヴァが在れば十分だし、
 日本以外の諸外国がエヴァを保有する恐怖も回避できる。
 参号機は日本に移送される事だし、まずは狙い通りと言うところか」

「好きにはさせんよ」

そうして不敵に笑ってみせる。
短い答えは、日本政府と委員会、果たして誰に対するものか。
権謀術数に長けた男達の会話は静かに続く。そんな会話に薄闇だけが、ただ静かに耳を傾けていた。




自室に向かう通路に甲高いヒールの音を反響させながら赤木リツコが足早に歩を進めている。
先程の加持とのやり取りにブツブツ文句を言いながら。

傍らに寄り添うマヤは、何とか彼女の気を静めようと無駄な努力を繰り返していた。
しかし、リツコの目にも耳にも何も入ってきていない。ただ、いかに自分の置かれている状況を
打破するか、それのみに意識を集中していた。

「・・・あのぉ、先輩? 聴いてます? ねぇ、先輩?」

「何が、有名なヤツよ。たかがスパイにあの厳重な警備網を廻潜れる訳無いじゃない。
 あそこの警備は私が組んだのよ。失礼しちゃうわ。ブツブツブツ

「先輩(泣)」

まとわりつくマヤには一向に目もくれずブツブツ呟いているリツコ。

「せんぱぁい(泣)」

いくら呼びかけてもリツコの意識は向こう側から帰ってこない。そして、そのまま通路の角を曲がって
マヤの視界から消えてしまった。

今にも涙が溢れそうなウルウルおめめで、床に「の」の字を書いてマヤがいじけていると、ファイルを
抱えたシゲルが小走りでやってきた。

「よかった、マヤちゃんここに居たんだ。
 副指令が、さっき加持さんが言ってた「入江」について俺と君とで調べろってさ。
 ・・・マヤちゃん?」

そこまで言って、ようやくシゲルは彼女の様子に不審を抱く。前に回ってマヤの顔を覗き込むと顔に
手を当てて天を仰ぐ。

「ダメだぁ。マヤちゃん逝っちゃってる」

「せんぱぁい(泣)・・・・せんぱぁい(泣)・・・・せんぱぁい(泣)」

伊吹マヤ。清純なその外見とは裏腹に、業の深い女性らしい(^^;




発令所で所在なげに、ミサトがマコトと交代のオペレーター達の引継作業を見ていた。
ここに居ても特にやる事も無い。
第2支部の消失事件は重大だが、ことが戦闘ではないので作戦部は今回はお呼びじゃない。
それならさっさと帰れば良いのだろうが、何となく帰りそびれたと言うのかズルズルと居残っている。
それでもいい加減飽きたのか、今は反応が可愛い彼女の玩具達の事を考えている。
まぁ、内一人は玩具と言うには剣呑過ぎたが・・・

ここ暫く、忙しくてあの二人を肴にビールも飲んでいないわね。
そうね、ここに居てもしょうがないし、久しぶりに我が家に帰ってシンちゃんの手料理で
エビチュを味わおう。
そう考えたミサトが帰り支度を始めていると、発令所にマヤとかなりやつれた表情のシゲルが入ってきた。

大方、先程までの会議が終わったのだろう。が、オペレーターは既に交代しているし、今更二人が
此処に戻ってくる必要はない。ミサトが不思議がっている先で、更に二人はそれぞれのシートに
では無くMAGIの端末の前に腰掛けた。

何を始めるんだろう?

好奇心を刺激されたミサトは、帰り支度を途中で放棄すると二人の背後に回り込み、その手元を
覗き込んだ。

「・・・な訳だから。ここと直接には繋がずに、松代を経由して外と繋ぐわね。それで良い? 青葉さん」

「あぁ、任せるよ。
 ・・・ハァ、始める前からこんなに疲れるなんて。こんな任務は初めてだよ。いや、憑かれるかな?」

何かあったのか、その愚痴は妙に重い。

「ねぇ、ところでどっから手を着ければいいの?」

マヤの問いにヤレヤレと言った体でシゲルが応える。

「無害なところから始めるんだよ。
 もしくはアクセス数の多いところからね。ガードはその分甘くなるから」

その指示に従い、マヤはアクセスを開始する。

「入国管理局のデータにアクセス。フフフッ、甘いわね。
 今時そんな手に引っかかる訳無いじゃない、出直していらっしゃい。
 ・・・青葉さん、加持さんの言っていた「入江」の記録を見つけたわよ」

マヤに対して引きが入ってるシゲルの後ろで、ミサトは加持の名前にピクリと反応する。
そして、そんなミサトの存在に二人はまだ気が付いていない。

「何処の所属?」

「外務省だって」

「ここから人事のデータベースに飛べる?」

「多分平気だと思うわ。MAGIの力を借りれば多少のプロテクトは破れるもの」

「頼もしいね」

ぷろてくと? 破る?
不穏な単語にミサトは不信感を抱き、何をしているのか二人に訊ねようとした。
そんな矢先にマヤの素っ頓狂な叫びが耳朶を打つ。

「ちょと、あんた達――」

「なに、コレ!?」

ディスプレイの画面は、どこかの人事データベースだろうか。しかし、その内容はあまりに異様であった。

氏  名: 入江 省三 
生年月日: CLOSED
本  籍: CLOSED
現 住 所: CLOSED
血 液 型: CLOSED
      CLOSED
      CLOSED
        ・   
        ・   
        ・   
所属部署: CLOSED
        ・   
        ・   
        ・   
        ・   
        ・   
        ・   

名前以外のデータは全て「CLOSED」。顔写真すら「CLOSED」の表示で埋められれている。
マヤが必死で閉ざされた欄を開けようと頑張っているが、よぽど強力なプロテクトが掛けられている
のか状況に変化はない。

・・・或いは、最初から存在しないのか。

シゲルとミサトがほぼ同時にその考えに達した時、彼らに声を掛ける者がいた。

「何をしているの、あなた達!」

その時、背筋を伸ばして白衣を身に纏い颯爽と歩くリツコと、だらしなく無精髭を伸ばし無気力そうに
歩く加持が発令所に姿を現した。

「せんぱ 葛城さん、いつから居たんですか!?」

リツコの声を聞きつけて慌てて振り返った先に、ミサトの顔を見つけてマヤが悲鳴を上げる。
シゲルも声こそ飲み込んでいるが表情はマヤと大差ない。

「やぁねぇ。アンタ達が入ってくる前から居たわよん」

とぼけた返事に何とも言えない表情で顔を見合わせている二人にはお構いなしに、リツコと同じ質問を
繰り返す。

「ホント、アンタ達なにしてるの? MAGIまで使って」

「副指令の命令で、『第2』のデータベースに潜っていたんですよ」

近づいてきたリツコと加持、ミサトに向けてシゲルが状況の説明を行う。
その時、ディスプレイの異常にリツコが気付く。

「マヤ、侵入者の警報出てるわよ!」

リツコの指摘にマヤが慌ててコンソールに向き直る。

「え、ホントだ。どうして? 全部回避した筈なのに・・・」

「いいから、防壁展開して!」

リツコがテキパキと対応を指示してる脇で、加持は苦い顔をして立っている。

「先輩、防壁が第2層まで破られました。第3層も時間の問題で・・・第4層に到達してます」

流石のリツコもあまりの進行速度の速さに呆然としている。対応が全て後手に回ってしまっている。
今や、発令所はMAGIへの謎の侵入者への対処で、蜂の巣をつついた様な様相を呈している。
そんな中、加持がぽつりと呟いた。

「まずいな、噂には聞いていたが。攻性防壁、これ程とは・・・」

そうして、怒号と混乱の巷と化した発令所からそっと抜け出すと、自室に向かって目立たない程度に
急いで向かった。そこにある特務回線で連絡を取る為に。
MAGIを介す事がない特殊回線は、誰かに聞かれては困る内容の話をするために存在する。
この状況下で一体誰に連絡を取ろうというのか。

誰にも知られる事無く発令所を後にした筈のその背中を唯一見つめている瞳があった。
しかし、その瞳は濃い色のレンズに隠され、そこから余人がその表情を読みとる事は出来そうになかった。




「おやおや、圧してますね」

NERV本部が謎の侵入者への対応で大騒ぎになっているのと同時刻、入江は第三新東京市の
とあるホテルの一室で、衛星回線を用いてネットワークと繋いだノートパソコンのディスプレイを
覗き込んでニヤニヤしていた。
液晶ディスプレイの中では、日本政府の保有する大型コンピューター「石之鋭脳(セラエノ)」が
MAGIを浸食していく様が映し出されている。

ハードウエアの性能から見れば、その先端に位置するMAGIには大きく水を空けられている。
しかし、そのハードの性能に寄りかかっているMAGIに対して、性能面で劣っている石之鋭脳(セラエノ
は天才技術者達の手によって、ソフトウエアと言う点から見れば成熟の極みに達していた。

現に、今展開している攻勢防壁は現在までに退けられた事はない。以前に侵入してきた
ドイツ支部のMAGIコピーをも逆制圧し、内部への侵入キーを相手に悟られることなく入手している。

入江は今回、自らの行動を餌にしてNERVが第2新東京市のデータバンクにハッキングをかけてくる事を狙っていた。それによってMAGI内部へのアクセスキーを入手、最終的にはIDカードを偽造するつもりだった。

その狙いが成功したかと思われた矢先、一瞬の表示と共に進行状況を告げるアニメーションのベクトルが逆転した。
MAGIオリジナルが石之鋭脳を押し返し始める。
何度か瞬きする内にセラエノはMAGIからはじき出されてしまった。
その有様を目の当たりにした入江は暫しの間無言でディスプレイを眺め、そして呟いた。

「やられましたね。
 あそこの技術部の責任者はリキトアの魔女でしたっけ。
 しかし、いくら魔女相手でも妙に軽すぎるのが気になるな。
   ・・・では何が・・・停止キーが使われたのか・・・」

モニターの放つ仄かな灯りの中、思考の海を漂う。

如何に不出世の天才とは言え全くの初見で撃退される程、石之鋭脳のハッカー制圧プログラム
”攻勢防壁”は甘い造りには出来ていない。
加えて、その活動を停止させる”停止キー”は部門責任者 −副部長− 以上の権限が無ければ知り得ない。
何より、停止キーの入力は本局でなければ不可能だ。
だが、この作戦は首相官邸からの特命で許可も得ている。連絡も無しに止められる事はないだろう。
停止キーにしてもスパイが独自に、おいそれと知り得る事の出来ないレベルの情報である。


つまり――


思ったよりも大きなヤマになるかも知れない。
入江はそう考えた。

「まぁ、今日の所は敬意を表して退くとしましょう。
 ・・・松代のキーは手に入れてますし、ね」

しかし、そう言いつつもベッドサイドの受話器に手を伸ばす。
最低でも誰が何処で何をしたのか、情報を集め、分析し、対処を決めておかなくてはならない。
でなければ、生き残ることすらおぼつかない世界で彼は暮らしているのだから。


「あっ、明日は不動産屋を廻らないといけないんですね。根拠地とそこからの退路の確保。
 隠密性の検討と対抗組織の仕掛けた罠の可能性の検討・・と予算かぁ・・・ハァ。
 見つかりますかねぇ。・・・ヤレヤレ」

国民の生活水準は、以前に比べれば大分ましになってるとはいえ、まだまだセカンド・インパクト以前とは比べモノにならい。
国内から餓死者の報告が途絶えてからまだ5年しか経っていない。
そして、視点を世界に広げてみればまだまだ貧困に喘ぎ、餓えた国民を抱え途方に暮れている国の方が圧倒的に多い。
日本はある意味特別なのだ。
そんな特別な国、日本にしても国民から預かる予算は潤沢とは言えない。
再開発の手どころか、予算不足で修理が出来ない橋梁や道路、改修されていない河川がまだまだ国内にも多い。
そんな事情のしわ寄せがこんな所にも廻ってくるのだろう。

そんな情勢下でやりくりをしている国々の中にあって、異彩を放つのが国連直属の特務機関NERVである。
謎の生命体、使徒撃退を名目に各国から資金を吸い上げ続ける。
その使命の困難さ、重大さは充分認識されている。されてはいるが、その存在を知る関係者の目から暖かみが欠けてしまうのは一方的にこちらの非なのだろうか。そして、今の日本がNERVの落とす金によって辛うじて運営されているのだと判ってはいても・・・
窓ガラスに写る自分の顔の向こう、赤く点滅する航空灯の遙か彼方で闇に沈んでいる山の稜線を見つめながら入江は独りごちる。

「ヤレヤレ。同じ『公務員』だって言うのに随分違うものですね」




太古はともかく、現代では夜は安息のための時間ではない。
自らの手で光を生み出した生き物達は星々が瞬く時間も活発にその活動を続け、休む事がない。
まして、大深度地下には昼夜の区別は存在しないのだから尚の事であろう。

「あぁ、シンちゃん? ゴミン、今日も帰れないわ。
 ・・・うん、そう。ゴメンね。・・・うん。アリガト。
 じゃぁ・・・そうそう、アスカと二人ッきりだからって悪戯しちゃダメよ
 ・・・あはははは、じゃぁね」

「私です、議長。MAGIへの侵入者が・・・・はい、恐らくは日本政府の。
 こちらだけでは押さえ切れません。・・・はい、お願いします」

「私です。さっきの侵入者の対策会議を・・・はい・・・では、明日の朝イチで。
 ・・・では、お待ちしています」

「今日、侵入者があった。何処の誰か調べろ。・・・そうだ。
 こちらの情報網は使うな。・・・そうだ、気付かれるかもしれんからな。
 それから、彼に対する監視の目を強化しろ、・・・そうだ。
 あぁ、あとは任せる」

地上と、そしてジオフロント −NERV本部ビル− では神に弓引く者達の為に煌々と灯る明かりが、
神の与え賜うた安息の刻 −夜の闇− を拒否し続けていた。




「ねぇ、この席空いてる?」

「えっ? あぁ、空いてるよ」

いきなり見ず知らずの相手から声をかけられる事に、坊ちゃん育ちの桂は慣れていなかった。
しかも、声をかけて来たのはセミロングの綺麗な女性だった。

「はぁ、良かった。寝坊して来たら席埋まってるし。周りは知らないヒトばっかでしょ?
 もぉ、心細くってさ」

そう言ってケラケラ笑い出す。どっからどう見ても人見知りしているようには見えない。
桂が返答に屈して何も言えずにいるのも気が付かないのか、その女はあくまで自分のペースで延々好き勝手に喋り倒している。
実際にはそれ程の時間でもなかったのだろうが、喋りたい事を喋り終わると女は唐突に名乗った。

「―――と、言うわけ。
 ところで、自己紹介がまだだったわね。
 アタシはミサト。葛城ミサト。宜しくねン! ・・・ねぇ、聴いてる?」

ようやくミサトのお喋りから解放され、疲れ切った顔で返事を返す。

「う、うん。 僕は桂、桂ジュンジ。こちらこそ宜しく」

大学に入って初めて出来た友人、葛城ミサトとの、これが出会いだった。



一向に劇的ではない出会いではあったが、二人とも気があってよく逢ったし、会話を愉しんだり
どこかに出かけたりを繰り返した。今でこそ呆れるほどに良く喋るミサトが、かつては失語症だったと
打ち明けられて、そのギャップに戸惑ったりもした。

仲のいいカップル。敢えて言えば、そう表現することも出来る。
しかし、ミサトの成熟した体つきとやや童顔な桂の顔とが相まって、どちらかというと仲の良い姉弟と
言った感じだと、二人を知る友人達から評されていた。
そう言われて、困った様な表情を浮かべて顔を合わせると、肩を竦めて笑う二人だった。

車には目がないが、それ以外にこれといった趣味のないミサトと違って桂はいろいろな趣味を持っていた。
そして、詩が好きな桂は、よく出かけた先に詩集を持っていってはミサトに読んで聴かせた。
特に気に入っていたのがセカンドインパクトの遙か以前に創られた、古いフランスの詩だった。

「・・・日は過ぎ、週は巡りぬ
 夜よ来たれ、時の鐘を打ち鳴らせ
 日は過ぎ去りて 留まるは、我」

読んで聴かせる度に、決まってミサトは言った。
感傷的な詩ね。私みたいな女には一生縁が無さそうだわ。
そう言って笑うミサトをまぶしげに眺めているのが彼はとても好きだった。


そんな慎ましやかな幸福に転機が訪れたのは大学二年の夏だった。
いきなり実家に呼び出されたかと思うと、桂は一族会議の席上に引っ張り出され、そこで結婚を告げられた。

大学の友人達には一言も告げてはいなかったが、桂の家柄はいわゆる名家で、父親は国防族の国会議員
であり周りからは「先生」と呼ばれていた。
そんな家の長男に生まれたお陰でセカンドインパクトの混乱期にも、困窮する同級生をしり目に
衣・食・住ともに何不自由のない少年期を送ることが出来た。

しかし、そんな生活と引き換えに自分の人生が自分だけの物ではない事も常に言い聞かされてきた。
幼少の頃から父親、と言うよりは一族の用意したレールの上を踏み外すことなくトップで走り続ける
ことを要求された。そして、見た事もない一族の誰かの為に富を生み出して行く事、一族を繁栄させる
ことが義務であると繰り返し諭された。
そして、いつしか自身もそれを当然と考えるようになっていた。


そういった一族の行く手が陰ったのは、桂が大学に入って暫くした頃からだった。
経営している企業グループが欧米資本の投資家に目を付けられたのだ。いかに切れ者とは言っても、
そう言った乗っ取りを生業としている海千山千の猛者に遭ってはひとたまりもない。
株の買い支えに走ってはみたものの、さしたる効果はなく、却って莫大な負債を背負う事となってしまった。

全ての財産を吐き出してもとても払い切れない。進退窮まったところに当の投資家達から声をかけられた。
曰く、その借金を肩代わりしましょう、と。
無論、好意からの申し出ではなく、当然の、或いはそれ以上の見返りを要求してきた。

日本政府の内部情報の漏洩、その内容に応じて負債額を軽減する。

国防族として、日本政府の政策決定にも関与する父親目当てであることは明らかだった。
防衛産業にも喰い込んで機密を扱っているグループ企業も魅力だったのだろう。
知略とそれを実現する実行力を兼ね備えた一族であったが、一度手に入れたものを手放す程の勇気は持ち合わせていなかった。
彼らは、契約書へサインした。
先の尖った尻尾を上等な仕立てのスラックスに隠した人達は、契約が成立すると満面の笑みを浮かべて
スポンサー達に報告する為に本国に引き揚げていった。

彼らのスポンサーの名がSEELEと呼ばれている事を知ったのは、桂がどうやっても後戻り出来なくなって暫くしてからの事だった。


グループへの金融支配強化と並んで、投資家達は人間への支配も併せて行った。
彼らは血統による関係強化を目論んで、桂の妻へと一人の女性を送り込んできた。
組織からの指示を伝達するオペレータと、逆らった時の処刑係。
そして血の融合を兼ねる女性。見え透いた手ではあった。が、拒否することはできない相談だった。

家族会議の席上で初めて顔を合わせた女、アイザティアーズ・トゥクルースはにこやかな表情を浮かべていた。
始めまして、これから宜しく。
貴方には、日本政府の中央省庁の高官として栄達していただきます。
お父様の影響力も十二分に行使しますが、貴方自身もそうなる様に努力して下さい。
女の顔を見続けていると、魂を抜き取られていくような気がして、思わず視線を逸らしてしまった。
妖艶な笑みを浮かべながら、女は鈴の音の様な笑い声を立てる。その声が、何か大切な扉の閉まる音に聞こえてきて仕方がなかった。


夏休みが明けて、大学に戻っても桂はミサトと顔を合わせることは無かった。意図的に避けた。
幾度か電話もかかって来たし、訪ねてきたこともあった。
しかし、その全てを桂は避けた。友人達を通じての接触も全て。

陰謀に加担して、売国奴と成らざるを得なかった自分自身を見られたくなかったと言う青年期の潔癖性もあっただろうが、実際問題として友人達と迂闊に接触することは憚られた。
当然、どこかから監視の目が光っている事は予想できたし、友人達をややこしい事態に巻き込む事は避けたかった。

ミサト達との付き合いが疎遠になって一年位経った頃、ミサトが男と付き合いだしたという噂を耳にした。
相手の名は、加持リョウジ。
あまり良い噂を聴かない男だった。女性関係では殊に・・・
上級公務員試験の準備の合間に、気になっていろいろ噂を集めてもみた。が、それで何が出来る訳でもない。
眺めているしかできない自分に、ミサトが自分の意志で選んだ男だと言い聞かせて無理矢理納得させていた。


そんなある日、学生食堂で遅めの昼食を摂っている桂の向かいに一人の女性が座った。
鮮やか過ぎる故に、染めたと解る金髪と理知的な瞳。何より目元の黒子が人目を惹きつける。
彼女の名は赤木リツコ。以前、ミサトに紹介された事がある。
彼女の親友と言っても差し支えはないだろう。

「話があるの。いえ、お願いがあるの」

何も言葉を発しないが、食事を摂る手を休めてリツコの眼を見る。
暫くリツコは返事を待っていたが、一向に返事は帰ってこなかった。
いい加減焦れたのか、沈黙を肯定と解釈したのかリツコは話の先を続けた。

「知っているでしょ、ミサトの相手。 加持リョウジ、彼は良くないわ。
 でも、周りにいる私達がいくらミサトにそう言っても聞く耳持たないの」

「・・・だから?」

ようやく帰ってきた桂の、あまりの返答にリツコは激した。

「『だから?』ですって! 止めてくれって、諫めてくれって言ってるのよ!」

「無理だよ。今は何を言っても逆効果、火に油を注ぐ様なものだよ。
 第一、僕にはそれを言う資格もないんだ」

「資格なんてどうでも良いでしょ!? アナタ、変よ!
 去年の夏、実家に戻るって言っていたけど、それからおかしいわよ。 一体何があったのよ。
 みんながどれだけ心配してるか、ミサトがどんなに――」

リツコの激高を、桂は静かに遮った。

「ゴメン。何があったかは言えないんだ」

「・・・アナタ一体・・・」

雰囲気から何かを感じたのか、リツコは探るような表情を浮かべる。

「ゴメン。
 でも、君もVIP、赤城ナオコの娘なら周りの雰囲気の変化に気が付いてるんじゃないのか?」

リツコが幼少の頃から、母ナオコには有能な科学者として国から密かに護衛が付いていた。
勿論、娘のリツコにも。
そう言った経歴から、リツコは周囲の雰囲気の変化に敏感だった。
故に桂が何を言わんとしているのか、どんな変化が起こったのか、何となく察することが出来た。

「・・・そう。何となく事情は解ったわ。
 みんなにも言っておくわ。御免なさい、アナタの事も考えなくて」

「・・・ありがとう」



高層マンションの一室から、桂は窓の向こうの雷雨をウイスキーを片手に独り、明かりも付けずに眺めていた。
瞳は大自然の抽象芸術を映しているが、心は別の事を、半年前のリツコと学生食堂で交わした会話を反芻していた。

出口の無い思考の迷路を彷徨っていると、不意に玄関の呼び鈴が客の到来を告げた。
一体誰だろう、こんな天気の日に。
ついさっき帰ったばかりのアイザティアーズの顔を思い浮かべる。何か忘れ物でもしたのだろうか。
いや、あの隙の無い女に限って、そんな事はあり得ない気がする。
ドアの魚眼レンズから覗くと、そこには雨に濡れたミサトが一人立っていた。
大慌てでドアを開ける。

「一体どうしたの? ずぶ濡れじゃないか!」

口を開きかけたミサトの機先を制する。

「事情は、今はいいから。さぁ、入って」

無理矢理部屋に引っ張り込むと、ミサトに考える暇を与えないように矢継ぎ早に指示を出す。

「バスルームはこの奥。取り敢えずシャワーを浴びて、暖まって。
 入る前に服を乾燥機に入れておく事。暫くすれば、乾くから。
 それまでの着替えは、まだおろしていないスエットがあるから。
 いいよね、それで我慢してよね」

ミサトは、その指示の一つ一つに素直に頷き、そしてバスルームに姿を消した。
暫くすると、シャワーを使う音がする。
水音を耳にしてから、初めて溜息をもらした。
彼女の頬が濡れていたのは何も雨のせいばかりではないだろう。
泣き腫らした様な瞳を見た時から、彼女がここに来た理由の大体の予想は付いていた。



ミサトがバスルームから出てくると、桂はキッチンで夕食の準備に忙しかった。

「あぁ、出たんだ。
 そっちでTVでも視ながら、もう少し待ってて。
 夕飯、グラタンでいいよね? って、それぐらいしか作れないんだけど」

そんな桂に一つ頷くと、ミサトは大人しく居間に移ってTVを点けた。
ソファではなく、床に膝を抱えて座ってTVを視ているミサトを眺めて、溜息をついてから料理を再開した。

熱いうちに食べてしまおうと言うことで、夕餉には些か早い時間ではあったが、二人は食事を摂ることにした。
特に理由を問いかけもしなかったので、ミサトも訳を話したりはしなかった。
と言うより、ここに来てから、まだ彼女は一言も言葉を発していない。
桂にも問い掛ける勇気は、無かった。
食器の起てる音のみの静かな、いささか気まずい食事が終わった頃、玄関で呼び鈴が音を立てた。

やれやれ、来客の多い日だ。そう思って玄関に向かう途中で、ふとミサトの様子を窺うと、
脅えた瞳をこちらを向けているのに気が付く。そこから何かを感じた桂は安心させる様に、力強く頷いて見せた。



ドアを開けると、そこには全身雨でずぶぬれになった、焦燥を色濃く浮かべた男が立っていた。

ハァハァ・・・初めまして。俺、加持リョウジって言います。
 あの、失礼だとは解っていますが、ここにミサト・・・葛城ミサトは来ていませんか?
 是非、会いたいんです」

別に名乗らなくても、ただならぬ様子を見ただけで、誰だか予想は付いていた。
憔悴しきった顔。額に張り付いた髪の先から落ちた水滴が、玄関先のコンクリートに黒い染みを作っている。

そんな彼の姿を見て、咄嗟に何と答えようとしたのか。拳を握りしめている自分に気付く。
さっきのミサトの脅えた様な瞳を急に思い出し、慌てて口をつぐむ。
そして、桂は静かに、だがハッキリと答えた。

「ここには誰も居ませんよ」

そうは言っても、玄関先に濡れた女物の靴が転がっていては説得力はないだろう。
おそらく加持にとっては見慣れた靴。加持も薄々気付いているだろう。しかし、あくまで否定する。

「会いたいんです、会って話がしたいんです。お願いします」

「ここには誰も居ませんよ。
 それに、話し合うって言っても、そんなに興奮して目を血走らせていては話し合いなど出来ないでしょう?
 少し、冷静になったら如何ですか」

暫し、睨み合う二人。先に目を逸らせたのは加持だった。

「判りました。今日は帰ります。
 もし、葛城がここに来る様な事があったら、伝えてくれませんか。
 あの部屋で待ってるって。君が帰ってくるのを待ってるって」

「判りました。
 もし、彼女がここに来たら、伝えましょう」

「お願いします」

加持は、そう礼を言うと、突然の訪問の非礼を再度詫びてから帰っていった。
傘を貸そうという申し出を寂しげな笑みで断り、濡れて帰っていった。
加持の後ろ姿を見送ってから、桂が居間に戻るとミサトは抱えた膝の間に頭を挟み込んで震えていた。
しかし、かけるべき言葉が思い浮かばなかった。



宵の口、緊張の糸が切れたのかミサトは微かな寝息を立て丸まったまま眠っていた。
このままここで寝かせておく訳にもいかないので彼女を抱えて寝室に運ぶ。
その時、誰かと間違えたのか、ミサトの寝言が聞こえてきた。

「御免なさい、お父さん・・・・・ゴメンね、加持くん・・・・・・ゴメンね・・・」

その懺悔を静かに聴き終えると、ミサトをベッドに横たえ、桂はベランダに出てたばこを口に銜えた。
雷雨に洗い流された空には冴え冴えとした月が架かっている。
その光の下で、小さな明かりはそれから暫くの間動くことはなかった。



明け方、居間のソファの上でウトウトとしていた桂が気が付くと、既にミサトの姿はなく、ただ自分に宛てた手紙が置いてあるだけだった。
その手紙を手に取って暫く眺めていたが、封を切ることはしなかった。読みたくは、なかった。

「『―――ミラボー橋の下を流れるは セーヌの河か また我が恋か』・・・
 ミサトだから、略してマリーかい? 
 アポリネール先生・・・出来過ぎだよ」




繰り返す響き。
何かを叩く様な音が遠くで聞こえる。一体何の音だろう?
何処か深いところから引き上げられるような感覚が全身を包むと、視界いっぱいに白い光が溢れた。
どうやら眠ってしまっていたようだ。蛍光灯の白い光に手を翳す。
何かを叩く音はまだ聞こえている。彼を眠りの園から連れ去った音の正体は、ドアをノックする音だった。
誰何の声に返ってきたのは、彼の知っている顔だった。

「お休みでしたか?」

「少しウトウトしていたようだ。
 ここのところ少し立て込んでるからな。
 予算のやりくりは毎度の事だが・・・頭が痛いよ」

苦笑いを浮かべて身を起こす麻生に、同じく曖昧な笑みで応える入江。
幾度か、使徒と呼ばれる生命体の襲来を経験した後の、久しぶりの再会。しかし、感激の対面という訳でもない。
お互いに儀礼的な、あるいは化かし合いの様なやり取りを経た後で本題に移る。


「で、今日わざわざ顔を出した本当の理由は?」

「NERV本部への潜入を計画しています。そちらのルートから、パスカードの入手をお願いします。
 それから、それに伴う装備の持ち出し許可を」

視線を上げると、入江が申請書を差し出している。ざっと一通り目を通してサインを入れて返す。

「手榴弾5個は欲張り過ぎだ。3個に書き換えておいたからな」

パスカードは一週間後までには届けることを約束する。
麻生から書類を受け取ると、入江は挨拶をしてさっさと地下の装備課窓口へと出ていった。

暫くドアを見ていたが、麻生は机の中から報告書の束を出して読み返す。
それは、危ない橋を渡った末に手に入れた、入江の報告書だった。
そこには、先日のMAGIハッキングの顛末が、余すこと無く正確に再構成されていた。
そして、その最後に添えられた一文。

『 石之鋭脳の停止キーを極秘に操作出来ることからも、政府情報機関の指揮系統上部に
  敵対組織の工作員の存在が考えられます。 』

一つの決心をすると電話に手を伸ばす。

「私です。キール議長に直接―」


麻生は、秘密の上司との相談の結果、入江に対して一つの処置を執ることにした。

麻生は机の引き出しに向かって何やら複雑な操作を行い、中から一冊のファイルを取りだした。
日本政府が密かに張り巡らした情報網のうちで、麻生が自由に出来る極々一部の構成員の一覧。
とは言っても、優に100人は越えている。勿論、このファイルの一部は、既にSEELEに流してしまっている。
ページを捲って人選を進める。

暫くして、ページを捲る指がようやく止まる。
麻生が選び出したのは、日本政府がNERV創設以前、計画の最初期から潜り込ませ
今では最もNERVの奥深くに入り込む事に成功したと言われている男だった。
この男を介し、NERVを使って危険な芽は早めに始末する。

麻生が選び出した男の名前は『 間(ハザマ) ケンイチ 』。
ある意味、国家元首を遙かに凌ぐVIPだ。
そして現在、彼はNERV総務部部長の地位にある。

麻生は、ハザマに連絡を取るために電話に手を伸ばした。
暫くコール音が続いた後で、元気のいい声が聞こえてきた。中学生くらいだろうか。

『はい、相田(アイダ)です!』

男の子に用件を告る。くぐもった声が、送話口を押さえた指の間から漏れてくる。

『親父ぃ、電話ぁ!』



「さぁて、これからが本番ですね」

ポケットの中で、「二枚」のパスカードを弄びながら呟く。
一枚は麻生に頼んで手に入れたもの。そうしてもう一枚は独自に手に入れたものだ。

開いたシャッターを前に暫く佇んでいた。
ここから先は特務機関NERVの施設内であり、彼にしてみれば敵地である。
その上、壁には「関係者以外立ち入り射殺」などと物騒な文句が書いてある。
その文句に向かってニヤリと不敵な挨拶を送ると、駅の改札の様なゲートの内側にその第一歩をしるした。

事前に入手した情報からある程度の構造は頭の中に入れているので迷うことは無い。
地下へと潜るエレベーターまでの途中、何人かの職員と出逢うが、皆一様な無関心さですれ違う。
入江の出で立ちは紺のスーツにブリーフケースと丸メガネ。いつもの格好。
制服を着ている職員の中では目立つが、決して浮いてはいない。何処にでもいる、無個性な格好。
そんな男が何処にでもあるであろう、無個性な、白いのっぺりとした通路を進む。
しかし、そのありふれた景色は入江に強く別の場所を思い出させた。




行き交う者の姿一つ無い通路を抜けて、人気のない階段を降りる。
靴底がリノリュウムの床を打つ音が真っ白い壁に反響する。

麻生の部屋で申請書に許可を貰って、その夜のうちに入江は庁舎の最下層に降りた。
この通路を歩く者の影はない、一般職員の知らない隠し通路。
まるで、忍者屋敷ですね。こんなもの役に立つとは思えませんが・・・

税金の無駄使い。

毎度の感想の後に毎度の想像を巡らせる。
おおかた、何代か前の誰かが予算消化の為に無理矢理作ったんでしょうね。
芝居がかった風に肩を竦めると、目の前にはドア ― 目的地 ― が待っていた。

そのドアはスチール製の殺風景なもので、何の部屋かを示すプレートも付いていない。
入江はノブに手をかけると、慣れた風にドアを開ける。

「おじさん、居ます?」

ドアの向こう側は、以外に狭い部屋だった。
ガランとした四角い部屋の隅にベンチが置いてあって、向かいの壁は何かの受付の様にカウンターが設えてあった。
入江の声が聞こえたのか、カウンターの奥から男が出てくる。

「よう、どうしたい今日は?」

出てきたのは、初老の胡麻塩頭の男だった。

「この装備をお願いします。これ、許可証」

装備課課長でありながら、気さくな原田ミチタロウは「管理人のおじさん」の愛称で職員達から親しまれていた。
許可証を受け取り、そこに麻生のサインが入っているのを確かめると、原田は早速指定の装備を揃え始める。

「しかし、おまいさんは何時も悪クジ引いてるねぇ」

そう言って、白い歯を覗かせて豪快に笑う。

「ま、それが役回りですから」

苦笑する入江に、手を休める事無く問いかける。

「しかし、今度の相手は独りで相手するには少々手強くないか?」

「何でもお見通しなんですね」

降参と言った風な入江に対し、何でもない風に原田は答える。

「ま、何でもよく見て、よく考える。それが秘訣だね」

そう答えた原田はしかし、先程までの顔とうって替わって厳しい表情で先を続ける。

「いくらおまいさんでも、碇とNERVを独りで相手にするのは荷が重いぞ。
 周りで、誰が味方で敵だか訳も分からない状況じゃ、一層な。
 上手く行けばいいが、運が悪けりゃ――」

「『死ぬだけ』ですよ」

そう言って、薄く笑う。

「でも、正直まだ未練がありますからね。少々お願いがあります。
 あの、フリーのハッカーの谷村女史に渡りを付けて戴きたいんですがね」

「わかった。向こうから連絡入れるように言っておこう」

その取りなしに礼を言う入江に軽く答えると、原田はカウンターの下から包みを出して入江に手渡した。

「これは?」

30cm位の長さの包みだが、途中で「く」の字型に曲がっている。
ずっしりと重い包みを手に持って訝る入江に対して、原田はニヤニヤ笑っている。

「ま、餞別と言ったところだな。おまいさん向けの試作品だよ」




大深度地下。
周囲はパイプが入り組んでいて薄暗い。
吐く息は白い。
そこは、MAGIから得た事前情報にも無かったブロックで、地下何階に当たるのか見当も付かない。
しかし、確かに自分がNERVの最重要ブロックの一つに進入した事を、入江はデータに拠らず理解した。
入江は暫く周囲の様子を物珍しそうに眺めていたが、ブリーフケースを開けて用意して来た
ノートパソコンの準備に取りかかった。




VIPとして、緊急時には常に連絡が取れるように冬月コウゾウも携帯電話を持っている。
しかし、大抵本部内にいて、その所在を明確にしている彼の場合、取り次ぎに係る寸秒を惜しむ様な
緊急事態でもなければ携帯電話が用いられる事は無い。
そして今、第一発令所に冬月を呼ぶ携帯電話の音が響いた。

「どうした、何事かね。
 ・・・・・・・・・・何故、今まで気が付かなかった!」

冬月が慌てふためいて、相手を怒鳴るのは滅多に見られることではない。
発令所の全ての動きが停まり、視線が冬月に集中する。
それに気が付いた冬月は、オペレータ達を睨み付けると声を潜めて物陰に移動する。
睨み付けられたオペレータ達は首を竦めて、慌てて仕事に戻るフリをする。

「・・・・以前の謎の侵入者の使っていたパスコードと同じなんだな?・・・ならば備えろ。
 設備の損壊は許さん。 ・・・・・・そうだ、私もすぐに下に降りる。」

「どうした冬月、何があった」

先程の珍事にも微動だにせず、正面のスクリーンを睨んでいた男が問いかけた。
冬月は男の耳元で、現状を囁く。

「ターミナルドグマのメモリーブロックが何者かに走査されている。 内部に侵入者だ。
 以前、チョロチョロ探っていたネズミと同じパスコードを使っている。 私が行って直接指揮を執る」

「加持ではないのか?」

「いや、彼の所在は確認済みだ。別人だろう。
 しかし、わざわざバレているコードを使うなど、捕まりたがっているとしか思えん様な行動が解せんがな」

そう言って、足早に立ち去ろうとする冬月をゲンドウが呼び止めた。

「冬月」

「なにかね?」

「頼む」

振り向きもせずに、そう呟いた男の背中に向かって微かに頷くと、冬月は地下へと降りていった。




その知らせが届けられた時、藤波は官邸で執務している最中だった。

「補佐官。  ネズミの正体、ほぼ確定です」

入江の報告書にあった、政府上層のスパイ狩りを行わせていた部下からの報告だ。
無言で、肯きを返して続きを促す。

「最後まで残っていた、大蔵省の麻生副部長と科学技術省の麻生副部長ですが―」

「面倒だ、大蔵省は桂、科学技術省の方は勝野。両方とも本名でいい」



麻生も、入江も彼らの本名ではない。
その名前は、その地位に伴うモノで一種の肩書きの様なものだ。
麻生は、情報機関の責任者に与えられる名前であり、入江は日本の情報・公安関係の
トップ工作員のうち数名に与えられるコードネームである。



「はっ。
 勝野の方は、未だ当日のアリバイは不明です。
 桂の方は、アリバイを証言する者が居ます。ですが、彼の実家のグループ企業を洗った所、
 問題が発覚しました。
 グループ企業の殆どが、孫、曾孫の関係で間接的に外国企業の金融支配を受けています。
 中には、JAの開発を行っている企業も含まれます。
 株式の名義が細かく分散されるなど、巧妙にカモフラージュされていますが根は一つです」

「何処だ?」

「SEELEです」

執務室に無音の呻き声が満ちる。
暫くして、不意に気が付く。弾かれた様に藤波が問いただす。

「入江はどうしてる? 確か・・・」

無意識に、語尾が不鮮明になる。
男は、腕にはめた時計を見てから答える。

「ちょうど今頃は、NERVに潜入している頃です。
 桂副部長から提供されたパスカードを使って・・・・・・・」




データを吸い出している合間に足を踏み入れたその部屋は、ガランとした真っ暗な空間だった。
部屋の大きさの気配が掴めない。ただ、果てしなく闇が広がる。
左手のブリーフケースから明かりでも出してみようかと思っていると、不意に光が満ちる。
刺激が強すぎて、闇に慣れた目を開けている事が出来ない。

「そこまでだ。
 私の名前は冬月コウゾウ、NERVの副指令だ。抵抗は無意味だ」

光に照らされていても、その部屋の果ては見えなかった。
驚くほど広い。
しかし、その広い部屋の床も、整然と並ぶビルの様に巨大な、上半身のみの何かの骨によって埋め尽くされている。


無理矢理開いた、涙が滲む眼が捉えたのは、白髪の老人とその周りを固める銃を構えた黒服の厳つい男達の姿だった。
骨の影から、何人か銃を構えている者もいる。
その中には加持の姿も混じっていた。

「わざわざ不正使用が発覚しているパスカードを使って侵入してくるとはな。
 なにを狙ったのか知らないが、我々をバカにして貰っては困るな。
 君の背景については、後でゆっくり聴かせてもらうとしよう」

ようやく入江は自分の不注意から発見されたのではなく、パスカードの偽造段階で仕組まれていた事だというのを理解した。
自分を窮地に陥れたと思われる人間の顔と名前が頭を過ぎる。
職務上でも、入江省三に敗北の道は与えられてはいなかったし、彼自身も甘受するつもりはなかった。
目には目を。

だが、その前にここを抜け出す事が必要だ。
全てはそれからだ。


同じ部屋で、入江の姿を照準に捉えながら、加持は誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。

( アレが俺達の上にいるという、「入江」か。
  しかし、入江を売るとはね。日本政府の中で、一体何が起こっているのやら。
  俺もうかうかしてられないな )




入江はすぐに反撃はせず、黒服達が近づいてくるのを待つ。
降伏したのかと、男達が2m程度まで近づいたところで入江はブリーフケースを振り回す。
遠心力でブリーフケースが飛んで行く。
そして、ブリーフケースを避けるために姿勢を崩してしまった黒服達が目にしたのは、
ブリーフケースの取っ手を持った入江と、取っ手の先にくっついていて火を吹く拳銃だった。


3バーストの制圧力にモノを言わせて、近づいていた何人かのNERVの情報部員を倒すと、ブリーフケースを回収して手近の骨の山に身を隠す。
すぐに火線が集中する。
入江は無理に撃ち合うことはせず、出口の方向を確認すると天井の灯りに狙いを付けて引き金を引いた。

部屋は、再びもとの深い闇に包まれる。
明るさに慣れた目では、すぐに闇を見通す事は出来ない。
この隙に出口に向かって、入江は走り出す。
闇の中、加持は目の前の骨の欠片を蹴りとばした。
派手な音が響いて直ぐに、予備灯に明かりが灯され再び部屋に光が満ちる。
起きあがりかけた入江のブリーフケースに一発命中する。
間髪空けずに、2発目が脇腹にめり込む。

撃たれた。

そう悟った入江は咄嗟にブリーフケースを盾にしながら床を滑る。滑って手近の骨の山に身を伏せる。
怪我の確認よりも先に愛用のベレッタM93Rを構える。
今回はスネイルマガジンは3つ持ってきているので残弾数の心配はしなくて済みそうだが、状況は芳しくない。

そっと覗き込むと、綺麗な白髪を撫で付けた男が硝煙のたなびく拳銃を構えて立っていた。
スッと腕と足を延ばしたその姿勢は、美しいとさえ言える。
どうやら冬月に背後から撃たれたらしい。
相手を確認すると、今度は負傷の程度を確かめる。
右の脇腹は、官給品の防弾スーツのお陰で出血もなく、弾が食い込んでいる様子もない。
しかし、衝撃までは吸収してはくれない。
骨は折れてはいない様だが、不用意に触ると激痛が走った。
きっと、真っ青に内出血してるんでしょうね・・・

衝撃の大きさと損傷が不釣り合いだ。
左手に持っていた耐弾耐爆のブリーフケースが微かにへこんでいる。そしてその表面には、何かの樹脂が薄く張り付いている。
プラスチック系弾頭のホローポイント。
あまりの軟弾頭のために貫通力は無いが、運動エネルギーがクリアーに衝撃に変換される分だけ対人兵器としては脅威だ。
防弾スーツも役には立たない。ついでに施設の損壊もない。
あの老人、とんでもない物を持ち出しましたね。
おまけにあの正確な射撃を行う技量。
入江の額に、怪我による脂汗とは微妙に温度の異なる汗が浮かび上がった。




「副指令、素晴らしい腕前をしておられますね」

冬月の援護で周囲を固めていた男の一人が感嘆の声を上げる。

「昔、京都の大学で嗜んでおったのだが、思わぬ所で役に立ったようだ」

そう言って、いかめしいリボルバーを降ろす。S&WのM13、Kフレーム。
余計な引っかかりの可能性を取り除いてある、実戦向けの銃だ。

懐からスッと抜いた時には、その身体の細いイメージとは不釣り合いな気もしたが、先程の腕前を見せつけられた後では別の感想を抱かせる。
しきりに感心している男達に向かって矢継ぎ早に指示を出す。
部屋の扉を閉めて、その前に兵を待機させる。冬月は徐々に包囲網を完成させて行く。




背後の扉が閉まる。

「挟まれてしまいましたねぇ」

呑気な感想を漏らす入江だがその指す意味は重い。援軍の当てのない入江にとって、
包囲網が完成してしまっては脱出出来る可能性は限りなく零になる。

取り敢えず、警備陣に向けて持ち出し許可の下りた焼夷手榴弾を投げつける。
しかし、手から離れていくらも行かないうちに打ち抜かれ、中空に炎の花弁を散らせるだけに終わった。
いかな火器で武装していても、数を頼む連中は怖くはなかった。
入江にとっての計算外は冬月の存在、その射撃の能力の高さだった。
しかし、いくらその能力が高くても装弾数の少ないリボルバーの実効制圧力は低い。
如何に精度が高い射撃でも弾の交換時を狙えば反撃は容易だ。
しかし、冬月はその欠点を周囲に侍らした複数のマシンガンで補っている。

容易ならざる敵手。
射殺してしまうのは簡単だが、それは厳に戒められている。
碇と違って話し合いの通じる冬月を、日本政府としては失うことは出来ないし、下手に外国人にその地位に就かれては甚だ具合が悪い。
上司達の無理な注文にも逆らえない。宮仕えの悲哀を、ホンのちょっぴり噛みしめる入江であった。

さてどうするか。
背後の扉を振り返る。
あの向こうでも準備している連中が居るだろう。前と後ろ、全員を混乱させ”続けて”その隙をつくしかない。
あの「試作品」、試してみましょうか。




「何をする気だ?」

這いつくばる侵入者に向けて愛用のM13をポイントした時、冬月はその変化に気が付いた。
同時に上空に一瞬キラめいた何かを認める。

そのキラめきが耳元を掠める。一呼吸置いた後、背後で部下の声が響いた。
冬月が目にした物は、背中から鋭い刃物で串刺しにされた男の死体だった。
呆然とする背後で、残った男達が何かに向けて弾幕を張っている。
振り返った冬月の目にしたものは、目前になってようやく弾幕に捉えられて花開いた紅蓮の炎。
飛び散る破片が、むき出しの顔や手に突き刺さる。

「ガラスで出来たブーメランだと!」

軽量化のために中空にした内部に液体爆薬を仕込んだ強化ガラス製のブーメラン。それこそが、「入江向けの試作品」の正体だった。
狭い室内では使えないが、ここはむやみに広い。

上空を幾つかの光が舞っている。光の加減で酷く見難い。時々、明かりを反射しなければ、其処に何があるのか気が付かない。
咄嗟に狙いを付けて全弾撃ち尽くすが、さしもの冬月もその複雑な軌道は読み切れない。

いかなる妙技なのか上空を二周、三周して、時間をおいて次々と透明な影が襲いかかる。
そちらにばかり気を取られている間に、鳴り響く銃声と共に黒服達が次々と倒されている。

侵入者が、部屋の出口に向かって走りながらこちらに射撃を加えている。
正確で、弾切れの気配もない制圧射撃に対して、援護のない冬月は物陰に隠れているしかなく、反撃の糸口が掴めない。
相手の使っているのはハンドガンらしいが、グリップの下に異様に大きい弾倉が見える。

( スネイルマガジンに3バーストの出来るハンドガンだと?
  個人で入手など出来ない物ばかりではないか。
  やはりバックには大きな組織が・・・・SEELEか、或いは日本政府か? )

物陰に隠れてそんな事を考えていると、唐突に銃撃が止む。
男達を蹴散らして、侵入者が扉にようやくたどり着いた。扉の開閉スイッチを操作しているのが見る。
そっと身を乗り出して照準を合わせようとする冬月の目が、振り返り此方に向かって何かを投げる様な仕草を捉える。
ギョッとして、一瞬怯んだ冬月の視界が赤く染まった。


照準用の赤いレーザーポインターに眉間を射られている。
その事態に身動きが取れない冬月と生き残りの情報部員の前で、扉が開き始める。

( バカめ。
  今私を押さえていても、その扉が開き切れば伏せて置いた兵に背後から撃たれて終わりだぞ )

そう考えている冬月の目が、開きかけた扉に吸い込まれて行く光を捉えた。直後、扉の向こうでひときわ大きな爆発が起こる。

( 扉が開くのに合わせて、あらかじめブーメランを投げていたというのか? )

唖然としている冬月達に向かって、芝居が掛かった慇懃な一礼を送ると侵入者はスルリと扉の向こうにその姿を消した。




「しかし、少し無理をしすぎましたね。傷が痛みます」

脂汗をその額に浮かべて苦笑する入江の耳に、侵入者を告げる警報が鳴り響いた。

「なりふり構っていられないって事ですか・・・いやぁ、参りましたね。どうも」




後から後から湧き出す様に現れる警備員を必死でかわし、入江はもう一枚のカードを手近のリーダーに差し込んだ。

「侵入者の姿を見失いました」

「何としてでも探し出すんだ。殺しても構わん」


冬月達が必死に行方を追っている頃、入江は予備の点検溝の様なところに潜んでいた。
万が一を考えて、知り合いのハッカーに作らせたカードのお陰で何とか一息付けた。
自前で用意したカードは点検溝でもどこでも潜り込めるが、機密レベルの低い地上付近でしか通用しない。
地上まであと僅か。ここで休んでいるよりも一刻も早く脱出すべきだろう。判ってはいても身体が言うことを聞かなかった。
周囲に人気の無い事を確認すると、壁に寄りかかってへたり込んでしまう。


しばしの休息を得た後、立ち上がろうと顔を上げた入江が見たものは、鈍く光るワルサーPPKの冷たい銃口だった。

「ご苦労だったな。抜き取ったデータを渡して貰おうか、入江君?」

「アナタが、碇指令ですか? 私―」

そう言って素早く上着の内側に手を入れた入江をゲンドウが牽制する。

「動くな。生憎、名刺は切らしているので交換は出来ん」

「左様で」

「君に話がある。取引といこう」

「お互い公務員ですから、贈収賄は御法度ですよ。
 それに、そもそも一体何とです?」

とぼける入江に微動だにしない銃口が応じる。

「君の命とだ」

「それは素敵ですね。他には?」

右手を上着の内ポケットに差し込んだまま、入江はゲンドウに先を促す。

「まず先にデータを渡したまえ。日本政府に食い込んでいる連中のリストを渡そうじゃないか」

「NERVの?」

「SEELEのだ」

SEELE。
これだけ情報網の発達していながら、その組織の詳細は知られていない。 入江も名前を聞くぐらいだ。
だが、国連にも強い影響力を持つ組織。いや、それどころか国連を影で操っているとも噂されている。
あのNERVですら、その一下部組織に過ぎないとも・・・


暫し、考えた末にゲンドウの眼を見て問い掛ける。
先程、走査したデータの中にしばしば出てきた名称であるが、名前のみでその内容については一切書かれていなかった。

「『人類補完計画』とは何ですか? 
 それに答えて戴ければ検討いたしましょう」

暫しの間、睨み合う。
しかし、銃を収めてゲンドウが頷いて見せると、入江も上着のポケットから右手を抜き取り、掴んでいた手榴弾をブリーフケースに収める。

「・・・・良かろう。人類補完計画とは――」

人気の無い通路に、驚きの声が響いたのはそれから間もなくの事であった。




NERV本部への侵入者騒ぎから程なく、NERV本部は第十四使徒の攻撃を受け甚大な被害を被った。
その戦闘の際、貴重なエヴァのパイロットが重傷を負ったらしいという噂が、現在世界中の情報機関を沸かせている。
その最中、何故か真っ先に動く日本の情報機関がそのスパイ合戦には参加せず、独り沈黙を保っている。
訝しがる者も多かったが、この隙に少しでも情報を収集しようと思う国にとっては、却って好都合だったのであまり深い詮索はされなかった。


そんな地上の動きとは関わりなく、何処とも知れない深い闇に包まれた空間で人知れず語り合う者達がいた。
唯一の仄かな明かり。それを取り囲こむ様に声が響く。

「エヴァ・シリーズには生まれいずるはずのないS機関」

「まさか、かような手段で、自ら取り込むとはな」

「我らSEELEのシナリオとは大きく違った出来事だよ」

「この修正、容易ではないぞ」

「碇ゲンドウ、あの男にNERVを与えたのがそもそもの間違いではなかったのかね?」

「だが、あの男でなければ、全ての計画の遂行は出来なかった」

気の弱い者ならその威圧感に身動きさえままならない深い闇。その中で、いつ果てるともない議論をたたかわせる影達。
しかし、威圧感を一際与える声によって、その連鎖は断ち切られた。

「第14使徒を捕食する事によってエヴァンゲリオン初号機、碇の息子は自ら神となる道を選んだ」

物音一つ起てず、影達はその言葉に耳を傾ける。

「我々に、新たな神は必要ない。ましてや、肉を持った具象化された神などな」

声は、一拍を挟んで命じる。

「冬月をここに」




「自分の好奇心が最優先か。
 結局、子供の頃から、―あの頃からちっとも進歩出来ていないんだな」

受話器を戻しながら、そう呟く。
箱根の麓、田舎道の忘れ去られた様な電話ボックスから出てきたのは、加持リョウジだった。

「最後の仕事か」

真っ赤に染め抜かれたNERVのIDカードを見つめる。

「まるで、血の赤だな」


赤い色は、別の物も思い出させる。
日没。

ミサトと付き合いだして幾らも経たない頃、二人で出かけた海からの帰り。
海沿いの道に車を停めて夕日を見たことがあった。
缶ジュースを両手に持って帰ってきた加持が見たのは、ガードレールに腰掛けて夕日を見つめているミサトだった。

「『ミラボー橋・・・流れるは ・・・・・か また我が恋か

   歓びは常に 悲しみの後に訪れると知れ

   夜よ来たれ ・・・・を打ち鳴らせ
 
   ・・・・・ とどまるは 我 』・・・」

途切れ途切れの声が、潮風にのって耳に届く。
そのまま潮風に溶けていってしまいそうな寂しげな表情が、妙に切なかったのを覚えている。
何時までも見ている訳にもいかず、無理矢理に笑顔を作って話しかけた。

「コーラで良かったかな?」

「ありがと」

ミサトの隣に腰掛けて、一口飲んだ後に訊く。

「ギョーム・アポリネールなんてよく知ってるな」

「やだ、聴いてたの?」

そう言って、照れたミサトは俯いてしまった。

「まぁね」

それっきり会話もなく、沈みきるまで二人で夕日を見ていた。

「まえにね」

「うん?」

「まえにね、教えてくれた人が居たの。
 でもね、・・・父さんも、その人も、みんな居なくなっちゃった・・・」



見上げた空は、抜ける様に青い。
たばこを銜えて、火を点ける。

「『日は過ぎ去りて とどまるは 我』・・・か。
  葛城、・・・俺は、二人で暮らしたあの部屋で、待ってたんだぜ、ずっと」

煙が一筋、青空に向かって延びてゆく。




そこがジオフロントなのか、そもそも第三新東京市内なのかも判然としない。
暗い部屋の中で椅子に縛り付けられて、冬月は居た。
不意に光が射すと、静かにドアが開いて人影が近づいてきた。

「君か」

「御無沙汰です。外の見張りには暫く眠って貰いました」

そう言って加持は、ロープを解きに掛かる。

「いいのかね? この行動は君の命取りだぞ」

痛むのか、縛られていた腕にマッサージを施しながら冬月が立ち上がる。

「私に手を出した時点で、君はNERVと内務省調査部 ――日本政府を敵に回しているんだぞ。
 さらに、こうして私を逃がすことによって今度はSEELEを裏切ったことになる。
 君の行く道は、もう無いぞ」

「ただ、真実に近づきたいだけなんです。僕の中のね」




「私だ、NERVの監査部の加持リョウジ・・・・そうだ、そいつだ。
 その男を処分しろ。碇の差し向けた連中に先を越されるな。
 他人と接触する前に仕留めるんだ。・・・急げ、最優先だ!」

麻生(桂)は明け方、時差やこちらの都合など考えないスポンサーからの電話で叩き起こされ、
加持リョウジの処分を命じられた。
加持リョウジ。たいした面識はないが消して忘れられない名前だ。
まさかあの男がこんな近くにいるとは知らなかった。しかも、立場も似たようなモノだったとは。

いわゆるスパイには、横の繋がりはない。芋づる式に組織の全容が明らかにされないためだ。
ましてや、命令系統が異なれば別組織と言っても過言ではない。
だから、加持リョウジが同じ日本政府に勤務し、尚かつSEELEにも所属していることなど知る由もなかった。

内心、嫌々受けた指令であったが、受話器を置いたときには桂の体内は暗い情念で一杯に満たされていた。
わざわざ、NERVの保安諜報部に潜らせた虎の子の部隊まで動員してまで加持の暗殺を命じる。
ベットサイドのタバコに手を伸ばし、肺を紫煙(私怨)で一杯に満たしてうそぶく。

「仕方ないよな、仕事なんだしな」




しかし、桂の暗い呟きにそっと耳を立てている者達が居た。

「動きました。
 独断でNERVに潜らせた部隊を動員して、加持リョウジの暗殺を狙っています」

入江が奇妙な成り行きによって持ち帰った、SEELEの協力者のリストと称する名簿を基に内偵を続けている一団だ。

「ようし、ヤツの周囲を固めろ。
 準備が整い次第、拘禁する。残りのSEELEの連中に気取られるなよ」

第三新東京市に続き、第2新東京の闇もまた、静かに動き始めた。




「―――そうか」

受話器を戻して、執務室の窓辺から灯りを眺めているゲンドウに向かって、冬月は報告する。

「日本政府内の”協力者”達が次々に拘束されているそうだ。
 拙いぞ、碇。
 何らかの手を打っておかないと――」

「問題ない。既に手は打ってある」

闇に向かって、ゲンドウは不敵に笑って見せた。




第三新東京市の、放棄された街区の廃ビルで加持は人を待っていた。
芦ノ湖の畔で冬月を降ろした足で、そのままここにやって来た。
巨大な換気扇の前で、タバコを取り出して銜える。煙を肺いっぱいに吸い込んで、吐き出す。
最後のタバコかも知れない、そんな想いが頭をよぎる。

加持がこの場にやってきたのは、冬月を拉致しに行く直前に届けられた、匿名のメッセージがこの場所での会合を指定してきたからだ。
勿論、そんな怪しい誘いに乗ってやる義理など無い。
だが、全てを裏切った加持リョウジに、匿ってくれる組織も、行くアテも無い。
遅かれ早かれ・・・

( まぁ、良いさ。
  やりたい事はやったし、知りたい事は知ることが出来た。思い残すことは何もない。
  ただ、最後にアイツの声が聴きたかったな )

二本目のタバコに手を伸ばしかけた時、誰かがやってくる気配がした。
宙を舞う埃が、午後の光を反射してキラキラと輝く。
その光の向こうに、男の影が現れた。
メガネのレンズが光を反射していて、表情を探ることは出来ない。

「遅かったじゃないか」


銃の響きを耳にしたNERV保安諜報部が駆けつけて来た時、すでに付近に人影はなかった。
部屋の中は、床一面が酸に侵されていて、一体何が起こったのか後日の調査でも遂に詳細は判明しなかった。

だが、辛うじて加持リョウジの血液が検出できた。
しかしそれだけで、何が起こったのかも含めて、当事者達の行方は、杳として知れなかった。

詳しい調査は何故かうち切られ、後日の調査ファイルには「加持リョウジ:行方不明」とのみ記された。




その日の勤務が終わった桂は、真っ直ぐ家には帰らなかった。
どうも最近、周りの状況に焦臭さを感じる。
万が一を考え、公務と称して国外に一時逃れ、様子を見ることにする。
途中で駅に寄り、コインロッカーから荷物を出すとタクシーを停めて、夜の街に消えていった。

木製の重厚なドアを開ける。
ビルの最上階のフラット。
そこは20世紀のレトロな雰囲気を漂わせた、落ち着いた感じの照明と音楽の流れるイタリアンレストランのウェイティング・バーだった。
窓の外には第2新東京市の夜景が美しい。

「イラッシャイマセ」

チョコレート色の肌をした、初老のバーテンダーが挨拶をしてくる。

「珍シイデスネ。土曜ノ、夜デモナイノニ」

「ちょっと色々あって、旅行に行く事になってね。
 暫くおあずけだから」

言い訳じみたことを口にする桂に、さりげなくいつものカクテルを出す。
一口含んでから、満足の息を吐き出す。



『(ヒ゜ッ!)目標が例のバーに入りました』
『(ヒ゜ッ!)了解、周囲の封鎖は後3分で完了だ。』


いつもよりハイピッチで、黙々とグラスを重ねる桂にバーテンダーも言葉をかけずに、ただ黙々とグラスを磨いている。
五杯目をお替わりしてから、ようやく口を開いた。

「昔の――古い付き合いの男が、死んだんだよ。」

酔いの回った口が勝手に言葉を紡いでゆく。

「昔ねぇ、女を取り合ったんだ。
 いや、そうじゃないな。
 俺は逃げてしまったから、取り合いにもなっていなかったな。
 俺には、彼女を選ぶことが出来なかったよ。
 そして、アイツは彼女を泣かせやがった・・・


 そいつと別れた後、彼女は俺に逢いに来てくれたんだ。
 嬉しかったよ。

 でもね、彼女の中に俺の居場所は無かったよ。
 悔しかったなぁ。
 アイツも。
 彼女も。
 何より自分が。

 ・・・ねぇ。
 もう一度やり直せたら、今とは違う現実に出会えたかな」

常連客が、初めて漏らす長い愚痴に、バーテンダーはグラスを磨く手を休めて答える。

「キット、ナンドヤッテモ、結果ハ、オナジデスヨ。
 ソノトキノ選択ガ、ソノトキハ、ベストナンデスカラ」

「そうか。そうだね。ありがとう」



『(ヒ゜ッ!)芹沢、島岡。配置はどうなっている?』
『(ヒ゜ッ!)オトコ島岡以下全員、いつでもいけます!』
『(ヒ゜ッ!)ジュンちゃんズ、抜かりはありません!』
『(ハァ)・・・突入するぞ』
『『((ヒ゜ッ!))了解』』
『(ヒ゜ッ!)殺すなよ。死体は黒幕や情報源を吐かないんだからな!』
『(ヒ゜ッ!)へいへい』




廻らない呂律で礼を言う。
その時、ようやく流れているBGMに気が付いた。

「これって、『ミラボー橋』だね」

「エェ、ゴゾンジデスカ?」




静かな店内に流れるBGMに合わせて、桂は詩を口ずさむ。



ミラボー橋の下を流れるは セーヌの河か また我が恋か
歓びは常に 悲しみの後に訪れると知れ
夜よ来たれ 時の鐘を打ち鳴らせ
日は過ぎ去りて とどまるは 我





暗い夜道を、ゴルフバックを肩から提げた男が一人歩いている。
人目を気にしては、立ち止まって左右を確認する。
目的地 ――人気の無い、背の高いビルに滑り込む。

そうして、エレベータで最上階まで登って階段で屋上を目指す。




見つめ合い 絡めた腕(かいな)の下を
物憂い光を湛えて セーヌの河は今日も流れる
夜よ来たれ 時の鐘を打ち鳴らせ
日は過ぎ去りて とどまるは 我



風向きを確認して、男は肩からバックを降ろす。

バックのチャックを開く。
中から出てきたのは、旧米軍の開発したM−16A2ライフル。
引き金は電子式のフェザータッチ、狙撃用のスコープを装着してある。
衝撃を加えないよう、ガラス細工を扱う様に慎重に扱う。



セーヌの河は今日も流れる 二人の愛も斯くの如し
穏やかな営みの中の 望みの何と激しきことか
夜よ来たれ 時の鐘を打ち鳴らせ
日は過ぎ去りて とどまるは 我



チャンバーに初弾を送り込む。
周囲を再度確認。
姿勢が決まると、目標をスコープに捉える。




緩やかな店内の空気は、いきなりの乱入者達によって破られた。 何事かと驚く人々の前を武装した男達が横切り、一人の男を取り囲んだ。

「一体何事だ! ここで一体何をしている?」

だが、桂の問いに答えたのは武装した男達では無い。

「桂ジュンジ。君を国家反逆罪、国家機密守秘義務違反で拘束する」

柱の影から現れたのは、首相補佐官の藤波だった。

「藤波・・・」

桂は、下唇を強く噛み締める。

張りつめた店内の空気とは関係なく、止められないままのBGMが切ない恋の詩を歌い上げてゆく。



時は移ろい 日は過ぎ 週は巡りぬ





目標を確認すると、静かに、深く息を吐き出す。
夜に同化する様に、静かに静かに呼吸を押さえる。



ミラボー橋の下を流れるは セーヌの河か また我が恋か



目標まで200m。
月明かりも、風も無い静かな夜。
引き金にかけた指に力を加える。




今にも弾けんばかりに張りつめている桂に向かって、藤波の冷酷なまでの忠告が飛ぶ。

「全員、ゴムスタンしか装弾してない。抵抗して射殺されようなどと思わないことだ。
 貴様の生活については、暗い部屋でじっくり聴かせて貰うぞ」

強く噛み締めすぎた桂の下唇から、赤いものが流れ出す。




夜よ来たれ 時の鐘を打ち鳴らせ



「Oui,Monsieur」
そう呟いて、薄く笑う。





日は過ぎ去りて




前触れもなく、桂は脳樟を撒き散らせて床に崩れる。
目の前で死んだ人間を見て、店内が悲鳴に満ちる。

「誰だ、今発砲したのは!」

「外部からの狙撃です!」

部下からの報告に、今度は藤波が唇をかみしめて立ちつくす番だった。



遙かなビルの屋上で、男はゆっくりスコープからその顔を上げると、後を引き継ぐ。



とどまるは 我





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Ver.-1.01 1998+05/18公開
Ver.-1.00 1998+05/17公開
御意見、御感想等は こちらへ。

[”あとがき ”という名の言い訳]

* はじめに *

この話を書くにあたりまして、BBS古今東西横浜ネット会員の「わたをさん」「十 一(ツジハジメ)さん」の御協力を頂きました。殊に、十 一さんには銃器の名称等、様々な御協力を頂きました。この場をお借りして、お礼申し上げます。


と言う訳で、自作「回想」の外伝です。
しかも、内容は禁断の非エヴァ キャラ主役。いやぁ、書いてて愉しかったです(^^;
好きなモノごっそり放り込んだし、冬月副指令の意外な趣味とか、ケンスケの謎とか色々書けましたし。
でも、書いてるうちに内容がどんどん変わって行きました。ホントは加持もキッパリ殺すつもりだったんですけど、取り様によって生死不明にも、殺したのが誰かも、ラストの狙撃も誰だか判らない様にボカシました。
なんでこうなったかは覚えてません(笑)


過去のシーンがヘロヘロとか、主題不明とか、スパイ狩りを推理小説風に出来たら面白かったろうなとか、緊迫感がいまいちとか、いろいろ悔いる点は多いです。でも、恥ずかしながら現状ではこれが精一杯です。
それから、文中のスペリングは全部いい加減なんで、その辺のツッコミは勘弁して下さい(^^;;;
最後のシーンも、もう少し巧く行くと思ったんだけどなぁ(ブツブツ

「Oui,Monsieur」は「ウィ、ムッシュー」です(^^;



一部の方への、お・ま・け!

*************************************

第2新東京市の治安の一部を預かる新妻暑。
刑事の神保ユウゾウは、内務省職員と名乗る男からの一本の電話に激怒していた。

「今から言うビルの周りの交通規制をしろだぁ? 訳も聞かずに住民を追い出せだぁ??
 警察は貴様らの使いっ走りじゃないんだぞォ!
 ・・・・何が起こっても手を出すなぁ??
 貴様ぁー、言っている意味が分かってるのか?」

受話器を顔から離して、思いっきり息を吸い込む。
まわりで様子を窺っていた同僚達は、それを見て慌てて耳を押さえたり部屋から逃げ出して行く。

「に っ ぽ ん  け ー さ つ を、舐めるなぁーーーーーーーっっ!」

そうして、電話を切ってしまう。
直ぐに激怒して掛け直してくるかと思われたが、二度とその電話が鳴ることは無かった。
だが、決して相手が神保に怖れをなしたからではない。

どんな電話でも粉々に砕け散ってしまっては鳴り様が無い(^^;

*************************************

やっぱ、これが無いとね(笑)





 MASSさんの『暗躍』、公開です。





 おお!
 外伝!!

 でも、
 元を知らないぞ(^^;


 この話で成り立っているから、
 まあ、OK♪



 オリキャラが主役だ・・・(^^;

 オリキャラの設定とか歴史を聞かされても、
 ふがうぐ な事が多いんですが−−


 繋がっているし、
 必要なことなので、
 うむ、OK☆



 格好良かったですよね。
 やん、よかよかですたいっちゃっけんか♪♪




 さあ、訪問者の皆さん。
 禁断を楽々クリアーしたMASSさんに感想メールを送りましょう!


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