memory ・・・angel version・・・
・・・チェロの思い出・・・
「碇、おまえなんか趣味はないのか?」
小奇麗な居酒屋の奥の方のテーブルに座り、一通りの注文を終えた所で、仲の良い同僚が彼に尋ねてきた。
「趣味?・・・うーん、特に無いなあ・・・」
彼は仕事一筋に生きてきた人間だったので、趣味と呼べるような事は特にはしてなかっス。
「だったらなんか考えた方がいいぞ、お前みたいなタイプが定年後に暇になったとたん急に老けこんじまうだよ」
「そうかな?でも早いもんだよ、気が付けばもう定年間近だからな」
「だろう?それにお前のが一足早いからな」
「しかし、定年後の事なんてまだ考えて無かったよ」
「やっぱりな、お前らしいよ・・・まあ、まだ余裕はあるからな。でも本当に今のうちから何か考えといた方がいいぞ」
「そうだなあ・・・・・・」
その時、彼は遠い昔にやっていた唯一趣味と言える事を思い出した。
「そういえば・・・」
「どうした?」
「いや、大したことはないよ、ただ昔チェロを弾いてたことがあってね」
「本当か!?お前が?う〜んあまり想像つかんなあ、チェロか・・」
「大分昔の話だし、そんなに弾けた訳でもないんだ、それにそんな事すっかり忘れてたよ」
しかし、この時彼は密かにある決心を固めつつあった。
数日後
「ただいま」
彼は帰宅すると直に、台所で食事の支度をしているであろう妻に声をかけた。
「お帰りなさい、あなた」
妻は振り向いてそう言ったが、すぐに主人がなにか大きいものを抱えているのに気がついた。
「あなた、それはいったい何ですか?」
思わず支度の手を止めて疑問を発する。
「ああ、これはチェロだよ」
彼はぽんぽんと大きなハードケースの胴を叩きながら答えた。
「チェロ?どうするんですかそれ」
「僕が弾くに決まってるじゃないか」
彼は少し可笑しそうに答えた。
「あなたチェロなんて弾けたの?今までそんな話は聞いたことが無いわ」
「そりゃそうさ、弾いてたのはそうとう昔だからね、10代のころの話さ」
「そうなの、でもどうして今になってまた弾く気になったの?」
「うん、昔の事を思い出してね、なんか懐かしくて弾いてみたくなったんだ」
「そう、じゃあ私にも演奏聞かせて下さいね」
「そうだな、少し練習して満足に弾けるようになったらでいいかな?」
「ふふふ、いいですよそれで、それじゃあご飯を用意しますから早く着替えて来て下さい」
「分かったよ」
彼はひとまずチェロを自分の書斎に置き、そうそうに服を着替え、食卓向かった。
「あなた、もう少しゆっくり食べた方が良いですよ」
何時もはゆっくりと食事をする事を好む主人が、今日はやけに早いペースで食べているのが気になった。
「ゴメンゴメン、何となく気がはやってるみたいだ」
彼女は、そう言いながらも嬉しそうな主人の姿を見て、ふと感じるものがあった。
「もう・・・所であなた昔の事はあまり教えてくれませんけど・・・」
こんなにも主人の機嫌を良くさせるチェロ、それを弾いていたという10代の頃の事は殆ど聞いた事がなかった。
「うん・・・でも別に何て事はないことだから」
昔の事を聞くと、主人は決まって何となく寂しそうな顔をする。
でも、それも無理も無い事だと彼女は思っている、その頃は世界が混乱していた時代。
誰しもが少なからず心に傷を負ったあの頃。
「そうですか」
彼女はそれ以上は何も言わず、柔らかく彼を見つめた。
彼は食事を終えるとすぐに書斎に向かった。
自分の書斎に入ると早速チェロを取り出してみた。
「本当に久しぶりだな、うん、この感触・・・」
滑らかな表面に、独特の匂い。
女性の体を模したという話のある位の美しい形に、しばし見とれる。
調律を始めると心地良い振動が腹に響いてくる。
「そうだ・・・この感触だ・・・」
調律を終え、椅子に座り直し体制を整えた。
そして、チェロと一緒に購入してきた楽譜のページをめくる。
わずかに緊張して2、3度ネックを握り直す。
「良し、それじゃ」
感覚を思い出すようにゆっくりと弓を引いた。
それなりの広さを持つ書斎に、温かみのある低音が隅々にまで行き渡り、ある空間を形成していく。
曲はエルガーの「愛のあいさつ」
バッハの曲と並んで彼のお気に入りの曲であり、昔はよく弾いていたものだった。
最初はなかなか上手にいかなかったが、段々と感じを思い出し、弓の運びも軽くなって行く。
音と共に振動が彼の体を包み込み、まるで楽器と一体になっているような感覚を味わえる。
彼はそんなチェロが好きだった。
チェロを弾いている時は、他の全ての事を忘れる事が出来たから。
しかし今、彼は思い出していた、同じ時間を過ごしていたあの頃の友人達を、もう会うことも
ないであろう共に戦った仲間達の事を、そして父親の事を、まるでチェロの音色が、彼の中に
静かに眠っていた記憶を呼び覚ましているかのように。
そして、その音色によって形成された空間に、天使は舞い降りた。
最後まで溝を埋める事が出来なかった父親との関係。
「父さん・・・あなたは全ての事を顧みずに自分の理想を追いかけていた・・・」
自分があの頃の父親の年齢に近くなった時も、父を理解することは出来なかった。
今でも自分の根底にあるものは父とは相容れないものだろう。
最終的に父を許すことが出来た後も、心に残る痛みは完全には消える事は無かったのだから。
「私はあなたとは違う生き方を、違う幸せを選択したんだ・・・」
長身の天使は静かに彼の肩に手を置き、頷いた。
綾波はあの最後の戦いの時に消えてしまった。
「綾波・・・あの時まで僕自身忘れていた母親、その姿を借りた少女」
あの頃、私はどうしても認める事が出来なかった。
父さんが綾波を必要としていた訳、そして何より彼女が一人の人間だということを。
表装的な事に囚われ、彼女自身の本質を何一つ理解してあげられ無かった。
それに気付いた時、私は酷く後悔し、自分を責めた。
そして悟った、自分も父と何も変わらないんだと。
しかし、全ては遅すぎた。
最後に私は涙を流した、彼女と私自身のために。
蒼き天使は純白の翼を広げ、優しく彼を胸元に包み込んだ。
ミサトさんは最後の戦いの最中、私を守って死んでしまった。
「家族の温もりを忘れていた私に、その温もりを思い出させてくれた人」
あの後、それが私の出来る最大限の感謝なんだと思い、ペンペンを引き取り
加持さんの西瓜畑の世話をしていた。
保護者と言うよりは歳の離れた姉の様な存在だったけど、大切な人だった。
でも、この気持ちもミサトさんを失って初めて気が付いたものだ。
あの頃の私は、所詮ミサトさんから見たら子供以外の何者でも無かったのだろう。
実際、当時の自分は何も出来ない只の子供に過ぎなかった。
結果的にミサトさんを犠牲にして、私が生き残ってしまったんだから。
「早く行きなさい!あなたは生きるのよ」
彼女の最後の言葉。
そして私は、今もこうして生きている。
「ミサトさん、あなたの気持ちは確かに受け取りました」
二人、手を繋ぎ体を寄せ合う天使は、見守る様な眼差しで彼を見つめた。
リツコさんも、他のオペレーターの人達の事も覚えている。
リツコさんもあの時に死んでしまったらしい、そして日向さんも。
マヤさんが泣いていて、それを青葉さんが慰めていた光景は忘れられない。
様々な秘密を胸の内に隠し、それによってどんなにか苦しんでいたであろうリツコさん。
黒縁の眼鏡をかけていた、人の良さそうな青年だった日向さん。
そして。
「マヤさんと青葉さんはあの後一緒になれたのかな」
希望を込めてそう思わずにはいられない。
あの、信じられない程の犠牲を強いた計画。
その犠牲者に対して、私は本当に申し訳なく思う。
父が責任者であり、自分も当事者だったのだから。
私達親子の犯した罪は決して消えることは無い。
せめて、私が懸命に生きることが、私に出来るせめてもの贖罪だと信じている。
「時は流れるか・・・」
淡い光に包まれている無数の影、それらは何か嬉しそうに会話をしている。
そして、髪の長い天使が彼の肩をぽんぽんと叩く。
後ろで手を組んだ天使は、納得する様に頷いた。
不意に白き天使が現われる。
そして、その紅い目で彼を見ると、彼を後ろから抱きしめた。
アスカはドイツに帰って行ってしまった。
「どうしてるのかな・・・」
あの後傷が癒えるまでの間、暫く日本に居たのだが結局彼女はドイツに帰っていった。
「今度こそあたしに釣り合うものを見つけるのよ、アレじゃ役不足だったから」
そう言って元気に振る舞う彼女の目に、わずかな影が宿っているのに私は気が付いていた。
しかし、
「うん・・がんばってね」
そんな言葉しか言えなかった。
「何言ってんのよシンジ、私は天才よ、がんばる必要があるのはあんたの方でしょうが」
私は苦笑いをして、自分の気持ちを隠すことしか出来なかった。
「そろそろ時間ね、それじゃあたし行くから」
「うん、それじゃ元気でねアスカ」
「あんたもね、シンジ」
最後もこんな会話だった。
そして、ゲートの向こうを歩く彼女の後ろ姿が何となく寂しそうに見えたのを
覚えている、彼女は最後まで振り返らなかった。
結局この後彼女に二度と会う事は無かった、秘密保全のために行われた様々な工作
に因って、彼女と連絡を取ることさえ出来なくなってしまったからだ。
今でも胸の片隅には、切なさと共に、言えなかった言葉が残っている。
『アスカ、僕は君のことが好きだ・・・』
混乱の最中、何時の間にか私の中に芽生えていた気持ち、波乱と共にあった初恋だった。
「また何時か逢えるかな、アスカ・・・」
紅き天使は彼の正面に立ち、優しく彼にくちづけした。
私はそこで手を止めた。
胸はかつての感慨で一杯で、私は絶対的な安堵感に包まれているのを感じていた。
まるで全ての毒が抜け、魂までもが清められた様だった。
コンコン
ノックの後、洗い物を終えたのであろう妻が扉を開けた。
そのタイミングの良さから察すると、たぶん彼女は私が演奏を止めるのを待っていたんだろう。
「ちょっといいかしら」
「ああ」
私は微笑んで答えた。
「素晴しい演奏だったわ、まるで心が洗われる様な」
「うん、自分でも信じられない位気持ち良く弾けたよ・・・まるで誰かが助けてくれたみたいに・・・」
その時、不意に涙が溢れてくるのを感じた。
「あなた、泣いてるの?」
「いや、ちょっとね、昔の事を思い出して・・・」
「ふふ、そうね思い出は永遠のものですからね、辛かった事は懐かしく、楽しかった事は美しく、時間が全てを包み込んでくれるんですもの」
「そうだね」
私は彼女の言葉を聞いて、はっきりと感じた。
私は今、本当の幸せに包まれているんだということを。
そして私は妻に言った。
「ノリコ、僕にとって一番の幸運は君と出会えたことだよ」
彼女は少しびっくりした様な顔をしたが、すぐに優しく微笑み言った。
「私もよ、あなた」
私はこの一刻が永遠に続けば、そう願わずにはいられなかった。
そして、天使達は微笑みを浮かべながら、翼を広げ飛び立った。
the end
ようこそめぞんEVAへ!
こんにちは、山本さん(^^)
めぞん通算78人目、
一時凍結解除後5人目の新規御入居者ですね。
【一時凍結解除】する時に、
「とりあえず5人ばかし」と言ったような気もしますが・・・
結構余裕もありますし、
もう少しいいかな。。
とか考えていたら、
今日はUP数多いな(^^;
空き部屋もあることだし、
これが埋まるまでは・・・
山本さんの第1作、
『「memory」 ・・・angel version・・・』公開です。
あの時まで弾いていたチェロの調べにのって、
甦るあの時のこと・・・
辛いことも楽しいことも。
その全てが思い出させる今は
きっと、いい時間なんでしょうね。
さあ、訪問者の皆さん。
感想メールに歓迎メールにその他のメール。
山本さんに届けましょう!